第 2 節 小 学 生 の 学 校 形 態 別 の 比 較 これまで カリキュラム 上 の 位 置 づけ および 内 容 の 面 から 一 般 小 学 校 (スコラ) とマドラサの 共 通 点 と 相 違 点 についてみてきたが それぞれの 学 校 に 通 う 子 どもたち の 実 際 の 様 子 はどのようになっているのであろうか あるいは それぞれの 学 校 の 社 会 的 な 役 割 や 評 価 はどのようになっているのであろうか 27 年 3 月 1 日 に 行 ったセレポン 市 にある 国 立 のスコラと 私 立 マドラサの 5 6 年 生 の 児 童 に 実 態 調 査 したアンケートからの 報 告 と 27 年 12 月 13 日 ~2 日 にかけ 6 名 に 行 った 聞 き 取 り 調 査 の 結 果 から 考 察 する 1.27 年 3 月 1 日 のアンケート 1 (1)アンケート 要 項 調 査 の 目 的 インドネシアの 子 どもたちの 学 校 生 活 と 家 庭 生 活 の 実 態 将 来 の 夢 について 記 述 式 アンケート 調 査 を 実 施 し インドネシアの 子 どもの 状 況 を 把 握 する 調 査 項 目 1 好 きな 教 科 2 学 校 が 終 わってからすること 3 将 来 の 夢 4 兄 弟 の 人 数 5 父 親 母 親 の 職 業 調 査 対 象 アンケート 調 査 は インドネシア ジャワ 島 セレポン 市 の 郊 外 に 位 置 する い わゆる 貧 困 地 域 の 国 立 スコラと 私 立 のマドラサの 5 6 年 生 112 名 を 対 象 に 実 施 し た そのうち 国 立 スコラの 児 童 は 53 人 私 立 マドラサの 児 童 は 59 人 である 1 調 査 は 12 項 目 で 実 施 したが 本 論 文 で 使 用 する 調 査 項 目 についてのみ 述 べる また 調 査 で 使 用 し たインドネシア 語 と 日 本 語 併 記 の 調 査 票 は 添 付 資 料 として 最 後 に 載 せる 54
調 査 時 期 と 方 法 27 年 3 月 1 日 各 学 校 を 訪 問 し 教 室 で 児 童 にアンケート 用 紙 を 配 布 児 童 が 筆 記 回 答 したものを 即 時 回 収 した 有 効 回 答 設 問 ごとに 結 果 を 出 しているので それぞれにおいて 有 効 回 答 は 異 なる (2) 回 答 内 容 それでは 設 問 1 好 きな 教 科 は 何? のスコラとマドラサの 児 童 の 回 答 ( 図 表 3-2-1)を 見 てみよう スコラ マドラサの 児 童 がともに 理 科 に 対 して 突 出 して 関 心 があることが 分 かる スコラの 次 点 では 数 学 が 挙 がった マドラサの 次 点 はインドネシア 語 数 学 の 順 番 で あった ここで 注 目 したいのは マドラサの 児 童 における 理 科 への 関 心 の 高 さである 前 節 で 触 れたが マドラサはイスラム 的 な 学 校 であり 宗 教 教 育 が 充 実 している 理 科 は 宗 教 上 の 教 義 と 相 容 れない 進 化 論 にも 触 れる 教 科 でありながら 児 童 の 関 心 が 非 常 に 高 いことが 伺 える 反 対 に ムスリムが 多 い 地 域 でありながら スコラ マド ラサの 児 童 ともに 宗 教 に 関 心 がないことが 伺 える 55
図 表 3-2-1. 好 きな 教 科 スコラ マドラサ 6 4 2 理 科 社 会 数 学 インド 英 語 宗 教 スコラ 42 1 6 2 2 マドラサ 33 5 6 12 3 設 問 2 学 校 が 終 わってからは 何 をしているの? 図 表 3-2-2 を 見 てみよう この 設 問 からはスコラ マドラサの 児 童 がともに 放 課 後 には 遊 ぶ と 回 答 した また 親 の 手 伝 いや 仕 事 があると 答 えた 児 童 がいた 2 図 表 3-2-2. 学 校 が 終 わってからの 行 動 スコラ マドラサ 4 3 2 1 勉 強 する 親 の 手 伝 遊 ぶ 仕 事 塾 など スコラ 14 7 23 1 8 マドラサ 1 6 32 1 1 2 26 年 ユニセフによると 東 ジャワの 1~14 歳 の 子 どもの 15 万 人 が 児 童 労 働 ( 主 に 肉 体 労 働 )に 携 わっている http://www.unicef.org/infobycountry/indonesia_3539.html(28.1.1) 筆 者 の 調 査 で は 働 くことで 学 校 へも 行 ける と 語 った 児 童 がいた 56
設 問 3 あなたの 夢 は? 図 表 3-2-3 を 見 てみよう まずスコラの 児 童 の 夢 で 突 出 しているのは 医 者 になることである 次 にサッカー 選 手 パイロット 先 生 と 続 いている 感 心 が 薄 いものに ここでは 教 授 建 築 家 警 察 運 転 手 イスラムの 教 師 が 挙 げられる マドラサの 児 童 の 夢 で 関 心 が 高 いのは 先 生 サッカー 選 手 医 者 が 挙 げられる 次 に 成 功 した 人 イスラムの 教 師 パイロ ットであった 関 心 が 低 いものにはスコラと 同 じように 教 授 警 察 運 転 手 であった 57
図 表 3-2-3. あなたの 夢 は? 25 2 15 1 スコラ マドラサ 5 先 生 医 者 サッ カ 選 手 パイ ロッ ト 建 築 家 教 授 警 察 運 転 手 頭 の 良 い 人 成 功 した 人 イス ラム 先 生 スコラ 5 22 8 5 1 1 3 1 3 マドラサ 13 9 1 4 2 1 2 1 3 6 5 歌 手 設 問 4 あなたの 兄 弟 は 何 人 ですか? 図 表 3-2-4 を 見 てみよう スコラ マドラサともに 兄 弟 は 1 名 から 8 名 であるとの 回 答 を 得 た 1 名 (きょう 図 表 3-2-4. あなたの 兄 弟 は 何 人 ですか? スコラ マドラサ 2 15 1 5 58 1 2 3 4 5 6 7 8 スコラ 7 17 1 8 6 2 1 1 マドラサ 7 1 11 6 7 3 3 1
だいのいない 一 人 っ 子 )という 回 答 には 疑 問 が 残 るものの 兄 弟 3 人 以 上 という 回 答 が 過 半 数 を 占 めており 日 本 人 の 感 覚 からすれば 多 いことが 見 て 取 れるだろ う ( 図 表 3-2-4(1)(2))また スコラの 場 合 兄 弟 が 3 人 以 上 と 答 えた 児 童 が 54% であるのに 対 して マドラサの 場 合 兄 弟 が 3 人 以 上 であると 答 えた 児 童 が 65%も いた 図 表 3-2-4(1) スコラにおける 兄 弟 の 分 布 2 人 以 下 3 人 以 上 図 表 3-2-4(2) マドラサにおける 兄 弟 の 分 布 2 人 以 下 3 人 以 上 54% 46% 65% 35% 設 問 5 お 父 さん お 母 さんの 職 業 は 何? 図 表 3-2-5 3-2-6 を 見 てみよう 父 親 の 職 業 としては スコラ マドラサともに 労 働 者 ( 肉 体 労 働 ) 運 転 手 商 売 ( 屋 台 など)であった また マドラサの 児 童 の 父 親 が 職 業 としていないものに 先 生 公 務 員 農 家 があった またマドラサの 児 童 の 回 答 の 57 件 中 8 件 が 無 職 との 回 答 であった これは 全 体 の 14%に 相 当 し 家 庭 の 経 済 的 な 問 題 が 伺 える 59
18 16 14 12 1 8 6 4 2 図 表 3-2-5. 父 親 の 職 業 先 生 公 務 員 スコラ サ ラリ マ 労 働 者 マドラサ 運 転 手 商 売 農 家 修 理 屋 スコラ 1 1 5 16 13 11 2 1 1 マドラサ 6 18 13 1 2 8 無 職 5 45 4 35 3 25 2 15 1 5 サラ リマ ン 図 表 3-2-6. 母 親 の 職 業 労 働 者 商 売 農 家 外 国 で 働 無 職 く スコラ 1 4 4 1 43 マドラサ 1 8 1 49 スコラ マドラサ 以 上 スコラとマドラサの 児 童 に 対 して 行 なったアンケート 結 果 から 一 部 分 であ るが 児 童 の 実 態 が 概 観 できた 設 問 1での 回 答 から 児 童 は 宗 教 よりも 科 学 的 なこと に 興 味 があることがわかった また 放 課 後 には 遊 ぶ 勉 強 する という 児 童 と 並 んで 親 の 手 伝 い( 仕 事 )や 自 分 の 仕 事 をもっている 児 童 がいるという 現 実 も 明 らか になった 児 童 の 将 来 の 夢 についての 設 問 に 対 しては 医 者 や 先 生 サッカー 選 手 パイロットの 回 答 があった 少 なかったものには 警 察 官 や 運 転 手 があった 子 ども の 将 来 の 夢 と 親 や 周 辺 の 環 境 との 間 には 関 連 があると 考 えられることから 親 の 職 業 についても 回 答 を 求 めた 親 の 職 業 としては 労 働 者 運 転 手 商 売 が 圧 倒 的 多 数 であった この 場 合 の 労 働 者 とは 日 本 でイメージする 大 企 業 などの 工 場 での 労 働 者 ではなく 日 雇 いの 肉 体 労 働 を 指 している また 運 転 手 とは 鉄 道 や 大 型 バスなど の 運 転 手 ではなく インドネシアのこの 地 域 では ベモ とよばれる 軽 自 動 車 による 路 線 自 動 車 あるいはダンプカーなどの 運 転 手 を 指 すのが 一 般 的 である 商 売 は カキ リマ 3 などの 露 天 商 自 宅 を 店 先 にした 何 でも 屋 などであろうと 思 われる また 既 述 のように マドラサに 通 っている 児 童 の 父 親 の 14%が 無 職 であった 家 族 構 成 として 3 手 押 し 車 の 上 にショーケースを 乗 せたミニ 屋 台 のことで 直 訳 すると 5 本 足 の 意 味 (カキ= 足 リマ=5) 手 押 し 車 の 車 輪 が3つ それを 押 して 歩 く 人 の 足 が2 本 で 合 計 5 本 の 足 となる 6
兄 弟 が 3 人 以 上 いると 回 答 したスコラの 児 童 が 54% マドラサの 児 童 が 65%であり この 結 果 からは 子 どもをマドラサに 通 わせている 家 庭 のほうが スコラに 通 わせて いる 家 庭 よりも 子 どもの 数 が 多 く 家 族 の 職 業 としては 労 働 者 が 多 く 無 職 者 も 多 い ことから 低 社 会 階 層 と 言 えるのではないかと 推 察 できる 2. 電 話 メールによる 聞 き 取 り 調 査 の 結 果 次 にジャワ 島 の 3 つの 地 区 バンドン セレポン ボゴール 地 区 とエリート 小 学 校 の 住 民 や 元 校 長 に 電 話 メールによる 聞 き 取 り 調 査 結 果 を 表 かしたものが 図 表 3-2-7 4 である 図 表 3-2-7 学 費 などの 比 較 Rp=75 円 学 校 名 など 1 年 間 の 学 費 制 服 教 科 書 その 他 年 間 必 用 経 費 ジャワ 島 バンドン 地 区 P S 国 立 小 学 校 64 円 4, 円 3,3 円 C 国 立 小 学 校 1,2 円 2,6 円 入 学 金 ( 制 服 込 )12, 円 M U 小 学 校 2,4 円 2, 円 入 学 金 ( 制 服 込 )5,3 円 マドラサ M 64 円 2, 円 入 学 金 ( 制 服 込 )3,3 円 マドラサ R 4 円 26 円 入 学 金 ( 制 服 込 )2, 円 ジャワ 島 セレポン 地 区 P A 国 立 小 学 校 無 料 2,6 円 4, 円 ワーク 1,44 円 マドラサ 無 料 2,6 円 貸 出 クルアーン 児 童 教 室 96 円 ジャワ 島 ボゴール 地 区 一 般 小 学 校 (スコラ) 無 料 2,6 4, 円 4, 円 マドラサ 無 料 4, 円 貸 出 クルアーン 児 童 教 室 16 円 エリート 学 校 ( 参 考 ) SD IT ASIH PUTRA * 56, 円 6,6 円 4, 円 食 事 代 16, 円 出 典 [ 窪 木 靖 信 27:12 月 聞 き 取 り 調 査 編 ]から 筆 者 作 成 *は SD Islam Terpadu: 国 家 教 育 省 管 轄 であるが イスラームが 融 合 された 一 般 小 学 校 (カリキュラムはマドラサ) 図 表 3-2-7 を 概 観 すると 学 費 や 教 科 書 代 金 が 発 生 していることが 分 かる 第 1 章 で 述 べたように インドネシアでは 22 年 の 憲 法 改 正 により 初 等 教 育 における 義 務 教 育 の 無 償 の 規 定 ( 第 31 条 2 項 )が 盛 り 込 まれている また 1975 年 のカリキ 4 学 校 名 は 匿 名 また 必 用 費 用 は 概 算 であり 様 々な 条 件 で 違 う また 現 地 通 貨 ルピアからレート 75 円 で 表 示 した 61
ュラム 改 訂 以 来 国 が 小 学 校 に 教 科 書 を 無 償 で 配 布 する 政 策 5 が 実 施 されている それ にもかかわらず 3 年 以 上 も 経 った 現 在 でもなお 教 科 書 の 販 売 がなされているので ある このことについては 政 府 の 教 科 書 配 布 計 画 の 失 敗 教 員 の 給 料 の 安 さ 公 務 員 の 倫 理 観 の 欠 如 6 などが 指 摘 されている ジャワ 島 のセレポン 地 区 ボゴール 地 区 ではスコラ( 国 立 私 立 ) マドラサにおい て 学 費 が 無 料 7 になっている しかし スコラにおいて 教 科 書 代 金 が 発 生 している 一 方 マドラサの 教 科 書 は 貸 出 であり 無 料 である 制 服 については 平 均 して 4 種 類 用 意 しなければならない 白 赤 の 標 準 服 バティック ボーイスカウト タイプ スポ ーツ タイプの4 種 類 が 代 表 的 である この 制 服 を 着 ないと 通 学 が 許 されないことに なっている 家 計 における 学 費 は 日 本 円 に 換 算 して 月 26 円 と 72 円 の2 種 類 となる 仮 に 試 算 してみると 月 収 を 1 万 円 とした 場 合 学 費 16 円 の 支 出 は 16% 学 費 72 円 で は 7.2%である けれども 低 社 会 階 層 の 月 収 を 5 千 円 とした 場 合 図 表 3-2-8(1) のように 一 般 小 学 校 の 学 費 ( 月 26 円 )は 34%を 占 めることになる 一 方 学 費 が 72 円 の 場 合 は 図 表 3-2-8(2)が 示 すように 13%である 仮 に 2 人 の 子 どもが 同 時 に 小 学 校 に 通 った 場 合 たしかに 負 担 は 大 きいものの 家 計 に 占 める 割 合 は 28.8% で スコラへ 通 わせるより 経 済 的 な 負 担 が 少 ない 図 表 3-2-8 家 計 占 める 学 費 の 割 合 ( 例 として) 1 5 [ 平 川 幸 子 21:134] 6 公 立 小 学 校 の 校 長 の 28.8% 8 教 員 の 3%が 副 業 (アルバイト)をしている インドネシアの 公 務 員 は 一 般 的 に 欠 勤 を 重 大 な 問 題 であると 認 識 しておらず 自 由 に 欠 勤 することは 権 利 のようなものと 考 え られている [ 平 川 幸 子 21:133] 6 月 収 7 現 在 初 等 教 育 機 関 に 児 童 の 人 数 分 の 学 校 運 営 援 助 金 (Bantuan Operasi Sekolah)がでている しか 4 し 詳 しい 資 料 は 入 手 できなかった 2 1 622 3 4 月 収 1 1 5 5 学 費 26 72 26 72
以 上 聞 き 取 り 調 査 をもとに 月 収 と 学 費 等 の 仮 説 を 立 て 経 済 的 な 面 からのスコ ラとマドラサの 経 費 を 家 計 からみてみた 低 社 会 階 層 において 子 どもをスコラに 通 わ せることはかなり 困 難 であることが 推 測 できるだろう また マドラサは 大 部 分 が 私 立 であり イスラムの 考 えによって 運 営 されている そのことは 貧 困 者 を 経 済 面 から 支 援 する 役 目 もあり 従 来 から 学 費 が 安 く 抑 えられているという 側 面 があり 現 在 に 至 っている おわりに 図 表 3-2-8(1) 月 収 5 千 円 学 費 2 千 6 百 円 の 場 合 学 費 34% 図 表 3-2-8(2) 月 収 5 千 円 学 費 72 円 の 場 合 学 費 13% 月 収 66% 月 収 87% 本 論 文 のまとめ 本 論 文 では インドネシア 共 和 国 における 二 系 統 の 公 教 育 を 比 較 検 討 してきた 第 1 章 では インドネシアの 学 校 制 度 を 歴 史 的 に 考 察 した インドネシアでは 古 くは 7 世 紀 ごろ 仏 教 王 国 ヒンズー 王 国 が 栄 え 13 世 紀 にはイスラムが 伝 来 し 発 展 して きた 1512 年 にポルトガルがモルッカ 諸 島 のアンボンを 占 領 し 162 年 にはオランダ がジャワに 東 インド 会 社 を 設 立 し 植 民 地 経 営 に 乗 り 出 したが 当 初 現 地 では 西 洋 式 教 育 を 広 げず 逆 にインドネシア 統 治 のために 愚 民 政 策 をとった 約 25 年 後 の 1854 年 に 植 民 地 統 治 法 で 初 めて インドネシア 人 のための 学 校 を 設 立 すべき 義 務 を 負 う 旨 が 定 められ 1872 年 インドネシア 人 教 育 の 全 般 的 規 定 が 制 定 されオランダによる 植 民 地 63
教 育 がスタートした しかし オランダによる 植 民 地 教 育 が 始 まる 以 前 から 島 々で 様 々な 文 化 とアニミズ ムが 融 合 され 世 界 観 があった 代 表 的 なものにイスラムがありコーラン 学 校 やプサン トレンといった 寄 宿 舎 学 校 が 存 在 し 発 展 していた オランダが 施 行 する 学 校 制 度 は 当 初 からヨーロッパ 人 向 けと 原 住 民 向 けの 二 系 統 で 発 展 していった そのため 原 住 民 向 け 教 育 と 言 えども 小 作 農 などで 生 計 を 立 てている 村 人 たちには 高 嶺 の 花 であった そのために 原 住 民 子 弟 らの 多 くはイスラムの 教 育 機 関 で 読 み 書 きを 学 んだ 1942 年 に 日 本 軍 がインドネシアを 占 領 した 際 には オランダ 植 民 地 期 の 教 育 制 度 を 全 廃 し 日 本 の 皇 民 化 政 策 による 単 線 的 な 6 3 3 制 の 教 育 制 度 を 導 入 した その 後 1945 年 にインドネシアは 独 立 しパンチャシラ 唯 一 なる 神 への 信 仰 のも と 憲 法 が 制 定 され すべての 国 民 は 教 育 を 受 ける 権 利 を 有 する 2 政 府 は 法 律 の 定 めにより 単 一 の 国 民 教 育 制 度 を 施 行 する ( 第 13 章 教 育 第 31 条 の1) 旨 を 発 布 し た しかし 独 立 当 初 から 就 学 適 齢 期 の 児 童 生 徒 をすべて 収 容 できる 国 立 の 学 校 がな かった そのため 数 ヵ 月 後 の 同 年 12 月 には 中 央 国 民 会 議 執 行 委 員 会 が マドラサと プサントレンは 一 般 民 衆 の 教 育 と 知 性 の 発 達 の 道 具 源 であり またすでにインドネ シアの 社 会 一 般 に 深 く 根 づいているので 指 導 と 物 質 的 援 助 の 形 で 政 府 が 関 心 をもち 補 助 することが 望 ましい と 決 定 した 政 府 は 1946 年 1 月 に 宗 教 省 を 新 たに 設 置 し また 1946 年 の 教 育 研 究 者 委 員 会 の 第 3 部 会 ( 宗 教 および 道 徳 公 民 文 化 の 教 授 に 関 する)において 一 般 学 校 における 宗 教 教 育 の 位 置 づけを 定 めた このことから 再 び 公 的 に 二 系 統 の 教 育 制 度 が 始 まった スコラ( 一 般 学 校 )は 教 育 省 が 管 轄 し マドラサ プサントレンは 宗 教 省 が 管 轄 しカ リキュラムは 各 々 発 効 管 理 していた 1994 年 に 義 務 教 育 の 9 年 間 ( 小 学 校 6 年 間 と 中 学 校 3 年 間 )が 宣 言 されると 同 時 に イスラム 学 校 であったマドラサは イスラム 的 ( 系 )の 学 校 としてスコラ( 一 般 学 校 ) の 一 部 を 担 うことになった それは 表 2-7 表 2-8 からも 分 かるように 中 学 校 高 校 教 育 と 上 がるにつれ 宗 教 省 が 管 轄 するマドラサの 割 合 が 高 くなるからである 以 上 のような 複 雑 な 経 緯 を 経 て 現 在 の2 系 統 の 学 校 制 度 が 成 立 していることが 明 らかとなった 64
第 2 章 では 小 学 校 のカリキュラムについて 比 較 検 討 した 小 学 校 には 国 家 教 育 省 発 行 のスコラ マドラサの 統 一 カリキュラムがある しかし そのカリキュラムを 構 成 する 教 科 科 目 のうち 宗 教 に 関 しては 宗 教 省 のそれぞれの 宗 教 指 導 局 が 発 効 し 国 家 教 育 省 の 枠 内 に 収 まるものと 別 にマドラサを 管 轄 する 宗 教 省 が 独 自 にマドラ サの 宗 教 科 目 を 管 轄 するカリキュラムの 存 在 が 明 らかになった また 国 家 教 育 省 発 効 の 統 一 カリキュラムでも 地 域 科 や 学 校 裁 量 の 時 間 を 使 用 し 様 々な 教 科 科 目 を 教 授 で きる そのことは マドラサにとっては 宗 教 科 目 に 振 り 分 けることによって 宗 教 教 授 を 増 やすことができる また スコラにとっても 宗 教 教 育 を 充 実 できることも 明 らか になった 第 3 章 では 主 として 現 地 調 査 をもとに 学 習 内 容 の 実 態 と 子 どもたちの 日 常 生 活 の 実 態 を 明 らかにした スコラ マドラサの 児 童 ともに 宗 教 への 関 心 が 低 く 多 くの 児 童 が 理 科 について 突 出 して 興 味 があると 答 えた また 放 課 後 の 児 童 の 行 動 から 児 童 労 働 の 存 在 が 確 認 された ユニセフのデータでも 東 ジャワの 1~14 歳 の 子 どもの 15 万 人 が 児 童 労 働 ( 主 に 肉 体 労 働 )に 携 わっている と 指 摘 されており それは 父 親 の 職 業 についての 質 問 からも 裏 付 けられた さらに マドラサの 児 童 の 回 答 57 件 のうち 8 件 が 無 職 との 回 答 であり それは 全 体 の 14%に 及 んだ また 仕 事 ができるから 学 校 に 通 える との 回 答 もあった この 聞 き 取 り 調 査 は 初 等 教 育 における 義 務 教 育 は 教 科 書 も 含 めて 無 償 であると 法 律 で 制 定 されているのに なぜ 子 どもが 働 かないと 学 校 に 通 えないのだろうという 疑 問 から 現 地 住 民 や 教 育 関 係 者 に 対 して 行 なったものである そこからは 義 務 教 育 の 段 階 で 学 費 や 教 科 書 代 のほか 入 学 金 や 制 服 代 金 など 様 々な 費 用 が 発 生 する 現 実 が 明 らかになった また 低 社 会 階 層 においては スコラで 学 ばせるほうが 経 費 が かかる 実 態 も 明 らかになった スコラに 対 してマドラサは 低 社 会 階 層 の 人 々にとっ て 広 くインドネシア 独 立 以 前 から 教 育 の 場 としても 発 展 していたものであり 一 般 小 学 校 に 行 けない 児 童 の 受 け 皿 的 な 存 在 でもあることが 確 認 された 言 い 換 えれば 宗 教 的 に 信 心 深 い 人 を 育 てるためというよりも マドラサへしか 通 わせることができ ないという 親 の 経 済 力 が 深 く 関 係 していることが 明 らかになったと 言 える 65