熊 本 支 部 報 ( 社 ) 日 本 山 岳 会 熊 本 支 部 No.25 平 成 24 年 4 月 1 日 発 行 ( 社 ) 日 本 山 岳 会 熊 本 支 部 熊 本 県 合 志 市 豊 岡 2000-810 松 本 莞 爾 方 電 話 096-248-4485 発 行 者 工 藤 文 昭 印 刷 ベストプロセス 目 次 1. 平 成 23 年 度 熊 本 支 部 活 動 を 振 り 返 って 工 藤 文 昭 7. 外 輪 山 トレッキングに 参 加 して 加 藤 明 2. 入 魂 のピッケル 工 藤 文 昭 8. 雪 山 に 登 ろうに 参 加 して 坂 西 直 明 3. ランタントレッキング 報 告 木 曽 萬 喜 治 9. 山 とスキ-( 登 はん 編 ) 松 本 莞 爾 4. キリマンジャロ 登 山 記 宮 崎 静 夫 10 会 務 報 告 事 務 局 5. キリマンジャロ 報 告 安 場 俊 郎 11 編 集 後 記 編 集 委 員 6.ウルル 登 頂 記 宇 都 宮 信 夫 平 成 23 年 度 熊 本 支 部 活 動 を 振 り 返 って 支 部 長 工 藤 文 昭 昨 年 は 3 月 に 東 日 本 大 震 災 が 発 生 し 地 震 津 波 それに 絶 対 安 全 といわれていた 原 発 事 故 まで 起 こり 自 然 災 害 人 災 ともいえる 大 きな 試 練 に 見 舞 われました 被 災 地 では 大 した 復 興 も 進 まぬ まま 災 害 は 今 も 続 いています しかし この 未 曾 有 の 国 難 を 乗 り 越 えようと 必 死 に 頑 張 る 人 間 の 強 さと それを 支 える 人 々の 絆 の 大 切 さを 気 づいた 一 年 でもありました 20 年 前 の 阪 神 大 震 災 では 距 離 も 近 く 私 達 も 神 戸 までボランティアで 駆 けつ けましたが 東 北 となると 遠 くて 震 災 募 金 で 志 を 示 す 位 しか 出 来 ずにいます それでも 熊 本 支 部 でも17 万 円 近 くの 義 援 金 が 集 まり 皆 様 のご 協 力 に 深 く 感 謝 いたしました 今 後 も 何 らかのかた ちで 支 援 活 動 を 続 け 無 ければなりません さて 熊 本 支 部 も 設 立 後 55 年 目 を 迎 えました 日 本 山 岳 会 では この 3 年 来 新 公 益 法 人 への 移 行 問 題 が 検 討 されてきましたが 熊 本 支 部 はそれま での 共 益 的 事 業 活 動 から 公 益 的 事 業 の 充 実 に 努 めてきました 支 部 員 の 皆 様 はすでにご 存 知 のよ うに 22 年 度 第 2 回 総 会 で 新 公 益 法 人 への 移 行 を 決 議 23 年 度 第 1 回 総 会 で 新 公 益 法 人 移 行 への 定 款 改 正 が 承 認 されました 昨 年 10 月 に 新 公 益 法 人 への 移 行 申 請 も 終 わり 本 部 の 今 後 の 見 通 しと しては 3 月 までに 新 公 益 法 人 への 移 行 認 定 を 受 け 現 在 の 社 団 法 人 日 本 山 岳 会 は 4 月 1 日 に 解 散 同 日 公 益 社 団 法 人 日 本 山 岳 会 として 登 記 をす ませ 新 しい 日 本 山 岳 会 がスタートする 予 定 です これにより 全 国 各 支 部 も その 本 格 的 な 体 制 作 りに 対 応 を 迫 られることになります 熊 本 支 部 では 数 年 前 から 新 公 益 法 人 移 行 に 対 応 できる 支 部 活 動 に 取 り 組 んで 来 ましたが これま で 同 様 に 支 部 活 動 を 通 じて 支 部 員 同 志 の 心 の 繋 がりと 登 山 活 動 の 喜 びを 感 じながら 一 方 では 社 会 に 貢 献 できる 支 部 の 活 動 に 取 り 組 んでいかなけ ればなりません 新 公 益 法 人 に 移 行 すると 50% 条 項 があり 支 部 活 動 の 半 分 以 上 は 公 益 事 業 になり ますが 我 が 支 部 は 現 在 すでに50%を 越 えてい ますので 今 後 は 公 益 事 業 の 質 の 向 上 を 考 えた 実 践 が 大 切 かと 思 います 今 年 度 の 支 部 事 業 については 大 震 災 直 後 でも あり 被 災 地 の 壊 滅 的 な 被 害 状 況 を 考 えると 山 登 りなんかやっていても 良 いのかという 自 粛 ムード もありました しかし 被 災 地 の 苦 悩 を 忘 れず あまり 華 美 にならない 程 度 で 活 動 をすることが かえって 被 災 地 の 励 ましになるとの 本 部 判 断 もあ り 活 動 を 継 続 しました 23 年 度 の 支 部 活 動 も 計 画 通 りに 進 めてきまし たが 登 山 活 動 は 15 回 になりました 毎 月 1 回 以 上 の 活 動 になりますが 特 に 登 山 教 室 登 山 研
修 会 については 合 わせて 6 回 支 部 員 外 の 参 加 も 募 りましたので 参 加 者 がバスの 定 員 を 超 え お 断 りしなければならないこともありました 又 研 修 会 では これまでに 実 施 したことがなかった 沢 登 り( 遡 行 )や 雪 山 登 山 も 取 り 入 れ 登 山 体 験 の 幅 を 広 げました 参 加 者 には 初 めての 経 験 の 人 が 多 く 参 加 しての 満 足 感 は 大 きかったようです 往 復 のバスの 中 では 講 話 も 行 い 登 山 中 は 登 山 の 技 術 知 識 判 断 力 の 訓 練 など 現 在 の 登 山 ブーム の 中 で 見 過 ごされている 安 全 登 山 のノウハウを 指 導 しながら 遭 難 防 止 を 目 指 す 取 り 組 みを 進 めま した 又 森 林 保 全 巡 視 登 山 も 2 回 実 施 しました こ れまでは 森 林 の 見 回 り ゴミ 拾 い 位 でしたが 今 年 の 1 回 目 は 吉 次 峠 から 三 の 岳 までの 登 山 道 の 整 備 をしました 藪 倒 木 類 が 大 量 に 放 置 された ままで 通 行 不 能 になっていたルートを 切 り 分 けて 復 元 しました もう 一 つは 阿 蘇 高 岳 月 見 小 屋 前 の 水 場 が 砂 で 埋 ってがいましたが 砂 を 取 り 除 き 使 えるようにしました 山 はただ 登 るだけでなく 私 たち 地 元 の 山 ならそんな 作 業 も 惜 しんではなり ません よい 企 画 で 緊 急 時 には 貴 重 な 水 が 補 給 で きるはずです 6 月 4,5 日 には 61 名 の 参 加 を 得 て 九 州 5 支 部 集 会 を 阿 蘇 で 行 いました 今 回 は 熊 本 支 部 が 担 当 しましたが 現 在 日 本 山 岳 会 で 取 り 組 んで いる 日 本 山 岳 会 の 再 生 と 復 権 それを 実 現 する ための 4 つのプロジェクトを 今 何 故 取 り 組 まなけ ればならないのか 考 えましたが なかなか 大 き な 問 題 で 結 論 は 見 いだせませんでした 9 月 には 一 昨 年 祖 母 山 で 遭 難 された 県 庁 職 員 の 捜 索 を 山 岳 連 盟 と 合 同 で 行 いましたが 何 の 手 掛 かりもなく 終 わりました 現 場 は 厳 しい 地 形 で 2 次 遭 難 も 考 えられるような 難 所 遭 難 だけは 決 し て 起 こしてはならないことを 強 く 肝 に 銘 じました 支 部 から 8 名 参 加 協 力 事 業 として 9 月 の 九 州 脊 梁 トレイルラン 11 月 には 金 峰 3 山 マラソン 大 会 に 参 加 し 選 手 の 飽 く 無 き 根 性 パワーに 圧 倒 されました 極 限 へ の 挑 戦 者 は 輝 いて 美 しいです 今 年 も 又 加 藤 功 一 さん 明 さん 石 井 さん 木 曽 さんの 4 人 がヒマラヤトレッキングに 出 掛 け ました ヒマラヤを 見 ずして 山 を 語 るなかれ とも 言 いますが 自 分 の 足 でヒマラヤの 大 地 を 踏 みしめながら 果 てしなく 続 く 峻 険 な 巨 峰 広 大 無 辺 の 地 でヒマラヤのシャンペンシャワーを 浴 び ると もうそこから 離 れなくなるのでしょうか 今 回 は 木 曽 さんが 自 分 の 高 山 病 について 詳 しく 公 表 してくれて これから 海 外 を 目 指 す 人 にとっ てはとても 参 考 になりました 又 安 場 さんも ヒマラヤ キリマンジャロに 遠 征 しました これらの 写 真 展 海 外 登 山 報 告 会 も 実 施 し 来 場 者 に 新 たな 夢 とロマンを 与 えました 以 上 が 本 会 の 1 年 の 活 動 概 要 ですが 支 部 員 皆 さまのご 協 力 によりここまで 出 来 ました 支 部 委 員 会 では 毎 月 委 員 会 を 開 き 事 業 担 当 者 は 何 回 も 下 見 に 行 き 原 案 を 作 り 委 員 会 で 検 討 を 重 ね 安 全 登 山 のために 努 めています 来 年 度 からは 社 会 貢 献 的 な 事 業 も 行 うことで 準 備 を 進 めています 多 くの 会 員 の 皆 様 のご 協 力 を 得 て 必 ず 成 功 させたい 事 業 です よろしくお 願 いします 平 成 24 年 度 支 部 総 会 1. 期 日 平 成 24 年 4 月 15 日 ( 日 ) 午 前 11 時 ~14 時 2. 会 場 交 通 センタ-ホテル 会 議 室 3. 議 題 1 23 年 度 事 業 報 告 2 平 成 23 年 度 会 計 報 告 3 会 計 監 査 報 告 4 新 社 団 法 人 に 伴 う 規 約 改 定 5 平 成 24 年 度 事 業 計 画 6 平 成 24 年 度 予 算 7 平 成 24 年 度 役 員 選 出 8 その 他 4. 総 会 終 了 後 懇 親 会
北 田 正 三 初 代 支 部 長 入 魂 のピッケル 熊 本 支 部 のシンボルに 支 部 長 工 藤 文 昭 或 人 の 熱 情 は 黄 金 であらう 又 或 人 の 熱 情 は 地 位 や 名 誉 や 愛 欲 で あるかもしれぬ 然 し 私 の 熱 情 は 山 である 北 田 正 三 著 九 州 の 山 序 文 より 日 本 山 岳 会 熊 本 支 部 の 創 立 者 であり 初 代 会 長 の 北 田 正 三 先 生 が 自 分 の 庭 のように 愛 し 知 り 尽 くされていた 阿 蘇 高 岳 の 鷲 ケ 峰 から 竜 尾 根 を 下 山 中 松 ケ 尾 谷 源 頭 に 墜 死 されたのは 昭 和 33 年 7 月 27 日 のことでした 若 い 頃 から 山 一 筋 に 国 内 の 山 は 勿 論 海 外 の 山 まで 登 りまくられ 生 涯 身 中 には いつも 青 年 のような 精 神 と 意 気 が 漲 っておられま した 各 地 で 登 山 の 才 識 を 発 揮 されていた 先 生 も 晩 年 は 故 郷 の 阿 蘇 宮 地 に 還 られ 故 郷 の 山 心 の 山 である 阿 蘇 に 没 入 される 日 々を 送 られていたよ うです 当 時 まだ 誰 も 登 れなかった 根 子 岳 の 完 全 縦 走 や 高 岳 北 尾 根 を 初 登 攀 されたのも 北 田 先 生 でした 阿 蘇 に 登 る 岳 人 の 指 導 遭 難 防 止 の 見 回 り 救 助 に は 寧 日 はなく 遭 難 の 当 日 まで 続 いて いました 北 田 先 生 が 自 分 で 開 拓 された 岩 稜 での 遭 難 には 一 人 の 人 間 の 美 しい 終 焉 を 見 る 思 いがし ます 阿 蘇 山 の 父 親 父 と 多 くの 岳 人 に 敬 愛 された 北 田 先 生 の 救 助 には 九 州 各 県 から 36 団 体 154 名 が 駆 けつけ 遺 体 収 容 を 行 いました 8 月 10 日 に 行 われた 熊 本 岳 連 葬 には 桜 井 熊 本 県 知 事 をはじめ 日 本 山 岳 会 長 全 日 本 山 岳 連 盟 会 長 県 内 外 の 岳 人 500 名 を 越 える 参 列 者 が 北 田 先 生 の 山 岳 界 に 残 されたご 功 績 を 讃 え 故 人 を 偲 び ました 北 田 先 生 は 山 登 りに 必 ずピッケルを 持 参 され 岩 場 でもアイゼンを 愛 用 されていたようです 遭 難 時 にも 持 参 されていましたが 墜 落 途 中 で 飛 ばさ れて 回 収 できていませんでした 葬 儀 の 翌 日 に 本 会 員 の 永 谷 誠 一 氏 のパーチィーが 発 見 して 遺 族 に 届 けてありました 昨 年 12 月 になり そのピッケルがどのような 経 緯 で 前 鶴 屋 デパートの 中 尾 保 徳 社 長 に 預 けられ たのかは 不 明 ですが 中 尾 様 から 熊 本 RCCの 中 島 様 に 預 けられ どのように 処 理 したらいいか との 相 談 がありましたが 遺 族 にお 返 しすべきと 伝 えておきました 2 月 になり 中 尾 様 も 遺 族 の 方 も 自 分 がつくった 支 部 に 預 けて 役 立 ててほしい との 話 があり 2 月 下 旬 に 受 け 取 って 事 務 局 に 保 管 しています 北 田 初 代 会 長 が 真 に 山 に 生 き 山 に 帰 られた 山 一 筋 の 一 生 を 通 されました 私 た ちも このピッケルに 込 められた 先 生 の 魂 に 習 い 山 を 知 り 山 から 学 び 山 を 愛 しながら 山 登 りを 続 け 支 部 の 活 性 化 と 会 員 皆 様 のご 健 康 を 人 として の 連 携 を 深 めていきましょう その 為 に この 貴 重 なピッケルは 支 部 のシンボルとして 大 切 にお 預 かりします 北 田 正 三 先 生 の 略 歴 明 治 26 年 に 阿 蘇 郡 一 の 宮 町 の 酒 造 家 の 12 人 兄 弟 の 末 っ 子 として 生 を 受 ける 中 学 卒 業 後 は 関 西 学 院 大 学 神 学 科 に 進 学 卒 業 後 アメリカに 留 学 南 北 アメリカ カナダの 山 を 精 力 的 に 踏 破 される 主 な 記 録 として 大 正 15 年 台 湾 の 新 高 山 (3997m) 登 頂 同 年 日 本 山 岳 会 入 会 ( 会 員 番 号 981 番 ) 昭 和 3 年 初 の 根 子 岳 完 全 縦 走 昭 和 3 年 には カナダ 山 岳 会 主 催 毎 日 報 知 新 聞 社 後 援 のカナヂィア ン ロッキーに 遠 征 無 名 峰 を 登 頂 し マウント カンプ 峰 (3515m と 命 名 そのまま 当 地 に 留 まりレ ーニア 山 やベーカー 山 にも 登 頂 カナダ 山 岳 会 名 誉 会 員 となる 昭 和 4 年 高 岳 北 尾 根 虎 ヶ 峰 鷲 ヶ 峰 天 狗 の 舞 台 の 初 完 登 成 功 その 他 台 湾 満 州 チベットでの 登 山 活 動 もあった 模 様 です 昭 和 27 年 度 からは 熊 本 県 山 岳 連 盟 会 長 に 就 任 昭 和 31 年 頃 から 北 田 先 生 を 中 心 に 日 本 山 岳 会 熊 本 支 部 設 立 の 準 備 は 進 め られ 翌 32 年 7 月 13 日 に 13 人 の 発 起 人 で 熊 本 支 部 を 設 立 今 年 で 支 部 設 立 後 55 年 を 迎 えましたが 設 立 メ ンバーの 中 で 今 も 支 部 会 員 として 残 って おられるのは 菅 隆 雄 様 1 名 となりました 北 田 先 生 享 年 65 歳 出 版 書 籍 多 数
2011 ランタントレッキング 報 告 書 1. 期 間 平 成 23 年 9 月 18~11 月 5 日 (51 日 間 ) (1)ドルポ: 9 月 22 日 ~10 月 19 日 (2)ランタン:10 月 21 日 ~11 月 2 日 2.メンバー 加 藤 功 一 ( 総 括 渉 外 ) 熊 本 市 植 木 町 一 木 306-2 石 井 文 雄 ( 食 糧 会 計 ) 山 鹿 市 鹿 本 町 来 民 2317-9 加 藤 明 ( 医 療 保 険 ) 阿 蘇 市 一 宮 町 宮 地 4832-8 木 曽 萬 喜 治 ( 装 備 記 録 ) 熊 本 市 蓮 台 寺 1-6-26 ランタン 谷 を 往 く 1. 隊 の 編 成 加 藤 明 ( 隊 長 ) 加 藤 功 一 石 井 文 雄 木 曽 萬 喜 治 ガイド アンタレ アシスタントガイド:ランジェット コック :デイケ キッチンスタッフ:7 名 ポーター :6 名 総 勢 :20 名 2. 記 録 10 月 21 日 天 候 : 曇 り カトマンズ~シャ ブ ルベンシィ(1460m) 7 時 半 にアンタレ スタッフがホテルへ 迎 え にきてくれ 車 はバスである バスがホテルの 前 まで 来 れないため 朝 モヤの 中 バスを 止 めて ある 所 まで 荷 物 を 担 いで 歩 く カトマンズの 街 からポカラへ 向 かう 国 道 を 通 るが 交 通 量 が 多 く 工 事 中 のため 渋 滞 しており 予 想 以 上 に 時 間 がか かる 途 中 からランタン 方 面 に 向 かう 国 道 に 入 った トリスリ バザールで 昼 食 を 済 ませ 街 を 過 ぎるころから 道 は 舗 装 もなく 狭 い 山 道 とな り 想 像 以 上 にバスの 揺 れが 激 しく 椅 子 から 落 ちそうになるくらいだ 山 間 部 の 中 腹 に 道 が 通 っているため 片 側 は 絶 壁 で 狭 く すれ 違 える 箇 所 は 少 ないし 最 近 の 雨 の 影 響 か 土 砂 崩 れの 跡 が 見 られあちらこ ちらで 工 事 用 の 車 両 が 補 修 していた 時 間 がかかりバスが 行 ける 最 後 の 街 シャブ ルベンシィに16 時 30 分 に 到 着 これでバス に 乗 らなくて 済 むと 思 うと 安 堵 感 と 安 心 感 がで るくらいに 厳 しい 道 だった テントは 村 の 中 心 から 少 し 離 れた 川 沿 いの 広 い 敷 地 でその 一 角 に テントを 設 営 した 今 回 のトレキングメンバー はポーター6 名 キッチンスタッフ7 名 ガイ ド1 名 (アンタレ)と 高 山 病 の 影 響 を 考 慮 し 木 曽 の 荷 物 を 担 ぐスタッフ1 名 (ランジェット) 隊 員 4 名 総 勢 20 名 編 成 である 10 月 22 日 天 候 : 曇 り シャブルベンシィ~ ラマホテル(2480m) 今 日 からランタン 谷 に 入 る 吊 り 橋 を 渡 り 少 し 登 り 切 ると 桜 やシャクナゲの 花 木 が 見 え 始 め1 0m 以 上 の 針 葉 樹 や 照 葉 樹 が 続 く 樹 林 帯 の 中 を 歩 く 20 名 が 一 斉 に 歩 くことでなく 食 事 が 終 われ ば 我 々4 名 とアンタレ ランジットがまず 出 発 そのあとポーターがテント 等 を 梱 包 (30kg/ 人 )し 歩 き 出 す キッチンスタッフは 食 事 後 の 跡 かたずと ラ 食 器 洗 いなどし 歩 き 出 すが 約 40 分 前 に 出 発 した 我 々に 追 いつき そのまま 次 の 目 的 地 に 向 けて 歩 く 様 は 早 く 見 事 である 11 時 にパリオに 到 着 ここは 川 沿 いの 狭 い 場 所 にあるロッジで 昼 食 をとる 急 な 登 りが 延 々と 続 き 景 色 の 良 い 場 所 風 の 通 りが 良 い 場 所 を 選 び 休 憩 と 歩 きを 交 えながら 進 む 17 時 ラマホ テルに 到 着 ここは 谷 間 にあり 陽 射 しもなく17 時 過 ぎには 薄 暗 くなる 沢 音 に 負 けじと 鳴 く 虫 の 秋 10 月 23 日 天 候 : 晴 れラマホテル~ランタン (3380m) 5 時 30 分 起 床 外 は 良 く 晴 れていて 星 が 近 くに 見 える 気 温 は 低 く 冬 用 のジャケットを 着 て 丁 度 良 い 7 時 5 分 ラマホテルを 出 発 樹 林 帯 の 道 を 歩 き 始 めてしばらくすると 正 面 にランタ ンⅡ(6561m)が 直 近 に 見 えてくる
相 変 わらず 登 りが 続 いていたが 途 中 から 樹 林 帯 を 抜 け 低 木 が 増 えてくる 何 軒 かのロッジの 前 を 通 り 過 ぎるが 店 の 人 達 はトレッカーが 多 く 大 変 忙 しいそうである 15 時 05 分 ランタンに 到 着 ここから 白 く 輝 くランタンリルンの 主 峰 (7227m)が 良 く 見 える ロッジの 広 場 にテントを 設 営 ランタンの 山 影 に 咲 く 黄 釣 舟 草 10 月 24 日 天 候 : 晴 れ ランタン~ギャンジ ンゴンパ(3870m) 正 面 にガンチェンボを 見 ながら 平 坦 な 道 を 行 く とチベット 人 の 集 落 ムンドウを 通 る ロッジも 数 件 ある リルン 氷 河 から 流 れる 水 量 は 多 く 右 に 見 ながらしばらく 行 くとヤンプーの 村 がある リルン 氷 河 を 渡 り 高 台 を 登 り 切 ると 眼 下 にギャンジンゴンバの 村 が 一 望 できる ロッジの 数 も 多 くランタンより 大 きな 村 だ ここは 最 後 の 村 でロッジも 多 く 大 きな 敷 地 はヤクや 馬 が 多 く 放 牧 されている 紅 葉 の 木 の 間 がくれやランタン 峰 10 月 25 日 天 候 : 晴 れ ギャンジンゴンバ 昨 夜 は 星 空 を 写 真 撮 影 したため 遅 くなり 起 床 は 8 時 となる 朝 早 く 写 真 撮 影 に 出 掛 ける 加 藤 ( 功 ) 散 歩 する 石 井 やゆっくり 寝 坊 する 加 藤 隊 長 など 今 朝 の 様 相 はまちまちである 10 時 遅 い 朝 食 兼 昼 食 をとる 皆 で 近 くにあ るチーズ 工 房 (ヤクの 牛 乳 )に 出 かけ 場 内 を 見 学 その 後 地 域 内 のチベット 仏 教 が 信 仰 できる 場 所 としてゴンパがあり 寺 院 の 中 を 見 せて 頂 く 今 日 は 休 養 日 のため 洗 濯 したり 土 産 品 店 を 覗 いたり 散 歩 したりとゆったり 過 ごす ランタンの 霧 の 中 よりヤクの 声 10 月 26 日 天 候 : 晴 れ ギャンジンゴンパ~ランタンリルンBC ギャンジンゴンパ~ギャンジンRi(4550m) 今 日 はランタンリルンBCまでいく 組 ( 加 藤 木 曽 スタッフ2 名 )とテント 場 のすぐ 真 上 に 見 えるギャンジンRi(4984m)に 登 る 組 ( 石 井 加 藤 明 隊 長 アンタレ)に 分 かれて 挑 む BC 組 4 名 は 昨 日 行 ったゴンパの 中 を 進 み 細 い 道 を 進 むが 行 けども 行 けどもBCとは 違 う 方 角 に 進 んでいる 様 だ どうやら ヤク 道 らしく ル ート 変 更 をしたがそこから 大 変 な 重 労 働 で 藪 こぎ をしながら 進 む 途 中 川 があり 水 量 も 多 く 渡 る 場 所 を 探 すがなかなか 無 く おまけに 両 岸 の 石 が 凍 っていて 滑 り 易 く やっとの 思 いで 探 し 渡 る ことができた 藪 こぎの 中 木 の 根 っこに 足 を 取 られ 右 足 のふくらはぎ を 痛 め 歩 くのもやっ とで 足 を 引 き 摺 りながら 歩 くことになった しば らくすると 広 い 大 地 に 出 た そこはヤクがおり のんびりした 所 でカルカも 見 られ 上 部 にはキムジ ュン(6781m)からの 白 く 輝 き 流 れ 落 ちる 氷 河 が 近 くに 見 える ランタンリルンBCに 間 違 い なさそうである BCからランタンリルン 氷 河 を 見 に 行 くことに した 小 高 くなったモレーンに 登 るとそこからは 全 体 の 氷 河 が 見 え ギャジンコンパの 直 ぐ 上 には 氷 河 湖 が 青 白 く 光 っていた ギャジンコンパへと 下 山 することになり しば らく 藪 こぎをしながら 歩 く 少 し 歩 くと 広 く なだらかな 台 地 が 見 られ またヤク 道 を 進 むと 道 らしい 道 にでた 後 は 下 り 坂 だけであったが 痛 めた 足 を 引 き 摺 りながらやっとの 思 いでテント 場 に 到 着 (14 時 15 分 ) 明 日 はどうにかなるだろ うとテーピングし 一 時 しのぎとする 石 井 加 藤 明 隊 長 組 は1 時 間 程 前 に 到 着 し のんびりくつ ろいでいる 15 時 のお 茶 の 時 間 は 蒸 かしたジャ ガイモで 美 味 しくいただく 今 日 は 寒 く 夕 方 ごろから 小 雪 が 舞 う 10 月 27 日 天 候 : 晴 れ ギャジンコンパ~ ランシサカルカ(4080m) 天 気 は 良 いのだがとても 寒 い 吐 く 息 は 白 く 輝 いている 7 時 10 分 ラジオ 体 操 を 終 え 出 発 ランタンコーラ 沿 いに 進 むと 広 く 遠 くまで 白 く 光 る 大 地 が 続 く 両 側 の 山 からの 土 砂 が 川 に 流 されてできた 広 大 な 可 原 である 幅 広 い 川 原 の 中 に 水 が 流 れている 箇 所 があり ここも 両 側 が 凍 っ て いて 簡 単 には 渡 れない 幅 の 狭 い 箇 所 を 探 し 石 で 氷 を 叩 きポーターやキッチンスタッフがやっ と 通 れる 道 ができた 広 い 河 原 を 過 ぎると 平 坦 で 水 がある 沼 地 を40 分 程 で 遠 くに 今 日 宿 泊 する ランシサカルカが 見 えてきた ここは 平 坦 で 広 く カルカがあり 石 積 みの 陰 にテントを 設 営 夏 の 間 はヤクの 飼 い 主 がここで 生 活 していた 様 で 今 は 無 人 で 静 かである ただ 川 の 直 ぐ 横 であるため 水 流 の 音 が 騒 々しい 10 月 28 日 天 候 : 晴 れランシサカルカ~モリモトBC 朝 から 冷 え 込 みが 厳 しく 特 に 太 陽 の 陽 射 が 当 たるまでは 冬 支 度 でも 寒 く 感 じられる 今 日 は 加 藤 石 井 隊 員 アンタレ スタッフの4 名 でモ
リモトBCまで 行 くことになった 加 藤 明 隊 長 木 曽 ランジット スタッフの4 名 は 行 ける 所 までとし30 分 程 遅 れて 出 発 する 40 分 程 歩 くと 加 藤 明 隊 長 スタッフの 調 子 が 悪 く テント 場 に 引 き 返 すこととなり 木 曽 ラン ゼランカシサカルカット2 名 でモリモトBCに 行 くことにする ヤクが 通 った 道 しかなく 途 中 からわからくなり 数 キロ 先 に 加 藤 達 が 見 えその 方 角 を 目 指 して 歩 く やがて 藪 こぎ が 始 まる 巨 石 群 も 広 く 藪 は 棘 だらけで 途 中 3か 所 渡 渉 する 必 要 があり おまけに 両 岸 は 凍 っていて そ う 簡 単 に 渡 れる 箇 所 も 無 く ランゼッェトが 最 後 の 渡 渉 で 滑 り ずぶ 濡 れの 状 態 になるなどやっと の 思 いで 厳 しい 箇 所 を 抜 けることが 出 来 た 途 中 から 少 し 広 い 場 所 にでて 川 に 沿 って 上 流 に 向 かう 両 岸 の 奥 まった 所 から 小 高 い 丘 に 登 ると はるか 遠 くにモレーンが 見 え せめて そこまで 行 こうと 思 い 歩 いていると 加 藤 達 が 帰 って 来 る のが 見 えた 約 4400m 地 点 で 合 流 し 今 日 の 目 的 であるモリモト BC 近 くまで 行 くことは 出 来 たので そこから 引 き 返 すことにした 午 後 から 天 候 も 良 く 日 差 しを 浴 びながら15 時 25 分 テント 場 に 到 着 夕 方 ランシサリーか ら 雪 崩 が 発 生 大 きな 音 で 気 がついたが 流 れる 距 離 も 長 くカメラを 探 しだし 写 真 を 撮 る 時 間 もあ る 大 きな 雪 崩 だった 10 月 29 日 天 候 : 晴 れ ランシサカルカ~ランタン 今 日 からカトマンズに 帰 る 工 程 で 途 中 のギャン ジンゴンパは 泊 まらず 一 気 にランタンまで 降 りる ため7 時 20 分 に 出 発 途 中 カルカのある 場 所 で 昼 食 弁 当 ではなくキッチンスタッフが 手 作 りの 食 事 だ 景 色 も 良 く 日 光 を 浴 びて 屋 外 で 食 べる 食 事 は 絶 品 で 最 高 の 御 馳 走 である 登 りではあまり 気 が 付 かなかった 道 が 下 りでは 凄 く 急 な 場 面 も 多 く 良 くこんな 所 を 登 ってきたと 感 心 させられる 16 時 45 ランタン 到 着 振 り 向 けばランタン 峰 の 草 紅 葉 10 月 30 日 天 候 : 晴 れランタン~ラマホテル 順 調 に 下 山 12 時 リバーサイドホテルで 昼 食 ここでもキッチンスタッフによる 昼 食 疲 れてい るが 食 が 進 む 14 時 20 分 ラマホテルに 到 着 今 日 の 泊 まる 場 所 は 行 く 時 と 違 ったホテルの 中 庭 でトイレの 近 くであまりテント 場 として 条 件 は 良 くない 10 月 31 日 天 候 : 曇 りラマホテル~シャブルベンシィ 起 きると 晴 れなのか 曇 りなのか 良 く 分 からない 7 時 20 分 出 発 長 い 下 りの 始 まりだ ランタ ンコーラ 沿 いに 降 りて 行 く 途 中 から 小 雨 がパラ つくが どうにか 今 日 一 杯 は 持 ちそうである 11 時 20 分 パイロに 到 着 ここで 昼 食 樹 林 帯 を 通 るが 危 険 な 個 所 も 少 なく 順 調 に 進 ん で 行 く ただ 木 曽 は 最 終 日 であるシャブルベンシ ペンタンカルポリの 夕 焼 け ィの 手 前 で 疲 れが 出 ていたが 夕 食 時 は 良 くな った 山 旅 の 月 日 を 惜 しみ 秋 惜 しむ 11 月 1 日 天 候 : 曇 りシャブルベンシィ~カトマンズ バスが 遅 れて 到 着 ( 前 日 道 路 整 備 の 影 響 で 通 行 止 め) 来 る 途 中 と 道 路 事 情 は 変 わらず バス に 揺 られながら 時 間 を 潰 す 途 中 の 村 々でポータ ーが 自 宅 に 帰 るため バスは 止 まり ここでお 別 れとなる 17 時 カトマンズに 到 着 アンタ レの 会 社 (サクラ ラリグラストレック)を 訪 問 こ 綺 麗 な 会 社 でスタッフも5 名 でやっている 様 だ ホテル(シャングリア ロッジ)は 街 の 中 心 部 に あり 宿 泊 料 金 も 安 い 11 月 2 日 天 候 : 曇 り カトマンズ 一 日 中 後 整 理 で 過 ごす 土 産 品 の 調 達 など 11 月 3 日 天 候 : 曇 り カトマンズ 今 日 も 後 整 理 に 追 われる 午 後 から 別 ホテル に 移 動 するため 整 理 コスモトレキングに 挨 拶 に 行 く 加 藤 ( 功 )は 荷 物 の 整 理 でアンタレの 会 社 (サクラ ラリグラストレック)へ 行 く 11 月 4 日 天 候 : 曇 り カトマンズ~インチョン 空 港 今 日 の 午 後 の 便 でインチョン 空 港 に 向 け 出 発 するためホテルにランジット アンタレ 等 が 迎 え に 来 てくれた ホテルで 御 主 人 とアンタレ 達 に 見 送 られ 空 港 に 向 かった 飛 行 機 は45 分 遅 れて 出 発 同 日 午 前 2 時 過 ぎにインチョン 空 港 に 到 着 11 月 5 日 天 候 : 曇 り インチョン 空 港 ロビーで 寝 たため 早 朝 から 乗 客 の 声 等 で 起 こさ れる 睡 眠 不 足 である 8 時 5 分 福 岡 空 港 に 向 け 出 発 ほぼ 定 刻 に 到 着 入 管 手 続 き 等 で 時 間 がかかり10 時 2 分 のバス 熊 本 に 向 かう 途 中 植 木 インタで 加 藤 ( 功 ) 石 井 は 下 車 ( 加 藤 の 奥 さんが 迎 えに 来 ておられた) 加 藤 ( 明 ) 木 曽 は 終 点 の 交 通 センタまで 行 く これで51 日 間 のドルポ ランタントレッキング は 終 了 したが3 名 ( 加 藤 石 井 加 藤 明 )は 体 調 も 崩 さず また 1 名 ( 木 曽 )の 高 山 病 も 大 し たこともなく 帰 国 することができた 俳 句 : 加 藤 功 一 木 曽 萬 喜 治 ( 記 )
キリマンジャロ 登 山 記 会 友 宮 崎 静 夫 1 月 25 日 午 後 熊 本 を 出 発 雪 が 舞 う 寒 い 日 だっ た 総 勢 6 名 で 福 岡 空 港 から 大 阪 伊 丹 空 港 を 経 由 して 関 空 へ 関 空 を 午 後 11 時 40 分 発 のエミレー ツ 航 空 で UAE(アラブ 首 長 国 連 邦 )のドバイへ ド バイで 5 時 間 の 乗 り 継 ぎ 待 ち 後 ケニヤ ナイロビ へナイロビには 26 日 午 後 3 時 頃 到 着 初 めてのア フリカの 大 地 空 港 からホテルへの 道 は 舗 装 はさ れていたが 大 変 埃 っぽい それがアフリカの 第 一 印 象 だった 第 二 は 赤 道 直 下 の 割 には 涼 しか った エアコンの 無 い 車 は 大 変 暑 いだろうと 思 っ ていたが 乾 季 のこの 時 期 空 気 が 乾 燥 していて 日 陰 はひじょうに 涼 しい ナイロビの 標 高 は170 0mぐらいだそうである 27 日 朝 ナイロビのホテルを 出 発 しアフリカの 大 地 をトヨタのランドクルーザーを 改 造 し 9 人 乗 りに したサファリカーでドライブ 途 中 の 道 でキリン や 日 本 では 動 物 園 でしか 見 ることができない 動 物 が 草 原 を 歩 き 回 っている 光 景 に 遭 遇 (どこでもア フリカンサファリ) 3 時 間 ぐらいでアンセボリ 国 立 公 園 の 近 くのマサイ 族 の 村 に 着 いた テレビで よく 放 映 され 皆 さんよくご 存 じの 例 のジャンプす るダンスや 歌 で 歓 迎 を 受 ける それから 彼 らのこ こでの 暮 らしぶりの 説 明 を 聞 いた 後 帰 りに 安 物 の 民 芸 品 を 高 値 で 買 わされた 寄 付 のつもりで 買 ってやった ああいう 人 を 見 るとついつい 日 本 人 の 優 しさ? 人 の 良 さ? ノー と 言 えない 日 本 人 の 性 格 が 出 てしまう 皆 さんもたくさん 寄 付 され ていた 近 くのレストランで 昼 食 後 ケニヤ タン ザニア 国 境 を 歩 いて 越 えた ケニヤ 側 で 出 国 審 査 を 受 け 歩 いて 国 境 のゲートを 通 過 しタンザニア 側 で 入 国 審 査 を 受 けタンザニアに 入 った そこから キリマンジャロ 登 山 口 のあるマラング 村 のまで 2 時 間 ぐらい 走 り 午 後 3 時 頃 登 山 口 の 近 くのホテル に 着 いた ここで 明 日 からの 登 山 に 備 え 荷 物 を 自 分 で 持 つ 物 ポーターに 預 ける 物 ホテルに 残 す 物 に 仕 分 けする 28 日 ホテルを 出 発 しマラングゲート(1800m) で 手 続 き 後 いよいよ 登 山 開 始 行 動 予 定 時 間 4 時 間 半 を 大 幅 に 越 えてマンダラハット(2700m) に 到 着 夜 雨 が 降 ったが 朝 は 快 晴 29 日 マンダラハットからホロンボハット(370 0m)へ ここも 標 準 歩 行 時 間 5 時 間 を 大 きく 越 えて 到 着 とにかくポレポレ(ゆっくり ゆっく り)だった ここで 少 し 頭 痛 がしたので 用 心 のた め 夕 食 後 ダイアモックスを 半 錠 飲 んだ これ 以 降 朝 昼 晩 ダイアモックスを 半 錠 ずつ 飲 んだが 副 作 用 の 小 便 も 普 段 と 何 も 変 化 は 無 かったし 顕 著 な 高 山 病 らしき 症 状 も 下 山 するまで 無 かった 薬 が 良 く 効 いてくれたと 思 う 大 変 助 かった 30 日 ホロンボハットでの 高 度 順 応 日 ゼブラロッ ク(4100m)までトレッキング 31 日 ホロンボハット キボハット(4700m) 私 自 身 4100m 以 上 は 未 知 の 世 界 でありキボハ ットが1kmぐらい 先 に 見 えてから なかなか 小 屋 に 着 かず 1 歩 1 歩 の 足 取 りが 重 たく 息 苦 しい やっとの 思 いで 小 屋 に 到 着 今 夜 からのアタック が 思 いやられる 31 日 夜 夕 食 後 仮 眠 午 後 10 時 起 床 11 時 いよ いよアタック 開 始 真 っ 暗 な 中 1 歩 進 んだら 半 歩 下 がるようなザレ 場 の 急 登 をヘッドランプの 明 か りを 頼 りにゼエゼエ ハアハア 息 を 切 らして1 歩 1 歩 ゆっくり ゆっくり 登 る 途 中 座 り 込 んでい る 人 やおう 吐 している 人 が 増 えだした 歩 いてい る 時 は 暑 く 風 が 吹 いたり 止 まったりすると 急 に 寒 くなる ギルマンズポイント 直 下 の 岩 場 で 上 を 見 上 げると 自 分 の 真 上 に 先 に 行 く 人 のヘッド ランプの 明 かりが 見 える あんな 所 まで 上 がるの かと 思 うと 気 持 が 萎 えてくる 2 回 見 上 げたが3 回 目 以 降 は 上 を 見 ないようにした うつろな 気 分 でガイドの 後 を 必 死 で 付 いて 行 った 急 に 目 の 前 の 視 界 が 開 けたと 思 ったらギルマンズポイント (5682m)の 看 板 が 目 の 前 にあった 嬉 しか った 自 分 でもギルマンズポイントまで 登 れた という 安 堵 感 でホットした ホットしたのも 束 の 間 ガイドが ウフルピークに 行 くか ときいてきた もちろん と 答 えたら 行 動 食 や 水 を 取 る 暇 もなく せき 立 てられるように してウフルピークに 向 け 出 発 した その 頃 には 空 もしらじらしてきてヘッドランプはリュックにし まった ギルマンズポイントからウフルピークま では 比 較 的 楽 に 行 けた 後 で 気 付 いた 事 だが ギ ルマンズポイントまで 登 れたという 自 信 から 来 る 気 持 の 余 裕 とゆるやかな 傾 斜 のせいではなかった かと 思 う この 日 も 天 気 が 良 く 雲 ひとつ 無 い 快 晴 遠 くにウフルピークの 看 板 が 見 える まだひと 山 ある まだあそこまで 行 かなくてはならないのか と 思 うと 一 端 勇 んだ 気 持 ちが 萎 えそうになる 気 力 を 振 り 絞 ってガイドに 付 いて 行 く 2 月 1 日 ウフルピーク(5895m) 到 着 時 計
を 見 たらちょうど7 時 ここまで8 時 間 かかった あまり 感 動 は 無 い 感 動 が 無 いというより 感 動 す る 気 持 ちの 余 裕 が 無 いと 言 った 方 が 正 しいかもし れない ここでもガイドにせかされ そそくさと 写 真 を 撮 りすぐ 下 山 する 下 山 スピードはとても 速 い そこらへんの 山 を 降 りる 様 なスピードで 雪 渓 部 や 岩 場 ザレ 場 を 下 る ザレ 場 の 途 中 燃 料 切 れで 体 が 動 かなくなった ゼリー 状 のエネルギ ー 補 給 剤 でなんとかキボハットまで 下 山 ここま で 降 りたら 生 きて 帰 れるとホットした がまった く 食 欲 が 無 い( 高 山 病 か?) 日 本 から 持 ってきた チキンラーメンをなんとか 流 し 込 み 今 夜 の 宿 泊 地 ホロンボハットまであと1000m 下 らなくては ならない ホロンボハット 着 夕 食 時 も 食 欲 が 無 い チキンラーメンとフルーツを 食 べ 寝 る 2 月 2 日 ホロンボハットからマラングゲートまで 1900m 下 る マラングゲートで 登 頂 証 明 をも らい 来 た 時 と 逆 のコースでタンザニア ケニア 国 境 を 越 えアンセボリ 国 立 公 園 のホテル 着 (テン ト 張 りのコテージで 中 の 設 備 は 整 っており 大 変 き れい 外 観 からは 想 像 できなかった) 夕 食 は 吹 き 抜 けの 食 堂 でビッフェスタイル とてもおいしか った 2 月 3 日 同 じ 食 堂 で 朝 食 を 取 ったが 野 鳥 がたくさ んいてテーブルの 残 り 物 を 食 べている ウエータ ー 達 はほとんど 気 にしていない 我 々は 野 鳥 に 食 事 をつつかれないように 交 代 で 食 事 を 取 りに 行 っ た 朝 食 後 アンセボリ 国 立 公 園 でアフリカンサファリ 目 の 前 で 見 る 像 の 大 群 やライオンは 迫 力 があった 昼 食 も 同 じホテルで 食 べナイロビに 向 かう 今 回 たくさん 有 る 自 分 の 夢 の 一 つキリマンジャロ 登 頂 を 叶 えることができラッキーだった また 初 めてのアフリカ 大 陸 を 車 で 移 動 した 事 によりアフ リカの 大 都 会 ナイロビの 人 々の 暮 らしぶりの 一 部 ケニヤ タンザニアの 庶 民 の 生 活 の 一 部 を 垣 間 見 ることができ 良 い 経 験 になった( 百 聞 は 一 見 にし かず) またマサイ 族 の 暮 らしぶりや 大 自 然 の 動 物 の 現 実 も 垣 間 見 ることができ 盛 りだくさんの 旅 で あった 皆 さんもチャレンジしてみてはいかがで しょうか
2011 年 12 月 キリマンジャロ 登 山 報 告 安 場 俊 郎 ビキナーが 登 れる 最 も 高 い 山 標 高 5895m ア フリカ 大 地 溝 帯 にある 火 山 のひとつである テレ ビタレントのイモトが 登 って 日 本 人 の 登 山 客 が 増 えたと 聞 く アフリカの 赤 道 直 下 タンザニア にあり 年 間 3 万 5 千 人 以 上 の 登 山 客 があり 登 録 登 山 ガイドだけでも3 千 人 もおり 登 山 者 に 同 行 するポーター コックをはじめとして たいへ んな 人 口 がキリマンジャロで 生 活 していることに なる タンザニアの 一 大 産 業 である そこに 登 りに 行 った 2 回 目 である 富 士 に2 度 登 るバカ という 言 葉 があるが 一 般 的 に 高 い 費 用 をかけて 何 度 も 登 るほど 魅 力 的 な 山 ではない いろんな 事 情 があったのである ピッケル 等 の 登 攀 用 具 は 必 要 ない 誰 でも 登 れる 問 題 は 富 士 山 を2 千 メートル 超 える 標 高 だが 高 山 病 の 症 状 は 程 度 の 差 はあるが 今 回 の 参 加 者 全 員 に 現 れた 結 果 からいえば 2 回 目 の 挑 戦 で 最 高 峰 ウフルピ ークまで 行 った ヘロヘロになったけど 以 下 は その 記 録 である 平 成 23 年 12/24( 土 )AM9 時 関 西 空 港 国 際 線 出 発 ロビー 集 合 出 国 手 続 き 参 加 者 男 性 7 名 女 性 2 名 西 遊 旅 行 の 添 乗 員 の 男 性 1 名 計 10 名 11:00 出 発 機 内 約 6 時 間 バンコク 乗 継 待 ち 時 間 約 9 時 間 の 内 空 港 内 ホテル で4 時 間 の 休 憩 を 含 む 松 島 氏 と 同 室 シャワーを 使 えた 12/25( 日 )1:25 エチオピア 航 空 機 は 香 港 から の 大 勢 の 黒 人 客 を 乗 せて 来 る ( 中 国 と アフリカ 各 国 の 交 流 の 活 発 さが 実 感 で きる) 所 要 9 時 間 機 内 食 が2 回 出 る 6:00(エチオピア 時 間 ) アジスアベバ 空 港 着 同 所 を 10:20 離 陸 12:47 キリ マンジャロ 空 港 着 ( 時 差 6 時 間 ) 天 気 晴 れ 気 温 30 度 13:20 マイ クロバス 約 2 時 間 半 で 山 麓 の 町 モシ へ タンザニア 通 貨 シリングに 両 替 50 ドル 77,000 シリング(1 ドル 1540 シリング 1 円 約 20 シリング) もらった 札 を 数 えたら 2000 シリング 足 りない 抗 議 したらすまして 出 して くれた 油 断 できない 15:30 登 山 口 マラングゲートのホテルに 宿 泊 各 自 荷 物 を3つに 分 ける (1) 自 分 で 背 負 う 物 ( 小 型 リュックに 水 筒 (2) カメラ 雨 具 貴 重 品 ) ポーター 預 け( 寝 袋 着 替 え 等 ハット で 使 用 するもの) (3) 下 山 後 アルーシャのホテルへの 回 送 12/26( 月 ) 8:30 ホテル 発 約 10 分 ゲート 着 入 山 手 続 き 標 高 1830m 10:58 ゲート 出 発 今 夜 の 宿 マンダラハッ ト までは 森 の 中 を 歩 く 歩 道 には 赤 い 火 山 砂 が 敷 き 詰 めてあり 歩 き 易 い ポーターは 別 の 道 を 行 くようだ 12:47 昼 食 ポイント トタン 板 で 覆 った 木 製 の 簡 単 なテーブルとベンチがあり ト イレもある ランチボックスが 配 ら れる 15:22 マンダラハット 2730m 着 大 型 の 建 物 は 食 堂 ゲストの 宿 泊 所 スタッ フの 宿 泊 所 炊 事 棟 の 建 物 は 斜 面 の 広 場 に 建 っている 部 屋 割 りはグループ 毎 で 先 着 順 我 々は9 人 部 屋 2 段 ベ ットでマットと 枕 付 男 女 相 部 屋 洗 面 器 にお 湯 のサービス (シャワー 設 備 はあるが 水 のみ)17:00~ 食 堂 でお 茶 18:00~ 夕 食 19:15~ 就 寝 電 気 はソーラー 発 電 で 蓄 電 池 に 貯 めたも のを 使 う トイレは 別 棟 水 洗 である 12/27( 火 )6:00 起 床 モーニングコーヒーと 洗 顔 用 のお 湯 のサービス (これは 毎 朝 ) 8:10 出 発 1 時 間 ほどで 低 木 地 帯 に 入 り 視 界 は 開 けるが この 日 は 雲 で 山 はみ えなかった 12:15 ランチボックスの 昼 食 を 済 ますと 雨 が 降 り 出 す 14:45 ホロンボハット 3720mに 到 着 12/28( 水 ) 高 度 順 応 のため ゼブラロック 4100 m 付 近 まで 往 復 この 日 は 10:45 から 雨 午 後 はハットで 休 養 夕 方 まで 雷 を 伴 う 雨 12/29( 木 )8:12 出 発 雨 降 り 出 す 途 中 サド ルでジュースとクッキーが 配 られる 14:00 キボハット 4703m 到 着 同 じグル ープで1 部 屋 とれた トイレは 小 屋 の 裏 手 でポットン 雨 は 降 るし あまり 利 用 したくない 頂 上 アタックでの 個 人 ポーターの 希 望 を 尋 ねられる 私 は 希 望 しなかった 最 小 限 の 荷 物 も 他 人 に 持 ってもらうのは 山 家 のプライド が 許 さないってことか ( 結 局 はガイドに 持 ってもらうはめに なったけど) 15:10 昼 食 兼 夕 食 (ラーメンとおかゆ) 15:45 寝 袋 を 出 して 仮 眠 に 入 る まわりはう るさいし 眠 れるもんではない 21:00 起 床 出 発 準 備 軽 食 のお 茶 がない
キッチンスタッフが 忘 れてた 22:35 防 寒 装 備 の 雨 具 ヘッドランプをつけ て 出 発 暗 い 中 隊 伍 を 組 んで そうとうゆっくりしたペースで 歩 く 12/30( 金 ) 01:34 ハンスメイヤーズケープ 5000m ここ で 男 性 1 名 リタイヤ 05:35 ギルマンズポイント 到 着 まだ 暗 い 男 4 名 が 最 高 峰 ウフルピークに 向 かう 右 手 は 火 口 縁 の 崖 なので 危 険 だとガイ ドから 注 意 を 受 ける 積 雪 2~30 cm 気 温 マイナス10 度 無 風 ルート 合 流 の 看 板 (ステラポイント 5750m)を 見 てさらに 歩 みを 進 める 5800m 付 近 正 面 のピークは 頂 上 では ないのかと 思 っていると 違 う なか なか 頂 上 には 着 かない そのうち 猛 烈 な 眠 気 が 襲 ってきた 歩 みが 止 まる 他 の3 人 のメンバーは 先 に 行 ってしま った いつのまにか ガイドの 名 は 忘 れた が 付 き 添 って 励 ましてくれる のだが 眠 り 込 んでしまいそうだ あ とから 考 えれば 完 全 な 高 山 病 の 症 状 なのだが その 時 は 意 識 朦 朧 何 も 考 えられず 必 死 の 思 いで 頂 上 まで 行 った 07:20 ウフルピーク 到 着 村 田 堀 内 山 中 の3 人 が 待 っていてくれた 看 板 の 前 で 記 念 撮 影 後 引 返 す 氷 河 は 見 え なかった 写 真 を 撮 る 気 力 もなかった ようだ 時 刻 不 明 明 るくなったギルマンズポイントで 記 念 撮 影 雪 のついた 斜 面 をスリップに 気 をつけながら 下 りはじめる 途 中 何 度 も 休 む 眠 気 と 脱 力 感 甚 だしく 下 山 はなかなかはかどらない ガイド がチョコレートを 食 べろというので2 個 食 う 食 欲 は 全 くない ほとんど 夢 遊 病 者 のごとく 歩 く 自 分 が 歯 がゆいが どうもならない 11:40 ガイドにサポートされながら 一 人 ギボ ハット 帰 着 カップ 麺 の 昼 食 が 用 意 さ れていたが 眠 気 が 強 く ただ 眠 りた いのみ ベッドで 靴 のまま1 時 間 仮 眠 する 13:00 5 人 でギボハット 出 発 したが サドル の 入 口 で 足 が 動 かず 一 人 遅 れる ガイドにリュックを 持 ってもらって 歩 くが 遅 々として 歩 みが 進 まず 何 度 も 休 む 吐 き 気 がして 胃 液 のみ 吐 く 飴 玉 を 口 に 含 むとしばらく 歩 けるよう になったが ホロンボハットが 近 づく と また 休 みが 多 くなり やっとのこ とでホロンボハットに 帰 着 荷 物 を 持 ってもらったガイドにチップ10ドル 進 呈 夕 食 をとらずそのまま 就 寝 未 明 小 用 に 起 きたが 前 日 から 食 事 らしきものを 取 っていないにもかかわ らず 空 腹 は 感 じなかった 12/31( 土 ) 曇 り 06:30 起 床 7:00 朝 食 食 欲 なし お かゆを 一 椀 食 す 08:20 ホロンボハット 出 発 写 真 を 撮 りな がらゆっくり 下 る 10:00 頃 森 の 入 口 近 くで 一 人 お 茶 する 途 中 のマンダラハットには 誰 もおらず 12:05 マラングゲート 到 着 公 園 のベ ンチで 昼 食 ビールが 出 たが 飲 みた くない 食 後 アルーシャに 向 けて マイクロバスで 出 発 18:20 アルーシャホテル 着 ホテル 前 のス ーパーで 当 地 のコーヒーを 土 産 に 購 入 20:00 ホテルのレストランで 打 ち 上 げ 食 欲 なし ビールも 飲 めず 1/1( 日 ) 晴 8:30 ホテル 発 午 前 中 アルー シャ 国 立 公 園 でランドクルーザー2 台 に 分 乗 してサファリを 楽 しむ アルー シャの 名 峰 メルー 山 の 全 容 が 見 えた 動 物 はキリン シマウマ 羚 羊 の 類 猿 ホロホロチョウとたいしたことな し 2 時 間 半 で 公 園 内 を 一 回 りし ラ ンチボックスの 昼 食 油 濃 いのと 甘 い お 菓 子 でまったく 食 べられず 午 後 キリマンジャロ 空 港 から 帰 国 の 途 につく あと 往 路 と 同 じ 1/3( 火 ) 6:30 関 西 空 港 帰 国 解 散 登 山 を 終 えての 感 想 キリマンジャロは15 年 前 に 登 っているので2 回 目 になる そのときは 5682mのギルマンズポイ ントで 時 間 切 れのため 下 山 させられた ウフル ピークの 登 頂 は10 人 中 5 人 だったと 思 う 今 回 は 挑 戦 した8 人 (70 代 の 男 性 1 名 はギボハットま で) 中 5 人 は 登 れた 体 力 は 20 代 の 男 性 2 人 を 除 いて 抜 群 に 高 度 に 強 く 体 力 抜 群 の 者 はいない のに 登 頂 率 はまずまずだった (1)3720mのホロンボハットでの2 連 泊 高 度 順 化 と 休 養 のため 有 効 (2)ガイド 達 は 一 人 でも 多 くのお 客 が 安 全 に 登 頂 できるよう 最 大 限 の 努 力 を 惜 しまな い 完 璧 なサポートに 感 謝 したい (3) 出 発 時 刻 を 早 めて 体 力 がない 者 が ゆっく りしたペースで 登 っても 最 高 到 達 点 を 往 復 できるよう 配 慮 されている (15 年 前 は 午 前 1 時 だった )
その 代 わり 睡 眠 時 間 が 短 いので 後 半 は 猛 烈 に 眠 い 高 山 病 について 安 場 を 除 く 全 員 はギボハットでは 血 中 酸 素 飽 和 濃 度 が90 台 であった 私 は 80 がやっとの 状 態 しかし ある 程 度 ま では 登 れるだろうとは 思 っていた 昨 年 4 月 末 ヒマラヤ アンナプルナ 周 回 ト レ ッ キ ン グ の 最 高 所 の 宿 ト ロ ン フ ェ デ ィ (4780m)でも 同 じ 状 態 だったのに 5400mのト ロンパスまで 登 っている ただし 今 回 同 様 下 山 途 中 昼 食 に 配 られた 弁 当 は 断 って 眠 っ た これも 高 度 障 害 のひとつの 症 状 だろうと 思 う パルスオシキシメーター 計 測 数 値 血 中 酸 素 飽 和 濃 度 脈 拍 ( 分 ) 12/26 マンダラハット 88 68 12/27 95 68 ホロンボハット 88 75 12/28 82 86 12/29 83 95 ギボハット 71 111 80 104 後 日 病 院 関 係 者 に 尋 ねたところ 入 院 患 者 の 血 中 酸 素 飽 和 濃 度 が90を 切 ったら 酸 素 吸 入 を 始 めるとのことで 私 の 値 で5 千 M 付 近 において 登 山 行 動 することはかなり 無 謀 なこ とであるようだ ダイヤモックスの 服 用 効 果 について 入 山 初 日 の 昼 食 後 1/4 錠 の 服 用 を 開 始 する 昼 食 後 の 服 用 は 夜 半 の 小 用 の 回 数 を 減 らすためであ る 一 日 1 回 ホロンボハットの2 日 目 から 1/2 錠 とした 効 果 の 程 は 疑 問 である 私 個 人 として は 予 防 的 見 地 から 積 極 的 に 使 うのはいいのだが 服 用 しなくても 3700m 付 近 で 血 中 酸 素 飽 和 濃 度 が 90 以 上 ある 人 は 不 要 と 思 う 体 力 について 歳 を 感 じた もともと 体 力 はそうあるほうでは ない よくがんばったが やはり 自 分 は 高 山 には 向 いていないようだ 今 後 挑 戦 する 人 には 十 分 なトレーニングを お 願 いしたい 特 に 連 続 十 数 時 間 の 登 山 行 動 に 耐 え 得 る 体 力 を 養 うことが 必 要 だと 思 う 高 所 登 山 のトレーニングとしては ランニング 等 による 心 肺 機 能 脳 の 強 化 が 最 も 有 効 と 思 う 2011.12.30 AM7.20 ウフルピーク 2011.12.31 AM7.30 登 頂 後 ホロンボハット 参 加 者 募 集 24 年 度 第 1 回 森 林 保 全 巡 視 登 山 今 年 度 最 初 の 巡 視 ( 清 掃 ) 登 山 を 下 記 の 要 領 で 行 います 巡 視 員 はもとより 会 員 会 友 及 び 一 般 の 方 のご 協 力 をお 願 いしま す 記 期 日 24 年 4 月 22 日 ( 日 ) 場 所 鞍 岳 ツ-ムシ 山 参 加 費 350 円 ( 保 険 料 ) 集 合 午 前 9 時 四 季 の 里 登 山 口 現 地 集 合 ( 移 動 手 段 が 無 い 方 は 担 当 までご 連 絡 下 さい) 申 し 込 み 森 林 保 全 巡 視 担 当 廣 永 峻 一 以 上
ウルル(エア-ズロック) 登 頂 記 宇 都 宮 信 夫 ウルルとはオーストラリア 先 住 民 アボリジニの 呼 び 名 で 一 般 的 にはエアーズロックで 知 られて いる オーストラリアの 広 さは 日 本 の 22 倍 で そ のほぼ 中 央 に 位 置 し 周 囲 は 見 渡 す 限 りの 砂 漠 の 中 に 世 界 で 二 番 目 に 大 きな 一 枚 岩 でできています 高 さは348mで 遠 くから 眺 めると 丸 く 見 えます が 近 くから 見 ると 風 化 がすすみ 大 きなくぼみや 穴 があります 私 は 5 回 ほど 訪 れ その 都 度 レンタカーで 走 っ たがブリスベンやケアンズから3~4 日 ほどかか る 道 のりが 長 く 1 日 の 走 行 が800kmから 千 Km を 走 ることもあります 車 に 炊 事 道 具 を 持 参 し て 自 炊 しながら 走 ったこともありました オーストラリアは 何 処 の 町 でもキャラバンパー ク(モーテル)があり 自 炊 設 備 が 整 っていて 格 安 で 宿 泊 できますのでとても 旅 行 しやすい 私 はこ の 自 炊 方 式 で 1 ヶ 月 ほどかけ 大 陸 横 断 や 縦 断 をし ましたが その 都 度 エアーズロックには 登 った 夕 日 に 照 らされたウルルは 観 光 の 目 玉 にもなって 夕 方 になるとカメラを 持 った 多 くの 観 光 客 であふ れ 刻 々と 変 化 する 岩 の 色 は 素 晴 らしいものです このウルルはアボリジニの 聖 地 になっており 写 真 を 撮 ったり 登 ったりすることはできないのです が 現 在 は 白 人 に 占 領 されて 管 理 されているので 登 らせていただくことにした ここでは 朝 の 8 時 過 ぎになると 強 烈 な 風 が 吹 く ことが 多 いので その 前 に 下 山 できるように 夜 明 けと 同 時 に 登 りはじめる 最 初 は 登 りが 急 なので 鎖 につかまりながら 登 るが 多 くの 観 光 客 で 行 列 ができるほどで 中 には 山 について 何 の 知 識 もな く 軽 装 で 登 り 急 斜 面 を 降 りれなく 鎖 につかまり 動 けなくなる 人 もいる 登 り 始 めの 鎖 が 無 くなると ルートは 一 枚 岩 のみで つかまるものは 何 も 無 い 極 端 な 表 現 をすれば 最 初 から 最 後 までつるつるの 岩 の 上 を 歩 くことになります 帽 子 やカメラ 等 を 落 とせば 何 百 mと 地 上 まで 転 げ 落 ちるのみで 見 つかることはない また 雨 になれば さらに 滑 ることになり 大 変 危 険 なことになるので 天 気 予 報 によりゲートが 事 前 にクローズになります 宇 山 頂 近 くになれば 平 地 が 多 くなるがルートはペン キで 案 内 される 約 1 時 間 30 分 くらいで 登 れるが 時 間 とともに 風 が 強 くなるので 早 めの 下 山 とした 外 輪 山 トレッキングに 参 加 して 加 藤 明 実 施 コ-スは 阿 蘇 中 岳 より 北 側 が 主 なコ-スとな ります 主 なコ-スを 列 記 しますと 新 年 の 三 社 詣 で 中 通 り 古 墳 群 2 月 の 涵 養 林 植 樹 野 焼 き 体 験 ( 婦 人 会 のビ-ル 付 き) 3 月 は 草 千 里 風 穴 コ-ス 4 月 は 鍋 ケ 城 オキナ 草 コ-ス 5 月 は 北 向 山 白 川 歩 き 卯 の 鼻 願 就 寺 坂 6 月 は 仙 酔 峡 ~ 砂 千 里 菊 池 川 源 流 7 月 は 大 観 峰 紅 地 川 参 勤 交 代 豊 後 街 道 を 往 く 以 上 7 月 ま での 主 なコ-スを 紹 介 しました 一 部 のコ-スを 除 いて 阿 蘇 特 有 の 牧 歌 感 漂 う 癒 しの 風 景 で 牛 馬 ときにはウサギ 愉 しさ 一 杯 です 季 々の 花 もオ キナ 草 ユウスゲ キツネのカミソリ センブリ 等 々 数 え 上 げればきりがありません 特 に 私 のお 薦 めは 小 さくて 可 憐 な 花 センブリ です あと 植 物 は 北 外 輪 の 南 斜 面 にはエビネラン シュンラ ン 岩 松 等 希 少 なものが 原 生 しています 大 事 に したいものです 又 人 はだれでも 食 べるものに は 大 なり 小 なり 興 味 があるところです 時 期 を 選 べばウド タラ ゼンマイ 等 々 望 み 次 第 です 最 後 に 私 ごとですが 殆 どが 日 曜 日 に 開 催 されため 他 の 行 事 と 重 なる 亦 現 役 の 参 加 者 が 多 いの で その 元 気 について 行 けないことが 多 々あり ます
自 己 紹 介 と 雪 山 に 登 ろうin 久 住 山 に 参 加 して 会 員 申 請 中 坂 西 直 明 前 期 団 塊 世 代 ( 昭 和 24 年 生 ) 一 昨 年 勤 めを 定 年 退 職 し 早 2 年 が 経 とうとしていますが 坂 西 直 明 と 申 します タイミング 良 く 退 職 時 期 と 同 じ 頃 郷 土 の 山 小 岱 山 の 登 山 路 で 旧 知 の 安 場 さんとバッタリ 推 薦 するからと 日 本 山 岳 会 への 入 会 を 勧 められ 是 非 お 願 いします と 一 にもなく その 場 で 即 答 それが 日 本 山 岳 会 熊 本 支 部 入 会 のキッカケです 何 十 年 ぶりの 再 会 でこ れも 何 かの 縁 と 強 く 感 じました 山 登 りを 始 めた 動 機 はと 申 しますと 玉 名 市 子 供 会 リ-ダ-キャンプと 称 し 夏 休 み 5~6 年 生 を 対 象 に 阿 蘇 坊 中 野 営 場 に 引 率 し 野 外 活 動 を 実 践 する 仕 事 に 携 わった 時 がありました その 時 登 った 往 生 岳 その 山 頂 はさわやかな 風 が 吹 き 抜 け 絶 好 の 山 行 に 遭 遇 したのが 事 の 始 まりです それから 九 重 の 山 々を 中 心 に 我 がバスケットの 先 輩 と 二 人 してよく 登 りました 1985 年 か86 年 だったと 記 憶 しますが 久 住 山 頂 から 御 来 光 を 眺 めていた 時 阿 蘇 五 岳 にむかって 雲 海 の 生 まれ る 瞬 間 に 出 会 った 時 のことは 昨 日 のことのよう に 思 い 出 されます 男 という 者 はどうも 山 に 限 らず 放 浪 の 癖 があ るように 思 いますね 一 人 前 の 男 になるには 旅 に 出 よ です 松 尾 芭 蕉 しかり 奥 の 細 道 では 予 もいづれの 年 よりか 片 雲 の 風 に 誘 われて 漂 泊 の 思 ひやまず と 記 してますし 寅 さんも あ の 雲 が 誘 うのよ 旅 に 出 ます さしずめ 皆 さんは ( 工 藤 支 部 長 以 下 リ-ダ-の 皆 さん) あの 山 がオ レを 呼 ぶのよ と 飛 び 出 して 行 かれます その 行 動 力 には 脱 帽 です 目 が 白 黒 します 今 もそうか も 知 れませんが 若 い 頃 は 単 独 行 も 相 当 やってい る 一 人 一 人 が 実 績 のある 兵 (つわもの) 揃 いです そのツワモノが 日 本 山 岳 会 熊 本 支 部 長 の 工 藤 氏 の もと いざというときは 一 つに 纏 まり 一 糸 乱 れ ぬ 行 動 となります これは 私 にとって 驚 きであり 魅 力 です かってそう 言 う 山 の 会 に 所 属 したこと はありません 意 を 強 くし ここで 頑 張 ってみた いと 云 う 心 境 になります しかし 現 在 は 区 の 世 話 をせよ と 区 長 を 仰 せつかっており 思 うよう に 参 加 できず 心 苦 しく 思 っています 今 回 雪 山 久 住 山 の 参 加 者 48 名 うち 一 般 参 加 者 が 過 半 数 その 参 加 者 の 多 さにビックリ 加 藤 リ-ダ-のもと 山 頂 付 近 は 風 雪 が 吹 き 荒 れる 悪 コンデションにもかかわらず 事 故 もなく 無 事 下 山 皆 成 し 遂 げた 満 足 感 に 浸 っていたと 思 いま す 年 輩 の 女 性 若 い 女 性 が 数 多 くいましたが 解 る 気 がします 俗 に 言 う 山 ガ-ルの 人 達 でしょ うが 冬 山 に 魅 力 を 感 じていて 行 きたい でも 一 人 では 無 理 だ 周 りに 連 れて 行 ってくれる 彼 氏 も いない, 又 いたとしても 彼 氏 は 山 に 興 味 がない そこに 日 本 山 岳 会 の 募 集 これ 幸 い ブラント 日 本 山 岳 会 だったら 安 心 安 心 渡 りに 船 だ と 参 加 したのでしょう そして 達 成 感 征 服 感 を 持 ち 帰 ったのでしょう まさに 高 級 ブランド 日 本 山 岳 会 熊 本 支 部 バンザイです
山 とスキ-NO2( 登 はん 編 ) 松 本 莞 爾 今 回 も 若 かりし 頃 の 話 で 山 とスキ-にのぼせ 上 がっていた 時 のエピソ-ドを 記 してみたい 教 員 になって 山 岳 部 の 顧 問 となって 部 員 への 指 導 を 充 実 させるためには 安 全 登 山 はもとより 技 術 の 向 上 と 知 識 の 研 鑽 は 欠 かせないものであっ た 元 々 山 が 好 きで 山 に 登 れる 環 境 の 職 場 に 着 き たいと 考 えていた 自 分 は 職 場 の 先 輩 や 父 兄 生 徒 には 本 末 転 倒 だったかも 知 れないが 机 上 の 勉 強 より 社 会 には 役 立 つ 校 外 学 習 の 名 目 でセッセ と 生 徒 を 山 に 連 れていった その 為 にはそれなり の 技 術 と 知 識 社 会 的 見 識 の 本 保 護 者 や 校 長 を 安 心 させる 実 績 作 りが 必 要 であった 生 徒 との 山 登 りはもっぱら 熊 本 の 山 や 九 州 の 山 鹿 主 であったが やはり 北 アルプスへの 憧 れは 他 の 登 山 家 と 同 じ く 常 に 願 望 であった 職 場 についてすぐ 町 の 山 岳 会 熊 本 クレッテルカメラ-ド と 云 った 熊 本 で は 精 鋭 的 な 山 岳 会 に 入 会 し 毎 週 のように 阿 蘇 の 岩 場 に 通 い 詰 め 鷲 ケ 峰 を 初 めとする 岩 場 に 取 り 付 き 岩 をよじ 登 った クレッテルカメラ-ドは 岩 と 雪 山 でしか 活 動 を しない 特 殊 な 山 岳 会 でかなりの 高 度 な 技 術 でない とついていけない 会 であった 新 人 の 頃 はケガが 耐 えないほど いわゆるシゴキに 何 度 か 止 めたい 気 持 ちにもなったが 会 の 仲 間 は 山 では 厳 しいが 町 でのミ-ティングや 研 修 会 では 親 切 丁 寧 な 指 導 をしてくれ また 仲 間 意 識 を 高 めてくれる 愉 快 な 会 であった 昭 和 42 年 頃 クレッテルカメラ-ドの 夏 合 宿 で 剱 岳 へ 行 ったとき この 時 ばかりは 夏 休 み30 日 間 をフルに 使 って 剱 岳 立 山 そして 場 所 を 変 えて 穂 高 連 峰 に 登 る といった 欲 張 りな 山 行 を 実 行 した 前 期 はク レッテルの 合 宿 後 期 は 知 り 合 いの 中 学 生 を 連 れて 穂 高 へ 豪 華 な 山 旅 である 剱 での 合 宿 は 先 発 隊 として40kgを 越 え る 荷 物 を 持 って 食 料 の 荷 揚 げから 始 まり 剱 沢 へ 第 1キャンプを 張 八 ツ 峰 六 峰 Cフェ-ス って 後 発 隊 を 待 つ 段 取 りである 後 発 隊 4 名 が 入 山 するまで 雪 渓 で の 滑 落 停 止 剱 南 壁 での 登 はん 訓 練 とそれは 厳 し いトレ-ニングが 続 いた 4 日 ほど 遅 れて 入 山 し た 後 発 隊 とともに 第 2キャンプ 地 の 真 砂 沢 へ 移 動 し 本 合 宿 が 始 まった ここでは 長 治 郎 雪 渓 での 訓 練 や 八 ツ 峰 の 登 はん 等 3 日 間 を 過 ごし さら に 第 3キャンプ 地 の 三 の 窓 のキャンプ 地 へ 移 動 小 窓 の 雪 渓 上 部 にテントを 張 り 小 窓 やチンネの 登 はんを 行 う チンネの 岩 場 は 阿 蘇 のガレ 岩 と 違 ってがっちり とした 岩 壁 で 以 外 と 取 り 付 きやすかったが 流 石 に 切 り 立 った 岩 壁 は 圧 倒 される 高 度 感 に 恐 怖 を 覚 える 毎 日 であった 私 は 八 ツ 峰 の 第 6 峰 の 岩 壁 で 10mほど 滑 落 した 経 緯 があり このチンネでは 足 がすくんでしまった クレッテルの 合 宿 は10 日 ほどで 終 了 し 帰 路 は 早 月 尾 根 を8 時 間 掛 けて 下 山 である 急 峻 な 早 月 の 谷 ではアイゼンを 着 け 思 い 荷 物 を 背 負 い こんなに 苦 労 したことはなかった 馬 場 島 の 小 屋 に 着 いたときは 長 かった 合 宿 の 反 省 会 とともに 疲 れ 切 った 身 体 を 休 めた その 後 皆 と 分 かれ 私 だけは 知 り 合 いの 中 学 生 をつれて 穂 高 岳 槍 ケ 岳 の 縦 走 をすることに 約 束 があったため 黒 四 ダムを 抜 けて 大 町 へ 出 る 大 町 では 山 岳 博 物 館 を 見 学 したり 松 本 城 などの 観 光 を 楽 しみ 荷 物 の 整 理 をして 今 度 は 穂 高 へ 入 るための 食 料 調 達 をし 松 本 駅 で 約 束 の 中 学 生 を 待 つことにした 若 いと 云 うことは 素 晴 らしい まだ 体 力 に 自 信 があった 約 束 の 日 時 約 束 の 場 所 に 熊 本 から 知 り 合 いの 中 学 生 が 一 人 でやってきた 頼 もしい 中 学 生 である これからは 楽 しい 親 子 登 山 となるはずだ この 中 学 生 は 阿 蘇 のユ-スホス テルの 息 子 で 親 の 血 を 引 きアウトドアの 愛 好 者 である ペアレントの 塩 谷 氏 から 頼 まれ 中 学 生 と 二 人 旅 をすることになった 中 学 生 といっても 慣 れたもので 山 歩 きやキャン ピングは 一 人 で 出 来 体 力 も 大 人 並 である 私 が20 数 kg 彼 が12~3kgのリックを 担 ぎ 前 の 合 宿 で 疲 れていたとは 云 え 中 学 生 の 方 がはるかに 元 気 がいい 徳 沢 を 経 て 槍 沢 を 詰 め るときなどは 先 行 してこちらが 顔 負 けの 頑 張 りよ うであった カマボコ 型 の2 人 用 テントでは 率 先 して 料 理 をしてくれる 槍 の 山 頂 に 着 いたとき は 感 動 ものであった 後 は 槍 穂 高 の 縦 走 で 岩 稜 登 りで 苦 労 はしたもの の 予 定 の 日 程 で 縦 走 を 終 え 涸 沢 を 経 由 して 上 高 地 へ この 事 を 思 い 出 すたびに 今 の 高 校 生 は と 思 いたくな る 彼 はいまプロのスケ -タ-として 仕 事 をして いる (つづき)
平 成 24 年 干 支 の 山 竜 峰 山 登 山 報 告 担 当 安 場 俊 郎 1. 日 時 平 成 24 年 3 月 4 日 ( 日 ) 2. 場 所 八 代 竜 峰 山 (517m) 竜 ケ 峰 (541m) 3. 参 加 者 中 林 橋 本 金 山 吉 田 北 里 稗 田 山 本 正 木 島 田 小 宮 田 北 木 曽 福 田 鑪 東 安 武 和 泉 島 添 健 島 添 佳 宇 都 宮 廣 永 植 木 隆 植 木 啓 加 藤 稜 藤 原 中 田 松 岡 一 松 岡 章 米 田 石 井 坂 西 松 岡 栄 松 岡 啓 千 原 江 上 平 嶋 渡 辺 上 妻 松 本 博 工 藤 松 本 莞 加 藤 明 安 場 43 名 4. 行 動 記 録 市 民 会 館 (7:30) 道 の 駅 竜 北 川 田 バ ス 停 登 山 口 5 合 目 階 段 コ-ス 竜 峰 山 山 頂 辻 峠 竜 ヶ 峰 布 施 峠 東 陽 町 グラ ンド(バス 乗 車 ) 市 民 会 館 解 散 6. 報 告 当 日 の 降 水 確 率 60% 昨 年 の 阿 蘇 卯 の 鼻 登 山 も 雨 の 中 の 行 動 であったので 今 年 も 雨 の 心 配 をしながらの 出 発 となった 特 に 石 灰 岩 の 露 出 した 歩 きにくい 箇 所 がある ので 参 加 者 がつまずきや 転 倒 で 歩 いて 下 山 できない 事 態 も 想 定 されたが 幸 い 東 陽 町 グランドでバスに 乗 るまで 降 雨 はなく 全 員 ケガもなく 無 事 に 最 後 まで 歩 くことが 出 来 た 副 班 長 はじめ 役 員 の 皆 様 の 骨 折 りに 感 謝 しま す 7. 反 省 事 項 (1) 縦 走 登 山 をして 竜 峰 山 の 魅 力 を 感 じて 貰 いたいとの 意 図 であったが 距 離 が 長 すぎた 一 人 の 所 要 時 間 4 時 間 は 集 団 登 山 となると 体 力 の 弱 い 参 加 者 の 歩 行 に 合 わせなければならず また 休 憩 人 員 点 呼 その 他 団 体 につきものの 要 因 で 1.5 倍 の 時 間 をみておかなければ ならない 結 果 的 に 東 陽 町 グランド 到 着 予 定 時 刻 が1 時 間 以 上 遅 れ 楽 しみにし ていた 温 泉 入 浴 の 時 間 をとることが 出 来 なかった (2) 今 回 行 事 を 担 当 して 団 体 登 山 のあり 方 について 改 めて 考 えさせらることが 多 かった 来 年 は 親 子 登 山 も 実 施 する 予 定 であ るので スタッフの 事 前 研 修 の 必 要 を 痛 感 した 第 5 回 登 山 研 修 会 資 料 雪 の 山 に 登 ろうin 久 住 山 報 告 担 当 加 藤 功 一 1. 目 的 雪 の 山 を 登 ることにより 冬 山 の 基 礎 技 術 を 身 につける ラッセルの 方 法 アイゼンでの 歩 行 スノーシューでの 歩 行 その 他 アンザイゼンによる 歩 行 滑 落 停 止 のデモンストレーション 2. 場 所 久 住 山 牧 ノ 戸 峠 から 久 住 山 頂 往 復 3. 日 時 平 成 24 年 2 月 5 日 ( 日 ) 集 合 出 発 市 民 ホール 前 7 時 30 分 貸 し 切 りバス 利 用 4. 担 当 チーフ リーダー: 加 藤 功 一 サブ リーダー : 石 井 文 雄 田 北 芳 博 5 参 加 者 安 場 千 々 岩 高 橋 松 本 博 坂 西 上 妻 正 木 宇 都 宮 田 中 石 井 加 藤 渡 辺 原 田 北 里 西 平 方 富 樫 木 下 片 岡 木 曽 田 北 城 戸 牟 田 福 田 東 松 本 安 武 クレイ グ ランドン 加 藤 廣 永 中 林 加 藤 稜 中 田 金 山 橋 本 吉 田 山 本 阿 南 巣 山 千 原 加 藤 功 工 藤 松 本 43 名 1. 実 施 内 容 説 明 バスの 中 で 説 明 : 加 藤 功 一 (1) 項 目 ラッセル アイゼンの 使 用 コンティニ アス(アンザイレンによる 歩 行 )の 方 法 ピッケルの 使 用 滑 落 停 止 (2) 実 演 (デモンストレーション) 現 地 (でき る 所 で 簡 単 に) ラッセルの 方 法 石 井 アイゼンによる 歩 行 木 曾 加 藤 明 コンティニアスの 方 法 加 藤 功 一 石 井 ピッケルの 使 い 方 加 藤 功 一 滑 落 停 止 ( 確 保 のやり 方 ) 加 藤 功 一 石 井 2. 研 修 ( 実 演 ) 場 所 久 住 分 かれ 携 行 品 アイゼン( 軽 アイゼン 可 ) スパッツ 登 山 靴 ( 軽 登 山 靴 可 運 動 靴 は 不 可 ) 防 寒 帽 防 寒 服 雨 具 セーター 水 筒 (テルモスが 良 い) 毛 の 手 袋 地 図 サングラス ヘッドランプ コンパス 筆 記 用 具 スノ-ス-シュ-(お 持 ちでしたら 持 参 可 ) 昼 食 行 動 食 ピッケ ルをお 持 ちでしたら 持 参 して 下 さい(スキ- ストックでも 可 )その 他 に ガスコンロ(コ ッフェル 含 む)を 持 参 し 暖 かい 飲 み 物 でも 飲 むと 落 ち 着 きます カメラはシャッタ-が 凍 り 付 きやすいのでタオル 等 で 覆 い 持 ち 運 ぶ (ホカロンを 使 用 する)とよい
会 務 報 告 1 月 ~3 月 までの 事 業 報 告 (1) 平 成 24 年 新 年 懇 談 会 期 日 1 月 14 日 場 所 交 通 センタ-ホテル 参 加 者 32 名 (2) 第 7 回 登 山 研 修 会 in 久 住 山 期 日 2 月 5 日 ( 日 ) 場 所 久 住 山 参 加 者 43 名 担 当 加 藤 功 一 (3) 平 成 24 年 干 支 の 山 竜 峰 山 期 日 3 月 4 日 ( 日 ) 場 所 八 代 市 竜 峰 山 参 加 者 43 名 担 当 安 場 俊 郎 委 員 会 報 告 1 月 委 員 会 期 日 1 月 日 18 時 より 場 所 わくわくランド 参 加 者 工 藤 松 本 廣 永 安 場 田 北 議 題 新 規 登 録 継 続 について 山 の 写 真 展 について 海 外 登 山 報 告 会 1 月 新 年 晩 餐 会 について 支 部 報 原 稿 募 集 について 2 月 委 員 会 期 日 2 月 日 18 時 より 場 所 わくわくランド 参 加 者 工 藤 松 本 廣 永 安 場 田 北 加 藤 功 木 曽 石 井 議 題 巡 視 員 新 規 登 録 継 続 について 2 月 例 会 登 山 について 3 月 干 支 の 山 について 支 部 報 25 号 について 3 月 委 員 会 期 日 3 月 6 日 18 時 より 場 所 わくわくランド 参 加 者 工 藤 松 本 廣 永 安 場 田 北 加 藤 功 木 曽 石 井 議 題 2 月 例 会 登 山 について 3 月 干 支 の 山 について 24 年 度 事 業 計 画 ( 本 部 提 出 用 ) 支 部 報 26 号 について 会 員 動 静 会 友 中 田 良 友 62 歳 合 志 平 成 23 年 度 支 部 年 間 事 業 報 告 (1) 平 成 23 年 度 支 部 総 会 期 日 平 成 23 年 4 月 17 日 ( 日 ) 場 所 交 通 センタ-ホテル 参 加 者 35 名 (2) 4 月 例 会 登 山 いわざくらを 見 る 会 期 日 平 成 23 年 4 月 24 日 ( 日 ) 場 所 五 家 荘 仰 烏 帽 子 岳 参 加 者 28 名 (3) 第 6 回 登 山 教 室 国 見 山 期 日 5 月 22 日 ( 日 ) 場 所 鹿 北 国 見 山 参 加 者 44 名 (4) 九 州 5 支 部 集 会 in 阿 蘇 期 日 6 月 4 日 ~5 日 場 所 阿 蘇 往 生 岳 参 加 者 63 名 (5) 第 1 回 森 林 保 全 巡 視 登 山 三 の 岳 期 日 6 月 26 日 ( 日 ) 場 所 三 の 岳 参 加 者 28 名 (6) 第 4 回 登 山 研 修 会 in 俵 山 期 日 7 月 17 日 ( 日 ) 場 所 阿 蘇 外 輪 山 俵 山 参 加 者 38 名 (7) 第 5 回 登 山 研 修 会 in 菊 池 渓 谷 期 日 8 月 7 日 ( 日 ) 場 所 菊 池 渓 谷 沢 歩 き 参 加 者 28 名 (8) 平 成 23 年 度 ビ-ルパ-ティ 期 日 8 月 27 日 ( 日 ) 場 所 日 本 海 庄 や 参 加 者 32 名 (9) 第 7 回 登 山 教 室 期 日 9 月 11 日 ( 日 ) 場 所 阿 蘇 外 輪 山 清 栄 山 参 加 者 38 名 (10) 第 4 回 九 州 脊 梁 山 脈 トレイルラン 期 日 9 月 23 日 ( 日 ) 場 所 九 州 脊 梁 山 脈 向 坂 山 参 加 者 10 名 (11) 第 2 回 森 林 保 全 巡 視 登 山 高 岳 期 日 10 月 16 日 ( 日 ) 場 所 阿 蘇 高 岳 参 加 者 28 名 (12) 第 27 回 金 峰 山 山 岳 マラソン 期 日 11 月 3 日 ( 日 ) 場 所 金 峰 山 参 加 者 10 名 (13) 平 成 23 年 度 宮 崎 ウエストン 祭 期 日 11 月 5 日 ( 日 ) 場 所 宮 崎 高 千 穂 参 加 者 4 名 (14) 第 4 回 山 の 写 真 展 期 日 12 月 3 日 ( 日 )~15 日 場 所 山 の 店 シェルパ 参 加 者 約 500 名 (15) 平 成 23 年 度 海 外 登 山 報 告 会 期 日 12 月 10 日 ( 日 ) 場 所 山 の 店 シェルパ 参 加 者 32 名 (16) 平 成 24 年 新 年 晩 餐 会 期 日 1 月 14 日 ( 日 ) 場 所 交 通 センタ-ホテル 参 加 者 32 名 (17) 第 6 回 登 山 研 修 会 in 久 住 山 期 日 2 月 5 日 ( 日 ) 場 所 久 住 山 参 加 者 46 名 (18) 平 成 24 年 干 支 の 山 登 山 竜 峰 山 期 日 3 月 4 日 ( 日 ) 場 所 八 代 市 竜 峰 山 参 加 者 43 名 編 集 後 記 忌 まわしい 大 震 災 の 爪 痕 が 心 に 残 る23 年 度 も 終 わり 山 岳 会 では 新 しく 新 公 益 法 人 として 出 発 します この 一 年 を 振 り 返 ってまずまずの 事 業 をこなし 公 益 法 人 の 成 果 を 上 げた1 年 であった 年 間 4 回 発 行 予 定 であった 今 年 の 支 部 報 はやっと3 部 のみの 発 刊 で 若 干 反 省 は 残 ったが 投 稿 者 が 徐 々に 増 えつつあることは 希 望 がもてる 今 年 度 も 多 く の 投 稿 者 を 期 待 したいものです