第分一合部同 新あ聞な たNはHどK大こ分で暮共ら同企し画ますか(下)初版発行 :2009 年 2 月 27 日大
p. 2 よっこらしょ 佐藤タカ子さん(76 )が立ち上がった 午後六時すぎ 宮史郎(元ぴんからトリオ)の演歌が聞こえる 移動販売車がやって来た 山あいの集落はもう薄暗い 演歌を鳴らして 車が来るんよ これが頼りじゃけん 佐藤さんは竹田市宮砥(みやど)地区の滝部集落で 独り暮らしだ 幹線道路から二百メートル入った木造平屋の住宅には 広い土間と五つの部屋がある 隣家まで五十メートル 大きな声を上げても まず聞こえることはない 台所のなべをこがし 一人で老いてもここを離れたくない家がある 隣人がいる 思い出がある メモ 竹田市の高齢化率は 34%(2001 年 3 月末現在 ) で 全国の市の中で最高 その中でも宮砥地区 (48%) は最も高齢化が進んでいる ほぼ 2 人に 1 人が 65 歳以上で 高齢者の独居世帯は 63 戸 地域で支え合って暮らしている ひやりとしたことがある 隣の人が様子を見にきてくれる みんなが気を使うてくれるけん心配はしちょらん 週に一回 金曜日の夕方 滝部集落を移動販売車が走る 野菜 魚 肉 トイレットペーパー 今日の買い物は豆腐 油揚げ しば漬け ギョーザなど計六点で しめて千百十円 腰が曲がってしもうて 遠くには行けん 食べ物も日用品も 車が来る
p. 3 のを待っちょる 何でもそろうちょるけん 助かるわ 五人の子どもがいる 農業を継いだ夫は七年半前 心不全で亡くなった 生活費は月額三万三千円の年金だ 大分市で自営業の長男(52 )から 一緒に暮らそう と誘われる 一人暮らしは 何があるか分からんと心配しとるんじゃろうが ここを離れる気はない と佐藤さん 長男の家はうちよりも広いけど 近所に知っとる人がおらんから三 四日もすると 宮砥に帰ってくる 一人でも 菜園を耕せる 草刈りもできる 近所の人も声をかけてくれる ここのほうが生きとるかいがある スーパーの総菜とは違う 手をかけて作った家庭の味がする 百木集落の吉良正登さん(80 )はヘルパーの心遣いがうれしい カボチャやシイタケの煮物 ホウレンソウのおひたし 吉良さんの妻がよく作っていた料理が並んでいるからだ 十年前 妻を亡くしてから 出来合いの総菜ばかり食べていた 三叉(さんさ)神経障害を患い 真っすぐ歩くことができなくなった 目も悪い 妻が死んでから 何をどうやったらいいんか分からんかった 今は週に一度 竹田市社会福祉協議会のヘルパーが自宅を訪れ 四 五日分の食事をまとめて作る 買い物はヘルパーに頼み 十日に一度 竹田市中心部の病院に通う 独り暮らしの居間には ボタンを押すと 異変を三重町の息子に知らせる緊急通報装置がある
p. 4 医者は三日に一度は来いと言うが バスで町中まで行くのは そりゃあ大変なことなんや 病院に行くには バスで片道四十分の時間がかかる 吉良さんにも五人の子どもがいる 全員 離れて暮らしていホームヘルパーの世話を受ける吉良正登さん
p. 5 る 愛知県名古屋市にいる長男(52 )から 一緒に暮らそうと勧められている 五年ほど前 三叉神経障害になったとき 名古屋に連れていかれた という 四カ月で 息子の家を飛び出した 都会のマッチ箱のような家に入れられちょると ノイローゼになりそうやった 長男の自宅では 四畳半ほどの部屋にこもり 毎日が退屈だった 宮砥には 建築後百年を超え 妻との思い出が詰まった自宅(約百平方メートル)と先祖代々の田(二反)がある 屋外にテレビの音がもれない日は どうしたのか と 近所の人が飛んでくる 佐藤さんも 吉良さんも宮砥を離れないという 家がある 隣人がいる 思い出がある それが二人の暮らしの条件だからだ ヨモギもち おはぎ 巻きずし フキノトウのてんぷら シカ刺し シシなべ 三月二十日午後 竹田市宮砥地区の滝部公民館で お接待 が始まった テーブルの上は 地区民が持ち寄ったごちそうでいっぱいだ 料理の材料は地元で取れたものばかり ここん山で捕ったシカ刺し シシなべがうまいんや と 区長の甲斐学さん(73 )が話した お接待は九州を巡ったとされる真言宗の開祖 お大師さん(弘法大師)にちなむ行事 歴史は江戸時代よりも もっと昔にさにぎやかお接待 あと何年できるのか1軒また1軒 商店減り続け3軒に
p. 6 かのぼる 宮砥地区では 地区民が集まり それぞれが酒と肴(さかな)を振る舞う 滝部には十八戸あるんじゃが 今日は二十六人が集まっとる 三月と八月の年に二度 お接待をして 酒を飲み ごちそうを食べて騒ぐんですよ みんなの元気な顔を見て がんばらにゃ と話すんじゃ メモ 中山間地には 昔ながらの祭りが残る 宮砥地区では お接待 のほか 作の神様 の 庚申様 ( こうしんさま ) 祭りも続く 小川 百木集落では 先祖を祭る 無縁供養 もある いずれも忙しい人々がつかの間の楽しみを演出し コミュニケーションを図る生活の知恵だった 過疎 高齢化は伝統の祭りや行事 ムラそのものの存続を危うくしている 甲斐さんはもう赤ら顔だ 一人暮らしの坂井寿満子さん(70 )は いつもお接待を楽しみにしちょる と おしゃべりに熱中している 宮砥小学校の新一年生になる堀耕治さん(37 )の長男 慎之介ちゃん(6つ)も顔を出した よう来たのう もう一年生じゃから 大きゅうなった おなかいっぱい食べよ 二十六人の声が飛んだ 滝部の十八戸で 高校生までの子どもがいる家は二戸だけ 年寄りだけが大半で 独り暮らしも三軒ある 平均年齢は六十歳に近え あと何年 みんなが元気にお接待をできるじゃろうか にぎやかさの中で
p. 7 甲斐さんは伝統行事の先行きを心配する 絆(きずな)と言ったらいいんかな 祭りや行事で みんなの気持ちがまとまり 一緒に支え合おうという気になったもんじゃ 田んぼに水を送る井路の補修もみんなでやらんといけ地区民がごちそうを持ち寄り開かれるお接待 ( 宮砥地区滝部公民館 )
p. 8 んし それがうまくいかんようになったら ここの暮らしが崩れてしまう いつまで 店を開いていけるんかなあ 田原集落の橋爪巴子さん(64 )は工藤ケイ子さん(67 )と顔を見合わせた 橋爪さんは散髪屋 工藤さんは酒店を経営している 子どもたちはみんな 都会へ出て行った 店を継ぐ人がおらんのよ と 二人は話す 魚屋 雑貨屋 かじ屋 造り酒屋 一九四五(昭和二十)年ごろ 田原には十四軒の商店があった 宮砥地区のそれぞれの集落から 買い物客が集まった もう姿を消したかじ屋に行き くわやすきの農機具を購入した 宮砥地区から外に出なくても 暮らしに必要な品物は ほとんど手に入った 今 田原の商店は散髪屋とパーマ屋 酒店の三軒だけだ 若者が出て行き 高齢者が残された 五十戸だった集落は十九戸になった 地区民が少なくなっただけではない 道路が改修され 車でスーパーやデパートへと買い物に出かけるようになったこともある 昭和三十年代(一九五五~六五年) だれも車を持っていなかった 自転車さえも珍しかった 田原で買い物して 酒も飲んだ 田原は宮砥で一番の繁華街だった 昨年 自分史をまとめた合沢義孝さん(79 )は 昔の田原集落の様子をこう書いた このまま散髪屋や商店も消えてしまうのだろうか
p. 9 若者が増えんと 夢捨てず地域再生へ40 年ぶり初節句未来担う 宝 に笑い声この春 二十三回にわたった宮砥地区対抗駅伝大会が廃止になった 高齢化と人口減で 選手をそろえるのが困難になったからだ 二月 駅伝に代わって 壮年と高齢者の親善ゲートボール大会が開かれた 夢は捨てやせん もう少したつと 県外で暮らしている 団塊の世代 が定年を迎える そうすれば 何人かは宮砥に帰ってくる 都会の若い人も農業への関心を高めている 後は ここの良さを多くの人たちに知ってもらう努力をするだけじゃ 竹田市宮砥地区の担い手育成推進協議会長 後藤生也さん(71 )は今日も 視察団に 中山間地支払制度の説明をする 過疎 高齢化の宮砥地区は中山間地農業の新しいモデルともなっている この一年間 全国各地から 地区人口の四倍に近い三千人(二百団体)が視察に訪れた モデルとして 脚光を浴びたのは二 (平成十二)年からだ 米の生産調整(減反)を活用し 大豆 ソバの集落営農に取り組んだ 水田の高度利用を果たし 国の中山間地直接支払制度をいち早く導入 それぞれの農家に交付される補助金の三分の二を地域全体の共益費として使う 宮砥方式 を編み出した 四月から 共益費をどう使うか 三月中旬 緩木林研センターで開かれた推進協議会は熱気に包まれた
p. 10 宮砥の大豆で豆腐を作る農産物加工所はどうか そば打ち体験や民泊もいい 人が来れば 宮砥の良さを知ってもらえる 菜の花を有機肥料に使った米作りもある 米とみそ ソバをセットにしたふるさと宅配便はどうか アイデアが次々に飛び出した 要は 地域を再生する方策だ 安全でおいしい食べ物を作り 都会へと直接販売するルートを確立すれば 農業が活気づく 新たな収入が生まれ 宮砥で暮らしていく道が見つかるかもしれない それでも 十年後 二十年後の将来は描けない 協議会事務局長の佐藤博一さん(51 )は言う 宮砥の住民の平均年齢は五十八歳 集落営農で頑張っているのは六十代後半から七十代前半の年寄りじゃ 中山間地の交付金も 農業で生活できる所得保障にはほど遠い 新しい道が メモ 中山間地には 昔ながらの祭りが残る 宮砥地区では お接待 のほか 作の神様 の 庚申様 ( こうしんさま ) 祭りも続く 小川 百木集落では 先祖を祭る 無縁供養 もある いずれも忙しい人々がつかの間の楽しみを演出し コミュニケーションを図る生活の知恵だった 過疎 高齢化は伝統の祭りや行事 ムラそのものの存続を危うくしている
p. 11 開け 若い者が増えんと 宮砥で生計を立てるのに 苦しい事情は変わらん 会長の後藤さんはパソコンで若い人とメールを交換している 東京から 農業調査でホームステイした大学院の若い女夜遅くまで盛り上がりを見せた佐田さん方の初節句
p. 12 の先生でね お父さん お母さんと言ってくれるんですわ と目を細める 棚田が水をかん養する 森林がいやしをもたらす 食糧生産基地として見直す メールを読むと こんなふうに 中山間地の良さが取り上げられているが とにかく 宮砥に来てもらわんことには何事も始まらん 私ら年寄りが頑張る姿を見せれば 必ず後に続く人たちが出てくれる 毎週末 滝部集落の安達智徳さん(48 )方の葉タバコ畑には 長男一徳君(19 )=県農業大学校二年生=が姿を見せる 卒論研究で 葉タバコの成長を記録するためだ 都会へのあこがれは強い 若いうちは一度は出たい 友だちと何かをしたい 一徳君は来春 卒業する 農業を継げば 滝部集落で約二十年ぶりの後継者になるのだが どうなることか 三月三日 小川集落は約四十年ぶりの初節句にわき立った 主役は葉タバコ農家の佐田精治さん(52 ) 真由さん(25 )の長女真莉亜ちゃん 竹田市内のホテルと自宅で開かれたお祝いは夜遅くまで 盛り上がりを見せた 地区の未来を担う赤ちゃんに 夜遅くまで笑い声が続いた この連載は大分合同新聞社会部 清田透 湯布院支局 小田圭之介 写真部 椎原新二が担当しました
p. 13 オオイタデジタルブックとはオオイタデジタルブックは 大分合同新聞社と学校法人別府大学が 大分の文化振興の一助となることを願って立ち上げたインターネット活用プロジェクト NAN-NAN( なんなん ) の一環です NAN-NAN では 大分の文化と歴史を伝承していくうえで重要な さまざまな文書や資料をデジタル化して公開します そして 読者からの指摘 追加情報を受けながら逐次 改訂して充実発展を図っていきたいと願っています 情報があれば ぜひ NAN-NAN 事務局にお寄せください NAN-NAN では この ふるさとの野の仏たち 以外にもデジタルブック等をホームページで公開しています インターネットに接続のうえ下のボタンをクリックすると ホームページが立ち上がります まずは クリック!!! c 大分合同新聞社 NHK 大分放送局別府大学大分合同新聞社 デジタル版 大分に生きる 大分に生きる は 大分合同新聞社とNHK大分放送局が 大分県の発展を支えてきた中山間地を中心に地域再生の手がかりを探るため 二〇〇一年四月から十二月まで 農業 教育 福祉 祭りなど住民の生活を共同取材し 活字と映像のメディアミックスで報道した四部三十五篇の連載記事です これをデジタルブックに再構成しました 登場人物の年齢をはじめ文中の記述内容は 連載時のものです デジタル版 大分に生きる 第一部 あなたはどこで暮らしますか ( 下 ) 企画大分合同新聞社 NHK 大分放送局担当 : 清田透 ( 大分合同新聞社会部 ) 小田圭之介 ( 同湯布院支局 ) 椎原新二 ( 同写真部 ) 初出掲載媒体大分合同新聞社 (2001 年 4 月 9 日 ~ 2001 年 12 月 17 日 ) デジタル版 2009 年 2 月 27 日初版発行編集大分合同新聞社制作別府大学メディア教育 研究センター地域連携部発行 NAN-NAN 事務局 ( 870-8605 大分市府内町 3-9-15 大分合同新聞社総合企画部内 )