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2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

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創世記5 創世記2章4節b~25

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

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2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

創世記5 創世記2章4節b~25

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

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(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

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このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

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Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

牧会の祈り

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の


牧会の祈り

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牧会の祈り

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

(3) まっすぐにしなさい 1 されば衰へたる手 弱りたる膝を強くし ( 文語訳 ) 2ギリシア語の アノルソオウ である 上げる まっすぐにする 強くする 3ルカ 13:13(18 年も病の霊につかれ 腰が曲がって 伸ばすことができない ) Luk 13:13 手を置かれると 女はたちどころに腰が

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6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

                 

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神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

いでしょう (1)2 重の質問 1 弟子たちは いくつかのたとえ話とその解き明かしを聞いてきた 2ここでイエスは 弟子たちに考えるチャンスを与えている 3 弟子たちは 奥義としての王国 の性質について考え始める (2) イエスのたとえ話は 弟子たちが想像したものとは大いに異なる 1 種のたとえでは

B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

裁きます けれども 実は自分たち自身も その基準には到達できていないのです これが偽善の始まりです 律法主義に陥ると 相手をこき下ろし けれども こき下ろしている基準に自分自身が満ちていないことが起こります 高らかに主張している人ほど 実はその教えを行なっていないという問題が起こるのです パウロは

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

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たと聞いて 一緒に集まった 22:35 そして彼らのうちの一人の律法の専門家がイエスを試そうと尋ねた 私が救われるためにどうしたらいいの 教えて -- そういう気持ちがなかったんです 22:36 先生 これも偽善的な態度でした 先生と言う時 結局教えてください どうしたらいいの 知らせて けれどそう

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

ヘブル人への手紙1章

はじめに ユダの手紙 中川健一 はじめに (1) 聖書フォーラム運動の広がり 1 聖書は霊感を受けて書かれた誤りなき 神のことば である 2ヘブル的聖書解釈 3 聖書研究から日本の霊的覚醒( 目覚め ) が 4 学びと行動の両輪が必要である (2) 異端について 1 英語で cult あるいは he

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一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

大阪インターナショナルチャーチ ダン・ペリー師 2015/8/9

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

神性と人性の"混ざり合い(mingling)"

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

4 伝承によれば 彼はクレテ島のゴルティナで監督となり 94 歳で召されたと言われています では 今日は発信人であるパウロと 受信人であるテトスから学びたいと思います 発信人であるパウロはどのような教訓を与えているか また受信人であるテトスがどういう信仰を送ったか大切なポイント 1. 発信人パウロ

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(2) ケンクレヤにある教会に属していた 1コリントの南東 11 キロのところにある港町 2コリントの東の港としての役割を果たした アジア方面の交易のための港 * 西の港は カイオン 両港の間の距離は 8 キロ 3パウロは 第 2 回伝道旅行でここを訪れている 4 誓願が成就したのを記念して そこで

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

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ヘブル人への手紙 11 章 1-16 節 信仰とは 1A 信仰のあかし 1-7 1B 信仰の説明 1-3 1C 望んでいることがらの実体 1 2C 称賛 2 3C 神の創造 3 2B 信仰の足跡 4-7 1C アベル - 良いささげ物 4 2C エノク - 神を喜ばす歩み 5-6 3C ノア - 神

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

全国担当者2009 プレゼン資料

カザフスタンにおける歴史的な宣教大会

Irenaeus Domitian Dionysius - 1 -

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

2008 年 7 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 6 創世記 6 創世記 2 章 4 節 b~25 エデンの園に置かれた人 イントロ : 1. 前回の復習 : ここまでで創造の 7 日間について学んだ (1) カオスからの創造であった (2) 神は 6

2012 年フルクテンバウム フルクテンバウム博士セミナー セミナー 聖書が教える死後の世界 個人的終末論 講師 アーノルド フルクテンバウム博士 通訳 中川健一

あなたへの 聖書メッセージ ヨハネの福音書 3 章 16 節 ヨハネの福音書 3 章 16 節 神は 実に そのひとり子をお与えになったほどに 世を愛された それは御子を信じる者が ひとりとして滅びることなく 永遠のいのちを持つためである この ヨハネ 3 章 16 節のみことばは 聖書 66 巻の

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

Transcription:

ヨハネの手紙第一序論 (1:1-4) 1 キリストのメッセージの本質 (1:5 2:2) はじめに 1. 手紙の著者 (1) 3 つのヨハネの手紙の中には 著者の名前は出てこない (2) 手紙の著者はイエスの目撃者であり (1:1) かつ権威を持って語っている ( 2:8) また 手紙は内容や文体がヨハネの福音書と非常に似ている そして 使徒ヨハネの孫弟子である紀元 2 世紀の神学者エイレナイオスは この手紙が使徒ヨハネによるものであると言っている ( エイレナイオス 異端反駁 3.1.1;3.16.5;3.16.8) (3) したがって 著者は使徒ヨハネだと言っていいだろう 2. 手紙の背景 (1) 書かれた時期は ( おそらく ) 紀元 70 90 年代のどこか (2) 伝承によれば エペソで書かれたと言われている (3) ヨハネは 誤った異端の教えによる分裂という問題の中にある信者たちを励ますために この手紙を書いたものと考えられる (2:18 22 参照 ) 3. 手紙のテーマ (1) ヨハネは 救いの確信を教えることによって信者たちを励まそうとしている (2) 救いの確信は 次の 3 つの検証 1 によって教えられている 1 神学的検証 : イエスを 神の子 であり 人となって来た キリストであると信じているかどうか 2 道徳的検証 : 神の命令を守り 義の道を歩んでいるかどうか 3 社会的検証 : 兄弟姉妹同士の交わりを持ち 互いに愛し合っているかどうか 4. 手紙を学ぶ意味 (1) これは イエスから使徒たちを通じて受け取った教えを確認させる手紙である (2) これは 兄弟姉妹同士の交わりの中から愛の実践が始まることを教えている手紙である 1 Robert Law, The Tests of Life: A Study of the First Epistle of St. John (Edinburgh: T. & T. Clark, 1909), pp. 5-6; ジョン R W ストット ティンデル聖書注解ヨハネの手紙 千田俊昭訳 ( いのちのことば社 2007 年 )59 60 頁 ;Ronald Sauer, 1 John, The Moody Bible Commentary, Michael Rydelnik and Michael Vanlaningham, eds. (Chicago, IL: Moody Publishers, 2014), pp. 1974-75. 1

序論 (1:1 4) 1:1 初めからあったもの 私たちが聞いたもの 目で見たもの じっと見 また手でさわったもの すな わち いのちのことばについて 1. 1:1-4 の主な意味は いのちのことばについて あなたがたにも伝えるのは あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです 私たちがこれらのことを書き送るのは 私たちの喜びが全きものとなるためです ということである 2. この手紙でヨハネが扱おうとしているテーマは いのちのことば である (1) ヨハネの福音書 1:1 初めに ことばがあった ことばは神とともにあった ことばは神であった と似ている (2) 福音書の ことば は イエス キリストのことである ( ヨハ 1:14 参照 ) (3) 手紙の いのちのことば の中には 次の 2 つの意味が含まれている イエスご自身 イエスのことば ( メッセージ )= 福音のメッセージ (4) このような言葉の捉え方は ユダヤ的な思考の特徴である ( 例 ) 神は厳しい方であり 慈しみ深い方である 3. 初めからあったもの (1) ヨハネの福音書 1:1 の 初めに ことばがあった は イエスが創造の御業の前からおられた神であることを教えている (2) ここでも ヨハネは いのちのことば が 初めからあった と教えている イエスは 創造の前からおられた方である 福音のメッセージは 創造の前からイエスが持っておられたメッセージである 4. 私たちが聞いたもの 目で見たもの じっと見 また手でさわったもの (1) 私たち とは ヨハネを含む使徒たちのことである (2) 聞いたもの じっと見 また手でさわったもの と 後になるにつれて具体的になっている (3) 特に最後の じっと見 また手でさわった が非常に具体的である じっと見 には 近くで見て じっと観察したという意味合いがある 手でさわった は 手に取って触れるという意味合いがある また イエスが同じギリシャ語の動詞を使い 復活された後もご自分が肉や骨を持っていることを示された ( ルカ 24:39) (4) 初めからおられ た神ご自身が 肉や骨を持つ人間となり 私たちの世に来られた 2

ヨハネはこのことを 具体的な表現を使ってヨハネの福音書 1:1 よりも強調している (5) また 異端の人々は キリストが人間でもあったということを否定していた それに対して ヨハネはキリストご自身を 聞き 見 じっと見 手でさわった 本人として 神が人として来られたという真理を強調しているのである 1:2 このいのちが現れ 私たちはそれを見たので そのあかしをし あなたがたにこの永遠のいのちを 伝えます すなわち 御父とともにあって 私たちに現された永遠のいのちです 1. ヨハネは このいのちが現れ たのを 見た (1) ここでの 見た で使われているギリシャ語の動詞は 1 節の ( 目で ) 見た で使われていたものと同じである (2) ヨハネはもう一度 自分たちが 人となって来られた子なる神 の目撃者であることを強調している 2. ユダヤ人である使徒たちは メシアが来ることを心から待ち望んでいた (1) 彼らにとって いのち であるメシアが実際に来たということは 衝撃的だった (2) また それを間近で目の当たりにできたということは さらに衝撃的だった (3) だからこそ ヨハネは いのち について証をし 伝えざるを得なかった 3. ヨハネは いのち について証をし 読者に 永遠のいのち を伝えようとしている 4. 永遠のいのち とは 御父とともにあって 私たちに現された永遠のいのち である (1) またしてもヨハネは 父なる神とともにおられた子なる神が 人となって現れたことを強調している (2) ここでの 永遠のいのち は イエスご自身を指している しかし ヨハネがここで伝える 永遠のいのち を信じて受け入れた者は 自ら 永遠のいのち を持つようになる (3) それは イエスご自身に いのち があるからである ( ヨハ 1:4 この方にいのちがあった このいのちは人の光であった ) (4) また 永遠のいのちとは 唯一まことの神である [ 御父 ] と [ 御父 ] の遣わされたイエス キリストとを知ること だからである ( ヨハ 17:3) 1:3 私たちの見たこと 聞いたことを あなたがたにも伝えるのは あなたがたも私たちと交わりを持つ ようになるためです 私たちの交わりとは 御父および御子イエス キリストとの交わりです 1. ヨハネが いのちのことば を伝える第 1 の目的は あなたがた [ 読者 ] も私たち [ 使 3

徒たち ] と交わりを持つようになるため である 2. 使徒たちの交わりは 御父および御子イエス キリストとの交わり である (1) イエスは父とひとつである ( ヨハ 14:8 9) (2) イエスと交わりを持っていた使徒たちは 御父とも交わりを持っていた 3. 信者もまた イエスと父とひとつである聖霊によって 御父および御子イエス キリストとの交わり に入れられる (1) クリスチャンは信じたことで聖霊をいただいている (I ヨハ 5:13;I コリ 12:13; エペ 1:13) (2) 私たちの内におられる聖霊と交わりを持つとき 三位一体の神との交わりに入れられる 4. 聖霊を持った兄弟姉妹同士の交わりもまた 御父および御子イエス キリストとの交わり である (1) 愛である神ご自身が内におられるから 信者は愛を知り 愛を実践することができる (I ヨハ 4:12 19) (2) 愛に根差したクリスチャン同士の交わり自体が 神との交わりにもなる 5. ヨハネが手紙を通して伝えている いのちのことば を受け取って信じることは 神の愛に根差した交わりをクリスチャンにもたらすはずである 1:4 私たちがこれらのことを書き送るのは 私たちの喜びが全きものとなるためです 1. ヨハネが いのちのことば を伝える第 2 の目的は 私たちの喜びが全きものとなるため である 2. 私たちの喜び について (1) New Revised Standard Version(NRSV) の注 他の古代の権威ある写本の中には あなたがたの と読むものがある (2) 3 節でヨハネが 私たち と あなたがた を比べていることから あなたがたの喜び の方が正しいのではないかと考える学者もいる (3) 私たちの喜び なら 読者が使徒たちと交わりを持ち 御父および御子イエス キリストとの交わりに入れられることで 使徒たちの喜びが 全きものとなる という意味になる (4) あなたがたの喜び なら 読者たちが交わりに入れられることで 読者たちの喜びが 全きものとなる という意味になる (5) New English Bible(NEB) の訳 4

私たちがこれを書くのは私たちみんなの喜びが全きものとなるためである 3. いのちのことば を受け取った信者同士が神の交わりに導かれるなら 使徒たちも含めて みんなの喜びが全きものとなる 4. クリスチャンが持つ喜びは 神の愛に根差した信者同士の交わりである 1 キリストのメッセージの本質 (1:5-2:2) 1. キリストのメッセージの要約 (1:5) 1:5 神は光であって 神のうちには暗いところが少しもない これが 私たちがキリストから聞いて あ なたがたに伝える知らせです 1. 使徒たちがキリストから聞いたメッセージの要約は 神は光であって 神のうちには暗いところが少しもない である (1) 神は光である 将来実現する新しい天と新しい地では 神ご自身が都を照らす光となられる ( 黙 21:23;22:25) (2) 神は光である は 神が聖い方だということである(I テモ 6:16) (3) 神は光である は 神が救いの希望の光だということである( 詩 27:1; ヨハ 1:9) (4) 神は光である は 神が信者を道徳的に導く光だということである( 詩 119:105) イエスご自身は 彼に従う者を世において義の道へ導き その道を照らす 光 である ( ヨハ 8:12;12:35) 2. 神はそのようなお方であるから 神の内には 暗いところ また 闇 ( 新共同訳 ) が全くない ( 神には罪が全くない と言い換えてもいいだろう ) 2. 闇の中を歩みつつ神との交わりを保つことはできない (1:6 7) 1:6 もし私たちが 神と交わりがあると言っていながら しかもやみの中を歩んでいるなら 私たちは偽りを言っているのであって 真理を行ってはいません 1:7 しかし もし神が光の中におられるように 私たちも光の中を歩んでいるなら 私たちは互いに交わりを保ち 御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます 1. 光 と やみ が比べられている (1) ヨハネの福音書 1:5 では 光 と やみ は対立している 5

(2) しかし やみはこれに打ち勝たなかった 2. 異端者は 神と交わりがあると言っていながら しかもやみの中を歩んでいる (1) ヨハネが手紙の中で もし ( 私たちが ) と言うなら と言っているときは 問題を起こしていた異端の教えを否定していることが多い 2 (2) この異端者たちは 兄弟愛を実践していなかった (2:4 9;4:20) 彼らは 光の中を歩んでいなかった 3. もし 暗いところが少しもない 神と交わりを持っているなら その歩みは闇の中を歩むことにはならないはずである 4. 光の中を歩んでいるなら 御父と御子イエス キリストとの交わり に根差した交わりを持ち続けるはずである (1) 光の中を歩む とは 使徒たちの教えに従い 義の道を照らす光に導かれて歩むことである (2) そうすれば 信者同士の愛の交わり また神との愛の交わりを持ち続けるはず 5. 光の中を歩んでいるなら 御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます (1) これは 光の中を歩み続けるなら 御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめ続けます という意味合いにもとれる (2) イエス キリストを信じた者たちは 既に 義と認められ 神との平和を持っている ( ロマ 5:8-10) (3) しかし アダムから受け継いだ罪の性質 ( ロマ 5:12) は残ったままである (4) だからこそ 私たちは 御子イエスの血 によってきよめられ続ける必要がある 6. 光の中を歩む ことと きよめられる ことのバランス (1) 御子イエスの血によってきよめられるためには 光の中を歩み続ける必要がある ( 信者になってからの罪の赦しについては 9 節で詳しく見る ) (2) しかし 私たちには罪の性質があるから 自力では光の中を歩むことができない (3) 私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ 生ける神に仕える者とする のは イエスの血である ( ヘブ 9:13-14) (4) 信者の歩みは 十字架に現れた神の愛と恵みによる (5) 光の中を歩む ことを強調しすぎると しなければならない という風にバランスを崩す ( 律法主義に陥る ) (6) しかし 光の中を歩む ことを軽んじると 罪を大目に見てしまう危険性がある 2 Glenn W. Barker, 1 John, Expositor s Bible Commentary, vol. 12, Frank E. Gaebelein, eds. (Grand Rapids, MI: Zondervan, 1981), p. 310; ストット ヨハネの手紙 46 47 頁 6

3. 罪の性質の否認は偽りである (1:8 9) 1:8 もし 罪はないと言うなら 私たちは自分を欺いており 真理は私たちのうちにありません 1:9 もし 私たちが自分の罪を言い表すなら 神は真実で正しい方ですから その罪を赦し すべての 悪から私たちをきよめてくださいます 1. 異端者たちは 罪はないと言う (1) おそらく 異端者たちは 自分たちは救われたのだから 罪の性質はなくなった と 考えていたのかもしれない もしくは 自分たちは選ばれていたのだから 罪の性 質は元々なかった と考えていたのかもしれない (2) しかし それは偽りである 2. 信者の中にも罪の性質が残っている (1) コリント教会の 救われていない者のように行動する信者 3 は 肉に属している 者と呼ばれている (I コリ 3:3) つまり 信者であっても罪を犯してしまう (2) 御言葉の光は たましいと霊 関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し 心のいろい ろな考えやはかりごとを判別する ( ヘブ 4:12) 御言葉の光は私たちの罪深さまでも 照らし出す (3) もし真理が内にあるなら 自分がいかに罪深い人間であるかを知るはずである 3. 神は 罪赦された後もなお罪を犯してしまう私たちを赦してくださる 4. 理由 1: 神は 真実 な方である (1) 真実で は 神が契約を忠実に守り 実行される方であるということを意味する (2) 神は 信者の罪が赦されることを約束しておられた ( エレ 31:34) 4 (3) 神は その約束を忠実に守り 実行される 5. 理由 2: 神は 正しい 方である (1) 正しい は 法を守る という意味である (2) 罪は 神の定め によれば 死罪に値する ( ロマ 1:32;6:23 も参照 ) 3 Michael G. Vanlaningham, 1 Corinthians, The Moody Bible Commentary, p. 1780. 4 エレ 31:34 は イスラエルとユダの家とに 結ばれる 新しい契約 ( エレ 31:31 34) の条項の一部である 新しい契約は本来神とイスラエル民族との間に結ばれたものである しかし 聖書はユダヤ人と異邦人から成る 新しいひとりの人 ( エペ 2:15) である教会もまた新しい契約と関係があることを教えている (I コリ 11:25;II コリ 3:6; ヘブ 8:6 13;9:15;10:15 18;12:24) キリストは ユダヤ人と異邦人の 両者を一つのからだとして 十字架によって神と和解させ られた ( エペ 2:16) そのことは 栽培種の枝 であるイスラエルが所有している オリーブの木 に 野生種の枝 である異邦人が接ぎ木されたというたとえでも表現されている ( ロマ 11:17 24) これらのことから キリストにある異邦人は 共同相続人 としてイスラエルのものである新しい契約の祝福に与っているのだと結論づけることができる ( ロマ 8:17;15:27) 7

(3) しかし 私たちの罪の身代わりとして 御子イエスの血 が流された イエスが神の怒りに対する なだめの供え物 としてご自分を捧げ (I ヨハ 2:2; ロマ 3:25) 血を流されたことにより 私たちの罪の代価が支払われた 5 (4) 十字架によって神の義が満たされたから 私たちの罪の赦しが与えられた 6. 信じた後に罪が赦されるためには 自分の罪を言い表す 必要がある (1) これは 自分の罪を言い表し続ける と読むこともできる (2) 言い表す は 罪について否定せず ( 神に ) 言われた通り事実を認めるという意味である (3) よって ここでの 自分の罪を言い表す とは 日常生活で犯す罪を ひとつひとつ具体的に告白 6 し それを神の御前で認めることである (4) また 罪によって誰かを傷つけた場合 その相手にも 罪を言い表 すべきだろう ( ヤコ 5:16) 神の御前で罪を認めて告白しておきながらも相手に対する告白がないのなら ヨハネが教えている兄弟愛の実践からはほど遠い 7. 罪は 暗いところが少しもない 神とは相容れないものである 私たちは罪を犯したとき それを神の御前で認める必要がある 8. 同時に この 9 節は 罪によって汚されてしまう神と私たちとの交わりを回復させる道を教えてくれている 4. 罪を犯したことがないという偽りの主張 (1:10) 1:10 もし 罪を犯してはいないと言うなら 私たちは神を偽り者とするのです 神のみことばは私たちの うちにありません 1. 今度は 異端者たちは 罪を犯したことがない ( 新共同訳 ) と言う (1) もし罪の性質があるならば 救われた後でも 罪を犯したことがない と言うことは 当然 自分を欺いている ことである (2) これは 神を 偽り者 とすることである この言葉は イエスが悪魔に対して使っている ( ヨハ 8:44) つまり 罪を犯したことがない と言うことは 神を悪魔のような 偽り者 にしてしまうことなのである 2. そのような主張をする者には 神のみことば は留まっていない 5 中川健一 ヨハネの手紙第一 救いの確信を得る喜び 2016 年聖書フォーラムキャンプ配布資料 ( ハーベスト タイム ミニストリーズ 2016 年 )5 頁 6 中川 ヨハネの手紙第一 5 頁 8

(1) イエスは 天の大祭司として 私たちのためにとりなして祈っていてくださる ( ヘブ 4:15; ロマ 8:33-34) イエスはそのために 多くの苦しみ を受けられた ( ヘブ 5:8-9) (2) この異端者のように偽ることは イエスの受けられた苦しみを否定することである (3) イエスの苦しみを否定することは そこまでして救いの道を与えようとされた神を 偽り者 にすることであり 神のみことば をないがしろにしている 5. 罪に対する正しい認識 (2:1 2) 2:1 私の子どもたち 私がこれらのことを書き送るのは あなたがたが罪を犯さないようになるためです もしだれかが罪を犯すことがあれば 私たちには 御父の前で弁護する方がいます 義なるイエス キリストです 2:2 この方こそ 私たちの罪のための 私たちの罪だけでなく 世全体のための なだめの供え物です 1. ヨハネは 私の子どもたち という親密な呼びかけを使って 罪に対する正しい認識を教えようとしている 2. ヨハネがこの手紙を書く第 3 の理由は あなたがたが罪を犯さないようになるため である (1) 信者は 光 である神を信じているのだから 光の中を歩 むべきである (2) そして 信者はイエス キリストを信じたことで 既に 罪と死の原理 から解放されている ( ロマ 8:1 2) (3) だから 本当ならば 神の子 である信者は罪とは関係ないはずだ (4) クリスチャンは 罪の性質が残っているから罪を犯す可能性がある ということと 神の子なのだから罪とは関係ないはずだ ということを 両方とも現実として受け止める必要がある 3. 信者が たとえ罪を犯しても ( 新共同訳 ) イエスが私たちを弁護してくださる (1) 私たちが罪を犯したとき サタンはその事実を使って神の御前で私たちのことを訴えている ( ヨブ 1:6 12;2:1 6; ゼカ 3:1; 黙 12:10) しかし そこから弁護してくださるのがイエスご自身である (2) イエスはあらゆる試みと苦難を通過され 神の義にとって十分な なだめの供え物 としてご自分を犠牲にされた (3) だからこそ 義なる御父のもとで私たちを弁護することができる 4. 私たちの罪のための 私たちの罪だけでなく 世全体のための なだめの供え物 9

(1) なだめ には 身代金の支払いによって神の怒りによる罰を避ける という意味合いがある (2) 旧約聖書では 人間の罪深さ 罪そのものの邪悪な性質が明らかにされている ローマ人への手紙 1 2 章でも パウロはそのことを強調して教えている (3) そのような邪悪なものである 罪 に対して神が 怒り を向けられるのは 神が完全にきよい方であり 義なるお方だからである (4) 神の怒り が向けられて当然である罪の性質を持っている私たちは 自分たちではこの性質をどうすることもできない だから 自らを なだめの供え物 として身代わりに犠牲を払ってくださる救い主が必要である (5) そして 御子イエスの血 によって 私たちは神の怒りから救われた ( ロマ 5:8) (6) 世全体のための とは 十字架によって全世界の罪が自動的に赦されたということではない 赦されるためにはイエスを信じる必要がある ( ヨハ 3:16) 人がイエスを認めず 受け入れないならば 自分のために なだめの供え物 が捧げられたことを拒否していることと同じである (7) 逆に言えば イエスを否定した 世 ( ヨハ 1:10) に属する者でさえ 誰に対しても なだめの供え物 によって神の怒りから救われる道が用意されている 事実 世 に属していた私たち自身が イエスを信じることによって救われた (8) これこそが 福音が 良い知らせ だということの理由である まとめ ヨハネは (1) 信者同士が愛に根差した交わりを持つようになるため (2) それによって喜びで満たされるようになるため そして (3) 信者が罪を犯さないようになるためにこの手紙を書いた 神は光であり 神の内には闇や罪は全くない 私たちは (1) 救われ (2) 光の中を歩めるようになり (3) 罪を犯してしまった後も赦しの道が与えられており (4) 弁護していただける それらの土台は全て イエス キリストの十字架である 神が光であるという福音のメッセージを学び 罪に対して理解を深めることで 私たちは 罪を犯さないようになる ことを目指す 10