1920 年 ( 大 正 9) 1930 年 ( 昭 和 5) この 時 期 での 海 外 動 向 では ガス 溶 接 は 軟 鋼 については 一 般 化 したためか 原 子 水 素 溶 接 に 見 られるような 特 殊 鋼 向 きの 溶 接 をどのようにとの 動 きが 出 ている アーク 溶 接 については 厚 板 指 向 となり 艦 船 やビルなどの 構 造 物 にとどまらず より 厚 板 のボイラ 胴 への 適 用 が 増 えてくる また その 一 方 でやや 方 向 を 替 えての 表 面 硬 化 肉 盛 溶 接 なども 顔 を 出 すなど 溶 接 適 用 の 多 様 化 が 進 む 状 況 にあった 特 にドイツなどでは 技 術 提 携 で 指 導 を 受 けた 日 本 の 技 術 者 の 帰 朝 報 告 によると 最 近 のドイツの 設 計 屋 は 溶 接 に 毒 されている と 極 言 されるほど 鋲 から 溶 接 への 転 換 を 急 速 に 進 めていたようである 他 方 わが 国 の 状 況 は ガス 切 断 溶 接 は 関 東 大 震 災 後 の 復 旧 工 事 などでめざまし い 普 及 をしたとあるが 切 断 の 解 体 や 鋲 切 りなどが 多 く 溶 接 としての 構 造 部 材 への 適 用 はそれほどでもなかったらしい ガス 溶 接 については 一 部 で 不 適 切 な 厚 板 まで 適 用 したため 非 難 されたようだが 一 般 的 には 取 り 扱 いの 軽 便 さなどから 薄 板 部 品 などを 対 象 として 根 強 い 人 気 を 持 っていたようである アーク 溶 接 は 国 内 の 法 規 定 に 縛 られ 補 修 溶 接 すら 前 例 がないとして 認 められに くい 状 態 であった したがって この 種 公 的 な 規 制 の 薄 いフェリボートやビルの 増 設 工 事 などで 実 績 を 作 り 構 造 物 への 本 格 的 な 適 用 を 試 みるための 足 固 めの 時 代 であつ たのではと 思 える そして 次 第 に 拡 がりを 見 せる 産 業 界 での 溶 接 化 活 動 に 連 動 し 横 組 織 としての 国 内 溶 接 グループの 発 足 や 大 学 を 含 め 公 的 な 機 関 でも 溶 接 の 研 究 や 教 育 が 芽 生 えてくる 1920 自 動 溶 接 機 の 登 場 ゼネラル エレクトリック 社 のノーベル(P.O.NOBEL)が 直 流 電 源 を 使 いアーク 電 圧 制 御 で 裸 ワイヤを 連 続 送 給 する 自 動 溶 接 機 を 発 明 する この 装 置 は 初 期 には 摩 耗 した モータシャフトやクレーンホイールなどの 肉 盛 補 修 に 多 く 使 われた *45 [ 米 ]
1920 点 溶 接 の 発 展 米 国 で 1900 年 頃 から 点 溶 接 についてのハーマッタ 特 許 論 争 が 起 こり 裁 判 所 よりこ の 年 に 特 許 無 効 が 宣 せられる 以 後 点 溶 接 の 高 額 な 特 許 使 用 料 が 不 要 となったこと などで 自 動 車 産 業 をはじめ 造 船 などで 急 速 に 点 溶 接 が 採 用 が 増 える *19 [ 米 ] 1920 建 築 の 溶 接 英 国 のフォンダリー ビル(FOUNDRY BUILDING)の 増 築 工 事 で 建 築 関 係 ではじめて 溶 接 が 使 われる *20[ 英 ] 1920 全 溶 接 外 航 船 の 建 造 英 国 のキャメル ヘアード 造 船 所 で 世 界 ではじめて 全 溶 接 での 外 洋 船 フラッガ (FULAGAR 110 32 8 )が 進 水 する 本 船 へのアーク 溶 接 の 採 用 について は 大 戦 でヨーロッパからの 酸 素 ガスなどの 輸 入 が 難 しくなった 英 国 が 窮 余 の 策 で 試 みていたガス 溶 接 に 替 わるアーク 溶 接 についての 実 績 があったからだとする 話 が ある *26[ 英 ] 1920 全 溶 接 船 の 建 造 米 国 メア アイランド 海 軍 工 廠 で 水 上 飛 行 機 用 起 重 機 船 を 全 溶 接 で 建 造 する *23 [ 米 ] 1920 全 溶 接 作 業 船 の 建 造 16M 長 4M 巾 の 全 溶 接 の 作 業 船 ESAB Ⅳ が 進 水 する *50[スエーデン] 1920 艦 艇 の 溶 接 佐 世 保 海 軍 工 廠 で 100 トン 積 み 火 薬 運 搬 船 を 全 溶 接 で 建 造 する わが 国 海 軍 での はじめての 溶 接 船 である [ 日 ] 1920 改 造 船 への 溶 接 適 用 改 造 船 (トロール 船 をオイルライター 船 へ)の 船 体 構 造 に はじめてアーク 溶 接 を 適 用 する これは 公 的 規 制 の 枠 外 工 事 と 認 定 されために アーク 溶 接 が 適 用 が 可 能 だっ たとしている [ 日 ]
1920 全 溶 接 船 の 建 造 日 本 で 初 めて 全 溶 接 で 従 業 員 送 迎 用 フェリボート 1,500 人 乗 り 諏 訪 丸 (65 35 8 )が 三 菱 長 崎 造 船 所 で 英 国 の フラッガ の 翌 月 に 進 水 する 大 きな 船 の 割 には 社 内 用 であったので 法 規 制 が 尐 なかったため 全 溶 接 化 ができた しかし 溶 接 歪 みが 多 く 出 て 苦 労 したと 記 録 されている *26[ 日 ] 1920 造 船 溶 接 の 論 文 造 船 協 会 会 報 (1920-4)で 造 船 ニ 応 用 セル 電 気 鎔 接 斯 波 孝 四 郎 と 電 気 鎔 接 法 ノ 応 用 ニ 就 テ 孕 石 元 照 の 造 船 溶 接 についてのはじめての 論 文 が 出 る [ 日 ] 1920 機 関 車 の 溶 接 8620 形 機 関 車 の 内 火 室 を 全 ガス 溶 接 構 造 で 試 作 し 良 い 成 績 を 得 たが 実 車 への 全 面 採 用 には 未 だ 不 安 があるとして 溶 接 は 半 分 程 度 の 適 用 にとどまることになる *20[ 日 ] 1920 溶 接 機 の 輸 入 国 鉄 小 倉 工 場 でジェネラル エレクトリック 社 の 直 流 溶 接 機 を 輸 入 し カーボンアーク 溶 接 で 機 関 車 部 品 の 肉 盛 溶 接 や 穴 埋 め 溶 接 に 適 用 する また 汽 車 製 造 は 米 国 エ レクトリック アーク 切 断 溶 接 社 から 交 流 アーク 溶 接 機 を 輸 入 し 溶 接 化 を 試 みる *2 0[ 日 ] 1920 溶 接 講 演 会 東 京 府 立 工 芸 学 校 で 行 われた 機 械 学 会 主 催 の 講 演 会 で リンデンが 酸 素 鎔 接 及 び 切 断 に 就 いて の 講 演 を 行 う *28[ 日 ]
1921 米 国 溶 接 協 会 機 関 誌 発 刊 米 国 溶 接 協 会 (AWS)が PROCEEDING OF THE AMERICAN WELDING SOCIETY の 名 称 で 機 関 誌 を 発 行 する なお この 雑 誌 は 一 年 後 に WELDING JOUNAL と 改 題 さ れ 今 日 に 至 る [ 米 ] 1921 小 型 船 の 全 溶 接 三 菱 神 戸 造 船 所 で 全 溶 接 の 起 重 機 船 (65 35 8 )と 発 動 機 船 満 球 丸 (45 10 5 )が 進 水 する *26[ 日 ] 1921 溶 接 しゃ 光 眼 鏡 造 船 協 会 会 報 (1921-10)で 溶 接 用 しゃ 光 眼 鏡 についての はじめての 技 術 論 文 電 気 鎔 接 用 遮 光 板 ニ 就 テ 木 内 政 蔵 が 出 る [ 日 ] 1921 アーク 溶 接 規 定 帝 国 海 事 協 会 の 鋼 船 規 則 に はじめてアーク 溶 接 の 章 が 登 場 する [ 日 ] 1922 海 外 での 溶 接 論 文 発 表 米 国 溶 接 協 会 機 関 誌 WELDING JOUNAL(1922-2)に はじめてわが 国 の 後 刻 初 代 溶 接 協 会 会 長 となられた 孕 石 元 照 博 士 の ON THE APPLICATION OF ELECTRIC ARC WELDING TO TWO VESSELS]が 掲 載 される [ 日 ] 1922 認 定 溶 接 材 料 この 年 までにロイド 船 級 協 会 が 認 定 したアーク 溶 接 棒 の 製 造 会 社 は アロイ ウエル ディング プロセス ブロム アンド ボス 英 国 アーク ウエルディング チェルベルヒ クオーシ アーク ウイルソン プラスチック アークの 6 社 のみである *29 1922 不 況 期 での 溶 接 ワシントン 軍 縮 条 約 発 効 し 建 艦 休 止 が 増 え, 造 船 進 水 量 も 当 時 最 低 の 6 万 総 トンま で 急 減 し この 状 況 がしばらく 続 くことになる このため 多 くの 造 船 関 係 の 溶 接 工 が 解 雇 され 市 中 に 散 ったなどで 風 呂 やの 煙 突 まで 溶 接 化 され 産 業 界 全 般 としては 国 内 の 溶 接 化 の 裾 野 は 逆 に 拡 がったとも 云 われている [ 日 ] 1922 溶 材 商 溶 接 材 料 を 専 門 にしても 企 業 として 成 り 立 つようになり 日 本 鎔 接 工 業 (1922) 片 山 工 業 所 (1925)などが 登 場 する *20[ 日 ]
1922 国 産 交 流 溶 接 機 1919 年 に 輸 入 された 米 国 製 稼 働 コア 型 溶 接 機 をモデルとして 浜 野 兵 次 がはじめて 国 産 の 交 流 アーク 溶 接 機 を 製 作 する *20[ 日 ] 1922 溶 接 機 専 業 メーカ 日 本 電 気 熔 接 機 が 創 業 し 続 いて 大 阪 電 気 (1925) 東 洋 電 機 熔 接 機 佐 藤 電 気 工 業 所 (1927)などの 溶 接 機 専 業 メーカが 登 場 する *20[ 日 ] 1922 溶 接 関 連 輸 入 業 者 この 頃 の 溶 接 関 連 関 係 の 貿 易 商 としては 米 国 リンカーン 社 の 溶 接 機 の 常 磐 商 会 ドイツのクルップ 溶 接 棒 の 水 橋 商 会 1925 年 には 英 国 メトロポリタンビカース 社 の 電 気 溶 接 機 を 取 り 扱 った 高 田 商 店 などがある *20[ 日 ] 1922 足 踏 式 点 溶 接 機 日 本 電 気 熔 接 機 が はじめて 足 踏 式 点 溶 接 機 を 製 作 する この 時 期 では 国 内 の 点 溶 接 は 溶 接 は 早 いが 継 手 の 信 頼 性 は 薄 いとの 評 価 で あまり 普 及 はしていない *20 [ 日 ] 1922 鉄 道 での 溶 接 国 鉄 浜 松 工 場 で ゼアス 油 抵 抗 式 交 流 アーク 溶 接 機 を 輸 入 し 主 としてバルブ 部 品 の 肉 盛 溶 接 を 行 う *20[ 日 ] 1922 溶 接 規 定 旧 JES 353 で 電 弧 鎔 接 接 手 及 記 号 を 制 定 する [ 日 ]
1922 ガス 取 締 令 アセチレン 発 生 器 などでの 爆 発 事 故 が 増 えはじめたので 法 律 31 号 で 圧 縮 ガス 及 び 液 化 ガス 取 締 令 が 出 される そして 翌 年 には 取 締 法 施 行 令 が 内 務 省 令 として 公 布 される [ 日 ] 1923 関 東 大 震 災 大 正 12 年 東 京 を 中 心 に 大 災 害 となる 震 災 後 の 復 旧 工 事 に 関 係 してガス 溶 接 切 断 業 界 が 活 性 化 され 金 属 工 作 法 として 一 般 化 しはじめる [ 日 ] 1923 表 面 硬 化 溶 接 表 面 硬 化 溶 接 についての 最 初 の 特 許 は 1896 年 に 出 されているが 実 用 化 されるの はこの 頃 からで ヘインズ(ELWOOD HAYNES)らによって コバルト 基 合 金 を 使 いガス 溶 接 で 機 械 部 品 の 磨 耗 部 分 の 肉 盛 りが 本 格 化 する *19[ 米 ] 1923 試 験 胴 の 破 壊 試 験 米 国 製 缶 業 者 数 社 が 共 同 で 圧 力 容 器 を 溶 接 構 造 で 試 作 し 米 国 溶 接 協 会 と 標 準 局 協 同 で 破 壊 試 験 を 行 い 実 用 化 に 向 けての 基 礎 データを 蓄 積 する *23[ 米 ]
1923 点 溶 接 機 の 進 展 フォード 社 が 横 浜 に 部 品 を 輸 入 して 自 動 車 組 立 工 場 稼 働 させる 翌 々 年 にはゼネラ ルモータ 社 が 同 じような 工 場 を 大 阪 で 操 業 する この 時 に 輸 入 された 点 溶 接 機 の 稼 働 実 績 を 見 て 点 溶 接 の 信 頼 性 が 見 直 され 実 用 化 が 進 むことになる *13[ 日 ] 1923 圧 力 鉄 管 の 溶 接 安 曇 電 気 の 中 房 発 電 所 での 鉄 管 接 合 工 事 で はじめて 圧 力 鉄 管 に 対 して 溶 接 を 使 う *20[ 日 ] 1923 圧 力 容 器 の 溶 接 三 菱 神 戸 造 船 所 が 日 本 電 力 の 東 発 電 所 向 け 蒸 気 溜 を 全 溶 接 で 製 作 する *20[ 日 ] 1923 鋳 鉄 製 品 の 補 修 溶 接 三 菱 長 崎 造 船 所 で タービン ケーシングの 鋳 庅 を 溶 接 で 補 修 して 新 品 と 同 等 であ ることの 試 験 をし 以 後 海 軍 艦 艇 での 溶 接 補 修 の 道 を 開 く *23[ 日 ] 1923 溶 接 技 能 検 定 三 菱 長 崎 造 船 所 で 自 社 独 自 の 溶 接 技 能 検 定 をはじめる 当 時 は 技 能 レベルの 判 定 は 溶 接 継 手 の 引 張 強 度 で 行 っていて この 年 では 平 均 値 を 31Kg/mm 2 以 上 として いたが 二 年 後 には 40Kg/mm2に 修 正 する *20[ 日 ] 1924 鉄 道 での 溶 接 棒 国 鉄 浜 松 工 場 で 軟 鋼 心 線 を 購 入 し これに 炭 酸 カルシュームを 主 成 分 としたフラッ クスを 塗 布 した 浜 松 工 場 式 被 覆 棒 を 試 作 し 実 用 化 する しかし 1926 年 には 輸 入 の ウイルソン 社 製 被 覆 棒 が 優 秀 であったので 以 後 それに 切 り 替 えたとある *20[ 日 ] 1924 フラッシュ 溶 接 機 新 家 リムの 山 中 工 場 と 大 阪 天 六 の 京 阪 電 車 の 高 架 工 事 で 大 林 組 が 鉄 筋 の 接 合 などに 輸 入 したフラッシュ 溶 接 機 を 使 う 以 後 この 輸 入 機 による 溶 接 法 が 普 及 しはじ める *20[ 日 ] 1924 建 築 の 溶 接 関 東 大 震 災 の 復 旧 工 事 として 丸 の 内 郵 船 ビルでの 補 修 に 溶 接 が 使 用 され 続 いて 東 京 海 上 ビル 華 族 会 館 住 友 ビル 有 楽 館 の 補 強 工 事 にも 溶 接 が 適 用 される *20 [ 日 ]
1924 電 車 の 構 造 神 戸 の 市 電 に はじめて 半 鋼 製 車 が 二 年 後 には 全 鋼 製 車 が 登 場 する しかし この ときの 鋼 製 車 は 未 だ 全 て 鋲 構 造 である *20[ 日 ] 1925 溶 接 機 の 製 造 大 阪 電 気 が 交 流 アーク 溶 接 機 と 抵 抗 溶 接 機 を 製 造 販 売 する 翌 年 には 日 立 製 作 が 200A の 直 流 定 電 圧 型 アーク 溶 接 機 を 市 販 する *13[ 日 ] 1925 国 産 溶 接 棒 国 産 被 覆 アーク 溶 接 棒 の はじめてのメーカとして 軟 鋼 用 で 角 丸 工 業 鋳 物 用 で 新 宮 鋳 工 所 が 設 立 される *20[ 日 ] 1925 圧 力 鉄 管 の 溶 接 三 菱 神 戸 造 船 所 が 直 流 アーク 溶 接 機 を 使 い 鳥 坂 発 電 所 の 水 圧 鉄 管 を 全 溶 接 で 施 工 する *20[ 日 ] 1926 原 子 水 素 溶 接 ジェネラル エレクトリック 社 のマッケイ(G. MACKEY)とウッド(R.W. WOOD)がタングステ ン 電 極 と 水 素 ガスを 使 う 原 子 水 素 溶 接 を 発 明 する 薄 板 や 工 具 鋼 などの 特 殊 用 途 向 きで 一 般 化 はされなかったが 1940 年 頃 まで 使 われていた これの 日 本 への 技 術 導 入 は 1930 年 からである *13*45[ 米 ] 1926 鉄 骨 の 溶 接 全 溶 接 での 鉄 骨 構 造 の 建 築 物 が 多 く 出 はじめるようになる *20[ 米 ]
1926 炭 酸 ガス 溶 接 不 適 当 ゼネラル エレクトリック 社 のアレキサンダー(P. ALEXANDER)は 炭 酸 ガスを 使 って 消 耗 電 極 で 溶 接 すると ガスは 安 価 であるが 酸 化 程 度 がひどく 溶 着 金 属 はもろくなり 溶 接 法 としては 不 適 当 だと 発 表 する この 考 えは 1950 年 頃 まで 続 き このためこの 期 間 は 炭 酸 ガス 溶 接 についての 研 究 はほとんど 行 われていない *19[ 米 ] 1926 レールの 溶 接 この 頃 までは レールの 接 続 はボルトつなぎであったが 大 阪 神 戸 の 市 電 はアーク 溶 接 を 東 京 の 市 電 地 下 鉄 大 阪 地 下 鉄 阪 神 阪 急 電 車 ではテルミット 溶 接 が 使 わ れはじめる しかし 溶 接 不 良 が 多 く 10% 以 上 が 折 損 したとある *20[ 日 ] 1926 客 車 の 溶 接 これまでの 客 車 は ほとんど 木 製 であったが この 年 から 半 鋼 製 客 車 が 製 作 される これには 一 部 ガス 溶 接 が 採 用 されているが 信 頼 性 が 薄 かったのか 溶 接 後 に 鋲 接 する 二 重 接 合 された 箇 所 もある *20[ 日 ] 1926 電 気 鎔 接 協 会 発 足 大 正 15 年 に 大 阪 の 中 央 電 気 倶 楽 部 で 電 気 鎔 接 協 會 の 設 立 総 会 が 開 かれる 初 代 の 会 長 は 孕 石 元 照 である 機 関 誌 として 電 気 鎔 接 協 會 誌 の 創 刊 号 が 出 版 される この 協 会 は 1927 年 に 溶 接 の 範 囲 を 広 げるため 電 気 を 除 き 鎔 接 協 會 となる そして 1936 年 に 文 部 省 所 管 の 社 団 法 人 として 認 可 され 1943 年 に 熔 接 學 會 と 改 名 する さ らに 1960 年 に 今 日 の 溶 接 学 会 となる [ 日 ]
1927 ビルの 溶 接 米 国 で はじめて 5 階 建 ての 全 溶 接 構 造 のシラトン ビルジングができる この 頃 から ビルでの 溶 接 化 が 進 む *26[ 米 ] 1927 ガス 切 断 溶 接 トーチ この 頃 から 森 式 釜 島 式 など 国 内 で 考 案 された 国 産 のガス 切 断 溶 接 トーチが 市 販 さ れるようになる *20[ 日 ] 1927 被 覆 棒 の 機 械 塗 装 それまで 被 覆 棒 の 製 法 は 被 覆 剤 溶 液 内 に 針 金 をどぶ 漬 する 方 法 であったのを エ ー オー スミス 社 のラングストロス(LANGSTROTH)とブンダー(WUNDER)が 押 し 出 し 式 の 機 械 塗 装 の 装 置 を 考 案 し 厚 被 覆 用 としてアーク 溶 接 棒 の 製 造 に 適 用 をはじめ る *45[ 米 ] 1927 可 搬 式 点 溶 接 機 日 本 ゼネラル モータ 鶴 町 工 場 で 輸 入 した はじめての 可 搬 式 点 溶 接 機 が 稼 働 する この 機 種 が 国 産 化 されるのは 1930 年 からである *20[ 日 ] 1927 商 船 の 溶 接 三 井 造 船 所 が 救 助 船 那 須 丸 (693 トン)を 80%と 云 う 当 時 では 相 当 高 い 溶 接 化 率 で 建 造 する *26[ 日 ] 1927 溶 材 商 組 合 発 足 東 京 カーバイド 組 合 が 設 立 される これは 溶 接 器 材 関 係 での はじめての 組 合 組 織 である *20[ 日 ]
1928 高 周 波 溶 接 高 周 波 誘 導 加 熱 溶 接 方 法 が オスボーンにより 発 明 される これが 日 本 に 技 術 導 入 されるのは 1960 年 からである *13[ 米 ] 1928 溶 接 機 の 稼 働 この 時 期 自 動 車 のフォード 社 では フラッシュ 溶 接 機 320 台 点 溶 接 機 540 台 シー ム 溶 接 機 25 台 が 稼 働 していたと 溶 接 協 会 の 論 文 で 紹 介 されている *19[ 米 ] 1928 建 築 溶 接 の 規 定 米 国 溶 接 協 会 が 溶 接 についての 建 築 条 令 案 を 発 表 する これは 1930 年 および 1934 年 に 改 訂 される *20[ 米 ] 1928 溶 材 輸 入 業 者 当 時 輸 入 されていたのアーコス 棒 (STABILEND,CHROMEND 棒 )は 作 業 性 継 手 性 能 共 に 良 好 で 陸 海 軍 の 特 命 品 として 重 要 箇 所 へのアーク 溶 接 に 不 可 欠 のものとさ れていたが 非 常 に 高 価 ( 一 説 では 国 産 品 の 20 倍 以 上 の 話 がある)なため 適 用 は 限 られていた この 年 に 愛 知 産 業 がベルギーアーコス 社 の 総 代 理 権 を 獲 得 し 販 売 権 を 独 占 する *20[ 日 ] 1928 水 圧 式 バット 溶 接 機 それまでのバット 溶 接 機 が 人 力 加 圧 であったのを はじめて 水 圧 式 に 変 え 35mmφ ま でのパイプ 溶 接 を 可 能 にした 国 産 機 を 大 阪 電 気 が 製 作 する *20[ 日 ] 1928 造 船 でのアーク 溶 接 この 頃 より 造 船 での 二 次 構 造 や 艤 装 品 取 り 付 けなどに アーク 溶 接 の 適 用 がはじま る [ 日 ]
1928 橋 梁 の 試 験 鉄 道 大 臣 官 房 研 究 所 で スパン 3M のプレートガーダを 溶 接 構 造 で 試 作 し 鋲 構 造 のそれと 比 較 破 壊 試 験 を 行 ない 構 造 として 両 者 が 同 等 であるとの 結 果 を 得 る *20 [ 日 ] 1928 ケーブルカーの 溶 接 比 叡 山 電 鉄 のケーブルカーで 外 板 と 柱 の 接 合 に 栓 溶 接 をはじめて 試 みる *20[ 日 ] 1928 溶 接 学 校 神 戸 液 体 空 気 社 が これまでの 講 習 会 形 式 ではなく ガス 専 門 の 正 式 な 技 術 者 養 成 機 関 として 神 戸 市 に 鎔 接 切 断 実 習 学 校 を 創 立 する 1931 年 には 電 弧 溶 接 科 を 併 設 している そして 1941 年 の 閉 校 までに 1,000 名 を 越 す 卒 業 生 を 出 す 創 設 時 に 出 版 された 実 用 酸 素 アセチレーヌ 鎔 接 及 切 断 (エングランジョン ロザンベルグ 著 )が 教 科 書 として 使 われている *20[ 日 ]
1929 溶 接 戦 艦 の 竣 工 溶 接 を 多 用 した 結 果 船 体 重 量 の 軽 量 化 に 成 功 し 重 装 備 と 高 速 航 行 により 世 界 を 驚 かした ポケット 戦 艦 ドイチェランド が 竣 工 する [ 独 ] 1929 厚 塗 り 被 覆 棒 リンカーン エレクトリック 社 がエー オースミス 社 に 次 いで 機 械 塗 装 製 の 厚 被 覆 棒 を 市 場 に 出 す これにより 軟 鋼 溶 接 継 手 部 が 母 材 より 優 れ 高 電 流 で 溶 け 込 み 深 く 溶 接 速 度 も 速 くなったりで 溶 接 の 信 頼 性 が 高 まることになる *19*45[ 米 ] 1929 艦 艇 へのアーク 溶 接 舞 鶴 海 軍 工 廠 が 駆 逐 艦 夕 霧 で はじめて 船 殻 構 造 の 内 構 材 へアーク 溶 接 を 適 用 し 艦 艇 溶 接 化 への 道 を 開 く [ 日 ] 1929 試 験 溶 接 橋 横 河 橋 梁 製 作 所 が 径 間 33M の 全 溶 接 試 験 用 公 道 橋 を 製 作 する *26[ 日 ] 1929 客 車 の 溶 接 国 鉄 小 倉 工 場 では 客 車 側 板 のガス 溶 接 箇 所 をアーク 溶 接 に 切 り 替 える この 年 に この 工 場 では 半 自 動 溶 接 機 を 輸 入 したが 実 用 には 至 らなかったとある *20[ 日 ] 1929 溶 接 講 座 大 阪 帝 国 大 学 工 学 部 冶 金 学 科 において 教 授 井 口 庄 之 助 助 教 授 岡 田 実 により 溶 接 工 学 の 講 義 がはじまる *20[ 日 ]