シリーズ キリストの再臨と終末の預言 -No.2( 改訂 ) キリストの空中再臨と教会の携挙 ( その二 ) 教会の 携挙 についての聖書的根拠 ベレーシート 前回は シリーズ キリストの再臨と終末の預言 の第一回目として キリストの空中再臨と教会の携挙 について学びました このことはとても重要な教

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な声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った ここに上れ この後 必ず起こる事をあなたに示そう (1) ヨハネは 7 つの教会への手紙の啓示を聞いた後 天の御座の幻を見た 1 その後 私は見た とは 時間の流れを示す言葉である (2) 招きの言葉がかかった 1 一つの開いた門があった * ヨ

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神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

使徒パウロは この 反キリスト のことを 不法の人 つまり 滅びの子 と表現しています (Ⅱテサロニケ 2:3) 反キリストは サタンによって権威と力を与えられた息子的存在で さまざまな超能力を持って人々を惑わします ちなみに預言者ダニエルは これを 荒らす憎むべき ( 忌むべき ) 者 ( ダニエ

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

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2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

Microsoft Word - ◎中高科

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか (1) ここで場面は 地から天に移行する 1 大患難時代を通して継続している状況の描写である (2) ヨハネは キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻を見た 1 彼らは 祭壇の下にいた 2 旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと

創世記5 創世記2章4節b~25

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

Rev 11:19 それから 天にある 神の神殿が開かれた 神殿の中に 契約の箱が見えた また いなずま 声 雷鳴 地震が起こり 大きな雹が降った 1これは 鉢の裁きが始まる前の天の神殿の状況描写である 2 默 15:1 は それを引き継いでいる (2) 天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た 1

Rev 17:2 地の王たちは この女と不品行を行い 地に住む人々も この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです (1) 大淫婦と不品行 1 旧約聖書では 淫婦 は 偽の宗教 を象徴する言葉である 2 淫行 は 偶像礼拝を象徴する言葉である 霊的姦淫である * 通常は 真の神を信じると告白しながら 偶像

牧会の祈り

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創世記5 創世記2章4節b~25

ダニエル書は終末についてどのように語っているか No.2 御使いガブリエルが告げた 七十週 の預言 聖書箇所 9 章 20 節 ~27 節 はじめに 前回はダニエル書 2 章から バビロンの王ネブカデネザルの見た正夢に ついて学びました その正夢は終わりの日に起こることを示されたものでした ダニエル

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2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

(1) 獣の形状 (1~2 節 ) (2) 獣の復活 (3~4 節 ) (3) 獣の支配 (5~8 節 ) (4) 励ましのことば (9~10 節 ) 3. 結論 : 反キリストはキリストの真似をする 反キリストの働きについて学ぶ Ⅰ. 獣の形状 (1~2 節 ) 1.1 節 Rev 13:1 また

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

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聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

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2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

テサロニケ人への手紙第一 第5回聖書フォーラムキャンプ 基調メッセージ メッセージ 中川健一

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2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

付録 C の 1 Page 1 of 9 10/26/2003 付録 C クリスチャン ギリシア語聖書における Kyrios 新世界訳聖書は ギリシア語 Kyrios( ) をさまざ

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28


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第 6 章では7つの封印のうち6つの封印が 神の小羊によって次々と開かれていきます 第一の封印が開かれると 冠をかぶり弓を持つ騎手の乗った白い馬が現れます 強い軍事力で他国を侵略していく帝国主義の象徴です 次に大きな剣を持つ騎手の乗った赤い馬 内戦や反乱で人々を苦しめる象徴です 黒い馬は飢饉を 青白

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

比喩:その他

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1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

1イエスがバプテスマを受けたとき 天が開かれて聖霊が鳩のように下った 2ここでは 天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる 3 黙 4:1 では ヨハネを招くために天が開かれた 4ここでは キリストが地に下るために天が開いた (2) 白い馬に乗った方 1ローマ軍の将軍は 白い馬に乗った 2 再臨

らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

黙示録 5 章 世界の巻き物 1A 封印を解くにふさわしい方 1-7 1B どこにもいない ふさわしい者 1-4 2B 勝利を得た小羊 5-7 2A 小羊への礼拝 B 血潮によって贖われた者たち B 無数の御使いと全被造物 本文 5 章を今晩は学びます 私たちは

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

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このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

り そして キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである 1:2 ヨハネは 神の言葉とイエス キリストの証し すなわち 自分の見たすべてのことを証しした 1:3 この預言の言葉を朗読する人と これを聞いて 中に記されたことを守る人たちとは幸いである 時が迫っているからである 1:4-

牧会の祈り

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

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2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

ヨハネの福音書講解 ヨハネの福音 ヨハネの福音書 21:15~25 1. 愛する 新改訳改訂第 3 版 ヨハネ 21:15 彼らが食事を済ませたとき イエスはシモン ペテロに言われた ヨハネの子シモン あなたは この人たち以上に わたしを愛しますか ペテロはイエスに言った はい 主よ 私があなたを愛

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

バプテスマのヨハネが逮捕されました その詳細はこのマルコの福音書 6 章に記されていますが ここではイェシュアが福音を宣べ伝え始めるきっかけとなっているように記されています つまりヨハネが捕らえられることと イェシュアがガリラヤに行って福音を宣べ伝え始めることには何等かの結びつきがあるということです

マタイ 25 章 14 節 各自に任された財産 1A 神より与えられている財産 1B 創造の源 2B 信仰の量り 2A 清算の時 1B 永遠の報い 2B 報酬の時 3A 求められていること 1B 心のはかりごと 2B 自分の行程 3B 小さな事への忠実 4B 信じる事 本文 マタイによる福音書 25

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

サーチライト with Pastor Jon Courson 黙示録 22 章パート 2 1 サーチライト With Pastor Jon 黙示録 22 章パート 2 このメッセージはアップルゲートクリスチャンフェローシップの ジョン コーソン牧師が公開したメッセージを アメリカ在住の日本人クリスチ

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

牧会の祈り

牧会の祈り

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

2 イエスは大胆に わたしは道です と言われました イエスが歩まれた道です イエスが示された道です 正しく この人を見よ! です それが聖書の教えです 私たちはこの一年間 幸いなみ言葉を心に覚えて進みたいと願います 今日は この年間聖句から次の2 点を考えてみましょう 大切なポイント 1. 勝利者イ

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

ミドラーシュ(4月27日)

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としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

牧会の祈り

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シリーズ キリストの再臨と終末の預言 -No.2( 改訂 ) キリストの空中再臨と教会の携挙 ( その二 ) 教会の 携挙 についての聖書的根拠 ベレーシート 前回は シリーズ キリストの再臨と終末の預言 の第一回目として キリストの空中再臨と教会の携挙 について学びました このことはとても重要な教えであり キリストを信じる者にとって大きな慰めとなります 第二回目では この 携挙 についての教えを さらにいろいろな聖書のことばによって補強したいと考えています けいきょ ということばを国語辞典で調べるならば 軽挙 ということばしかありません その意味は 軽々しいこと 軽々しいふるまいをすること とあります その意味の けいきょ ではありません 聖書の けいきょ は 携挙 と表記します この用語は神学用語 ( 教理用語 ) です また 携挙 ということば自体は聖書にはありませんが 教会が天に一挙に引き上げられ ( 携え挙げられ ) て 空中で主と会うということを意味する用語です 使徒パウロは テサロニケの教会の人々に対して このことについて 知らないでいてもらいたくありません (Ⅰテサロニケ 4:13) と記しています なぜなら キリストを信じる者にとって 携挙 はぜひとも知っておかなければならない重要 かつ基本的な教えだからです 7

神のご計画のマスタープランにおいて 七年間におよぶ最後の一週があります ( ダニエルの七十週の預言の最後の一週のこと ) この期間は黙示録で登場する 底知れぬ所から上って来る獣 (11:7) が支配する最後の一週で キリストを拒絶する世界に対して神の怒りが激しく注がれる時代です 時間的には七年間と短いのですが その期間は 数多くの天変地異が起こり 獣 による未曾有の 桁違いの大患難がもたらされる神の怒りの時です なぜ短い ( 七年 ) のかといえば イスラエルの民がその試練 ヤコブの苦難の時 ( エレミヤ 30 章 7 節 ) と呼ばれているーから救われるためです イェシュアも マタイ 24 章 21~22 節で 預言者ダニエルによって預言された 荒らす憎むべき者 が聖なる所に立つ時 つまり獣がその本性を表すとき そのときには 世の初めから 今に至るまで いまだかつてなかったような またこれからもないような ひどい苦難があるからです もし その日数が少なくされなかったら ひとりとして救われる者はないでしょう しかし 選ばれた者 ( ユダヤ人 イスラエルの民のこと ) のために その日数は少なくされます と語られました その耐えがたき神の怒りを終結させるために キリストは地上再臨されますが 幸いなことに キリストを信じる者たち ( 教会 ) はその患難時代が来る前に天に携え挙げられるのです しかもその時は何の前触れもなく 突然にやって来ます この預言は キリストにあって死んだ ( 眠った ) 人々にとっても またその時にキリストにあって生きている人々にとっても 喜びの時です なぜならそのときこそが花婿が花嫁である教会を迎えに来る時だからです ですから この携挙のことを知り 目を覚ましている必要があるのです 1. 神の怒りによる大患難から救われるための 携挙 キリストを信じる者は患難時代における 目に見える神の怒りから救われています すでにキリストを信じ た時点で霊的には神の怒りから救われているのですが 七年間の患難時代の目に見える出来事としての神の怒 りからも救われるのです そのことについて いくつかの聖書的根拠を挙げたいと思います (1) ローマ書 5 章 9 節 新改訳 2017 ですから 今 キリストの血によって義と認められた私たちが この方によって神の怒りから救われるのは なおいっそう確かなことです (2) Ⅰテサロニケ 1 章 10 節 新改訳 2017 御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを 知らせているのです この御子こそ 神が死者の中からよみがえらせた方 やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです (3) Ⅰテサロニケ 5 章 9 節 新改訳 2017 神は 私たちが御怒りを受けるようにではなく 主イエス キリストによる救いを得るように定めてくださっ 8

たからです Ⅰテサロニケ 1 章 10 節にもあるように 初代教会は大患難という主の怒りが来る前に 御子が天から来られるのを 今日か 今日かと待ち望んでいたのです 一挙に引き上げられ 空中で主と会う (Ⅰテサ 4:17) 携挙を待っていたのです 初代教会 ( パウロの再臨待望 ) は 携挙待望 であったのです それゆえ 初代教会の人々は 主はもうすぐ来られます 主よ 来てください を意味する マラナ タ ということばで 挨拶を交わしていたのです 今日 この挨拶用語を回復しなければなりません ちなみに マラナ タ はアラム語です 主よ 来てください と訳されていますが 正確には われらの主は来られる とも われらの主よ 来てください とも訳されます アラム語の 主 を意味する マー レー מ ר א) ) の複数形 マラヌー מ ר נוּ) ) の最後の ヌー と 来る を意味する アター א ת א) ) の最初 の ア がくっ付いて ナ と発音し マラナ と表記されます 最後の タ を サ と発音して マラナ サ と表記されることもあります 英語表記の th a を タ と発音するか サ と発音するかの違いです (4) ルカの福音書 21 章 36 節 新改訳 2017 しかし あなたがたは 必ず起こるこれらすべてのことから逃れて 人の子の前に立つことができるように いつも目を覚まして祈っていなさい ここの 必ず起こるこれらすべてのこと とは 獣 による大患難のことです 2. 翻訳的見地 ( 原語 ) からの 携挙 の根拠 (1) Ⅱ テサロニケ 2 章 3 節 背教 ではなく 離れること 新改訳 2017 Ⅱテサロニケの手紙 2 章 1~4 節 1 さて兄弟たち 私たちの主イエス キリストの来臨と 私たちが主のみもとに集められることに関して あなたがたにお願いします 2 霊によってであれ ことばによってであれ 私たちから出たかのような手紙によってであれ 主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いても すぐに落ち着きを失ったり 心を騒がせたりしないでください 3 どんな手段によっても だれにもだまされてはいけません まず背教が起こり 不法の者 すなわち滅びの子が現れなければ 主の日は来ないのです 4 不法の者は すべて神と呼ばれるもの 礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ ついには自分こそ神であると宣言して 神の宮に座ることになります テサロニケの手紙第二がなぜ書かれたのかと言えば 主イエス キリストの来臨 すなわち キリストの 再臨 と 私たちが主のみもとに集められること すなわち 携挙 に関して テサロニケ教会の中に混乱 9

が生じていたからです 換言すると テサロニケの教会の中に 聖徒を天に引き上げるためのキリストの空中 再臨と 大患難期の後に 不法の者 (= 獣 ) を滅ぼすために再臨されるキリストの地上再臨とを混同する者た ちが現われたことで それを明確にするためにパウロはこの手紙を書いたのです テサロニケの教会に対して 主の日 が来たということを聞いても 落ち着きを失ったり 心を騒がせたりしないように だまされないようにしてください とパウロは言っています つまりパウロは 主の日 が来るには 順序があるということをここで教えようとしているのです その順序とは 1 まず背教が起こる こと 2 不法の人( 滅びの子 獣 ) が現われること 3 そして 主の日 つまり キリストの再臨 しかし ここで厄介な問題は まず背教が起こり と訳されていることです この 背教 と訳された原語は へー (ή) アポスタシア(άποστασία) です アポスタシアは二通りの訳があります ひとつは 背教 とか 反乱 と訳し もうひとつは 出発 離別 と訳します この名詞 アポスタシア の動詞である アフィーミ (άφίστημι) を調べると 15 回のうち 3 回は 背教する と訳されますが あとの 12 回は 去る 離れ去る と訳されています したがって Ⅱテサロニケ 2 章 4 節の 背教 は むしろ 出発 とか 移動 と訳すべきで 山岸登氏も 冠詞付の離別 とは すなわち 携挙 を意味していると述べています また 2 章 1 節に 私たちが主のみもとに集められること とありますから ここは ( 主の日が来る前に ) まずその離別 ( 携挙 ) があり その次にあの不法の人 すなわち 滅びの子 が現われなければならないからです と訳すべきだとしています 聖徒を天に引き上げるために来るキリストの 空中再臨 と 不法の人を滅ぼすために来る 地上再臨 とを混同してはならないのです 明瞭に 区別されなければならないのです アポスタシア についてのこの見解は 英訳聖書の翻訳の歴史においても KJV 訳以来 離れる 離れ ること と訳されて来た とエマオ出版訳の山岸氏は述べています もしこの見解が正しければ 患難期前携 挙説の有力な聖書的根拠となります (2) ヨハネの黙示録 3 章 10 節 新改訳 2017 ヨハネの黙示黙 3 章 10 節あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったので 地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には わたしもあなたを守る この箇所での翻訳上の問題は 全世界に来ようとしている試練の時には の 時には という訳です 全世界に来ようとしている試練 とは 獣 による未曾有の大患難のことです 新改訳ではその 試練の時には と訳しています 原文では ~の中から外へ を意味するギリシア語の エク (ἐκ) が使われているため 患難時代の中から と解釈している人々がいます しかし 山岸氏は エク (ἐκ) は 分離 を表わすために用いられているとして ヨハネ 17 章 15 節 Ⅰコリント 9 章 19 節 Ⅱペテロ 2 章 21 節 そして特にⅠテサロニケ 1 章 10 節を例に挙げています 試練の時には と訳されると キリスト者もその試練の中にいることになります しかし 試練の時には に 分離 ニュアンスがあるとすれば 大患難前携挙説 と 10

なり 教会がその試練 ( 大患難 ) の前に分離されることで救われることになります しかしその 分離 のニュアンスを外すと 大患難後携挙説 となり その試練 ( 大患難 ) の中に置かれた教会は その中から救われるということになります このあたりの解釈がとても難しいところです しかし これまでに挙げた聖書のことばとの整合性を考えるならば 前者の 大患難前携挙説 の方がきわめて自然といえます 主にある者も 世にあっては患難があります ( ヨハネ 16:33) と言われましたが ここで問題となっているのはそのような一般的な患難とは異なり これまでにない未曾有の神のさばきとしての大患難のことであり その目的も神の選びの民に対する最後のあわれみの時としての精錬的な目的をもった試練なのです そうした精錬的試練にキリストの花嫁である教会が遭う必要性があるのでしょうか むしろ花嫁は主の空中再臨と携挙があることを信じて ひたすら緊迫感を持って 目を覚ましていることが求められているように思われますし もし 携挙は獣が現われてから という時間軸があるとすれば 携挙の突如姓は喪失してしまいます 3. 携挙の教えは私たちの生き方を清くする 携挙の教えは 私たちの生き方を変え キリストとのかかわりを決定的に新しくします ヨハネの手紙第一 3 章 2~3 節を見てみましょう 新改訳 2017 Ⅰヨハネの手紙 3 章 2~3 節 2 愛する者たち 私たちは今すでに神の子どもです やがてどのようになるのか まだ明らかにされていません しかし 私たちは キリストが現れたときに キリストに似た者になることは知っています キリストをありのままに見るからです 3 キリストにこの望みを置いている者はみな キリストが清い方であるように 自分を清くします 2 節の キリストが現れたときに とは キリストの空中再臨と携挙のことです そのとき 私たちはキリストに似た者となる のです そして 3 節の キリストにこの望みを置いている も空中再臨と携挙に対する望みです この望みをいだく者はみな ( 例外なく ) キリストが清い方であるように 自分を清くします と記されています つまり キリストの空中再臨の希望をしっかりと抱く者は 例外なく 自分を清くする のです 清くします と訳された原語は ハグニゾー (άγνιζω) で 新約では 8 回使われています その形容詞の ハグノス (άγνος) も同じく 8 回 動詞にしても 形容詞にしても この言葉は花婿と花嫁 あるいは夫と妻とのうるわしい関係を表わしています 清くする とは 夫となる花婿のキリストに対するかかわりにおいて 純潔 貞潔 従順 な関係を意味します そこには二心があってはなりません それは妻が夫に対して示す純真な生き方でなければなりません キリストが清い方である とは 自分の妻に対する 純真 を意味します それと同様に 妻となる教会 ( 私 11

たち ) も 夫となるキリストに対して前もって 清く しなければならないのです なぜなら 花婿であるキリストが花嫁である私たちを天から突然のように迎えに来られるからです いつ来られても良いように 私たちはこの教え ( 真理 望み ) を知り 信じて 従って生きている必要があります それは当然のごとく 自分の心を変え また生き方を変えることになるのです おそらく 携挙の時が近づくと 花嫁を整えるべく神からの働きかけが顕著になされると信じます おそらく それは御霊によるみことばの開眼という形でなされるはずです それゆえ 御霊と花嫁も言う 来てください と ( 黙示録 22:17) 私たちはすでにキリストを信じることによって花嫁となる約束をしているのです 結婚式はまだですが キリストの妻となる婚約をしています その夫となるべき方は必ず来られます そして迎えに来られる時が結婚式です その時まで私たちはワクワク ドキドキ イキイキしながら 清純な心をもって 花婿を待っていなければなりません もし私たちのうちに 二心 があるならば それを捨てなければなりません 携挙 の教えは必ずや私たちの生き方を変え 確実にキリストとのかかわりを新しくします ライフスタ イルを一新させます 携挙の約束と清い生き方には密接な関係があるのです Ⅰ テサロニケ 4:3~8 を参照 4. 携挙後の天上での礼拝の幻 ( ヨハネの黙示録 4~5 章 ) キリストが空中再臨されるとき すでにキリストにあって眠っている者は新しい朽ちないからだを与えられてよみがえります またそのときに生きている者は彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられて空中で主と会います 余談ですが 雲の中に引き上げられる とあるので 空中再臨の時は 晴れの日ではなく 曇りの日だ と思わないでください この 雲 とは 栄光の雲 のことで シャハイナ グローリー という特別な主の栄光の現れを表しています その栄光の中に教会が引き上げられるのです ちなみに イェシュアの生涯の中に シャハイナ グローリー が 雲 によって表わされている箇所があります ルカ 9:28~36( 特に 34~35 節 ) 使徒 1:9~11 参照 キリストの花嫁である教会は空中の雲の中に引き上げられたあと 花婿なる主との婚姻のために天に行きます そのために主が迎えに来られたのですから そして天において小羊の婚姻 ( 婚礼 ) が行われると考えられます そこでヨハネの黙示録 4~5 章に記されているような礼拝 つまり 多くの御使いらとともに 御座に着いておられる方と小羊に礼拝をささげると考えられます そこがヨハネの福音書 14 章 1 節に言われている 父の家 であり そこには立派な 住まい がたくさんあるのです その父の家で主とともに住むのです つまり親しい交わりをするのです しかしその交わりは私たちが考えているようなものではありません 愛すべきうるわしい方を礼拝するという意味での交わりです ヨハネの黙示録 7 章からは小羊が七つの封印 ( 神の怒りの封印 ) を一つずつ解いていきます そこでは 教会時代 の後に来る七年間の 患難時代 の出来事が啓示されています この 患難時代 に起こる出来事については 別の時に改めて学びたいと思います 今回は ヨハネの黙示録 4~5 章に記されている 天上の礼拝 の様子のいくつかを覗いてみたいと思います 12

天に一つの開いた門 を御霊によって見たヨハネは その開かれた門を通って この後 必ず起こること を示されました ヨハネがそこで見たのは いまだかつてだれも見たことのない天にある礼拝の光景でした 新改訳 2017 ヨハネの黙示録 4 章 1~11 節 1 その後 私は見た すると見よ 開かれた門が天にあった そして ラッパのような音で私に語りかけるのが聞こえた あの最初の声が言った ここに上れ この後必ず起こることを あなたに示そう 2 たちまち私は御霊に捕らえられた すると見よ 天に御座があり その御座に着いている方がおられた 3 その方は碧玉や赤めのうのように見え 御座の周りには エメラルドのように見える虹があった 4 また 御座の周りには二十四の座があった これらの座には 白い衣をまとい 頭に金の冠をかぶった二十四人の長老たちが座っていた 5 御座からは稲妻がひらめき 声と雷鳴がとどろいていた 御座の前では 火のついた七つのともしびが燃えていた 神の七つの御霊である 6 御座の前は 水晶に似た ガラスの海のようであった そして 御座のあたり 御座の周りに 前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた 7 第一の生き物は獅子のようであり 第二の生き物は雄牛のようであり 第三の生き物は人間のような顔を持ち 第四の生き物は飛んでいる鷲のようであった 8 この四つの生き物には それぞれ六つの翼があり その周りと内側は目で満ちていた そして 昼も夜も休みなく言い続けていた 聖なる 聖なる 聖なる 主なる神 全能者 昔おられ 今もおられ やがて来られる方 9 また これらの生き物が栄光と誉れと感謝を 御座に着いて世々限りなく生きておられる方にささげるとき 10 二十四人の長老たちは 御座に着いておられる方の前にひれ伏して 世々限りなく生きておられる方を礼拝した また 自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った 11 主よ 私たちの神よ あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方 あなたが万物を創造されました みこころのゆえに それらは存在し また創造されたのです 御座 ということばはヨハネの黙示録の中では 40 回以上も使われています 御座 は御父が万物を支配し治められる玉座です ちなみに 黙示録では 御父 とか 御子 ということばは使われません 御座 に一番近い所には 四つの生き物 がおり 絶えず 聖なるかな 聖なるかな と賛美をささげています これら四つの生き物は 神を賛美するために 特別に造られた天上の被造物です その 四つの生き物 が御座に着いておられる方に賛美をささげるとき その外側にいる 二十四人の長老 たちが御前にひれ伏して礼拝します しかも特筆すべきことは 神から与えられた自分の 金の冠 を投げ出してまで 主よ 私たちの神よ あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方 と賛美礼拝しています この 二十四人の長老たち こそ 地上から贖われた人間 ( ユダヤ人と異邦人からなる教会 ) の代表と考えられます そして その外側 13

に 無数の御使いたち が御座を取り囲んで礼拝しています 黙示録 4 章には その方は碧玉や赤めのうのように見え 御座の周りには エメラルドのように見える虹があった と記しています (3 節 ) 碧玉は青 赤めのうは赤 エメラルドは緑です 神は光の中に住んでおられます 光の三原色 ( 青 赤 緑 ) が一つに集まる所は 白 です これが色であれば一つになる部分は黒ですが 光の場合は白です すなわち 神の本性は 白い光 で見えないのです 御座の中央は白い光で輝いているのです そこに神がおられます ベアハリート 私たちが知らなければならないことは 教会の時代はキリストの空中再臨と教会の携挙によって突然に終わりを告げるということです 患難時代の後に来るキリストの地上再臨の時には多くのしるしと前兆が伴います しかしキリストの空中再臨と教会の携挙前にはそのような前兆はありません 突然に来るのです ですから いつそれが起こってもいいような生き方をする必要があります 教会の携挙は患難時代が始まる前に起こります 信じがたいことですが このことをしっかり信じて生きることが大切です 携挙の後に来る患難時代の苦しみを知る時 携挙は私たちに大きな慰めと励ましを与えます 今は 恵みの時 救いの時 なのです ですから 私たちは 見えるものではなく 見えないものにこそ目を留めましょう 見えるものは一時的であり 見えないものはいつまでも続くからです (Ⅱコリント 4:18) 天からの住まいを着る (Ⅱコリント 5:4) ことを私たちの唯一の望みとして 内なる人 ( キリストによって新しくされた人 ) は 日々新たにされて歩みたいものです マラナ タ!! 14