スロベニア クロアチア ボスニアヘルツエゴビナ 旅 行 記 (2014/8/30~9/6) 2014/09/25 森 景 樹 <はじめに> テレビや 雑 誌 でよく 取 り 上 げられ 町 並 みや 自 然 の 美 しさの 印 象 が 強 い 昨 年 トルコから 帰 ってきたときから 密 かに 次 はここと 決 めていたところでもある 狙 いは ドブロヴニクのオレンジ 色 の 町 並 みを 生 で 観 ることだ 思 い 起 こすと この 地 は 昔 のユーゴスラビア 連 邦 共 和 国 なのだ 20 世 紀 後 半 の 共 和 国 解 体 に 伴 う 紛 争 を 経 験 し 独 立 した 国 々ということだ 歴 史 の 波 に 翻 弄 されつつも 独 自 の 文 化 を 守 り 続 けてきた 姿 をみたい 思 いもあった <チエックインは 夜 26 時 30 分 > 一 日 目 は 比 較 的 遅 めの 出 発 で 羽 田 発 14 時 05 分 ドイツのフランクフルト 経 由 し オーストリアのグラーツ 空 港 に 降 り 立 つ 雨 の 暗 闇 の 中 をひたすらバスは 走 る 初 日 のホテルは 観 光 スタートになるスロベニアのブレット 湖 畔 にある 着 いたのは 夜 中 の2 時 30 分 着 替 えて 次 の 準 備 をして 寝 たのが 四 時 頃 だっただろうか < 時 間 がゆっくり 流 れる 町 ブレッド> 二 日 目 9 時 出 発 し 最 初 の 観 光 地 は ホテルから 歩 いても 行 けるブレッド 湖 だ 勿 論 恒 例 の 朝 の 散 歩 で 湖 畔 まで 歩 いた 湖 の 島 にある 聖 マリア 教 会 に 手 漕 ぎボートで 島 に 向 かう 誰 かが 私 漕 げない といった 心 配 ご 無 用 手 漕 ぎボートといっても 約 20 人 が 乗 れて プロの 漕 ぎ 手 がいるのだ 上 陸 し 約 100 段 の 階 段 を 登 ると 教 会 がある 最 近 ここで 結 婚 式 をあげるカップルが 増 えているらしい 美 しく 静 かな 湖 畔 は スイスからイタリアに 連 なるユリアン アルプ スが 背 景 にそびえる 雲 が 多 く その 姿 はみることができなかった ゆっくりと 流 れる 時 間 を 楽 しむ 山 岳 リゾート 地 というところだ かつてのユーゴスラヴィアのチトー 大 統 領 の 別 荘 もこの 湖 畔 にあり 今 はホテルになっているという < 石 灰 岩 地 質 に 観 る 不 思 議 な 光 景 > 鍾 乳 洞 に 入 る 前 に コースにないお 城 を 見 せるといい 山 奥 に 入 っていった 昨 年 まで 大 型 バスが 入 れなかったらしい プレジャマ 城 というところだ 断 崖 絶 壁 の 側 面 にお 城 がくい 込 んだようにたっている 1
日 本 でも 山 岳 信 仰 の 光 景 が 見 られるが お 堂 でなくお 城 なのだ このあたりは 石 灰 岩 地 質 なので 地 下 に 限 らず 奇 景 観 が 見 られるという またひとつ 観 光 地 ができたようだ さて ボストイナ 鍾 乳 洞 だが 世 界 第 3 位 の 広 さがある 全 長 27kmに 及 ぶ 福 島 県 阿 武 隈 洞 や 山 口 秋 吉 台 の 鍾 乳 洞 は 入 ったことがあるが 比 較 するのがおくがましい ほどスケールが 違 う まずトロッコで 約 5 分 くらい 鍾 乳 洞 の 中 を 走 り 終 点 から 歩 き 始 める とにかく 広 いし 屈 んで 歩 くことはない 形 も 色 もその 長 い 歴 史 を 感 じさせる 約 1 時 間 の 地 下 の 散 策 というところだ そして 国 境 を 越 え 二 日 目 のホテル クロアチアのオパテイアへ 向 かう ここからは ユーロは 使 えない ホテルでクロアチアの 貨 幣,クーナに 両 替 をする 1クーナ 約 20 円 だ <アドリア 海 沿 岸 の 世 界 遺 産 > 三 日 目 はアドリア 海 を 約 340km ひたすら 高 速 道 路 を 走 る 風 の 強 いところで 高 速 道 路 が 閉 鎖 されると 一 般 道 になるのでますます 時 間 がかかる 約 5 時 間 後 シベニクという 町 に 着 いた アドリア 海 の 貿 易 港 として 栄 えた この 町 のシンボル 聖 ヤコブ 大 聖 堂 がある 15 世 紀 から16 世 紀 に 建 てられた 巨 大 な 聖 堂 だ もちろん 世 界 遺 産 に 登 録 されている 建 築 様 式 は 最 初 ゴシックだったらしいが 途 中 からルネッサンス 様 式 に 変 更 になった この 時 代 の 建 造 物 のモザイクには 圧 倒 される そして 次 の 地 トロギールへ 向 かう 紀 元 前 三 世 紀 にできたギリシャ 人 の 植 民 地 だっ たらしい その 後 ハンガリー 王 の 支 配 下 になり 後 にはヴェネツイア ハブスブルグ 家 に 支 配 されるなどその 歴 史 は 変 化 する 旧 市 街 は 中 世 そのままの 姿 が 残 っており 世 界 遺 産 でもある 特 に 聖 ロヴロ 大 聖 堂 の 扉 に 掘 られたアダムとイブの 像 は クロアチア 宗 教 美 術 の 代 表 ともいわれる まもなく 大 粒 の 雨 と 雷 が 轟 き 鑑 賞 どころではなくなる 海 外 旅 行 中 の 雷 も 初 の 経 験 だ 雨 宿 りを 兼 ねてお 土 産 探 しになった あとで 聞 いた 話 で ここで グループの 若 い 女 性 のリュックからパスポートだけが 盗 まれた 翌 日 は 仮 発 行 手 続 きで 首 都 ザグレブの 日 本 大 使 館 にいったらしい 突 然 の 雷 雨 という 変 化 も 注 意 をそらすキッカケになってしまった 油 断 ならない <2 回 の 国 境 越 えて 世 界 遺 産 観 光 > 4 日 目 は クロアチアからボスニアヘルツエゴビナへ,さらにクロアチアに 戻 る 国 境 越 えだ ホテルをでて 約 1 時 間 スプリットという 町 の 世 界 遺 産 を 観 る この 街 は 首 都 ザグレブに 次 ぐ2 番 目 の 都 市 になる デイオクレテイアヌス 帝 が 神 殿 を 2
建 てた 周 りにできた 町 で 12~14 世 紀 頃 栄 えたらしい 後 にヴェネツイアの 支 配 下 に 入 った デイオクレテイアヌス 宮 殿 は 世 界 遺 産 であるが その 一 部 は 民 家 やカフェになっていて 街 と 同 化 している クラパというアカペラグループの 歌 を 聴 くことができた 歌 を 聞 いた 後,クラパのCDを 購 入 した アドリア 海 沿 岸 にはこうした 歴 史 の 町 がところどころにある その 後 約 180kmのバスの 旅 国 境 越 えでボスニアヘルツエゴビナに 入 る この 国 は 長 い 間 オスマン 朝 の 支 配 下 にあったためトルコ 文 化 が 強 く 残 る 国 だ モスタルにはスラリ モストという 石 橋 世 界 遺 産 がある 橋 のまもり 人 という 意 味 だ オスマントルコ 時 代 に 建 てられたのだが 20 世 紀 後 半 の 戦 争 で 破 壊 され 再 建 された 町 のいたるところに 戦 争 の 爪 痕 が 残 る 町 だ この 戦 争 は 旧 ユーゴスラビヤ 連 邦 共 和 国 の 解 体 に 伴 う 内 紛 のこと スロベニア 紛 争 クロアチア 紛 争 ボスニア 紛 争 コソボ 紛 争 マケドニア 紛 争 など 少 し 前 に 聞 いた 記 憶 がある 23 年 も 前 のことだ 昨 年 トルコに 行 ったがその 記 憶 が 蘇 るほど トルコ 文 化 の 様 相 がみえ 懐 かしく 思 えた そして 再 度 200kmのバスの 旅 国 境 を 越 えクロアチアへ 入 る 途 中 ネームというところでトイレ 休 憩 にはいるが お 土 産 が 買 えない 日 々が 続 き 品 揃 えのある 店 と 聞 き こぞってお 土 産 をあさる やがて, 眼 下 にドロヴニクの 町 並 みが 姿 を 現 した 今 日 のホテルは,ドブロヴニクを 通 りすぎたチャフタットという 町 だ ドブロヴニクへは, 約 20km 一 本 道 なのでいつも 混 雑 するらしい 明 日 は 早 めのスタートになる < 統 一 感 あるオレンジ 色 の 屋 根 が 眩 しいドブロヴニク> 今 回 の 旅 行 の 目 玉 にしたドブロヴニクが 見 られる スルジ 山 の 展 望 台 から 旧 市 街 を 眼 下 に 望 む 雑 誌 やテレビなどでお 馴 染 みの 風 景 だ いよいよ 城 内 に 入 り,ポイントを 紹 介 されたあと, 城 壁 にのぼり 一 周 歩 くことにした 約 1 時 間 程 かかるという ドブロヴニク 市 は 約 4 万 4 千 人,その1 割 くらいの 方 が この 旧 市 街 ( 城 壁 内 )で 暮 らしているという オレンジ 色 の 屋 根 と 海 の 青 さの 調 和 が 素 晴 らしい アドリア 海 の 真 珠 と 称 され, 世 界 遺 産 に 指 定 されている しかし, 過 去 の 紛 争 で 約 8 割 くらいが 砲 弾 の 嵐 を 受 けた という 歴 史 に 翻 弄 された 町 ではあるが, 見 事 に 復 活 した あの, 魔 女 の 宅 急 便 の 舞 台 になったところとも 聞 いた まさしく 夢 が 膨 らむおとぎ 話 の 世 界 が 広 がるような 光 景 だ 世 界 各 国 からの 観 光 客 で 城 壁 もその 中 でも 人 で 溢 れている 3
昼 食 にでてきた 大 きなピザをみて, 食 べられないと 騒 いでいたが,きれいにたいらげて 次 の 目 的 地 向 かう なんと 460kmのバス 移 動 になった 明 日 のハイキング 場 所,プリトヴィッエ 湖 畔 国 立 公 園 のホテルに 直 行 だ 雨 の 中, 到 着 は 夜 の9 時 近 くなった それから 夕 食 をとり 明 日 に 備 える 依 然, 雨 は 振 り 続 いている < 雨 の 中 でも 美 しい 色 彩 の 湖 と 滝 の 光 景 に 魅 せられる> 予 想 通 りの 雨 の 中,ハイキングをすることなった プリトヴィッツエ 湖 畔 国 立 公 園 は,クロアチアで 初 めての 国 立 公 園 だという その 後,ユーゴ 内 戦 で 一 時 公 園 の 管 理 ができない 状 態 が 続 いたようだが, 見 事 に 世 界 自 然 遺 産 として 維 持 されるようになった 下 見 をした 現 地 ガイドが, 途 中, 木 道 が 水 に 浸 かり 歩 けないという 歩 ける 道 を 選 びながら,ハイキングをすることになった これまで 海 外 で 雨 という 天 候 はなかっただけに, 雨 男 か 雨 女 がいるのかな この 時 期 の 雨 はないのにと と 添 乗 員 も 困 惑 気 味 だ 石 灰 岩 地 質 が 作 り 出 した 自 然 は16の 湖 が 様 々な 滝 を 作 り 出 し, 上 層 から 下 層 に 続 いている 今 回 は 一 部 しか 見 られなかったが, 見 事 としかいいようのない 光 景 だった 晴 れていればと 悔 やまれる また 来 ようと 来 られるものでもない それでもこの 世 界 遺 産 は 忘 れることができないだろう 日 本 語 バージョンの 写 真 集 を 買 う 依 然 として 雨 は 止 むことがない また130km 離 れた 最 後 の 観 光 地 に 向 かう クロアチアの 首 都,ザグレブの 旧 市 街 だ 聖 母 被 昇 天 大 聖 堂 や 聖 マルコ 教 会 など 歴 史 建 造 物 は 内 紛 の 中 でも 崩 壊 を 免 れたものだ それでも, 町 のあちらこちらにその 形 跡 が 残 る 時 間 は 有 り 余 るが,どうにも 雨 の 散 策 は 疲 れる 早 めにバスに 乗 り 込 む そして,ホテルでの 夕 食 後 の 最 後 の 晩 近 くのスーパーに 買 い 物 に 出 かける クロアチアのお 金 クーナ はもう 使 うことができない なんとしても 今 日 中 に 使 い 切 らないといけない 三 回 ほどユーロからクーナに 両 替 はしたものの,まだ,かなり 残 っている 計 算 をしながら, 品 物 を 物 色 するが 持 ち 帰 るとなると, 結 局,チョコレートや 菓 子 類 に 限 定 されてしまう 4
ピッタシカンカンというわけではないがレジを 通 るとかなりお 釣 りができてしまった 30% 引 きのバーゲンだったようだ 気 を 取 り 直 し,また 買 い 物 に 走 る それでもクーナは 残 ってしまった 翌 朝,またスーパーでかけてミネラルウオーターを 買 う もうお 土 産 は,オーストリアのグラーツ 空 港 かドイツのフランクフルト 空 港 だけだ いつもなら 自 分 のものをしっかり 買 う 妻 は,それらしいものはまだ 手 に 入 れていない 果 たしてどこで 何 を 買 うのか? 結 局,フランクフルトでも 買 わず, 今 回 の 自 分 土 産 は 何 もなかったことになった 今 回 の 旅, 何 がよかったのかな 印 象 に 残 ったことは 歴 史 や 内 戦 に 翻 弄 されながらも, 素 晴 らし 景 観 と 建 造 物 が 残 された 国 々 その 遺 産 の 数 々をみることができたことかも 知 れない どこにでもある 光 景 ではない お 土 産 をじっくり 買 えるゆとり 旅 でもなく 美 味 しい 食 べ 物 に 驚 いたわけでもない ホテルの 部 屋 もお 世 辞 でも 素 晴 らしいものではない まだまだ 年 間 を 通 して, 観 光 客 を 迎 える 環 境 が 整 備 されているとは 思 えない 国 々だった それでも 超 一 流 と 思 える 光 景 を 眼 に 焼 き 付 けることができた 雨 にもマケズの 旅 だった 完 5