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4. その 他 (1) 期 中 における 重 要 な 子 会 社 の 異 動 ( 連 結 範 囲 の 変 更 を 伴 う 特 定 子 会 社 の 異 動 ) 無 新 規 社 ( 社 名 ) 除 外 社 ( 社 名 ) (2) 簡 便 な 会 計 処 理 及 び 四 半 期 連 結 財 務 諸 表 の

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2 一 般 行 政 職 給 料 表 の 状 況 ( 平 成 23 年 4 月 1 日 現 在 ) 1 号 給 の 給 料 月 額 最 高 号 給 の 給 料 月 額 1 級 2 級 3 級 4 級 5 級 ( 単 位 : ) 6 級 7 級 8 級 135, , ,900 2

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定款

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2 役 員 の 報 酬 等 の 支 給 状 況 平 成 27 年 度 年 間 報 酬 等 の 総 額 就 任 退 任 の 状 況 役 名 報 酬 ( 給 与 ) 賞 与 その 他 ( 内 容 ) 就 任 退 任 2,142 ( 地 域 手 当 ) 17,205 11,580 3,311 4 月 1

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<重要な会計方針及び注記>

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2 一 般 行 政 職 給 料 表 の 状 況 (24 年 4 月 1 日 現 在 ) 1 級 2 級 3 級 4 級 5 級 6 級 1 号 給 の 給 料 月 額 135,6 185,8 222,9 261,9 289,2 32,6 最 高 号 給 の 給 料 月 額 243,7 37,8 35

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などは 別 の 事 業 所 とせず その 高 等 学 校 に 含 めて 調 査 した 5 調 査 事 項 単 独 事 業 所 調 査 票 全 産 業 共 通 事 項 ( 単 独 事 業 所 ) ア 名 称 及 び 電 話 番 号 イ 所 在 地 ウ 経 営 組 織 ( 協 同 組 合 においては 協

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Transcription:

満 洲 国 における 各 国 企 業 の 共 存 関 係 ロシア 企 業 の 生 き 残 り 戦 略 を 中 心 に 研 究 代 表 者 : 藤 原 克 美 ( 大 阪 大 学 言 語 文 化 研 究 科 准 教 授 ) 1. 研 究 の 目 的 満 洲 ( 帝 ) 国 では 日 本 人 の 優 位 が 思 想 の 面 でも 実 生 活 の 面 でも 支 配 的 であったことは 言 う までもないが 五 族 協 和 をスローガンに 多 民 族 の 共 存 共 栄 を 謳 っており 個 人 レベルや 個 別 事 例 では 他 民 族 との 友 好 的 な 関 係 も 皆 無 ではなかった 特 に 亡 命 ロシア 人 に 関 しては 時 には 満 洲 国 を 構 成 する 五 族 から 排 除 され 時 には 五 族 に 数 え 入 れられたことに 象 徴 されるように 1 常 に 流 動 的 な 立 場 にあった 白 系 露 人 事 務 局 なる 特 別 の 政 府 を 与 えられたことも 特 筆 に 値 する 満 洲 国 におけるロシア 人 と 日 本 人 の 共 存 関 係 を 文 化 的 側 面 からみた 生 田 美 智 子 によれば 日 本 人 はヨーロッパに 対 して 憧 れや 尊 敬 の 念 を 抱 い ていたため その 征 服 者 となった 自 身 への 誇 りはあるものの ロシア 人 を 蔑 む 視 点 が 常 に 見 られるわけではない 2 さらに ソ 連 が 軍 事 的 脅 威 であったがゆえに 満 洲 に 住 む 白 系 ロ シア 人 は 反 ソで 協 力 できる 相 手 でもあった このように ロシア 人 との 関 係 は 必 ずしも 支 配 被 支 配 の 構 造 としてのみ 捉 えることはできない 経 済 の 面 でも 中 国 東 北 部 は 歴 史 的 に ハルビンの 都 市 建 設 や 鉄 道 敷 設 に 携 わったロシア 人 の 影 響 力 の 強 い 地 域 であった そこに 大 きな 利 害 関 心 を 有 する 日 本 のほか 欧 米 諸 国 も 加 わり 19 世 紀 末 から 20 世 紀 初 頭 にかけて 熾 烈 な 利 権 獲 得 争 いが 展 開 された 最 終 的 には 満 洲 国 成 立 によって 日 本 が 支 配 権 を 握 り 様 々な 方 法 で 外 国 資 本 を 規 制 し 日 本 企 業 の 優 位 が 追 及 された すでに 確 たる 地 位 を 築 いていたロシア 企 業 の 多 くも 縮 小 を 余 儀 なくされ 接 収 も 行 われた 極 東 最 大 のロシア 系 百 貨 店 と 言 われた チューリン 商 会 は 1936 年 に 香 港 上 海 銀 行 に 所 有 権 が 移 転 したが すでに 1932 年 頃 から 実 質 的 には 日 本 の 影 響 下 にあった 3 一 方 いくつかのロシア 企 業 は 満 洲 国 を 通 じて 存 続 を 続 けた 穆 稜 炭 鉱 のスキデリスキー 兄 弟 や ヴォロンツォフ 商 会 のヴォロンツォフ 兄 弟 は 終 戦 までハルビンに 留 まることがで きた しかし 経 営 においてどの 程 度 の 決 定 権 があったのか どのようにして 日 本 との 対 立 を 回 避 し ( 少 なくとも 表 面 上 は) 協 力 関 係 を 築 いていたのかについては 詳 らかではない そこで ここでは 林 業 と 百 貨 店 事 業 を 中 心 にロシア 系 企 業 と 日 系 企 業 を 比 較 検 討 し 満 洲 国 における 各 国 企 業 の 共 存 関 係 を 考 察 する なお ここでのロシア 企 業 とは 亡 命 ロシア 人 が 革 命 後 に 中 国 東 北 部 を 拠 点 として 形 成 した もので いわゆる ソ 連 企 業 ではない 満 洲 のロシア 企 業 は 本 国 に 事 業 基 盤 を 持 つ 英 国 企 業 やドイツ 企 業 などの 海 外 進 出 とは 性 格 を 異 にするものであったこと ただし 国 際 都 市 ハル ビンを 中 心 として 企 業 自 身 が 取 り 結 んだ 関 係 は 民 族 と 空 間 をまたがるグローバルなものであ ったという 特 徴 を 持 つ 2. 研 究 の 実 施 方 法 2-1. 資 料 の 所 在 ソ 連 崩 壊 と 中 国 の 改 革 開 放 を 受 けて 1990 年 代 より 中 国 東 北 部 のロシア 人 についての 研 究 は 急 速 に 進 展 した しかし 満 洲 国 時 代 の 状 況 については 多 くの 資 料 が 戦 中 戦 後 の 混 乱 の 中 1 生 田 美 智 子 満 洲 の 亡 命 ロシアの 表 象 着 衣 と 裸 体 セーヴェル 26 号 19-34 頁 2 同 上 3 拙 稿 (2010) ロシア 企 業 としてのチューリン 商 会 セーヴェル 第 26 号 34-47 頁 拙 稿 (2011) 1930 年 代 前 半 のチューリン 商 会 -ニコライ カシヤノフの 手 記 より- セーヴェル 第 27 号 106-118 頁 拙 稿 (2012) 満 洲 国 におけるロシア 人 ビジネスの 衰 退 と 人 的 ネットワーク チューリン 商 会 の 売 却 を 中 心 に 生 田 美 智 子 編 満 洲 の 中 のロシア: 境 界 の 流 動 性 と 人 的 ネットワーク 成 文 社 第 6 章 151-176 頁 -75-

で 紛 失 したり あるいは 古 文 書 館 に 封 印 されたりしたことで あまり 知 られてはいない このような 状 況 のなかで 現 在 最 も 貴 重 な 資 料 の 一 つは ロシア 連 邦 ハバロフスク 地 方 国 立 文 書 館 所 蔵 の 白 系 ロシア 人 フォンド である これは 1945 年 にソ 連 軍 がハルビンに 入 城 し た 際 に 押 収 した 資 料 であり 6 万 にもおよぶファイルがある 特 に 貴 重 なのは ロシア 人 の 政 府 とも 言 われる 白 系 露 人 事 務 局 の 資 料 で 亡 命 ロシア 人 はこの 事 務 局 への 登 録 が 義 務 づけ られていたため 多 くの 個 人 情 報 ファイルも 含 まれている 今 回 の 研 究 では 以 前 にこの 文 書 館 で 収 集 していた 資 料 を 一 部 利 用 している もう 一 つの 資 料 は ハルビンから( 天 津 や 上 海 を 経 由 して)オーストラリア ブラジル 米 国 等 に 二 次 亡 命 したロシア 人 の 資 料 である 特 にサンフランシスコには 亡 命 ロシア 人 によっ てロシア センターが 設 立 されており そこに 亡 命 者 の 貴 重 な 資 料 が 残 る スタンフォード 大 学 やカリフォルニア 州 立 大 学 バークレー 校 によってこの 資 料 の 一 部 は 整 理 され さらに この マイクロフィルム 資 料 の 一 部 は ロシアの 国 立 文 書 館 にも 寄 贈 された 今 回 は ロシア 国 立 文 書 館 でこの 資 料 を 閲 覧 した 満 洲 国 時 代 についてのもう 一 つの 資 料 は 日 本 のものである 大 半 は 日 本 語 で 書 かれたもの だが ロシア 語 の 資 料 も 若 干 あり 筆 者 の 所 属 する 大 阪 大 学 のほか 一 橋 大 学 や 北 海 道 大 学 な どに 所 蔵 されている また 関 西 大 学 には 雑 誌 ルベーシ の 貴 重 なコレクションがある ル ベーシ は 1929 年 から 1945 年 までハルビンで 発 行 されていた 大 衆 的 なロシア 語 雑 誌 で 関 西 大 学 には 1933-1945 年 のものが 欠 号 も 少 なく 良 好 な 状 態 で 保 存 されている 今 回 その 一 部 を 閲 覧 利 用 した もう 一 つの 資 料 の 所 在 地 は 間 違 いなく 中 国 のハルビンである 今 回 は 中 国 調 査 の 際 に 現 地 の 専 門 家 と 面 会 し この 資 料 の 利 用 可 能 性 を 探 った しかし 今 のところ 満 洲 国 時 代 の 資 料 は 公 開 されておらず 今 後 の 展 開 を 待 つほかない 2-2. 現 地 調 査 2013 年 9 月 3 日 から 9 月 10 日 にかけて 中 国 東 北 部 で 現 地 調 査 を 行 なった 今 回 は 大 阪 大 学 名 誉 教 授 の 生 田 美 智 子 先 生 を 団 長 とする 在 満 亡 命 ロシア 人 調 査 に 同 行 した この 調 査 に 同 行 したのは 筆 者 が 中 国 語 を 解 さず 初 めての 中 国 東 北 部 調 査 であったこともあるが 本 研 究 に 直 接 関 係 するテーマであったことが 大 きい 調 査 団 は 中 国 東 北 部 のロシア 人 やユダヤ 人 に 関 心 を 持 つ 研 究 者 を 中 心 とする 14 人 のグループで 中 国 人 ガイドの 案 内 で 哈 爾 浜 ~ 牡 丹 江 間 を 中 心 に 調 査 を 行 った 宗 教 教 育 農 業 などを 専 門 とする 参 加 者 の 詳 しい 解 説 を 聞 きながら 現 在 の 地 図 では 到 底 知 り 得 ない 白 系 ロシア 人 ゆかりの 地 をめぐり また 適 切 なガイド 無 くし てはたどり 着 くことのできない 農 村 調 査 も 効 率 よく 進 めることができた 本 研 究 に 直 接 関 係 す るところでは ハルビン 市 社 会 科 学 院 の 邸 春 光 先 生 のご 尽 力 で 黒 竜 江 省 社 会 科 学 院 ユダヤ 研 究 センターの 張 鉄 江 先 生 と 面 会 することができ 手 持 ちの 資 料 の 交 換 を 行 った 档 案 館 には 入 れなかったものの ハルビン 市 図 書 館 郷 土 史 資 料 室 で 資 料 を 閲 覧 することができた ハルビン 以 外 では コワリスキーから 近 藤 林 業 に 譲 渡 された 林 区 七 里 村 を 訪 れた 七 里 村 は 鉄 道 駅 のある 横 道 河 子 から 七 里 の 距 離 にあることから 付 けられた 名 前 で 深 い 山 間 に 製 材 場 跡 の 平 地 が 残 されていた 製 材 場 のすぐ 脇 の 近 藤 繁 司 の 住 まいも 確 認 できた( 近 藤 家 の 本 邸 はハルビンにあった) 1926 年 に 海 林 地 区 初 の 党 支 部 ができた 場 所 として この 建 物 は 中 国 共 産 党 の 歴 史 的 建 造 物 に 指 定 されているが 中 は 分 割 されて 2 家 族 が 使 用 していた 森 林 伐 採 は 資 源 枯 渇 のため 現 在 は 禁 止 されている -76-

現 在 の 横 道 河 子 駅 ( 横 道 河 子 にはロシア 人 風 旧 コワリスキー 邸 ( 満 洲 時 代 は 満 鉄 理 事 公 館 ) 情 街 教 会 がある) 七 里 村 製 材 場 跡 海 林 地 区 第 一 個 党 支 部 旧 址 ( 七 里 村 ) 3. 研 究 内 容 3-1. ロシア 人 ビジネスの 比 重 まず 1930 年 代 の 満 洲 ならびにハルビンの 状 況 を 確 認 しておこう 4 1929 年 の 世 界 恐 慌 や より 直 接 的 には 同 年 の 中 ソ 紛 争 をピークとする 中 ソ 関 係 の 悪 化 によっ て 満 洲 のロシア 系 ビジネスは 大 きな 打 撃 を 受 けた ハルビンでもロシア 系 資 本 の 一 部 は 閉 鎖 を 余 儀 なくされ 中 国 人 への 売 却 や 外 国 資 本 との 合 弁 も 見 られた 1920 年 代 には 中 国 人 自 身 による 起 業 も 増 え 全 体 として 満 洲 国 成 立 前 には 中 国 人 資 本 の 影 響 力 が 拡 大 していた 1931 年 の 満 洲 事 変 以 降 中 国 東 北 部 に 進 出 した 日 本 人 は 経 済 的 にもこの 地 の 支 配 を 追 求 した ハルビンでは 日 本 からの 直 接 投 資 は 伸 び 悩 んだものの 日 本 人 人 口 も 増 え 日 本 製 品 が 普 及 した 表 1 は 1939 年 時 点 の 商 業 を 業 種 別 にみたものである ここには 外 国 の 企 業 のみが 記 載 されており 満 洲 企 業 や 日 本 企 業 は 含 まれていないが 売 上 高 は 満 洲 の 特 産 品 である 大 豆 穀 類 を 除 くと 煙 草 既 製 服 毛 皮 の 順 に 多 い そのほか 自 動 車 や 機 械 などの 高 価 な 商 品 の 金 額 が 大 きいが 取 扱 商 品 では 日 本 製 品 の 比 重 の 高 さが 目 を 引 くだろう 4 1941 年 に 日 本 が 太 平 洋 戦 争 に 突 入 して 以 降 特 に 戦 時 色 が 濃 くなるため この 時 代 については 別 途 検 討 する 必 要 があると 考 える - 77 -

表 1 満 洲 の 外 国 商 業 の 業 種 別 企 業 数 売 上 高 商 品 の 産 地 (1939 年 1 月 1 日 現 在 ) 業 種 企 業 1937 年 売 上 産 地 数 高 ( 国 幣 ) 既 製 服 57 4,800,000 日 本 :70%,ポーランド:10% 英 国 :9% イタリア:5% ドイツ:2% チェコスロヴ ァキア:2% フランス:1% ベルギー:1% 毛 皮 輸 入 30 2,500,000 地 元 :50% アメリカ:48% その 他 :2% 毛 皮 輸 出 12 2,500,000 対 アメリカ:90% その 他 :10% 小 間 物 27 1,300,000 日 本 :72% ドイツ:10% アメリカ:8% 英 国 :5% フランス:3% その 他 :2% 時 計 貴 金 属 36 400,000 日 本 :80% スイス スウェーデン:10% ドイツ:5% その 他 :5% 薬 品 香 料 化 学 27 1,600,000 日 本 :45% ドイツ:35% その 他 :20% 品 薬 52 500,000 日 本 :65% ドイツ:25% その 他 :10% 紙 書 籍 文 具 22 500,000 日 本 :70% ドイツ:20% その 他 :10% 自 動 車 自 動 車 部 12 850,000 日 本 :25% アメリカ:70% その 他 :5% 品 皮 革 15 850,000 日 本 および 地 元 :70% その 他 :30% 金 物 鉄 食 器 26 2,400,000 日 本 :50% ドイツ:40% その 他 :10% 食 料 品 66 1,000,000 地 元 45% 日 本 :20% アメリカ:15% 英 国 :10% その 他 :10% 煙 草 6 10,000,000 地 元 機 械 10 3,000,000 アメリカ:30% ドイツ:10% 日 本 :20% その 他 :10% 塗 料 10 3,000,000 日 本 :30% ドイツ:50% その 他 :20% 袋 6 3,000,000 インド:60% 日 本 :40% 写 真 6 500,000 日 本 :45% ドイツ:45% その 他 :10% 機 械 油 6 500,000 アメリカ:60% 英 国 :40% 大 豆 穀 類 6 58,000,000 対 ドイツ 英 国 デンマーク エジプト 日 本 その 他 きじ 肉 7 1,000,000 英 国 ドイツ ブラシ 毛 馬 毛 4 1,850,000 英 国 アメリカ その 他 計 1006 110,350,000 出 所 )Ежемесячный экономический журнал Северной Маньчжунии, 1939, 8, с.5-6. よ り 一 部 抜 粋 次 に 表 2 は 同 じく 1939 年 の 国 籍 別 商 工 業 の 概 要 である これによると ロシア 企 業 は 資 本 金 では 多 いが 1937 年 の 売 り 上 げはデンマークや 英 国 企 業 のほうが 高 い また 企 業 数 は ロシア 企 業 が 830 と 突 出 しているが その 85%は 輸 出 入 以 外 の 事 業 に 携 わっている ロシア 企 業 には 日 常 生 活 に 密 着 した 比 較 的 小 規 模 のビジネスが 多 かったことが これらの 数 字 に 反 映 されている ハルビンについてみると 1934 年 の 時 点 ですでに ロシア 系 企 業 の 取 扱 商 品 の 80~85% 中 国 人 企 業 の 取 扱 商 品 の 40~50%が 日 本 製 であったという 5 5 Домбровкий И.И. Импорт в Маньчжурию из САСШ за десятиление1934-1934 гг. «Вестник Маньчжурии» 10, 1934, с.31-49. -78-

ハルビンで 日 本 の 商 品 が 広 まった 背 景 にはいくつかの 要 因 がある まず 日 本 人 企 業 に 有 利 なように 鉄 道 運 賃 の 改 定 や 輸 入 関 税 の 引 き 下 げが 行 われた 1933 年 7 月 に 33 品 目 1934 年 11 月 に 103 品 目 の 輸 入 関 税 が 引 き 下 げられたが それらは 日 本 からの 輸 入 が 圧 倒 的 に 多 い 品 目 であった 表 2 満 洲 の 外 国 商 工 業 企 業 (1939 年 1 月 1 日 現 在 ) 企 業 籍 資 本 ( 国 幣 ) 1937 年 売 上 高 ( 国 幣 ) 企 業 数 輸 入 輸 出 入 その 他 計 ドイツ 500,000 4,200,000 11 4 1 16 英 国 5,300,000 18,500,000 5 5 6 16 米 国 1,000,000 4,500,000 12 8 2 22 フランス 600,000 8,500,000 4 1 4 9 ポーランド 550,000 1,800,000 10-15 25 デンマーク 1,000,000 52,500,000 3 1 1 5 ソビエト 150,000 500,000 6-12 18 リトアニア 600,000 2,200,000 12 1 17 30 亡 命 ロシア 8,200,000 16,500,000 100 10 720 830 計 18,260,000 110,350,000 168 31 807 1006 出 所 )Ежемесячный экономический журнал Северной Маньчжунии, 1939, 8, с.4. よ り 一 部 抜 粋 もちろん 日 本 人 企 業 も 様 々な 努 力 を 行 っている 満 洲 通 報 ( 露 語 )によれば 満 洲 国 成 立 までのハルビンの 日 本 人 小 売 業 はヨーロッパ 人 や 中 国 人 の 消 費 者 を 視 野 に 入 れていなかったが 1934 年 には どの 日 本 人 の 店 にもヨーロッパ 人 向 けの 商 品 があり アラビア 数 字 で 書 かれた 値 札 が 付 けてあり 店 では どうにかロシア 語 で 説 明 できる 日 本 人 の 番 頭 か 特 別 に 雇 われたロ シア 人 が 接 客 していた 6 中 国 語 のチラシ 中 国 語 およびロシア 語 の 雑 誌 や 新 聞 への 広 告 看 板 映 画 ラジオの 広 告 など 様 々なメディアを 利 用 した 宣 伝 もあった また 1933 年 半 ば 頃 よりサンプルを 持 って 中 国 人 の 小 売 企 業 を 回 る 日 本 人 の 卸 売 商 が 生 まれた その 際 日 本 人 企 業 は 他 国 企 業 よりも 有 利 な 信 用 を 供 与 することで 取 引 先 を 拡 大 したと 言 われる 一 方 ハルビンにおけるロシア 系 ビジネスは 1935 年 に 中 東 鉄 道 が 満 洲 国 に 売 却 されるとさ らに 大 きな 打 撃 を 受 ける 当 時 中 東 鉄 道 で 働 いていたソ 連 人 従 業 員 は 六 千 人 で そのうち 家 族 を 含 めて 約 五 千 人 がハルビンに 暮 らしていた ロシア 人 社 会 の 中 でも 鉄 道 従 業 員 は 裕 福 な 層 に 属 しており 亡 命 ロシア 人 のなかで 金 銭 的 な 余 裕 のある 者 も 日 本 人 による 統 治 を 嫌 って 満 洲 国 以 外 の 他 の 都 市 へ 二 次 亡 命 をしたため 亡 命 ロシア 人 の 経 済 状 況 は 悪 化 した その 結 果 ハ ルビンのロシア 系 ビジネスも 縮 小 し 1935~36 年 の 1 年 間 に 481 の 商 社 のうち 16%に 相 当 す る 76 社 が 閉 鎖 を 余 儀 なくされた 資 本 額 で 見 るとそれは 全 体 の 23%で 取 引 高 は 鉄 道 売 却 前 の 半 分 以 下 (42%)にまで 減 少 した 7 こうしたなかで ロシア 系 企 業 では 日 本 製 品 を 取 り 扱 い 日 本 人 を 顧 客 に 取 り 込 もうとす る 努 力 も 見 られた 誤 字 多 い 片 仮 名 の 看 板 をいずれも 申 し 合 わせた 如 く 掲 げ 店 には 必 ず 日 本 人 の 傭 員 または 日 本 語 の 出 来 る 店 員 を 置 き 異 様 なアクセントで 日 本 人 にサービスこれ 務 め た という 8 6 Там же. 7 満 洲 日 日 新 聞 社 満 洲 日 日 新 聞 大 連 1936 年 8 月 3 日 ( 神 戸 大 学 デジタルアーカイヴ) 8 満 洲 日 日 新 聞 社 満 洲 日 日 新 聞 大 連 1935 年 12 月 28 日 ( 神 戸 大 学 デジタルアーカイブ) -79-

3-2. 林 業 企 業 中 国 東 北 部 は 豊 富 な 森 林 資 源 を 有 していたこと 木 材 が 鉄 道 をはじめとする 地 域 経 済 にとっ て 欠 かせない 資 源 であったことから 満 洲 経 済 において 林 業 は 重 要 な 位 置 を 占 めていた 中 東 鉄 道 に 使 用 された 枕 木 は 約 240 万 丁 といわれ 年 々の 取 り 替 えだけでも 40 万 丁 前 後 が 必 要 で あったという また ロシア 式 住 居 では 多 量 の 薪 を 燃 やすので 家 庭 でも 大 量 の 木 材 が 消 費 さ れていた このほか 満 洲 の 木 材 は 日 本 を 始 め 海 外 にも 輸 出 された スキデリスキー 穆 稜 炭 鉱 で 有 名 なユダヤ 系 の 事 業 家 スキデリスキー 兄 弟 は 革 命 前 に 極 東 で 炭 鉱 を 含 む 多 角 的 なビジネスで 成 功 を 収 めたレオンチン スキデリスキーの 子 息 である レオンチンは 1916 年 にオデッサで 死 去 したが 兄 弟 は 革 命 後 に 満 洲 で 事 業 を 再 興 させる 最 も 有 名 な 穆 稜 炭 鉱 会 社 は 吉 林 省 とスキデリスキーの 共 同 経 営 で ハルビンに 本 社 吉 林 に 支 社 採 掘 地 に 事 務 所 を 置 いていた そのほか ルカシヨオ( 九 節 泡 ) ウイサヘ( 葦 沙 河 ) タイマコ( 檯 馬 溝 ) サイリンヘー( 細 鱗 河 )の 四 つの 林 区 も 所 有 していた 9 しかし 1932 年 には 林 業 の 経 営 は 行 き 詰 まり 操 業 の 停 止 に 追 い 込 まれる 彼 は 日 本 の 特 務 機 関 に 日 本 人 の 共 同 経 営 の 斡 旋 を 申 し 出 たが 彼 の 林 場 では 中 国 系 資 本 家 との 係 争 の 問 題 もあ り 特 務 機 関 はこれを 黙 殺 した 10 との 情 報 がある 結 局 林 野 局 の 管 轄 となるまで スキデリス キーは 東 秦 洋 行 の 宮 下 静 一 郎 に 経 営 を 委 託 し 林 業 からは 実 質 的 に 撤 退 した 穆 稜 炭 鉱 では 日 本 からの 直 接 的 な 圧 力 があった 1934 年 機 関 車 に 爆 弾 を 仕 掛 けたという 容 疑 で 42 人 の 技 術 者 が 逮 捕 されるという 事 件 が 起 きたのである スキデリスキー( 兄 )もソ ビエトと 共 謀 してストライキを 指 示 したという 容 疑 で 拷 問 を 受 けた 11 ただし 結 局 経 営 者 の 最 終 的 な 追 放 にまでは 至 らなかった その 理 由 としては 所 有 者 の 中 にポルトガル 人 の 領 事 が 含 まれていたために 国 際 的 なスキャンダルになることを 恐 れた あるいは 当 初 から 単 に 中 東 鉄 道 売 却 のための 交 渉 材 料 にする 予 定 であった 等 の 憶 測 がある しかしながら 以 上 のような 経 緯 の 後 穆 稜 炭 鉱 とスキデリスキー 兄 弟 は 実 質 的 には 当 局 の 厳 しい 管 理 下 に 入 った 兄 弟 は 終 戦 までハルビンに 残 ったが 白 系 露 人 事 務 局 からは 相 当 な 額 の 寄 付 を 求 められ 12 頤 園 街 の 邸 宅 ( 写 真 )も 特 務 機 関 に 引 き 渡 された コワリスキー ウラジスラヴ コワリスキーはロシアのポドリスク 県 でポーランド 人 の 家 庭 に 生 まれた オ デッサからウラジオストク 経 由 でハルビンに 入 り 鉄 道 職 員 として 勤 めた 後 製 粉 工 場 などの ビジネスで 成 功 を 収 める 1911 年 に 森 林 経 営 を 始 めると この 事 業 で 極 東 最 大 の 経 営 者 と 言 わ れるまでになった 東 部 線 建 設 時 に 木 材 搬 出 の 事 業 を 始 め 徐 々に 林 場 を 買 収 していった イ ーメンポ( 一 面 坡 ) ヤブロニヤ( 牙 不 力 または 亜 布 洛 尼 ) ハンタヘーザ( 横 道 河 子 )に は 森 林 鉄 道 を 引 き ヤブロニヤに 製 材 工 場 ハルビンに 合 板 工 場 を 設 立 し 全 盛 期 には 14900 人 が 働 いていたという しかし 満 洲 国 設 立 頃 には 事 業 は 衰 退 し 1932 年 よりコワリスキーは 近 藤 繁 司 に 事 業 の 譲 渡 を 始 める ヤブロニヤ 林 区 の 賃 貸 借 共 同 経 営 に 関 する 契 約 を 締 結 したのをはじまりに 穆 稜 二 道 海 林 河 子 横 道 河 子 でも 同 様 の 契 約 を 結 んだ こうして コワリスキーは 次 第 に 経 営 から 退 き 1940 年 11 月 22 日 にハルビンで 他 界 した 9 帝 国 森 林 会 編 (1932) 満 蒙 の 森 林 及 林 業 128 頁 (アジア 学 術 叢 書 124 2004 年 大 空 社 復 刻 版 ) 10 同 上 11 体 験 者 の 一 人 が 拷 問 の 様 子 を 生 々しく 記 録 している Лешко О.(1937) Русские в Маньчжуго, Харбин. 12 西 原 征 夫 (1980) 全 記 録 ハルビン 特 務 機 関 : 関 東 軍 情 報 部 の 軌 跡 毎 日 新 聞 社 彼 らは 戦 後 ソ 連 軍 に 連 行 され 弟 のセミョーン レオンチェヴィチは 1948 年 に 兄 のソロモン レオンチェヴィチは 1952 年 に 収 容 所 で 死 亡 した(ソ 連 崩 壊 後 ともに 名 誉 回 復 ) セミョーンの 白 系 露 人 事 務 局 ファイルは ГАХК Ф.830 Оп.3 43524 ソロモンのファイルは Ф.830 Оп.3 43525-80-

近 藤 林 業 コワリスキーから 林 業 経 営 を 引 き 継 いだ 近 藤 繁 司 は 満 洲 の 林 業 王 と 呼 ばれる 彼 もまた 最 初 にウラジオストクで 成 功 したビジネスマンの 一 人 であった ウラジオストック では 回 漕 店 に 勤 め 浦 汐 商 船 組 を 組 織 し 当 地 で 財 力 を 蓄 えた その 後 1932 年 にハル ビンに 拠 点 を 移 し コワリスキーの 保 有 するヤブロニヤ 林 業 の 借 用 経 営 に 乗 り 出 すため 近 藤 林 業 を 設 立 した コワリスキーと 近 藤 が 常 に 良 好 な 関 係 にあったとは 言 えないが 近 藤 林 業 は コワリスキー から 事 業 を 引 き 継 いだ 後 もロシア 人 を 雇 い 続 けた 特 に 七 里 村 は 他 の 林 区 と 異 なり 大 半 がロ シア 人 で 鉄 道 従 業 員 もロシア 人 であったため ロシア 語 が 多 く 飛 び 交 っていた 祭 日 にはホ ールでダンスパーティーなども 催 されていた ロシア 生 活 の 長 かった 近 藤 は ロシア 人 にはロ シア 語 で 話 しかけ 七 里 村 はロシア 人 からは コンドフカ ( 近 藤 村 )と 呼 ばれていた さらに 林 区 では 警 備 機 関 の 諒 解 指 導 の 下 に ロシア 人 を 中 心 とする 自 衛 団 を 組 織 し 匪 賊 の 鎮 圧 防 護 に 当 たっていた これは 1936 年 1 月 に 政 府 所 管 の 特 殊 森 林 警 察 隊 に 編 入 される まで 続 いた ロシア 人 労 働 者 を 継 続 雇 用 し ロシア 的 な 習 慣 を 維 持 した 近 藤 繁 司 は 1935 年 に 通 ソ 通 匪 の 嫌 疑 をかけられ 一 時 的 な 事 業 停 止 に 追 い 込 まれた 13 ただしその 後 は 白 系 露 人 の 懐 柔 策 を とっていた 関 東 軍 特 務 機 関 の 後 押 しを 受 けて 存 続 された 第 二 次 大 戦 に 突 入 すると 事 業 所 は 関 東 軍 の 直 接 管 理 体 制 下 に 置 かれ 軍 需 工 場 として 対 ソ 作 戦 用 の 橇 の 大 量 生 産 を 命 じられている 3-3. 百 貨 店 企 業 満 洲 には 三 越 百 貨 店 や 三 中 井 百 貨 店 をはじめ 多 くの 日 本 企 業 が 進 出 したが ハルビンには このような 大 手 百 貨 店 は 存 在 しなかった ハルビンで 最 大 のものは チューリン( 秋 林 ) 百 貨 店 と 松 浦 洋 行 であり 日 本 人 の 増 加 とともに 登 喜 和 百 貨 店 と 丸 商 百 貨 店 がオー プンした チューリン( 秋 林 ) 百 貨 店 14 チューリン 百 貨 店 は 日 本 語 資 料 では 常 に 露 人 経 営 とある この 会 社 の 創 始 者 はイヴァン チューリンで 19 世 紀 後 半 に 極 東 でビジネスを 拡 大 した その 後 アレクサンドル カシヤノ フが 共 同 出 資 責 任 者 として 事 業 を 統 括 し 1900 年 頃 にハルビンへ 進 出 した 大 直 街 の 店 舗 は 1908 年 (1904 年 着 工 ) 中 央 大 街 (キタイスカヤ)の 店 舗 は 1919 年 (1916 年 着 工 )の 開 店 で ある 長 男 のニコライ カシヤノフの 経 営 下 で 1920 年 代 には 業 績 は 拡 大 したが 1930 年 頃 より 経 営 は 悪 化 し 香 港 上 海 銀 行 に 多 額 の 債 務 を 抱 えた そして 債 権 者 である 銀 行 より 送 られたド イツ 人 経 営 者 により 企 業 売 却 の 圧 力 がかかる 1936 年 ロシア 人 の 所 有 者 は 最 終 的 に 企 業 の 資 産 を 香 港 上 海 銀 行 に 売 却 し 1937 年 7 月 に 株 式 会 社 化 された 後 も 株 の 98% 以 上 は 香 港 上 海 銀 行 のものであった しかし ドイツ 人 経 営 者 は 日 本 の 特 務 機 関 を 背 後 に 持 ち 満 洲 国 下 で 実 質 的 には 日 本 が 支 配 した 大 直 街 の 本 店 は 正 面 にドームのある 地 上 二 階 建 ての 煉 瓦 造 りであった そのほか ハルビン には 中 央 大 街 (キタイスカヤ) 馬 家 溝 松 花 江 街 に 支 店 があり 新 京 奉 天 大 連 四 平 街 海 拉 爾 寛 城 子 吉 林 斉 斉 哈 爾 にも 店 舗 があった チューリン 百 貨 店 の 一 つの 特 徴 は 単 なる 百 貨 店 に 留 まらない 複 合 経 営 企 業 であったことで ある 商 会 としては 農 機 具 販 売 部 門 があり 自 前 のソーセージ 工 場 煙 草 工 場 塗 料 ラッカ ー 工 場 製 茶 工 場 ウォッカ 工 場 仕 立 屋 自 動 車 工 場 ワインセラーなどを 持 っていた 1933 13 相 川 和 子 近 藤 一 族 :19~20 世 紀 ロシアと 深 く 関 わった 日 本 人 実 業 家 一 族 (1)~(3) (http://www.h6.dion.ne.jp/~apr/kondo-ichizoku1.html 2014 年 1 月 15 日 アクセス 確 認 ) 軍 や 官 公 庁 への 納 入 が 滞 り 事 業 は 再 開 を 許 可 された 14 チューリン 百 貨 店 については 注 3 の 拙 稿 を 参 照 -81-

年 末 で ウォッカ 工 場 の 従 業 員 は 7 名 ソーセージ 工 場 は 7 名 と 規 模 は 非 常 に 小 さいが 煙 草 工 場 には 男 女 あわせて 237 名 が 働 いていた 15 こうした 多 角 経 営 の 結 果 1933 年 には 自 社 製 品 で 利 益 の 約 半 分 を 出 している 16 邦 人 企 業 間 には 見 られぬ 広 範 な 多 角 経 営 振 りは 驚 嘆 の 外 ない 17 として 日 本 企 業 からも 一 目 置 かれていた 百 貨 店 には 様 々 商 品 が 並 んでいたが ハルビンの 女 性 たちを 特 に 引 き 付 けたのは 婦 人 服 お よび 靴 や 帽 子 などの 婦 人 雑 貨 である チューリン 百 貨 店 では 既 製 服 はそれほど 無 く フラン スの 型 紙 やパターンを 使 った 個 別 注 文 が 中 心 であった 一 階 の 右 手 大 直 街 側 には 衣 服 の 工 房 が 並 び 10 人 ぐらいの 女 性 が 雑 誌 ヴォーグ の 型 紙 を 使 ってヨーロッパ 風 の 服 を 縫 って いた 帽 子 と 靴 の 工 房 もあった 18 という ロシア 語 雑 誌 ルベーシ にはほぼ 毎 号 広 告 を 掲 載 しているが その 一 部 を 拾 うと 春 のシーズン 到 来!パリの 最 新 の 流 行 雑 誌 から 婦 人 服 紳 士 服 子 供 服 の 注 文 を 開 始 します (1936 年 12 号 ) ただ 今 入 荷! 一 点 物 のイヤリング 留 金 優 雅 な 婦 人 カラー 婦 人 用 のメリヤス ワンピース スーツ ジャケット 絹 の 靴 下 手 袋 マフラー スカーフ ゲートル タイツ 革 製 品 やパーティー 用 の 婦 人 用 鞄 もご 用 意 (1938 年 4 号 )とあり チューリン 百 貨 店 でヨーロッパの 流 行 を 消 費 することができたこと がわかる チューリン 百 貨 店 はロシア 語 のみならず 日 本 語 や 中 国 語 の 主 だった 雑 誌 新 聞 にも 広 告 を 載 せていたが そこで 宣 伝 されている 商 品 は 婦 人 服 雑 貨 のほか 紳 士 服 雑 貨 子 供 用 品 楽 器 やレコードなどの 音 楽 関 係 の 商 品 文 具 など 実 に 多 様 であり ビクター( 蓄 音 機 レコード)やパーカー( 万 年 筆 )など 有 名 ブランドの 商 品 も 取 り 扱 っていた さらに 1930 年 代 末 に 女 優 として 活 躍 したリュドミーラ ヴァシリエヴナは それ 以 前 にはチューリン 百 貨 店 でモデルとしてファッション ショーに 出 ていたという 19 チューリン 百 貨 店 は 常 にハルビンの 上 流 層 のファッションと 消 費 を 牽 引 していたのである しかし 従 来 は 欧 米 の 高 級 品 が 中 心 で 日 本 製 品 を 扱 わないことを 謳 っていたチューリン 百 貨 店 も 20 ドイツ 人 に 経 営 が 移 った 1930 年 代 以 降 は 中 級 品 も 扱 うようになり 日 本 製 の 商 品 が 増 えた 21 ロシア 人 の 経 済 状 況 の 悪 化 によって ロシア 人 向 け 価 格 を 下 げなければならず また 日 本 人 の 顧 客 を 取 り 込 む 必 要 が 生 じたためであろう 実 際 1936 年 頃 より 日 本 語 の 雑 誌 に 広 告 を 常 時 掲 載 し 日 本 語 を 話 す 従 業 員 も 雇 うようになった ただし 日 本 人 を 含 めて 多 くの 人 は 依 然 としてチューリン 百 貨 店 をロシア 系 企 業 と 見 做 し ていた 所 有 者 の 交 代 後 も 雇 用 の 大 半 はあくまでロシア 人 であり 1942 年 でも 従 業 員 総 数 802 名 のうち 13 名 が 日 本 人 89 名 が 中 国 人 で 残 りの 699 名 はロシア 人 であった ロシア 人 の 失 業 率 が 高 い 状 況 下 で 企 業 は ロシア 人 を 雇 用 する 社 会 的 意 義 を 当 局 にアピールしていたと 考 えられる 22 ただし 1937 年 当 時 は 店 員 のほとんどが 亡 命 ロシア 人 で 事 務 勘 定 場 に 一 部 女 事 務 員 が 居 るが 大 体 売 場 は 男 店 員 のみで それも 相 当 の 年 配 者 が 多 23 かったとされるが こう した 男 女 構 成 年 齢 構 成 はその 後 大 きく 変 わったと 考 えられる 筆 者 が 直 接 聞 き 取 りをしたハ ルビン 出 身 の 日 本 人 は 男 女 を 問 わず 若 いロシア 人 女 性 の 接 客 を 受 けて 西 洋 の 雰 囲 気 を 楽 しんだと 回 想 しているからである ちなみに チューリン 百 貨 店 では 大 半 がカウンター 越 しの 販 売 で 専 用 の 支 払 い 窓 口 が 別 にある 欧 米 式 の 販 売 方 法 をとっていた 現 在 の 我 々には 非 効 率 15 関 東 局 司 政 部 殖 産 課 満 洲 工 場 名 簿 1935 年 ( 旧 外 地 工 場 名 簿 集 成 不 二 出 版 復 刻 版 第 8 巻 16 孫 玉 九 孫 経 周 刘 学 礼 口 述 李 今 詮 整 理 秋 林 独 特 経 営 和 美 味 食 品 哈 爾 濱 市 文 史 資 料 委 員 会 哈 爾 濱 文 史 資 料 第 15 編 75-86( 中 国 語 ) 17 百 貨 店 新 聞 社 編 (1937) 日 本 百 貨 店 総 覧 昭 和 12 年 版 (2009 年 ゆまに 書 房 復 刻 版 ) 18 Васильев А. (2009) Красота в изгнании: Творчество русских эмигрантов первой волны: искусство и мода. Москва: Слово. 19 Там же. 20 報 知 新 聞 社 報 知 新 聞 東 京 1934 年 1 月 25 日 ( 神 戸 大 学 デジタルアーカイヴ) 21 満 洲 國 現 勢 康 徳 4 年 版 満 洲 弘 報 協 会 新 京 245 頁 22 拙 稿 (2010) ロシア 企 業 としてのチューリン 商 会 セーヴェル 第 26 号 34-47 頁 23 百 貨 店 新 聞 社 編 (1937) 日 本 百 貨 店 総 覧 昭 和 12 年 版 (2009 年 ゆまに 書 房 復 刻 版 ) -82-

に 思 えるこの 販 売 方 法 も 商 品 と( 不 衛 生 な) 貨 幣 を 別 個 に 扱 うため 清 潔 感 があったと 当 時 は 肯 定 的 に 受 け 止 められていた 松 浦 洋 行 24 松 浦 貿 易 店 は 1906 年 にウラジオストクに 進 出 し 輸 出 業 の 基 盤 を 拡 大 した しかし その 二 年 後 の 1908 年 ロシアが 極 東 における 自 由 貿 易 港 廃 止 を 決 定 すると 外 国 商 品 に 高 い 関 税 が 課 せられることになった そのため 1910 年 には 拠 点 をハルビンに 移 し 松 浦 洋 行 を 開 いた ウ ラジオストクおよびハルビンの 店 舗 を 統 括 したのは 水 上 多 喜 雄 である 松 浦 洋 行 の 最 大 の 特 徴 は ハルビンでも 顧 客 の 中 心 がロシア 人 であったことである ロシア 人 の 街 として 知 られる 中 央 大 街 (キタイスカヤ)に ドームのある 六 階 建 て 鉄 筋 コンクリート の 荘 厳 な 店 舗 を 構 えていた ロシア 人 を 顧 客 としたため 取 扱 商 品 も 洋 反 物 雑 貨 に 主 力 が 注 がれ 呉 服 等 は 取 り 扱 25 わず さらに 少 なくとも 1930 年 代 には 他 の 日 系 百 貨 店 が 持 つ 食 料 品 部 や 食 堂 もなかった しかし ロシア 人 の 経 済 力 が 落 ち 込 む 中 で 企 業 はいくつかの 方 向 転 換 を 図 った まず 事 業 の 多 角 化 として 羽 毛 精 製 工 場 を 所 有 し その 製 品 は 独 特 の 品 位 を 以 て 遠 く 日 本 へ 輸 出 さ れ ていた 26 また 1940 年 代 に 入 ってからではあるが 石 灰 山 の 権 利 を 買 収 し 従 業 員 約 20 名 の 石 灰 工 場 の 東 満 石 灰 公 司 を 所 有 した ロシア 人 以 外 の 顧 客 の 取 り 込 みにも 努 めた 日 本 百 貨 店 総 覧 には 最 近 では 邦 人 顧 客 層 が 多 くなったとは 言 え 依 然 露 人 間 に 根 強 い 勢 力 を 有 し とあるが 日 系 百 貨 店 の 中 では 特 に 中 国 人 との 取 引 に 熱 心 であったと 考 えられる 卸 売 部 では 中 国 人 向 けの 諸 雑 貨 綿 糸 布 毛 織 物 等 を 扱 い この 卸 売 に 特 化 した 子 会 社 として 太 陽 貿 易 公 司 を 持 っていた 1939 年 の 松 浦 洋 行 の 従 業 員 の 内 訳 も 日 本 人 62 名 満 人 ( 中 国 人 筆 者 )52 名 露 人 28 名 と 中 国 人 の 比 重 が 高 い 27 松 浦 洋 行 はまた 1930 年 代 初 頭 の 早 い 段 階 から 軍 や 官 公 庁 との 関 係 を 築 き 始 め 満 洲 国 時 代 には 百 貨 店 での 取 引 よりも 軍 との 取 引 を 重 視 するようになっていた 28 登 喜 和 百 貨 店 登 喜 和 百 貨 店 は 1934 年 に 島 田 運 一 ほか 四 人 の 共 同 出 資 で 地 段 街 114 号 に 創 業 した 1936 年 12 月 に 増 改 築 を 行 い 地 下 1 階 地 上 3 階 ( 一 部 4 階 )の 店 舗 となった 登 喜 和 百 貨 店 は 日 本 人 の 商 業 区 の 地 段 街 に 立 地 し あらゆる 日 本 の 百 貨 店 の 特 徴 を 有 して いた 日 本 商 品 のみを 取 り 扱 い 店 舗 の 構 成 や 販 売 方 法 も 日 本 式 であった 1 階 には 食 料 品 と 煙 草 化 粧 品 薬 品 男 女 洋 品 雑 貨 などがあり 2 階 には 呉 服 洋 反 物 ベビー 用 品 毛 布 防 寒 具 旅 行 具 及 び 皮 革 製 品 などがあった 3 階 は 文 房 具 玩 具 眼 鏡 楽 器 などの 売 場 で あった 特 に 日 本 的 であったのは 4 階 の 168 席 ほどの 食 堂 と 催 物 会 場 である 和 食 洋 食 寿 司 そば 和 洋 菓 子 を 提 供 する 食 堂 は 特 に 盛 況 であった また 催 物 会 場 では 年 3 回 の 呉 服 百 点 会 ( 流 行 展 )をはじめ 様 々な 展 示 会 があり 来 店 者 へのプレゼントの 配 布 も 行 われてい た しかし 基 本 的 には 日 本 人 を 顧 客 としていた 登 喜 和 百 貨 店 も 1936 年 以 降 ロシア 語 雑 誌 の アジアの 光 や ルベーシ に 繰 り 返 し 広 告 を 掲 載 している( 写 真 ) 1936 年 の ルベーシ 第 47 号 には 松 浦 洋 行 が 毛 糸 だけの 簡 素 な 広 告 を 出 しているのに 対 し 登 喜 和 百 貨 店 は 日 本 の 百 貨 店 登 喜 和 として 雑 貨 毛 糸 スケート 靴 香 水 などを 宣 伝 し 近 々 新 店 舗 がオー 24 松 浦 洋 行 については 以 下 を 参 照 黒 崎 裕 康 (2010) 哈 爾 濱 松 浦 洋 行 序 説 : 満 洲 で 成 功 した 日 本 商 社 の 軌 跡 地 久 館 25 百 貨 店 新 聞 社 編 (1937) 日 本 百 貨 店 総 覧 昭 和 12 年 版 564 頁 (2009 年 ゆまに 書 房 復 刻 版 ) 26 満 洲 国 現 勢 康 徳 四 年 版 27 百 貨 店 新 聞 社 編 (1937) 日 本 百 貨 店 総 覧 昭 和 12 年 版 564 頁 (2009 年 ゆまに 書 房 復 刻 版 ) 28 ГАХК. Ф.830. Оп.1. Д 337. -83-

プンすることも 伝 えている また 男 性 180 名 女 性 130 名 の 本 店 の 店 員 の 内 訳 は 明 らかにさ れていないが 前 後 の 文 章 から そこには 日 本 人 のみならず 朝 鮮 人 中 国 人 ロシア 人 も 含 まれていたことが 分 かる 現 在 の 秋 林 (チューリン) 公 司 ( 大 直 街 ) 現 在 の 松 浦 洋 行 ( 中 央 大 街 ) 哈 総 務 處 人 事 科 鐵 道 報 1937 年 4 号 の 秋 林 (チューリン) 洋 行 広 告 アジアの 光 (Луч Азии) 1936 年 21(5) 号 上 段 の と の 文 字 があるのが 登 喜 和 百 貨 店 の 広 告 丸 商 百 貨 店 丸 商 百 貨 店 は 1936 年 11 月 に 日 本 国 内 の 問 屋 12 名 によって 設 立 された 企 業 で 地 段 街 22 号 の 商 工 ビルディング 内 に 事 務 所 を 置 いたため 丸 商 と 名 付 けられた 設 立 は 遅 いが すぐに 地 段 街 の 同 じブロックに 立 地 していた 登 喜 和 百 貨 店 と 並 ぶ 代 表 的 な 日 系 百 貨 店 となった 商 工 ビルディングの 1 階 と 2 階 が 店 舗 で 1 階 には 雑 貨 類 食 料 品 煙 草 ツーリスト ビ ュローなどがあり 2 階 に 呉 服 洋 服 家 庭 用 品 文 房 具 などの 売 場 と 100 席 ほどの 食 堂 があった 登 喜 和 百 貨 店 と 同 様 顧 客 の 中 心 は 日 本 人 であったが 次 第 にロシア 人 や 中 国 人 も 顧 客 とし て 取 り 込 むようになる 具 体 的 な 数 字 はないが 最 近 は 満 ( 中 国 筆 者 ) 露 人 顧 客 も 相 当 に 増 加 し 業 績 の 上 にあなどり 難 い 数 字 を 加 えている と 記 されている 1939 年 の アジアの - 84 -

光 60 号 では 最 大 の 日 系 百 貨 店 丸 商 石 頭 街 と 地 段 街 の 角 ロシア 人 のお 客 様 のために ロシア 人 女 性 の 店 員 がいます と 宣 伝 している 一 方 で 日 本 百 貨 店 総 覧 では 売 場 にロ シヤ 娘 が 相 当 立 っているあたり 流 石 にハルピンらしい 風 景 を 添 えている 29 とあることから ロシア 人 女 性 の 店 員 は 単 にロシア 人 顧 客 の 為 だけでなく 国 際 都 市 ハルビンの 演 出 に 欠 かせ ないモチーフであったと 思 われる 3-4. まとめとして これまでの 検 討 から 満 洲 国 成 立 以 前 から 中 国 東 北 部 で 活 躍 していた 企 業 家 には ウラジオ ストックから 事 業 を 拡 大 していった 人 物 が 多 いことがわかる スキデリスキー( 民 族 的 にはユ ダヤ 人 ) コワリスキー( 同 ポーランド 人 ) カシヤノフ(チューリン 商 会 )などの 旧 ロシア 帝 国 臣 民 に 限 らず 近 藤 繁 司 や 水 上 多 喜 雄 ( 松 浦 洋 行 )などの 日 本 人 にもそれは 当 てはまる 本 稿 で 紹 介 した 以 外 にも 中 国 人 の 張 廷 閣 ( 製 粉 工 場 経 営 ) 30 や 運 輸 系 の 商 社 ブリンネル 商 会 31 などが 挙 げられる 彼 らのビジネスの 基 盤 は 伝 統 的 にはロシアとの 取 引 で このことは 鉄 道 を 中 心 として 築 かれたロシア 極 東 中 国 東 北 部 のロシア 人 社 会 が いかに 当 地 に 深 く 根 を 下 ろしていたのかを 示 している ただし 満 洲 国 時 代 になると ロシア 人 の 勢 力 衰 退 と 経 済 統 制 の 強 化 によって 状 況 は 変 化 する ロシア 住 民 の 減 少 と 生 活 水 準 の 低 下 をうけて チューリン 百 貨 店 や 松 浦 洋 行 では 新 たな 方 向 性 を 模 索 した 一 つは 日 本 人 顧 客 を 取 り 込 むことで もう 一 つは 軍 や 官 公 庁 への 納 入 を 拡 大 することであった 近 藤 林 業 をはじめとする 林 業 や 鉱 山 業 でも 軍 や 鉄 道 への 物 資 の 供 給 が 重 要 な 位 置 を 占 めるようになった 一 方 ハルビンでは 内 地 から 直 接 参 入 した 日 本 企 業 でも ロシア 人 の 顧 客 を 取 り 込 む 努 力 が 見 られた 登 喜 和 百 貨 店 や 丸 商 百 貨 店 は 1936 年 以 降 ロシア 語 雑 誌 アジアの 光 や ルベ ーシ に 広 告 を 掲 載 している こうして ロシア 系 企 業 はロシア 人 を 顧 客 として 持 ち 日 本 人 企 業 は 日 本 人 を 顧 客 とすると いう 従 来 のセグメント 化 された 市 場 ではなく また 一 方 的 な 日 本 化 でもなく 限 定 的 ではあ るが 相 互 に 交 差 する 関 係 が 芽 生 えていた 少 なくとも 百 貨 店 では 日 本 人 とロシア 人 との 場 の 共 有 があり 限 定 的 ではあるが 企 業 も 共 存 していた 所 有 について 見 ると 亡 命 ロシア 人 は 国 籍 を 持 たず 後 ろ 盾 となる 国 家 が 存 在 しないため 極 めて 弱 い 立 場 にあった 日 本 人 がそれを 利 用 して 利 益 を 得 ようとしたため 1930 年 代 前 半 に は 個 人 としては 他 国 の 国 籍 を 取 得 し 企 業 は 他 国 の 資 本 下 に 入 って 当 該 国 の 庇 護 を 期 待 す る 戦 略 が 広 く 採 られた ただし 今 回 の 事 例 を 見 る 限 り こうした 努 力 は 必 ずしも 実 を 結 んで いない また 所 有 の 維 持 は 経 営 上 の 裁 量 を 担 保 しておらず 実 際 には 当 局 による 統 制 が 働 いた 推 測 の 域 を 出 ないが 国 家 主 導 の 開 発 が 進 むなかで ロシア 人 の 経 営 する 林 業 や 鉱 山 業 が 接 収 されずに 維 持 されたのは 立 地 やポテンシャルからみてそれらの 優 先 度 が( 当 該 産 業 の 中 では) それほど 高 く 無 かったことや 対 ソ 戦 略 上 関 東 軍 が 白 系 露 人 懐 柔 策 を 試 みていたことなどが 考 えられるだろう 4. 成 果 の 公 表 本 研 究 の 成 果 の 一 部 は 以 下 の 形 で 公 表 した(する) 29 百 貨 店 新 聞 社 編 (1937) 日 本 百 貨 店 総 覧 昭 和 12 年 版 (2009 年 ゆまに 書 房 復 刻 版 ) 30 上 田 貴 子 (2012) 哈 爾 濱 における 市 政 回 収 運 動 満 洲 の 中 のロシア 生 田 美 智 子 編 成 文 社 134-136 頁 31 ブリンネルはスイス 系 ユダヤ 人 であったが 革 命 前 にはウラジオストクを 拠 点 しており 革 命 後 長 男 レオニード 次 男 ボリス 三 男 フェリクスの 三 人 が 創 業 者 を 引 き 継 いでハルビンで 事 業 を 再 興 した Рачинская Е.(1990) Калейдоскоп жизни. Воспоминания. Париж. -85-

まず 2014 年 3 月 8 日 に 国 際 シンポジウム Cross bordering Northeast Asia the Dynamism of Cohesive Borderlands ( 富 山 大 学 極 東 地 域 研 究 センター 島 根 県 立 大 学 北 東 アジア 地 域 研 究 センター 東 北 大 学 東 北 アジア 研 究 センター 共 催 )において " Russian Business in Harbin: from the History of the Churin Company "というタイトルで 報 告 を 行 った 9 月 の 調 査 旅 行 については 満 洲 旅 行 記 を 雑 誌 セーヴェル (ハルビン ウラジオストク を 語 る 会 30 号 136-137 頁 )に 掲 載 した また 満 洲 の 消 費 社 会 と 女 性 :ハルビンを 事 例 として ( 女 たちの 満 洲 大 阪 大 学 出 版 会 2015 年 春 刊 行 予 定 所 収 )において チューリン 百 貨 店 の 戦 略 を 紹 介 した 謝 辞 本 研 究 は 公 益 財 団 法 人 JEF 21 世 紀 財 団 の 2012 年 度 アジア 歴 史 研 究 助 成 の 交 付 を 受 け た 研 究 の 遂 行 にあたり 同 財 団 より 賜 った 格 別 のご 高 配 に 心 より 感 謝 申 し 上 げます -86-