かなえ医薬振興財団 2011 年度研究業績集 ( 第 40 集 ) 20. 慢性炎症に伴うエピジェネティクスとマイクロ RNA の異常による消化器発がんの分子機構の解明と治療への応用 慶應義塾大学薬学部薬物治療学講座齋藤義正 キーワード : エピジェネティクス, マイクロ RNA, 胃がん Abstract micrornas (mirnas) are small non-coding RNAs that function as endogenous silencers of target genes and play critical roles in human malignancies. We have recently shown that epigenetic activation of tumor suppressor mirnas may be a novel therapeutic approach for human cancers. mirna microarray analysis revealed that mir-29c was significantly downregulated in gastric cancer tissues relative to non-tumor gastric mucosae. Downregulation of mir-29c was associated with progression of gastric cancer, and was more prominent in advanced gastric cancers than in gastric adenomas and early gastric cancer (p<0.05). In addition, expression of the oncogene Mcl-1, a target of mir-29c, was significantly increased in gastric cancer tissues relative to non-tumor gastric mucosae. Activation of mir-29c by celecoxib induced suppression of Mcl-1 and apoptosis in gastric cancer cells. We also found that mir-142 and mir-155 were overexpressed in gastric MALT lymphoma lesions. The expression levels of mir-142-5p and mir-155 were significantly increased in MALT lymphomas with the API2-MALT1 fusion gene, which do not respond to Helicobacter pylori eradication. The expression levels of mir-142-5p and mir-155 were associated with the histological findings and the clinical courses of gastric MALT lymphoma cases. To identify epigenetically regulated mirnas, we developed a novel mirna promoter microarray for chromatin immunoprecipitation (ChIP)-on-chip assay. Using this custom-made mirna promoter microarray, we successfully performed ChIP-on-chip assay to identify mirnas regulated by histone modification. One of these mirnas, mir-9, is downregulated in gastric cancer tissues and is activated by chromatin-modifying drugs, suggesting that it may be a potential target for epigenetic therapy of gastric cancer. These findings suggest that some specific mirnas can be novel molecular markers and therapeutic targets of human cancers. 背景および目的マイクロ RNA は 21-25 塩基程度の小さな非コード RNA( 蛋白質に翻訳されない RNA) であり 1 つのマイクロ RNA が 100 以上の標的遺伝子の発現を抑制的に制御していると推測されている これらのマイクロ RNA は組織特異的 発生段階特異的に発現しており 細胞の増殖 分化 アポトーシスなどに重要な役割を果たしている 一方 DNA メチル化阻害薬やヒストン脱アセチル化酵素阻害薬をがん治療に応用するエピジェネティック治療が開始されており DNA メチル化阻害薬である 5-aza-2-deoxycytidine(5-Aza-CdR) が骨髄異形成症候群の治療薬として ヒストン脱アセチル化酵素阻害薬である suberoylanilide hydroxamic acid (SAHA) が皮膚 T 細胞リンパ腫の治療薬として承認され 臨床の現場でがん患者に投与され効果をあげている 我々はいくつかのマイクロ RNA の発現がプロモーター領域のメチル化およびヒストン修飾の状態によって制御されていることを発見し DNA メチル化阻害薬およびヒストン脱アセチル化酵素阻害薬による処理によってマイクロ RNA の発現を誘導 - 1 -
し得ることを報告した さらにエピジェネティックな処理によって最も高い上昇を認めたマイクロ RNA である mir-127 はがん遺伝子である BCL6 を標的の一つにしていることが確認された マイクロ RNA が発がんに関する重要な遺伝子を標的としていることが示唆され DNA メチル化阻害薬やヒストン脱アセチル化酵素阻害薬などを用いたエピジェネティック治療ががん抑制マイクロ RNA の発現誘導を介して抗腫瘍効果を発揮し がんの新たな予防 治療戦略となることが期待される これまでの多くの基礎および臨床研究から Hellicobacter pylori (H. pylori) や肝炎ウイルスの持続感染および自己免疫異常などによる消化管や肝臓の慢性炎症が消化器発がんの主な原因になると考えられている 慢性炎症に伴う変化は後天的な修飾であり エピジェネティクス異常が慢性炎症からの発がんにおいて重要な役割を果たしていると考えられる 本研究では 消化器がん 特に胃悪性腫瘍の発生 進展に関与し エピジェネティクス変化によって制御されているマイクロ RNA を網羅的に探索し 胃悪性腫瘍の新たな診断 治療法の開発を目指すことを目的とした 方法 1. 胃悪性腫瘍の発生 進展に関連したマイクロ RNA の探索胃腫瘍性病変 ( 胃腺腫 8 例 早期胃がん 22 例 進行胃がん 23 例 胃 MALT リンパ腫 15 例 ) の患者より充分なインフォームド コンセントを得て病変組織ならびに正常粘膜組織を採取し マイクロ RNA の発現変化をマイクロアレイおよび定量的 PT-PCR によって網羅的に解析した 有意な発現変化のみられたマイクロ RNA については臨床情報との相関を解析し その標的遺伝子についても検討を行った 2. マイクロ RNA プロモーターアレイによるエピジェネティクス変化により制御されているマイクロ RNA の同定英国サンガー研究所のデータベース (http://microrna.sanger.ac.uk) の情報をもとにマイクロ RNA のプロモーター領域を想定し それらの配列を搭載した DNA マイクロアレイを独自に開発した 胃がん細胞株 AGS を DNA メチル化阻害薬 5-Aza-CdR およびヒストン脱アセチル化阻害薬 4-Phenylbutyric acid(pba) にて処理し アセチル化ヒストン H3 抗体およびメチル化ヒストン H3 リジン 4 抗体を用いたクロマチン免疫沈降 (ChIP) とマイクロアレイ解析を組み合わせた ChIP on chip 解析を行った これらの検討から エピジェネティクス変化によって制御されている胃がん関連マイクロ RNA の同定を試みた 結果 1. mir-29c 発現の低下と胃がんの進展との相関我々はマイクロアレイによるマイクロ RNA 発現の網羅的解析により mir-29c 発現が非がん胃粘膜に比べ胃がん組織において有意に低下していることを見出した さらに 図 1 に示すように mir-29c 発現が前がん病変の胃腺腫から早期胃がんへと進行する過程で低下し 進行胃がんでは早期胃がんよりも顕著に mir-29c 発現が低下することを確認した さらに mir-29c の標的遺伝子の一つである Mcl-1 の発現が進行胃がんにおいて上昇しており mir-29c の発現低下が Mcl-1 を活性化して胃発がんに重要な役割を果たしていることが考えられた また AGS 細胞に選択的 COX-2 阻害薬である celecoxib を投与したところ mir-29c の有意な発現上昇を認め 標的遺伝子 Mcl-1 の発現が抑制された 胃癌細胞において celecoxib による mir-29c の活性化が Mcl-1 発現の抑制を介してアポトーシスを誘導することを確認した - 2 -
図 1.miR-29c 発現の低下と胃がんの進展との相関 mir-29c 発現が前がん病変の胃腺腫から早期胃がんへと進行する過程で低下し 進行胃がんでは早期胃が んよりも顕著に mir-29c 発現が低下することを確認した 2. MALT リンパ腫における mir-142-5p および mir-155 の発現変化と除菌治療の反応胃 MALT リンパ腫では その発症 増殖に H. pylori が深く関与していることが明らかになっている 約 70% の症例で H. pylori 除菌治療により胃 MALT リンパ腫の寛解を認めるが 病変部において API2-MALT1 キメラ遺伝子が存在すると H. pylori 除菌治療による効果が低いことが報告されている 胃 MALT リンパ腫に関しても同様にマイクロ RNA 発現プロファイルを解析したところ API2-MALT1 キメラ遺伝子を伴い H. pylori 除菌治療に抵抗性の胃 MALT リンパ腫において mir-142 および mir-155 の発現が著明に上昇していた また 図 2 に示す通り 除菌治療に対して完全寛解 (complete remission: CR) を示したグループに比べ 除菌治療抵抗性 (no change: NC) であったグループにおいては mir-142 および mir-155 の発現が有意に上昇していた さらにこれらのマイクロ RNA の標的遺伝子である TP53INP1 の発現抑制を認めた mir-142 は造血系細胞特異的マイクロ RNA であり mir-155 は腫瘍特異的マイクロ RNA であることが報告されている mir-142 および mir-155 の過剰発現が癌抑制遺伝子である TP53INP1 の発現抑制を介して API2-MALT1 陽性胃 MALT リンパ腫発生の一因となっていることが示唆された - 3 -
図 2.MALT リンパ腫における mir-142-5p および mir-155 の発現変化と除菌治療の反応 H. pylori 除菌治療に対して完全寛解 (complete remission: CR) を示したグループに比べ 除菌治療抵抗性 (no change: NC) であったグループにおいては mir-142 および mir-155 の発現が有意に上昇していた 3. ChIP on chip 解析によるエピジェネティクス変化により制御されているマイクロ RNA の同定独自に開発したマイクロ RNA プロモーターアレイを用いた ChIP on chip 解析を行った ChIP on chip 解析にて アセチル化ヒストン H3 およびメチル化ヒストン H3 リジン 4 の有意なシグナル上昇を認め かつ CpG アイランドを有している 22 のマイクロ RNA を同定した 今回の解析により同定されたエピジェネティクス変化により制御されているマイクロ RNA の候補の中で 転移性がんや乳がんにてがん抑制マイクロ RNA として機能することが報告されている mir-9 に特に注目した 胃がん臨床検体を用いた検討においては mir-9 発現が非がん胃粘膜に比べ胃がん組織で有意に低下していた さらに胃がん細胞株を 5-Aza-CdR および PBA で処理することにより mir-9 の著明な発現上昇を認めた 考察本研究の結果から 胃腫瘍性病変におけるマイクロ RNA 発現プロファイルが組織所見や治療に対する反応性と有意に相関しており 診断や予後の評価に有効であることが示された 胃がんにおける mir-29c および胃 MALT リンパ腫における mir-142 および mir-155 が病変の新たな分子マーカーおよび治療標的となることが期待される さらにマイクロ RNA の ChIP on Chip という全く新しい解析方法によって mir-9 がエピジェネティック機序によって制御されていることが明らかになった がん抑制マイクロ RNA の候補である mir-9 は胃がんで発現低下しており エピジェネティック治療によって活性化することから 胃がんの診断および治療の新たな標的となる可能性が示唆された - 4 -
マイクロ RNA は長さ 21-25 塩基程度であるために非常に安定性が高く メッセンジャー RNA よりもマイクロ RNA の発現プロファイルが鋭敏に腫瘍の状態を反映していることが報告されている 臨床内科医や病理医が判定困難な早期胃がんの診断や再発の有無 進行胃がんの悪性度や転移 予後をマイクロ RNA 発現プロファイリングで予想出来ることが期待される 早期診断や病期決定につながる簡便かつ鋭敏な分子マーカーを構築することで 患者の再発予防 QOL の改善 医療費のコスト削減を目指したい さらに マイクロ RNA は内在性の sirna とも考えられており 国内外でがん治療薬の新たな標的として大きな注目を集めている エピジェネティック治療により元々生体に存在するマイクロ RNA の発現を制御することから 従来の外来性 sirna などを用いた遺伝子治療よりも安全性の点で格段に優れていると考えられる さらに一つのマイクロ RNA が複数の標的遺伝子を抑制するため 相乗的抗腫瘍効果が期待できる 本研究の成果が現行の化学療法でも効果の得られない進行胃がんに対する新たな治療戦略につながることが期待される 発表論文 参考文献 1) Sato A, Saito Y, Sugiyama K, Sakasegawa N, Muramatsu T, Fukuda S, Yoneya M, Kimura M, Ebinuma H, Hibi T, Saito H. Suppressive Effect of the Histone Deacetylase Inhibitor, Suberoylanilide Hydroxamic Acid (SAHA), on Hepatitis C Virus Replication via Epigenetic Changes in Host Cells. J Cell Biochem. 2013 (in press). 2) Saito Y, Suzuki H, Imaeda H, Matsuzaki J, Hirata K, Tsugawa H, Hibino S, Kanai Y, Saito H, Hibi T. The tumor suppressor microrna-29c is downregulated and restored by celecoxib in human gastric cancer cells. Int J Cancer 2013; 132(8): 1751-60. 3) Saito Y, Suzuki H, Tsugawa H, Imaeda H, Matsuzaki J, Hirata K, Hosoe N, Nakamura M, Mukai M, Saito H, Hibi T. Overexpression of mir-142-5p and mir-155 in gastric mucosa-associated lymphoid tissue (MALT) lymphoma resistant to Helicobacter pylori eradication. PLoS ONE 2012; 7(11): e47396. 4) Saito Y, Suzuki H, Taya T, Nishizawa M, Tsugawa H, Matsuzaki J, Hirata K, Saito H, Hibi T. Development of a novel microrna promoter microarray for ChIP-on-chip assay to identify epigenetically regulated micrornas. Biochem Biophys Res Commun. 2012; 426(1): 33-7. 5) Saito Y, Saito H. Role of CTCF in the regulation of microrna expression Front Genet. 2012; 3: 186. 6) Saito Y, Saito H. MicroRNAs in cancers and neurodegenerative disorders. Front Genet. 2012; 3: 194. - 5 -