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す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査

44 4 I (1) ( ) (10 15 ) ( 17 ) ( 3 1 ) (2)

生活設計レジメ

I II III 28 29


104 E 106 E ラオスタイ 14 N 14 N アンコール遺跡群 シェムリアップ サンボー プレイ クック遺跡群 12 N 12 N プノンペン ベトナム 10 N 10 N km 104 E 106 E

新潟県立歴史博物館研究紀要第4号

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○現説資料 2回目作成中 その3



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2018 年の山形県とその周辺の地震活動 1. 地震活動の概況 2018 年に 山形県とその周辺 ( 図 1の範囲内 ) で観測した地震は 2,250 回 (2017 年 :2,447 回 ) であった 山形県内で震度 1 以上を観測した地震は 図の範囲外で発生した地震を含めて 47 回 (2017

福知山-大地の発掘


第1部 一般的コメント

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第1章 国民年金における無年金

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Ⅰ~Ⅴ章 平成22年度地域生物多様性保全実証事業報告書(群馬県ニホンジカ個体数調整)3


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研究紀要 第3号 (その2)

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ほんぶん/pdf用表紙

研究成果報告書

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写真 1 東上空より調査地を望む ([ 大阪文化財研究所 2013] に一部加筆 ) N : 図 2 周辺の遺跡の位置 ([ 大阪文化財研究所 2013] に一部加筆 ) 2


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~ 1 で実施した高塚遺跡の範凶確認調査報告書である 現地発刷調査 2008 年 9 月 1 日 ~9 月 12 整理 報告作業 2008 年 9 月 12 日 ~12 月 22

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考古学ジャーナル 2011年9月号 (立ち読み)

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W 縄 文 時 代 の 考 古 学 5~ 同 成 社 西 日 本 系 の 土 器 ( 北 白 川 下 層 IIb 式 ( 新 )~li c 式 類 似 )が 主 体 特 定 器 種 (;9 IJ 中 央 部 に 径 30m の 士 坑 と 集 石 遺 構 からなる 分 布 域 が 存 在 分 布 域


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TP10 TP9 中世遺構検出 2-1区 中世後期 TP8 2-3区 2-2区 護岸遺 50m 0 2-4区 図 4 第 2 地点 調査区 6 S=1/1200 石積堤 防遺構 構1 2-5区

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物件番号 1 ポケートパーク 仮換地面積価格状況備考 E-27 街区 11 画地 従前地 法律等に基づく制限 m2約 66 坪 6,384,504 円引渡可 北側 西側で幅員 6m の舗装市道に面している 地番地目面積 ( 公簿 ) 名取市閖上字新大塚 156 番田 401 m2 都市

1. (1) 1/

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Transcription:

III試掘調査実施遺跡概要 おおしも 1大下遺跡 (遺跡番号1380) 所在地山形県西置賜郡小国町大字増 岡字大下 字風口 調査員渋谷孝雄 佐藤正俊 調査期日昭和55年10月 20 21日 遺跡の概要本遺跡 は荒川 とその支流横川の形成 した段丘上に立地 し 現在は畑地 杉林 宅地 鉄道用地として利用されており 畑地部分には多くの縄文土器片 石器片が散布し ている 今回の分布調査は 昭和56年度に予定されている県営圃場整備事業 との調整に資 するために実施された その結果 遺跡の範囲は東西110m 南北155m 面積17,000 で 地表下15 20 に厚さ15 20 の遺物包含層がみられ 地山までの深さは40 45 概し て保存は良好であるとの結論を得た 試掘溝11では集石遺構が確認され また 縄文時代 前期大木4式 同中期大木10式 同後期初頭の土器片や 石鏃i 石匙などの石器が出土し 縄文 時代前期 後期 の集落跡としての性格をもつもの と考えられる

はかくぽ2墓窪遺跡 (新規) 所在地山形県西置賜郡小国町大字増 岡字墓窪 字ソ ブ沢 字中野 調査員渋谷孝雄 佐藤正俊 調査期日昭和55年10月21日. 遺跡の概要本遺跡 は大下遺跡から小河川を隔てた東方約50mに位置 し 大下遺跡と同じ 段丘面に立地する 現在は水田 畑地 鉄道用地 雑木林となっており 畑地部分に若干 の土器片 石器片の散布がみられる 今回の分布調査によって新たに発見された遺跡 で 大下遺跡と同様 昭和56年度の県営圃場整備事業の予定地内に含まれている 遺跡の範囲は東西250m 南北110m 面積約27,500 で 東西 は小河川によρて 大下 館分 (今回新規登録) 両遺跡の立地する台地と区切られ 段丘崖に近い南側が高く 北に 向う につれて徐々 に低くなっている 地表下15 35cmに厚さ10 30 の遺物包含層がみら れ 地表から40 50cmで地山に達す る 遺物は国鉄米坂線に近い試掘溝11 16で特に多く 出土する傾向がみられ 保存状況は畑地 水田ともに良好である 試掘溝11で集石遺構が 検出さ れ また 縄文時代前期の繊維を含む土器片 中期の大木9 10式の土器片や 石 匙など石器類の人工遺物のほか 自然遺物 (種子) が出土している 以上のことから 本 遺跡 は 縄文時代前期 中期にかけてのかなり大規模な集落跡と考えられる

さかい だ4 境田C遺跡 (遺跡番号135) 所在地 山形県山形市長町字境田 調査員 佐藤庄一 渋谷孝雄 調査期日昭和55年10月30日. 遺跡の概要 本遺跡は山形市見崎部落の東方 見崎浄水場のすぐ南側に位置する 最上川 支流の 白川 が馬 見ヶ 崎川 となって蛇 行ずる両岸の自然堤 防上に は良 好な小台地が形成さ れ 多くの遺跡が立地するが本遺跡もその一つ である 標高 は約100mを計 り 地目は現在桑畑 果樹園および野菜畑となっている 遺物はこの小台地の全域から表面採集できるが とく に北側に多いようである, 昭和50年の東北横断自動車道酒田線 関係 遺跡の分布調 査によって新 しく 発見さ れた 遺跡 で翌年に一部試掘調査も実施している (註1) 遺跡の範囲は 東西120m 南北280m 面 積約30,000 で このうち見崎部落に通 じる 農道の北側部分 は今回の分布調査によって遺 物の散布が見られたことにより追加された地域である 横断自動車道の予定路線 は 遺跡 の北側を ほぼ東西方向につき抜ける 昭和50年10月の試掘調査による遺跡の層序は.1 層が耕作土 II 層が暗褐色砂質土 皿 層が明褐色砂質土 IV層が黄褐色砂層となっている II 皿層が遺物包含層で 表土下約 60cm でIV層の無遺物層に達す る 遺物 包含層の上面 は桑の木な どで一部撹乱さ れて いる が 下層は良好に保存さ れている 出土した遺物には 土師器 須恵器 陶磁器などがある 土師器には圷 甕などの器種 があ り 内面に黒色化処理 を施 したロクロ整形の圷が特徴的である 須恵器には圷 甕 壺な どの器種があり 回転糸切り痕を持つ圷の底部がある 境田C遺跡の時期は 出土遺 物から平安時代中頃と推定さ れるが 陶磁器からみて一部鎌倉時代ま で下る可能性もある 註1 山形県教育委員会1977 分布調査報告書 (4) 山形県埋蔵文化財調査報告書第12集

やすだ 6安田遺跡 所在地酒田市大字安田字芳 岡31 調査員川崎利夫 安部 実 調査期日昭和55年10月 22 23日 遺跡の概要酒田市街の北東に位置する地蔵寺地内にある 本楯の南1.3 城輪禍の西南 1 の ところにあた る 遺跡の周辺について試掘調査を実施 したが 遺跡 は集落内にあ り 50mx50mほどで比較 的小規模である かつて5寸角の柱根が7尺間隔で4本出土 したと いわれ その1本 は残っているが 面取りを施 した角柱である 附近より赤焼土器片が少 量出土 している マ 出土 した角柱よりみて 中世の建物跡の存在が想定される 昭和56年度総合パイ ロット 施工 区域にふくまれるので 発掘調査による記録保存が必要である

7とよ はら豊原B遺跡 所在地酒田市大字豊原字堰向2ほか 調査員昭和55年10月 22 23日 調査期日川崎利夫 安部実 ' 遺跡の概要城輪柵外郭西門より約500m東側に位置 し 豊原部落南の水田中に所在する 本遺跡の北には 豊原A遺跡 東側の部落入口には豊原遺跡があ り 何れも平安時代の集 落跡である 遺跡の範囲は 東西100m 南北150m 15,000 ほ どであることが試掘によっ て確認されている たまたまテストピッ ト中よ り 直径2m 深さ1mの土墳 が検出さ れ 内部より須恵器破片が発見された 遺構や遺物包含層は 地表下20 30 で 須恵器 赤 焼土器等が検出さ れる 城輪柵に近い位置にあるので それに密接に関連をもつ平安時代 の集落跡である 56年度施工予定の総合パイロット事業 区域内にふくまれるので 発掘調 査による記録保存が必要である

8つのざわ に けん角沢仁間遺跡 (新規) 所在地山形県新庄市角沢字仁問 調査員渋谷孝雄 阿部明彦 調査期日昭和55年11月 11日 同11月 21日 遺跡の概要本遺跡は最上川の支流新田川右岸の沖積地に立地し 現河床からの比高 は約 2mをはかる 遺跡を含む一帯が昭和55年度刈入後からの県営圃場整備事業 区内に入って いることから 坪掘りによる調査を待って対処することで合意 し 10月6 7日に試掘調 査を実施した その結果 表土下部と直下に土器の細片が存在するものの II層以下は有 機質を含む谷地状堆積物となっており 遺構の検出も相当の困難を伴うもの と判断 し 工 事前 に再度詳細 な分布調査を実施することに した 調査は坪掘り で遺物の出土量の多かったA地区 と それより一段高いB地区を対象と し 重機で表土を剥吟だ後 ジョレンによる面精査で遺構を検出する方法で実施 した B地区 は遺物の出土もほとんどなく 中心部から外れている と判断 し A地区に集中して調査を 行っ た その結果 平安 鎌倉時代の土器を含む溝1本 と 浅い落込みを18基 さらに同 一面上で縄文時代晩期の土墳2基を検出 した (第11図) SD1は0.6 1mの幅をもち 長さ約28mに渡って確認された 覆土は3つの層からな

IVまとめ 東北横断自動車道酒田線関係では 路線予定 区域内の表面採集を主とした調査を行った 結果 山形市関沢 同釈迦堂までの区間に22遺跡が確認され そのうち19遺跡が新規発見 遺跡 である これよ り先 昭和50年に実施 した山形市 滑川 寒河江市高 屋までの 区間 で行っ た第1次の調査結果と合せる と 関連する遺跡総数が76 新規発見遺跡が39となる この うち 山形市にひゃく寺遺跡 同上原古墳 同塚田A遺跡 同B遺跡 中山町物見台遺跡 の計5遺跡について 昭和51年度 に試掘調査を実施している (註1) 吹浦,ぐイ パス関係では 遊佐町松山 同女鹿間約5 7 を 予定路線を中心 1こ 東西各1 幅で調査を行った. 調査の結果 9の遺跡を確認 し そのうち新規発見の遺跡が6遺跡 である 農林関係他各種事業関係では 県下 8市町村にわたり49遺跡が対象となった 調査は方 法上 3段階に分けて行い 分布調査1では43遺跡 分布調査IIで1よ19遣跡 分布調査III では 新庄市角沢仁問遺跡 同宮野遺跡の2遺跡が各対象となった 全体として昭和56年度事業地区外の遺跡が73 立合い等調査の必要な遺跡が5遺跡 昭 和56年度緊急発堀調査の必要な遺跡が 飯豊町町下遺跡他19遺跡である 註 山形県教育委員会 977 r分布調査報告書 (4) 山形県埋蔵文化財報告書第12集