パンを作って 湯来を創って 住所 : 広島市佐伯区湯来町伏谷 656-1 電話番号 :0829-86-0883 営業時間 :10:00~18:00 休業日 : 月曜 Web: https://yoshinos.jimdo.com/ 麦浪 / 広島市の奥座敷 自然が色濃く残り となりの里山 というキャッチフレーズがぴったりの佐伯区湯来町 最近は 陶芸や革小物制作などモノつくりをする人々がここに集まり その工房を目指して多くの人々が足を運んでくる 湯来はアーティストが集まる里山として成長しつつある その湯来でもっとも有名な店が 麦浪 ( ばくろ ) だろう 1987 年オープンの 全粒粉を使うノルウェー伝統のパン クネップ が名物のカフェで ここの手作りパンや北欧風オープンサンドイッチ 自家製のケーキなどを目当てに たくさんの人たちが訪れる 小麦から地元湯来で生産している手作りパンはとても人気で 閉店時間前に完売することもしばしば 食べてみると 確かにここのクネップやサンドイッチは シンプルなものなのにとても味わい深く なかなかほかでは出会えないおいしさ 素朴なパンなのに またわざわざ湯来まで足を伸ばして食べに来たいと思ってしまうほど
カフェの建物も 年季の入った木の柱や梁 ツタが絡まる白壁が印象的で まるでヨーロッパの片田舎にある素朴でおしゃれなレストランといった風情 驚くことに この建物はすべてセルフビルドだそう 湯来在住の陶芸家でありセルフビルド住宅の達人であるアーティスト 吉野義隆さんの指導の下 麦浪 のオーナーの原田さん夫妻がすべて手造りしたという ちなみに建物の土台や庭石に使われている石は青石といって湯来の特産だ 湯来という土地を生かしたパンや建築の噂を聞き 一般の方々はもちろんその道の専門家も見学に来るという オーナーの原田文子さんは恐縮しながら話す オープンした頃から すごい人たちがたくさん訪ねてくださって パンや料理や建物のデザインが外国風で珍しかったんでしょう 有名な建築家のかたとか レストランのオーナーさんや料理研究家のかた パン作りもカフェ経営もまったくの素人だった私がはじめた店に そんなかたたちに来ていただいて 最初は恐くてドキドキでたいへんでした お店を開くまでは主婦だったという原田さん なぜ湯来に 麦浪 を開くことになったのだろう 私は生まれも育ちも湯来で 若い頃から都会に憧れてたんですね いつかこの田舎から抜け出して都会で暮らしたい それが 25 年くらいずーっと夢だったんです
原田さんは結婚を機にひろしまの市街地に新居を構えることになり ついに長年の夢が叶うことに 広島駅のすぐ近くに住み 夢に見た都会生活がはじまったのだが 結局 都会での生活は 1 年で終わってしまったんです 都会の空気 騒音に悩まされ 最後には泥棒にも入られて 田舎者の私は 都会の環境に慣れることができなかったんですね たった 1 年で湯来に戻ってくることになったんです たまたま 都市ならではのトラブルに連続して見舞われたのだろうが 長年都会に憧れていた原田さんのショックはとてつもなく大きかった もう 完全に都落ちの気分 憧れていた都会で 自分が成り立たなかったのがショックで 帰ってきたものの これからこんな湯来の田舎でどうしよう 何を目的にどう生きて行こう って そんな原田さんの心に光を与えてくれたのが 新聞で読んだ吉野義隆さんの記事だった 吉野さんは もう 40 年以上湯来にアトリエを構える陶芸家 その吉野さんが当時の新聞記事の中でこんなことを語っていた 僕が湯来に移り住んだ頃は緑あふれる美しい里だったところが 今はあちこちに古タイヤの山 僕はそんな湯来を憂える と この記事を読んで 吉野先生の言ってることに心から共感して 私 この人に会わなければ! と思ったんです この人にもっと話を聞きたい 会えば何かが開ける気がしたんです 新聞をとじてすぐに 吉野先生が陶芸教室を開いているという公民館に走りました
残念なことにその陶芸教室は老人向けのもので原田さんは参加はできなかったのだが あきらめず公民館の担当者に掛け合い続け なんと若い人向けの陶芸教室を開講させるまでに至り 記事を読んだ半年後 ついに吉野義隆さんと会うことが叶い 生徒となった 最初の講義で 陶板に自由に表現してみなさいって課題が出たんです それぞれの作品ができた後 先生がひとりひとり批評していくんですけど 私の作品を見た先生が あなた 心がたいへんみたいだねぇ っていうんです 自分ではそんなつもりで作ったわけじゃないのに たいへんな感じが作品に出てる 精神的に少し不安定になってる気がするから 一度うちに遊びに来なさい うちのワイフは子育てで家にいるから いい話相手になれると思うよ って言われたんです 都会に馴染めず 故郷の湯来でどうやって自分の生きかたを見つけていけばいのか 行き先をまったく見失っていた原田さんの心が作品に表れていたのだろう そんな経緯で原田さんは 吉野義隆さんと 奥様で染織 織物のアーティストでもある順子さんの工房兼住まいを頻繁に訪ねるようになった 海外での生活経験がある吉野さん宅での時間は原田さんにとってとても刺激的で楽しいものだった
おふたりとも芸術家なのに 本当に気さくで そのうえ 奥さんはパン作りや料理がそれはそれはうまくていらして 今日はいっしょにパン作りをしましょう 今日はマドレーヌを焼きましょう 手を動かせば楽しくなるよ って とくに先生たちの作る全粒粉のパンがすごく美味しかった それが 麦浪 の看板商品になってるノルウェーのパン クネップ です 先生が北欧で活動されているときに出会ったというパンで 健康にもとてもいい食べ物だと伺いました そんな話から じゃあ このパンをメイン商品にした店を出してみたらどうか という話が出てきたんです 先生たちは陶芸や子育てがあって無理だから 原田さん やってみない? と私に話が回ってきたんです パン作りもカフェもまったくやったことはないし お店の経営なんてとても無理と思いながら 先生たちと話してると夢が広がっていったんです
自分の成り立たせ方について悩みに悩んで原田さんは クネップを出すカフェをやってみようと決心する 好きではなかった湯来で こんなにおいしいものを出す店をやっていけば 自分も湯来も変わっていけるのではないか 無謀な挑戦ともいえた まったくの素人である専業主婦が 小麦から自分で育て パン作りをし サンドイッチやケーキまで自分で作り カフェを経営していく コストを抑えるため カフェの建物まで自分たちで作り上げるという驚くほど遠大な計画 すべて吉野夫妻の指導やアドバイスを受けて進めていくものの すべてがはじめての経験の原田さん パンやお菓子作りの修業は 3 年に及んだ あるとき 失敗作のパンを見て先生が あなたどんな気持ちで焼いてます? って言うんです 今日もパンの練習しよう と思って焼いてます って答えたら え? そんな気持ちで焼いてるの? だから失敗するんですよ って言われたんです あなたがつまらないと思ってる湯来に 新しいパン文化を作るんだという高い志で焼きなさい って 店の開店準備が遅々として進まず 闇の向こうのものを追いかけてるような日々だった原田さんだが その言葉で自分の本当の思いに気づいたのかもしれない 自分と湯来を変えていくために パンを作り 店を出す 原田さんは さらに前向きにパン修業に情熱を燃やした
原田さんと原田さんのご主人との作業で進行していた建物のセルフビルドも完成し 修業スタートから 3 年の 1987 年に 麦浪 はオープンした 地元のラジオやテレビで紹介されたことがきっかけとなり 麦浪 は開店当初からたいへんな人気となった 最初は 手際は悪いし慣れてないし 全部生まれて初めてやることでしょう? たいへんでした お手伝いの女性と 2 人で回していたんですが 毎日 4 時起きでパンを作ってお菓子作って お掃除して 10 時に開店して お昼の 12 時にパンを 20 個欲しいという注文受けたのに なぜかうまく焼けなくて 100 個失敗したことも ( 笑 ) 手作りって毎回同じようにはいかないです 気温や湿度や 精神的なものでも違ってきます 今は体が覚えているから考えなくても自然に手が動きますが 最初は頭で考えながらやってるから失敗もとても多かった パンや料理やケーキの美味しさに リピーターが増えていき 店にはたくさんのお客さんがくるようになった パンの味も魅力だが 湯来の里山の中 雰囲気のいい石造りのヨーロッパ風の建物もまた魅力的に映った 木のドアを開けると山小屋風の空間が広がるホッと落ち着くカフェ 窓からは里山の四季の移り変わりが眺められる 都市の人たちのリラックスしたいオフタイムにぴったりの要素が揃っており 遠方からやってくる人たちも多かった ただ 地元湯来の住民たちはというと オープンから 3 年くらいはなかなか足を運んでくれなかったという 個性的な店だったし 敷居が高いイメージだったのかもしれませんね
3 年を過ぎるころから徐々にご近所さんが 麦浪 にやってくるようになった 近所のおばあさんたちが はじめてくるんじゃけど ええかね って うれしかったですねぇ もっとうれしかったのは 地元の農家のかたに 麦作るのたいへんでしょう? 麦ならうちでも作れるから手伝ってあげようか って言われたこと 畑で麦作ってお店もして 休みは週に 1 回だから なかなか麦の世話ができない 予約でいっぱいなのに麦が足りないという状況だったんです 今も地元農家さんに協力いただいてパンを作れているんです 湯来のパン文化 原田さんは確実に作りつつあるようだ 29 年 店をやってきて湯来の雰囲気も少しずつ変わってきましたね 昔は若い人が楽しめる場所は何もなかったけど 今はモノつくりの作家の人たちが集まってきてアトリエもたくさんできています 今日は湯来を散策に来ました っていうお客さんの話を聞くと へぇ 湯来もそんな場所になったんだなぁって感慨深いです これからも発展していってほしいけど ここに住んでる人が楽しく思えることがいちばんだと思います 私はたまたま素晴らしい師に出会って自分の道を発見できました 湯来に移ってくる人たちも 地元の人たちも いろんな人と意見や情報を交換してこの街を楽しい場所にしていってほしいなと思います