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Transcription:

暗黙知とは何か (1) 目次はじめに 1.Polanyi の暗黙知 ( 今号 ) 2. 野中の暗黙知 ( 次号 ) 3. 暗黙知 概念の明晰化に向けて( 次号以降 ) 1) 身体知としての暗黙知 2) 知識創造と暗黙知 3) 組織の暗黙知おわりに 1

暗黙知とは何か名城大学大西幹弘はじめに Polanyi により発見され 野中によって経営学に導入された暗黙知の概念は 知識認識への斬新な視点と経営現場におけるその必需的な性格から 近年 学界 ビジネス層を問わず急速な浸透を見せ 企業経営を論じる際のキーコンセプトの一つとなりつつある たとえば トヨタのデザインは従来 明文化したガイドラインがなく 暗黙知に基づいていた 1 団塊の世代が定年を迎え それまで蓄積した技術をどう伝承してゆくかが企業の大きな 課題になっている 問題は 技術者個人が長年の経験で獲得した 言葉では簡単に表現 できないノウハウなどいわゆる 暗黙知 をどう伝えていくかだが... 2 知識を暗黙知と形式知に分け 言語化されない暗黙知が生産プロセスや新製品の創出 戦略的意思決定等の諸局面において果たす決定的役割を剔抉した点において 野中の功績は強調してもし過ぎることは無いであろう 暗黙知の概念は企業経営に関するわれわれの認識を大きく前進させるものであり より一歩その実態に近付けるものと言えよう だがわれわれの見るところ 暗黙知 はその本来の意味内容を超えて多義的に使用されつつあり 現状ではコンセプトの斬新さと分析における有用性の毀損さえ憂慮される状況へと向かいつつあるかのように思われる その一つの理由として 我々は語ることができるより多くのことを知ることができる (we can know more than we can tell) 3 という Polanyi の暗黙知に関する定義に関し 語ることのできない (we can t tell) 知識を 語られない (we don t tell) 知識と解釈する傾向の存在をわれわれは指摘しておきたい この点も含め 以下本稿では暗黙知とは何かについて Polanyi 野中に立ち帰り 原理的考察を行うことにしたい 構成は次の通りである 1.Polanyi の暗黙知 では主として彼の The Tacit Dimension および Personal Knowledge に拠りつつ Polanyi オリジナルの暗黙知が如何なるものであるのかを明らかにする 続いて 2. 野中の暗黙知 では 知識創造企業 イノベーションの作法 等に拠りつつ 野中の考える暗黙知の内容とその Polanyi との相違 SECI モデルの検討を行う 3. 暗黙知 概念の明晰化に向けて では 以上の Polanyi 野中に関する分析と検討を受けて われわれの暗黙知概念を身体知 改訂 SECI モデル 組織の暗黙知として展開し 今後の研究課題を展望する 1 日経産業新聞 2007 年 3 月 28 日 p.35 トヨタ自動車グローバルデザイン統括部部長サイモン ハンフリーズ氏への インタビュー 2 日本経済新聞 2006 年 12 月 9 日夕刊 p.12 3 Michael Polanyi, The Tacit Dimension, Gloucester, Mass. Peter Smith, 1983, p.4 ( 初版は 1966 年刊 ) 佐藤敬三訳 暗黙知の次元 紀伊国國書店 1980 年 p.15 高橋勇夫訳 暗黙知の次元 ちくま学芸文庫 2003 年 p.18 2

1.Polanyi の暗黙知暗黙知の概念を明示的な形で初めて提起したのは ハンガリー出身の物理化学者であり科学哲学者でもあった M. Polanyi であった この点については特に異論はないであろう われわれの理解するところ 1958 年刊の Personal Knowledge 4 に始まり 1961 年の The Scientific Revolution 5 を経て 1966 年刊の The Tacit Dimension で完成に至る彼の暗黙知についての考察は 自然諸科学や心理学 哲学等の該博な知識を駆使しての人間の知的活動の本質に対する多面的かつ批判的分析であった この一連の多岐にわたる緻密かつ稠密な考察を通じて Polanyi は 今日 暗黙知 として知られる知識概念に到達することとなるのである さて不思議なことではあるが 野中により暗黙知が経営学分野に導入されて以降 6 Polanyi の暗黙知概念を本格的に考察あるいは検討した文献をわれわれは持っていないように思われる また野中の暗黙知と Polanyi のそれとの異同についても 本格的な検討は行われてこなかったようである 7 われわれは以下 Polanyi の暗黙知を 主として The Tacit Dimension に拠りつつ 当面の議論に必要な論点に限定して考察を行うが その目的とするところは Polanyi 本来の暗黙知とは如何なるものであり 野中の暗黙知と如何なる点において異なり またそれは企業経営に対し如何なる含意を有するか を明らかにすることにある 以下 われわれは 暗黙知 = 身体知 形式知は暗黙知を代替できない 真の知識において暗黙知と形式知は一体不可分 の 3 つの論点を軸に Polanyi の暗黙知を解題し 検討を加える 1)The Tacit Dimension 解題 1966 年刊行の The Tacit Dimension は Tacit Knowing, Emergence, A Society of Explorers の 3 つの部分から構成されており この最初の Tacit Knowing に 暗黙の知 ( 佐藤訳 ) あるいは 暗黙知 ( 高橋訳 ) という訳語が充てられてきた 実は Polanyi は knowing と knowledge とを区別して使用している節があり 必ずしも明瞭ではないが 命題化されたコンテンツとしての 知識 である knowledge に対し かかる knowledge を獲得あるいは習得するスキルを knowing の語で表現しているように解釈される 例えば 1983 年再刊の同書 7 頁には次のように述べられている I shall always speak of knowing, therefore, to cover both practical and theoretical knowledge. We can, accordingly, interpret the use of tools, of probes, and of pointers as further instances of the art of knowing, 4 Michael Polanyi, Personal Knowledge, The University of Chicago Press, 1958 長尾史郎訳 個人的知識 ハーベスト社 1985 年 5 Michael Polanyi, Society, Economics & Philosophy, Transaction Publishers 1997 所収 ( 初出は The Student World, LⅣ, No.3, 1961) 6 経営学分野における暗黙知の体系的な展開は われわれの知る限りでは 野中郁次郎 知識創造の経営 ( 日本経済新聞社 1990 年 ) を嚆矢とするように思われる 7 その理由について野中 竹内 知識創造企業 ( 東洋経済新報社 1996 年 )p.135 注 (5) では 彼 (Polanyi 引用者 ) の考え方と経歴のために彼が依然として西洋哲学では傍流と見なされているからである としている 3

また 1958 年刊の Personal Knowledge の序文では更に明瞭に次のように述べている I regard knowing as an active comprehension of the things known, an action that requires skill. それ故 Polanyi 解釈においては 行為もしくは動作を表現する knowing と 命題化されたコンテンツとしての knowledge との区別に常に留意しつつ 考察を進めていく必要があるように思われる さて 3 つの部分から構成される The Tacit Dimension において 彼の暗黙知の全体像が体系的に展開されているのは 最初に収録されている Tacit Knowing であるので 以下ではこの論考に限定して検討を加えておく 1935 年にモスクワで交わされたブハーリンとの会話を端緒として展開される Tacit Knowing では 次の有名な命題を以って暗黙知についての実質的な考察がスタートする I shall reconsider human knowledge by starting from the fact that we can know more than we can tell. 8 この 語ることはできないが知ることができる 事柄の具体的事例として指摘されるのは人の顔の識別であり 病気の診断であり 岩石や動植物の識別である 9 この種の識別力の獲得には実習訓練を要するが それは実習という経験を通じて 識別の手掛りとなる諸細目 ( 断片的諸事象 ) を全体の真の姿へと再構成もしくは統合していく能力を形成することが必要不可欠であるからに他ならない かくして This shaping or integrating I hold to be the great and indispensable tacit power by which all knowledge is discovered... 10 ここで tacit power と表現される暗黙知は それゆえ Polanyi にあってはあらゆる知識を生み出すための構成 統合能力として認識されており 獲得され客体化されるコンテンツとしての knowledge とは明瞭に区別されているのである 次に Polanyi は彼が暗黙知と考えるものの列挙に進む 最高の形態 (the highest form) は科学と芸術分野の天才が持つ能力であり 次いで名医の診断技術 芸術 スポーツ 工芸分野での技能がやや地味な形態 (somewhat impoverished form) として指摘されており 知るための技能としての道具 歩行用の杖 教鞭の利用 さらには言語の使用も暗黙知に含められる 11 最後に最も貧弱な形態 (the most impoverished form) として知覚 (perception) が指摘され 本人に意識されることの無い潜在知覚もここに加えられる 12 8 ibid. 9 op. cit., pp.4-5, 佐藤訳 pp.15-16, 高橋訳 pp.18-20 10 op. cit., pp.6, 佐藤訳 p.18, 高橋訳 p.21 11 op. cit., pp.6-7, 佐藤訳 pp.18-19, 高橋訳 pp.21-22 12 op. cit., pp.7-8, 佐藤訳 pp.19-21, 高橋訳 pp.22-24 4

こうして暗黙知の定義と具体的実体を明示した後 Polanyi は暗黙知の基本的構造 (basic structure of tacit knowing) 13 について説明する 暗黙知は近接項 (proximal term) と遠隔項 (distal term) から構成されており 近接項を手掛りとして遠隔項に関する認識を形成していく 人間の顔の識別にあっては 目 鼻 口等が近接項であり これら顔面を構成する諸細目の特徴を手掛りに 遠隔項たる顔の識別 ( 人物の特定 ) が行われる 芸術やスポーツの技能においては使用される筋肉の諸活動が近接項であり これら筋肉の活動を通じて遠隔項たる作品の創出や競技場でのプレーが遂行される われわれは近接項を手掛りに遠隔項の実現を目指すのであるが その際 注目しているのは遠隔項の実現度合いであって 近接項そのものの具体的状況ではない 人の顔の識別においては 全体の相が特定の人物に似ているか似ていないかが問題であり どの部分がどの程度相違しているかは直接の関心の対象とはならない またスポーツにおいてはどのようなヒットを打ちたいか どのようなゴールを決めたいか が関心の対象であり どの筋肉にどの程度の力を加えるかということを考えながら競技に臨んでいるわけではない 近接項を手掛りとしながら 近接項そのものは直接の観察対象とはしないというこの構造こそ 知ってはいるが語ることが出来ない 状況を出来させる根本的な原因なのである こうして Polanyi は次のように結論付ける Since tacit knowing establishes a meaningful relation between two terms, we may identify it with the understanding of the comprehensive entity which these two terms jointly constitute. 14 暗黙知とは 2 つの項目の間に意味ある関係を樹立する機能を有するものであり 従ってそれはこれら 2 つの項目 ( 近接項と遠隔項 ) から構成される包括的全体像を理解する行為であると看做されるのである 最後に暗黙知の最も貧弱な形態とされた知覚について 近接項を神経や感覚器官 脳内部の化学的諸過程 遠隔項を知覚される画像や音声等々とするならば われわれは近接項の変化を遠隔項たる知覚の変化として認識することになり 如上の暗黙知の基本構造が確認されることとなる 15 以上の考察の後 Polanyi は上記の知覚を始めとする人間の身体の暗黙知的活用に関連して 潜入 (indwelling) や 内面化(interiorization) について論じ 16 明示的統合と暗黙的統合との関連 理論を真に知ることの具体的内容について考察を進めている これらの諸点については以下 項を改めて検討を加えることとしたい なお Tacit Knowing の最後のトピックとして Polanyi は科学者が新しい知識の発見の過程で発揮する特殊な暗黙知について 内感 (intimation) 暗黙的予知 (tacit foreknowledge) の用語を充てている 17 13 op. cit., p.9 14 op. cit., p.13 15 op. cit., p.15, 佐藤訳 p.31, 高橋訳 pp.35-36 16 op. cit., pp.15-17, 佐藤訳 pp.32-35, 高橋訳 pp.36-40 17 op. cit., pp.21-25, 佐藤訳 pp.40-47, 高橋訳 pp.45-53 5

2) 形式知は暗黙知を代替できない Polanyi は言語化可能な知識に対し 明示的統合 (explicit integration) 知識の形式化 (formalizing (all) knowledge) 理論的知識 (theoretical knowledge) 明示知 (explicit knowledge) 18 といった表現を与えている 以下われわれは今日の用語法に従い これらを形式知と呼ぶことにする Polanyi によれば形式知は暗黙知を代替することができない my examples show clearly that, in general, an explicit integration cannot replace its tacit counterpart. 19 ここで例として挙げられるのは自動車の運転 自己の身体についての知覚 詩の与える感動である 自動車の運転技能は自動車の理論についての座学では代替できず 自己の身体に関する ( 本人の ) 知覚は身体に関し生理学の教える理論的知識では代替できず 詩の感動を作詩法の規則で代替することはできない 20 暗黙知が技能 知覚 ( 感覚 ) である限り その適用 遂行の結果である命題化されたコンテンツや理論としての形式知が 作用因に取って代わることは原理的にありえない これが Polanyi の主張と考えられる 21 ただし Polanyi は 形式知が事物に関するわれわれの理解を深める効果を有する点も強調している 機械の操作そのもの ( 暗黙知 ) はその動作原理を知らなくても可能であるが エンジニアの機械の構造や動作に関する知識 ( 形式知 ) は そのような暗黙知のカバーする領域をはるかに超えており 生理学者の形式知は身体に関するわれわれの知覚をより良く説明する また作詩法の規則を知ることで詩に対する理解を深めることが可能となる 22 3) 真の理論的知識 (a true knowledge of a theory) Polanyi のユニークな議論の一つに 真に理論を知ることにおける暗黙知の役割に関す るものがある a true knowledge of a theory can be established only after it has been interiorized and extensively used to interpret experience. 23 数学理論はまずその認識と解釈の過程で言語理解という暗黙知を用いねばならず その真の理解のためには更にその理論的知識が日常経験と関連付けられて同定されるプロセス ( 暗黙的統合もしくは内面化 ) が必要とされる かくして Polanyi によれば 経験を包括的に説明しようとする数学理論からすべての暗黙知を除去するという理想は自己矛盾的で 18 explicit knowledge は M. Grene ed., Knowing and Being Essays by Michael Polanyi-, The University of Chicago Press, 1969, p144 佐野 澤田 吉田訳 知と存在 晃用書房 1985 年 p.184 ただし左記邦訳では 陽表知 の訳語を充てている 他の 3 つの表現は op. cit., p.20 で見ることが出来る 19 op. cit., p.20 20 op. cit., p.20, 佐藤訳 p.38, 高橋訳 pp.43-44 21 前掲 Personal Knowledge, p.50 邦訳 pp.46-47 にも技芸 (art) の規則と暗黙知 (practical knowledge) に関し同様 の指摘が見られる 22 op. cit., pp.19-20, 佐藤訳 pp.37-38, 高橋訳 p.43 23 op. cit., p.21 6

あり 論理的に正しくない 24 ことになるのである 以上 われわれは The Tacit Dimension に収録されている Tacit Knowing の解題を通じて Polanyi の暗黙知を考察してきた この過程を通じて明確となったのは Polanyi の暗黙知が knowing の表現に示されるように われわれの身体を用いた技能や認識 知覚 ( 感覚 ) の能力や作用プロセスそのものを意味しており それらを用いて生み出される作品や製品 演技やプレー 診断内容や判断結果等を意味するものではない という事実である その意味で Polanyi の暗黙知は 身体知 と呼ぶことができるであろう 25 24 op. cit., p.21, 佐藤訳 p.40, 高橋訳 p.45 ただし訳文は一部変更した 25 これに対し言語化が可能で 諸個人間での伝送 共有が容易な形式知は 頭脳での記憶可能性に着目して 頭脳知 と呼ぶことができよう 7