台 湾 における 廟 と 文 化 観 光 ~ 流 行 化 した 宗 教 と 地 域 の 賑 わいを 視 点 として~ The shrine and culture sightseeing in Taiwan The religion that became the fashion and local turnout 中 鉢 令 兒 *1 CHUBACHI, Reiji 北 海 道 の 外 国 人 観 光 客 の 多 くを 占 める 台 湾 人 観 光 客 は 大 陸 とは 異 なる 台 湾 文 化 を 形 成 している 台 湾 人 の 多 くの 人 は 媽 祖 廟 信 仰 をしているが 台 中 台 南 の 媽 祖 廟 とその 関 わりについて 福 建 省 の 移 民 の 中 心 の 一 つである 鹿 港 の 天 后 宮 ( 媽 祖 廟 )とその 周 辺 のデザインサベーと 2000 年 以 降 流 行 化 している 台 中 台 南 を 巡 礼 する 進 香 団 を 考 察 す る また 北 海 道 台 湾 人 観 光 客 の 土 産 に 人 気 のあるご 当 地 キティ の 背 景 になっている 好 神 迎 神 商 品 との 係 わりについて 考 察 をした もって 観 光 消 費 を 視 野 に 置 いた 北 海 道 観 光 のありかたに 寄 与 することを 目 的 とする キーワード: 鹿 港 媽 祖 廟 進 香 団 1. はじめに 台 湾 文 化 は 1624 年 オランダ 軍 の 安 平 の 上 陸 によって 先 住 民 族 の 地 から 1662 年 の 鄭 成 功 の 勝 利 までオランダの 支 配 する 地 となった その 後 清 朝 日 本 に 支 配 が 変 わりながら 台 湾 文 化 は 形 成 されてきた こした 中 で 台 湾 の 街 は 都 市 化 が 進 んでも 媽 祖 廟 を 中 心 と 曽 田 生 活 が 存 在 し 各 媽 祖 廟 は 賑 わいを 見 せている 日 本 の 正 月 など 特 別 な 日 を 除 いては 賑 わいを 見 せない 寺 社 仏 閣 とは 異 なり 日 常 生 活 に 組 み 込 まれている 20 世 紀 の 国 民 党 関 係 を 除 き 台 湾 の 先 住 民 族 以 外 の 多 くは 16~18 世 紀 に 福 建 省 など 大 陸 南 部 からの 移 住 者 であ る 彼 等 は 海 運 業 で 生 計 を 立 てる 物 も 多 く 母 村 の 海 運 の 守 り 神 である 媽 祖 廟 信 仰 が 台 湾 でも 信 仰 の 対 象 となっている また 2000 年 頃 から. 進 香 の 行 事 も 盛 んになり 国 内 外 の 観 光 客 も 訪 れるイベント 化 が 進 んでいる 進 香 団 は 概 ね7~8 日 の 行 程 であるが 1 泊 2 日 の 部 分 参 加 のツアーも 出 ているほど 緩 やかな 信 仰 として 普 及 している こうした 廟 信 仰 は 各 地 方 都 市 の 観 光 地 の 重 要 な 観 光 箇 所 となっている さらに 神 様 を 人 形 にあしら った 好 神 公 仔 は 廟 や 全 家 超 商 (ファミリーマートの 現 地 法 人 )の 売 れ 筋 の 一 つでも ありお 土 産 となっている また 北 海 道 土 産 のご 当 地 キティーは この 延 長 上 にあると 推 測 される 本 稿 では 台 南 台 中 地 区 の 3 大 媽 祖 廟 の 一 つ 鹿 港 化 地 区 の 観 光 資 源 と 廟 について 媽 祖 廟 関 連 商 品 の 大 衆 化 について 考 察 をするものである 他 方 日 本 の 台 湾 観 光 の 廟 ディ ストネーションの 理 解 に 寄 与 することを 目 的 にしている 10
2. 台 湾 の 一 村 一 廟 の 歴 史 福 建 広 東 の 大 陸 華 南 地 方 からの 台 湾 移 住 は 13 世 ごろ 1 が 最 初 である その 後 盛 んにな ったのは 16 世 紀 後 半 ごろで 台 南 高 雄 北 港 から 移 住 が 始 まった したがって 台 南 に は 17 世 紀 台 中 には 18 世 紀 の 大 陸 文 化 を 色 濃 く 残 している これらに 移 民 団 は 村 の 守 護 神 を 携 えて 移 住 し 各 開 拓 村 で 廟 を 建 設 しコミュニティを 維 持 してきた これらの 集 団 の 基 盤 となるのは 各 開 拓 村 の 境 界 線 の 争 いと 水 利 権 の 争 いによるものである 郭 らの 指 摘 によれば 福 建 系 開 拓 民 と 広 東 系 開 拓 民 との 争 いは 絶 えず 生 じ 廟 はその 自 衛 と 自 治 の 拠 点 として 機 能 していたと 指 摘 2している また 廟 は 攻 撃 の 目 標 となり その 守 護 神 を 破 壊 し 汚 すことが 処 理 とみなされていた したがって 城 壁 門 と 戦 闘 訓 練 の 可 能 な 広 場 を 持 っ た 構 造 になっており 街 の 中 心 に 位 置 するのが 常 であった またそうした 機 能 は 外 部 か らの 悪 霊 を 防 ぐために 市 街 地 の 端 に 寺 社 を 置 いた 日 本 とは 異 なる 点 である 廟 は あくま で 実 利 にもとづく 信 仰 の 対 象 であって 霊 魂 の 世 界 とは 程 遠 いものである こうした 実 利 に 基 づく 廟 は 多 神 合 祀 の 形 態 をとり 地 縁 血 縁 を 超 えた 多 くの 人 が 信 仰 できる 宗 教 と なっている したがって 廟 の 形 式 も 多 様 な 形 を 有 し 廟 頂 亭 仔 頂 に 多 様 性 が 見 られる 図 1 廟 の 屋 根 飾 り ( 郭 中 端 等 台 湾 より 転 載 ) 図 2 鹿 港 媽 祖 廟 本 殿 廟 頂 飾 り 図 3 鹿 港 媽 祖 廟 山 門 廟 頂 飾 り 11
また 各 地 域 の 廟 は その 繁 栄 を 誇 る 象 徴 としても 示 され 都 市 基 盤 の 一 つであったと 推 測 される 例 えば 鹿 港 廟 では 廟 頂 の 山 門 に 福 禄 寿 三 星 本 殿 に 宝 塔 が 簡 素 に 揚 げられて いるが 台 北 近 郊 の 九 份 の 廟 では もっとも 繁 栄 した 銀 鉱 山 最 盛 期 に 改 装 したと 思 われる 装 飾 過 多 の 廟 頂 である こうした 例 は 台 南 地 方 の 廟 頂 でも 見 られ 工 業 の 発 達 した 高 雄 で も 装 飾 過 多 となっている 図 4 九 份 の 媽 祖 廟 山 門 廟 頂 飾 り 図 5 高 雄 王 爺 廟 山 門 廟 頂 飾 り 3. 賑 わいの 背 景 鹿 港 媽 祖 廟 の 天 后 宮 は 3 大 媽 祖 廟 の 一 つのため 多 くの 参 拝 者 が 訪 れている その 背 景 には 廟 の 成 立 過 程 が 存 在 している 廟 神 の 伝 来 には 分 身 分 香 漂 流 の 種 類 がある 郭 らは 分 身 は 神 像 に 似 た 新 しい 彫 刻 を 他 の 祠 や 廟 に 移 されたもの 分 香 は 線 香 の 灰 をお 守 りとしていたものが 分 割 されて 祭 祀 される 場 合 漂 流 は 王 爺 は 疫 病 神 であり 疫 病 などが 流 行 した 町 が 厄 病 退 治 に 船 に 乗 せ 流 した 王 爺 が 流 れ 着 い た 街 で その 祟 りを 防 ぐために 祭 ったもの 3 と 要 約 している またこうした 分 紳 習 慣 によって 4000 以 上 の 寺 廟 が 存 在 し 国 民 の 生 活 に 根 差 した 宗 教 施 設 となっている また 親 廟 に 当 たる 廟 の 神 格 の 高 い 神 様 に 地 方 の 神 様 が 詣 でる という 習 慣 があり この 神 様 詣 では 規 模 の 違 いはあるが 探 子 馬 (1) 頭 旗 (1) 大 灯 (2) 三 旗 (3) 媽 祖 の 旗 (2) 媽 祖 護 衛 (89) 36 護 旗 (38) 2 将 軍 隊 (2) 3 大 旗 (3) 號 頭 哨 角 隊 (4) 令 旗 (4) 神 傘 (1) 媽 祖 神 輿 (8)よって 構 成 されている 最 低 人 数 127 人 の 大 所 帯 で その 後 ろに 進 香 団 と 呼 ばれる 信 者 が 続 いている 台 中 台 南 でその 規 模 は 大 きく 1694 年 に 創 建 された 北 港 媽 祖 廟 ( 朝 天 宮 )への 進 香 団 が 最 も 大 きいと 言 われて いる その 背 景 には 台 湾 の 近 代 世 が 台 南 から 始 まった 歴 史 が 存 在 している 今 日 に 至 る 台 湾 の 土 地 所 有 制 度 は 鄭 成 功 の 下 で 陳 永 華 によって 創 られたが 先 住 民 と 移 民 者 の 現 に 所 有 している 土 地 は 侵 さないとの 条 件 で 開 墾 が 始 まった この 開 墾 の 中 心 は 常 磐 田 ( 屯 田 )と 言 われるもので 大 規 模 な 常 磐 田 は 40 数 カ 所 に 及 んでいる この 開 墾 は 現 在 の 台 南 周 辺 が 中 心 で 打 狗 ( 高 雄 ) 左 営, 新 宮 北 港 嘉 義 などを 核 として 進 められた また 斑 模 様 のように 台 中 の 鹿 港 沙 轆 台 北 部 の 淡 水 基 隆 などの 周 辺 も 開 墾 4 が 進 んだ 北 港 の 媽 祖 廟 は 明 鄭 成 功 時 代 に 移 民 した 福 建 省 移 住 者 によって 開 墾 12
された 場 所 に 位 置 し 媽 祖 廟 の 総 本 山 とされ 福 建 省 の 開 拓 移 民 が 航 海 の 無 事 を 感 謝 して 建 立 した 廟 である したがって 台 南 地 区 の 移 民 者 にとっては 重 要 な 廟 であり 開 墾 が 始 まった 郭 成 功 時 代 の 中 心 的 媽 祖 廟 となった こうしたことから 各 地 の 進 香 団 は 地 元 の 廟 から 媽 祖 様 を 神 輿 に 載 せて 参 拝 に 来 るのである 図 6 進 香 団 ( 三 旗 伝 統 楽 器 隊 ) 図 7 進 香 団 ( 廟 で 休 息 する 二 将 軍 隊 ) 図 8 進 香 団 ( 媽 祖 廟 神 輿 ) 図 9 進 香 団 ( 祭 壇 の 紙 銭 を 燃 やす 迎 神 ) 4. 進 香 団 と 宗 教 性 進 香 団 は 地 元 の 媽 祖 様 を 載 せて 北 港 媽 祖 廟 ( 朝 天 宮 )へ 向 かうのだが その 途 中 の 媽 祖 廟 を 持 つ 村 や 町 を 巡 回 する こうした 進 香 団 が 通 る 町 では 食 事 や 飲 み 物 を 用 意 し て 歓 迎 する 進 香 団 の 行 進 は 夜 から 朝 にかけて 行 うのだが 日 中 は 廟 や 木 陰 や 民 家 の 軒 先 で 休 息 を 取 る また 途 中 から 進 香 団 に 加 わるものも 多 く 北 港 に 着 くころには 数 万 にも 及 ぶとされている 志 賀 市 子 は 進 香 団 の 目 的 について ある 廟 が 別 の 廟 に 進 香 団 を 送 る 目 的 とは 訪 問 先 の 媽 祖 廟 で 割 火 (または 刈 火 )の 儀 礼 5 を 行 なうこと 指 摘 している 割 火 とは 小 廟 または 分 霊 廟 が 同 一 の 神 が 祀 られている 祖 廟 に 巡 礼 し 香 炉 の 灰 を 大 廟 ( 祖 廟 )の 香 炉 に 混 ぜ その 香 灰 の 一 部 を 持 って 帰 り 自 分 たちの 廟 の 香 炉 に 入 れるという 儀 礼 で 割 火 を 行 うことで 神 の 霊 力 を 補 充 または 増 強 できる 13
6 といった 信 仰 からきていると 指 摘 している この. 進 香 団 参 加 の 流 行 を ファミリーマ ート( 全 家 超 商 )は 販 促 用 品 のキャラクター 開 発 で 進 香 団 に 関 心 を 持 つ 人 とその 周 辺 をターゲットした 好 神 好 仔 をプロモーションした この 背 景 には. 進 香 団 に 参 加 している 人 が 必 ずしも 熱 心 な 信 徒 ではなく 台 湾 人 に 広 がっている 国 民 的 信 仰 でかつ 文 化 になっている 7 と 言 った 分 析 に 基 づいていた この 販 促 事 業 は 2007 年 以 降 効 果 を 挙 げたが 更 にキャラクター 景 品 として 関 羽 公 武 財 神 釈 迦 城 隍 爺 達 磨 祖 師 などの 8 種 類 の 好 神 迎 神 を 加 えた また 各 廟 の 周 辺 のお 土 産 屋 さんでも 同 様 なキ ャラクター 商 品 が 売 られるようになった 特 に 2000 年 以 降 民 間 信 仰 に 対 応 したキャラ クター 商 品 の 販 売 と 購 入 が ブームとなった 図 10 好 神 迎 神 ( 釈 迦 ) 図 11 好 神 迎 神 ( 五 路 財 神 ストラップ) 5. 核 施 設 媽 祖 廟 と 街 並 み 鹿 港 は 清 時 代 の 煉 瓦 造 の 街 並 みが 残 る 一 府 二 鹿 三 孟 甲 ( 一 に 台 南 の 安 平 二 に 鹿 港 三 に 台 北 の 萬 華 )と 言 われた 台 湾 を 代 表 する 港 町 である 1662 年 に 鄭 成 功 が 台 湾 をオランダから 解 放 し 主 権 を 握 り 開 墾 によって 屯 田 を 生 みだした 台 中 の 中 心 都 市 である 明 時 代 の 福 建 省 の 移 民 が 台 中 で 最 初 に 着 いた 都 市 であり この 街 の 媽 祖 廟 は 無 事 に 航 海 を 終 えた 感 謝 とお 礼 の 廟 として 栄 えていた 1945 年 以 降 この 街 が 近 代 化 の 進 展 を 受 けなかったのは 鉄 道 敷 設 の 折 有 力 者 が 風 水 上 敷 設 により 風 水 の 乱 れが 生 じる と 言 って 反 対 したことによることが 原 因 である そのため 繁 栄 からほど 遠 く 台 北 や 高 雄 が 工 業 都 市 化 を 果 たし 近 代 化 を 進 めていたのに 反 して 古 い 町 並 みが 残 ったが 媽 祖 廟 が 3 大 媽 祖 廟 であったため 賑 わいはそれほど 衰 えなかった また 郭 中 端 の 台 湾 研 究 でも 進 香 団 が 鹿 港 天 午 宮 で 14:00~24:00 まで 休 息 を 取 った 記 録 が 残 されている 台 中 台 南 の 進 香 団 の 盛 んな 地 域 から 鹿 港 の 廟 に 訪 れることによって 門 前 街 はそれな りに 栄 え 続 けていた その 後 の 観 光 ブームによって 台 中 観 光 で 訪 れる 場 所 となった 郭 中 端 らの 研 究 によれば 廟 は 役 場 公 民 館 学 塾 対 外 交 渉 町 内 の 紛 糾 調 停 機 能 な ど 役 割 を 担 っていたと 指 摘 している 交 易 流 通 の 商 会 組 合 の 事 務 所 を 担 っていたりもし た こうした 側 面 は 観 光 資 源 以 上 に 地 域 のコミュニティを 支 える 重 要 施 設 である 14
1 天 后 宮 ( 媽 祖 廟 ) 2 山 門 前 の 広 場 3 広 場 の 露 天 4 民 生 路 の 門 前 街 図 12 鹿 港 天 午 宮 ( 媽 祖 廟 )の 周 辺 環 境 1 鹿 港 老 街 街 並 み 2 清 時 代 の 福 建 省 南 部 の 住 戸 3 住 戸 を 利 用 した 商 業 施 設 4 成 功 路 を 繋 ぐ 路 地 図 13 老 街 埔 頭 街 15
鹿 港 では 生 活 に 根 付 いた 天 后 宮 や 龍 山 寺 の 参 拝 や 老 街 の 埔 頭 街 の 歴 史 的 建 築 物 群 を リハビリテーション 手 法 による 整 備 によって 歴 史 的 景 観 を 持 つ 観 光 アクティビティを 生 みだしている 6. 祖 廟 と 祖 宅 清 時 代 に 入 ると 祖 廟 を 建 てる 風 習 が 生 まれ 鹿 港 では 1884 年 丁 克 家 の 第 六 子 で ある 丁 寿 泉 は 進 士 に 及 第 すると 亡 父 の 孝 行 を 顕 彰 する 目 的 で 丁 克 家 の 位 牌 を 祀 り 孝 悌 祠 を 建 立 した 丁 氏 の 祖 宅 は 鹿 港 の 学 問 や 政 治 の 古 鎮 の 求 心 的 場 所 で 血 族 によ って 形 成 された 鎮 の 重 要 かつ 象 徴 的 建 物 で 求 心 力 8 になっていたと 考 えられよう ま た 科 挙 で 進 士 の 地 位 まで 修 めていたことも 祠 から 読 み 取 れる 祖 邸 部 分 には 広 間 と 2 階 部 分 に 走 馬 楼 があり 集 会 と 居 室 部 分 が 配 置 されている さらに 進 むと 祠 が 存 在 し 中 央 に 位 牌 が 並 べられ 祖 廟 の 実 態 を 把 握 することができる またこの 箇 所 が 求 心 的 で あることを 実 証 するかのように 近 隣 に 豪 商 辜 顯 榮 の 邸 宅 が 存 在 し 現 在 博 物 館 とし て 公 開 されている 辜 顯 榮 邸 宅 は 1700 年 に 完 成 した 伝 統 的 福 建 省 南 部 の 木 造 と 煉 瓦 による 古 風 楼 また 1919 年 に 完 成 した 洋 楼 と 洋 楼 と 古 楼 をつなぐ 廊 下 部 分 によっ 図 14 丁 家 祖 宅 図 15 丁 家 祖 宅 ( 広 間 ) 図 16 丁 家 祖 廟 図 17 辜 顯 榮 邸 宅 の 古 風 楼 と 廊 下 部 分 16
て 構 成 されている 洋 楼 は 展 示 室 となっており 使 い 方 は 分 からないが 古 楼 は 18 世 紀 の 生 活 の 様 子 が 拝 察 できる また 大 邸 宅 には 静 謐 で 美 しい 庭 が 一 般 的 である との 指 摘 通 り 東 屋 を 持 った 池 が 入 り 口 部 分 に 存 在 し 中 国 大 陸 南 部 の 形 式 に 則 っている すなわち 母 村 文 化 が 継 承 され 続 けている 点 が 伺 われる 6000 点 に 及 ぶ 約 200 年 の 所 蔵 品 は 鹿 港 の 文 化 史 の 断 面 を 示 すが 具 体 的 文 化 の 変 遷 を 理 解 するには 効 果 的 なイン タープリテーションが 不 可 欠 である この 博 物 館 においては 中 国 福 建 省 周 辺 の 文 化 の 変 遷 をコンパクトに 理 解 できる 点 が 特 筆 できよう 図 18 辜 顯 榮 邸 宅 の 洋 楼 図 19 辜 邸 宅 の 洋 楼 前 提 の 東 屋 と 池 7. まとめ 台 湾 の 国 家 意 識 の 出 現 は オランダ 連 合 東 インド 会 社 の 1924 年 の 安 平 上 陸 以 降 であ り 独 立 と 主 権 意 識 は 1662 年 の 鄭 成 功 のオランダ 領 からの 解 放 に 始 まる 鄭 成 功 は 大 陸 で 清 王 朝 に 覇 権 を 奪 われた 明 王 朝 を 台 南 で 蕃 主 の 地 位 で 再 興 を 目 指 したことから 始 まる 本 論 で 展 開 したのは 鄭 成 功 が 国 家 を 確 立 するために 台 南 を 中 心 に 展 開 した 明 時 代 の 中 華 文 化 の 残 照 である また 先 住 民 族 との 混 血 化 によって 明 文 化 は 継 承 されて いった 鹿 港 は 台 中 の 新 興 中 心 都 市 として 栄 え 大 陸 文 化 とは 異 なった 明 文 化 を 残 してい た また 媽 祖 信 仰 と. 進 香 団 の 風 習 も 継 承 され これら 生 活 習 慣 が 政 治 体 制 の 変 化 が 多 いにもかかわらず 庶 民 段 階 の 文 化 の 継 承 が 存 在 している 2 回 の 調 査 で 台 中 台 南 文 化 の 特 性 は 概 ね 以 下 の 様 に 要 約 される 建 国 の 祖 の 鄭 成 功 は あくまで 明 朝 再 興 に 基 本 を 置 き 権 力 抗 争 が 希 薄 であり 明 文 化 が 継 承 された 移 民 の 困 難 さ 安 全 性 の 確 保 の 意 識 から 媽 祖 廟 信 仰 が 多 くの 人 の 共 通 意 識 であった 媽 祖 廟 信 仰 の 割 火 等 の 習 慣 によって 各 媽 祖 廟 の 交 流 信 者 の 交 流 が 進 香 団 の 儀 式 を 生 み 台 南 台 中 を 中 心 としたコミュニティが 継 続 的 に 存 在 した 以 上 の 特 徴 は 今 日 の 台 湾 独 特 の 文 化 と 風 土 を 形 成 してきた 近 年 では この 台 湾 の 風 土 を 活 用 し 全 家 超 商 が 好 神 迎 神 文 化 を 販 売 促 進 に 結 び 付 けて 企 業 利 益 を 得 た 他 方 こうした 好 神 迎 神 文 化 は 若 者 に 台 湾 文 化 の 再 生 を 果 たし 新 たな 進 香 団 参 加 者 をも 17
北 海 道 地 域 観 光 学 会 誌 第 2 巻 第 1 号, 2015 たらした 以 上 のことは 近 年 の 特 徴 として 流 行 化 した 進 香 団 と 好 神 迎 神 商 品 のブームは 台 湾 の 若 者 に 緩 やかな 宗 教 意 識 をも たらし 媽 祖 信 仰 を 基 礎 に 置 いたパブリックイメージを 継 承 させている が 付 け 加 えられよう こした 台 湾 の 歴 史 の 源 は 500 年 にも 満 たないが そのいくつかの 地 域 で 源 流 をとど めている その 一 つが 鹿 港 地 区 であり 残 存 する 文 化 と 継 承 されている 文 化 である また 台 中 台 南 の 文 化 理 解 は 台 湾 文 化 の 源 流 を 実 体 験 するうえで 需 要 である 本 稿 で は 生 活 文 化 のコンテキストを 参 照 しつつ 鹿 港 の 文 化 的 痕 跡 を 考 察 した こした 台 湾 文 化 を 理 解 し セグメント 化 した 北 海 道 の 誘 客 振 興 をすることが 必 要 であろう 併 せて 本 稿 が 日 台 友 好 に 寄 与 すれば 幸 いである 付 記 本 研 究 は 以 下 の 補 助 金 の 一 部 によって 調 査 検 証 した 進 香 団 調 査 (2008.10)は 筆 者 前 任 校 札 幌 国 際 大 学 地 域 観 光 研 究 センター 鹿 港 調 査 (2014.11)は 現 職 北 海 商 科 大 学 北 海 道 政 策 研 究 所 好 神 迎 神 のアメニティは 研 究 室 所 属 の 留 学 生 の 寄 贈 によるものである 註 1 郭 中 端 堀 込 憲 二 (1977) 台 湾 都 市 住 宅 7710 鹿 島 出 版 P68 2 郭 中 端 堀 込 憲 二 (1977) 前 掲 載 P68 3 郭 中 端 堀 込 憲 二 (1977) 前 掲 載 P70 4 伊 藤 潔 (2000.) 台 湾 中 公 新 書 P32 5 志 賀 市 子 (2013) 台 湾 における Q 版 神 仙 ブームとその 背 景 国 際 常 民 文 化 研 究 叢 書 (3) P160 6 志 賀 市 子 (2013) 前 掲 載 P160 7 志 賀 市 子 (2013) 前 掲 載 P154 8 河 添 恵 子 中 国 古 鎮 遊 編 集 部 (2006) 中 国 江 南 ダイヤモンド 社 P.P.24-25 参 考 文 献 伊 藤 潔 (2000) 台 湾 中 公 新 書 堀 一 郎 (1973) 民 間 信 仰 岩 波 全 書 山 下 晋 司 ら(1996) 移 動 の 民 族 史 岩 波 講 座 文 化 人 類 学 7 岩 波 書 店 川 森 博 司 (1966)ふるさとイメージをめぐる 実 践 岩 波 講 座 文 化 人 類 学 12 岩 波 書 店 註 で 参 照 した 文 献 は 省 く ( 2014 年 12 月 16 日 受 理 ) 18