三浦信行.indd



Similar documents

3 避 難 状 況 避 難 指 示 避 難 勧 告 都 道 府 県 名 市 区 町 村 名 指 示 日 時 勧 告 日 時 青 森 県 岩 手 県 山 形 県 埼 玉 県 千 葉 県 東 京 都 鰺 ヶ 沢 町 月 16 日 12 時 55 分 10 月 22 日 10 時 00 分

●電力自由化推進法案

Microsoft PowerPoint - 報告書(概要).ppt

<6D313588EF8FE991E58A778D9191E5834B C8EAE DC58F4992F18F6F816A F990B32E786C73>

送 信 局 を 電 気 通 信 事 業 者 に 貸 し 付 けるとともに 電 気 通 信 事 業 者 とあらかじめ 契 約 等 を 締 結 する 必 要 があること なお 既 に 電 気 通 信 事 業 者 において 送 信 局 を 整 備 している 地 域 においては 当 該 設 備 の 整 備

個人住民税徴収対策会議


災害時の賃貸住宅居住者の居住の安定確保について

その 他 事 業 推 進 体 制 平 成 20 年 3 月 26 日 に 石 垣 島 国 営 土 地 改 良 事 業 推 進 協 議 会 を 設 立 し 事 業 を 推 進 ( 構 成 : 石 垣 市 石 垣 市 議 会 石 垣 島 土 地 改 良 区 石 垣 市 農 業 委 員 会 沖 縄 県 農

< F2D926E88E6895E977089DB81608E528CFB8CA78C788E4082CC8D71>

近畿中部防衛局広報誌

〔自 衛 隊〕

岡山県警察用航空機の運用等に関する訓令

(4) 武 力 攻 撃 原 子 力 災 害 合 同 対 策 協 議 会 との 連 携 1 市 は 国 の 現 地 対 策 本 部 長 が 運 営 する 武 力 攻 撃 原 子 力 災 害 合 同 対 策 協 議 会 に 職 員 を 派 遣 するなど 同 協 議 会 と 必 要 な 連 携 を 図 る

資 料 -6 平 成 20 年 度 第 2 回 北 陸 地 方 整 備 局 事 業 評 価 監 視 委 員 会 特 定 構 造 物 改 築 事 業 事 後 評 価 説 明 資 料 平 成 20 年 11 月 北 陸 地 方 整 備 局 -0-

私立大学等研究設備整備費等補助金(私立大学等

1 総 合 設 計 一 定 規 模 以 上 の 敷 地 面 積 及 び 一 定 割 合 以 上 の 空 地 を 有 する 建 築 計 画 について 特 定 行 政 庁 の 許 可 により 容 積 率 斜 線 制 限 などの 制 限 を 緩 和 する 制 度 である 建 築 敷 地 の 共 同 化 や

平成25年度 独立行政法人日本学生支援機構の役職員の報酬・給与等について

東京事務所BCP【実施要領】溶け込み版

質 問 票 ( 様 式 3) 質 問 番 号 62-1 質 問 内 容 鑑 定 評 価 依 頼 先 は 千 葉 県 などは 入 札 制 度 にしているが 神 奈 川 県 は 入 札 なのか?または 随 契 なのか?その 理 由 は? 地 価 調 査 業 務 は 単 にそれぞれの 地 点 の 鑑 定

PowerPoint プレゼンテーション

Taro-01 議案概要.jtd

参 考 改 正 災 害 対 策 基 本 法 1 ( 災 害 時 における 車 両 の 移 動 等 ) 第 七 十 六 条 の 六 道 路 管 理 者 は その 管 理 する 道 路 の 存 する 都 道 府 県 又 はこれに 隣 接 し 若 しくは 近 接 する 都 道 府 県 の 地 域 に 係

公表表紙

目 次 第 1 章 総 則 第 1 節 計 画 の 目 的... 1 第 1 計 画 の 目 的 1 第 2 計 画 の 策 定 1 第 3 計 画 の 構 成 2 第 4 用 語 の 意 義 2 第 2 節 計 画 の 前 提 条 件... 3 第 1 自 然 条 件 3 第 2 社 会 条 件

税制面での支援

Ⅶ 東 海 地 震 に 関 して 注 意 情 報 発 表 時 及 び 警 戒 宣 言 発 令 時 の 対 応 大 規 模 地 震 対 策 特 別 措 置 法 第 6 条 の 規 定 に 基 づき 本 県 の 東 海 地 震 に 係 る 地 震 防 災 対 策 強 化 地 域 において 東 海 地 震

m07 北見工業大学 様式①

16 日本学生支援機構

2 役 員 の 報 酬 等 の 支 給 状 況 平 成 27 年 度 年 間 報 酬 等 の 総 額 就 任 退 任 の 状 況 役 名 報 酬 ( 給 与 ) 賞 与 その 他 ( 内 容 ) 就 任 退 任 2,142 ( 地 域 手 当 ) 17,205 11,580 3,311 4 月 1

公 的 年 金 制 度 について 制 度 の 持 続 可 能 性 を 高 め 将 来 の 世 代 の 給 付 水 準 の 確 保 等 を 図 るため 持 続 可 能 な 社 会 保 障 制 度 の 確 立 を 図 るための 改 革 の 推 進 に 関 する 法 律 に 基 づく 社 会 経 済 情

学校安全の推進に関する計画の取組事例

通 信 大 隊 ( 北 熊 本 ) 第 8 飛 行 隊 ( 高 遊 原 ) 第 8 施 設 大 隊 ( 川 内 ) 第 8 後 方 支 援 連 隊 ( 北 熊 本 ) 第 8 特 殊 武 器 防 護 隊 ( 北 熊 本 ) 第 40 普 通 科 連 隊 ( 小 倉 ) 対 馬 警 備 隊 ( 対 馬

2. ど の 様 な 経 緯 で 発 覚 し た の か ま た 遡 っ た の を 昨 年 4 月 ま で と し た の は 何 故 か 明 ら か に す る こ と 回 答 3 月 17 日 に 実 施 し た ダ イ ヤ 改 正 で 静 岡 車 両 区 の 構 内 運 転 が 静 岡 運

Microsoft Word - 目次.doc

<4D F736F F D208ED089EF95DB8CAF89C193FC8FF38BB CC8EC091D492B28DB88C8B89CA82C982C282A282C42E646F63>

<4D F736F F D20365F335F8FF08C8F90DD92E FC92F994C5382D32816A>

<4D F736F F D D3188C091538AC7979D8B4B92F F292B98CF092CA81698A94816A2E646F63>

平成17年度高知県県産材利用推進事業費補助金交付要綱

の 提 供 状 況 等 を 総 合 的 に 勘 案 し 土 地 及 び 家 屋 に 係 る 固 定 資 産 税 及 び 都 市 計 画 税 を 減 額 せずに 平 成 24 年 度 分 の 固 定 資 産 税 及 び 都 市 計 画 税 を 課 税 することが 適 当 と 市 町 村 長 が 認 め

・モニター広告運営事業仕様書

とする ( 減 免 額 の 納 付 ) 第 6 条 市 長 は 減 免 を 受 け た 者 が 偽 り そ の 他 不 正 な 方 法 に よ り 減 免 の 決 定 を 受 け た こ と を 知 っ た と き 前 の 申 告 が あ っ た と き 又 は 同 条 第 2 項 の 規 定 によ

根 本 確 根 本 確 民 主 率 運 民 主 率 運 確 施 保 障 確 施 保 障 自 治 本 旨 現 資 自 治 本 旨 現 資 挙 管 挙 管 代 表 監 査 教 育 代 表 監 査 教 育 警 視 総 監 道 府 県 警 察 本 部 市 町 村 警 視 総 監 道 府 県 警 察 本 部

財政再計算結果_色変更.indd

航空隊及び教育航空隊の編制に関する訓令


( の 復 旧 ) 3. 南 相 馬 市 エリアの 避 難 指 示 解 除 準 備 区 域 及 び 居 住 制 限 区 域 内 の 路 線 数 ( ) 10 路 線 うち 被 災 した 路 線 ( 工 区 ) 数 10 路 線 52 箇 所 うち 応 急 対 策 を 実 施 した 路 線 ( 工 区

1 特 別 会 計 財 務 書 類 の 検 査 特 別 会 計 に 関 する 法 律 ( 平 成 19 年 法 律 第 23 号 以 下 法 という ) 第 19 条 第 1 項 の 規 定 に 基 づき 所 管 大 臣 は 毎 会 計 年 度 その 管 理 する 特 別 会 計 について 資 産

定款  変更

< F2D AFA CD90AE94F58C7689E62E6A7464>

Taro-○離島特産品等マーケティング支援事業に係る企画提案募集要領

2 役 員 の 報 酬 等 の 支 給 状 況 役 名 法 人 の 長 理 事 理 事 ( 非 常 勤 ) 平 成 25 年 度 年 間 報 酬 等 の 総 額 就 任 退 任 の 状 況 報 酬 ( 給 与 ) 賞 与 その 他 ( 内 容 ) 就 任 退 任 16,936 10,654 4,36

18 国立高等専門学校機構

Microsoft Word 第1章 定款.doc

<4D F736F F D E598BC68A8897CD82CC8DC490B68B7982D18E598BC68A8893AE82CC8A C98AD682B782E993C195CA915B C98AEE82C382AD936F985E96C68B9690C582CC93C197E1915B927582CC898492B75F8E96914F955D89BF8F915F2E646F6

第 節 ○○計画

事 業 概 要 利 用 時 間 休 館 日 使 用 方 法 使 用 料 施 設 を 取 り 巻 く 状 況 や 課 題 < 松 山 駅 前 駐 輪 場 > JR 松 山 駅 を 利 用 する 人 の 自 転 車 原 付 を 収 容 する 施 設 として 設 置 され 有 料 駐 輪 場 の 利 用

<4D F736F F D C482C682EA817A89BA90BF8E7793B1834B A4F8D91906C8DDE8A A>

                         庁議案件No

< F2D819A8B638E968E9197BF82528E968BC68C7689E68F C>

スライド 1

- 1 - 総 控 負 傷 疾 病 療 養 産 産 女 性 責 帰 べ 由 試 ~ 8 契 約 契 約 完 了 ほ 契 約 超 締 結 専 門 的 知 識 技 術 験 専 門 的 知 識 高 大 臣 専 門 的 知 識 高 専 門 的 知 識 締 結 契 約 満 歳 締 結 契 約 契 約 係 始

人事行政の運営状況の報告について

Taro-事務処理要綱250820


為 が 行 われるおそれがある 場 合 に 都 道 府 県 公 安 委 員 会 がその 指 定 暴 力 団 等 を 特 定 抗 争 指 定 暴 力 団 等 として 指 定 し その 所 属 する 指 定 暴 力 団 員 が 警 戒 区 域 内 において 暴 力 団 の 事 務 所 を 新 たに 設

スライド 1

(4) 運 転 する 学 校 職 員 が 交 通 事 故 を 起 こし 若 しくは 交 通 法 規 に 違 反 したことにより 刑 法 ( 明 治 40 年 法 律 第 45 号 ) 若 しくは 道 路 交 通 法 に 基 づく 刑 罰 を 科 せられてから1 年 を 経 過 していない 場 合 同

社会保険加入促進計画に盛込むべき内容

Microsoft Word - 佐野市生活排水処理構想(案).doc

4 松 山 市 暴 力 団 排 除 条 の 一 部 風 俗 営 業 等 の 規 制 及 び 業 務 の 適 正 化 等 に 関 する 法 律 等 の 改 正 に 伴 い, 公 共 工 事 から 排 除 する 対 象 者 の 拡 大 等 を 図 るものです 第 30 号 H H28.1

はファクシミリ 装 置 を 用 いて 送 信 し 又 は 訪 問 する 方 法 により 当 該 債 務 を 弁 済 す ることを 要 求 し これに 対 し 債 務 者 等 から 直 接 要 求 しないよう 求 められたにもかか わらず 更 にこれらの 方 法 で 当 該 債 務 を 弁 済 するこ

< EE597768E968BC688EA97972D372E786477>

定款

1 林 地 台 帳 整 備 マニュアル( 案 )について 林 地 台 帳 整 備 マニュアル( 案 )の 構 成 構 成 記 載 内 容 第 1 章 はじめに 本 マニュアルの 目 的 記 載 内 容 について 説 明 しています 第 2 章 第 3 章 第 4 章 第 5 章 第 6 章 林 地


1 平 成 27 年 度 土 地 評 価 の 概 要 について 1 固 定 資 産 税 の 評 価 替 えとは 地 価 等 の 変 動 に 伴 う 固 定 資 産 の 資 産 価 値 の 変 動 に 応 じ その 価 格 を 適 正 で 均 衡 のとれたものに 見 直 す 制 度 である 3 年 ご

施 設 利 用 に 伴 う 設 営 物 物 販 の 確 認 業 務 災 害 時 の 対 応 急 病 等 への 対 応 遺 失 物 拾 得 物 の 対 応 事 件 事 故 への 対 応 ( 2 ) 公 園 の 使 用 料 の 徴 収 に 関 す る 業 務 一 般 利 用 者 予 約 等 対 応 業

●幼児教育振興法案

した 開 示 決 定 等 に 当 たっては, 法 11 条 を 適 用 して, 平 成 23 年 5 月 13 日 まで 開 示 決 定 等 の 期 限 を 延 長 し, 同 年 4 月 11 日 付 け 防 官 文 第 号 により,1 枚 目 を 一 部 開 示 した そして, 同 年

Microsoft Word - H24様式(那珂市版).doc

再 生 可 能 エネルギー 等 導 入 推 進 基 金 事 業 計 画 書 ( 各 年 度 計 画 書 ) ( 事 業 計 画 の 概 要 ) 計 画 の 名 称 京 都 府 地 球 温 暖 化 対 策 等 推 進 基 金 計 画 の 期 間 交 付 対 象 京 都 府 府 内 市 町 村 民 間

退職手当とは

などは 別 の 事 業 所 とせず その 高 等 学 校 に 含 めて 調 査 した 5 調 査 事 項 単 独 事 業 所 調 査 票 全 産 業 共 通 事 項 ( 単 独 事 業 所 ) ア 名 称 及 び 電 話 番 号 イ 所 在 地 ウ 経 営 組 織 ( 協 同 組 合 においては 協

<4D F736F F F696E74202D208CE38AFA8D8297EE8ED288E397C390A CC8A AE98EBA8DEC90AC816A2E707074>

3 独 占 禁 止 法 違 反 事 件 の 概 要 (1) 価 格 カルテル 山 形 県 の 庄 内 地 区 に 所 在 する5 農 協 が, 特 定 主 食 用 米 の 販 売 手 数 料 について, 平 成 23 年 1 月 13 日 に 山 形 県 酒 田 市 所 在 の 全 国 農 業 協

平成24年度税制改正要望 公募結果 153. 不動産取得税

Microsoft PowerPoint 資料6 技術基準.ppt [互換モード]

行政機関ガイドブック(平成26年度版)・関東管区行政評価局/防衛省の機関

Microsoft Word - H27概要版

0439 研究開発推進事業(防衛省所管計上)250614

Taro-29職員退職手当支給規程

< F2D8AC493C CC81698EF3928D8ED2816A2E6A7464>

(2)大学・学部・研究科等の理念・目的が、大学構成員(教職員および学生)に周知され、社会に公表されているか

別 添 1 女 性 国 家 公 務 員 の 登 用 状 況 資 料 1 指 定 職 に 占 める 女 性 の 割 合 は3.0%( 平 成 27 年 11 月 1 日 現 在 ) ( 前 年 9 月 1 日 現 在 から0.2ポイント 増 ) 本 省 課 室 長 相 当 職 以 上 に 占 める 女

 

(2) 都 市 計 画 区 域 市 街 化 区 域 市 街 化 調 整 区 域 の 変 遷 1 都 市 計 画 区 域 の 変 遷 2 市 街 化 区 域 及 び 市 街 化 調 整 区 域 の 変 遷 旧 石 巻 市 ( 単 位 :ha) ( 単 位 :ha) 変 更 都 市 計 画 区 域 行

続 に 基 づく 一 般 競 争 ( 指 名 競 争 ) 参 加 資 格 の 再 認 定 を 受 けていること ) c) 会 社 更 生 法 に 基 づき 更 生 手 続 開 始 の 申 立 てがなされている 者 又 は 民 事 再 生 法 に 基 づき 再 生 手 続 開 始 の 申 立 てがなさ

要 な 指 示 をさせることができる ( 検 査 ) 第 8 条 甲 は 乙 の 業 務 にかかる 契 約 履 行 状 況 について 作 業 完 了 後 10 日 以 内 に 検 査 を 行 うものとする ( 発 生 した 著 作 権 等 の 帰 属 ) 第 9 条 業 務 によって 甲 が 乙 に

Transcription:

特 集 : 東 日 本 大 震 災 研 究 論 説 東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 トモダチ 作 戦 (Operation Tomodachi)を 中 心 に 三 浦 信 行 1 2 3 4 5 6 目 次 はじめに 東 日 本 大 震 災 の 特 徴 東 日 本 大 震 災 と 日 米 関 係 の 修 復 自 衛 隊 及 び 米 軍 による 被 災 地 支 援 活 動 今 後 の 課 題 と 問 題 点 おわりに 1 はじめに 2011 年 ( 平 成 23 年 )3 月 11 日 に 起 きた 東 日 本 大 震 災 は, 未 曾 有 の 人 的 物 的 被 害 を, 東 北 関 東 地 方 の 太 平 洋 沿 岸 部 にもたらした 震 災 の 傷 跡 は,い まだ 癒 えていないし, 福 島 第 1 原 子 力 発 電 所 の 爆 発 事 故 に 伴 ない 生 じた 諸 問 題 は, 明 確 な 着 地 点 すら 見 えていない しかし, 震 災 直 後 に 日 米 連 携 で 始 まった 大 規 模 な 被 災 地 支 援 活 動 ( トモダチ 作 戦 )は, 民 主 党 政 権 発 足 以 来 ギクシャクしていた 日 米 関 係 の 修 復 に 役 立 った ばかりでなく, 日 本 国 民 の 米 軍 を 見 る 目 にも, 微 妙 な 変 化 をもたらしたように 見 える そこで, 以 下 では,まず 今 回 の 東 日 本 大 震 災 の 概 要 を 取 り 上 げ,その 後 で, 自 衛 隊 と 米 軍 による 被 災 地 支 援 活 動 の 実 情,さらには 今 回 の 大 震 災 で 明 らかと なった 諸 課 題 を, 日 米 関 係 も 含 めながら 考 えてみたいと 思 う 265

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) 2 東 日 本 大 震 災 の 特 徴 2011 年 ( 平 成 23 年 )3 月 11 日, 午 後 2 時 46 分 55 秒, 牡 鹿 半 島 ( 宮 城 県 ) の 東 南 東 130km, 深 さ 24km の 海 底 を 震 源 とする 大 地 震 (マグニチュードは, 9.0 と 推 定 されている )が 発 生 した 震 源 から 遠 く 離 れている 東 京 23 区 多 摩 東 部 でも, 震 度 5 強 というこれまでにない 揺 れが 観 測 された この 地 震 に 伴 い 発 生 した 大 津 波 ( 津 波 の 高 さは, 岩 手 県 宮 古 市 で 19m, 宮 城 県 南 三 陸 町 では 15m にも 達 した )は, 東 北 関 東 地 方 の 太 平 洋 沿 岸 部 に, 未 曾 有 の 人 的 物 的 被 害 をもたらした とりわけ 岩 手, 宮 城, 福 島 の 東 北 三 県 の 被 害 は 甚 大 であった 被 災 地 を, 津 波 の 2 カ 月 後 に 上 空 から 眺 めた 評 論 家 の 立 花 隆 氏 は,その 惨 状 に 言 葉 を 失 いつつも, 次 のように 述 べている 私 はナガサキの 爆 心 地 で 生 まれた( 原 爆 投 下 の 5 年 前 だが) だが, 今 回 の 大 津 波 の 跡 に 広 がる 光 景 は,ヒロシマ,ナガサキよりすごいと 思 った ヘリで 上 から 見 て 強 くそう 感 じた 一 切 が 無 に 帰 したガレキの 山 が, 目 路 の 限 り 続 いている それも, 浦 から 浦 へ, 見 渡 す 限 り 続 いている その 破 壊 力 の 恐 るべき 大 きさが, 空 から 見 て 初 めて 分 かった 今 回 の 大 地 震,エネ ルギーで 計 算 すると,ヒロシマ 原 爆 3 万 2 千 発 分 にあたる かつてこの 世 に 存 在 した 最 大 の 水 爆 50 メガトンの 10 発 分 にも 相 当 するのだ 驚 くべきことには, 防 波 堤, 防 潮 堤 は, 波 高 を 考 慮 に 入 れても, 波 の 破 壊 力 ( 運 動 エネルギー)はほとんど 考 慮 しないで 造 るという その 想 像 力 の 欠 如 にあぜんとした (1) 東 日 本 大 震 災 から 9 カ 月 が 経 過 した 12 月 13 日 時 点 での, 震 災 による 死 者 は, 1 万 5,841 名, 行 方 不 明 者 3,485 名, 負 傷 者 5,890 名 である 全 壊 家 屋 は 12 万 6,348 戸, 半 壊 は 22 万 7,453 戸, 一 部 損 壊 は 64 万 3,442 戸 に 達 した (2) 被 害 総 (3) 額 は, 約 25 兆 円 ( 内 閣 府 の 防 災 担 当 の 推 定 では, 約 16 兆 9,000 億 円 )と 推 計 されている 被 害 総 額 は,ニュージーランドの GDP( 国 内 総 生 産 )の 2 倍 に 達 するとの 指 摘 もある (4) 266

政 治 研 究 第 3 号 (5) 今 回 の 大 地 震 とそれに 続 く 大 津 波 は,これまでの 地 震 災 害 とは, 全 く 違 っ た 状 況 を 生 み 出 した では,どういった 点 が, 従 来 とは 違 っていたのであろうか まず, 1 地 震 そのものによる 被 害 よりも, 地 震 直 後 に 発 生 した 大 津 波 による 被 害 の 方 が,はるかに 大 きくかつ 深 刻 であった( 震 災 死 者 の 92%は, 水 死 で あったと 言 われる) (6) 2 津 波 の 被 害 は 甚 大 であったばかりでなく, 被 害 は, 東 北 から 関 東 に 至 る 極 めて 広 い 範 囲 ( 青 森 県 から 茨 城 県 まで 約 500km)に 及 んだ 3 震 災 支 援 復 興 の 中 核 となるべき 地 方 自 治 体 の 中 には, 津 波 により 自 治 体 機 能 そのものが 失 われてしまったところも 少 なくなかった (7) 4 地 震 災 害 と 津 波 災 害 に, 原 発 災 害 ( 原 子 力 発 電 所 の 炉 心 溶 融 と 放 射 能 汚 染 の 拡 大 )というこれまで 経 験 したことのない 新 たな 要 素 が 加 わった 複 合 災 害 であったこと, 等 である 政 府 は 想 定 外 の 大 津 波 であったと 言 っているが, 地 質 学 的 調 査 によれ ば, 三 陸 沿 岸 地 域 は,100 年 ~ 1,000 年 の 頻 度 で 巨 大 津 波 に 度 々 襲 われている (8) 古 くは, 平 安 時 代 の 貞 観 の 大 津 波 (869 年 7 月 13 日,マグニチュード 8.7, 仙 台 平 野 が 水 没 し,1,000 人 以 上 が 犠 牲 となった ), 近 くは, 明 治 29 年 の 三 陸 (9) 大 津 波 (1896 年 6 月 15 日, 午 後 8 時 頃 津 波 は 海 抜 38.2m まで 到 達 し,2 (10) 万 人 以 上 が 犠 牲 となった ), 昭 和 8 年 の 三 陸 大 津 波 (1933 年 3 月 3 日, 午 前 2 時 30 分 3,000 人 以 上 が 犠 牲 になった ) 最 近 では,チリ 津 波 (1960 年 [ 昭 和 35 年 ]5 月 24 日 )などが 記 憶 に 新 しい (11) 地 域 によっては, 地 震 発 生 から 大 津 波 の 到 達 までに 30 ~ 40 分 程 度 の 時 間 的 余 裕 があったが,これがかえって 緊 急 避 難 を 遅 らせる 結 果 となった 地 域 も あった また, 東 北 地 方 の 入 りくんだ 地 形 的 特 徴 (リアス 式 海 岸 )も,より 高 い 場 所 に 津 波 が 到 達 する (12) 原 因 となった 津 波 から 逃 れるには, 一 にも 二 にも, 早 く 安 全 な 高 台 に, てんでんこ (てんでんばらばら)に, 避 難 する しかないようである 昭 和 8 年 の 三 陸 大 津 波 の 後 に, 岩 手 県 宮 古 市 姉 吉 (あ ねよし) 地 区 に 建 てられた 大 津 浪 記 念 碑 ( 海 抜 60m のところに 建 てられて 267

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) いる )には, 次 のような 文 字 が 刻 まれている 高 き 住 所 は 児 孫 の 和 楽, 想 へ 惨 禍 の 大 津 浪, 此 処 より 下 に 家 を 建 てるな, 明 治 二 九 年 にも 昭 和 八 年 にも, 津 浪 は 此 処 まできて 部 落 は 全 滅, 生 存 者 僅 かに 前 より は 二 人 後 は 四 人 のみ, 幾 歳 経 ても 要 心 何 従 (13) 今 回 の 大 津 波 も,この 記 念 碑 までは 到 達 しなかった 先 人 の 教 えは, 今 も 生 き 続 けているのである 今 回 の 大 津 波 については, 危 機 管 理 の 面 からも,いくつかのことが 指 摘 され ている まず, 地 震 の 際 の 避 難 場 所 に 指 定 されていた 建 物 が, 実 際 には 安 全 ではなく, いとも 簡 単 に 津 波 に 呑 み 込 まれてしまうような 場 所 に 立 地 していたところが, 少 なくなかった( 例 えば, 岩 手 県 陸 前 高 田 市 の 市 民 体 育 館, 宮 城 県 石 巻 市 の 北 上 総 合 支 庁 舎 や 石 巻 市 の 市 立 大 川 小 学 校 など) また, 地 震 発 生 後, 大 津 波 警 報 が 発 令 されたにもかかわらず, 防 災 無 線 から 流 れた 第 1 報 の 波 高 予 想 が 低 い ものであったため, 人 々は 安 心 してしまい, 避 難 が 遅 れたケースもあった そ の 後, 波 高 予 想 は 大 幅 に 修 正 されたが,その 時 は 既 に 遅 く, 大 波 が 迫 り, 逃 げ きれなかったという 到 達 する 津 波 の 高 さを 予 測 した 津 波 警 報 を 出 すよりも, まず, 緊 急 避 難 を 呼 びかける 津 波 警 報 を 出 す 必 要 があろう また, 地 震 によって 自 治 体 の 防 災 無 線 のアンテナが 破 損 したり, 故 障 したこ とも, 津 波 による 犠 牲 者 を 増 やす 結 果 となった(671 人 の 死 者 が 出 た 宮 城 県 山 元 町 (14) など) 大 津 波 警 報 や 緊 急 避 難 の 呼 びかけがなかったり, 防 災 警 報 が 聞 こえなかったという 地 域 地 区 も 少 なくなかったという 一 方, 宮 城 県 南 三 陸 町 のように, 防 災 放 送 で 最 後 まで 緊 急 避 難 を 呼 びかけ 続 けた 女 性 職 員 が, 逃 げ 遅 れて 亡 くなるという 痛 ましいケースもあった (15) 今 回, 大 津 波 から 逃 げ 切 ることができた 人 と,できなかった 人 との 差 は,ほんの 紙 一 重 に 過 ぎなかったのである 268

政 治 研 究 第 3 号 3 東 日 本 大 震 災 と 日 米 関 係 の 修 復 1995 年 ( 平 成 7 年 )の 阪 神 淡 路 大 震 災 をはるかに 超 える 震 災 ( 地 震 災 害 (16) と 津 波 災 害 ),さらには 福 島 第 1 原 子 力 発 電 所 の 事 故 という 二 次 災 害 の 発 生 に 対 して 自 衛 隊 は, 最 大 派 遣 時 で, 全 隊 員 のほぼ 半 数 に 当 たる 10 万 7,000 の 人 員 を 投 入 した また, 災 害 派 遣 では 初 めてとなる 陸 海 空 の 統 合 任 務 部 隊 ( 東 北 方 面 総 監 を 指 揮 官 とする)を 編 成 した 米 軍 も, 自 衛 隊 と 連 携 した 支 援 作 戦 トモダチ 作 戦 に, 人 員 約 2 万 4,000 名, 航 空 機 約 189 機, 原 子 力 空 母 ロナルド レーガン を 含 む 艦 艇 約 24 隻 を 投 入 した また, 提 供 輸 送 した 物 資 は, 食 料 約 246 トン, 水 約 813 トン, 燃 料 約 120 トンに 達 した 米 軍 の 作 戦 経 費 は, 最 大 で 8,000 万 ドル( 約 68 億 円 ) と 報 じられている (17) 米 軍 の 支 援 申 し 出 を 断 った 阪 神 淡 路 大 震 災 の 時 とは, 大 きく 様 変 わりした 当 初, 日 本 側 が 米 軍 の 能 力 装 備 を 十 分 に 把 握 していなかったことや, 自 衛 隊 と 米 軍 の 調 整 に 手 間 取 ったこと,さらには 日 本 の 役 所 の 縦 割 りの 壁 に 阻 まれ (18), 支 援 準 備 を 整 え 秋 田 沖 に 待 機 していた 米 軍 側 に, 大 きな 戸 惑 いが 広 がったことは 否 定 できない (19) 戦 闘 部 隊 である 米 軍 と, 戦 闘 を 前 提 としない 日 本 政 府 の 行 動 の 間 には,おのずと 大 きなギャップが 存 在 していた しかし, まもなく 日 米 の 連 携 はなんとか 軌 道 に 乗 り (20), 最 終 的 には, 震 災 支 援 での 日 米 連 携 は, 最 高 の 出 来 (21) ( 君 塚 栄 治 元 東 北 方 面 総 監 )と 評 されるに 至 った 民 主 党 政 権 の 誕 生 以 降,ギクシャクしていた 日 米 関 係 は, 大 震 災 直 前 には, ケビン メア 国 務 省 日 本 部 長 ( 当 時 )が 不 用 意 な 発 言 をしたと 報 じられた こともあって (22), 亀 裂 は 広 がり 悪 化 していた しかし, 東 日 本 大 震 災 に 際 し ての 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 活 動 ( トモダチ 作 戦 )により, 日 米 関 係 の 亀 裂 は 一 応 修 復 され, 日 本 国 民 の 米 軍 を 見 る 目 にもかなりの 変 化 が 生 じたように 見 える 例 えば, 震 災 直 後 の 4 月 16 日,17 日 に 毎 日 新 聞 社 が 実 施 した 全 国 世 論 調 査 によれば, 自 衛 隊 と 米 軍 の 連 携 が 深 まっていることを 適 切 だと 評 価 する 人 は, 269

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) 88%にも 達 した (23) また, 横 須 賀 市 が 3 月 に 行 った 市 民 意 識 調 査 では, 米 軍 基 地 が あった 方 が よい と 答 えた 人 は 34.7%(2008 年 の 調 査 では,17.6%)に 達 し,これまで の 最 高 となった 市 の 担 当 者 は, 米 軍 が 東 日 本 大 震 災 の 被 災 地 を 支 援 したト モダチ 作 戦 への 評 価 だろうが, 予 想 外 の 伸 び (24) と 述 べている さらに, 内 閣 府 が 平 成 23 年 10 月 に 実 施 した 外 交 に 関 する 世 論 調 査 によ れば, アメリカに 親 しみを 感 じる と 答 えた 人 の 割 合 は 82%( 内 訳 は 親 し みを 感 じる 41.4%, どちらかというと 親 しみを 感 じる 40.5%), 親 しみを 感 じない と 答 えた 人 の 割 合 は 15.5%( 内 訳 は 親 しみを 感 じない 6.4%, ど ちらかというと 親 しみを 感 じない 9.1%)であった 前 回 の 調 査 ( 平 成 22 年 10 月 )に 比 べ, 親 しみを 感 じない という 人 の 割 合 が 18.4%から 15.5%へと 大 きく 低 下 したのに 対 し, 親 しみを 感 じる という 人 の 割 合 は, 逆 に 79.9% から 82%へと 上 昇 した (25) ここにも,トモダチ 作 戦 のプラス 効 果 を 見 ることができる なお, 地 域 別 に 見 た 場 合 には, 北 海 道 の 割 合 が 最 も 高 く 86.3%, 関 東 85.5%, 沖 縄 を 含 む 九 州 が 77.4%となっている この 世 論 調 査 の 結 果 について, 在 日 米 軍 のスポークス マンは, この 好 ましい 結 果 が 続 くことを 希 望 する 日 本 人 は 恩 を 忘 れず 義 理 がたいと 言 われるが,われわれはこの 結 果 に 安 住 すべきでない (26) と 述 べて いる 震 災 時 の 日 米 共 同 行 動 については, 今 後 の 日 米 同 盟 の 更 なる 深 化 に 繋 がる ものとなった (27) との 評 価 の 声 がある 一 方 で, 基 地 問 題 を 抱 える 沖 縄 の 新 聞 論 調 には,これとは 全 く 違 う 反 応 が 示 されている (28) 沖 縄 の 米 軍 基 地 問 題 は, 依 然 として 日 米 関 係 に 深 く 突 き 刺 さったトゲのままである 4 自 衛 隊 及 び 米 軍 による 被 災 地 支 援 活 動 (1) 自 衛 隊 による 被 災 地 支 援 活 動 空 前 の 大 震 災 に 際 し, 司 令 塔 たるべき 首 相 官 邸 は, 危 機 管 理 や 調 整 機 能 を 十 270

政 治 研 究 第 3 号 分 に 果 たすことができず, 大 きく 混 乱 した (29) こうした 中 で, 被 災 地 救 援 に いち 早 く 着 手 したのは, 自 衛 隊, 警 察, 消 防 等 の 組 織 であった 特 に 自 己 完 結 型 (30) の 自 衛 隊 は,ピーク 時 に 全 隊 員 の 約 半 数 に 当 たる 10 万 7,000 人 を 派 遣 するなど,まさに 史 上 最 大 の 災 害 派 遣 を 行 った 有 事 を 想 定 して 編 成 される 統 合 任 務 部 隊 ( 自 衛 隊 法 第 22 条 特 別 の 部 隊 の 編 成 )が, 今 回 は, 災 害 派 遣 において 初 めて 編 成 された 3 月 14 日 11 時, 防 衛 大 臣 から 震 災 対 処 のために, 統 合 任 務 部 隊 の 編 成 が 命 じられた 陸 海 空 の 自 衛 隊 が,1 人 の 指 揮 官 のもとに 統 合 され, 一 体 となって 活 動 する 災 統 合 任 務 部 隊 (JTF 東 北 /JTF TF, 本 部 仙 台 )が 設 けられた 今 回, 自 衛 隊 が 行 った 活 動 は, 人 命 救 助, 不 明 者 捜 索, 物 資 輸 送, 瓦 礫 撤 去, 道 路 復 旧 から, 給 食 給 水, 入 浴, 医 療 支 援 まで 実 に 多 岐 にわたった この 大 作 戦 を 指 揮 した 災 統 合 任 務 部 隊 の 指 揮 官 君 塚 栄 治 陸 将 ( 当 時 )は, 隊 員 たちに, 全 てを 被 災 者 のためにささげよう (31) と 呼 びかけたと 言 う そのため, 被 災 地 では 自 衛 隊 に 対 する 感 謝 の 声 が 絶 えない 世 論 調 査 でも, 自 衛 隊 の 活 動 を 評 価 する 声 は 95%にも 達 した (32) 今 から 17 年 前 の 1995 年 ( 平 成 7 年 )1 月 17 日 ( 午 前 5 時 46 分 )に 発 災 し た 阪 神 淡 路 大 震 災 の 際, 自 衛 隊 には 苦 い 経 験 があった 県 知 事 からの 派 遣 要 請 を 待 っていたため, 初 動 に 4 時 間 の 遅 れが 生 じたばかりでなく, 派 遣 規 模 が 小 さいとの 批 判 も 浴 びたのである この 反 省 から, 迅 速 な 災 害 派 遣 を 行 うため (33) に, 派 遣 要 請 手 続 きの 簡 素 化 ( 自 衛 隊 法 施 行 令 第 106 条 [ 災 害 派 遣 の 要 請 (34) 手 続 ]の 改 正 )と, 自 主 派 遣 の 判 断 基 準 の 明 確 化 ( 防 衛 省 防 災 業 務 計 画 の 修 正 )が 図 られた また, 震 度 5 弱 以 上 の 地 震 が 発 生 した 場 合, 自 衛 隊 はすぐに 情 報 収 集 を 開 始 することも 決 められた これらの 措 置 が 今 回, 生 きた のである 地 震 発 生 (14 時 46 分 )から 4 分 後 には, 防 衛 省 内 に 防 衛 省 災 害 対 策 本 部 が 設 置 された 9 分 後 の 14 時 55 分 には, 訓 練 中 の 哨 戒 機 P3C に, 被 害 状 況 確 認 の 指 示 が 出 された さらに 14 時 58 分 には, 横 須 賀, 大 湊 基 地 の 出 港 可 能 な 全 艦 艇 に 緊 急 出 港 指 示 が 出 された また,14 時 57 分 には, 海 上 自 衛 隊 の UH 271

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) 60J 救 難 ヘリコプターが 大 湊 基 地 を,15 時 1 分 には 陸 上 自 衛 隊 の UH 1J ヘリ コプターが 霞 目 駐 屯 地 を,それぞれ 離 陸 した 航 空 自 衛 隊 の 三 沢, 百 里, 小 松 の 各 基 地 から 戦 闘 機 が 2 機 ずつ 離 陸 したのは,15 時 5 分 であった (35) 時 系 列 で, 地 震 発 生 後 の 自 衛 隊 の 災 害 派 遣 の 動 きを 見 ると 次 のようになる 2011 年 3 月 11 日 ( 金 曜 日 )14 時 46 分 55 秒, 三 陸 沖 ( 北 緯 38.1 度, 東 経 142.9 度 )を 震 源 とするマグニチュード 9.0 の 巨 大 地 震 が 発 生 同 14 時 52 分, 岩 手 県 知 事 が 第 九 師 団 長 に 災 害 派 遣 を 要 請 その 後, 宮 城 (15 時 02 分 ), 福 島 (16 時 47 分 ), 茨 城 (16 時 20 分 ), 青 森 (16 時 54 分 ) の 各 県 知 事 からも,それぞれ 派 遣 要 請 がなされた 同 15 時 14 分, 政 府 が 緊 急 災 害 対 策 本 部 ( 本 部 長 : 内 閣 総 理 大 臣 )を 設 置 同 15 時 25 分, 横 須 賀 から 海 上 自 衛 艦 13 隻 が 宮 城 沖 に 向 けて 出 港 同 15 時 27 分, 菅 首 相 は, 自 衛 隊 は 最 大 限 の 活 動 をすること と 指 示 同 16 時 20 分, 気 象 庁, 今 回 の 地 震 を 平 成 23 年 東 北 地 方 太 平 洋 沖 地 震 と 命 名 同 16 時 54 分, 首 相, 記 者 会 見 で 被 害 を 最 小 限 に 抑 えるために 総 力 と 表 明 同 18 時 00 分, 北 澤 防 衛 大 臣, 大 規 模 震 災 災 害 派 遣 命 令 災 害 派 遣 の 規 模 は 当 初 8,000 名,その 後 2 万 名,さらに 5 万 名 に 拡 大 同 19 時 03 分, 菅 首 相 が, 原 子 力 災 害 特 別 措 置 法 による 原 子 力 緊 急 事 態 宣 言 を 発 令 同 19 時 30 分, 北 澤 防 衛 大 臣 が 自 衛 隊 に 原 子 力 災 害 派 遣 ( 自 衛 隊 法 第 83 条 3 に 基 づく) 命 令 を 発 出 同 21 時 51 分, 福 島 第 1 原 子 力 発 電 所 の 半 径 3 キロ 以 内 の 住 民 に 避 難 指 示 震 災 支 援 活 動 が, 今 回, 比 較 的 スムーズに 進 んだ 要 因 には, 以 下 のような 大 規 模 災 害 対 策 訓 練 を 実 施 していたことも 挙 げられる 今 から 4 年 前 (2008 年 ) の 10 月 31 日 ~ 11 月 1 日 に, 青 森 県 から 福 島 県 の 海 岸 線 等 を 使 いながら 東 北 方 面 総 監 部 主 催 で みちのく ALERT(アラート)2008 (36) という 災 害 対 処 訓 練 が 行 われた この 震 災 訓 練 の 想 定 は, 早 朝, 宮 城 県 沖 でマグニチュード 8.0 272

政 治 研 究 第 3 号 の 地 震 が 発 生 し, 仙 台 市 等 で 震 度 6 強 を 観 測 三 陸 沿 岸 部 に 津 波 が 襲 来 し, 死 傷 者, 被 災 者 多 数 発 生 した というものであった この 訓 練 には,51 名 の 予 備 自 衛 官 及 び 即 応 予 備 自 衛 官 を 含 む 自 衛 隊 9,839 名 のほか, 防 災 関 係 機 関 約 210 名, 地 方 自 治 体 と 住 民 で 約 5,700 名, 合 計 約 1 万 6,000 名 が 参 加 した 訓 練 には 医 療 機 関,NTT 等 も 参 加 したが, 東 京 電 力 の 福 島 原 子 力 発 電 所 は 参 加 しなかった 今 回 の 大 津 波 は,4 年 前 の 訓 練 の 想 定 をはるかに 超 えるものであった しか し, 対 処 訓 練 が 基 礎 にあったため, 想 定 外 の 事 態 にも 対 処 する 応 用 力 が 身 につ いていたと 言 う みちのくアラート 2008 に 参 加 したある 連 隊 長 は, 次 のよ うに 述 べている 訓 練 によって 個 々の 隊 員 の 災 害 に 対 する 対 処 のしかたや 装 備 を 使 いこな すスキル,さらにはヘッドクォーターの 指 揮 能 力 を 高 めることができたほ か, 自 治 体 と 一 緒 に 訓 練 したことで,いざというときの 協 力 関 係 を 強 める こともできた (37) 訓 練 を 機 に 協 力 関 係 を 深 めていた 地 方 自 治 体 は, 今 回 の 大 津 波 で 壊 滅 的 な 被 害 を 受 けてしまい,その 機 能 を 全 く 果 たせないところもあり,その 分 自 衛 隊 に 大 きな 負 荷 がかかってきた 自 衛 隊 の 災 害 対 処 訓 練 には, 深 刻 な 原 発 事 故 に 対 する 対 応 は 含 まれていな かった 原 発 は 絶 対 安 全, 深 刻 事 故 は 絶 対 起 きない というのが, 電 力 会 社, 地 元 自 治 体,そして 原 子 力 委 員 会 事 務 局 の 前 提 条 件 であった それため, この 前 提 を 覆 すような 最 悪 事 態 を 想 定 した 訓 練 の 実 施 などは,ありえなかっ たのである 自 衛 隊 等 は, 最 悪 事 態 を 想 定 した 訓 練 とマニュアルの 作 成 を 申 し 入 れていたが,ほとんど 無 視 されたという (38) こうした 中 で, 原 発 爆 発 事 故 が 起 きた 装 備, 情 報, 権 限 もないまま (39),さらには, 深 刻 な 炉 心 溶 融 事 故 を 想 定 した 訓 練 も 積 んでいない 中 では, 自 衛 隊 といえどもとても 対 応 でき なかったのである 273

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) 今 回,3 月 19 日 正 午 までに 10 万 人 強 の 自 衛 官 を 迅 速 に 被 災 地 に 展 開 できた 背 景 には, 平 成 22 年 4 月 26 日 に 公 表 された 防 衛 省 統 合 幕 僚 監 部 作 成 の 首 都 直 下 地 震 発 生 時 における 災 害 派 遣 (40) というシナリオがあったことや, 被 災 地 に 通 じる 道 路 をいち 早 く 確 保 したこと( 東 北 自 動 車 道 等 を 緊 急 車 両 専 用 とし, 一 般 車 両 の 通 行 は 3 月 下 旬 まで 制 限 した )が 大 きかったと 言 われる (41) 統 合 幕 僚 監 部 作 成 の 首 都 直 下 地 震 発 生 時 における 災 害 派 遣 における 被 害 想 定 は, 内 閣 府 作 成 の 資 料 に 依 拠 しており, 次 のような 内 容 である 東 京 湾 北 部 でマグニチュード 7.3 の 地 震 が 発 生 し, 全 壊 家 屋 約 15 万 棟, 焼 失 家 屋 約 29 万 ~ 65 万 棟, 総 死 者 6,200 名 ( 発 災 時 点 の 死 者 約 3,100 名 ), 避 難 者 (1 カ 月 後 ) 約 270 万 人 ( 初 日 約 700 万 人 ), 橋 梁 部 破 壊 は 70 箇 所 というものである 東 京 23 区 で 震 度 6 弱 以 上,あるいは 隣 接 の 神 奈 川 県, 埼 玉 県, 千 葉 県 で 震 度 6 強 以 上 の 地 震 発 生 が 認 められた 場 合, 全 国 の 各 部 隊 は, 自 動 的 に 統 合 任 務 部 隊 の 編 成 準 備 を 始 めると 定 めている 災 害 派 遣 人 員 の 見 積 りは, 次 の 通 りである 発 災 1 日 目 に, 東 部 方 面 隊 近 隣 部 隊 の 集 結 完 了 (1 万 5,000 人 ),3 日 目 には, 艦 艇 の 終 結 が 完 了 するほか, 東 部 方 面 隊 東 北 方 面 隊 の 集 結 完 了 ( 約 5 万 5,000 人 ), 発 災 5 日 目 に 全 国 か らの 部 隊 集 結 完 了 ( 約 8 万 5,000 人 ) 予 備 自 衛 官 の 招 集 が 完 了 する 発 災 後 7 日 目 までに,10 万 人 の 招 集 を 達 成 するというシナリオになっている 今 回 の 東 日 本 大 震 災 においては, 菅 直 人 首 相 ( 当 時 )の 思 いつき 的 発 言 ( 安 心 感 を 与 えるため まとまった 数 字 を 国 民 に 言 いたい (42) )により, 無 謀 とも 思 える 10 万 人 という 数 字 がはじき 出 されたと 報 じられているが, 現 場 では, 上 記 のシナリオに 沿 った 形 で 部 隊 の 集 結 を 行 ったことは 明 らかである (2) 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 活 動 ( トモダチ 作 戦 ) 東 日 本 大 震 災 に 際 し, 米 軍 は, 大 規 模 な 人 的 支 援 と 災 害 救 援 活 動 を 展 開 した が,これは, トモダチ (43) 作 戦 と 名 づけられた 3 月 11 日 の 震 災 直 後, 米 国 側 から 支 援 の 用 意 があることが 表 明 された 11 日 夜 には, 松 本 外 務 大 臣 ( 当 時 )からルース 駐 日 米 大 使 に 対 して, 正 式 に 在 日 274

政 治 研 究 第 3 号 米 軍 による 支 援 の 要 請 がなされた (44) また 防 衛 省 からも 在 日 米 軍 に 支 援 要 請 がなされた 震 災 発 生 時, 原 子 力 空 母 ロナルド レーガン は, 西 海 岸 のサンディエゴ 軍 港 を 出 港 し, 太 平 洋 上 を 韓 国 に 向 け 航 行 中 であった 発 災 にともない 急 遽, 三 陸 沖 に 派 遣 され,13 日 6 時 には 仙 台 沖 に 到 着 した そして 13 日 12 時 には, 海 上 自 衛 隊 の 艦 艇 と 共 同 で, 気 仙 沼 への 食 糧 ( 約 3 万 食 ) 等 の 輸 送 を 開 始 した 14 日 には, 普 天 間 飛 行 場 の 海 兵 隊 ヘリ 8 機 が 厚 木 飛 行 場 に, 給 油 機 KC130 が 食 料 品, 医 薬 品 を 搭 載 して 横 田 飛 行 場 にそれぞれ 到 着 した また, 震 災 発 生 時, 第 31 海 兵 遠 征 部 隊 は, 演 習 のため 強 襲 揚 陸 艦 エセックス 等 3 隻 に 分 乗 し てマレーシアのコタキナバルに 滞 在 していたが, 直 ちに 引 き 返 して 北 上 し,17 日 には 秋 田 沖 に 到 着 し( 約 3,000 海 里 を 5 日 間 で 走 破 ), 被 災 地 支 援 にあたった さらに, 米 揚 陸 艦 トルトウガ は, 苫 小 牧 港 で 陸 上 自 衛 隊 第 5 旅 団 ( 帯 広 ) の 主 力 約 250 名 と 車 両 約 90 両 を 搭 載 し, 大 湊 に 向 かった 米 軍 は, 統 合 支 援 部 隊 (JSF Joint Support Force)を 組 織 し, 司 令 官 には 在 日 米 軍 司 令 官 (バートン フィールド 中 将 )よりも 格 上 の 太 平 洋 艦 隊 司 令 官 のパトリック ウォルシュ 海 軍 大 将 が 任 命 された 日 米 防 衛 協 力 の 指 針 (ガ イドライン)で 規 定 された 日 米 調 整 メカニズムが, 災 害 支 援 に 全 面 的 に 運 用 さ れ, 被 災 地 の 支 援 活 動 に 大 いに 役 立 った 日 米 の 活 動 を 調 整 するために, 防 衛 省 本 省, 在 日 米 軍 司 令 部 ( 横 田 基 地 ), 統 合 任 務 部 隊 司 令 部 ( 仙 台 )の 3 箇 所 にそれぞれ 日 米 共 同 調 整 所 (BJOCC Bilateral Joint Operations Coordination Center)が 設 置 された( 図 参 照 ) 米 軍 の 行 った 活 動 を 列 挙 すると, 以 下 のようなものである 原 子 力 空 母 ロナルド レーガン に 艦 載 のヘリコプターによる 約 3 万 食 の 非 常 用 食 糧 等 の 輸 送 揚 陸 艦 エセックス 等 による 支 援 物 資 の 輸 送 提 供 海 上 自 衛 隊 と 共 に,4 月 1 日 ~ 26 日 までの 間,3 回 にわたり 被 災 地 沿 岸 部 の 行 方 不 明 者 の 集 中 捜 索 を 行 った 福 島 第 1 原 子 力 発 電 所 の 事 故 に 際 し, 消 防 車 2 台, 放 射 能 防 護 服 約 100 着, 275

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) 図 東 日 本 大 震 災 における 自 衛 隊 と 米 軍 の 調 整 の 枠 組 み ) 20 10 10 300 ( 45 Joint Support Force Joint Task Force = Joint Force Land Component Command ( 出 所 ) 陸 上 自 衛 隊 東 北 方 面 総 監 東 日 本 大 震 災 対 処 ( 平 成 23 年 7 月 4 日 ); 朝 日 新 聞 2011 年 4 月 7 日 ; 読 売 新 聞 2011 年 3 月 28 日 等 を 参 考 にして 作 成 消 火 ポンプ 5 基, 淡 水 を 搭 載 したバージ(はしけ)2 隻 の 貸 与 空 軍 の 無 人 偵 察 機 グローバルホーク が 撮 影 した 画 像 の 提 供 海 兵 隊 の 放 射 能 対 処 専 門 部 隊 (CBIRF シーバーフ), 約 150 名 の 横 田 基 地 待 機 など 支 援 の 枠 組 みは 決 まったものの, 米 軍 にとっての 良 い 仕 事 (その 持 てる 能 力 を, 十 二 分 に 発 揮 してもらう 仕 事 )を 見 つけることは, 容 易 なことではなかっ 276

政 治 研 究 第 3 号 たようである 以 下 にあげる 3 つは, トモダチ 作 戦 の 一 環 として 実 施 され たもので, 米 軍 の 持 てる 力 が 遺 憾 なく 発 揮 された 例 である (イ) 仙 台 空 港 の 啓 開 (ロ) 気 仙 沼 大 島 での 瓦 礫 等 撤 去 作 業 (ハ)JR 仙 石 線 の 復 旧 作 業 ( ソウル( 魂 ) トレイン 作 戦 ) (イ) 仙 台 空 港 の 啓 開 海 に 近 い 仙 台 空 港 ( 宮 城 県 名 取 市 )は, 大 津 波 に 襲 われたため,ターミナル ビルは, 瓦 礫 や 防 潮 林 の 丸 木 などの 漂 着 物 で 入 口 が 塞 がれてしまった また 3,000 メートルのメイン 滑 走 路 も 流 木, 車 両, 泥 ( 泥 の 深 さは, 最 高 で 厚 さ 60 センチにも 達 した )に 覆 われ, 空 港 機 能 は 完 全 に 失 われた 惨 状 から 見 て, 再 開 の 時 期 は 全 く 見 当 がつかなかった しかし, 被 災 地 の 中 心 に 位 置 する 仙 台 空 港 を 一 日 も 早 く 復 興 させ, 大 型 輸 送 機 を 発 着 させることは, 救 援 活 動 を 推 進 する 上 からも 喫 緊 の 課 題 であった そこで, 米 軍 の 持 てる 能 力 ( 紛 争 地 帯 の 不 整 地 においても, 緊 急 滑 走 路 を 建 設 し, 飛 行 機 を 発 着 させることができる 能 力 )を 発 揮 してもらうことになった もちろん, 日 本 側 ( 仙 台 空 港 の 職 員, 民 間 土 木 業 者 等 )も 積 極 的 にバックアッ プし, 共 同 作 業 が 行 われた 3 月 13 日 に 山 形 空 港 からヘリを 飛 ばし, 仙 台 空 港 の 航 空 偵 察 を 行 った 米 軍 は, 仙 台 空 港 の 復 旧 を 急 ピッチですすめるために, 沖 縄 嘉 手 納 基 地 の 空 軍 第 353 特 殊 作 戦 部 隊 (353rd SOG[Special Operation Group])や 第 18 工 兵 分 遣 隊 (18 CEG) 等 を 横 田 基 地 ( 東 京 )に 前 進 させていた 最 初 の 要 員 ( 第 320 特 殊 戦 術 中 隊 戦 闘 管 制 員 )は,3 月 16 日 早 朝, 米 軍 横 田 基 地 を 第 17 特 殊 作 戦 飛 行 隊 の 輸 送 機 MC 130P コンバット シャドウ( 戦 う 影 法 師 ) で 出 発, 管 制 レー ダーが 不 能 である 航 空 自 衛 隊 松 島 基 地 ( 東 松 島 市 )の 1,500m の 副 滑 走 路 に 着 陸 そこから 高 機 能 多 目 的 装 輪 車 (ハンビ)2 台 に 分 乗 し, 自 衛 隊 員 の 誘 導 の もと,60km 離 れた 仙 台 空 港 に 向 かった (45) 特 殊 戦 術 中 隊 は, 仙 台 空 港 に 航 空 管 制 を 設 置 した 14 時 30 分, 特 殊 作 戦 用 の 輸 送 機 MC 130H コンバット 277

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) タロン( 戦 う 猛 禽 の 爪 )Ⅱ が 仙 台 空 港 に 強 行 着 陸 を 行 った 後,フォークリフ ト 等 の 重 機, 荷 物 を 載 せるパレット,ガソリン 軽 油, 第 353 特 殊 作 戦 部 隊 の 兵 員 を 降 ろし, 滑 走 路 の 機 能 回 復 作 業 が 本 格 的 に 開 始 された 仙 台 空 港 を 被 災 地 復 興 のシンボルに というスローガンの 下, トモダチ 作 戦 の 象 徴 となったのが, 既 に 述 べたように, 大 津 波 から 5 日 後 の 3 月 16 日 早 朝 に 行 われた 仙 台 空 港 の 啓 開 ( 輸 送 機 MC 130H の 強 行 着 陸 )であった 管 制 塔 1 階 のレーダー 室 が 土 砂 に 埋 まっている 中 で, 米 軍 の 特 殊 作 戦 部 隊 は, 独 自 のレーダーで 飛 行 経 路 と 地 形 を 把 握 し, 輸 送 機 MC 130H コンバット タ ロンⅡ を 着 陸 させた 空 軍 第 353 特 殊 作 戦 部 隊 は, 整 地 されていない 場 所 でも, またいかなる 天 候 の 下 でも, 固 定 翼 輸 送 機 を 発 着 させる 能 力 を 持 っている ま た,MC 130H コンバット タロンⅡ 輸 送 機 は, 不 整 地 や 多 少 の 瓦 礫, 石 ころが 散 乱 する 場 所 に, 夜 間 でも 着 陸 可 能 である (46) この 強 行 着 陸 は, 航 空 自 衛 隊 幹 部 にとっても 度 肝 を 抜 くものであったようで, トモダチ 作 戦 の 中 で 最 も 衝 撃 的 な 作 戦 だった (47) と 驚 きを 隠 さなかった 3 月 20 日 には, 大 型 輸 送 機 C 17 が 着 陸 できるまでになり, 仙 台 空 港 は, 被 災 地 支 援 のための 空 輸 拠 点 として 再 生 した 3 月 23 日 には, 空 軍 海 兵 隊 を 引 き 継 ぐ 形 で, 相 模 補 給 廠 ( 神 奈 川 県 )より 米 陸 軍 第 35 兵 站 任 務 部 隊 が, 仙 台 空 港 の 復 旧 作 業 ( 瓦 礫 や 約 3,000 台 の 破 損 車 両 の 撤 去 等 )に 派 遣 された 米 陸 軍 は, 高 い 機 動 力 を 持 つ 海 兵 隊 や 空 軍 海 軍 の 活 動 を 引 き 継 ぎ, 長 期 間 にわ たり 任 務 遂 行 するのが, 通 常 のスタイルである (48) 3 月 28 日 には 滑 走 路 灯 がつき,3 月 31 日 には 3,000 メートル 滑 走 路 と 緑 地 帯 から 瓦 礫 が 消 え,4 月 1 日 には, 空 港 当 局 による 管 制 が 再 開 された 仙 台 空 港 の 啓 開 では, 米 軍 の 果 たした 役 割 は 大 きかったし,また,マスコミ の 注 目 を 集 めたことも 事 実 である しかし, 日 本 の 民 間 土 木 業 者 の 活 躍 にも, 注 目 すべきものが 少 なくなかった 君 塚 栄 治 陸 将 ( 当 時, 災 統 合 任 務 部 隊 指 揮 官 ) は, 産 経 新 聞 のインタビューの 中 で, 報 道 ベースにはなってませんが,メー ン 滑 走 路 の 車 などを 一 日 でどけてきれいにしたのは 国 土 交 通 省 が 契 約 した 日 本 の 業 者 なんです 日 本 の 国 は 大 したもんですよ (49) と 述 べている 278

政 治 研 究 第 3 号 この 日 本 の 業 者 とは,ふだん 仙 台 空 港 の 滑 走 路 の 維 持 管 理 を 請 け 負 ってい る 前 田 道 路 である 前 田 道 路 の 作 業 員 たちは,100 台 を 超 える 作 業 車 両 を 投 入 し,3 月 15 日 までに 滑 走 路 上 の 自 動 車 や 瓦 礫 を 撤 去 し, 米 軍 の 飛 行 機 着 陸 に 備 えたという (50) 仙 台 空 港 は 復 興 の 象 徴 何 としても 早 期 に 復 興 させた かった (51) と 当 時 の 担 当 者 は 述 べている 仙 台 空 港 の 復 旧 にあたって, 毎 日 午 前 9 時 に 日 米 共 同 仙 台 空 港 現 地 調 整 所 ( キャンプ センダイ )で, 日 米 間 の 調 整 会 議 ( 米 国 陸 軍, 海 兵 隊, 空 軍, 仙 台 空 港 事 務 所, 陸 上 自 衛 隊 等 )を 開 き, 徹 底 した 意 思 疎 通 が 図 られた 会 議 は 1 日 に 何 回 も 開 かれることもあり, 難 問 解 決 に 取 り 組 み,そこから 日 米 間 のパー トナーシップが 育 まれていった また, 自 衛 隊 は 被 災 者 支 援 にまわり, 仙 台 空 港 の 整 備 は 米 軍 に 委 ねるといった 役 割 分 担 もうまく 機 能 したと 言 われる (52) 仙 台 空 港 の 調 整 所 長 を 務 めた 笠 間 誠 一 佐 ( 当 時 )は, 米 軍 は, 震 災 という 非 常 時 でありながら 日 本 の 文 化 を 十 分 に 熟 知 し, 被 災 者 へのいたわりを 忘 れな い 部 隊 だった (53) と 振 り 返 っている 他 方, 仙 台 空 港 の 復 旧 に 取 り 組 んだ 第 353 特 殊 作 戦 部 隊 の 指 揮 官 ロバート トス 空 軍 大 佐 ( 沖 縄 県 嘉 手 納 基 地 所 属 )は, 任 務 終 了 間 際 の 4 月 3 日 に 仙 台 空 港 上 空 で, 滑 走 路 近 くの 浜 辺 に, 長 さ 数 メートルの 流 木 を 並 べて 作 られた ARIGATO(アリガトウ) という 文 字 に 気 づき, 日 本 人 の 感 謝 の 心 に 感 動 し たと 語 っている (54) (ロ) 気 仙 沼 大 島 での 瓦 礫 等 撤 去 作 業 大 島 は, 気 仙 沼 市 から 連 絡 船 で 約 30 分 のところに 位 置 する 約 9 平 方 km, 人 口 約 3,200 人 の 離 島 である 大 津 波 により, 浦 の 浜 港 等 の 港 湾 施 設 が 壊 滅 的 被 害 を 受 けたほか, 約 1,150 戸 のうち 200 戸 近 くが 被 災 した 死 者 23 人, 行 方 不 明 者 8 人 引 火 した 瓦 礫 が 大 島 に 漂 着 したことから, 山 火 事 も 発 生 し, 火 の 手 は, 亀 山 (235m) 山 頂 にまで 達 した 本 土 と 大 島 を 結 んでいた 連 絡 船 や カーフェリーも, 津 波 で 地 上 に 打 ち 上 げられた 結 果, 島 は 孤 立 状 態 に 陥 った (55) 海 上 自 衛 隊 のヘリによって, 食 料, 水 等 の 物 資 は 輸 送 されていたものの, 島 279

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) 内 の 瓦 礫 の 処 理 は, 全 くの 手 つかずの 状 態 であった 4 月 1 日 に, 米 第 31 海 兵 遠 征 部 隊 (MEU ミュー,キャンプ ハンセン)の 約 170 人 の 隊 員 が, ト モダチ 作 戦 の 一 貫 として, 米 海 軍 の 強 襲 揚 陸 艇 エセックス から, 大 型 上 陸 用 舟 艇 (LCU Landing Craft Utility)を 使 って, 大 島 の 裏 側 に 位 置 する 長 崎 漁 港 に 上 陸 した 3 日 には, 支 援 要 員 を 含 め 108 人 の 隊 員 と 7 トントラック, 重 機 などが 大 島 に 上 陸 した 漁 港 の 復 旧 では, 佐 世 保 基 地 に 配 備 されているサ ルベージ 船 セーフガード (2,700 トン)が 活 躍 した (56) そして,4 月 6 日 ま での 間, 島 内 でキャンプして, 浦 の 浜, 駒 形 漁 港 など 4 つの 港 の 瓦 礫 処 理 に 当 たった 海 兵 隊 が 島 を 離 れた 6 日 には,ジョーンズ 准 将,ファーナム 中 佐 が 島 の 災 害 対 策 本 部 を 訪 ね, 作 戦 の 完 了 を 報 告 した こうして 海 兵 隊 員 は 島 を 離 れたが, その 際, 海 兵 隊 員 の 活 動 に 心 を 打 たれた 島 民 300 人 以 上 が 見 送 り, 感 謝 の 言 葉 を 述 べた (57) (ハ)JR 仙 石 線 の 復 旧 作 業 ( ソウル( 魂 ) トレイン 作 戦 ) 米 軍 の 復 興 支 援 体 制 は,4 月 初 めに,それまでの 海 上 部 隊 による 支 援 から, 在 日 米 陸 軍 を 主 体 とする 支 援 体 制 へと 移 行 した 海 兵 隊, 空 軍, 海 軍 による 支 援 作 戦 が 終 わりに 近 づいた 4 月 4 日, トモダチ 作 戦 の 海 上 拠 点 となってい た 空 母 ドナルト レーガン を, 北 澤 防 衛 大 臣 が 訪 ね, 次 のような 菅 首 相 の 謝 辞 を 約 2,500 人 の 乗 員 の 前 で 代 読 した 今 回 ほど 米 国 を 友 に 持 つことを 心 強 く 思 ったことはない 半 世 紀 にわたる 日 米 同 盟 のきずなの 証 しだ (58) 在 日 陸 軍 を 主 体 として 行 われたのが,JR 仙 石 線 の 復 旧 作 業 であった 4 月 21 日, 米 陸 軍 (キャンプ 座 間, 相 模 補 給 廠, 沖 縄 基 地 所 属 の 隊 員 たち)の 約 40 人 は, 自 衛 隊 員 約 16 人 と 共 同 で, 津 波 により 不 通 となった 仙 石 線 の 野 蒜 (のびる) 駅 周 辺 の 瓦 礫 撤 去 作 業 を 開 始 した この 作 業 は, トモダチ 作 戦 の 一 環 として 行 われたもので, Soul Train( 魂 の 列 車 ) (59) 作 戦 と 名 づけられた 魂 (ソウル)を 込 めて 列 車 を 通 そうとの 意 味 である 野 蒜 駅 のあと, 隣 駅 陸 前 小 野 駅 の 線 路, 構 内 にたまった 瓦 礫 撤 去 作 業 等 にも 従 事 した (60) 米 陸 軍 が 280

政 治 研 究 第 3 号 撤 退 したのは,5 月 2 日 であった 5 今 後 の 課 題 と 問 題 点 (1) 自 衛 隊 の 大 量 派 遣 支 援 をめぐる 問 題 点 (a)10 万 人 体 制 をめぐって 自 衛 隊 の 主 たる 任 務 は, 自 衛 隊 法 第 3 条 に 規 定 されているように, 我 が 国 の 平 和 と 独 立 を 守 り, 国 の 安 全 を 保 つため, 直 接 侵 略 及 び 間 接 侵 略 に 対 し 我 が 国 を 防 衛 すること である 災 害 派 遣 ( 自 衛 隊 法 第 83 条 )は,いわば 従 の 任 務 ということになる 今 回, 自 衛 隊 の 人 員 のほぼ 半 数 にあたる 10 万 7,000 人 が 動 員 されたが,これが 果 たして 適 切 な 規 模 であったか,という 問 題 である さらに, 自 衛 隊 の 主 たる 任 務 たる 国 の 防 衛 との 両 立 に, 問 題 は 生 じなかった のかという 点 である 10 万 人 という 数 字 は, 既 に 述 べたように, 菅 首 相 の まとまった 数 字 を 国 民 に 言 いたい といういわば 強 引 な 指 示 により (61),はじき 出 された 数 値 であっ て, 必 ずしも 明 確 な 基 準 に 基 づいて 算 出 された 数 字 ではなかった 震 災 の 最 中 にロシアは, 何 度 も 領 空 スレスレまで 偵 察 機 を 飛 ばしてきた (62) また 中 国 も, 航 空 機 やヘリを, 東 シナ 海 で 警 戒 監 視 中 の 護 衛 艦 いそゆき に 異 常 接 近 させ たり (63), 調 査 船 が, 放 射 性 物 質 の 拡 散 を 調 べると 称 して 沖 ノ 鳥 島 海 域 まで 入 り 込 むなど, 各 種 の 偵 察 行 動 を 繰 り 返 した 10 万 人 の 大 量 動 員 に 問 題 はなかったのか,との 国 会 での 質 問 に 対 し 北 澤 防 衛 大 臣 は, 次 のように 答 弁 した これだけの 人 員 を 投 入 して 本 来 業 務 がどうなるのかというような 考 え 方 が 当 然 頭 の 中 に 出 るわけですが,( 中 略 ) 一 方 で, 半 数 は 残 っておるんだ よ,その 半 数 が 国 の 守 りを 遺 漏 なきようにできるということをしっかり 考 えるべきだ,( 中 略 ) 後 顧 の 憂 いのないような 態 勢 はしっかりとれたとい うふうに 思 っております (64) 281

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) 官 邸 サイドから 大 規 模 派 遣 の 圧 力 が 強 まる 中 で, 自 衛 隊 は,ロシアや 中 国 の 軍 の 動 きを 警 戒 しつつ, 防 衛 空 白 を 回 避 する 努 力 を 続 けたという つ まり, 九 州 沖 縄 を 防 衛 する 西 部 方 面 隊 の 第 15 旅 団 ( 司 令 部 那 覇 市 )と 第 8 師 団 ( 同 熊 本 市 ), 関 西 地 方 を 担 当 する 中 部 方 面 隊 の 第 3 師 団 ( 同 兵 庫 県 伊 丹 市 ), 北 海 道 の 防 衛 にあたる 北 部 方 面 隊 の 第 7 師 団 ( 同 千 歳 市 )は, 極 力 動 かさないとの 方 針 を 決 めた さらに, 沖 縄 の 海 域 を 警 戒 する 海 上 自 衛 隊 佐 世 保 基 地 の 艦 艇 も 動 かさないことにしたという (65) 新 防 衛 計 画 大 綱 や 新 中 期 防 衛 力 整 備 計 画 においては, 陸 上 自 衛 隊 を 中 心 に 人 員 削 減 の 方 針 が 示 されているが, 今 回 の 大 震 災 により, 議 論 の 前 提 そのものが 変 わった 点 もあることから, 体 制 を 見 直 すべきではないか,との 意 見 も 出 され ている (66) (b) 自 衛 隊 の 支 援 範 囲 をめぐって 今 回 被 災 した 地 方 自 治 体 の 中 には, 壊 滅 的 被 害 を 受 け, 機 能 不 全 に 陥 って しまったところが 少 なくなかった そのため, 自 衛 隊 に 全 面 的 に 依 存 せざる をえない 状 況 が 生 まれた その 結 果, 派 遣 自 衛 官 に 過 重 な 負 担 がかかってし まった (67) 遺 体 収 容 に 従 事 した 隊 員 には, 心 身 への 負 担 が 懸 念 されることか ら,メンタルヘルスケア 等 が 重 点 的 に 施 されているという どこまでを 自 衛 隊 がカバーするのか,という 問 題 である 例 えば, 避 難 所 までガソリンを 自 衛 隊 が 運 ぶとしても,その 後 の 給 油 は, 自 衛 隊 が 行 う 必 要 はないはずである 消 防 団 なり 避 難 所 の 有 志 で 十 分 対 応 できるはずである 今 回 のような,ある 意 味 での 有 事 においては, 自 治 体 の 対 応 にも 大 きな 差 が 生 まれた それが 地 域 の 復 興 作 業 にも,はっきりと 現 れていたという 自 治 体 の 中 には, 縦 割 りの 弊 害 を 克 服 できず,それに 首 長 の リーダーシッ プの 欠 如 や 予 算 不 足 等 も 重 なり, 全 くの 機 能 不 全 に 陥 ってしまったとこ ろもあったという (68) その 一 方 で,いち 早 く 有 事 対 応 の 体 制 を 作 り 上 げ, 情 報 を 共 有 した 上 で, 282

政 治 研 究 第 3 号 事 案 を 即 決 し, 復 興 戦 略 を 描 きつつ 瓦 礫 処 理 に 取 り 組 んだところもあったとい う 平 時 にあっては, 表 面 化 しなかった 各 自 治 体 の 潜 在 能 力 の 差 が, 震 災 とい う 有 事 に 直 面 したことで, 厳 しく 問 われることになったのである 有 事 には 有 事 の 対 応 方 法 があり, 平 時 のやり 方 では 全 く 乗 り 越 えられないこ とを, 平 時 よりしっかりと 肝 に 銘 じておくべきであろう (2) 米 国 のアジア 太 平 洋 戦 略 と トモダチ 作 戦 の 裏 側 トモダチ 作 戦 に 対 し, 宮 城 県 は 最 大 級 の 米 軍 の 民 生 支 援 と 感 謝 を 表 明 したが, 米 軍 には 有 事 展 開 の 能 力 を 試 す 軍 事 目 的 もあったはずだとも 言 われ ている (69) 実 際, トモダチ 作 戦 は, 既 にできあがっていた 有 事 作 戦 ( 太 平 洋 有 事 519 作 戦 )に,スイッチを 入 れ, 動 かしてみたものだとの 指 摘 もあ る (70) マイケル シファー 米 国 務 次 官 補 代 理 ( 東 アジア 担 当 )は, 震 災 直 後 の 3 月 15 日 に 開 かれた 下 院 軍 事 委 員 会 即 応 体 制 小 委 員 会 の 公 聴 会 において, 日 本 及 びアジア 太 平 洋 全 域 における 我 々の 前 方 展 開 は,( 大 震 災 に 際 しての) 日 本 からの 緊 急 支 援 要 請 に, 迅 速 に 対 処 することを 可 能 にした 我 々は, 日 本 の 友 人 が 求 めるいかなる 支 援 にも 対 処 できるように, 迅 速 な 関 与 を 促 進 するであ ろう (71) と 述 べた 今 回 の 米 軍 による 被 災 地 支 援 活 動 の 裏 には, 日 米 同 盟 の 意 義 を 日 本 側 に 再 認 識 させるとともに, 中 国,ロシアに 日 米 同 盟 の 存 在 を 見 せ つける 狙 いがあったことが 読 み 取 れる (72) トモダチ 作 戦 終 了 後, 中 国 の 関 係 者 は 防 衛 省 幹 部 に 対 し, 自 衛 隊 10 万 人 と 米 軍 2 万 人 が 短 時 間 であれだけ 調 和 した 作 業 を 実 行 したのは 驚 きだ (73) と 述 べたと 言 われる ある 意 味, 米 国 の 目 的 は 達 成 されたと 言 えよう 米 国 の 異 例 とも 言 える 大 規 模 な 軍 の 展 開 は, 米 国 のアジア 太 平 洋 戦 略,と りわけ 中 国 の 膨 張 に 対 する 警 戒 感 を, 強 く 意 識 したものであることは, 米 国 議 会 公 聴 会 における 証 言 などからも 読 み 取 ることができる 2011 年 5 月 24 日, 下 院 外 交 委 員 会 のアジア 太 平 洋 小 委 員 会 (ドナルド マ ンズーロ 小 委 員 長 共 和 党 )において, 日 本 の 将 来 と 題 する 公 聴 会 が 開 か 283

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) れた 東 日 本 大 震 災 後 の 日 本 の 将 来 が, 米 国 にとってどんな 意 味 を 持 つか を 論 じたものである この 公 聴 会 には, 異 例 のことながら 藤 崎 一 郎 駐 米 大 使 が 出 席 し, 各 出 席 者 が 証 言 する 前 に, 日 本 の 現 状 について 説 明 した 藤 崎 大 使 は,まず, 東 日 本 大 震 災 に 際 し, 米 国 の 官 民 が 示 してくれた 多 大 な る 支 援 に 対 し, 日 本 は 忘 れないと 謝 意 を 表 した その 後, 日 米 同 盟 は 世 界 平 和 と 安 定 の 基 礎 であること, 日 本 は 東 アジア 西 太 平 洋 にとどまらず,グローバ ルにも 重 要 な 役 割 を 担 っていくと 述 べた さらに, 日 本 経 済 は 急 速 に 復 興 しつ つあること, 日 本 は 安 全 であること, 日 本 はビジネスに 開 かれていること 等 を 強 調 した (74) 藤 崎 大 使 の 後 には,ロバート ゾルドス( トモダチ 作 戦 に 参 加 した 消 防 捜 索 救 助 隊 長 ),ランディ シュライヴァー(アーミテージ インターナショナ ル 創 設 パートナー 元 国 務 次 官 補 代 理 ),マイケル グリーン( 戦 略 国 際 問 題 研 究 所 日 本 部 長 元 国 家 安 全 保 障 会 議 アジア 上 級 部 長 ),ゴールドン フレー ク(マンスフィールド センター 所 長 )の 4 氏 がそれぞれ 証 言 した 日 本 は 必 ず 復 活 する, 日 本 はすばらしい 国 だと 世 界 から 認 識 されている と 日 本 の 復 興 に 対 する 期 待 と 日 本 賛 美 が, 証 言 者 の 口 々から 発 せられた しか し, 同 時 に 次 のような 本 音 も 聞 かれた 地 震 を 境 に 日 本 の 地 位 が 低 下 しても らっては 困 る アメリカの 影 響 力 低 下 にもつながる, 米 国 が 中 国 の 力 をどれ だけコントロールできるかは, 日 米 同 盟 をどれだけうまく 機 能 させることがで きるかにかかっている (75) さらに, 公 聴 会 の 議 論 において 特 徴 的 であったの は, 日 米 関 係 の 背 後 に 横 たわる 中 国 の 大 きな 影 ( 中 国 の 脅 威 )に 対 する 警 戒 心 であった シュライヴァー 氏 は,オバマ 政 権 が 日 本 を 軽 視 し, 中 国 との 折 衝 を 重 視 しすぎると 批 判 した また,マイケル グリーン 氏 は,レアアース 問 題 が, 日 本 の 実 業 界 の 対 中 警 戒 感 を 高 めた,と 中 国 批 判 を 展 開 した さらにフレーク 氏 は, 最 近 の 中 国 の 横 暴 な 態 度 が 日 韓 を 接 近 させ,さらに 米 国 傾 斜 を 強 めてい ると 述 べた (76) マンズーロ 小 委 員 長 の 以 下 の 発 言 は,この 公 聴 会 の 雰 囲 気 をよく 表 している ように 思 われる 284

政 治 研 究 第 3 号 中 国 の 非 情 な 独 裁 の 勢 力 拡 大 を 防 ぐためにも, 米 国 は, 日 本 への 支 援 に 全 力 を 尽 くすべきである 米 国 と 中 国 は, 価 値 観 の 核 心 を 異 にする 民 主 主 義 の 日 本 は, 東 アジアにおける 米 国 にとっての 明 かりである (77) 公 聴 会 では,このほか, 米 国 が 推 進 する TPP( 環 太 平 洋 パートナーシップ) に, 日 本 が 参 加 するのかどうかにも 強 い 関 心 が 示 された 全 体 的 に 見 て 日 本 の 将 来 という 公 聴 会 では, 日 本 は 米 国 にとって 重 要 であり, 日 本 の 早 期 復 興 は, 米 国 の 安 全 保 障 にとって 極 めて 重 要 であるということが 強 調 された しか し, 米 国 内 には, 日 本 との 関 係 を 見 直 し, 台 頭 著 しい 中 国 との 関 係 を 深 める 方 が,ビジネス 面 から 見 ても 国 益 にかなうとの 意 見 があることも 事 実 である (78) この 公 聴 会 で 証 言 したマイケル グリーン 氏 が 所 属 する 米 国 のシンクタンク 戦 略 国 際 問 題 研 究 所 (CSIS Center for Strategic and International Studies)は, 昨 年 (2011 年 )11 月 に, 日 本 経 団 連 と 協 力 して 復 興 と 強 い 未 来 のための パートナーシップ (79) (Partnership for Recovery and a Stronger Future: Standing with Japan after 3-11)と 題 する 提 言 書 をまとめた この 復 興 提 言 書 は, 世 界 はダイナミックな 日 本 を 必 要 としており, 日 本 が 強 い 未 来 を 構 築 することは, 米 国 の 国 益 にかなうものでもあるとしている また 米 国 は, 日 本 のために 各 種 の 支 援 や 専 門 知 識 を 提 供 できるが, 復 興 の 道 筋 を 決 めるのはあくまでも 日 本 国 民 であること そして 経 済 復 興 においては, 民 間 セ クターが 大 きな 役 割 を 果 たすこと, 被 災 地 への 投 資 拡 大 のためには, 経 済 特 区 の 活 用,TPP の 推 進 等 が 有 効 であることなどが 述 べられている 今 後 起 こる (80) 震 災 復 興 需 要 に 対 しては, 米 国 が 協 力 できる 分 野 ( 例 えば 医 療 機 器 分 野, 原 発 関 係 等 )も 少 なくないことなどをも,それとなく 示 唆 している 6 おわりに 未 曾 有 の 複 合 災 害 となった 東 日 本 大 震 災 は,あまりにも 多 くの 課 題 を 日 285

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) 本 に 突 きつけたと 言 える 災 害 という 有 事 にあっては,これまでの 平 時 の 対 応 はほとんど 役 に 立 たなかった 平 時 より 想 定 外 の 事 態 を 予 測 し, 緊 急 時 対 応 の 準 備 し, 実 際 に 動 かしてみることが 必 要 である 既 に 述 べたように, 今 回 の 大 震 災 にあっては,2008 年 に 行 われた 大 規 模 災 害 対 処 訓 練 みちのくアラート 2008 が, 有 効 であったことが 証 明 された その 一 方 で, 安 全 神 話 に 囚 われ, 原 発 の 深 刻 事 故 ( 炉 心 溶 融 や 爆 発 事 故 ) への 対 処 訓 練 やマニュアル 作 成 を 行 うことができなかったことが, 福 島 第 1 原 発 の 炉 心 溶 融 事 故 への 対 応 の 遅 れにつながったことは 明 らかである 訓 練 の 蓄 積 があれば, 想 定 外 の 事 態 にも,ある 程 度 は, 応 用 力 が 働 いたはずである また 今 回 の 大 震 災 に 際 しては, 従 来 から 指 摘 されていた 政 府 地 方 自 治 体 の 抱 える 問 題 点,とりわけ 意 思 決 定 の 遅 さが 随 所 で 顔 をのぞかせ, 支 援 を 申 し 出 た 米 軍 を 困 惑 させる 場 面 も 少 なくなかったと 言 われる この 問 題 は, 首 長 のリーダーシップとも 関 わるものだけに, 解 決 は 容 易 なことではない し かし,ともかく 真 剣 に 取 り 組 んでいかねばならない 課 題 である また, 国 際 社 会 にあっては, 個 人 の 場 合 とは 異 なり, 純 粋 に 善 意 だけに 基 づ く 支 援 は 稀 である そのことも 十 分 踏 まえたうえで, 国 益 の 観 点 から 各 種 の 判 断 をどう 行 い,どう 選 択 するかが, 今 回 の 大 震 災 で 改 めて 問 われたと 言 えるの ではないだろうか < 付 記 > 防 衛 省 は, 昨 年 ( 平 成 23 年 )8 月 に, 東 日 本 大 震 災 への 対 応 に 関 する 教 訓 事 項 について( 中 間 取 りまとめ) < http://www.mod.go.jp/j/approach/defense/ saigai/pdf/k_chukan.pdf(accessed 2012 1 9)>,, ガイドライン( 日 米 防 衛 協 力 のための 指 針 )で 明 確 にされているわけではなく, 調 整 メカニズムの 在 り 方 や 日 米 調 整 所 の 位 置 付 けについて 今 後 検 討 が 必 要 としている また, 国 内 災 害 対 処 のための 日 米 共 同 要 領 が 未 整 備 である 点 も, 今 後 の 日 米 相 互 支 援 のための 教 訓 事 項 とされた( 中 間 取 りまとめ 18-19 頁 ) 286

政 治 研 究 第 3 号 表 米 軍 の トモダチ 作 戦 における 活 動 概 要 年 月 活 動 状 況 等 2011 年 3 月 11 日 牡 鹿 半 島 沖 130km を 震 源 とする 大 地 震 (マグニチュード 9.0) により, 大 津 波 発 生 3 月 11 日 18 時 内 閣 総 理 大 臣 から 防 衛 大 臣 に, 大 規 模 震 災 災 害 派 遣 命 令 が 下 る 3 月 12 日 3 月 12 日 ~ 5 月 11 日 3 月 13 日 3 月 14 日 3 月 16 日 14 時 30 分 3 月 16 日 ~ 18 日 3 月 18 日 ~ 3 月 17 日 ~ 19 日 3 月 21 日 3 月 22 日 オバマ 米 大 統 領, 記 者 会 見 で, 必 要 な 支 援 は 何 でもする と 述 べる 空 軍 の 無 人 偵 察 機 グローバルホーク, 福 島 第 1 原 発 を 撮 影 し, 日 本 政 府 に 映 像 を 無 償 で 提 供 航 空 機 による 放 射 線 量 の 測 定 も 実 施 米 韓 合 同 演 習 のため, 西 太 平 洋 を 航 行 中 の 原 子 力 空 母 ロナル ド レーガン, 予 定 を 急 遽 変 更 し, 東 北 沖 に 到 達 合 同 演 習 用 に 積 んでいた 生 活 物 資 は,すべて 被 災 地 支 援 に 使 われる 海 上 自 衛 艦 ひゅうが と 連 携 して 支 援 物 資 を 被 災 地 へ 輸 送 陸 上 自 衛 隊 東 北 方 面 総 監 部 ( 仙 台 市 )に, 統 合 任 務 部 隊 (JFT) を 設 置 米 海 兵 隊, 仙 台 駐 屯 地 内 に 前 線 司 令 部 を 設 置 豪 州 軍,C-17 輸 送 機 1 機 を 米 軍 横 田 基 地 に 派 遣 22 日 には, 原 発 冷 却 用 の 高 圧 放 水 ポンプを 輸 送 するために,ピアース 基 地 より C-17 輸 送 機 2 機 を 日 本 に 派 遣 嘉 手 納 基 地 ( 沖 縄 )の 大 型 輸 送 機 MC130-H が, 仙 台 空 港 に 強 行 着 陸 第 353 特 殊 作 戦 群 隊 員 のほか,フォークリフト 等 の 重 機, 機 材 をおろす 補 給 基 地 としての 仙 台 空 港 の 機 能 回 復 に 着 手 ドック 型 揚 陸 艦 トルトゥガ, 自 衛 隊 第 5 旅 団 の 隊 員 236 名 と 車 両 93 台 を, 苫 小 牧 ( 北 海 道 )から 大 湊 ( 青 森 県 )へ 輸 送 滞 在 先 のマレーシア コタキナバルから 北 上 していた 強 襲 揚 陸 艦 エセックス ( 多 数 の 沖 縄 海 兵 隊 員 が 乗 船 ), 秋 田 沖 に 到 着 21 日 には, 三 陸 沖 に 移 動 米 空 軍 と 豪 州 軍 が, 輸 送 機 で 陸 上 自 衛 隊 員 115 名, 車 両 68 台 を, 嘉 手 納 基 地 ( 沖 縄 )から 横 田 基 地 ( 東 京 )へ 輸 送 定 期 修 理 中 の 原 子 力 空 母 ジョージ ワシントン 急 遽, 横 須 賀 を 出 港 4 月 5 ~ 6 日,12 ~ 14 日 に 佐 世 保 に 寄 港 した 後,4 月 20 日 に 横 須 賀 に 帰 港 ルース 駐 日 米 国 大 使,ウイラード 太 平 洋 軍 司 令 官 とともに, 石 巻 の 避 難 所 を 訪 問 3 月 24 日 ~ 米 軍 三 沢 基 地 が, 岩 手 県 山 田 町 等 にガソリンを 提 供 3 月 25 日 ~ 米 海 軍 が,サルベージ 船 を 使 って 八 戸 港, 宮 古 港, 気 仙 沼 港 で, 沈 没 船 を 引 き 揚 げる 米 国, 原 子 炉 冷 却 用 の 真 水 を 搭 載 したバージ 船 2 隻 を, 日 本 側 に 貸 与 ( 海 上 自 衛 隊 が 曳 航 ) 消 火 ポンプ 5 台 も 貸 与 防 護 服 約 100 着, ホウ 酸 約 9 トンを 提 供 287

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) 表 米 軍 の トモダチ 作 戦 における 活 動 概 要 ( 続 き) 年 月 活 動 状 況 等 3 月 26 日 ~ 海 兵 隊 が, 石 巻 市 と 東 松 島 市 の 6 箇 所 にシャワーを 設 置 3 月 27 日 強 襲 揚 陸 艦 エセックス, 気 仙 沼 市 の 離 島 大 島 に, 電 源 車, 燃 料 等 を 輸 送 3 月 28 日 仙 台 空 港 の 滑 走 路 灯 がともる 3 月 31 日 仙 台 空 港 の 3,000 メートル 滑 走 路 が 利 用 可 能 となる 4 月 1 日 には, 航 空 管 制 を 日 本 側 へ 返 還 3 月 下 旬 ~ 石 巻 市 の 小 中 高 校 で, 海 兵 隊 が 生 徒 と 一 緒 に 体 育 館 の 泥 などを 除 去 4 月 1 日 ~ 6 日 4 月 1 日 ~ 3 日, 10 日,25 日 ~ 26 日 4 月 4 日 海 兵 隊 (31MEU), 強 襲 揚 陸 艦 エセックス から 大 島 へ 上 陸 し, 漁 港 などの 瓦 礫 を 撤 去 米 軍 の 哨 戒 機 P3C,ヘリ, 艦 艇 が, 自 衛 隊 と 共 同 で 行 方 不 明 者 の 集 中 捜 索 を 行 う トモダチ 作 戦 に 対 する 菅 首 相 の 謝 意 を 伝 達 するために, 北 澤 防 衛 大 臣, 米 海 軍 機 で, 三 陸 沖 で 活 動 中 の 空 母 ロナルド レー ガン を 訪 問 4 月 6 日 午 後 海 兵 隊, 気 仙 沼 の 大 島 より 撤 退 4 月 13 日 JAL( 日 本 航 空 )が, 民 間 航 空 一 番 機 として 仙 台 空 港 に 着 陸 4 月 17 日 4 月 21 日 ~ 29 日 4 月 下 旬 ( 出 所 ) 新 聞 記 事 等 より 筆 者 作 成 クリントン 国 務 長 官 来 日 菅 首 相 との 会 談 で, 日 本 の 大 変 な 時 期 に 支 援 できて 大 変 光 栄 に 思 う と 表 明 米 陸 軍, 自 衛 隊 と 共 同 で,JR 仙 石 線 の 野 蒜 駅, 陸 前 小 野 駅 で 瓦 礫 除 去 作 業 ( ソウル トレイン Soul Train 作 戦 )を 実 施 石 巻 市 の 小 中 学 校 で, 米 国 文 化 を 英 語 で 紹 介 する サクラ ク ラス を 開 催 288

政 治 研 究 第 3 号 注 ( 1 ) 立 花 隆 震 災 2 カ 月 空 から 見 た 被 災 地 ( 下 ) 河 北 新 報 2011 年 5 月 12 日 ( 2 ) 緊 急 災 害 対 策 本 部 平 成 23 年 (2011 年 ) 東 北 地 方 太 平 洋 沖 地 震 ( 東 日 本 大 震 災 ) について 平 成 23 年 12 月 13 日 <http://www.kantei.go.jp/saigai/pdf/20111213 1700jisin.pdf,(accessed 2011-12-20)> ( 3 ) 内 閣 府 東 日 本 大 震 災 における 被 害 額 の 推 計 について 平 成 23 年 6 月 24 日 内 閣 府 ( 防 災 担 当 )<http://www.bousai.go.jp/oshirase/h23/110624-1kisya.pdf,(accessed 2011-11-30)> ( 4 ) The Future of Japan. Hearing before the Subcommittee on Asia and the Pacific of the Committee on Foreign Affairs, House of Representatives, 112 Congress 1 st Session, May 24, 2011.(Serial No. 112-31)<http://foreignaffairs.house.gov/112/66531.pdf, p.44,(accessed 2012-1-9)> ( 5 ) 気 象 庁 は 3 月 11 日 16 時 20 分 に, 今 回 の 地 震 を 平 成 23 年 東 北 地 方 太 平 洋 沖 地 震 と 命 名 した その 後,4 月 1 日 に 正 式 名 称 が 東 日 本 大 震 災 となった ( 6 ) 河 北 新 報 2011 年 4 月 20 日 ( 7 ) 今 回 の 福 島 第 1 原 子 力 発 電 所 の 原 子 力 災 害 については, 本 稿 では 詳 しくはふれ ないが, 既 に 中 間 報 告 が 公 表 されているので, 以 下 を 参 照 政 府 原 発 事 故 調 査 検 証 委 中 間 報 告 読 売 新 聞 2011 年 12 月 27 日 ; 原 発 事 故 報 告 首 相 官 邸 が 混 乱 の 一 因 だった 読 売 新 聞 2011 年 12 月 27 日 米 国 は, 爆 発 事 故 を 起 こした 福 島 第 1 原 発 の 情 報 が 全 く 入 ってこないことに 不 信 感 を 強 め,ルース 大 使 は, 専 門 家 の 官 邸 常 駐 を 要 求 してきた そこで 政 府 は,ようやく 4 月 21 日 から, 日 米 の 原 発 事 故 担 当 者 等 による 日 米 政 策 調 整 会 議 を 内 閣 府 内 で 開 き, 日 米 間 の 意 志 疎 通 の 建 て 直 し, 各 省 間 の 縦 割 りの 打 破, 日 米 間 の 情 報 の 共 有 を 図 った このことで,なんとか 米 国 の 対 日 不 信 を 和 らげ, 協 力 を 取 りつけることができたという( 長 島 昭 久 原 発 対 処 - 日 米 協 力 の 舞 台 裏 Voice 2011 年 7 月 号,136 頁 ) ( 8 ) 東 日 本 大 震 災 : 巨 大 津 波 6000 年 で 6 回, 地 層 に 痕 跡 毎 日 新 聞 2011 年 8 月 22 日 ( 9 ) この 地 震 の 際, 津 波 が 遡 及 した 高 さは, 岩 手 県 綾 里 村 で 38,2m に 達 した (10) 岩 手 県 綾 里 村 で 津 波 の 遡 及 した 高 さは,23~29m であったと 言 われる 特 集 東 日 本 大 震 災 朝 日 新 聞 2011 年 4 月 10 日 (11) 三 陸 大 津 波,6000 年 に 6 回, 気 仙 沼 に 痕 跡 読 売 新 聞 2011 年 8 月 22 日 三 陸 沿 岸 を 襲 った 明 治 以 降 の 大 津 波 を 描 いたノンフィクションには, 吉 村 昭 三 陸 海 岸 大 津 波 ( 文 春 文 庫 ),2004 年 がある 289

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) (12) 土 木 学 会 の 発 表 によると, 岩 手 県 宮 古 市 では, 津 波 が 陸 地 の 斜 面 を 遡 った 高 さ ( 遡 上 高 )は,39.7m に 達 したという( 宮 古 の 津 波 遡 上 高 39 メートル 日 本 経 済 新 聞 2011 年 9 月 15 日 ) (13) 高 木 秀 雄 津 波 被 災 の 爪 跡, 保 存 を- 悲 劇 を 防 災 教 育 啓 発 に 生 かす <http:// www.yomiuri.co.jp/adv/wol-fukkou/opinion/110425.htm,(accessed 2011-10-15)>; 三 陸 海 岸 の 津 波 の 碑 季 刊 東 北 学 第 28 号,2011 年 夏,214 頁 この 石 碑 は, 昭 和 8 年 に 朝 日 新 聞 社 が, 読 者 から 寄 託 された 義 捐 金 を 被 害 町 村 に 配 ったが,その 際 の 残 金 で 建 てられたという (14) その 時 何 が(17) 防 災 無 線 聞 こえなかった ( 宮 城 山 元 ) 河 北 新 報 2011 年 6 月 2 日 (15) 名 越 健 郎 危 機 管 理 から 見 た 東 日 本 大 震 災 海 外 事 情 2011 年 7 8 月,46 頁 (16) 16 メートルの 大 津 波 に 襲 われた 結 果, 福 島 第 一 原 子 力 発 電 所 では,すべての 電 源 が 失 われ, 原 子 炉 の 溶 融, 水 素 爆 発 が 起 き, 放 射 性 物 質 が 大 量 に 飛 散 した (17) 米 軍 トモダチ 作 戦, 予 算 は 最 大 で 68 億 円 読 売 新 聞 2011 年 4 月 6 日 (18) 米 軍 が, 山 形 空 港 を 拠 点 として 仙 台 空 港 の 復 興 整 備 を 行 うことを 決 めた 際, 山 形 県 側 から 使 用 許 可 が 下 りるまでに,2 日 もかかってしまった( 第 177 回 国 会 衆 議 院 安 全 保 障 委 員 会 議 録 第 4 号, 平 成 23 年 4 月 21 日,8 頁 ) (19) 検 証 :トモダチ 作 戦 の 舞 台 裏 中 央 公 論 2011 年 9 月,63 頁 ; 米 軍 の 凖 機 関 紙 星 条 旗 には, 日 本 政 府 の 要 請 で 来 ているにもかかわらず, 日 本 の 役 所 の 縦 割 りの 壁 に 阻 まれ,いい 仕 事 を 割 り 当 ててもらえないとの 不 満 の 声 が, 何 度 か 掲 載 されたという( 石 川 巌 トモダチ 作 戦 の 裏 側 軍 事 研 究 2011 年 6 月, 69 頁 ) (20) トモダチ 作 戦 がうまく 行 った 理 由 の 一 つに, 米 軍 の 中 に 日 米 のギャップの 存 在 を 理 解 してくれる 人 がおり,その 人 たちが, 部 下 に 対 し, ここはアメリ カじゃないんだ 日 本 流 でやろう と 説 得 してくれたからだという( 笠 松 誠 トモダチ 作 戦 のチームが 一 つになった 瞬 間 に 涙 した SAPIO 2011 年 8 月 17-24 日 号,38 頁 ) (21) 話 の 肖 像 画 : 史 上 最 大 の 作 戦 産 経 新 聞 2011 年 6 月 21 日 (22) メア 元 部 長 (3 月 10 日 に, 日 本 部 長 を 更 迭 された )が 沖 縄 はゆすりの 名 人 と 発 言 したと 共 同 通 信 が 報 じたことから, 沖 縄 は 猛 反 発 した しかし, 本 人 は, 共 同 通 信 の ゆすり 発 言 報 道 は 事 実 無 根 であり, 記 者 に 嵌 められた と 述 べている 詳 しくは, 決 断 できない 日 本 文 春 新 書,2011 年 を 参 照 (23) 東 日 本 大 震 災 : 毎 日 新 聞 世 論 調 査 毎 日 新 聞 2011 年 4 月 18 日 290

政 治 研 究 第 3 号 (24) 横 須 賀, 米 軍 基 地 賛 成 が 最 多,トモダチ 作 戦 評 価 北 海 道 新 聞 2011 年 7 月 21 日 (25) 内 閣 府 大 臣 官 房 政 府 広 報 室 外 交 に 関 する 世 論 調 査 ( 平 成 23 年 10 月 調 査 ) <http://www8.cao.go.jp/survey/h23-gaiko/index.html,(accessed 2012-1-9)> (26) Disaster relief efforts push Japanese public sentiment toward U. S. military to alltime high. Stars and Stripes, December 7, 2011. <http://www.stripes.com/news/ pacific/earthquake-disaster-in-japan,(accessed 2011-12-19)> (27) 特 集 東 日 本 大 震 災 への 対 応 日 本 の 防 衛 - 防 衛 白 書 平 成 23 年 度 版,ぎょ うせい,2011 年,19 頁 ;マイケル グリーン 内 なる 力, 結 集 を 日 本 経 済 新 聞 2011 年 6 月 23 日 (28) 震 災 で 普 天 間 PR, 政 治 利 用 に 見 識 を 疑 う 沖 縄 タイムス 2011 年 3 月 22 日 ; トモダチ 作 戦, 軍 の 論 理 に 無 防 備 な 国 よ 琉 球 新 報 2011 年 6 月 24 日 ; 沖 縄, 米 軍 への 共 感 じわり 地 元 紙 は 普 天 間 問 題 に 利 用 産 経 新 聞 2011 年 4 月 7 日 (29) 地 震 発 生 後 の 官 邸 の 混 乱 ぶりについては, 読 売 新 聞 政 治 部 亡 国 の 宰 相 - 官 邸 機 能 停 止 の 180 日 新 潮 社,2011 年 を 参 照 (30) 自 己 組 織 だけで, 活 動 を 完 結 できる 能 力 を 備 えている 電 気, 水 道,ガス 等 の 社 会 インフラがない 状 況 下 でも, 活 動 可 能 な 組 織 のこと (31) 焦 点 自 衛 隊 一 部 撤 収, 被 災 地 感 謝 の 声 河 北 新 報 2011 年 7 月 1 日 (32) 東 日 本 大 震 災 : 毎 日 新 聞 世 論 調 査 毎 日 新 聞 2011 年 4 月 18 日 (33) 自 衛 隊 法 施 行 令 の 改 正 により, 知 事 は, 派 遣 を 希 望 する 部 隊 の 人 員 数 まで 詳 細 に 明 らかにする 必 要 はなくなった また, 派 遣 期 間 についても, 派 遣 を 必 要 とする 期 間 から 派 遣 を 希 望 する 期 間 に 改 められた さらに, 市 町 村 長 が, 知 事 に 対 して 災 害 派 遣 の 要 請 を 要 求 できるようにする 法 改 正 も 行 われた( 災 害 対 策 基 本 法 第 68 条 の 2) この 結 果, 知 事 の 対 応 に 遅 れが 生 じた 場 合 でも, カバーできる 体 制 が 作 られた (34) 1995 年 ( 平 成 7 年 )の 改 正 により, 自 主 派 遣 の 運 用 に, 緊 急 性, 公 共 性, 非 代 替 性 (= 自 衛 隊 以 外 では 対 応 できないこと)という 基 準 が 設 けられた (35) 藤 井 非 三 四 災 統 合 任 務 部 隊 JTF TH 始 動! 軍 事 研 究 2011 年 6 月 号, 30 頁 (36) 東 北 方 面 隊 震 災 対 処 訓 練 みちのく ALERT 2008 -マグニチュード 8.0, 震 度 6 強, 大 津 波 発 生!- <http://mod.go.jp/gsdf/neae/neahq/pastevent/20alert.htm, (accessed 2012-1-9)> 291

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) (37) WEDGE 取 材 班 自 衛 隊 の 訓 練 が 津 波 と 原 発 の 対 応 の 差 を 生 んだ WEDGE 2011 年 5 月 号,26 頁 (38) 同 上,26-27 頁 (39) 原 発 の 吹 き 飛 んだ 建 屋 に 放 水 する 作 業 一 つをとっても, 官 邸 の 許 可 が 必 要 であっ た 権 限 を 持 った 危 機 管 理 責 任 者 が, 東 京 ではなく, 原 発 の 爆 発 現 場 において, 指 揮 を 執 るべきであった (40) 災 害 派 遣 のシナリオの 内 容 については, 以 下 を 参 照 <http://mod.go.jp/qpproach/ agenda/meeting/board/bousai_ikenkoukan/pdf/01.pdf,(accessed 2012-1-9)> (41) 阪 神 淡 路 大 震 災 の 際 には, 一 般 車 両 の 通 行 を 制 限 しなかったために, 神 戸 に 向 かう 道 路 は,どこも 大 渋 滞 が 発 生 し, 緊 急 車 両 の 通 行 に 支 障 をきたした こ の 教 訓 から, 今 回 は, 緊 急 車 両 のための 経 路 確 保 と 維 持 に 注 意 が 払 われた (42) 検 証 大 震 災 自 衛 隊 員 10 万 人 毎 日 新 聞 2011 年 4 月 22 日 (43) 作 戦 名 の 命 名 者 は, 退 役 軍 人 のポール ウィルコックス 氏 であると 言 われる まさかの 友 こそ 真 の 友 という 言 葉 どおりに 米 国 が 行 動 することを, 日 本 国 民 に 知 ってもらうために, トモダチ という 言 葉 を 思 いついたという 太 平 洋 軍 のウィラード 司 令 官 が, 同 氏 の 案 を 採 用 したことから, トモダチ 作 戦 と 命 名 された( トモダチ 作 戦 命 名 秘 話 読 売 新 聞 2011 年 5 月 20 日 ) (44) 3 月 11 日 の 夜, 駐 日 米 大 使 館 から 外 務 省 北 米 局 に 何 度 も, 提 供 可 能 な 支 援 内 容 約 20 項 目 の オファーリスト ( 無 人 偵 察 機 など 原 発 対 応 の 装 置 も 含 む)が 送 られた これに 対 し, 菅 直 人 首 相 は, 官 邸 内 での 打 ち 合 わせで, 日 本 ででき ることは, 米 国 に 頼 む 前 にまず 日 本 がやる と 漏 らしたという ところが,こ の 発 言 が 外 務 防 衛 当 局 に 伝 わると, 首 相 は 米 国 の 支 援 を 断 った と 曲 解 さ れて 流 布 される 伏 線 になったという( 毎 日 新 聞 2011 年 4 月 22 日 ) (45) 仙 台 空 港, 米 軍 協 力 の 象 徴 に 毎 日 新 聞 2011 年 4 月 5 日 石 川 巌 ト モダチ 作 戦 は 太 平 洋 有 事 519 作 戦 だった 軍 事 研 究 2011 年 9 月 号, 224-225 頁 (46) 田 村 玲 子 誰 も 書 かなかった トモダチ 作 戦 全 報 告 歴 史 通 2011 年 7 月 11 日 号,34 頁 ; 北 村 淳 編 著 写 真 で 見 るトモダチ 作 戦 並 木 書 房,2011 年, 45 頁 (47) 検 証 大 震 災,トモダチ 作 戦 強 行 着 陸 に 空 自 衝 撃 毎 日 新 聞 2011 年 12 月 29 日 (48) 海 兵 隊 よりバトンタッチ 陸 上 での 支 援 を 継 続 東 日 本 大 震 災 自 衛 隊 ア メリカ 軍 全 記 録 ホビージャパン,2011 年,33 頁 292

政 治 研 究 第 3 号 (49) 話 の 肖 像 画 史 上 最 大 の 作 戦 上 産 経 新 聞 2011 年 6 月 21 日 (50) 被 災 地 の 翼 呼 び 戻 す 仙 台 空 港 再 開 までの 1 カ 月 河 北 新 報 2011 年 4 月 28 日 (51) 苦 闘 企 業 の 前 線 Ⅱ(1) 仙 台 空 港 復 旧 ( 前 田 道 路 仙 台 南 営 業 所 ) 河 北 新 報 2011 年 9 月 3 日 (52) 仙 台 空 港 米 軍 協 力 の 象 徴 自 衛 隊 と 役 割 分 担 毎 日 新 聞 2011 年 4 月 5 日 (53) 被 災 地 の 翼 呼 び 戻 す 仙 台 空 港 再 開 までの 1 カ 月 河 北 新 報 2011 年 4 月 28 日 (54) ARIGATO に 感 動 トモダチ 作 戦 参 加 の 米 大 佐 朝 日 新 聞 2011 年 4 月 17 日 (55) 証 言 : 気 仙 沼 大 島 の 津 波 河 北 新 報 2011 年 5 月 28 日 (56) 前 掲, 石 川 巌 (2011 年 9 月 ),225 頁 (57) ありがとう 海 兵 隊, 気 仙 沼 市 大 島 で 島 民, 熱 い 見 送 り 朝 雲 2011 年 4 月 14 日 (58) 防 衛 相 が 空 母 訪 問 毎 日 新 聞 2011 年 4 月 5 日 (59) ソウル トレイン( 魂 の 列 車 ) という 名 前 は, 以 前, 米 国 ではやったラジオ の 人 気 番 組 名 からとったと 言 われる( 前 掲, 石 川 巌 [2011 年 9 月 ],227 頁 ) (60) 自 衛 隊 と 在 日 米 軍, 仙 石 線 復 旧 へ ソウルトレイン 作 戦 朝 日 新 聞 2011 年 4 月 22 日 ; 田 村 玲 子 誰 も 書 かなかった トモダチ 作 戦 全 報 告 歴 史 通 2011 年 7 月 11 日 号,47 頁 (61) 震 災 当 日 の 夜, 北 澤 防 衛 大 臣 は,8,400 人 の 動 員 命 令 を 出 した しかし, 菅 首 相 は, 安 心 感 を 与 えるため,まとまった 数 字 を 国 民 に 言 いたい と 防 衛 相 をせ かしたという その 際, 防 衛 相 から 相 談 を 受 けた 折 木 統 幕 長 は, 10 万 人 と いう 数 字 をはじき 出 したという( 検 証 大 震 災 毎 日 新 聞 2011 年 4 月 22 日 ) (62) まず,3 月 17 日 に IL20 電 子 情 報 収 集 機 が 領 空 に 接 近,ついで 3 月 21 日 には, 集 塵 装 置 をつけたスホイ 27 戦 闘 機 と An12 電 子 戦 機 が 領 空 に 接 近 した さらに, 3 月 29 日 には, 再 び IL20 電 子 情 報 収 集 機 が 領 空 に 接 近 したため, 航 空 自 衛 隊 がスクランブル( 緊 急 発 進 )をかけた 米 軍 の 動 向 に,ロシアは 神 経 をとがら せたものと 見 られる (63) 中 国 がこうした 挑 発 行 為 を 行 なったのは,3 月 26 日 ( 中 国 国 家 海 洋 局 のヘリコプ ター Z9 が, 水 平 約 90 メートル, 高 度 約 60 メートルの 距 離 まで 接 近 )と 4 月 1 日 (プロペラ 機 Y12 が 異 常 接 近 )である このほか 中 国 は, 米 原 子 力 空 母 ジョージ ワシントン の 動 向 もたえず 監 視 していたという( 空 母, 中 国 の 接 近 けん 制 毎 293

東 日 本 大 震 災 と 日 米 連 携 による 被 災 地 支 援 ( 三 浦 ) 日 新 聞 2011 年 12 月 29 日 ) 中 国 に 対 しては, 外 交 ルートを 通 じて 申 し 入 れを 行 ったという( 第 177 回 国 会 衆 議 院 安 全 保 障 委 員 会 議 録 第 3 号, 平 成 23 年 4 月 5 日,3 頁 ) (64) 第 177 回 国 会 衆 議 院 安 全 保 障 委 員 会 議 録 第 4 号, 平 成 23 年 4 月 21 日,8 頁 (65) 検 証 大 震 災 トモダチ 作 戦 毎 日 新 聞 2011 年 12 月 29 日 (66) 第 177 回 国 会 参 議 院 予 算 委 員 会 会 議 録 第 7 号, 平 成 23 年 3 月 22 日,9 頁 (67) 桜 林 美 佐 日 本 に 自 衛 隊 がいてよかった- 自 衛 隊 の 東 日 本 大 震 災 産 経 新 聞 出 版,2011 年,169-178 頁 (68) 須 藤 彰 東 日 本 大 震 災 自 衛 隊 救 援 活 動 日 誌 扶 桑 社,2011,122-123 頁 (69) 名 越 健 郎 危 機 管 理 から 見 た 東 日 本 大 震 災 海 外 事 情 2011 年 7/8 月, 第 59 巻 7 8 号,49 頁 (70) 石 川 巌 トモダチ 作 戦 は 太 平 洋 有 事 519 作 戦 だった 軍 事 研 究 2011 年 9 月 号,223 頁 (71) Long-term readiness challenges in the Pacific, Hearing before the Subcommittee on the Committee on Armed Services, House of Representatives, 112 Congress, 1 st Session, March 15, 2011.[H. A. S. C. No. 112-21], p. 6. <http://www.gpo.gov/fdsys/ pkg/chrg-112hhrg65588/pdf/chrg-112hhrg65588.pdf,(accessed 2012-1-9)> (72) 日 米 を 真 のトモダチに, 大 震 災 と 米 軍 支 援 東 京 新 聞 2011 年 5 月 2 日 (73) 空 母, 中 国 の 接 近 けん 制 毎 日 新 聞 2011 年 12 月 29 日 (74) 日 本 は 安 全 で 経 済 活 動 も 活 発 だ 産 経 新 聞 2011 年 5 月 25 日 (75) The Future of Japan. Hearing before the Subcommittee on Asia and the Pacific of the Committee on Foreign Affairs, House of Representatives, 112 Congress 1 st Session, May 24, 2011.[Serial No. 112-31]<http://foreignaffairs.house.gov/112/66531.pdf, p.32,(accessed 2012-1-9)> (76) Ibid., p.22. (77) 古 森 義 久 中 国 の 巨 大 な 影 産 経 新 聞 2011 年 6 月 1 日 ; The Future of Japan. op. cit., p. 37. (78) トモダチ 作 戦,アメリカは 被 災 地 で 何 を 見 たのか 現 代 ビジネス 2011 年 6 月 15 日 <http://gendai.ismedia.jp/articles/print/8072,(accessed 2011-12-9)> (79) CSIS, Partnership for Recovery and a Stronger Future: Standing with Japan after 3-11. November 2011. <http://csis.org/files/publication/111026_green_partnership forrecovery_web.pdf,(accessed 2012-1-9)>; 東 日 本 大 震 災, 米 シンクタンク が 復 興 で 提 言 毎 日 新 聞 2011 年 11 月 10 日 (80) CSIS, ibid., p.25-30. 294