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目 次 序 章 1 第 1 章 プロ 野 球 史 の 概 観 とプロ 野 球 ファン 第 1 節 日 本 職 業 野 球 連 盟 設 立 前 のプロ 野 球 (~1935)) 5 第 2 節 日 本 職 業 野 球 連 盟 設 立 から 戦 後 までのプロ 野 球 (1936~1944) 7 第 3 節 戦 後 以 降 のプロ 野 球 (1945~) 9 第 2 章 < 戦 前 ~1970 年 代 後 半 >のプロ 野 球 とファン 以 前 の 女 性 たち 第 1 節 1980 年 までのプロ 野 球 と 女 性 (~1979) 11 第 1 節 第 1 項 戦 前 期 のプロ 野 球 と 女 性 ( 昭 和 初 期 ~1957) 第 1 節 第 2 項 戦 後 期 のプロ 野 球 と 女 性 (1958~1970 年 代 後 半 ) 第 3 章 <1980 年 代 ~1990 年 代 前 半 >プロ 野 球 界 における 女 性 誌 の 誕 生 第 1 節 プロ 野 球 選 手 のアイドル 化 現 象 の 始 まり 24 第 2 節 働 く 女 性 という 市 場 26 第 3 節 男 性 誌 と 女 性 誌 に 見 る ミーハー 女 性 たち 27 第 4 節 プロ 野 球 ai の 創 刊 とアイドル 選 手 ブーム 30 第 4 節 第 1 項 女 性 向 けプロ 野 球 情 報 誌 プロ 野 球 ai 創 刊 の 経 緯 第 4 節 第 2 項 プロ 野 球 界 に 誕 生 した 女 性 誌 第 5 節 女 性 から 見 たプロ 野 球 の 魅 力 (~1990 年 代 前 半 ) 37 第 5 節 第 1 項 女 性 ファンの 選 手 への 眼 差 し 第 6 節 世 間 の ミーハー イメージと ミーハー ファンの 実 態 43 第 4 章 <1990 年 代 後 半 ~> ミーハー から 関 係 性 に 萌 える 時 代 へ 第 1 節 マルチメディア 時 代 における 嗜 好 の 多 様 化 46 第 2 節 脱 アイドル 化 現 象 と 尊 敬 できる 人 格 者 の 時 代 48 第 3 節 球 団 の 女 性 取 り 込 み 戦 略 の 活 性 化 50 第 4 節 選 手 同 士 の 関 係 性 を 消 費 する 時 代 51 結 章 60 参 考 文 献 一 覧 62 2

序 章 < 問 題 の 所 在 > プロ 野 球 は 日 本 の 代 表 的 プロ スポーツとして 長 い 歴 史 を 持 っている 近 年 では 視 聴 率 の 低 迷 による 地 上 波 中 継 の 打 ち 切 りや 若 年 層 ファンの 伸 び 悩 み サッカー 人 気 の 台 頭 などによって いまや 国 民 的 娯 楽 とは 言 い 難 い 状 況 となってきた そんな 中 現 在 のプロ 野 球 人 気 を 支 えている 重 要 なファン 層 の 一 つとして 女 性 の 存 在 が 認 知 されるよう になった 従 来 男 性 の 領 域 とされていたプロ 野 球 の 世 界 に 女 性 ファンが 参 入 し ここ 20~30 年 ほどの 間 に もはや 無 視 できない 存 在 と 化 したのである 各 球 団 は 観 客 動 員 数 増 加 のために 女 性 向 けのマーケティング 戦 略 を 行 うようにもなってきている しかし プロ 野 球 史 のなかで 長 いあいだ 女 性 ファンは 決 して 重 要 な 存 在 ではなかった それが 今 日 で は スタジアムに 女 性 がつめかけることは 当 たり 前 となり 一 流 選 手 がアイドルのように 扱 われるようになり 女 性 向 けプロ 野 球 情 報 誌 が 創 刊 されるまでに 至 っている ほんらい 男 性 の 領 域 であったはずのプロ 野 球 に 女 性 たちはいかにして 参 入 し そこにどのような 位 置 を 築 いたのであろうか 女 性 たちにとって プロ 野 球 とはどのような 意 味 を 持 つので あろうか また それらはどのように 変 化 していったのだろうか < 先 行 研 究 の 検 討 > これまで プロ 野 球 に 関 する 著 作 や 記 事 は 数 多 く 出 されてきた 学 術 的 な 研 究 において も ファン 研 究 はスポーツ 社 会 学 を 中 心 に 行 われてきた スポーツファンを 研 究 対 象 とし ているものでは ジェンダーやメディアなどの 観 点 から 社 会 学 的 アプローチを 行 った 杉 本 (1997)や プロ 野 球 の 私 設 応 援 団 へのフィールドワーク 調 査 などを 主 とする 高 橋 (2011) サッカーファンを 対 象 にジェンダーやナショナリズムの 観 点 から 社 会 学 的 に 読 み 解 いて いる 有 元 小 笠 原 (2005)のものなどが 挙 げられる また 自 身 をプロ 野 球 ファンとして 位 置 づけた 橘 川 奈 良 (2009)や 永 井 橋 爪 (2010)は それぞれ 親 会 社 の 経 営 戦 略 南 海 ホークスの 球 団 史 球 場 史 という 観 点 からプロ 野 球 史 を 編 年 的 にまとめた しかし これらはいずれも 主 に 男 性 ファンを 対 象 としており スポーツファン 研 究 にお いて 女 性 に 注 目 したものはほとんど 見 当 たらない その 中 でも 田 中 (2012)はスポーツ 場 面 において 女 性 ファンが 常 に ミーハー として 表 象 されることについてジェンダー の 観 点 から 論 じているが 具 体 的 な 例 を 取 り 上 げて 実 証 的 に 研 究 したものではないため 女 性 ファンの 実 態 を 把 握 するものとしては 不 十 分 である また 女 性 ファン 研 究 という 意 味 では 辻 (2007)のジャニーズ 系 アイドルファン 研 究 や 東 の 宝 塚 やおい ファン 研 究 などが 参 考 になる 両 者 はいずれもポピュラー 文 化 における 女 性 ファン 研 究 として 位 置 づけることができるが 前 者 はあくまで 芸 能 界 の 男 性 アイドルを 扱 ったものであり 後 者 の 宝 塚 は 眼 差 す 対 象 が 女 性 であり やおい はそ 3

の 対 象 が 架 空 の 男 性 キャラクターとなっている 故 に ポピュラー 文 化 研 究 の 中 でも ス ポーツという 分 野 とりわけプロ 野 球 の 女 性 ファンについては その 量 的 な 広 がりにもか かわらずほとんど 注 目 されてこなかった スポーツ 研 究 における 女 性 ファンの 不 在 女 性 ファン 研 究 におけるスポーツの 不 在 こ の 両 方 の 観 点 から 本 論 文 ではプロ 野 球 における 女 性 ファンを 扱 っていくことにした 実 際 に 女 性 ファンがプロ 野 球 に 占 めた 位 置 や 意 味 について 編 年 的 に 跡 づけた 研 究 は ほ とんど 見 当 たらない 女 性 ファンの 存 在 そのものは 知 られていても それは いつの 時 代 にも 変 わらない ミーハー な 存 在 として ステロタイプ 的 に 位 置 づけられるのが 常 で あったように 思 われる しかし 以 下 に 論 じるように ひとくちに 女 性 ファンと 言 っても それぞれがプロ 野 球 を 観 に 行 く 動 機 やプロ 野 球 選 手 への 眼 差 し プロ 野 球 の 消 費 の 仕 方 な どは 時 代 によって 多 様 であったのである 今 日 においても 頻 繁 に 球 場 へ 直 接 足 を 運 ぶ ファンもいれば 雑 誌 やインターネットなどのメディア 上 で 情 報 収 集 を 行 ったり ファン 仲 間 や 選 手 とコミュニケーションを 取 る 者 もいる 本 研 究 では そのような 女 性 ファンた ちの 多 様 な 消 費 行 動 のありかたを 時 代 ごとに 眺 めながら 女 性 たちがプロ 野 球 の 応 援 のな かに 何 を 求 めたのかについて 考 察 していきたい また 1988( 昭 和 63) 年 に 創 刊 された 女 性 向 けプロ 野 球 情 報 誌 プロ 野 球 ai を 通 して 女 性 たちがプロ 野 球 選 手 に 何 を 求 めてい たのか プロ 野 球 を 通 して 何 を 消 費 していたのかということに 着 目 していく ファンの 視 点 からプロ 野 球 の 歴 史 を 書 く 試 みの 代 表 例 としては 橘 川 奈 良 (2007)に よるものが 挙 げられる そこでは プロ 野 球 の 歴 史 が 3 つに 区 分 されている すなわち 11936~57 年 の 国 民 的 スポーツへの 苦 闘 時 代 21958~80 年 の ON( 王 貞 治 と 長 嶋 茂 雄 ) の 時 代 31981~2008 年 の 挑 戦 と 危 機 の 交 錯 の 時 代 である 3つの 時 代 はまた ラジオの 時 代 テレビの 時 代 マルチメディアの 時 代 と 対 応 しているとされる しかし 橘 川 奈 良 のこの 区 分 は あくまで 男 性 ファンの 歴 史 である 本 論 文 では そのような 区 分 を 参 照 しながらも プロ 野 球 史 を 女 性 ファンを 中 心 に 検 討 した その 結 果 それは 1 戦 前 ( 昭 和 初 期 )~1970 年 代 後 半 21980 年 代 ~1990 年 代 前 半 31990 年 代 後 半 ~ 現 在 までの3つの 時 期 に 区 分 することができると 思 われた 1は 戦 前 のあまり 球 場 に 女 性 がいなかった 時 期 から テレビの 普 及 を 機 に 女 性 にもプロ 野 球 ファンが 現 れてくるまでの 過 程 の 時 期 であ る (この 時 期 は ON の 時 代 が 始 まる 1957( 昭 和 32) 1958( 昭 和 33) 年 を 境 にさら に 2 つに 分 けることができる )2は 若 い 女 性 ファンを 中 心 にプロ 野 球 界 で アイドル 選 手 ブーム が 巻 き 起 こる 時 期 である 3はインターネットが 登 場 したことでマルチメディ ア 化 が 進 み それと 同 時 に 女 性 ファンたちのプロ 野 球 選 手 に 対 しての 嗜 好 の 多 様 化 が 進 み 脱 アイドル 化 とでも 言 える 現 象 が 進 行 する 時 期 である そのなかでも 本 論 文 では 今 日 の 女 性 ファンの 位 置 を 決 定 的 にしたと 思 われる2のアイドル 選 手 ブームの 時 代 に 特 に 注 目 し たい < 本 研 究 の 対 象 > 4

本 論 文 の 研 究 対 象 は 戦 前 ( 昭 和 初 期 )から 現 在 にいたるまでのプロ 野 球 ファンの 女 性 である しかし そこにはプロ 野 球 自 体 に 興 味 がなくても 実 際 に 球 場 で 観 戦 していた 女 性 たちも 含 まれる そして 逆 に 球 場 へ 行 ったことがなくても プロ 野 球 関 連 の 商 品 やサ ービスを 消 費 したり メディアを 通 してプロ 野 球 に 関 連 した 情 報 を 消 費 する 女 性 たちも 含 む ただし 本 論 文 で 主 たる 対 象 となるのは その 中 でもプロ 野 球 を 積 極 的 に 消 費 する 若 い 女 性 たちである 特 に 1980 年 代 から 起 こったアイドル 選 手 ブームの 主 たる 消 費 者 として 位 置 づけられていた ミーハー な 女 性 たちに 注 目 し 彼 女 たちがプロ 野 球 に 何 を 求 めてい たのかについて 明 らかにしていきたい < 本 研 究 の 方 法 > 朝 日 新 聞 読 売 新 聞 毎 日 新 聞 各 紙 において 聞 蔵 Ⅱ ヨミダス 歴 史 館 毎 策 を 用 いて プロ 野 球 AND 女 性 ファン で 検 索 を 行 い 女 性 ファンについて 書 かれた 関 連 のある 記 事 を 取 り 上 げた ただし これは 東 京 版 大 阪 版 朝 刊 夕 刊 を 含 むものとす る また 1988( 昭 和 63) 年 に 創 刊 された 若 い 女 性 向 けプロ 野 球 情 報 誌 プロ 野 球 ai を 創 刊 号 から 2011( 平 成 23) 年 1 月 号 まで 通 読 し 当 時 のアイドル 選 手 ブームの 最 中 にあっ た 女 性 たちの 応 援 行 動 やファンとしての 実 態 をまとめた さらに プロ 野 球 ai を 通 して 女 性 たちがプロ 野 球 選 手 をどのように 眼 差 し 彼 らに 何 を 求 めていたのかについて 考 察 を 行 った ほかプロ 野 球 と 女 性 ファンに 関 する 一 般 大 衆 雑 誌 の 記 事 や 書 籍 等 を 参 考 にしてい る < 論 文 の 構 成 > 第 1 章 では 1936( 昭 和 11) 年 の 日 本 職 業 野 球 連 盟 設 立 以 前 から 現 在 までを 3 つの 区 分 に 分 け プロ 野 球 の 歴 史 を 概 観 した それぞれ1 日 本 職 業 野 球 連 盟 以 前 2 日 本 職 業 連 盟 設 立 以 降 から 戦 後 まで 3 戦 後 から 現 在 までとし 各 段 階 におけるプロ 野 球 イメージやプロ 野 球 をめぐる 状 況 プロ 野 球 ファンの 実 態 などを 明 らかにした 第 2 章 では 戦 前 ( 昭 和 初 期 )から 1970 年 代 後 半 までのプロ 野 球 ファンの 女 性 たちの 変 遷 をたどった 特 に 1958( 昭 和 33) 年 にアベックを 中 心 に 起 きたナイター ブームに 着 目 し テレビが 台 頭 してくる 戦 後 以 降 にプロ 野 球 が 女 性 たちにいかにして 受 け 入 れられてい ったのかを 明 らかにした また 当 時 なぜアベックを 中 心 にナイター ブーム 現 象 が 起 き たのか 当 時 の 社 会 背 景 も 絡 めながら 考 察 した 第 3 章 では 1980 年 代 から 1990 年 代 前 半 の 間 にプロ 野 球 界 に 巻 き 起 こったアイドル 選 手 ブームを 取 り 上 げ その 主 な 消 費 者 である 若 い 女 性 ファンたちの 実 態 を 雑 誌 プロ 野 球 ai を 基 に 明 らかにした 女 性 のプロ 野 球 の 見 方 や 楽 しみ 方 は 男 性 とは 異 なり ミーハー ー と 一 枚 岩 的 に 表 現 できるものでもなかった そして プロ 野 球 ai の 特 徴 を 眺 めなが ら 本 誌 が 女 性 たちにとってどのような 存 在 だったかを 明 らかにした 5

第 4 章 では 1990 年 代 後 半 以 降 の 女 性 ファンの 変 遷 をたどった インターネットの 台 頭 によるメディア 環 境 の 変 化 とともに 女 性 たちの 嗜 好 も 多 様 化 した そして 選 手 の 脱 ア イドル 化 とも 言 える 現 象 も 起 こっていた そこでは 1980 年 代 とは 異 なる 女 性 たちの 選 手 への 眼 差 しの 変 化 が 起 こっている それがどのような 変 化 であり その 変 化 が 現 代 社 会 に おいてどのような 意 味 を 持 っているのかを 考 察 した そして プロ 野 球 ai などの 雑 誌 を 通 して 女 性 たちはプロ 野 球 に 何 を 求 めていたのかを 考 察 した 6

第 1 章 プロ 野 球 史 の 概 観 とプロ 野 球 ファン 1. 日 本 職 業 野 球 連 盟 設 立 前 のプロ 野 球 (~1935) < 見 るスポーツ としてのプロ 野 球 > 明 治 以 来 日 本 の 野 球 は 学 生 文 化 の 中 で 育 まれていった それは 一 高 野 球 部 の 活 動 に 始 まり 全 国 中 等 学 校 優 勝 野 球 大 会 ( 現 在 の 夏 の 甲 子 園 )や 六 大 学 のリーグ 戦 の 隆 盛 に 繋 が っていった 当 初 は 一 部 の 学 生 たちによる するスポーツ であった 野 球 は とりわけ 明 治 後 期 から 大 正 期 に 入 ると 次 第 に 見 るスポーツ としての 側 面 を 大 きくしていった す なわち 1903( 明 治 36) 年 に 始 まった 早 慶 戦 や 1915( 大 正 4) 年 から 開 催 された 全 国 中 等 学 校 優 勝 野 球 大 会 が 人 気 を 博 していったのである しかし 菊 (1993)によれば 明 治 初 期 の 観 衆 は 野 球 に 限 らず 舶 来 のスポーツを 物 見 遊 山 の 一 手 段 として 意 味 づけており 競 技 それ 自 体 に 精 通 している 者 はほとんどいなかった 1 それでも 1925( 大 正 14) 年 にラ ジオ 放 送 が 開 始 され 1929( 昭 和 4) 年 には 早 慶 戦 で 天 覧 試 合 が 行 われたことで 東 京 六 大 学 は 全 盛 時 代 を 迎 えると 見 るスポーツ は 都 市 の 娯 楽 文 化 として 定 着 していった 2 初 期 のプロ 野 球 もそのようななかで 勃 興 したのであるが 当 初 その 人 気 は 決 して 芳 しい ものではなかった 東 田 によると 大 日 本 東 京 野 球 倶 楽 部 ( 巨 人 の 前 身 )が 産 声 を 上 げた のは 1934( 昭 和 9) 年 のことであったが それ 以 前 にもプロ 球 団 はあった 3 1920( 大 正 9) 年 には 日 本 運 動 協 会 が 1922( 大 正 11) 年 には 天 勝 野 球 団 といったプロ 野 球 チームが 存 在 していたのである しかし 当 時 の 野 球 界 の 中 心 は あくまでアマチュア= 学 生 野 球 であった 1920( 大 正 9) 年 は 六 大 学 リーグ 全 盛 期 であり 中 等 学 校 野 球 も 見 るスポーツ として 人 気 を 博 していた 日 本 運 動 協 会 設 立 時 のメンバーは 早 大 野 球 部 長 の 安 部 磯 雄 や 早 大 野 球 部 草 創 期 の 名 投 手 であり 日 本 初 の 本 格 的 な 運 動 雑 誌 運 動 界 を 創 刊 した 河 野 安 通 志 などをはじめとするエリートたちだったが 第 1 回 の 公 募 で 集 まった 七 十 数 名 の 中 には まだ 六 大 学 をはじめとする 大 学 OB や 退 役 選 手 などの 有 名 な 選 手 は 一 人 もいなかった さらに 1922( 大 正 11) 年 の 朝 鮮 満 州 遠 征 の 際 には プロ 野 球 がサーカ スや 失 業 者 の 集 まりのように 見 られては 相 成 らんというので 出 発 前 に 旅 行 中 の 服 務 規 律 なるものを 全 員 に 徹 底 させ 4 ていたとあるように 国 内 外 においてプロ 野 球 チー ムという 存 在 は 十 分 に 認 知 されていなかった < 注 と 参 考 文 献 第 1 章 第 1 節 > 7

2. 日 本 職 業 野 球 連 盟 設 立 から 戦 後 までのプロ 野 球 (1936~1944) < 職 業 野 球 への 偏 見 > 1936( 昭 和 11) 年 東 京 巨 人 大 阪 タイガース 名 古 屋 東 京 セネタース 阪 急 大 東 京 名 古 屋 金 鯱 の 7 球 団 によって 日 本 職 業 野 球 連 盟 が 創 設 された これが 我 が 国 初 の 本 格 的 なプロ 野 球 リーグであるが その 社 会 的 な 位 置 において 東 京 六 大 学 野 球 や 社 会 人 野 球 に 大 きく 劣 っていた このころ(1936 年 筆 者 注 ) 東 京 に 残 っていた 市 岡 ( 忠 男 筆 者 注 ) は 職 業 野 球 について 熱 弁 していた 見 世 物 商 売 人 などというレッテルをつけ 職 業 野 球 を 認 知 しない 者 もいたので 論 陣 をはらなくてはならなかった 1 日 本 職 業 野 球 連 盟 創 立 後 も プロ 野 球 は 国 民 的 娯 楽 とはほど 遠 い 存 在 だったのである しかし メディアの 発 展 がプロ 野 球 にとって 追 い 風 となる ベルリン オリンピックの 1936( 昭 和 11) 年 から 終 戦 前 年 の 1944( 昭 和 19) 年 の 間 ラジオは 急 速 に 一 般 家 庭 に 普 及 していった 1936( 昭 和 11) 年 に 21.4% 強 であったラジオ 放 送 受 信 契 約 の 普 及 率 は 1944 ( 昭 和 19) 年 には 50.4%を 占 めるにいたった また 1937( 昭 和 12) 年 に 行 われた 番 組 種 目 嗜 好 および 聴 取 状 況 の 調 査 よれば 9 つあるスポーツ 種 目 の 中 では 全 国 平 均 63.6% で 野 球 が 第 1 位 となっている スポーツ 種 目 以 外 の 娯 楽 番 組 でも 全 国 平 均 が 60%を 超 えて いるものは 50 項 目 中 15 ほどしかないことを 考 えると ラジオ 放 送 において 野 球 は 人 気 種 目 の 1 つだったことがわかる これにはプロ 野 球 以 外 の 野 球 大 会 も 含 まれるが ラジオ 放 送 はプロ 野 球 が 広 く 世 間 に 受 け 入 れられていく 上 で 大 きな 貢 献 を 果 たしたことは 確 かだと 言 える すでに 1939( 昭 和 14) 年 には 後 楽 園 球 場 がはじめて 満 員 を 記 録 していたが 戦 前 観 衆 が 一 番 多 かったのは 昭 和 十 五 年 (1940 年 ) 2 であった この 年 は 満 州 リーグ の 盛 況 も あって 年 間 の 観 客 動 員 は 80 万 人 台 に 上 った 3 戦 前 で 年 間 観 客 動 員 数 を 確 認 できる 最 後 の 年 となる 1943( 昭 和 18) 年 でもその 数 字 は 79 万 人 であった それでは この 時 代 に 実 際 に 球 場 へ 足 を 運 んでいたのはどのような 人 たちだったのだろ うか プロ 野 球 に 集 まる 観 客 たちは 学 生 野 球 のそれとはやや 異 なる 人 びとであったらし い たとえば 巨 人 対 阪 神 戦 における 観 衆 は 満 員 札 止 めのあとの 塀 を 破 って 入 ろうとす るものなどザラで 係 員 が 自 分 の 帽 子 を 脱 いで 財 布 代 りにし 不 法 入 場 者 をみつけ 次 第 そ の 場 で 五 十 銭 の 入 場 料 を 徴 収 してあるいたこともあ り 入 ろうとしてムリをして 切 傷 を こしらえたり 生 爪 をはがす 者 さえあったほど であった 4 選 手 も 当 時 人 気 の 六 大 学 野 球 に 対 して 職 業 野 球 と 蔑 視 され 5 ていた 永 井 (1997) によれば 初 期 のプロ 選 手 は アマの 選 手 から 商 売 人 と 罵 声 を 浴 びせられた それは 武 士 の 道 にも 通 じる 精 神 野 球 を 金 儲 けの 手 段 にするなどもってのほか との 考 えによっ ていたらしい 6 今 日 の プロ 野 球 という 言 葉 から 想 起 されるイメージとは 違 って 職 業 野 球 という 言 葉 には 早 慶 戦 や 甲 子 園 の 中 等 野 球 とは 異 なる アウトサイダー 的 な 響 き があったのである 7 8

昭 和 初 期 において プロ 野 球 観 戦 はとりわけ 女 性 にとっては 白 眼 視 されかねないもので あった プロ 野 球 愛 好 家 として 知 られる 作 家 の 山 口 瞳 (1926 1995)は 少 年 時 代 を 次 の ように 回 想 している 野 球 選 手 は 本 来 不 良 なんです 昔 映 画 監 督 や 役 者 もそうでした 球 場 へ 足 を 運 ぶ 方 も 活 動 写 真 の 小 屋 へ 行 くのと 同 じで ほめられることではなかった 勝 負 ごと ギャンブルの 延 長 線 上 みたいなもの でね スタンドは 遊 び 人 が 多 かった 銀 行 員 や 国 鉄 の 人 などマージャンもやれぬ 時 代 ですからね それが いつの 間 にか 選 手 は 球 界 の 紳 士 なんて 言 われるようになっちゃった( 笑 ) 六 大 学 野 球 とは 異 なり プロを 見 に 行 く 子 供 は 不 良 と 考 えられたのだった 山 口 は 次 のように 続 ける 子 供 のころ 一 人 で 行 けるのは 六 大 学 野 球 の 神 宮 で プロを 見 に 行 くと 不 良 といわれた ギザイチ と 呼 ばれた 五 十 銭 一 つもらっていったものです 市 電 が 往 復 十 四 銭 カレーライス 十 五 銭 入 場 料 が 十 銭 だったかなあ 8 この 記 事 が 毎 日 新 聞 に 掲 載 された 1986( 昭 和 61) 年 には 選 手 は 球 界 の 紳 士 と 呼 ばれるようになっていたが 山 口 の 少 年 時 代 である 昭 和 初 期 には プロ 野 球 選 手 は 映 画 監 督 や 役 者 と 同 じく 本 来 不 良 であり ギャンブルの 延 長 線 上 で 遊 び 人 が 集 まる ほめられることではな い 場 所 だったのだった < 注 と 参 考 文 献 第 1 章 第 2 節 > 9

1950 1951 1952 1953 1954 1955 1956 1957 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 観 客 動 員 数 3. 戦 後 以 降 のプロ 野 球 (1945~) 1946( 昭 和 21) 年 野 球 専 門 誌 ベースボール マガジン が 創 刊 された その 巻 頭 言 で 同 誌 はすでに 日 本 で 一 番 広 く 国 民 の 間 に 普 及 したスポーツ それは 野 球 である と している 1962( 昭 和 37) 年 頃 まではセ リーグ パ リーグともに 観 客 動 員 数 は 右 肩 上 がりで 増 加 し セ リーグは 巨 人 戦 のテレビ 中 継 に 牽 引 されながら 1993( 平 成 5) 年 に 頭 打 ちになるまでその 数 は 増 加 の 一 途 をたどっている 1 森 永 は プロ 野 球 の 観 戦 料 の 推 移 を 次 のようにまとめている 野 球 自 体 は 学 生 野 球 を 通 じて 当 時 すでに 一 般 市 民 の 娯 楽 として 広 く 愛 されていたが 当 初 はプロ 野 球 の 人 気 はいまひとつで 観 客 もさほど 多 くなかった 昭 和 11 年 開 幕 時 の 入 場 料 金 は 春 が 50 銭 夏 が 1 円 であった その 頃 米 10kg が 約 2 円 50 銭 東 京 浅 草 の 映 画 館 が 20 銭 喫 茶 店 のコーヒーが 15 銭 だったことを 考 えると 価 格 的 には 比 較 的 庶 民 でも 楽 しみやすかったと 言 えるのではないだろうか( 中 略 ) 巨 人 が V9 を 達 成 した 昭 和 48 年 (1973) 以 降 から 増 加 傾 向 に 転 じる この 動 きを 追 いかけるかのように プロ 野 球 観 戦 料 も その 1 年 後 の 昭 和 49 年 から 年 々 上 昇 していく( 中 略 )プロ 野 球 観 戦 料 が 1970 年 後 半 から 1990 年 代 前 半 まで 毎 年 のように 料 金 を 引 き 上 げることができたのは No.1 プロスポーツとしての 安 定 した 人 気 があったためであろう 2 観 客 動 員 数 や 観 戦 料 の 推 移 から 見 ても 1970 年 代 後 半 から 1990 年 代 前 半 までの 間 は プロ 野 球 は 国 内 で 安 定 的 な 人 気 を 保 っていたことがわかる 図 1 プロ 野 球 観 客 動 員 数 推 移 グラフ(1950 2010) 16000000 プロ 野 球 観 客 動 員 数 推 移 (1950-2010) 14000000 12000000 10000000 8000000 6000000 パシフィック セントラル 4000000 2000000 0 2005 年 から 実 数 でカウント (しかし これは 主 催 者 発 表 であり 実 際 の 入 場 者 数 ではなくチケット 発 券 枚 数 でカウントされている ) (2012 年 12 月 日 本 プロ 野 球 史 探 訪 倶 楽 部 HP<http://www.d7.dion.ne.jp/~xmot/>より 村 上 作 成 ) 10

すでに 述 べたとおり 戦 前 から 終 戦 直 後 にかけて プロ 野 球 は 甲 子 園 の 高 校 野 球 や 神 宮 の 六 大 学 後 楽 園 の 都 市 対 抗 などのアマチュア 野 球 におされていた しかし 1958( 昭 和 33) 年 には 長 嶋 茂 雄 が 翌 59( 昭 和 34) 年 には 王 貞 治 がデビューし 65( 昭 和 40) 年 か ら 1973( 昭 和 48) 年 にかけては 巨 人 の V9 時 代 が 訪 れる 特 に 1970 年 代 から 1980 年 代 は 巨 人 を 中 心 とするセ リーグが 観 客 動 員 数 を 大 きく 伸 ばし パ リーグを 引 き 離 してい った しかし パ リーグでは 1980 年 代 後 半 から 1990 年 代 にかけての 西 武 黄 金 時 代 が 到 来 し パ リーグの 観 客 動 員 数 が 急 激 に 増 加 していった 従 来 の 巨 人 人 気 に 支 えられてい たプロ 野 球 界 が 変 化 していった 時 期 である それ 以 降 もセ リーグは 1993( 平 成 5) 年 頃 まで パ リーグは 2005( 平 成 17) 年 頃 まで 右 肩 上 がりで 動 員 数 を 増 やしていき 国 民 的 スポーツ としての 地 位 を 築 いていた それでは 女 性 ファンたちはいつからどのようにしてプロ 野 球 の 世 界 に 進 出 していった のだろうか < 注 と 参 考 文 献 第 1 章 第 3 節 > 11

第 2 章 < 戦 前 ~1970 年 代 後 半 >のプロ 野 球 とファン 以 前 の 女 性 たち 1.1980 年 までのプロ 野 球 と 女 性 (~1979) 1-1. 戦 前 期 のプロ 野 球 と 女 性 ( 昭 和 初 期 ~1957) 戦 前 プロ 野 球 を 見 に 球 場 へ 足 を 運 ぶ 女 性 は 多 くはなかった 菊 によればすでに 昭 和 初 期 の 雑 誌 のなかには 女 性 ファンを 特 集 した 記 事 が 見 られるようになっていたが このほと んどは 六 大 学 野 球 に 関 するものである たとえば 雑 誌 ベースボール は 1934( 昭 和 9) 年 に 六 大 学 野 球 のファンを 集 めた 六 大 學 女 性 ファン 座 談 會 を 掲 載 したほか 1935( 昭 和 10) 年 には スタンドに 來 る 女 と 題 する 特 集 を 4 号 連 続 で 掲 載 し 野 球 を 見 にくる 女 性 たちの 多 種 多 様 な 諸 相 を 描 いた これらは 1936( 昭 和 11) 年 以 前 の 記 事 なので 当 然 プロ 野 球 場 ではなく 六 大 学 野 球 の 試 合 を 観 戦 に 来 た 女 性 たちというわけだ 第 3 巻 4 月 号 の スタンドに 來 る 女 1 では かの 女 達 は まだ 十 七 八 ででもあらうか 秋 にふさは しいドレスを 着 て 入 って 來 る 人 達 を 巧 みにさけながら 輕 快 な 足 どりで スタンドをと んとんと 降 りてゆくのであつた とあり 人 気 の 高 かった 六 大 学 野 球 では 十 代 の 女 性 たち の 姿 も 散 見 できた しかし これがプロ 野 球 となると その 様 相 は 全 く 異 なる まず プ ロ 野 球 についての 女 性 たちの 言 及 が 見 られるものとして 37( 昭 和 12) 年 に 野 球 ファン に 掲 載 された お 嬢 さん 野 球 座 談 会 2 が 挙 げられる そこでは 職 業 って 言 葉 何 かいやね 職 業 團 には 巧 い 選 手 がゐるわね といった 言 葉 が 語 られた 六 大 学 野 球 に 比 べてプロ 野 球 に 否 定 的 であったり ここで 登 場 する 女 性 たちが 野 球 自 体 に 精 通 していたことなどがわ かる そして 実 際 に 戦 前 のプロ 野 球 場 に 女 性 ファンは 数 えるほどしか 見 当 たらなかったこと は 様 々な 文 献 の 中 で 言 及 されているし 洲 崎 球 場 には 場 所 柄 玄 人 筋 の 女 性 の 顔 がみえた 3また 馬 立 (1961)には 昭 和 十 二 年 に 洲 崎 で 婦 人 デーを 催 した その 日 までに 風 呂 屋 やバスの 車 中 で 同 伴 婦 人 は 無 料 と 宣 伝 したが 当 日 になってみるとなかなか 婦 人 が 現 れない やっと 一 人 やってきたと 思 ったら 料 金 を 払 おうとしている 係 員 が 急 いで きょ うはご 婦 人 方 は 無 料 ですから というと その 人 は 女 だからタダなんて 失 礼 な と 怒 り 出 し 結 局 正 規 の 料 金 を 払 って 入 場 したというのである 4 という 逸 話 が 紹 介 されている 入 場 料 が 無 料 だとしても 女 性 はなかなか 現 れなかったようだ すでに 述 べたとおり 山 口 瞳 の 少 年 時 代 である 昭 和 初 期 には プロ 野 球 の 球 場 は 遊 び 人 が 集 まる ほめられることではない 場 所 だった 野 球 場 に 足 を 運 ぶ 女 性 の 多 くは 玄 人 筋 バー キャバレー 芸 能 関 係 などの 人 びとであった 一 般 の 女 性 たちにとって プ ロ 野 球 の 球 場 に 足 を 運 ぶことなどは 考 えられないことだったのである < 注 と 参 考 文 献 第 2 章 第 1 節 第 1 項 > 12

1-2. 戦 後 期 のプロ 野 球 と 女 性 (1945~1970 年 代 後 半 ) <アベックとナイター ブーム> プロ 野 球 初 のナイターは 1948( 昭 和 23) 年 8 月 17 日 の 巨 人 対 中 日 戦 で 横 浜 ゲーリッ ク 球 場 ( 横 浜 スタジアム)にて 行 われたが 長 嶋 王 がプロ 入 りする 1950 年 代 後 半 頃 から 若 いアベックを 中 心 に ナイター ブーム が 起 こる これは 後 述 するように それ 以 前 には 見 られなかった 特 筆 すべき 光 景 である 当 時 観 客 席 にいた 女 性 たちにとっては プロ 野 球 それ 自 体 を 見 ることよりも 真 夏 の 夜 に 恋 人 との 雰 囲 気 を 楽 しむことのほうが 大 事 で あった それは 目 当 ての 選 手 に 会 うために 自 発 的 に 球 場 へ 出 かける 1980 年 代 頃 のアイドル 選 手 ブームの 時 代 の 女 性 たちの 態 度 とは 明 確 に 異 なっている 実 は この 頃 にも 若 手 選 手 目 当 てに 出 待 ちなどを 行 う 女 性 たちが ミーハー 族 として 紹 介 されているが そのよう な 女 性 はまだ 多 数 派 ではなく むしろその 目 新 しさからプロ 野 球 ファンの 新 しい 事 例 とし て 紹 介 されていた 当 時 のナイター ブームについて 記 されたものはほとんどない そこ で ここではナイター ブームについての 詳 述 が 唯 一 確 認 できた 1958( 昭 和 33) 年 の 週 刊 サンケイ ( 産 業 経 済 新 聞 社 1952 年 創 刊 )の ナイターの 中 の 青 春 という 記 事 を 取 り 上 げる ここでは プロ 野 球 のナイターが 若 い 女 性 たちの 青 春 の 社 交 場 として 人 気 を 集 めていたことが 紹 介 されている 1 同 年 に 川 崎 球 場 で 行 われた 大 洋 対 巨 人 戦 において 川 崎 球 場 はじまって 依 頼 の 珍 事 と して 試 合 開 始 1 時 間 前 に 満 員 木 戸 止 め になる 事 態 が 起 こった あわてた 球 場 側 は 国 鉄 の 川 崎 駅 と 京 浜 川 崎 駅 に 球 場 へ 行 っても 入 場 できませんからご 了 承 下 さい とハリ 紙 を 出 し 警 備 員 を 動 員 して 木 戸 をガッチリ 固 めさせた ほどであった およそ 五 千 人 の アブれたファン と 警 備 員 が 小 ぜり 合 いになって 警 官 がかけつける 事 態 にもなり その 中 には 未 練 気 に 二 百 万 燭 光 のライトを 見 上 げるアベックもいた とされている 観 衆 は 2 万 5000 人 と 発 表 されたが 場 内 のスタンドには 文 字 通 り 立 スイの 余 地 もない スコア ボールドやライト スタンドの 鉄 サクによじのぼっている 観 客 もいる という 場 内 の 様 子 から 実 数 はさらに 多 かったことが 予 想 できる 川 崎 球 場 は 後 楽 園 球 場 の 半 分 ほどの 容 量 であるが これまでせいぜい 入 ったときでも 二 万 ぐらい シーズン 平 均 しておよそ 八 千 と いったところだから まさに 驚 異 的 な 出 来 事 であり 関 係 者 に 球 場 開 設 以 来 初 めて 大 入 袋 が 出 された ことからも 前 代 未 聞 の 超 満 員 だったことがわかる また このナイ ター ブームは 川 崎 球 場 だけのものではない ナイターの 観 客 動 員 数 は 年 ごとに 記 録 を 破 り 同 年 のシーズンでは 第 九 節 ( 六 月 二 日 まで)を 終 わっただけでもすでにセ パ 両 リーグを 合 わせて 五 十 余 試 合 で 約 百 万 人 をあつめているほど で どこの 球 場 でも 臨 時 バスを 用 意 し 私 鉄 関 係 の 球 場 は ナイター 電 車 まで 増 発 している ほどであった そして 前 年 と 異 なり このナイター ブームの 中 で 目 立 つのがアベックや 女 性 ファンた ちだった さきに 挙 げた 川 崎 球 場 の 巨 人 対 大 洋 戦 における 観 客 の 三 分 の 一 は 若 い 女 性 であ る 特 に スタンドにいる 女 性 はほとんどアベック であった 彼 女 たちは 高 潮 した 場 13

面 になると 彼 氏 を 忘 れてとび 上 ったり 抱 きついたり 手 で 顔 をおおって 指 の 間 からバッ ター ボックスをみつめたり していた このような 光 景 は 関 西 の 西 宮 球 場 でも 同 様 に 起 きている 西 宮 にナイター 設 備 ができた のは 二 十 八 年 の 五 月 だが デイゲームにくらべると ナイターは どこでも 約 五 割 も 観 客 がふえるが 女 性 ファンも 比 例 して ナイターに 多 い という 当 時 女 性 は 平 均 二 割 ほどを 占 めていたが そのうちの 半 数 は 純 アベック だった 阪 神 間 の 住 宅 街 を 結 んで 走 る 阪 急 神 戸 線 の 中 間 にあたる 西 宮 球 場 は 普 段 家 族 連 れが 多 いが この 年 からア ベックや 女 性 ばかりのグループ で 来 場 する 人 が 増 えたとある 大 阪 球 場 では 特 にナ イターで アベックデー 婦 人 デーをもうけて 割 引 をやっているほど であった これらの 観 客 席 の 風 景 が 1980 年 代 以 降 とは 異 なることはさきに 述 べたが これは 同 時 に 1958( 昭 和 33) 年 以 前 とも 明 確 な 断 絶 がある この 年 の 大 阪 球 場 の 合 言 葉 は 昼 は 学 生 さ んと 子 供 夜 はサラリーマンとビジネス ガール であったが 前 年 は 合 言 葉 になるほ ど ビジネス ガールはこなかった ナイターに 来 る 女 性 というのはむしろその 反 対 で バーや キャバレー または 芸 能 関 係 の 女 性 もしくは 選 手 の 家 族 か 特 別 の 関 係 の 女 性 であった ナイターにくるような 女 は ろくな 女 じゃない というネット 裏 の 通 説 があったほど という 言 葉 から 1958( 昭 和 33) 年 を 境 に 各 球 場 におけるナイターの 観 客 席 の 風 景 は 全 く 異 なるものになっていったことがわかる それでは なぜそのような 変 化 が 起 こったのだろうか 当 時 の 女 性 たちの 言 葉 を 取 り 上 げながら 女 性 たちがナイターをどのようなものだと 捉 えており 何 のために 球 場 へ 向 か っていたのかを 明 らかにしていく まずはアベックであるが 後 楽 園 のアルプス スタン ドではアベックが 多 く 上 段 のほうがより 好 まれる とある それは 周 囲 に 気 兼 ねなく ストライクだ ボールだ いやアウトだ などとボーイ フレンドに 手 をとり 足 をとり? 教 えてもらえるし 興 奮 して 手 をたたき 足 をばたつかせても 目 立 たない からだとあ るが 彼 女 たちにとっては 試 合 を 見 ることや 選 手 を 近 くで 見 ることよりも 2 人 の 時 間 を 楽 しむことが 優 先 されている そのことは 試 合 はなにも おぼえていないけど ナイター をみながら 食 べたホット ドッグの 味 は 忘 れられないわ ( 日 本 橋 M 石 油 事 務 員 )といった 言 葉 からもわかる また 映 画 館 のなかでは スクリーンに 向 かったままだし 喫 茶 店 も 最 近 では 混 んでくると すぐ 同 席 させられて 落 ちつかない ナイターだったら 二 人 並 ん で 寄 り 添 ったまま 試 合 が 終 るまで 誰 からも 干 渉 されずに 語 り 合 える またホット ドッ グを 半 分 ずつ 食 べたり ジュースを 飲 み 合 っても おかしくない という 川 崎 球 場 にいた 会 社 員 (27)の 話 からも 映 画 館 や 喫 茶 店 と 同 様 にデートの 選 択 肢 の 1 つとしてナイター が 選 ばれていたことがわかる ナイターを 明 確 にデートの 延 長 として 見 なしていたアベッ クとして 丸 ビルに 勤 める S(25)と 鉄 鋼 ビルに 勤 める A 子 (20)の 話 も 掲 載 されている 映 画 好 きな A 子 と 野 球 好 きな S は 普 段 映 画 館 と 野 球 場 でデートをしているが 最 近 ではナ イターでデートをすることが 増 えたという A 子 は 私 もすっかり 野 球 ファンになっちゃっ た といっても 二 人 でなければ おもしろくないわ つまりナイターをみながら 一 緒 に 14

すごすことが 素 適 (ママ)なのね ( 中 略 )ときどきそれぞれ 相 手 チームを 応 援 して 敵 味 方 になってやり 合 うの とってもたのしいわ と 語 り 野 球 好 きにはなったものの 決 し て 友 人 や 1 人 で 見 に 行 くわけではないことを 明 言 している しかし 一 方 でナイターにアベックが 来 ることから 生 じる 問 題 もあった 一 部 スタン ドの 後 方 で 抱 擁 したり スコア ボールドのかげでキスしたりの 程 度 はちょいちょいみか けられる 光 景 だが 外 野 の 芝 生 の 暗 がりを 利 用 して いかがわしき 行 為 にふけるもの が おり 時 には 証 拠 品 から 選 手 が 関 わっていると 思 われることもあった しかし 若 いアベックや 女 性 ファン 家 族 連 れなどの 健 全 なファン が 増 えたことで こんな 例 は きわめて 少 な くなっており どこの 球 場 でも 必 ずみられることだが 女 性 に 乱 暴 したとか いたずらをしたという 事 件 はほとんどない とあるように ナイターに 漂 ういかがわしさ は 観 客 層 の 拡 大 とともに 徐 々に 払 拭 されていったようだ ただ 若 い 女 性 が 増 えたという ことによる 懸 念 点 もあるようだ 後 楽 園 の 場 内 整 理 員 は たしかにアルプスにはアベック が 多 いけど それを 下 からのぞいてよろこんでいる 男 もいますよ ひざから 下 がまる 見 え ですからね 野 球 をみないで 後 ばかり 見 上 げているのは 注 意 した 方 がいい と 述 べ 球 場 にいる 女 性 たちは 男 性 観 客 にとっては 見 られる 客 体 であることを 指 摘 する 男 性 誌 で 登 場 する 女 性 ファンたちは 男 性 にあくまで 見 られる 客 体 として 誌 面 に 登 場 して いるのだ それは 後 述 する 1980( 昭 和 55) 年 の 週 刊 現 代 ( 講 談 社 1959 年 創 刊 )にお ける ミーハー 女 性 ファンたちのグラビア 特 集 でも 同 様 である このようにアベックがナイターに 来 るようになった 状 況 について 週 刊 サンケイ 誌 面 上 で 野 球 ファンのドクトル チエコは これまで 女 性 はたのしむことを 知 らなかった い いかえれば このごろは 楽 しむことをみとめられてきたわけだ 女 性 でも 楽 しむことを 知 れば そしてそれをみとめられれば スポーツでも カケゴトでも またお 酒 でも 大 いにさかんにやるはずだ ( 中 略 )また 野 球 は 大 変 判 りやすい よく 映 画 をみたあとなど で せっかく 面 白 いと 思 っても 彼 氏 が 深 刻 な 顔 で 逆 説 的 な 映 画 批 評 をやって 失 望 させ ることがある ( 中 略 )それに 比 べると ナイターは 本 当 に 一 緒 になって ゲームをたのし み 映 画 や 喫 茶 店 ではお 互 いにポーズを 作 っているが ナイターではこれがないので よ り 一 層 親 近 感 を 深 くする ( 中 略 ) 夜 更 けと 共 に 一 段 と 明 るくなる 球 場 それは 都 会 生 活 の なかで 普 段 みられない 全 く 違 った 環 境 だ ( 中 略 ) 恋 人 が 二 人 並 んでみれば 暗 い 公 園 で ひっそり 話 し 合 うより はるかに 健 全 なものである と 分 析 する ナイターは 映 画 のよ うに 彼 氏 に 講 釈 をたれられる 心 配 もなく 喫 茶 店 のように 対 面 で 改 まって 構 える 必 要 もな く 女 性 にとってはデートコースの 1 つとして 非 常 に 魅 力 的 だった また 夜 更 けと 共 に 一 段 と 明 るくなる 球 場 を 見 ることで 普 段 の 都 会 生 活 では 味 わえない ナイターそのもの が 持 つ 非 日 常 的 な 魅 力 を 指 摘 している < 観 客 に 見 る ミーハー 女 性 ファンの 萌 芽 > さきに 述 べたように アベックと 同 様 に 1958( 昭 和 33) 年 以 前 にはあまり 見 られなかっ 15

た ミーハー 女 性 ファンたちが 目 立 つようになった 1980 年 代 のアイドル 選 手 ブームの 萌 芽 とも 言 える 当 時 の ミーハー 女 性 ファンとはどのような 人 たちだったのだろうか 当 時 の 川 崎 球 場 は 熱 狂 的 なファンで 有 名 だったが カン 声 野 次 のなかに 黄 色 い 声 援 もはじらいなく 乱 れと んでいた 記 者 席 に 入 り 込 んだ 女 性 たちは あたりはばからず 長 嶋 さーん 難 波 さんしっかり 秋 山 アキヤマ とざわついて 係 員 を 苦 笑 させてい た という また 試 合 終 了 とともにアベックが 球 場 をあとにする 一 方 で ミーハー 女 性 ファンたちは 選 手 たちが 残 っているベンチへ 行 って サインを 求 めるやら からだに さわってみ るなどしてみたり 選 手 控 室 の 辺 りでは 出 入 りする 選 手 たちを 目 ざしてう ろうろ していた このような 状 況 について 球 場 事 務 所 は まるで 劇 場 の 入 口 なみです よ こんなことは 昨 年 まではほとんどなかった 現 象 です たまにアベックが 見 にくるくら いで 全 くなんと 申 しましょうか おどろいています と 語 っている また 野 球 連 盟 も 同 様 に どんな 少 ないときでも 女 性 観 客 は 全 体 の 二 三 割 を 占 めている と 述 べる このこ とからも 1958( 昭 和 33) 年 以 前 とは 球 場 の 様 子 が 様 変 わりしていることがわかる <アベック 以 外 のナイター 観 戦 > また 関 西 の 西 宮 球 場 では 昨 年 も 女 性 ファンはいたけど 今 年 の 比 ではない 女 性 ば かりでやってくるというのは 大 きな 特 長 でしょう と 球 場 側 が 述 べるように アベック だけでなく 女 性 同 士 で 来 場 して ぎゃあぎゃあさわ ぐ 女 性 が 同 年 から 目 立 ち 始 めたよ うだ そしてこの 頃 から 増 え 始 めた 若 い 女 性 ファンたちの 行 動 は 男 性 ファンのそれとは 全 く 異 なる 当 時 増 えつつあった 女 性 ファンたちから 野 球 連 盟 に 送 られてくる 電 話 や 手 紙 の 内 容 は 選 手 の 住 所 や 電 話 番 号 をたずねる ものが 多 く 何 とかして 選 手 とコミュニケーシ ョンを 取 りたいという 願 望 がうかがえる また 巨 人 対 中 日 戦 の 際 に 審 判 のジャッジをめ ぐってファンが 選 手 に 石 を 投 げる 事 件 があったが それを 受 けた 女 性 ファンたちによる 投 書 の 大 半 は 今 後 は 巨 人 は 中 日 球 場 で 試 合 しないようにしてもらいたい 好 きな 選 手 がケ ガをすると 困 る というものだった プロ 野 球 選 手 は 野 球 の 試 合 に 出 場 して 結 果 を 出 すこ とで 生 計 を 立 てているにもかかわらず 彼 女 たちにとって 野 球 選 手 はケガをされてもらっ ては 困 る アイドル のようなものと 化 していた さらに 当 時 の 女 性 ファンの 大 部 分 は よわいチームを 応 援 していたという 例 えば 巨 人 の 別 所 が 好 投 して 阪 神 を 完 封 した 出 来 事 があったが このとき 女 性 ファンたちは 代 打 で 出 場 したものの 三 振 に 終 わってしま った 阪 神 の 藤 村 に 注 目 した 別 所 が 藤 尾 捕 手 ににっこり 笑 いかけて 藤 村 が かつての 猛 将 の 面 影 もなく しょんぼりベンチへひき 上 げた 光 景 を 目 の 当 たりにして 別 所 に 非 難 を 浴 びせかけたのだ その 内 容 は 笑 うとは 何 ごとだ 同 じように 選 手 として 藤 村 の 胸 中 をくんでやれないのか といったものであり スタンドにも 藤 村 選 手 に 同 情 して 涙 を おさえる 女 性 が かなりみられた という 男 性 ファンがこのように 選 手 を 眼 差 すことは 考 えにくい 試 合 の 勝 敗 や 選 手 の 成 績 といったことよりも 選 手 の 表 情 やグラウンド 内 外 16

での 言 動 などをつぶさに 観 察 することが 彼 女 たちにとってはより 重 要 なことのようだ それでは このような 女 性 たちはナイターのどのようなところに 魅 力 を 感 じ どのよう な 目 的 で 球 場 へ 通 っていたのだろうか 新 宿 の I デパートに 勤 める 女 性 (24)は どんなに 忙 しくても ジャイアンツが 出 る 試 合 は 絶 対 に 見 に 行 く ( 中 略 ) 誰 が 好 きっていうことはないの 誰 でも 好 きよ そりゃあ 独 身 の 選 手 に 余 計 応 援 する 友 だちもいますけど 一 緒 になろうなんて 夢 はもたないわ 選 手 ってナイターになるとみんな 美 男 子 ね と 述 べ 野 球 選 手 を 結 婚 相 手 として 魅 力 的 であり ながらも 遠 い 理 想 の 存 在 として 位 置 づけている 男 友 達 に 誘 われたことがきっかけでナイターに 夢 中 になっていく 女 性 もいる 駒 沢 球 場 で 東 映 対 西 鉄 戦 を 観 戦 していた 銀 行 員 女 性 (23)は 私 が 野 球 を 見 たのは 昨 夕 がはじめて です 男 の 友 達 につれてきてもらったの 土 橋 すごかったわ( 中 略 )そんなことからかし ら 断 然 ナイターを 好 きになったんです それで 今 日 は 本 当 いうと 映 画 に 行 くはずだっ たんですが 友 だちをさそってまた ナイターにきたの 今 日 は 土 橋 出 ないんですね つ まんないわ と 語 っているが プロの 試 合 で 完 投 投 手 が 2 日 連 続 で 登 板 することは 常 識 的 に 考 えられないため 基 本 的 な 野 球 のルールは 知 らないことがわかる 当 日 彼 女 は 2 人 の 女 友 達 と 観 戦 していたが その 1 人 が まるっきりルールは 知 らないけど ナイターの 雰 囲 気 って 楽 しいものですね と 語 るように それまでナイターに 来 たことがなかった 層 が 徐 々に 球 場 に 増 え 始 めていた このようにこれまで 全 く 野 球 に 関 わりのなかった 女 性 たちが 観 戦 に 来 始 めた 一 方 で 戦 後 神 宮 球 場 で 活 躍 した 六 大 学 のスター プレイヤー の 追 っかけの 延 長 でプロ 野 球 の 球 場 ヘ 足 を 運 ぶ 女 性 たちもいた 御 茶 の 水 文 化 学 院 の K(20)は 同 年 にプロ 入 りした 長 嶋 の 大 ファンであり 長 嶋 が 立 大 ( 立 教 大 学 筆 者 注 ) 時 代 は 神 宮 球 場 に 通 いつめた ほどであ る ほかにも すてきだわ 男 らしくて スマートで 一 度 でいいから 会 ってお 話 しして みたい と 語 る 銀 座 S 喫 茶 店 に 通 う M 子 (21)のように 選 手 に 入 れ 込 む 女 性 は 増 えて いたようだ <ファッションとしてのナイター> そして 当 時 の 女 性 たちにとって ナイターを 見 に 行 くということは ある 種 の ファ ッション と 捉 えられていた 面 もある 元 プロ 野 球 選 手 の 父 を 持 つ 女 優 の 苅 田 とよみは わ たしは 絶 対 ナイターしか 見 ないの 涼 しいという 点 ではもちろんだけどゲームそのものが きれいじゃない と 述 べ あるファッション モデルも 私 は 絶 対 にナイターしかみない の なぜなら 日 焼 けしないから と 同 様 の 内 容 を 語 る 時 代 のアイコンである 女 優 やファ ッション モデルといった 女 性 たちが 次 々と ナイター 好 き を 公 言 していたのだ 記 事 中 では 当 時 はナイターを 見 に 行 くことは おしゃれ であり わたし ナイター フ ァンよ ということが 近 代 女 性 のアクセサリーともなっているムキもあるらしい とあ 17

る また これらの 女 性 たちの 態 度 は さきにも 述 べたが 男 性 たちのそれとはかなり 異 なる W 大 を 出 て 保 険 会 社 に 勤 める I さん(27 男 性 )は 真 剣 に 自 分 の 人 生 を 考 えるのが こ わいんですね 安 いサラリー 住 宅 難 生 活 苦 こんな 現 状 で 将 来 の 設 計 とか 希 望 を 抱 く にしては あまりに 実 現 性 が 乏 しい 状 態 です だから 考 えないでたのしめるものを 求 める 麻 雀 とか 酒 そしてナイターなどです と 述 べ 現 実 逃 避 の 一 手 段 としてギャンブル 飲 酒 ナイターを 等 価 なものとして 並 べている 有 名 大 学 を 出 て 保 険 会 社 に 勤 め 一 見 エリ ートコースをたどっているように 見 える I さんでも 当 時 の 安 いサラリー 住 宅 難 生 活 苦 は 重 くのしかかっていた 一 方 の 女 性 たちは デートの 雰 囲 気 を 楽 しんだり 目 当 て の 選 手 に 熱 狂 したり ファッションとしてナイターを 消 費 したりと 男 性 に 比 べると 随 分 無 邪 気 にナイターを 楽 しんでいる また アベック 女 性 とは 別 に 誌 面 上 に ミーハー ファンとして 登 場 する 女 性 たちは 銀 行 員 や 新 宿 の I デパート 御 茶 の 水 文 化 学 院 などに 所 属 する いわゆる エリート だ 先 ほど ビジネス ガール という 言 葉 が 登 場 したが これは 当 時 の 働 く 若 い 女 性 たちを 指 す 和 製 英 語 である 略 して BG と 呼 ばれたこの 言 葉 は 1963( 昭 和 38) 年 の 女 性 自 身 誌 上 において OL(オフィス レディ) に 取 って 替 わられている 2 また 翌 年 には OL は 流 行 語 にも 選 ばれている このような 言 葉 が 生 まれ た 背 景 として 昭 和 三 〇 年 代 に 未 婚 女 子 労 働 市 場 が 成 立 したことが あり それまで の 女 性 は 結 婚 していれば 働 いておらず 働 いていれば 未 婚 か 離 婚 か 死 別 かのいずれかの 理 由 で 結 婚 の 外 にいた 3 のである かつては 職 業 野 球 と 同 様 に 職 業 婦 人 という 蔑 称 が 存 在 し そこには 自 身 で 生 計 を 立 てなければならない 女 性 への 憐 憫 の 意 が 込 められてい た 結 婚 するまで 企 業 で 働 く 若 い 未 婚 女 性 たちを 表 す 別 称 として 生 まれた BL や OL といっ た 言 葉 に 含 まれるのが 先 に 述 べたようなナイターに 来 ていた 女 性 たちだ そこには 憐 憫 を 伴 うどころか 経 済 的 ゆとりを 得 たことで 積 極 的 に 消 費 活 動 を 行 う 女 性 たちの 姿 が 見 て とれる また 1955( 昭 和 30) 年 には 経 済 審 議 会 民 生 雇 用 部 会 で 婦 人 よ 家 庭 に 帰 れ という 意 見 発 表 がなされており これは 裏 を 返 せば 働 く 女 性 たちが 社 会 に 進 出 していって いたことを 表 す 実 際 に 1957( 昭 和 32) 年 には 働 く 女 性 の 数 が 560 万 人 になり 全 労 働 者 の 3 分 の 1 を 占 めるにいたっている 4 つまり この 時 期 に 増 加 していった 働 く 若 い 女 性 たちは 同 時 に 働 くということを 前 向 きに 捉 えていくようになった 世 代 でもある 消 費 活 動 にも 積 極 的 になっていく 女 性 たちの 消 費 の 一 形 態 として ナイターが 入 り 込 んだ 形 にな る そして ここに 登 場 する 女 性 たち 全 員 が 成 人 していることなどは 女 子 中 高 生 などの 十 代 が 目 立 つ 1980 年 代 の ミーハー ファンたちとは 大 きく 異 なる 1958( 昭 和 33) 年 のナイターの 試 合 に 十 代 女 性 たちが 観 戦 に 来 ることはほとんどなかった それでは この 1958( 昭 和 33) 年 のナイター ブームのような 現 象 はなぜ 起 こったのだ ろうか 増 補 新 版 現 代 世 相 風 俗 史 年 表 1945-2008 5 によると この 年 は 東 京 六 大 学 ( 立 教 ) 八 本 塁 打 の 記 録 を 作 った 長 嶋 茂 雄 が 契 約 金 一 八 〇 〇 万 円 のゴールドデンルーキーとし 18

て 巨 人 軍 に 入 団 した 年 であり 川 上 の 不 動 の 四 番 の 座 を 奪 い 広 島 戦 で 一 塁 ベース 踏 み 忘 れの 幻 のホームラン 事 件 (9/19)など 派 手 に 話 題 を 提 供 し 本 塁 打 王 ( 二 九 本 ) 打 点 王 ( 九 二 点 ) の 二 冠 で 新 人 王 に 輝 く など プロ 野 球 は 新 しい 時 代 を 迎 える こととなった ほかにも 王 貞 治 の 巨 人 入 団 決 定 や 日 本 シリーズ 終 了 後 に 打 撃 の 神 様 川 上 哲 治 の 引 退 表 明 国 鉄 スワローズの 金 田 正 一 による 連 続 無 失 点 記 録 の 塗 り 替 え 日 本 シリーズにおける 西 鉄 の 稲 尾 の 活 躍 による 逆 転 優 勝 など 巨 人 を 中 心 にプロ 野 球 全 体 が 盛 り 上 がった 年 でもあった 6 また 週 刊 サンケイ 1958( 昭 和 33) 年 7 月 27 日 号 の 華 やかなるナイター 映 画 スタア 野 球 大 会 7 では 東 京 の 駒 沢 球 場 で 恒 例 の 映 画 スタア 紅 白 野 球 大 会 が 開 かれた とある そこでは 日 活 の 石 原 裕 次 郎 や 大 映 の 菅 原 謙 二 などが 活 躍 して ファン 約 二 万 は 一 投 一 打 に 大 騒 ぎ だった そこに 掲 載 されている 写 真 には 超 満 員 のスタンドを 埋 める 多 くの 女 性 の 姿 が 見 られる そして 1957( 昭 和 32) 年 に 大 映 ス ターズと 毎 日 オリオンズが 合 併 して 大 毎 オリオンズになったことで 翌 年 からはセ パ 両 リーグともに6 球 団 制 で 開 幕 し 文 字 通 りプロ 野 球 は 新 たなスタートを 切 っている < 自 由 恋 愛 と 結 婚 家 族 観 の 変 化 > また 日 付 が 多 少 前 後 してしまうが このナイター ブーム 現 象 を 考 える 上 で 重 要 なの が 1958~59 年 の 間 に 起 こった ミッチー ブーム 御 成 婚 ブーム だ 1958( 昭 和 33) 年 11 月 27 日 は 皇 太 子 明 仁 の 伴 侶 が 正 式 決 定 し その 翌 年 に 2 人 は 結 婚 している そ して 若 いロイヤル カップルの 誕 生 は 世 を 大 いに 沸 かせ メディア 報 道 が 過 熱 した ( 石 田 :2009) 8 日 本 中 が 注 目 した 理 由 の 1 つに 皇 太 子 妃 が 皇 室 関 係 者 ではない 民 間 の 女 性 から 選 ばれたことがある また 2 人 が 結 婚 にいたるまでの 過 程 も 大 いにメディアに 報 道 さ れた 当 時 メディアがさかんに 称 揚 した 点 に 恋 愛 結 婚 があった が 世 間 では 民 間 企 業 の 日 清 製 粉 社 の 社 長 の 長 女 である 平 民 の 女 性 と 皇 太 子 が 軽 井 沢 のテニス コ ートで 出 会 い 愛 を 育 んでいったという 物 語 が 話 題 となった 未 来 の 天 皇 ですら 恋 愛 し 自 分 で 結 婚 相 手 を 選 ぶ 時 代 の 到 来 であるとして 皇 太 子 夫 妻 と 同 世 代 の 若 い 男 女 がこの 結 婚 を 歓 迎 した 9 当 時 はまだお 見 合 い 結 婚 が 一 般 的 であったが 皇 太 子 夫 妻 の 恋 愛 結 婚 の 物 語 は 若 い 男 女 に 新 しい 結 婚 家 族 観 をもたらした 2 人 がテニス コートというスポーツの 場 で 出 会 ったこともあり テニスブームが 起 きている したがって 同 じスポーツの 場 で あるナイター 観 戦 のブームも 続 いていったことが 予 想 できる また 1956( 昭 和 31) 年 は 石 原 慎 太 郎 原 作 の 日 活 映 画 太 陽 の 季 節 が 公 開 され アロ ハシャツやサングラスを 着 用 して 夏 の 浜 辺 を 歩 き 回 る 新 しい 時 代 の 若 者 を 指 す 太 陽 族 という 言 葉 が 流 行 語 に 選 ばれている 太 陽 の 季 節 では 実 体 主 義 的 な 求 愛 の 様 式 をとっ ており それは 典 型 的 に リアリティ の 時 代 の 身 体 技 法 であった 10 これらのことが 若 者 たちが 恋 愛 に 対 して 解 放 的 になっていく 契 機 となっていたことが 考 えられる そして 石 田 によると 一 九 五 五 年 から 六 〇 年 代 の 前 半 つまり 昭 和 三 〇 年 代 とは 高 度 経 済 成 長 期 にあたり 日 本 社 会 が 大 きく 変 わっていった 時 期 であるが それは 同 時 19

に 雑 誌 メディアの 多 様 化 の 時 代 であり 若 い 女 性 という 新 しい 読 者 像 が 発 見 された 時 代 であった 11 それは 今 日 まで 続 く 若 い 女 性 とファッションを 結 びつけた オシャレ な 雑 誌 が 誕 生 していった 時 代 であった 12 本 論 文 でも 後 に 取 り 上 げる 女 性 自 身 や 女 性 セブン なども それぞれ 1958( 昭 和 33) 年 1963( 昭 和 38) 年 に 創 刊 されている 女 性 自 身 ( 光 文 社 )は Ladie s Own との 英 語 の 誌 名 を 持 っていた 昭 和 三 八 年 創 刊 の 女 性 セブン ( 小 学 館 )は 当 時 会 社 勤 めの 若 い 女 性 たちのライフスタイルが 一 週 間 単 位 (つ まり 七 日 )のスケジュールであることから 名 づけられた とあるように 両 誌 ともに 若 い 女 性 を 意 識 していることがわかる 13 1970 年 代 後 半 から 80 年 代 前 半 にかけて 両 誌 で プロ 野 球 特 集 が 組 まれるが そこで 対 象 となっていた 読 者 は ここで 言 う 働 く 若 い 女 性 たち だったのである だが ここで 対 象 となっている 働 く 若 い 女 性 たち の 実 態 をど れだけ 女 性 誌 が 反 映 していたかということについては 慎 重 にならなければならない 流 行 に 敏 感 な 彼 女 たちにとって プロ 野 球 も 所 詮 時 代 とともに 多 様 化 していった 消 費 活 動 の 1 つに 過 ぎないのである <ラジオからテレビへ> 次 に 当 時 の 女 性 ファンの 様 相 をメディアの 視 点 から 眺 めてみたい 戦 後 以 降 は ラジ オに 変 わってテレビがプロ 野 球 人 気 を 後 押 しするための 重 要 なメディアとなっていく 鵜 飼 ら(2000)に 掲 載 されている 野 球 関 連 年 表 14 を 参 照 すると ラジオの 受 信 契 約 が 1000 万 世 帯 を 突 破 した 1952( 昭 和 27) 年 の 翌 年 の 1953( 昭 和 28) 年 に NHK 東 京 と 日 本 テレ ビの 放 送 が 始 まり プロ 野 球 のナイター 中 継 も 開 始 された 1958( 昭 和 33) 年 にはテレビ 受 信 契 約 数 は 100 万 人 1962( 昭 和 37) 年 には 1000 万 人 を 突 破 し 普 及 率 は 48.5%にま で 上 がった 1958( 昭 和 33) 年 は 東 京 タワーが 完 成 し 翌 年 の 1959( 昭 和 34) 年 には 皇 太 子 夫 妻 の 御 成 婚 パレードがテレビ 中 継 されたこともあり テレビ 普 及 に 大 きく 貢 献 した そして 1958( 昭 和 33) 年 には 長 嶋 が 翌 1959( 昭 和 34) 年 には 王 がそれぞれ 巨 人 に 入 団 しているが この 頃 から 家 庭 の 女 性 たちもテレビを 通 してプロ 野 球 を 見 るようになって いった 馬 立 (1961)でも テレビの 発 達 が 戦 前 連 盟 が 努 力 してもむくいられなかった 女 性 ファンの 引 き 出 しに 成 功 した 15 とある そこで 紹 介 されている 主 婦 は テレビが 入 るまで 野 球 にはまるで 興 味 がありませんでした それが 二 年 ほど 前 にテレビを 買 ってから というものは 主 人 も 子 供 も 野 球 好 きなものですから 時 間 がくるとほかにみたい 番 組 が あっても 全 然 みせてくれないんです 仕 方 なしに 画 面 をみながら 子 供 の 説 明 をきいている うちに ってわけ 一 度 わかりはじめると 面 白 くなって 最 近 では 主 人 や 子 供 やみられな いときは 代 りにみておいて きょうはこうだったわよなんて 話 してあげることもたびたび です 16 と 述 べている もちろん 全 ての 主 婦 がこのようにプロ 野 球 に 興 味 を 持 っていたわけ ではないが テレビが 普 及 する 以 前 よりは 女 性 がプロ 野 球 に 接 するための 間 口 が 広 がった ことは 間 違 いないだろう また 1963( 昭 和 38) 年 には 巨 人 大 鵬 卵 焼 き や ON 砲 が 流 行 語 になるなど メディアを 通 してプロ 野 球 の 話 題 が 全 国 的 に 広 がっていったの 20

である < 女 性 誌 のプロ 野 球 特 集 > しかし それから 約 15 年 ほどの 間 は 新 聞 や 雑 誌 等 において 女 性 ファンに 関 する 目 立 っ た 記 事 はほとんど 見 られなかった この 時 期 は 巨 人 V9 時 代 (1965 1973)を 含 むため 巨 人 戦 を 中 心 にセ リーグの 観 客 動 員 数 が 急 増 していく 年 である( 図 1 参 照 ) 一 方 で パ リーグは 1963( 昭 和 38) 時 点 と 1977( 昭 和 52) 年 時 点 の 観 客 動 員 数 にほとんど 差 がない ( 図 1 参 照 ) ここで 女 性 ファン 層 が 急 速 に 拡 大 したり 新 しい 女 性 ファンたちが 進 出 した とは 考 えにくいため 従 来 の 男 性 ファンたちや 家 族 連 れなどが 球 場 へ 駆 けつけたと 考 える のが 自 然 であろう 次 に 女 性 ファンに 関 する 特 徴 的 な 記 事 が 登 場 するのは 巨 人 の 王 が 通 算 本 塁 打 (756 本 ) の 世 界 記 録 を 塗 り 替 える 1977( 昭 和 52) 年 になってからだ その 年 の 女 性 自 身 ( 光 文 社 1958 年 創 刊 )6 月 30 日 号 で 女 のコのためのプロ 野 球 BOOK という 特 集 が 組 まれ ている 17 そこでの 煽 り 文 句 は スポ 観 派 の 女 のコたち をクレージーにさせているプ ロ 野 球 ブームにキミも 参 加 してみよう であり 当 時 女 性 たちの 間 でプロ 野 球 を 見 ること がブームの 1 つになっているということが 前 提 になっている そこで 注 目 されている 選 手 や プロ 野 球 の 楽 しみ 方 とはどのようなものだったのだろうか このチーム この 人! と 決 めたら あとはアツイ 声 援 を 送 ってあげよう キャー ッ という 謳 い 文 句 がある 記 事 の 見 出 しは まずキミの 感 度 にピッピッとくるチームを1 つ 選 んでファンになろう! であるが 実 際 に 出 てくるのは 人 気 選 手 の 顔 写 真 である こ れをきっかけに 女 性 がチームについて 能 動 的 に 情 報 を 集 めることは 考 えにくいため ここ に 掲 載 されている 選 手 や 監 督 たちが 応 援 するチームを 決 める 判 断 材 料 になることは 想 像 に 難 くない 18 当 時 の 選 手 の 年 棒 は 最 高 の 王 貞 治 の 6,480 万 円 から 2 軍 選 手 の 180 万 まで の 幅 があり 平 均 すると 約 600 万 円 ほどだった 厚 生 労 働 省 による 賃 金 構 造 基 本 統 計 調 査 を 参 照 すると 1977( 昭 和 52) 年 時 点 では 最 も 平 均 所 得 の 高 い 40~44 歳 でも 約 250 ~300 万 円 ほどであり プロ 野 球 選 手 は 一 般 のサラリーマンの 平 均 所 得 の 約 2 倍 の 賃 金 を 得 ていた 人 気 面 でも 経 済 面 でも 魅 力 的 な 存 在 として プロ 野 球 選 手 は 位 置 づけられていた と 言 える また ほかにも 独 身 美 男 子 プレイヤー 名 鑑 という 記 事 がある これは 各 球 団 のお すすめ 選 手 を 女 性 自 身 編 集 部 が 独 断 で 選 出 したものだ 誰 か1 人 にクレージーになっ て 熱 烈 な 励 ましの 手 紙 を 書 こう というフレーズとともに 選 手 の アドレス( 住 所 筆 者 注 ) が 記 載 されている そこに 記 載 されている 選 手 の 一 言 紹 介 文 も 九 州 男 子 なのでマ ユゲが 濃 くてクチビルが 厚 い( 北 別 府 学 広 島 20) や ヒゲのくせに 気 が 弱 い( 木 下 富 雄 広 島 26) パリーグの 美 男 子 ナンバーワンだぞ( 島 本 講 平 近 鉄 25) 陽 気 な 男 でクヨクヨしないが 忘 れ 物 の 名 人 で 長 島 監 督 も 負 けそう( 田 尾 安 志 中 日 23) な ど 選 手 の 容 姿 や 性 格 に 触 れているものがほとんどだ そこには 野 球 選 手 としての 技 量 21

をアピールするような 記 述 はほとんど 見 られない また ほとんどが 二 十 代 の 若 手 選 手 で 占 められており 女 性 読 者 が 一 見 しただけで 興 味 を 持 ちやすい 誌 面 作 りになっている このような 記 事 内 容 から 女 性 は 容 姿 端 麗 な 自 分 だけの 選 手 を 見 つけ それを 熱 烈 に 応 援 するという ミーハー なスタイルで 野 球 を 楽 しむことが 前 提 になっていることがわか る さらに 記 事 中 には 野 球 についての 用 語 解 説 やルール 説 明 などはほとんど 出 てこない その 代 わりに 後 楽 園 球 場 のビールが 300 円 であるとか 貸 し 座 ブトンが 200 円 であると いった 実 際 に 観 戦 する 際 に 役 立 つ 豆 知 識 のような 情 報 が 目 立 つ つまり ルールを 知 らな くても 好 きな 選 手 を 見 つけることさえできたら 女 性 たちはプロ 野 球 を 楽 しめるという 暗 黙 の 前 提 が 存 在 している そして この 記 事 は 女 性 読 者 へ 球 場 での 観 戦 を 促 している < 女 性 が 見 るプロ 野 球 番 組 > 女 性 自 身 でプロ 野 球 特 集 が 組 まれた 前 年 の 1976( 昭 和 51)には フジテレビで ( 第 2 次 )プロ 野 球 ニュース の 放 送 が 開 始 された 19 この 番 組 は 夜 11 時 台 にセ パ 両 リーグ の 試 合 をダイジェストで 解 説 し 放 送 するものであった それまでのセ リーグ さらに 言 えば 巨 人 偏 重 だったプロ 野 球 の 番 組 とは 異 なり 12 球 団 の 試 合 を 公 平 に 扱 うとともに 試 合 を 決 めた 場 面 をダイジェストで 見 ることができるので 長 時 間 掛 かる 野 球 の 試 合 を 最 後 まで 見 守 る 必 要 がなくなった また オフシーズンでも ふるさと 紹 介 や 選 手 紹 介 などのコーナーを 設 け 選 手 のプレー 以 外 の 部 分 にも 焦 点 が 当 てられていたため 女 性 フ ァンが 増 えるきっかけともなっていた 20 実 際 に プロ 野 球 ai 誌 上 においても プロ 野 球 ニュース を 欠 かさず 見 ているといった 言 葉 がしばしば 登 場 している コアな 女 性 ファ ンにとっては この 番 組 が 選 手 の 試 合 内 外 での 情 報 に 接 するための 重 要 な 情 報 源 の 1 つだ ったのである さらにフジテレビはこの 番 組 のために 全 試 合 をビデオに 収 めていたが このビデオを 編 集 することで プロ 野 球 珍 プレー 好 プレー 大 賞 という 番 組 も 制 作 した 後 述 するよう に アイドル 選 手 ブームの 時 代 において 女 性 ファンたちはこの 番 組 を 通 して 面 白 さ や 個 性 をアピールする 選 手 のファンになっていくこともあった < 注 と 参 考 文 献 第 2 章 第 1 節 第 2 項 > 22

第 3 章 1980 年 代 ~1990 年 代 前 半 アイドル 選 手 ブームの 時 代 1.プロ 野 球 選 手 のアイドル 化 現 象 の 始 まり 今 日 プロ 野 球 の 試 合 を 若 い 女 性 が 観 戦 していても 何 ら 不 思 議 はないが 女 性 たちがプロ 野 球 に 参 入 してくる 過 程 において プロ 野 球 選 手 のアイドル 化 という 現 象 があった 今 でも 各 球 団 の 若 手 実 力 派 選 手 は 女 性 たちの 人 気 を 集 めているが 1980 年 代 から 1990 年 代 前 半 にかけてのそれは 特 に アイドル 選 手 ブーム と 呼 ぶべきほどの 盛 り 上 がりを 見 せて いた <ジャニーズ 系 アイドルを 基 盤 とするアイドルブーム> 1980 年 代 前 半 は 女 子 中 高 生 を 中 心 とする 若 い 女 性 たちがジャニーズ 事 務 所 の 男 性 アイ ドルに 熱 狂 していた 時 代 でもある 1979( 昭 和 54) 年 にはテレビドラマ 3 年 B 組 金 八 先 生 に 出 演 した 田 原 俊 彦 野 村 義 男 近 藤 真 彦 が たのきんトリオ と 呼 ばれ 人 気 を 博 していた 1980 年 代 前 半 の 新 聞 記 事 を 見 ると 彼 らを 始 めとする 男 性 アイドルのイベント に 若 い 女 性 ファンが 殺 到 し 怪 我 人 を 出 すほどの 事 故 が 何 度 か 起 きていたことがわかる 1980( 昭 和 55) 年 7 月 28 日 の 朝 日 新 聞 1 には 日 比 谷 野 外 音 楽 堂 で 開 かれたコンサー トに 出 演 したたのきんトリオや 川 崎 麻 世 らに 殺 到 した 女 子 中 高 生 たちが 将 棋 倒 しになり 十 人 以 上 が 負 傷 した 出 来 事 が 報 じられている 翌 1981( 昭 和 56) 年 2にも 同 じく 田 原 俊 彦 コンサートで 押 し 合 いになった 女 子 中 高 生 2 人 が 怪 我 を 負 い 1983(58) 年 3も 甲 子 園 球 場 で 開 かれた 第 八 回 ABC ヤングアイドル 野 球 大 会 でシブがき 隊 らを 目 当 てに 殺 到 した 女 性 ファン 数 百 人 が 将 棋 倒 しとなり うち 重 体 となった 女 子 高 生 は 死 亡 している 同 日 の 記 事 を 確 認 すると 当 時 同 様 の 事 故 がほかにも 数 件 ほど 起 きていることがわかる 4 つまり 当 時 は 女 子 中 高 生 たちにとって ジャニーズを 始 めとする 男 性 アイドルの 追 っ かけブームとでも 言 える 時 代 だった そして その 対 象 がやがてプロ 野 球 選 手 に 向 かって 行 くことになる 後 述 するように プロ 野 球 選 手 を 追 いかける 女 子 中 高 生 も カメラとサ イン 色 紙 片 手 に 目 当 ての 選 手 めがけて 球 場 の 金 網 に 群 がることがしばしばあった だが プロ 野 球 のアイドル 選 手 ブームの 担 い 手 の 中 には 成 人 した 女 性 たちも 少 なくない 彼 女 たちの 中 には 勤 めている 会 社 の 野 球 チームの 応 援 をきっかけにプロ 野 球 に 興 味 を 持 った 者 も 少 なくない アイドル 選 手 ブームを 牽 引 していた 女 性 たちの 実 態 については 後 出 する 雑 誌 プロ 野 球 ai などを 用 いて 明 らかにしていく < 注 と 参 考 文 献 第 3 章 第 1 節 > 23

2. 働 く 女 性 という 市 場 雑 誌 新 聞 記 事 等 に 表 象 されている 女 性 ファンたちを 見 る 前 に そもそも 1980 年 代 にお いてプロ 野 球 を 積 極 的 に 消 費 していく 女 性 たちとはどのような 人 々であったのかを 考 察 し たい そこで 女 性 たちはプロ 野 球 やプロ 野 球 選 手 に 何 を 求 め その 背 景 にはどのような 時 代 状 況 があったのだろうか 先 に 述 べたように 1980 年 代 のアイドル 選 手 ブームの 担 い 手 には それ 以 前 とは 異 なり 女 子 中 高 生 を 中 心 とする 十 代 の 女 性 たちが 目 立 つようになっていく しかし 後 述 するよ うに 一 方 で 働 く 女 性 たちも 様 々な 雑 誌 に 登 場 し 球 場 へ 行 く 回 数 は 女 子 中 高 生 よりもむ しろ 多 くなっている 両 者 は 経 済 面 や 消 費 行 動 の 面 で 異 なる 存 在 と 考 えられるため ここ では 両 者 を 分 けて 考 えたい そして 特 に 当 時 女 性 の 社 会 進 出 が 進 む 中 で 増 加 していった 働 く 女 性 たちを 取 り 上 げていきたい 永 嶋 によると 1970 年 代 後 半 から 女 性 の 自 立 や 社 会 進 出 が 女 性 誌 で 盛 んに 話 題 にされ 始 め 1 ていた 本 論 文 においても OL という 言 葉 や 女 性 誌 の 創 刊 ブームなどが 1960 年 代 に 起 こったことを 先 述 したが 実 際 に 女 性 の 高 学 歴 化 と 晩 婚 化 は 1980 年 代 頃 から 急 速 に 進 んでいく 2 文 部 科 学 省 の 学 校 基 本 調 査 によると 女 性 の 大 学 進 学 率 ( 短 大 含 む)は 1970( 昭 和 45) 年 の 17.7%から 1980( 昭 和 55) 年 には 33.3%に 増 加 し 平 均 初 婚 年 齢 は 24.2 歳 から 25.2 歳 に 増 加 している また 総 務 省 国 勢 調 査 によると 20~34 歳 まで の 女 性 未 婚 率 も 増 加 の 一 途 を 辿 っている つまり 1980 年 代 頃 から 高 学 歴 で 経 済 的 にゆ とりのある 未 婚 女 性 が 増 えてきている 後 に プロ 野 球 ai 誌 上 にも 神 戸 製 鋼 所 や 熊 谷 組 印 刷 所 などに 勤 める OL が 登 場 する そして そのうちの 1 人 が ボーイフレンドよ りプロ 野 球 と 語 っていたことに 象 徴 されるように 20 代 の 独 身 OL 生 活 をプロ 野 球 の 追 っかけに 捧 げる 者 も 少 なくない 1991( 平 成 3) 年 には 結 婚 しないかもしれない 症 候 群 が 流 行 語 となったが 現 実 の 恋 愛 よりも 男 性 アイドルやプロ 野 球 選 手 のような 理 想 の 存 在 を 追 い 求 める 女 性 たちが 一 定 数 いたのである 女 子 中 高 生 を 中 心 とする 十 代 の 少 女 たちの 当 時 の 状 況 については 詳 細 な 統 計 データ 等 を 見 つけることが 難 しい したがって 新 聞 記 事 や 雑 誌 上 の 読 者 投 稿 欄 などの 意 見 を 拾 い 上 げながら 当 時 の 少 女 たちの 様 子 を 明 らかにしていきたい < 注 と 参 考 文 献 第 3 章 第 2 節 > 24

3. 男 性 誌 と 女 性 誌 に 見 る ミーハー 女 性 たち 1980( 昭 和 55) 年 5 月 22 日 号 週 刊 現 代 では おんな 野 球 狂 の ウッタァ と 題 する 記 事 において プロ 野 球 場 に 急 増 し 始 めた 若 い 女 性 ファンたちの 写 真 を 収 めた 特 集 が 掲 載 されている 1 日 本 ハムの 営 業 部 次 長 の 八 橋 弥 は 10 年 ほど 前 には 100 人 中 多 くても 5 人 いればいいほうだった 女 性 の 観 客 も ここ 2~3 年 の 間 に 10 人 に 2 人 ぐらいの 割 にふえ ました 私 どももおどろいています 中 学 高 校 生 は 旗 を 振 ったり ユニフォームを 着 た りして 賑 やかですが 大 学 生 OL となるとそれほどでもない 2 人 連 れもまあ 大 人 しいほ うですが 子 供 連 れのお 母 さん けっこうハシャギますね と 語 っているように この 頃 から 以 前 とは 異 なる 女 性 ファンたちがプロ 野 球 の 世 界 に 大 量 進 出 してきた 1980( 昭 和 55) 年 以 前 と 異 なるのは 女 性 たちの 年 齢 だ かつては 成 人 女 性 が 大 半 を 占 めていたが 写 真 を 見 るとデイゲーム ナイターゲームにかかわらず 十 代 の 若 い 女 性 たちが 目 立 って おり 高 校 生 もいる これは 以 前 なら 見 られなかった 光 景 だ また そこに 写 っている 女 性 たちはミニスカートや 短 パン ユニフォームなどに 身 を 包 み 私 設 応 援 団 の 中 で 熱 心 に 応 援 をしたり 旗 を 振 ったりしている 中 には 上 段 席 で 抱 擁 するアベックもいるが それは 少 数 であり グラウンドに 近 い 席 から 順 番 に 埋 まっている ことが 確 認 できる さらに このアベックがいる 後 楽 園 球 場 では 当 日 日 本 ハムと 千 葉 ロッ テの 試 合 が 行 われていたが 巨 人 戦 の 時 のように 超 満 員 になることはなく まだセ リー グ 中 でも 巨 人 の 人 気 が 群 を 抜 いていた 頃 だったようだ 女 性 たちの 言 葉 も 江 本 さんてあの 脚 が 長 いのがカッコイイのよね でも 掛 布 さんも ステキ 足 をケガしちゃって スッゴクかわいそう のように 選 手 をアイドル 化 してい るものが 多 い また 男 性 誌 ならではの 女 性 のスカートの 中 を 狙 った 際 どいショットが 多 く 野 球 を 見 に 来 るようになった 女 性 たちも 誌 面 上 では 未 だに 見 られる 客 体 であっ た やはり プロ 野 球 場 という 場 においては まだ 女 性 は 目 新 しく 映 るようだ また 男 性 誌 だけではなく 女 性 誌 においてもプロ 野 球 の 女 性 人 気 が 高 まってきたこと が 示 されている 女 性 セブン ( 小 学 館 1963 年 創 刊 )では 1981( 昭 和 56) 年 と 1982 ( 昭 和 57) 年 の 2 年 連 続 でプロ 野 球 の 特 集 が 組 まれており どちらも 開 幕 直 前 のものだ 1981( 昭 和 56) 年 3 月 19 日 号 では ワイワイタウン プロ 野 球 おもしろ 読 本 と 称 する 記 事 があり 一 般 公 募 から 選 ばれた WAI-WAI GAL という 20 歳 前 後 の 女 学 生 OL たち 4 人 による 球 団 や 選 手 への 取 材 や 編 集 部 の 取 材 記 事 によって 構 成 されている 2 ここでは 新 人 王 候 補 となっている 巨 人 の 原 や 人 気 急 上 昇 中 のパ リーグ からは 特 に 西 武 ライオン ズが 取 り 上 げられている その 中 には 選 手 の 顔 写 真 が 並 ぶ WAI-WAI GAL 選 定 輝 け! 顔 で 選 んだベスト9 や プロ 野 球 選 手 の 妻 のパターンを 類 型 化 し イラスト 付 きでその 全 身 像 を 紹 介 する 野 球 選 手 の 妻 になる 方 法 など 男 性 誌 ではまず 見 られない 内 容 も 並 ぶ また ロッテレディース 友 の 会 というプロ 野 球 界 初 の 女 性 限 定 のファンクラブもこ の 頃 に 創 設 されている 翌 年 の 1982( 昭 和 57) 年 4 月 1 日 号 では 引 き 続 き WAI-WAI TOWN のコーナーで さ 25

あ 開 幕!プロ 野 球 素 朴 な 疑 問 新 聞 と 題 する 記 事 が 掲 載 されている 3 読 者 からの 質 問 に 野 球 評 論 家 の 豊 田 泰 光 が 答 える Q&A 形 式 になっており そこには 作 夏 甲 子 園 をわか せた 金 村 クンの 大 ファンです 新 人 王 はとれるでしょうか? いばっているイメージが ある 広 岡 監 督 は 現 役 のころ どんな 選 手 だったの? かつての 甲 子 園 のヒーロー 太 田 幸 司 クンや 酒 井 圭 一 クンはどうしているの? デッドボールってどんな 痛 さなの? な ど 見 出 し 通 り 素 朴 な 疑 問 が 寄 せられている さきに 述 べた 1977( 昭 和 52) 年 の 女 性 自 身 では 野 球 を 全 く 知 らなかった 女 性 読 者 を 想 定 していたが 今 挙 げた 女 性 セブン の 記 事 では 既 にプロ 野 球 を 見 ている 女 性 が 想 定 読 者 となっている 男 性 誌 で 見 られる 客 体 として 表 象 されていた 女 性 たちは 女 性 誌 においては 積 極 的 にプロ 野 球 を 消 費 するための 情 報 を 提 供 されていたのだ また 山 口 (2012)も 昔 は 野 球 でも 相 撲 でも 芝 居 でも ひいきにする 客 の 方 がリッチ で 一 方 はハングリーだった いまや 大 逆 転 ですからね 技 はつたないけれど いい 体 し て お 金 たくさんもらってて むしろギャルの 方 から 仰 ぎ 見 られる 存 在 というのが 現 代 で すよ むろん 旦 那 持 ちでなくなったのは いい 時 代 だとは 思 いますがね ( 中 略 ) 十 年 くら い 前 までは 息 をひそめて 試 合 のシーンを 見 つめたもんでしょう ( 中 略 )それが いまは まるで 変 わった 不 作 法 というか 試 合 の 間 中 ドンチャカ ドンチャカとね( 笑 ) 野 球 を 知 らぬギャルまで 観 客 層 に 含 むことは それだけファンの 底 辺 が 広 がったといえるかもし れないけどねぇ 4 と 述 べるように 1980 年 代 後 半 には 球 場 に ギャル がいる 風 景 が 日 常 化 し ファン 層 の 拡 大 によって 応 援 席 の 風 景 も 変 化 していった プロ 野 球 選 手 のアイドル 化 については 新 聞 記 事 や 週 刊 誌 などで 1970 年 代 後 半 頃 から 盛 ん に 取 り 上 げられるようになった 1989 年 8 月 4 日 の 朝 日 新 聞 5 の 記 事 において スポー ツライターの 玉 木 とフリーライターの 京 塚 は それぞれ 野 球 のアイドル 選 手 ブームについ て 野 球 と 女 性 ファンの 変 遷 の 観 点 から 言 及 している 玉 木 は 野 球 が 女 性 人 気 を 獲 得 して いく 過 程 を 4 段 階 に 分 け それぞれ 1924( 大 正 13) 年 に 現 在 のアルプススタンドを 除 く 内 野 席 に 鉄 傘 のついた 甲 子 園 球 場 が 開 設 され 日 焼 けを 気 にする 女 性 たちを 集 客 し 始 めた 中 等 野 球 時 代 敗 戦 直 後 の 大 下 弘 ブーム 1970 年 前 後 の 太 田 幸 司 ブーム そして 当 時 の 1980 年 代 後 半 のアイドル 選 手 ブームとした また 京 塚 は 1975( 昭 和 50) 年 の 定 岡 正 二 のプロ 入 りがブームの 発 端 であり 男 の 世 界 に 女 が 入 っていくという 部 分 で 女 性 の 社 会 進 出 とど こかで 連 動 して いると 述 べる しかし 前 述 したように 1958( 昭 和 33) 年 の 川 崎 球 場 では 早 くも 目 当 ての 選 手 に 接 触 し たり 出 待 ちをする ミーハー 族 と 称 される 若 い 女 性 たちが 存 在 していた 玉 木 が 指 摘 す る 大 下 弘 ブームと 太 田 幸 司 ブームの 中 間 京 塚 が 指 摘 する 定 岡 のプロ 入 り 前 のことである そこで 女 性 たちが 大 声 で 叫 んでいたのは 同 年 にデビューした 長 嶋 茂 雄 難 波 昭 二 郎 1956 ( 昭 和 31) 年 にプロ 入 りして 新 人 王 を 獲 得 した 22 歳 の 秋 山 登 といった 選 手 の 名 前 だった 6 総 じて 人 気 があったのは デビューして 間 がなく 若 くて 実 力 がある 選 手 だった 26

< 注 と 参 考 文 献 第 3 章 第 3 節 > 27

4. プロ 野 球 ai の 創 刊 とアイドル 選 手 ブーム 4-1. 女 性 向 けプロ 野 球 情 報 誌 プロ 野 球 ai 創 刊 の 経 緯 < 新 しいスポーツ 情 報 誌 > アイドル 選 手 ブームが 盛 り 上 がりを 見 せていた 1988( 昭 和 63) 年 に 日 刊 スポーツ 出 版 社 から 若 い 女 性 向 けプロ 野 球 情 報 誌 プロ 野 球 ai が 創 刊 された 本 誌 は 従 来 のスポーツ 雑 誌 とは 一 線 を 画 する 存 在 であった まずは 作 り 手 側 の 視 点 から プロ 野 球 ai の 特 徴 を 見 ていきたい 日 刊 スポーツ 出 版 社 は 1964( 昭 和 39) 年 10 月 に 設 立 され 社 員 は 男 性 11 名 女 性 4 名 の 計 15 名 だった 代 表 取 締 役 は 矢 久 保 双 雄 取 締 役 は 田 中 満 繁 ( 後 の 編 集 長 ) 中 出 水 勲 ( 後 の 編 集 長 ) 川 田 博 美 である 1 会 社 を 取 り 仕 切 っていたのは 主 に 男 性 だ が 実 際 の 現 場 における 取 材 を 行 ったり 誌 面 に 登 場 したりするのはほとんどが 女 性 社 員 であった そして 女 性 ならではの ミーハー な 視 点 による 誌 面 作 りがその 特 徴 の 1 つ となっている 日 刊 スポーツ 新 聞 社 によると 日 刊 スポーツの 出 版 事 業 は 1947( 昭 和 22) 年 の 週 刊 スポーツ ジャーナル から 始 まった 2 そして 社 長 の 川 田 が 個 人 的 に 出 資 し ていた 出 版 社 ( 株 )スポーツライフ パブリシング が 1967 年 ( 昭 和 42) 年 に 称 号 を ( 株 ) 日 刊 スポーツ 出 版 社 と 改 め た そして 第 1 号 出 版 物 はかつて 新 聞 社 が 出 した あなた のゴルフを ( 小 松 原 三 夫 著 )の 改 訂 版 で 売 り 出 しは 好 評 であった そこから 現 在 のよう にプロ 野 球 J リーグの 選 手 名 鑑 もしくはそれらの 女 性 向 け 情 報 誌 などを 発 行 するように なるまで 2 つの 転 機 があった 1 つ 目 は 1974( 昭 和 49) 年 の 長 嶋 茂 雄 特 集 栄 光 の 17 年 が 18 万 部 の 大 ヒットである 従 来 のサラリーマン 向 けゴルフ 技 術 解 説 書 やギャンブル 必 勝 法 のような 内 容 から スター 選 手 の 足 跡 をつづった 栄 光 ~ への 路 線 変 更 が 功 を 奏 し 読 者 層 が 広 がっていった そして 2 つ 目 が 1976( 昭 和 51) 年 8 月 に 東 海 大 相 模 の 原 辰 徳 を 特 集 した 甲 子 園 の 星 大 会 号 の 出 版 だ 原 の アップ 写 真 直 筆 サインを 使 い 高 野 連 から 抗 議 が 来 るのでは と 思 われるほど 当 時 としては 大 胆 な 内 容 だった 本 誌 は 輝 け 甲 子 園 の 星 と 改 称 されて 今 なお 発 行 され 続 けており 本 論 文 で 取 り 上 げた プロ 野 球 ai や J リーグファンの 女 性 向 け 情 報 誌 サッカーai ( 日 刊 スポーツ 出 版 社 1991 年 創 刊 現 在 はマガジン マガジンより 発 行 )の 創 刊 にいたるまでの 先 駆 け 的 媒 体 となった プロ 野 球 ai は 創 刊 当 初 の 1988( 昭 和 63) 年 時 は 季 刊 誌 であったが 25 万 部 ( 公 称 ) だった 部 数 が 30 万 部 ( 公 称 )に 伸 びたこともあり 翌 年 からは 隔 月 発 行 となった 出 版 不 況 で 各 雑 誌 が 廃 刊 に 追 い 込 まれている 現 在 でも 隔 月 で 発 行 され 続 けていることからも そ の 人 気 がうかがえる 従 来 の 野 球 雑 誌 は 専 門 的 な 技 術 論 やペナントレースの 勝 敗 に 焦 点 が 当 てられていたが 本 誌 はそれらと 全 く 特 徴 を 異 にしていた 朝 日 新 聞 (1989 年 8 月 4 日 ) 3 の 記 事 では 写 真 をふんだんに 使 い 選 手 の 人 柄 を 引 き 出 すインタビュー 記 事 や 趣 味 服 装 など 私 生 活 を 紹 介 する 記 事 が 中 心 であると 紹 介 されている < プロ 野 球 ai の 前 身 > 28

だが プロ 野 球 ai の 前 には 1981( 昭 和 56) 年 にベースボール マガジン 社 から JAMJAM 野 球 界 という 女 性 向 けプロ 野 球 情 報 誌 が 既 に 発 売 されていた 創 刊 号 の 巻 頭 言 には 社 長 の 池 田 恒 雄 が 戦 前 唯 一 の 野 球 専 門 誌 であった 野 球 界 は 潰 れてしまったが 時 代 に 合 わせた 新 たなスタートとして 本 誌 を 創 刊 する 旨 が 記 されている 京 塚 (1985)に は 月 刊 ジャイアンツ と JAMJAM 野 球 界 はミーハーの 味 方 4 とある つまりこれ はアイドル 選 手 ブームの 流 行 に 合 わせて 創 刊 したという 意 味 に 取 れる しかし 後 述 する ように 本 誌 は 1985( 昭 和 60) 年 には 廃 刊 に 至 った 今 なお 発 刊 され 続 ける プロ 野 球 ai と JAMJAM 野 球 界 にはどのような 違 いがあったのだろうか まずはその 誌 面 内 容 がど のようなものだったのかを 見 ていきたい JAMJAM 野 球 界 創 刊 号 では 1976( 昭 和 51) 年 に 甲 子 園 のアイドルとして 注 目 を 浴 びた 原 辰 徳 が 私 服 姿 で 1 人 表 紙 を 飾 っている また 記 事 の 内 容 も 公 募 で 選 定 されたフ ァンと 人 気 選 手 とのデートを 編 集 部 がレポートする 1 日 デート プロ 野 球 好 きの 若 い 女 性 が 好 きなチームや 選 手 について 熱 く 語 る A DAY OF A BASEBALL GAL ファンに 電 話 取 材 をして 好 きな 選 手 への 思 いを 語 ってもらったり プロ 野 球 に 対 して 意 見 をしてもら う Voice Recordary ファンが 自 身 で 撮 ったベストショットを 投 稿 する 私 の 撮 ったこの 1 枚 そのほか 占 い コーナー 選 手 を 漫 画 タッチで 描 く イラスト 投 稿 欄 野 球 大 好 きギャルたち のためのファッショングラビアなど 特 定 の 選 手 をフォーカスし 読 者 投 稿 が 盛 んであることが 特 徴 だった また 雑 誌 全 体 でイラストが 多 用 されていたり ポ ップでカラフルなレイアウトやくだけた 文 体 が 多 く 野 球 のルールがわからない 女 性 でも 気 軽 にプロ 野 球 の 情 報 に 接 することが 可 能 になっていた 1981( 昭 和 56) 年 の 8 月 号 においては 以 前 中 田 良 弘 ( 当 時 阪 神 タイガース( 以 下 阪 神 ) 在 籍 )ファンを 同 誌 にて 公 言 した 友 人 に 同 選 手 のファンから 脅 迫 状 が 送 られてきた ことについて 不 愉 快 な 手 紙 はやめて!! と 苦 言 を 呈 する 読 者 の 投 稿 が 掲 載 されていた これはジャニーズ 系 アイドルのファン 同 士 で 好 きなメンバーがかぶってしまった 時 にしば しば 起 こる 怪 文 書 の 話 に 類 似 している 5 つまり 彼 女 たちにとっては 同 じメンバーを 好 きになる 女 性 は 同 じ 価 値 観 や 趣 味 を 共 有 する 仲 間 ではなく 嫉 妬 心 をぶつける 矛 先 であ り 煩 わしい 敵 ライバルのような 存 在 なのだ この 時 点 においては プロ 野 球 選 手 を 眼 差 す 若 い 女 性 たちの 視 線 は ジャニーズ 系 アイドルのメンバーに 向 ける 追 っかけファンの それと 何 ら 変 わらないものである 女 性 にとって ひいきのプロ 野 球 選 手 はジャニーズ 事 務 所 に 所 属 する 男 性 アイドルたちと 同 一 化 されているのだ 読 者 参 加 型 企 画 や 読 者 投 稿 欄 を 見 ると 高 橋 忍 クン(20) 堀 内 美 公 子 クン( 高 2 17 大 阪 市 ) 蓮 沼 勝 美 ( 専 門 19 千 葉 ) とあるように 女 子 高 校 生 から 20 歳 前 後 の 専 門 学 校 生 短 大 生 OL などが 主 な 読 者 であった 上 述 したような JAMJAM 野 球 界 の 特 徴 は 別 会 社 ではあるが プロ 野 球 ai にも 受 け 継 がれている カラフルでポップなフォントやハートマークなどを 多 様 する 独 特 の 文 体 女 性 記 者 中 心 の 明 るくミーハーな 視 点 からの 選 手 インタビュー 試 合 外 での 選 手 の 姿 29

を 収 めた 多 くのスナップ 写 真 を 散 りばめたアイドル 雑 誌 のような 誌 面 構 成 など 雑 誌 自 体 の 特 徴 がかなり 類 似 している だが JAMJAM 野 球 界 が 短 命 に 終 わってしまった 理 由 を 考 えると 戦 略 面 において プロ 野 球 ai との 明 確 な 違 いが 顕 になってくる まず JAMJAM 野 球 界 で 主 に 取 り 上 げられていたのは 巨 人 を 中 心 とするセ リーグの 選 手 たちだった 表 紙 を 見 ても 創 刊 号 の 原 に 始 まり 2 号 は 広 島 の 高 橋 慶 彦 3 号 は 巨 人 の 定 岡 正 二 であった 1982( 昭 和 57) 年 5 月 号 で 行 われた 人 気 選 手 読 者 投 票 ランキングにおい ても 10 人 中 9 人 がセ リーグの 選 手 で そのうち 5 人 は 巨 人 の 選 手 だ 1981( 昭 和 56) 年 が 原 がプロ 入 りした 年 でもあり 巨 人 に 注 目 が 高 まっていたが 翌 82( 昭 和 57) 年 には 西 武 が 初 の 日 本 一 となり 1994( 平 成 6) 年 まで 続 く 西 武 黄 金 時 代 が 到 来 する JAMJAM 野 球 界 は 男 女 関 係 なく 全 国 的 に 人 気 のあった 巨 人 の 選 手 を 中 心 に 取 り 上 げ 続 けた 故 に チーム 単 位 ではなく 選 手 単 位 でプロ 野 球 を 見 ている 移 り 気 な 女 性 ファンの 心 を 繋 ぎ 止 めておくことができなくなったようだ また 当 時 はまだプロ 野 球 情 報 誌 を 購 入 して 好 き な 選 手 を 追 いかけるという 楽 しみ 方 の 経 路 がまだできていなかったのだろう 従 来 とは 異 なる 新 しい 女 性 ファンを 捉 えて 新 しいプロ 野 球 の 楽 しみ 方 を 提 供 して 定 着 させることは 本 誌 にはできなかった 1981( 昭 和 56) 年 というセ リーグ 主 体 の 時 代 における 女 性 向 け 野 球 雑 誌 の 創 刊 は 時 期 尚 早 だったと 言 えるかもしれない それでは プロ 野 球 ai はどのようにして 新 しい 女 性 ファンを 捉 え 今 日 まで 繋 ぎ 止 め ることができているのだろうか プロ 野 球 ai は 西 武 黄 金 時 代 の 最 中 である 1988( 昭 和 63) 年 に 創 刊 され 創 刊 号 の 表 紙 は 西 武 の 工 藤 公 康 であった また 当 時 は 女 性 たちの 間 では パ 高 セ 低 の 傾 向 があると 言 われており 同 誌 もそれに 合 わせて 日 本 ハムの 西 崎 や 近 鉄 の 阿 波 野 など パ リーグの 選 手 を 中 心 に 取 り 上 げた 後 述 するように 巨 人 の 緒 方 耕 一 が 長 い 間 読 者 人 気 を 博 することもあったが 決 して 提 供 する 情 報 は 巨 人 一 辺 倒 ではな かった JAMJAM 野 球 界 が 男 女 問 わず 人 気 のあった 巨 人 を 始 めとするセ リーグ 中 心 の 大 衆 受 けする 誌 面 構 成 だった 一 方 で プロ 野 球 ai はパ リーグの 様 々な 選 手 を 取 り 上 げることで 当 時 女 性 の 嗜 好 に 特 化 したニッチな 誌 面 作 りを 行 っていた また 新 聞 や 雑 誌 などの 各 媒 体 でアイドル 選 手 ブームが 取 り 上 げられはじめた 時 期 でもあり カメラや サイン 色 紙 片 手 に 球 場 に 駆 けつける 女 性 たちにとって 女 性 向 けプロ 野 球 情 報 誌 を 購 入 し て 好 きな 選 手 をチェックするということは ごく 自 然 な 行 動 であったとも 言 える 自 分 だ けのアイドルを 探 す 女 性 たちにとって プロ 野 球 ai はテレビや 新 聞 などのセ リーグ 中 心 の 媒 体 ではカバーしきれない 貴 重 な 情 報 を 得 るために 欠 かせないものとなっていったの である < 注 と 参 考 文 献 第 3 章 第 4 節 第 1 項 > 30

4-2.プロ 野 球 界 に 誕 生 した 女 性 誌 それでは プロ 野 球 ai はどのような 特 徴 を 持 っていたのか プロ 野 球 ai が 画 期 的 であったのは その 誌 面 構 成 や 読 者 層 などが 従 来 のスポーツ 情 報 誌 とは 大 きく 異 なり ア イドル 雑 誌 を 中 心 とする 女 性 誌 と 同 等 の 存 在 として 扱 われていたことだ 例 えば それは 表 紙 のレイアウトにも 表 れている 図 2 にあるように その 表 紙 は Myojo ( 集 英 社 )な どのアイドル 雑 誌 を 中 心 とする 女 性 誌 を 連 想 させるレイアウトになっている カラフルな 表 紙 に 各 時 代 の 人 気 選 手 の 一 枚 絵 が 大 写 しにされているレイアウトがほとんどであるが 1998( 平 成 10) 年 7 月 号 から 同 年 11 月 号 までの 3 冊 などは 細 かい 写 真 が 散 りばめられて おり ジャニーズ 系 アイドル 専 門 誌 の ポポロ (1992 年 創 刊 麻 布 台 出 版 社 )や 若 手 俳 優 情 報 誌 の JUNON ( 主 婦 と 生 活 社 1982 年 に 現 在 の 内 容 にリニューアル) 1 などの 若 い 女 性 向 け 雑 誌 に 酷 似 している 2 1989( 平 成 1) 年 時 点 で 編 集 長 であった 町 田 秀 夫 (42)によると 読 者 の 中 心 は17 歳 前 後 3 であり 女 性 が 中 心 であった つまり 従 来 のスポーツ 情 報 誌 とは 異 なる 新 たな 読 者 層 を 獲 得 していた 故 に ライバル 雑 誌 はスポーツ 誌 ではなく むしろジャニーズ 系 アイ ドルや 若 手 俳 優 の 情 報 が 載 せられている Myojo ポポロ JUNON などの 芸 能 雑 誌 だった また 主 な 読 者 層 や 類 似 雑 誌 は 前 述 した JAMJAM 野 球 界 に 類 似 していること もわかる また 作 り 手 側 に 女 性 が 多 いのも 本 誌 の 特 徴 だ 新 聞 や 大 衆 向 け 週 刊 誌 を 見 た 時 記 事 の 書 き 手 やカメラマンなどの 作 り 手 側 はほぼ 全 員 男 性 で 占 められているが その 対 象 がス ポーツとなると その 傾 向 はさらに 顕 著 になっていく そんな 中 プロ 野 球 ai 1989( 平 成 1) 年 5+6 月 号 4を 見 ると 本 誌 を 統 括 する 責 任 者 として 編 集 コーディネーター 鉄 矢 多 美 子 と 記 されている 鉄 矢 は 硬 式 野 球 部 でのマネージャー 経 験 や ロッテ オリオンズ でのウグイス 嬢 広 報 担 当 経 験 があり 野 球 に 造 詣 の 深 いスポーツライターである スポ ーツ 誌 において 女 性 が 責 任 者 として 指 揮 を 揮 っているところは 我 が 国 ではほかにないだろ う 5 さらに 同 月 号 の 編 集 メンバーは 鉄 矢 を 除 いた 8 人 のうち 3 人 が 女 性 であり 選 手 へのインタビュー 取 材 や 現 場 レポートなど 記 事 の 執 筆 はほぼ 全 て 女 性 が 担 当 している そこでの 取 材 者 側 の 態 度 は ペナントレースの 勝 敗 の 行 方 やプロ 野 球 に 深 く 精 通 したジャ ーナリズム 的 な 立 場 というよりは むしろルールを 熟 知 してこそいないが 人 気 の 選 手 に 興 味 津 々な ミーハー の 立 場 である インタビューの 質 問 内 容 も 選 手 の 成 績 やチーム の 調 子 などは 最 低 限 のものに 留 まり 選 手 の 結 婚 観 や 恋 愛 観 好 みの 女 性 のタイプや 休 日 は 何 をして 過 ごしているのかなど プライベートな 内 容 がほとんどである プロ 野 球 の 情 報 をジャーナリズムの 立 場 から 価 値 中 立 的 に 伝 えるスポーツ 誌 というよりは 人 気 選 手 の プライベートを 含 む 多 彩 な 情 報 を ミーハー な 女 性 読 者 に 届 ける 女 性 誌 として 女 性 の 視 点 から 作 られた 雑 誌 だと 言 える 雑 誌 全 般 の 発 行 部 数 がピークであった 1992( 平 成 4) 年 には 最 多 人 数 となる 13 人 体 制 で 本 誌 を 制 作 していたこともあり プロ 野 球 選 手 をアイド ルのように 扱 っていた 本 誌 の 需 要 も 同 様 に 高 まっていたことがうかがえる 31

また 本 誌 は 付 録 も 充 実 している それは 選 手 の 顔 が 大 きく 写 ったテレホンカード シ ール ポスター カレンダーなどだ プレゼント コーナー での 応 募 だけでなく 雑 誌 自 体 に 元 々 付 随 しているものも 少 なくない これは 好 きな 選 手 のシールやポスターで 自 分 の 部 屋 や 身 の 回 りをデコレートしていく 女 性 たちのニーズに 応 えた 仕 様 だ 現 在 の 女 性 向 けファッション 誌 などは 付 録 としてカバンやサンダルなどが 付 いてくる 女 性 誌 にとっ て 付 録 は 消 費 者 の 購 入 動 機 としても 重 要 な 役 割 を 担 っているのだ また 同 月 号 の 巻 末 に 収 録 されている 編 集 室 という 作 り 手 側 の 編 集 後 記 として 機 能 している 欄 を 見 ると 選 手 球 団 側 の 理 解 によって 本 誌 は 1 年 前 からスタートした 旨 が 記 されている つまり 選 手 や 球 団 側 も プロ 野 球 ai が 従 来 のスポーツ 紙 スポーツ 誌 とは 異 なるものと 理 解 した 上 で 取 材 に 対 応 しているのだ 限 られた 練 習 時 間 の 合 間 を 縫 っ て 取 材 に 協 力 するのは 当 時 増 えつつあった ミーハー 的 女 性 ファンという 新 しい 層 を 獲 得 して 観 客 増 を 狙 いたいという 球 団 側 の 思 惑 もあったのではないかと 考 えられる 出 版 業 の 裾 野 を 広 げたい 日 刊 スポーツ 出 版 社 と 女 性 ファン 層 を 拡 大 したい 球 団 側 との 共 犯 関 係 は 現 在 もなお 維 持 され 続 けている また 同 欄 には 女 性 ファンの 過 激 な 選 手 への 接 近 ぶ りと 行 動 に 編 集 部 が 苦 言 を 呈 する 箇 所 もあり 実 際 に 球 場 まで 出 向 いて 選 手 に 接 近 しよう とする 女 性 ファンの 過 熱 ぶりがうかがえる プロ 野 球 ai が 実 際 にどのような 誌 面 構 成 をされていたのかについても 見 ていきたい 1989( 平 成 1) 年 5+6 月 号 を 見 ると 女 性 に 人 気 のある 若 手 実 力 派 選 手 に 恋 愛 観 や 私 生 活 をインタビューする ai インタビュー 胸 ドキ 企 画 気 になるアイツ New Comer 登 場! 身 がわりインタビュー 読 者 投 票 によって 選 手 の 格 付 けを 行 う いま 光 っている アイドルたち 既 婚 の 選 手 に 伴 侶 との 馴 れ 初 めを 聞 いた My LoveStory ミセス 訪 問 仲 の 良 い 選 手 同 士 がざっくばらんに 対 談 するコーナー( 本 号 では 大 洋 ホエールズ( 以 下 大 洋 )の 友 利 結 と 相 川 英 明 による 大 洋 ヤング 対 談 )や 爆 笑 フリートーク まだ 表 舞 台 に 立 っていない 若 手 選 手 の 情 報 がわかる ファーム コーナー などがある 読 者 参 加 型 企 画 では 読 者 が 撮 影 したベストショットを 投 稿 する MY PHOTO 漫 画 タッチに 選 手 を 描 いた イラスト 自 慢 ファン 同 士 が 繋 がるための 文 通 しましょう などがあり JAMJAM 野 球 界 がベースにあることがわかる 目 次 に 掲 載 されている 各 頁 のコピー( 記 事 本 文 の 引 用 )は 早 く 結 婚 して 落 ちつきたい んだけど 25 か 26 いや 27 か 28 かな? 結 婚 したら 亭 主 関 白 になる!なりたい なれ るかなぁ おじゃまします! 村 上 さん 住 まい 料 理 ファッション など 一 見 す るだけではプロ 野 球 情 報 誌 であることに 気 付 くことが 容 易 ではない また 野 球 について の 専 門 知 識 がなくても 読 むことが 可 能 であり 本 誌 を 読 むことで 野 球 についての 専 門 知 識 が 身 に 付 くというわけではないこともわかる < 注 と 参 考 文 献 第 3 章 第 4 節 第 2 項 > 32