Title 丸 の 内 OAZO 広 場 常 設 展 示 の 原 寸 大 複 製 品 [ゲル ニカ]について Author(s) 輿 石, まおり Citation デザイン 理 論. 56 P.31-P.44 Issue 2011-05-31 Date Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/11094/53462 DOI Rights Osaka University
学 術 論 文 デザイン 理 論 56/2010 丸 の 内 OAZO お お 広 場 常 設 展 示 の 原 寸 大 複 製 品 [ゲルニカ]について 輿 石 まおり キーワード 原 寸 大 複 製 品, ゲルニカ, 反 戦, パブリックアート Full-size reproduction, Guernica, Pacifism, Public art はじめに 1. 反 戦 の 象 徴 2. 原 寸 大 複 製 品 3.パブリックアート[ゲルニカ] A. 都 市 無 差 別 空 襲 B. 象 徴 の 生 成 おわりに はじめに ピカソ(Pablo Picasso,1881-1973)による Guernica (1937 年 5 6 月,カンバス 地, 油 彩,349 777cm,1992 年 7 月 26 日 以 降 Museo National Centro de Arte Reina Sofia, Madrid, Spain 所 蔵, 図 1)は 反 戦 の 象 徴 として 位 置 づけられてきた 反 戦 と 結 びついた Guernica の 独 特 且 つ 印 象 的 な 画 像 は, 現 在 に 至 るまで, 後 進 の 作 家 が 作 品 のモチーフとする 他, 反 戦 活 動 に 係 るポスター,ステッカー, 看 板,T シャツ 等 にも 引 用 されてきた 1 そこに, 近 年, 故 人 であることからピカソ 本 人 の 承 諾 は 欠 くが, 合 法 的 に 工 図 1 Guernica 31
業 的 過 程 を 経 て 制 作 した Guernica の 原 寸 大 複 製 品 をパブリックアート(Public art)として 展 示 する 例 が 新 たに 加 わる 2004 年 にオープンした 丸 の 内 OAZO( 以 下 では, OAZO,とする) 2 は 東 京 都 千 代 田 区 丸 の 内,JR 東 京 駅 周 辺 の 再 開 発 により 誕 生 したオフィスビル 群, 複 合 商 業 施 設 である OAZO 1 階 の お お 広 場 には 3 Guernica を 原 品 に 大 塚 オーミ 陶 業 株 式 会 社 が 原 寸 大 にて 製 作 した 複 製 美 術 陶 板 による 壁 画 (1997 年, 縦 2 列 横 6 枚 の 合 計 12 枚 から 成 る,Succession Picasso-Paris よ り 許 諾,Museo National Centro de Arte Reina Sofia, Madrid, Spain よりポジフィ ルムを 借 用 して 製 作, 有 償 貸 与, 所 有 者 は 大 塚 オー ミ 陶 業 株 式 会 社, 管 理 者 は 財 団 法 人 彫 刻 の 森 美 術 館 および 三 菱 地 所 ビルマネジメント 株 式 会 社 4 原 品 との 区 別 のため 以 下 では,[ゲルニカ],とする)が 世 界 永 久 平 和 への 希 求 5 を 託 した, 東 京 のシン ボルとなることへの 期 待 6 をかけたパブリック アート( 以 下 では,パブリックアート[ゲルニカ], とする)として 常 設 展 示 ( 図 2)される Guernica は 工 業 的 過 程 を 経 る 量 産 を 前 提 に 制 作 され, 原 品 と 複 製 を 区 別 しないマルティプル (multiples)ではない Guernica をモチーフに したタペストリー(1955 年 制 作 は 後 述 1978 年 制 作 には 赤 茶 色 の 縁 有 り 1983 年 制 作 は 群 馬 県 立 近 代 美 術 館 所 蔵, 灰 茶 色 の 縁 有 り 7 いずれも Aubusson で 作 製 )が3 点 制 作 されているが,それら 作 品 はピ カソが 監 修 した Guernica のバリエ ションで あり, 本 稿 で 取 り 上 げる[ゲルニカ]とは 性 格 が 異 なる 工 業 的 過 程 を 経 る 量 産 可 能 な 合 法 的 な 原 寸 大 複 製 品 であり, 美 術 史 に 係 る 美 術 館 及 び 展 覧 会 といった 図 2 丸 の 内 OAZO1 階 広 場 撮 影 者 : 神 蔵 理 恵 子 撮 影 期 日 :2009 年 2 月 7 日 32
作 家 および 作 品 に 対 する 見 方 を 特 定 する 枠 組 みを 欠 き 8, 反 戦 を 明 示 する 活 動 も 伴 うことなく 公 共 の 場 に 常 設 展 示 されるパブリックアート[ゲルニカ]とは,ピカソの 想 定 外 の 作 品 である 現 在 までのところパブリックアート[ゲルニカ]を 取 り 上 げた 研 究 はない そこで 本 稿 では, Guernica に 係 る 定 説 が 前 提 とされていることを 踏 まえ, 日 本, 東 京 都 の OAZO に 展 示 されているパブリックアート[ゲルニカ]を 検 証, 考 察 し,その 機 能 と 可 能 性 を 明 らかにしたい 1. 反 戦 の 象 徴 第 1 次 世 界 大 戦 (1914-18), 第 2 次 世 界 大 戦 (1939-45 年 8 月 15 日 )を 経 験 し 反 戦 が 世 界 の 共 通 認 識 となったにも 関 わらず 以 降 も 軍 事 的 紛 争 の 絶 えることがなかった20 世 紀 は, 戦 争 の 世 紀,と 云 われる 両 大 戦 の 狭 間 に 制 作 された Guernica は 戦 争 画 の 範 疇 に 留 まらず 反 戦 の 象 徴,20 世 紀 の 記 念 碑 と 位 置 づけられている ピカソは 膨 大 な 数 の 作 品 を 生 み 出 した その 中 でも Guernica に 関 しては,ピカソとその 関 係 者 の 言 及, 時 期 を 違 える 複 数 のインタビュー, 制 作 過 程 を 段 階 的 に 撮 影 した 写 真 等, 様 々な 角 度 から 記 録 が 残 されている 他,ピカソの 存 命 中 から 現 在 に 至 るまで 美 術 史 に 限 らず 専 門 分 野 の 研 究 者 により 様 々な 議 論, 検 証, 考 察 が 行 われてきた 9 それらを 概 観 するならば, Guernica が 反 戦 の 象 徴,20 世 紀 の 記 念 碑 となった 要 因 は 大 きくは2 点,1 作 品 誕 生 の 契 機 と 題 材 が 時 事 的, 公 的 且 つ 具 体 的 な 反 民 主 主 義 勢 力 による 史 上 初 の 都 市 無 差 別 空 襲 (1937 年 4 月 26 日, 内 容 の 詳 細 については 未 だ 検 証 中 であるが 爆 撃 が 行 われたことは 事 実 である)であり, 政 治 色 が 明 確 なパリ 万 博 (EXPO 1937, Exposition International des Arts et Techniques dans la vie Moderne,1937 年 5 月 25 日 -11 月 25 日 )の,スペイン 館 (Pavillon de L Espagne)において 公 表, 展 示 され,その 後 も 戦 火 を 避 け, 現 在 の 所 蔵 先 に 至 るまで 北 欧, 英 国, 北 米 等 の 反 ファシ ズムである 民 主 主 義 国 家 及 び 政 府 間 を 巡 回 し 短 期 または 長 期 保 管 された 経 緯 及 び,その 間 の 諸 事 の 示 す 実 証 性,2 当 時, 既 に20 世 紀 を 代 表 するのみならず 美 術 史 上 の 巨 匠 の1 人 として 認 め られていた 現 役 作 家 ピカソにより, 彼 に 代 表 される20 世 紀 初 頭 に 登 場 した 独 特 の 様 式 キュビス ム(cubisme)において 制 作 されたという 意 義,にある Guernica が 反 戦 の 象 徴,20 世 紀 の 記 念 碑 という 共 通 認 識 を 得 ていることは,その 複 製 品 の 扱 いに 最 も 確 認 できる 例 えば Guernica 制 作 の 契 機 となった 爆 撃 の 現 場 ビスカヤ 県 ゲルニカ(Gernica,Vizcaya)の, 同 県 議 会 議 事 堂 近 くの 野 外 には, 複 数 のタイルで 構 成 さ れた 複 製 品 ( 図 3)が 事 件 の 記 憶 として 設 置 されている 図 3 ビスカヤ 県 ゲルニカのタイル 製 の 複 製 品 33
しかし, 現 在 のところ 最 も 知 られた Guernica の 複 製 品 は 北 米,ニューヨークの 国 際 連 合 本 部 国 連 安 全 保 障 理 事 会 (the United Nations Headquarters, the Security Council)の 議 場 前 に 常 設 展 示 されているタペストリー (1955 年,Aubusson で 作 製, 灰 茶 色, 図 4)であろう 2003 年 2 月 5 日, 当 時 の 北 米 国 務 長 官 パウエル(Colin Luther Powell,1937 年 )が 同 会 議 場 前 にてイラクへの 軍 事 侵 攻 について 記 者 会 見 を 開 いた 際, 同 タペストリーがカーテンで 覆 わ れたことは 記 憶 に 新 しい ここで Guernica が 象 徴 する 反 戦 とは 如 何 なる 内 容 なのか 見 ておこう 2003 年 にイラクへの 軍 事 侵 攻 が 決 行 されたことと 国 際 連 合 本 部 国 連 安 全 保 障 理 事 会 議 会 場 前 のタペストリーが 覆 われた 事 件 は, Guernica の 指 す 反 戦 が, 例 えば 白 鳩 が 象 徴 し 示 唆 する 平 和 とは 異 なる 内 容 であることを 暗 示 するものである 平 和 とは, 戦 争 が 無 く 世 の 中 が 安 穏 であること, 非 戦 の 状 態 をいう 白 鳩 は 平 和 の 象 徴 とし て 最 も 良 く 知 られているものだ 10 先 行 研 究 に 指 摘 されているように,ピカソと 鳩 には 強 い 繋 がりがある ピカソは 鳩 を 度 々 画 面 に 描 き 込 んだ 他, 鳩 を 主 題 とした 作 品 を 数 多 く 描 いている それらの 中 で 最 も 知 られてい るものの1つが, 平 和 の 象 徴 として 白 鳩 を 用 いたポスター( 図 5)である ピカソは 世 界 平 和 会 議 (Congrês Mondial des Partisans de la Paix,1949 年 4 月 20-23 日,Paris, 共 産 党 主 催 )のためにリトグラフ(1949 年 1 月 9 日,70 54.5cm, 木 炭 及 ジンク 淡 彩 )を 提 供 し,ポスター(60 40cm 1000 枚, 120 80cm 1500 枚, 図 5)が 制 作 された 11 ピカソは 白 鳩 を 平 和 の 象 徴 とした 作 品 を 制 作 している ピカ 図 4 国 連 安 全 保 障 理 事 会 議 会 場 前 のタペストリー 図 5 世 界 平 和 会 議 用 ポスター ソの 人 民 戦 線 との 繋 がり, 共 産 党 員 になったこと 等 はピカソが 反 ファシズムであったことを 示 唆 する しかし,それらはピカソが 平 和 主 義 または 非 暴 力 主 義 であったことを 証 明 するもので はない ピカソは 次 世 紀 の 特 徴 が 色 濃 くなる19 世 紀 末 から, 戦 争 の 世 紀 と 呼 称 される20 世 紀 を 生 きた 作 家 である そのピカソが 描 いた 作 品 が Guernica であり, Guernica の 来 歴 が 示 唆 する 反 戦 とは 民 主 主 義 体 制 支 持 のための, 反 ファシズムのための 闘 争 に 他 ならない 平 和 を 目 的 とし 反 戦 に 係 りながらも Guernica と 白 鳩 が 示 す 手 段 は 異 なる Guernica は 戦 闘 を 否 定 はしていない Guernica が 示 唆 する, 戦 争 の 世 紀 と 云 われる20 世 紀 の 時 代 精 神 における 反 戦 とは 非 戦 ではないと 本 稿 は 指 摘 する 34
時 代 の 推 移 に 伴 い 作 品 の 意 味 合 いが 抽 象 化 することはある しかしながら1 題 名 においても 反 ファシズムの 民 主 主 義 体 制 を 支 持 した 戦 争 の 記 録, 歴 史 の 証 拠 であることを 明 示 する,2そ うした 来 歴 が 美 術 史 上 の 脈 絡 として 必 要 不 可 欠 な 情 報 である,3 美 術 館 等 の 見 方 を 特 定 する 枠 組 みにおいて 展 示 される Guernica の 場 合, 例 えば 白 鳩 が 象 徴 する, 無 条 件 で 戦 争 には 反 対 するという 意 味 での 反 戦 を 示 すことは 難 しいだろう このことについては 後 述 する 次 に Guernica の 複 製 品 について 見 ていこう 2. 原 寸 大 複 製 品 既 に 見 たタペストリー,ビスカヤ 県 議 会 議 事 堂 近 くに 野 外 設 置 されているタイル 壁 画 は 合 法 的 に 制 作 されたものだ しかしながら,それら 作 品 は 媒 体 の 別 を 度 外 視 するとしてもサイズ, 色 彩 及 び 枠 の 有 無 等 の 画 面 構 成 が 原 品 とは 明 確 に 異 なり 複 製 の 精 度 が 低 いため, 本 稿 では 原 寸 大 複 製 品 とは 位 置 づけない 本 稿 では 視 覚 的 情 報 ( 色 彩,サイズ)に 特 化 し,それの 原 品 との 合 致 を 原 寸 大 複 製 品 の 基 準 とする これまで 制 作 された Guernica の 原 寸 大 複 製 品 は3 種 類 に 分 けることができる 第 1は 特 定 の 機 会, 例 えば 展 覧 会 での 展 示 のために 制 作 され, 会 期 終 了 後 は 破 棄 するものである 第 2 は 美 術 館 等 をはじめとする 従 来 の 作 品 に 対 する 見 方 を 特 定 する 枠 組 みの 中 で 常 設 展 示 されるも のである 第 3は 第 2には 相 当 しない 常 設 展 示 されるものである 12 第 1のものはあくまで 原 品 の 見 本 であり, 不 完 全 な 原 品 としての 位 置 づけにある 1981 年 9 月 9 日 にニューヨーク 近 代 美 術 館 (the Museum of Modern Art in New York, USA) からプラド 美 術 館 (Museo del Prado, Madrid, Spain)に 返 還, 移 送 された Guernica は 傷 みが 激 しい 等 の 理 由 から, 貸 し 出 しが 原 則 禁 止 となる そのため 原 品 の 見 本 として, 展 覧 会 等 の 作 品 に 対 する 見 方 を 特 定 する 枠 組 みの 中 で 展 示 されること 等 を 条 件 に 原 寸 大 複 製 品 が 制 作 さ れた 例 としては,1995 年 に 広 島 と 長 崎 の 被 爆 及 び 第 二 次 世 界 大 戦 終 戦 50 周 年 を 機 会 に 企 画 さ れた 展 覧 会, 朝 日 新 聞 社 主 催 にて 京 都 国 立 近 代 美 術 館 (10 月 31 日 12 月 17 日 ), 東 武 美 術 館 (12 月 23 日 3 月 10 日 )で 開 催 された ピカソ 愛 と 苦 悩 ゲルニカ への 道 に 展 示 されたも のだ 写 真 媒 体 である 同 原 寸 大 複 製 品 は Guernica の 当 時 の 所 蔵 先 プラド 美 術 館 から 写 真 ポジを 借 用 し,コニカの 最 新 技 術 で 実 物 大 にプリントした 13 ものであった 第 2のものとしては 大 塚 国 際 美 術 館 での 展 示 があげられる 大 塚 国 際 美 術 館 は 大 塚 オーミ 陶 業 株 式 会 社 制 作 の 原 寸 大 の 複 製 美 術 陶 板 を 用 い, 古 代 から 第 1 次 世 界 大 戦 までの 西 洋 絵 画 史 の 流 れを 見 せるという 構 想 において1998 年 に 設 立 された 美 術 館 である 大 塚 美 術 館 には2 点 制 作 された[ゲルニカ]のうち1 点 が 展 示 されている 加 えるな らば, 本 稿 が 取 り 上 げるパブリックアート[ゲルニカ]は OAZO に 展 示 される 以 前, 箱 根 彫 35
刻 の 森 美 術 館 にてピカソ 没 後 30 年 にあたる2003 年 に 開 催 された 特 別 展 ピカソ 再 発 見 の 旅 (2003 年 3 月 20 日 04 年 3 月 14 日 )において 野 外 展 示 された 第 3のものが, 本 稿 が 取 り 上 げる OAZO 展 示 のパブリックアート[ゲルニカ]である OAZO は 都 内 外 及 び 国 内 外 からの 通 勤 及 び 通 学, 観 光 等 の 様 々な 目 的 の, 多 くの 人 々が 止 まることなく 行 き 交 う 東 京 都 の 玄 関 口,JR 東 京 駅 から 徒 歩 数 分 の 場 所 にある JR 東 京 駅 から は 屋 外 のゲート 広 場, 屋 内 の 高 天 井 の OAZO 1 階 の お お 広 場 へとオープンスペースで 繋 がる Guernica は349 777cm という 大 きさの,モノクロの, 独 特 な 表 現 の, 設 置 場 所 の 空 間 を 支 配 し 観 者 を 圧 倒 する 性 質 の, 存 在 感 のある 画 像 である しかし,パブリックアート[ゲル ニカ]は 屋 外 と 屋 内 の 別 が 緩 やかなオープンスペースの, 多 くの 人 々が 行 き 交 う 駅 に 直 結 した 商 業 施 設 という 公 共 の 場 の, 休 憩 や 待 ち 合 わせに 利 用 されるベンチが 並 ぶフリースペースの 壁 面 に 設 置 されていることから, 鑑 賞 の 機 会 を 確 保 しつつ 周 囲 の 環 境 に 溶 け 込 むことに 成 功 して いる 加 えて, お お 広 場 では 様 々な 種 類 のイベントが 催 される 14 こうした 設 置 条 件 は,パブ リックアート[ゲルニカ]が 通 りすがりの,アートに 関 心 が 薄 く 美 術 館 へ 足 を 運 ぶことのない, または 普 段 は 反 戦 や 平 和 を 意 識 しない, Guernica を 知 らない 多 くの 人 々を 観 者 として 獲 得 することを 示 している 恒 久 平 和 の 都 市, 東 京 都 を 表 す 目 的 にあるパブリックアート[ゲルニカ]は, 作 品 の 説 明 プ 15 レートの 内 容 にも 明 らかなように, Guernica に 対 する 評 価, 定 説 を 前 提 に 展 示 されてい る しかし, Guernica に 係 る 第 2 次 世 界 大 戦 を 体 験 した 世 代 の 人 口 に 占 める 割 合 の 僅 かと なった, Guernica が 古 典 に 位 置 づけられる21 世 紀 の 現 在, Guernica の 反 戦 というメッ セージを 実 証 する 作 品 背 景 は 現 在 完 了 ではなく, 過 去 完 了 の 史 実 へと 移 行 しつつある こうし た 状 況 下, Guernica が 従 来 の 美 術 館 等 の 作 品 の 見 方 を 定 める 枠 組 み 外 に,または 反 戦 とは 無 関 係 な 活 動 下 に 置 かれる 場 合, 大 凡 の 観 者 がそれを 反 戦 の 象 徴 と 第 一 義 に 認 識 すると 考 える のは 楽 観 的 に 過 ぎる Guernica の 原 寸 大 複 製 品 をパブリックアートとして 展 示 するという ことは, Guernica に 対 する 見 方 を 既 定 してきた 従 来 の 枠 組 み 外 に Guernica を 展 示 する ということである 更 に 言 えば,21 世 紀 に, 第 2 次 世 界 大 戦 時 に 連 合 国 側 と 対 峙 した 陣 営, 日 本 に 設 置 されるパブリックアート[ゲルニカ]は 反 戦 に 関 して, 原 品 である Guernica の 背 景 に 新 たな 情 報 を 付 加 するものとなると 本 稿 は 指 摘 する 先 行 研 究 が 明 らかにしてきたように Guernica は 自 然 発 生 的 に 反 戦 の 象 徴 となったのでは ない Guernica が 反 戦 の 象 徴 と 成 り 得 た 要 因 は 背 景 の 時 事 性, 実 証 性 とそれらへの 支 持 で ある こうした Guernica の 特 徴 も 鑑 みるならば, Guernica を 前 提 とするパブリック アート[ゲルニカ]を 設 置 する 東 京 都, 日 本 が Guernica とその 定 説 の 宣 伝 に 拘 泥 すること なく,パブリックアート[ゲルニカ]の 設 置 場 所 の 反 戦 に 係 る 情 報 の 公 知 に 焦 点 を 当 て 公 衆 の 36
支 持 を 得 るならば, Guernica の 条 件 付 きであった 限 定 された 反 戦 の 内 容 を 抽 象 化 し 普 遍 的 なものへと 昇 華 させ, Guernica が20 世 紀 の 記 念 碑 という 形 容 を 超 えて 人 類 共 有 の 財 産 とな る 契 機 となる,と 本 稿 は 指 摘 する 以 上 を 踏 まえ,パブリックアート[ゲルニカ]について 見 ていこう 3.パブリックアート[ゲルニカ] A. 都 市 無 差 別 空 襲 Guernica と OAZO 設 置 のパブリックアート[ゲルニカ]の 背 景 を 見 るならば, 反 戦 に 係 る 共 通 項 が1 点 ある それは, 非 戦 闘 員 である 一 般 市 民 が 犠 牲 となった 都 市 無 差 別 空 襲 であ る 東 京 都 は 第 2 次 世 界 大 戦 末 期,1942 年 4 月 18 日 の 奇 襲 であった 初 空 襲 は 除 き,1944 年 11 月 以 降,1945 年 の 敗 戦 降 伏 の 日 までの9ヶ 月 休 みなく100 回 を 超 える 空 爆 を 受 ける その 中 で 最 も 規 模 が 大 きかった 次 の 空 襲 を 指 して 東 京 大 空 襲 という 1945 年 3 月 10 日 未 明, 北 米 軍 B29 爆 撃 機 が 木 造 の 日 本 家 屋 を 念 頭 に 開 発 した M69 焼 夷 弾 を 用 い, 約 2 時 間 に 及 ぶ 絨 毯 爆 撃 を 行 っ た その 結 果, 現 在 の 墨 田 区, 江 東 区, 台 東 区 等 の 人 口 過 密 地 帯 が 大 火 に 覆 われ, 死 者 推 定 10 万 人, 罹 災 者 は100 万 人 を 超 え, 焼 失 面 積 は 全 都 の 大 凡 4 割 約 41 万 km 2 と 報 告 されている 16 欧 州 とは 異 なり 木 造 建 造 物 が 大 半 を 占 めた 戦 前 の 東 京 都 は, 建 造 物 のほとんどを 焼 失 したこ とに 加 え, 高 度 経 済 成 長 期 及 び1964 年 オリンピック 競 技 大 会 の 東 京 都 開 催 を 機 会 とした 都 市 開 発 を 含 め, 戦 後 復 興 の 過 程 で 戦 禍 の 跡 を 払 拭 する 現 在,OAZO 周 辺 をはじめとする 都 心 部 に, 東 京 大 空 襲 の 名 残 を 見 いだすことは 困 難 である 戦 後 45 年 が 経 過 した1990 年, 東 京 都 は3 月 10 日 を 東 京 大 空 襲 の 犠 牲 者 の 追 悼 と 平 和 祈 念 を 目 的 とする, 東 京 都 平 和 の 日,とすることを 条 例 で 定 めた 2002 年 3 月 9 日 には 民 立, 民 営 によ る 東 京 大 空 襲 戦 災 資 料 センター( 東 京 都 江 東 区 北 1-5-4)が 開 館 した 17 が,いずれも 日 本 国 内 においてすら 認 知 度 は 低 い 第 2 次 世 界 大 戦 はこれまで 最 多 の 国 と 最 も 広 域 の 地 域 が 関 わった 戦 争 であり, 世 界 が 当 事 者 として 反 戦 ひいては 非 戦, 平 和 を 議 論 することが 可 能 な 殆 ど 唯 一 の 事 例 である 敗 戦 という 結 果 から 加 害 者 側 という 立 場 が 強 調 される 日 本 が, 如 何 に 人 道 主 義 の 見 地 を 主 張 したところで, 東 京 大 空 襲 を 反 戦 を 訴 えるための 事 例 ひいては 反 戦 の 象 徴 として 国 際 社 会 に 対 して 掲 げること が 困 難 であることは 想 像 するに 易 い しかし, 地 球 規 模 で, 観 点 を 異 にする 人 々にあらゆる 角 度 から 訴 える 必 要 がある 反 戦 は, 戦 争 の 勝 敗 の 結 果 を 問 わず 関 係 国 総 てが 一 様 に 訴 えることは 理 想 としても, 少 なくとも 勝 敗 を 分 けた 両 陣 営 から 声 が 挙 がることが 必 要 不 可 欠 且 つ 重 要 であ ると 本 稿 は 指 摘 する 37
1945 年 8 月 6 日 広 島 に,9 日 長 崎 に, 日 本 に 投 下 された2つの 原 爆 については, 使 用 された 爆 弾 の 特 殊 性 から 第 2 次 世 界 大 戦 時 の 陣 営 の 別 を 問 わず 非 難 の 声 があがり, 現 在, 広 島 と 長 崎 は 反 戦 ( 含 反 核 )の 象 徴 としてある しかし, 同 様 にまたはそれ 以 上 の 犠 牲 者 を 出 したとされ る, 東 京 都 をはじめ 世 界 の 複 数 の 都 市 が 経 験 した 都 市 無 差 別 空 襲 については,そうではない 戦 争 の 禍 は 前 線 に 立 つ 戦 闘 員 だけではなく 非 戦 闘 員 の, 敵 味 方 を 問 わず 総 ての 一 般 市 民 に 関 わる 問 題 である 参 戦 すれば 総 ての 人 が 勝 敗 に 関 係 なく 犠 牲 となり 人 生 を 無 駄 にするという 現 実 は, 東 京 大 空 襲 をはじめとする 都 市 無 差 別 空 襲 が 最 も 実 証 するところだ しかしながら 戦 争 を 回 避 する 一 方 策 として 第 2 次 世 界 大 戦 終 戦 後, 多 くの 国 が 採 った 選 択 は 戦 争 抑 止 力 を 頼 んだ, 強 い 国 際 的 発 言 力 の 獲 得 にも 直 結 する 軍 備 増 強 と 核 保 有 である 更 にいえば, 地 球 破 壊 および 人 類 滅 亡 に 直 接 係 る 原 爆, 水 爆, 生 物 化 学 兵 器 等 の 特 殊 兵 器 を 使 用 しないことを 条 件 に 都 市 無 差 別 空 襲 は, 第 2 次 世 界 大 戦 終 戦 以 降 の 戦 時 の 常 套 手 段 として 暗 黙 の 了 解 を 得 た 感 もある 18 都 市 無 差 別 空 襲 に 対 する 第 2 次 世 界 大 戦 後 の 世 界 の 対 応 は, 都 市 無 差 別 空 襲 を 題 材 とした Guernica が 象 徴 する20 世 紀 の 反 戦 が 条 件 付 きであることを 証 明 するものだが,こうした 条 件 は 如 何 にして 付 加 されたのだろうか B. 象 徴 の 生 成 国 際 連 合 本 部 国 連 安 全 保 障 理 事 会 の 議 場 前 に Guernica のタペストリーを 常 設 展 示 する 等, Guernica を 反 戦 の 象 徴 として 認 識 し 率 先 して 支 持 してきたのは 英 国, 北 米, 仏 国 をはじめ とする 国 際 連 合 の 常 任 理 事 諸 国, Guernica の 戦 火 を 避 けた 巡 回 と 保 管 先 に 係 る 第 2 次 世 界 大 戦 の 戦 勝 国 側 である 既 に 指 摘 したように, Guernica は 無 条 件 で 戦 争 に 反 対 するという 意 味 での 反 戦 を 示 すものではない Guernica が 示 す, 民 主 主 義 を 脅 かすファシズムに 対 し 平 和 を 取 り 戻 すための 戦 いは, 例 えば 国 際 連 合 本 部 国 連 安 全 保 障 理 事 会 が 是 認 したイラク 空 爆 の 際 に 掲 げられた 大 儀 名 文 (テロとの 戦 い 等 )と 一 致 する 内 容 である 平 和 を 祈 念 し, 安 寧 秩 序 を 模 索 し 続 けた 第 2 次 世 界 大 戦 後 の 世 界 ではあるが, 常 に 地 球 上 の どこかで 戦 闘 が 行 われている 状 態 にある 地 球 破 壊, 人 類 破 滅 に 繋 がる 原 爆 等 の 特 殊 兵 器 の 使 用 の 原 則 禁 止 に 合 意 した 第 2 次 世 界 大 戦 後 の 世 界 では,こうした 戦 闘 状 態 の 多 くは 非 戦 闘 員 を 犠 牲 者 とする 都 市 無 差 別 空 襲 に 対 する 内 外 からの 非 難 を 契 機 に 停 戦 に 至 ってきた しかしなが ら,イラク 空 爆 後 がそうであったように20 世 紀 末 以 降, 都 市 無 差 別 空 襲 は 停 戦 ではなくテロの 連 鎖 に 繋 がる 傾 向 を 強 める Guernica が 題 材 とした 都 市 無 差 別 空 襲 は 第 2 次 世 界 大 戦 後 も 反 戦 の 死 角 として 残 り, 現 在,テロを 生 み 出 す 原 因 の1つとなっている 以 上 を 念 頭 に, 次 に Guernica が 象 徴 する 反 戦 がこうした 状 況 に 帰 着 した 理 由 とそれを 是 正 する 方 法 を 見 ていこう 38
既 存 の 象 徴 は 普 遍 性, 永 続 性 に 優 れるが, 例 えば 白 鳩 で 平 和 を 示 唆 するように 抽 象 的 なもの を 具 象 ( 普 通 名 詞 )で 例 えるため 具 体 性, 現 実 みに 欠 ける アートは 時 代, 文 化, 人 種 等 の 様 々な 差 異 を 超 えて 人 々に 訴 える 力 を 持 つが 多 義 的 である ポスター 等 の 時 事 性, 実 証 性 の 提 示 を 必 須 とする 広 告 は 特 定 のメッセージを 強 力 に 正 確 に 伝 達 し 人 々に 共 有 させる 機 能 に 優 れる が,その 効 果 は 大 凡 の 場 合, 限 定 的 である 先 行 研 究 が 示 してきたように Guernica はアートであるが 伝 達 内 容 の 焦 点 を 絞 る 時 事 性, 実 証 性 を 特 徴 の1つに 持 つ 戦 勝 国 が 主 導 した 第 2 次 世 界 大 戦 後 の 世 界 は,こうしたアートで ありながらも 広 告 の 特 徴 を 兼 ね 備 える Guernica に 地 球 規 模 で 展 開 する 象 徴 としての 優 れた 効 力 を 期 待 し,20 世 紀 の 現 実 を 踏 まえた 反 戦 の 象 徴 として 選 択 したと 本 稿 は 指 摘 する 問 題 は, 今 日 私 たちが 共 有 する Guernica が 訴 えるとされる 反 戦 の 内 容 ( 反 ファシズム, 民 主 主 義 支 持 )が 戦 勝 国 側 の 観 点 に 偏 ったものである 点 だ 偏 向 が 生 じた 要 因 は, 既 に 見 た1 Guernica の 時 事 性, 実 証 性 の 内 容 の 他,2ピカソ 研 究 は 英 国, 北 米, 仏 国 等 の 戦 勝 国 側 が 主 導 してきたものであること,3ピカソとその 作 品 に 関 する 定 説 は2が 支 持 する 内 容 であるこ と,4ピカソとその 作 品 に 対 する 見 方 を 定 める 美 術 館 等 の 枠 組 みは3を 基 準 としたものである こと,5 公 衆 はもちろん Guernica に 係 る 各 専 門 分 野 の 研 究 者 も 第 一 に3を 基 盤 に Guernica を 鑑 賞 し 理 解 してきたこと,の5 点 にあると 本 稿 は 指 摘 する 更 にいえば,こう した Guernica の 特 定 された 観 点 と 相 応 する, 第 2 次 世 界 大 戦 後 の 世 界 の 戦 勝 国 側 の 観 点 に 偏 った 平 和 への 取 り 組 みから, Guernica が 題 材 とした 都 市 無 差 別 空 爆 は 反 戦 の 死 角 として 残 され, 結 果 として,20 世 紀 後 半 以 降 のテロの 増 加 拡 大 に 繋 がったと 本 稿 は 指 摘 する 以 上 に 見 た Guernica の 反 戦 の 象 徴 に 係 る 問 題 には 解 決 の 可 能 性 はあるのだろうか Guernica が20 世 紀 に 反 戦 の 象 徴 と 成 り 得 た 要 因 が 同 時 に 問 題 を 生 み 出 したと 見 るならば, 従 来 の Guernica に 係 る 観 者 の 観 点 への 規 制 を 解 除 し Guernica の 多 義 性 を 解 放 した 中 に, 例 えば 都 市 無 差 別 空 爆 を 筆 頭 とする 反 戦 の 死 角 を 無 くす 糸 口 が 示 唆 されるのではないだろ うか Guernica の 多 義 性 を 解 放 する 一 方 法 としてパブリックアート[ゲルニカ]に 本 稿 は 注 目 する 第 2 次 世 界 大 戦 後,20 世 紀 の 後 半 期 を 戦 勝 国 側 の 反 戦 の 意 志 を 象 徴 し 担 ってきた Guernica であるが,その Guernica を 原 品 に, 美 術 館 等 の 既 存 の 枠 組 み 外 に, 都 市 無 差 別 空 爆 を 経 験 した 東 京 都 の 恒 久 平 和 を 祈 念 して 設 置 されたものがパブリックアート[ゲルニカ]である し かし,パブリックアート[ゲルニカ]をただ 設 置 し, 原 品 である Guernica が 示 唆 する 従 来 からの 反 戦 の 内 容 を 復 唱 するだけではパブリックアート[ゲルニカ]が Guernica の 多 義 性 を 解 放 し, 平 和 の 象 徴 として 新 たに 機 能 することは 適 わない パブリックアート[ゲルニカ]を 設 置 する 東 京 都, 日 本 と Guernica を 反 戦 の 象 徴 として 39
支 持 してきた 第 2 次 世 界 大 戦 の 戦 勝 国 側 とは 平 和 祈 念 を 共 有 する 重 要 な 点 は, 敗 戦 国 であり 戦 後 は 北 米 をはじめとする 各 戦 勝 国 と 友 好 関 係 を 築 き, 平 和 を 維 持 してきた 日 本 は, 戦 勝 国 側 の 観 点 を 否 定 するのではなく,それとは 異 なる 観 点 を 加 えて, 世 界 に 向 けて 反 戦 を 訴 えること が 可 能 であることだ パブリックアート[ゲルニカ]が 機 能 し Guernica が 平 和 の 象 徴 とし て 新 たに 機 能 するためには,パブリックアート[ゲルニカ]を 設 置 する 東 京 都, 日 本 が Guernica に 係 る 第 2 次 世 界 大 戦 の 戦 勝 国 側 とは 異 なる 観 点 から, 平 和 のための 反 戦 を 実 証 的 に 訴 えることが 必 要 不 可 欠 なのだ 既 に 見 たように, 第 2 次 世 界 大 戦 後 の 世 界 は 核 をはじめとする 特 殊 兵 器 の 不 使 用 を 第 一 義 と し, 誤 爆 を 許 容 することに 明 らかなように 都 市 無 差 別 空 爆 を 二 義 的 な 問 題 と 位 置 づけ, 戦 時 の 不 可 避 な 事 態 として 暗 黙 のうちに 許 容 してきた しかし21 世 紀 初 頭, 時 勢 は 核 を 抜 本 的 に 議 論 する 機 会 を 得 る 核 の 扱 いを 筆 頭 に 平 和 のあり 方 を 再 構 築 する 時 機 にあることは,2009 年 9 月 23 日 国 連 総 会 一 般 討 論 での 初 演 説 において 核 無 き 世 界 の 実 現 を 目 標 に 挙 げたオバマ 米 大 統 領 (1961-, Barack Hussein Obama Jr.)が,2009 年 10 月 9 日,2009 年 度 ノーベル 平 和 賞 を 受 賞 したこと, 更 には2009 年 10 月 15 日 の 国 連 総 会 第 1 委 員 会 ( 軍 縮 安 全 保 障 )で 最 大 の 核 保 有 国 である 北 米 が, 核 兵 器 全 廃 を 目 指 す 決 議 案 を, 日 本 を 含 む41ヶ 国 とともに 共 同 提 出 したことに 示 唆 される 日 本 に 係 る 事 柄 では,2009 年 9 月 14 日 ウイーンで 開 催 された 国 際 原 子 力 機 関 (IAEA) 年 次 総 会 にて 日 本 の 天 野 之 弥 (1947-, 前 ウイーン 国 際 機 関 代 表 部 大 使 )が 次 期 事 務 局 長 に 正 式 承 認 され,2009 年 9 月 24 日, 鳩 山 由 紀 夫 首 相 (1947-)は 国 連 安 全 保 障 理 事 会 の 核 軍 縮 不 拡 散 に 関 する 首 脳 級 特 別 会 合 にて 非 核 三 原 則 を 堅 持 する 決 意 を 強 調 し, 更 に 世 界 の 核 廃 絶 の 先 頭 に 立 つ 決 意 を 表 明 した 世 界 が 新 たな 平 和 のあり 方 とその 構 築 を 模 索 する 中, 唯 一 の 核 被 爆 国 である 日 本 の 平 和 への 取 り 組 みは 国 際 的 な 注 目 と 期 待 を 集 めるものである そうした 中, 日 本 に 設 置 されたパブリッ クアート[ゲルニカ]が 機 能 する, 都 市 無 差 別 空 襲 の 東 京 大 空 襲 を 背 景 に 反 戦 を 訴 えるという 19 ことは, 核 廃 絶 に 止 まらない 非 戦 を 第 一 義 とする 反 戦 の 価 値 とその 実 行 の 可 能 性 を 世 界 に 訴 える 一 端 となることは 明 らかだ 東 京 都, 日 本 は,パブリックアート[ゲルニカ]の 設 置 を1つの 契 機 に1 勝 敗 や 陣 営 の 別, 戦 闘 員 か 否 かに 関 わらず 戦 争 が 起 こる 限 り 人 々が 被 る 災 禍,2 平 和 を 守 ることによってもたら される 恩 恵,の2つの 現 実 を 基 に 反 戦 ひいては 非 戦 を 訴 えることで,(1) 戦 争 の 世 紀 と 称 され た20 世 紀 が 掲 げた 反 戦 の 欠 如 部 分 を 補 完 し 総 括 し,(2) 世 界 が 共 有 しうる 反 戦 の 象 徴, 人 類 共 有 の 財 産 として Guernica を 更 生 させ21 世 紀 に 橋 渡 しする 一 端 を 担 うことが 可 能 であると 本 稿 は 指 摘 する 40
おわりに 本 稿 では, Guernica を 原 品 に 制 作 された 原 寸 大 複 製 品 の, 日 本, 東 京 都 の OAZO に 展 示 されているパブリックアート[ゲルニカ]の 機 能 と 可 能 性 を 検 証, 考 察 した 本 稿 で 明 らか になったことを 以 下 にまとめておこう 戦 争 の 世 紀 と 称 される20 世 紀, 第 1 次 世 界 大 戦 と 第 2 次 世 界 大 戦 の 狭 間 に 反 ファシズム, 民 主 主 義 支 持 を 背 景 に Guernica は 誕 生 する 地 球 上 の 複 数 の 異 なる 国 と 地 域 が 一 度 に 関 わり, 地 球 破 壊, 人 類 滅 亡 に 繋 がる 兵 器, 原 爆 が 登 場 した 世 界 大 戦 を 経 験 した20 世 紀 後 半 以 降, 地 球 規 模 で 一 様 に 訴 えることが 反 戦 運 動 の 課 題 となる 美 術 史 上 において 生 前 から20 世 紀 の 巨 匠 と 位 置 づけられたピカソによる,20 世 紀 に 誕 生 した ピカソに 代 表 される 独 特 の 手 法 キュビスムを 用 いた, 時 事 的 な 史 上 初 となる 都 市 無 差 別 空 襲 を 題 材 に 描 いた Guernica は 第 2 次 世 界 大 戦 の 戦 勝 国 側 の 支 持 を 得, 第 2 次 世 界 大 戦 終 戦 後, 反 戦 の 象 徴 として 掲 げられる 時 代, 文 化, 民 族, 人 種 等 の 差 異 を 超 えて 人 々に 訴 える 効 果 を 持 つアートは 同 一 のメッセー ジを 人 々に 伝 達 し 共 有 させようとする 場 合, 伝 達 内 容 が 多 義 となる 点 に 問 題 がある しかし Guernica は 時 事 性, 実 証 性 を 伴 うことから,こうしたアートに 係 る 特 性 を 解 決 する, 世 界 規 模 で 展 開 する 反 戦 の 象 徴 として 遇 される 問 題 は, Guernica が 示 唆 する 反 戦 が 第 2 次 世 界 大 戦 の 戦 勝 国 側 の 見 解 が 強 調 されたものであり, 民 主 主 義 を 支 持 し 平 和 を 取 り 戻 すためとい う 題 目 であるならば 戦 争 を 暗 に 容 認 するというものであったことだ そのため 第 2 次 世 界 大 戦 終 戦 後, 広 島 と 長 崎 に 投 下 された 原 爆 等 の 特 殊 兵 器 の 使 用 は 抑 制 されたものの, Guernica が 題 材 とした 都 市 無 差 別 空 襲 は 反 戦 の 死 角 となるという 矛 盾 が 生 じることとなる 結 果 として, Guernica が 象 徴 する 反 戦 に 賛 同 する 戦 勝 国 が 軍 備 増 強 と 核 保 有 を 率 先 躬 行 し, 他 の 国 々も 国 際 的 発 言 力 の 獲 得 と 戦 争 抑 止 力 の 観 点 からそれに 倣 う 事 態 となる 結 局, 地 球 規 模 で 反 戦 を 訴 え 平 安 安 寧 を 模 索 し 続 けた 第 2 次 世 界 大 戦 後 も 地 域 紛 争 は 収 まらず,しばらくの 間 は 停 戦 の 契 機 となっていた 都 市 無 差 別 空 襲 はテロの 温 床 に 変 わる 第 2 次 世 界 大 戦 終 戦 後 の, 戦 勝 国 側 の 見 解 に 沿 った 反 戦 の 内 容 に 見 直 しが 必 要 であることは,こうした 世 界 の 現 状 に 明 らかである 様 々な 観 点 が 混 在 する 地 球 を 範 疇 に 反 戦 を 訴 え, 非 戦 を 基 盤 とした 平 和 を 共 通 認 識 とするた めには, 従 来 のように 第 2 次 世 界 大 戦 の 戦 勝 国 側 の, 限 られた 観 点 ( 反 ファシズムと 民 主 主 義 支 持 )から 訴 える 方 法 は 有 効 ではない 現 今, 反 戦 の 要 諦 は 複 眼 的 に 訴 えることにある 第 2 次 世 界 大 戦 終 戦 以 降, 反 戦 の 象 徴 として 掲 げられてきた Guernica はアートであるこ とから 本 来, 多 義 性 を 有 する しかし1ピカソ 研 究 は 戦 勝 国 側 が 主 導 するものであったこと, 2 美 術 館 等 の 作 品 の 見 方 を 特 定 する 枠 組 みが1に 準 じてきたことから, Guernica は 戦 勝 国 側 の 見 解 に 偏 向 した 一 面 的 な 反 戦 の 内 容 を 提 示 するに 止 まってきた 今 後 も Guernica が 反 41
戦 の 象 徴 であり 続 けるためには,アートとしての 多 義 性 を 取 り 戻 すことで 様 々な 観 点 から 反 戦 を 訴 えることが 必 要 不 可 欠 となる そのためには 従 来 の 見 方 を 特 定 する 枠 組 み 外 に Guernica を 置 くことが 求 められるが, 現 所 蔵 先 から 門 外 不 出 であることも 含 め 実 現 は 絶 望 的 である しかし21 世 紀 初 頭,そうした 局 面 を 打 開 する Guernica を 原 品 とする 原 寸 大 複 製 品,パ ブリックアート[ゲルニカ]が 登 場 する パブリックアート[ゲルニカ]は 日 本 の 首 都, 東 京 都 の 玄 関 口 東 京 駅 の, 商 業 施 設 OAZO の 各 種 イベントが 開 催 される, 休 憩 と 待 ち 合 わせ 場 所 であるオープンスペースに 展 示 される こうした 設 置 条 件 はパブリックアート[ゲルニカ]が Guernica を 知 らずアート, 反 戦, 平 和 に 関 心 の 薄 い 人 々を 含 め, 不 特 定 多 数 の 人 々を 日 々 観 者 として 獲 得 することを 示 す 最 も 重 要 な 点 は,パブリックアート[ゲルニカ]が 第 2 次 世 界 大 戦 の 敗 戦 国 日 本 の, 同 大 戦 期 に 都 市 無 差 別 空 襲 を 経 験 した 東 京 都 に 設 置 されたことだ 日 本 は 戦 後, 平 和 を 維 持 し, 戦 勝 国 側 との 友 好 関 係 を 築 くと 共 に 平 和 祈 念 を 共 有 してきた こうしたことから OAZO 設 置 のパブリック アート[ゲルニカ]は 従 来 の Guernica に 係 る 戦 勝 国 側 の 反 戦 の 見 解 を 否 定 することなく, それとは 異 なる 観 点, 例 えば 都 市 無 差 別 空 襲 という 反 戦 の 死 角 を 無 くすこと, 従 来 の 反 戦 に 非 戦 価 値 とその 実 行 の 可 能 性 を 加 味 し 訴 えることを 可 能 とするものなのだ しかし 単 に 設 置 し, Guernica に 係 る 従 来 の 情 報 を 反 復 し 宣 伝 するだけではパブリック アート[ゲルニカ]は 機 能 しない パブリックアート[ゲルニカ]が 機 能 するためには, 展 示 に 伴 い 従 来 とは 異 なる 観 点 から 反 戦 を 実 証 的 に 訴 え 新 たな 観 点 を 展 開 させることが 必 要 不 可 欠 である 第 2 次 世 界 大 戦 の 敗 戦 国 である 日 本 には, 東 京 都 のパブリックアート[ゲルニカ]の 設 置 を1つの 契 機 に 自 らが 経 験 した 都 市 無 差 別 空 爆, 東 京 大 空 襲 を 示 すことが 求 められる パ ブリックアート[ゲルニカ]が 機 能 するということは,1 戦 争 の 世 紀 と 称 された20 世 紀 が 掲 げ た 反 戦 の 欠 如 部 分 が 補 完, 総 括 され,2 Guernica が 反 戦 の 象 徴 として 進 化 し, 世 界 が 共 有 しうる 反 戦 の 象 徴, 人 類 共 有 の 財 産 として21 世 紀 に 橋 渡 しされることに 繋 がるのだ 本 稿 では,パブリックアート[ゲルニカ]の 設 置 に 係 る 機 能 と 可 能 性 に 焦 点 を 当 てたことか ら,パブリックアート[ゲルニカ]の 要 点 の1つ,20 世 紀 末 に 登 場 した 合 法 的 な 原 寸 大 複 製 品, デジタルアーカイブという 要 素 については 割 愛 した これらについては 稿 をあらためて 論 じる ものとする 謝 辞 パブリックアート[ゲルニカ]についての 調 査 では 大 塚 オーミ 陶 業 株 式 会 社 営 業 部 の 冨 増 佳 晴 氏 をはじめ, 神 蔵 理 恵 子 氏 他 ご 協 力 頂 いた 多 くの 皆 様 に 心 より 感 謝 致 します 42
註 本 文 中 の 敬 称 は 省 略 した 別 途 に 表 記 していない 場 合,URL 最 終 確 認 期 日 は2009 年 9 月 9 日 である 1 Not in Our Name http://www.notinourname.net/ 他 2 丸 の 内 OAZO http://www.oazo.jp/ 3 大 塚 オーミ 陶 業 株 式 会 社 http://www.ohmi.co.jp/ 4 三 菱 地 所 ビルマネジメント 株 式 会 社 及 び 大 塚 オーミ 陶 業 株 式 会 社 営 業 部 冨 増 佳 晴 様 よりご 教 示 いただきまし た 大 塚 オーミ 陶 業 株 式 会 社 では 制 作 年 をもって 作 品 を 管 理 しているため 完 成 年 のみ 公 表 ( 最 終 確 認 日 : 2009 年 11 月 17 日 付 ) 5 三 菱 地 所 ビルマネジメント 株 式 会 社 よりご 教 示 いただきました(2009 年 2 月 9 日 付 ) 6 同 上 7 群 馬 県 立 近 代 美 術 館, 海 外 近 代 美 術 コレクション(2009 年 3 月 9 日 付 )http://www.mmag.gsn.ed.jp/ 他 8 Guernica に 係 る 定 説 に 沿 った 作 品 解 説 のプレートは[ゲルニカ]に 向 かって 右 手 下 に 掲 示 されているが 小 型 であり 掲 示 位 置 も 低 い 作 品 鑑 賞 を 目 的 とした 美 術 展 等 の 環 境 下 ではないこともあり,このプレートに 注 意 を 向 ける 人 は 皆 無 といっていい 9 単 著 では Barr Jr., Alfred Hamilton Picasso:Fifty Years of His Art, 1946, the Museum of Modern Art, NY( 植 村 鷹 千 代 訳 ピカソ 芸 術 の 五 十 年 1952, 創 元 社 ) Arnheim, Rudolf Genesis of a Painting: Picasso s Guernica. 1962, University of Calfornia Press, Los Angels Blunt, Anthony Picasso s Guernica 1969, Oxford University Press, London( 荒 井 信 一 訳 ピカソ ゲ ルニカ の 誕 生 1981,みすず 書 房 ) 神 原 泰 ピカソ 礼 賛 1975, 岩 波 書 店 Penrose, Roland Picasso, His Life and Work 1971, Pelican Books ( 高 階 秀 爾, 八 重 樫 春 樹 訳 ピカソ そ の 生 涯 と 作 品 1978, 新 潮 社 ) the Museum of Modern Art Pablo Picasso 1981, the Museum of Modern Art, NY( 山 田 智 三 郎, 瀬 木 慎 一 訳 監 修 パブロ ピカソ 天 才 の 生 涯 と 芸 術 1981, 旺 文 社 ) 神 吉 敬 三 編 解 説 ピカソ 全 集 5 幻 想 の 時 代 1981, 講 談 社 Regnier, Gērard Ocaňa, Marĭa Terera 神 吉 敬 三, 大 高 保 二 郎 監 ピカソ 愛 と 苦 悩 ゲルニカ への 道 1995, 東 武 美 術 館, 朝 日 新 聞 社 他 雑 誌 掲 載 では Spender, Stephen GUERNICA:Picasso s Guernica, at the New Burlington Gallery. The New Statesman and Nation, UK(1938 年 10 月 15 日 )pp. 567-568 Hinks, Roger ART, Guernica., The Spectator, UK(1938 年 10 月 28 日 )p. 712 Cooper, Douglas Picasso s Guernica installed in the Prado, The Burlington Magazine, UK ( )950 号 124 巻,pp. 288-289, 291-291 他 10 神 原 泰 ピカソ 礼 賛 1975, 岩 波 書 店 pp. 231-237 他 43
11 当 時 制 作 された 枚 数 のみを 挙 げた 同 ポスターは 好 評 のため 同 会 議 以 降 も 複 写 刊 行 された 他, 関 連 会 議 に 文 字 情 報 を 換 えたポスターが 制 作 された 白 鳩 の 箇 所 は 切 手 の 図 柄 としても 採 用 される 12 小 島 道 祐 博 物 館 とレプリカ 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 研 究 報 告 第 五 〇 1993, 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 13 朝 日 新 聞 社 事 業 本 部 文 化 事 業 部 ピカソ 展 係 (event-info@asahi.com 2009 年 2 月 4 日 付 )よりご 教 示 頂 き ました 著 作 権 の 承 諾 も 含 め, 展 覧 会 期 中 の 展 示 のみを 目 的 としており, 展 覧 会 終 了 後, 写 真 は 破 棄 ( 中 略 ) 制 作 するための 写 真 の 原 板 は,プラド 美 術 館 から 借 用 して, 既 に 返 却 済 み 14 音 楽 のライブコンサート,トークショー, 文 化 芸 術 イベント 及 び 展 示 等 例 第 1 回 お お 広 場 お 披 露 目 イ ベント, 日 時 :2005 年 4 月 22 日 ~ 24 日, 内 容 :ピカソ タペストリー 展 示,ゲルニカ 製 作 工 程 展 示 ゲル ニカへの 道, 小 松 原 庸 子 スペイン 舞 踊 団 フラメンコ 公 演,MODEA(NPO 法 人 街 角 に 音 楽 を 所 属 アーティスト)クラッシックコンサート 主 催 : 丸 の 内 オアゾ 街 区 事 業 者, 丸 の 内 オアゾ 商 店 会, RIJ 難 民 の 子 供 たちに 光 を チャリティキャンペーン 日 時 :2007 年 12 月 4 日 ~ 10 日, 内 容 :RI ジャパン( 国 際 難 民 奉 仕 会 )による 募 金 キャンペーンイベント 他 三 菱 地 所 ビルマネジメント 株 式 会 社 SC 事 業 部 業 務 統 括 室 よりご 回 答 いただきました(2009 年 2 月 9 日 付 ) 15 邦 文 と 英 文 が 併 記 Guernica と 複 製 美 術 陶 板 について 説 明 されている 以 下 は Guernica についての 邦 文 による 説 明 の 抜 粋 ゲルニカ( 原 品 )1937 年 制 作 パブロ ピカソ(スペイン)1881-1973 1937 年, フランコ 将 軍 の 要 請 でナチス ドイツ 軍 はスペインの 古 都 ゲルニカを 全 壊 させた この 暴 挙 に 衝 撃 を 受 けた ピカソは 二 ヶ 月 足 らずで 大 壁 画 を 完 成,パリ 万 博 のスペイン 館 で 発 表 した 爆 撃 の 直 接 的 な 表 現 は 避 け, 鮮 やかな 明 暗 の 対 比 のうちに, 故 国 スペインの 悲 劇 を 象 徴 的 に 描 ききった ゲルニカ は,20 世 紀 という 戦 争 の 世 紀 にあって 平 和 への 希 求 をこめた 記 念 碑 的 作 品 となった 16 東 京 大 空 襲 戦 災 誌 編 集 委 員 会 東 京 大 空 襲 戦 災 誌 第 3 巻 軍 政 府 ( 日 米 ) 公 式 記 録 集 1973, 財 団 法 人 東 京 空 襲 を 記 録 する 会 東 京 大 空 襲 戦 災 誌 編 集 委 員 会 東 京 大 空 襲 戦 災 誌 第 4 巻 報 道 著 作 記 録 集 1973, 財 団 法 人 東 京 空 襲 を 記 録 する 会 東 京 空 襲 を 記 録 する 会 東 京 大 空 襲 の 記 録 1982, 三 省 堂 石 川 光 陽, 森 田 写 真 事 務 所 編 グラフィック レポート 東 京 大 空 襲 の 全 記 録 1992, 岩 波 書 店 他 17 同 センター 開 館 においては 国, 都, 区 からの 公 的 援 助 を 断 念 する 18 例 :2008 年 12 月 27 日 イスラエル 軍 によるパレスチナ 自 治 区 ガザへの 空 爆 19 日 本 の, 北 米 の 核 の 傘 下 にあるという 特 殊 条 件 の 如 何 についての 議 論 は 今 後 必 須 となるだろう 44