146 中世思想研究 34 号 1 中世後期の論理学的言語理解 中世哲学の言葉理解は文法学と論理学において基礎づけられる. そこでは結局言葉 は 世界を記述する という働きをするものとして理解されていた一一この点をまず 検討しよう. 論理学は議論, 議論を構成する命題, さらにその命題を構成するもの

Similar documents
次は三段論法の例である.1 6 は妥当な推論であり,7, 8 は不妥当な推論である. [1] すべての犬は哺乳動物である. すべてのチワワは犬である. すべてのチワワは哺乳動物である. [3] いかなる喫煙者も声楽家ではない. ある喫煙者は女性である. ある女性は声楽家ではない. [5] ある学生は

人間文化総合講義 『1Q84』を哲学する!

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

課題研究の進め方 これは,10 年経験者研修講座の各教科の課題研究の研修で使っている資料をまとめたものです 課題研究の進め方 と 課題研究報告書の書き方 について, 教科を限定せずに一般的に紹介してありますので, 校内研修などにご活用ください

< F2D838F815B834E B B>

5月24日宿題小テスト

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

カルヴアン キリスト 教 綱 要 ~ カール パ)J,ト f 和 解 論 ~ カルヴアン fキリスト 教 綱 要 ~ Lehre~ ~ ~

第 33 回中世哲学会大会シンポジウム報告 159 に共通のくもの はないが共通のくこと がある 諸個人はく人 においてではな くく人であること において一致する そのくこと > status を原因として名称が設 置されているのであり, これに由来して名称は個体を ( 個々別々に限定してではな い

1/10 平成 29 年 3 月 24 日午後 1 時 37 分第 5 章ローレンツ変換と回転 第 5 章ローレンツ変換と回転 Ⅰ. 回転 第 3 章光速度不変の原理とローレンツ変換 では 時間の遅れをローレンツ変換 ct 移動 v相対 v相対 ct - x x - ct = c, x c 2 移動

Microsoft Word ws03Munchhausen2.doc

平成 30 年 1 月平成 29 年度全国学力 学習状況調査の結果と改善の方向 青森市立大野小学校 1 調査実施日平成 29 年 4 月 18 日 ( 火 ) 2 実施児童数第 6 学年 92 人 3 平均正答率 (%) 調 査 教 科 本 校 本 県 全 国 全国との差 国語 A( 主として知識

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

Taro-小学校第5学年国語科「ゆる

Microsoft Word - youshi1113

Ⅱ. 法第 3 条の 2 等の適用についての考え方 1. 法第 3 条の2 第 1 項の考え方について本条は 購入者等が訪問販売に係る売買契約等についての勧誘を受けるか否かという意思の自由を担保することを目的とするものであり まず法第 3 条の 2 第 1 項においては 訪問販売における事業者の強引

00_目次_Vol14-2.indd

融合規則 ( もっとも簡単な形, 選言的三段論法 ) ll mm ll mm これについては (ll mm) mmが推論の前提部になり mmであるから mmは常に偽となることがわかり ll mmはllと等しくなることがわかる 機械的には 分配則より (ll mm) mm (ll mm) 0 ll m

第 9 章 外国語 第 1 教科目標, 評価の観点及びその趣旨等 1 教科目標外国語を通じて, 言語や文化に対する理解を深め, 積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り, 聞くこと, 話すこと, 読むこと, 書くことなどのコミュニケーション能力の基礎を養う 2 評価の観点及びその趣旨

4.2 リスクリテラシーの修得 と受容との関 ( ) リスクリテラシーと 当該の科学技術に対する基礎知識と共に 科学技術のリスクやベネフィット あるいは受容の判断を適切に行う上で基本的に必要な思考方法を獲得している程度のこと GMOのリスクリテラシーは GMOの技術に関する基礎知識およびGMOのリス

1 高等学校学習指導要領との整合性 高等学校学習指導要領との整合性 ( 試験名 : 実用英語技能検定 ( 英検 )2 級 ) ⅰ) 試験の目的 出題方針について < 目的 > 英検 2 級は 4 技能における英語運用能力 (CEFR の B1 レベル ) を測定するテストである テスト課題においては

習う ということで 教育を受ける側の 意味合いになると思います また 教育者とした場合 その構造は 義 ( 案 ) では この考え方に基づき 教える ことと学ぶことはダイナミックな相互作用 と捉えています 教育する 者 となると思います 看護学教育の定義を これに当てはめると 教授学習過程する者 と

高齢者の場合には自分から積極的に相談に行くケースは少なく 表面化率は一層低いと考えなければならないこと したがって PIO-NETデータはきわめて重要なデータとして尊重すべきものであるとの意見があったことを追加頂きたい 2 理由などこの点については 調査会でも意見が出されています また 国民生活セン

本条は 購入者等が訪問販売に係る売買契約等についての勧誘を受けるか否かという意思の自由を担保することを目的とするものであり まず法第 3 条の2 第 1 項においては 訪問販売における事業者の強引な勧誘により 購入者等が望まない契約を締結させられることを防止するため 事業者が勧誘行為を始める前に 相

196 中世思想研究 33 号 めには, r ヒト とものとを等分に見比べて, 両者の聞に記号関係が成立しているこ とを, 予め知っていること (habitualis cognit io) が必要とされる. 他方, r 概念は記 号である という時に, オッカムの言う 記号 とは記号 I ではない.

untitled

とうきょう会議リレートーク

HからのつながりH J Hでは 欧米 という言葉が二回も出てきた Jではヨーロッパのことが書いてあったので Hにつながる 内開き 外開き 内開きのドアというのが 前の問題になっているから Hで欧米は内に開くと説明しているのに Jで内開きのドアのよさを説明 Hに続いて内開きのドアのよさを説明している

論理学補足文書 7. 恒真命題 恒偽命題 1. 恒真 恒偽 偶然的 それ以上分割できない命題が 要素命題, 要素命題から 否定 連言 選言 条件文 双 条件文 の論理演算で作られた命題が 複合命題 である 複合命題は, 命題記号と論理記号を 使って, 論理式で表現できる 複合命題の真偽は, 要素命題

第 2 学年 * 組保健体育科 ( 保健分野 ) 学習指導案 1 単元名生涯の各段階における健康 ( イ ) 結婚生活と健康 指導者間中大介 2 単元の目標 生涯の各段階における健康について, 課題の解決に向けての話し合いや模擬授業, ディベート形式のディスカッションなどの学習活動に意欲的に取り組む

夢を超えたもの_Culture A.indd

PISA 型読解力と国語科の融合 -PISA 型読解力とワークシート- ( ア ) 情報を取り出す PISA 型読解力ア情報の取り出しイ解釈ウ熟考 評価エ論述 情報を取り出す力 とは 文章の中から無目的あるいは雑多に取り出すことではない 目的つまりこの場合は学習課題に沿って 自己の判断を加えながらよ

徒 ことは 決して無視していいことではない を 看護婦になれなかった あるいは今もなれ のだ また 准看護婦が看護婦になるキャリア ない 自分のせいだと見なすことが少なくない アップの道が お礼奉公 と俗称される卒業 その意味では 准看護婦制度の問題点は重層化 後の勤務強制によって実質的に閉ざされて

紀要_第8号-表紙

10SS

四国大学紀要 Ser.A No.42,Ser.B No.39.pdf

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

<4D F736F F D208C51985F82CD82B682DF82CC88EA95E A>

<4D F736F F D20837D834E B95FB92F68EAE>

表1_4_ol

Microsoft Word - thesis.doc

Microsoft PowerPoint - 10.pptx

Try*・[

ひょうごつまずきポイント指導事例集について 次ページ 示 ポイント 過去 全国学力 学習状況調査 結果 うち 特 課題 あた問題をも 作成したひう 状況調査 等 結果 明 したも あ 各学年 領域 共通 内容 い た4ページ~5ページポイントをも 各領域 やそ 学習内容を整理した系統表を掲載しい 各

説明項目 1. 審査で注目すべき要求事項の変化点 2. 変化点に対応した審査はどうあるべきか 文書化した情報 外部 内部の課題の特定 リスク 機会 利害関係者の特定 QMS 適用範囲 3. ISO 9001:2015への移行 リーダーシップ パフォーマンス 組織の知識 その他 ( 考慮する 必要に応

法第 20 条は, 有期契約労働者の労働条件が期間の定めがあることにより無期契約労働者の労働条件と相違する場合, その相違は, 職務の内容 ( 労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度をいう 以下同じ ), 当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して, 有期契約労働者にとって不合

振動学特論火曜 1 限 TA332J 藤井康介 6 章スペクトルの平滑化 スペクトルの平滑化とはギザギザした地震波のフーリエ スペクトルやパワ スペクトルでは正確にスペクトルの山がどこにあるかはよく分からない このようなスペクトルから不純なものを取り去って 本当の性質を浮き彫


T_BJPG_ _Chapter3

研修シリーズ

Microsoft Word - ◎中高科

479x210_cover(m100y90c5).ai

第213回幹事会資料5別添2-3

Excelによる統計分析検定_知識編_小塚明_5_9章.indd

( 続紙 1 ) 京都大学博士 ( 法学 ) 氏名小塚真啓 論文題目 税法上の配当概念の意義と課題 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 法人から株主が受け取る配当が 株主においてなぜ所得として課税を受けるのかという疑問を出発点に 所得税法および法人税法上の配当概念について検討を加え 配当課税の課題を明

Microsoft PowerPoint - 2.ppt [互換モード]

mr0703.indd

国語科学習指導案

Adobe Photoshop PDF

O-27567

Microsoft Word - 小学校第6学年国語科「鳥獣戯画を読む」

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

切片 ( 定数項 ) ダミー 以下の単回帰モデルを考えよう これは賃金と就業年数の関係を分析している : ( 賃金関数 ) ここで Y i = α + β X i + u i, i =1,, n, u i ~ i.i.d. N(0, σ 2 ) Y i : 賃金の対数値, X i : 就業年数. (

主語と述語に気を付けながら場面に合ったことばを使おう 学年 小学校 2 年生 教科 ( 授業内容 ) 国語 ( 主語と述語 ) 情報提供者 品川区立台場小学校 学習活動の分類 B. 学習指導要領に例示されてはいないが 学習指導要領に示される各教科 等の内容を指導する中で実施するもの 教材タイプ ビジ

日本語「~ておく」の用法について

問 題

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

H30全国HP

<4D F736F F D E937893FC8A778E8E8CB196E291E8>

平成23年度全国学力・学習状況調査問題を活用した結果の分析   資料

スライド 1

<4D F736F F D E7793B188C D915F88E48FE38BB E646F63>

< F2D87408E7793B188C C993A190E690B6816A2E6A7464>

Microsoft Word - 佐々木和彦_A-050(校了)

JICA 事業評価ガイドライン ( 第 2 版 ) 独立行政法人国際協力機構 評価部 2014 年 5 月 1

教科 : 外国語科目 : コミュニケーション英語 Ⅰ 別紙 1 話すこと 学習指導要領ウ聞いたり読んだりしたこと 学んだことや経験したことに基づき 情報や考えなどについて 話し合ったり意見の交換をしたりする 都立工芸高校学力スタンダード 300~600 語程度の教科書の文章の内容を理解した後に 英語

創世記5 創世記2章4節b~25

< F2D8CA48B8689EF8E9197BF31352E6A7464>

第 2 問問題のねらい青年期と自己の形成の課題について, アイデンティティや防衛機制に関する概念や理論等を活用して, 進路決定や日常生活の葛藤について考察する力を問うとともに, 日本及び世界の宗教や文化をとらえる上で大切な知識や考え方についての理解を問う ( 夏休みの課題として複数のテーマについて調

7-Zip で作成する暗号化 ZIP ファイルの各種設定 Windows OS の標準機能で復号できるようにするには 次のように特定の設定をする必要がある (4) 作成する暗号化 ZIP ファイルの保存先とファイル名を指定する (5) アーカイブ形式として zip を選ぶ その他のアーカイブ形式を選

説明項目 1. 審査で注目すべき要求事項の変化点 2. 変化点に対応した審査はどうあるべきか 文書化した情報 外部 内部の課題の特定 リスク 機会 関連する利害関係者の特定 プロセスの計画 実施 3. ISO 14001:2015への移行 EMS 適用範囲 リーダーシップ パフォーマンス その他 (

信念文における信念者による指示と話し手による指示

Information Theory

Microsoft Word 資料1 プロダクト・バイ・プロセスクレームに関する審査基準の改訂についてv16

第 2 問 A 問題のねらいインターネット上の利用者の評価情報やイラストを参考に場面にふさわしい店を推測させることを通じて, 平易な英語で書かれた短い説明文の概要や要点を捉えたり, 情報を事実と意見に整理する力を問う 問 1 6 友人, 家族, 学校生活などの身の回りの事柄に関して平易な英語で書かれ

Microsoft Word - K-ピタゴラス数.doc

3 僕が蝶を一つ一つつぶしたのは償いのためであとすこれらは 生徒の感想や疑問をもとに教師が設定した人物像 行動 結末の意図に焦点を当てて3つに絞ったそれぞれを賛成 反対 2つの視点から読み進めていくには 討論会の形式で提示すことが有効であ討論会の班編成は まず課題に対して自分が肯定か否定かを考えさせ

Microsoft Word ã‡»ã…«ã‡ªã…¼ã…‹ã…žã…‹ã…³ã†¨åłºæœ›å•¤(佒芤喋çfl�)

<4D F736F F D FCD B90DB93AE96402E646F63>

論題 : 存在と分有 105 に, 発言なさった方と発言なさらなかった方から各一名づっ, 質問の形で見解を呈 示して下さるようお願いした これは本記録の末尾に掲載されている 提題 トマスのイデア論と残された問題 山田晶 1. ト 7 スのイデア論を理解するためには, それの前提をなす神, 創造, 及

untitled

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

KONNO PRINT

年 9 月 24 日 / 浪宏友ビジネス縁起観塾 / 法華経の現代的実践シリーズ 部下を育てない 事例甲課乙係のF 係長が年次有給休暇を 三日間連続でとった F 係長が三日も連続で休暇をとるのは珍しいことであった この三日の間 乙係からN 課長のところへ 決裁文書はあがらなかった N

Microsoft PowerPoint - なぜ格差社会は放置できないのか2 [互換モード]

PowerPoint Presentation

Try*・[

離散数学

Transcription:

不明な人物が考えられている, としています町. シンポジウム 145 以上のように見て来ますと, オッカムとクザーヌスとルターという三者が, 清水氏 と薗田氏がその要旨に記されている 唯名論 J, r 神秘主義 J, r フマニスムス という 三つのキー ワードで示されるであろうような, 太いきずなで結ぼれていることが明 らかです. それではこれから, この互いに関係を有する三者について, われわれの本 日のテーマ 中世におけるくことば )J に定位して, どのような提題がなされるか, 清水氏と薗田氏のお話しを大きな期待と共にお聞きしたいと思います. 註 1) Reinhol d Wei er, Das Thema vom verborgenen Gott von Nikolaus von Kues zu Martin Luther (Tr 町 1967), S. 8. 2) Fritz Hoffmann, Entw icklung und Harmoni si eru ng ー Zu r St ellu ng de s Nikolau s vo n Ku es in der Geschic ht e des Erkennt ni sproblem, in: Mitteilungen und Forschungsbeiträ ge der Cusanus. Gesellschaft Bd. 12 (M ainz, 1977) S. 82 任. 3) Hoffmann, Ibid. S. 82 任. 4) Nicolau s Cu sanu s, Compendium (O per a Omni a XI-3) C. 1. 5) Wei er, Ibid. S. 60; 204. 6) Wei er, Ibid. S. 207 提題 オッカムとルター 一一あるいは論理学者と十字架のことば学者一一 清水 哲郎 本提題は中世後期の ことば 理解のー断面を提示しようとするものである. すな わち, (1) オッカム主義ないし中世後期の唯名論に代表される論理学的言語理解はい かなるものであったか, (2) マルティン ルターはそれをく十字架の神学 の立場か らどのように批判したか, を分析する.

146 中世思想研究 34 号 1 中世後期の論理学的言語理解 中世哲学の言葉理解は文法学と論理学において基礎づけられる. そこでは結局言葉 は 世界を記述する という働きをするものとして理解されていた一一この点をまず 検討しよう. 論理学は議論, 議論を構成する命題, さらにその命題を構成するものとしての項辞 (te rmi nu s) を扱う. このうち項辞の諸性質の分析は中世論理学のひとつの特徴とし て知られる. オッカムによれば項辞 ( 少なくとも独義語 (c ategorematicu s)) は表示 (sig nific ati o) と代表 ( su ppo sitio) という働きないし機能をもつのであった. 代表 は伺々の命題一一それは真偽値を持つという仕方で世界に関わるーーを構成する際の 主語 述語項の性質であって, 項辞は, 少なくとも真なる命題においては, 世界の側 にある何か ( 個体 ) を指すという仕方で i 世界に関わっている. つまり主語が指すもの を, 述語も指しているという場合に命題は真となる. ただし 世界の側にある何か には項辞自体一一オッカムにおいてはそれは概念, 音声, 文字という三つの次元にま たがって存在するものであった一一ーも含まれる. こうして命題が真あるいは偽という 仕方で世界に関わるのは, それを構成する諸項辞のうち主たるものが, 世界内の存在 者を指す ( 代表する ) という仕方で世界に関わることと表裏一体である. また表示という働きは, 個々の命題から独立に項辞が帯びている以能であるが, これは結局このような代表作用において項辞が, 項辞自身ではないものを指す ( つまり個体代表する ) 場合に, 指し得る対象との関係において理解される. ただし, í 世界内存在者を指す, ないし表示する という点については, rだからといって代表ないし表示の対象が世界内に存在するとは限らなし という但し書きを, オッカム的唯名論の特徴として付け加えなければならなし 一一この点を以下で論じる. 代表 さて 熊が出た と誰かが言うのを開けば, 我々はそれを理解する. それが 真である時, í 熊 は実在の熊個体を代表して ( 指して ) いる. しかし我々はどの熊 個体だと分かるわけではない. ただある熊のことを指しているのだと了解している. それが個体を代表しているということである. 次に様相命題について考えると, r 吸血鬼は存在し得る は命題であって真か偽か である. つまりこの命題は世界について語っている. 命題が世界と関わる以上, その 構成要素である項辞 吸血鬼 も世界と関わっていることになる. それが 代表 と

シンポジウム 147 いう働きである. しかしここで非現実の可能世界を考えて, そこには吸血鬼個体が存在 すると考えられているのではない ; こう言って, 私はく単に可能な存在者の個体領域 を認める存在論にコミットしないオッカム解釈を採っている 1) では世界内には吸血 鬼個体の存在領域を置かないとするとどうなるかというと : í 吸血鬼は存在し得る と言うのを聞いて, í 吸血鬼が存在する という命題が真となることがあり得, その際には世界内のある個体を指して これは吸血鬼だ と言えることになると理解するのである. これがこの可能命題において 吸血鬼 が個体を指している ( 注意 せよ ; し得る ではなく している なのだ ) ことにほかならない. こうして結局, 様相 命題を事例にとってみても, 代表という機能は これがこれを指す という場ででは なく, í 聞いてわかる という場で理解すべきだということになる. 表示 次に表示について触れよう. 以上のように個々の命題の構成要素としての項 辞の代表作用を理解したうえで, 同じ項辞を, 個々の命題を構成するものとしてでは なしそれとして単独で考えた場合に, く表示 という働きについて考えることになる. 項辞が何かを表示する働きについては, ある文脈では項辞の表示するものはその項 辞が個体代表し得るものの総和であるとされる. しかし私たちは この項辞はこれと これを代表し得るから, これとこれを表示している などといちいち枚挙することはできない. むしろその項辞が聞く者の内に理解の働きをもたらすことが, その記号としての機能であり, このようなこととして表示作用も考えられるべきであろう (cf. OP 1,9, 60). では ひと と言われて, あるいは言って, 何が分かるのだろう. 少なくとも我々はそれは何らか個体的存在者であると分かる. それが個体を表示するということなのだ. また 吸血鬼 について語る可能肯定命題において, 既に述べたような仕方で, 吸血鬼 J は個体代表している. そこで 吸血鬼 は単独でもなにかを表示している. 私たちは聞いて分かるのである一一ーもしそれが存在するとしたら, それは人や猫と同 じような個体的存在者であろうことを. これが 吸血鬼 が個体を表示するというこ とである. こうして, í 吸血鬼 は個体を表示するが, しかし世界の側のどこにも, 対応する吸血鬼個体は見出されないということになる 2 ) さらに, オッカムは存在不可能なものの事例である キマエラ について, これに も表示の働きがあるが, 個体代表はしないとする. ここで キマエラ の表示作用に

148 中世思想研究 34 号 ついては, 個体代表し得るものを表示するという仕方の表示とは別の表示が考えられ ている (OP 1, 96, 27-35; 286, 9-20). すなわち, 例えば 非存在者 という否定的な いし除去的名称は 存在者 という首定的名 1可 が表示するものと同じもの (= 存在者 ) を, ただし肯定的にではなく否定的に, 表示する. 問様に, キマエラの名目的定義を 山羊と牛から成る動物 とすると, í キマエラ は 山羊 および 牛 が表示す るものと同じもの (= 山羊と牛 ) を表示する ( ただし, 代表はできない ). これは要 するに次のようなことだろう. í 非存在者 という語を, 私たちは 存在者 を思い 浮かべ, 次に 存在者ではな L とそれを打ち消すとし う仕方, いわばく打ち消しつ つ思い浮かべる とし う仕方で理解している. 同様に キマエラ という語で 山羊 であり ( つまり牛ではなく ), かつ牛である ( つまり山羊ではない )J と山羊と牛のそ れぞれをいわばく立てては打ち消しつつ 思い浮かべる. これが キマエラ の表示 作用であり, í キマエラ は, 存在するものおよび存在可能なものとは別の, 存在不 可能なものを表示するわけではないのである. 以上をまとめるならば, 言葉の記号としての働きについてはもっとも一般的には なにかを認識にもたらす aiiqu id facit in cog nitionem ven irej (OP 1, 9, 60) こ とと言えようつまりこれが 表示する ということである. 言い替えれば 聞いて 分かる とし う場面を離れて, í これはこれを表示する と, ただ言葉と世界内現実 存在者との間に成り立つ関係として語ることはできない. こうして代表にせよ表示にせよ, 項辞と世界の側にある諸個体との聞になんらかの 対応関係をつけるという仕方で, これを理解するのでは不十分なのである. 従ってま た 世界を記述する ということも, 同様の但し書きを付けて理解しなければならな いだろうわ. このような但し書きを伴いつつも, 中世論理学のなかで, 言葉は世界を記述するも のとして了解される. そして, もう一言付け加えるならば, 世界を言葉で 記述した上では, そのことばの場において, 世界についての他の記述の是非が吟味され得, また発見され得るとオッカムは考えている削. その吟味は 記述に矛盾を含まない限り, あらゆることを神はできる という観点からなされる. つまり, 記述されたことば問に成り立つ原理として, 矛盾律が基本的となるのである5)

ン γ ポジウム 149 2 ルターの十字架のことば学 ルターのことば理解はその卜字架の神学の文脈のなかで語られる. それは結局, 言 葉を世界を記述するものとして単純に理解することへの批判であった一一この点を次 に指摘したい. 論理学への批判的言及 ルターは 反スコラ神学討論 j] (1517) において, 中世論 理学とその手法に対する指否の姿勢を各所に見せている. 例えば様相論理における sen sus divisus と sens us compositus という区別を予定論に適用しでも無駄だとい い (W 1,225 ), íll 論理学的でない神学者はおそろしい異端だ とは, おそろしい, 異端の発言だ と一般に反撃し, 代表理論や三段論法を三位一体に適用することに反対し, 普遍を携えたポリュフィリオスなどいなかった方が良かったとする (WI, 226 ). しかし, ノレターはただやみくもに論理学を排斥しているわけではない. 2-1 逆説ルターの十字架の神学がもっともきれいに語られる ハイテソレベルク討論 j](1518) は, í 神学的逆説 J ( the ologiαparad oxa) と称する諸論題から成るが, 逆説という 形式で i 世界を語らざるを得ないところに, ルターの世界認識が論理学と衝突する基本 的な点がある. 論題 3. 人の業は常に立派で善いと見えるが, おそらくは死に到る罪である. 論題 4. 神の業は常に醜く, 悪しく見えるが, 実は不滅の功績である.(W 1, 353) ここに ía と見えるが, 突は非 A である という世界把握のあり方がある. < 逆説 parad oxa) と称するその記述形式は, ía でありかつ非 A であることはあり得なし という記述の原則に対峠している. 矛盾律を原則として, 見えるところに定位するの は intellectus だとされる. これに対し, 逆説的記述をもって, 見えるところと共にその背後に隠れた真実を認識することは conspectus という用語で特徴づけられる. 神は人の行為の見かけだけではなく, その心を見抜くと言われる際の, その神の眼差しは conspectus であった (W 1, 356). また人が自己の罪を認識する際の認識も, 隠れた神の認識も, conspectus と呼ばれる (W 1, 356; 362). conspectus という用請はラテン話聖書から採用したものだが, ルターは例えば神の認識に関して, ロマ書 (1 : 20) を援用しつつ, これに in te llectus と対比的な意味を込めるのである. 論題 19. 神学者と呼ばれるのに価するのは次のような人ではない. すなわち, 神の見えないところ一一造られたものを通して理解されたーーを見る者ではない ;

150 中世思想研究 34 号 ;命 題 20. そうではなく, 神の見えるところと背後一一受苦と十字架を通して見 られた一ーを理解する者こそそう呼ばれるに価する. (W 1, 354) 論題 19 が描くのは 栄光の神学 と呼ばれる道である. それは人間の認識を越えた ( 見えない ) 神を理解した上で, 直視しようとする. その際の道は 造られたものを 通して と特徴づけられる. それはまず被造物を認識し, それとの対比において神を 理解しようとすることを指すと共に, 自らの行為によって神にまみえる位置に到ろう とする道を指している. これに対して論題 20 において語られる 十字架の神学者 が 理解するのは, r 神の見えるところとその背後 (visi bi li a et po steriora Dei) とを co nspicere する という神認識のあり方である. それはひとつには, 十字架のキリス トを見, そこに現れている醜さ, 弱さを見つつ, それと共にそこに隠れた神一一人を 救うわざを今ゃなしつつある神を見る道である. またそれはひとつには, 自己の 罪の認識において, 自己が滅びに価する者であることを思い知らされるという受苦に おいて, 今や私を裁こうと私に迫ってくる義の神という現れの背後に, 隠れた神ーー すなわち実は私を慈しみ, 私を救済しようとしている神ーーを見る道である. 以上の限りでは, ルターは言葉を世界を記述するものとして使うこと自体を拒否し ているわけではない. そうではなく, 世界は単純に記述できるものではないとして, 矛盾律の単純ないし素朴な適用に反対している. もちろん, アリストテレス 詑弁論 駁論 j(5-2) に由来して, 中世論理学は ある観点のもとにかくかくであることと, 端的にかくかくであること (secundum qui d et si mpli citer)j という区別を知って いた. したがって, r Aと見えるが, 実は非 Aである という命題自体が真である可能性を語ることもできた. ルターが提起しているのは, 従って, 日下のテーマとなっている事柄に関して, 世界は単純ではなく複層的な構造をしていること, あるいは, 人間の現行の語業によっては, 陛界を逆説的な仕方でしか語れないということである. 2-2 善悪の逆転と混在次に以上で指摘した逆説の構造を, さらにルターの奴隷意志論から分析する. 善いと思われているが悪である > r 論題 21. 栄光の神学者は悪を善と, 善を悪と言う. 十字架の神学者はあるがままの事態を諮る. (W I, 354)j 一一このように指摘するときに, ルターは, どのような用語を使って, し かに事態を記述するかを問題にしている. 論題 21はルターの初期奴隷意志論と密接な関係にある. 栄光の神学者の 善を悪と, また悪を善とするJ という評価は論題 3,4のr.. H と見える 結果をもたらす.

シンポジウム 151 ルターは 善く見えるが, 突は罪である と言って, 通常我々が理解するような偽 善を指しているのではない. そうではなく, むしろ我々が本当に立派だと敬服する ような, 例えば愛の行為を指している. 修道士が心から熱心に人々に奉仕する, 神に 奉仕するというときの彼の行為について 立派で善いと見えるが, じつは死に到る罪 だ というのである. なぜか? ーーそのときその修道土は, そのような行為を通して 神に受け入れられるものとなること, いわば天国に到り, 神を享受することを目指しているからである. í 神を見るに到ることを求め, 神を何物にも勝って愛する行為をしようとして, 何が悪い ; それこそ善いことではないか と栄光の神学者は言うであろう. Jレターは答える : íそれは結局は自分の幸福, 自分叩のものを追求することだ ; だから悪だ と. 生まれながらの意志は自分の幸福を追求するという方向にしか働か ないということを, この時期のルターは 奴隷意志 J と呼ぶ. このようなわけで, 既に指摘した逆説ないし現れと隠れという複層構造は, 人間が 自分の善悪の基準に従って判断した 善い 悪い が, 実はその基準がそもそも誤っ ていることによって真実を逆転したものだったということに由来する. 善くかっ普くない 奴隷意志論はもう一つの仕方で逆説に繋がっている. それは十字架の神学の道を歩んで生きるキリスト者においてなお, vo lun tas と no lun tas( 意志と反意志とでも訳しておこう ) が共在 ( 混在 ) していることから, í Aであり, かっ Aでない という事態が成立するという仕方である. すなわち, 真のキリスト者と いえども, 地上にある限り悪へ向かう意志 ( 自己のものを追求する反意志 ) からまっ たく自由になることはない. このことをルターは 善を行って罪を犯さないような義 しい人は地上にはいない J( 伝道の書 7: 2;) の解釈として提出する. ルターはこれを 義しい人は善を行っているまさにその際に, 罪を犯してもいる (W 1, 367, 2) J と いう意味だと主張する. í 義しい人 J とは十字架の神学の道によって, 信 (fides) と いう仕方で 隠れた神を認識した人である. 自己の善を追求する奴隷意志が徹底的に砕 かれた後に, それとは逆方向に働く意志とし信が芽生えている. それにもかかわらず, なお自己のものを追求する反意志は残っていて, なにか善いことをしたと思うまさに その際に働いている. こうして, 義しい人の善い行為に際しでも, 意志と反意志とが 混在しているということになり (W 1, 367, 24), í 義しい人の行為も, 神への敬度な 畏れによって, その義しい人自らによって死に到るものとして畏れられるのでなけれ ば, 死に到る罪である ( 論題 7 W 1, 353) J という逆説が提起される.

152 中世思想研究 34 号きて, ここにあるのは, I Aと見えるが, 突はAではない ではなく, むしろIA であり, 同時にAではなし としろ逆説である. ルターはこれが少なくとも表現上は矛盾律に反していることを意識しておよそ次のように論じる (W 1, 370). 論理学者は言う : I 同ーの行為が神によって受け入れられ, かつ受け入れ拒否され るものであるということは有り得ない. なぜならもしそうなると, 同ーの行為が普くかっ普くないということになってしまうからJすると十字架の神学者はこう答える : では君の説に従えば, 人は裁きを畏れ, かつ同時に憐れみを期待するということは出来ないことになってしまうが, それでいいのかね? だからわたしはこう言う : すべての善い行為は受け入れられ, つまり受け入れ拒否されないとともに, 反対に, 受け入れられず, 受け入れ拒否されるものであるJ. 行為が神に受け入れられるのは, I 受 け入れるに価しないものを憐れみによって無視することによってだ J. 神は 端的に 受け入れ たり, 受け入れなかったりするわけで はない. そもそも 神が端的に受け 入れる行為 という言葉は人聞が想いの中で造り出したものであって, 現実にはあり 得ないものである. そういう用語を使って, I 受け入れられるか受け入れられないか のいずれかだ J とするのは適当でない ここには神の判断の仕方は 端的によいかわるいか を判断するものではなく, 積 極的な働きかけ, つまりある部分を無視したり, 善いと看倣したりするものであると いう考えがある. これは言葉をめぐるルターのもうひとつの論点として次に改めて指 摘しよう. 2-3 働きかけることば 看倣し, 創り出すことば 論題 28の 神の愛はその愛の対象を見いだすのではなく, 創り出す との主張のうちにも, ことばの働きについてのルターの理解がある. この 論題は 罪人は美しいが故に愛されるのではなく, 愛されるが故に美し L と説明さ れもする (W 1, 365). ここで あなたは美しい という語り掛けは, 事実の記述では なく, 美しいと看倣す行為であり, さらには相手を美しく創る行為で あると解すこと ができる. 既に述べた, 人の善 J 吾 の混在する行為をみて, }Æ い面を無視し, Iよし と看倣す神の判断も, このような文脈で理解すべきであろう. 働きかけることば} IAはBである と語ることが, 事実の記述ではなく, 事実を創り出す行為であるという場面は, 書かれた言葉を読む際に, 読む私はその言葉から世界についての情報を得るのではなく, 語り手の私への諮り掛け, 働きかけを受けて

シンポジウム 153 いるのだという理解に通じる. 実際ルターは書かれた神の言葉をそのようなものとして読むべきことを主張する. すなわち, 11キリスト者の円由 Jl(1520) において, ルターは, 聖書あるいはキリストの福音のみが内なる人にとって必要だという. その聖書は 戒めと約束 J (8; WVII, 52) とからなる. ことばを戒めと約束として受け取るということが, 世界を記述し, 情報を伝えるという言葉の機能とは異なる機能を言葉の核心にあることとして見ることである. このことは, 次の点からも裏付けられる. 同書においてノレターは, ピリピ 書 2 章の キリストは神のかたちで あった 僕のかたちをとり, 人の姿となった を引きつつ, パウロはこのように語って開き手に対して勧めをしているのに, ある人々はこれを理解せず神性と人性の話はしてしまった, と非難する (26; W VII, 65 ). これは神学者たちがことばをもっぱら事態を記述するものとして受け取り, 神学的議論の材料として伎っていることへの批判である. だが, ルターに従えば, 聖書のこと ばは何が正しい教理であるかを記述するものというよりは, むしろ読み手に対する神 ( ないし著者 ) の諮り掛け ( 働きかけ ) である. いわば現れとしての書かれた言葉の うちに, 語り手が隠れているのである. このような神の働き掛けによって結果するの は, 罪の認識ないし裁きの神の認識であり, さらには隠れたあわれみ深い神の認識 であるが ( これらが 戒めと約束 ということばに集約されている ), これらの認識は いずれも conspect us と呼ばれていたことにほかならない. このようにしてルターの言葉理解は彼の十字架の神学に伴い, これと表裏一体のも のである. 本提題の標題でソレターを 十字架のことば学者 J(Philologus cr uci s) と 呼んだのは, このような意味においてである町. おわりにルターのことば観はスコラ学者のそれを根本的に否定しているような口調で語られはするが, 実は, 記述という現場で形成された中世論理学の言語観を土台として, その上で言われていることだと評価すべきであろう. それは丁度, 彼の奴隷意志論や十字架の神学が, 中世 ( 後期 ) の思想の枠組みを土台にした上で, それを根本的に批判するものとして提出されていることと平行的である.

154 中世思想研究 34 号註本文中の引用は, オッカムについてはFra nscis ca ninstitute 版全集, またルターについてはワイマール版全集に従っている. 1) ただし, この点に関しては, 例えば A. J. Fr eddos o (O ck ham 's Theor y of Tr uth Condi tions, in Ockham's Theory of Proþositions, 1980) はそういうコミットなしの解釈を提出し, M. M. Adams (William Ockham 1987. vo1. 1, 408 任 ) はそれを半ば認めたが, なお有力な複数の研究者がこのようなコミットを認める方向を主張している (P. V. Spade, C. Panaccioは筆者に対し口頭ないし手紙にてこの見解を表明している ), という研究状況にある. 2) 以上の点については, 詳しくは拙著 オッカムの言語哲学 (1990) を参照 ( 特に第 1, 2, 5 章 ). 3) では, どのように同様に 記述する ということに但し書きを付けるか, については改めて論じる必要があるだろう. rこの記述は世界の側にあるこの事実に対応している といえるものではないということは認めるとして, さらにオッカムないし中世論理学に即してどこまで進めるかは問題である. ここでは ( 次節で論じるように ), 少なくともルターが受けとめた中世論理学は 先立つて在る事実を記述する と言えるような記述理解をしていた, と言うにとどめたい. 4) より詳しくは拙論 オッカムにおける方法としての論理学 J ( リーゼンフーパー他編 中世における知と超越 創文社刊 1992 年 307-324 頁 ) を参照. 5) このころ以降中世論理学のなかで ins olubilia と呼ばれる命題一一 今わたしは嘘をついている などーーをいかに解くかがトピックになったのも, ことばの場にこの原理と相入れない要素が混入するのを防ぎたいという志向からではなかっただろうか. 6) ただし, r 十字架のことば学 J という用語自体はルターのものではなく, ハーマンのものであるが, ここではハーマンの主張に関係なく用いている. 提題 N. クザーヌスにおける Idiota の立場とくことば 薗田坦 I 中世哲学におけるくことば >Jという木シンポジウムの統一課題も, 15 世紀の思