こ れ ま で の 保 健 物 理 Review of the Health Physics 辻 本 忠 Tadashi TSUJIMOTO 財 団 法 人 電 子 科 学 研 究 所 Electron Science Institute 1. はじめに 保 健 物 理 の 分 野 でお 世 話 になってから 50 年 近 くになる 温 故 知 新 ではないが 50 年 の 過 去 を 振 り 返 って 見 るのも 悪 くはないと 考 え 本 セミナーにおいて これまでの 保 健 物 理 という 演 題 で 述 べる 事 にした しかし 昔 から 賢 者 は 歴 史 に 学 び 愚 者 は 体 験 に 学 ぶ と 言 われている 私 は 賢 者 ではないので 私 の 体 験 から 述 べる 事 にする そのため かたりべ のようなものである 2. 保 健 物 理 とは 1942 年 Enrico Fermi によってシカゴ 大 学 で 世 界 最 初 の 原 子 炉 (シカゴ パイル)が 完 成 した この 原 子 炉 は 原 子 爆 弾 の 材 料 となるプルトニウムを 生 産 するために 作 られたもの である プルトニウムについては 人 体 に 障 害 を 及 ぼす 恐 れがある そこで 原 子 炉 が 完 成 するに 先 立 って A.H.Compton を 委 員 長 に 数 人 の 物 理 学 者 が 集 まり 原 子 炉 から 出 る 放 射 線 及 びプルトニウムのような 放 射 性 物 質 から 作 業 者 や 研 究 者 及 び 環 境 を 物 理 的 方 法 で 護 るた めの 研 究 を 始 めた そして この 人 達 の 研 究 部 門 は Health Physics Division と 呼 ばれ ていた Health Physics という 用 語 を 初 めて 用 いたのはこのときからである 保 健 物 理 と は Health Physics の 直 訳 である A.H.Compton は 保 健 物 理 とは 放 射 線 障 害 を 防 止 するた めに 安 全 な 被 ばくレベル 遮 へい 放 射 性 廃 棄 物 の 放 出 等 について 研 究 を 行 う と 述 べて いる その 後 原 子 力 の 開 発 に 伴 い この 分 野 が 急 激 に 発 達 していった 1956 年 アメリカで Health Physics Society が 設 立 した その 時 Health Physics とは 人 およびその 環 境 を 不 必 要 な 放 射 線 より 防 護 する 事 に 専 念 する 職 業 で Health Physicist は 放 射 線 防 護 についての 問 題 及 び 実 施 の 研 究 に 従 事 する 者 であると 言 われた K.Z.Morgan は 保 健 物 理 の 主 な 目 的 は 放 射 線 障 害 を 最 小 にし 放 射 線 から 受 ける 恩 恵 を 最 大 にする 事 である 保 健 物 理 の 職 務 は 放 射 線 障 害 を 防 止 することは 重 要 であるが 確 率 誤 差 が 非 常 に 大 きく 影 響 も 極 めて 小 さい 低 線 量 について 議 論 することではなく 放 射 線 に よる 恩 恵 を 増 進 させ 高 め 活 用 させることである と 言 っている ALARA の 考 え 方 である と 思 う しかし 研 究 者 は 論 文 を 書 かなければならない 実 学 では 論 文 になりにくい そ のため 微 量 放 射 線 の 人 体 影 響 及 びに 環 境 中 のラドン トロンに 興 味 を 持 つ これらは 保 健 物 理 の 支 流 であって 本 流 ではない 保 健 物 理 ( 学 )は 原 子 力 の 発 展 に 伴 って 急 激 に 発 達 した 新 しい 学 問 であり また 実 学 であ るので 学 問 体 系 を 構 築 するのは 非 常 に 難 しい そのため 人 によっていろいろと 見 解 の 相 違 がある また 実 学 であるので 時 代 の 影 響 を 大 きく 受 ける よって 一 義 的 に 定 義 する 事 が 非 常 に 難 しい これまで 放 射 線 の 人 に 与 える 影 響 は 身 体 的 影 響 と 遺 伝 的 影 響 に 区 分 さ れている 私 の 個 人 的 な 見 解 ではあるが 上 記 二 つの 影 響 に 心 理 的 な 影 響 を 付 加 させたい 放 射 線 に 対 する 心 理 的 な 影 響 で 健 康 に 害 を 及 ぼす 人 もいる また 保 健 物 理 の 守 備 範 囲 も 初 期 の 頃 は 保 健 物 理 とは 保 健 安 全 廃 棄 物 管 理 の 境 界 領 域 であると 元 放 射 線 医 学 総 合 研 50
究 所 の 佐 伯 氏 が 言 われていたが 現 在 では 廃 棄 物 管 理 はバックエンドとして 完 全 に 独 立 し ている 電 磁 界 ( 非 電 離 )に 対 する 影 響 も 保 健 物 理 の 領 域 に 取 り 入 れた 時 もあったが 今 では 独 立 して 活 動 されている 本 保 物 セミナーでは 初 期 のころより 考 え 方 が 同 じである ので 電 磁 界 の 健 康 影 響 もセミナーの 中 に 取 り 入 れている 保 健 物 理 では 放 射 線 の 人 に 与 える 影 響 と 言 うが 電 磁 界 では 電 磁 界 の 健 康 影 響 と 言 う 保 健 物 理 も 放 射 線 の 健 康 影 響 と 言 うべきかもしれない 昔 東 京 大 学 の 吉 沢 康 雄 教 授 の 研 究 室 は 放 射 線 健 康 管 理 学 教 室 であったと 思 う 私 の 個 人 的 考 えでは もう 一 歩 進 んで 放 射 線 の 安 心 科 学 にしたい 3. 日 本 保 健 物 理 協 議 会 の 誕 生 1961 年 ( 昭 和 36 年 )6 月 19 日 アメリカの Health Physics Society から 日 本 に 支 部 を 作 ってはどうかと 言 う 話 がきた 日 本 では 早 速 検 討 をはじめ 要 請 を 受 け 入 れることにな った そして 1962 年 ( 昭 和 37 年 )2 月 5 日 に Health Physics Society 日 本 支 部 が 設 立 し た 日 本 支 部 設 立 に 伴 い 2 月 15 日 に 日 本 保 健 物 理 協 議 会 が 誕 生 した 10 月 1 日 に 日 本 保 健 物 理 協 議 会 ニュース No.1 発 刊 している 1965 年 ( 昭 和 40 年 )12 月 International Radiation Protection Association(IRPA)が 結 成 された 日 本 保 健 物 理 協 議 会 の 会 員 約 300 名 が 創 立 会 員 として 入 会 した これを 機 に Health Physics Society 日 本 支 部 は 解 散 した 保 健 物 理 協 議 会 は IRPA の 日 本 における 唯 一 の 団 体 として 認 められている 日 本 保 健 物 理 協 議 会 の 第 1 研 究 発 表 会 は 1966 年 ( 昭 和 41 年 )2 月 に 東 京 工 業 大 学 で 行 わ れた 第 2 回 研 究 発 表 会 は 1967 年 ( 昭 和 42 年 )3 月 に 東 京 工 業 大 学 において 第 3 回 研 究 発 表 会 は 1968 年 ( 昭 和 43 年 )に 京 都 大 学 でおこなわれた 1974 年 ( 昭 和 49 年 )3 月 に 日 本 保 健 物 理 協 議 会 が 日 本 保 健 物 理 学 会 と 名 称 を 変 更 した IRPA 国 際 会 議 および 総 会 が 1966 年 ローマで 開 催 され 第 2 回 は 1970 年 英 国 で 開 催 された IRPA 第 10 回 国 際 会 議 が 日 本 の 広 島 国 際 会 議 場 で 開 催 された その 時 の 大 会 長 は 草 間 朋 子 先 生 である 保 健 物 理 協 議 会 の 設 立 当 時 の 経 緯 を 表 1 に 示 す 4. 原 子 力 研 究 所 と 保 健 物 理 1954 年 頃 の 日 本 の 科 学 者 は 原 子 力 研 究 に 反 対 していた しかし 当 時 少 数 野 党 の 改 進 党 の 代 議 士 であった 中 曽 根 康 弘 は これからは 原 子 力 の 時 代 で 原 子 力 の 研 究 が 必 要 である と 原 子 力 研 究 に 関 する 予 算 を 1954 年 の 第 19 国 会 で 通 過 させた 中 曽 根 康 弘 氏 は 国 家 の 方 針 を 決 めるのは 政 治 家 の 責 任 である といっている その 時 の 内 閣 総 理 大 臣 は 鳩 山 一 郎 氏 で 原 子 力 担 当 大 臣 は 正 力 松 太 郎 氏 である 鳩 山 一 郎 氏 の 孫 にあたる 現 内 閣 総 理 大 臣 鳩 山 由 紀 夫 氏 は 国 の 基 本 方 針 を 決 めるのは 政 治 家 の 責 任 である といって 官 僚 依 存 よりの 脱 却 をマニフェストで 公 約 している 少 し 大 げさではあるが 歴 史 は 繰 り 返 す 輪 廻 転 生 なる 言 葉 を 思 い 出 させる 1955 年 に 発 足 した 財 団 法 人 日 本 原 子 力 研 究 所 は 翌 年 の 1956 年 に 特 殊 法 人 日 本 原 子 力 研 究 所 として 再 出 発 した そして 原 子 力 研 究 所 の 中 に 保 健 物 理 部 が 設 けられた 昭 和 40 年 頃 になれば 研 究 所 の 職 員 数 は 2,000 人 近 くになり そのうち 保 健 物 理 部 の 人 数 は 200 名 程 度 であった 研 究 所 の 全 職 員 の 約 1 割 が 保 健 物 理 関 係 者 である この 人 数 の 割 り 振 りを 見 て も 当 時 保 健 物 理 が 如 何 に 重 要 視 されていたかがわかる 日 本 原 子 力 研 究 所 の 場 合 保 健 物 理 部 の 中 に 廃 棄 物 処 理 関 係 者 が 含 まれていた ところが 昭 和 38 年 に 設 立 された 京 都 大 学 原 子 炉 実 験 所 の 場 合 職 員 数 は 200 名 であったが 保 健 物 理 関 係 者 は 約 20 名 で 現 業 の 廃 棄 物 処 理 は 別 組 織 になっていた 廃 棄 物 関 係 者 を 含 めると 30 名 近 くになる 設 立 当 時 の 京 都 大 学 原 子 炉 実 験 所 の 組 織 図 を 図 -1 に 示 す 放 射 線 管 理 部 とは 放 射 線 管 理 の 現 業 とそれに 関 51
する 研 究 を 行 う 部 門 である 放 射 線 管 理 部 とは 別 に 保 健 物 理 管 理 室 が 設 けられている 保 健 物 理 室 の 室 長 は 放 射 線 取 扱 主 任 者 が 兼 ねており 放 射 線 障 害 防 止 のための 管 理 の 状 況 の 監 視 や 指 示 教 育 訓 練 および 放 射 線 安 全 上 の 問 題 について 各 部 門 間 の 連 絡 調 整 を 行 う 事 に なっていた この 組 織 は 設 立 当 時 のもので その 後 いろいろな 変 遷 を 経 て 大 きく 変 わっ てしまった しかし ここで 力 説 したいのは 原 子 力 研 究 が 始 まった 当 時 は 保 健 物 理 ( 放 射 線 管 理 )が 非 常 に 重 要 な 業 務 であり 研 究 テーマであったことは 間 違 いない また 当 時 は 現 業 を 行 いながら 研 究 を 行 う 管 理 部 門 であった 原 子 炉 安 全 委 員 会 原 子 炉 主 任 技 術 者 原 子 炉 部 門 総 長 所 長 中 央 管 理 室 保 健 物 理 管 理 室 放 射 性 廃 棄 物 処 理 部 門 放 射 線 管 理 部 門 保 健 物 理 委 員 会 放 射 線 取 扱 主 任 者 計 測 装 置 部 門 図 -1 京 都 大 学 原 子 炉 実 験 所 の 初 期 組 織 図 K.Z.Morgan は 原 子 力 研 究 所 の 中 の 保 健 物 理 の 位 置 付 けを 次 のように 述 べている 国 は 研 究 所 を 助 成 し 研 究 所 長 は 保 健 物 理 部 を 助 成 している そして 保 健 物 理 部 では 部 長 室 長 研 究 員 技 術 者 秘 書 などが 一 致 協 力 して 仕 事 を 進 めていく そして その 成 果 が 直 接 研 究 所 の 頭 脳 に 報 告 できるような 組 織 でなければならない 実 学 というものは 時 と 共 に 変 わって 行 くものである 原 子 炉 のような 大 型 施 設 を 作 るのも 一 つの 研 究 である この 時 には K.Z.Morgan が 言 われていたように 所 長 も 研 究 者 も 技 術 者 も 一 致 団 結 して 原 子 炉 の 建 設 に 立 ち 向 かう ところが 原 子 炉 が 稼 動 するようになるとそれ を 維 持 管 理 することも 研 究 の 一 つになる 京 都 大 学 原 子 炉 実 験 所 の 初 代 より 3 期 まで 所 長 を 勤 められた 柴 田 俊 一 先 生 は 常 に 管 理 優 先 研 究 尊 重 言 われていた ところが 文 部 省 が 各 大 学 の 評 価 を 行 った 際 に 京 都 大 学 原 子 炉 実 験 所 は A1 評 価 になった A1 とは 一 番 よい 評 価 であると 思 っていたが 一 番 悪 いという 事 が 後 でわかった それからという ものは 教 官 は 研 究 が 使 命 である そのため 研 究 優 先 管 理 尊 重 に 代 わっていった そ して 現 業 的 な 仕 事 は 技 官 に 任 せ 教 官 は 研 究 に 専 念 するようになった しかし 研 究 と いうものはこのように 画 一 的 なものではない 特 に 保 健 物 理 ( 放 射 線 管 理 )というものは 実 学 で 現 場 の 中 に 入 り 込 み 社 会 の 動 きについても 変 わっていかなければならない 52
西 暦 昭 和 月 日 6 19 1961 36 9 19 2 5 2 15 1962 37 5 21 表 -1 日 本 保 健 物 理 協 議 会 設 立 時 の 経 緯 学 会 の 活 動 Health Physics Society より 日 本 支 部 結 成 を 要 求 される 日 本 支 部 結 成 準 備 委 員 会 発 足 Health Physics Society 役 員 会 で 日 本 支 部 設 立 願 が 承 認 日 本 保 健 物 理 協 議 会 発 起 人 会 総 会 Health Physics Society 第 3 回 役 員 会 で Health Physics Society 日 本 支 部 定 款 承 認 10 1 日 本 保 健 物 理 協 議 会 ニュース No.1 発 刊 1 28 企 画 委 員 会 及 び 編 集 委 員 会 を 発 足 1963 38 2 14 6 10 総 会 及 び 年 会 ( 東 大 ) Health Physics Society 役 員 会 放 射 線 防 護 に 関 する 国 際 学 会 を 結 成 する 方 針 を 決 定 そのための 委 員 会 を 発 足 2 13 年 会 ( 都 市 センター 別 館 ) 1964 39 3 20 12 3 国 際 学 会 設 立 に 向 けて 米 英 日 仏 14 人 委 員 で 構 成 する 幹 部 会 発 足 国 際 放 射 線 防 護 学 会 (IRPA) 設 立 のために 暫 定 総 会 開 催 (パリ) 定 数 採 択 正 式 発 足 までの 臨 時 監 事 会 発 足 1965 2 17 年 会 ( 都 市 センター 別 館 ) 9 8 臨 時 総 会 開 催 IRPA に 加 盟 するため 協 議 会 の 定 款 を 変 更 40 IRPA への 加 盟 申 し 込 み あわせて 9 27 加 盟 決 定 時 に Health Physics Society 日 本 支 部 を 解 散 する 旨 申 請 1966 1967 41 42 12 17 IRPA への 加 盟 決 定 Health Physics Society 日 本 支 部 を 解 散 2 15~16 第 1 回 研 究 発 表 会 及 び 第 6 回 総 会 開 催 ( 東 京 工 業 大 学 ) 9 5~10 IRPA 第 1 回 国 際 会 議 第 1 回 総 会 (ローマ) ー ー 機 関 誌 保 健 物 理 Vol.1 No.1,2を 発 行 巻 頭 言 社 団 法 人 化 について 石 原 豊 秀 3 9~11 第 2 回 研 究 発 表 会 及 び 第 7 回 総 会 ( 東 京 工 大 ) - 機 関 誌 保 健 物 理 Vol.2 No.1,2,3を 発 行 巻 頭 言 保 健 物 理 の 今 後 の 課 題 }(K.Z.Morgan) 3 18~20 第 3 回 研 究 発 表 会 及 び 第 8 回 総 会 ( 京 都 大 学 ) 1968 43 ー ー 機 関 誌 保 健 物 理 Vol.2 No.4を 発 行 機 関 誌 保 健 物 理 Vol.3 No.1.2.3を 発 行 1974 49 3 1 日 本 保 健 物 理 協 議 会 を 日 本 保 健 物 理 学 会 に 改 名 2000 平 成 12 年 5 14~19 IRPA 第 10 回 国 際 会 議 第 10 回 総 会 ( 日 本 広 島 国 際 会 議 場 ) 大 会 長 草 間 朋 子 日 本 保 健 物 理 学 会 会 員 名 簿 ( 平 成 12 年 ) 日 本 保 健 物 理 学 会 年 表 より 引 用 53
5. 原 子 力 工 学 科 と 保 健 物 理 国 の 大 学 に 対 する 政 策 も 社 会 変 遷 によって 変 わっていく 戦 後 日 本 が 技 術 立 国 になら なければならないと 思 えば 工 学 部 を 各 大 学 に 作 った 医 者 が 必 要 と 思 えば 医 学 部 を 作 った 原 子 力 立 国 を 目 指 すために 1958 年 ( 昭 和 33 年 ) 頃 より 原 子 力 工 学 科 が 各 大 学 に 設 置 され た 表 2に 各 大 学 の 原 子 力 工 学 科 の 設 置 された 様 子 を 示 す ところが 原 子 力 発 電 所 の 新 立 地 が 難 しくなり 原 子 力 に 対 する 社 会 の 風 あたりが 悪 くな り 学 生 も 集 まらなくなると 原 子 力 工 学 科 が 改 組 されてしまった ところが 最 近 になり アメリカが 原 子 力 発 電 に 積 極 的 になると 日 本 でも 原 子 力 ルネッサンス と 叫 び 再 び 原 子 力 工 学 科 の 設 置 が 計 画 されはじめている 鳩 山 由 紀 夫 首 相 は 9 月 22 日 に 国 連 気 候 変 動 サミットで 日 本 の 温 暖 化 ガスの 中 期 目 標 につ いて 2020 年 までに 1990 年 比 で 25% 削 減 を 目 指 す と 表 明 した この 目 標 を 達 成 するには 原 子 力 発 電 所 の 役 割 が 非 常 に 重 要 になる 原 子 力 発 電 所 を 発 展 させるには 保 健 物 理 の 活 動 が 必 須 である 人 材 というものは 急 に 育 つものではない これからも 原 子 力 発 電 を 発 展 さ せていくには 保 健 物 理 が 活 動 しなければならない それには 国 および 原 子 力 関 係 者 はも っと 保 健 物 理 ( 学 )を 理 解 していただかなければならない 保 健 物 理 は 人 に 対 する 学 問 である これからは 人 間 工 学 的 な 考 えを 取 り 入 れた 保 健 物 理 を 構 築 していかなければなら ない 原 子 力 工 学 科 が 設 立 された 当 時 はどこの 大 学 にも 保 健 物 理 の 科 目 があった 大 阪 大 学 の 例 を 挙 げると 大 阪 大 学 の 原 子 力 工 学 科 の 必 修 科 目 は 原 子 力 の 実 験 を 除 けば 保 健 物 理 だけである このように 原 子 力 工 学 科 設 立 時 には 総 ての 大 学 で 講 義 が 行 われていたが い ろいろな 理 由 で 保 健 物 理 の 学 科 が 改 組 されてしまった そこで 保 健 物 理 を 専 攻 されてい る 某 教 授 が 保 健 物 理 の 人 材 育 成 とため 保 健 物 理 の 講 座 を 作 ってくれるように 文 部 科 学 省 に 申 し 入 れを 行 った 文 部 省 は すべての 原 子 力 工 学 科 等 に 保 健 物 理 の 講 座 を 設 けたは ずである という 返 事 であった このような 傾 向 は 大 学 だけではなかった 十 分 に 調 査 していないが 東 京 電 力 は 1973 年 ( 昭 和 48 年 )11 月 に 保 健 物 理 の 業 務 を 行 う 原 子 力 保 健 安 全 センター が 設 立 された ところが 1996 年 ( 平 成 8 年 )6 月 に 廃 止 されている 関 西 電 力 の 場 合 は 1974 年 ( 昭 和 49 年 )6 月 に 原 子 力 保 健 管 理 室 が 設 立 された ところが 1986 年 ( 昭 和 61 年 )6 月 に 廃 止 されている 表 -2 原 子 力 学 科 等 の 設 立 年 度 西 暦 昭 和 大 学 学 科 名 1956 31 東 海 大 学 原 子 力 工 学 専 攻 設 置 東 海 大 学 応 用 理 学 科 原 子 力 工 学 専 攻 1957 32 東 京 工 業 大 学 原 子 核 工 学 専 攻 京 都 大 学 原 子 核 工 学 専 攻 大 阪 大 学 原 子 力 工 学 専 攻 1958 33 東 北 大 学 原 子 核 工 学 専 攻 京 都 大 学 原 子 核 工 学 科 1960 35 東 京 大 学 原 子 力 工 学 科 1961 36 近 畿 大 学 原 子 炉 工 学 科 1962 37 東 北 大 学 原 子 核 工 学 科 東 京 商 船 大 学 機 関 学 科 大 阪 大 学 原 子 力 工 学 科 1964 39 東 京 大 学 原 子 力 工 学 専 攻 1966 41 名 古 屋 大 学 原 子 核 工 学 科 1967 42 北 海 道 大 学 原 子 工 学 科 九 州 大 学 応 用 原 子 核 工 学 科 54
6. 保 健 物 理 研 究 センターについて 日 本 学 術 会 議 は 1978 年 ( 昭 和 53 年 )10 月 の 第 51 回 総 会 で 放 射 線 の 防 護 に 関 する 基 礎 的 な 研 究 を 速 やかに 進 めることが 緊 急 な 社 会 的 要 請 である とする 放 射 線 影 響 研 究 の 推 進 について の 勧 告 が 採 択 された 1983 年 ( 昭 和 58 年 )10 月 の 第 91 回 総 会 で 採 択 され た 勧 告 大 学 関 係 を 中 心 とした 原 子 力 基 礎 研 究 並 びに 放 射 線 影 響 研 究 の 推 進 についてにお いて 我 が 国 における 保 健 物 理 教 育 研 究 の 充 実 の 必 要 性 と 緊 急 性 を 訴 えている 本 勧 告 に 基 づき 保 健 物 理 研 究 センターの 設 立 のための 概 算 要 求 を 昭 和 59 年 度 から 京 都 大 学 原 子 炉 実 験 所 を 窓 口 として 行 われた 結 果 として 平 成 4 年 度 まで 概 算 要 求 が 継 続 して 行 われて きたが 平 成 4 年 にいたって 京 都 大 学 原 子 炉 実 験 所 のあり 方 が 文 部 省 学 術 審 議 会 の 検 討 課 題 とされるところとなり 保 険 物 理 研 究 センターの 設 立 が 断 ち 切 れとなった 保 健 物 理 研 究 センターと 同 じように 勧 告 された 環 境 放 射 能 研 究 所 と 放 射 線 障 害 基 礎 研 究 所 は 学 術 会 議 の 勧 告 を 受 けて 文 部 科 学 省 は 昭 和 50 年 に 金 沢 大 学 理 学 部 に 低 レベル 放 射 能 研 究 施 設 を 昭 和 51 年 に 京 都 大 学 に 放 射 線 生 物 研 究 センターを 設 立 している 55
表 -3 保 健 物 理 研 究 センター 計 画 の 沿 革 年 月 概 要 1979 11 放 射 線 影 響 研 究 将 来 計 画 案 作 成 ( 環 境 放 射 能 分 野 ) 1980 1 保 健 物 理 学 会 保 健 物 理 将 来 計 画 小 委 員 会 発 足 ( 桂 山 委 員 長 ) 2 放 射 線 影 響 研 究 将 来 計 画 保 健 物 理 分 野 原 子 力 環 境 安 全 基 礎 研 究 所 ( 仮 称 ) 設 立 案 作 成 (15 部 門 ) 3 放 射 線 影 響 研 究 将 来 計 画 検 討 小 委 員 会 発 足 ( 近 藤 宗 平 委 員 長 ) 7 保 健 物 理 学 会 将 来 計 画 小 委 員 会 保 健 物 理 学 関 連 分 野 の 教 育 に 関 する 実 態 調 査 7 放 射 線 影 響 研 究 将 来 計 画 作 成 ( 環 境 放 射 能 分 野 ) 1981 9 放 射 線 影 響 研 究 に 関 する 将 来 計 画 作 成 ( 第 二 次 案 研 究 推 進 の 基 本 案 ) 11 同 上 ( 第 3 次 案 8+3 部 門 114 名 ) 1982 11 保 健 物 理 学 会 保 健 物 理 将 来 計 画 委 員 会 報 告 書 作 成 (8+3 部 門 114 名 ) 12 学 術 会 議 長 期 研 究 計 画 委 員 会 3センター 計 画 縮 小 案 保 物 センターの 受 け 皿 として 京 大 炉 の 決 まる 1983 2 原 研 連 大 学 関 係 原 子 力 研 究 将 来 計 画 ( 第 一 次 案 ) 作 成 6 科 学 研 究 総 合 研 究 (B), 代 表 者 吉 沢 教 授 6 放 射 線 影 響 研 究 の 第 11 期 将 来 計 画 9 大 学 関 係 を 中 心 とした 原 子 力 基 盤 研 究 並 びに 放 射 線 影 響 研 究 の 推 進 について 勧 告 案 ( 保 物 センター4+2 部 門 71 名 ) 9 日 本 学 術 会 議 (エネルギー 特 別 委 員 会 長 期 計 画 特 別 委 員 会 9 原 子 力 研 究 連 絡 委 員 会 放 射 線 影 響 研 究 連 絡 会 ) 11 日 本 学 術 会 議 の 勧 告 ( 第 91 回 総 会 ) 1984 1 放 射 線 影 響 研 究 連 絡 会 ( 岡 田 委 員 長 )より 全 国 共 同 之 利 用 として 京 都 大 学 に 保 健 物 理 研 究 センター 設 立 の 要 請 ( 沢 田 総 長 宛 ) 1 京 都 大 学 原 子 炉 実 験 所 において 保 健 物 理 研 究 センター 計 画 専 門 研 究 会 は 発 足 2 京 都 大 学 原 子 炉 実 験 所 協 議 委 員 会 において 同 案 の 概 算 要 求 提 出 が 承 認 4 京 都 大 学 原 子 力 研 究 整 備 委 員 会 にて 同 案 が 承 認 5 京 都 大 学 部 局 長 会 議 及 び 評 議 会 においても 同 案 が 承 認 1985 9 学 術 会 議 放 射 線 影 響 研 究 連 絡 委 員 会 にて 経 過 説 明 ( 桂 山 教 授 ) 1986 3 学 術 会 議 近 藤 滋 郎 会 長 に 協 力 要 請 ( 桂 山 教 授 ) 4 京 都 大 学 原 子 力 整 備 委 員 会 にて 同 案 の 概 算 要 求 説 明 ( 原 子 炉 実 験 所 所 長 ) 1987 5 京 大 総 長 ヒヤリング( 原 子 炉 実 験 所 事 務 部 長 ) 8 概 算 要 求 修 正 案 作 成 (5+1 部 門 45 名 3 年 計 画 ) 1988 3 保 健 物 理 研 究 計 画 専 門 研 究 会 開 催 1989 8 保 健 物 理 研 究 センター 計 画 に 関 するシンポジュウム 開 催 1990 3 保 健 物 理 学 の 今 後 の 展 望 に 関 する 研 究 会 開 催 3 保 健 物 理 研 究 センター 計 画 検 討 委 員 会 開 催 56