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Transcription:

ニーチェ 道 徳 の 系 譜 学 における 無 への 意 志 の 階 層 性 と 両 義 性 について 松 田 愛 Zur Sich-vervielfachung und Zweideutigkeit des Willens zum Nichts in Zur Genealogie der Moral Ai MATSUDA Friedrich Nietzsche (1844-1900) ist bekannt für sein Wort»Gott ist todt«und seinen Nihilismus. In Zur Genealogie der Moral (1887) nennt er den Nihilismus Willen zum Nichts. Die Aufgabe dieses Aufsatzes liegt darin, den Willen zum Nichts in Zur Genealogie der Moral zu betrachten. Nietzsche definierte den Willen zum Nichts nicht in Zur Genealogie der Moral. Aber die Genealogie beginnt mit einer Einsicht über die Gefahr vom Nichts. Und sie endet mit dem Satz: lieber will noch der Mensch das Nichts wollen, als nicht wollen (ZGM : 3/28). Deshalb muss die Genealogie der Moral auch als die Genealogie des Willens zum Nichts verstanden werden. Mit solchem Verständnis kann die fundamentale Struktur des Nihilismus ins Klare gebracht werden. Sie ist wie folgt. Der Wille zum Nichts enthält drei Stufen. Die erste Stufe des Willens zum Nichts ist der religiöse Glaube. Die zweite Stufe ist der wissenschaftliche Wille zur Wahrheit. Nach Nietzsches Meinung sind sowohl der religiöse Gott als auch die wissenschaftliche Wahrheit ein Nein-sagen zum Leben. Jedoch das wissenschaftliche Nein-sagen verneint das religiöse Nein-sagen. Hier vervielfacht sich das Nein und wird viel tiefgründiger. Nietzsche denkt, dass weiterhin der wissenschaftliche Wille zur Wahrheit sich überwinden muss. Das Motiv dieses Aktes ist die negative Funktion des Willens zum Nichts. Also die dritte Stufe des Willens zum Nichts ist der Wille zur Wahrheit, der sich selbst kritisiert. An dieser Selbstkritik des Willens zur Wahrheit kommt die größte Gefahr. Diese Gefahr ist die Unmöglichkeit von der Enthaltung des Willens. Da diese Selbstkritik notwendig ist, ist diese Gefahr unvermeidlich. - 59 -

An dieser Selbstkritik des Willens zur Wahrheit entsteht auch die Möglichkeit auf das Auftreten des Starken, der das Leben unmittelbar bejaht. Nur der Wille zum Nichts als der Wille zur Wahrheit kann den Willen zum Nichts verneinen und kritisieren. Und weil der Wille zum Nichts weiß, dass es kein Ziel gibt, bejaht er das Ja-sagen des Starken. Hier vervielfacht sich das Ja-sagen zum Leben. Also der Wille zum Nichts ist nicht nur negativ, sondern auch positiv zu interpretieren. Der Wille zum Nichts umfasst daher die Sich-vervielfachung und die Zweideutigkeit. 目 次 はじめに 第 一 章 無 への 意 志 の 系 譜 学 第 一 節 系 譜 学 の 起 点 第 二 節 無 への 意 志 の 言 及 方 法 第 三 節 無 への 意 志 の 終 点 第 二 章 何 が 無 への 意 志 と 呼 ばれるのか 第 一 節 キリスト 教 の 神 への 信 仰 の 生 否 定 第 二 節 科 学 的 真 理 への 意 志 の 生 否 定 第 三 節 自 己 否 定 による 自 己 肯 定 という 逆 説 第 三 章 無 への 意 志 の 階 層 性 第 一 節 メタ 的 生 否 定 の 構 造 第 二 節 無 への 意 志 の 三 段 階 第 四 章 無 への 意 志 の 両 義 性 第 一 節 危 険 と 希 望 第 二 節 自 殺 的 ニヒリズム 第 三 節 真 理 への 意 志 の 自 己 止 揚 とメタ 的 生 肯 定 終 わりに 凡 例 注 - 60 -

はじめに 本 論 文 の 課 題 は ニーチェ(1844-1900 年 )の 道 徳 の 系 譜 学 (Zur Genealogie der Moral) (1887 年 執 筆 出 版 )における 無 への 意 志 (Wille zum Nichts) 1 を 解 明 することであ る 道 徳 の 系 譜 学 では 無 への 意 志 という 語 はニヒリズムという 語 と 並 置 され ニヒリズムのことを 指 し 示 している 従 来 の 研 究 では ニーチェのニヒリズム 思 想 を 明 ら かにするためには 道 徳 の 系 譜 学 よりも 遺 稿 断 片 が 重 視 されてきた 2 たしかに 道 徳 の 系 譜 学 では 無 への 意 志 そのものの 主 題 的 分 析 が 展 開 されているわけではない しかし そこではやはり 無 への 意 志 という 語 によってニヒリズムが 思 惟 されている ことは 間 違 いない 本 論 文 での 検 討 を 通 して 明 らかとなるように 道 徳 の 系 譜 学 全 体 を 通 して 無 への 意 志 の 全 体 像 が 浮 かび 上 がるのである したがって 道 徳 の 系 譜 学 における 無 への 意 志 を 解 明 することができれば ニーチェのニヒリズム 概 念 を 明 らか にすることができる 本 論 文 は 次 のように 進 む 第 一 章 では 道 徳 の 系 譜 学 は 無 への 意 志 =ニヒリズム の 系 譜 学 であることを 明 らかにする それによって 無 への 意 志 =ニヒリズム を 道 徳 の 系 譜 学 に 内 在 的 に 考 察 することの 妥 当 性 が 示 されるだろう 第 二 章 では キリスト 教 の 神 と 科 学 的 真 理 の 生 否 定 性 が 無 と 呼 ばれていることを 確 認 し 無 への 意 志 は 自 己 否 定 が 自 己 肯 定 を 意 味 するという 逆 説 性 を 表 現 する 定 式 であることを 明 らか にする 第 三 章 では 無 への 意 志 は 否 定 を 介 してメタ 化 する 構 造 を 持 ち 三 つの 段 階 に 階 層 化 されること それは 無 への 意 志 の 自 己 言 及 的 な 否 定 の 働 きを 契 機 とする 自 己 超 克 であることを 明 らかにする 第 四 章 では 無 への 意 志 の 階 層 化 が 必 然 的 であ るがゆえに 自 殺 的 ニヒリズム の 危 険 は 不 可 避 的 であること それは 同 時 に 生 の 直 接 的 肯 定 の 可 能 性 とメタ 的 生 肯 定 への 転 換 の 可 能 性 を 意 味 することを 明 らかにする それにより 無 への 意 志 は 両 義 的 3 であることが 示 される 以 上 から 道 徳 の 系 譜 学 における 無 への 意 志 はニーチェの ニヒリズム の 基 本 構 造 を 指 し 示 していること したがって 無 への 意 志 はニーチェ 哲 学 における 主 要 術 語 であることを 結 論 する 4 第 一 章 無 への 意 志 の 系 譜 学 第 一 節 系 譜 学 の 起 点 - 61 -

道 徳 の 系 譜 学 における 無 への 意 志 を 解 明 するに 当 たり まず 道 徳 の 系 譜 学 と 無 への 意 志 との 関 係 を 整 理 しておきたい それは 道 徳 の 系 譜 学 の 目 的 や 背 景 的 な 問 題 意 識 から 明 らかとなる ニーチェは 予 め 序 言 で 道 徳 の 系 譜 学 の 目 的 は 道 徳 的 諸 価 値 の 価 値 を 問 うこと であると 説 明 している(ZGM : Vorrede/6) そして この 目 的 のためには 道 徳 的 諸 価 値 の 発 生 や 発 展 にまつわる 諸 条 件 を 検 討 することが 必 要 である と 主 張 する(ibid.) かくして 道 徳 の 系 譜 学 が 行 われることになるのだが そこに は 道 徳 の 価 値 に 対 するニーチェの 次 のような 疑 念 があることに 注 意 したい とくに 問 題 なのは 非 利 己 的 なもの の 価 値 同 情 自 己 否 定 自 己 犠 牲 の 本 能 の 価 値 であった まさにここ = 同 情 自 己 否 定 自 己 犠 牲 の 本 能 に こそ 私 は 人 類 の 大 なる 危 険 を すなわち 人 類 が 最 も 崇 高 におびき 寄 せられ 誘 惑 されるのを 見 た しかし どこへ? 無 の 中 へ? まさにここにこそ 私 は 終 末 の 始 まり 立 ち 止 まり 振 り 返 る 疲 労 生 に 反 抗 する 意 志 優 しく 憂 鬱 に 現 われる 最 後 の 病 気 を 見 た つまり 私 は ますます 広 がりつつあり 哲 学 者 すらも 捉 え 病 気 にした 同 情 道 徳 を われわれの 不 気 味 になったヨーロッパ 文 化 の 最 も 不 気 味 な 症 候 であると 一 つの 新 しい 仏 教?への 一 つのヨーロッパ 仏 教?への ニヒリズム?への 迂 回 路 であると 理 解 した...(ZGM : Vorrede/5, KSA : 5/252) この 箇 所 で ニーチェは 系 譜 学 を 遂 行 する 自 らの 問 題 意 識 を 要 約 している その 問 題 意 識 とは 無 であり それは 生 にとっての 終 末 である そして 無 へと 至 ろうとすることはニヒリズムとも 言 われている そしてこの 箇 所 から 無 へ 至 ろうと するニヒリズムは まずニーチェの 同 時 代 すなわち 近 代 精 神 の 内 に 見 出 されている ことが 分 かる つまり 無 へ 至 ろうとするニヒリズムの 危 険 を 見 出 すからこそ 道 徳 の 系 譜 学 の 必 要 性 が 生 じているのである つまり 無 の 危 険 の 問 題 意 識 こそが ニーチェの 系 譜 学 の 起 点 である 第 二 節 無 への 意 志 の 言 及 方 法 実 際 に 系 譜 学 本 体 において 無 への 意 志 がどのように 語 られるのかを 確 認 してお こう 系 譜 学 は 第 一 論 文 善 と 悪 よいとわるい 5 第 二 論 文 負 い 目 疾 しい 良 心 その 他 第 三 論 文 禁 欲 的 理 想 は 何 を 意 味 するか? という 三 つの 論 文 から 構 成 されている そして 一 貫 して 道 徳 的 諸 価 値 の 価 値 が 生 の 成 長 を 促 すか 阻 - 62 -

害 するか という 観 点 から 判 断 され 6 道 徳 は 生 にとっての 危 険 であることが 確 認 さ れている 系 譜 学 本 体 においても 無 への 意 志 はニヒリズムと 言 い 換 え 可 能 な 語 として 用 いられる ニヒリズム ニヒリズム 的 という 語 の 前 後 に 無 への 意 志 や 無 への 欲 求 という 語 が 置 かれて 言 い 換 えられたり(ZGM : 2/21, 2/24, 3/14) 無 への 意 志 という 語 がなくても 無 がニヒリズムと 結 び 付 けられたりしている(ZGM : 3/26, 3/28) 無 や 無 への 意 志 という 語 の 使 用 は 第 一 第 二 第 三 の 各 論 文 に 見 られるが これらの 言 及 箇 所 に 共 通 するのは 無 への 意 志 とは である という 仕 方 ではな くて は 無 への 意 志 である という 仕 方 で 時 折 無 への 意 志 という 語 が 用 いられるということである 7 また ニヒリズム ニヒリズム 的 ニヒリストという 語 が 無 や 無 への 意 志 という 言 葉 なしに 単 独 で 用 いられる 場 合 もあるが そこでも 同 様 である(ZGM : 1/12, 3/4, 3/24, 3/26, 3/28) ニーチェが 道 徳 の 系 譜 学 で 取 り 上 げる 道 徳 とは 単 に 他 者 を 害 するなかれ というような 規 範 のことだけではない 宗 教 が 道 徳 の 起 源 として また 科 学 8 も 道 徳 的 な ものとして 批 判 9 され 無 への 意 志 と 関 連 付 けられる また 未 来 に 生 じるであろう 最 大 の 危 険 としても 無 への 意 志 =ニヒリズム が 言 及 される 系 譜 学 の 議 論 は 第 一 第 二 論 文 が 第 三 論 文 の 議 論 に 結 び 付 く 形 で 最 終 的 に 従 来 の 理 想 はすべて 無 への 意 志 =ニヒリズム であったとまとめられている したがって 道 徳 の 系 譜 学 は 実 質 的 に 言 えば 無 への 意 志 =ニヒリズム の 系 譜 学 である と 言 える 10 第 三 節 無 への 意 志 の 終 点 道 徳 の 系 譜 学 は 欲 しないことを 欲 するよりはむしろまだしも 無 を 欲 することを 欲 する という 言 葉 で 終 わり これは 無 への 意 志 のことである このように 道 徳 の 系 譜 学 は 一 貫 して 無 への 意 志 =ニヒリズム の 問 題 と 関 わっている ただし ニーチェ は 道 徳 の 系 譜 学 においてニヒリズムの 根 本 的 分 析 を 意 図 していたわけではない 私 によってここで 明 らかにされるはずのものとは この 理 想 = 禁 欲 的 理 想 が 何 を 引 き 起 こしたのかということではない むしろ 全 くただ それが 何 を 意 味 しているのかということ だけである (ZGM : 3/23, KSA : 5/395) あの 事 柄 = 近 代 精 神 の 奇 妙 で 複 雑 な 諸 々の 事 柄 について 私 は 別 の 連 関 - 63 -

においてより 根 本 的 かつより 厳 格 に 取 り 扱 う 手 はずになっている( ヨーロッパの ニヒリズムの 歴 史 について という 標 題 の 下 で これについては 私 が 準 備 して いる 著 作 すなわち 力 への 意 志 あらゆる 価 値 の 価 値 転 換 の 試 み を 挙 げてお く ) ( ZGM : 3/27, KSA : 5/408-409) 当 時 ニヒリズムという 言 葉 は 新 しいものではなかった 11 ことを 考 えると ニーチェが 取 り 立 てて 説 明 なしにニヒリズムという 語 を 持 ち 出 すのは(ZGM : 2/12, 3/4, 3/24, 3/26, 3/28) 自 分 の 問 題 意 識 が 当 時 のニヒリズムについてのものであることを 含 意 していると 考 えられ る ニーチェによれば 無 の 危 険 を 孕 んだ 当 時 の 具 体 的 なニヒリズムの 症 候 そのものを 批 判 的 に 取 り 上 げて より 根 本 的 かつより 厳 格 な 分 析 を 行 うのは 別 の 著 作 の 予 定 であった 12 道 徳 の 系 譜 学 の 目 的 は 道 徳 的 諸 価 値 の 価 値 を 問 うことであり その 結 論 が 無 への 意 志 であり それは 無 という 終 末 の 危 険 をもたらすという 価 値 を 持 っていることを 意 味 している したがって 道 徳 の 系 譜 学 で 行 われるのは 無 への 意 志 =ニヒリズム の 系 譜 を 描 き 出 すことまでである したがって 無 への 意 志 とは 何 かを 理 解 するためには 何 が 無 への 意 志 と 呼 ば れるのかという 点 を 踏 まえつつ さらに 踏 み 込 んで 系 譜 学 の 議 論 の 全 体 から 無 への 意 志 を 浮 かび 上 がらせねばならない そこで 本 論 文 では まず 第 二 章 で 何 が 無 へ の 意 志 と 呼 ばれるのかを 確 認 し それを 踏 まえて 第 三 章 では 無 への 意 志 の 系 譜 学 という 観 点 から 道 徳 の 系 譜 学 の 議 論 を 再 構 成 する 第 二 章 何 が 無 への 意 志 と 呼 ばれるのか 第 一 節 キリスト 教 の 神 への 信 仰 の 生 否 定 ニーチェは キリスト 教 の 神 と 仏 教 の 無 とを 同 等 視 し キリスト 教 の 神 を 無 と 呼 ぶ 神 との 神 秘 的 合 一 (unio mystica)への 欲 求 (Verlangen)は 仏 教 徒 の 無 へ すな わち 涅 槃 (Nirvâna)へと 没 入 することの 欲 求 である (ZGM : 1/6, KSA : 5/266) - 64 -

ニーチェは 仏 教 的 無 の 概 念 の 内 実 を 踏 まえて それと 同 じ 概 念 をキリスト 教 の 内 に 見 出 しているわけではない 神 と 無 との 同 等 視 は 宗 教 はいずれにせよ 生 の 苦 し みからの 解 放 を 求 めるものであるという 極 めて 一 般 的 な 観 点 13 を 表 現 しているに 過 ぎない つまり ニーチェが 無 として 理 解 しているのは 苦 悩 を 感 じな く なった 状 態 としての 無 である 催 眠 的 な 無 感 情 (Nichts-Gefühl) 最 も 深 い 眠 りの 安 息 要 するに 苦 しみの 無 いこと これが 苦 悩 する 者 と 根 本 的 に 不 調 な 者 たちにとっては すでに 最 高 の 善 価 値 の 価 値 と 看 做 されてしかるべきものであり これは 彼 らによって 積 極 的 であると 評 価 され 積 極 的 なものそのものであると 感 じられねばならない ( 感 情 の 同 じ 論 理 によって あらゆるペシミスティックな 宗 教 においては 無 が 神 と 呼 ば れ る )( ZGM : 3/17, KSA : 5/382) このように 神 = 無 とは 苦 しみの 無 さのことを 指 して 言 われているが ニーチェによ れば その 苦 しみの 無 さの 実 質 は 禁 欲 的 催 眠 感 情 である 14 禁 欲 はあらゆる 欲 求 を 禁 じ 断 食 などの 苦 行 を 通 して 生 存 のための 基 本 的 欲 求 を 極 限 まで 禁 ずる 例 えば 食 欲 を 禁 ず ることは 生 を 否 定 することに 等 しい すなわち ニーチェの 言 う 神 = 無 は 生 きてい るという 状 態 の 最 も 消 極 的 あり 方 としての 無 であり 此 の 現 実 の 生 に 対 する 否 定 であ る(ZGM : 3/11) こうした 生 否 定 的 なキリスト 教 の 神 概 念 は 道 徳 的 な 善 / 悪 という 価 値 判 断 と 結 び 付 いている ニーチェは 善 / 悪 という 価 値 判 断 は ルサンチマン(Ressentiment) による 他 者 に 対 する 否 定 から 生 じる と 考 える(ZGM : 1/10) ルサンチマン とは 弱 者 の 強 者 に 対 する 憎 悪 や 復 讐 欲 の 蓄 積 である 生 に 属 する 欲 望 を 満 たす 強 者 は 弱 者 を 侵 害 するがゆえに 悪 として 否 定 される また ニーチェは ルサンチマンが 他 者 ではなく 自 己 に 向 け 変 えられることによって 人 間 の 生 は 禁 止 し 監 視 しなければ 悪 を 犯 すもの 潜 在 的 な 悪 と 看 做 され 良 心 の 限 りなく 厳 しい 審 問 の 下 にさらされるようになったと 考 える そのような 負 い 目 の 感 情 の 内 に ニーチェは 生 存 の 無 価 値 化 を 見 て 取 り それを 生 存 からのニヒリズ ム 的 逃 避 無 への 欲 求 もしくは 生 存 の 反 対 物 への 別 個 の 生 存 への 要 求 仏 教 やそ の 類 のもの と 呼 ぶ(ZGM : 2/21) また 諸 々の 力 複 合 体 の 闘 い を 否 定 し 平 等 を 実 現 することを 目 指 すならば それは 人 間 の 未 来 の 暗 殺 計 画 疲 労 の 一 つの 徴 無 への 一 つの 抜 け 道 である とニーチェは 言 う(ZGM : 2/11) - 65 -

以 上 のように ニーチェはキリスト 教 の 神 = 善 それ 自 体 = 正 義 = 真 理 という 肯 定 的 概 念 の 生 否 定 性 を 指 摘 する これにより 東 洋 のみならず 西 洋 においても 生 否 定 が 生 存 肯 定 を 消 極 的 なものが 積 極 的 なものを 意 味 してきたことが 明 らかとなった 第 二 節 科 学 的 真 理 への 意 志 の 生 否 定 ニーチェによれば 科 学 も 宗 教 と 同 様 に 禁 欲 的 であり 生 否 定 的 である それゆえ 宗 教 と 科 学 は 一 括 して 無 への 意 志 と 呼 ばれる(ZGM : 3/28) 尤 も 宗 教 的 な 事 柄 から 距 離 を 取 ろうとする 意 識 無 神 論 的 傾 向 が 近 代 の 科 学 (Wissenschaft)の 特 徴 であることは ニーチェも 認 めている(ZGM : 3/23-26, JGB : 3/58) しかし ニーチェによれば 両 者 の 対 立 は 見 かけでしかない なぜなら 彼 ら = 無 神 論 者 反 キリスト 者 非 道 徳 家 ニヒリストたち はいまだ 真 理 を 信 じているからだ と ニーチェは 言 う そして ニーチェは 真 理 は 神 と 同 じく 形 而 上 学 的 概 念 で あると 言 う(ZGM : 3/24) その 議 論 の 要 旨 は 以 下 の 通 りである 例 えば 太 陽 が 地 球 の 周 りを 回 っているように 見 えようとも そのままを 信 じることは 間 違 いである 肉 体 的 感 覚 的 に 捉 えられたものは 疑 うべきであり 自 然 的 な 生 の 条 件 下 で は 真 理 を 捉 えようと 欲 しても 人 間 は 間 違 いを 犯 しやすい 人 間 は 確 実 なものでも 正 し いものでもなく 疑 わしいものであり そのような 確 実 でないものは 科 学 的 真 理 への 意 志 にとって 信 じるに 値 しないものであり 価 値 の 低 いものである このように ニーチェ は 科 学 的 真 理 概 念 が 宗 教 的 神 概 念 と 等 しく 生 否 定 的 であることを 明 らかにする そして その 生 否 定 を 宗 教 的 信 仰 の 場 合 と 同 様 に 無 と 呼 ぶ コペルニクス 以 来 人 間 は 斜 面 に 落 ち 込 んだように 思 われる 人 間 は 今 やま すます 速 く 中 心 点 から 転 がり 落 ちる どこへ? 無 の 中 へ? 刺 し 抜 くような 自 己 の 無 の 感 情 の 中 へ?(ZGM : 3/25, KSA : 5/404) 人 間 が 一 種 の 動 物 として 扱 われ 宇 宙 の 中 心 ではなく 太 陽 の 周 りを 回 る 一 惑 星 の 住 人 と して 自 己 認 識 することは 人 間 が 人 間 であることに 何 ら 特 別 な 意 味 も 価 値 も 認 めないとい うことである(ZGM : 3/25) - 66 -

第 三 節 自 己 否 定 による 自 己 肯 定 という 逆 説 以 上 のように 宗 教 的 禁 欲 は 力 の 源 泉 を 塞 ぐことが 力 の 発 揮 を 意 味 し 苦 しめること が 苦 しみからの 解 放 を 意 味 し 終 末 を 欲 することが 生 存 の 維 持 を 帰 結 する 科 学 的 禁 欲 は 真 理 を 求 める 自 己 に 誠 実 であろうとして 疑 わしいものを 真 理 とは 認 めないとこ ろに 科 学 の 自 負 の 拠 り 所 がある(ZGM : 3/25) これは 真 理 欲 求 を 満 たさないことが 最 も 真 理 に 近 づくことを 意 味 する ということである このように 宗 教 的 信 仰 も 科 学 的 真 理 への 意 志 も 生 を 否 定 的 に 評 価 し 自 己 が 欲 望 のままに 振 る 舞 うことのない ように 自 己 は 常 に 自 己 自 身 を 良 心 の 審 問 にかけ 自 己 を 否 定 的 に 規 定 する それが 宗 教 的 人 間 科 学 的 人 間 の 生 存 (Dasein)の 意 味 (Sinn) となり 自 己 が 肯 定 される 15 ニーチェは このように 自 己 を 否 定 的 に 規 定 することによ る 自 己 肯 定 を 逆 説 16 的 と 呼 ぶとともに 無 への 意 志 と 呼 ぶ ニーチェによれば このような 禁 欲 の 生 否 定 性 の 根 本 には 自 己 の 生 存 を 維 持 肯 定 す るための 必 要 性 (Necessität) がある(ZGM : 3/11) 17 また 無 への 意 志 は 欲 しないことを 欲 するよりはむしろまだしも 無 を 欲 することを 欲 する ことであると 定 式 化 され(ZGM : 3/28) 意 志 の 維 持 を 含 意 している(ibid.) 禁 欲 的 理 想 から 方 向 を 得 た 意 欲 全 体 が 何 を 表 現 しているのかは 全 く 隠 しよう がない すなわち 人 間 的 なものに 対 する そればかりか 動 物 的 なものに 対 する そればかりか 物 質 的 なものに 対 するこの 憎 悪 感 性 に 対 する 理 性 にさえも 対 す るこの 嫌 悪 幸 福 と 美 に 対 するこの 恐 れ あらゆる 仮 象 変 転 生 成 死 願 望 欲 求 からでさえも 逃 れようとするこの 欲 求 これらすべては 敢 えて 把 握 しよ うとすれば 無 への 意 志 生 に 対 する 嫌 悪 生 の 最 も 基 本 的 な 前 提 に 対 する 反 抗 を 意 味 するが しかしそれはあくまでも 一 つの 意 志 である!...そしてはじめに 言 ったことを 最 後 になお 言 うとすれば 人 間 は 欲 しないことを 欲 するよりはむし ろまだしも 無 を 欲 することを 欲 する...(ZGM : 3/28, KSA : 5/412) 以 上 より 無 への 意 志 は 具 体 的 には 宗 教 的 信 仰 と 科 学 的 真 理 への 意 志 であ り 形 式 的 には 自 己 否 定 による 自 己 肯 定 の 逆 説 性 を 表 現 する 定 式 である と 結 論 できる これを 踏 まえて 次 章 では 系 譜 学 を 無 への 意 志 の 系 譜 学 として 再 構 成 する - 67 -

第 三 章 無 への 意 志 の 階 層 性 第 一 節 メタ 的 生 否 定 の 構 造 無 への 意 志 は それを 否 定 しさえすれば 回 避 できるわけではない 何 よりもまず キリスト 教 道 徳 を 生 否 定 的 であると 批 判 し 否 定 的 に 評 価 するニーチェ 自 身 が 無 への 意 志 =ニヒリズム を 避 けることはできない 善 / 悪 の 価 値 判 断 によって 他 なる 強 者 を 否 定 する 弱 者 に 対 する 厳 しい 批 判 は 吐 き 気 (Ekel) という 言 葉 で 表 現 され る が( ZGM : 1/11, 3/14, 3/19) その 吐 き 気 は ニーチェによればニヒリズムである(ZGM : 1/12) というのも 弱 者 = 善 人 に 吐 き 気 を 催 す 者 は 人 間 の 弱 化 = 善 化 を 見 て 人 間 というものに 苦 悩 し 人 間 に 対 する 期 待 と 意 志 を 喪 失 するからである(ZGM : 1/11-12) ヨーロッパの 人 間 の 卑 小 化 と 平 均 化 は われわれの 最 大 の 危 険 を 伴 っている というのもこの 光 景 は 見 る 者 を 倦 み 疲 れさせるがゆえに... 人 間 の 光 景 は 今 や 見 る 者 を 倦 み 疲 れさせる これがニヒリズムでないならば 今 日 ニヒリズ ムとは 何 であるか?...われわれは 人 間 に 倦 み 疲 れている...(ZGM : 1/12, KSA : 5/278) そこにあって 人 間 への 信 頼 や 期 待 を 可 能 にする 強 者 の 切 望 は 何 よりもまずニーチ ェ 自 身 のものである(ZGM : 1/12) 強 者 は ニーチェにとって これまでの 理 想 からわれわれを 解 放 するとともに これまでの 理 想 から 生 じざるを 得 なかったもの 大 な る 吐 き 気 無 への 意 志 ニヒリズムからもわれわれを 解 放 する 存 在 である(ZGM : 2/24) 道 徳 を 否 定 するニーチェ 自 身 の 無 への 意 志 =ニヒリズム は 生 否 定 を 否 定 する 者 の 生 否 定 生 に 苦 悩 し 倦 み 疲 れた 者 を 見 る 者 の 生 への 倦 み 疲 れであり そこで 否 定 はメタ 化 し 冪 を 高 めていることが 分 かる このようなニーチェ 自 身 のニヒリズムは 宗 教 的 信 仰 を 否 定 する 科 学 的 真 理 への 意 志 が 生 否 定 であることの 構 造 を 示 唆 していると 解 釈 できる というのも ニーチェ 自 身 が 科 学 的 良 心 知 的 良 心 を 担 っているからである ニーチェは 自 己 自 身 が 真 理 への 意 志 として 誠 実 であろうとするからこそ キリスト 教 道 徳 の 自 己 欺 瞞 をいわば 暴 露 的 に 指 摘 し 得 るのである 18 また 無 への 意 志 は 過 去 やニーチェにとっての 今 日 についてのみ 言 われている のではない 次 の 箇 所 では 無 への 意 志 は 未 来 に 生 じる - 68 -

病 者 は 健 康 な 者 にとって 最 大 の 危 険 である 強 者 たちにとっての 災 いは 最 も 強 い 者 からではなく 最 も 弱 い 者 たちから 生 じる 恐 れねばならないもの 比 類 なきほどに 宿 殃 的 に 働 くものは 大 なる 恐 れではなく 人 間 に 対 する 大 なる 吐 き 気 であろう 同 じく 人 間 に 対 する 大 なる 同 情 (Mitleid)であろう これら 両 者 がいつの 日 か 交 合 するとすれば 不 可 避 的 にただちに 何 か 不 気 味 なものが 世 界 にやって 来 るであろう すなわち 人 間 の 最 後 の 意 志 人 間 の 無 への 意 志 ニ ヒリズムが (ZGM : 3/14, KSA : 5/368) ここでは 無 への 意 志 =ニヒリズム は 接 続 法 二 式 で 述 べられ 予 告 的 に 提 示 されて いる すでに 本 論 文 の 第 一 章 第 一 節 で 確 認 した 序 言 の 箇 所 で 同 情 本 能 の 内 に 無 へ 至 ろうとする 生 否 定 的 意 志 と 危 険 が 見 出 されるとともに 同 情 道 徳 がニヒリズムの 迂 回 路 ではないか と 考 えられている(ZGM : Vorrede/5) つまり 道 徳 はそれ 自 身 無 への 意 志 であるが またそこからさらに 無 への 意 志 を 生 じさせもする つまり 道 徳 と 無 への 意 志 との 関 係 は 複 雑 である 道 徳 に 関 連 してニヒリズムという 病 を 見 て 取 るニーチェは 序 言 ですでに 道 徳 を 結 果 としての 道 徳 と 同 時 に 原 因 としての 道 徳 としても 捉 える 必 要 性 を 説 いている(ZGM : Vorrede/6) 第 二 節 無 への 意 志 の 三 段 階 宗 教 は 生 を 否 定 的 に 評 価 しながらも 神 の 国 の 理 想 への 過 渡 的 段 階 として 人 間 的 生 を 動 物 から 区 別 し 特 権 化 した しかし 科 学 においては 認 識 対 象 すべてが 平 等 に 扱 われ ねばならず 宗 教 において 与 えられた 動 物 に 対 する 人 間 の 特 権 的 地 位 は 認 められない ゆ えに 科 学 における 生 否 定 は 宗 教 以 上 である と 言 える ニーチェは 近 代 の 歴 史 記 述 を 高 度 に 禁 欲 的 であるがしかし 同 時 により 高 度 にニヒリ ズム 的 である と 述 べる(ZGM : 3/26) なぜならば それはあらゆる 目 的 論 を 拒 否 す る それはもはや 何 も 証 明 する のを 欲 しない それは 肯 定 しないのと 同 様 に 否 定 せず それは 確 定 し 記 述 する ことを 旨 とするからである(ibid.) このよう な 歴 史 観 は 何 のため という 問 いに 対 して 答 えを 与 えてくれず 一 切 は 無 駄 だ (Umsonst)! 無 だ(Nada)! となる とニーチェは 言 う(ibid.) つまり 真 理 を 追 究 すると 真 理 が 無 い という 認 識 こそが 真 理 である という 事 態 に 突 き 当 たる したがって 真 理 への 意 志 は 最 終 的 には 真 理 が 無 - 69 -

い ということも 言 えなくなる 真 理 が 無 い ならば 真 理 が 無 い という 認 識 自 体 の 真 理 性 も 無 い からである 真 理 が 無 い という 事 態 が 真 理 へ の 意 志 としての 自 己 自 身 に 跳 ね 返 り 真 理 が 無 い という 認 識 そのものを 侵 食 す る あくまでも 真 理 への 意 志 である 以 上 は 真 ではない ことを 言 ってはならない それゆえ 真 理 への 意 志 は 究 極 的 には 肯 定 することも 否 定 することもできなくな る ニーチェが 言 及 しているニヒリストは 以 上 のように 理 解 することができる このように 科 学 的 真 理 への 意 志 が 誠 実 であろうとすればするほど 自 己 に 対 す る 否 定 的 監 視 は 強 まる そして 真 理 を 見 出 すことができないがゆえに 生 存 の 肯 定 はますます 困 難 になる 誠 実 であろうとすることは 疾 しい 良 心 の 否 定 の 働 きが 常 に 自 己 言 及 的 に 作 用 する ことに 他 ならない それゆえニーチェは 誠 実 さ の 自 己 超 克 ということを 考 える できる 限 り 厳 密 に 問 うて キリスト 教 の 神 に 勝 利 したのは 本 来 何 であったか? 答 えは 私 の 著 作 悦 ばしき 知 識 第 357 節 にある すなわち それは キリスト 教 の 道 徳 性 それ 自 身 ますます 厳 しく 理 解 された 誠 実 さの 概 念 科 学 的 良 心 にま で すなわちどんな 犠 牲 をも 厭 わない 知 的 清 廉 を 求 めるまでに 翻 訳 され 昇 華 さ れたキリスト 教 的 良 心 の 聴 罪 師 的 繊 細 さである かくして 教 義 と してのキリスト 教 は 自 己 の 道 徳 によって 没 落 したのであり かくして 今 や 道 徳 と してのキリスト 教 もまた 没 落 せねばならない われわれはこの 出 来 事 の 敷 居 の 所 に 立 っているのだ キリスト 教 の 誠 実 さは 一 つ 一 つ 結 論 を 引 き 出 した 後 最 後 には その 最 強 の 結 論 を すなわち 自 己 自 身 に 反 対 する 結 論 を 引 き 出 す しか しこのことが 起 こるのは あらゆる 真 理 への 意 志 は 何 を 意 味 するか という 問 い を 立 てる 時 である... 真 理 への 意 志 がこのように 自 己 を 意 識 するに 至 ると それ 以 後 疑 う 余 地 のないところだが 道 徳 は 没 落 す る ( ZGM : 3/27, KSA : 5/409-410) ここで 道 徳 としてのキリスト 教 は 没 落 せ ねばならない と 言 われていることに 注 意 しよう ニーチェは 科 学 の 宗 教 に 対 する 否 定 を 宗 教 に 由 来 する 誠 実 さ( 真 理 への 意 志 ) が 宗 教 を 否 定 し 超 え 出 る 自 己 超 克 として 捉 えることによって さらにそれを 推 し 進 める 誠 実 さ( 真 理 への 意 志 ) 自 身 の 必 然 的 な 自 己 超 克 を 構 想 しているのであ る そして 自 己 超 克 という 必 然 的 運 動 の 契 機 となるのは 無 への 意 志 における 自 己 否 定 の 働 きである ニーチェは 神 が 批 判 された 今 真 理 も 同 じく 生 否 定 的 であり 形 而 上 学 的 であ るという 議 論 を 提 示 して 見 せることで 真 理 を 絶 対 的 価 値 と 看 做 す 真 理 への 意 志 を 問 題 にすることを 可 能 にしている つまり ニーチェ 自 身 においてはすでに 真 理 への - 70 -

意 志 が 真 理 への 意 志 自 身 を 問 題 として 意 識 している ゆえに ここでも ニーチェ 自 身 のニヒリズムとして 述 べられたメタ 的 生 否 定 が 生 じることになる したがって 生 否 定 のメタ 化 という 観 点 から 真 理 への 意 志 は 三 つの 段 階 に 必 然 的 に 階 層 化 すると 解 釈 される すなわち 無 への 意 志 の 第 一 段 階 は 宗 教 的 神 への 信 仰 であり 第 二 段 階 は 科 学 的 真 理 への 意 志 であり 第 三 段 階 は 科 学 的 真 理 への 意 志 の 自 己 批 判 である 次 章 では 真 理 への 意 志 の 自 己 批 判 が 意 志 の 維 持 不 可 能 という 最 大 の 危 険 を 孕 みつつも それを 超 克 する 可 能 性 を 持 つという 意 味 で 両 義 的 であることを 明 らかに する 第 四 章 無 への 意 志 の 両 義 性 第 一 節 危 険 と 希 望 真 理 への 意 志 の 自 己 批 判 による 道 徳 としてのキリスト 教 の 没 落 については さ らに 次 のように 言 われている 真 理 への 意 志 がこのように 自 己 を 意 識 するに 至 ると それ 以 後 疑 う 余 地 の ないところだが 道 徳 は 没 落 する これはすなわち ヨーロッパの 次 の 二 世 紀 のためにとっておかれた 百 幕 の 大 芝 居 あらゆる 芝 居 の 中 で 最 も 恐 ろしく 最 も 問 うに 値 する そしてひょっとすると 最 も 希 望 に 満 ちてもいるかもしれない 芝 居 で あ る...( ZGM : 3/27, KSA : 5/410-411) 真 理 への 意 志 の 自 己 批 判 は 無 への 意 志 の 階 層 化 の 最 終 段 階 である したがって この 引 用 箇 所 から 無 への 意 志 の 階 層 化 は 危 険 を 意 味 すると 同 時 に 希 望 をも 意 味 する 可 能 性 を 持 つことが 分 かる ではその 危 険 と 希 望 とはそれぞれ 何 であろ うか 危 険 と 希 望 とは 何 かが 明 らかになることで 無 への 意 志 はその 帰 結 に おいて 両 義 的 であることが 示 されるだろう - 71 -

第 二 節 自 殺 的 ニヒリズム 無 への 意 志 の 最 終 段 階 である 真 理 への 意 志 の 自 己 批 判 によって 起 こる 最 も 恐 ろしい 事 態 とは 意 志 の 維 持 不 可 能 の 危 険 に 直 面 することである なぜならば 本 論 文 の 第 二 章 第 三 節 で 確 認 したように 禁 欲 的 理 想 は 無 への 意 志 であるが あくま でも 一 つの 意 志 である と 言 われ これまで 禁 欲 的 理 想 によって 自 殺 的 ニヒリズムに 対 して 扉 が 閉 ざされた と 言 われているからである(ZGM : 3/28) つまり 神 = 無 = 真 理 への 意 志 をすべて 否 定 し 生 否 定 的 意 志 をすら 持 たないならば それまでかろうじ て 確 保 してきた 意 志 の 維 持 が 不 可 能 になると 考 えられる それは 自 己 否 定 がもはや 自 己 肯 定 へと 転 換 し 得 ない 事 態 である このような 危 険 はさらに 次 のように 解 釈 することが できる 真 理 への 意 志 が 真 理 への 意 志 を 単 純 に 否 定 するならば すなわち 真 理 を 欲 す ることは 自 己 欺 瞞 だった という 判 定 は 誠 実 さ による 判 定 であり したがってそこ では 自 己 言 及 パラドックスが 生 じている つまり 真 理 への 意 志 の 自 己 批 判 が 相 対 主 義 に 至 るならば 嘘 つきパラドックス と 同 様 の 問 題 に 陥 り 真 理 への 意 志 の 自 己 批 判 という 事 柄 自 体 が 無 意 味 になり 成 り 立 たなくなる そうすると そもそもはじめか ら 何 も 欲 しなければよかったのだ ということになる というのも 何 かを 欲 すること は すべて 何 かを 真 理 として 欲 することになってしまうからである このようにして 無 への 意 志 の 否 定 がメタ 化 された 先 には 無 を 目 標 や 理 想 として 立 てることすらも できない 意 志 の 維 持 の 危 機 すなわち 終 末 が 迫 る したがって 真 理 への 意 志 が 真 理 への 意 志 を 批 判 した 結 果 真 理 への 意 志 を 否 定 するならば それはもはや 無 を 欲 することを 欲 する のでもない 欲 しないこと を 欲 すること であり その 帰 結 するところは 意 志 の 自 殺 であり 無 である それ こそが 終 末 としての 全 くの 無 であり ニーチェが 言 う 生 にとっての 究 極 的 危 険 であろう 無 への 意 志 は 自 己 否 定 を 媒 介 にして 必 然 的 に 階 層 化 されるのであるから 自 殺 的 ニヒリズム という 意 志 の 維 持 不 可 能 の 危 険 に 直 面 するのは 不 可 避 的 である 第 三 節 真 理 への 意 志 の 自 己 止 揚 とメタ 的 生 肯 定 - 72 -

本 章 第 一 節 で 確 認 したように 道 徳 の 没 落 は 最 も 恐 ろしく 最 も 問 うに 値 する そ してひょっとすると 最 も 希 望 に 満 ちてもいるかもしれない と 言 われる(ZGM : 3/27) つまり 真 理 への 意 志 の 自 己 批 判 は 無 の 危 険 を 克 服 する 可 能 性 を 担 保 する ことでも ある と 考 えられる では 無 への 意 志 =ニヒリズム の 克 服 とはいかなる 事 態 なのか ニーチェは 無 へ の 意 志 =ニヒリズム を 克 服 し 得 る 強 者 を 待 ち 望 んでいる(ZGM : 1/12, 2/24) そし て そ の 強 者 とは 生 否 定 的 な 理 想 をこそ 良 心 に 疾 しく 感 じる 存 在 である(ZGM : 2/24) つまり 無 への 意 志 =ニヒリズム の 克 服 は 強 者 による 生 否 定 の 否 定 がも はやメタ 的 生 否 定 ではなく 生 の 直 接 的 肯 定 に 転 じることであると 解 釈 できる 強 者 はそれを 見 る 無 への 意 志 に 生 への 希 望 を 生 じさせる とニーチェは 言 う(ZGM : 1/12) したがって 強 者 によって われわれ がニヒリズムから 解 放 される 事 態 とは 強 者 の 生 肯 定 を 見 る 者 の 生 肯 定 であり それはメタ 的 生 肯 定 であることになる では 真 理 への 意 志 の 自 己 批 判 は どのようにして 直 接 的 肯 定 とメタ 的 生 肯 定 へと 転 換 することができるのだろうか 生 否 定 を 否 定 し 得 るのは 真 理 への 意 志 のみであり まさに 否 定 するというところ に 真 理 への 意 志 の 本 質 がある 真 理 への 意 志 でなければ 真 理 への 意 志 の 自 己 欺 瞞 を 見 抜 くことはできない つまり ニーチェは 真 理 への 意 志 が 真 理 への 意 志 を 批 判 することで 生 じるパラドックスを 回 避 するのではなく 敢 えて 犯 すことを 主 張 し ていると 解 釈 できる それは 自 己 超 克 が 自 己 止 揚 とも 言 い 換 えられていること からも 確 認 される パラドックスを 敢 えて 犯 し 真 理 / 虚 偽 の 二 項 対 立 的 価 値 判 断 を はみ 出 すことで 真 理 への 意 志 が 維 持 されつつ 変 容 していくのではないだろうか つ まり 真 理 への 意 志 を 放 棄 するのではなく むしろ 真 理 への 意 志 をどこまでも 徹 底 化 させるのでなければならないのである そして 強 者 の 存 在 が それを 見 る 者 のメタ 的 生 肯 定 となるためには 強 者 を 見 る 者 の 意 志 が 維 持 されていることが 必 要 である それは 真 理 への 意 志 を 放 棄 しない 自 覚 的 無 への 意 志 であると 解 釈 できる 以 上 より 無 への 意 志 はその 階 層 化 の 帰 結 として 直 接 的 生 肯 定 の 可 能 性 を 担 保 す るとともに 生 肯 定 のメタ 化 の 働 きともなり 得 ると 結 論 できる 終 わりに - 73 -

本 論 文 は 道 徳 の 系 譜 学 における 無 への 意 志 を 系 譜 学 に 内 在 的 に 解 明 する ことを 課 題 とした 要 点 は 以 下 の 通 りである 道 徳 の 系 譜 学 は 無 の 危 険 の 問 題 意 識 から 始 まり 人 間 は 欲 しないことを 欲 するよりはむしろまだしも 無 を 欲 するこ とを 欲 する という 言 葉 で 終 わるという 議 論 の 構 成 を 踏 まえると 無 への 意 志 の 系 譜 学 として 解 釈 することができる( 第 一 章 ) そして 宗 教 的 神 および 科 学 的 真 理 概 念 が 無 と 呼 ばれ 無 への 意 志 は 自 己 否 定 が 自 己 肯 定 を 意 味 する 逆 説 性 を 表 現 する 定 式 である( 第 二 章 ) その 否 定 性 を 契 機 として 無 への 意 志 は 必 然 的 に 階 層 化 し 自 己 超 克 する( 第 三 章 ) 無 への 意 志 の 階 層 化 の 帰 結 として 自 殺 的 ニ ヒリズム という 究 極 的 生 否 定 の 危 険 が 不 可 避 的 となるが それとともに 無 へ の 意 志 がメタ 的 生 肯 定 へと 転 換 する 可 能 性 が 生 じると 考 えられる( 第 四 章 ) 以 上 のよ うに 無 への 意 志 に 着 目 しそれを 系 譜 学 的 に 解 明 することで 無 への 意 志 の 階 層 性 と 両 義 性 が 明 らかになった ここから ニーチェの 有 名 な 自 己 超 克 の 概 念 は 無 への 意 志 の 自 己 言 及 的 否 定 性 を 介 した 無 への 意 志 のメタ 化 のことであると 解 釈 できる また 無 への 意 志 =ニ ヒリズム の 克 服 のためには 真 理 への 意 志 を 放 棄 するのではなく むしろ 真 理 へ の 意 志 を 徹 底 化 させ パラドックスを 喚 起 すること そして 強 者 の 直 接 的 生 肯 定 を 肯 定 するというメタ 的 生 肯 定 が 考 えられている と 解 釈 できる このように 無 への 意 志 を 系 譜 学 的 に 考 察 することによって ニヒリズムの 基 本 構 造 が 浮 かび 上 がる 無 への 意 志 の 系 譜 学 によって 明 らかとなったニヒリズムの 基 本 構 造 は ニーチ ェ 哲 学 における ニヒリズム 解 明 のために 以 下 の 点 で 重 要 となる (1)ニヒリズムと いう 危 険 の 不 可 避 性 を 理 解 することができることにより ニーチェの ニヒリズ ム がどのような 性 格 を 持 つのか なぜ 問 題 なのかが 明 らかになる (2)したがって 無 への 意 志 の 系 譜 を 描 き 出 す 道 徳 の 系 譜 学 は ニヒリズムについての 根 本 的 分 析 の 出 発 点 であり 新 しい 価 値 の 創 造 のための 予 備 学 である 19 (3)ニーチェは 当 時 ニ ヒリズムの 根 本 的 分 析 は 力 への 意 志 概 念 によって 行 うつもりであったが 力 への 意 志 概 念 は 歴 史 の 具 体 的 展 開 に 根 ざした 無 への 意 志 概 念 と 相 互 補 完 的 な 関 係 にあると 推 測 される 20 ニーチェの ニヒリズム をより 広 くかつより 深 く 考 察 するためには 力 への 意 志 あ らゆる 価 値 の 価 値 転 換 の 試 み の 著 作 のために 書 かれた 遺 稿 断 片 も 含 めて 検 討 しなければ ならないが 遺 稿 断 片 の 理 解 のためには 道 徳 の 系 譜 学 における 無 への 意 志 の 階 層 性 と 両 義 性 を 踏 まえる 必 要 がある 21 道 徳 の 系 譜 学 における 無 への 意 志 にはニー チェ 哲 学 における 主 要 な 術 語 としての 位 置 づけが 与 えられねばならない - 74 -

凡 例 ニーチェのテキストからの 引 用 および 参 照 は 以 下 の 全 集 に 従 う Friedrich Nietzsche, Sämtliche Werke : Kritische Studienausgabe in 15 Bänden, hrsg. von Giorgio Colli und Mazzino Montinari, 2.Aufl., München : Deutscher Taschenbuch Verlag, Berlin/New York : Walter de Gruyter, 1988 (Neuausgabe, 1999) 引 用 及 び 参 照 箇 所 は 以 下 の 略 号 を 用 いて 示 した なお 略 号 の 後 には 章 あるいは 論 文 の 番 号 と 節 番 号 を 記 し 必 要 に 応 じて KSA : の 略 号 の 後 に 上 記 全 集 の 巻 数 とページ 番 号 を 添 えた JGB Jenseits von Gut und Böse ZGM Zur Genealogie der Moral ニーチェの 遺 稿 については KSA の 巻 数 の 後 に 慣 例 に 従 い ノート 番 号 断 片 番 号 書 かれた 時 期 を 付 して 示 した 原 文 における 強 調 は 下 線 で 示 し 筆 者 の 本 文 における 強 調 は 傍 点 で 表 わした なお 以 下 の 邦 訳 および 訳 者 による 註 も 参 照 させていただいた 信 太 正 三 訳 悦 ばしき 知 識 (ニーチェ 全 集 8) ちくま 学 芸 文 庫 1993 年 木 場 深 定 訳 善 悪 の 彼 岸 岩 波 文 庫 1970 年 木 場 深 定 訳 道 徳 の 系 譜 岩 波 文 庫 第 二 版 1964 年 秋 山 英 夫 浅 井 真 男 訳 道 徳 の 系 譜 ;ヴァーグナーの 場 合 ; 遺 された 著 作 (1889 年 ):ニ ーチェ 対 ヴァーグナー (ニーチェ 全 集 第 Ⅱ 期 第 三 巻 ) 白 水 社 1983 年 信 太 正 三 訳 善 悪 の 彼 岸 道 徳 の 系 譜 (ニーチェ 全 集 11) ちくま 学 芸 文 庫 1993 年 注 1 Wille zum Nichts や das Nichts の 訳 語 については 二 説 ある 一 つには Wille zum Nichts を 虚 無 への 意 志 das Nichts を 虚 無 とする 訳 である この 訳 を 採 用 する 主 な 翻 訳 は 信 太 正 三 訳 善 悪 の 彼 岸 道 徳 の 系 譜 (ちくま 学 芸 文 庫 版 ニーチェ 全 集 11 1993 年 )であ る もう 一 つには Wille zum Nichts を 無 への 意 志 das Nichts を 無 とする 訳 である この 訳 を 採 用 する 主 な 翻 訳 は 木 場 深 定 訳 道 徳 の 系 譜 ( 岩 波 文 庫 第 二 版 1964 年 ) および 秋 山 英 夫 浅 井 真 男 訳 道 徳 の 系 譜 ;ヴァーグナーの 場 合 ; 遺 された 著 作 (1889 年 ): ニーチェ 対 ヴァーグナー ( 白 水 社 版 ニーチェ 全 集 第 Ⅱ 期 第 三 巻 1983 年 )である 本 論 文 では 無 への 意 志 無 とする 訳 を 採 用 する その 理 由 は 虚 無 への 意 志 虚 無 という 言 葉 では 消 極 的 否 定 的 ニュアンスが 含 まれるからである 本 論 文 で 詳 しく 論 じ るように Wille zum Nichts や das Nichts には 消 極 的 否 定 的 ニュアンスのみならず 積 極 的 肯 定 的 ニュアンスも 含 まれていると 考 えるべきである それゆえ Wille zum Nichts や das Nichts を 消 極 的 否 定 的 なものに 限 定 してしまう 虚 無 への 意 志 や 虚 無 という 語 は 不 適 当 であると 考 えられる 2 M.Heidegger, Nietzsches Wort»Gott ist tot«, in: Holzwege, Frankfurt am Main : Vittorio Klostermann, 1950, pp.193-247( 茅 野 良 男 ハンス ブロッカルト 訳 ニーチェの 言 葉 神 は 死 せり 杣 径 ハイデッガー 全 集 第 5 巻 創 文 社 1988 年 235-296 頁 ) および 西 谷 啓 治 西 谷 啓 治 著 作 集 第 八 巻 ニヒリズム ( 創 文 社 1986 年 ) および 氣 多 雅 子 ニ - 75 -

ヒリズムの 思 索 ( 創 文 社 1999 年 )を 主 なものとして 参 照 また ニーチェのニヒリズ ムについての 文 章 として 最 も 有 名 な 標 準 状 態 であるニヒリズム ニヒリズム すなわち 目 標 が 欠 けている なぜ? に 対 する 答 えが 欠 けている ニヒリズムとは 何 を 意 味 するか? 至 高 の 諸 価 値 が 価 値 喪 失 しているということ は 遺 稿 断 片 の 一 つである(KSA : 12/9[35], Herbst 1887) 3 ハイデッガーもまた ニーチェの ニヒリズム は 常 に 従 来 の 価 値 の 喪 失 と 新 しい 価 値 の 定 立 という 両 義 性 を 持 つと 考 える(Heidegger, op.cit., pp.206-207, 231( 茅 野 良 男 ハンス ブロッカルト 訳 前 掲 書 250 279 頁 )) 4 ハイデッガーは ニーチェの ニヒリズム をヨーロッパの 歴 史 の 内 的 論 理 であり 根 本 的 な 動 態 を 意 味 していると 解 釈 する(Heidegger, op.cit., pp.193-194, 206, etc.( 茅 野 良 男 ハンス ブロッカルト 訳 前 掲 書 236 249-250 頁 等 )) また ハイデッガーは 力 への 意 志 の 本 質 を 考 察 することからニーチェの ニヒリズム も 理 解 されるべきだと 考 える (Heidegger, op.cit., p.214( 茅 野 良 男 ハンス ブロッカルト 訳 前 掲 書 259 頁 )) 本 論 文 は ハイデッガーが 内 的 論 理 という 言 葉 で 指 したのと 同 じ 事 柄 を 考 察 する ただし 本 論 文 では ハイデッガーとは 異 なり 無 への 意 志 を 系 譜 学 的 に 解 明 することによ って この 問 題 を 考 察 する なぜならば 力 への 意 志 からニヒリズムを 考 察 するために は まず 先 に 無 への 意 志 による 考 察 を 必 要 とすると 本 論 文 では 考 えるからである その 根 拠 は 力 への 意 志 という 概 念 はニーチェが 問 題 とする 事 柄 をすべてそこから 説 明 しようとする 根 本 的 概 念 無 前 提 的 テーゼであるのに 対 して 無 への 意 志 は 系 譜 学 においてニーチェの 問 題 意 識 を 表 現 しており それゆえに なぜニヒリズムを 力 への 意 志 という 概 念 によって 独 自 の 仕 方 で 根 本 的 に 分 析 しなければならないのかは 無 への 意 志 という 概 念 から 補 完 的 に 理 解 されねばならないと 考 えられるからである 5 本 論 文 ではニーチェによるドイツ 語 原 文 の gut/böse を 善 / 悪 と 訳 し 第 一 論 文 で これと 対 照 される gut/schlecht を よい / わるい と 訳 している なお schlecht だけで なく böse も 質 や 出 来 についての 否 定 的 評 価 の 意 味 を 持 つが schlecht の 方 が böse に 比 べて 質 の 劣 悪 のニュアンスが 前 面 に 出 ており また schlecht は 身 分 の 低 さを 意 味 する 用 法 も 残 している( 相 良 守 峯 編 木 村 相 良 独 和 辞 典 新 訂 ( 博 友 社 1963 年 ) 参 照 ) 6 序 言 で 次 のように 要 約 されている それ = 善 悪 という 価 値 判 断 はこれまで 人 間 の 生 長 を 阻 止 したのかそれとも 促 進 したのか?それ = 善 悪 という 価 値 判 断 は 生 の 窮 境 の 貧 化 の 退 化 の 徴 であるのか?それとも 反 対 にその 内 には 充 実 力 生 の 意 志 生 の 勇 気 生 の 確 信 生 の 未 来 が 表 われているのか? ( ZGM : Vorrede/3) ま た ZGM : Vorrede/6 に も 同 様 の 記 述 がある 7 言 及 箇 所 については 次 のとおりである 無 への 意 志 (Wille zum Nichts) は ZGM : 2/24, 3/14, 3/28 無 を 欲 する(das Nichts wollen) は ZGM : 3/1, 3/28 また 無 (das Nichts) は ZGM : Vorrede/5, 1/6, 2/11, 3/1, 3/17, 3/25, (Nada というスペイン 語 で 3/26)である な お 無 への 意 志 と 同 様 の 表 現 としては 無 への 欲 求 (Verlangen in s Nichts) という 語 があり この 語 の 使 用 箇 所 は ZGM : 1/6, 2/21 である 8 ここで 言 う 科 学 とは 原 語 で Wissenschaft であり ニーチェは 自 然 科 学 と 人 文 科 学 の 両 方 について 言 及 している(ZGM : 3/24, 3/25, 3/26) 9 清 水 真 木 氏 は ニーチェの 行 為 は 批 判 ではないと 主 張 するが 本 論 文 はそれに 与 し ない 清 水 氏 の 主 張 は ニーチェは 弱 者 の 教 化 や 改 良 を 意 図 してはおらず したがっ - 76 -

て 批 判 という 言 葉 は 当 たらないというものである( ニーチェは 健 康 な 人 間 の 作 り 方 を 教 えるか ( 理 想 第 684 号 理 想 社 2010 年 31-41 頁 ) 参 照 ) しかし 弱 者 に 対 する 距 離 のとり 方 についてはさておき 本 論 文 の 以 下 で 述 べるように 道 徳 について のニーチェの 鋭 い 暴 露 的 洞 察 は ある 種 の 自 己 批 判 の 側 面 を 持 つと 考 えられるのではない か そのように 本 論 文 は 考 え 敢 えて 批 判 という 語 を 用 いる 10 道 徳 の 系 譜 学 という 書 物 の 試 みの 意 図 をどのように 理 解 するかについては 他 の 解 釈 として 例 えば 須 藤 訓 任 認 識 者 の 系 譜 学 時 代 という 名 の 自 己 ( 思 想 第 919 号 岩 波 書 店 2000 年 73-96 頁 ) 参 照 須 藤 氏 は 道 徳 という 伝 統 の 批 判 の 方 法 論 という 観 点 から 論 じている 11 ニヒリズムという 言 葉 やテーマそれ 自 体 は 19 世 紀 はじめにすでに 時 代 の 意 識 として 何 らかの 形 で 存 在 した ニーチェに 先 立 つ 哲 学 的 用 例 として 例 えばヘーゲルの 信 仰 と 知 (1802 年 )でも 神 の 死 やニヒリズムについての 言 及 がある ( 廣 松 渉 ほか 編 岩 波 哲 学 思 想 事 典 ( 岩 波 書 店 1998 年 )の ニヒリズム の 項 および 秋 富 克 哉 ニーチェ における 神 の 死 の 解 釈 をめぐって ( 理 想 第 680 号 理 想 社 2008 年 85-97 頁 ) 参 照 ) ニーチェも ニヒリズムという 語 を ある 程 度 の 市 民 権 をすでに 得 ているものとし て 使 っている 12 ニーチェは 最 終 的 には 力 への 意 志 という 標 題 の 書 物 を 断 念 したという 見 解 が 有 力 で ある しかし あらゆる 価 値 の 価 値 転 換 というモチーフは 維 持 されていたと 考 えられて いる( 大 石 紀 一 郎 ほか 編 ニーチェ 事 典 ( 弘 文 堂 1995 年 )の 大 石 紀 一 郎 氏 による ニ ーチェ 年 譜 および 三 島 憲 一 氏 による さまざまなニーチェ 全 集 について 参 照 ) 力 へ の 意 志 の 標 題 が 計 画 されていたことは 本 文 中 に 引 用 した 通 り 道 徳 の 系 譜 学 の 中 で も 記 されているのであるから 道 徳 の 系 譜 学 以 後 に 計 画 の 何 らかの 変 更 があったと 考 え られる 13 ニーチェの 宗 教 に 対 する 一 般 的 定 式 については 以 下 の 箇 所 を 参 照 非 常 に 繊 細 に 非 常 に 巧 みに それも 非 常 に 南 国 的 な 巧 みさを 持 って とりわけそれ =キリスト 教 は 生 理 的 に 抑 止 された 者 たちの 深 い 沈 鬱 鉛 のような 疲 労 (Ermüdung) 暗 黒 の 悲 哀 はどのような 情 念 刺 激 剤 でもってすれば 少 なくとも 一 時 的 に 打 ち 負 かすことができるか ということを 察 知 した というのも 一 般 的 に(allgemein) 言 って あらゆる 大 宗 教 にお いて 第 一 に 重 要 であったのは 一 種 の 流 行 病 にまでなった 疲 労 (Müdigkeit)と 重 苦 しさと 戦 うことであったからである この 生 理 学 的 阻 害 感 は 生 理 学 的 な 知 識 の 欠 如 からし て 生 理 学 的 なものとしては 意 識 されず それゆえその 原 因 やまたその 治 療 法 は 心 理 学 的 = 道 徳 的 にのみ 求 められ 試 みられ 得 る ( すなわち これが 概 して 一 つの 宗 教 と 呼 ばれるものに 対 する 私 の 最 も 一 般 的 な(allgemeinst) 定 式 である) (ZGM : 3/17, KSA : 5/377-378) 14 ニーチェは キリスト 教 における 神 との 神 秘 的 合 一 や 仏 教 やバラモン 教 における 脱 我 の 理 想 的 境 地 がいずれも 禁 欲 的 修 行 によって 達 成 されることに 注 目 し 神 との 合 一 や 無 への 没 入 を 禁 欲 における 催 眠 感 情 として 捉 える(ZGM : 3/17) 15 ニーチェはこのような 仕 方 の 自 己 肯 定 のメカニズムを 説 明 している それによれば 生 の 最 も 基 礎 的 条 件 を 支 配 することは 弱 者 の 力 への 意 志 の 発 揮 となり(ZGM : 3/11) 生 理 的 な 繁 栄 増 大 ではなく 損 害 や 縮 減 をこそ 悦 ぶことで 弱 者 の 復 讐 が 果 たされる (ibid.) また 疾 しい 良 心 が 自 己 の 苦 悩 の 原 因 を 自 己 自 身 に 求 めることで 負 い 目 の 感 情 が 強 く 自 覚 され それによって 他 の 感 情 が 排 除 されて 苦 痛 が 感 じられなくなり 生 - 77 -

に 対 する 倦 み 疲 れ から 回 復 することができる(ZGM : 3/20) 16 逆 説 という 言 葉 については ZGM : 3/11, 3/16 および ZGM : 2/16, 2/21 参 照 17 このような 生 に 敵 対 的 な 種 を 繰 り 返 し 生 長 させ 繁 茂 させるのは 第 一 級 の 必 要 であらね ばならない 自 己 矛 盾 のそのような 類 型 が 絶 滅 しないのは おそらくは 生 自 身 の 関 心 であ らねばならない (ZGM : 3/11, KSA : 5/363) このように ニーチェは 生 が 否 定 されると いう 事 実 があるということは それがその 生 にとって 第 一 級 の 必 要 事 だからだと 推 測 する 18 ニーチェによれば 善 なる 弱 者 が 悪 なる 強 者 の 力 意 志 (Machtwille) の 発 現 を 否 定 する 正 義 の 内 に ルサンチマン(Ressentiment) と 呼 ばれる 憎 悪 や 復 讐 欲 の 蓄 積 があり(ZGM : 1/10, 2/11, 3/14) しかも そのルサンチマンは 弱 者 自 身 の 力 意 志 (Machtwille) 力 への 意 志 (Wille zur Macht) によるものである(ZGM : 3/11, 3/14, 3/18) 自 己 自 身 の 力 意 志 を 隠 蔽 しつつ 強 者 の 力 意 志 を 否 定 することは 嘘 や 偽 善 である それゆえ ニーチェは 今 や 道 徳 においてはその 嘘 が 嘘 として 自 覚 さ れていない と 自 己 欺 瞞 を 非 難 し(ZGM : 3/14, 3/19) そ れ を 不 正 直 な 嘘 と 呼 ぶ(ZGM : 3/19) 19 ニーチェによれば 道 徳 的 諸 価 値 は さらに 文 献 学 や 歴 史 学 生 理 学 や 医 学 などあら ゆる 科 学 によって 様 々な 観 点 から 吟 味 されねばならない(ZGM : 1/ 註 ) 道 徳 の 系 譜 学 という 書 は 道 徳 史 の 研 究 を 促 進 する ための 一 つの 強 力 なきっかけを 与 えるのに 役 立 つ ものとして 位 置 づけられている(ibid.) そして あらゆる 科 学 は 今 や 哲 学 者 の 未 来 の 課 題 のための 準 備 をしなければならない この 課 題 とは 哲 学 者 は 価 値 の 問 題 を 解 決 し なければならないということ 価 値 の 地 位 序 列 を 決 定 しなければならないということであ ると 解 される と 言 われる(ibid.) 20 見 通 しを 述 べておくならば 無 への 意 志 の 歴 史 的 階 層 構 造 は 力 への 意 志 の 具 体 的 現 象 であり 力 への 意 志 は 生 存 の 肯 定 を 無 への 意 志 とは 別 の 側 面 から 術 語 化 し ている と 考 えられる 例 えば ニヒリズムのより 根 本 的 分 析 を 行 う 書 である 力 への 意 志 あらゆる 価 値 の 価 値 転 換 の 試 み の 計 画 中 のメモには 次 のようなものがある 私 は 欺 かれたくない あるいは 私 は 欺 きたくない あるいは 私 は 自 分 を 納 得 させ 確 固 た るものになりたい としての 力 への 意 志 の 形 式 としての 真 理 への 意 志 正 義 への 意 志 美 への 意 志 援 助 への 意 志 これらすべては 力 への 意 志 何 ら 善 意 ではない (KSA : 11/39[13], August-September 1885) 21 例 えば 以 下 の 遺 稿 のテキストは ニヒリズムの 両 義 性 を 力 (Macht) によって 説 明 しているが ここでニーチェが 力 によって 特 徴 づけたニヒリズムは 本 論 文 によ って 明 らかとなった 無 への 意 志 の 両 義 性 によって 説 明 することができるだろう ニヒ リズムとは 何 を 意 味 するか? 至 高 の 諸 価 値 が 価 値 喪 失 しているということ それ = ニヒリズム は 両 義 的 である すなわち A)) 精 神 の 持 つ 高 められた 力 (Macht)の 徴 とし てのニヒリズム すなわち 能 動 的 ニヒリズムとしての B)) 精 神 の 力 (Macht)の 下 降 および 後 退 としてのニヒリズム すなわち 受 動 的 ニヒリズム すなわち 弱 さの 徴 として の (KSA : 12/9[35], Herbst 1887) これについては 別 の 機 会 に 詳 論 したい - 78 -