本 日 発 表 させていただきます 研 究 は 私 が 今 年 の3 月 まで 高 速 道 路 機 構 に 在 籍 し ておりました 時 に 理 事 長 の 勢 山 廣 直 氏 と 共 同 で 取 りまとめた 同 名 の 報 告 書 を 要 約 し たものです ただし 研 究 の 中 には 高 速 道 路 調 査 会 に 在 籍 しておりました 合 計 10 年 ほどの 調 査 の 成 果 を 盛 り 込 んでおります 1
まず 研 究 の 背 景 と 目 的 ですが ご 存 知 の 通 り 高 速 道 路 の 無 料 化 が 大 きな 議 論 とな り 今 までの 償 還 主 義 に 基 づく 料 金 決 定 原 則 を 抜 本 的 見 直 す 必 要 が 生 じています このような 新 たな 高 速 政 策 を 考 える 際 の 考 え 方 の 参 考 として 欧 米 4カ 国 のローマ 時 代 から 現 在 までの 高 速 道 路 を 含 めた 幹 線 道 路 整 備 に 当 たっての 基 本 的 考 え 方 として 移 動 権 の 保 障 の 存 在 を 検 証 しようとしたものです また 高 速 道 路 を 無 料 で 整 備 するか 有 料 で 整 備 するかをどのようにして 決 定 したか の 要 因 を 分 析 しました 2
本 研 究 の 特 徴 は 第 一 に 英 米 フランス スペインの4カ 国 について ローマ 時 代 から 現 在 までの 2000 年 にわたる 超 長 期 の 幹 線 道 路 の 整 備 を 体 系 的 に 比 較 していることです 第 二 今 まで ほとんど 取 り 上 げることのなかった スペインの 道 路 整 備 の 歴 史 につい て 初 めて 体 系 的 な 調 査 を 行 ったことです 第 三 に 現 在 国 土 交 通 省 で 交 通 基 本 法 の 制 定 に 向 けて 検 討 されていますが そこ での 基 本 概 念 が 人 権 としての 移 動 権 の 確 保 であり 移 動 権 は 本 研 究 においても 中 心 テーマです このテーマは 国 土 交 通 省 とは 全 く 独 自 に 設 定 したものですが 現 在 の 検 討 ニーズに 符 合 したものであるといえると 思 います 3
基 本 認 識 ですが 欧 州 の 近 代 化 以 前 の 歴 史 を 見 ると ローマ 時 代 には ある 程 度 の 移 動 の 自 由 があった が 中 世 には 国 王 や 領 主 の 支 配 する 領 土 の 外 への 住 民 の 移 動 は 制 限 されていまし た しかしながら 近 代 的 な 統 一 国 家 の 成 立 とともに 移 動 の 自 由 が 国 民 の 権 利 として 認 められるようになってきたため 関 所 やターンパイクの 通 行 料 などが 廃 止 されてきまし た この 意 味 で 近 代 化 の 歴 史 は 道 路 の 無 料 化 通 行 の 自 由 化 の 歴 史 だったということ ができます しかしながら 近 年 公 共 財 源 の 不 足 等 により 欧 米 でも 有 料 道 路 が 増 加 していいま す 4
このような 基 本 的 な 動 向 の 背 景 にあった 思 想 として 以 下 の 仮 説 を 設 定 しました 自 由 主 義 社 会 の 国 民 の 基 本 的 な 権 利 (ナショナルミニマム)として 移 動 の 自 由 (モビリ ティ)の 保 障 があった したがって 国 としてのナショナルミニマムの 路 線 は 無 料 で 提 供 されなければならな い ナショナルミニマムが 満 足 された 上 で これを 超 える 路 線 については 有 料 制 が 正 当 化 される さらに この 考 え 方 を 基 本 としながら その 他 の 要 因 を 考 慮 して 各 国 は 道 路 を 有 料 にするか 無 料 にするかを 決 定 してきたというものです 5
英 国 においては 道 路 の 移 動 の 権 利 は キングズ ハイウェイ 思 想 の 中 に 見 ることがで きます 英 国 内 には ローマ 時 代 には 約 3000km の 街 道 が 存 在 しましたが 中 世 には 荘 園 領 主 教 区 が 道 路 管 理 者 となり 細 切 れの 管 理 となりました しかしながら 中 世 においても King s Highwayと 言 って 国 王 の 命 令 に 基 づいて 特 別 に 治 安 の 維 持 された 幹 線 道 路 が 存 在 しました King s Highwayは 移 動 権 を 保 障 するため 無 料 で 提 供 し 維 持 されました これらは 1215 年 のマグナカルタや1285 年 のウィンチェスター 法 典 でも 規 定 されています このような 移 動 権 が 権 利 として 認 識 されていたことは 17 世 紀 にターンパイクと 言 われ る 有 料 道 路 が 出 現 したときに 料 金 所 を 破 壊 する 暴 動 が 起 きたことから 証 明 されます 6
次 に 英 国 において 高 速 道 路 が 無 料 で 整 備 された 理 由 をまとめると まず ターンパイクのトラウマがあったことです 1 最 盛 期 の1830 年 には ほとんどの 幹 線 道 路 にあたる32,000kmを 管 理 するほど 普 及 していたターンパイクですが 19 世 紀 は じめに 乗 り 心 地 および 速 度 に 勝 る 鉄 道 の 出 現 により 破 綻 し 地 方 自 治 体 の 負 担 によ る 維 持 に 移 行 しましたが この 移 行 期 に 多 くの 暴 動 も 発 生 しました このことが 為 政 者 のトラウマとして 記 憶 に 残 っていたことが 高 速 道 路 を 無 料 で 整 備 した 最 大 の 理 由 と 考 えられます 次 に 高 速 道 路 整 備 以 前 に ターンパイクにより 規 格 高 い 幹 線 道 路 網 の 整 備 が 進 んで おり 高 速 道 路 への 転 換 交 通 が 少 ないと 予 測 されたこと 速 度 やサービスレベルにお いて 一 般 道 との 差 別 化 困 難 であったことが 挙 げられます また 通 過 交 通 は 既 にガソリン 税 による 負 担 で 整 理 済 であったことが 挙 げられます 7
次 に 米 国 について 見 ていきたいと 思 います 米 国 では 時 代 により 幹 線 道 路 を 有 料 で 整 備 した 時 期 と 無 料 で 整 備 した 時 期 がありました まず 1930 年 代 に 自 動 車 文 明 の 発 達 により 混 雑 等 が 問 題 となり 1940 年 にペンシル バニアターンパイクが 初 めての 高 速 道 路 として 有 料 で 建 設 され 以 降 30 以 上 の 州 で 約 5000kmのターンパイクが 建 設 されました これらのターンパイクは 各 州 の 公 社 が 個 別 に 債 券 を 発 行 して 資 金 を 調 達 し 料 金 収 入 により 返 済 されました また これらのターンパイクには 連 邦 補 助 はありませんでした 8
1956 年 66000kmのインターステートをガソリン 税 等 をおもな 財 源 とする 道 路 信 託 基 金 により 建 設 することが 決 定 されました 無 料 の 理 由 は まず インターステートは 国 家 としての 一 体 性 を 保 持 するためのモビリティーを 提 供 する 重 要 な 手 段 であると 考 えられたこと 有 料 制 では 採 算 性 の 取 れるネットワークが 不 足 するとされていたこと さらに インターステートは 有 事 の 際 の 国 防 および 防 災 避 難 路 として 機 能 を 期 待 され この 機 能 は 有 料 道 路 になじまないと 考 えられたことが 挙 げられます 9
70 年 代 後 半 に 石 油 ショックが 発 生 し 公 共 財 源 の 不 足 より 道 路 が 荒 廃 し 交 通 渋 滞 により 道 路 整 備 ニーズも 高 かったことから 民 間 資 金 を 活 用 するため 有 料 道 路 制 の 導 入 に 転 換 有 料 道 路 にも 連 邦 補 助 を 認 め 民 間 資 金 を 活 用 する 政 策 を 導 入 した 米 国 は 持 続 可 能 性 に 配 慮 しつつも 欧 州 と 比 較 して 引 き 続 き 自 動 車 交 通 によるモビ リティの 維 持 向 上 の 意 識 は 高 い 10
次 にフランスについて 見 ていきます フランスでは 20 世 紀 に 入 り 自 動 車 の 登 場 により 道 路 整 備 の 必 要 性 が 高 まり 1930 年 代 には 国 道 県 道 などの 総 延 長 は8 万 kmに 達 し 当 時 の 世 界 で 最 高 の 道 路 網 を 有 していました このため 道 路 交 通 の 増 加 も 既 存 の 道 路 網 により 対 応 できると 考 えられ 結 果 的 にド イツやイタリアに 比 較 して 高 速 道 路 の 整 備 開 始 が 遅 れました 11
1955 年 に 高 速 道 路 法 制 定 し 本 格 的 に 高 速 道 路 の 整 備 を 開 始 しました この 際 公 共 財 源 の 不 足 により 高 速 道 路 は 原 則 無 料 だが 公 的 機 関 へのコンセッションにより 有 料 で の 整 備 開 始 されました これは 国 道 を 無 料 で 通 行 できるという 移 動 の 権 利 を 保 障 しつ つ 財 源 不 足 のため 遅 々として 進 まない 高 速 道 路 の 整 備 を 進 めるための 妥 協 の 産 物 と 言 えます ここで コンセッションとは 道 路 整 備 にあたって 民 間 企 業 が 政 府 との 契 約 により 設 計 建 設 運 営 維 持 資 金 調 達 等 を 自 らの 費 用 とリスクで 行 い 料 金 を 徴 収 して これらの 費 用 を 回 収 するものです 12
1982 年 にミッテラン 社 会 党 政 権 で 世 界 で 初 めて 移 動 権 を 基 本 的 人 権 として 明 文 化 さ れました この 法 律 は 日 本 の 交 通 基 本 法 のお 手 本 とされています 経 緯 は フランス 国 鉄 の 経 営 改 革 のために 始 まった 議 論 がすべての 交 通 機 関 に 拡 大 し 整 理 されたものです 交 通 権 とは 1すべての 国 民 の 移 動 する 権 利 2 交 通 手 段 の 選 択 の 自 由 のほか3 物 資 輸 送 を 委 託 するかどうかの 選 択 権 や 4 交 通 機 関 の 情 報 を 得 る 権 利 を 認 めるも のです 13
国 内 交 通 基 本 法 とこれに 基 づく 関 係 法 令 が 高 速 道 路 政 策 に 与 えた 影 響 は 以 下 のよう なものです まず 交 通 インフラ 投 資 の 社 会 経 済 評 価 の 義 務 化 されたことです 道 路 については 一 定 (25km 4 車 線 5 億 フラン) 以 上 のプロジェクトの 事 前 事 後 評 価 の 実 施 が 義 務 化 さ れました 次 に 計 画 実 施 過 程 への 地 方 および 労 働 組 合 等 の 参 加 手 続 きが 定 められ 地 方 分 権 民 主 化 がすすめられました また 高 速 道 路 のアクセス 権 が 具 体 的 な 数 字 で 規 定 されました すなわち 1995 年 の 国 道 整 備 の 開 発 指 針 により 2015 年 には 国 道 網 との 連 続 性 を 持 つ2 2 車 線 の 自 動 車 専 用 道 路 または 高 速 道 路 または 高 速 鉄 道 網 の 駅 から 自 動 車 で45 分 または50kmを 超 える 場 所 には いかなる 市 町 村 もなくなる が 決 定 され 結 果 的 に 高 速 道 路 の 計 画 延 長 が1977 年 の7500kmが1992 年 には 12120kmに 拡 大 され ました 14
スペインでは 長 期 の 内 戦 と1936 年 のフランコ 軍 事 独 裁 政 権 の 成 立 による 国 際 的 孤 立 により 道 路 整 備 の 開 始 が 遅 れました 1967 年 に 有 料 高 速 道 路 網 の 民 間 へのコンセッションによる 建 設 が 開 始 されました こ れは 公 共 財 源 の 不 足 によるものです 1973 年 に12 社 に2000kmのコンセッション 付 与 しましたが 移 動 権 を 保 障 するため 有 料 高 速 道 路 は 無 料 の 代 替 路 線 の 存 在 が 条 件 であったことから 移 動 権 が 国 民 の 権 利 として 認 められていたことが 分 かります 15
1982 年 に 成 立 した 社 会 党 政 権 は 有 料 高 速 道 路 は 高 速 道 路 利 用 を 富 裕 層 に 限 定 す ることから 平 等 主 義 に 反 すると 考 え 無 料 高 速 道 路 の 整 備 に 転 換 しました ここから 政 権 政 党 の 思 想 が 高 速 道 路 の 無 料 有 料 の 決 定 に 大 きく 影 響 することが 分 かります 既 存 の 国 道 の 改 築 により 低 規 格 低 コストで 無 料 高 速 道 路 の 整 備 を 進 めました ちな みに 無 料 高 速 道 路 の 建 設 費 は 有 料 の3 分 の2でした 16
最 後 に 本 研 究 のまとめとここから 得 られた 教 訓 を 説 明 したいと 思 います 国 民 の 権 利 としての 移 動 権 の 保 障 の 思 想 が 証 明 されたことです 具 体 的 には 英 国 においてはキングズ ハイウェイ 思 想 フランスの1982 年 国 内 交 通 基 本 法 フランス スペインの 有 料 道 路 整 備 には 必 ず 並 行 する 無 料 道 路 が 存 在 することが 分 かりました また 米 国 においては 国 としての 一 体 性 の 保 持 にはインターステートにおける 人 や 物 の 自 由 な 往 来 が 必 須 と 考 えられていたことが 分 かりました 共 通 の 考 え 方 として ナショナル ミニマム 路 線 として 最 低 限 1 本 の 無 料 の 地 域 間 幹 線 道 路 を 無 料 で 整 備 し これ 以 上 のものを 整 備 する 際 には 有 料 制 が 正 当 化 されるとい う 考 え 方 が 存 在 していたことが 分 かりました 最 初 に 設 定 した 仮 説 が 正 しかったことが 証 明 されました 17
次 に 高 速 道 路 整 備 の 有 料 無 料 の 決 定 要 因 については まず 第 一 に 公 共 財 源 の 多 寡 があり これは 米 国 におけるインターステートの 無 料 での 整 備 フランス スペインの 高 速 道 路 の 有 料 での 整 備 に 結 び 付 いたことが 分 かりました 第 二 に 政 権 政 党 の 政 治 思 想 です 当 初 有 料 で 高 速 道 路 の 整 備 が 開 始 されたスペイ ンでしたが 保 守 党 から 社 会 党 への 政 権 交 代 により 無 料 での 整 備 に 転 換 しました こ れは 他 の 国 でも 共 通 の 傾 向 としてみられるものです 保 守 系 の 政 権 政 党 では 有 料 道 路 重 視 左 翼 系 の 政 権 政 党 の 下 では 無 料 道 路 が 重 視 されるという 傾 向 です また 個 々の 政 策 の 成 功 と 失 敗 も 有 料 か 無 料 化 の 決 定 に 大 きな 影 響 を 及 ぼすことが 英 国 のターンパイク 例 から 明 らかになりました 18
各 国 ともに 道 路 は 移 動 の 自 由 を 保 障 し 社 会 の 経 済 的 文 化 的 発 展 に 必 要 不 可 欠 の ものを 認 められていたため 常 に 公 的 所 有 でした これは コンセッションにより 建 設 や 管 理 を 民 間 にゆだねても 変 わることのない 原 則 だったことがわかりました 19
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