日本経済新聞 1985 年 8 月 6 日 50 曙ブレーキグループ 85 年史
第 3 章 第 2の 転 換 期 1986 1989 グローバル 化 への 海 外 展 開 を 加 速 1980 年 日 本 の 自 動 車 生 産 台 数 は1,100 万 台 を 突 破 し アメリカを 抜 いて 世 界 第 1 位 となっ た その 結 果 1970 年 代 から 顕 在 化 し 始 めた 日 米 自 動 車 摩 擦 がいよいよ 深 刻 化 していく 1981 年 政 府 は 日 本 製 乗 用 車 の 対 米 輸 出 を 自 粛 する 措 置 を 発 表 当 初 は3 年 の 期 限 で 年 168 万 台 に 抑 制 する 方 針 であったが この 措 置 は90 年 代 前 半 まで 継 続 されることになる さらに アメリカの 対 日 貿 易 赤 字 が 顕 著 であったため 円 高 ドル 安 に 誘 導 するプラザ 合 意 が1985 年 に 発 表 される 合 意 前 日 は1ドル=242 円 であった 東 京 市 場 も 1988 年 初 頭 には 128 円 まで 加 速 円 高 ドル 安 による 不 況 に 備 え 政 府 日 本 銀 行 が 金 利 を5%から2.5%まで 引 き 下 げた これが バブル 経 済 を 呼 び 込 むことになる 日 本 の 企 業 にとって もはや 海 外 戦 略 は 必 然 の 流 れであった 自 動 車 メーカー 各 社 は 海 外 拠 点 での 生 産 にシフトし 当 社 も 1985 年 にフランス 現 地 法 人 Akebono Europe S.A.R.L. を 設 立 アメリカでは 1986 年 に GM 社 との 合 弁 会 社 Ambrake Corporation を 1989 年 に Akebono Brake Systems Engineering Center, Inc. を 設 立 するなど 海 外 展 開 を 本 格 化 させていく このような 海 外 展 開 においては 現 地 で 合 理 化 された 生 産 システムを 確 立 できるかどうか が 重 要 となる 当 社 はそれまでもMPシステムなどで 生 産 の 合 理 化 を 進 めてきていたが そ れ 以 上 の 生 産 システムが 求 められていた 1986 年 1 月 22 日 信 元 久 隆 専 務 取 締 役 を 中 心 に Akebono Production System(APS) の 導 入 に 向 け 研 究 に 励 んだ そして 元 号 が 昭 和 から 平 成 となる1989 年 ベルリンの 壁 が 崩 壊 し 東 西 冷 戦 時 代 が 終 結 世 界 経 済 は 統 合 され いよいよグローバル 競 争 の 本 格 的 な 幕 開 けとなった 曙 ブレーキグループ 85 年 史 51
第3章 第2の転換期 1986 Ambrake Corporation 建設地での鍬入れ式 1986 1986 昭和61 2 APS 本格スタート 4 男女雇用機会均等法が施行 曙ブレーキいわき製造 株 を設立 初の海外生産拠点を設立 テストコースおよび工場造成工事に着工 7 アメリカGM社との合弁会社Ambrake Corporationを 1985 年のプラザ合意は アメリカの対日貿易赤字是正 現 Akebono Brake, Elizabethtown Plant を狙い円高ドル安を誘導 これにより日本の自動車メー ケンタッキー州エリザベスタウンに設立 11 第1回曙全社品質管理大会を開催 ー ABS アンチロックブレーキシステム の量産立ち上げ カーの海外進出が加速し 当社にとっても海外展開は避 けられない課題となっていた まずは アメリカに生産拠点をつくること 合弁会社 を検討する中で 長年 技術提携をしていたアメリカの BX 社をパートナーにと考えていた しかし BX 社は 経 営権 決定権は自国の我々が持つ と主張する一方 当 社も 日本の自動車メーカーのために海外に進出するの だから 彼らの意向に沿わない決断をされては困る と 当社が経営権を持つことを譲らなかった そのため合弁 の話は決裂し 行く先を案じていた矢先 アメリカ 3 大 メーカーのひとつである GM 社の部品製造部門 デルコ モレーン事業部が候補に挙がる 当時の企業規模からす れば 当社と GM 社とでは雲泥の差があったが 信元安 貞社長は やるなら最大手のところとやろうじゃないか と意気込んだ 1985年5月 デルコ モレーン事業部のトップ ロバート D ワイト氏が来日 両社から事務レベル担当者をそれ ぞれ集め ジョイント タスクフォースを結成し 同年 8 月に GM 社との合弁会社設立を発表した 1986 年 7 月 21 日の記者発表の 2 日前 まだジョイントベンチャー が決まっていなかった 7 月 19 日 当時の社長 信元安貞が書い た海外進出への想いには 負けてたまるか!! の文字 GM 社との契約書 1986 52 曙ブレーキグループ 85 年史
ケンタッキー 州 による 歓 迎 式 典 で 挨 拶 する 信 元 安 貞 社 長 (1986) Ambrake Corporation(1986) 来 たる1986 年 7 月 21 日 場 所 は 工 場 建 設 予 定 地 のケン タッキー 州 エリザベスタウン 大 勢 の 記 者 が 集 まり 合 弁 提 携 書 の 調 印 式 および 州 の 歓 迎 式 典 がいままさに 開 か れようとしていた しかし 前 日 になっても 細 かな 部 分 の 決 定 がなされておらず 当 日 の 会 場 に 向 かう 車 内 でも 交 渉 が 続 けられ ついに 経 営 の 主 導 は 全 面 的 に 当 社 が 握 るという 形 で 最 終 合 意 を 取 りつける そして 会 場 の 駐 車 場 に 止 まっていたクルマのボンネットの 上 で 信 元 社 長 とロバート D ワイト 氏 により 出 資 比 率 50:50の 合 弁 契 約 書 にサインが 交 わされた こうして 当 社 の 歴 史 に 新 たな1ページが 記 された 1986 年 7 月 GM 社 との 合 弁 会 社 名 が Ambrake Corporation( 以 下 Ambrake) ( 現 Akebono Brake, Elizabethtown Plant)に 決 まり 当 社 に とって 海 外 で 初 めてとなる 生 産 拠 点 が 誕 生 した 出 すが すぐには 定 着 にまでは 至 らなかった 1985 年 に Ambrakeの 建 設 が 決 まり これまで 以 上 に 合 理 化 された 生 産 方 式 の 導 入 ができるかどうかが 成 否 を 握 っていた Ambrakeの 本 格 始 動 が 迫 る 中 信 元 久 隆 専 務 取 締 役 は GMに 対 しakebonoと 組 む 意 義 を 感 じさせるために は トヨタ 生 産 方 式 しかないと 決 意 1986 年 1 月 22 日 にトヨタの 本 社 工 場 を 訪 問 し 本 気 で 学 びたいと 願 い 出 た 同 年 2 月 トヨタ 生 産 方 式 から 当 社 独 自 の 生 産 方 式 APS(Akebono Production System) を 確 立 する ために モデルラインの 立 ち 上 げ 社 内 自 主 研 といった 活 動 をスタートさせる 以 後 当 社 は 四 半 世 紀 にわたっ て APSによる 生 産 性 向 上 の 活 動 を 追 求 し 進 化 を 続 け ている Ambrakeはゼロから 出 発 した 会 社 として Let us make tomorrow better than today! の 下 新 会 社 ゆえのコ スト 高 をAPSにのっとり 絶 対 的 な 品 質 でカバーしてい 経 営 トップの 強 い 意 志 の 下 で 新 生 産 システム APS を 導 入 第 1 次 オイルショック 後 の 低 成 長 時 代 その 中 でも トヨタ 自 動 車 工 業 ( 株 )は 他 社 に 比 べて 大 きな 利 益 を 上 げていた この 背 景 には ムダの 徹 底 的 排 除 の 思 想 と 造 り 方 の 合 理 性 を 追 い 求 める トヨタ 生 産 方 式 があった 1976 年 当 社 でもこの 生 産 方 式 を 取 り 入 れるべく 動 き くことで 各 種 の 受 賞 につなげていった APSの 立 ち 上 げを 受 け これまで 岩 槻 製 造 所 と 三 春 製 造 所 に 分 散 していたディスクブレーキ 生 産 ラインを 統 合 し さらなる 生 産 効 率 化 を 図 った その 矢 先 予 想 外 の 大 量 受 注 が 入 るも APSに 基 づき 社 員 一 丸 となってこの 事 態 を 乗 り 越 え 大 きな 自 信 を 獲 得 する Ambrakeでも 現 場 に 即 したAPSが 導 入 され 1988 年 5 月 2 日 記 念 す べき 製 品 初 出 荷 の 日 を 迎 えた 佐 藤 光 夫 ( 元 専 務 執 行 役 員 ) が 記 したトヨタ 生 産 方 式 につ いての 報 告 書 には 忘 れるな よ!! の 文 字 (1986) APS の 英 語 解 説 も 制 作 曙 ブレーキグループ 85 年 史 53
第 3 章 第 2の 転 換 期 1987 1989 曙 ブレーキ プルービング グラウンド (ABPG) 開 所 式 (1988) 1987( 昭 和 62) 4 国 鉄 が114 年 の 歴 史 を 終 え 分 割 民 営 化 でスタート JRグループ7 社 が 発 足 高 速 デュアルダイナモ 試 験 機 稼 働 開 始 ー 日 本 独 自 の 技 術 によるABS(アンチロックブレーキシステム) がメーカーに 初 採 用 ー フランスのValeo 社 と 摩 擦 材 の 技 術 援 助 契 約 を 締 結 6 日 本 の 外 貨 準 備 高 が 西 ドイツを 抜 き 世 界 一 へ 9 東 北 自 動 車 道 が 全 線 開 通 10 米 国 ニューヨーク 株 式 市 場 が 大 暴 落 (ブラックマンデー) 青 木 副 社 長 自 動 車 技 術 会 技 術 貢 献 賞 を 受 賞 12 西 ドイツ( 当 時 )ボッシュ 社 とのABSに 関 する 技 術 援 助 契 約 を 締 結 1988( 昭 和 63) 3 青 函 トンネル 開 通 4 瀬 戸 大 橋 開 通 5 Ambrake Corporation 稼 働 開 始 8 テストコース 曙 ブレーキ プルービング グラウンド(ABPG) 完 成 1989( 平 成 元 ) 3 曙 ブレーキインテリジェントビル 開 所 4 ( 株 )エーケーシーがソフト 事 業 を 開 始 7 創 業 60 周 年 記 念 パーティーを 開 催 Ambrake Corporationグランドオープン 9 創 業 60 周 年 社 員 フェスティバルを 開 催 10 あけぼの 健 康 ランド オープン 曙 ブレーキいわき 製 造 ( 株 )いわき 工 場 竣 工 Akebono Brake Systems Engineering Center, Inc. を 設 立 ( 現 :Akebono Engineering Center) 11 ベルリンの 壁 崩 壊 米 国 で 基 盤 を 確 立 し 欧 州 への 展 開 総 合 システムメーカーを 目 指 す Ambrake の 設 立 と 並 行 する 形 で 1989 年 10 月 アメ リカの 自 動 車 メーカーの 開 発 拠 点 が 集 中 するミシガン 州 デトロイトに 当 社 100% 所 有 の 開 発 拠 点 Akebono Brake Systems Engineering Center, Inc.( 以 下 BSEC) ( 現 Akebono Engineering Center)を 設 立 した これは 現 地 ニーズの 把 握 や 開 発 力 の 強 化 に 加 え AmbrakeがGM 社 という 特 定 メーカーとの 合 弁 会 社 ということから 新 た なビジネスを 開 拓 していくためにも 当 社 所 有 の 研 究 機 関 を 持 つ 必 要 があった BSECの 設 立 の 効 果 は それま で 受 注 のなかったフォード 社 とのビジネス 成 立 という 形 で 実 を 結 ぶ 当 時 を 知 る 柏 木 剛 ( 元 副 会 長 )は フォー ド 社 への 売 り 込 みは1977 年 から 散 々やってきたけど エ ンジニアリングサポートのできない 部 品 メーカーからは 買 えないと 相 手 にされなかった それだけにBSECの 存 在 はとても 大 きかった と 言 う これにより アメリカ での 営 業 生 産 開 発 の3つの 機 能 が 揃 い 本 格 的 にビ ジネス 拡 大 に 向 けて 攻 勢 に 出 ていく アメリカ 進 出 に 注 力 する 傍 ら もうひとつの 自 動 車 産 業 の 中 心 地 欧 州 への 進 出 計 画 も 着 々と 進 められていた 1985 年 にフランス 現 地 法 人 Akebono Europe S.A.R.L. Akebono Europe S.A.R.L. の 開 所 式 (1985) 54 曙 ブレーキグループ 85 年 史
最 高 速 度 200km/h まで 走 行 可 能 な 高 速 周 回 路 2011 年 3 月 の 東 日 本 大 震 災 により 大 きな 被 害 を 受 け 修 復 工 事 を 着 工 2012 年 12 月 に 名 称 を Ai-Ring (アイ - リンク)と 改 め 再 スタートを 切 る ( 現 Akebono Europe S.A.S. (Gonesse)) の 開 所 式 がパリの ホテルで 開 催 され パリを 拠 点 に 欧 州 での 補 修 品 の 営 業 販 売 を 開 始 する さらに 欧 州 戦 略 強 化 の 一 環 として 1987 年 のフランス のValeo 社 と 摩 擦 材 に 関 する 技 術 援 助 契 約 に 続 き 同 年 12 月 西 ドイツ( 当 時 )の 電 装 メーカーであるボッシュ 社 とABS(アンチロックブレーキシステム)に 関 する 技 術 援 助 契 約 を 締 結 した また AD 型 ディスクブレーキの 確 立 にともない 1980 年 代 初 頭 から 海 外 企 業 への 技 術 供 与 が 本 格 化 する オー ストラリアや 台 湾 をはじめ のちに 資 本 提 携 すること になるインドネシアの PT. Tri Dharma Wisesa( 以 下 TDW 社 )などに 当 社 の 技 術 者 が 向 かい 親 身 になって 指 導 を 行 った さらに かつて 技 術 供 与 を 受 けていたBX 社 とAP 社 へも 当 社 からの 技 術 者 派 遣 が 及 んだ ブレーキに おいて 高 い 技 術 力 を 認 められていた 当 社 は 1985 年 ごろ から 総 合 ブレーキメーカーから 一 歩 踏 み 出 し 総 合 シ ステムメーカーを 目 指 して ABS(アンチロックブレー キシステム)の 開 発 を 進 めていた そこでボッシュ 社 と 出 会 い 技 術 提 携 の 運 びとなった 1988 年 ボッシュ 社 との 関 係 は 資 本 提 携 にも 進 む ボッ シュ 社 は BX 社 が 永 年 にわたり 保 有 していた 当 社 の 株 を 全 量 取 得 することで 大 株 主 となる 技 術 力 強 化 の 一 翼 を 担 う 大 規 模 なテストコースが 完 成 1988 年 大 規 模 テストコース 曙 ブレーキ プルービ ング グラウンド(ABPG) ( 現 Ai-Ring)が 福 島 県 いわ き 市 の 郊 外 に 建 設 された 主 要 施 設 には 高 速 周 回 路 低 μ 路 ( 摩 擦 係 数 が 低 い 滑 りやすいコース) 円 旋 回 路 坂 道 試 験 路 浸 水 路 などが あり 敷 地 内 には 整 備 工 場 や 実 験 棟 なども 併 設 された 高 速 周 回 路 は1 周 3km 強 の 長 円 形 で バンクは 最 大 傾 斜 44 度 最 高 速 度 200km/hでの 走 行 が 可 能 また 低 μ 路 は 凍 った 路 面 に 相 当 する 特 殊 タイルや 圧 雪 路 に 相 当 するタイルな どに 加 えて 散 水 設 備 まで 完 備 し さまざまな 天 候 を 想 定 し たテストが 可 能 となった このテストコースの 完 成 により 当 社 の 研 究 開 発 が 大 幅 に 加 速 していくことになる 2011 年 3 月 の 東 日 本 大 震 災 により プルービング グ ラウンドは 大 きな 被 害 を 受 けたが 修 復 工 事 を 終 え 2012 年 12 月 に 名 称 を Ai-Ring (アイ - リンク)と 改 め 再 スタートを 切 っている 1989 年 創 業 60 周 年 を 迎 える この 年 曙 ブレーキ いわき 製 造 株 式 会 社 のいわき 工 場 がプルービング グ ラウンドの 隣 に 竣 工 するなど 国 内 体 制 においても 引 き 続 き 強 化 を 続 けた BSEC 設 立 がフォード 社 とのビジネスを 生 む(1989) 盛 大 に 開 催 した 創 業 60 周 年 社 員 フェスティバル(1989) 曙 ブレーキグループ 85 年 史 55