< オリエンタルカーペット株式会社 > No.1 基本情報 本社所在地 : 山形県東村山郡山辺町 21 番地主要生産品 : じゅうたん タピストリ 緞帳製造販売設立 : 昭和 21 年 6 月資本金 :4,000 万円従業員数 :56 名 将来のビジョン : 創美恒心を経営理念とし 人材育成に努め 社員の生活安定を図り 地域社会の発展に貢献し 文化の創造に寄与して行きます 最高のじゅうたんをしつらえ 客人を 家族を そして自分をもてなす 足もとからのおもてなしの気持ちをお伝えし 暮らしが豊かになるように貢献していきます ホームページ :http://yamagatadantsu.co.jp - 31 -
< オリエンタルカーペット株式会社 > No.2 手技の美でおもてなしを 足もとからのおもてなし これは オリエンタルカーペットが設立された当初から 現在 さらに将来まで貫く思いです じゅうたんは足元をやさしく包み おもてなしの場において世界共通で使われています 来客をもてなすためになくてはならないものとして オリエンタルカーペットのじゅうたんはホテルや劇場 公共施設などで多く使われています 最近話題のクルーズトレイン 四季島 にも 非日常を演出するためにオリエンタルカーペットのじゅうたんが敷き詰められています オリエンタルカーペットは 1935( 昭和 10) 年 疲弊した地域の再生 振興策のために中国から 7 名の緞通 ( だんつう ) 技術者を山辺町に招き 創業者渡辺順之助らによって始められました 以後 80 年の間 その技術は完成度を高め そして日本人の美意識をとり入れて発展してきました 緞通とは厚手の織物のこと オリエンタルカーペットのデザインは 自然と人間の生活を融合させるイメージです じゅうたんの美しさを最大限引き出すものであり 現代的なデザインから 古典感のあるものまであります また 技術面でも 仕上げ加工 マーセライズ を独自に開発し この加工技術は日本では唯一オリエンタルカーペットのみが持つ技術です ( 社会文化システム研究科 1 年王 ) - 32 -
< オリエンタルカーペット株式会社 > No.3 じゅうたんができるまで オリエンタルカーペットは 原料であるウールを紡績したものを仕入れ そこから染色 織り 仕上げまで一貫生産を行うじゅうたんづくりのプロ集団 色鮮やかなじゅうたんの完成までに 顧客がもつイメージとぴったり合わせる 染色 職人による 織り の各工程を経ます そして デザインによって 毛足の長さを整える シャーリング 浮彫りをする カービング 艶出し加工の マーセライズ を行います オリエンタルカーペットが得意とする織りの技術として 職人の手作業による 手織 と フックガンという工具を用いた 手刺 とがあります 手織 というのは職人が手作業でたての糸に一段一段糸を結びつけていくもの ひとつのじゅうたんを二人がかりで織り込んでいきます 手刺 とは 職人がフックガンという工具を使い 天井から吊るしたじゅうたんの基布に糸を打ち込んでいくものです さらに仕上げとして マーセライズという艶出し工程を行う製品があります マーセライズを行うと繊維が柔らかくなり より艶やかな色を放つようになります この工程で難しいのは マーセライズの前後で繊維の色が変わってしまうところ この変化を見越して試験染めの段階で デザインしたとおりの色になるように染色を調整しているのです これは一貫生産だからこそ為せる業ですね 私もマーセライズ前後のものを触って比べてみましたが その違いは明らかでした ぜひ 皆さんも工場見学に行ってみて 違いを体感してください! ( 社会文化システム研究科 1 年李 人文社会科学部 4 年古川 小野 ) - 33 -
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< オリエンタルカーペット株式会社 > No.4 手織と手刺 一つ一つのじゅうたんは職人の技術だけではなくて その職人の思いも込められています オリエンタルカーペットの工場を見学でもっとも印象深かったのは じゅうたんの織りを 行う職人です 手織は細かな割付図をもとに たて糸に糸を結びカットしていく作業で 専用の道具で織 り目の密度を一定に整えながら少しずつじゅうたんを織っていきます 手織は完全に手作業なので どんなに熟練した織り手でも 一日に織りあげられるのはわずか 7~8 センチ程度 機械織と違い 手織作業は長い時間がかかります 手織じゅうたんの完成品が 140cm 程の大きさと考えると いかに時間を要するかがわかりますね しかし 緻密な糸の様子と丈夫さは 機械織とはまったく違うように感じます 繊細なデザインと配色のじゅうたんを黙々と呼吸を合わせて織っていく様子は まさに質の高いものづくりそのものです 手刺は 図面に描かれた指示番号にしたがって フックガンという工具を使い模様に合わせて糸を刺していきます 工具を使用することから 手織に比べて 4 5 倍のスピートで織ることができます しかし フックガンは重量があるため はじめのうちは直線を引くことも難しいとのこと こちらも職人が培った技術に支えられた手法です 職人の緻密な技術と良いじゅうたんを届けたいという思い これはオリエンタルカーペッ トから生まれた製品が何十年も使われ続ける秘密の一つです ( 社会文化システム研究科 1 年王 人文社会科学部 4 年古川 小野 ) - 35 -
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< オリエンタルカーペット株式会社 > No.5 山あり谷あり 山形緞通 が生まれるまで 昔から山形県山辺町は染織物が盛んな町でしたが 昭和の大不況により深刻な状況となっていました オリエンタルカーペットの創業者である渡辺順之助氏は地域を再生するためにじゅうたんづくりを産業としたいという思いから 1935( 昭和 10) 年に中国北京から 7 名の緞通 ( だんつう ) 技術者を招き ニッポン絨毯製造所 を創設しました その後 原料の羊毛自給に向け 羊の飼育にも挑戦しました 1938( 昭和 13) 年には新たな出資を受け 東北振興ニッポン絨毯製造所 として生産を拡大しました 海軍から注文を受け 戦艦大和 武蔵の長官室にじゅうたんを納めましたが その後に戦争のため工場は中断を余儀なくされました 終戦後の 1946( 昭和 21) 年 6 月に現在の オリエンタルカーペット株式会社 を設立して事業を再開しました しかし 戦後の物資欠乏で羊毛が入手できなかったので 苦肉の策として葛の根を工夫してじゅうたんを織り上げました その後 羊毛は確保されたものの 戦後不況で国内のじゅうたん需要はあまり多くなかったため 1948( 昭和 23) 年の貿易再開とともに対米輸出を始めました 1960( 昭和 35) 年に 昭和天皇 皇后両陛下が工場を視察されたのをきっかけに 山形緞通 が知られるようになり その後の皇居新宮殿の長和殿 表御座所全室への納入を機に国内向けの販売に切り替えられていきました その後 2013( 平成 25) 年には個人ユース向け 山形緞通 ブランドを立ち上げました 現在のオリエンタルカーペットは技術の高さと製品の美しさによって 日本のじゅうた んを代表する企業として 国内外で高い評価を得ています ( 社会文化システム研究科 1 年李 ) - 37 -
創業者と中国から招いた技術者による記念写真 ( 山形緞通 その手技の美 より ) - 38 -
< オリエンタルカーペット株式会社 > No.6 新たな市場を開拓! オリエンタルカーペットの販売はこれまで 官公庁 ホテルなどの企業向けが多くを占めてきました 迎賓館赤坂離宮や東京都庁 ホテルオークラ 歌舞伎座等の著名な建造物への納入実績があります そのため オリエンタルカーペットは建築の世界では有名ですが 個人レベルになると 知る人ぞ知る という状態でした しかし東日本大震災を機に経済環境が変わり 個人にもオリエンタルカーペットの商品を浸透させるべく 山形緞通 ブランドを立ち上げました 奥山清行氏や隈研吾氏 そして佐藤可士和氏といった有名デザイナーとコラボして 個人住宅に調和するじゅうたんを提案しています さらに 海外にも目を向けています 現在 国内向けが 99% 海外向けが 1% という内訳 であり 新しい市場として海外への販売にも力を入れています 山形緞通 をドイツ 上 海 台湾 シンガポール等の展示会に出展し 認知度の向上を図っています 海外での展示会には社長自ら赴きます じゅうたんは他のインテリア用品とは異なり 狭 いスペースの中で展示できる数には限りがあるためデザイナーと協力しながら見せ方を工 夫しています 展示会に出展してすぐに効果が現れることはまれですが オリエンタルカーペットは社長のイニシアティブにより継続して出展しています そうすることでバイヤーの目にとまりやすくなり 長い付き合いになることもあるからです そういった社長の強い気持ちが会社を動かしているのですね オリエンタルカーペットの 山形緞通 は私たちにますます身近になっています 今後の 発展や活躍から目が離せませんね! ( 人文社会科学部 4 年古川 ) - 39 -
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