日 本 における ADHD の 制 度 化 佐 々 木 洋 子 はじめに 1990 年 代, 落 ち 着 きのない 子 ども に 対 する 新 たなまなざしが 日 本 に 登 場 した.それは, 落 ち 着 きのなさ, 乱 暴 さ, 成 績 不 振 といったさまざまな 子 どもの 問 題 行 動 を, 医 学 的 観 点 から 理 解 対 処 しようとするものである.すなわち, 落 ち 着 きのなさなどの 子 どもの 問 題 行 動 を, 親 のしつけや 当 人 の 性 格 といった 要 因 からではなく, 脳 の 機 能 障 害 という 生 物 学 的 な 要 因 から 理 解 しようとするものである.こうした 動 向 のもとでは, 落 ち 着 きのない 子 ども に 対 し ADHD 1) という 医 学 的 診 断 が 下 される. ADHD とは,アメリカ 精 神 医 学 会 の 発 刊 する 精 神 疾 患 の 診 断 とマニュアル (Diagnostic and statistical manual of mental disorders: 以 下 では DSM)に 定 められた 発 達 障 害 のひとつ である.DSM-VI-TR(2000 年 )の 定 義 によれば,ADHD は 7 歳 未 満 で 発 症 する 不 注 意 多 動 衝 動 を 特 徴 とする 行 動 症 候 群 であり, 主 症 状 としては, 集 中 力 の 持 続 が 困 難,じっ としていられない, 待 つことができないなどの 年 齢 不 相 応 な 行 動 が 挙 げられている. アメリカでは,ADHD はもっともよく 見 られる 児 童 の 問 題 として,1970 年 代 からコンラッ ド(Conrad 1976)をはじめとして 社 会 学 的 研 究 がなされ, 制 度 化 のプロセスも 明 らかにさ れているが, 日 本 においては,ADHD 概 念 がどのように 導 入 されてきたかという 観 点 から の 検 討 はなされていない 2). そこで 本 稿 では, 逸 脱 の 医 療 化 の 観 点 から, 子 どもの 問 題 行 動 に 対 するまなざし(の 変 容 )の 一 事 例 として, 日 本 における ADHD の 制 度 化 を 検 討 する.ADHD の 制 度 化 のあり 方 は, 当 事 者 関 係 者 らのリアリティを 構 成 する 一 要 因 であり,これを 明 らかにすることは, 日 本 に 特 有 の 当 事 者 関 係 者 のリアリティに 迫 るための 一 助 となるだろう. 以 下,1 節 では, 医 学 的 な 概 念 としての ADHD 概 念 成 立 の 歴 史 を 確 認 する.2 節 では, そうした ADHD 概 念 の 日 本 での 制 度 化 のプロセスを 確 認 する.3 節 では, 日 本 における 制 度 化 の 背 景 および 推 進 要 因 について 考 察 する. 1 ADHD 概 念 の 成 立 子 どもの 問 題 行 動 に 対 する 医 学 的 取 り 組 みには, 比 較 的 長 い 歴 史 がある. 医 学 領 域 に 15
市 大 社 会 学 第 1 2 号 おける 子 どもの 問 題 行 動 への 取 り 組 みの 嚆 矢 となったのは,1902 年 にスティルがイギ リスの 医 学 雑 誌 Lancet に 寄 せた, 攻 撃 的 で 反 抗 的 な 子 どもについての 報 告 (Still 1902)で あると 言 われている 3). その 後,そうした 子 どもについては, 軽 度 で 検 出 されていない 脳 損 傷 という 原 因 仮 説 とともに 研 究 が 展 開 される.1917 18 年 に 北 米 大 陸 で 大 流 行 した 流 行 性 脳 炎 の 後 遺 症 研 究 を 通 じて, 多 動, 衝 動, 不 注 意 などの 症 状 と 脳 損 傷 との 関 連 性 を 主 張 する 原 因 仮 説 が 受 け 入 れられやすくなる.その 後 も 脳 損 傷 をもつ 子 どもについての 医 学 的 概 念 は 複 数 提 唱 されるも のの, 前 提 となる 脳 損 傷 の 存 在 についての 議 論 や, 呼 称 の 適 切 さをめぐって 議 論 が 続 けられる. 1960 年 前 後 には,こうした 概 念 のひとつとして 微 細 脳 損 傷 (MBD)が 提 唱 され 始 める. 1958 年 に 微 細 脳 損 傷 (Minimal Brain Damage),1962 年 には 微 細 脳 機 能 障 害 (Minimal Brain Dysfunction)が 提 唱 されている.しかし, 明 らかな 脳 の 損 傷 を 同 定 できないことや, 内 包 される 症 候 が 99 にも 及 んでいることなどから,これを 独 立 した 概 念 として 用 いること は 困 難 であるとされる.1962 年 にオックスフォードで 行 われた 国 際 的 小 児 神 経 学 者 の 集 ま りでは MBD という 診 断 名 を 使 わないように 勧 告 され,MBD 概 念 は 1970 年 代 には 衰 退 して いく. また,MBD 概 念 が 提 唱 されたのとほぼ 同 時 期 に, 原 因 ではなく 主 症 状 に 着 目 した 概 念 が 登 場 する.ラウファーらによる 多 動 症 的 衝 動 障 害 (1957),チェスによる 多 動 症 候 群 (1960)などである.これらの 研 究 成 果 は, 現 在 の ADHD の 診 断 基 準 の 基 礎 となる 定 義 と して DSM へと 引 き 継 がれ,1968 年 に 児 童 期 障 害 の 多 動 性 反 応 (Hyperkinetic Reaction of Childhood disorder) として DSM-II に 記 載 された. その 後,DSM による 定 義 は 版 を 重 ねるたびに 修 正 が 加 えられている.ADD(Attention Deficit Disorder: 注 意 欠 陥 障 害 )(DSM-III 1980 年 ),ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder: 注 意 欠 陥 多 動 性 障 害 )(DSM-III-R 1987 年 ),AD/HD(DSM-IV 1994 年 )と 名 称 や 診 断 基 準 に 変 更 が 加 えられ,ADHD と 定 義 される 範 囲 は 拡 大 している. DSM-II に 記 載 された ADHD 概 念 は, 児 童 期 障 害 の 多 動 性 反 応 という 名 称 に 見 てとれる ように,もともと 多 動 に 関 するカテゴリーであった.しかし,70 年 代 に 入 ると,こう した 子 どもに 注 意 力 の 乏 しさが 認 められるとされ,DSM-III では 診 断 基 準 に 不 注 意 の 概 念 が 導 入 されている.さらに,1980 年 の DSM-III では 診 断 名 が ADD( 注 意 欠 陥 障 害 ) と 改 められており, 不 注 意 の 概 念 が 定 義 の 中 核 を 占 めるようになっている.DSM-III で は, 多 動 を 伴 うものと 伴 わないものとを 分 けることが 提 唱 されたが, 改 訂 版 である DSM- III-R では ADHD( 注 意 欠 陥 多 動 性 障 害 ) と, 多 動 を 伴 うものだけに 限 定 するよう 再 び 修 正 されるなど, 中 核 となる 症 状 をめぐって ADHD 概 念 が 揺 れ 動 いていることがわかる. 続 く DSM-IV では AD/HD( 注 意 欠 陥 / 多 動 性 障 害 ) 4) となり, 多 動 - 衝 動 概 念 と 不 注 意 概 念 の 両 方 を 中 心 に 据 えた 定 義 となっている. さらに 対 象 範 囲 も 拡 大 する.ADHD の 主 症 状 と 見 なされる 問 題 行 動 は,1970 年 代 までは, 成 長 と 共 に 消 失 していくもの,すなわち 多 動 症 は, 主 として 子 ども 期 の 問 題 として 捉 え 16
日 本 におけるADHDの 制 度 化 られていた(Weiss et al 1999; Conrad and Potter 2000).しかし,こうした 概 念 が 診 断 カテ ゴリーとして 正 式 に 記 載 され 始 めると 同 時 に, 子 どもの 予 後 に 関 する 研 究 が 開 始 されている. 成 人 期 についてのデータは 非 常 に 少 ないものの,これらの 蓄 積 により, 従 来 は 成 長 と 共 に 症 状 が 消 失 すると 考 えられてきた ADHD は,1980 年 代 には, 成 長 後 も ADHD と 診 断 可 能 な 状 態 が 続 くと 考 えられるようになった.1981 年 には 米 国 のユタ 大 学 のグループが 成 人 を 対 象 とした 操 作 的 診 断 基 準 を 発 表,1993 年 には 診 断 のための 自 記 式 質 問 紙 を 公 表 したことで 議 論 が 活 発 になり(Resnic 2000=2003),1995 年 にはウェンダーのユタ 成 人 ADHD 診 断 基 準 が 作 成 されている(Wender 1995=2002). また, 成 人 の ADHD の 発 現 率 は, 子 どもの ADHD に 比 べ, 性 差 が 圧 倒 的 に 小 さくなる ことが 指 摘 されている(Weiss et al 1999). 性 差 については,スティルが 子 どもの 問 題 行 動 について 報 告 した 時 から 圧 倒 的 に 男 児 に 多 いことが 指 摘 されてきている(Still 1902 ほか). ADHD についても,DSM では 2:1 から 9:1 の 割 合 で 男 児 に 多 いとされているが(American Psychiatric Association 2000=2004: 100),1994 年 のアメリカの 国 立 精 神 衛 生 研 究 所 の 会 議 によれば, 子 ども 期 には 8:1 とされる 男 女 比 が, 成 人 になると 1:1 に 近 くなると 報 告 されて いる(Weiss et al 1999). 以 上 のような 定 義 の 変 遷 を 経 て,DSM-IV-TR(2000 年 )では,ADHD の 基 本 的 な 特 徴 を 不 注 意 および/または 多 動 性 - 衝 動 性 の 持 続 的 な 様 式 で, 同 程 度 の 発 達 にある 者 と 比 べてより 頻 繁 にみられ,より 重 症 なもの (American Psychiatric Association 2000=2004: 96)と 定 義 している. 不 注 意 とは, 不 注 意 に 関 連 する 症 状 9 項 目 のうち 6 項 目 以 上 が 該 当 するもの, 多 動 性 - 衝 動 性 とは, 多 動 性 関 連 の 6 項 目 と 衝 動 性 関 連 の 3 項 目, 計 9 項 目 のう ち 6 項 目 以 上 が 該 当 するものとなる 5).この 2 つを 軸 として, 不 注 意 優 勢 型, 多 動 性 - 衝 動 性 型,さらにその 両 方 を 満 たす 混 合 型 といった 3 つのサブタイプに 分 けられている. これら 症 状 が 6 ヶ 月 以 上 持 続 して 家 庭, 学 校 ( 職 場 )など 2 つ 以 上 の 状 況 で 確 認 さ れ, 社 会 的, 学 業 的, 職 業 的 機 能 に 障 害 が 存 在 する 場 合 に 診 断 が 下 される 6). したがって ADHD 概 念 は,まず 多 動 に 加 えて 不 注 意 の 概 念 が 導 入 され,DSM における 診 断 基 準 も, 対 象 を 子 どもに 限 定 した 記 述 (すなわち 学 校 と 家 庭 )から, 成 人 も 視 野 に 入 れた 記 述 (すなわち 学 校 (または 職 場 )と 家 庭 )へと 変 更 されることによっ て,その 対 象 が 子 どものみ から 子 どもから 成 人 まで へと 拡 張 される.また, 男 性 中 心 の 定 義 から 女 性 をも 含 む 定 義 へと 拡 張 されることで, 全 人 口 をその 対 象 とするようになっ ていったのである.さらに, 従 来 の 子 どもの ADHD 概 念 には 含 まれなかった, 他 のさまざ まな 問 題 までをも 含 み 込 む 定 義 へと 拡 張 されつつある(Conrad and Potter 2000). この ADHD 概 念 は, 発 現 率 そのものも 社 会 によって 違 いが 見 られることや, 性 別 や 階 層 によって 発 現 率 が 異 なることなどから, 神 話 としての 多 動 症 (Schmitt 1975)という 観 点 に 典 型 的 にみられるような, 医 学 にひそむ 政 治 性 や 専 門 家 支 配 の 典 型 事 例 として 批 判 的 に 検 討 されてきた(Conrad 1976 ほか).こうした 動 向 をふまえ,なぜある 医 学 的 概 念 が, 特 定 の 時 期 に 普 及 したのかを 検 討 したのが,コンラッドとシュナイダーによる 逸 脱 の 医 療 化 論 で 17
市 大 社 会 学 第 1 2 号 ある. 2 日 本 における ADHD 概 念 の 導 入 子 どもの 問 題 行 動 に 対 する 医 学 的 取 り 組 みについては,これまで 社 会 学 では 逸 脱 の 医 療 化 の 観 点 から 論 じられている(Conrad 1976; Conrad and Schneider 1992=2003; Conrad and Potter 2000). 逸 脱 の 医 療 化 論 では, 当 該 社 会 における 逸 脱 行 動 に 対 する 意 味 付 けが, 悪 (badness) から 病 い(illness) へと 変 容 していくプロセスに 着 目 し,こうした 定 義 の 変 遷 におけるポリティクスを 明 らかにしようとする.コンラッドは, 逸 脱 の 医 療 化 の 一 事 例 と して,1960 70 年 代 のアメリカにおける 多 動 症 (hyperkinesis)を 扱 っている.コンラッ ドとシュナイダーによると, 医 療 化 には 次 の 5 つのプロセスがある.1 逸 脱 としての 行 動 の 定 義,2 医 学 的 発 見,3クレイム 申 し 立 て,4 正 当 性 ( 医 学 の 管 轄 領 域 の 確 保 ),5 医 療 的 逸 脱 認 定 の 制 度 化 である.そして,アメリカにおける 多 動 症 の 成 立 には, 薬 物 革 命 などの 7) 臨 床 的 要 因 だけでなく, 医 療 専 門 職 ではないが,このプロセスに 力 を 貸 した 道 徳 的 起 業 家 としての 製 薬 企 業 や 学 習 障 害 児 協 会 の 活 動 が 大 きな 影 響 力 を 持 っていたことを 彼 らは 明 らか にしている(Conrad and Schneider 1992=2003: 503-12). ただし,アメリカにおける ADHD の 制 度 化 と 日 本 におけるそれとでは,プロセスがまっ たく 同 一 とはいえない.というのも,アメリカでは,DSM の 作 成 過 程 において,ADHD 概 念 の 形 成 そのものをめぐるポリティクスがみられるが, 日 本 の 場 合 は,すでにアメリカにお いて 成 立 している ADHD 概 念 がどのように 受 け 入 れられるか,という 点 についてのポリティ クスが 主 となる.したがって,3 以 降 のプロセスが 日 本 における ADHD の 制 度 化 を 検 討 す るうえでの 焦 点 となる 8). 本 節 では,まず, 医 学 領 域 における ADHD 概 念 およびその 前 身 となる 概 念 の 日 本 への 導 入 プロセスを 確 認 し, 続 いて,それ 以 外 の 領 域 における ADHD の 認 知 の 高 まりを 示 す 指 標 のひとつとして,ADHD の 新 聞 報 道 件 数 の 推 移 を 確 認 する. 医 学 領 域 における ADHD 日 本 において,ADHD 概 念 の 認 知 が 高 まったのは, 医 学 領 域 においても 90 年 代 以 降 のこ とであるが,それ 以 前 に 子 どもの 問 題 行 動 に 対 する 医 学 的 な 取 り 組 みがまったくなかっ たわけではない.たとえば,ADHD の 前 身 である MBD 概 念 は, 小 児 神 経 科 の 分 野 を 中 心 として 研 究 が 進 展 したといわれており( 星 野 ほか 1992),1965 年 に 第 11 回 国 際 小 児 科 学 会 でカークによる 特 別 講 演 が 行 われ,1968 年 には 第 71 回 小 児 科 学 会 のパネルディスカッショ ンで MBD が 初 めて 取 り 上 げられている.MBD 概 念 は, 自 閉 症 への 関 心 が 高 まるとともに 着 目 されるようになり, 人 生 の 各 時 期 の 中 でももっとも 精 神 医 学 的 問 題 が 少 なく 平 穏 な 学 童 期 の, 重 要 な 精 神 医 学 的 対 象 である ( 原 田 1979: 521)と 位 置 づけられているものの, 他 18
日 本 におけるADHDの 制 度 化 国 と 同 じく, 臨 床 像 が 曖 昧 であることや, 器 質 性 に 偏 重 しており 心 因 性 体 質 環 境 などは 等 閑 視 されていること,そのため 親 の 抵 抗 が 大 きかったことなどの 理 由 から, 診 断 名 は 広 く 受 け 入 れられることはなかった( 原 田 1979).80 年 代 になって, 落 ち 着 きのない 子 ども に 対 して 多 動 症 候 群 の 診 断 が 用 いられているが( 中 根 1985),この 場 合, 多 くは 学 習 障 害 の 併 存 障 害 として 研 究 されている. しかし,ADHD およびその 前 身 となるような 概 念 が 医 学 領 域 において, 大 きく 取 り 上 げ られ 研 究 がなされることはなかった.ADHD 概 念 を 専 門 として 研 究 とする 医 師 は 少 なく, むしろ,ADHD に 対 して 懐 疑 的 な 医 師 が 多 かったとも 言 われている.90 年 代 後 半 になっ て,ADHD 当 事 者 やその 親 たちが, 診 断 と 治 療 を 求 めて 病 院 へと 駆 け 込 んだときには, 児 童 精 神 医 学 界 では 十 分 に 対 応 できる 状 況 にはなく, そんな 病 気 はない と 医 師 に 言 われたり, 初 診 が 半 年 先 になるのは 当 たり 前 といった 状 況 であったことが 語 られている. 日 本 の ADHD 診 断 基 準 および 治 療 方 針 の 指 針 を 提 供 している ADHD の 診 断 治 療 方 針 に 関 する 研 究 会 では, 日 本 の 医 学 領 域 での ADHD 概 念 の 認 知 について, 次 のように 述 べ ている. 日 本 では, 最 近 まで ADHD の 存 在 そのものを 疑 問 視 する 声 が 強 かったが,1998 年 にマスメディアがこの 障 害 に 注 目 した 報 道 を 連 続 的 に 行 ったことを 機 に 障 害 として 社 会 的 注 目 を 集 め, 医 療 界 においてもようやく 障 害 概 念 として 認 知 されるようになってきた (ADHD の 診 断 治 療 方 針 に 関 する 研 究 会 2008: 1).これを ADHD の 医 学 研 究 者 による 公 式 見 解 であるとすると, 日 本 の 医 学 領 域 で,ADHD の 認 知 がある 程 度 進 んだといえる 状 況 になったのは,90 年 代 後 半 から 2000 年 代 にかけてのことであるといえよう. では, 医 学 領 域 における ADHD への 関 心 を 表 すひとつの 指 標 として, 医 学 専 門 誌 に 掲 載 された ADHD についての 論 文 数 の 推 移 を 確 認 する. 論 文 の 検 索 は, 医 学 中 央 誌 の Web 検 索 を 用 いておこなった 9). 検 索 条 件 は,1994 年 1 月 1 日 2009 年 12 月 31 日 の 間 に,タイ トルに ADHD を 含 む 論 文 ( 症 例 報 告, 会 議 録 は 除 く)である 10). 結 果 は 以 下 の 通 りで ある( 表 1, 図 1). 19
市 大 社 会 学 第 1 2 号 表 1 ADHD 論 文 数 の 推 移 ( 医 学 中 央 誌 ) 年 件 数 年 件 数 1994 1 2002 50 1995 1 2003 40 1996 1 2004 35 1997 1 2005 39 1998 2 2006 49 1999 8 2007 23 2000 24 2008 44 2001 12 2009 36 計 366 図 1 ADHD 論 文 数 の 推 移 ( 医 学 中 央 誌 ) 医 学 専 門 誌 における ADHD 論 文 数 の 推 移 をみると( 表 1, 図 1), 先 の ADHD の 診 断 治 療 方 針 に 関 する 研 究 会 の 述 べる 通 り,1998 年 までは 年 に 1 2 本 と 非 常 に 少 ないが, 99 年 からは 徐 々に 増 加 の 傾 向 がみられる.2002 年 に 年 間 に 50 本 ともっとも 多 く,その 後 は, 年 によって 論 文 数 に 増 減 がみられるものの 一 定 のペースで 論 文 が 掲 載 されており, 日 本 の 医 学 領 域 においても,ADHD に 対 する 一 定 の 関 心 が 形 成 されていることを 示 している.2001 年 には, 児 童 青 年 精 神 医 学 会 において ADHD のシンポジウムが 開 催 され,2002 年 には 精 神 科 治 療 学,2003 年 には 精 神 科 といった 医 学 雑 誌 において, 注 意 欠 陥 / 多 動 性 障 害 (AD/ HD) の 特 集 が 組 まれている. 厚 生 省 ( 現 厚 生 労 働 省 )も,ADHD への 関 心 の 高 まりによる 診 断 希 望 者 の 数 の 増 加 に 対 応 するためとして,1999 年 から 2001 年 にかけて 注 意 欠 陥 / 多 動 性 障 害 の 診 断 治 療 ガイ ドライン 作 成 とその 実 証 的 研 究 研 究 班 を 設 け,ADHD の 具 体 的 な 治 療, 診 断 ガイドライ ンの 作 成 を 目 指 した.2002 年 からは 継 続 して, 作 成 されたガイドラインをより 臨 床 現 場 に 即 したものにするための 改 訂 と, 日 本 では 初 めてとなる ADHD の 中 長 期 経 過 を 明 らかにす ることを 目 的 として 注 意 欠 陥 / 多 動 性 障 害 の 総 合 的 評 価 と 臨 床 的 実 証 研 究 研 究 班 を 設 けた.これらの 成 果 として,2003 年 に 注 意 欠 陥 / 多 動 性 障 害 の 診 断 治 療 ガイドライン ( 上 林 ほか 2003)としてガイドラインが 出 版 されている.このガイドラインは 出 版 と 同 時 に 改 定 に 入 り, 続 けて 2005 年 3 月,2008 年 3 月 にも 改 訂 版 ガイドラインが 出 版 されるなど, ADHD についての 医 学 的 研 究 は 継 続 しておこなわれている( 斎 藤 ほか 2005, 2008). また, 一 部 の 精 神 科 医 は,ADHD を 一 般 書 によって 紹 介 するといったこともおこなって いる.1997 年 に, 精 神 科 医 の 司 馬 理 英 子 によって 著 された のび 太 ジャイアン 症 候 群 ( 司 馬 1997)は, 日 本 ではまだ ADHD があまり 知 られていなかった 段 階 で,ADHD の 認 知 を 高 めるのに 寄 与 したとされる 書 籍 である.その 後 も,ADHD および 成 人 ADHD を 紹 介 する 多 数 の 書 籍 が 一 般 書 として 著 されたり, 翻 訳 されており,これらは,ADHD についての 認 知 を 高 める 要 因 のひとつとなっている 11). 20
日 本 におけるADHDの 制 度 化 新 聞 報 道 における ADHD 続 いて, 医 学 領 域 以 外 での ADHD 概 念 の 普 及 についてみていく. 一 般 的 にも ADHD 概 念 が 普 及 していることを 示 す 指 標 のひとつとして,ADHD の 新 聞 における 報 道 件 数 の 推 移 を 確 認 する. 新 聞 記 事 の 検 索 には, 朝 日 新 聞 社 が 提 供 している 新 聞 記 事 データベース 聞 蔵 II( 朝 日 新 聞 ) を 用 いた. 検 索 は,ADHD という 診 断 基 準 が DSM-IV において 定 義 された 1994 年 2009 年, 東 京 版 本 紙 の 朝 刊 について, ADHD または 注 意 欠 陥 多 動 性 障 害 をキーワードに 全 文 検 索 をおこなった 12). 結 果 は, 次 の 通 りである( 表 2, 図 2). 表 2 ADHD にかんする 新 聞 記 事 数 ( 朝 日 新 聞 ) 年 件 数 年 件 数 1994 0 2002 14 1995 0 2003 6 1996 0 2004 16 1997 2 2005 12 1998 2 2006 11 1999 4 2007 11 2000 4 2008 8 2001 18 2009 13 計 121 図 2 ADHD にかんする 新 聞 記 事 数 の 推 移 ( 朝 日 新 聞 ) 朝 日 新 聞 ( 表 2, 図 2)についてみてみると, ADHD という 言 葉 が 記 事 中 で 初 めて 用 い られたのは,1997 年 のことである.その 後,2000 年 までは 年 間 2 4 本 と 少 ないが,2001 年 になって 18 件 と 急 増 する.2003 年 には 6 件 と 一 時 的 に 少 なくなっているが,2004 年 には 16 件 と 再 び 増 加 し,2005 年 以 降 は 10 件 前 後 を 推 移 している 13). 1997 年 の ADHD に 関 する 新 聞 記 事 は,その 年 に 起 きた 少 年 犯 罪 に 関 する 報 道 の 中 で ADHD について 言 及 されたものであったが 14),それ 以 降 の 新 聞 記 事 数 の 増 加 は, 日 本 にお ける ADHD の 法 整 備 と 関 わりがあるものと 思 われる 15).ADHD にかかわる 法 制 度 には, 特 別 支 援 教 育 と 発 達 障 害 者 支 援 法 がある. 特 別 支 援 教 育 についてみると, 文 部 科 学 省 は,2001 年 から 従 来 の 特 殊 教 育 から 特 別 支 援 教 育 へと 転 換 していくことを 目 指 して 検 討 を 開 始 している 16).そのなかで, 小 学 校 中 学 校 に 在 籍 する 学 習 障 害 (LD), 注 意 欠 陥 / 多 動 性 障 害 (ADHD), 高 機 能 自 閉 症 などの 児 童 生 徒 への 対 応 が 検 討 課 題 として 挙 げられた. 中 央 教 育 審 議 会 初 等 中 等 教 育 分 科 会 の 特 別 支 援 教 育 特 別 委 員 会 によって 取 りまとめられた 特 別 支 援 教 育 を 推 進 するための 制 度 の 在 り 方 について( 答 申 ) (2005 年 12 月 8 日 )をふ まえ,2006 年 には 学 校 教 育 法 施 行 規 則 が 一 部 改 正,2007 年 には 学 校 教 育 法 等 が 一 部 改 正 され, 2007 年 度 から 特 別 支 援 教 育 が 実 施 されている. 他 方, 発 達 障 害 者 支 援 法 は,ADHD を 含 む 発 達 障 害 児 者 への 生 活 全 般 にわたる 乳 幼 21
市 大 社 会 学 第 1 2 号 児 期 から 成 人 期 までの 一 貫 した 支 援 を 目 的 とした 法 案 であり,2004 年 に 超 党 派 の 発 達 障 害 の 支 援 を 考 える 議 員 連 盟 によって 第 161 回 臨 時 国 会 に 提 出 された.2004 年 12 月 3 日 に 成 立,2005 年 4 月 1 日 から 施 行 されている. これらを 考 慮 すると, 日 本 で 特 別 支 援 教 育 への 転 換 がはかられるなかで,ADHD 児 が 支 援 対 象 として 取 り 上 げられ 始 めた 2001 年 頃 から ADHD が 徐 々に 着 目 され 始 め, 記 事 件 数 も 増 加 したものと 思 われる. 同 様 に, 発 達 障 害 者 支 援 法 が 成 立 した 2004 年 にも 記 事 数 の 増 加 がみられる. 3 日 本 における ADHD の 制 度 化 の 要 因 以 上 のように, 日 本 では ADHD 概 念 が 普 及 し 始 めたのは,90 年 代 後 半 のことであり, 医 学 領 域 においても 社 会 一 般 においてもほぼ 同 時 期 であったといえる.このことは,まず 医 学 などの 専 門 領 域 において 研 究 の 蓄 積 が 進 み,それらが 一 般 に 普 及 してきたというアメリカに おける 多 動 症 の 事 例 とは 若 干 異 なっている.これは, 多 動 症 という 概 念 そのものが 形 成 され ていったアメリカに 対 し, 日 本 の 場 合 は,すでにある 程 度 形 成 された ADHD 概 念 がアメリ カから 輸 入 され, 用 いられるようになったという 事 情 の 違 いによるものだろう.また,アメ リカでは,まず 子 どもの ADHD( 多 動 症 )の 概 念 が 普 及 したのち, 後 続 研 究 のなかで 成 人 になっても ADHD 症 状 が 持 続 する 場 合 あることが 明 らかになっていったが, 日 本 の 場 合 は, 子 どもの ADHD 概 念 と 成 人 の ADHD 概 念 がほぼ 同 時 に 知 られるようになった 点 も, 日 本 における ADHD の 導 入 に 際 して 特 徴 的 な 事 柄 といえるだろう. これらをふまえ, 以 下 では, 日 本 での ADHD 概 念 の 導 入 と 普 及 の 推 進 要 因 について 考 察 する. 当 事 者 親 の 会 の 活 動 まず, 道 徳 的 起 業 家 としての 親 の 会 や 当 事 者 による 活 動 が 挙 げられる 17). 親 の 会 や 当 事 者 らは,ADHD を 抱 える 人 びと(およびその 家 族 )の 苦 悩 を 訴 え, 当 時, 日 本 で 認 知 の 低 かった ADHD についての 基 礎 的 な 情 報 を 広 めてきた.HP を 作 っての 情 報 発 信 や, 講 演 会 の 開 催 など,ADHD の 認 知 を 高 めるために 積 極 的 に 活 動 している.たとえば,1997 年 には,ADHD の 当 事 者 でもあり 臨 床 家 でもある 代 表 者 が, 現 在 の ADHD 支 援 の NPO 法 人 の 母 体 となった 支 援 の 会 を 結 成, 翌 年 には 国 内 初 の ADHD 支 援 のホームページを 起 ち 上 げ,2002 年 からは NPO 法 人 として 活 動 を 開 始 している.その 後, 日 本 各 地 に ADHD の 親 の 会 が 設 立 されている.これらの 組 織 は, 同 時 期 に 起 ち 上 げられた 他 の 発 達 障 害 の 団 体 とも 連 携 しつつ,ADHD についての 社 会 的 認 知 と 正 しい 理 解 を 高 めるための 活 動 を 積 極 的 におこなっている.ここでいう 正 しい 理 解 とは, 問 題 行 動 の 原 因 を ADHD という 医 学 的 問 題 として 理 解 する,ということであり, 時 には, 啓 蒙 の 対 象 に, 医 師 や 教 師 といっ 22
日 本 におけるADHDの 制 度 化 た 専 門 家 も 含 まれていた. 親 の 会 は, 少 なくとも 子 どもの ADHD についての 経 験 的 な 知 識 を 有 する,もっとも 身 近 な 理 解 者 であり サポートの 主 体 ( 井 上 2005)としての 立 場 を 確 立 し, 文 部 科 学 省 の 最 終 報 告 今 後 の 特 別 支 援 教 育 の 在 り 方 について においても 親 の 会 など 保 護 者 との 連 携 の 必 要 性 が 掲 げられている( 柘 植 2004). その 後, 障 害 ごとに 活 動 をおこなってきた 発 達 障 害 の 支 援 団 体 は, 発 達 障 害 者 支 援 法 の 制 定 を 機 に,2005 年 12 月, 障 害 の 種 別 を 超 えた 幅 広 いネットワークの 構 築 と,さらなる 支 援 や 社 会 の 理 解 向 上 を 目 指 して 活 動 するためとして 日 本 発 達 障 害 ネットワーク を 発 足 させている 18). また, 当 事 者 やその 親 による 体 験 談 等 の 手 記 も 相 次 いで 出 版 されており,これらは, 精 神 科 医 らによる 書 籍 と 並 び,ADHD についての 一 般 的 な 認 知 を 高 める 要 因 のひとつとなって いる 19).こうした 書 籍 では, 医 療 に 関 する 情 報 に 加 え, 日 常 生 活 に 即 した 対 処 法 について も 詳 細 にふれられており, 支 援 体 制 が 十 分 とはいえない 状 況 下 において, 診 断 前, 診 断 後 を 問 わず 当 事 者 や 関 係 者 にとっての 重 要 な 情 報 源 となっている. これらの 当 事 者 や 関 係 者 による 活 動 や 書 籍 は, 新 聞 やテレビなどで 報 道 されることを 通 じ, ADHD の 一 般 的 な 認 知 を 高 めた 要 因 のひとつとなっていると 考 えられる. 政 府 の 動 向 教 育 現 場 では,90 年 代 に ADHD と 同 じく 教 室 の 医 療 化 (Erchak and Rosenfeld 1989) として 知 られる 学 習 障 害 (LD) に 対 する 問 題 提 起 と 取 り 組 みが 開 始 されている. 日 本 に おける 学 習 障 害 概 念 の 制 度 化 においても, 道 徳 的 起 業 家 としての 親 の 会 の 活 動 が 大 きかった ことが 指 摘 されている( 木 村 2004). 文 部 省 ( 現 文 部 科 学 省 )は, 従 来 の 特 殊 教 育 の 対 象 にはならなかったが, 特 別 の 配 慮 を 必 要 とする 児 童 への 対 応 方 法 として, 通 級 による 指 導 へと 着 目 し,1990 年 通 級 による 指 導 に 関 する 調 査 研 究 協 力 者 会 議 を 設 置, 学 習 障 害 への 対 応 を 検 討 していくなかで,1992 年 には, 学 習 障 害 児 及 びそれに 類 似 する 学 習 上 の 著 しい 困 難 を 示 す 児 童 生 徒 の 指 導 方 法 に 関 する 調 査 研 究 協 力 者 会 議 を 設 置 している( 柘 植 2004). そして, 特 別 な 援 助 を 必 要 とする 児 童 生 徒 の 実 態 把 握 のために 文 部 科 学 省 は,2002 年, 通 常 の 学 級 に 在 籍 する 特 別 な 教 育 的 支 援 を 必 要 とする 児 童 生 徒 に 関 する 全 国 実 態 調 査 をおこ なった.それによれば, 学 習 面 と 行 動 面 で 困 難 を 抱 えていると 思 われる 児 童 の 割 合 は 6.3% であり,そのうち ADHD と 思 われる 不 注 意 または 多 動 性 衝 動 性 の 問 題 を 著 し く 示 す 児 童 は 2.5% と 報 告 されている( 文 部 科 学 省 2003).この 調 査 は, 医 師 ではなく 担 任 教 師 などの 回 答 によるものであるため,これらの 児 童 が 医 学 的 にも ADHD と 診 断 される かどうかについては 一 定 の 留 保 が 必 要 だが, 日 本 における ADHD(ならびに 他 の 発 達 障 害 ) の 実 態 調 査 として, 初 めて 具 体 的 な 数 値 を 明 らかにしたものとして 用 いられている.2003 年 には, 文 部 科 学 省 は,2001 年 よりおこなってきた 学 習 障 害 児 (LD)に 対 する 指 導 体 制 23
市 大 社 会 学 第 1 2 号 の 充 実 事 業 の 対 象 を ADHD や 高 機 能 自 閉 等 に 拡 大 した 特 別 支 援 教 育 推 進 体 制 モデル 事 業 を 開 始 している.そして,2007 年 度 からは, 文 部 科 学 省 は 障 害 をもつ 人 への 特 別 な 教 育 という 視 点 から 障 害 の 有 無 にかかわらず 支 援 の 必 要 な 人 への 教 育 へと 理 念 を 改 めるとと もに, 従 来 の 特 殊 教 育 から 特 別 支 援 教 育 と 名 称 を 変 更 した. 以 上 のような 学 習 障 害 に 対 する 公 的 な 対 策 をベースとして, 学 習 障 害 への 対 策 が 進 められ ていくなかで, 近 接 領 域 にある ADHD も 正 式 に 特 別 支 援 教 育 の 支 援 対 象 となったのである. また,2005 年 4 月 より 施 行 された 厚 生 労 働 省 による 発 達 障 害 者 支 援 法 では, 理 念 法 ではあるが,ADHD を 含 む 発 達 障 害 児 者 への 乳 幼 児 期 から 成 人 期 までの 生 活 全 般 にわた る 一 貫 した 支 援 を 目 的 に 掲 げており,ADHD をもつ 人 びとが 支 援 の 対 象 として 明 確 に 位 置 づけられている. その 他 の 要 因 直 接 的 な 要 因 とは 言 えないかもしれないが,ADHD の 制 度 化 を 進 めた 要 因 と 考 えられる 点 にふれておきたい. まず, 当 事 者 関 係 者 らの 活 動 を 可 能 とした 土 台 についてである.90 年 代 は, 日 本 において, 自 助 グループ(セルフ ヘルプ グループ)などの 当 事 者 による 活 動 が 活 発 化 していた 時 期 でもあり,こうした 動 向 のなかで,ADHD 当 事 者 や 親 らによる 自 助 グループによる 活 動 を おこないやすい 土 壌 が 形 成 されていたことが 考 えられる 20).さらに,インターネットの 普 及 により, 当 事 者 関 係 者 の 間 で 情 報 交 換 がなされやすかったことも 考 えられる. また, 社 会 問 題 との 関 連 についても 指 摘 できる. 学 習 障 害 の 制 度 化 が 日 本 で 進 んだの とほぼ 同 時 期, 日 本 の 教 育 現 場 では, 子 どもたちが 教 室 内 で 勝 手 な 行 動 をして 教 師 の 指 示 に 従 わず, 授 業 が 成 立 しないという, いわゆる 学 級 崩 壊 がひとつの 大 きなテーマであった. 学 級 崩 壊 の 原 因 究 明 と 解 決 策 探 求 のなかでは, 原 因 のひとつとして 子 ども 側 の 問 題 につ いても 指 摘 されており,1999 年 に 文 部 省 の 委 嘱 研 究 としておこなわれた 学 級 経 営 の 充 実 に 関 する 調 査 研 究 においても, 特 別 な 教 育 的 配 慮 や 支 援 を 必 要 とする 子 どもの 存 在 が 指 摘 されている 21). さらに, 非 行 少 年 のなかに 学 校 からの 落 ちこぼれ の 子 どもたちが 多 いとして, 矯 正 教 育 の 分 野 において, 学 習 障 害 の 概 念 を 取 り 入 れようとする 動 きが 始 まったのもこの 頃 である ( 品 川 2005). このような 社 会 現 象,とりわけ 社 会 問 題 と 目 される 現 象 群 と 絡 みつつ, 学 習 障 害 およ びその 近 接 領 域 となる 発 達 障 害 への 関 心 は 高 まっていったものと 思 われる. 学 級 崩 壊 の 一 因 とみなされる 教 室 内 で 勝 手 な 行 動 をする 子 ども 像 や, 衝 動 的 で 乱 暴 な 非 行 少 年 像 は, 多 動 衝 動 という 症 状 を 主 症 状 とする ADHD 像 と 重 なりやすいものであり,それゆえ こうした 社 会 問 題 という 文 脈 からも,ADHD が 注 目 されたことが 指 摘 できる. 24
日 本 におけるADHDの 制 度 化 おわりに 本 稿 では,ADHD の 日 本 における 制 度 化 を 検 討 した. 日 本 において ADHD 概 念 は, 医 学 領 域 においては,ADHD の 前 身 となる 概 念 について 60 年 代 半 ばからいくつか 研 究 がおこな われていたが, 本 格 的 に 研 究 が 進 んだのは 90 年 代 後 半 からである.ほぼ 同 時 期 に 新 聞 紙 上 でも,ADHD についての 記 事 数 が 増 加 するなど, 一 般 的 にも 広 く ADHD についての 認 知 が 高 まっていったといえる. 日 本 における ADHD の 制 度 化 の 大 きな 原 動 力 となったのは,ADHD 当 事 者 や ADHD 児 をもつ 親 の 会 など, 当 事 者 関 係 者 による 活 動 である.また,こうした 活 動 を 可 能 とした 社 会 的 背 景 として,90 年 以 降 の 学 習 指 導 要 領 の 改 訂 に 伴 う 特 別 な 支 援 を 必 要 とする 生 徒 とし ての 学 習 障 害 児 への 着 目,および 学 級 崩 壊 のリスク 要 因 としての 学 習 障 害 への 着 目 といっ た 動 向 のなかで, 学 習 障 害 の 近 接 領 域 であった ADHD へも 着 目 されたという 経 緯 がみられる. 本 稿 で 確 認 された ADHD の 定 義 や 病 因 についての 医 学 的 な 定 義 や 制 度 化 のあり 方 が, 当 事 者 および 関 係 者,さらに 一 般 の 人 びとにはどのように 理 解 され,そこからどのような 相 互 作 用 が 生 じているかについて 具 体 的 に 検 討 していくことは, 今 後 の 課 題 である. [ 注 ] 1) ADHD は 診 断 概 念 の 変 遷, 名 称 の 変 更, 日 本 語 訳 の 変 化 などにより, AD/HD 注 意 欠 陥 / 多 動 性 障 害 注 意 欠 如 多 動 性 障 害 など 使 用 者 や 時 期 によって 表 記 が 異 なるが, 本 稿 では, 引 用 の 場 合 を 除 き, ADHD を 用 いることとする. 2) 日 本 で 逸 脱 の 医 療 化 論 の 観 点 からさまざまな 現 象 についての 分 析 をおこなったものとして, 森 田 進 藤 編 (2006)がある.なお, 本 稿 は, 佐 々 木 (2006)の 一 部 を 大 幅 に 加 筆 修 正 したものである. 3) 以 下,ADHD 概 念 の 歴 史 的 記 述 については, 精 神 科 治 療 学 選 定 論 文 集 ADHD( 注 意 欠 陥 / 多 動 性 障 害 ) 関 連 論 文 集 (2007)を 参 考 にまとめている. 4) なお, 欠 陥 という 語 がよくないとされ,2008 年 には 日 本 語 訳 が 注 意 欠 如 多 動 性 障 害 と 改 められ ている. 5) 不 注 意 項 目 は, 次 の 9 つである.(a) 学 業, 仕 事,またはその 他 の 活 動 において,しばしば 綿 密 に 注 意 することができない,または 不 注 意 な 間 違 いをする.(b) 課 題 または 遊 びの 活 動 で 注 意 を 集 中 し 続 けることがしばしば 困 難 である.(c) 直 接 話 しかけられたときにしばしば 聞 いていないように 見 える. (d)しばしば 指 示 に 従 えず, 学 業, 用 事,または 職 場 での 義 務 をやり 遂 げることができない( 反 抗 的 な 行 動,または 指 示 を 理 解 できないためではなく).(e) 課 題 や 活 動 を 順 序 立 てることがしばしば 困 難 である.(f)( 学 業 や 宿 題 のような) 精 神 的 努 力 の 持 続 を 要 する 課 題 に 従 事 することをしばしば 避 ける, 嫌 う,またはいやいや 行 う.(g) 課 題 や 活 動 に 必 要 なもの( 例 :おもちゃ, 学 校 の 宿 題, 鉛 筆, 本, または 道 具 )をしばしばなくしてしまう.(h)しばしば 外 からの 刺 激 によってすぐ 気 が 散 ってしまう. (i)しばしば 日 々の 活 動 で 忘 れっぽい. 多 動 性 の 項 目 は,(a)しばしば 手 足 をそわそわと 動 かし,また 25
市 大 社 会 学 第 1 2 号 はいすの 上 でもじもじする.(b)しばしば 教 室 や,その 他, 座 っていることを 要 求 される 状 況 で 席 を 離 れる.(c)しばしば, 不 適 切 な 状 況 で, 余 計 に 走 り 回 ったり 高 い 所 へ 上 ったりする( 青 年 または 成 人 では 落 ち 着 かない 感 じの 自 覚 のみに 限 られるかもしれない).(d)しばしば 静 かに 遊 んだり, 余 暇 活 動 につくことができない.(e)しばしば じっとしていない,またはまるで エンジンで 動 かされる ように 行 動 する.(f)しばしばしゃべりすぎる. 衝 動 性 の 項 目 は, 次 の 3 つである.(g)しばしば 質 問 が 終 わる 前 に 出 し 抜 けに 答 え 始 めてしまう.(h)しばしば 順 番 を 持 つことが 困 難 である.(i)しばし ば 他 人 を 妨 害 し, 邪 魔 する( 例 : 会 話 やゲームに 干 渉 する). 6) 確 定 診 断 にあたって 多 くの 専 門 医 は,これに 加 え 他 にも 知 能 テストや 心 理 テスト, 脳 波 測 定 などをお こなっている. 7) ベッカーは,マリファナ 税 法 の 成 立 を 事 例 に, 規 則 成 立 のために 熱 心 に 活 動 する 人 びとの 存 在 を 指 摘 し, これを 道 徳 的 起 業 家 (moral entrepreneur) と 呼 んでいる(Becker 1963=1978).コンラッドらは, 新 しい 問 題 に 人 々の 気 を 引 くには 道 徳 的 起 業 家 を 必 要 とし, 道 徳 的 起 業 家 の 登 場 によってクレイム 申 立 段 階 が 始 まると 述 べている(Conrad and Schneider 1992=2003: 506). 8) ただし,すべての 疾 患 についてこれが 当 てはまるわけではない. 日 本 では, 厚 生 労 働 省 は WHO の 診 断 基 準 である ICD に 依 拠 しており, 精 神 医 学 領 域 においても 必 ずしも DSM の 診 断 基 準 が 用 いられて いるわけではない.しかし, 現 在 では DSM の 使 用 が 主 流 であること,とりわけ ADHD については DSM ベースの 疾 患 名 であることからこのように 捉 えておきたい. 実 際 の ADHD の 診 療 にあたっても, 診 断 基 準 として DSM を 使 用 している 医 師 は 約 8 割 にのぼる( 上 林 ほか 2002). 9) 医 学 中 央 誌 Web 検 索 サイト http://login.jamas.or.jp/2011.02.02 10) 後 述 のように, 日 本 においても 医 学 的 研 究 がおこなわれていないわけではない.ADHD と 連 続 性 の ある 病 気 障 害 として 多 動 症 MBD があり,これらについての 記 事 は 1970 年 代 にも 見 られる. これらの 病 気 障 害 と ADHD の 関 連 (たとえば 症 状 や 予 後 についての 内 容 の 異 同 など)を 検 討 する ことは 病 気 障 害 についての 知 識 社 会 学 的 観 点 から 重 要 な 課 題 であると 思 われる.しかし, 本 稿 では, 現 代 日 本 における ADHD の 制 度 化 過 程 の 検 討 が 目 的 であること, 現 在 の 日 本 で 一 般 に 流 通 している ADHD の 定 義 は,DSM または 文 部 科 学 省 による 定 義 ( 特 別 支 援 教 育 のなかで 用 いられる 文 部 科 学 省 に よる ADHD の 定 義 は,DSM-IV およびその 改 訂 版 である DSM-IV-TR の 定 義 を 参 考 にしたものとなっ ている)であり,これらは 多 動 症 や MBD とは 病 像 がかなり 異 なっていること,そしてこの 異 なっ た 定 義 が 日 本 で 90 年 代 以 降 に 受 け 入 れられたということを 考 慮 し, 本 稿 では DSM-IV 以 降 を 分 析 の 対 象 とした. 11) 司 馬 による のび 太 ジャイアン 症 候 群 シリーズの 著 作 や, へんてこな 贈 り 物 誤 解 されやすい あなたに 注 意 欠 陥 多 動 性 障 害 との 付 き 合 い 方 (Hallowell and Ratey 1994=1998)など.2000 年 代 に 入 ると, 医 師 による ADHD 関 連 の 新 書 も 多 数 出 版 されている. 12) 2011 年 2 月 2 日 検 索.なお,1994 年 以 前 については,1980 年 前 後 に,ADHD の 前 身 となる 医 学 的 概 念 が 新 聞 紙 上 で 紹 介 されたこともあった( 微 細 脳 損 傷 ( 朝 日 新 聞 1979 年 11 月 17 日 ), 多 動 児 ( 朝 日 新 聞 1982 年 6 月 13 日 )).ただし,これらはいずれも 適 切 に 対 応 すれば 正 常 に 戻 せる 成 長 すれば 自 然 になおる といった 形 で 紹 介 されており, 現 在 の ADHD を 症 状 に 変 化 はあるが 基 本 的 に 治 らな 26
日 本 におけるADHDの 制 度 化 い 障 害 とするものとはトーンが 若 干 異 なっている. 13) これらの 記 事 には,たとえば トゥレット 症 候 群 の 併 存 障 害 として ADHD に 言 及 しているもの, ADHD の 治 療 薬 であるリタリンを 服 用 したことによる 陸 上 選 手 のドーピング 疑 惑,リタリンの 依 存 症 問 題 が 取 り 上 げられた 際,リタリンが 処 方 さる 病 気 障 害 として ADHD に 言 及 したものなど, 実 質 的 には ADHD に 関 連 がないと 思 われるものも 含 まれている. 14) 朝 日 新 聞 では,1997 年 に 神 戸 児 童 連 続 児 童 殺 傷 事 件 の 報 道 の 際, 加 害 者 が ADHD という 診 断 を 受 け ていたことを 報 道 したが,その 後, 障 害 者 団 体 からの 抗 議 を 受 け 障 害 と 犯 罪 との 関 連 性 はない と いう 主 旨 の 記 事 を 掲 載 している. 15) ADHD に 関 する 新 聞 記 事 は,ADHD についての 紹 介 記 事 ( 用 語 解 説 も 含 む)がもっとも 多 く, 続 いて, 政 策 的 な 動 きに 言 及 したものが 多 い. 実 質 的 に ADHD に 関 わりのない 記 事 を 除 くと,これらが 約 7 割 を 占 めている. 16) 以 下, 特 別 支 援 教 育 をめぐる 制 度 改 正 については, 文 部 科 学 省 の HP を 参 考 とした.http://www. mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/014.htm/10.09.25 17) アメリカでは, 道 徳 的 起 業 家 としての 製 薬 企 業 の 影 響 が 大 きかったとされるが(Conrad and Schneider 1992=2003), 日 本 の 場 合 は, 製 薬 企 業 はそれほど 大 きな 影 響 を 持 たなかったものと 思 われる. 当 時,ADHD の 治 療 薬 として 用 いられることが 多 かったリタリンは,ADHD での 保 険 適 用 を 認 められ ていなかったことや, 日 本 で 処 方 薬 の 広 告 が 規 制 されていたこと, 子 どもに 対 する 薬 物 投 与 への 抵 抗 感 といった 要 因 が 考 えられる. 18) 日 本 発 達 障 害 ネットワーク http://jddnet.jp/index.htm 19) たとえば,ADHD の 子 どもをもつ 親 の 手 記 として 楠 本 のもの( 楠 本 2002)や, 成 人 ADHD 当 事 者 の 手 記 として 白 井 によるもの( 白 井 2002)など. 20) たとえば, 全 国 患 者 会 障 害 者 団 体 要 覧 第 3 版 (2006 年 2005 年 12 月 31 日 段 階 での 情 報 )に 掲 載 されている 638 団 体 について 設 立 時 期 を 確 認 したところ,1940 年 代 に 設 立 されたものが 0.9%, 1950 年 代 1.4%,1960 年 代 4.7%,1970 年 代 18.2%,1980 年 代 19.4%,1990 年 代 30.9%,2000-2005 年 17.9%であった.なお,1970 年 代 に 設 立 された 団 体 のうち,37.8%が 腎 臓 病 の 団 体 の 支 部,1980 年 代 の 25.2%は 認 知 症 の 団 体 の 支 部 である. 全 国 患 者 会 障 害 者 団 体 要 覧 第 3 版 に 掲 載 されているものが 全 てをカバーしているわけではなく,また, 厳 密 な 意 味 での 自 助 グループといえるかどうかには 留 保 が 必 要 だが,1940 年 代 から 徐 々に 設 立 され 始 めたこうした 団 体 は,1970 年 代 から 徐 々に 増 え 始 め,90 年 代 には 多 くの 団 体 が 設 立 されている.また,90 年 代 には,セルフグループ 支 援 のための 団 体 も 組 織 されている. 21) ニュース 文 部 省 委 嘱 研 究 ( 平 成 10 11 年 度 ) 学 級 経 営 の 充 実 に 関 する 調 査 研 究 ( 最 終 報 告 書 : 骨 子 ) 学 級 経 営 をめぐる 問 題 の 現 状 とその 対 応 関 係 者 間 の 信 頼 と 連 携 による 魅 力 ある 学 級 づくり ( 文 部 省 2000). 27
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