目次 ページ 第 4 回広島平和記念式典中学生派遣団概要 第 4 回広島平和記念式典派遣団員名簿 1 3 派遣中学生報告文 私が広島で学んだこと 袋井中学校 2 年 友田歩乃加 4 忘れてはいけないこと 袋井中学校 2 年 山梨結生 5 広島平和記念式典中学生派遣に参加して袋井中学校 2 年 鈴木花

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平成 30 年広島市平和記念式典派遣中学生 学校名 氏名 1 藤枝中学校 平口拡 ( ひらぐちひろむ ) 2 西益津中学校 田中清磨 ( たなかせいま ) 3 青島中学校 秋山ゆい ( あきやまゆい ) 4 葉梨中学校 村上諒 ( むらかみりょう ) 5 高洲中学校 廣瀬鈴 ( ひろせれい ) 6

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2 市内中学校での平和パネル展及び平和講演会会場及び開催日 : 新井中学校 パネル展 11 月 18 日 ~11 月 25 日 講演会 11 月 25 日妙高中学校 パネル展 10 月 24 日 ~10 月 28 日 講演会 10 月 28 日妙高高原中学校 パネル展 11 月 14 日 ~11 月

原爆ドーム前 平成 29 年 8 月 5 日 ( 金 )~6 日 ( 土 ) 生徒 ( 佐屋中学校 ) 中島瑞基田中颯馬市川りさ本田百李 ( 永和中学校 ) 髙島大樹村下天海小林日和中野真美 ( 立田中学校 ) 清水健太渡邉裕斗岡本紗希森結菜 ( 八開中学校 ) 佐藤正基三輪拓稔髙木彩音渡邉咲 (

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平和への願い 二度とこのようなことが起こらないことを祈る 平和を祈念する 24 名 広島の平和のメッセージを自国でも伝えていきたい 9 名 広島( 広島市長 ) の平和を伝える取組を続けてもらいたい 3 名 世界のすべての人が平和に関する活動に取り組むべきだ 3 名 世界の平和を願い 核兵器廃絶に向

式次第 Program 開式 8:00 原爆死没者名簿奉納 8:00 広島市長遺族代表 Opening DedicationoftheRegisteroftheNames ofthefalenatomicbombvictims MayorofHiroshima Representativesofth

学びの技・1章

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私の意見は展示する側だったけど もし自分が太郎の家族の立場だったら 確かに展 示するのは嫌だなと思った でも その写真や資料を展示することで少しは平和につ ながると思った 戦争は二度と起こしてはいけないと改めて思った もし自分だったら 弁当箱をアメリカに送らないと思う なぜなら 思い出の品だし ずっ

3 時限目日本にあるブラジル生まれの食べ物を知る 4 時限目なぜピラルクがへっているのかを考えて, 自分たちに何ができるのか考える 一部が隠れた写真を使い, 日本にあるブラジルのものを考える活動を行う 感想を交流する ピラルクがへっているのかを考えて, 自分たちに何ができるのか考える活動を行う 感想

PowerPoint プレゼンテーション

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(3) 将来の夢や目標を持っていますか 平成 29 年度 平成 28 年度 平成

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(4) ものごとを最後までやりとげて, うれしかったことがありますか (5) 自分には, よいところがあると思いますか

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Taro-小学校第5学年国語科「ゆる

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裁判員制度 についてのアンケート < 調査概要 > 調査方法 : インサーチモニターを対象としたインターネット調査 分析対象者 : 札幌市内在住の20 歳以上男女 調査実施期間 : 2009 年 11 月 10 日 ( 火 )~11 月 11 日 ( 水 ) 有効回答者数 : N=450 全体 45

(4) 学校の規則を守っていますか (5) いじめは, どんな理由があってもいけないことだと思いますか

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平和宣言 73 年前 今日と同じ月曜日の朝 広島には真夏の太陽が照りつけ いつも通りの一日が始まろうとしていました 皆さん あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください 8 時 15 分 目もくらむ一瞬の閃光 摂氏 100 万度を超える火の球からの強烈な放射線と熱線 そして猛烈な爆風

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平成18年度

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最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

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平和宣言 1945 年 8 月 6 日午前 8 時 15 分 澄みきった青空を切り裂き かつて人類が経験したことのない 絶対悪 が広島に放たれ 一瞬のうちに街を焼き尽くしました 朝鮮半島や 中国 東南アジアの人々 米軍の捕虜などを含め 子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし その年の暮れまでに

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日多くの学者によって提唱されている 2 つ目は被爆者の声を聞くという 今に伝わる当時の声 だ しかし ただ想像を絶する辛い体験を聞くだけの平和学習では 私たちが主体的に考えることは難しい 今の私たちが自発的に考えることのできる 当時の声 を聞くことが重要になってきている そのために必要な視点を下記で

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資料3 平成28年度京都府学力診断テスト 質問紙調査結果 28④ 28中① 27④ 27中① 平成28年度京都府学力診断テスト小学4年質問紙調査結果 平成28年度京都府学力診断テスト中学1年質問紙調査結果 平成27年度京都府学力診断テスト小学4年質問紙調査結果 平成27年度京都府学力診断テスト中学1

世の中の人は信頼できる と回答した子どもは約 4 割 社会には違う考え方の人がいるほうがよい の比率は どの学年でも 8 割台と高い 一方で 自分の都合 よりみんなの都合を優先させるべきだ は 中 1 生から高 3 生にかけて約 15 ポイント低下して 5 割台にな り 世の中の人は信頼できる も

失敗がこわいから ルールに反するから 仕事をしてるから 恥ずかしいから 人脈がないから 女だから で ほんとはどうしたいの?名言集 01.indd p11 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:35:42 名言集 01.indd p10 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:

いろいろな治療の中で して欲しい事 して欲しくない事がありますか? どこで治療やケアを受けたいですか? Step2 あなたの健康について学びましょう 主治医 かかりつけ医や他の医療従事者にあなたの健康について相談する事も大切です 何らかの持病がある場合には あなたがその病気で将来どうなるか 今後どう


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美味しいお米が出来るまでに 長い間の苦労があったんだなあ お米を選ぶ楽しみが増えました もっと知ろうよ 北海道と江別のお米 で 稲津脩先生のお話をお聞きしました どのお米もおいしくて 違いがわかりませんでした もっと知ろうよ 北海道と江別のお米 で ホクレン農業総合研究所の武田貴宏さんに食味官能試験

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がんの診療の流れ この図は がんの 受診 から 経過観察 への流れです 大まかでも 流れがみえると心にゆとりが生まれます ゆとりは 医師とのコミュニケーションを後押ししてくれるでしょう あなたらしく過ごすためにお役立てください がんの疑い 体調がおかしいな と思ったまま 放っておかないでください な

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小学校国語について

CONTENTS

リサイクルの効果って どう考えればいいの? プラスチック製容器包装を例に どんなリサイクル方法があるの? パレットの原料にする 化学製品の原料にする 発電の燃料にする パレット = フォークリフトなどで荷物を運ぶときの台 下敷き リサイクルするってどういうことなの? リサイクルする 途中から作る こ

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こんにちは! ふっさんです 今回は 時間で数万円を 今 稼ぐ方法をレポートにまとめたので公開します 僕がこのレポートを作った理由は 多くの人が抱える 2 つの悩みを解決するためです. 稼げる自信がなくて 不安です 2. 教材などを買って学びたいが お金を捻出するのが難しいです というものです まず

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問 1-1 現在の成人のつどいの内容等についてどう思いますか?(1 つ選択 ) 11.4% 19.0% 69.6% 現在のままでよい 213 名 分からない 58 名 変更したほうがよい 35 名 問 1-2 成人のつどいに参加又はお子様等が参加したことがありますか?(1 つ選択 ) 45.1% あ

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目次 1 ストーリーを構成する 5 つの要素... 3 要素 1 はじめに ( 挨拶 )... 3 要素 2 DVD の流れの紹介... 5 要素 3 なぜ できないのか( 問題の原因 )... 6 要素 4 ノウハウ... 7 要素 5 サポート Copyright c 2012 R

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目次 ページ 第 4 回広島平和記念式典中学生派遣団概要 第 4 回広島平和記念式典派遣団員名簿 1 3 派遣中学生報告文 私が広島で学んだこと 袋井中学校 2 年 友田歩乃加 4 忘れてはいけないこと 袋井中学校 2 年 山梨結生 5 広島平和記念式典中学生派遣に参加して袋井中学校 2 年 鈴木花純 6 広島平和記念式典に参列して 袋井中学校 1 年 由利一純 7 平和な未来へのつなぎ目に 周南中学校 3 年 佐藤円 8 広島に行って感じたこと 周南中学校 3 年 大庭瑞希 9 広島で感じ 学んだこと 周南中学校 3 年 川副柚衣 10 手と手を取り合うこと 周南中学校 3 年 根津名々星 11 広島の思いを世界へ 袋井南中学校 3 年 桒原羽月 12 広島の平和への願い 袋井南中学校 2 年 金原華香 13 これからの平和は日本が築く 袋井南中学校 2 年 早川莉那 14 平和 袋井南中学校 2 年 門名真悠 15 みんなが願う平和 浅羽中学校 3 年 松下みらい 16 戦争のない未来のために 浅羽中学校 3 年 鈴木彩萌 17 大きな傷 浅羽中学校 3 年 江口未桜 18 平和への第一歩 浅羽中学校 3 年 稲本愛奈 19

広島から平和を学ぼう 平和を伝えよう 第 4 回広島平和記念式典中学生派遣団 目的広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典に中学生を派遣 し 原爆の投下された地で様々なものを自身で感じてもらうと 同時に 平和への思いを継承することを目的とする 主催袋井市 日程平成 30 年 8 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 1 泊 2 日 中学生団員 16 名 ( 袋井市立中学校生徒 ) 事前 事後研修会等 事前説明会 7 月 16 日 ( 月 祝 ) 10:00~11:30 結団式 事前学習会 7 月 23 日 ( 月 ) 15:00~16:30 事後報告作文の提出 8 月末 1,000 字 ~1,200 字 袋井市戦没者戦災死者追悼平和祈願式典 8 月 15 日 ( 水 ) 校内報告会 2 学期に各学校で計画 事前研修会等でお世話になった方々 事前学習 講師 磯部典子さん ( 静岡県原水爆被害者の会二世部会代表 ) 広島平和記念公園内 ガイド ( 語り部 ) 大中伸一さん ( 広島市原爆被害者団体協議会 被爆体験伝承語り部 ) - 1 -

平成 30 年度 第 4 回広島平和祈念式典中学生派遣 派遣団員名簿 団長 沼野伸一 袋井市立浅羽中学校校長 整理 整理氏名学年学校名氏名 学年 学校名 ともだ ほのか くわはら はづき 1 友田歩乃加 2 9 桒原 羽月 3 やまなし ゆう きんぱらはるか 2 山梨 すずき 結生 かすみ 2 袋井中 10 金原華香 はやかわりな 2 袋井南中 3 鈴木 花純 2 11 早川 莉那 2 ゆりかすみ もんな みゆ 4 由利 一純 1 12 門名 真悠 2 さとう まどか まつした みらい 5 佐藤 円 3 13 松下 みらい 3 おおば みずき すずきあやめ 6 大庭 かわぞえ 瑞希 ゆずい 3 周南中 14 鈴木彩萌 えぐちみお 3 浅羽中 7 川副 柚衣 3 15 江口 未桜 3 ねず ななせ いなもと あいな 8 根津名々星 3 16 稲本 愛奈 3 藤江 祐子 企画財政部企画政策課企画係主査 事務局 ( 随行 ) 大石 和正 教育委員会学校教育課主幹兼指導主事 川村 恵子 袋井市立周南中学校教諭 -3-

私が広島で学んだこと 袋井中学校友田歩乃加 平成 30 年 8 月 6 日広島に平和の鐘が響きました その 73 年前 一つの原子爆弾によって一瞬で町は破壊され 無差別に人々を殺していきました そして今もなお 心に傷を負い 重い後遺症に苦しんでいる人がいます 私は広島の 平和記念式典に参列しました そこには 世界のさまざまな国の人が訪れていて 参列者は数えきれないほどでした 私は こんなたくさんの人が犠牲者の追悼のために 世界の平和のために集まってくれたことにとても感動しました 赤と黒だけの町になってしまった広島が がれきの山となってしまった広島が そこにあったのです 今では想像もつかないほどでした 式典での小学生の平和への誓いは とても心に刻みこまれました 私たちよりも幼い子が平和を祈り それをたくさんの人に伝えていく これは 私たちの使命であると思います 私は平和記念資料館を見学しました そこには血がついたワンピース 被爆者が描いた絵など 衝撃的で 悲惨なものでした その中でも印象に残ったのは人影の石です 熱線と放射線の恐ろしさを物語っています しかし数多くの展示物を実際に見たことで 原子爆弾のこわさを思い知らされました 戦争というものがとても身近に感じられました 私たちの歳で被爆した人は 80 歳代になりました 本当はあの恐怖を語りたくないはずなのに 私たちのために 平和な未来のために語ってくださります そんな方たちのためにも 私たちは 核兵器のおそろしさを知り 学び 後世に伝えていかなくてはいけません 平和の鐘に描かれている地図には国境がありません 互いを認め合い 一丸となっていかないといけないという思いがこめられていると思います しかし 今でも内戦や紛争で苦しむ人や核兵器の保有を正当化する人がいます けれど 私は絶対にやってはいけないことだと思います 私は戦争というものを知りません しかし 語りつがれている事実を知り 世界に広めていかなくてはいけません 世界の人と共に 核兵器のない平和な世界のために - 4 -

忘れてはいけないこと 袋井中学校山梨結生 73 年前 8 月 6 日の午前 8 時 15 分に投下されたその爆弾は 一瞬の光とともに無差 別に罪のない多くの人々の命をうばっていきました 原爆です 原爆は熱線 爆風 放 射線を出し 広島の町を地獄へと変えました 僕は 広島で父親が原爆の被害にあった大中さんの話を聞きました 大中さんは原爆 のおそろしさなど多くのことを僕に教えてくれましたが その中でも一番印象に残って いる言葉は 戦争では 人をたくさん殺した人が英雄になる という言葉です そん な考えは間違いだと思います そして そんな考えを持つ世の中をこれから二度とつく らないようにしていくべきだと思います ともしび広島には 平和の灯というものがあります 平和の灯は 核兵器がこの世からなく なることを祈り 燃え続けています そして核兵器がこの世からなくなったときにその 灯は消されます ですが 灯は今でも燃え続けています 雨の日も 台風の日も まる で 核兵器をなくしてくれ と必死に主張しているかのように 僕たちはいつかその灯 が消されるように原爆のおそろしさを胸に刻み 伝えていかなければなりません 8 月 6 日に行われた式典には 約 5 万人もの人が参加し 80 をこえるいろんな国の 人々が参加しました それだけ多くの人が式典に参加することはとても価値のあること だと思います そして 戦争をなくし 核兵器をなくしたい という多くの思いが集ま っていることを知り とても感動しました 式典に参加した多くの人たちがしっかりと 原爆のおそろしさを胸に刻み まわりの人たちにそのことを伝えていければ さらに世 界での核兵器の製造や使用などを抑える抑止力につながると思います 今よりもっと核 兵器のおそろしさを知ってくれる人が増えたら 核兵器のない世の中に少しずつ近づい ていけると思います 73 年という長い時間がたち 被爆者の方が減っていると同時に原爆のおそろしさを 伝える人も減ってきています そして 今 世の中では多くの人が 原爆がもたらした 惨劇を忘れかけてきています 日本は初めて核兵器を使用された国です そして 日本の国民がされたことはいつま でも私たちが忘れてはいけないことです だから 次の世代の人間がさらに次の世代の 人間へ伝えていく必要があります その役割を僕たちは忘れてはいけません 次の世代 である僕たちが核兵器のおそろしさを知り 伝えていくことは 今僕たちにできる一番 の核兵器撲滅運動になるのではないでしょうか 世界にはまだ核兵器を所持している国 や核兵器の製造を続けている国が数多くあります なぜ核兵器が世界からなくならない のか どうしたら核兵器をなくすことができるのか という考えを僕の文章をきっかけ にもってくれると とてもありがたいです - 5 -

広島平和記念式典中学生派遣に参加して 袋井中学校鈴木花純 昭和 20 年 8 月 6 日 午前 8 時 15 分 空は青く よく晴れた日でした 一発の原爆は広島を赤と黒の地獄へと突き落としました 何の罪もない人々が なぜ死んでしまわなければいけないのでしょうか 皮膚は焼け 肉がむき出しになりながらも お母さん お母さん と助けを求める子ども 水をください 水をください と叫ぶ人々 どうしても水が欲しく 油が浮き出た水を飲んだ人もいるそうです 原爆の熱の影響で体中が熱くてたまらず 川に飛び込む人々 郵便局の開店を 朝早くから腰をかけて待っていた人が 原爆の熱で一瞬にして溶けてしまい その人の影だけが残ったそうです 私はその話を聞き 改めて原爆の怖さを感じました 人が溶けて無くなってしまう 一体 どれだけの熱さだったでしょう 想像しただけでも 胸が痛みました 資料館には 戦争がどれだけ恐ろしいものかを示す写真や 実物などが沢山有りました ワンピースが 血だらけになり ひどく破れているものが展示されていました 特に衝撃的だったのは 全身に火傷を負い 皮膚は破れ人だったかどうかさえ 分からなくなってしまった女性の写真です 原爆の爆心地から 約 4キロ離れた場所にも大きく被害をもたらしました 直接 被爆をしていなくても 放射線を浴びてしまった水や 食料を口にしてしまった場合も 被爆してしまうのです そして 被爆者の方から産まれた子にも 影響は出ます 生後から いつ被爆の影響が出るのかは分かりません 急に 高熱が出て体中に 斑点ができ髪は抜け 苦しみながら亡くなってしまう子どもがいたり 指が 一本足りなかったり 手足が変形して産まれてきたりしました まだ今も 自分がいつ被爆の影響が出るか分からず 苦しんでいる人々がいます 原爆を実際に体験し 語ってくれている人たちは 減り続けています 戦争や 原爆の恐ろしさ 罪の無い人々が死に 苦しんでいるという事を 私達が 伝えていくべきだと強く思います - 6 -

広島平和記念式典に参列して 袋井中学校由利一純 73 年前の 原爆 について私はくわしく知りませんでした 原爆 とは ただ落ちて爆発し たくさんの人が死んだと広島に行く前の私は思っていました 実際に広島に行ってみて 私の想像をこえた光景が待っていました 目の前には 鉄骨がむき出しになった原爆ドーム けずれた石など 73 年前と変わらない建物が残っていました けずれた石は原爆ドームの一部分で 広島市原爆被爆者団体協議会の大中さんの話によると 残った建物の様子から 原爆 の爆風がどのように吹いていたかわかるそうです けずれた石とけずれていない石があり 石がけずれていた部分は 物が当たったあとだと聞きました つまり爆風は 石がけずれているところに向かって吹いたということです しかし爆風は 不思議な動きもしていたそうです 爆風とは反対側に木が倒れていたそうです 爆風が折り返してきたということです この話を聞き 私は爆風のこわさとすごさを感じました 資料館には たくさんの実物や写真が置かれていました 私が一番印象に残ったものは 8 時 15 分で止まった時計です その時間の 73 年前に広島で起こったことを考えると 鳥肌が立ちます その時間は忘れてはいけません 忘れることより 広めていくことが大事だと思います 原爆ドームや 8 時 15 分で止まった時計をはじめ すべてが 73 年前を語っているように私は 見えました 平和記念式典に参列しました 世界中の人たちがきていました 私たちと同じように他の県や市から代表してきている小学生 中学生もいました 平和記念式典に参列した誰もが 平和を強く願い 核兵器をなくすべきだと思っているに違いないと思いました なぜ 私たち中学生が 市の代表として広島に行ったのか 考えてみました まわりの友達に 広島に原爆が落ちた日って何日か知っている? と聞いてみました すると 8 月 15 日 や 知らない など 8 月 6 日 と即答してくれる子はいませんでした まだ 私の周りには 広島の原爆について知らない人がいるのです 私自身 今回広島に行って初めて知ったことがたくさんありました なぜ 中学生が市の代表として広島に行ったのか それはたくさんの人に伝えることができるからだと思います 家族で 原爆 のことについて話すことがありませんでした 今回私が広島へ行ったことにより 原爆 の話を父や母 妹そして 友達に話し 戦争に関するテレビを見ることが多くなりました そうやって 原爆 について広めていくことが私たちの役割だと思います 原爆 がもたらした被害は今もなお 続いています 何も知らずに広島に行った私が 原爆 は他の爆弾以上にこわいものだと強く感じました これからも 世界中で核兵器廃絶を実施していくことを私たちが進めていくべきだと思いました - 7 -

平和な未来へのつなぎ目に 周南中学校 3 年佐藤円 多くの人であふれる原爆ドーム 真夏の太陽の日差しが 原爆の悲惨さを映し出していました 広島の路面電車から降りて 最初に見た光景に 私はとても驚きました ドームの周りをたくさんの外国人が見学しており 高く 大きな建物が取り囲んでいます しかし 柵で囲まれた原爆ドームは ほぼ原爆が投下された時のまま痛々しい傷跡を残して佇んでいました ガイドの大中さんのお話で 原爆は爆心地の上空約 600 メートルの地点で爆発し わずか3 秒で 4000 度の熱線 爆風が吹いたということを知りました 当時のことを想像してみると 本当におそろしいことだと思います なぜ 何の罪もない多くの人が殺されなければいけないのか なぜ こんなに恐ろしい兵器をつくってしまったのか 原爆や原爆による被害を知れば知るほど 私の怒りは大きくなりました そんな中で 平和記念資料館で私が一番印象に残ったのが 幼い子どもが被爆によって全身にやけどを負った写真です やけどだけでなく 他にもたくさんの被害を受けた子どもたちの写真がありました 子どもたちは たとえ戦争中であったとしてもこれからの未来を一生懸命生きようとしていたはずです それなのに戦争という人間のつくり出した醜い争いによって そんな子どもたちの未来が壊されてしまったことを私は本当に許せません 私は今こうして平和な世の中で生きていることができます 資料館での写真を見て 子どもたちの分まで明るく精一杯生きていこうと思いました そして8 月 6 日 広島に原爆が投下された日 平和記念式が行われました 記念式では子ども代表による平和への誓いが行われ 平和の鐘が世界へと響きわたりました 平和への誓いの中で 人間は 美しいものをつくることができます 人々を助け 笑顔にすることができます しかし 恐ろしいものをつくってしまうのも人間です という文がありました 戦争を起こしたのは私たち人間 恐ろしい兵器をつくり出したのも人間です けれど 同時にまた平和をつくることもできるのだと強く感じました 人は戦争をする前 本当の平和が何なのか 気づけていなかったと思います 物 お金 軍事力などに心が奪われて一番身近で幸せな 平和 を忘れてしまっていたことをとても悲しく思います 戦争が終わってもなお 苦しみ続けている人々はもう二度と戦争を起こしてほしくない と強く平和を願っています これらの思いを 私たちのような戦争を見たことがない 体験したことがない人が語りついでいかなければいけません 今 世界には核爆弾が2 万発以上あると考えられています しかし 非核兵器地帯も 100 カ国以上に広がっています 被爆者たちの平和への願いが広まっているのだと実感しました これからも核兵器が減り 地球から消えることを望んでいます 私は平和記念式典に参加して改めて平和の大切さ 命の尊さを感じました 私が感じたことを多くの人に伝え 核兵器のない 平和な未来へのつなぎ目になります - 8 -

広島に行って感じたこと 周南中学校大庭瑞希 広島には 雲一つない鮮やかな 美しい空が広がっていました しかし そこにあった原爆ドームは 原爆の恐ろしさを確かに物語っていました 73 年前の8 月 6 日 午前 8 時 15 分 広島にたった一発の原子爆弾が投下されました むき出しになった鉄骨 吹き飛んだレンガの壁を目の当たりにし 原爆の被害の大きさを感じました 資料館で見た写真や絵 真っ黒に焦げたお弁当箱 ガラス片が刺さって血のついたぼろぼろのワンピース 自分の子供を焼く母親の絵を見て胸が締め付けられました 核兵器の恐ろしさは 私の想像をはるかに超えていました 原爆投下後は 被爆者にとって原爆の記憶を呼び覚ます原爆ドームを残すかどうか 賛成と反対 両方の意見があったそうです しかし この恐ろしい原爆の脅威を伝えていき 二度と核兵器による被爆者をつくらぬように原爆ドームを残すことを決意したそうです 平和記念式典には 大勢の人が参列していました その人数は約 5 万人で 参列国も 80 ヵ国を超え 世界の核兵器廃絶への想いの強さを感じ とてもうれしく思いました 昨年 核兵器禁止条約の成立に貢献したICAZが ノーベル平和賞を受賞しました しかし 日本は核兵器禁止条約に参加をしていません 世界に核兵器廃絶の声が広がる一方で 未だたくさんの核兵器がこの世界に眠っていることも事実です 私は 核の傘という考え方を正当化し 保証されない安全を頼る限り この世界から核兵器がなくなることはないと思います 原爆は 罪のない子供たちの未来を 夢を 命を一瞬にして奪いました しかし 私たちには未来があります 戦争をしない道を選ぶことができます 終戦から 73 年が経ち 日本が戦争をしていないことがあたりまえになりつつあります しかし 平和はあたりまえなものではないのだと学びました 広島に行って 二度と過ちを繰り返さないように 二度と被爆者をつくらないように 日本の未来を担う私たちのような若い世代が 戦争の悲惨さ 平和の大切さを次の世代に継承していかなければならないという使命 責任を感じました そのために 戦争を知らない私達が戦争についてもっと学ぶべきだと思います 平和とは 全ての人が幸せで 人の幸せを願うことだと思います 平和な世界の実現に向けて私たちができることは 原爆投下後の惨状を風化させないことです その惨状は心が痛むものです しかし 絶対に目を背けてはならないと思いました 私たちが伝えていかなければならないのです 平和記念公園には 平和の灯 という炎が赤々と燃えています この火は 昭和 39 年から今まで ずっと消えることなく燃え続けています この世界から核兵器がなくなったとき この火は消えるのです 私は一日でも早くこの火が消えることを祈ります 核兵器廃絶と恒久平和の実現を願って - 9 -

広島で感じ 学んだこと 周南中学校川副柚衣 私がこの広島平和記念式典中学生派遣に参加するにあたり 一番学びたいと思っていたことは原爆が落された当時広島県はどのような様子や状態だったのか 原爆で広島に住んでいた人はどのような影響を受けたのかでした この派遣に参加してそれを学ぶことができました 原子爆弾は原爆ドームの地上から 600 メートルの空中で爆破しました 死者は 14 万人 広島周辺の県だけでなく遠く離れた県にまで影響し死者が出ました たった一発の原子爆弾で 14 万人の死者が出たこの出来事は絶対に忘れてはいけないなと強く感じました 原爆が落された広島県は 一瞬にして焼け野原になり 水や食べ物がなく道ばたには死体があり お母さん と呼ぶ声や 助けて 水をください とうめく声がいろんなところである そんな状態に変わりました 路面電車で原爆ドームまで行き 電車を降りると目の前に原爆ドームがありました 私はドームを見た瞬間言葉が出なくなりました 修復は何回もやっていますが 爪跡から当時の状況がとても分かり原子爆弾の怖さやひどさが見ただけで伝わりました 原爆ドームの中にはたくさんのレンガが落ちていて原爆の強さも伝わりました 平和記念館に行くとスロープがあり その回り方は時計と反対回りで あのときへ時間がさかのぼっていくというものでした その先には爆心地付近からみた被爆後の街並みを死没者数 14 万人と同数のタイルを用いて表現されていました その空間のまん中には原爆が落とされた 8 時 15 分を表すものがありました その空間にいると落とされた当時にいたような気がしました 次に資料館に行くと当時被害にあった人が着ていた服や家の中にあった時計 自転車 置物が展示してあり 服を見ると破れ こげている部分もありよく見ると血がついているところもありました 実物を見ることで当時の状況がよりいっそう分かりました 火事で焼けた三輪車 8 時 15 分で止まっている時計など どれを見ても悲しく とても苦しく思いました 佐々木禎子さんの遺品の中にある禎子さんの両親がプレゼントしたぞうりはとても使いこまれていて 気に入っていたのだなと思いました 禎子さんが病気が治ると信じて折り続けた折り鶴もあり とても鶴は小さく禎子さんは器用だったのかなと思いました 禎子さんが闘病していたときのカルテがあり そこには不思議なものがありました そのカルテには白血球 血小板 赤血球の数値が書かれており 赤血球だけ血小板や白血球をはるかに上回るとても大きな数値が書いてありました この数値は禎子さんが夜中に自分で書いたといわれています この派遣を通し 広島に行く前から戦争の怖さや原爆のひどさは知っていましたが 実際に現地に行くことで そのひどさなどをよりいっそう感じることができました この出来事は絶対に忘れてはいけないものだと思います この派遣で知ったり学んだりしたことを何らかの形で自分の言葉で世界中の人に教えたいと思いました - 10 -

手と手を取り合うこと 周南中学校根津名々星 終戦から 73 年 私たちの生活には戦争の面影はありません 平和とは何か どのようなことを私たち若い世代が学び発信していけばよいのでしょうか 今回の研修で 大きなことを学びました 戦争とは恐ろしいもの 核兵器は二度と使用してはいけない 私は戦争の恐ろしさも 戦争の悲惨さも 学校の歴史の授業で学び 分かっているつもりでした しかし 教科書や書籍で学んだ知識は 一瞬で覆されてしまいました 現代の建物が建ち並ぶ市街でした 一部が崩れ 骨組がみえるドームに この建物の上に原子爆弾が落されたのか 今 この場にもし落ちたら そう考えると 私は体が震えました 資料館には 体中の皮膚がボロボロになっている人の写真や全身がやけどになり 川に入ろうとする人の写真などがありました 毎日を精一杯生きている人々の命の光を奪う 原子爆弾の光にはそれ程の力があることを知りました 終戦から 73 年経った今でも 平和記念式典には日本や海外から多くの人々が集まりました なぜこれだけ多くの人々が広島に集まり 平和を願うのでしょうか 私は命の尊さを改めて思い返すためだと感じました 原子爆弾によって家族の光を無くした人 放射線によって 自分の人生の光を消されてしまった人 そしてその事実に心を痛め集まった人々 その場に集まったすべての人の願いは命の光を大切にすることです 今年 大雨により広島や愛媛をはじめ 全国の多くの場所が被害を受けました 自衛隊やボランティアなど多くの人々が手と手を取り合い 復興をしています 困った人に手をさしのべる 人と人が手を取り合うことは 大きな力を得ることができます 今の私にできること それは教科書や書籍などでは感じるとることのできない 肌で感じた命の光の尊さを友達や家族に発信し またその友達からも発信をして平和の輪を広げることだと思います 私たち若い世代も一緒になり手と手を取り合い そして 平和の輪が世界の輪になれば きっと光が絶えることのない世界になると確信しています - 11 -

広島の思いを世界へ 袋井南中学校桒原羽月 青々とした自然豊かな大地 青く光る海 今私たちが暮らす日本は多くの美しい自然に満ちています しかし 1945 年 8 月 6 日午前 8 時 15 分 広島に投下された原子爆弾により多くの人々の命が奪われました 小さい子供も大人も老人の方も一瞬にして闇に襲われ 生活やこれからの未来を失いました そして今 終戦から 73 年が経ちました 私は 今回袋井市を代表して広島平和記念式典に参加しました 初めて近くで見た原爆ドームは核兵器の恐ろしさを物語っていました また 原爆の子の像の周りにはたくさんの千羽鶴が飾られていました 私たちも千羽鶴を納め 平和への思いを託してきました 平和記念資料館では戦争に苦しむ数多くの人の写真 破壊された建物の写真 遺品の展示を見てとても心が締めつけられました 多くの人の悲痛の叫びが聞こえてくるような展示ばかりで戦争の恐ろしさを深く胸に刻むことができました 私が特に心に残ったものは 被爆したとき着ていたワンピースや衣服の展示です ワンピースには血がつきボロボロになっていました 一発の原子爆弾により多くの人が重く 苦しい被害を受けたことを想像させるものでした そして式典の日の8 時 15 分 私たちを含め多くの人々が原爆による犠牲者を哀悼し これからの平和を強く願い黙祷をしました また式典にはたくさんの外国の方々も参列していました 私は日本以外の国々の方も 平和 に目を向けている姿にとても感動しました 核兵器 は多くの人の命を奪い 今もなお放射線による後遺症により苦しんでいる人たちがいます しかし私は現在核兵器が世界に 14000 発を超えるほどあることを知りました 私たちは世界で唯一原子爆弾が落とされた国として核のない世界へ 平和へ向け進んでいかなければいけません そのためにも私は今回の貴重な体験で 伝える ということの大切さを学びました 私たちは戦争を体験していませんが 戦争当時の様子を写真 遺品 被爆者の話を見て聞いて知ることができます それは今までたくさんの人々が伝え残してくれたおかげです また多くの人々が苦しく悲惨な戦争に目を背けずまっすぐと平和への願いをつなげてきてくれたおかげです 私たちは伝えてくれた人々の願い 思いをこれからの未来に語り継いでいく必要があります 私も体験したことを学校の友達 まわりの人に伝えていきたいと思います そして世界平和の実現に向け貢献していきます 核兵器 は一発たりとも使われてはなりません たくさんの人の心と体を傷つけてしまうからです 世界全体が核兵器廃絶に現在まで私たちは伝え続けていきます 忘れてはならない過去を あの日 あの一瞬に起きたことを 未来の平和に向けて発信し続けます - 12 -

広島の平和への願い 袋井南中学校 2 年金原華香 1945 年 8 月 6 日午前 8 時 15 分 一発の原爆で罪のない人の命が一瞬にして奪われました 原爆によって広島の町は焼かれてしまいました 現在私たちは 唯一の被爆国として世界に原爆をなくそうと訴えています しかし 世界にはまだ核兵器をたくさんつくっているような国もあり 未だに核兵器はなくなりません どうしたら核兵器のない平和な世界ができるのかと思っていました そんなとき 私は広島平和記念式典に参加できる機会を得ました 私は広島で原爆のおそろしさを学んできたいと思いました 平和記念資料館では 被爆直後の様子の絵がありました そこには水を求めて川に入っていく人の絵や やけどで全身がまっ黒になった人の絵などがあり 正直目を背けたかったです 中でも一番衝撃だったものは一枚のワンピースでした そのワンピースは 爆風でガラスが割れ その破片が刺さり 血がついたものでした 私の想像以上の展示物ばかりでとてもおそろしく感じました しかし 私はテレビなどで見るよりも実際に見た方が原爆による被害をより強く感じました 今回広島を訪問する機会を得てたくさんのことを学びました 私は戦争を経験していませんが これからもっと戦争のことを学ぶ必要があると私は考えます たった一発の原爆でたくさんの死と 苦しみや悲しみがあることを知りました 実際に見たり 被爆二世の方の話を聞いたりして戦争のことを深く知ると同時にもう二度と戦争を起こしてほしくないという願いもありました 私はきっと広島の人たちも平和を願っていると思います そのためには 世界中の人に戦争について深く理解してもらいたいです 核兵器のおそろしさを実際に感じてみればきっと戦争はしてはいけないと思うはずです 次の世代を担う私たちができることは何でしょうか 平和記念式典には私と同じ中学生もいましたが 外国人の方も大勢来ていました 私たちができることは 戦争によって起こってしまったことに関心をもち 原爆によって失ってしまったものなどを学んでいくことだと思います 失ってしまったものはもう戻りません だからこそ その経験を生かし核兵器のない平和な未来を築き上げる必要があると思います そして平和な未来を築き上げるのは次世代を担う私たちの使命だと思いました - 13 -

これからの平和は日本が築く 袋井南中学校早川莉那 8 月 6 日 午前 8 時 15 分 平和の鐘の音が鳴り響く中 沢山の人々がそっと目を閉じました 73 年前 この日 午前 8 時 15 分 この場所に投下された一発の原子爆弾によって 広島の街が一瞬にして破壊されました 多くの人々の命を奪い 家族 友達 思い出までも原子爆弾によって失われてしまったのです 目に見えない放射線により 今なお 多くの人々を苦しめ続けているのです 広島平和記念式典に参加して 私の平和に対する願いが大きく変わりました 本やテレビなどで戦争のことを知っていると思っていたけど 実際に広島に行ってみると本やテレビからは伝わってこなかった戦争の被害の大きさや 原爆のおそろしさを感じました 自分の目で戦争の凄惨さを知るとともに 今 私たちが平和に毎日を過ごせていることを誇りに思います 私たちだけではなく 何万人という参列者が 広島平和記念式典に参加していました 日本だけでなく世界中から広島の犠牲者を追悼するため そして二度と 73 年前のように罪のない人々を過酷で凄惨な暮らしに追い込んではいけないという強い思いをもってくれています 私は この広島平和記念式典に 平和 という一つの目的のために世界中から訪れているということを感じて とてもうれしくなりました また 広島を訪れた人々の手からは平和を願った 色鮮やかな千羽鶴が数多く見られました 鶴を千羽折ると病気が治る という伝説を信じて鶴を折り続けていた 12 歳の佐々木禎子さんの叶わなかった願いを 日本人をはじめ 世界中の人々が 世界の平和 という願いを込めて禎子さんの死から今日まで千羽鶴が折り続けられてきました そして これからも平和を願って折り続けられていくことでしょう 一つのスイッチで投下された一発の原子爆弾 一発の原子爆弾によって何の罪もない子どもたちの命が奪われ 家族 友達そして未来までもが奪われていきました ついさきほどまで家族や友たちとの話し声や笑い声がとびかっていたのに 大勢の人々がここ日本という私達と同じ国で生活していたのに 明るかった街は一瞬にして奪われてしまったのです 黒焦げになった死体は 年だけでなく性別はおろか 伝えたいことがあっても伝えられない 感じとってあげられないという有り様です 亡くなってしまった人を生きかえらせることは私たち人間には不可能です ですが 被爆者の無言の叫びを感じとり 平和を世界に訴えることはできます 73 年前 日本に起きてしまったという現実と私たち一人一人が向き合い 生涯平和な世の中を願って 言葉にしていくことが大切だと私は思います 私たちは戦争を知りません しかし 過去日本に起きた事実を知り 世界の沢山の人々と共に 日本から世界中の平和を築いていくことが何万人もの被爆者から与えられた使命であると強く感じました これからの日本の平和は願うものではなく 築きあげるものだと胸を張って世界に言えるような日本でありたいです - 14 -

平和 袋井南中学校門名真悠 安らかに眠って下さい 私たちはこのような過ちは 二度と繰り返しませんから 73 年前 原子爆弾の犠牲になった人たちに今を生きる私たちは胸を張って言えるでしょうか 今回 広島平和記念式典中学生派遣に参加して 私は戦争や核兵器というものを改めて考えました 今はインターネットが普及し クリック一つで 戦争 核兵器 という言葉を調べられます 写真や絵などを見ることもできます しかし 今回 私が目の当たりにしたものはパソコンやスマートフォンで見られるものとは全く違っていました 広島平和記念資料館を訪れてそれを見たとき 私は言葉も出ませんでした 血がべっとりとついた少女のワンピース 黒こげになってしまった弁当箱 影だけが残った石段 その一つ一つが実在していたものでした 写真だけでは伝わらない 原子爆弾のおそろしさでした 8 月 6 日 午前 8 時 15 分 スイッチ一つで投下された一発の原子爆弾が 何の罪もない人々の命を奪い 人々の家族を奪い 人々のふるさとを奪い 人々の笑顔を奪い 人々の未来を一瞬で奪っていきました 原子爆弾は一瞬で罪のない人々を地獄へ突き落としました そして 今も放射線による病や心の傷を抱えたまま生きている人がいるのです 戦争はおかしいと思いませんか 普通 人を殺した人は警察につかまり その罪を反省し罪を償うものです 人を殺した人は悪者扱いされるものです でも 戦争は違います 対戦している国の人を多く殺した人が 勇者となるのです たくさんの人を殺した者が勇者となるこんなことは本当におかしいと思います 広島の原爆ドームの前に 世界中から核兵器がなくなったら消える火 がありました 私はこの火のことを聞いて 核兵器がゼロになったら安心できる本当の平和 近い未来に火が消えてほしいと思いました そうしたら 原爆で家族を失ってしまった人や傷を負っている人が少しは安心できる世の中になると思いました 本当の平和な国 世界 きっと人それぞれ思うことはちがうと思います 私が思う平和は 核兵器や戦争で亡くなる 人間や動物がいなくなることだと思います 私は今回 広島平和記念式典に参加して 一番強く心に残っていることは 広島の小学六年生による 平和への誓い です 特に心に残っている文は 平和とは 自然に笑顔になれること 平和とは 人も自分も幸せであること 平和とは 夢や希望をもてる未来があること です 私はこの文を聞いて心を打たれました 自分は今 夢が叶えられる場所にいます だから 自分の夢を大切にして 叶えたいです そして 世界中が理想の平和に近づいてほしいです - 15 -

みんなが願う平和 浅羽中学校松下みらい 8 時 15 分黙祷 私たちは8 月 6 日の広島平和記念式典に参加しました 平和になることは難しいことではない でも 平和を壊すのも人間だ こども代表の小学六年生の生徒の言葉に 私の心は動きました 平和を壊すのも人間なら 平和にすることができるのも人間だと気付いたからです こんな簡単なことに気付けていなかったのです 小学六年生の考える平和の考えに感動しました 戦争時 人をたくさん殺した人が英雄 だと言われていました 英雄とはどんな人物でしょうか 私は人々や地球を守ろうとする正義感のある人こそ 英雄だと思います 間違った考えが滅ぼしたものはあまりにも大きすぎて取り返しがつかないものです 間違った考えにならないように 戦争がどんなに無意味であるか訴え続ける必要があります 戦争時だからしょうがないのではなく こんな時代は絶対にあってはならないと思いました そして 原爆ドームが物語っている戦争や核兵器の怖さを自分の目で見てほしいと思いました 水をください 助けてください お母さん この言葉を聞いたとき 胸がすごく締めつけられました きっと子どもの言葉だろうと思います 急に周りの人たちが一気に亡くなっていく怖さ その怖さは私たちには分かりません 実際に体験した人の話を聞き 実物を見ない限りなにも分かりません 私たちが分からないとこれからこの時代に生まれてくる子はもっと分かりません 私たちの見た原爆ドームは残すか残さないかで賛否が起こったそうです でも 残してほしいという人が 60 パーセント以上もいて 残すために必要な一億円を世界中に呼びかけたのです 集まったお金は四億円 私は 平和になってほしい 原爆ドームを残してほしいと願っている人がどんなにたくさんいるのか思い知らされました 原爆ドームは 熊本地震の規模の地震がくれば壊れてしまうと言われています そんなときがくるまでに今ここに生きている人に 必死に原爆ドームを残してくれたたくさんの人の思いを 感じてほしいです 一人一人が原爆に関心を持ってほしいです 式典には 外国の方もたくさん参列しており 平和を願ってくれていると思うとうれしくなりました しかし 外国の方よりもまず先に日本に住む私たちが平和を祈り 平和をここから伝えていきたいと強く思いました そうなるためにはまず 私たち中学生の派遣団が友達 家族 学校の人たちに伝えていかなくてはなりません たくさん人が自分の目で見ることや 知ることでしか この平和は守られていかないと思います 核兵器の無くなる平和な未来を信じ できるだけ多くの人に伝えていきたいと思います - 16 -

戦争のない未来のために 浅羽中学校鈴木彩萌 73 年前 8 月 6 日の午前 8 時 15 分 広島にたった一発の 原子爆弾 が投下されて 一瞬にして多くの命がうばわれました 罪のない人々の命だけでなく 夢や希望もうばった 原子爆弾 という核兵器は まだ世界にたくさんあります また 北朝鮮の核実験 や 憲法改正 という言葉も最近よく耳にします そんな中 私は広島記念式典に参加し 多くのことを学びました 1 日目 私は初めて原爆ドームを見ました 原爆ドームは レンガが崩れ落ち 鉄骨がむき出しになっていました まるで 被爆した人たちがのりうつり もう二度と戦争をしないで と訴えているようでした 私たちは 広島市原爆被爆者団体協議会の大中伸一さんから戦争の話を聞きました 私が大中さんの話で一番印象に残ったことは 目から消えるものは 心からも消えてしまう という言葉です たしかに 原爆ドームがなかったら 戦争の悲惨さが一目で分かるものがなくなってしまいます そして こんなに心に残るものが簡単に消えて 薄れていってしまうなと思いました また この1 日目で心に残ったものは 原爆ドームだけではありません それは 資料館にある原爆についてのたくさんの写真です それらは 戦争の悲惨さや過酷さが伝わってくるものばかりで 目をそむけたくなるほどでした 水をほしがる人々 子を抱きながら死んでしまった母 やせ細った人 やけどを負った人 親を探す子供たち 幅広い年代の人々が 苦しんでいる写真を見ると 戦争は二度とくり返してはいけないものだと強く感じました 2 日目は 平和記念式典に参加しました 本当に多くの人が参加していました 私は外国人の多さに驚きました 歩いていると アメリカ人や韓国人 他にもたくさんの国の人が参加していて 世界中の人たちが平和を願っているのだなと思うと とても感動しました 戦争をやめましょう と小学生 6 年生の男女二人が 大きな声で必死に訴えている姿を見たとき 私はすごくかっこいいと思いました 自分よりも小さいのに こんなにも戦争をなくそうとしていて 私はもっとたくさんの人に戦争について知ってもらいたいと思いました そして 戦争をなくし平和な世界になるために 皆で訴え続けることが大事だと感じました そしたら 私が小学 6 年生の訴えを聞いて感動したように たくさんの人が感動して 平和な世界に近づくと思います 私は 平和記念式典に参加し 今までテレビや新聞でしか 戦争の悲惨さを読んだり聞いたりしていなかったことを実際に見ることができました 核兵器をなくし 戦争が世界からなくなって平和な未来になるために 平和を訴え続けることが大切だと分かりました 被爆した人たちが減っていく中 私たち若い人たちが 自分から戦争について知り 深く考え たくさんの人に伝えていくことが一番大切だと思います - 17 -

大きな傷 浅羽中学校江口未桜 8 月 6 日 8 時 15 分 平和記念公園内の人々が平和に祈りをささげました 聞こえるのは平和の鐘とセミの声 私たちが黙とうをしている 73 年前 どんな悲劇があったか想像できないでしょう 広島での二日間 たくさんの想いがあふれている場所で 私たちはたくさん学び たくさん恐ろしさというものを感じました 一日目には原爆ドーム 資料館を見て回りました 私がそのときにびっくりしたのはたくさんの人がいたことです 被爆者 被爆者家族の方々や 私たち各県の代表学生はもちろん 外国の方々が多くいたのはとてもすごいなと思いました それと同時に これだけの人々が平和について考え 平和を祈っていることについても驚きました そんな多くの人の中で見たのは原爆の恐ろしさを伝えてくる数々の展示物でした 焼けこげた三輪車 熱でとけたガラスのビンなど たくさんのものがある中で私の心にとても深くつきささったのは女学生の服です 原爆の恐怖に逃げまわり 亡くなるまで着ていた服です 私たちと同じくらいだったり 小さかったりする女学生が状況も分からない中で お国のために 日本のために と 一生懸命に働いていました 悪いことは一つもしていないのに 一つのきっかけで恐怖と苦しみにむしばまれたことをこれらの服は見ていたのでしょう そうやって亡くなっていった 14 万人を超える人々を想うととても悲しくなります 私たちと同じように楽しい生活はできずに原爆が落とされるまでも苦しく厳しい日常をおくっていたと思います 原爆が落とされたか 落とされていないかという問題ではなく平和であるかどうかということが大切だとすごく思いました 私たちが今のように暮らせているのも平和があるおかげ そして平和というものはもろく はなかないものだということを感じました 二日目は平和記念式典に出席しました 一日目に見た人よりもたくさんの人がいました 公園内に入らないほどの人数でした そして式典が始まると話し声がなくなりました 平和式典では広島市長 安倍総理大臣など国か広島の代表する人たちが平和についての考えを言葉にして観衆に伝えていました その中で私が一番感動したのは子ども代表で平和宣言をしていた広島市内の六年生二人の言葉です とても大きな声で力強く伝えるその声はすごくかっこよかったです そして 小学生でも平和というものがわかるのになぜ昔は偉い大人がわからなかったのだろうと思うと とても悲しい気持ちになりました 二日間の派遣を通してたくさんの原爆による大きな傷跡を見ました 一つの爆弾で何千人 何万人 何十万人その人々を 73 年間傷つけてきました すごく大きい殺傷力があるものを作ってしまったこと そして それを実験として罪の無い数知れない人々を苦しめ続けていることは世界の罪だと思います 核兵器は世界中にまだたくさん存在しています 世界に平和というものの大切さというものを知ってもらいたいです そして 二度と罪が起こらないように祈ります - 18 -

平和への第一歩 浅羽中学校稲本愛奈 1945 年 8 月 6 日 8 時 15 分 何の罪もない多くの人々の命を一瞬にして奪ったのは たった一発の原子爆弾でした 実験をかねて落とされたその原爆は アメリカの力を誇示するためのものでもありました あれから 73 年が経ったこの日 私は広島平和記念式典に参加していました 式典には 86 ヶ国もの国の人々が参加していると聞きました 私が思っていたよりも 日本以外からの参加者が多くいたことに驚きました その中は アメリカからの参加者もいて 原爆を落とした国の人もこんなに関心を持ってくれていると思うと とても感動しました 言葉も文化も違う国の人々が 平和 を目指すためにこの式典に参加しているということを知りました その式典に自分も参加できているということが とても誇らしく感じました 慰霊碑には 多くの花が供えられていました ここに来た人たちが何を思って花を手向けていったのかは私には分かりません しかし 平和 を目指すという想いは ここに来た人全てに共通しているのではないかと思います 8 時 15 分 黙とう 平和の鐘が鳴り響きました 辺りから全ての 声 が消えました 沈黙の一分間は 今までで一番長く感じました 私がこの式典に参加して改めて感じたことは 私たちは戦争や平和について何も知らないということです 友達と遊べること 安心して眠れること ご飯を食べられること 平和 という言葉の定義は人によって違うと思います しかし 全ての人がお互いの幸せを考えることができたのならそれは 平和への第一歩になると思います 今私たちに出来ることは 被爆して今もまだ苦しんでいる人がいることや 平和のために活動している人が世界中にいるということを忘れず 今この瞬間もがんばっている人がいることを多くの人たちに伝えることだと思います - 19 -