会 長 挨 拶 宮 崎 県 スポーツ 学 会 二 代 目 会 長 帖 佐 悦 男 宮 崎 県 スポーツ 学 会 が 第 50 回 を 迎 えることができ 初 代 会 長 の 田 島 直 也 先 生 ならびに 会 員 の 先 生 をはじめ 本 学 会 に 携 わって 頂 いた 方 々に 深 謝 致 し

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定款  変更

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国立研究開発法人土木研究所の役職員の報酬・給与等について

18 国立高等専門学校機構

別記

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預 金 を 確 保 しつつ 資 金 調 達 手 段 も 確 保 する 収 益 性 を 示 す 指 標 として 営 業 利 益 率 を 採 用 し 営 業 利 益 率 の 目 安 となる 数 値 を 公 表 する 株 主 の 皆 様 への 還 元 については 持 続 的 な 成 長 による 配 当 可

16 日本学生支援機構

2 基 本 財 産 は 評 議 員 会 において 別 に 定 めるところにより この 法 人 の 目 的 を 達 成 するために 善 良 な 管 理 者 の 注 意 をもって 管 理 しなければならず 基 本 財 産 の 一 部 を 処 分 しようとするとき 及 び 基 本 財 産 から 除 外 し

平成25年度 独立行政法人日本学生支援機構の役職員の報酬・給与等について

別 紙 第 号 高 知 県 立 学 校 授 業 料 等 徴 収 条 例 の 一 部 を 改 正 する 条 例 議 案 高 知 県 立 学 校 授 業 料 等 徴 収 条 例 の 一 部 を 改 正 する 条 例 を 次 のように 定 める 平 成 26 年 2 月 日 提 出 高 知 県 知 事 尾

第 3 章 会 員 ( 会 員 の 資 格 ) 第 5 条 協 会 の 会 員 は 協 会 の 目 的 に 賛 同 して 入 会 した 次 の 各 号 に 掲 げる 者 とする (1) 軽 種 馬 を 生 産 する 者 (2) 軽 種 馬 を 育 成 する 者 (3) 馬 主 (4) 調 教 師 (

2 役 員 の 報 酬 等 の 支 給 状 況 平 成 27 年 度 年 間 報 酬 等 の 総 額 就 任 退 任 の 状 況 役 名 報 酬 ( 給 与 ) 賞 与 その 他 ( 内 容 ) 就 任 退 任 2,142 ( 地 域 手 当 ) 17,205 11,580 3,311 4 月 1

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34 県 立 鶴 岡 工 業 高 等 校 ( 全 日 制 ) 工 業 科 ( 機 械 科 電 気 電 子 科 情 報 通 信 科 建 築 科 環 境 化 科 ) 次 のいずれかに 該 当 する 1 文 化 的 活 動 や 体 育 的 活 動 において 地 区 大 会 を 経 て 県 大 会 に 出

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新 行 財 政 改 革 推 進 大 綱 実 施 計 画 個 票 取 組 施 策 国 や 研 究 機 関 への 派 遣 研 修 による 資 質 向 上 の 推 進 鳥 インフルエンザ 等 新 たな 感 染 症 等 に 対 する 検 査 技 術 の 習 得 など 職 員 の 専 門

公表表紙

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平 成 22 年 12 月 第 5 回 定 例 会 (11 月 26 日 招 集 ) 会 期 日 程 表

2. ど の 様 な 経 緯 で 発 覚 し た の か ま た 遡 っ た の を 昨 年 4 月 ま で と し た の は 何 故 か 明 ら か に す る こ と 回 答 3 月 17 日 に 実 施 し た ダ イ ヤ 改 正 で 静 岡 車 両 区 の 構 内 運 転 が 静 岡 運

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答申第585号

全設健発第     号

( 新 ) 医 療 提 供 の 機 能 分 化 に 向 けたICT 医 療 連 携 導 入 支 援 事 業 費 事 業 の 目 的 医 療 政 策 課 予 算 額 58,011 千 円 医 療 分 野 において あじさいネットを 活 用 したICT したICT 導 入 により により 医 療 機 能

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(5) 給 与 改 定 の 状 況 事 委 員 会 が 無 い た め 記 載 し て お り ま せ ん 1 月 例 給 事 委 員 会 の 勧 告 ( 参 考 ) 区 分 民 間 給 与 A 公 務 員 給 与 B 較 差 A - B 勧 告 ( 改 定 率 ) 給 与 改 定 率 国 の 改

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2 一 般 行 政 職 給 料 表 の 現 況 ( 平 成 22 1 号 給 の 給 料 月 額 137,9 188,9 226,7 266,4 294,3 最 高 号 給 の 給 料 月 額 247,9 314,9 362,8 399,9 415,1 ( 注 ) 給 料 月 額 は 給 与 抑 制

3 独 占 禁 止 法 違 反 事 件 の 概 要 (1) 価 格 カルテル 山 形 県 の 庄 内 地 区 に 所 在 する5 農 協 が, 特 定 主 食 用 米 の 販 売 手 数 料 について, 平 成 23 年 1 月 13 日 に 山 形 県 酒 田 市 所 在 の 全 国 農 業 協

(3) 職 員 の 初 任 給 の 状 況 ( 平 成 5 年 月 日 現 在 ) 決 定 初 任 給 採 用 年 経 過 後 給 料 月 額 大 学 卒 7, 8, 一 般 行 政 職 短 大 卒 9,8 6, 高 校 卒, 8,5 () 職 員 の 経 験 年 数 別 学 歴 別 平 均 給 料

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は 共 有 名 義 )で 所 有 権 保 存 登 記 又 は 所 有 権 移 転 登 記 を された も の で あ る こと (3) 居 室 便 所 台 所 及 び 風 呂 を 備 え 居 住 の ために 使 用 す る 部 分 の 延 べ 床 面 積 が 5 0 平 方 メ ー ト ル 以 上

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●幼児教育振興法案

技 能 労 務 職 公 務 員 民 間 参 考 区 分 平 均 年 齢 職 員 数 平 均 給 与 月 額 平 均 給 与 月 額 平 均 給 料 月 額 (A) ( 国 ベース) 平 均 年 齢 平 均 給 与 月 額 対 応 する 民 間 の 類 似 職 種 東 庄 町 51.3 歳 18 77

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別紙3

水 野 総 務 部 長 には これから 市 長 選 参 院 選 などで 選 挙 長 職 務 代 理 者 開 票 管 理 者 職 務 代 理 者 を 務 めていただくことになりますが これまでの 多 く 職 場 で 培 った 経 験 を 活 かし 選 挙 事 務 でもご 活 躍 いた だきますよう お

( 教 育 職 員 免 許 状 の 取 得 ) 第 9 条 教 育 職 員 免 許 状 ( 幼 稚 園 教 諭 二 種 免 許 状 )を 取 得 しようとする 者 は 教 育 職 員 免 許 法 に 基 づき 別 表 2に 掲 げる を 修 得 しなければならない 2 教 育 職 員 免 許 状 の

公 営 企 業 職 員 の 状 況 1 水 道 事 業 1 職 員 給 与 費 の 状 況 ア 決 算 区 分 総 費 用 純 利 益 職 員 給 与 費 総 費 用 に 占 める ( 参 考 ) 職 員 給 与 費 比 率 22 年 度 の 総 費 用 に 占 A B B/A める 職 員 給 与

毎 月 の 給 与 等 ( )を 一 定 の 等 級 区 分 にあてはめた 標 準 月 額 の 上 限 が 現 行 の47 等 級 から50 等 級 に 改 正 されます ( 別 紙 健 康 保 険 料 額 表 参 照 ) なお 法 改 正 に 伴 い 標 準 月 額 が 改 定 される 方 につい

(4) ラスパイレス 指 数 の 状 況 ( 各 年 4 月 1 日 現 在 ) ( 例 ) ( 例 ) 15 (H2) (H2) (H24) (H24) (H25.4.1) (H25.4.1) (H24) (H24)

2 一 般 行 政 職 給 料 表 の 状 況 ( 平 成 23 年 4 月 1 日 現 在 ) 1 号 給 の 給 料 月 額 最 高 号 給 の 給 料 月 額 1 級 2 級 3 級 4 級 5 級 ( 単 位 : ) 6 級 7 級 8 級 135, , ,900 2

2 積 極 的 な 接 種 勧 奨 の 差 し 控 え 国 は 平 成 25 年 4 月 から 定 期 接 種 化 したが ワクチン 接 種 との 関 連 を 否 定 できない 持 続 的 な 痛 みなどの 症 状 が 接 種 後 に 見 られたことから 平 成 25 年 6 月 定 期 接 種 と

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(2) 広 島 国 際 学 院 大 学 ( 以 下 大 学 という ) (3) 広 島 国 際 学 院 大 学 自 動 車 短 期 大 学 部 ( 以 下 短 大 という ) (4) 広 島 国 際 学 院 高 等 学 校 ( 以 下 高 校 という ) ( 学 納 金 の 種 類 ) 第 3 条

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Ⅰ 調 査 の 概 要 1 目 的 義 務 教 育 の 機 会 均 等 その 水 準 の 維 持 向 上 の 観 点 から 的 な 児 童 生 徒 の 学 力 や 学 習 状 況 を 把 握 分 析 し 教 育 施 策 の 成 果 課 題 を 検 証 し その 改 善 を 図 るもに 学 校 におけ

3. 選 任 固 定 資 産 評 価 員 は 固 定 資 産 の 評 価 に 関 する 知 識 及 び 経 験 を 有 する 者 のうちから 市 町 村 長 が 当 該 市 町 村 の 議 会 の 同 意 を 得 て 選 任 する 二 以 上 の 市 町 村 の 長 は 当 該 市 町 村 の 議

1.はじめに わが 国 での 急 速 な 少 子 化 の 進 行 等 を 踏 まえ 次 代 の 社 会 を 担 う 子 どもが 健 やかに 生 まれ 育 成 される 環 境 の 整 備 を 目 的 とした 次 世 代 育 成 支 援 対 策 推 進 法 が 平 成 15 年 7 月 に 制 定 され

4 松 山 市 暴 力 団 排 除 条 の 一 部 風 俗 営 業 等 の 規 制 及 び 業 務 の 適 正 化 等 に 関 する 法 律 等 の 改 正 に 伴 い, 公 共 工 事 から 排 除 する 対 象 者 の 拡 大 等 を 図 るものです 第 30 号 H H28.1

第 5 章 役 員 ( 役 員 ) 第 8 条 本 連 盟 に 次 の 役 員 をおく (1) 会 長 1 名 副 会 長 7 名 顧 問 若 干 名 (2) 理 事 20 名 理 事 のうちから 理 事 長 1 名 副 理 事 長 1 名 (3) 会 計 監 査 ( 理 事 )2 名 (4) 連

40 宮崎県

(4) 給 与 制 度 の 総 合 的 見 直 しの 実 施 状 況 について 概 要 国 の 給 与 制 度 の 総 合 的 見 直 しにおいては 俸 給 表 の 水 準 の 平 均 2の 引 下 げ 及 び 地 域 手 当 の 支 給 割 合 の 見 直 し 等 に 取 り 組 むとされている.

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(5) 給 与 改 定 の 状 況 事 委 員 会 の 設 置 なし 1 月 例 給 事 委 員 会 の 勧 告 民 間 給 与 公 務 員 給 与 較 差 勧 告 A B A-B ( 改 定 率 ) 給 与 改 定 率 ( 参 考 ) 国 の 改 定 率 24 年 度 円 円 円 円 ( ) 改

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定款

(5) 給 与 制 度 の 総 合 的 見 直 しの 実 施 状 況 概 要 国 の 給 与 制 度 の 総 合 的 見 直 しにおいては 俸 給 表 の 水 準 の 平 均 2の 引 下 げ 及 び 地 域 手 当 の 支 給 割 合 の 見 直 し 等 に 取 り 組 むとされている 総 合 的

( 補 助 金 等 交 付 決 定 通 知 に 加 える 条 件 ) 第 7 条 市 長 は 交 付 規 則 第 11 条 に 規 定 するところにより 補 助 金 の 交 付 決 定 に 際 し 次 に 掲 げる 条 件 を 付 するものとする (1) 事 業 完 了 後 に 消 費 税 及 び

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退職手当とは

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2 職 員 の 平 均 給 与 月 額 初 任 給 等 の 状 況 (1) 職 員 の 平 均 年 齢 平 均 給 料 月 額 及 び 平 均 給 与 月 額 の 状 況 ( 平 成 22 年 4 月 1 日 現 在 ) 1 一 般 行 政 職 平 均 年 齢 平 均 給 料 月 額 平 均 給 与

開 会 委 員 長 : これより 第 回 男 女 平 等 参 画 推 進 委 員 会 を 開 催 いたします 事 務 局 より 月 日 付 人 事 異 動 の 報 告 配 布 資 料 を 確 認 した 事 務 局 より 委 員 の 半 数 以 上 が 出 席 しているので 委 員 会 が 成 立 し

本 校 の 沿 革 昭 和 21 年 昭 和 49 年 昭 和 54 年 昭 和 60 年 平 成 9 年 平 成 11 年 平 成 18 年 北 海 道 庁 立 農 業 講 習 所 として 発 足 北 海 道 立 農 業 大 学 校 に 改 組 修 業 年 限 を1 年 制 から2 年 制 に 改

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決 勝 を 行 う 予 選 での6 種 目 の 各 種 目 ベスト4の 得 点 総 合 計 により 上 位 18 チームを 選 び そのチームによって 決 勝 を 行 う 成 績 順 位 は 決 勝 における6 種 目 の 各 種 目 ベスト4の 得 点 総 合 計 によって 決 定 する 女 子

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就 学 前 教 育 保 育 の 実 施 状 況 ( 平 成 23 年 度 ) 3 歳 以 上 児 の 多 く(4 歳 以 上 児 はほとんど)が 保 育 所 又 は 幼 稚 園 に 入 所 3 歳 未 満 児 (0~2 歳 児 )で 保 育 所 に 入 所 している 割 合 は 約 2 割 就 学

は 固 定 流 動 及 び 繰 延 に 区 分 することとし 減 価 償 却 を 行 うべき 固 定 の 取 得 又 は 改 良 に 充 てるための 補 助 金 等 の 交 付 を 受 けた 場 合 にお いては その 交 付 を 受 けた 金 額 に 相 当 する 額 を 長 期 前 受 金 とし

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平成16年年金制度改正 ~年金の昔・今・未来を考える~

Transcription:

会 長 挨 拶 宮 崎 県 スポーツ 学 会 二 代 目 会 長 帖 佐 悦 男 宮 崎 県 スポーツ 学 会 が 第 50 回 を 迎 えることができ 初 代 会 長 の 田 島 直 也 先 生 ならびに 会 員 の 先 生 をはじめ 本 学 会 に 携 わって 頂 いた 方 々に 深 謝 致 します 第 50 回 を 迎 えるに 当 たり 本 学 会 について 振 り 返 りたいと 思 います 1 設 立 日 昭 和 62 年 12 月 12 日 に 宮 崎 県 スポーツ 医 学 研 究 会 として 発 足 2 設 立 目 的 スポーツに 関 する 保 健 予 防 対 策 診 断 治 療 リハビリテーションなどの 確 立 を 目 指 し スポーツ 医 科 学 の 研 鑽 ならびに 会 員 相 互 の 交 流 を 図 る 3 実 施 方 法 ( 演 題 講 演 など) 年 2 回 開 催 し そのうちの1 回 は 会 員 からの 一 般 演 題 と 特 別 講 演 もう1 回 は 宮 崎 の 地 でスポーツ 医 科 学 に 携 わっている 方 々に 多 くの 知 識 を 学 んで 頂 くために3 題 の 特 別 講 演 という 形 式 で 実 施 され 今 日 まで 継 続 している 4 名 称 1) 宮 崎 県 スポーツ 医 学 研 究 会 : 第 1 回 ~ 第 36 回 2) 宮 崎 県 スポーツ 医 科 学 研 究 会 : 第 37 回 ~ 第 42 回 3) 宮 崎 県 スポーツ 学 会 : 第 43 回 ~ 現 在 初 期 は 医 師 を 中 心 としてスポーツ 医 学 に 関 し 上 記 の 目 的 を 達 成 するために 設 立 された 宮 崎 県 にもスポー ツ 医 科 学 に 興 味 のあるメディカルスタッフが 増 え スポーツ 医 科 学 研 究 会 となった その 後 学 生 を 含 めス ポーツに 興 味 のある 全 ての 方 々が 連 携 する(リエゾンスタッフ) 会 として 現 在 に 至 っている 5 会 長 事 務 局 担 当 ( 敬 称 略 ) 初 代 会 長 : 田 島 直 也 ( 第 1 回 ~ 第 32 回 ) 二 代 目 会 長 : 帖 佐 悦 男 ( 第 33 回 ~ 現 在 ) 事 務 局 担 当 : 平 川 俊 一 桑 原 茂 黒 木 俊 政 園 田 典 生 山 本 惠 太 郎 田 島 卓 也 1

6 世 話 人 設 立 時 : 整 形 外 科 医 ( 田 島 直 也 山 口 守 尾 田 博 獅 子 目 賢 一 郎 永 吉 洋 次 谷 脇 功 一 徳 久 俊 雄 丸 田 廣 ) の 先 生 で 開 始 された 第 6 回 ( 平 成 3 年 ): 本 大 会 から 内 科 外 科 体 育 系 の 先 生 が 世 話 人 に 参 加 され スポーツ 医 科 学 に 関 わる 先 生 方 の 参 加 が 活 性 化 された 第 20 回 ( 平 成 10 年 ) 第 34 回 ( 平 成 18 年 ): 産 婦 人 科 歯 科 口 腔 外 科 の 先 生 方 が 加 わった 第 39 回 ( 平 成 20 年 ): 本 会 から 指 導 者 トレーナー 栄 養 士 などが 参 加 し 学 生 を 含 めスポーツ 医 科 学 に 興 味 のある 宮 崎 県 の 方 々の 参 加 がはじまり より 活 性 化 され 現 在 に 至 っている 7 歩 み 第 1 回 ( 昭 和 62 年 12 月 12 日 ): 芝 山 秀 太 郎 先 生 スポーツにおける 運 動 生 理 学 の 役 割 の 特 別 公 演 のみ で 開 始 され それからは 表 のように 様 々な 分 野 のスポーツに 関 係 する 方 々の 講 演 を 宮 崎 の 地 で 拝 聴 することが でき 宮 崎 県 のスポーツ 医 科 学 の 進 歩 につながった 第 46 回 から 会 員 へのフィードバックも 兼 ねてミニレ クチャーの 導 入 が 開 始 され 今 後 もハンズオンセッションなど 会 員 中 心 の 学 会 になることを 期 待 している 2

8 参 加 者 の 推 移 参 加 人 数 は 年 々 増 加 傾 向 に 見 られる それはスポー ツに 関 する 方 々の 連 携 が 進 んでいる 成 果 であると 考 え る 今 後 より 多 くの 方 々に 参 加 していただき 宮 崎 県 のスポーツ 医 科 学 がより 一 層 発 展 していくことを 祈 念 する そしてこの 宮 崎 から 日 本 のみならず 世 界 で 活 躍 する 選 手 が 輩 出 されることを 期 待 したい 3

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世話人会 田島 直也 初代会長 による記念講演 14

これまでのあゆみ 帖佐 悦男 会長による講演 功労賞贈呈 田島 直也 初代会長へ贈呈 記念祝賀会の様子 山本 惠太郎先生 司会 記念祝賀会の様子 15

田島 直也 初代会長 による祝辞 宮崎大学 医学部長 迫田 隈男 先生 による乾杯 廣田 彰 名誉教授 による祝辞 宮崎県体育協会 会長 佐藤 勇夫 様 による祝辞 代読 安在 康喜 様 押川整形外科 押川 絋一郎 先生 による中締め 16

第 50 回宮崎県スポーツ学会記念大会 事務局 田島卓也 宮崎県スポーツ医学研究会は昭和 62 年 12 月 12 日に スポーツに関する保健予防対策 診 断 治療 リハビリテーションなどの確立を目指し スポーツ医科学の研鑽ならびに会員 相互の交流を図る という目的の元に設立され 第 1 回研究会が田島直也初代会長の元に 開催されました 本学会は年に2回の開催で 医師のみならず リハビリ関係者 歯科医 師 栄養士 運動指導者 教育者をはじめ多くの職種の参加者が各々の垣根を越えて色々 な交流を図れる場です 時には参加者が 150 名を超えることもあり 現在までののべ参加 人数は 3976 名に達します また 79 名もの講師の先生方に様々な分野からの特別講演を 賜ってまいりました 第 33 回研究会より 2 代目会長として帖佐悦男教授が就任され また 宮崎県スポーツ医 科学研究会 宮崎県スポーツ学会と名称を変更し平成 26 年 3 月 9 日に 記念すべき第 50 回の節目を迎えました 当日は晴天の日曜日の昼にもかかわらず 57 名も の参加者がありました 初代会長の田島直也名誉教授より 我国におけるスポーツ -歴史 と展望- という演題名で特別講演を賜りました スポーツの成り立ち 歴史から日本のス ポーツ界 そして宮崎県のスポーツ界の現状と今後の展望について詳細に述べていただき ました また 本学会の設立にご尽力を賜ったことに感謝の意を込めて 功労賞を贈呈さ せていただきました その後 帖佐悦男会長による本学会の 50 回のあゆみに関する講演に 続いて参加者全員での祝賀会を開催いたしました ここでも田島直也宮崎大学名誉教授 廣田彰宮崎大学名誉教授 佐藤勇夫宮崎県体育協会会長にご挨拶と祝辞をいただき 迫田 隅男医学部長のご発声の元 盛大に祝賀会が執り行われました 本学会は 50 回を数えまし たが 果たす役割と期待は大きなものがあり その任務を十分に果たせてはおりません 今後も様々な職種の会員の力を結集させて スポーツ選手の傷害予防そして競技力向上に むけて励みたいと思います 今後とも本学会に変わらぬご指導とご鞭撻のほど 何卒よろ しくお願い申し上げます 17

筋 トレとの 長 い 付 き 合 い 宮 崎 大 学 名 誉 教 授 廣 田 彰 私 は 現 在 71 歳 毎 日 継 続 しているものが 幾 つかあるが その 中 でも 特 に 興 味 を 持 ち 楽 しく 続 けているものがある それはバドミントン 競 技 に 打 ち 込 むことと 週 2~3 回 の 筋 トレである この2つは30 年 以 上 も 続 いている 特 に 筋 トレとの 付 き 合 いには 楽 しい 思 い 出 がある 旭 化 成 柔 道 部 との 付 き 合 い 1993 年 だったと 記 憶 している 宮 崎 県 体 育 協 会 に 設 置 されたスポーツ 医 科 学 委 員 会 ( 田 島 直 也 委 員 長 )の 委 員 を 務 めていた 時 に 同 じ 委 員 として 会 議 に 出 席 していた 大 迫 明 伸 氏 ( 当 時 旭 化 成 柔 道 部 コーチ)から 今 の 柔 道 選 手 は 怪 我 を 抱 えている 人 が 多 く いかに 怪 我 とうまく 付 き 合 っていくかが 課 題 である し かしながら やはり 怪 我 をしないようにすることが 大 切 であり そのために 良 い 方 法 はないだろうか? という 相 談 を 持 ちかけられた そこで 選 手 の 練 習 の 様 子 を 拝 見 させていただくと 練 習 前 に 始 めるのはテーピングからであり そ のテープの 使 用 量 は 半 端 なものではなく それも 自 己 流 の 巻 き 方 で 皺 だらけ であった それが 毎 日 のことであり テープ 代 はかなりの 金 額 になると 聞 かさ れた いろいろな 状 況 を 見 た 結 果 私 は まず 筋 トレを 導 入 してはいかがでし ょうか と 大 迫 コーチに 提 案 した 筋 トレによって 筋 力 をアップすれば 今 以 上 に 相 手 の 強 い 力 に 耐 えることができ 技 も 出 しやすくなるだろうし 強 靭 な 筋 はダメージを 受 けることも 少 なくなるであろうと 考 えたからである 当 時 の 道 場 には 筋 トレに 使 う 用 具 は 全 くなく 施 設 もなかった ソウルオリンピック 大 会 86Kg 級 の 銅 メダリストで 海 外 での 試 合 経 験 も 豊 富 な 大 迫 コーチは 外 国 人 選 手 のトレーニングの 様 子 をいろいろと 見 ており 以 前 から 筋 トレの 必 要 性 を 感 じていたと 言 われ 即 座 に 賛 成 をしてくれた さっそく 選 手 全 員 の 体 力 測 定 を 実 施 し また 延 岡 市 内 のジムを 借 り 切 って ベンチプレスやスクワット 等 の 各 種 目 の 最 大 筋 力 測 定 を 行 い それに 基 づいて 各 選 手 個 々のトレーニングメニューを 作 成 した と 当 時 に 筋 トレに 必 要 なバー ベルやダンベルさらにはベンチプレス 台 や 腰 ベルト 等 の 購 入 もしてもらい 道 場 の 隅 に 設 置 した 稽 古 の 合 間 に 選 手 に 筋 トレの 説 明 や 実 施 方 法 等 について 指 導 を 開 始 したがなかなか 集 中 したトレーニングにはならなかった それもその はず 今 まで 本 格 的 な 筋 トレの 経 験 が 少 ない 選 手 にとっては 稽 古 の 片 手 間 に 実 施 する 補 助 的 なものとの 認 識 しかなかったからである そこで 大 迫 コーチ に 週 3 日 は 稽 古 あとの3 日 は 筋 トレを 含 むトレーニング 1 日 は 休 養 日 18

との 提 案 をした 大 迫 コーチからその 事 を 聞 いた 選 手 たちからは 猛 反 対 を 受 け た 我 々は 畳 の 上 で 稽 古 をし そして 強 くなってきた 畳 の 上 での 稽 古 をしな いで トレーニングの 日 を3 日 も 設 けるなんてとんでもないことだ との 回 答 であった 私 から 怪 我 の 多 い 現 状 を 打 開 するためには 筋 トレが 必 要 であるこ と そして 集 中 的 に 実 施 することが 大 切 であること また 大 迫 コーチからは 崩 してポイントを 稼 ぐ 今 の 柔 道 に 対 応 するためには 特 に 上 半 身 の 筋 力 アップ が 必 要 であることや 外 国 人 選 手 の 筋 トレの 様 子 などを 選 手 に 伝 え 理 解 を 得 る ことに 努 力 した 選 手 は 半 信 半 疑 ながらもオリンピック 銅 メダリストの 説 得 に 負 け トレーニ ングを 週 3 日 (1 日 おき) 実 施 することを 承 諾 した 私 はトレーニングのある 日 は 延 岡 まで 毎 回 通 い 指 導 を 開 始 した 特 に 筋 トレに 関 しては 個 人 ノートを 作 成 し それに 書 かれているメニユーに 従 ってトレーニングを 行 い その 結 果 を 日 誌 として 記 録 してもらった トレーニングは 順 調 に 進 行 し 選 手 も 競 い 合 って トレーニングに 打 ち 込 むようになってきた やはり 日 本 のトップ 選 手 の 集 団 で ある 実 行 力 は 抜 群 であった この 頃 に 合 わせて 実 施 したのが 選 手 の 栄 養 管 理 であった 強 い 筋 づくりに 必 要 な 栄 養 は 欠 かすことができない そこで 既 婚 選 手 については 奥 様 に 独 身 者 については 寮 の 食 事 担 当 者 に 集 まってもらい 当 時 の 宮 崎 女 子 短 期 大 学 の 杉 田 仲 先 生 ( 故 人 )にお 願 いして 柔 道 選 手 の 栄 養 管 理 について 指 導 をしていただいた 筋 トレと 栄 養 管 理 の 効 果 は 次 第 に 現 れ 始 め 怪 我 をする 選 手 が 激 減 するとともに 大 会 での 成 績 が 上 昇 し 報 奨 金 獲 得 につ ながる 成 績 を 出 す 選 手 が 相 次 ぐようになってきた ( 当 時 はビッグ 大 会 で 優 勝 す ると 会 社 から 金 一 封 の 報 奨 金 が 与 えられた) 筋 トレの 効 果 は 予 想 以 上 であり 指 導 者 や 選 手 からは 感 謝 された その 後 古 い 木 造 の 道 場 から 新 築 の 鉄 筋 の 大 きな 道 場 に 変 わったが そこには 設 備 の 整 った 広 いトレーニング 場 が 併 設 され ていたことは 言 うまでもない 筋 トレは 怪 我 の 予 防 につながり パフォーマン スを 上 げる 効 果 がある ことを 確 信 した 出 来 事 であった 世 界 トップのバドミントン 選 手 との 付 き 合 い 1988 年 から95 年 まで バドミントン 日 本 リーグの 女 子 チームとして 活 動 したヤマハバドミントンチームにトレーニングコーチとして 招 聘 されていた 時 日 本 バドミントン 界 では 初 めての 中 国 女 子 選 手 2 名 が 入 部 してきた 錢 平 (1986,87 年 全 英 選 手 権 単 準 優 勝 者 )と 辜 家 明 (1988 年 全 英 選 手 権 単 優 者 )は 共 に 世 界 の 頂 点 を 経 験 した 選 手 である トレーニングコーチである 私 は 当 然 彼 女 たちの 指 導 を 任 された 訳 であるが 中 国 ではどのようなトレーニ ングを 行 っていたのか 分 からないので それを 知 ることから 始 めた 特 に 興 味 があったのは 筋 トレであり それを 中 国 では 行 っていたのか どんな 方 法 だっ 19

たのか であった 彼 女 たちと 付 き 合 うにつれて 次 第 にその 興 味 は 驚 きに 変 わ っていった それは 二 人 の 選 手 のバドミントン 競 技 とトレーニングに 関 する 知 識 の 深 さがかなりなものであり またその 実 践 方 法 がまさに 合 目 的 的 であっ たことである つまり バドミントン 競 技 ではどのような 動 作 が 多 く その 際 にはどの 部 位 の 筋 が 多 用 されるのか また 上 半 身 と 下 半 身 の 筋 の 使 い 方 とその 違 い さらにはそれらの 筋 をどのようにトレーニングするのか 等 について 指 導 者 並 みの 知 識 を 持 っていたのである 私 は 当 時 としてはあまり 強 調 されなか ったバドミントン 競 技 の 運 動 特 性 すなわち 間 欠 運 動 という 特 性 を 生 かしたス ピード スタミナ 向 上 のための 具 体 的 な 方 法 を 著 書 等 で 主 張 していたが 彼 女 たちはまさにピッタリのトレーニングを 実 践 していたのである 筋 トレでは 軽 い 負 荷 でのスピードをつけた 反 復 動 作 がほとんどであり バドミントン 的 な 動 作 を 入 れた 中 での 負 荷 のかけ 方 も 多 く 見 られた また スタミナ 向 上 のトレ ーニングでは コートの 中 でスピードのある 動 きでシャトルを 打 ちながら そ れを1 時 間 以 上 も 繰 り 返 しているのである その 間 の 休 みは シャトルが 床 に 落 ち それを 拾 い 上 げて 次 に 打 ち 出 すまでのわずかな 時 間 のみである まさに 長 時 間 の 間 欠 運 動 である 日 本 では 古 くから バドミントン 競 技 のスタミナ 向 上 の 方 法 はいわゆる 走 り 込 み が 中 心 であり 長 時 間 のランニングでスタミ ナが 向 上 されると 考 えられ ほとんどの 競 技 者 が 実 践 をしていた しかしなが ら 間 欠 運 動 という 特 性 のあるバドミントン 競 技 では 必 ずラリーとラリーの 間 にシャトルを 拾 って 次 にシャトルを 打 ち 出 すまでの 休 息 に 近 い 時 間 帯 が 存 在 し この 休 息 があるために 次 のラリーでハイスピードの 動 きを 生 み 出 すこ とができるのである これがバドミントン 競 技 の 運 動 特 性 である しかしなが ら 走 り 込 み では ハイスピードとは 程 遠 いスピードでランニングが 行 われ るわけであり 運 動 の 負 荷 もまったく 異 なるものである つまり バドミント ン 競 技 におけるスタミナ 向 上 の 方 法 として 走 り 込 み は 直 接 的 な 方 法 ではな いのである 同 じクラブの 日 本 選 手 が 練 習 の 最 後 にスタミナづくりとして4k m,5kmのランニングに 出 かける 時 には 中 国 選 手 の2 人 はさっさと 練 習 を 切 り 上 げ シャワー 室 に 向 かっている 姿 が 印 象 的 であった さすが 世 界 のト ップに 立 つ 選 手 の 競 技 に 関 する 知 識 の 深 さ 実 践 力 のすごさに 感 銘 を 受 けた 出 来 事 であった 私 の 筋 トレと 競 技 力 現 在 週 2~3 回 大 学 のジムで 筋 トレを 行 っている ほとんどがマシーン を 使 っての8 種 目 15 回 最 大 反 復 2~3セットがその 内 容 である 目 的 は 筋 力 づくりというよりも 趣 味 のバドミントン 競 技 に 役 立 つようにというのが 大 きい 20

バドミントン 競 技 に 打 ち 込 むようになったのは30 歳 半 ばからであり それま ではラグビー 競 技 に 青 春 を 賭 けていた しかし 体 力 的 に 無 理 な 時 期 が 来 たな と 感 じていた 時 に 出 会 ったのがバドミントン 競 技 である 羽 根 つきの 軽 いスポ ーツと 思 っていたバドミントン 競 技 であったが 慣 れるにつれてその 激 しさに 驚 くばかりであった 生 来 凝 り 性 の 私 は この 激 しさを 経 験 するうちにだんだ ん 楽 しくなり それに 合 うからだを 求 めるようになってきた また 試 合 をし て 負 けるたびに 勝 つためには 何 をすれば? と 考 えるようになってきた そして たどり 着 いた 結 論 は この 年 で 始 めた 競 技 だから 技 術 の 習 得 には 難 しい 面 がある 対 抗 できるのは 体 力 面 だけだ と 決 めつけ それからはバド ミントン 競 技 に 適 するからだづくりに 専 念 するようになった 旭 化 成 柔 道 部 の 選 手 やヤマハバドミントン 選 手 との 付 き 合 いから 経 験 した 筋 力 づくりや 体 力 づ くりを 生 かしてトレーニングに 専 念 した その 結 果 2005 年 の 第 2 回 世 界 シニア 選 手 権 大 会 ではシングルス 準 優 勝 2011 年 の 同 5 回 大 会 ではダブル ス 準 優 勝 また 国 内 の 全 日 本 シニア 選 手 権 大 会 ではここ 数 年 シングルス ダブ ルスに 優 勝 準 優 勝 を 獲 得 している 何 よりも 長 い 付 き 合 いの 筋 トレのお 蔭 で ある まだまだ 今 の 活 動 を 続 けたいと 思 っているし いろいろな 世 界 での 大 会 に 出 ると80 歳 以 上 の 選 手 も 多 く 出 場 しているので その 方 々を 目 標 に 頑 張 り たいと 思 っている 21

私 のスポーツ 経 験 とスポーツへの 関 わり 藤 元 総 合 病 院 整 形 外 科 園 田 典 生 整 形 外 科 医 として 診 療 を 行 い 今 年 で 26 年 目 となるが 専 門 医 取 得 後 は 主 にスポーツ 医 学 を 自 身 のテーマとしている それには 自 身 のこれまでのスポーツへの 関 わりが 大 きい 幼 少 時 には 巨 人 の 星 をテレビでみながら 小 学 校 3 年 時 からスポーツ 少 年 団 でソフト ボール( 当 時 は 佐 賀 県 に 住 んでおり 通 学 していた 小 学 校 では 野 球 ではなくソフトボール が 盛 んであった)を 始 め 5 年 生 の 夏 休 みの 県 大 会 はピッチャーで 出 場 し 優 勝 した 経 験 が ある 軟 式 野 球 を 始 めたのは 家 庭 の 事 情 で 5 年 生 2 学 期 から 現 在 住 んでいる 小 林 市 に 転 居 してからである 軟 式 野 球 ではキャッチャーのポジションとなったが 小 学 校 卒 業 ま ではスポーツは 野 球 一 筋 だった 中 学 になると 小 学 校 でお 世 話 になった 野 球 部 の 先 輩 たちがハンドボール 部 に 入 部 さ れており 先 輩 たちについていくようにして 入 学 早 々ハンドボール 部 に 入 部 した( 私 の 年 代 が 5 回 生 であった) ご 指 導 いただいたのは 現 在 県 ハンドボール 協 会 会 長 をされて いる 税 所 健 好 先 生 と 私 が 入 学 したときに 新 任 として 赴 任 された 米 倉 公 司 先 生 のお 二 人 でありいずれの 先 生 も 体 育 専 門 であったので 練 習 環 境 としては 恵 まれていた ハンドボ ールは 初 めて 行 う 競 技 であったが 思 い 切 り 走 り 込 み 思 い 切 り 投 げてゴールネットを 揺 らすのが 魅 力 であり 野 球 に 対 する 未 練 はなく 練 習 に 没 頭 できた 体 格 的 には 小 さいため にどうしたら 背 が 伸 びるのかと 真 剣 に 悩 んだ 時 期 でありまた より 速 く より 高 く 動 く にはどんなトレーニングをすべきかなど 中 学 生 なりに 考 えた 時 でもあった 現 在 ハン ドボールでケガをした 中 学 生 を 診 療 する 機 会 は 多 々あるが 私 自 身 は 大 きなケガ 故 障 は なく 過 ごすことができた 中 学 を 卒 業 するころに 恩 師 の 税 所 先 生 に 入 学 予 定 であった 小 林 高 校 にはハンドボー ル 部 がないから 入 学 したら 在 学 中 に 部 をつくれとの 指 令 を 仰 せつかり 入 学 早 々 人 数 を 集 めて 同 好 会 という 形 で 高 校 時 代 のクラブ 活 動 が 始 まった しかし もともと 駅 伝 バ スケットボールなど 県 内 でも 強 豪 なクラブがある 中 での 新 しく 立 ち 上 げたクラブなの で 周 囲 の 先 生 方 の 冷 ややかな 目 を 気 にしながらの 練 習 だった そして 3 年 になって 始 め て 同 好 会 のままの 形 で 高 校 総 体 に 出 場 させてもらった 1 回 戦 は 勝 てたが 2 回 戦 で 当 時 の 小 林 工 業 ( 現 在 秀 峰 高 校 )とあたり 中 学 で 同 じチームだった 同 級 生 たちと 試 合 するこ ととなり 負 けてしまった 記 憶 がある ちなみに 私 が 卒 業 してから 同 好 会 から 部 活 動 へ 昇 格 できたので 立 派 な 競 技 成 績 は 残 せなかったが 後 輩 にはそれなりの 道 をつくることが でき 満 足 している 大 学 は 宮 崎 医 科 大 学 に 進 学 したがハンドボール 部 が 学 内 になく 入 学 後 に 最 初 に 入 部 勧 誘 に 来 ていただいたサッカー 部 に 入 部 することにした 投 げる 蹴 るという 基 本 的 な 動 きは 真 逆 のような 競 技 であったがそれ 以 外 は 共 通 することが 多 く 特 に 走 るなどの 基 礎 体 力 については 少 々 自 信 があったので 新 鮮 な 気 持 ちで 練 習 に 参 加 した しかし 大 学 と 22

もなると 医 学 部 レベルでも 先 輩 方 はそれまでサッカー 競 技 を 続 けていた 方 が 多 くなか なか 技 術 的 に 回 りの 先 輩 方 と 同 じレベルには 引 退 するまで 到 達 できなかった また 大 学 になって 初 めて 練 習 を 休 まなければならないようなケガをした 足 関 節 外 側 靭 帯 損 傷 膝 内 側 側 副 靭 帯 損 傷 など 下 肢 の 外 傷 が 多 くそのたびに 整 形 外 科 を 受 診 し 現 在 の 医 局 の 先 輩 方 にお 世 話 になった そのおかげで 大 学 6 年 間 はサッカーを 続 けることができ こ のことが 医 者 として 整 形 外 科 ( 特 にスポーツによる 傷 害 の 診 療 )のみを 志 すきっかけと なった 卒 業 後 は 本 学 サッカー 部 出 身 の 初 めての 宮 崎 医 科 大 学 ( 現 宮 崎 大 学 医 学 部 ) 整 形 外 科 入 局 者 となった 当 時 は 助 教 授 であられた 田 島 直 也 先 生 が 整 形 外 科 分 野 でのスポーツ 医 学 に 関 して 日 本 のパイオニアの 一 人 であったことが 励 みとなり 専 門 医 取 得 後 は 学 内 に 在 籍 中 からスポーツ 医 学 を 中 心 に 診 療 することができた 現 在 の 勤 務 している 病 院 に 赴 任 して 10 年 が 経 過 した 赴 任 当 初 から 週 2 回 夕 方 にス ポーツ 外 来 を 行 い 主 として 市 内 近 辺 の 小 中 高 校 生 のスポーツ 傷 害 に 関 して 診 療 を 行 っている その 中 で 理 学 療 法 士 を 中 心 としたトレーナーの 存 在 が 大 きくスポーツ 診 療 に は 欠 かせない 学 生 の 中 では 将 来 スポーツトレーナーになりたいと 公 言 する 子 も 多 く 私 の 娘 もその 一 人 である 現 在 の 私 のスポーツへの 関 わりとしては 私 自 身 がスポーツを 行 うことよりも 小 学 中 学 高 校 とスポーツに 専 念 していた 頃 を 懐 かしく 思 いながら 高 校 2 年 生 の 長 男 と 小 学 5 年 生 の 次 男 ( 次 男 のチームの 監 督 は 私 の 同 級 生 である)のハンドボール 競 技 の 観 戦 とト レーナーと 一 緒 になってスポーツ 傷 害 の 診 療 を 行 うことである 23

宮 崎 県 スポーツ 学 会 50 回 を 記 念 して 宮 崎 江 南 病 院 整 形 外 科 山 本 惠 太 郎 宮 崎 県 スポーツ 学 会 が 50 回 と 歴 史 を 刻 み 関 係 各 位 に 感 謝 の 念 で 一 杯 です 昭 和 62 年 の 第 1 回 開 催 時 は 私 が 広 島 から 宮 崎 医 科 大 学 ( 現 宮 崎 大 学 医 学 部 ) に 入 学 した 翌 年 ということで 歴 史 を 感 じずにはいられません 私 が 会 長 を 歴 任 された 田 島 直 也 先 生 帖 佐 悦 男 先 生 の 元 スポーツ 整 形 外 科 を 研 鑚 した 関 係 で 事 務 局 担 当 を 第 31 回 (H16 年 秋 )~ 第 46 回 (H24 年 春 ) までの 8 年 間 16 回 にわたり 携 わらせて 頂 きました 整 形 外 科 分 野 だけでなく 内 科 脳 外 科 歯 科 などの 他 の 医 療 分 野 にとどまらず 運 動 科 学 トレーニン グ 学 栄 養 学 など 様 々なジャンルの 先 生 方 にお 会 いし 拝 聴 懇 談 させて 頂 い たことは 自 分 の 財 産 にもなっています その 間 名 称 を 変 えながら スポーツ に 関 わる 興 味 のある 医 療 関 係 者 スポーツ 指 導 者 の 先 生 方 にも 多 数 参 画 でき る 形 に 会 を 改 編 して 現 在 のように 広 く 門 徒 を 拡 げ 活 発 な 会 になってきたこ とを 喜 ばしく 思 いますし 実 際 に スポーツ 医 科 学 に 生 かされ ひいては 競 技 者 ( 国 体 成 績 なども 含 め)に 繋 がっていってもらえればと 願 うばかりです 私 の 生 まれは 広 島 です 今 でこそいろいろなスポーツが 取 り 上 げられていま すが やはり 昭 和 50 年 (1975 年 )のカープ 初 優 勝 を 間 近 に 見 た 世 代 ですので 野 球 は 大 好 きでした 小 学 校 の 低 学 年 で カープの 選 手 名 を 全 員 言 っては 自 慢 し ていたみたいです 中 学 入 学 時 は 野 球 部 に 体 験 入 部 したのですが 肘 の 故 障 な どもあり 断 念 していました(その 時 の 同 期 に 田 口 竜 二 くんがいました 彼 が 都 城 高 校 に 来 て 甲 子 園 に 出 て 桑 田 清 原 選 手 の PL 学 園 と 試 合 をし ドラフト 1 位 でプロ 入 団 となった 時 は 嬉 しかったです) 自 分 も 縁 があって 宮 崎 に 来 る ことになり 宮 崎 の 吸 い 込 まれるような 青 空 の 元 屋 外 かつ 団 体 競 技 で 好 きな スポーツをと サッカー 部 に 入 部 し 人 生 観 が 変 わりました 勝 敗 の 重 要 性 だ けでなく やり 遂 げるための 必 要 なこと アプローチ プロセス 達 成 感 当 然 うまくいかないことに 対 する 失 敗 や 挫 折 それらのリカバーなど 更 に 人 間 関 係 役 割 などいろいろなことを 経 験 し それらが 今 の 自 分 の 仕 事 に 繋 がって いますし 先 輩 後 輩 含 め 仲 間 たちとの 繋 がりも 大 切 な 財 産 になっています それもこれもスポーツが 繋 いでくれた 縁 だと 思 います 24

宮 崎 の 青 い 空 と 碧 い 海 美 しい 緑 に 美 味 しい 空 気 が 大 好 きです この 宮 崎 が スポーツランド 宮 崎 スポーツメディカルランド 宮 崎 ( 後 者 は 会 長 が 提 言 し ているので 拡 げてください)として 一 人 でも 多 くの 皆 様 が 健 全 に 身 体 を 動 か して 幸 せな 時 間 を 得 てもらえばと 思 います そのために このスポーツ 学 会 が 益 々 発 展 し 宮 崎 のスポーツ 文 化 に 貢 献 してくれることを 切 に 願 います 25