1935 年 ( 昭 和 10) 1940 年 ( 昭 和 15) この 期 のはじめに 起 こった 廬 構 橋 事 件 を 契 機 に わが 国 は 中 国 との 全 面 戦 争 への 口 火 を 切 る 翌 年 には 国 家 総 動 員 令 が 出 て 全 ての 国 産 化 が 急 がれる 一 方 で 町 の 不 要 鉄 製 品 の 回 収 が 強 化 され この 期 の 終 わり 頃 になると 軍 関 係 以 外 での 町 の 鉄 骨 構 造 などは 次 第 に 姿 を 消 してくる そして 1939 年 には 欧 州 では 第 二 次 大 戦 がはじまることになる 欧 米 での 溶 接 関 係 では 自 動 化 の 動 きが 活 発 でサブマージアーク 溶 接 を 含 む 多 く の 自 動 装 置 が 登 場 する また スタッド 溶 接 アルミのスポット 溶 接 プラズマ 溶 射 な ど 戦 時 の 武 器 からみでの 専 用 化 された 特 殊 な 溶 接 法 が 出 てくる 一 方 わが 国 では 第 四 艦 隊 事 件 で 主 要 構 造 への 溶 接 の 適 用 が 禁 止 され 溶 接 は 一 時 的 に 後 退 するが 溶 接 の 持 つ 鋲 に 比 べての 早 さや 簡 素 化 など 受 けて 普 通 構 造 へ は 確 実 に 伸 び 教 育 関 係 も 次 第 に 充 実 して 行 くことになる 1935 ディーゼルエンジンの 溶 接 ゼネラル モータ 社 の 電 気 機 関 車 部 門 で ディーゼルエンジンの 組 立 に 溶 接 の 採 用 を はじめる *19[ 米 ] 1935 サブマージアーク 溶 接 サブマージアーク 溶 接 法 は ケネディ(HARRY E. KENNEDY)が 発 明 したとするのと 1930 年 にロビノフがプロセス 特 許 を 取 得 し この 権 利 をリンデ エア プロダクト 社 に 売 却 したとする 話 がある このリンデ 社 からユニオンメルト(UNION MELT)の 商 品 名 で この 自 動 溶 接 機 が 市 場 に 登 場 し 人 気 を 得 る 1942 年 にはじめて 日 本 に 輸 入 されたが 開 先 精 度 などの 周 辺 条 件 が 確 保 できなかったなどがあり さほど 伸 びなかった これ が 日 本 で 本 格 化 されるのは 1950 年 以 後 である *45[ 米 ]
1935 米 国 造 船 での 溶 接 この 頃 より, 米 国 海 軍 の 指 導 で 民 間 造 船 所 の 溶 接 化 が 著 しく 進 歩 する[ 米 ] 1935 第 四 艦 隊 事 件 海 軍 秋 季 大 演 習 の 帰 路 に 台 風 に 巻 き 込 まれ 駆 逐 艦 二 隻 の 船 首 部 脱 落 ほか 死 者 行 方 不 明 者 50 名 をこえる 大 事 故 が 起 こる 船 体 の 軽 量 化 を 狙 い 過 ぎた 構 造 が 主 原 因 であったが 溶 接 箇 所 での 損 傷 が 多 く 出 たので 溶 接 構 造 を 避 け 鋲 構 造 にもどすべ きとする 見 解 が 強 くなる 急 遽 事 故 調 査 委 員 会 が 開 かれ その 結 論 として 翌 年 に 海 軍 艦 政 本 部 は 艦 艇 船 体 構 造 電 気 鎔 接 指 針 を 出 す これにより 特 殊 鋼 の 溶 接 振 動 や 繰 り 返 し 荷 重 を 受 ける 箇 所 船 体 強 力 部 材 への 溶 接 適 用 が 禁 止 される また 上 向 き 溶 接 も 認 められなくなる [ 日 ] 1935 国 鉄 での 溶 接 棒 この 頃 国 鉄 浜 松 工 場 では 国 産 の 硼 砂 系 タムラーク 厚 被 覆 棒 が 作 業 性 がよく 立 向 下 進 が 可 能 で 溶 け 込 みも 大 きかったので 多 用 している これと 並 行 して 帝 酸 セル ローズ 系 棒 や 多 層 盛 りでも 強 度 が 落 ちないとして 芝 浦 E 印 溶 接 棒 も 好 まれ この 状 態 が 1940 年 頃 まで 続 いたとある *20[ 日 ] 1935 酸 素 製 造 装 置 商 工 省 の 工 業 研 究 奨 励 金 を 受 けて 国 産 の 酸 素 製 造 装 置 の 一 号 機 (40M 3 /H)が 日 本 酸 素 蒲 田 工 場 で 完 成 する *20[ 日 ] 1935 スタッド 溶 接 機 大 阪 電 気 がスタッド 溶 接 機 を 主 として 海 軍 工 廠 や 造 船 所 向 きに 製 作 する *9[ 日 ]
1935 高 張 力 鋼 機 関 車 の 溶 接 ドイツの 高 張 力 鋼 (ST52)を 使 って 満 鉄 アジア 号 を 製 作 することになり 車 両 会 社 か ら 選 ばれた 溶 接 工 が 渡 満 し 満 鉄 沙 河 口 工 場 で 溶 接 指 導 を 受 ける *20[ 日 ] 1935 長 大 溶 接 橋 東 京 上 野 のの 跨 線 道 路 橋 の 田 端 大 橋 は 全 長 135M の 当 時 としては 世 界 的 な 長 大 溶 接 橋 であった 変 形 をこわがり 断 続 溶 接 を 多 用 したこと 突 合 せ 溶 接 箇 所 に 補 強 添 板 を 取 り 付 けたとある *47[ 日 ] 1935 X 線 検 査 の 適 用 東 京 電 気 で 国 産 の 工 業 用 20 万 ボルト 定 置 式 X 線 検 査 装 置 を 試 作 し 鉄 道 技 術 研 究 所 に 納 入 し 溶 接 部 の 検 査 に 適 用 される *20[ 日 ] 1935 溶 接 工 の 養 成 東 京 府 立 機 械 工 養 成 所 が 開 設 され 溶 接 工 の 養 成 も 組 み 込 まれる *33[ 日 ] 1935 私 立 溶 接 学 校 現 場 の 中 堅 溶 接 技 術 者 養 成 を 目 的 として 私 立 大 阪 電 気 鎔 接 学 校 が 設 立 される この 学 校 は 1942 年 の 閉 校 までに 300 余 名 の 卒 業 生 を 送 り 出 している *20[ 日 ] 1935 溶 接 技 能 検 定 海 軍 では 1932 年 頃 から 各 工 廠 単 位 で 独 自 で 行 っていた 溶 接 工 の 技 能 等 級 試 験 につ いて 統 一 化 の 話 が 進 み 内 規 が 作 成 される *20[ 日 ] 1935 溶 接 研 究 早 稲 田 大 学 で 溶 接 研 究 室 が 開 設 される *20[ 日 ] 1935 溶 接 委 員 会 機 械 学 会 で 溶 接 部 門 委 員 会 が 新 設 される *28[ 日 ] 1936 高 周 波 付 の 交 流 溶 接 機 ミラー 社 (MILLER ELECTRIC MFG. CO.)が 高 周 波 を 重 畳 した 最 初 の 交 流 溶 接 機 を 市 販 する *19[ 米 ]
1936 自 動 溶 接 多 用 船 サブマージアーク 溶 接 を 多 用 し 有 名 になる 18,500 トン タンカー バン ダイク 号 (J W VAN DYKE)がサン シップ 造 船 所 で 進 水 する [ 米 ] 1936 溶 接 多 用 船 外 板, 中 甲 板 を 除 くすべてを 溶 接 化 した 6,000 重 量 トン タンカー ザコーニ 号 (SACONY)が 進 水 する [ 独 ] 1936 自 動 溶 接 機 裸 ワイヤの 外 側 にワイヤネットと 被 覆 剤 を 一 体 としたものを 塗 布 した 被 覆 コイルワイ ヤを 使 い 露 出 ネットから 通 電 する 自 動 溶 接 機 が 市 場 に 出 る これは 後 刻 ヒューザ ーク 社 (FUSARC CO.)から ヒューズアーク 溶 接 として 市 販 され サブマージアーク 溶 接 に 対 抗 する 自 動 溶 接 法 とされる わが 国 でも この 溶 接 機 は 戦 後 すぐにサブマージ アーク 溶 接 機 と 同 時 に 輸 入 されているが スパッタが 多 いなどで さほど 普 及 はしな かった [ 英 ] 1936 溶 接 による 大 ブロック 15,000 トンのタンカー バルデン 号 (G S WALDEN)で 溶 接 ブロック 工 法 を 採 用 し 当 時 として 最 高 の 65 トンの 大 ブロックを 製 作 する [オランダ] 1936 溶 接 規 定 国 鉄 が 機 関 車 缶 電 弧 熔 接 規 定 を 制 定 する この 中 で 溶 接 技 能 検 定 は 工 作 局 派 出 所 の 担 当 としている *20[ 日 ] 1936 溶 接 技 能 コンクール 国 鉄 と 車 両 工 業 会 の 主 催 で 国 鉄 大 宮 工 場 にて はじめて 全 国 規 模 の 溶 接 技 能 競 技 会 が 開 かれる これには 中 国 朝 鮮 台 湾 からの 選 手 も 参 加 する *20[ 日 ]
1936 溶 接 認 定 試 験 大 阪 府 でガス 溶 接 作 業 主 任 者 認 定 試 験 を 実 施 する 4 月 の 第 1 回 の 合 格 者 は 受 験 者 85 名 中 28 名 8 月 での 第 2 回 は 受 験 者 128 名 中 39 名 と 合 格 率 は 低 かったとして いる *20[ 日 ] 1936 肉 盛 ガス 溶 接 工 具 鋼 へのガス 溶 接 による 肉 盛 り 作 業 がはじまる *20[ 日 ] 1936 鉄 筋 の 溶 接 この 頃 より 鉄 筋 の 交 点 に 溶 接 を 使 うことが 多 くなる *20[ 日 ] 1936 シーム 溶 接 機 日 産 自 動 車 で シーム 溶 接 機 を 使 いガソリンタンクの 溶 接 をする *20[ 日 ] 1936 溶 接 シリーズ 技 術 書 溶 接 関 係 のはじめてのシリーズ 書 として 熔 接 工 学 講 座 ( 電 気 熔 接 総 論 熔 接 工 の 養 成 銅 及 其 合 金 の 熔 接 鋳 鉄 の 熔 接 軽 金 属 及 合 金 の 熔 接 建 築 の 熔 接 機 械 の 熔 接 )が 本 年 と 翌 年 にかけて 太 陽 閣 から 出 版 される [ 日 ] 1937 サブマージアーク 法 の 日 本 特 許 ユニオン カーバイド 社 がサブマージアーク 溶 接 法 について 日 本 特 許 を 取 得 する 戦 後 のワイヤ フラックスの 国 産 化 がこれが 障 害 となって 尐 し 遅 れることになる *13[ 米 ] 1937 スタッド 溶 接 機 純 国 産 スタッド 溶 接 機 として 大 阪 変 圧 器 より 全 交 流 サイクアーク 溶 植 機 が 市 販 され る [ 日 ] 1937 軽 金 属 の 溶 接 この 頃 より 東 京 帝 国 大 学 航 空 研 究 所 と 三 菱 名 古 屋 航 空 機 製 作 所 で 軽 金 属 の 点 溶 接 の 研 究 がはじまる 試 験 溶 接 装 置 は 本 体 が 大 阪 電 気 制 御 は 三 菱 電 機 で 製 作 さ れる この 研 究 は 1939 年 末 には 初 期 の 目 的 が 達 せられたとされている *20[ 日 ]
1937 鉄 骨 の 溶 接 戦 時 機 運 が 高 まり 商 工 省 令 として 鉄 鋼 工 作 物 築 造 許 可 規 則 が 交 付 され デパート 飲 食 店 劇 場 集 会 所 銀 行 旅 館 の 建 築 に 実 質 上 鋼 材 を 使 うことが 禁 止 される し たがって これ 以 後 は 軍 の 施 設 などを 除 いて 鉄 骨 工 事 はなくなる *20[ 日 ] 1937 機 関 車 の 溶 接 この 年 に EF56 形 直 流 電 気 機 関 車 が 製 作 されているが 床 構 えの 鋼 板 形 鋼 を 溶 接 組 立 した 中 梁 構 造 を 採 用 している *20[ 日 ] 1937 アセチレンの 工 場 配 管 国 鉄 小 倉 工 場 で 定 置 型 注 水 式 大 型 ガス 発 生 器 を 設 置 し 工 場 内 全 域 にアセチレン ガス 配 管 をする *20[ 日 ] 1937 X 線 検 査 の 適 用 30 万 ボルト 定 置 式 X 線 検 査 装 置 が 日 立 製 作 所 に 納 入 される また 東 京 自 動 車 工 業 では 20 万 ボルト 定 置 式 を 台 車 を 使 って 移 動 式 とし 戦 車 の 溶 接 部 検 査 に 使 う *20 [ 日 ]
1937 溶 接 胴 の 破 壊 試 験 蒸 気 缶 胴 の 設 計 圧 力 温 度 が 上 がり 鋲 接 構 造 では 対 応 不 可 となる しかし 鍛 造 で は 高 価 で 生 産 性 が 低 いので 溶 接 缶 胴 の 必 要 性 が 高 まる このため 三 菱 重 工 業 長 崎 造 船 所 で 試 作 溶 接 胴 を 作 り 破 壊 試 験 を 行 う このデータを 基 に 1940 年 に 日 本 発 送 電 の 清 水 火 力 発 電 所 向 きの 高 圧 汽 缶 胴 を 全 溶 接 で 製 作 する *23[ 日 ] 1937 日 本 金 属 学 会 設 立 東 北 帝 国 大 学 金 属 材 料 研 究 所 内 に 日 本 金 属 学 会 が 設 立 される 本 多 光 太 郎 博 士 が 初 代 会 長 となる [ 日 ] 1937 溶 接 研 究 部 の 設 置 東 京 石 川 島 造 船 所 が 研 究 部 を 新 設 し 溶 接 振 動 金 属 の 研 究 をはじめる *27[ 日 ] 1938 溶 接 道 路 橋 の 崩 壊 溶 接 構 造 のハッセルト(HASSELT) 橋 が 完 成 後 まもなく 荷 重 とは 関 係 なく 夜 間 の 低 温 が 原 因 で 自 然 崩 壊 する 以 後 溶 接 用 の 鋼 材 材 質 と 溶 接 による 拘 束 度 の 研 究 が 活 発 化 する [ベルギー] 1938 電 子 ビーム アルデンヌ(MANFRED VON ARDENNE)が 電 子 ビームによる 穴 明 け 作 業 についての 可 能 性 を 発 表 している しかし この 時 点 では 未 だ 溶 接 には 触 れていない *19[ 独 ] 1938 戦 艦 大 和 の 起 工 船 体 構 造 の 主 体 は 鋲 接 であるが それでも 総 溶 接 長 が 343Km となる 戦 艦 大 和 が 起 工 する 本 艦 は 1940 年 に 進 水 し 1942 年 に 引 渡 しが 行 われる [ 日 ]
1938 軽 金 属 の 点 溶 接 機 海 軍 航 空 本 部 の 斡 旋 でフランス シアキー 社 から 電 磁 蓄 勢 式 点 溶 接 機 が 1940 年 に は 陸 軍 航 空 本 部 による 米 国 フェデラル 社 からの 軽 合 金 点 溶 接 機 が それぞれ 数 台 輸 入 され 軽 金 属 への 点 溶 接 機 の 試 用 がはじまる *20[ 日 ] 1938 機 関 車 の 溶 接 標 準 鉄 道 省 と 車 両 メーカとの 会 議 で 溶 接 設 計 標 準 が 作 成 される これには 継 手 に 等 級 を つけることや 官 房 研 究 所 で 溶 接 棒 の 規 格 を 決 めるなどのことが 含 まれている *20 [ 日 ] 1938 圧 力 容 器 での 溶 接 棒 この 頃 では 圧 力 容 器 の 主 要 箇 所 の 溶 接 には ベルギー アーコス 社 のスタビレント 棒 (STABILEND)が 使 われている この 棒 は アークの 安 定 性 が 良 く 継 手 性 能 も 満 足 できたので 溶 接 工 からも 好 まれ 国 産 棒 製 作 上 の 手 本 になる *20[ 日 ] 1938 砲 の 溶 接 陸 軍 大 阪 造 兵 廠 で ドイツのクルップ 製 高 射 砲 の 溶 接 化 程 度 を 参 考 に 国 産 砲 架 の 脚 やブラケット 類 の 溶 接 化 を 試 みる *20[ 日 ] 1938 主 翼 の 溶 接 三 菱 名 古 屋 航 空 製 作 所 で 海 軍 の 双 発 爆 撃 機 ( 九 六 式 陸 上 攻 撃 機 )の 主 翼 結 合 金 具 を 溶 接 構 造 で 作 る 機 体 の 重 要 構 造 部 に 溶 接 を 採 用 した はじめのものとなる * 20[ 日 ] 1938 溶 接 研 究 委 員 会 陸 軍 が 兵 器 鋼 材 の 溶 接 全 般 研 究 を 日 本 学 術 振 興 会 に 依 頼 し 第 4 小 委 員 会 ( 電 気 溶 接 )に 第 一 分 科 会 を 設 ける このグループは 翌 年 には 防 弾 鋼 板 の 工 作 などを 研 究 していた 第 10 特 別 委 員 会 と 合 流 する *25[ 日 ] 1938 溶 接 関 連 品 の 価 格 この 年 に 発 行 された 技 術 書 によると 直 流 溶 接 機 1000-1600 円 交 流 溶 接 機 350-800 円 キャブタイヤ 4-6 円 /M ホルダ 8-12 円 手 袋 2-5 円 ワイヤブラシ 1-2 円 チッピングハンマー1-1.5 円 とある なお 当 時 の 一 般 物 価 例 では コーヒ 一 杯 15 銭 の 時 代 である *48[ 日 ]
1939 第 二 次 世 界 大 戦 勃 発 昭 和 14 年 (1939-1945) 1939 横 置 溶 接 エリン 社 (ELIN A.G.)から 被 覆 棒 を 横 置 し 銅 塊 でこれを 囲 み 端 部 からアークスター トさせ 水 平 すみ 肉 溶 接 を 行 う 簡 易 自 動 溶 接 のEH 法 (ELIN-HAFERGUT)が 発 表 さ れる これは 日 本 には 1955 年 に 輸 入 される [オーストリア] 1939 スタッド 溶 接 機 ネルソン(TED NELSON)が 独 自 のスタッド 溶 接 法 についての 特 許 を 取 る 同 種 の 考 案 は 他 にもあったが 使 いやすさなどで この 方 法 が 船 体 甲 板 の 付 属 品 固 定 用 として 普 及 する *19[ 米 ] 1939 アルミの 点 溶 接 航 空 機 工 業 でアルミの 点 溶 接 が 実 用 化 する この 方 法 は 1933 年 シアキ(SCIAKY) 兄 弟 が 考 案 したキャパシタ 放 電 接 合 法 が 原 型 となっている *19[ 米 ] 1939 プラズマ 溶 射 ライニッケ(REINICKE)が プラズマ 溶 射 法 を 発 明 する [ 米 ] 1939 溶 接 研 究 会 海 軍 工 廠 艦 艇 建 造 造 船 所 の 溶 接 関 係 者 で 鎔 接 研 究 會 を 作 り 第 一 回 会 合 を 呉 海 軍 工 廠 で 開 催 する この 年 に 艦 本 機 密 第 15344 号 鎔 接 適 用 要 領 が 制 定 される この 会 合 は 敗 戦 まで 続 く *20[ 日 ] 1939 レールの 溶 接 仙 山 線 面 白 山 トンネル 内 のレールを I 形 突 合 せでアーク 溶 接 とテルミット 溶 接 を 併 用 して 接 合 する *20[ 日 ] 1939 溶 接 規 定 被 覆 溶 接 棒 心 線 について 臨 JES G40 規 定 で 規 格 化 される これは 1948 年 に JES G3523 として 改 定 される *20[ 日 ]