東日本大震災 踏み出そう 子どもたちの笑顔のために あすへ向けての軌跡 震災から5間のまとめ 抜刷 ( 107 148頁 ) 宮城教大学 教復興センター メモアイベン 震災から5 私たちはあの日を忘 れない 20163月9日 水 3月14日 月 教復興センター
メモアイベン 東 日 本 大 震 災 踏 み 出 そう! 子 どもたちの 笑 顔 のために あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 宮 城 教 大 学 教 復 興 センター メモアイベン 震 災 から5 私 たちはあの 日 を 忘 れない 目 的 2016 3 月 9 日 ( 水 )~3 月 14 日 ( 月 ) 震 災 から5 目 の 節 目 にあたり 東 日 本 大 震 災 を 忘 れないため 被 災 地 視 察 修 やメモアフォーラムなどを 催 する 日 程 3 月 9 日 ( 水 ) 被 災 地 視 察 修 ( 石 巻 市 立 大 川 小 学 校 ) 8:00 宮 教 大 ~ 17:00 宮 教 大 着 3 月 10 日 ( 木 ) 被 災 地 視 察 修 ( 仙 台 近 郊 午 後 出 ) 13:00 宮 教 大 ~ 17:00 宮 教 大 着 3 月 11 日 ( ) メモアフォーラム 場 所 : 萩 朋 会 館 2F 交 流 談 話 スペース 時 間 :12:00~17:00 内 容 : あの 日 を 忘 れない~そなえも 忘 れない~ 炊 きだしプロジェク 復 興 ボランティア 学 生 のお 話 ( 愛 知 教 大 学 学 生 を 迎 えて) 追 悼 式 典 テレビ 中 継 14:46 黙 祷 懇 談 会 活 動 を 振 り 返 ろう (センター 特 任 教 授 からのお 話 を 含 む) 3 月 14 日 ( 月 ) 仙 台 市 立 七 郷 中 学 校 野 球 生 徒 紅 白 試 合 ( 本 学 グランド) 10:30~ レーング 13:00~ 感 謝 の 会 13:30~ 紅 白 試 合 ン あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 107
メモアイベン 1 被 災 地 視 察 修 ン 被 災 地 視 察 修 ( 石 巻 市 立 大 川 小 学 校 脇 小 学 校 女 川 町 ) 1 期 日 平 28 3 月 9 日 ( 水 ) 8 :00~16:45 2 修 場 所 石 巻 市 立 大 川 小 学 校 女 川 町 駅 前 商 店 街 (ーパピア 女 川 ) 女 川 町 地 域 医 療 センター 石 巻 市 立 脇 小 学 校 3 参 加 者 本 学 学 生 7 名 センター 職 員 6 名 4 活 動 内 容 ( 1 ) 視 察 のねらい 津 波 による 被 災 を 受 けた 二 つの 学 校 の 視 察 を 通 して 児 童 の 生 命 を 守 る 防 災 教 の 在 り 方 について 考 えさ せるとともに 女 川 町 における 津 波 の 大 きさや 威 力 について 感 し その 後 の 復 興 状 況 を 観 察 させる ( 2 ) 石 巻 市 立 大 川 小 学 校 脇 小 学 校 における 状 況 について 大 川 小 学 校 は 児 童 74 名 職 員 10 名 の 犠 牲 者 のあった 学 校 である 一 方 脇 小 学 校 は 引 き 渡 しの 後 に 下 校 した 7 名 の 児 童 が 犠 牲 になっている 今 回 は 具 体 に 地 踏 査 することにより 学 生 一 一 がその 背 景 について 思 いをもつことを 期 待 した 大 川 小 学 校 は 海 岸 線 から 約 4 km 離 れ 脇 小 学 校 は 約 700m の 所 に 立 地 しており 海 抜 も 1 m を 少 々 越 える 程 度 であった また 両 校 の 近 くには 距 離 の 違 いはあれ 1 級 河 川 である 北 上 川 新 北 上 川 が 流 れて いる 2016 3 月 9 日 石 巻 市 立 大 川 小 学 校 地 震 生 後 脇 小 学 校 は 校 長 を 先 頭 に 在 校 生 全 員 が 校 舎 の 北 側 にある 日 和 山 に 避 難 している 日 頃 から 強 い 地 震 が 生 した 際 は 裏 山 に 避 難 することにしていたという 一 方 大 川 小 学 校 は 地 震 生 から 津 波 到 来 までの 約 45 分 間 校 地 内 に 待 機 していた 両 校 には 共 通 して 海 岸 線 からの 津 波 と 河 川 の 堤 防 を 越 えた 津 波 が 同 時 に 押 し 寄 せる 状 況 になった その 結 果 脇 小 学 校 は 流 されてきた 自 動 車 のガソンが 火 し 津 波 火 災 により 校 舎 が 炎 上 した 校 庭 に 避 難 し 車 内 に いた たちや 周 辺 の 住 民 には 多 数 の 犠 牲 者 があったものの 前 述 のように 当 時 在 校 していた 全 員 の 児 童 は 無 事 避 難 することができた 2011 4 月 15 日 石 巻 市 立 脇 小 学 校 大 川 小 学 校 においては 新 北 上 大 橋 のたもとにある 三 角 地 帯 に 向 けて 避 難 を 始 した 直 後 に 多 くの 児 童 及 び 職 員 が 津 波 の 犠 牲 になった 大 川 小 学 校 は 地 域 の 避 難 所 となってい ること( 避 難 所 と 避 難 場 所 の 違 いとそれに 対 する 一 般 的 に 認 識 について 説 明 ) 宮 城 県 総 務 危 機 対 策 課 制 作 のハザード マップでは 大 川 小 学 校 のある 釜 谷 地 区 は 津 波 による 浸 水 は 予 108 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ
想 されていないこと( 但 し どれほど 住 民 が 認 識 していたか 不 明 だったことも 触 れる) また 慰 霊 塔 の 碑 に 刻 まれた 犠 牲 者 数 に 地 区 による 違 いがあること( 釜 谷 地 区 は 約 4 割 の 住 民 海 岸 線 に 近 い 長 面 地 区 は 約 2 割 の 住 民 が 犠 牲 になったことを 説 明 )などについて 解 説 した さらに 指 摘 されている 裏 山 への 避 難 方 法 について その 山 道 が 体 館 北 側 に 確 認 出 来 ることなどを 際 現 地 に 立 って 学 生 たちの 目 で 確 かめることを 促 した ( 3 ) 女 川 町 地 域 医 療 センター 付 近 の 被 災 状 況 と 駅 前 付 近 の 復 興 状 況 について 女 川 町 は 口 の8.8%に 当 たる 約 880 名 の 方 々が 犠 牲 に なっている 災 から 5 経 った 今 犠 牲 者 も 含 め 当 時 の 口 の 約 37%の たちが 町 に 流 失 している 状 況 になって いる まず 津 波 の 大 きさを 感 してもらうために 女 川 町 地 域 医 療 センターは 海 面 より 約 17m の 所 に 立 地 していたの にも 関 わらず それを 越 える 約 18.8m もの 津 波 が 押 し 寄 せたことをセンターの 玄 関 の 近 くにある 津 波 到 達 ラインを 示 した 柱 で 確 認 させた 従 って 高 台 避 難 を してきた 住 民 の 方 々も 駐 車 場 で 車 内 にいたことや フェンス 沿 いで 津 波 の 到 来 を 見 ていたために 多 くの たちが 犠 牲 になった 所 である また 既 に 解 体 撤 去 された 江 島 会 館 が 横 たわっていたことを 写 真 で 知 らせた 4 階 建 ての 鉄 筋 コ ンクーの 建 造 が 横 倒 しになった 理 由 について 現 存 する 同 じく 鉄 筋 コンクー 造 りの 2 階 建 て 交 番 に 基 礎 分 についている 地 中 の 基 礎 杭 が 残 っていることから 浮 力 による 倒 壊 とされていることを 知 らせ た このことにより 津 波 の 威 力 を 感 じ 取 ってもらった ( 4 ) 女 川 駅 商 店 街 (ーパピア 女 川 )の 状 況 について 女 川 町 の 復 興 のンボである 駅 前 付 近 の 見 学 をした 女 川 駅 の 再 とともに 整 備 された 地 域 である 平 日 にも 関 わらず 多 くの 視 察 者 が 買 い や 食 事 に 訪 れていた 町 内 で 被 災 した 地 域 においてこの 一 が 活 況 を 呈 している ものの 回 りを 見 渡 せば 山 肌 を 切 り 崩 して 得 た 土 砂 を 運 ぶダンプカーがひっきりなしに き 来 し 復 興 は 道 半 ば であることを 学 生 たちも 感 したはずである 石 巻 市 女 川 町 を 視 察 し 被 災 の 大 きさを 改 めて 感 じ 取 ったことを 学 生 のレポーの 中 に 読 み 取 ることができ た 復 旧 の 槌 音 の 響 きも 地 域 ごとに 違 いがあり 復 興 の 進 み 具 合 に 差 があることも 感 したようである いずれに しても 子 どもたち そして 地 域 の 方 々の 一 日 も 早 い 元 の 生 活 を 取 り 戻 せることを 強 く 願 った 学 生 たちであった 女 川 駅 ン あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 109
110 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 国 連 防 災 世 界 会 議 メ モ ア イ ベ ン メモアイベン
111 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 国 連 防 災 世 界 会 議 メ モ ア イ ベ ン
メモアイベン 被 災 地 視 察 修 ( 荒 浜 小 閖 上 中 ) ン 1 期 日 平 28 3 月 10 日 ( 水 )13:00~16:30 2 修 場 所 浪 分 神 社 仙 台 市 立 荒 浜 小 学 校 名 取 市 立 閖 上 中 学 校 日 和 山 3 参 加 者 愛 知 教 大 学 学 生 等 7 名 本 学 生 10 名 他 にセンター 職 員 など12 名 合 計 29 名 4 活 動 内 容 ( 1 )ねらい 3 月 10 日 ( 木 ) 午 後 1 時 から 荒 浜 小 学 校 閖 上 中 学 校 方 面 の 被 災 地 視 察 修 を 参 加 者 29 名 で った 今 回 の 視 察 のねらいは 仙 台 平 野 における 津 波 被 害 の 現 在 と 過 去 を 調 べる として 地 理 的 歴 史 的 視 点 から 津 波 被 害 状 況 を 観 察 することにした ( 2 ) 浪 分 神 社 はじめに 若 林 区 霞 目 にある 浪 分 神 社 を 訪 れた 海 岸 から 5.5km 離 れた 浪 分 神 社 は 慶 長 三 陸 津 波 (1611 )の 津 波 の 浸 水 域 との 境 目 に1702 に 建 てられたと 伝 わり 現 在 は 更 に 500m 内 側 に 移 動 したところにある 今 回 の 津 波 は 仙 台 東 道 路 にせき 止 められ 2 km 手 前 で 止 まったが 以 前 であれば 津 波 浸 水 の 可 能 性 があったと 言 える 神 社 の 存 在 は 教 訓 としては 生 かされたとはいえない ( 3 ) 荒 浜 小 学 校 次 に 仙 台 市 立 荒 浜 小 学 校 に 向 かった 海 岸 から700mにあっ た 荒 浜 小 は 校 長 と 町 内 会 長 などの 連 携 で 避 難 者 319 名 全 員 を 無 事 に 避 難 させた 学 校 である 訪 問 時 に 居 合 わせた 技 師 さんに 案 内 をいただき 1 階 2 階 の 教 室 や 職 員 室 などを 見 学 した 津 波 被 害 の 大 きさに 一 同 衝 撃 を 受 けた その 後 海 岸 にある 慰 霊 塔 や 新 設 された 7 mの 防 潮 堤 から 冬 の 太 平 洋 を 見 下 ろした ( 4 ) 閖 上 地 区 塩 釜 亘 理 線 で 南 下 し 名 取 市 閖 上 地 区 に 移 動 した この 地 区 は 南 北 に 走 る 道 路 は 津 波 の 被 害 を 受 け 閖 上 地 区 の 5 差 路 の 車 渋 滞 などで 地 区 住 民 753 名 内 中 学 生 14 名 が 犠 牲 になった 1 階 に 津 波 が 押 し 寄 せた 閖 上 中 学 校 の 校 舎 は 取 り 壊 しが 予 定 されていて 近 くの 道 路 が 閉 鎖 されていた 津 波 が 越 えた 約 6 m の 高 さのある 日 和 山 に 登 り 町 並 みの 被 害 の 状 況 とかさ 上 げが 進 んでいる 復 興 の 姿 を 視 察 した 日 和 山 の 足 下 に 地 震 があっ たら 津 波 の 用 心 の 警 句 が 刻 まれた 昭 和 8 三 陸 津 波 の 石 碑 を 確 認 し 更 に 津 波 犠 牲 になった 閖 上 中 学 生 の 慰 霊 碑 や 閖 上 地 区 の 慰 霊 塔 に 足 を 運 び 手 を 合 わせた 今 回 の 被 災 地 が 初 めていとう 学 生 が 多 く 津 波 被 害 の 状 況 や 被 災 地 の 現 状 を 体 感 し 震 災 復 興 の 一 層 の 願 いと 学 生 自 身 が 果 たす 役 割 や の 重 要 さをについて 強 い 思 いもって 被 災 地 を 後 にした 112 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ
113 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 国 連 防 災 世 界 会 議 メ モ ア イ ベ ン
114 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 国 連 防 災 世 界 会 議 メ モ ア イ ベ ン メモアイベン
荒 浜 小 学 校 ボランティア 学 生 初 等 教 教 員 養 課 程 理 数 生 活 系 数 学 コース 高 橋 英 里 3 月 11 日 今 で140 間 の 歴 史 に 幕 を 閉 じた 荒 浜 小 学 校 の 校 庭 で 地 域 の 方 々がそれぞれの 思 いを 込 めた1000 個 の 風 船 を 空 に 飛 ばし 夜 には 音 楽 室 で 荒 浜 にゆかりのあるアーティスたちが 音 楽 を 奏 でました 荒 浜 小 学 校 は 東 日 本 大 震 災 により 校 舎 が 被 災 また 周 辺 一 帯 が 災 害 危 険 区 域 に 指 定 されました 小 学 校 として 使 用 できなくなってしまった 校 舎 は 今 小 学 校 としての 役 目 を 終 え 4 月 からは 震 災 遺 構 として 新 たな 役 割 を 担 っていきます 荒 浜 に 住 む 高 山 智 さんは 3 目 の 3 月 11 日 から 荒 浜 小 学 校 で HOPE FOR project というイベンを 卒 業 生 の 同 志 とともに 企 画 し 毎 ってきました 今 は 荒 浜 地 区 に 新 しくできた 地 下 鉄 東 西 線 の 荒 井 駅 にて 地 域 の 方 々 をお 呼 びして 3 月 6 日 にークイベンを 催 しました 荒 浜 について 話 す 事 によって 気 持 ち が 癒 される 気 がする 毎 3 月 11 日 に 対 する 思 いが 違 う それぞれのタイミングで 荒 浜 に 向 き 合 えるようになると 良 い 荒 浜 小 学 校 は 自 分 たちを 守 ってくれた 場 所 という 思 いが 強 い ぜひ 残 し てほしい などの 声 を 聞 くことができ 2 日 間 を 通 し 地 域 内 の 々が 一 体 となり 荒 浜 やそれぞ れの 未 来 について 語 り 合 うことができました ン あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 115
メモアイベン 被 災 地 視 察 修 ( 荒 浜 小 閖 上 中 ) 3/10 コメンテーターより 教 復 興 センター 前 副 センター 長 ( 平 25~26 度 ) 瀬 尾 和 大 ン 東 日 本 大 震 災 から5 目 の 被 災 地 を 訪 問 して 期 間 :2016 3 月 10~11 日 訪 問 地 : 荒 浜 - 閖 上 - 荒 井 - 野 蒜 写 真 は 荒 浜 に 新 設 された 防 潮 堤 と 津 波 で 破 壊 された 松 林 116 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ
東 日 本 大 震 災 から5 目 の 被 災 地 を 訪 問 して [2016 3 月 10 日 ( 木 )] 久 しぶりに 仙 台 の 宮 城 教 大 学 を 訪 問 し, 午 後 からスタッフの 先 生 方 や 学 生 君 たちと 一 緒 に 津 波 被 災 地 視 察 修 に 同 さ せて 頂 いた.この 視 察 修 には 愛 知 教 大 学 の 学 生 君 たちも 参 加 されている 由,30 乗 りのバスはほぼ 満 席 となった. 訪 問 先 は 若 林 区 霞 目 の 浪 分 神 社, 荒 浜 地 区 と, 名 取 市 の 閖 上 地 区 であった. 荒 浜 地 区 はほとんど 変 化 がなく, 震 災 遺 構 として 保 存 が 決 まった 荒 浜 小 学 校 では 校 舎 の 補 強 工 事 が われていた. 閖 上 地 区 は 嵩 上 げ 工 事 の 真 っ 最 中 で, 土 砂 を 積 んだダンプ カーがひっきりなしに 走 り 回 っていて, 閖 上 中 学 校 には 近 づくことができなかった. 津 波 で 亡 くなった 閖 上 中 学 の 生 徒 14 の 慰 霊 碑 や, 中 学 校 の 近 くにあった 仮 設 小 屋 閖 上 の 記 憶 は 日 和 山 の 近 くに 移 設 されており, 新 たに 名 取 市 によって 建 立 された 慰 霊 碑 には 犠 牲 者 990 の 氏 名 が 刻 まれていた. 帰 路, 閖 上 五 叉 路 で 皆 さんと 別 れ, 閖 上 小 学 校 へと 向 かったものの, ここでも 嵩 上 げ 工 事 のために 校 舎 に 近 づくことはできなかった. 名 取 市 のマイクロバス なとりん 号 で 名 取 駅 を 経 て 仙 台 に 戻 った. [2016 3 月 11 日 ( )] 午 前 中 は 地 下 鉄 東 西 線 の 東 端, 荒 井 駅 の 周 辺 を 歩 いてみた. 駅 舎 の 一 角 に 新 設 された せんだい3.11メモア 交 流 館 を 訪 問 するのが 目 的 であったが, 付 近 に 続 々と 建 設 が 進 められている 瀟 洒 な 戸 建 て 住 宅 やマンョン, 震 災 復 興 住 宅 として の 市 営 住 宅, 荒 浜 小 学 校 がこの4 月 から 合 流 することになる 七 郷 小 学 校 や 七 郷 中 学 校, 七 郷 小 学 校 の 前 身 である 荒 井 小 学 校 祥 の 地 である 七 郷 神 社, 荒 井 小 学 校 用 地 応 急 仮 設 住 宅 などを 次 々に 訪 問 し, 近 隣 の 方 々とおしゃべりしているうちに, 予 定 していた 女 川 石 巻 を 訪 問 する 時 間 がなくなってしまった. 最 後 に 訪 問 した 仮 設 住 宅 は 以 前 にも 訪 問 したことがあったが, 集 会 所 におられた 若 林 区 まちづくり 推 進 課 職 員 の 話 によれば, 一 時 は190 世 帯 も 入 居 しておられたのが, 現 在 は19 世 帯 を 残 す のみで, 順 次, 復 興 住 宅 などへの 移 転 が 進 められていること, 残 っている 方 のほとんどが 独 居 であることから 健 康 上 の 心 配 があってパローが 欠 かせないこと,5 月 9 日 をもって 仮 設 住 宅 を 閉 鎖 する 予 定 になっているが, 全 員 が 出 て かれるまで は 閉 鎖 できないこと 等 々のお 話 を 伺 うことができた. 最 後 に 荒 井 駅 に 戻 り,メモア 交 流 館 に 設 けられた 祭 壇 にお 参 りし てから 仙 台 駅 に 向 かった. 午 後 は 女 川 石 巻 を 諦 め, 東 松 島 市 の 野 蒜 地 区 を 訪 問 することにした.これまでは 代 バスを 利 用 していたので, 仙 石 線 ごと 移 設 された 新 しい 野 蒜 駅 で 下 車 するのは 初 体 験 であった. 駅 前 は 大 規 模 な 造 工 事 中 で, 旧 野 蒜 駅 までは 徒 歩 25 分 との こと,まずは 途 中 の 野 蒜 小 学 校 跡 を 目 指 した. 野 蒜 小 学 校 周 辺 には 特 に 大 きな 変 化 はなかったが,2 月 末 に 建 立 されたばかり の 閉 校 記 念 碑 には 心 打 たれるものがあった. 仙 石 線 の 電 車 が 津 波 で 被 災 した 場 所 のすぐ 近 くでは, 作 業 場 でタバコを 吹 かし ておられた 同 配 の 男 性 と 話 し 込 み, 石 巻 で 地 震 に 遭 ってから 急 遽, 軽 ラックで 帰 宅 し,その 直 後 に 自 宅 で 津 波 に 襲 われ たこと, 家 はすでに 裏 山 に 避 難 しており 全 員 無 事 であったこと, 津 波 は1 階 の 軒 下 まで 来 たこと, 津 波 に 流 された 電 車 の 正 確 な 位 置,はては, 高 校 時 代 にチ 津 波 で 被 災 した 女 川 に 今 で 云 うボランティア 活 動 に ったことなど, 話 は 際 限 なく 続 いた. 旧 野 蒜 駅 はプラッホームの 保 存 と 共 に,コンビが 併 設 された 野 蒜 交 流 センター として 機 能 しており,テープ と 椅 子 が 置 かれた 休 憩 スペースの 周 囲 には 被 災 写 真 等 が 展 示 されていて, 一 角 の 観 光 案 内 所 では 宮 戸 島 への 奥 松 島 遊 覧 や 民 宿 の 案 内 をしていた.この 野 蒜 地 区 では, 津 波 災 害 を 何 とか 免 れた 住 宅 はそのまま 居 住 することが 可 能 であり, 嵩 上 げを すれば 新 築 も 可 能 とのことであった. 仙 台 駅 では 帰 りの 新 幹 線 まで 時 間 があったので, 改 札 口 に 近 い 気 仙 沼 の 寿 司 屋 で にぎりとホヤの 刺 身,それに 男 山 の 冷 酒 : 蒼 天 伝 を 堪 能 させていただいた. 仙 台 市 若 林 区 の 荒 浜 小 学 校 校 舎 2 階 東 から 津 波 の 到 来 方 向 を 見 る ン 津 波 襲 来 の 痕 跡 を 残 す1 階 の 教 室 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 117
118 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 国 連 防 災 世 界 会 議 メ モ ア イ ベ ン メモアイベン 閖 上 小 学 校 と 津 波 避 難 場 所 を 示 す 案 内 板 日 和 山 近 くに 新 たに 建 立 さ れた 名 取 市 の 津 波 慰 霊 碑 名 取 市 閖 上 の 日 和 山 にて 上 の 写 真 のお 社 の 柱 間 隔 が 二 尺 五 寸 七 分 である 理 由? 津 波 被 害 の 大 き か っ た 名 取 市 閖 上 地 区 と 日 和 山 荒 浜 小 学 校 の 校 前 に 掲 示 されていた 仙 台 市 の 津 波 対 策 の 概 念 図
119 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 国 連 防 災 世 界 会 議 メ モ ア イ ベ ン 震 嘯 記 念 地 震 が あ っ た ら 津 浪 の 用 心 昭 和 八 三 月 三 日 午 前 二 時 三 十 分 突 如 強 震 ア 鎮 静 後 四 十 分 テ 異 常 音 響 共 怒 濤 澎 湃 來 水 嵩 十 尺 名 取 川 ヲ 遡 上 テ 西 ハ 猿 猴 圍 到 南 ハ 貞 山 堀 廣 浦 江 一 帯 氾 濫 セ 浸 水 家 屋 二 十 餘 戸 名 取 川 町 裏 沿 岸 在 三 十 噸 級 發 動 機 漁 舩 數 艘 ハ 栁 原 圍 畑 地 押 上 ゲ ラ レ 小 艇 破 碎 セ ラ レ タ モ 尠 カ ラ ザ モ 幸 畜 ハ 死 傷 ナ カ キ 縣 内 桃 生 牡 鹿 本 吉 各 郡 及 ビ 岩 手 青 森 両 縣 地 方 被 害 甚 大 ナ 比 輕 少 ナ ハ 震 源 地 遠 ク 華 山 東 北 東 約 百 三 十 浬 沖 合 在 テ 濤 勢 牡 鹿 半 島 遮 断 セ ラ レ 其 餘 波 襲 來 過 ギ ザ 河 口 洲 丘 及 ビ 築 堤 之 レ ヲ 阻 止 タ 因 ナ 震 災 一 度 天 聽 達 ス ヤ 畏 ク モ 天 皇 皇 后 両 陛 下 ヨ 御 救 恤 テ 御 内 帑 ヲ 御 下 賜 セ ラ 聖 恩 宏 大 ナ コ 洵 恐 戄 感 激 禁 ヘ ザ コ ロ ナ 惟 フ 天 災 地 變 ハ 力 豫 知 難 キ モ ナ ヲ 以 テ 緊 急 護 岸 萬 策 ヲ 講 ズ ベ キ ハ 勿 論 平 素 用 心 ヲ 怠 ラ ズ 變 應 ズ 覺 悟 ナ カ ベ カ ラ ズ 茲 刻 テ 以 テ 記 念 ス 閖 上 町 長 渡 邊 卓 郎 篆 額 昭 和 八 十 一 月 三 日 從 七 位 勲 八 等 加 藤 忠 藏 撰 文 勲 八 等 赤 松 僖 一 郎 書 宮 城 縣 本 吉 郡 志 津 川 町 石 工 阿 清 藏 刻 名 取 市 閖 上 の 日 和 山 に 置 かれていた 昭 和 三 陸 津 波 の 地 震 津 波 記 念 碑 閖 上 中 学 校 に 置 か れていた 閖 上 中 学 生 徒 のための 慰 霊 碑 と[ 閖 上 の 記 憶 ] は 嵩 上 げ 工 事 のた めに 日 和 山 の 近 く に 移 設 されていた 閖 上 の 記 憶 に 掲 示 されていた 3.11 追 悼 の 集 い への 参 加 を 呼 び 掛 けるポスター( 上 )と 翌 日 際 に われた 追 悼 の 集 いで 飛 ばされた メッセージ 風 船 ( 下, 朝 日 新 聞 3/12より) 津 波 の 犠 牲 になった14 の 閖 上 中 学 生 徒 のための 慰 霊 碑. 碑 の 手 前 に 野 球 のホームベースが 置 かれ ているのは 犠 牲 者 の1 が 野 球 に 所 属 していた ためで, 碑 の 両 脇 の 机 上 には 犠 牲 者 全 員 に 宛 てた メッセージが 書 き 込 まれ ている.
メモアイベン 地 下 鉄 東 西 線 荒 井 駅 震 災 復 興 住 宅 荒 井 東 市 営 住 宅 ン 荒 井 駅 に 併 設 された せんだい3.11メモア 交 流 館 荒 井 小 学 校 用 地 応 急 仮 設 住 宅 と 花 壇 に 置 かれて いた 荒 浜 小 学 校 児 童 からの 感 謝 のメッセージ 東 松 島 市 野 蒜 地 区 新 しいJR 仙 石 線 野 蒜 駅 の 駅 舎 七 郷 中 学 校 にかかげられた 故 郷 復 興 プロジェク の 横 断 幕 仙 台 市 若 林 区 荒 井 地 区 由 緒 ある 七 郷 神 社 新 しい 野 蒜 駅 のプラッホームから 旧 野 蒜 駅 を 望 む 正 から 見 た 野 蒜 小 学 校 ( 校 舎 左 手 にあった 体 館 は 跡 形 もなく 撤 去 されている) 市 の 供 用 施 設 に 残 された 津 波 高 さの 標 識 野 蒜 小 学 校 に 残 された 津 波 高 さの 標 識 野 蒜 小 学 校 の 校 歌 碑 ( 左 )と 新 しい 閉 校 記 念 碑 ( 右 ) 120 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ
東 松 島 市 野 蒜 地 区 (2) 仙 石 線 の 線 路 跡 ( 道 路 の 左 側 )と 付 近 の 居 住 者 道 路 の 分 だけに 残 された 線 路 東 松 島 市 野 蒜 地 区 (3) 旧 野 蒜 駅 に 設 置 された 野 蒜 交 流 センター に 展 示 されている 津 波 被 災 当 時 の 写 真 旧 野 蒜 駅 から 見 た 北 側 の 住 宅 地 ( 手 前 の 空 地 は 被 災 地 跡 ) 旧 野 蒜 駅 のプラッホームと 駅 舎 ( 右 手 ) 被 災 したまま 残 された 住 宅 旧 駅 舎 に 残 る 津 波 高 さの 標 識 ン あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 121
メモアイベン 宮 城 教 大 学 教 復 興 センター メモアイベン メモアフォーラム 2016 3 月 11 日 ( ) 場 所 萩 朋 会 館 2F 交 流 談 話 スペース 時 間 12:00~17:00 ン 内 容 12:00~13:00 あの 日 を 忘 れない~そなえも 忘 れない~ 炊 きだしプロジェク 13:00~14:00 復 興 ボランティア 学 生 のお 話 愛 知 教 大 学 学 生 を 迎 えて 14:00~15:00 追 悼 式 典 テレビ 中 継 14:46 黙 祷 15:00~16:00 懇 談 会 活 動 を 振 り 返 ろう センター 特 任 教 授 からのお 話 を 含 む 16:00~16:10 閉 会 式 進 係 小 田 隆 史 特 任 准 教 授 & 藤 原 忠 和 主 任 122 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ
2 メモアフォーラム あの 日 を 忘 れない~そなえも 忘 れない~ 炊 きだしプロジェク 拡 大 復 興 カフェin Miyakyo として 施 してきた 炊 き 出 し 修 の 第 3 弾 である メューは 1 分 パス タ! 11:30~13:00の 間 に70 を 超 える が 参 加 した 本 当 に 1 分 でできるの? と 質 問 されたが 際 に 体 験 すれば すぐに 納 得 してもらえた 事 前 にスパゲッティの 乾 麺 を 水 に 浸 しておいて 茹 で 時 間 を 短 縮 する 方 法 で 調 理 している 手 順 はとても 簡 単 ( 1 ) 乾 麺 100gに 対 して300g の 水 に 浸 しておく 麺 の 太 さによるが 1.4mm で 1 時 間 1.7mm で1.5 時 間 1.9mm で 2 時 間 程 度 であ る そのままの 長 さでも 良 いが 今 回 は 扱 い 易 くす るために 半 分 に 折 った 塩 は 入 れなくてもよい ( 2 ) 白 色 になったフャフャな 麺 を 沸 騰 したお 湯 に 入 れる いったん 温 度 が 下 がるが 再 度 沸 騰 するのを 待 って 約 1 分 間 で 茹 で 上 がる お 湯 に 入 れるとすぐ に 黄 色 に 変 わるのは ちょっと 感 動 的 である ( 3 ) 茹 でた 麺 同 士 がくっ つかないように 湯 切 りした 麺 を 属 ボウに 入 れてオーブオイで 少 し 和 えた ングを 使 ってサランラップで 覆 った 小 型 容 器 に 小 分 けし て 用 意 した 様 々なドレッングやマヨネーズをかけて 和 える ッピ ングとして かつおぶし 刻 みのり ごま ツナなどをお 好 みで 加 えて オジナな 味 つけで 完 後 は 食 べるだけである 事 前 に 水 に 浸 す 時 間 が 長 いような 気 もするが 水 に 浸 す 時 間 は 長 くても 良 い(スパゲッティの 小 麦 の 特 長 で 飽 和 するため) 前 日 の 夜 や 朝 出 かけるときに 事 前 にジップロックなどに 入 れておくだけで 良 い 今 回 は 時 間 短 縮 のために 鍋 のお 湯 をやや 多 めにしたが 水 は 多 くなくてもかまわない 水 も 少 なく 加 熱 時 間 も 短 い 省 エネの 理 で 震 災 時 のメューとして 適 している こんな 簡 単 な 調 理 方 法 にもかかわらず 沸 騰 したお 湯 で11 分 間 程 度 茹 でる 方 法 に 負 けない むしろ ちょうどいい 感 じに 失 敗 せずに 茹 で 上 がる 水 につけたま まの 状 態 でも 冷 蔵 で 3 日 間 水 を 切 って 冷 凍 すれば 1 ヶ 月 は 保 存 できるので 普 段 の 理 としても 応 用 しや すい これまでに った 炊 き 出 し 修 もとても 喜 ばれたが 今 回 の 方 法 は 特 別 な 道 具 が 不 要 であり 自 宅 ですぐ にできる この 修 の 後 何 もの 方 から 自 宅 でやってみました とてもおいしくて びっくりしました! と 声 をかけられた 東 日 本 大 震 災 のときにも スパ ゲッティを 食 べたね いう 声 がけもいただいた 震 災 の 時 を 思 い 出 しながらも 楽 しみながらできる 炊 き 出 し 修 にできたのではないだろうか 今 後 のために も 何 らかの 形 で 継 承 していけたらと 思 う ( 水 谷 好 : 技 術 教 講 座 小 野 寺 泰 子 : 家 庭 科 教 講 座 鵜 川 義 弘 福 井 恵 子 : 情 処 理 センター) ン あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 123
メモアイベン 3 七 郷 中 学 校 野 球 感 謝 の 会 1 期 日 平 28 3 月 14 日 ( 月 )10:00~15:30 2 修 場 所 野 球 場 現 活 動 習 棟 3 参 加 者 七 郷 中 学 校 野 球 員 22 名 顧 問 2 名 員 保 護 者 3 名 本 学 生 ( 平 田 優 輔 4 ) 松 本 次 長 センター 職 員 10 名 合 計 38 名 ン 4 活 動 内 容 ( 1 ) 学 生 コーチとしての 教 員 補 助 事 業 として われた 七 郷 中 学 校 野 球 への は 平 田 さんが 学 生 コーチとして 平 24 10 月 以 降 顧 問 の 先 生 の 指 導 の 下 今 度 まで 3 半 野 球 員 への 技 術 指 導 などの を った の きっかけは 平 田 さんが 夏 の 学 習 に 参 加 したあ と もっと を 続 けたいとの 申 し 出 があり セン ターから 校 長 先 生 にお 願 いして 現 したものである 2013.4.20 練 習 試 合 の 時 の 平 田 さんの 審 判 姿 ( 2 ) 感 謝 の 会 感 謝 の 会 は 10 時 30 分 より 現 活 動 習 棟 で 催 された 感 謝 の 会 は 当 センター 及 び 本 学 生 平 田 さん ( 4 生 )の に 対 して 七 郷 中 学 校 野 球 員 が 感 謝 の 気 持 ちを すねらいで 催 され 松 本 次 長 野 澤 副 センター 長 などが 参 列 した 2 野 球 長 が 当 センター 及 び 平 田 さん への に 対 する 感 謝 の 言 葉 を 述 べ また 平 田 さんも 活 動 を 通 し ての 思 いを 述 べた 最 後 に 副 センター 長 から 感 謝 の 会 の 御 礼 と 七 郷 中 学 校 野 球 員 の 今 後 の 活 躍 への 励 ましの 言 葉 が 述 べられた ( 3 ) 校 内 試 合 11 時 から 本 学 野 球 場 で 1 2 生 対 3 生 の 紅 白 試 合 が われ た 3 生 9 名 は 中 学 校 最 後 の 練 習 となり 回 毎 にポジョンを 変 え ながら 笑 顔 で 後 輩 へ 力 強 い 勇 姿 を 示 していた 13 名 の 1 2 生 は 先 輩 の 野 球 に 対 する 熱 い 思 いを 受 け 止 めながらの 最 後 まであきらめ ずに 挑 戦 していた 試 合 は 大 接 戦 で 素 晴 らしい 試 合 であった 3 生 の 保 護 者 3 が 応 に 訪 れ 大 学 や 顧 問 の 先 生 そして 平 田 さんの 計 ら いに 感 謝 の 言 葉 を 述 べていた 15 時 過 ぎに 試 合 が 終 了 し グランド 整 備 をして 元 気 なあいさつをして 帰 宅 についた 146 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ
七 郷 中 学 校 野 球 での 活 動 を 終 えて 特 別 教 教 員 養 課 程 達 障 害 教 コース 平 田 優 輔 振 り 返 ってみると 七 郷 中 学 校 野 球 での 3 半 はあまりにも 早 く 過 ぎ 去 ってしまった けれど も これまでの 日 々は 間 違 いなく 私 の 生 の 大 きな 財 産 となった 大 学 1 生 の 秋 に 野 球 で 復 興 にかかわれませんか? と 何 の 計 画 もなく 思 いだけで 駆 け 込 んだ 私 に 温 かく 対 応 してくださり 活 動 の 場 を 提 供 してくださった 復 興 センターの 方 々には 感 謝 してもしきれない 常 に 活 動 を 応 していただき に くといつも 笑 顔 でセンターの 皆 様 が 私 の 話 を 聞 いてくださったことで 私 は 自 信 を 持 って 活 動 に 取 り 組 むことができた 野 球 としては 今 回 宮 教 大 グランドで 野 球 をや らせていただいたのは 2 回 目 となり 他 にも 野 球 道 具 の 寄 付 など 復 興 センターからは 多 く のサポーをいただいた そのおかげで 今 では 何 不 自 由 なく 子 どもたちは 野 球 に 打 ち 込 めている 継 続 的 な 温 かいご に 子 どもたち 共 々 感 謝 いたします 好 きな 野 球 で 子 どもたちとかかわれる それだけでとても 幸 せなことであり その 上 学 校 現 場 に 入 り 先 生 方 からご 指 導 をいただき 保 護 者 の 方 々の 思 いを 聞 くという 学 生 では 得 難 い 経 験 をさ せていただいた 七 郷 に 来 て 多 くの とかかわり と がつながるのは 心 であると 強 く 感 じた 私 たちはプロ 野 球 選 手 を しているわけではなく 子 どもたちもスポーツで 食 べていくわけで はない 活 動 を 通 して 何 を 学 ぶのか 活 動 が 終 わったときに 何 が 残 っているのか それが 最 も 大 切 だろう 子 どもたちは 活 動 を 通 して とのかかわりを 学 び 努 力 することの 辛 さや 楽 しさを 知 り 社 会 の 中 で 生 きていく 力 を 身 につけていく 相 手 のことを 理 解 したい どうにかし て の 役 に 立 ちたい これらは 野 球 云 々の 話 ではなく 生 きていくのに 重 要 な 力 である 子 ども たちが として 大 きくなっていく 瞬 間 に 立 ち 会 えるこの 仕 事 はなんて 楽 しいのだろうか 七 郷 中 野 球 に 入 り 活 動 には 大 きな 教 的 意 義 があることを 理 解 できた 子 どもたちのためにとやっ てきたつもりだったが 子 どもたちに 長 させてもらった 3 半 だったと 思 う あの 日 から 5 が 過 ぎた 復 興 には 目 に 見 えるものと 目 に 見 えないものがある 現 在 七 郷 地 区 には 地 下 鉄 が 走 るようになり 住 宅 や 商 業 施 設 等 の 建 設 が 続 き 地 域 の 利 便 性 は 高 まり や モが 集 まり 復 興 を 遂 げつつある 地 域 の 展 の 中 でぼんやりしていると あの 日 や 当 時 の 思 いを 忘 れてしまいそうになる ボランティアとして 七 郷 中 に 入 ったときには 何 のためにやってい るのか まだ 明 確 なものはなかった しかし 今 なら 胸 を 張 って 言 える 子 どもたちの 長 は 日 本 の 未 来 そのものである そこにかかわれたことは 間 違 いなく 復 興 につながる 子 どもたちは 私 たちが 気 付 かぬうちにものすごい 勢 いで 長 していき あっという 間 に 巣 立 っていく 寂 しさは あるが それ 以 上 にドキドキする これからどんな 力 をつけ どんなに 活 躍 してくれるのだろうか もっとかっこいい 大 になっていくのだろうか 学 校 生 活 や 活 動 で 身 につけた 力 をさらに 磨 き 上 げ より 眩 い 光 を してくれるはずだ だったら 私 も 負 けてはいられない そんな 子 どもたち が 仙 台 東 北 日 本 さらには 世 界 を 舞 台 に 羽 ばたいていく 確 かに 復 興 はまだまだだ しかし そうやって 現 在 から 未 来 へと 思 いをつないでいけば 復 興 も 決 して 遠 い 話 ではないだろう 今 後 は 教 員 として 希 望 の 架 け 橋 をつなぐ 手 伝 いをしていければ 嬉 しい 未 来 を 担 う 力 強 い 子 どもたち がたくさんいる 10 後 20 後 さらにはその 先 の これからの 未 来 にワクワクする きっと 日 本 の 未 来 は 明 るい ン あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ 147
メモアイベン 仙 台 市 立 七 郷 中 学 校 野 球 を 迎 えて ン 教 復 興 センター 特 任 教 授 ( 元 仙 台 市 中 学 校 長 会 会 長 ) 庄 子 修 会 場 に 入 って 驚 いた 精 悍 な 面 構 えと はち 切 れんばかりの 若 さと 初 々しさを 内 に 秘 めた 中 学 生 たちが 背 筋 を 真 っ 直 ぐに 伸 ばし きちんと 整 列 している ピーンと 張 りつめた 空 気 の 中 感 謝 の 会 は これまで4 間 活 動 への を 続 けてきた 教 復 興 センターに 対 する 顧 問 の 先 生 からの 感 謝 の 言 葉 から 始 まった 聞 いている 生 徒 たちの 瞳 は 眩 しいほど 輝 いている 続 いて 2 生 の 長 からの 御 礼 の 言 葉 があった 先 生 の 指 導 もあったとは 思 うが 長 が 話 すそ の 言 葉 の 一 つ 一 つからは 感 謝 の 思 いの 深 さが 伝 わってきた それを 受 け 野 澤 副 センター 長 が 被 災 地 というハンディを 乗 り 越 え 頑 張 って 活 動 している 中 学 生 への 労 いと 励 ましの 言 葉 を 贈 っ た 久 しぶりに 子 どもたちの 前 に 立 つ 副 センター 長 は 校 長 時 代 に 戻 ったようで その 目 は 慈 愛 に 満 ちていた これまで 指 導 に 当 たってきた 本 学 4 生 の 平 田 さんからは 教 え 指 導 するつもり で 始 めたが 気 が 付 くと 自 分 が 多 くのことを 学 ばせてもらい 長 できた との 話 があった 中 学 生 にとって 身 近 な そして 憧 れの 存 在 である 平 田 さんの 言 葉 は きっと 心 に 染 み 入 ったに 違 い ない 最 後 に 花 束 の 贈 呈 を 受 けて ひとまず 感 謝 の 会 のセレモーが 終 了 した 中 学 生 が 室 内 でウォーミングアップをしている 際 に 顧 問 である 守 屋 先 生 からお 話 を 聞 くこと ができた あの 震 災 で 仙 台 市 内 の 中 学 校 では 唯 一 七 郷 中 の 生 徒 が 2 名 犠 牲 となった そのうち の 1 名 は 野 球 の 先 輩 だったという その 思 いを 胸 に これまで 頑 張 ってきたということであった 室 内 でのウォーミングを 終 えた 生 徒 たちに 本 センターの 伊 藤 芳 郎 特 任 教 授 から 次 のような 話 があった が 力 を 揮 できないのは やらされている 時 一 方 力 を 揮 できるのは 自 分 のためというよりも のためにやろうとする 時 この 奥 の 深 い 話 に 中 学 生 たちは 真 剣 なまなざ しで 聞 き 入 っていた 午 後 からは 本 学 の 野 球 場 で 1 2 生 対 3 生 の 親 善 試 合 が われた 2 日 前 に 卒 業 したば かりの 3 生 の 情 は とても 伸 びやかだった それがプレーにも れており 機 敏 な 動 きの 中 で ファインプレーが 続 出 した グランドに 立 つのは 数 か 月 ぶりだとは とても 思 えないほどだっ た 試 合 が 動 いたのは そうした 3 生 が 連 続 ヒッで 1 点 をもぎ 取 った 5 回 の 会 場 に 駆 け つけていた 3 生 の 保 護 者 だというお 母 さん 方 3 名 その 応 の 声 も 弾 んでいる 圧 巻 だったのは 最 終 回 3 生 は 満 を 持 してエースがマウンドに 上 がり もの 凄 いスピードのボーが パチン! という 乾 いた 音 を 立 ててキャッチャーミッに 吸 い 込 まれる これでは 1 2 生 はとても 打 てな いだろう そう 思 っていた 矢 先 ヒッが 生 まれた さらに 下 級 生 を 気 遣 ってのエラーなども 絡 み 気 が 付 くと ーアウ 満 塁 一 打 逆 転 サヨナラの 場 面 どうなるのかと 息 をのむ 中 下 級 生 のバッが 快 音 を 残 して 火 を 噴 いた 大 声 の 中 まず 一 がホームイン そして 二 目 がホー ムに 駆 け 込 もうとするその 瞬 間 ライの 深 くまで 転 がったはずの 白 球 が 3 生 の 見 事 な 連 携 プ レーでキャッチャーまで 戻 ってきたのである 判 定 は アウ 本 当 に 見 応 えのある 試 合 だっ た 結 局 試 合 は 1 対 1 の 引 き 分 けに 終 わったが 先 輩 の 胸 を 借 りて 本 気 になって 向 かっていった 1 2 生 と その 思 いをしっかりと 受 け 止 めて 下 級 生 にバンを 託 した 3 生 の 姿 は とても 清 々 しく どちらにも 大 きな 拍 手 を 贈 らずにはいられなかった 指 導 にあたってきた 顧 問 の 高 橋 先 生 と 守 屋 先 生 そして 本 学 4 生 の 平 田 さんにも 大 きな 拍 手 を 贈 りたい そして 何 よりも 被 災 地 にあって 様 々な 困 難 にも 負 けず 前 向 きに 野 球 に 取 り 組 んでいる 七 郷 中 の 生 徒 の 皆 さんに 万 感 の 思 いを 込 めて 拍 手 を 贈 りたい この 生 徒 たちなら 将 来 きっと 被 災 地 の 復 興 を し 遂 げて くれるに 違 いない 148 あすへ 向 けての 軌 跡 震 災 から5 間 のまとめ
宮城教大学 教復興センター メモアイベン 震災から5 私たちはあの日を忘 れない 教復興センター 980-0845 仙台市青葉区荒巻字青葉149 TEL 022-214-3296 E-Mail : fukkou@adm.miyakyo-u.ac.jp このパンフレッは 水なし印刷 により印刷しております 環境にやさしい植油インキ VEGETABLE OIL INK で 印刷しております