上原記念生命科学財団研究報告集, 29 (2015)

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背景 歯はエナメル質 象牙質 セメント質の3つの硬い組織から構成されます この中でエナメル質は 生体内で最も硬い組織であり 人が食生活を営む上できわめて重要な役割を持ちます これまでエナメル質は 一旦齲蝕 ( むし歯 ) などで破壊されると 再生させることは不可能であり 人工物による修復しかできませ

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( 様式甲 5) 学位論文内容の要旨 論文提出者氏名 論文審査担当者 主査 教授 大道正英 髙橋優子 副査副査 教授教授 岡 田 仁 克 辻 求 副査 教授 瀧内比呂也 主論文題名 Versican G1 and G3 domains are upregulated and latent trans

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-119-

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血漿エクソソーム由来microRNAを用いたグリオブラストーマ診断バイオマーカーの探索 [全文の要約]

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上原記念生命科学財団研究報告集, 29 (2015) 98. 神経管形成過程における未分化前駆細胞の運命決定機構 松尾勲 Key words: 神経管閉鎖, 神経板境界, カノニカル Wnt,Grhl3,Dkk1 大阪府立母子保健総合医療センター研究所病因病態部門 緒言神経管の閉鎖前では, 外胚葉は, 大きく3つの領域, 表皮領域, 神経領域と両者の境界である神経板境界領域に分けられる ( 図 1) 1,2). 神経管閉鎖が開始されると, 外胚葉が神経板境界 ( 神経褶 ) を含む数カ所のヒンジポイントで折れ曲がり, 正中線上で向かいあう神経褶部分で癒合する. 最終的に, 神経と表皮が完全に分離すると同時に表皮領域同士と神経領域同士が融合することで神経管閉鎖が完成する 3,4). しかしどのような機構で神経板境界 ( 神経褶 ) の細胞が表皮又は神経に分離 癒合するのかその機構は, 不明な点が多い 3,4). また, 神経管閉鎖以前に神経と表皮が完全に分離してしまうと細胞層として形態が維持できないし, 向かい合った神経褶同士が癒合したあとでも神経と表皮が分離できていないと神経管閉鎖不全となることが考えられ, 二分脊椎などヒトの先天奇形の発症機構との関連性も強い. 本課題では, 神経管閉鎖のタイミングで, 神経板境界の細胞がどのような分子機序を介して表皮や神経へと分離するのか解明することを目的に研究を行った. 図 1. 神経管閉鎖と連動した表皮と神経の細胞運命の決定機構. 神経管閉鎖過程では, 神経板境界 / 神経褶領域には表皮にも神経にも分化していない未分化な前駆細胞が存在し, 背側中央で神経褶が癒合するタイミングに合わせて表皮又は神経へと特異化する. 未分化状態は, カノニカル Wnt の拮抗因子である Dkk1/Kremen1 によって維持されているが, カノニカル Wnt によって下流転写因子である Grhl3 が誘導されことで未分化前駆細胞は表皮化する. 1

方法および結果 マウス胚の神経管形成過程において 表皮領域 神経領域 表皮と神経の間の神経板境界領域のそれぞれに特異的な 分子マーカーを用いて発現解析を行った 表皮特異的マーカーとして TROMAI (KERATIN8) と E-cadherin 神経特 異的なマーカーとして N-cadherin と Sox2 の発現を解析した その結果 神経管閉鎖前では神経板境界の細胞は 表 皮と神経どちらのマーカーも発現しておらず未分化な前駆細胞である可能性が示唆された 図 2 そこで いくつか の幹細胞マーカーを用いて発現解析を行ったところ 神経板境界の細胞は OCT4, KLF5, SSEA4 を特異的に発現して いた 図 2 以上の結果から 神経管閉鎖前の神経板境界は 神経にも表皮にも分化していない未分化幹細胞の性質 を持っていることが示唆された 5) 図 2 神経管閉鎖過程における表皮 神経 未分化幹細胞マーカーの発現 A-D) 免疫染色法によるマーカー発現 マウス胚神経管閉鎖前において神経板境界/神経褶領域では 表皮マーカ ー (TROMAI) や神経マーカー (N-cadherin) は発現せず 未分化な幹細胞マーカー (Oct4, Klf5) が発現している ドットライン E,F) in situ ハイブリダイゼーション法による mrna の発現 Klf5 は 神経板境界/神経褶領 域で発現している 矢先 文献 5 より一部改変 スケールバー: 200μm (E), 100μm (C, D, F), 20μm (A, B) そこで どのような分子機構で未分化前駆細胞が表皮又は神経へと特異化するのか明らかにするため 神経管閉鎖中 のマウス胚約 500 匹分の表皮と神経の細胞から mrna を集めてマイクロアレイを行った 得られた結果から 分泌性 シグナル因子の発現を解析したところ Wnt シグナル経路の分子 Wnt リガンド, 拮抗因子, 受容体など が表皮と神 経の細胞で正又は負に大きく変動していることが分かった 実際 これらの分子の発現を mrna 及びタンパク質レベ ルで解析したところ 神経板境界周辺で強く発現していた 特に Wnt 拮抗因子である Dkk1 と Kremen1 のタンパク 質は 神経管閉鎖中の神経褶領域に局在していた 図 3 この結果 Wnt シグナルによって未分化前駆細胞の運命決 定が制御されている可能性が示唆された 5) 2

図 3. 神経管閉鎖過程におけるカノニカル Wnt 拮抗因子の発現. A-F) Kremen1 と Dkk1 タンパク質は, 神経褶領域に発現している.se: 表皮外胚葉, ne: 神経外胚葉. 文献 5 よ り一部改変. スケールバー : 100μm (A, D), 50μm (B, E), 20μm (C, F). 次に, カノニカル Wnt 活性を抑制又は亢進させた場合に, 神経板境界の細胞運命がどのように変化するか解析を行った.Dkk1 を過剰に発現させてカノニカル Wnt シグナル活性を低下させたマウス胚では, 神経領域が拡大し, 表皮領域が縮小していた 5). それとは逆に,Wnt8A の過剰発現や Dkk1 ノックアウトによってカノニカル Wnt 活性を亢進させたマウス胚では, 神経領域が縮小し表皮領域が拡大していた 5). 以上の結果から, 神経板境界の未分化前駆細胞の運命をカノニカル Wnt が表皮に,Wnt 拮抗因子が神経へと向かわせることが分かった. 更に, カノニカル Wnt の下流でどのような転写因子が表皮化に働いているのかマイクロアレイの結果などから特定した. その結果,Grhl3 転写因子が神経管閉鎖と連動して神経板境界領域で特異的に発現することを見いだした ( 図 4). 実際,Grhl3 遺伝子欠損マウス胚は, 神経管閉鎖不全を示すことが知られているが 6), この Grhl3 遺伝子変異マウス胚では, 神経板境界領域の細胞が表皮化せずに逆に神経へと分化していることが分かった ( 図 4). つまり, 未分化前駆細胞は Wnt シグナルの下流で Grhl3 が活性化されることで細胞運命を表皮へと向かわせていることが示唆された 5). 3

図 4 神経管閉鎖過程における Grhl3 タンパク質の発現 A, B) Grhl3 タンパク質 Grhl3 遺伝子座にノックインされた lacz の発現 は 神経管が閉じる前の表皮と神経 の境界である神経褶領域のみで発現する C) 神経褶領域での Grhl3 陽性細胞は Dkk1 の局在する細胞より表皮 側に分布する 矢先, ドットライン D, E) Grhl3 遺伝子変異胚では Grhl3 陽性細胞は 神経マーカー (Ncadherin) を発現する 矢先 se: 表皮外胚葉, ne: 神経外胚葉 文献 5 より一部改変 スケールバー: 200μm (D, E), 100μm (A, C), 10μm (B) これら以上の結果から Grhl3 はカノニカル Wnt シグナルの下流転写因子として神経板境界領域における未分化な 前駆細胞を神経管閉鎖運動と連動して表皮化させる機能を担っていることが強く示唆された 考 察 今回の解析から 神経板境界/神経褶における未分化な前駆細胞が カノニカル Wnt とその下流転写因子である Grhl3 を介して表皮へと分化する過程は 神経管閉鎖を時間的 空間的に適切な順序で進行させる上で極めて重要な分 子機構であると言える 図 1 実際 神経板境界に存在する未分化な前駆細胞が 適切に表皮細胞へと運命決定が起 こらないことが原因で Grhl3 遺伝子変異では神経管閉鎖不全を示することが強く示唆された 共同研究者 以上の研究成果は 大阪府立母子保健総合医療センター研究所病因病態部門の木村 吉田千春博士と持田京子との共同 研究である また Dkk1 欠損マウスはドイツ DKFZ-ZMBH 研究所の Kristina Ellwanger 博士と Christof Niehrs 博士 から分与されたものである 文 献 1 Tzouanacou, E., Wegener, A., Wymeersch, F. J., Wilson, V. & Nicolas, J. F. : Redefining the progression of lineage segregations during mammalian embryogenesis by clonal analysis. Dev. Cell, 17 : 365-376, 2009. 4

2) Patthey, C. & Gunhaga, L. : Specification and regionalisation of the neural plate border. Eur. J. Neurosci., 34 : 1516-1528, 2011. 3) Pai, Y. J., Abdullah, N. L., Mohd-Zin, S. W., Mohammed, R. S., Rolo, A., Greene, N. D., Abdul-Aziz, N. M. & Copp, A. J. : Epithelial fusion during neural tube morphogenesis. Birth Defects Res. A Clin. Mol. Teratol., 94 : 817-823, 2012. 4) Copp, A. J., Greene, N. D. & Murdoch, J. N. : The genetic basis of mammalian neurulation. Nat. Rev. Genet., 4 : 784-793, 2003. 5) Kimura-Yoshida, C., Mochida, K., Ellwanger, K., Niehrs, C. & Matsuo, I. : Fate specification of neural plate border by canonical Wnt signaling and Grhl3 is crucial for neural tube closure. EBioMedicine, 2 : 513-527, 2015. 6) Ting, S. B., Wilanowski, T., Auden, A., Hall, M., Voss, A. K., Thomas, T., Parekh, V., Cunningham, J. M. & Jane, S. M. : Inositol- and folate-resistant neural tube defects in mice lacking the epithelial-specific factor Grhl-3. Nat. Med., 9 : 1513-1519, 2003. 5