3 章 蝮の裔よ ( ルカ 3:7~14) ルカ福音書講義 (15) そこで 彼から洗礼を受けよう 1) として出て来た民衆 2) に彼は言った 3) 蝮 の裔よ 4) 誰があなた方に 来るべき怒り 5) から逃れるように教えたのか 8 さ あ 悔い改め 6) にふさわしい

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2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

創世記5 創世記2章4節b~25

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

創世記5 創世記2章4節b~25

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

5 節ごとに 洗礼者ヨハネ 殺される 6:14-15 ( そして ) イエス ( 彼 ) の名が知れ渡ったので ヘロデ王の耳にも入った 人々は言っていた 洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ だから 奇跡を行う力が彼 ( のうち ) に働いている そのほかにも 彼はエリヤだ と言う人もいれば 昔

いでしょう (1)2 重の質問 1 弟子たちは いくつかのたとえ話とその解き明かしを聞いてきた 2ここでイエスは 弟子たちに考えるチャンスを与えている 3 弟子たちは 奥義としての王国 の性質について考え始める (2) イエスのたとえ話は 弟子たちが想像したものとは大いに異なる 1 種のたとえでは

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

受胎告知 ( ルカ 1:26-38) ルカ福音書講義 (3) か月目 1 に み使いガブリエルが神からナザレ 2 という名のガリラヤの町に遣わされた 27 ダビデの家の出 3 でヨセフという名の男と婚約中 4 のおとめのもとにである おとめの名はマリヤ 5 といった

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

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(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

聖書に聞く会 ( 第 2 回 ) マルコによる福音書 1 章 1-8 節 2014 年 5 月 8 日 古本靖久 1 聖歌 60 番 ヨルダンのほとりヨハネはさけべり 2 お祈り 3 テキストの位置 今日の箇所はマルコ福音書のはじめの部分であり この福音書は何について書くのか決定づける所です 特に

4きょう取り上げる 3~5のパターンは ユダヤ的に解釈する必要がある 5イエス時代のユダヤ教のラビたちの旧約聖書引用法 * 直接引用とその成就 * その箇所の解釈ではなく 適用である * きょうの3~5 のパターンは すべて適用である 6マタイは 5 つの引用によってイエスのメシア性を証明しようとし

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱


2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

全国担当者2009 プレゼン資料

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

牧会の祈り

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

牧会の祈り

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

(1) イゼベル 彼にとっては ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった それどころか彼は シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり 行ってバアルに仕え それを拝んだ (1 列 16:31) 1オムリの子アハブは イゼベルと結婚し バアル礼拝をイスラエルに導入した 2 預言者

のですか あなたが誰か われらは知っています 神の聖者です 13) 35 イエスは彼を りつけて 14) 言った 黙れ 彼から出て行け 15) すると悪霊は彼を真ん中に投げ出し 彼を傷つけることなく 16) 彼から出て行った 36 すべてことに驚きが起こり 17) 人々 18) は互いに語り合って

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レプラ患者の癒し ( ルカ 5:12~16) 1) ルカ福音書講義 (25) 章 12 イエスが 2) 町の一つにいたときのこと 3) みよ 全身がレプラ 4) に冒された男 5) が いた イエスを見ると 彼は顔を地につけ 6) イエスに願って 言った 主よ もし その気

5. 章節は後代に付加せられたもので 聖書記述者の考えや霊感は反映されていな いので注意が必要 Ⅰ イエスによる預言 (42~46) 1. マタイ 21:42 は詩篇 118:22 預言からの引用 家を建てる者たちの見捨てた石 それが礎の石になった これは主のなさったことだ 私たちの目には 不思議な

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

2017 年 2 月 21 日 ( 火 ) 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 1. はじめに (1) 預言者たちの中でのエレミヤの位置づけ 1 預言書を書いた預言者 (the writing prophet) * 王国が南北に分裂して以降

牧会の祈り

Microsoft Word - ◎中高科

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

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Ⅰ. 管理人の不正の発覚 (1~2 節 ) 1.1 節 a Luk 16:1 イエスは 弟子たちにも こういう話をされた (1) イエスは 弟子たちに話している 1これは 弟子訓練のためのたとえ話である 2 聴衆が誰かを判断することが たとえ話の解釈のために重要である (2) その周りで パリサイ人

(2) ケンクレヤにある教会に属していた 1コリントの南東 11 キロのところにある港町 2コリントの東の港としての役割を果たした アジア方面の交易のための港 * 西の港は カイオン 両港の間の距離は 8 キロ 3パウロは 第 2 回伝道旅行でここを訪れている 4 誓願が成就したのを記念して そこで


2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

老いの顔を埋めて

Microsoft Word - NT-MAT

存在する 弟子訓練は 人が思考 感情 行動において よりキリストに似た者となることを手助けするプロセスである このプロセスは 人が新しく生まれたときから始まり 残る生涯中続くものである このキリストを わたしたちは宣べ伝えており すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように 知恵を尽くしてすべ

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Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

ルカの福音書 3 章 バプテスマ - 神と人との接近 1A 主の道の用意 悔い改めのパブテスマ B 罪の赦しの説教 C 背景 1-6 1D 歴史 1-2 2D 聖書 3-6 2C 内容 D 神の怒り 7-9 2D 悔い改めにふさわしい実 C 目的 -

勧めるところから始まります それは いつでも祈るべきであり 失望しない ことです 1B 祈りによって C 忍耐を尽くす訴え :1 いつでも祈るべきであり 失望してはならないことを教えるために イエスは彼らにたとえを話された 18:2 ある町に 神を恐れず 人を人とも思わない裁

Taro-主日礼拝順序

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お話 文芸思潮

キリスト教の発展 2016

【古代4 キリスト教の成立と発展】

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子たちも オリーブ山から神殿を眺めて これはまあ 何とみごとな石でしょう 何とすばらしい建物でしょう ( マルコ 13:1) と感嘆の声を挙げました しかし イエス様は この大きな建物を見ているのですか 石がくずされずに 積まれたままで残ることは決してありません ( マルコ 13:2) と言われたの

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

エジプト、アブ・シール南丘陵頂部・石造建造物のロータス柱の建造方法

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

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1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

ルカによる福音書 21 章 近づいた贖い 1A 信仰の模範 1-4 2A 終わりの前兆 B 惑わし 5-9 2B キリスト者の迫害 B エルサレム包囲 B 天変地異 A 目を覚ました祈り 本文 ルカによる福音書 21 章から学びます

2013 年 5 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 ) 61 回目 Ⅵ-057 獄中のバプテスマのヨハネ (1) 1 投獄されたという事実は すでにマタ 4:12 で紹介されていた 2 投獄の理由は マタ 14:3~4 で解説される 実は このヘロデは 自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで

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カザフスタンにおける歴史的な宣教大会

4 これは皮肉である ヘロデは王のように振る舞い 墓穴を掘る (2) イエスと弟子たちの働きが 評判になっていた 1 それを耳にしたヘロデは 恐れを覚えた 2 罪責感から来る恐れである 2. ヘロデの結論 (14b~16 節 ) 人々は バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ だから あん

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WINS クラブ ニュース

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕


礼拝の恵み 牧師チャールズ フレドリクソン どうして クリスチャンは日曜日に礼拝するの? 多くのクリスチャンやまだクリスチャンではない人たちも この疑問を持っています そもそも 聖書時代には 今日でもそうなのですが 安息日を守るという律法がありました 安息日は 金曜日の夜から土曜日の日没までの一日で

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

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3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

善いサマリア人のたとえ

ヘブル人への手紙1章

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3 章 蝮の裔よ ( ルカ 3:7~14) ルカ福音書講義 (15) 2016.05.23 7 そこで 彼から洗礼を受けよう 1) として出て来た民衆 2) に彼は言った 3) 蝮 の裔よ 4) 誰があなた方に 来るべき怒り 5) から逃れるように教えたのか 8 さ あ 悔い改め 6) にふさわしい実を結べ われらは父祖にアブラハムをもつ など と言い出してはならない 7) なぜなら あなたがたに言っておくが 神はこれら の石からでさえ アブラハムに子孫を起こすことがおできになるのだ 9 すでに 斧も木々の根元におかれている 8 いまや よい実を結ばない木はすべて切り倒 1) バプティゾー 洗礼を授ける の受動態 バプティゾーは 浸す が原意 したがって シリアの将軍ナアマンがそうであったように ( 王下 5:14) 水に身体を沈めるのが元来の 洗礼 ( 今日のキリスト教会では浸礼と滴礼 ) クムラン教団の居住跡からも身を清める貯水槽がいくつも発見されており ユダヤ教の会堂には その入口の手前にミクヴェ (miqweh) と呼ばれる清めの水槽が設けられた 2) マタイによれば 以下の言葉をヨハネは 民衆 でなく ファリサイ人とサドカイ人の多く に語っている (3:7) ルカはこのようにマルコやマタイが別の表現を用いる箇所にしばしば óchlos 民衆 を用いる たとえばルカ 5:1 とマタ 4:18/ マコ 1:16 を ルカ 9:18 とマタ 16:13/ マコ 8:28 を対比されよ それは ルカが 民衆 を不特定多数の人々ではなく イエスの宣教活動の意味を際だたせる役割を担う存在として位置づけていることを示唆する ルカ 23:48 を参照 なお 民主化運動期の韓国では 民衆の神学 が提唱され 安炳茂がそれをマルコ福音書によって基礎づけ 中南米ではホルヘ ベルグリオ ( 現フランシスコ教皇 ) がマルクス主義に傾く 解放の神学 でなく 貧しい人々に焦点を当てた信仰実践を 民衆の神学 と呼んだ なお ルカは後に ファリサイ人や律法学者 がヨハネの洗礼を拒んだと記す (7:30) 3) 7-9 節はマタ 3:5-10 と並行 それに対して 10-14 節はルカに特有 4) gennḗmata 裔( すえ ) (génnēma の複数形 ) の原意は 生まれた者たち ( 武田泰淳 蝮のすえ ) こうした呼びかけは預言者的 アモ 4:1 バシャンの牝牛どもよ イザ 1:10 ソドムの首領たちよ ゴモラの民よ などに通ずる 5) 神の審判 6) 3:3 の訳注 7) 救いは系譜や生まれによらない 当時のユダヤ人が アブラハムの子孫 であると誇っていたことはヨハ 8:33 などにうかがえる マタイ福音書によれば イエスはイスラエル (= アブラハムの子ら ) の 失われた羊 のもとに福音を伝える使命をもっていた ( マタ 10:6 15:24) この発言はマルコもルカも伝えないが ルカは イスラエルの子 に救いが訪れたことを喜ぶイエスを描く (19:9) 異邦人に福音を伝えたパウロは アブラハムの子孫 は血筋ではなく 信仰による と述べる ( ガラ 3:7) 8) 木を切り倒す斧の比喩はイザ 10:33-34 エレ 46:22-23 などにみられる 前者はアッシ 1

されて火に投げ込まれる 9) 10 すると 民衆は彼に尋ねて言った では 私たちは何をしたらよいでしょうか と 10) 11 彼は答えて 彼らに言った 2 枚の下着を持つ者は 持たない者に与えよ 11) 食べ物をもつ者も同じようにせよ 12) と 12 取税人たち 13) も洗礼を受けるためにやって来て 彼に言った 先生 14) 私たちは何をしたらよいでしょうか と 13 すると 彼らに言った あなたがたに命じられている以上に けっして取り立ててはならない と 15) 14 兵士たち 16) も彼に尋ねて言った 私 リア 後者はバビロニアによる侵略の比喩 ルカでも 元来はローマによる国土蹂躙を意味したか 9) マタイはこれとほぼ同じ言葉をイエスにも語らせる ( マタ 7:19) 実をならせない木を切り倒すことはルカ 13:6-9 のたとえ話にも 火 は神の審きを象徴する (17 節の訳注参照 ) 10) これに似た問いと答えは イエスと金持ちの議員との間で交わされる ( ルカ 18:18-23) ルカは使徒言行録でも類似の問答を記す ( 使 2:37-39 16:30) 11) ルカ 6:29 のイエスの発言に通ずる 12) イザ 58:7 をふまえる 衣食は人間生活の最低限の必需品 ヤコ 2:14-17 でも 衣服と食物を例にして信仰に伴う行いが語られる 13) 当時のローマは各属州に人頭税と土地税を課し それを徴収する役所をおいた ユダヤでは他に神殿税が加わった ( 代下 24:6 ネヘ 10:33 他 ) ローマが徴収する税は現地で雇った 取税人 (telṓnēs) にあたらせた ただし ガリラヤ地方は ローマがその統治をヘロデ アンティパスに委ねていたので 取税人 はヘロデの配下として雇われていた 彼らのなかには私腹を肥やす者もあり ( それが 13 節の発言の背景になっている ) 聖書外資料は 取税人 を乞食や盗賊と並べる(ABD VI 337) 属州民は 取税人 をローマの手先として忌み嫌った 福音書も彼らを 罪人 と並べ ( ルカ 7:34 他 ) ファリサイ人は盗賊や姦淫する者たちと 取税人 を同列とみなす ( ルカ 18:11) イエスは しかし 彼らと親しく交わり ( ルカ 15:1-2 他 ) 12 弟子の 1 人マタイは取税人であった ( マタ 10:3) また ユダヤ教の指導者たちに向かってイエスは 取税人や娼婦たちのほうが先に神の国に入る と語り ( マタ 21:31) 神の前に義とされたのは高ぶるファリサイ人でなく へりくだる取税人のほうであった と弟子たちに教える ( ルカ 18:9-14) 取税人たち がヨハネから洗礼を受けたことをルカは 7:29 に明示する 14) didáskale 先生! という呼びかけは 7:40 9:38 10:25 11:45 12:13 18:18 19:39 20:28 39 21:7 などでイエスに用いられる (5:5 では epistáta) イエスは あなたがたはラビと呼ばれてはならない と教えたが ( マタ 23:7,8) ヨハ 1:38 によれば このヘブライ語 ラビ がギリシア語で didáskalos 先生 もっとも ルカは他の福音書に用いられるヘブライ語 ラビ を用いない ローマ軍によるエルサレム陥落後 神殿を失ったユダヤ人たちは律法学者を ラビ と呼ぶようになり 今日に至る 15) イエスと出会った取税人頭のザアカイは自ら貧しい人への援助を申し出る ( ルカ 19:8) 16) strateuómenoi 兵士たち は新約聖書中ここにのみ用いられる語形 ルカ福音書の文脈 2

たちとしては何をしたらよいでしょうか と すると 彼らに言った 何もゆ すり取るな 17) 強要するな 自分たちの労賃で満足せよ ヨルダン川での 洗礼の模様 古代のミクヴェ 右はガムラ ( ガリラヤ ) で 左はエルサレムで発見 (3:19) ではガリラヤの領主ヘロデの傭兵も考えうるが マルコをふまえればローマの兵士たちが念頭におかれていよう ( マコ 1:5) 共観福音書はいずれも最後にローマの百卒長による信仰告白を記す ( ルカでは 23;47) 17) 動詞ディアセイオー (diaseíō) 激しくゆする が原意 3

本日の箇所は 洗礼者ヨハネの登場を述べた 2:1-6 に続き ヨルダン川で人々に洗礼を授けていたヨハネの宣教活動を具体的に記す 7-9 節はほぼ同様の記述がマタイ福音書にもみられる ( マタ 3:7-10). それに対して 10-14 節はルカに独自の箇所 新約聖書学では 前者をマタイとルカの共通資料 Q に属すると考える ルカ独自の部分については これが資料に遡るのか ルカの創作か 意見は分かれる 7 節からみてゆく ヨルダン川で洗礼を授けていたヨハネから洗礼を受けるために 民衆 が 出て きた 出てくる とは 自分の住むところから出るという意味で すでにマルコ福音書がこの表現を用いる ( マコ 1:5) 7-9 節まではマタイと並行するが 細かな点で違いがみられる その違いの一つはルカが 民衆が というところをマタイは ファリサイ人とサドカイ人の多くが と伝える この違いについて マタイはマタイ福音書の文脈で考察しなければならないが 注 2) に記したように マタイやマルコがそうでない表現を用いる箇所に ルカはしばしばオクロス 民衆 という表現を用いる また ルカ 7:30 によれば ファリサイ派や律法学者たちはヨハネから洗礼を受けることを拒んだという これらの記事において オクロス 民衆 は単なる有象無象の群衆ではなく この場合はヨハネの 後にはイエスの それぞれ宣教活動と深く関わる存在とみなされている その一例として ルカの十字架の記事 (23:48) をあげることができる そこには ローマの百人隊長に続いて この光景を見つめるために集まった すべての民衆 が 胸を打ちながら帰って行った と記されている 彼らは 見物に ( 新共同訳 ) 来たのではない イエスの死を見届けようとして集まったのである しかも 民衆 は胸を打ちながら帰途についた という ここに用いられる 帰って行った という動詞は 立ち帰る ということに通じる つまり ルカ福音書は イエスを指し示すヨハネの宣教活動を 彼のもとに 民衆 と 兵士 たちがやってきたところからはじめる そして イエスの十字架処刑後に 同じく ローマ兵と 民衆 がイエスに 神の子 の姿を認めた と記すのである 試訳でオクロスを 群衆 でなく 民衆 と訳したもう一つの理由は 民衆の神学 において 福音書に言及されるオクロスを 民衆 の原型としているからである この点についても 注 2) の最後に簡単に触れた ルカは ヨハネが洗礼を受けるために集まって来た 民衆 にむかって 蝮の裔よ と叱責する言葉を記した このヨハネの言葉はマタイにもあり ルカが伝 4

承として受け取ったもの このような激しい言葉を人々に投げつける伝統は預言者たちかたら受け継いでいる ( 注 4) を参照 ) その言葉の内容は 神の審きが迫っている ということ それゆえ 悔い改めよ というのがヨハネの宣教の主眼であった ところが ユダヤの人々は 自分たちがアブラハムの子孫であり 神に選ばれた民である と言って嵩をくくっている それに対して すでに斧が木の根元におかれているではないか と 民衆 に迫ってゆく ここには 救いは血筋にはよらない というキリスト教の思想が反映する これを単純に反ユダヤ主義と受け止めてはならない イエスは 注 7) で述べたように イスラエル (=アブラハムの子ら) の 失われた羊 のもとに福音を伝える使命をもっていた ( マタ 10:6 15:24) この発言はマルコもルカも伝えないが ルカは イスラエルの子 に救いが訪れたことを喜ぶイエスの姿を描いている (19:9) ルカ福音書には 後のヨーロッパに起こるような反ユダヤ主義はない むしろ 神の救いユダヤの民から全人類へというかたちで語られる ところが そのようなキリスト教の信仰は偏狭なユダヤ中心主義や排外的なユダヤ民族主義と衝突した 後にみるように イエスは律法を盾にとったユダヤ民族主義と闘い パウロは律法主義と闘った マタイ福音書によれば 洗礼者ヨハネはパリサイ派やサドカイ派に向かって 蝮の裔よ 悔い改めよ 神の審きが迫っている と告げる それに対してルカは 民衆 に向かって 蝮の裔よ とヨハネに告げさせる すると それを聞いた民衆が ならば何をすればよいのか と尋ねるのである それが 10 節以下のルカ特有の部分 ヨハネのところに出て来たのは 民衆 であった と 7 節に記されるが ここでは 民衆 に次いで 取税人たち が さらに 兵士たち までもが それぞれ わたしたちは何をしたらよいでしょうか とヨハネに問いかける この部分がルカの創作なのか ルカ以前の伝承なのか といった議論があるが 判断はむずかしい いずれにしても ルカがこの部分を加えた意図は明らかである 後々 オクロス 民衆 だけでなく 取税人 も 兵士 も イエスの宣教活動で重要な役割を果たすからである 取税人 ( 注 13) を参照 ) と食事を共にするイエスはファリサイ人たちに非難される ( ルカ 7:34 他 ) 兵士 という語はここだけに用いられる単語だが 福音書はイエスがローマ兵卒を癒した逸話を伝え ( ルカ 5

7:1-10// マタ 8:5-13 ヨハ 4:43-54 では 王の役人 ) イエスの十字架の死をみた百卒長の信仰告白が記される ( ルカ 23:47) ルカは 民衆 をここと十字架の記事に登場させたのと同じように 十字架上で息を引き取るイエスをみて信仰を告白した百卒長の記事を念頭におき ここにも 兵士 を登場させたのであろう それによって 神の子イエスによる福音がユダヤの民を越えてローマに ひいては地の果てまで述べ伝えられることをここに予示している 6