公 益 社 団 法 人 大 日 本 農 会 会 誌 農 業 * 世 界 の 農 業 は 今 ミャンマーの 農 業 事 情 草 野 栄 一 フロンティア 昨 今 ミャンマーを アジア 最 後 のフロンティア( 未 開 拓 地 ) と 呼 ぶ 雑 誌 や 新 聞 記 事 をよく 目 にする 大 きな 理 由 の1つは 約 5 千 円 という 一 般 工 員 職 員 の 月 給 の 安 さにある これは 中 国 広 東 省 の 4 万 円 だけでなく カンボジアやバングラデシュをも 下 回 る(JETRO 2013) ミャンマーの 人 口 は 日 本 の 半 分 弱 の6 千 万 人 程 度 といわれているから 相 当 の 労 働 人 口 が 期 待 できるし 消 費 市 場 としても 魅 力 があ るかもしれない また 日 本 企 業 が 多 く 進 出 しているタイや 海 を 隔 ててインド 半 島 に 隣 接 していると いう 立 地 は 日 本 の 対 インド さらには 中 東 やアフリカ 貿 易 を 考 える 上 で 重 要 になるだろう( 図 1) ミャンマーには 企 業 が 進 出 するための 魅 力 的 な 条 件 があったが 米 欧 の 貿 易 規 制 や 新 規 投 資 の 禁 止 な どの 経 済 制 裁 や 未 整 備 なインフラ 法 制 度 によって 進 出 が 阻 まれていた しかし 2012 年 2 月 米 欧 は ミャンマーの 民 主 化 が 進 みつつあるとして 経 済 制 裁 を 緩 和 し 始 めた( 図 2) 同 年 以 降 ミャンマー 政 府 も 複 数 存 在 した 為 替 レートの 一 本 化 や 新 外 国 投 資 法 を 成 立 させ 投 資 環 境 は 急 速 に 整 備 されつつある かくして 現 在 ミャンマーは フロンティア と 呼 ばれ 世 界 的 に 注 目 を 集 めるようになっている 図 1 ミャンマーの 地 理 図 2 経 済 政 治 体 制 の 変 化 * 本 原 稿 は 公 益 社 団 法 人 大 日 本 農 会 会 誌 農 業 平 成 25 年 11 月 号 のために 執 筆 したものである 国 際 農 林 水 産 業 研 究 センター 研 究 戦 略 室 研 究 員 1
基 幹 作 物 :コメ ミャンマーでは 農 業 が GDP の3 割 を 占 め 国 民 の 約 半 数 が 農 村 に 居 住 する 英 国 領 時 代 からエーヤ ワディー 川 河 口 付 近 のデルタ 地 帯 ( 三 角 州 )で 多 く 作 られてきたコメは 他 の 品 目 と 比 べて 圧 倒 的 に 生 産 面 積 が 大 きく 政 府 はその 安 定 生 産 と 輸 出 増 加 を 目 指 している( 表 ) 現 在 東 南 アジアのコメ 輸 出 大 国 といえばタイとベトナムだが 英 国 領 時 代 後 期 の 1930 年 代 世 界 最 大 のコメ 輸 出 国 はミャンマーだった 当 時 300 万 トンを 超 えていたコメ 輸 出 量 は 計 画 経 済 時 代 以 降 長 く 50 万 トン 前 後 の 水 準 に 落 ち 込 んでいたが これは 政 策 や 国 際 環 境 の 変 化 によるものと 考 えられる な ぜなら 生 産 量 そのものは 1930 年 当 時 の 730 万 トンから 2012 年 にはおよそ 2~3 千 万 トンの 水 準 に 増 加 しているからである ミャンマーの 農 業 政 策 は 計 画 経 済 化 直 後 の 1964 年 から 始 まるコメやマメ 類 といった 主 要 作 物 に 対 す る1 計 画 栽 培 制 度 2 強 制 供 出 制 度 3 民 間 企 業 による 農 産 物 の 国 内 流 通 と 国 外 貿 易 の 禁 止 ( 国 家 独 占 ) に 特 徴 づけられる( 室 屋 2012) 農 民 は 政 府 から 肥 料 や 農 機 といった 投 入 財 の 補 助 を 受 け 決 められた 面 積 で 決 められた 農 産 物 を 作 り 決 められた 量 を 供 出 していた 軍 政 が 発 足 する 前 年 の 1987 年 供 出 制 度 が 縮 小 されて 民 間 業 者 の 国 内 流 通 が 解 禁 され 一 部 地 域 では 作 付 けの 自 由 化 も 進 んだ 翌 1988 年 には コメなど 一 部 作 物 を 除 く 農 産 物 の 民 間 輸 出 が 自 由 化 された 国 内 のコメ 価 格 は 上 昇 し 1992 年 から 二 期 作 ( 乾 季 作 )が 推 進 されたこともあって 灌 漑 の 広 がりとと もにコメの 作 付 面 積 が 拡 大 した( 藤 田 2005) 2003 年 には コメ 供 出 制 度 の 廃 止 や 民 間 輸 出 の 解 禁 など コメ 市 場 の 自 由 化 が 進 んだものの 実 質 的 に 継 続 される 計 画 栽 培 と 輸 出 停 滞 の 中 で 供 給 がだぶつき 2001 年 に 33 円 /kg だったコメの 生 産 者 価 格 ( 実 質 )は 2011 年 には 19 円 /kg にまで 下 落 している( 図 3) 円 /kg(2011 年 水 準 ) 150 120 ラッカセイ ゴマ 2009~2011 年 1989~1991 年 平 均 平 均 との 比 コ メ 788 万 ha ( 1. 7 倍 ) マ メ 類 339 万 ha ( 6. 8 倍 ) ゴ マ 160 万 ha ( 1. 9 倍 ) ラッカセイ 87 万 ha ( 1. 7 倍 ) 作 物 合 計 1817 万 ha ( 2. 2 倍 ) 表 主 要 作 物 の 収 穫 面 積 マメ 類 は 乾 燥 用 のササゲ 属 とインゲン 属 と キマメの 合 計 資 料 : 国 連 食 糧 農 業 機 関 90 60 30 乾 燥 用 マメ コメ 0 1990 1995 2000 2005 2010 図 3 主 要 農 産 物 の 実 質 価 格 (1991~2011) インフレなどの 物 価 変 動 の 影 響 を 除 いた 価 格 1 チャット=0.1 円 換 算 資 料 : 国 連 食 糧 農 業 機 関 国 際 通 貨 基 金 世 界 銀 行 2
主 都 ネピドーの 河 川 灌 漑 水 田 水 路 から 農 道 に 水 が 溢 れている(2013 年 10 月 筆 者 撮 影 以 下 の 写 真 も 同 じ) 化 学 肥 料 の 少 なさ ミャンマーのコメ 単 収 は ベトナムなど 他 のアジアのコメ 生 産 国 と 比 べると 低 い 水 準 にある( 図 4) この 大 きな 要 因 の1つは コメ 価 格 が 低 い 一 方 で 化 学 肥 料 や 農 薬 などの 投 入 財 価 格 が 高 いため これ らを 十 分 な 量 使 用 できないことにある kg/10a 0 200 400 600 ミャンマー 米 国 推 計 値 政 府 値 インドネシア ベ ト ナ ム 日 本 図 4 コメ 単 収 ( 籾 重 )の 比 較 (2010~2012 年 平 均 ) 資 料 : 国 連 食 糧 農 業 機 関 (ミャンマーの 政 府 値 インドネシア ベトナム 日 本 ) 米 国 農 務 省 (ミャンマーの 米 国 推 計 値 ) 化 学 肥 料 の 例 を 見 てみよう 1970 年 代 後 半 以 降 日 本 などから 化 学 肥 料 等 の 投 入 財 が 援 助 されていた が 米 欧 の 経 済 制 裁 以 降 これが 止 まり 市 場 経 済 化 とともに 政 府 の 投 入 財 への 補 助 金 も 縮 小 されていっ た 化 学 肥 料 はほとんどが 商 業 ベースで 取 引 されるようになり 多 くを 中 国 などからの 輸 入 に 頼 るよう になった このため 2008 年 に 世 界 の 化 学 肥 料 価 格 が 高 騰 した 際 に 国 内 価 格 もそれまでの 1.5~2 倍 3
の 水 準 に 跳 ね 上 がった 2009~2011 年 平 均 の 耕 地 永 年 作 物 地 当 たりの 化 学 肥 料 使 用 量 ( 成 分 換 算 )は 日 本 の 24kg/10a や ベトナムの 21kg/10a に 対 し ミャンマーは 0.7kg/10a と 極 めて 少 ない( 国 連 食 糧 農 業 機 関 ) このよう な 状 況 に 対 し 経 済 制 裁 緩 和 後 の 2012 年 には 三 井 物 産 がミャンマー 国 内 の 肥 料 工 場 改 修 を 検 討 2013 年 にはインドネシアの 国 営 企 業 PT Pupuk Indonesia Holding Company (PIHC)がミャンマーの 国 策 民 営 会 社 Myanmar Agribusiness Public Corporation (MAPCO)と 合 弁 で 工 場 建 設 を 計 画 するなど 国 内 で の 化 学 肥 料 増 産 を 狙 った 動 きが 見 られるようになっている 収 益 性 の 低 さ 農 産 物 の 低 生 産 性 の 要 因 として 肥 料 投 入 量 の 少 なさを 例 に 挙 げたが この 背 景 には 農 業 の 低 収 益 性 と いう 問 題 がある ミャンマー 農 業 灌 漑 省 は 農 産 物 増 収 のため 特 に 農 産 物 の 輸 出 と 首 都 ネピドーとデ ルタ 地 帯 での 機 械 化 農 業 の 推 進 に 関 心 を 示 している ミャンマーのコメは 長 粒 種 である 上 に 多 様 な 品 種 が 混 在 しているため 砕 米 率 が 高 く これがコメ 輸 出 停 滞 の 一 因 となっている これに 対 し ミャンマー 政 府 は 国 際 稲 研 究 所 や 世 界 銀 行 日 本 の 政 府 開 発 援 助 (ODA) 実 施 機 関 である JICA などと 協 力 しながら 優 良 種 子 の 開 発 と 普 及 を 試 みている また 最 近 は 2013 年 に 45 年 ぶりにミャンマー 米 を 日 本 に 輸 出 した 三 井 物 産 と MAPCO による 精 米 コメ 関 連 商 品 製 造 工 場 の 建 設 や 営 農 種 子 管 理 肥 料 導 入 などの 生 産 ノウハウの 移 転 と 東 南 アジアやアフリ カへのコメ 輸 出 の 拡 大 といった 動 きが 報 じられている ヤンゴン 市 街 から 南 西 に 位 置 するトゥワンテ 近 郊 の 田 植 え 長 い 棒 の 先 に 稲 を 挟 んで 移 植 している トゥワンテでは 2015 年 に 三 井 物 産 と MAPCO 合 弁 の 精 米 コメ 関 連 商 品 製 造 工 場 が 稼 働 する 計 画 4
耕 運 機 や 脱 穀 機 といった 農 機 は 化 学 肥 料 とは 違 って 急 速 に 普 及 してきた ミャンマー 政 府 は 地 域 に トラクターステーションを 設 置 して 農 民 に 貸 し 出 している 2012 年 末 日 本 政 府 は 貧 困 農 民 支 援 と して ネピドーとデルタ 地 域 のステーションに 農 機 を 整 備 するために 約 2 億 円 の 無 償 資 金 協 力 について の 書 簡 を 交 換 した 加 えて 2013 年 にはかつて 政 府 開 発 援 助 でミャンマーに 入 っていたクボタが ミャ ンマー 国 内 で 農 機 の 生 産 工 場 建 設 を 検 討 しているといった 報 道 もある なお 肥 料 や 機 械 の 投 入 量 増 加 は 農 業 生 産 性 とは 別 の 問 題 ともつながっている 高 橋 (2013)が 指 摘 するように 農 機 の 普 及 は 農 村 世 帯 の 約 半 数 を 占 めるという 土 地 無 し 農 民 の 雇 用 機 会 の 喪 失 を 引 き 起 こしかねない また 化 学 肥 料 や 農 薬 の 使 用 は 水 田 での 魚 やカエルの 生 息 を 難 しくし これらを 生 計 の 糧 とする 土 地 無 し 農 民 の 生 活 を 不 安 定 にするかもしれない 工 業 やサービス 業 の 拡 大 が このよう な 労 働 力 をうまく 吸 収 できるか 注 目 される ネピドーの 水 田 幹 線 道 路 沿 いには 機 械 化 圃 場 の 試 験 地 が 並 ぶが 近 くの 一 般 水 田 では 水 牛 やコブ 牛 と 台 車 をよく 見 かける 油 糧 作 物 とマメ 類 一 貫 して 優 先 的 な 作 物 とされるコメに 加 え 近 年 は 第 二 第 三 の 優 先 作 物 として ゴマやラッカセイ などの 油 糧 作 物 と マメ 類 の 増 産 が 目 指 されるようになっている ゴマの 生 産 量 は 2000 年 代 以 降 急 速 に 増 加 し 2010~2012 年 平 均 では 80 万 トンと 世 界 最 大 の 産 出 国 となっている 日 本 は 食 用 黒 ゴマの 多 くをミャンマーから 輸 入 しているが 国 内 で 生 産 されるゴマの ほとんどは 食 用 油 の 原 料 として 国 内 で 消 費 されていると 見 られる( 国 連 食 糧 機 関 ) ゴマ 油 やラッカセ イ 油 は 伝 統 的 に 多 く 消 費 されているものの 市 場 経 済 化 以 降 マレーシアなどから 60 円 /kg 程 度 の 安 価 なパーム 油 が 輸 入 されるようになり その 量 は 1987~1989 年 平 均 の1 万 トンから 2009~2011 年 には 37 万 トンにまで 増 加 した 2000 年 代 前 半 には 100~110 円 /kg の 水 準 にあったゴマやラッカセイの 生 産 者 価 格 ( 実 質 )は 2008 年 頃 から 下 落 を 続 けている( 図 3) 5
ヤンゴンのカレー(ヒン) 料 理 屋 で 食 べた 肉 の 炒 め 物 ミャンマーの 料 理 に は 油 が 多 く 使 われる ブラックマッペ(ケツルアズキ)やリョクトウ キマメなどのマメ 類 は 生 産 流 通 と 民 間 輸 出 が 自 由 化 された 1987~1988 年 以 降 価 格 の 上 昇 とともに 生 産 面 積 が 約 7 倍 にまで 急 増 した( 表 ) 2009~ 2011 年 平 均 の 輸 出 量 はカナダに 次 いで 世 界 第 2 位 の 120 万 トンとなり その 額 はコメの 1 億 円 や 魚 類 の 19 億 円 を 上 回 る 53 億 円 となっている(2011 年 度 ) 主 な 輸 出 先 はインドだが 日 本 も おしるこ 缶 飲 料 などに 使 われるタケアズキのような 雑 豆 を 一 定 の 量 輸 入 している 油 糧 作 物 とマメ 類 (ブラックマッペを 除 く)は 多 くが 中 央 乾 燥 地 で 生 産 されている( 図 1) 中 央 乾 燥 地 は 年 降 雨 量 が 700~1000mm(デルタ 地 帯 は 2500mm 日 本 は 1700mm)と 少 ない 上 に 農 地 の8 ~9 割 は 灌 漑 設 備 を 持 たない 天 水 地 である 特 に 中 央 乾 燥 地 のほぼ 中 央 を 南 北 に 走 るバゴー 山 脈 付 近 は 降 雨 が 不 安 定 でたびたび 干 ばつが 起 こる 干 ばつは 土 地 耕 作 権 を 持 つ 農 民 に 雇 われて 収 入 を 得 て 主 食 であるコメなどを 購 入 している 土 地 無 し 農 業 労 働 者 にとっては 深 刻 な 問 題 だろう 中 央 乾 燥 地 では 畜 産 業 や 小 規 模 産 業 も 十 分 に 発 達 していないため 貧 困 が 深 刻 な 地 域 として ミャンマー 政 府 が 問 題 解 決 に 力 を 入 れている 貧 困 とミャンマー 農 業 の 変 容 油 糧 作 物 やマメ 類 は コメと 同 じく 投 入 財 が 少 ないという 問 題 を 抱 えている しかし 中 央 乾 燥 地 の バゴー 山 脈 のように 天 水 に 依 存 した 農 業 が 営 まれる 地 域 では 肥 料 のような 投 入 財 を 増 やしても 干 ば つによってその 投 資 が 水 泡 に 帰 すかもしれない(JICA 2010) 貧 困 削 減 という 観 点 からは このような リスクを 回 避 するための 農 業 が 重 要 になるが JICA は 2007~2008 年 に 気 象 要 因 に 左 右 されにくいヤギ などの 普 及 を 試 みて 一 定 の 成 果 を 挙 げている 今 年 度 新 たに JICA の 専 門 家 が 中 央 乾 燥 地 に 派 遣 され る 予 定 であり 地 域 に 適 した 作 物 や 家 畜 節 水 農 業 の 普 及 といった 日 本 の 援 助 が 本 格 化 しつつある ミャンマー 政 府 は 貧 困 問 題 に 関 しては 中 央 乾 燥 地 に 注 力 しているが 少 数 民 族 が 居 住 する 山 岳 地 帯 6
にも 移 動 式 焼 畑 や 常 畑 化 に 伴 う 地 力 低 下 や 2006 年 と 比 べて 倍 以 上 に 拡 大 したケシ 栽 培 ケシ 栽 培 を 禁 止 した 地 域 での 貧 困 など 問 題 は 少 なくない JICA は 中 央 乾 燥 地 の 東 に 広 がるシャン 州 の 北 部 地 域 を 対 象 に 代 替 作 物 の 開 発 と 導 入 を 通 じたケシ 撲 滅 後 の 貧 困 削 減 のため 今 年 度 中 に 専 門 家 を 派 遣 すること になっている また 2012 年 末 には 日 本 政 府 によるミャンマーの 延 滞 債 務 取 り 消 しと 27 年 ぶりの 円 借 款 再 開 が 話 題 になったが この 一 部 は 少 数 民 族 地 域 の 道 路 や 電 力 などのインフラ 整 備 にも 使 われるこ とになっている 最 後 に 注 目 すべき 動 きとして 農 地 の 配 分 を 取 り 上 げる ミャンマーでは 2012 年 3 月 に 農 地 法 な どの 土 地 関 連 法 が 改 正 され 国 有 である 農 地 の 耕 作 権 の 売 買 や 譲 渡 相 続 などが 認 められることとなっ た ネピドーでの 聞 き 取 りによると ミャンマー 政 府 は 農 業 生 産 性 向 上 を 目 指 して 農 地 の 集 約 を 通 し た 機 械 化 農 業 推 進 のため 耕 作 権 の 確 定 を 進 めているが 情 報 の 錯 そうや 外 国 からの 移 民 による 組 織 的 な 土 地 買 収 が 生 じており 作 業 は 難 航 しているという フロンティア と 呼 ばれるようになったミャンマーの 農 業 は 外 国 政 府 の 援 助 や 企 業 の 進 出 制 度 変 化 といったうねりの 中 生 産 性 向 上 や 貧 困 削 減 といった 目 標 の 達 成 に 向 けて 大 きく 変 容 しつつある ように 見 える 主 な 参 考 文 献 JETRO(2013) 第 23 回 アジア オセアニア 主 要 都 市 地 域 の 投 資 関 連 コスト 比 較 調 査 レポート http://www.jetro.go.jp/world/asia/reports/07001392 JICA 三 祐 コンサルタンツ(2010)ミャンマー 国 中 央 乾 燥 地 における 貧 困 削 減 のための 地 域 開 発 計 画 調 査 最 終 報 告 書 ( 要 約 ) http://libopac.jica.go.jp/images/report/p0000253906.html 高 橋 昭 雄 ( 2013 ) 高 橋 昭 雄 東 大 教 授 の 農 村 見 聞 録 ( 飛 び 立 つ ミ ャ ン マ ー ) SankeiBiz http://www.sankeibiz.jp. 藤 田 幸 一 (2005)ミャンマー 移 行 経 済 の 変 容 : 市 場 と 統 制 のはざまで アジア 経 済 研 究 所 室 屋 有 宏 (2012)ミャンマーの 稲 作 農 業 : コメ 輸 出 大 国 の 可 能 性 と 課 題 農 林 金 融 38-55. 7