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Transcription:

訳者解説 慎改康之 真理の勇気 ( 筑摩書房 2012 年 ) 所収 これは MicrosoftWord によって作成した原稿を pdf 形式に変換したものです 真理の勇気 に収録されているテクストと若干異なる部分があります

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主体と真理 自分がどのような経路を辿ってパレーシアという概念に到達したのかということに関して フーコーは 八四年の初回講義において明瞭なやり方で語っている 彼によれば 自分の研究活動のそもそもの出発点にあったのは 主体と真理との関係をめぐる問題であったという その問題を 彼は当初 主体に関して真理を語ろうという試みがどのようにしてなされてきたのか 主体はどのようにして知の対象として構成されてきたのか というかたちで提起していた そしてある時期以来 やはり主体と真理との関係に対する同じ関心から出発して 彼は別のやり方で問題を提起することになる つまり しかじかの主体に関して語られる真理の言説についてではなく 主体が自己自身に関して語る真理の言説について 考察がなされるようになるということだ ところで そうした新たな探究を進めるなかでフーコーが気づいたのは 自己自身の真理を語るという営みが 古代においては 自己への配慮 という原則にもとづいて行われる自己の実践のなかで義務として課されるものであったということ そしてそうした義務が果たされるためには ある種の資格を持つ補助者ないしパートナーの存在が不可欠とされていたということである 自己の真理は それに耳を傾けたり助言を与えたりする他者の現前を拠り所として述べられなければならなかったということ そして そのような役割を果たす者としての他者にとって必要とされていた資格 それこそが 勇気をもって率直に語ることとしてのパレーシアだったのである 以上のとおり フーコーがパレーシア概念に注目することになった経緯については そのほとんどが彼自身によってはっきりと述べられている したがってここでは 次の点に関して簡単に補足するだけで十分であろう すなわち 主体と真理との関係に対する関心は フーコーにとってただ単に一つの出発点であっただけではなく 彼の著作活動全体を貫く恒常的関心でもあるということ そして 一九八〇年代の彼の研究における大きな方向転換の背景にあるのも まさしくそうした関心の恒常性に他ならないということである 主体と真理との関係こそが常にフーコーにとっての問題であったということ これは とりわけ晩年の講義や対談のなかで彼自身が繰り返し述べていることである そしてそれが単なる回顧的な捉え直しすぎないものではないということを 一九六〇年代以来の彼の一連の著作が明らかに示している まず 狂気の歴史 や 言葉と物 といった一九六〇年代のフーコーの著作においては 主体と真理との関係をめぐる問題が もっぱら 人 3

間主体を知の特権的な対象として定めるものとしての人間主義的ないし人間学的思考の問題化というかたちで扱われる 次に 七〇年代において 監獄の誕生 さらに 性の歴史 第一巻 知への意志 のなかで行われるのは 非行性 や セクシュアリティ といった概念が孕む問題に注目しつつ 主体に何らかの真理が組み込まれる際に作動する権力のメカニズムを読み解こうとする試みである そして最後に 八四年の 快楽の活用 と 自己への配慮 第一巻から八年の後に 性の歴史 第二巻および第三巻として著されたそれらの書物のうちに見いだされる研究計画の大幅な変更は まさしく 主体と真理との関係をめぐる問題を 当初の構想とは別のやり方で提起する必要性が生じたことによってもたらされたものである 快楽の活用 序文のフーコーの言葉を真剣に受け止めなければなるまい 彼がそこで述べているのは 十八世紀以降のセクシュアリティの経験を分析するという企図に着手する前に まず 個人が自らの欲望のなかに自分の真理を解読しようと努める身振りについての歴史的な検討を試みなければならないと思われたということである つまり 性の主体に関する真理の言説を分析するためには それを近代における権力のメカニズムとの関連で扱うその前に キリスト教の長い伝統から受け継いだと思われる主体の解釈学の系譜を辿る必要があったということだ こうして セクシュアリティをめぐる研究は 大きく時代を遡り フーコーにとって馴染みの薄かった古代ギリシア ローマへと移動して 個人が自らを欲望の主体として構成するに至る歴史的プロセスの探査へと向かうことになるのである このように 主体と真理との関係への関心は フーコーの著作全体を貫き それを導いているのであり 多岐にわたる彼の研究活動は 実は 一つの同じ問題をめぐる変奏に他ならないとすら思われるのだ パレーシア分析の位置づけ パレーシアに話を戻そう 主体と真理との関係という問題から出発し 自己に関する真理の言説をめぐる系譜学的研究を進めるなかで見いだされたパレーシア概念 そのパレーシア概念が 最晩年のフーコーの研究をかくも大きく方向づけることになったという事実を いったいどのように考えればよいのだろうか この問いに対しても まずは初回講義におけるフーコー自身の言葉が一つの手がかりを与えてくれるだろう 彼によれば パレーシアに関する考察は 真理陳述の諸様式 統治性の諸技術 自己の実践の諸形態という 彼が研究を試みてきた三つのテーマを一緒に結び合わせてくれるものであるという つまり もともとは政治的実践に根を下ろし 次い 4

で道徳的主体の構成の領域へと向きを変える真理の言説として パレーシアは 彼の研究の三つの軸に同時にかかわるものであるということだ そしてここからフーコーは 自己と他者の統治 における政治的パレーシアの分析を次のように正当化することになる 政治的実践の領野においてパレーシアをとり上げ直すことによって 八三年講義は 自己の真理を語るという営みに関する分析を それ以前に自分が扱っていた統治のテーマに合流させることができた 政治的パレーシアに専心したことによって研究の直接的企図から少々遠ざかることになったとはいえ その不都合は 主体と真理とのあいだに作用する権力の諸関係というテーマに接近できたことによって十分に埋め合わされたのだ と それでは 八三年講義がそのような意義を持つものであるとすれば 八四年講義はどうだろうか もはや政治的パレーシアではなく倫理的パレーシアが中心に据えられている考察は フーコーの研究のなかでいったいどのような役割を担っているのか この問いに対しては キュニコス主義に捧げられた分析の位置づけに注目することによって 次のように答えることができるだろう すなわち 自己と他者の統治 によるいわば準備的な考察の後 真理の勇気 が提示している倫理的パレーシアについての分析は 自己の真理を語る実践に関する探究という本来の企図の内部そのもののうちに明確に位置づけられるものである と 八四年講義においてフーコーは 倫理的パレーシアのなかでもとりわけ その特殊な形態としての古代キュニコス主義について 長い時間を割いて考察している ソクラテス的パレーシアに関する分析の後で 自らのスキャンダラスな生そのものを真理の証言とするものとしてのキュニコス主義的真理陳述の様式が 詳細な検討に付されているということだ そしてそこでフーコーが強調するのは そのキュニコス主義的パレーシアの分析によって ギリシア ラテン的なものとキリスト教的なものとのあいだにある種の関係を打ち立てることが可能になるということである つまり キュニコス派は 一方においてソクラテス的な配慮を相続する者であると同時に 他方においてはキリスト教的な忍耐や禁欲をすでに幾分含意する者でもあることによって 一方から他方への移行がどのようにして起こるのかを考える材料を提供してくれるということだ ところで 講義の位置づけ のなかでもフレデリック グロ氏によって指摘されているとおり 自己に関する真理の言説の問題を扱うにあたってフーコーがまず明らかにしていたこと それは そうした言説が置かれていた歴史的枠組みが 異教の文化とキリスト教文化において根本的に異なるということであった つまり彼は 自己への配慮 の原則にもとづく古代における主体化の様式と 自己の放棄と他者への服従という原則にもとづく主体化の様式とのあいだに 5

いわば乗り越えがたい断絶を設けていたのである そうした根本的対立が示されていたところに キュニコス主義的パレーシアについての分析は それらのあいだの中間的ないし媒介的形象があったということを明らかにする 異教的な実践とキリスト教的な実践とのあいだの連続性と差異が キュニコス主義の分析を介してあらためて問い直されることになるのだ そして最終回の講義では キュニコス主義的修練主義からキリスト教的修徳主義への移行についての研究が まさしくパレーシアの語義の変化を手がかりとしつつ今後なされるべきものとして予告されることになるだろう このように 真理の勇気 において展開されているパレーシア分析は 自己に関して真理を語る実践の系譜を辿るためにキリスト教の長い伝統を遡るというフーコーの直接的企図の内部そのものにおいて 一つの明確かつ具体的な役割を担っているのである 現在 とパレーシア 最後に パレーシア研究と 現在 との関連について これはもちろん フーコーが古代史研究のなかで見いだしたパレーシア概念について その現在的価値を測ろうとするものではない つまり 歴史的形象としてのパレーシアをめぐって彼が提示した考察そのもののうちに 新たな倫理の創出への手がかりを看取しようとしたり 現代の知識人の役割を問い直す身振りを見いだそうとしたりすることが問題ではないということだ 実際 この種のアナクロニズムはまさしく フーコー自身が次のように語りつつ徹底して拒絶していたものである 現在の問題を解決する方法が 別の時代に提起された別の問題に対する解決策のなかに見いだされることなど決してない と したがって パレーシア分析と 現在 との関係を問う とは 古代史研究のなかで見いだされたこの概念を我々の時代においてそのまま価値づける術を模索するということではない そうではなくて ここで問いたいのは次のようなことだ すなわち フーコーの歴史研究が 周知のとおり 常に今日的状況を出発点とし それについての診断を目的としてなされるものであるとしたら ここに提示されているようなものとしてのパレーシア研究を どのような 現在 とどのようにかかわるものとしてとらえればよいのか と これに関してもやはり 初回講義のフーコーの言葉のなかに一つの示唆を見いだすことができる 彼によれば 古代のパレーシアについて研究すること それは 医師と患者 聴罪司祭と告解者といったカップルを中心として後に組織化されることになる実践に関して その前史を研究するようなものであるという つまり 自己に関する 真なることを 6

語ること の実践がいかにして現在の我々が目にしているような形態をとるようになったのかという問題を考察するにあたって そうした実践がいまだ制度化される以前にすでに必要としていた他者の資格についての検討は ある種の準備的作業としての価値を持つだろう ということだ そして 先ほど明らかにしたとおり パレーシア分析が 自己の真理を語るという実践が置かれていた歴史的文脈の変容を明らかにするために役立つものであるということを考え合わせるなら さらに次のように言うことができるだろう すなわち パレーシアをめぐる研究は 自己に関して真理を語る実践の古代における構成要素の一つにかかわることによってのみならず そうした実践を含むより大きな枠組みにかかわることによっても 現在の制度的実践に関する系譜学的考察に貢献するものである と パレーシアとは 古代における自己の真理を語る実践を部分的に特徴づけるためにだけではなく そもそもそうした実践を義務として要請した歴史的台座のようなものを把握するためにも 精査すべきものなのだ 自己に関する 真なることを語ること の今日における制度的形態をその系譜を辿ることによって問題化するという フーコーによって企図された現在の診断の仕事の内部に パレーシア研究はこのように明確に組み入れられているのである 主体と真理との関係への恒常的関心のもと 主体が自分自身について真理を語る実践の今日的状況から出発しつつ その系譜を辿るべく古代へと遡って研究を進めるなかで そうした実践の古代における根本的変容を把握するための重要な手がかりを提供するものとして見いだされ そのようなものとして扱われているのが 他ならぬパレーシア概念であるということ もちろん 以上によって最晩年のフーコーによるパレーシア分析全体の意義が汲み尽くされるなどと言いたいのではない 真理表明術の諸形式 とフーコーが呼ぶものの内部におけるパレーシアの機能や フーコーが挙げるいくつかの 哲学的態度 とパレーシアとの関連などについて より詳細な検討を行う必要があるだろう しかし もしパレーシア分析がそのようにさらなる大きな射程を含意するものであるとすれば それだけいっそう まずは研究の本来的企図におけるこの概念の具体的な役割を明確にしておくことが肝要であろう 一九八四年六月に他界するフーコーの コレージュ ド フランスにおける最後の講義を前にして さまざまな臆測に身を委ねる誘惑をひとまず自らに禁じつつ そこで語られている言葉が彼の研究全体のなかでどのように位置づけられうるのかを可能な限り正確に把握しようと試みること これが ようやくにして我々のもとに届いた彼の最後の声に耳を傾ける際の 欠かすことのできぬ最初の身振りであるように思われるのだ 7

* ここで 本訳書に関するいくつかの注記を加えておきたい まず 訳語の選択に関して二点 第一に とりわけ本書の後半部分において重要な役割を担うことになる «ascétisme» という語には キュニコス主義について述べられている場合は 修練主義 キリスト教について述べられている場合には 修徳主義 さらにそれら二つにともに関連する場合には 修練 = 修徳主義 という訳語を与え 必要に応じてカタカナでルビを振った 一般に 禁欲主義 と訳されることの多いこの語に対するこうした訳語の選択は 既に日本語訳が出版されている一九八一 一九八二年度講義 主体の解釈学 に倣ったものである 詳しくは 廣瀬浩司氏による訳者解説を参照していただきたい そして第二に 別の世界 (monde autre) と 他界(autre monde) 別の生(vie autre) と もう一つの生(autre vie) という 二つのカップルについて 一見して明らかなとおり これら四つの表現にはすべて 他なる という意味を持つフランス語 «autre» が含まれている フーコーによる草稿の最後に 他性 (altérité) の問題が語られているだけに 他 という文字を使用して訳語を作成することができないかとも考えたのだが 日本語としての理解を優先した結果 上記のように訳し分けることになった なお 本書において 別の世界 は通常と異なる世界を 他界 はこの世とは別のものとしてのあの世を 別の生 は通常と異なる生を もう一つの生 は他界のなかで魂が得るであろう生を それぞれ意味している 以上の表現については 講義の位置づけ においても言及がなされているので そちらも参考にしていただければと思う 次に 古典語の問題について 本文中に登場するギリシア語は テクストの読みやすさを考えて できる限りカタカナで表記した 初出の場合や挿入句の場合など 必要に応じて添えたアルファベット表記は フランス語原書のなかの表記をそのまま転写したものである 日本の慣例とは異なる表記が少なからずあるが 読解に支障はないと思われるので どうかご容赦いただきたい また ギリシア語およびラテン語の文献からの引用文については 基本的に原文のフランス語訳を日本語に訳した したがって日本の古典研究における定訳とは異なる訳語が用いられている箇所も少なくないと思われるが この点についてもご理解いただけると幸いである なお 翻訳に際しては それぞれのテクストに関して複数の日本語訳を参照させ 8

ていただいた しかし 煩雑になるのを避けるため 注にはそれぞれについて主に使用した一つの訳書のみを挙げてある 最後に 一九八四年講義の録音の存在について WEB 上に «Portail Michel Foucault» (http://portail-michel-foucault.org/) なるサイトがあり そこで 真理の勇気 講義の録音をほぼ全体にわたって聴くことができる 翻訳にあたっては これを利用することで 転記ミスや誤植と思われる箇所について修正を施したり テクストの理解のために文脈を確認したりすることができた フランス語を話される方は原文や訳文を試練にかけるために そしてそうでない方も講義のリズムを体感するために ぜひ一度アクセスしていただきたい * もっぱら古代ギリシア ラテン文化が扱われている 真理の勇気 を翻訳するにあたっては 古典語に関する訳者の明らかな力量不足を補うため 明治学院大学文学部の同僚である水落健治氏にご協力いただいた ギリシア語やラテン語のカタカナ表記から その使用法やその一つひとつの語義に至るまで 訳稿全体を確認していただき 丁寧で有意義なご教示を授かることになった 氏のご指導なしに本訳書の完成がありえなかったのは明らかである また 明治学院大学大学院博士課程に在学し とりわけ八〇年代のフーコーに焦点を絞って研究を進めている藤山真氏からは 訳文に関していくつかの重要な指摘をいただいた お二人には この場を借りて心から御礼申し上げたい 今回もまた翻訳作業が当初の予定より大幅に遅れてしまい 筑摩書房の岩川氏にはいつもながら多大なるご迷惑をおかけしてしまった 氏の変わらぬ寛容にただただ深謝するばかりである 二〇一一年十一月十一日 慎改康之 9