1 実験発生学から知る人体発生学の基本原理 The Principals of Human Embryology Version 1.1 愛媛大学医学部医学科人体発生学講義 2014 年 1 月 16 日 ( 木 )2 限目 はじめに 本講義の趣旨 愛媛大学プロテオサイエンスセンター (PROS) バイオイメージング部門 愛媛大学医学部先端医療創生センター 飯村忠浩 90 分間の本講義では 受精卵から咽頭期 体節期胚までの人体発生学 (1-5 週 ) を 実験発生学的な知見を取り入れながら概説します この時期の発生は 組織形成に先立つ時期で 形態形成期 と呼ばれ 発生中の個体は胚子 (Embryo) と呼ばれます これに対し これ以降の発生から出生までの期間は 組織分化期 と呼ばれ 発生中の個体は胎子 (Fetus) と呼ばれます 形態形成期は その後の組織形態および個体の解剖学的基盤をつくる分子 細胞 組織レベルでのプログラムが進行します したがって このプログラムに何らかの障害が遺伝的あるいは外因的に加わると 奇形 と呼ばれる先天的な形態異常疾患を生じることになります このことから 形態形成期は 奇形の臨界期 として理解されます また 形態形成期の発生プログラムは 脊椎動物全般に共通のプログラムを内包しており 系統発生学や進化学はこの共通のシステムからの多様化として理解されるようになってきました 以上のことから 人体発生における形態形成プログラムの理解は 組織学 解剖学 病理学 系統発生学の理解に重要であり 大変興味深いものです そして その共通プログラムの もっとも基本的な原理は 分節性 と 領域化 という言葉で表現される発生プログラムです もう少し柔らかく言えば 単純な繰り返し構造の形成 から 位置情報に応じた 形態形成のバリエーションの獲得 です 本講義では この基本原理に従って 骨格形成と頭蓋顎顔面口腔の発生についての理解を深めることを 最終目標とします 用語の暗記だけでは 物足りません 立体的に 時間軸に沿って プログラムの変遷をイメージしましょう 概念の正確な理解は サイエンスの基本です ヒトの初期発生の概略 : 受精卵 胚盤胞 2 層性胚盤 3 層性胚盤 咽頭胚をしめす ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.2) 内容 1. 受精卵から胚盤胞 および発生工学 ( 胚性幹細胞 ips 細胞って何?) 2. 三層性胚盤から体節期 ( 咽頭期 ) 胚 ( 分節パターンの重要性 : 形態 組織形成の基盤 ) 3. 頭蓋顔面の分節性 ( 脳の分節と咽頭弓 ) と口腔発生の形態変化の理解 ( 口咽頭膜と顔面隆起を中心として )
2 発生学 組織学 細胞生物学の理解に重要な概念 : 王様遺伝子 (Master Gene) という概念組織学では たくさんの細胞と組織構造について学びます 多様な細胞も 1 個の受精卵から生じます 骨をつくる骨芽細胞をについて考えます 骨芽細胞は おおもとは受精卵ですが 咽頭期 体節期胚で考えれば 中胚葉や頭部神経堤細胞に由来します 中胚葉細胞は 骨芽細胞のみならず 軟骨細胞や筋芽細胞 腱や結合組織の線維芽細胞 脂肪組織の脂肪細胞へと分化することが可能です このように様々な機能細胞へ分化できる細胞を多能性幹細胞と言います 幹細胞に ある特別な遺伝子がひとつあるいは数個発現するだけで 特定の細胞へ分化することが知られています 下図右は Runx2 という遺伝子のノックアウト ( 遺伝子不活化 ) マウスです 軟骨により 骨格形成 ( 青く染まる部分 ) は正常なのに 骨芽細胞による骨形成 ( 赤く染まる部分 ) がほとんどありません したがって Runx2 は骨芽細胞の分化に必要不可欠な遺伝子 つまり王様遺伝子です (Scott F Gilbert Developmental Biology 8 th Edition) 個体の発生や 組織分化は 遺伝子発現調節のリレー ( カスケード ) である 例 ) 個体のある部分を作るために必須の遺伝子 ある組織 細胞を作るために必須の遺伝子などがある
3 発生 1 週受精卵桑実胚胚盤胞受精卵 ( 接合子 Zygote) は 受精後 1 週間ののちに子宮壁に着床する 接合子は 2 細胞期 4 細胞期 8 細胞期を経て 桑実胚と呼ばれる球状の細胞塊となる (3 4 日 ) 桑実胚の内部に空洞 ( 卵黄嚢 ) ができると 胚盤胞になる 胚盤胞は将来の胚子になる内部細胞塊と胎盤および胚外組織になる栄養膜からなる ( ネッター発生学アトラス南江堂 ) コンパクション ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.2) ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.2)
4 発生工学 ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.2) 発生第 2-3 週 2 層性胚盤 ( 胚盤葉上層 Epiblast と胚盤葉下層 Hypoblast) 原腸陥入 ( 中胚葉 内胚葉形成 ) 原始結節と原始線条 3 層性胚盤 ( 外胚葉 Ectoderm 中胚葉 Mesoderm 内胚葉 Endoderm) 原腸陥入とは 胚盤葉上層の正中にある肥厚した部分 : 原始結節と原始線条から胚内中胚葉および胚内内胚葉が形成されることである 原始結節は 中胚葉の中軸である脊索を形成し 原始線条からはその他の中胚葉と内胚葉が生じる 脊索の前方端のさらに頭側の部分には 中胚葉の入り込まない すなわち外胚葉と中胚葉の 2 層からなる円盤状の部分が生じるが この部分は脊索前板と呼ばれる 脊索前板の外胚葉側は将来の口腔となる部分である 原始結節と原始線条は 脊索と中胚葉を形成しながら尾部方向へ移動するために 胚の体軸は尾方へ伸長する すなわち 原腸陥入部位が後方へ移動することで 新しく形成された中胚葉と内胚葉が付加されることで胚は尾方へ成長する このとき 胚盤葉上層に残った細胞も分裂増殖して尾方へ伸長し 外胚葉となる 言い換えれば 初期の三層性胚盤は主に将来の頭部組織であり 原腸陥入の進行と尾方への移動によって将来の頸部 胸部腰部 尾部が順次付加的に形成されていく ( 体軸の伸長 ) (Langman s Medical Embryology 9 th Edition)
5 原腸陥入 ( 中胚葉 内胚葉形成 ) 脊索前板 ( 将来の口咽頭膜 ) ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.1) 予定運命図 ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.3) ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.2)
6 4-5 週咽頭胚 体節期胚咽頭弓 神経堤細胞体節 体節の組織分化 3 層性胚盤は尾方に伸長し 洋ナシを逆さにしたような形になってくる それにともなって 将来の脳 脊髄神経である神経板は 体軸付近で肥厚する 4 週目に入ると 神経板の両縁 ( 神経堤 ) は拳上され 正中で閉じることにより神経管を形成する 神経管の閉鎖は 将来の後頭 頸部で始まり ジッパーを閉じるように頭側および尾側へ進行する また神経管の両側には 体節と呼ばれる中胚葉性の分節構造が生じ始める 体節は 後頭部 ( 耳の原基である耳胞の後ろ ) から尾方に 1 対ずつ付加的に形成される 発生 5 週には 消化管の前方部 すなわち口腔 咽頭部に左右数対からなる弓状の構造物である咽頭弓が顕著となる また 体幹部では神経管の両側に 25-30 対の体節が観察される したがって この時期の胚を咽頭胚あるいは体節期胚という 咽頭胚 体節期胚は すべての脊椎動物で極めて類似した形態を示し 発生の分子メカニズムもほぼ同じである このような 分子メカニズムの類似性を 進化的に保存されている と表現する 咽頭胚 体節期胚 (Langman s Medical Embryology 9 th Edition) ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.1) 神経堤細胞の発生と咽頭弓 ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.1)
7 頭部神経堤細胞の発生と顎顔面 咽頭部の発生 ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.4) 神経堤細胞は 第 4 の胚葉! である ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.4)
8 人体発生の基本原理 飯村 体節 中胚葉 沿軸中胚葉 が上皮化してつくられる節状構造 体節からは 中軸骨格 筋 真皮の結合組織が発生する (Langman s Medical Embryology 9th Edition) 硬節 硬板 と筋節 筋板 の頭尾軸に沿った相関関係 椎体と筋組織の関係 (Patten s Foundation of Embryology 6th Edition) (Langman s Medical Embryology 9th Edition)
9 脊髄神経と椎体 筋の関係 感覚神経やグリアになる神経堤細胞は 個々の大切の前半分に沿って腹側に移動する 神経管内にある運動神経ニューロンもそれに沿って軸索 を伸長する 体節による分節構造は 体幹部の形態基盤となる 左より体節 中軸骨格 ( 後頭骨基底部 脊椎骨 肋骨 ) デルマトーム ( 筋分節と神経支配の分節的配置 ) (Scott F Gilbert Developmental Biology 8 th Edition) 体軸の伸長と体節形成 : 分子時計メカニズム ( 分節時計 ) による 繰り返し構造 の形成 図 (a)(b) は 3 層性胚盤から咽頭胚 体節期胚の発生の概略を示す 体軸が尾方へ伸張するとともに 体節形成も尾方に向けて進行し その数を増やす 体節はすでにつくられた体節のすぐ尾方に周期的に付加される この周期は 動物種により一定で ゼブラ魚で 30 分 ニワトリで 90 分 マウスで 120 分 ヒトでは約 6 時間である この 体節形成の周期をつくるのは 分子シグナルの周期的な活性化 ( 分子時計 ) であり おもに Notch シグナルが重要である この分子時計は分節時計とも呼ばれる 分節時計の発現は 図 (c) の青色で示すように 体節の尾方の未分節中胚葉での周期的な遺伝子発現ウェーブ ( 波 ) として観察される ウェーブが尾方から頭側へ移動し細いバンドとなると そこに新しい体節が形成される 分節時計遺伝子の変異は 脊椎肋骨異骨症や脊椎胸骨異骨症と呼ばれる脊椎形態の異常疾患を生じることが知られている (Iimura et al., 2012 J. Bone Mineral Metabolism)
10 Hox 遺伝子による形態形成情報の付与 : 体節の 領域化 (Iimura et al., 2012 J. Bone Mineral Metabolism) 図 (a) Hox 遺伝子群のゲノム上での配列の模式図を示す 個々の Hox 遺伝子は転写因子をコードし 全部で 39 個ある 4 つの異なる遺伝子座に 図のように並んで存在する これらの遺伝子は 体節に発現し 将来の後頭骨部体節では Hox1-3( ピンク ) 頸椎部では Hox4-5( 赤 ) 胸椎部では Hox6-9( 黄 ) 腰椎部では Hox10( 緑 ) 仙椎では Hox11-13( 青 ) が それぞれ発現する 体節における Hox の発現異常は 背骨の形態変化をもたらす 下の図は ショウジョウバエとマウスにおける Hox 遺伝子の発現部位の異常の例 ハエでは胸の構造が重複し翅が 4 枚になっている マウスでは腰椎部が胸椎に変化して肋骨が形成されている ハエに骨はないが 発生システムとしては同じであることの証明となる 神経分節と Hox 遺伝子 咽頭弓との対応背腹軸と Dlx 遺伝子の対応関係 ( 下顎隆起における前歯部 臼歯部が領域化 ) (From DNA to Diversity 2 nd Edition)
11 頭頸部の形態発生をどう捉えるか? 口咽頭膜 ( 脊索前板 ) と心臓の位置関係に注目! 咽頭弓はどこに発生するのか? ( 飯村ら ザ クインテッセンス 2000 Vol.19 No.4)