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Transcription:

岡 山 大 学 大 学 院 教 育 学 研 究 科 研 究 集 録 第 157 号 (2014)43 48 池 田 光 政 公 の 御 涼 所 の 気 温 について 佐 橋 ある 記 録 ( 有 斐 録 )によると, 江 戸 初 期 の 備 前 藩 主 池 田 光 政 公 は, 御 涼 所 を 現 在 の 岡 山 市 北 区 中 原 のあたりに 定 め,そこで 暑 さを 凌 いでいたそうである 本 論 は, 実 際 に 夏 期 好 晴 日 に 岡 山 城 近 くと, 中 原 での 気 温 を 測 定 し,それが 二 カ 所 でどの ように 違 うか 違 わないかを 調 べた 結 果 を 示 したものである 夏 の 好 晴 日 だと 10 分 間 程 度 の 短 い 間 では5, 一 時 間 程 度 の 長 い 間 の 平 均 値 でも2 程 度, 御 涼 所 の 方 が 低 温 であること があることがわかった つまり 当 時 でも 人 が 多 かったであろう 城 下 町 より, 大 幅 に 低 温 であ っただろうことが 推 定 される Keywords: 江 戸 時 代, 池 田 光 政 公 御 涼 所, 気 温 1.はじめに 江 戸 初 期 の 頃,1632 年 から 1672 年 までの 間, 備 前 藩 主 であった 池 田 光 政 は 名 君 であり, 領 地 の 農 民 からの 年 貢 は 少 ない 目 に, 自 分 たち 城 の 中 に 住 んで いる 領 主 の 側 の 人 間 はなるべく 質 素 な 着 物 で 過 ごす ようにして 藩 財 政 を 豊 かにするよう 心 掛 ける,とい うやり 方 で 農 民 達 と 親 しく 付 き 合 うようにしていた ということである 勿 論 幕 末 の 頃 には, 他 藩 の 例 に 漏 れず 農 民 達 の 一 揆 も 一 再 ならず 発 生 していたよう だ( 例 えば 柴 田 一 (1995)) そういう 農 民 との 関 係 の 中 で, 夏 の 暑 いとき, 岡 山 城 から5km ほど 北 に 離 れた 旭 川 沿 いの 荒 蕪 地 ( 地 名 は 中 原 )に, 近 くの 名 主 に 日 陰 を 作 る 幕 や, 幕 串 を 預 けておき, 農 民 達 の 邪 魔 にならないように 粗 末 な 日 よけの 幕 と, 地 面 に 敷 いた 毛 氈 とで 臨 時 の 休 憩 所,すなわち 御 涼 所 を 設 置 して 利 用 していたことが 次 に 述 べるような 文 献 に 記 載 されている なお, 当 時 は 後 楽 園 はまだ 建 設 されていなかった また, 本 論 中, 引 用 部 分 の 仮 名 使 いなどは 原 文 のママとした 有 斐 録 (1916)に, 御 野 郡 中 原 村 に, 公 の 遊 覧 の 地 あり, 旭 川 の 傍 らにて, 夏 日 暑 さを 避 け 給 ふ 時 は,ここに 至 らせ 給 ふ 名 主 の 家 に 幕 と 幕 串 を 預 け 置 かせ 給 ひ, 幕 打 廻 し, 毛 氈 を 芝 の 上 に 敷 きて, 弁 当 を 開 き 憩 はせ 給 ふ 今 に 其 地 数 丈 の 間, 牛 馬 を 牧 せず, 公 の 憩 はせ 給 ふ 地 とて, 民 共 敬 せり, 世 人 此 地 を 御 涼 所 といふ, という 記 事 がある 中 原 に 光 政 公 専 用 の 避 暑 地 があったということである 避 暑 地 と 言 っても 地 面 に 毛 氈 を 敷 き, 周 囲 に 幕 を 張 って 目 隠 しをしたくらいの 設 備 しかない 避 暑 地 である また, 夏 日 暑 さを 避 け 給 ふ 時 というから, 夜 の ことではなく 昼 間 のことに 違 いない そうでなくと もこの 時 期 ( 江 戸 初 期 ~ 中 期 )の 藩 主 というのは, 夜 間 に 城 を 離 れて 出 歩 かれることは 滅 多 になかった はず,とのコメント( 私 信 )をその 方 面 の 専 門 家 で ある 岡 山 大 学 名 誉 教 授 上 原 兼 善 博 士 から 頂 いてい る さらに, 周 囲 に 幕 を 張 りまわすというから, 風 は 遮 られてしまう よく 知 られているように 一 般 的 に 言 えば, 同 じ 気 温 であっても 回 りに 吹 く 風 が 強 い ほど 体 に 感 じる 温 度,いわゆる 体 感 温 度 は 低 くなる が, 光 政 公 が 使 用 したような 御 涼 所 ではその 効 果 は 期 待 しにくい 従 って, 光 政 公 が 使 用 した 御 涼 所 が 有 効 であったのは, 風 のせいではなく 気 温 そのもの が 光 政 公 の 勤 務 場 所 であった 岡 山 城 の 本 段 や 中 の 段 よりも 低 くなっていたに 違 いないということにな る そういう 状 況 が 本 当 にあったのか(あるいは, 今 でもあるのか),あったとすればそれは 一 日 の 中 の 何 時 頃 であるのか,などの 解 明 が 本 稿 の 趣 旨 であ る 岡 山 大 学 大 学 院 教 育 学 研 究 科 名 誉 教 授 700 8530 岡 山 市 北 区 津 島 中 3 1 1 The Air Temperature at the Heat Shelter Settled by the Lord Mitsumasa Ikeda in Early Edo Era Near the Urban Area of Okayama. Ken SAHASHI E-mail: ksahashi@okayama-u.ac.jp Graduate School of Education, Okayama University, 3-1-1 Tsushima-naka, Kita-ku, Okayama 700-8530 43

佐 橋 2. 実 態 調 査 2 1 周 囲 の 地 形 と 観 測 点 岡 山 県 南 部 に 拡 がる 平 野 部 は, 江 戸 時 代 から 明 治 期 にかけて 活 発 に 行 われた 干 拓 事 業 によって 形 成 さ れた 部 分 が 多 く, 本 論 の 中 心 人 物 である 池 田 光 政 の 時 代 には 操 山 以 南 はまだ 海 の 部 分 が 広 かったことが 例 えば 池 田 家 文 庫 の 寛 永 年 間 (1640 年 前 後 )のも のと 言 われている 備 前 国 九 郡 絵 図 などから 明 ら かである すなわち, 現 在 の 国 道 2 号 線 岡 山 バイパ スより 南 側 はまだ 海 だった,ということだ 当 時 の 備 前 藩 の 政 治 の 中 心 は 1573 年 から 1597 年 にかけて 岡 山 城 主 であった 宇 喜 多 直 家 とその 子 秀 家 によって 修 築 拡 張 された 岡 山 城 であった 岡 山 城 はいわゆる 岡 山 平 野 のほぼ 中 心 を 南 下 する 旭 川 のそ ばにあり, 旭 川 が 岡 山 城 の 北 東 を 守 る 掘 の 役 目 を していた その 旭 川 は, 岡 山 城 の 上 流 約 5km 付 近 から 山 間 部 に 入 り, 途 中 多 くの 盆 地 や 里 山 を 形 成 し ながら, 鳥 取 県 との 県 境 に 達 している 前 節 で 述 べた, 池 田 光 政 が 屡 々 訪 れたという 中 原 は, 旭 川 が 山 間 の 狭 隘 部 に 入 った 最 初 の 盆 地 であり, 現 在, 旭 川 に 架 かっている 中 原 橋 (この 橋 が 木 橋 の 形 で 架 かったのが 岡 山 県 大 百 科 事 典 (1980)によれ ば 1945 年 以 後 であるというから, 当 然 光 政 公 の 頃 にはなかった)の 東 約 50m のところに 最 近,( 財 ) 岡 山 県 郷 土 文 化 財 団 (2011)により 整 備 された 池 田 光 政 公 御 涼 所 跡 という 標 柱 や, 江 戸 時 代 から 残 っているという 石 碑 などが 残 っている 図 1に, 今 回 展 開 した 観 測 地 点 などを 示 す の 3 箇 所 が 気 温 資 料 を 使 用 した 場 所 で, 図 の 右 上 の 御 涼 所 跡, 図 の 左 右 のほぼ 中 心 で 下 寄 りの 寒 翠 細 響 軒 (これは 岡 山 後 楽 園 内 の 亭 舎 の 一 つ 以 下 寒 翠 と 略 ),さらに, 左 下 隅 の 気 象 台 の3 箇 所 である こ のうち, 気 象 台 は 事 後 にネット 経 由 で 資 料 を 入 手 し た 他 の2 箇 所 は 次 に 述 べるように 新 たに 観 測 器 を 設 置 して 気 温 資 料 を 得 た 2 2 使 用 した 温 度 計 とその 検 定 前 節 最 後 で 述 べたような 気 温 の 実 態 を 調 査 するに は 最 低, 岡 山 城 の 近 くと, 中 原 の 二 カ 所 で 気 温 の 測 定 を 夏 期 に 同 時 に 行 えば 良 い 使 用 した 温 度 計 は ( 株 )ティアンドディ 製 TR71S 型 2 台 で 岡 山 大 学 理 学 部 気 象 学 研 究 室 の 塚 本 教 授 の 好 意 によって 借 用 し た 便 宜 上 前 者 の 温 度 計 は 後 述 するように 城 内 では なく 隣 接 する 後 楽 園 の 寒 翠 細 響 軒 と 呼 ばれる 亭 舎 の そばに 置 いたので, 寒 翠 温 度 計, 後 者 のそれを 中 原 温 度 計 と 呼 び,それぞれの 温 度 計 の 示 度 をTk,Tn と 呼 ぶことにする 図 1 観 測 点 と 周 囲 の 地 形 など ( 図 中 グレイの 部 分 は 海 抜 50m 以 上 の 地 域 ) 今 回 の 調 査 では, 温 度 差 がそう 大 きくはないと 期 待 される 二 カ 所 での 気 温 差 の 検 出 が 問 題 となり,ま た, 二 台 の 温 度 計 とも 購 入 後 5 年 またはそれ 以 上 経 過 しているので, 念 のために 二 台 の 温 度 計 の 検 定 を 行 った 両 方 の 温 度 計 と 検 定 済 み 水 銀 温 度 計 (その 示 度 をTm とする)を 室 内 に 接 近 して 並 べ, 期 待 さ れる 気 温 測 定 範 囲 の 23 ~ 34 の 間 でその 部 屋 の 気 温 を 変 化 させ, 記 録 した その 結 果, 寒 翠 温 度 計 と 水 銀 温 度 計 とはほぼ 同 じ 示 度 を 得, 中 原 温 度 計 は それらとは 大 きい 時 には1 以 上 もの 高 い 目 の 測 定 値 が 得 られるという 結 果 が 得 られた それで 寒 翠 温 度 計 からの 測 定 値 については Tm=Tk (1) とし, 中 原 温 度 計 Tn については, 検 定 作 業 で 得 ら れた 資 料 から 最 小 二 乗 法 により, Tm=0.86 Tn + 3.36 (2) と 表 現 することにした つまり 寒 翠 温 度 計 の 測 定 値 (Tk)については 読 み 取 り 値 をそのまま 使 い, 中 原 温 度 計 の 測 定 値 (Tn)については(2) 式 によっ て 補 正 を 行 なったのである 44

池田光政公の御涼所の気温について 写真1 左 寒翠温度計の設置状況 後楽園内の案内板の白楕円内の雨よけ軒を利用 写真2 右 中原温度計の設置場所 白楕円奥の黒四角の部分の隣家の納屋天井に設置 2 3 温度計の設置と気温の測定 岡山城の側の測定点としては 測定器の管理上の 都合で城内ではなく 隣接する岡山後楽園内の外苑 も含めた形のほぼ中央にある寒翠細響軒という名の 亭舎の東側の芝生上 1.5 mの高さに設置した この 地点は 光政公の勤務場所である岡山城中之段から 約 200m 北 高さは中之段よりも約5m くらい低い 場所である 温度計は 直射日光の当たらないよう 40cm 30cm 程度の木製の道案内板の雨除けの小さ な屋根の下に設置し なお日の出 日没時の太陽高 度の低いときの対策として白い撥水性のある紙製の 日覆いをつけた もう一カ所の中原の御涼所の測定点は 前節で触 れた 池田光政公御涼所跡 の南東側に隣接する民 家の屋根付き3方壁無しの納屋の天井の一部を拝借 することができたので そこの地上 1.5m の高さに 設置した 従って中原では何もしなくても 日射と 降雨の影響の心配はない場所であった また 両地 点とも良好に外気に露出しているので 強制通風は 行なっていない 写真1に寒翠温度計の 写真2に中原温度計の設 置状況を示す 寒翠温度計は 岡山後楽園中で最も 広大な面積を持つ芝生の北端に位置し 中原温度計 は祇園から中原にかけての住居など建築物は比較的 少なく水田 畑地が拡がる地域の一部である これら二地点の温度計は 2012 年8月8日 00 時か ら記録を開始した 使用した温度計の記録間隔は 10 分ごととした 記録計の能力としては 10 分毎の 記録で 10 月上旬までは継続可能であった 3 測定結果とその解析 3 1 測定結果 今回の観測の目的は 一年中の気温の最も高い時 期の 岡山城の近くと中原の二地点での気温日変化 の比較を行うことであるので 好晴日が連続して最 低二日間 それと比較するために それに継続した 曇天日が一日の計三日間の連続記録が獲得できれば 充分と考えた この年は8月一ヶ月間の間に6個も の台風が本州に影響を与え 西日本で過去最大の雨 量を観測するなどあり 上記の三日間を選ぶのに多 少の問題があったが 結果的に8月9日 10 日 11日の三日間が適当と考えた 前の二日間が好晴日 次の日が曇天日 この日はこの地域に弱い降水もあ った である 図2にその三日間の 10 分ごとの3 地点での気温の変化を示す 3 2 測定結果についての考察 気象台と寒翠とは 一日のうちで 最低気温の発 現時から最高気温の発現後1 2時間後までは 波 長が 24 時間程度の長い変化傾向も 波長が数 10 分 程度の短い時の変化傾向もよく似ている つまり そういう時間帯では気象台と後楽園とが 中原とは 違う 同じ空気塊で覆われているように見える 一 方 最高気温発現の数時間後から翌日の最低気温発 45

佐 橋 40 35 30 25 中 原 寒 翠 気 20 日 日 12 1 日 1 日 12 11 日 11 日 1 1 日 図 2 三 地 点 での 三 日 間 の10 分 毎 の 気 温 変 化 現 時 までの 時 間 帯,すなわち 午 後 から 深 夜 早 朝 に かけては 寒 翠 と 中 原 との 気 温 変 化 傾 向 が 互 いに 似 て いるが, 気 象 台 とは 違 っているように 見 え, 夕 方 か ら 明 け 方 までのあいだでは, 傾 向 だけでなく 絶 対 値 も 近 付 いている このことは,その 時 間 帯 では 中 原 にある 気 塊 と, 後 楽 園 にあるそれとが 同 じであると も 思 わせる 別 の 表 現 をすれば, 早 朝 から 午 後 数 時 間 の 間 は 気 象 台 と 寒 翠 とが,それ 以 外 の 時 間 帯 には 中 原 と 寒 翠 とが,それぞれ 同 一 の 熱 収 支 環 境 のもと に 支 配 されていた,ということかも 知 れない いず れにしても, 今 のところこのことを 裏 付 ける 実 測 資 料 はない 中 原 周 辺 には 残 念 ながら, 学 校, 消 防 署 を 含 んで 風 向 風 速 の 観 測 はやっていないので, 移 流 に 関 する 資 料 が 得 られないからである 本 稿 の 議 論 の 主 点 は, 中 原 御 涼 所 と, 後 楽 園 との 気 温 の 差 であるので, 図 2の 資 料 を 使 用 して 10 分 ごとの Tn Tk の 値 を 図 2と 同 じ3 日 間 について 求 め, 図 3を 作 成 した この 図 によれば 日 中 は 殆 ど の 時 刻 で 中 原 の 方 が 低 温 で,ピークとしては5 も 寒 翠 よりも 低 温 であり,1 時 間 くらいの 時 間 平 均 で も2~3 くらいも 中 原 が 低 温 であることを 示 して いる このことは, 本 稿 第 1 節 で 提 起 した 問 題,つ まり 夏 場 の 昼 間, 気 温 は 光 政 公 の 勤 務 場 所 であっ た 岡 山 城 の 本 段 や 中 の 段 よりも, 中 原 での 方 が 低 く なっていたのかどうか という 問 いに, 明 確 に 中 原 で,より 低 温 であるという 状 況 が 今 でも 存 在 する ということになる ただし,いま 今 でも 存 在 する と 書 いたが,ひょっとすると 今 だから 存 在 する のかも 知 れないという 恐 れがある それは, 岡 山 市 に 発 生 するヒートアイランドに 関 係 するが, 現 状 で, 後 楽 園 でよりも 中 原 の 方 がある 時 間 帯 で 低 温 である としても,それは 市 内 のヒートアイランドによって 中 原 が 相 対 的 に 低 温 に 見 えるのかも 知 れないからで ある 江 戸 時 代 には 城 下 町 に 発 生 したかもしれない ヒートアイランドの 内 部 と 外 部 との 温 度 差 は, 現 代 に 見 られるほど 大 きくはないだろうということは 十 分 考 えられるが,それでも 他 に 低 温 の 場 所 を 発 生 さ せる 手 段 ( 例 えばクーラーとか 扇 風 機 など)を 持 た ない 江 戸 期 にあっては, 充 分 に ここは 涼 しい と の 感 覚 を 持 ったとしても 不 思 議 ではない この 現 象 は 城 下 町 とそれから 北 に4km 余 り 離 れた 田 園 地 帯 とで, 城 下 町 での 方 が, 夏 の 昼 間, 高 温 である ということになるが,この 状 況 を, 現 在 の 岡 山 市 の 気 候 環 境 として 書 くと 岡 山 市 で 形 成 さ れるヒートアイランドは, 昼 間 は 気 象 台 から 後 楽 園 までを 含 む 地 域 に 拡 がっているが, 夜 間 になると 後 楽 園 までは 拡 がらず, 形 式 的 には 北 ( 中 原 方 面 )か ら 流 入 した 冷 気 によってヒートアイランドは 気 象 台 周 辺 だけに 縮 小 する,と 表 現 できそうである 岡 山 市 内 のヒートアイランドについては 本 稿 筆 者 (1990) 或 いは 重 田 大 橋 (2009)によってもその 存 在, 消 長 などが 報 告 されているが, 上 記 のようなモデル 化 は, 好 天 の 日 夜 のみであって, 曇 天 あるいは 雨 天 で は 適 用 されがたいことは 図 2の 右 端 の 24 時 間 の 気 温 経 過 を 見 れば 明 らかである 46

池 田 光 政 公 の 御 涼 所 の 気 温 について 1 0-1 -2-3 -4-5 -6 日 日 12 1 日 1 日 12 11 日 11 日 12 1 日 10 図 3 寒 翠 と 中 原 との 温 度 差 負 号 は 中 原 の 方 が 低 温 の 場 合 4.まとめ 現 岡 山 市 北 区 中 原 に, 当 時 の 備 前 藩 主 である 池 田 光 政 公 が 設 置 し, 頻 繁 に 利 用 したとされる 御 涼 所 が 存 在 する(それに 近 いと 思 われる 構 造 物 の 例 を 本 稿 最 後 に 示 した)ことが 古 文 書 や 石 碑 に 示 されている が, 実 際 に 低 温 なのかどうかを 調 べた 盛 夏 の 時 期 に 気 温 を 実 測 したところ, 後 楽 園 と 中 原 とでは 昼 間 には 10 分 間 平 均 で5 も 中 原 の 方 が 低 温 になるこ とがあることが 分 かった ここで 留 意 すべきは, 当 時 と 今 とで 地 形 はあまり 変 わっていないだろうが, 人 間 による 岡 山 市 とその 周 辺 の 空 気 の 熱 収 支 関 連 の 事 情 が 相 当 変 わっている に 違 いないということである 特 に 最 近 環 境 問 題 と して 取 り 上 げられることが 多 いヒートアイランド 現 象 が,このような 問 題 に 直 接 影 響 を 及 ぼすであろう ことは, 容 易 に 想 像 出 来 る つまり, 今 の 状 況 下 で 観 測 して 見 て 中 原 のほうが 低 温 であっても,それは 岡 山 市 街 地 に 含 まれる 岡 山 城 の 辺 りにはヒートアイ ランドが 江 戸 期 よりも 明 瞭 に 発 達 するであろうか ら,それによる 効 果 として 中 原 の 方 が 相 対 的 に 低 温 を 示 していたのかも 知 れない,ということである ヒートアイランドの 効 果 は 別 としても, 藩 主 の 勤 務 場 所 である 岡 山 城 中 の 段 では 相 当 稠 密 に 屋 敷 が 建 て こみ, 風 通 しもあまり 良 くなかったであろうことを 考 慮 すると, 藩 主 たちの 中 原 での 涼 しさ も 理 解 できそうである 謝 辞 この 研 究 を 遂 行 するについて 後 楽 園 内 での 気 温 測 定 の 便 宜 供 与 を 頂 いた 岡 山 後 楽 園 事 務 所 所 長 をはじ め 職 員 の 方 々, 江 戸 時 代 というのはどんな 時 代 だっ たのかを 講 義 して 頂 いた 岡 山 大 学 名 誉 教 授 上 原 兼 善 博 士, 中 原 測 定 点 の 場 所 を 提 供 して 下 さった 難 波 氏, 観 測 継 続 に 惜 しみない 協 力 をして 下 さった 岡 山 後 楽 園 の 後 楽 塾 第 3 期 生 の 皆 さんと, 放 送 大 学 岡 山 SC 所 属 の 学 生 の 皆 さんに 厚 くお 礼 申 し 上 げる 引 用 文 献 大 沢 惟 貞 ( 寛 永 年 間 ) 有 斐 録 吉 備 温 故 62 出 版 社 発 行 者 不 明 岡 山 県 大 百 科 事 典 (1980) 下 巻 346 頁 山 陽 新 聞 社 佐 橋 (1990) 岡 山 市 のヒートアイランドにつ いて しぶかわ No.11,66-70 頁 岡 山 大 学 環 境 計 測 共 同 利 用 施 設 重 田 祥 範 大 田 唯 太 (2009) 岡 山 市 を 対 象 とした 細 密 な 気 象 観 測 によるヒートアイランド 強 度 の 解 析 天 気 56, 6 pp.443-454 柴 田 一 (1995) 渋 染 め 一 揆 論 明 石 書 店 柴 田 一, 廣 常 人 世 (2011) 池 田 光 政 公 御 涼 所 跡 整 備 ( 財 ) 岡 山 県 郷 土 文 化 財 団, 岡 山 の 文 化 と 自 然 30.313-354 頁. 有 斐 録 寛 延 年 代 初 期 (1750 頃 ) 岡 山 藩 士 によっ て 編 纂 47

佐 橋 参 考 図 : 川 越 城 主 酒 井 氏 の 江 戸 邸 の 殿 様 一 行 の 御 川 狩 御 仮 屋 地 面 に 茣 蓙, 周 りに 幕 を 張 って 地 元 漁 夫 が 獲 った 魚 を 料 理 して 昼 御 飯 光 政 公 の 中 原 御 涼 所 も,これに 近 いものであったろうと 思 われる 1657 年 ( 光 政 公 49 歳, 備 前 藩 江 戸 邸 炎 上 の 年 ) 前 後 の 成 立 と 考 えられている 江 戸 図 屏 風 鈴 木 進 他 平 凡 社 (1971) による 48