海 上 自 衛 隊 練 習 艦 隊 のタンパ 寄 港 (2011 年 7 月 25~28 日 ) 在 マイアミ 日 本 総 領 事 川 原 英 一 7 月 25 日 から28 日 まで 海 上 自 衛 隊 遠 洋 練 習 航 海 部 隊 ( 練 習 艦 隊 とも 呼 ばれます) がフロリダ 州 タンパに 親 善 寄 港 しました 私 も 前 日 からタンパに 出 張 し 様 々な 行 事 に 参 加 してきました タンパ 在 住 の 日 本 人 の 方 々,ヒルズボロー 郡 やタンパ 市 が 艦 隊 を 暖 かく 迎 え フロリダ 州 と 日 本 の 強 い 絆 を 改 めて 感 じました 1. 練 習 艦 隊 のタンパ 入 港 歓 迎 行 事 (25 日 09:30-10:30) 第 3 埠 頭 前 のターミナルビル2 階 ホールにおいて アル ヒギンボサム ヒルズボロー 郡 議 長 及 びボブ バックホーン タンパ 市 長 を 始 めとした 約 60 名 の 地 元 関 係 者 メディ アが 見 守 る 中 入 港 歓 迎 式 典 が 行 われ 練 習 艦 隊 の 大 塚 司 令 官 各 艦 長 実 習 幹 部 約 80 名 等 が 参 加 しました (1) 両 国 の 国 歌 斉 唱 に 続 いて 私 から 練 習 艦 隊 のタンパ 寄 港 を 心 から 歓 迎 する 今 次 寄 港 は 東 日 本 大 震 災 後 の 日 米 の 強 固 な 関 係 を 象 徴 するものとして 大 いに 意 義 深 いこと タンパと 日 本 との 関 係 は100 年 以 上 前 に 遡 ること 今 回 寄 港 の 機 会 に 幹 部 実 習 生 が 地 元 の 方 々との 交 流 親 善 に 励 んで 頂 ければ 有 難 い 旨 を 述 べました (2)ヒルズボロー 郡 議 長 次 いでタンパ 市 長 の 歓 迎 挨 拶 がありました 同 郡 議 長 からは 数 ある 寄 港 地 の 一 つにタンパを 選 択 してもらったことは 大 変 名 誉 である 東 日 本 大 震 災 被 災 者 に 対 しお 見 舞 を 申 し 上 げ 早 期 復 興 を 祈 る また 同 市 長 からは 自 分 の 気 持 ちと 心 は 被 災 民 と 共 にある との 心 温 まる 発 言 がありました 1
(3) 大 塚 司 令 官 より 3.11 後 の 米 国 を はじめとする 国 際 支 援 への 感 謝 被 災 地 の 東 北 は 復 旧 復 興 を 必 要 とし ているが 日 本 全 体 が 被 害 を 受 けた わけではなく 練 習 艦 隊 士 官 達 は 意 気 軒 昂 であること 国 際 貢 献 活 動 は 今 後 も 引 き 続 き 行 っていきたいとの 力 強 いメッセ ジを 発 言 また 2002 年 にタンパの 米 中 央 軍 司 令 部 との 連 絡 官 として 勤 務 した 経 験 があり 数 ある 寄 港 地 の 中 で タンパを 再 度 訪 問 することが できて 非 常 に 嬉 しいとの 発 言 が 同 司 令 官 からありました (4) 式 典 終 了 後 ヒ 郡 議 長 及 び バ 市 長 との 間 で 贈 呈 品 交 換 があり 郡 議 長 市 長 並 びにタンパ 港 湾 局 関 係 者 に 対 して 練 習 艦 隊 司 令 官 盾 が 贈 呈 されました また 大 塚 司 令 官 と 私 に 対 するビデオ インタビューがあり 練 習 艦 隊 の 寄 港 歓 迎 式 典 の 様 子 について 27 日 当 日 午 後 及 び 翌 日 に 地 元 タンパのテレビ 局 で 数 回 にわた り 放 映 されました 2. 栄 誉 礼 歓 迎 式 典 終 了 後 に 練 習 艦 隊 旗 艦 のか しま 艦 上 で 栄 誉 礼 をしてくださいました 3. 総 領 事 講 話 (7 月 25 日 11:00-11:45) 練 習 艦 かしま 実 習 生 講 堂 において 大 塚 司 令 官 を 始 めとした 練 習 艦 隊 幹 部 参 加 の 下 私 は 実 習 幹 部 約 170 名 に 対 して 経 済 連 携 協 定 日 本 ブランドの 輸 出 フロリ ダ 州 の 経 済 タンパと 日 本 海 軍 との 関 係 東 日 本 大 震 災 へのフロリダの 反 応 メディ アとインターネットを 利 用 した 情 報 発 信 の 重 要 性 自 衛 隊 の 国 際 貢 献 活 動 のPR 等 について 講 話 を 行 いました 講 話 後 実 習 幹 部 から TPPと 日 本 の 今 後 の 課 題 米 国 における 外 国 人 受 け 入 れ 事 情 につ いて 積 極 的 な 質 問 がありました 4. 大 塚 司 令 官 主 催 昼 食 会 ( 艦 上 ) 地 元 郡 市 自 治 体 代 表 港 湾 当 局 米 中 央 軍 司 令 本 部 副 司 令 官 及 び 一 部 各 国 コ アリション(Coalition) 連 絡 官 ( 将 官 クラス)を 前 に 大 塚 司 令 官 より 練 習 艦 隊 の 目 的 は 米 国 への 感 謝 の 意 を 表 明 すること 日 本 は 被 災 地 を 除 き 元 気 であること 日 米 交 2
流 親 善 にお 役 に 立 ちたい 震 災 後 も 国 際 貢 献 に 今 後 も 寄 与 し 続 けたいとの 趣 旨 を 発 言 して 出 席 者 から 大 きな 拍 手 を 浴 びました タンパ 駐 在 のCoalition 軍 連 絡 官 ( 将 軍 クラス)も 参 加 する 中 米 中 央 軍 作 戦 部 長 ドネガン 少 将 は 私 の 質 問 に 答 えて 米 国 市 民 の 軍 人 に 対 する 良 好 な 市 民 関 係 海 外 で 従 事 する 米 軍 人 米 軍 組 織 への 市 民 の 信 頼 尊 崇 の 気 持 ちが 強 くみられる 9.11 以 降 志 願 兵 の 海 外 派 遣 が 増 大 し 市 民 の 身 近 な 人 間 がより 多 く 活 躍 するよう になり 良 好 な 市 民 感 情 が 強 まったのではないかと 発 言 他 方 豪 軍 海 将 ( 連 絡 官 )からは アフガンなど 世 界 に 展 開 する 豪 州 軍 は 不 幸 な 事 件 が 起 こるたびに 国 内 で 派 遣 の 是 非 を 問 う 声 があり 市 民 感 情 と 理 解 は 米 国 の 比 ではないと 述 べていました 5.セントピーターズバーグ 市 長 表 敬 大 塚 司 令 官 から 以 前 に 同 市 から 米 中 央 軍 司 令 本 部 に 通 っていたので 第 2 第 3の 故 郷 に 戻 った 気 持 ちであること 今 回 練 習 艦 隊 の3 隻 総 乗 員 数 725 名 であり そのうち 幹 部 候 補 生 学 校 を 出 た 実 習 生 は 約 180 名 であること 寄 港 の3つの 使 命 を 説 明 しました さらに 東 日 本 大 震 災 直 後 の 被 災 地 の 写 真 及 び 米 軍 による 支 援 ( 友 達 作 戦 )の 状 況 を 示 す 過 去 写 真 を 持 参 して 説 明 フォスター 市 長 からは 被 災 地 の 被 害 の 大 きさに 驚 きの 声 があがりました 同 市 長 より 同 市 の 姉 妹 都 市 である 高 松 市 の 市 長 が10 月 に 同 市 を 訪 問 すること 自 分 ( 市 長 )は11 月 に 高 松 市 など1 週 間 程 度 訪 問 予 定 である その 後 地 元 プロ 野 球 チームで 活 躍 した 日 本 選 手 などの 話 しもありました 寄 港 地 事 情 講 話 (25 日 13:15-13:45) 練 習 艦 かしま 実 習 生 講 堂 において 在 マイアミ 総 領 事 館 の 領 事 及 び 当 地 旅 行 代 理 店 代 表 者 より 実 習 幹 部 約 120 名 に 対 して タンパ 事 情 講 話 を 行 いました タンパ の 治 安 状 況 について パワーポイントを 用 いつつ 日 本 とフロリダやタンパの 犯 罪 発 生 件 数 を 比 較 しながら 説 明 を 行 ったところ 実 習 幹 部 は 皆 熱 心 に 聞 き 入 っていました 6. 艦 上 レセプション(25 日 18:30-20:00) 練 習 艦 かしま 及 び あさぎり の 艦 上 に おいて 大 塚 司 令 官 と 私 の 共 催 による 艦 上 レセプションを 開 催 しました タンパ 市 近 郊 を 中 心 としてフロリダ 州 各 地 から300 名 を 超 えるゲストが 参 加 してくださいました 大 塚 司 令 官 と 私 が 挨 拶 を 行 い, 続 いて ヒギンボサム ヒルズボロー 郡 議 長 ドネガ ン 少 将 大 塚 司 令 官 とともに 鏡 割 りをしまし 3
た 約 2 時 間 にわたって 開 催 された 本 レセプションにおい ては 終 始 音 楽 隊 による 生 演 奏 があり 参 加 した 実 習 幹 部 による すき 焼 きソング ( 坂 本 九 ) などの 合 唱 が 行 われる 等 和 やかな 雰 囲 気 のもと 練 習 艦 隊 幹 部 や 実 習 幹 部 とゲストとの 交 流 が 大 変 活 発 に 行 われました 艦 艇 一 般 公 開 (26 日 及 び27 日 13:30-15:30) 練 習 艦 あさぎり の 一 般 公 開 が 行 われ 両 日 併 せて 計 約 2600 名 (26 日 : 約 1100 名 27 日 : 約 1500 名 )の 参 加 がありました なお 一 般 公 開 の 来 場 記 念 として 練 習 艦 隊 ポスターが 無 料 配 布 され(コニカ ミノルタ 社 提 供 ) 好 評 を 博 していました 7.タンパ 市 長 表 敬 26 日 午 後 タンパ 市 長 を 大 塚 司 令 官 と ともに 表 敬 しました 市 長 は 軍 務 経 験 者 であり マックディール 基 地 の 存 続 の 危 機 に 際 しては 常 駐 基 地 としての 存 続 に 大 いに 尽 力 し 軍 関 係 者 からの 信 頼 も 厚 い ことが 表 敬 の 際 に 話 題 になりました 大 塚 司 令 官 から 同 市 長 に 対 して 横 須 賀 市 長 からの 親 書 が 手 交 されました 高 松 市 高 校 生 と 実 習 幹 部 との 交 流 ダリ 美 術 館 訪 問 (26 日 14:00-15:30) 練 習 艦 隊 実 習 幹 部 が 史 跡 等 研 修 のため 香 川 県 高 松 市 と 姉 妹 都 市 関 係 にあるセントピーターズバーグ 市 (タ ンパ 市 の 南 西 に 位 置 ; 車 で30 分 程 度 )を 訪 問 する 機 会 を 捉 え 当 館 アレンジにより 7 月 21 日 ~8 月 2 日 の 日 程 で セ 市 を 訪 問 している 高 松 市 の 女 子 高 校 生 4 名 と 実 習 幹 部 10 名 とがともに 同 市 所 在 のダリ 美 術 館 を 訪 問 しました まず 日 本 人 ガイドの 案 内 でダリ 絵 画 を 鑑 賞 し 参 加 者 全 員 で 記 念 撮 影 を 行 った 後 4
実 習 幹 部 から 高 校 生 にこれまでの 寄 港 地 の 模 様 について 写 真 を 見 せながら 説 明 し 高 校 生 からは 海 上 自 衛 隊 での 生 活 の 様 子 について 質 問 が 行 われる 等 交 流 が 行 わ れました 地 元 大 学 とのスポーツ 交 歓 (26 日 17:30-) 南 フロリダ 大 学 (USF)において 実 習 幹 部 12 名 ( 剣 道 :8 名 合 気 道 :4 名 )とUSF のジャパンクラブを 中 心 とした 学 生 との 間 で 剣 道 と 合 気 道 のスポーツ 交 歓 が 行 われま した ホストファミリープログラム(26 日 -27 日 ) タンパ 市 観 光 局 の 呼 び 掛 けにより 応 募 のあったホストファミリー 計 34 家 族 によるホスト ファミリープログラムが 行 われ 実 習 幹 部 59 名 が 参 加 しました 26 日 夜 から27 日 の 昼 ま でにかけて 各 実 習 幹 部 はそれぞれのホストファミリーが 計 画 したプログラムに 沿 って 米 国 一 般 家 庭 との 交 流 を 行 いました 8. 地 元 歓 迎 レセプション(26 日 18:30-20:00) タンパ 市 コンベンション センターにおいて ヒ ルズボロー 郡 及 びタンパ 市 の 共 催 による 歓 迎 レセ プションが 開 催 され 大 塚 司 令 官 各 艦 長 実 習 生 50 名 を 含 む 約 200 名 が 参 加 しました 地 元 経 済 界 人 在 留 邦 人 も 招 待 されました 当 館 からは 私 中 村 領 事 パットン 職 員 らが 参 加 また 当 館 のアレンジにより セントピーターズバーク 市 を 訪 問 している 高 松 市 高 校 生 4 名 も ホストファミリーと ともに 参 加 しました 海 上 自 衛 隊 音 楽 隊 による 太 鼓 演 奏 やミス タンパによる 歌 の 披 露 等 が 行 われる 中 実 習 幹 部 も 地 元 参 加 者 との 交 流 を 活 発 に 行 いました 9. 慰 霊 碑 献 花 式 7 月 27 日 午 前 9 時 からマックディール 基 地 内 に ある 慰 霊 碑 前 において 米 側 よりハワード 米 軍 副 司 令 官 他 大 塚 司 令 官 幹 部 実 習 生 マイアミ 総 領 事 館 からは 私 が 参 加 しました 海 自 練 習 艦 隊 音 楽 隊 による 両 国 国 家 演 奏 の 後 慰 霊 碑 に 献 花 を 行 いました タンパ 大 学 プラント 美 術 館 訪 問 (27 日 10:00-11:00) 私 が 日 本 海 軍 ゆかりの 地 として 訪 問 を 予 定 していたヘンリー プラント 美 術 館 へは 当 初 大 塚 司 令 官 の 参 加 予 定 はなかったのですが 急 遽 参 加 することとなりました 5
1898 年 に 勃 発 した 米 西 戦 争 当 時 当 地 タンパに 派 遣 されたワシントン 駐 在 の 秋 山 真 之 大 日 本 帝 国 海 軍 少 佐 ( 最 終 階 級 は 中 将 )が 宿 泊 した タンパ ベイホテルの 建 物 が 現 在 は 美 術 館 タンパ 大 学 施 設 として 利 用 されています 当 時 の 秋 山 少 佐 に 関 する 英 字 新 聞 記 事 文 献 写 真 を 同 美 術 館 で 所 蔵 しており 今 次 大 塚 司 令 官 の 訪 問 に 合 わせて ゆかりの 所 蔵 品 を 倉 庫 から 搬 出 し 館 長 が 詳 細 な 説 明 をしてくれました 大 塚 司 令 官 は 興 味 深 く 聞 き 入 り 記 念 撮 影 後 美 術 館 関 係 者 に 対 して 練 習 艦 隊 記 念 メダルが 贈 呈 されました 10.ネイビーリーグ 主 催 昼 食 会 (27 日 12:00-13:30) タンパ 市 内 ホテルにおいて 大 塚 司 令 官 がゲストスピーカーとして 招 聘 されたネイビ ーリーグ( 退 役 軍 事 による 支 援 組 織 ) 主 催 の 昼 食 会 が 開 催 され ネイビーリーグからは 約 50 名 の 参 加 者 がありました 会 場 では 司 令 官 による 講 話 のほか 司 令 官 とともに 参 加 した 音 楽 隊 による 演 奏 が 行 われ 大 盛 況 だったそうです 本 官 主 催 昼 食 会 (27 日 12 時 ~13 時 45 分 ) タンパ 市 内 ホテルに 今 回 の 練 習 艦 隊 受 け 入 れに 御 尽 力 された 地 元 自 治 体 関 係 者 タンパ 港 湾 当 局 マックディール 空 軍 基 地 副 司 令 官 在 留 邦 人 代 表 及 び 長 野 市 と 姉 妹 都 市 のクリアウォータ 市 長 など を 招 き 冒 頭 私 から 深 甚 なる 感 謝 の 意 を 表 明 するスピーチを 行 いました 11. 練 習 艦 隊 のタンパ 出 港 7 月 28 日 09: 00-) ヒルズボロー 郡 及 びタンパ 市 関 係 者 による 見 送 りが 行 われ 次 寄 港 地 ノーフォークに 向 けて 無 事 出 発 しました 出 発 に 先 立 ち 練 習 艦 隊 の 寄 港 期 間 中 に 当 地 シー カデット( 日 本 の 海 洋 少 年 団 と 同 様 の 団 体 )が 歓 迎 レセプションや 街 頭 で 実 施 し た 東 北 大 震 災 の 被 災 者 に 向 けた 義 援 金 募 金 6
( 了 ) 活 動 の 結 果 が 練 習 艦 かしま 艦 内 において 報 告 され 同 活 動 に より 集 まった 義 援 金 額 を 記 載 した 模 造 小 切 手 プレートが 募 金 活 動 に 参 加 したシー カデット6 名 か ら 大 塚 司 令 官 に 対 して 贈 呈 され ました( 募 金 自 体 は 米 国 赤 十 字 を 通 じて 日 本 に 送 金 されます) 大 塚 司 令 官 より 善 意 溢 れる 活 動 に 対 しての 謝 意 表 明 がありました 7