博士論文 平成 21 年 9 月 24 日 音韻的有標性とその音声学的基盤 神戸大学大学院文化学研究科 ( 博士課程 ) 社会文化専攻 竹安大

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1 Kobe University Repository : Thesis 学位論文題目 Title 氏名 Author 専攻分野 Degree 学位授与の日付 Date of Degree 資源タイプ Resource Type 報告番号 Report Number 権利 Rights JaLCDOI URL 音韻的有標性とその音声学的基盤 竹安, 大 博士 ( 学術 ) Thesis or Dissertation / 学位論文 甲 当コンテンツは神戸大学の学術成果です 無断複製 不正使用等を禁じます 著作権法で認められている範囲内で 適切にご利用ください PDF issue:

2 博士論文 平成 21 年 9 月 24 日 音韻的有標性とその音声学的基盤 神戸大学大学院文化学研究科 ( 博士課程 ) 社会文化専攻 竹安大

3 博士論文 学籍番号 : 066d713h 氏 名 : 竹安大 専 攻 : 社会文化専攻 論文題目 : 音韻的有標性とその音声学的基盤 指導教員氏名 ( 主 ) 窪薗晴夫 ( 副 ) 岸本秀樹 ( 副 ) 大坪庸介

4 目次 謝辞... v 1. 序論 : 音韻現象とその音声学的基盤 有標性 有標性の定義 有標性に関する諸問題 有標性と音声学的またはその他要因の関係 有標性に関与するとされる要因 産出的な要因 知覚的な要因 個別言語の音素使用 ( 出現 ) 頻度 その他の要因 本研究の目的 閉鎖音の調音点の有標性とその音声学的基盤 閉鎖音の調音点の有標性 閉鎖音の調音点の有標性 : 音韻的事実 調音点の有標性の音声学的基盤 : 先行研究 閉鎖音の子音連続 (C 1 C 2 ) における調音点同化の非対称性 : 音韻的事実 調音点同化の非対称性と有標性との関係 調音点同化の非対称性の音声学的基盤 : 先行研究における説明とその問題点 産出の労力 ( 困難さ ) 視覚的要因 知覚的要因 その他の説明の可能性 Jun による説明 Jun のスケールの問題点 語末閉鎖音に関する先行研究 先行研究における Jun (2004) のスケールの検証 Kochetov and So (2007) による知覚実験 Kochetov らの実験の問題点と 残された問題点 調音点の有標性への音声学的説明 : 知覚実験 実験の概要 ( 刺激 被験者 手順 ) 結果 考察 総合的考察とまとめ 知覚実験結果の総括 調音点の有標性の音声学的基盤 音声学的要因による説明の有効性と限界について その他の分野 領域との関連 i

5 3. 摩擦音 破擦音の有標性 : 言語間差異とその音声学的基盤 摩擦音 破擦音の有標性と言語間差異 : 音韻的事実 言語間差異が生じる理由 : 先行研究における説明とその問題点 音素頻度説 音素頻度説以外の説明の可能性 有標性の例外に対する音声学的説明 :4 言語 ( 英 中 日 韓 ) の話者に対する知覚実験 音韻的事実の確認 : 英語 中国語 ( 普通話 ) 日本語 韓国語における ʃ と tʃ の獲得順序 英語話者 中国語話者 日本語話者 韓国語話者 ( 成人 ) に対する知覚実験 ( 実験 3-1) 結果 考察 乳幼児の持つ知覚の選好 説 成人の知覚的な選好により引き起こされた記述的なバイアス 説 有標性の例外に対する説明 : 幼児の音声を刺激とする知覚実験 ( 実験 3-2) 有標性の言語間差異とその音声学的基盤 : 結論 知覚実験結果の総括 音声学的要因 ( またはその他の要因 ) による説明の有効性と限界について その他の分野 領域との関連 単子音 重子音の有標性の例外とその音声学的基盤 はじめに 単子音 重子音の有標性 単子音 重子音の有標性への例外 : 借用語における促音挿入とその非対称性 章の構成 借用語における s, sh の非対称性 借用語における無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性 借用語における x (h), f (ɸ) の非対称性 借用語における s, ʃ の非対称性 ( 有標性の例外 ) とその音声学的基盤 先行研究 日本語の促音 非促音 借用語の s, sh の促音挿入の非対称性 英語側原因説の検証 英語の s, sh の持続時間に関する先行研究 英語話者に対する産出実験 ( 実験 4-1) 日本語側原因説の検証 日本語話者に対する産出実験 ( 実験 4-2) s, sh の促音知覚実験 ( 実験 4-3) s, sh の促音知覚実験 ( 実験 4-4) 残された問題 ii

6 s, sh の促音挿入の非対称性 : まとめ 借用語における無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性 ( 有標性の例外 ) とその音声学的基盤 先行研究 : 非対称性 ( 有標性の例外 ) の音韻的事実 音声学的説明 : 英語話者に対する産出実験 ( 実験 4-5) 韓国語話者の産出との比較 まとめ 借用語における x (h), f (ɸ) の非対称性 ( 有標性の例外 ) とその音声学基盤 先行研究 : 非対称性 ( 有標性の例外 ) の音韻的事実 非対称性 ( 有標性の例外 ) に対する音声学的説明 産出実験 ( 実験 4-6) 知覚実験 ( 実験 4-7) 知覚実験 ( 実験 4-8) 総合的考察 借用語の促音挿入における 3 つの非対称性の統一的説明 音声学的要因による説明の有効性と限界について 借用語音韻論以外の諸分野への知見 借用語における非対称性 ( 有標性の例外 ) とその音声学的基盤 : 結論 閉鎖音 摩擦音の有標性およびその例外の音声学的基盤 はじめに 閉鎖音 摩擦音の有標性 : 音韻的事実 自然言語における音素分布 幼児の音の獲得 ( 産出 ) 順序 音の喪失 近畿方言におけるザ行音 ダ行音の混同 閉鎖音 摩擦音間の有標性 : まとめ 有標性の例外と位置の影響 : 音韻的事実 幼児の音韻獲得に見られる位置の影響 音の喪失 ( 構音障害の患者の音産出 ) に見られる位置の影響 近畿方言のザ行 ダ行音の混同に見られる位置の影響 弱化 (lenition) 沖縄方言における閉鎖音の摩擦音化 有標性と位置の影響 : まとめ 有標性とその例外の生起要因 : 先行研究における説明とその問題点 個別言語の音素使用頻度と有標性 視覚的要因 産出的要因 知覚的要因 音声学的要因による説明の可能性 知覚の手がかり iii

7 閉鎖音の知覚の手がかり 摩擦音の知覚の手がかり 知覚の手がかりに関する予備実験 ( 実験 5-1) 成人と幼児の知覚の手がかり 頑健性 有標性とその例外に対する音声学的説明 実験 5-2: 成人 幼児に対する知覚実験 実験 5-3: 音の頑健性に関する知覚実験 先行研究の結果との比較 実験結果の解釈 成人 幼児実験との比較 総合的考察 有標性とその例外の音声学的基盤 その他の分野 領域との関連 残された課題 まとめ 結論 参考文献 iv

8 謝辞 本論文は筆者が神戸大学大学院文化学研究科 ( 現 : 人文学研究科 ) 社会文化専攻博士課程に在籍中の研究成果をまとめたものである 論文執筆に当たっては多くの方々からご支援いただいた ここに記して感謝申し上げたい 同研究科教授窪薗晴夫先生には 筆者が修士課程在籍中から指導教員として終始ご指導をいただいた 窪薗先生には 研究内容だけでなく 研究者としてのありかたについても学ばせていただいた また 実家から離れて暮らす筆者の生活面についても常にご配慮くださり 常に温かい支援をいただいた たいした知識もないまま修士課程から言語学の世界に飛び込んだ筆者が言語学の面白さを理解し これまで研究を続けることができたのは 窪薗先生の熱心な指導とご支援があったからに他ならない ここに深謝の意を表する 同研究科元教授 ( 現 帝塚山大学現代生活学部こども学科教授 ) 小椋たみ子先生には 博士課程在籍中に副指導教員として本論文の細部にわたりご指導いただいた 特に ゼミでは乳幼児の言語発達に関するさまざまな知識を授けていただくとともに 本論文の言語獲得に関する議論に対して有益なご助言をいただいた ここに深謝の意を表する 同研究科准教授大坪庸介先生には 副指導教員として本論文の構成に関して様々な助言をいただいた ここに感謝の意を表する 同研究科教授西光義弘先生 松本曜先生 岸本秀樹先生には 修士課程のときから言語学の諸分野に関する知識を授けていただき 言語学の議論の進め方を学ばせていただいた また 博士論文中間発表会では本論文について様々なご助言をいただいた ここに感謝の意を表する 神戸松蔭女子大学英語英米文学科教授松井理直先生には 筆者が修士課程在籍中に音声学 特に実験音声学の手法を学ばせていただき 博士課程在籍中も学会などで定期的にご助言 ご指導をいただいた また 本論文の外部審査員として重要なコメントを寄せていただいた 本論文の議論では知覚実験を論拠の一つとしているが そうすることができたのも松井先生のご指導があったからに他ならない ここに記して深謝の意を表する 神戸松蔭女子大学英語英米文学科教授松田謙次郎先生には 筆者が博士課程在籍中に統計検定手法の基礎を教えていただいた 今でこそある程度の統計検定手法を理解し使いこなすことができるようになったが その基盤は松田先生の教えにあることは言うまでもない ここに深謝の意を表する 本専攻言語学研究室の各位には 研究の遂行にあたり日ごろより有益な助言をいただいた 特に 修士課程に同期で入学した秋田喜美氏 小川晋史氏 儀利古幹雄氏らとの討論は 本論文の方向性に対して常に示唆を与えてくれた 竹村亜紀子氏 齋藤紀子氏 權延姝氏 瀧口いずみ氏 森下裕三氏 中村千紘氏 薛晋阳氏をはじめとする研究室の後輩たちには 本論文の実験実施に当たって様々な形でご協力いただいた ここに記して感謝の意を表する ボランティア団体 かにっ子ファミリー ( 代表 : 久保登喜子 ) のメンバーおよび会員の方々には 幼児のインフォーマント探しにご協力いただくのみならず 調査場所まで提供していただいた ここに記して感謝の意を表する 最後に 大学院進学に理解を示し 本論文執筆中に常に暖かく励ましてくれた家族にも感謝申し上げたい 家族からの支援があったからこそ 本論文を書き上げることができた なお 本研究の一部は日本学術振興会特別研究員奨励費 ( 摩擦音の有標性に関する知覚的要因の研究 課題番号 ) の助成によった v

9 1. 序論 : 音韻現象とその音声学的基盤 本稿は 音韻論と音声学の関係について議論するものである 言語学における音の研究には音韻論と音声学の 2 分野があるが 従来 この 2 つの分野は個別に扱われることが一般的であり 音韻現象を音声学的に説明しようとする試みは存在したものの (Westbury and Keating 1986) それほど重要視されては来なかった しかしながら 近年ではこの 2 つのアプローチの統合 すなわち音韻現象および音韻理論の音声学的基盤を明らかにすることが急務の課題となっている (Hume and Johnson 2001, Hayes and Steriade 2004) これは 音韻理論の音声学的基盤を明らかにすることで しばしば抽象的な議論のみにとどまりがちな音韻論の妥当性を証明することにつながり よって更なる音韻理論の発展を促すことになると考えられるためである しかし 音韻論と音声学の統合の重要性は誰もが認識しているものの 実際には多くの音韻現象の音声学的基盤は明らかにされないままである そこで 本研究では 音韻論における 有標性 について取り上げ その音声学的基盤を明らかにし それを通して音韻論と音声学の統合に貢献することを試みる 1.1. 有標性本研究では 音韻論における 有標性 の概念と音声学の関係について議論する 自然言語においては 特定の音や構造が通言語的に好んで用いられるのに対し 別の特定の音や構造は通言語的に避けられるという現象がしばしば観察される 言語にしばしば生じるこのような非対称的現象を説明するため 音韻論においては言語音に基本的 ( 無標 ) なものと複雑 ( 有標 ) なものがあり 言語普遍的な有標性の階層が存在するという想定がなされてきた 有標性の概念は音韻理論の基盤となるものであり 例えば最適性理論 (Prince and Smolensky 1993/2004, Kager 1999) においては 有標性は 有標性制約 として 忠実性制約 と並ぶ理論の柱となっている 1 有標性の存在自体は多くの研究者によって支持されているが 有標性が存在する理由については議論が分かれるところである 普遍的有標性階層を提唱した Jakobson (1941/1968) は 普遍文法 などの用語は使用しないものの 産出 知覚や視覚といった要因では音韻獲得において見られる事実を説明することはできないとして 有標性をそうした要因には依らない法則だと捉えている 一方で 産出や知覚などの音声学的な要因や視覚やその他の認知的な要因 あるいは音の使用頻度やその他の言語外的な要因が有標性の発生に関与するという立場 (Westbury and Keating 1986, Kager 1999, Lindblom 2000, Beckman et al. 2003, Hayes et al. 2004, Hume 2008) もある 音声学的な要因 ( またはその他の要因 ) などが何らかの形で関与すると想定する 音声学に基づく音韻論 (Hayes et al. 2004) の立場が近年では主流となりつつあるが それらの要因がどの程度関与すると想定するかは研究者によって異なっている 例えば 音声学に基づく音韻論 の提唱者である Hayes and Steriade (2004) は 有標性と音声学の関係は間接的なものである ( 必ずしも直接的ではない ) と想定しているが 両者にはかなりのつながりがあるとしている 筆者が見る限り 先行研究においては 音声学的要因 ( またはその他の要因 ) 1 幼児が ぞう ([zo:]) と どう ([do:]) といい間違えるという現象を例に取ると 最適性理論では ( 非常に簡略化して言えば ) ぞう をそのままの形で出力することを命じる 忠実性制約 が 有標な音 ( この例では [z]) を禁じようとする 有標性制約 よりも下位にランクされるために z d という音変化が起こると分析する 一方 通常のいい間違いのない場合であれば 忠実性制約が上位にランクするために ぞう がそのままの形で ( 音変化を起こさずに ) 出力されると分析する 1

10 の有効性は認めつつも それだけでは完全には現象を説明しきれないという見解が多いようであるが (Westbury and Keating 1986, Cole and Iskarous 2001, Kochetov 2006, Kochetov and So 2007) 音声学的要因による説明の有効性については 研究間で扱っている現象が異なっていることもあって 一貫した結論は得られていない また 音声学的要因 ( あるいはその他要因 ) によって有標性が存在する理由を完全に説明できる ( 極端に言えば 有標性 は必要な概念ではない 2 ) という立場も存在している (Hume 2008) このように 有標性と音声学的 ( あるいは言語外的 ) 要因との関係については様々な見解が存在している 立場が分かれる理由の一つは 指摘されている音声学的またはその他要因がどの現象に対してどの程度の説明力を持つのかがまだ完全には解明されていないことにある 同様の問題は 有標性に対する例外的な現象の扱いにおいても見られる 有標性の例外的な現象を説明しようと試みる研究の大半は 音声学的要因や個別言語的な要因にその根拠を求めるが (Beckman et al. 2003) 例外と要因の関係に関する客観的な議論がなされていない場合が多い 本研究の目的は 従来指摘されてきた有標性の生起要因および有標性の例外の生起要因について再検討し それらの要因がどの程度現象を説明できるのかを明らかにすること また 特に知覚的な観点から現象 ( 従来から知覚的要因の関与が指摘されていたもの およびされていないもの ) に対して新たに考察を加え 知覚的な要因が有標性や有標性の例外が生じる理由の説明として有効であることを示すことである これらの有標性とその音声学的基盤の考察を通して 有標性と音声学の関係を明らかにするのみならず 音声学に基づく音韻論 のアプローチの妥当性についても検討し 音韻論と音声学の統合に貢献することを目指す 1.2. 有標性の定義有標性を定義する指標には様々なものが存在する 普遍的な有標性階層の存在を指摘した Jakobson (1941/1968, 1971) によると 有標性の存在は 自然言語の音素分布 ( 無標であるほど広く分布する ) 幼児の音韻獲得における獲得順序 ( 無標であるほど早く獲得される ) 3 音の喪失の順序( 無標であるほど喪失されにくい ) などの現象に現れ これらの現象を分析することで確認される (1) 有標性が観察される領域と予測 (Jakobson 1941/1968, 1971, 窪薗 1999) 無標 有標 a. 自然言語における音素分布 多い 尐ない b. 幼児の獲得 早い 遅い c. 喪失の順序 遅い 早い ( 音産出における音素の正産出率 高い 低い ) 幼児の音韻獲得や失語における喪失の順序の指標として一般に用いられるのは音産出における音素 2 有標性の存在として報告されてきた現象や事実自体を否定するわけではないが 他の要因によって説明がつくので必要ではないという立場 3 Jakobson (1941/1968) は幼児の音韻獲得や失語における音の喪失の有標性分析において重要なのは 音の対立 の獲得や喪失であって 表層に現れる音声的なものは対象としないとの立場をとっている ( 例えば 喃語期において乳幼児は様々な音を発するが このとき出された音は何らかの対立を持って出てくるわけではないので 有標性の説明対象ではない ) 2

11 の正産出率である (Templin 1957, Prather et al. 1975, Smit et al. 1990, 中西他 1972, Zhu and Dodd 2000, 他 ) 正産出率が高い音は低い音よりもより早く獲得されている( または 障害の度合いが軽い ) と見なすことができるので 正産出率が高いほど無標だと解釈することが可能である 失語に関しては 失語症患者の発音訓練において 複雑な構造のものを練習させるとそれよりも単純な構造のものにも訓練の効果が般化されるが 逆はない ( 単純な構造のものを練習させた場合に複雑な構造のものに訓練の効果が般化されることはない ) という報告がある (Maas et al. 2002) Maas et al. (2002) はセグメントのレベルでの改善を調べているわけではないが 失語においても有標性の含意法則が実際に存在することを示唆する研究として注目できる Hume (2008) では 有標性の度合いを測る尺度として (2) のような指標が使われてきたと述べている 4 (2) 有標性の指標 (Hume 2008: 84) 無標な音は有標な音に比べて : a. 削除 同化 reduction などの音韻現象におけるターゲットとなる b. 挿入 中和 音位転換 (metathesis) などの音韻現象における結果生じる c. より広く分布する d. 音声的によりばらつきがある e. 産出しやすい f. 知覚しやすい ( 強い知覚の手がかりを持つ ) 5 g. 知覚しにくい ( 弱い知覚の手がかりを持つ ) h. その言語における出現頻度が高い i. 通言語的に頻度が高い j. 獲得されるのが早い k. クレオール形成のときに保持されやすい 以上のように 有標性は幼児の獲得や音素頻度をはじめとする様々な現象に渡って観察されると見なされているが 一方で de Lacy (2006) のように有標性を普遍文法によって生得的に定められたものであるとする立場からは 幼児の音韻獲得や音素頻度 ( 自然言語における分布および言語における出現頻度 ) など有標性に関係すると考えられている指標の多くは言語使用 (Performance) に関するものであるため 有標性は言語使用の側面から切り離して議論するべきだとする指摘も存在する しかしながら 有標性の音声学的基盤を考える上では 必然的に言語使用の側面を定量的または実験的に調べ それによって有標性との関係を論じることになる また 音声学に基づく音韻論のアプローチ (Hayes and Steriade 2004) においては 有標性は普遍文法によってあらかじめ定められたものとは想定しない よって 本稿では Jakobson (1941/1968), 窪薗 (1999) などと同様に de Lacy (2006) が言う 4 Hume は有標性をより一般的な概念で捉えようとする立場であるため 必ずしも有標性に関して肯定的であるわけではない 5 この定義の中には知覚しやすさに関して相反する定義が 2 つ混在している 知覚しやすい 知覚しにくい がともにその音が無標であることを示すということは矛盾しているように思われるが Hume (2008) によるとこの 2 つの定義は全く別のメカニズムによって有標性に関与する ( 知覚しやすい音は対立を作り出すために使われやすく 頻度が高くなるため無標になる 一方 知覚しにくい音は知覚しやすい音に比べて一般に産出しやすいため やはり使用されやすく無標になる ) ために矛盾ではないとの見解を示し これらを統一的に扱うことができるモデルを提案している 3

12 ところの言語使用 (Performance) に関係する有標性も対象として議論をする なお 有標性階層は調音法 調音点 声帯振動など言語音の様々な側面において生じるため 階層は一つではなく複数が存在する 例えば 阻害音だけをとってみても 阻害音について生じる有標性階層には 以下のようなものがあることが指摘されている (3) 阻害音に生じる有標性階層の例 a. 閉鎖音の調音点前寄り ( 両唇 歯茎 ) の方が後寄り ( 軟口蓋 ) よりも無標 b. 摩擦音 破擦音摩擦音のほうが破擦音よりも無標 c. 単子音 重子音単子音のほうが重子音よりも無標 d. 閉鎖音 摩擦音閉鎖音の方が摩擦音よりも無標 e. 声帯振動の有無 ( 無声音 有声音 ) 無声音の方が有声音よりも無標 すでに述べたように 有標性は含意法則であるから 幼児の獲得を例にすれば ある幼児が軟口蓋音を獲得していれば その幼児は必ず両唇 歯茎音を獲得していることが含意される (3a) 同様に 破擦音を獲得した幼児は必ず摩擦音を (3b) 重子音を獲得した幼児は単子音を(3c) 摩擦音を獲得した幼児は閉鎖音を (3d) 有声音( 阻害音 ) を獲得した幼児は無声音を (3e) それぞれ獲得していることが理論的に予測されることになる 1.3. 有標性に関する諸問題言語に有標性階層が存在することは事実として認められているが 有標性がなぜ生じるのかという点については不明な点が多く 現在も議論がなされているところである 同様に 有標性には例外が生じることも指摘されているが 例外の扱いは立場によって異なっており これをどのように説明するかも議論の分かれるところである 有標性の音声学的基盤の解明は近年とりわけ重要視されるようになっている この背景には 音韻論における 最適性理論 (Prince and Smolensky 1993/2004) の台頭がある 最適性理論では 自然言語には有限個の普遍的な制約が存在しており 様々な音韻現象はそれらの制約の相互作用 ( ランキング ) によって生じるものと想定されている 最適性理論の妥当性は 窪薗 (2002) でも指摘されているように いかに個々の制約の妥当性 普遍性を立証できるかにかかっており ある制約の妥当性を証明するための一つの方法は その制約が音声学的基盤またはその他の独立した動機を有することを示すことである 最適性理論における 2 大制約は有標性制約と忠実性制約であり 有標性制約は従来指摘されてきた様々な有標性階層から構成されている つまり 個々の有標性階層 ( 制約 ) の音声学的基盤を明らかにすることは 音韻理論の妥当性を証明することにつながるものである 6 6 近年の 音声学に基づく音韻論 (Phonetically based phonology (Hayes et al. (eds.) 2004) の枠組みにおいても 音韻現象に生じる非対称性を音声学的に説明することの重要性が指摘されている 4

13 有標性が生じる理由 とりわけ音声学的基盤を明らかにすることは 音韻理論の妥当性の証明という観点以外からも重要な課題であると考える なぜなら 有標性の階層は様々な音韻現象のデータとその分析 解釈から得られているものであるが データの分析 解釈自体は有標性の理論から完全に独立し得ないものであるからである 例えば 韓国語の閉鎖音には平音 濃音 激音の 3 項対立が存在することが知られており 伝統的にはこれらはいずれも無声閉鎖音であると分析されている このうち 濃音と激音は常に ( ただし 同化される場合を除く ) 無声閉鎖音として出現するのに対し 平音は有声音間では音声的に有声閉鎖音として出現するので 平音を無声閉鎖音と見なすか有声閉鎖音と見なすかは解釈の問題となってくる 平音が無声閉鎖音として出現する環境は音声学的に見て声帯の振動が生じにくい環境 ( 語頭や語末など (Westbury and Keating 1986)) であるため 平音の解釈において本来有声閉鎖音である平音がある環境では無声化されると見なすことも 本来無声閉鎖音である平音がある環境では有声化されると見なすことも可能である 7 このようにどちらにでも解釈が可能である場合 その解釈には理論的枠組みによるバイアスが生じうる ( おそらく 有標性を支持する立場からは 閉鎖音は無声であることが基本だとされていることから 韓国語の平音は無声閉鎖音だと解釈するであろう 実際に 有標性に関する議論 特に例外的なデータの扱いにおいて 先行研究では ~とされているが データを再分析してみるとこの現象は例外ではない というような記述が頻繁に見られる ( 例えば de Lacy (2006) など )) 言語の記述と理論は相互に発展していくものであるから ある程度の依存関係は避けられないことであり それ自体は必ずしも問題ではない また 音声学的な説明をすることでこのような問題が直ちに完全に解決するわけではないが より客観的な議論を行うための基盤として 有標性に対して音声学的な動機付けを与えることは重要な課題であると筆者は考える 同様に 有標性の例外に対して説明を与えることも重要な課題の一つである 例外的な現象に対する扱いは その現象を説明対象から除外するか そうした例外を説明するための制約 ( または規則 ) を新たに導入することである 8 例外を恣意的に議論から切り離して説明対象としないのでは 理論としての求心力は低下してしまう 仮に例外を議論から切り離す場合でも そのための根拠が必要である 新たな制約の導入についても同様で 新たに制約を導入する際にはその根拠が必要である 何らかの動機付けを持たないその場しのぎの制約を許してしまうと 制約群の肥大化を招き ひいては理論の妥当性そのものが揺らいでしまう 9 ここでも 新たな制約を導入することの妥当性を証明するための一つの方法は その制約が類型論的 または音声学的基盤 ( またはその他の独立した動機付け ) を持つことを示すことである 実際に 多くの研究で例外を音声学的要因や言語外的な要因などによ 7 Kim and Duanmu (2004) では 平音を無声音として扱う伝統的な解釈に対し 平音を有声音として扱う分析が提案されている Kim and Duanmu (2004) によれば そのように解釈することで子音体系が自然になり また tonogenesis model の観点からもその方がより自然な説明ができるという利点がある 8 論理的可能性としては 有標性仮説そのものを否定するという選択肢も存在する しかし 有標性は以下本研究で議論するように非常に多くの現象に適用できる説明力の高いものであるため 言語学においては一部の例外の存在によって仮説そのものを棄却することは一般に想定されない 9 最適性理論では制約は普遍的であることが想定されていることから その場しのぎの制約の使用はできる限り避けられるべきである また 経済性の観点から考えても 用いられる制約の数は 説明力が同じであれば 尐なければ尐ないほどよい ( 特に 乳幼児が生後数年のうちに言語を獲得できるという事実と 言語学の理論はそれを説明できる必要があることを考えると 言語の理論は単純であるべきである ) その場しのぎの制約の導入は制約の総数の増大につながるため 理論の簡潔さの観点からもできる限り避けられるべきである 以上のことから 新たな制約の導入は何らかの動機付けを持たない制約は排除されるべきだと考えられている ( 詳細な議論については 窪薗 2002 を参照されたい ) 5

14 って説明しよういう試みがなされてきたが ( 例 :Beckman et al. 2003) 必ずしも満足のいく説明がなされていない場合も多い 以上のように 有標性の音声学的基盤 また 有標性の例外の音声学的基盤を明らかにすることは 共に現在の音韻論における重要な課題である 本研究では 有標性とその例外の音声学的基盤を明らかにすることを目的とし それを通して音韻理論の発展に貢献することを目指す 有標性の音声学的基盤には 様々な要因が挙げられている 以下では 有標性とその音声学的基盤について議論する前に 有標性が生じる理由としてどのような要因が説明として用いられてきたのかを見ていく 有標性と音声学的またはその他要因の関係有標性 および有標性の例外は複数の要因が関与して生じると考えられている (Beckman et al. 2003) 有標性が生じる理由としてしばしば挙げられる要因には 産出的な要因と知覚的な要因がある Jakobson (1941/1968) など 一部の研究ではこのような音声学的要因は有標性とは無関係 ( これらの要因によっては有標性が生じる理由を説明できない ) とする立場もあるが 近年では多くの研究が音声学的な要因の関与を認めている (Westbury and Keating 1986, Kager 1999, Beckman et al. 2003, Hayes et al. 2004, Kochetov and So 2007, Hume 2008) また 音声学的なものではないが 音素( あるいは特定の構造 ) の分布や使用頻度も有標性と関連付けて議論される要因の一つである 以下では 有標性とこれらの要因に関する先行研究での議論を概観する 有標性に関与するとされる要因 産出的な要因産出的な要因は人間の身体的な構造に基づくものであり 有標性に対する説明として最も用いられている要因である 人間の基本的な身体構造は母語によらず共通しているため 普遍的な現象の説明として適当であると考えられる 産出的な要因の中には 空気力学的 (aerodynamics) なもの (Westbury and Keating 1986, Hayes and Steriade 2004) 調音動作の複雑さ 難しさ(Prather et al. 1975, Ahn and Kim 2003, 田中 1964, 中西他 1970, Kirchner 2001, Beckman et al. 2003) など複数の尺度が存在している 空気力学的な要因は阻害音における無声 有声の有標性や有声阻害音の重子音の有標性などの説明に用いられている また 調音動作の複雑さ 難しさは閉鎖音と摩擦音 ( 歯擦系摩擦音 ) の有標性などの説明に用いられている いずれの尺度においても 他の条件が同じであれば産出が簡単であるほど無標である 10 と考えられており 逆の説明 ( 産出が難しいほど無標になる ) は筆者の知る限りでは存在しない 産出的な要因は有標性に対する例外的な現象に対する説明としても用いられる 例えば 音の弱化の現象において 閉鎖音が摩擦音化する現象が様々な言語で報告されている (Kirchner 2001) 閉鎖音は摩擦音よりも無標である (Jakobson 1941/1968) とされているため 閉鎖音が摩擦音化するという弱化の現象は有標性法則から見ると例外的な現象となる これに対して Kirchner (2001) は弱化における閉鎖音の摩擦音化は調音の労力が大きいもの ( 閉鎖音 ) から小さいもの ( 非歯擦系摩擦音 ) への変化であることを示し 一見有標性の例外に見える現象は調音器官の動作の大きさ 労力という観点から説 10 ここで言うその他の条件とは産出的な要因以外に有標性に関与する要因を指す 例えば いくら産出が容易であっても その音が聞き手にとって知覚しにくい音であればその音は言語において避けられやすくなる可能性がある つまり 産出が簡単であるほど無標である というのは 他の要因に関して条件が同じである場合を想定して述べられたものである 6

15 明できることを示した 例外に対する説明においても やはり産出が難しいほど出力として選ばれに くいということになり 逆の方向性の説明はない 知覚的な要因知覚的な要因は 産出的要因と同じように人間の身体的な制約から生じるものと 言語経験によって後天的に生じた言語個別的なものの 2 種類に分けて考えることが可能である 普遍的な現象として使われるのは主に前者であり 後者は使われるとすれば例外が生じる要因に対してである 前者の例としては 人間の聴覚システムが挙げられる 音響的に同じフォルマント遷移であっても Onset の位置にある場合 (CV フォルマント遷移 ) のほうが Coda の位置にある場合 (VC フォルマント遷移 ) よりも知覚しやすいことが Fujimura et al. (1978) の実験によって明らかにされており 頭子音はほとんどの言語で許容される ( 無標である ) のに尾子音は必ずしも許容されない ( 有標である ) ことの理由とされている Fujimura et al. (1978) の実験結果は後に Wright (2004) によって人間の聴覚系の特徴 ( 神経線維の反応 ) によるものだと解釈されている ( つまり 前述の頭子音 尾子音の有標性は人間が持つ一般的な知覚特徴によって生じたものであると言える ) 後者の例としては 母語の音韻制約などによる知覚的なバイアス (Massaro and Cohen 1983, Pitt 1998) を挙げることができる 後者は言語個別的なものなので うまく機能するとすれば有標性の例外に対する説明としてだと思われるが 言語個別的な知覚の要因によって有標性の例外が生じる理由を説明した研究は 筆者の知る限りでは無いようである 例外と言語個別的な知覚の因果関係がはっきりしないという問題が存在することが理由ではないかと考えられる この他に 有標性の例外と知覚が関係する例として 聞き間違い が Beckman et al. (2003) によって指摘されている Beckman らは 幼児の音韻獲得のデータ (transcription) において語頭 (foot-initial) で無声閉鎖音よりも有声閉鎖音 ( 無声閉鎖音に比べて有標 ) の獲得が早いという有標性の例外が報告されているが 音響的に見ると実際の幼児の発音は無気無声閉鎖音であったという例が存在することを挙げ 有標性の例外の一部はこうした聞き間違いによって生じたものと解釈できる場合があることを指摘している 知覚的要因による説明においては 知覚しやすさと無標 ( または有標 ) の対応関係を明確にすることは難しく この点が問題となりうる 知覚しやすいものほど無標になるという解釈が可能であるが その一方で知覚しにくいものほど無標になるという解釈も存在している 知覚しやすいものほど無標になるというのは直感的にもわかりやすい説明で 例えば s と θ の比較において s の方が一般に無標なのは s が相対的に強い摩擦雑音を有するためであるといった説明がなされる ( 例 :Kirchner 2001) 近年の理論的枠組みにおいては 音の知覚しやすさの違いは忠実性制約のスケールの違いとして解釈され 知覚しやすい ( 知覚的に際立った ) 音は忠実性が高いものとして 知覚しにくい音は忠実性が低いものとしてマッピングされるものと見なされる (P-map hypothesis: Steriade 2001, Kawahara 2006) これを通して 知覚しやすい音そうでない音に比べて出力として選ばれやすいことになり 無標 となる 11 知覚しにくいものほど無標になるという解釈は不自然にも思われるが 無標なものほど素性の指定を持たない ( 特徴を持たない 目立たない ) と解釈する音韻論 (Avery and Rice 1989, Paradis and Prunet 1989) に基づけばこれは充分にありうる解釈で 実際に Kochetov and So (2007) などこの理屈に基づく 11 ここで言う無標とは 例えば最適性理論における忠実性との対比で用いられる狭義の有標性ではな く 広義の意味での 無標 である 7

16 解釈がなされている つまり 素性の指定が尐ない ( 透明性が高い ) 無標な音ほど知覚的には目立ちにくいはずであるため 知覚的に目立たないものを無標だと見なすわけである 2 通りの解釈が混在している問題に対して Hume (2008) は 2 つの解釈はそれぞれ別のメカニズムによって有標性と結びついており よって共に妥当であるとの見解を示している 12 よって ある知覚的な際立ちの度合いを持つ音が無標となるか有標となるかは現象によって異なるため 知覚的要因によって有標性を説明しようとする際には その現象の背景を充分に理解しておく必要がある 産出的要因に比べると知覚的要因は議論されることが尐なく 現象によっては全く考察の対象となっていない場合もある 13 よって 本研究では特にこの知覚的要因の働きについて考察することとする 個別言語の音素使用 ( 出現 ) 頻度個別言語における音素使用 ( 出現 ) 頻度も 有標性と関連付けて議論される指標の一つである 音素頻度と有標性の関係については 細かく見ると 2 通りの解釈が存在する 一つ目の解釈は 有標性と音素頻度が直接的に関係しているとし 頻度が高いものほど無標であると考えるものである ( 例 : Hume 2008) この立場では 無標な音や構造は一般に好まれるものであるため 有標な音と比べて使用されやすいと考え 使用頻度が高い音ほど無標であると想定されている この解釈を支持する例として失語症患者の発音における正産出率と個別言語の音素頻度が正の相関を示すという報告 (Trost and Canter 1974) が存在するが 一方でこの解釈を支持できない ( 幼児の音素正産出率と個別言語の音素頻度の間には相関がない ) という報告も存在する (Takeyasu and Akita 2009 (cf. 中西他 1970)) 二つ目の解釈は 音素頻度を有標性の法則に沿う現象に対してではなく有標性の例外に対する説明として積極的に用いるというもので この立場には Beckman et al. (2003) や Tsurutani (2007) がある 14 出現頻度が高い音には乳児 成人共に知覚的な選好 バイアスが生じやすいことが指摘されているため (Jusczyk et al. 1993, van Heuven and Menert 1996) 音素頻度は知覚的要因とも密接に関わっている要因であるが 知覚的要因と同様に 音素頻度の影響も充分な考察がなされていない分野の一つでもある よって 本研究では個別言語の音素頻度の影響についても考察する その他の要因視覚的要因や認知的な要因も有標性に関係することが指摘されている 視覚的に見やすい (visibility が高い= 両唇音など調音器官の前面で発音される ) 音は聴覚障害者に獲得されやすいことはよく知られているが ( 江口他 1966, Nober 1967, Dodd 1976, Dodd and So 1994, Chin 2003) 視覚的情報は健常児の音韻獲得や成人の音の知覚においても重要であることが指摘されている (Dodd 1976, Beckman et al. 12 Hume (2008) は有標性を 言語を使用する個人が持つ期待値 (EXPECTATION) というより一般的な概念で捉えようと試みており その意味で有標性を否定する立場である ただし Hume は有標性を示すものとして議論されてきた現象や指標自体を否定しているわけではなく それらを統一的に説明するための枠組みを新たに提示しているものであるので Hume の見解は本研究における解釈に援用することができる 13 Kluender et al. (1988) は 言語普遍的な現象が身体的 (physiological) な制約に基づくと言った場合 それは調音 ( 産出 ) 的な面のみが強く含意されてしまっていることを指摘し 知覚的な側面からの考察も必要であると主張している 産出面重視の傾向は現在でも続いているため 言語普遍性に関する知覚的観点からの議論がやはり必要である 14 音素頻度の影響に関して Beckman et al. (2003) や Tsurutani (2007) では有標性の例外との関係のみが議論されており 有標性法則に沿う現象と音素頻度の関係についてどのように考えているかは定かではない 8

17 2003; 中西 1991, 中西 1992, Sekiyama and Tohkura 1991) 音韻論において 調音点( 両唇 歯茎 軟口蓋 ) の中では歯茎音が最も無標であるとされているのに対し (Avery and Rice 1989, Paradis and Prunet 1989, de Lacy 2006) 幼児の音韻獲得においてしばしば両唇音の獲得が早いとされるのはこのような視覚的要因の関与が考えられる (de Lacy (2006) も両唇音の獲得が早いことについて 視覚的要因の関与が一因であるとの見解を示している ) よって 本研究ではこの視覚的要因についても考察する 本研究の目的本研究の目的は 有標性が生じる理由 ( 特に音声学的な基盤 ) を明らかにすること および有標性の例外を説明することである そして それを通して音韻理論の発展に貢献することを目指す すでに述べたように 有標性および有標性の例外の音声学的基盤を明らかにすることは重要な課題であり 多くの先行研究がその生起要因として様々な要因を挙げてきたが どの現象にどの要因がどの程度関与するのかはまだ明らかにされていない部分が多い 比較的よく議論されるのは音声学的な要因であり 音声学的な要因には主に産出的な要因と知覚的な要因が挙げられているが 知覚的な要因に関する議論は比較的尐なく 知覚的要因がどの程度説明力を持つのかは充分に検討されていない そこで本研究では音声学的要因の中でも特に知覚的な要因が有標性およびその例外が生じる理由の説明として機能するかを検討する また 個別言語の音素頻度も知覚と関係があることが指摘されているため 16 この要因についても考察の対象とし 議論する 有標性階層には様々なものが存在するが 本研究ではその中から以下に挙げた阻害音に生じる有標性階層を題材として 有標性および有標性の例外が生じる理由を音声学的要因によって説明できるかどうかを検討する (4) 阻害音に生じる有標性階層の例 a. 閉鎖音の調音点前寄り ( 両唇 歯茎 ) の方が後寄り ( 軟口蓋 ) よりも無標 b. 摩擦音 破擦音摩擦音のほうが破擦音よりも無標 c. 単子音 重子音単子音のほうが重子音よりも無標 d. 閉鎖音 摩擦音閉鎖音の方が摩擦音よりも無標 本研究で行う有標性とその例外の音声学的基盤を明らかにするという試みは 音韻論における有標性だけでなく 近年の 音声学に基づく音韻論 (Phonetically based phonology (Hayes et al. (eds.) 2004) の枠組みの妥当性を検証するという意義も持ち合わせている 音声学に基づく音韻論 においては 音韻現象に生じる非対称性を音声学的に説明することの重要性が指摘されている 本研究は (4) に挙 15 有標性と短期記憶との関係も指摘されている ( 例えば Clark (1977) は無標な音は有標な音よりも記憶の想起がしやすい傾向があることを述べている ) しかし 音の記憶に関しては先行研究が尐ないため 以降の議論からは除くこととする 16 出現頻度が高い音には乳児 成人共に知覚的な選好 バイアスが生じやすいことが指摘されている (Jusczyk et al. 1993, van Heuven and Menert 1996) 9

18 げた 4 つの有標性階層 すなわち 閉鎖音の調音点の有標性 摩擦音 破擦音の有標性 単子音 重子音の有標性 閉鎖音 摩擦音の有標性について 各有標性階層またはそれに対する例外は音声学的要因によって説明できるとの作業仮説のもと その妥当性を主に知覚実験に基づいて検討するものであるから この点で 音声学に基づく音韻論 の枠組みに則った研究であるという位置づけが可能である つまり 実験を通して有標性階層への例外を音声学的に説明することが可能であることを示すことで 有標性に関する音韻理論に貢献するだけでなく 音声学に基づく音韻論 のアプローチの妥当性についても検証することが可能である 2 章では 閉鎖音の調音点の有標性について議論する 閉鎖音の子音連続の調音点同化において 歯茎は最も同化されやすく同化を引き起こしにくいのに対して軟口蓋音は最も同化されにくく同化を引き起こしやすいという非対称性が生じることが知られている 閉鎖音の子音連続の調音点同化の現象は 調音点に有標性階層が存在する証拠の一つとして挙げられてきた現象であり よって有標性と深く関わるものである 調音点同化における同化の起こりやすさは閉鎖音の子音連続における調音点の知覚しやすさに関係があるという議論が Jun (2004) によってなされている しかしながら Jun の知覚による説明は閉鎖音の調音点の知覚に関する知覚実験を行った先行研究 (Halle et al. 1957, Lehiste and Shockey 1972, Wang 1959, Lisker 1999) の結果と矛盾する点が存在しており さらに ロシア語 英語 韓国語 中国語話者を対象にした知覚実験によって Jun が提案した仮説を検証した Kochetov and So (2007) で 両唇 歯茎 軟口蓋の 3 つの調音点の相対的な知覚しやすさは被験者の母語によらず一定であったが Jun の仮説を完全に支持する結果は得られなかったと報告されていることから Jun の仮説の妥当性には疑問が投げかけられている 一方 多くの先行研究 (Halle et al. 1957, Lehiste and Shockey 1972, Wang 1959, Lisker 1999) の実験における刺激の音韻環境は Jun が説明対象としているものとは異なること ( 先行研究の実験は語 ( 発話 ) 末 (...VC#) であるのに対し Jun が説明対象としている音韻環境は子音連続 (...VC 1 C 2 V...) である ) また Kochetov ら実験では刺激の音韻環境が限られており 分析も不十分であったことから Jun の仮説はまだ検証される余地が残っている そこで本研究では 中国語話者と日本語話者に対して Kochetov and So (2007) の知覚実験の問題点を修正したうえで知覚実験を行い Jun (2004) の仮説を再検討することで有標性と知覚的要因の関係性について論じる 3 章では摩擦音 破擦音の有標性とその例外について議論する Jakobson (1941/1968) は 摩擦音は破擦音よりも無標であると述べている しかしながら 有標性の指標の一つである音韻獲得において 摩擦音 破擦音の獲得順序には言語間差異が生じることが指摘されている (Zhu and Dodd 2000, 窪薗 2003) 音韻獲得に言語間差異が生じる理由は 個別言語の音素出現頻度( 出現の比率 ) にあるという仮説が Beckman et al. (2003) により提案されているが 摩擦音 破擦音についてもその仮説で説明可能であるのかどうかは議論されていない そこで 本研究ではまずこの仮説を検証するために 摩擦音の獲得が破擦音の獲得よりも早いとされる英語と破擦音の獲得が摩擦音の獲得よりも早いとされる日本語について 摩擦音と破擦音の出現数の比率を求めて比較した さらに 英語話者 中国語話者 日本語話者 韓国語話者に対する知覚実験を行い 個別言語の音素頻度と音韻獲得順序の言語間差異の間に知覚的な要因が働いている可能性について指摘する 4 章では 単子音と重子音の有標性とその例外について議論する 単子音は重子音よりも無標であるとされており 重子音の存在は単子音の存在を含意する 日本語には促音によって閉鎖音の重子音が生じ 非促音 ( 単子音 ) と促音 ( 重子音 ) の対立が存在している 英語から日本語に入った借用語において s には促音が挿入されないのに対し sh には促音が挿入されるという非対称性が存在することが指摘されており ( 大江 1967, 工藤 窪薗 2008) 摩擦音の調音点(s, sh) に関する非対称性として議 10

19 論の対象になっているが 本研究ではこれが単子音と重子音の有標性の問題 ( 借用語において sh が含意の法則を破っている ) でもあることをまず議論する 次に 先行研究 ( 工藤 窪薗 2008) で提案された 日本語話者の s と sh の促音判断境界が異なる (sh に促音を感じやすい ) という仮説を検証するための知覚実験を行うことで このような例外が生じる理由を明らかにすることを試みた そして 有標性の例外が生じる際に個別言語的な知覚要因がその一因となる場合があることを論じる 5 章では閉鎖音と摩擦音の有標性とその例外について議論する 閉鎖音は摩擦音よりも無標であるとされており 摩擦音は閉鎖音よりも避けられやすいことが予測される しかしながら 語中などの非語頭の位置においては閉鎖音が避けられ 摩擦音がむしろ好まれるような例がしばしば存在することを 様々な音韻現象のデータをもとに議論する そして そのような位置による影響がなぜ生じるのかを 知覚実験に基づいて考察する 11

20 2. 閉鎖音の調音点の有標性とその音声学的基盤 本章では 閉鎖音の調音点の有標性とその音声学的基盤について 閉鎖音の子音連続における調音点同化の非対称性 の現象の考察を通して議論する 2.1 節では 閉鎖音の最も基本的な 3 つの調音点 ( 両唇 歯茎 軟口蓋 ) の有標性に関する先行研究を総括し 後寄りの調音点は有標である という閉鎖音の有標性階層の存在が指摘されてきたが 一方でその音声学的基盤はいまだ明らかにされているとはいえない状況にあることを示す 続く 2.2 節では 先行研究のデータをもとに閉鎖音の子音連続における調音点同化の非対称性の音韻的事実を確認し 2.3 節ではこの非対称性が有標性と密接に関係するものとして音韻論で議論されてきたこと また 非対称性の理由の考察が有標性の音声学的基盤の解明につながるものであることを議論する 2.4 節および 2.5 節では 先行研究において調音点同化の非対称性が生じる理由がどのように説明されてきたかを総括し また それらの説明には問題点があることを指摘する 最後に 2.6 節では先行研究における問題点を修正し 調音点同化の非対称性が生じる音声学的な理由を明らかにするために本研究で行った実験の結果を報告し その結果を踏まえて有標性の音声学的基盤について議論する 2.1. 閉鎖音の調音点の有標性言語音には基本的 ( 無標 ) なものと複雑 ( 有標 ) なものが存在しており こうした有標性の階層は普遍的なものであると想定されている 閉鎖音の調音点に関しては 前寄り ( 両唇 歯茎 ) が後寄り ( 軟口蓋 ) よりも無標だとされており (Jakobson 1941/1968) 有標性の含意法則によれば 後寄りの子音の存在は前寄りの子音の存在を含意する 17 より近年の理論的枠組みにおいては 後ほど議論するように 両唇 歯茎 軟口蓋の中で最も無標なのは歯茎音であり 最も有標なのは軟口蓋音であると想定されているが ( 素性の underspecification: Avery and Rice 1989; 最適性理論 : de Lacy 2006) ここではまず伝統的な Jakobson の有標性仮説に基づいて議論し その後により新しい枠組みについて議論する 閉鎖音の調音点の有標性 : 音韻的事実有標性の存在は 自然言語の音素分布 ( 無標であるほど広く分布する ) 幼児の音韻獲得( 無標であるほど早く獲得される ) 音の喪失( 無標であるほど喪失されにくい ) などの現象を見ることで確認される ( 窪薗 1999) Maddieson (1984) によると 閉鎖音の中で最も基本的な調音点は両唇 歯茎 軟口蓋であり 自然言 17 Jakobson は幼児の音韻獲得において両唇音の獲得が最も早く 軟口蓋音の獲得は最も遅いことを挙げており ここからは両唇音は最も無標で軟口蓋音は最も有標であることが示唆される しかしながら Jakobson は音韻獲得の段階がある程度進んでくると両唇音よりも歯茎音の方がより基本的な役割を担うようになるとも指摘しており ( 例 : 閉鎖音では p が t よりも早く獲得されるが 摩擦音では s が f よりも早く獲得される ) 両唇音が常に最も無標となるわけではないことを述べている 言語獲得初期において両唇音の獲得が早いという事実は 言語における視覚的情報の重要性 ( 江口 1966, 中西 1991, 1992, Nober 1967, Smith 1975, Dodd 1976, Sekiyama and Tohkura 1991, Dodd and So 1994, Beckman et al. 2003, Chin 2003) に起因するものである可能性がある ( 調音器官に中で最も前面に位置する唇を用いる両唇音は視覚的に際立っているため 音韻獲得においては獲得が早い ) 12

21 語 (317 言語 ) の中でこれらを一つも持たない言語はほとんど存在しない しかしながら 言語によっては閉鎖音の体系の中で一部が欠けてしまっている場合がある 表は Maddieson (1984: 35) の記述をもとに無気閉鎖音の分布をまとめたものである 無声の場合 調音点の中では両唇 (p) が体系から欠けることが多いのに対し 有声の場合には軟口蓋 (g) が欠けることが多いことが Maddieson により指摘されている このデータは 無声閉鎖音については残念ながら Jakobson の仮説に基づく予測に沿わないものの 有声閉鎖音については前寄りの調音点が無標であるという有標性の予測に沿うものである 無声 有声 表 1. 自然言語における無気閉鎖音の分布 (Maddieson 1984: 35) 無気閉鎖音を持つ言語数 両唇 歯茎 (dental, alveolar) 軟口蓋 全体 (291 言語 ) に対する割合 90.4% 99.7% 97.3% 全体 (212 言語 ) に対する割合 93.9% 92.0% 82.5% 幼児の音韻獲得においても 前寄りの閉鎖音は後寄りの閉鎖音よりも早く獲得される傾向があり 後寄りの閉鎖音が獲得されていない時期においては 後寄りの閉鎖音は前寄りの閉鎖音に置換される (fronting) ことがしばしば報告されている (Beckman et al. 2003) 以下の表は McLeod (ed. 2007) に記載されている言語のうち 日本語 英語 中国語 韓国語において閉鎖音が獲得される時期をまとめ それぞれ前寄り ( 両唇 歯茎 ) の閉鎖音が後寄り ( 軟口蓋 ) の閉鎖音よりも早く獲得されるという有標性からの予測に沿うかどうかを調べたものである ( 予測に沿う場合には 沿わない場合には どちらともいえない場合には で表示した ) その結果 両唇と軟口蓋の獲得時期を比較した場合には予測に沿うケース ( ) が 20 例 予測に沿わないケース ( ) が 3 例 どちらともいえないケースが 24 例であり 歯茎と軟口蓋の獲得時期を比較した場合には予測に沿うケースが 16 例 予測に沿わないケースが 7 例 どちらともいえないケースが 22 例であり 予測に沿うケースの数が予測に沿わないケースの数よりも圧倒的に多かった 以上のことから 全体として見ると前寄りの閉鎖音は後寄りの閉鎖音よりも早く獲得される傾向があると言える 以上の自然言語における音素分布や幼児の音韻獲得の例は 調音点に関して ( 絶対的なものとは言えないまでも ) 前寄り ( 両唇 歯茎 ) が後寄り ( 軟口蓋 ) よりも無標だという普遍的な有標性の階層が存在することを示唆するものである なお 近年の理論的研究 (de Lacy 2006 など ) においては 調音点 ( 両唇 歯茎 軟口蓋の 3 つ ) の有標性に関して 前寄りが後寄りよりも無標であるという解釈よりも 歯茎が最も無標で 両唇はその次に無標であり 軟口蓋が最も有標であるとする解釈が主流となっている 18 どちらの解釈を採るのかはひとまず置いておくとしても 尐なくとも 3 つの調音点の中で軟口蓋が最も有標であり 同じ閉鎖音であっても調音点によって有標性の度合いには差があると言える 18 De Lacy (2006) は 例えば幼児の音韻獲得のデータにおいて両唇音の獲得が早いのは視覚的情報の助けによるものであるため これは performance のレベルにおいて生じているものであって 生得的な有標性階層においては歯茎が最も無標であるという主旨の議論をしている 13

22 表 2. 日本語 英語 中国語 韓国語における閉鎖音の獲得月齢 (McLeod (ed) 2007 より ) データソース ( 引用ページ ) 日本語 McLeod (ed. 2007: 462) 英語 : McLeod (ed. 2007: 133, 153, 195, 213, 229, 248) 中国語 韓国語 アメリカ英語 African American English イギリス英語 Irish English Scottish English Australian English McLeod (ed. 2007: 520) McLeod (ed. 2007: 476) Ota and Ueda (2007) Smit (2007) Stockman (2007) Howard (2007) Rahilly (2007) Scobbie et al. (2007) McLeod (2007) Zhu (2007) Kim and Pae (2007) データソースに挙げられている文献 有標性の予測との調音点一致 p t k p vs. k t vs. k Takagi and Yasuda (1967) 3;0-3;5 3;0-3;5 4;0-4;5 Noda et al. (1969) 3;6-3;11 3;0-3;5 3;6-3;11 Nakanishi et al. (1972) 4;0-4;5 4;0-4;5 4;0-4;5 Sakauchi (1967) 2;10-3;3 2;10-3;3 2;10-3;3 Nakanishi (1982) 1;8-2;6 1;10-2;9 1;1-2;6 (2;1) (2;3) (2;2)? Templin (1957) 3;0 6;0 4;0 Prather et al. (1975) 2;0 2;8 2;4 Arlt and Goodban (1976) 3;0 3;0 3;0 Smit et al. (1990) 3;0 4;0 (F), 3;6 (M) 3;6 Stockman (1993; 2006a, b) 2;8-3;0 2;8-3;0 2;8-3;0 Anthony et al. (1971) 3;0-3;5 3;0-3;5 3;6-3;11 Dodd et al. (2003) 3;0-3;5 3;0-3;5 3;0-3;5 Grunwell (1985; 1987) 1;6-2;0 2;6-3;0? Ní Cholmáin (2002) Anthony et al. (1971) 3;0-3;5 3;0-3;5 3;6-3;11 Kilminster and Laird (1978) Chirlian and Sharpley (1982) Kilminster and Laird (1978) Chirlian and Sharpley (1982) 3;0 3;0 then 4;6 3;6? 3;0 3;6 3;0 3;0 3;0 3;0 2;6 2;6 2;6 p t k p vs. k t vs. k Zhu and Dodd (2000) 3;0 2;0 3;6 Oum (1986) Pae (1995) Kim (1996) Kim and Pae (2005) early 3 early 3 early 調音点の有標性の音声学的基盤 : 先行研究閉鎖音の調音点の有標性の度合いが異なっていることは古くから指摘されてきたが なぜ有標性の度合いが調音点によって異なるのかは未だ明らかにされていない部分である Donca Steriade (personal communication) によれば 調音点 ( 両唇 歯茎 軟口蓋 ) の有標性が生じる理由 ( 音声学的なもの 非音声学的なものを含めて ) を解明した研究は存在していない 近年では音韻現象を音声学的観点から説明することの重要性が指摘されており (Phonetically Based Phonology: Hayes et al. (2004)) 調音点 14

23 ( つづき ) データソース ( 引用ページ ) 日本語 英語 : McLeod (ed. 2007: 133, 153, 195, 213, 229, 248) 中国語 韓国語 McLeod (ed. 2007: 462) アメリカ英語 African American English イギリス英語 Irish English Scottish English Australian English McLeod (ed. 2007: 520) McLeod (ed. 2007: 476) Ota and Ueda (2007) Smit (2007) Stockman (2007) Howard (2007) Rahilly (2007) Scobbie et al. (2007) McLeod (2007) Zhu (2007) Kim and Pae (2007) データソースに挙げられている文献 有標性の予測との調音点一致 b d g b vs. g d vs. g Takagi and Yasuda (1967) 5;0-5;5 3;0-3;5 3;0-3;5 Noda et al. (1969) 3;0-3;5 4;6-4;11 3;6-3;11 Nakanishi et al. (1972) 4;0-4;5 4;0-4;5 4;0-4;5 Sakauchi (1967) 2;10-3;3 2;10-3;3 2;10-3;3 Nakanishi (1982) 1;3-2;9 (2;3) 1;11-3;0 (2;5) 1;7-2;9 (2;3) Templin (1957) 4;0 4;0 4;0 Prather et al. (1975) 2;8 2;4 3;0 Arlt and Goodban (1976) 3;0 3;0 3;0 Smit et al. (1990) 3;0 3;0 3;6 (F), 4;0 (M) Stockman (1993; 2006a, b) 2;8-3;0 2;8-3;0 2;8-3;0 Anthony et al. (1971) 3;0-3;5 3;0-3;5 3;6-3;11 Dodd et al. (2003) 3;0-3;5 3;0-3;5 3;0-3;5 Grunwell (1985; 1987) 1;6-2;0 1;6-2;0 2;6-3;0 Ní Cholmáin (2002) 1 2? Anthony et al. (1971) 3;0-3;5 3;0-3;5 3;6-3;11 Kilminster and Laird (1978) Chirlian and Sharpley (1982) Kilminster and Laird (1978) Chirlian and Sharpley (1982) 3;0 3;0 3;6 3;0 2;6 3;0 3;0 3;0 3;0 3;6 2;6 2;6 p h t h k h p h vs. k h t h vs. k h Zhu and Dodd (2000) 4;0 3;0 3;6 Oum (1986) Pae (1995) Kim (1996) Kim and Pae (2005) late 2 early 3 early 4 に生じる有標性階層の音声学的基盤を明らかにすることは急務の課題である 19 本章の目的は 閉鎖音の調音点に生じる有標性階層の音声学基盤を解明することである そのためのヒントは 本研究で議論する閉鎖音の調音点同化の非対称性から得られる すでに述べたとおり 近年の理論的研究 (de Lacy 2006 など ) においては 最も無標なのは歯茎で 両唇はその次に無標で 19 後ほど議論するように 視覚や舌の構造などが有標性の基盤として考えられうる 15

24 あり 最も有標なのは軟口蓋であると見なされている その根拠の一つとなっているのが 以下で議論する閉鎖音の子音連続の調音点同化における非対称性である この調音点同化の非対称性に関しては音声学的 ( 特に知覚的 ) 観点から説明できる可能性が高いことが先行研究によって指摘されている 調音点同化の非対称性は調音点に有標性階層が存在する証拠として挙げられている現象の一つであることから 閉鎖音の子音連続の調音点同化における非対称性が生じる音声学的基盤を確立することは 有標性階層の音声学的基盤を明らかにすることにつながるものである よって 本章では 閉鎖音の子音連続の調音点同化における非対称性が生じる理由について考察し それを通して有標性の音声学的基盤を探っていく 以下では まず閉鎖音の子音連続の調音点同化の現象における非対称性に関する先行研究を概観し 調音点同化の非対称性と有標性の関係について議論する 次に そのような有標性階層の逆転が生じる理由として先行研究で挙げられている仮説とその問題点について議論する そして 知覚実験によりその仮説の妥当性を検証する 2.2. 閉鎖音の子音連続 (C 1 C 2 ) における調音点同化の非対称性 : 音韻的事実子音連続とは母音をはさまずに子音が連続してできた音連続のことを指し 様々な言語において観察される 子音連続は 1 つの語の内部に生じることもあれば (last, stop, act, action) 語境界をまたいで生じることもある (good morning) 子音連続においては調音点同化が起こりやすいことが一般的に知られている この調音点同化の起こりやすさは 子音連続に含まれる子音とその配置によって異なることが指摘されている Byrd (1992) は (5) に挙げたように英語の子音連続において歯茎音が両唇音 軟口蓋音に同化される例は一般的であるのに対し 逆は尐ないことを指摘している また (6) に挙げたように 韓国語においても子音連続に含まれる子音によって生じうる同化のパターンが異なることが指摘されている (5) 英語の子音連続における調音点同化パターン (Byrd 1992) a. dm (m)m good morning [gəmoɹnɨn] tk (k)k fixed car [fikskɑɹs] tb (b)b dust broom [dəsbɹum] tg (g)g last girl [læsgɚl] b. pt pt pump tires [pʌmptaiɹz] (*[pʌmtaiɹz]) gd gd hug dogs [hʌgdɔgz] (*[hʌdɔgz]) (6) 韓国語の子音連続における調音点同化パターン (Jun 1995, cited in Kochetov & So 2007) a. tk kk /mit+ko/ [mikko] tp pp /kot+palo/ [koppalo] b. pk kk /ip+ko/ [ikko] pt pt (*tt) /ip+ta/ [ipta] (*[itta]) c. kt kt (*tt) /ik+ta/ [ikta] (*[itta]) kp kp (*pp) /tʃak+p h a/ [tʃakp h a] (*[tʃapp h a]) 現在の日本語においては音韻的に調音点を持つ閉鎖音の子音連続は存在しないが (5) や (6) に挙げた 16

25 例とよく似た非対称性が漢語に観察されることが指摘されている ( 窪薗 2005) (7) 日本語の漢語に見られる非対称性 ( 窪薗 2005) tk kk e.g., tet + kin tek.kin( 鉄筋 ) kt k(u)t e.g., kak + too ka.ku.too( 格闘 ) Jun (2004) は以上のような子音連続の調音点同化に関する通言語的な観察を通して 閉鎖音の子音連 続 (C 1 C 2 ) の調音点同化について (8) に挙げるような非対称性が類型論的に観察されること また (9) に挙げたような含意が成り立つことを指摘している 20 (8) 閉鎖音の子音連続 (C 1 C 2 ) における調音点同化の非対称性 (Jun 2004) a. 同化対象となる位置 : 同化されやすいのは coda(c 1 ) の位置である b. 同化対象となる調音点 :coronal が最も同化されやすく 軟口蓋音が最も同化されにくい c. 同化を引き起こす調音点 :noncoronal は coronal よりも同化を引き起こしやすい (9) 子音連続 (C 1 C 2 ) における調音点同化に関する含意法則 (Jun 2004: 69) a. position of target C 2 が同化を受けるならば C 1 も同化を受ける ( 例外 :C 2 が suffix であるとき ;C 2 が prevocalic でないとき ) b. target place 軟口蓋音が同化を受けるならば 両唇音も同化を受ける両唇音が同化を受けるならば 歯茎音 (coronal) も同化を受ける c. trigger place 歯茎音が同化を引き起こすならば 非歯茎音も同化を引き起こす (8a) は逆行同化が順行同化よりも起こりやすいことを述べたものである 同化が起こるとすれば 同化されるのは coda 位置の子音であることは (5) や (6) に挙げた例からも明らかである Jun は 同化はほぼ例外なく逆行同化として生じるとしており (9a) のような含意が成り立つとしている (8b) と (8c) は同化の起こりやすさと調音点の関係に関するものである (8b) は 調音点によって同化されやすさが異なることを述べている (5) (6) から明らかなように 歯茎音は両唇音 軟口蓋音に比べて同化を受けやすい また (6b) と (6c) の比較から 両唇音の方が軟口蓋音よりも同化を受けやすいことが示唆される Jun によれば この傾向は英語や韓国語に限らず 通言語的にも観察されるものであるという 下の表は Jun (2004:67) に挙げられている調音点同化に関する通言語的な調査結果のまとめである ( 表中の T は同化を受けることを表している ) この表から 歯茎音はいずれの言語においても同化を受けるのに対し 両唇音はそれよりも同化を受ける言語が尐なく 軟口蓋音は最も同化を受ける言語が尐ないという段階的な違いが観察される 20 Jun (2004) では調音法による調音点同化の非対称性についても論じているが 本研究では以下 閉鎖音の子音連続の調音点同化のみを対象とする また 子音連続には子音が 3 つ以上連鎖するものも存在するが 以下 本稿では 2 つの子音によって構成される子音連続について議論する 17

26 表 3. Jun (2004: 67) の調査結果 Coronal Labial Velar Diola Fogny T T T Malay T T T Nchufie T T T Yoruba T T T Thai T T T Korean T T Hindi T T Malayalam T T Catalan T English T German T Toba Batak T Yakut T Brussels Flemish T Keley-I T Lithuanian T (T = targeted, = undetermined or unknown) (8c) は 調音点によって同化を引き起こす力が異なることを述べたものである すでに議論したように 同化はほぼ逆行同化として生じるので これは C 2 に位置する子音の調音点によって同化の起こりやすさと見ることができる (5) や (6) などの調音点同化の例においては 同化が起こるのであればそれは C 2 が軟口蓋音や両唇音であるときであり C 2 が歯茎音であるときには C 1 の同化が起こっていない 例えば (6b) の韓国語の例では p が C 1 の位置にあるとき C 2 に t( 歯茎音 ) が来ても p は同化されないが k( 非歯茎音 ) が来ると p は k に同化される (5) (6) の他の例においても C 2 が歯茎音の場合には同化が起こらず 起こるとすれば C 2 が非歯茎音の場合に限られている 以上のことから C 2 が非歯茎音はそうでない場合と比べて C 1 の同化が起こりやすいことがわかる 調音点に関して Jun は 軟口蓋音が同化されるのであれば 両唇音も同化される 両唇音が同化されるのであれば 歯茎音も同化される (= (9b)) 歯茎音が同化を引き起こすならば 非歯茎音も同化を引き起こす (= (9c)) という含意法則が成り立つと述べている 2.3. 調音点同化の非対称性と有標性との関係調音点同化の非対称性のデータは 見方によっては前寄りの調音点 ( 両唇 歯茎 ) が後寄りの調音点 ( 軟口蓋 ) よりも無標であるという Jakobson (1041/1968) の有標性仮説 または歯茎が最も無標であり 軟口蓋が最も有標であるという近年の理論的枠組みにおける想定 (Avery and Rice 1989, delacy 2006) には沿わないものと解釈できるようにも見える 例えば 音節末の位置 (C 1 ) で出力される音という観点から見れば 調音点同化のデータにおいては最も有標な軟口蓋音が出力として最も好まれ 18

27 ており 無標であるはずの歯茎音は最も好まれない 位置的忠実性について論じている Beckman (1999) によると 位置には特権的な位置とそうでない位置とがあり 特権的な位置 ( 語根頭や音節頭などのいわゆる initial の位置 ) では音韻対立が保たれやすいが そうでない位置 ( 音節末など いわゆる non-initial の位置 ) では音韻対立が保たれなくなりやすい ( 中和が起こりやすい ) ことが指摘されている Beckman によれば このときの中和は有標なものが無標なものに合流する形で生じ 逆は稀であるとされているため 単純に考えれば調音点同化における C 1 において有標な軟口蓋音が生じることは問題であるようにも思われるわけである しかしながら 以下で述べるように 調音点同化における非対称性は有標性仮説に反するものではなく 音韻論においてはむしろ有標性階層が存在する証拠として捉えられているものである 閉鎖音の子音連続における調音点同化において 歯茎音は最も同化されやすく また 最も同化を引き起こしにくい 音韻論においては 同化におけるこうした事実は 有標なものは基底の表示において指定を持つのに対し 無標なものは基底の表示で指定を持たない という素性の underspecification と 指定のある素性から空の素性への spreading によって説明されてきた (Avery and Rice 1989) 21 例えば /tk/ [kk] という同化については 無標な t は基底での指定を持たないのに対し 有標な k は基底で指定されているため 指定のある k の素性が指定のない t に対して spreading によって付与され t が k に変化したと説明される また /kt/ において [tt] への同化が起こらないことについては C 2 にある t が基底での指定を持たないため C 1 に対する素性の spreading は生じることはなく よって t は同化を引き起こさない p が /tp/ において同化を引き起こすこと また /pk/ においては p が同化される場合があることについても 両唇音が歯茎音よりも有標で軟口蓋音よりは無標であると想定することで同様の説明が可能である ( 詳細な議論は Avery and Rice (1989) を参照 ) 歯茎音 (coronal) が最も無標で基底での指定を持たないのに対し 非歯茎音が基底で指定されているという想定が妥当であることは 歯茎音の透明性 (Paradis and Prunet 1989) の議論からも示される Paradis and Prunet (1989) は 母音の spreading や母音の融合 (fusion) において 2 つの母音が歯茎音を間に挟む場合には 2 つの母音が隣接しているかのように振舞う ( 母音の spreading や fusion が生じる ) 場合があるのに対し 2 つの母音が非歯茎音を間に挟むときにはそのような現象は起こらないことを指摘し これは歯茎音が基底で指定されていないためだと述べている 以上のように 閉鎖音の子音連続における調音点同化とそこに生じる非対称性の現象は調音点の有標性の議論に深く関係するものであり 調音点同化の非対称性に通言語的な共通性が観察されるという事実は普遍的な有標性階層が存在することを示すものである 2.4. 調音点同化の非対称性の音声学的基盤 : 先行研究における説明とその問題点閉鎖音の子音連続の調音点同化において非対称性が生じるという事実に対して 音韻論における有標性の観点から説明が可能であるのはすでに議論したとおりであるが やはり問題となるのは なぜ調音点の間に有標性階層が生じるのかという点である ここで 有標性 ( 以下では de Lacy (2006) で言う performance の部類に属する有標性も含めた広義の有標性を指すこととする ) が生じる要因として有望だと思われるものを挙げ その可能性について 21 同じ現象は 最適性理論においては複数の制約のランキングによって説明される (Jun (2004) に最適性理論における分析が提示されている ) 19

28 考えてみる まず 一般的な説明として用いられる産出的な要因 視覚的な要因 知覚的な要因について議論し これらの説明では有標性に関して統一的な説明が得られないことを指摘する 次に 調音点同化の非対称性の議論の中で提示された Jun (2004) による知覚のスケールについて概観し このスケールは調音点同化の非対称性を統一的に説明ができ また これが有標性の音声学的基盤に対しても示唆を与えるものであることを議論する 産出の労力 ( 困難さ ) 有標性の音声学的基盤としてまず考えられるのは 産出における労力または困難さである 産出的観点からの説明は 例えば無声閉鎖音と有声閉鎖音の生じやすさが異なる点をうまく説明できるものである (Westbury and Keating 1986, Hayes and Steriade 2004, Kawahara 2006) よって 産出的な要因が調音点の有標性について何らかの形で働いていると推測するのは自然なことである 以下では Kirchner (2001) で挙げられている産出の労力の指標に基づき 調音点の有標性階層と産出的要因の間に何らかの関係があると言えるかどうかを見ていく 表 4 は Kirchner (2001: ) に挙げられた音素の産出の労力の表から 閉鎖音に関する箇所を抜き出して作成したものである この表から明らかなように Kirchner (2001) のモデルにおいては調音点の違いによって産出にかかる労力が異なるとは想定されていない 22 よって Kirchner のモデルに基づけば 閉鎖音の調音点の有標性を産出的観点から説明するのは難しいということになる 表 4. 音素の算出にかかる労力 (Kirchner 2001: , rate/register A) Strong Position における労力 Weak Position における労力 p 60 b 50 p 85 b 75 t 60 d 50 t 85 d 75 k 60 g 50 k 85 g 75 pp 65 bb 68 pp 90 bb 93 tt 65 dd 68 tt 90 dd 93 kk 65 gg 68 kk 90 gg 93 もちろん 以上の議論は Kirchner のモデルが正しいと想定した場合のことであって 産出的要因が一切関係しないと言い切れるかどうかは様々な観点から検討が必要な部分である 例えば 解剖学的観点からは 軟口蓋音が歯茎音に比べて有標であるのは人間の舌の構造上の特徴を基盤にしている可能性が示唆される 人間の舌の組織を調べた Miller et al. (2002) の報告によると 人間の舌の組織は骨格筋などの他の筋肉組織とは異なる形態構造を有しており また 舌を構成する組織は舌の位置 ( 前 22 このモデルでは単子音の無声閉鎖音と有声閉鎖音では有声閉鎖音の方が産出に要する労力が尐ないことになっているため 有声閉鎖音の産出が難しいという先行研究とも矛盾しており 有声性に関する有標性の観点からも不自然であるようにも思われる 先行研究との食い違いについては 先行研究における議論は閉鎖区間中の有声 ( 声帯振動 ) の維持の困難さに重点が置かれているのに対し Kirchner のモデルは産出にかかる様々な要因が取り入られているためであると思われる ( 例えば 無声閉鎖音は一般に有声閉鎖音よりも閉鎖区間の持続時間が長いため 調音にかかる時間が長く よって全体としては必要な労力が高くなることが予想される ) また 有標性の観点については Kirchner の議論においては最終的な出力は労力のみでなく忠実性との兼ね合いで決定されるため 必ずしも有声閉鎖音が出力されやすいということにはならない 20

29 部 中間部 後部 ) によって組織の分布と割合が異なっている Miller らによれば 舌の伸縮は筋肉以外の組織であるコラーゲンや弾性繊維 (elastic fiber) などからなる繊維状組織によって可能となっており これらの組織は特に舌の前部に集中している ( よって 舌の前部は特に柔軟性が高い ) 本研究では 以上の Miller らの報告が舌の構造と調音点の有標性とが関係していることを示唆するものだと考える 舌によって口腔内に閉鎖を作り出すことで調音される音は歯茎音と軟口蓋音であるが このうち歯茎音は舌の前部を用いて調音される音であり 舌の前部は柔軟性が高く動かすのが容易であることから 歯茎音は軟口蓋音と比較して調音しやすい音であることが推測される 23 もちろん Miller らの議論における舌の柔軟性が直ちに調音の容易さに結びつくかどうかは慎重に考える必要があるし 両唇音についてはどのように説明されるのかといった点は問題になるが 尐なくとも 歯茎音と軟口蓋音の間の有標性の違いについては産出的な要因によって説明できる可能性がある 視覚的要因調音点の情報 ( の尐なくとも一部 ) は視覚から得ることが可能であるため 調音点の有標性を考える上では視覚的な要因についても考えてみる必要がある 聴覚に障害のある子供 46 名 (3 歳 ~15 歳 ) の発音調査を行った Nober (1967) によると 視覚的に見やすい (visibility が高い ) 両唇音はそれ以外の音と比べて正しく発音される率が極めて高かった 視覚的に見やすい音が聴覚障害者に獲得されやすいことは Nober (1967) 以外にも数多くの報告があり ( 江口他 1966, Nober 1967, Dodd 1976, Dodd and So 1994, Chin 2003) また 視覚的情報は健常児の音韻獲得や成人の音の知覚においても重要であることが指摘されている (Dodd 1976, Beckman et al. 2003; 中西 1991, 中西 1992, Sekiyama and Tohkura 1991) 幼児の音韻獲得においてしばしば両唇音の獲得が早いとされるのはこのような視覚的要因の関与が考えられる (de Lacy (2006) も両唇音の獲得が早いことについて 視覚的要因の関与が一因であるとの見解を示している ) よって 両唇音が軟口蓋音よりも無標なのはこうした視覚的要因が影響した結果であると解釈することができる 知覚的要因最後に 知覚的な要因が調音点の有標性に何らかの影響を与えている可能性について考えてみたい 単音節または 2 音節語における語末閉鎖音 p, t, k ( または b, d, g) の単子音の知覚しやすさを実験により調べた先行研究 (Halle et al. 1957, Lehiste and Shockey 1972, Wang 1959, Lisker 1999, Abramson and Tingsabadh 1999, Winitz et al. 1972) から 調音点の知覚しやすさは release の有無 先行母音の質 被験者の母語など 様々な要因によって異なることが示されている ( それぞれの先行研究の実験内容 結果は後ほど詳しく議論する ) もし知覚的要因が有標性と強く関係しているのであれば release の有無によって調音点の知覚しやすさが異なることから 語末閉鎖音を常に release させない韓国語と release させてもよい英語では有標性の階層が異なることになる また 先行母音の質も調音点の知覚しやすさに関与しているから 母音体系が異なる言語間ではやはり有標性の階層が異なることになる 有標性の階層は言語を問わず普遍的なものであると想定されているため これは問題である よって 以上で挙げた先行研究における語末閉鎖音の知覚実験結果に基づく限りは 知覚的な要因は調音点の 23 後ほど議論するように 歯茎音は調音点の同化を受けやすく 同化を引き起こしにくい ( 軟口蓋音はこの逆 ) 言語学の先行研究 (Byrd 1992, Jun 2004) では これは歯茎音の調音速度が軟口蓋音に比べて速いためであると解釈されているが この説明は Miller et al. (2002) の柔軟性の議論とうまく符合するものである 21

30 有標性に関与していないと見なさなければならない その他の説明の可能性産出的要因 視覚的要因 知覚的要因と有標性との関係について考察した結果 産出的要因と視覚的要因によって それぞれ歯茎音が軟口蓋音よりも無標であること 両唇音が軟口蓋音よりも無標であることについてはある程度説明できることがわかった しかし これらの説明では歯茎音と両唇音の間についてどのような有標性階層が生じるのかは明確に予測することができない そこで 以下では上記以外の説明ができないかどうかを考えてみる その手がかりは 調音点同化の非対称性が生じる理由に関する先行研究から得られる 調音点同化の非対称性に対しては 有標性の議論とは独立して音声学的な観点からの説明が試みられている Byrd (1992) は 調音動作に関する変数を設定することである調音運動から得られる音を出力するモデル (articulatory synthesizer) から得られた合成音 ( 子音連続 (bb, bd, db, dd) を含む語 ) を用いて知覚実験を行い 歯茎音が調音点同化を受けやすい理由が調音動作 (gesture) のオーパーラップによって生じることを指摘した 子音連続における C 1 の知覚においては C 1 に先行する母音が持つ手がかり ( フォルマント遷移による情報 ) が重要であるが Byrd によると 非歯茎音は調音動作が遅いため C 2 の非歯茎音は C 1 に先行する母音の調音動作とオーバーラップを起こしやすい ( すなわち C 1 に先行する母音が持つ C 1 の情報が曖昧になってしまいやすい ) のに対し 歯茎音は調音動作が速いため C 2 の歯茎音は C 1 に先行する母音の調音動作とオーバーラップすることは尐なく (C 1 に先行する母音が持つ C 1 の情報が比較的保たれやすい ) このような調音速度の違いと調音動作のオーパーラップによって調音点同化の非対称性が生じる理由を説明可能である Jun (2004) は Byrd (1992) の主張を発展させ さらにその他の知覚的な要因も考慮に入れることで 閉鎖音の子音連続の調音点同化に非対称性が見られる原因を総合的に議論している Jun によると 調音点によって知覚しやすさの度合いに違いがあり 調音点同化の非対称性はこうした知覚的観点から説明される ( 詳細については以下で議論する ) Jun による説明 Jun (2004) は 調音 音響 知覚に関する種々の先行研究に基づき 通言語的な音韻パターンとは独立して 音声学的観点から調音点の知覚しやすさに関して (10) のようなスケールが存在すると主張している 提案されたスケールは 位置や調音点により知覚的な際立ちの度合いが異なることを想定したもので Jun はこれを調音点同化に非対称性が生じる理由の説明として用いている このスケールにおいては 知覚的に際立っているものほど調音点の情報がより伝達されやすいので同化されにくく 知覚的に際立っていないものは調音点の情報が失われやすいので同化を受けやすいと説明がなされる (10) 調音点に関する知覚の際立ちのスケール (Jun 2004) 24 a. 位置 :_V (onset) > _C (coda) b. 同化を受ける調音点 (target place): dorsal > labial > coronal c. 同化を引き起こす調音点 (trigger place):_coronal > _non-coronal 24 このスケールは C 1 が閉鎖の開放を伴わない場合を想定して作成されている このスケールに関して Jun が挙げている根拠 ( 詳細は以下で議論 ) も C 1 閉鎖の開放を伴わない場合を想定したものである 22

31 (10a) は onset(c 2 ) の位置の方が coda(c 1 ) の位置よりも音響的 知覚的により際立っている ( よって onset の位置では同化されにくい ) ことを述べたものである Jun は (10a) のスケールの根拠として 位置による閉鎖の開放のパターンの違い ( 閉鎖音は onset の位置では必ず閉鎖の開放という手がかりを伴って発音されるのに対し coda の位置では必ずしも閉鎖の開放を伴わない ) と 人間の聴覚系システムの非対称性 (C 2 に対する手がかりとなる CV transition の方が C 1 に対する手がかりとなる VC transition よりもより際立っている ) の 2 点を挙げている (10b) は歯茎音が知覚的に最も目立ちにくく 軟口蓋音は逆に最も際立っている ( よって 歯茎音はもっとも同化されやすく 軟口蓋音は最も同化されにくい ) ことを述べたものである この 軟口蓋 > 両唇 > 歯茎 というスケールは 歯茎音は非歯茎音よりも知覚しにくい ( 軟口蓋 両唇 > 歯茎 ) と 軟口蓋音は非軟口蓋音よりも知覚しやすい ( 軟口蓋 > 両唇 歯茎 ) という 2 つの要素から成っている それぞれの要素について Jun は以下のような根拠を挙げている 25 一つ目の要素に対する根拠は 調音動作の重複による調音結合の影響の度合いの違いである C 1 の知覚の手がかりとなる先行母音からの VC transition は C 2 によっても影響を受けることが知られている Jun によると この VC transition が C 2 から受ける影響の度合いは C 1 の調音動作の速度と関係している 歯茎音は両唇音 軟口蓋音に比べて調音動作が早いため C 1 が歯茎音である場合 C 1 の手がかりである先行母音からの VC transition は C 2 の影響を受けやすく 本来含まれていたはずの C 1 の調音点の情報が不明瞭になってしまいやすい 一方 C 1 が非歯茎音である場合 その調音動作は比較的緩やかであるために先行母音からの VC transition は C 2 による影響を受けにくい よって 非歯茎音は歯茎音よりも先行母音からの VC transition によって同定されやすいことになる Jun は Winitz et al. (1972) が行った知覚実験を取り上げ Winitz らの実験においても歯茎音へのフォルマント遷移は最も調音点の情報が尐なく 歯茎音が非歯茎音よりも知覚しにくいという結果が得られており 以上の調音的観点からの説明は知覚的にも裏付けられるとしている 26 二つ目の要素に対する根拠として挙げられているのは 軟口蓋音に隣接する母音に見られる F2 と F3 の収束 (convergence) である 上述の Winitz et al. (1972) の知覚実験において 語末の閉鎖音の閉鎖開放部分のみを切り出したものを聞かせてその調音点を判断させた場合と それらにもともと隣接していた母音 100ms 分も加えて聞かせて判断させた場合とを比較すると 軟口 25 調音点同化を調音動作の重複により説明する試みは Byrd (1992) でもなされている 26 Jun の Winitz らの実験結果の解釈には大きな問題がある まず 歯茎音が非歯茎音よりも知覚しにくいという結果が得られたという Jun の解釈に関しては 確かに Winitiz らの一部の実験結果は歯茎音が非歯茎音よりも正答率が低い傾向を示しているが そうでない結果も複数得られており 後ほど詳しく議論するように全体として見れば調音点による差はないと見るのが妥当な解釈である 歯茎音へのフォルマント遷移は最も調音点の情報が尐ないとの解釈についても Jun は Winitz らの実験における C (release) のみを提示した場合の結果と先行母音も合わせたもの (VC) を提示した場合の結果の差を取ることによって先行母音からのフォルマント遷移の情報を推定したものである Jun のこの推定法は C に V を加えることによって C が得ることのできるフォルマント遷移の情報量と VC から C を削除したときに残るフォルマント遷移の情報量は等しいとの前提が成立する場合にのみ有効であるが 一般に人間の知覚の領域ではこうした前提は成り立たないことが多い Jun のスケールが unreleased である場合のスケールである以上 そのときの調音点によるフォルマント遷移の情報量の多寡を議論するのであれば 先行母音 +unreleased な閉鎖音 または VC から release を削除したもの (V(C)) の知覚実験結果を根拠とするか 先行母音 +release のある閉鎖音 (VC) の知覚しやすさと V(C) の知覚しやすさを比較するなどの方法をとるべきである そもそも Jun のスケールは unreleased な閉鎖音に関するものであるにも関わらず Winitz らの実験の刺激にはすべて release のある閉鎖音が使用されている unreleased な閉鎖音または release を削除した音声を刺激として用いた先行研究は数多く存在しているので そうした先行研究を根拠に用いた方がより正確であろう 23

32 蓋音は非軟口蓋音と比べて隣接母音を加えることによって正答率が劇的に改善したとの報告がされており Jun はこの実験結果を軟口蓋音への VC transition は非軟口蓋音への VC transition よりもより多くの情報を持っている ( すなわち 子音連続の C 1 において軟口蓋音は非軟口蓋音よりも知覚しやすい ) ことを示すものであると解釈している 27 軟口蓋音への transition が非軟口蓋音への transition より多くの情報を持つ理由は F2 と F3 の収束は軟口蓋音に対する頑健な音響的手がかりであり 軟口蓋音はこの F2 と F3 の収束によってマークされるためであると Jun は説明している ( 以上の説明からも明らかなように このスケールは音節末 (C 1 ) という特定の条件における調音点の知覚しやすさについて述べている ) (10b) のスケールに関して重要な点は このスケールは閉鎖音が unreleased である場合を想定して作成されている点である (10c) は C 2 が coronal であれば そうでない場合よりも C 1 が際立つ ( すなわち C 2 が coronal のときはそうでないときと比べて C 1 の同化が起こりにくい ) ことを述べたものである ここでも調音動作の重複による調音結合の影響の度合いの違いが根拠として挙げられている 上述のように 歯茎音は両唇音 軟口蓋音に比べて調音動作が早い よって C 2 の歯茎音は C 1 との調音動作の重複が尐なく C 1 への VC transition に対して影響を与えにくい 一方 比較的調音速度が緩やかな非歯茎音が C 2 の位置に来た場合 その調音動作は C 1 の調音動作に食い込みやすく C 1 への VC transition に対しても影響を与えやすい よって C 2 が歯茎音であるときと比べ C 2 が非歯茎音であるときには VC transition が本来持っていたはずの C 1 の情報が不明瞭になってしまいやすい 以上のことから Jun は C 2 が coronal であれば そうでない場合よりも C 1 の調音点の知覚がしやすいと説明している (10) の知覚のスケールは (8) に挙げられた通言語的に見られる音韻パターンと鏡像的な関係にある 例えば 調音点と同化されやすさの関係については (8b) の音韻パターンでは同化されやすいほうから順に歯茎 > 両唇 > 軟口蓋であるのに対し (10b) の知覚のスケールでは知覚しやすい方から順に軟口蓋 > 両唇 > 歯茎である (10b) の知覚のスケールを知覚しにくい方から順に並べ替えると 歯茎 > 両唇 > 軟口蓋となり 音韻パターンの順序と一致する (8a) と (10a) (8c) と (10c) に関しても同様の関係が成立する よって Jun は子音連続の調音点同化に見られる非対称性は音の知覚しやすさ ( しにくさ ) によって生じていると説明している Jun の立場では 通言語的に共通の調音点同化のパターンが観察されるのは 言語間に共有された知覚のスケールの存在によることになる 既述のように 調音点同化は有標性とも密接に関係している現象であり これを音声学的に説明することは有標性が生じる理由を音声学的に説明することにもつながるため Jun の研究は非常に意義のあるものである しかしながら Jun による説明には問題点があることも指摘されており Jun の主張には妥当性を検証されるべき点が残されている 以下では まず Jun (2004) による知覚的観点からの説明とそれに関係する先行研究を概観する そして 閉鎖音の子音連続の調音点同化が生じる理由を音声学的に検討する Jun のスケールの問題点 Jun のスケールは 閉鎖音の子音連続における調音点同化に通言語的な共通性が観察されることを知覚的な観点から説明するために作成されたものである しかし この知覚のスケールには問題点が存在することが先行研究において指摘されている Kochetov and So (2007) は 閉鎖音の子音連続において C 1 に閉鎖の開放がある言語は数多く存在す 27 ここでの Jun の解釈にも 同様の問題が存在する 24

33 ること また 閉鎖の開放は閉鎖音の調音点の情報を持つことを指摘し Jun のスケールが C 1 の閉鎖音が unreleased である場合を想定して作成されたものであり release がある場合に関しては言及していないことについて 問題があると指摘している さらに Kochetov らは Jun のスケールは 知覚 に関するものであるにも関わらず その根拠が知覚実験などの知覚に関わる事実よりも 調音的 音響的な観点から推測された知覚しやすさに基づいている ( すなわち スケールは実際の知覚しやすさを反映していない可能性がある ) ことを指摘し 知覚のスケールは知覚実験を行い その結果に基づいて作成されるべきであると述べている 筆者の知る限りでは Jun のスケールのうち先行研究における知覚実験においてコンセンサスが得られている結論に基づいていると言えるのは (10a) のみである (10b) に関しては 以下で議論するように多くの先行研究での知覚実験における結果とスケールは一致しておらず (10c) に関してはそもそも C 2 が C 1 の知覚に与える影響について調べた先行研究が尐ないことから 議論の余地がある 以上のことから 本稿も Kochetov らの指摘に賛同する さらに Jun のスケールには Kochetov らの指摘以外にも問題点があると思われる Jun のスケール (10b) は unreleased の軟口蓋閉鎖音は知覚しやすいということを述べており その根拠は先行母音から軟口蓋音への VC フォルマント遷移は非軟口蓋音への VC フォルマント遷移よりもより情報を持っているというものである しかしながら 閉鎖の開放を伴わない ( すなわち VC フォルマント遷移のみ提示された場合の ) 軟口蓋閉鎖音は両唇 歯茎音と比べて知覚しにくいというのが 過去の知覚に関する先行研究の間では一般的な見解である (Delattre 1958, Lisker 1999) また 多くの先行研究で調音点の知覚しやすさは隣接する母音によっても異なることが指摘されており この点が考慮されていない点も問題となる可能性がある 以下では Jun のスケールの妥当性を考えるに当たって まず VC フォルマント遷移のみまたは VC フォルマント遷移と release によって閉鎖音の調音点がどの程度知覚可能であるのかを検討するために 語末位置にある閉鎖音の調音点の知覚に関する先行研究を概観する 語末閉鎖音に関する先行研究 Halle et al. (1957) は 自然発話による CVC 型の単音節語 ( 母音は /i, ɑ, u, ɪ, ʌ/ 語末子音は p, t, k, b, d, g, #( なし )) の語末子音の開放部分を削除した音声を刺激として 語末子音の同定実験を行った その結果 Halle らは k, g の正答率が他の調音点と比べて低い傾向があり これは特に母音が tense である場合に顕著にあったこと また k, g に限らず全体として母音が lax である場合には tense である場合と比べて子音の正答率が高くなるという 母音による影響が存在することを報告した 表 5 は Halle et al. (1957: 114) に挙げられている表の実数をもとにして筆者が正答率を計算してまとめたものである p, t, k の正答率は平均で 62.0%, 74.5%, 30.0% b, d, g の正答率は平均で 49.4%, 80.0%, 31.1% であり 無声 有声ともに軟口蓋閉鎖音の正答率が低いことがわかる 個別に見ると 軟口蓋音が常に他の調音点よりも正答率が低いとは言えない場合もある 例えば 母音が ɪ であるときの k の正答率は 90.0% であり 同じ母音のときの p, t の正答率 ( ともに 76.7%) を上回っている しかし Halle らの実験は回答数が尐ないため k と p, t の正答率は正答数に換算するとわずか 4 回答分の差であり これは偶然に起こりうる範囲の差であると言える (Halle らの実験は被験者や刺激の提示方法などの詳細が記述されていないため 正確な統計的検定を行うことは困難であるが このデータに対してカイ 2 乗検定の使用が可能であると想定した場合 20% を超える正答率の差がなければその差が有意であると判断することは不可能である ) よって 個々の ( 母音ごとの ) 結果においては 軟口蓋音は他の調音点よりも正答率が低いか 差がないかのどちらかであり 軟口蓋 25

34 表 5. Halle et al. (1957) の実験結果 ( 条件別の正答率 ) p t k a 16.7% (5/30) 86.2% (25/29) 6.7% (2/30) i 86.7% (26/30) 40.0% (12/30) 3.3% (1/30) u 60.0% (18/30) 80.0% (24/30) 13.3% (4/30) ʌ 70.0% (21/30) 90.0% (27/30) 36.7% (11/30) ɪ 76.7% (23/30) 76.7% (23/30) 90.0% (27/30) 平均 62.0% (93/150) 74.5% (111/149) 30.0% (45/150) b d g a 73.3% (22/30) 96.7% (29/30) 23.3% (7/30) i 50.0% (15/30) 60.0% (24/40) 2.9% (1/35) u 17.5% (7/40) 86.7% (26/30) 3.3% (1/30) ʌ 36.7% (11/30) 95.0% (19/20) 47.5% (19/40) ɪ 80.0% (24/30) 73.3% (22/30) 79.3% (23/29) 平均 49.4% (79/160) 80.0% (120/150) 31.1% (51/164) Lehiste and Shockey (1972) は 英語話者が発音した V 1 CV 2 (V 1 = V 2, V = /i, æ, a, u/, C = p, t, k) の C と V 2 を削除した音声 (V(CV)) と 同じく英語話者が発音した VC(C の release 有 ) を刺激として 50 名の被験者に対して C にある子音を同定させる実験を行った 29 その結果 Lehiste らは閉鎖の解放を伴う場合 (VC) の正答率の方が 閉鎖の開放を伴わない場合 (V(CV)) の正答率よりも高かったこと また 調音点ごとに正答率を見た場合には 閉鎖の開放を伴う場合には t, k が p よりも高かったのに対し 閉鎖の開放を伴わない場合には p が t, k よりも高かったことも報告している また 母音の種類によっても正答率が異なる傾向が見られたことを報告している 表 6 は Lehiste and Shockey (1972: ) に記載されている先行母音ごとの正答率と全体正答率を 筆者が表にまとめたものであるが Lehiste らの報告のとおり 閉鎖の開放がある場合 (VC) の方が全体に正答率が高いこと また 閉鎖の開放の有無によって p, t, k の正答率の順位が異なることがわかる 表 6. Lehiste and Shockey (1972) の実験結果 (p, t, k の正答率 ) V(CV) VC p t k p t k i 59.0% 42.0% 28.0% i 79.0% 92.0% 92.0% æ 47.0% 34.0% 46.0% æ 41.0% 93.0% 92.0% a 48.0% 17.0% 25.0% a 45.0% 81.0% 93.0% u 65.0% 38.0% 19.0% u 72.0% 95.0% 93.0% 平均 54.8% 32.8% 29.5% 平均 59.3% 90.3% 92.5% 音の方が他の調音点よりも正答率が高くなることはないと言える 29 前者の音声は VC 遷移を持ち 閉鎖の開放を持たない音声であるのに対し 後者の音声は VC 遷移と閉鎖の解放を持つ音声であるから Lehiste らの実験は閉鎖の開放を伴うものと伴わないものとを比較する実験の一種であると見なすことができる 26

35 Wang (1959) は CVC 型の単音節の有意味語および無意味語 ( 語頭子音は p, b, s, r のいずれか V は i 語末子音は p, t, k, b, d, g) で 語末子音が閉鎖の開放を伴って発音されたものについて 何も手を加えないもの (release 有 ) と閉鎖の開放部分を削除した音声 (release なし ) を刺激として 音声学の訓練を受けた者 (20 名 ) と音声学の知識のない者 (20 名 ) の 2 つのグループに対する語末子音の同定実験を行った その結果 Wang は release の有無に関して release がある場合の方がない場合よりも正答率が高い傾向があったが これは無声閉鎖音においてより顕著であったと報告している Wang は調音点による正答率の違いに関しては特に述べてはいないため それを調べるために Wang (1959: 70) の図から調音点ごとの正答率を筆者が目視で推定し それをまとめて表 7 を作成した Wang の実験において刺激の提示方法や提示回数が明らかではないため 調音点ごとの正答率の差について厳密な比較をすることは難しいが Lehiste and Shockey (1972) の実験結果にも見られたように release の有無によって調音点ごとの正答率の順位が入れ替わる場合がありうることが示唆されたと言える 表 7. Wang (1959) の実験結果 ( 子音ごとの正答率 ) release 有 release なし p t k p t k Group I 90% 97% 98% 75% 85% 73% Group II 95% 98% 100% 94% 88% 95% b d g b d g Group I 95% 90% 100% 100% 86% 90% Group II 100% 97% 100% 100% 97% 100% Lisker (1999) では 英語話者が発音した単音節語を用いて行った 3 つの実験の結果が報告されている 1 つは Lisker が 1958 年に行った実験の結果であり 2 つは Lisker (1999) のオリジナルの実験である いずれの実験についても 単音節語の母音は英語に存在する短母音 (monophthong, semidiphthong) と二重母音を含めた 13~15 種類 ( 実験によって異なる ) で 語末の子音は p, t, k であり 被験者のタスクは語末の子音を同定することであった 実験の結果 Lisker は release がなくなると語末閉鎖音の調音点の情報はある程度失われる (release がない場合に正答率が低くなる ) こと また その情報が失われる度合いは先行母音よって異なっており 母音では monophthong のときに nonmonophthong よりも正答率が高い傾向があり このような母音による差は軟口蓋音のときに最も顕著に見られる ( 結果的に unreleased の軟口蓋音の正答率が最も低い ) ことを報告した さらに Lisker はもともと release を伴わずに発音された音声 (unreleased) と 本来は release があった音声から release を削除して作成した音声 (dereleased) との間では結果に違いがなかったことも報告している 表 8 は Lisker (1999: 47, 48, 51, 53) に掲載されている実験結果をもとに 筆者が調音点ごとの全体平均正答率を計算してまとめたものである 30 release がある場合 ( 実験 2, released) を除き k の正答率 30 Lisker (1999) に記載されている 3 つの実験には番号は付けられていないが 便宜上記載されている順に 1958 年の実験を実験 1 Released vs. Unreleased Stops の実験を実験 2 Unreleased vs. Dereleased stops の実験を実験 3 として表を作成した なお 表中の released は閉鎖の開放を伴って発音された語末閉鎖音を含む刺激 unreleased は閉鎖の開放を伴わずに発音された語末閉鎖音を含む刺激 dereleased はもともと閉鎖の開放を伴って発音された語末閉鎖音の閉鎖の開放部分を削除して作成された刺激のことを表している 27

36 が他の調音点と比べて一貫して低いことがわかる 表 8. Lisker (1999) の実験結果 (p, t, k の正答率 ) p t k 1958 data, dereleased 79.6% 79.3% 53.3% 実験 2, released 99.7% 99.7% 98.5% 実験 2, unreleased 93.4% 94.4% 77.7% 実験 3, unreleased 91.5% 90.6% 74.9% 実験 3, dereleased 93.1% 91.5% 76.0% Abramson and Tingsabadh (1999) は タイ語の CVC 型の有意味語 ( 語頭子音は b, d, l, j, s 母音は e, a, u 語末子音は p, t, k, ʔで 語末子音に関する最小対 4 組 計 24 語 ( 語頭子音 母音が語に含まれる頻度は不均等 ) を 2 名のタイ語話者が発音したもの なお タイ語の音節末の閉鎖音は unreleased である ) を刺激として 音声的に特に訓練を受けていないアメリカ英語話者 (19 名 ) 音声学的に訓練されたアメリカ英語話者 (7 名 ) タイ語話者(30 名 ) を対象に 語末子音の同定実験を行った その結果 Abramson らは p, t, k の正答率に関しては 2 つの英語話者のグループ間には差がないこと また 英語話者はタイ語話者よりも k の正答率が悪く p の正答率はよかったことを報告した タイ語の音声を用いているにも関わらず タイ語話者の p の正答率が英語話者の p の正答率よりも低かったことについて Abramson らは英語話者は両グループとも個別に実験を受けたのに対し タイ語話者の実験環境は外部からの雑音も混入しうる状況であり 30 名全員が一度に実験を受けるというものであったことから こうした実験環境の差がこのような結果を生んだ可能性があると述べている また Abramson ら自身は問題視していないようであるが 英語話者とタイ語話者は実験環境以外に 実験計画手法の観点からも違いがあることは指摘しておく必要がある 英語話者は 個人ごとにコンピュータプログラムにより刺激の順序がランダム化されているのに対し タイ語話者は全員が一つのテープによって同時に実験されているため テープに録音された刺激の順序はランダムであっても 被験者間では順序が異ならない よって 結果に歪みが生じる可能性は否定できない 表 9 は Abramson and Tingsabadh (1999: 116, 118) に記載されているデータの中から p, t, k の正答率を抜き出して筆者がまとめたものである 31 調音点ごとの正答率を比べた場合 表から 英語話者では k の正答率が p, t の正答率と比べて低い傾向が観察される ( 残念ながら Abramson らの分析では正答率に関して調音点 (p, t, k, ʔ) の主効果が有意であったと報告がされてはいるが 下位検定を行っていないため p, t, k のうちどこに差があったのかは不明である ) タイ語の語末閉鎖音は unreleased であることを考えると Abramson らの実験結果は Halle et al. (1957) や Lisker (1999) などの実験結果に見られた release のない閉鎖音では軟口蓋音が最も正答率が悪いという傾向と一致するものである 一方 タイ語話者では英語話者とは異なり p が t, k よりも正答率が低い傾向が観察される 英語話者の結果と同様の理由で タイ語話者の結果に関して p, t, k の正答率の間に差があるかどうかは不明ではあるが Abramson らが報告しているように 英語話者とタイ語話者の k および p の正答率の間には有意 31 3 つの被験者のグループはそれぞれ人数 刺激の総数 刺激の提示数 実験環境などが異なっている 刺激の発話者は 2 名のタイ語話者であったが 英語話者は 1 名分の刺激のみ提示されており 2 名分すべてを提示されたのはタイ語話者のみであったので 表にはタイ語話者のみ 2 名の話者文の結果が記載されている 28

37 な差が観察されていることから 尐なくとも英語話者とタイ語話者では異なる傾向が見られたと言える 上述のとおり タイ語話者と英語話者は実験環境や実験手法が異なっているため こうした言語間の違いが純粋に母語による違いであるかは判断できないが この実験結果から調音点の知覚しやすさの度合いが言語間で異なる可能性があることが示唆されたと言えよう 表 9. Abramson and Tingsabadh (1999) の実験結果 (p, t, k の正答率 ) p t k native American English listener 94.7% 90.7% 71.4% skilled American listener 91.7% 96.4% 76.2% Thai Speaker1 87.9% 96.7% 92.0% Speaker2 82.2% 98.6% 98.0% Winitz et al. (1972) は p, t, k を release のみで同定可能かどうか また 隣接する母音 (100ms 分 ) と release を同時に提示した場合にはどうかを調べる知覚実験を行った 刺激として用いられた語は CVC 型 (V = a, i, u 語末子音は p, t, k) の 1 音節有意味語 18 語 32 であった 実験の刺激は 2 名の英語話者がキャリア文に入れて発音したものから該当する語のみを切り出し そこからさらに release のみ および先行する母音 100ms 分と release を切り出すことで作成され 30 名の被験者に対して 2 回ずつ提示された 被験者のタスクは 刺激を聞いてそれが p, t, k のいずれであるかを 3 択で判断させるもの ( 実験 I CO 条件 ) と 刺激を聞いて あらかじめ指定された ( 回答シートに記載されている ) 語末子音のみが異なる 3 つの最小対 (CVp, CVt, CVk) のうちどの語から切り出された音かを 3 択で判断させるもの ( 実験 I CV 条件 ) 刺激を聞いてその子音が何であるかを 2 択 ( あらかじめ回答シートに記載 ) で判断させるもの ( 実験 II CO 条件 ) 刺激を聞いて あらかじめ指定された( 回答シートに記載されている ) 語末子音のみが異なる 2 つの最小対 (CVp, CVt, CVk) のうちどの語から切り出された音かを 2 択で判断させるもの ( 実験 II CV 条件 ) であった 実験 I の被験者は 13 名 実験 II の被験者は 30 名であった 表 10 は Winitz et al. (1972: , ) の実験結果をまとめ 記載されているデータから筆者が全体平均を求めたものを加えて作成したものである Winitz らは release のみを提示した場合には正答率は t > p > k であり この傾向には選択肢が 3 択か 2 択かによる違いはなかったこと 隣接母音 100ms と release を提示した場合には k で最も正答率に改善が見られたことを報告した また このことから k はフォルマント遷移に頼った判断がなされると述べた Winitz らの実験結果と他の先行研究を比較する上で重要なのは 隣接母音 +release の実験結果である この条件は 他の先行研究における release のある条件とほぼ同じであると考えられるためである 他の先行研究における実験結果は ( 先行母音と )release がある場合には 調音点による正答率にはほとんど差がないか 両唇音の正答率が他よりも低い (Lehiste and Shockey 1972) というものであった Winitz らの実験結果では 先行母音の種類を考慮しないで全体の平均をとると 調音点による差は 3% の範囲に収まっており 差はほとんど見られないと言える また 先行母音別に調音点ごとの 32 Winitz et al. (1972) では複数の実験が行われているために語の総数は 36 語であったが ここで紹介す る語末子音の同定実験で使用された語の総数は 18 語であった 29

38 正答率を見ても 大半の結果は調音点間で正答率に差がないか または両唇音の正答率が低い 33 とい う 他の先行研究に見られた結果と同じ傾向を示している 34 表 10. Winitz et al. (1972) の実験結果 ( 条件ごとの正答率 ) 実験 I ( 選択肢 =3 択 ) 実験 II ( 選択肢 =2 択 ) 切り出し release のみ 隣接母音 +release 条件 た元の音 final final 節の母音 p t k p t k a 66% 48% 38% 84% 63% 72% CO i 62% 84% 75% 64% u 60% 78% 48% 76% 64% 68% a 47% 51% 48% 82% 88% 91% CV i 58% 75% 77% 88% u 53% 81% 61% 65% 85% 81% 全体平均 58% 70% 49% 77% 75% 78% a 76% 68% 78% 87% 79% 87% CO i 78% 86% 51% 87% 79% 65% u 65% 92% 68% 92% 78% 81% a 77% 65% 73% 78% 88% 97% CV i 67% 90% 48% 95% 95% 82% u 72% 97% 62% 80% 88% 90% 全体平均 73% 83% 63% 87% 85% 84% 以上の先行研究から 語末位置にある閉鎖音の調音点による知覚しやすさの度合いについて 以下のことが示唆される まず 調音点ごとの知覚のしやすさは release の有無によって異なる可能性がある release がある場合には 調音点による差はないか (Wang 1959, Winitz et al. 1972, Lisker 1999) 両唇音が他と比べて正 33 残念ながら Winitz らは p, t, k の個々の結果についてチャンスレベルとの比較はしているが 調音点間の結果については統計的検定による比較を行っていないため こうした差が偶然によるものか否かは不明である 同一の被験者に対して刺激の反復提示があることから 正確な検定のためには分散分析やロジスティック回帰分析による検定が必要であるが 被験者個人の結果は不明であるので 検定することができない そこで 個人のデータがなくても実施可能なカイ 2 乗検定が適切な分析方法であると想定すると Winitz らの実験における個々の条件での刺激数や被験者数から 有意な差が得られるには実験 I では 20% 以上 実験 II でも 10% 程度の正答率の差が必要となると推定される 34 ただし Winitz らの先行母音別の実験結果には 両唇音の正答率が他の調音点に比べて高いように見える場合も散見される 仮にこれらの結果が偶然に起こったものではないとすると Winitz らの実験結果は他の複数の先行研究の結果とは異なる傾向を示す場合があることになる Winitz らの実験結果が他の先行研究と異なる場合があったことに関しては 実験手法が他の先行研究とは異なるためである可能性がある Winitz らの実験では 刺激はランダムな順序でテープに録音されているが 被験者は全員が同じテープを聞いているために刺激の提示順序は被験者内では常に同じとなっている このような状況では 結果に歪みが生じる可能性がある また Winitz らの実験では刺激の提示方法も他の ( 実験手法に関する記述のある ) 先行研究とは異なっており テープをヘッドフォンではなくスピーカー経由で 被験者数名のグループに対して提示している このような状況も 被験者の注意を散漫にし 実験結果に歪みを生じさせる一因となった可能性もありうる 30

39 答率が低い (Lehiste and Shockey 1972) という傾向があったのに対し release がない場合には 軟口蓋が最も正答率が低い (Halle et al. 1957, Lehiste and Shockey 1972, Lisker 1999, Abramson and Tingsabadh 1999) か 調音点による差がほぼない (Wang 1959, Winitz et al. 1972) という傾向が見られた また 調音点ごとの知覚のしやすさは先行母音によって異なる可能性がある (Halle et al. 1957, Lehiste and Shockey 1972, Lisker 1999) 同様に 調音点ごとの知覚のしやすさは言語によっても異なる可能性がある (Abramson and Tingsabadh 1999) これらをまとめると 以下のようになる (11) 先行研究より推測される 調音点ごとの知覚のしやすさに影響する要因 a. 調音点ごとの知覚しやすさは release の有無によって異なる release あり :k, t p release なし :p, t k b. 調音点ごとの知覚しやすさは先行母音によって異なる c. 調音点ごとの知覚しやすさは言語 ( 被験者の母語 ) によって異なる Jun の (10b) のスケールは 閉鎖音の子音連続 (C 1 C 2 ) における unreleased な C 1 ( つまり音節末 ) の調音点の知覚しやすさについて述べたもので それによれば知覚しやすさは知覚しやすいほうから順に 軟口蓋 > 両唇 > 歯茎 である 一方 音節末 ( 語末 ) の閉鎖音の調音点に関する知覚実験を行った先行研究から導き出された閉鎖音の知覚しやすさは (11a) に挙げたように released であれば 軟口蓋 歯茎 > 両唇 unreleased な場合には 両唇 歯茎 > 軟口蓋 であり いずれも Jun のスケールとは一致しない Jun の (10b) のスケールは閉鎖音が unreleased である場合を想定しているため (11a) の release がある場合の順序とスケールが一致しないことは必ずしも問題ではないが (11a) の release がない場合の順序と合わないことは大きな問題となる Jun が (10b) のスケールを立てる根拠は unreleased な閉鎖音において 先行母音から歯茎音へのフォルマント遷移は非歯茎音へのフォルマント遷移よりも知覚しにくい また 先行母音から軟口蓋音へのフォルマント遷移は非軟口蓋音へのフォルマント遷移よりも知覚しやすいというものであったが 先行研究の知覚実験をまとめた結果からは Jun が挙げた根拠は先行研究における知覚実験からは支持されない Jun のスケールが知覚しやすさに関するスケールである以上 実際の知覚実験の結果と合わないことは問題である しかし Jun のスケールと (11a) のスケールは必ずしも同じ対象について議論をしているわけではないので Jun のスケールが先行研究における知覚実験結果と一致しなかったとしても それは問題にならないとの解釈も可能ではある まず (11a) は (C)VC#( 語末は unreleased または release を削除 ) という音声を刺激とした先行研究の知覚実験に基づいたものであるが Jun のスケールは (V)C 1 C 2 (V) という連続における unreleased な C 1 の知覚しやすさを述べたものであって (V)C# という環境での知覚しやすさを述べたものではない 実際に (10b) の根拠に関する Jun の説明では C 2 の調音動作との関連において C 1 の知覚しやすさが語られている つまり Jun のスケールは後に C 2 が存在するという特定の状況における音節末子音の知覚しやすさを述べているため 異なる条件である (11a) のスケールは当てはまるとは限らないと解釈することも可能であるわけである 実際には Jun がスケールの根拠として上に挙げた Winitz et al. (1972) などの実験結果 ( つまり C 1 の後に C 2 が存在しない条件での知覚実験 ) を引用していることを見ても Jun 自身は彼のスケールが C 1 C 2 という条件でのみ機能するものだとは考えていないようである C 1 の後に C 2 が存在するという条件にのみ当てはまると考えているのであれば C 2 が存在しない条件の知覚実験結果をその根拠とし 31

40 てあげるはずはないからである つまり Jun は (10b) のスケールが C 2 の有無に関わらず成立すると想定していると考えられる この想定は すでに議論したように先行研究における知覚実験結果とスケールが当てはまらないことから 妥当ではないと言える しかしながら このことは必ずしも Jun のスケール自体が誤りであることを示すものではない その想定や根拠に問題があったとしても 出来上がったスケール自体は偶然正しいものであることもありうる 上述のとおり Jun のスケールの妥当性を先行研究の結果に基づいて検証することは必ずしも適当ではないため 検証のためには調音点同化が頻繁に観察される...VC 1 C 2 V... という音環境にある刺激を用いた知覚実験がなされる必要がある Jun のスケールは 通言語的に観察される調音点同化のパターンを説明する上で非常に有用であることは否定できない事実である また 調音点同化のパターンを知覚的観点から説明しようとする Jun の試み自体は 現在の音韻論 音声学においても重要なものである よって C 2 があるときにも Jun のスケールが成り立たないかどうかを確認してみる価値は十分にある 2.5. 先行研究における Jun (2004) のスケールの検証 Kochetov and So (2007) による知覚実験 Jun のスケールを検証するためには...VC 1 C 2 V... という音環境にある刺激を用いた知覚実験が求められる また 調音点同化を全く起こさない言語の音声か 充分にコントロールされた合成音などを用いなければ結果の妥当性に疑問が投げかれられることになる このような条件をクリアした上で行われた研究として Kochetov and So (2007) を挙げることができる Kochetov and So (2007) は Jun のスケールを検証するために ロシア語話者 英語 ( カナダ ) 話者 韓国語話者 中国語話者 ( それぞれ 14 名ずつ ) を対象とする知覚実験を行った 英語話者以外はカナダに移住してきた人で 移住してきた時期はそれぞれ異なるが それぞれの言語と英語のバイリンガルであった 実験では 4 つの系列の刺激が使われており これらの刺激は 2 名のロシア語話者がキャリア文に入れて発音した [tac 1 # C 2 ap](c にはそれぞれ p, t, k が入る ) という語をキャリア文から切り出したものに 以下の手順で操作を加えて作成された 1: 手を加えない (C 1 release 有 後部要素有 ) e.g. [taptap] 2:C 1 の release のみ削除 e.g. [ta_tap] 3: 後部要素のみ削除 e.g. [tap ] 4:C 1 の release および後部要素を削除 e.g. [ta_ ] 刺激は先行母音の中央部を基準にして強さが同じになるように調整された 被験者らのタスクは C 1 を同定することであった p, t, k は音韻論的にはいずれも無声閉鎖音であり 調音点以外の点では等しいものであるため 以上の方法によって音の知覚しやすさに関する調音点の影響を推定し Jun の仮説の妥当性を検証することができる Kochetov らが立てた予測は (12) のとおりである (12) Kochetov and So (2007) による実験結果の予測 a. release の有無による正答率 :released > unreleased b. C 1 の調音点ごとの正答率 :dorsal > labial > coronal c. C 2 による正答率 :C 2 = coronal のときの C 1 正答率 > C 2 = labial/dorsal のときの C 1 正答率 32

41 d. 言語による差 : ない ( dorsal > labial > coronal や released > unreleased は言語によらず 成立する (12a) は C 1 に release がある場合にはない場合よりも正答率が高くなるというもので release が調音点の情報を持つという複数の先行研究に基づいて Kochetov らが導き出した予測である この予測は Jun のスケールが unreleased なものしか対象としないということを問題視した Kochetov らによって 検証対象として加えられたものである (12b) は Jun の (10b) のスケールから予測されたものである (10b) のスケールが実際の知覚しやすさを反映しているのであれば 実験の結果 ( 正答率 ) は (12b) のように dorsal > labial > coronal となるはずである (12c) は Jun の (10c) のスケールからの予測である (10c) のスケールが妥当であれば 実験結果は (12c) のようになるはずである (12d) は (10) のスケールが普遍的に共有されたものであるという Jun の想定から導き出されたもので 絶対的な正答率は被験者の母語によって異なる ( 例 : 子音連続を許容する言語の話者は許容しない言語の話者よりも正答率が高い ) としても 相対的な調音点の知覚しやすさ ( dorsal > labial > coronal や released > unreleased ) は被験者の母語に関わらず共通であるという予測である (12d) の予測は 統計検定の観点からは被験者の母語と C 1 調音点との交互作用の有無を調べることで検証可能である ( 交互作用がなければ 調音点による知覚しやすさの度合いが母語によって異なるとは言えないことになり 予測は支持される ) 以下に挙げたように 被験者の母語は coda の子音を許容するか 許容する場合には 子音連続における C 1 の同化の有無 C 1 の release の有無という 3 つの観点についてそれぞれ異なる制約を持っている このような言語間の違いに関わらず (12d) の予測を支持する結果が得られたならば それは Jun のスケールが普遍性を持つことが示唆される 表 11. Kochetov and So (2007) が対象とした 4 言語の特徴 Coda の閉鎖音 C 1 C 2 における C 1 の同化 C 1 の release ロシア語 可 しない する 英語 可 coronal で同化する する (optionally) 韓国語 可 coronal, labial で同化する しない 中国語 不可 結果 Kochetov らは C 2 をプールしたときの C 1 ごとの平均正答率を明らかにしていないので Kochetov and So (2007: 410, 419) の表に記載されているデータから筆者が C 1 の平均正答率を求めたところ 表 12 のとおりとなった 表 12. Kochetov and So (2007) の実験結果 (p, t, k の正答率 ) p t k 条件 % 67.3% 88.3% 条件 % 50.6% 40.1% 条件 % 67.3% 91.6% 条件 % 67.1% 42.2% 33

42 Kochetov らの実験結果と (12) の予測との関係は以下のとおりであった release の有無による正答率 Kochetov らは 被験者の母語において C 1 が release されるか否かに関わらず いずれの言語の話者についても release があるときのほうがないときよりも正答率が高く (12a) の予測は指示されたと報告している 35 Kochetov らが報告しているデータよると release がある場合 ( 条件 1 条件 3) の正答率はそれぞれ 77.0% 78.5% であったのに対し release がない場合 ( 条件 2 条件 4) の正答率はそれぞれ 56.0% 62.5% であった 統計的検定は行われていないが release がある場合にはない場合よりも一貫して正答率が高いこと また release の有無に関する知覚実験を行った先行研究 (Wang 1959, Lehiste and Shockey 1972, Lisker 1999) の結果とも矛盾していないことから Kochetov らの報告は妥当であると解釈できる C 1 の調音点ごとの正答率と 言語による差 Kochetov らによると C 1 の正答率は C 1 の調音点ごとに異なっており その序列は表 13 のように release の有無によっても異なっていたと報告している ( > は有意な差が報告されたことを示している ) Kochetov らは release がある条件での正答率は (12) の予測を支持する結果が得られたが release がない条件では予測を支持する結果は得られなかったことを指摘し Jun の (10b) のスケールは完全には支持されなかったとしている また Kochetov らは Jun の (10b) のスケールは閉鎖音が unreleased である場合を想定したものであることから release がない条件でスケールを支持する結果が得られなかったことは問題であると指摘している 一方 被験者の母語による正答率に関しては 条件によっては平均の正答率には被験者の母語による違い ( 母語の主効果 ) が見られたが 調音点 被験者の母語の交互作用は観察されなかった 36 すなわち調音点による相対的な知覚しやすさの程度 (release がある場合 : k > p > t ; release がない場合 : p, t > k ) については母語による違いが見られなかったことが報告されており Kochetov らはこのことから (12d) の予測を支持する結果が得られたと述べている 表 13. Kochetov and So (2007) の実験結果 :C 1 調音点による C 1 正答率 後部要素 \release release 有 release なし C 2 有 条件 1 k > p > t 条件 2 p > t > k C 2 なし 条件 3 k > p t 条件 4 p, t > k C 2 による C 1 正答率 Kochetov らは C 2 によって C 1 の正答率が異なるという結果は観察されず ( 差は最大でも平均でわずか 3% 程度 ) また 被験者が回答に要した反応時間の点から見ても Jun の (10c) のスケールは支持されなかったと述べている ただし Kochetov らは C 2 の影響に関して統計的検定はしておらず 被 35 ただし Kochetov らは release の有無による正答率の差の度合いは調音点や言語によっても異なっていたことも同時に報告している (Kochetov and So 2007:413)) いずれについても統計的な検定は行われていない 36 条件 3においては調音点 被験者の母語の交互作用が有意であり これはロシア語話者が他の言語の話者と異なる傾向を示していた ( ロシア語話者では p と t の間に差がなく k > p, t であった) と報告されているが これは予測に矛盾するものではないと判断可能である 34

43 験者の母語によって C 2 の影響が異なるか否かなども分析していない Kochetov らの実験の問題点と 残された問題点 Kochetov らの実験は 子音連続において調音点同化を起こさないロシア語の音声で かつ調音的に同化が起こっていないことが magnetic articulometer によって確認されたもののみを刺激とすることによって Jun のスケールを直接的に検証したという点 また 背景の異なる言語の話者を被験者とすることで スケールが普遍的であるという Jun の想定を検証し そうした言語的背景の違いにも関わらず相対的な調音点の知覚しやすさの度合いは言語間で差がなかったことを示すことによって スケールの普遍性を明らかにしたという点において画期的なものであった しかしながら Kochetov らの実験では実験で設定された要因が 3 つ (C 1 調音点 C 2 調音点 被験者の母語 ) あり (12) の予測のもとで結果を分析するに当たっては 3 つの要因のいずれもが分析に組み込まれること ( 例 :3 要因の ANOVA) が必要であるにも関わらず Kochetov らの分析に組み込まれたのは C 1 調音点と被験者の母語の 2 つのみであり C 2 は組み込まれていない Kochetov らは C 2 の影響はなかったと報告しているが これは C 2 がそれぞれ p, t, k であるときの C 1 平均正答率を主観的に比較することでなされたものであり 本当に差がなかったのかどうかは不明である さらに C 2 を分析に組み込まなかったことで C 2 C 1 または C 2 被験者の母語といった交互作用の有無についても検討がされないまま放置されてしまっている このような状況では 本当は C 1 被験者の母語の交互作用が存在している ( 有意である ) のにも関わらず それが見逃されてしまう危険性がある 37 Kochetov らの実験は の予測にあるように C 1 被験者の母語の交互作用がないときに予測 (= (12d)) が支持されるというデザインとなっているため この点は重大な問題となりうる 先行母音が a に限られている点も スケールの普遍性を検討する上では問題となる可能性がある VC フォルマント遷移のみまたは VC フォルマント遷移と release が存在する刺激を用いて知覚実験を行った先行研究 (Halle et al. 1957, Lehiste and Shockey 1972, Lisker 1999) では 先行母音によっても調音点の正答率が異なることが指摘されている (= (11b)) どの母音のときにどのような傾向があるのかについては必ずしも先行研究間で同一の結果が得られていないが 尐なくとも先行母音によって調音点の知覚しやすさは異なる可能性があるということを考えると Jun のスケールを先行母音が a 以外の母音である刺激を用いて検証することは有意義である 38 Kochetov らの実験結果からは Jun のスケールは完全には支持されなかった このことから Jun のスケールは修正される必要があるように思われる ただし Kochetov らの実験には上で挙げたような問題点も存在することから 本来は Jun のスケールが妥当であるのにも関わらず Kochetov らの実験の側に問題があったために誤った結論が導き出された可能性も否定はできない Kochetov らの実験 37 Kochetov らが C 2 の影響を述べる際に行ったような C 2 がそれぞれ p, t, k であるときの C 1 平均正答率の比較 (C 2 の主効果 ) によって結果をまとめて一般化する方法は C 2 とその他の交互作用が有意である場合には 常にとは言えないが 適切ではない Kochetov らは C 2 の違いによって生じる C 1 正答率変化は平均で 3% 程度であったと述べているが Kochetov and So (2007: 410) に記載されているデータを見る限りでは 特定の条件での C 1 と C 2 の組み合わせにおいて C 2 の違いにより C 1 正答率が 10% 以上異なる場合もある もちろん データは回答のばらつきとの相対的な関係において議論されなければならないため 見かけ上の正答率の異なりの大きさだけで C 2 の影響があったかどうかを判断することはできないが 尐なくとも C 2 の影響が全く無かったとは断言できない可能性がある 38 この点については Kochetov ら自身も様々な音韻環境のもとで更なる検証を行う必要があることを 述べている 35

44 結果が上で挙げた問題点を全て考慮に入れた上で再現可能なものであるならば Jun のスケールは修正される必要があると言えることになる 以下では Kochetov らの実験の問題点を踏まえたうえで日本語話者 (Kochetov らが対象としていない言語 ) と中国語話者 (Kochetov らが対象とした言語 ) に対して知覚実験を行い Kochetov らの実験と同様の結果が再現されるかどうかを検証し それを通して Jun のスケールの妥当性について更なる検証を加える 2.6. 調音点の有標性への音声学的説明 : 知覚実験 実験の概要 ( 刺激 被験者 手順 ) この実験の目的は Kochetov and So (2007) が行った知覚実験の問題点が解消されるようにデザインされた実験を行った場合にも同様の結果が再現されるのかを確認することで Kochetov らの実験結果の一般性を検証し それによって Jun のスケールの妥当性を再評価することである Kochetov らの実験と本稿での実験の主な相違点は 以下で説明するように刺激とする音声の言語 刺激の音韻環境 被験者の母語 統計検定のスコープの 4 点である まず Kochetov らはロシア語の音声を刺激として用いたが 本稿では 日本語の音声を刺激として用いて Kochetov らと同様の手法で実験を行うこととした 日本語の音声を刺激として用いた場合にも Kochetov らの実験結果が再現されれば Kochetov らの実験結果はより一般性が高いものだと言えることになる 次に 刺激の音韻環境に関して Kochetov らは C 1 の先行する母音および C 2 に後続する母音を a に限定していたが 本稿の実験においては a だけでな i, u も含めることでより幅広い音韻環境の刺激を用いることとした (11b) にあるように 複数の先行研究において音節末 ( 語末 ) の閉鎖音の調音点の知覚しやすさは先行母音によって異なることが指摘されているため a 以外の母音についても同様の実験結果が得られるかどうかを確認することは Kochetov らの実験結果を評価するうえでも Jun のスケールを検証する上でも重要である 先行母音による相対的な調音点の知覚しやすさの度合いに違いがないという結果が得られれば Kochetov らの実験結果はより一般性が高いと言えることになる さらに Kochetov らの実験の被験者はロシア語話者 英語話者 韓国語話者 中国語話者であったが 本研究では日本語話者と中国語話者を被験者とした Kochetov らの実験で対象とされていない日本語話者についても Kochetov らの実験結果と同様の結果が得られるかどうかを見ることで Kochetov らの実験結果の一般性を測ることができる 最後に Kochetov らの実験の問題点としてすでに挙げたとおり 彼らの分析では C 2 が統計検定の要因として取り入れられていないが 本稿の実験結果の分析においては C 2 も要因に含めた上で検定を行う その上で Kochetov らの実験結果と同様の結論が得られるかどうかを調べることで Kochetov らの実験結果の一般性を検証することができ 通言語的な調音点の知覚しやすさのスケールの構築に向けて踏み出すことが可能となる 刺激ターゲット語は bv 1 C 1 V 2 C 2 V 3 ru (C 1, C 2 = p, t, k; V 1, V 3 = a, i, u; V 2 = i, u) からなる頭高型の無意味語 162 語 (3 (V 1 ) 3 (C 1 ) 2 (V 2 ) 3 (C 2 ) 3 (V 3 ) = 162 語 ) である (ti, tu については ティ トゥ と発音してもらう ) 刺激は日本語を母語とする女性の話者がキャリア文( これは~です ) に入れた状態で発音したものを録音し そこからターゲット語のみを切り出して作成した なお キャリア文は各ターゲット語がカタカナで表記されているリストを読み上げる形で各語につき計 2 回 ( 言いよどみが 36

45 あった語や C 1 が促音化した語についてはその場で言いなおしてもらったため 2 回以上 ) 発話してもらっているが 刺激の数が過剰になるのを避けるため 各ターゲット語について 1 つの発話のみを刺激作成用として選び出した 選定の基準は 1 言いよどみがないこと 2C 1 の閉鎖の開放がある (C 1 が促音化していない ) こと 3V 2 が無声化している (C 1 と C 2 が音声的に子音連続を形成している ) ことの 3 つとした 39 こうして作成された刺激の V 2 は無声化しているため 刺激中の C 1 と C 2 は音声的には C 1 に閉鎖の release を持つ擬似的な子音連続を形成しているものと見なすことが可能である ( よって 日本語音声による知覚実験の実施が可能である ) 作成された刺激について Kochetov & So (2007) との比較が可能となるよう Kochetov らと同様の手順で C 1 の release の削除 (C 1 の閉鎖区間 ~C 2 の release の直前までの振幅を 0 に設定 ) および後部要素 (C 2 以降の部分 ) の削除を行い 以下のような 4 系列の刺激を作成した 40 条件 1: 手を加えない (C 1 release 有 後部要素有 ) e.g. [bakparu] 条件 2:C 1 の release のみ削除 e.g. [ba_paru] 条件 3: 後部要素のみ削除 e.g. [bak ] 条件 4:C 1 の release および後部要素を削除 e.g. [ba_ ] 日本語音声を音声的な閉鎖音の子音連続と見なすことの妥当性 Kochetov らが刺激として用いたロシア語は音韻的に閉鎖音の子音連続 ( 同一子音の連続は除く ) が生じうる言語であり また 閉鎖音の子音連続が調音点同化を起こさない言語であるとされている さらに Kochetov らは調音的なオーバーラップ ( 同化 ) がほとんど生じていないことを確認した音声を使用したと述べていることから 彼らの用いた音声は音声的観点から見ても子音連続の知覚しやすさを調べる目的に合ったものである 一方 本稿の刺激は日本語における母音の無声化を利用して音声的な子音連続を得ることで作成されている 日本語は音韻的には調音点の異なる閉鎖音の子音連続を持たないと分析される言語であるが 本稿の目的は音声的に子音が連続しているときの子音の知覚しやすさを調べることが目的であるから 日本語の音声を用いることは問題ではないと考える 日本語の無声化環境において音声的な子音連続が生じると見なすことが可能であると考える根拠は複数存在する まず 完全に無声化が起こった場合 音響的には 母音 は存在しないことが指摘されている (Beckman 1982, Beckman and Shoji 1984) もちろん これはもともとあった母音が何であったかがわからなくなってしまうということではない もともとあった母音の情報は周囲のセグメント ( 特に無声化母音の前の子音 ) に音色の違いを生じさせる形で残されており 無声化した母音が本来どの母音であったかは音響的に 母音 の無い音声を聞いて先行子音の音色から復元可能であることが実験的にも示されている (Beckman and Shoji 1984 松井 2004) つまり 調音結合の影響によって母音の情報は残されてはいるが 音響的にいわゆる 母音 として残されているわけではない 閉鎖音に挟まれた母音が無声化した場合 無声化する前の母音の情報は主に先行子音の気息の音色の違いとして存在する 閉鎖音の気息は無声化した母音とも非常によく似ているために両者の間に線を引くことは難しく 39 2 と 3 についてはスペクトログラムにより確認した なお ターゲット語の V 2 は無声化する環境に あるが 2 つの発話とも V 2 が無声化されずに発音される場合があったので その場合には V 2 を削除 (V 2 区間の振幅を 0 に設定 ) して刺激とした 2 つの発話がいずれの条件も満たす場合には より自然だと感じられる方を聴覚判断により選んだ 40 条件 2と4については フィラーとして C 1 = 促音である 27 語も刺激として加えた 37

46 どちらであるとするかは解釈の問題となる これは日本語音声に限られたことではない 例えば Kochetov (2006) はロシア語の発話末の閉鎖音の release が持つ気息 (frication) は音響的には無声化母音とも言えると述べている 音響的には気息と見なしても無声化母音と見なしてもいいことから そこに母音があると解釈するかどうかはその言語の話者の直観に委ねられる部分が大きい 実際に 本研究の実験を実施する前に 予備実験として日本語の無声化母音を含む音声 ( 本稿の刺激 ) を英語話者に聞いてもらい 本来母音があった場所に母音が存在するかどうかを判断してもらったところ いずれも母音は存在しないと判断された つまり 本稿の刺激は閉鎖音の子音連続が存在する言語の話者にとっては子音連続である 41 このことからも 本稿の刺激を音声的な子音連続であると見なしても大きな問題は生じないと考えることができる 本稿の刺激は 持続時間の観点からも真の ( 音韻的な ) 子音連続と近いものである Kochetov and So (2007) が用いたロシア語の刺激の C 1 開始点から C 2 開始点の直前までの区間の平均持続時間は C 1 が p のときには 160 ms t が 156 ms k が 158 ms であったのに対し 同じ基準で測ったときの本稿の刺激 ( 条件を同じにするため 先行母音が a であるときの刺激に限定 ) の平均持続時間は p が 173 ms t が 165 ms k が 150 ms で 絶対的な持続時間はほぼ変わらないと言える これは本稿の刺激が真の子音連続と同じであることの証明にはならないが 尐なくとも真の子音連続とは全く違うものだと見なす必要はないことを示していると言える 最後に これは事後的な証拠であるが 本稿の刺激を用いて得られた実験結果は Kochetov らの実験結果と一致する点が多く Jun (2004) のスケールを支持する結果もかなり得られている これも本稿の刺激が真の子音連続と同じであることを積極的に証明するものではないが 尐なくとも真の子音連続とは全く違うものだと見なす必要はないことを示していると言える 以上のことから 本稿のように音声的に子音が連続しているときの子音の知覚しやすさを調べることが目的であれば 日本語の無声化母音を含む音声を音声的な子音連続だと見なすことは問題にはならないと筆者は考える 被験者日本語母語話者 14 名および中国語母語話者 12 名が実験に参加した 日本語話者に関しては 被験者の時間の都合上データが得られたのは各条件につき 12 名ずつで 条件 1~4まですべての実験の参加したのはこのうち 10 名であった 中国語話者に関しては データが得られたのは条件 1と条件 2では 10 名ずつ 条件 3と条件 4では 9 名ずつで 条件 1~4まですべての実験の参加したのはこのうち 6 名であった 被験者が条件 1から条件 4までを受ける順序はランダムに割り振られた 中国語話者はすべて日本に在住する方々で 1 名を除いて全員が神戸大学大学院に在籍する大学院生 41 同様の傾向は Dupoux et al. (1999) の実験結果にも見られる Dupoux et al. (1999) は 日本語話者およびフランス語話者を被験者とし 日本語の音声から作成された子音連続 ( 音声的なもの ) および間に母音を挟む音声 (...CVC...) と フランス語の子音連続 ( 音韻的なもの ) および間に母音を挟む音声を含む無意味語を刺激として 日本語話者とフランス語話者の挿入母音の知覚判断に違いがあるかどうかを調べる実験を行った その結果 Dupoux らは日本語話者は音響的には全く母音がない子音連続に対しても母音が存在すると判断するのに対し フランス語話者は音響的に母音がない ( または非常に短い ) 音声に対してのみ子音連続であると回答する傾向があったことを報告している Dupoux らの実験結果において重要な点は 日本語の音声から作成された刺激とフランス語の音声から作成された刺激の間で結果に全体として大きな違いが見られなかったことである つまり 尐なくとも音の知覚に関する議論においては音韻的な子音連続であるか否かよりも 実際の音声が音響的に母音成分を含んでいるかどうかが重要であることがここからも示唆される 38

47 で 非常に高い日本語能力を有していた 実験手順など刺激の提示は1 回で 被験者はそれを聞いて C 1 が何であるかを p, t, k の 3 択強制判断で回答 ( パソコンのキーボードで選択 ) した 42 刺激は条件 1から条件 4まで 4 つのブロックに分けられており 1 つのブロックには同一条件の刺激のみがランダムな順序で出現するよう設定した ブロックは実験の方式およびその条件の刺激の回答に慣れるための練習と それに続く本番の 2 部構成となっており 練習では本番で使用される刺激のうち 30 個がランダムな順序で提示され 本番ではその条件に当てはまる全ての刺激がランダムな順序で提示された ( 以降の分析には 本番の回答のみが使用された ) 4 つのブロックの提示順序は釣り合いがとれるよう被験者ごとにバランスをとった 刺激の提示および回答の記録はコンピュータ制御により行われた 被験者の疲労を避けるために実験は 2 日に分けて行われ 被験者は 1 日当たり 2 ブロックの実験を受けた 実験全体の所要時間は ブロック間の休憩を含めて合計で 30 分程度であった 予測 Jun の (10b) のスケールによると C 1 の相対的な知覚しやすさは 軟口蓋 > 両唇 > 歯茎 であるとされており このスケールが正しければ C 1 の正答率はこの順になることが予測されるが Kochetov らの実験においては C 1 に release がない場合には予測に反する結果となることが報告されており スケールの妥当性に疑問が投げかけられている また (10c) のスケールによると C 2 が非歯茎音であるときよりも歯茎音であるときに C 1 が知覚しやすいとされており このスケールが正しければ C 1 の正答率は C 2 が歯茎音であるときにそうでない場合よりも高くなることが予測されるが Kochetov らの実験においてはこれを支持する結果は得られておらず やはりスケールの妥当性に疑問が投げかれられている しかしながら Kochetov らの実験には上で議論したような問題点も存在していることから 本稿では Kochetov らの実験の問題点を修正した上で同様の実験を行ったときに 同じ結果が得られるかどうかを調べ Kochetov らの実験結果の妥当性を検証する 検証すべき点は 以下のとおりである (13) 検証すべき点と Kochetov and So (2007) の実験結果に再現性があると想定したときに予測される本稿の実験結果 a. C 1 の知覚しやすさは C 1 の調音点によって異なるか? また release の有無によってスケールが異なるか? 42 日本語 中国語ともに 閉鎖音の調音点には両唇 歯茎 軟口蓋の 3 系列しか存在しないため 自由記述ではなく 3 択強制判断とした 自由記述の場合 特に中国語は阻害音の尾子音を許容しない言語であるので 中国語話者は刺激の C 1 は音が存在しないものとして回答してしまう可能性があり 実験が成立しなくなってしまう また 仮にこの問題がクリアされたとしても 自由記述式では結果の分析において問題が生じる すなわち その言語に出現するすべての音素を選択肢として被験者が回答するものと仮定すると 言語によって用いられる音素の総数は異なるため 言語によってチャンスレベルが異なり よって言語間比較が困難になってしまう 本研究の実験においては タスクを 3 択強制判断にすることによって こうした問題を回避することが可能である さらに 同じく 3 択強制判断を用いた Kochetov and So (2007) の実験結果と本研究の実験結果を比較することが可能になることも 3 択強制判断とする利点である 一方 3 択強制判断にすることによって 実験結果が個別言語の音素使用頻度などの別の要因に影響されてしまい 子音の知覚しやすさを純粋に反映したものではなくなってしまう可能性もありうる この問題については 後ほど実験結果の考察の節で再度議論する 39

48 予測 : 異なる release がある ( 条件 1 条件 3): k > p t release がない ( 条件 2 条件 4): p t > k b. C 2 によって C 1 正答率に差が生じるか? 予測 : 差は生じない C 2 の主効果が有意でない c. 言語によって C 1 のスケールに違いがあるか? 予測 : ない被験者の母語と他の要因との間に交互作用はない d. 先行母音によって C 1 のスケールが異なるか? 予測 : 異ならない先行母音と C 1 の間に交互作用がない e. 日本語の刺激とロシア語の刺激で 結果に差はないか? 予測 : ない Kochetov and So (2007) の実験結果と一致する Kochetov らの実験結果は C 1 の知覚しやすさには C 1 の調音点によって違いがあり また release がある場合とない場合とで調音点の知覚しやすさの度合いが異なることを示していた (release がある場合 :k > p t;release がない場合 :p > t > k または p, t > k) Kochetov らの実験結果が妥当なものであるならば 本稿で彼らの実験の問題点などを修正した上で実験を行っても 同様に release がある場合には k > p t release が無い場合には p t > k という結果が得られると予測される Kochetov らは C 2 によって C 1 の正答率が影響されることは無かったと述べている 彼らの分析では統計的検定が行われていない点が問題であるが 本稿の分析でも同様の結果が得られるとすると C 2 の主効果が有意でないという結果が得られることが予測される 一方 Kochetov らの分析に問題があって 本来は Jun の (10c) のスケールが正しいとすると C 2 の主効果が有意となり C 1 の正答率は C 2 が t のときに C 2 が p や k のときよりも高くなることが予測される 中国語話者は Kochetov らの実験でも被験者として実験の対象となっていることから 当然ながら Kochetov らの実験と同様の結果を示すであろうと考えられる また Kochetov らが相対的な調音点の知覚しやすさは言語によらず同じであったと報告していることや Jun のスケールは普遍的なものであると想定されており (7) のように日本語にも Jun のスケールが当てはまると考えられる例が存在していることから 音の知覚においては日本語話者も他の言語の話者と同じ振る舞いを示すであろうと考えられる また よって 被験者の母語によって調音点の相対的な知覚しやすさの序列が変わることはなく 統計的検定の観点からは先行母音と C 1 の間に交互作用がないという結果が得られることが予測される 先行母音による影響は 本稿の実験で新たに取り入れられた観点である 先行母音による影響については不明な点が多く (11b) にあるように 先行研究の中には先行母音によって知覚しやすさが異なることを報告しているものがある (Lehiste and Shockey 1972, Lisker 1999) ただし これらの先行研究の見解は語末位置における閉鎖音 (release のあるものおよびないもの ) に関する知覚実験に基づいており 子音連続においてもそうであるとは必ずしも言えない可能性がある また これらの先行研究では先行母音による主効果的な要素 ( 調音点 (p, t, k) をプールしたときの先行母音による平均正答率 ) 40

49 のことを述べている傾向があって 先行母音によって調音点ごとの相対的な正答率が異なるかどうかは考慮されていない Junのスケールは調音点による知覚しやすさの度合いを述べたものであるから このスケールの検証においては 先行母音によって調音点ごとの相対的な正答率が異なるかどうかが重要であって 単に先行母音によって平均正答率に違いがあることは問題にはならない 43 Jun のスケールにおいては先行母音による影響については何も述べられていないため 予測の段階では先行母音が C 1 の調音点の知覚しやすさのスケールに影響しないと想定しておく この想定に基づくと 統計検定において C 1 先行母音の交互作用が有意でないことが予測される 最後に 日本語話者も他の言語の話者と同様のスケールを共有していること また p, t, k 音の産出にかかる身体的な制約は言語によらずほぼ一定であると考えられることから 刺激がロシア語の音声 (Kochetov ら ) であろうと日本語の音声 ( 本稿 ) であろうと同じ結果が得られるであろうと予測できる 結果図は各実験条件における C 1 正答率の平均値を示したものである 結果の分析には Kochetov and So (2007) と同様に多変数の ANOVA を用いた 本稿の実験における変数は 実験の条件 ( 条件 1~4) 被験者の母語 ( 日本語 / 中国語 ) V 1 (a, i, u) C 1 (p, t, k) V 2 (i, u) C 2 (p, t, k) V 3 (a, i, u) の 7 つである この 6 つすべてを要因として取り入れて分析をすることは不可能ではないが 主効果と交互作用を合わせて 127 個 ( 7 C C C C C C C 7 = = 127) にも及ぶパラメータを扱わなければならず 解釈が困難になることが予想される また 全ての要因を取り入れてしまうと分析における個々のセルのデータ数が減ってしまい 信頼できる結果が得られなくなってしまう可能性がある 44 Kochetov らの実験結果との比較および Jun のスケールの検証をするために不可欠なのは C 1 と C 2 そして被験者の母語であり これらは要因に入れておく必要がある また 本稿の実験の目的の一つは先行母音の違いによる影響を確認するためには V 1 も要因に入れて 43 例えば 先行母音が a であるときの p, t, k の正答率がそれぞれ 70%, 50%, 30% であったと仮定する また 先行母音が i であるときには正答率が 80%, 60%, 40% であったとする このとき 調音点をプールした先行母音 a のときの平均正答率は 50% 先行母音 i のときの平均正答率は 60% であり 平均に差はあるが p, t, k の相対的な正答率は同じ (p > t > k) である 先行母音によって違いがあると述べている先行研究では この平均正答率の違いを問題にしている こうした議論においては p, t, k の相対的な正答率は先行母音によって異ならないということが前提となっている しかしながら 平均正答率が違わなくても p, t, k の相対的な知覚しやすさは異ならない場合もありうる 例えば 先行母音が u であるときの p, t, k の正答率がそれぞれ 30%, 50%, 70% であったとしても やはり平均では 50% となる この場合 先行母音が a のときと平均正答率は同じであるが 調音点ごとの相対的な正答率は異なっている 先行研究では交互作用の有無 ( 調音点ごとの相対的な正答率が先行母音によらず同じであるかどうか ) を確認した上での平均の比較が行われていないので このような場合に先行母音が a のときと u のときとで結果に差はないと判断してしまう可能性がある Jun のスケールで問題となっているのは調音点ごとの相対的な知覚しやすさであるから 調音点ごとの相対的な正答率の違いが問題となる つまり たとえ平均の正答率が異なっていても 調音点ごとの相対的な正答率が同じ ( ここで挙げた例では先行母音が a のときと i のとき ) であれば問題にはならないが 平均の正答率が同じであったとしても調音点ごとの相対的な正答率が違っていれば ( 先行母音が a のときと u のとき ) それは問題となる 44 多変数の回帰分析において 経験則では 独立変数の数の 10 倍の対象データが集められることが望ましい (Dawson and Trapp 2004: 259) という意見がある 多変数の ANOVA は独立変数が名義変数である多変量の線形回帰分析と見なして実用上問題はないことから このガイドラインは本稿の分析にも当てはまるものと考えられる 6 つの変数をすべて取り入れてしまうとこの基準を著しく満たさなくなるため結果の信頼性に問題が生じる懸念がある 41

50 おく必要があった 一方 本研究では C 1 の相対的な知覚しやすさを対象にしており 絶対的な正答率の差はそれほど重要な検討対象ではないため その他の要因については必ずしも取り入れる必要はないと考え 以下のように扱うこととした まず 実験の条件については 図からも明らかなように条件によって正答率は大きく異なっている また 条件と各要因との交互作用も存在していることが統計的検定をかけるまでもなく明らかであり データを条件ごとに分けて検定をかけなおす必要が出てくることがあらかじめ予想される よって 実験の条件については検定の要因から除外し 最初からデータを条件ごとに分けて分析を行った Kochetov らの分析でも同様の手法が取られているため 同じレベルでの比較が可能である 次に V 2 については 無声化する母音が i のときと u のときとではそれに先行する子音 (C 1 ) の音質が大きく異なるため V 2 の違いによって異なる結果が得られる可能性がある ( 以下で議論するように 結果的には V 2 によって結果に若干の違いが見られた ) そこで データをあらかじめ V 2 が i である場合と u である場合に分け 実験の条件とクロスさせたうえで各条件について検定を行うこととした 最後に V 3 (C 2 に後続する母音 ) については 調音結合によって C 2 に後続する母音が C 1 の知覚に影響を与える可能性も論理的には存在するが Jun のスケールにおいても知覚実験関係の先行研究においても C 2 に後続する母音によって C 1 の判断が大きく影響されるという指摘は ( 筆者の知る限り ) 存在しない よって V 3 については誤差としてプールすることとした 分析には SPSS ( J) の線形混合モデルを使用した 被験者は被験者の母語によって層化され 要因は反復測定と定義された C 1 における調音点の相対的な知覚しやすさを明らかにするために 分散分析によって C 1 の主効果が有意であると判断された後 Bonferroni の信頼区間調整による下位検定によって p, t, k 間の正答率に差があるかどうかを分析した C 1 と他の要因との交互作用が見られた場合には単純な主効果の比較はできないので その要因の各水準における C 1 の主効果を再度分析し それが有意であった場合には下位検定を行うという手順を採った 従属変数は各被験者の C 1 正答率とした 率を対象となる場合 率を arcsine 変換してから分析にかける方法がしばしばとられる (Rietveld and van Hout 2005) しかし 本稿の実験結果では変換の有無によって結果が大きく変化することはなかったこと また Kochetov らの分析でも変換は行われていないことから 結果をより直接的に比較することが可能になるとの判断から 以下では変換を行わなかった場合の検定結果を提示し それに基づいて議論する 以上の指針に基づいて分散分析と下位検定を行った結果 以下の結果が得られた 42

51 43

52 44

53 条件 1 V 2 = i の場合 C 1 C 2 の主効果が有意であった (C 1 : F 2,520 = 19.6, p < 0.001; C 2 : F 2,520 = 5.2, p < 0.01) また 母語 C 1 V 1 C 2 C 1 C 2 母語 V 1 C 1 の交互作用も有意であった ( 母語 C 1 : F 2,520 = 3.7, p < 0.05; V 1 C 2 : F 4,520 = 4.0, p < 0.01; C 1 C 2 : F 4,520 = 10.1, p < 0.001; 母語 V 1 C 1 : F 4,520 = 2.9, p < 0.05) それ以外の要因は有意ではなかった C 1 の主効果 (C 1 の調音点ごとの平均正答率 ) の下位検定の結果は k(95.9%) が t(91.3%) よりも正答率が高く t は p(85.6%) よりも正答率が高いと言えることが明らかとなった また C 2 の主効果 ( C 2 の調音点ごとの C 1 の平均正答率 ) の下位検定の結果は C 2 が p であるときの C 1 正答率 (93.8%) が C 2 が t であるとき (88.5%) よりも高く C 2 が k であるとき (90.4%) には p と t のどちらとも差がなかった ただし C 1 および C 2 が関与する複数の交互作用が有意であったため これらの主効果によって単純に C 1 の調音点の相対的な知覚しやすさを議論することは適切ではない そこで 有意な交互作用があった要因に関してはさらにデータを分類してから全体の検定と下位検定を行い C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさ ( 正答率 ) に差があったか また C 2 の調音点の違いによって C 1 の知覚しやすさが異なるかどうかを分析した 結果は以下のとおりとなった C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさは被験者の母語によって異なっており さらに複数の要因が相互に関わりあって C 1 の相対的な知覚しやすさが決定されることが明らかとなった ( 表 14) 日本語話者では C 1 の調音点ごとの正答率は C 2 によって異なっていた C 2 が p のとき k が最も正答率が高く p が最も低い そして t は k, p のどちらとも差がないという結果が得られた また C 2 が t のとき k と p が t よりも正答率が高いという結果が得られ C 2 が k のときには k と t が p よりも正答率が高かった 一方 中国語話者では C 1 の調音点ごとの正答率に V 1 と C 2 が共に関わっており V 1 が i でかつ C 2 が k であるときと V 1 が u でかつ C 2 が k であるときに t が p よりも正答率が高く k は t, p のどちらとも差がないという結果が得られた C 2 の調音点の違いによる C 1 の知覚しやすさに関しては 単純に C 2 の調音点だけによって決まるのではなく C 2 と C 1 および V 1 とが相互に関わりあって C 1 の正答率への影響が決まることが明らかとなった ( 表 15) C 2 の影響が見られたのは C 1 が p でかつ V 1 が i または u のときと C 1 が t で V 1 が i または u のときであり それ以外では C 2 の調音点によって C 1 の正答率には差が見られなかった C 1 が p で V 1 が i のとき C 2 がそれぞれ p, t, k であるときの C 1 の正答率 ( 日本語話者と中国語話者の平均 ) は 90.3% 88.9% 69.2% で C 2 が p, t であるときと k であるときとの間に差が見られた C 1 が p で V 1 が u のとき C 2 がそれぞれ p, t, k であるときの C 1 の正答率は 92.2% 81.1% 78.3% で C 2 が p であるときと k であるときとの間に差があり t は p と k のいずれとも差はなかった C 1 が t で V1 が i のとき C 2 がそれぞれ p, t, k であるときの C 1 の正答率は 95.3% 76.1% 95.6% で C 2 が p, k であるときと t であるときとの間に差が見られた C 1 が t で V1 が u のとき C 2 がそれぞれ p, t, k であるときの C 1 の正答率は 96.9% 81.1% 98.6% で C 2 が p, k であるときと t であるときとの間に差が見られた なお C 2 に関して母語が関係する交互作用は存在しなかったので C 2 の影響に関する以上の結果は日本語話者と中国語話者双方に当てはまるものであった V 2 = u の場合 V 1 C 1 C 2 の主効果が有意であった (V 1 : F 2,520 = 5.6, p < 0.01; C 1 : F 2,520 = 9.5, p < 0.001; C 2 : F 2,520 = 5.1, p < 0.01) また 母語 V 1 母語 C 1 母語 C 2 V 1 C 1 C 1 C 2 母語 C 1 C 2 の交互作用も有意であっ 45

54 た ( 母語 V 1 : F 2,520 = 3.1, p < 0.05; 母語 C 1 : F 2,520 = 7.5, p < 0.001; 母語 C 2 : F 2,520 = 5.0, p < 0.01; V 1 C 1 : F 4,520 = 3.4, p < 0.01; C 1 C 2 : F 4,520 = 10.8, p < 0.001; 母語 C 1 C 2 : F 4,520 = 2.7, p < 0.05) それ以外の要因は有意ではなかった C 1 の主効果 (C 1 の調音点ごとの平均正答率 ) の下位検定の結果は k(96.0%) が t(90.3%) と p(89.6%) よりも正答率が高く t と p との間には差がないと言えることが明らかとなった また C 2 の主効果 (C 2 の調音点ごとの C 1 の平均正答率 ) の下位検定の結果は C 2 が p であるときの C 1 正答率 (95.0%) が C 2 が k または t であるとき ( それぞれ 90.7% 90.3%) よりも高く k と t の間には差がなかった ただし C 1 および C 2 が関与する複数の交互作用が有意であったため これらの主効果によって単純に C 1 の調音点の相対的な知覚しやすさを議論することは適切ではない そこで 有意な交互作用があった要因に関してはさらにデータを分類してから全体の検定と下位検定を行い C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさ ( 正答率 ) に差があったか また C 2 の調音点の違いによって C 1 の知覚しやすさが異なるかどうかを分析した 結果は以下のとおりとなった C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさは被験者の母語によって異なっており さらに複数の要因が相互に関わりあって C 1 の相対的な知覚しやすさが決定されることが明らかとなった ( 表 14) 日本語話者では C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさが C 2 によって異なっており C 2 が p のときと k のときには p, t, k の正答率には差が見られなかったが C 2 が t のときには k と p の正答率が t より 表 14. 条件 1の実験結果 :C 1 調音点による相対的な知覚しやすさ ( 統計検定結果 ) 日本語話者中国語話者条件 1 C 1 との交互作用 C 1 の正答率 C 1 との交互作用 C 1 の正答率 C 2 =p k > p V 1 =i, C 2 =k t > p V 2 =i C 2 V 2 =u C 2 C 2 =t k, p > t V 1, C 2 V 1 =u, C 2 =k t > p C 2 =k k, t > p それ以外 C 2 =p V 1 =a C 2 =t k, p > t V 1 =i V 1 C 2 =k V 1 =u k, t > p 表 15. 条件 1:C 2 による C 1 の知覚しやすさ ( 統計検定結果 ) V 2 =i 母語との交互作用なし V 2 =u 日本語話者のみ C 1 V 1 C 2 C 1 V 1 C 2 a a p i * p, t > k p i u * p > k u a a * p, k > t t i * p, k > t t i u * p, k > t u a a k i k i u u 46

55 も高いという結果が得られた 一方 中国語話者では C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさは V 1 によって異なっていた V 1 が a のときと i のときには p, t, k の正答率には差が見られなかったが V 1 が u のときには k と t が p よりも正答率が高いという結果が得られた C 2 の調音点の違いによる C 1 の知覚しやすさに関しても C 2 と C 1 および被験者の母語とが相互に関わりあって C 1 の正答率への影響が決まっており 単純に C 2 の調音点だけによって決まるのではないことが明らかとなった 日本語話者では C 2 の主効果と C 1 C 2 の交互作用が有意であった また 全体の検定においては有意水準に達していなかった V 1 C 1 C 2 の交互作用 (p = 0.065) が日本語話者のみを対象にした分析においては有意であった C 2 の主効果は C 2 が p のときの C 1 正答率 (96.6%) は C 2 が t のときの C 1 正答率 (88.0%) よりも高く C 2 が k のときの C 1 正答率 (93.2%) は p と t のどちらとも差がないというものであったが 複数の交互作用も有意であったことから水準ごとの分析を行っ 条件 1 表 16. 条件 1:V 1, V 2, C 2 による C 1 正答率 日本語話者 V 2 =i 中国語話者 C 2 C 2 C 1 V 1 p t k p t k a 94.4% 100.0% 97.2% 86.4% 91.1% 92.5% p i 94.4% 97.2% 83.3% 90.3% 88.9% 69.2% u 91.7% 91.7% 88.9% 92.2% 81.1% 78.3% a 100.0% 77.8% 91.7% 95.0% 86.4% 96.9% t i 97.2% 52.8% 94.4% 95.3% 76.1% 95.6% u 97.2% 80.6% 97.2% 96.9% 81.1% 98.6% a 100.0% 100.0% 94.4% 91.7% 98.6% 96.7% k i 94.4% 97.2% 94.4% 100.0% 100.0% 92.2% u 100.0% 94.4% 97.2% 96.7% 93.6% 93.6% 条件 1 日本語話者 V 2 =u 中国語話者 C 2 C 2 C 1 V 1 p t k p t k a 94.4% 100.0% 97.2% 86.7% 100.0% 93.3% p i 94.4% 97.2% 83.3% 93.3% 86.7% 86.7% u 91.7% 91.7% 88.9% 83.3% 86.7% 56.7% a 100.0% 77.8% 91.7% 93.3% 96.7% 93.3% t i 97.2% 52.8% 94.4% 96.7% 86.7% 93.3% u 97.2% 80.6% 97.2% 100.0% 86.7% 93.3% a 100.0% 100.0% 94.4% 96.7% 100.0% 96.7% k i 94.4% 97.2% 94.4% 96.7% 96.7% 86.7% u 100.0% 94.4% 97.2% 93.3% 93.3% 96.7% 47

56 た その結果 C 2 の影響が見られたのは C 1 が t でかつ V 1 が a または i のときであり それ以外では C 2 の調音点によって C 1 の正答率には差が見られなかった ( 表 15) C 1 が t で V 1 が a のとき C 2 がそれぞれ p, t, k であるときの C 1 の正答率は 100.0% 77.8% 91.7% で C 2 が p であるときと t であるときとの間に差があり k は p と t のいずれとも差はなかった C 1 が t で V 1 が i のとき C 2 がそれぞれ p, t, k であるときの C 1 の正答率は 97.2% 52.8% 94.4% で C 2 が p, k であるときと t であるときとの間に差が見られた それに対して 中国語話者では C 2 の主効果および C 2 が関与する交互作用はいずれも有意ではなく C 1 正答率に対する C 2 の影響はないと言えることが分かった 条件 2 V 2 = i の場合いずれの主効果も有意ではなかったが 母語 C 1 母語 C 2 C 1 C 2 母語 C 1 C 2 の交互作用が有意であった ( 母語 C 1 : F 2,520 = 5.8, p < 0.01; 母語 C 2 : F 2,520 = 3.1, p < 0.05; C 1 C 2 : F 4,520 = 63.8, p < 0.001; 母語 V 1 C 1 : F 4,520 = 11.0, p < 0.001) それ以外の要因は有意ではなかった 主効果は有意ではなかったが (C 1 が p, t, k であるときの平均正答率は順に 38.8% 40.9% 45.2% で C 2 が p, t, k であるときの C 1 の平均正答率は順に 38.9% 45.2% 40.8%) C 1 および C 2 が関与する複数の交互作用が有意であったため 下位グループに分けて分析をしてみる価値があると判断し 有意な交互作用があった要因に関してはさらにデータを分類してから全体の検定と下位検定を行い C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさ ( 正答率 ) に差があったか また C 2 の調音点の違いによって C 1 の知覚しやすさが異なるかどうかを分析した 結果は以下のとおりとなった 母語が関係する交互作用が有意であったため 日本語話者と中国語話者を個別に分析したところ 日本語話者のみを対象に分析をすると C 1 C 2 の主効果および C 1 C 2 の交互作用が有意であったが (C 1 : F 2,286 = 7.6, p < 0.001; C 2 : F 2,286 = 4.6, p < 0.05: C 1 C 2 : F 4,286 = 14.9, p < 0.001) 中国語話者については C 1 C 2 の主効果とも有意ではなく C 1 C 2 の交互作用のみが有意であった (F 4,234 = 60.2, p < 0.001) 日本語話者 中国語話者とも それ以外の要因については有意ではなかった 以上のことから C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさは被験者の母語によって異なっており また C 2 によっても大きく異なるといえることがわかった 日本語話者では C 1 の調音点ごとの平均正答率は p が 34.6% t が 41.1% k が 51.9% で 主効果の下位検定の結果では k の正答率が t と p よりも高く t と p の間には差がないことがわかった C 1 C 2 の交互作用が有意であったことからさらに分析を行ったところ C 2 が p のときには p の正答率が t と k の正答率よりも高く C 2 が t のときには k と t の正答率が p の正答率よりも高かった そして C 2 が k のときには k が t, p よりも正答率が高かった 一方 中国語話者では C 1 の調音点ごとの平均正答率は p が 43.0% t が 40.7% k が 38.2% で 主効果が有意でないことからいずれの間にも差がないと言える C 1 C 2 の交互作用が有意であったことからさらに分析を行ったところ ( 結果の要約は表 17) C 2 が p のときには p の正答率が t と k の正答率よりも高く C 2 が t のときには t の正答率が p と k の正答率よりも高く C 2 が k のときには k が p, t よりも正答率が高かった すなわち 日本語話者とは異なり C 1 がどの調音点のときに最も正答率が高くなるかは C 2 に来る子音がほぼ完全に決定していた このような交互作用により平均値の偏りが打ち消され 平均するとほぼチャンスレベル (33%) に近い値となるため 中国語話者では C 1 の主効果が見られなかったものと考えられる C 2 の調音点の違いによる C 1 の知覚しやすさに関しても やはり日本語話者と中国語話者の傾向に 48

57 差が見られ 上で述べたとおり日本語話者でのみ C 2 の主効果が有意であった 表 18 に挙げたように 日本語話者では C 2 の調音点がそれぞれ p, t, k であるときの C 1 の平均正答率は順に 39.2% 50.3% 38.0% で 主効果の下位検定の結果では C 2 が t のときの C 1 正答率は C 2 が p または k であるときよりも高く p と k の間には差が見られなかった このような差が出たのは すでに明らかになっているように C 1 C 2 の交互作用において C 2 が p または k であれば C 1 正答率はそれに対応する調音点のもののみが高くなるのに対し C 2 が t のときには C 1 正答率は t だけでなく k でも高くなるという傾向があった ( すなわち C 1 C 2 が kt という組み合わせのときに正答率が高かったことが C 2 が t であるときの全体平均を押し上げた ) ことによると思われる 一方 中国語話者では日本語話者とは異なり C 1 の正答率が高くなるのは C 1 と C 2 の調音点が同じ場合 (pp, tt, kk) のみであったため C 1 をプールして C 2 の調音点ごとに平均を取ったときには効果の打ち消しあいが生じ 結果として平均に差が出なかったものと解釈できる V 2 = u の場合 V 1 C 1 の主効果が有意であった (V 1 : F 2,520 = 3.9, p < 0.05; C 1 : F 2,520 = 9.7, p < 0.001) また 母語 C 1 C 1 C 2 母語 C 1 C 2 の交互作用も有意であった ( 母語 C 1 : F 2,520 = 3.6, p < 0.05; C 1 C 2 : F 4,520 = 57.1, p < 0.001; 母語 C 1 C 2 : F 4,520 = 10.1, p < 0.001) それ以外の要因は有意ではなかった C 1 の主効果 (C 1 の調音点ごとの平均正答率 ) の下位検定の結果は k(52.0%) が t(40.3%) と p(38.5%) よりも正答率が高く t と p との間には差がないと言えることが明らかとなった ただし C 1 が関与する複数の交互作用が有意であったため これらの主効果によって単純に C 1 の調音点の相対的な知覚しやすさを議論することは適切ではない また C 2 の調音点ごとの C 1 の平均正答率は C 2 が p であるときには 43.2% t であるときには 47.2% k であるときには 40.4% であり 主効果が有意でないことから 単純な主効果の観点からはこれらの間には差がないと言えるが C 2 が関与する複数の交互作用が有意であったため 下位グループに分けて分析をしてみる価値があると思われる そこで 有意な交互作用があった要因に関してはさらにデータを分類してから全体の検定と下位検定を行い C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさ ( 正答率 ) に差があったか また C 2 の調音点の違いによって C 1 の知覚しやすさが異なるかどうかを分析した その結果 以下のように条件 2の V 2 が i のときと全く同じ傾向が観察された ( 表 17) 母語が関係する交互作用が有意であったため 日本語話者と中国語話者を個別に分析したところ 日本語話者では C 1 の主効果が有意であり (F 2,286 = 12.0, p < 0.001) C 1 C 2 の交互作用も有意であったのに対し (C 1 C 2 : F 4,286 = 13.6, p < 0.001) 中国語話者では C 1 の主効果は有意ではなく C 1 C 2 の交互作用のみが有意であった (C 1 C 2 : F 4,286 = 59.0, p < 0.001) 日本語話者 中国語話者とも C 2 の主効果を含めたそれ以外の要因については有意ではなかった 日本語話者については C 1 の調音点ごとの平均正答率は p が 35.8% t が 39.2% k が 57.7% で 主効果の下位検定の結果では k の正答率が t と p よりも高く t と p の間には差がないことがわかった C 1 C 2 の交互作用が有意であったことからさらに分析を行ったところ C 2 が p のときには p の正答率が t と k の正答率よりも高く C 2 が t のときには k と t の正答率が p の正答率よりも高かった そして C 2 が k のときには k が t, p よりも正答率が高かった 一方 中国語話者では C 1 の調音点ごとの平均正答率は p が 41.1% t が 41.5% k が 46.3% で 主効果が有意でないことからいずれの間にも差がないと言える C 1 C 2 の交互作用が有意であったことからさらに分析を行ったところ C 2 が p のときには p の正答率が t と k の正答率よりも高く C 2 が t のときには t の正答率が p と k の正答率よりも 49

58 高く C 2 が k のときには k が p, t よりも正答率が高かった すなわち 条件 2の V 2 が i であるときと同様 C 1 がどの調音点のときに最も正答率が高くなるかは C 2 に来る子音がほぼ完全に決定していた C 2 の調音点の違いによる C 1 の知覚しやすさに関しては 上で述べたとおり日本語話者 中国語話者ともに C 2 の主効果は有意でなかった 日本語話者では主効果には有意な差が見られなかったが C 1 C 2 の交互作用に関してすでに明らかになっているように 日本語話者では C 2 が p または k であれば C 1 正答率はそれに対応する調音点のもののみが高くなるのに対し C 2 が t のときには C 1 正答率は対応する調音点 (t) だけでなく k でも高いという傾向が観察されている ( 表 18) この傾向は条件 2 の V 2 が i の時とも共通するものであった よって C 2 の主効果 (C 1 を調音点別に分けないとき ( 表中の 平均 の行 ) の C 2 の調音点ごとの正答率の比較 ) は有意ではなかったものの これは交互作用による平均の打ち消しあいによるものであって 質的に見ると日本語話者では V 2 が i のときと同様の 表 17. 条件 2の実験結果 :C 1 調音点による相対的な知覚しやすさ ( 統計検定結果 ) 条件 2 日本語話者 中国語話者 V 2 C 1 との交互作用 C 1 の正答率 C 1 との交互作用 C 1 の正答率 C 2 =p p > t, k C 2 =p p > t, k V 2 =i C 2 V 2 =u C 2 C 2 =t k, t > p C 2 =t t > p, k C 2 C 2 =k k > t, p C 2 =k k > p, t C 2 =p p > k, t C 2 =p p > t, k C 2 =t k, t > p C 2 =t t > p, k C 2 C 2 =k k > t, p C 2 =k k > p, t 表 18. 条件 2:C 2 による C 1 の正答率 V 2 =i 日本語話者 中国語話者 条件 2 C 2 C 2 C 1 p t k C 1 正答率 p t k C 1 正答率 p 56.5% 30.6% 16.7% p > t, k 82.2% 21.1% 25.6% p > t, k t 32.4% 58.3% 32.4% t > p, k 21.1% 78.9% 22.2% t > p, k k 28.7% 62.0% 64.8% k, t > p 12.2% 20.0% 83.3% k > p, t 平均 39.2% 50.3% 38.0% t > p, k 38.5% 40.0% 43.7% V 2 =u 日本語話者 中国語話者 条件 2 C 2 C 2 C 1 p t k C 1 正答率 p t k C 1 正答率 p 62.0% 27.8% 17.6% p > t, k 78.9% 23.3% 21.1% p > t, k t 29.6% 54.6% 33.3% t > k, p 22.2% 85.6% 16.7% t > p, k k 38.9% 63.9% 70.4% k, t > p 27.8% 27.8% 83.3% k > p, t 平均 43.5% 48.8% 40.4% 43.0% 45.6% 40.4% 50

59 傾向を示していたと結論づけることが可能である 一方 中国語話者にはこうした傾向は見られず V 2 が i の時と同様に C 1 と C 2 の調音点が同じときに C 1 の正答率が高く 平均すると互いの効果が打ち 消されて差が生じなかった 条件 3: V 2 = i の場合母語と C 1 の主効果が有意であった ( 母語 : F 1,19 = 5.4, p < 0.05; C 1 : F 2,494 = 13.2, p < 0.001) また 母語 C 1 の交互作用が有意であった ( 母語 C 1 : F 2,494 = 10.4, p < 0.001) それ以外の要因は有意ではなかった C 1 の調音点ごとの正答率は p が 94.7% t が 98.8% k が 98.9% で 下位検定の結果では t k と p との間に差があり t と k の間には差がないという結果が得られたが 母語 C 1 の交互作用が有意であったため このように単純に C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさを比べることは適切ではない可能性がある そこで データを母語ごとに分けてから再度全体の検定と下位検定を行い C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさに差があったか また C 2 の調音点の違いによって C 1 の知覚しやすさが異なるかどうかを分析した 結果は以下のとおりとなった 表 19 に挙げたように 日本語話者では全ての要因が有意ではなかった ( これは p, t, k の正答率が 98.5% 98.8% 99.1% といずれもほぼ 100% に近かったためだと考えられる ) 中国語話者では C 1 の主効果のみが有意であり 下位検定の結果 t と k の正答率 ( ともに 98.8%) が p の正答率 (91.0%) よりも有意に高く t と k の正答率には差がなかった C 2 の主効果は日本語話者 中国語話者とも有意ではなく C 2 の調音点によって C 1 の平均正答率が影響を受けることはなかった 条件 1や条件 2と異なり 条件 3の刺激は後部要素 (C 2 以降の要素 ) が削除された音声である また 条件 1と条件 3は release が存在するという点で共通している つまり この条件 ( 条件 3 V 2 =i) の全部要素は条件 1で V 2 が i のときと音声的に全く同じものである 条件 1で V 2 が i のときには状況によっては C 2 の影響が観察されたのに対し この条件ではそれが観察されなかったということは C 2 ( または C 2 とそれ以降の要素 ) が存在するということが調音点同化には重要なのであって Jun (2004) が述べている C 2 との調音的なオーバーラップによって C 1 の調音点の情報が失われてしまうという想定は当てはまらないことを示唆する ( 条件 1では調音結合によって C 1 と C 2 の調音のオーバーラップが起きており おそらく V 1 も尐なからず調音結合の影響を受けていると考えられる 条件 3はその音声から後部要素のみを取り去ったものであるので 前半要素が受けた調音結合の影響は刺激の音声の中にそのまま残されている つまり Jun が言うように調音的なオーバーラップが重要であるならば 条件 3の刺激には調音のオーバーラップの影響は音声的に存在しているので 条件 1と条件 3で同じ結果が得られるはずである それにも関わらず異なる結果が得られたと言うことは 調音結合の問題ではなく C 2 ( または C 2 とそれ以降の要素 ) が存在するということが問題であると考えられる ) この点については後ほど詳しく議論したい V 2 = u の場合 V 1 C 1 の主効果が有意であった (V 1 : F 2,494 = 4.0, p < 0.05; C 1 : F 2,494 = 4.6, p < 0.05) また V 1 C 1 C 1 C 2 V 1 C 1 C 2 の交互作用も有意であった (V 1 C 1 : F 4,494 = 5.6, p < 0.001; C 1 C 2 : F 4,494 = 2.5, p < 0.05; V 1 C 1 C 2 : F 8,494 = 3.4, p < 0.001) それ以外の要因は有意ではなかった 51

60 C 1 の調音点ごとの正答率は p が 97.0% t が 99.2% k が 96.7% で 下位検定の結果では t が p と k よりも正答率が高く p と k の間には差がないという結果が得られたが C 1 が関与する複数の交互作用が有意であったため 単純に C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさを比べることは適切ではない また C 2 の主効果は有意ではなかったが C 2 が関与する複数の交互作用が存在していたため この点についても下位グループに分けて分析をしてみる価値があると思われる そこで 有意な交互作用があった要因に関してはさらにデータを分類してから全体の検定と下位検定を行い C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさに差があったか また C 2 の調音点の違いによって C 1 の知覚しやすさが異なるかどうかを分析した 結果は以下のとおりとなった なお この条件では母語が関与する交互作用の存在が観察されなかったので 以下の結果は日本語話者 中国語話者に共通して当てはまるものである C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさには 全体の検定で V 1 C 1 C 2 の交互作用が見られたことからも明らかなように 日本語話者 中国語話者に共通して V 1 と C 2 が共に関わっていた ( 表 19) 分析の結果 V 1 が i かつ C 2 がkであるときには t と p が k よりも正答率が高く V 1 が u かつ C 2 が k であるときに t が p よりも正答率が高く k は t と p のどちらとも差がないという結果が得られた V 1 と C 2 がそれ以外の組み合わせの場合には p, t, k の正答率には差が見られなかった C 2 の調音点による C 1 の平均正答率への影響に関しても 全体の検定で V 1 C 1 C 2 の交互作用があったことから明らかなように C 2 が C 1 の平均正答率に与える影響は C 2 単独ではなく V 1 と C 1 との相互関係によって生じていた 水準ごとの分析の結果 V 1 が i かつ C 1 が k のときと V 1 が u かつ C 1 が p のときにのみ C 2 の調音点の違いによる C 1 の正答率に影響があることが明らかとなったが 傾向には一貫性が見られなかった V 1 が i かつ C 1 が k のときには C 2 が t であるときの C 1 正答率 (98.1%) が k のときの C 1 正答率 (87.0%) よりも有意に高く C 2 が p のときの C 1 正答率 (94.4%) は t, k のどちらとも差がなかった また V 1 が u かつ C 1 が p のときには C 2 が p であるときの C 1 正答率 (100.0%) が t のときの C 1 正答率 (88.4%) よりも有意に高く C 2 が k のときの C 1 正答率 (93.1%) は t, k のどちらとも差がなかった それ以外の組み合わせにおいては C 2 の調音点の違いによる C 1 の正答率への影響は観察されなかった 表 19. 条件 3:C 1 調音点による相対的な知覚しやすさ ( 統計検定結果 ) 条件 3 日本語話者 中国語話者 V 2 C 1 との交互作用 C 1 の正答率 C 1 との交互作用 C 1 の正答率 V 2 =i 交互作用なし 交互作用なし k, t > p V 1 =i, C 2 =k t, p > k 日本語話者と同じ V 1 =u, C 2 =k t > p ( 母語の交互作用なし ) V 2 =u V 1, C 2 その他の組 み合わせ 条件 4 V 2 = i の場合 V 1 と C 1 の主効果が有意であった (V 1 : F 2,494 = 20.7, p < 0.001; C 1 : F 2,494 = 36.4, p < 0.001) また V 1 C 1 52

61 の交互作用が有意であった (V 1 C 1 : F 4,494 = 6.9, p < 0.001) それ以外の要因は有意ではなかった C 1 の調音点ごとの正答率は p が 66.5% t が 72.1% k が 46.4% で 下位検定の結果では p と t が k よりも正答率が高く p と t の間には差がないという結果が得られたが V 1 C 1 の交互作用が有意であったため 単純に C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさを比べることは適切ではない可能性がある そこで データを V 1 別に分けてから再度全体の検定と下位検定を行い C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさに差があったかを分析した 結果は以下のとおりとなった なお この条件では母語が関与する交互作用の存在が観察されなかったので 以下の結果は日本語話者 中国語話者に共通して当てはまるものである 日本語話者 中国語話者ともに C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさは V 1 によって異なっていた ( 表 20) V 1 が a のとき 最も正答率が高かったのは t(87.8%) で 次いで p(73.6%) 最も正答率が低かったのは k(46.8%) で いずれの間にも差があった V 1 が i のときには 最も正答率が高かったのは p(79.2%) で 次いで t(65.7%) 最も正答率が低かったのは k(51.5%) であった V 1 が u のときには t(62.8%) が p と k( それぞれ 46.6% 40.9%) よりも正答率が高く p と k の間には差がなかった C 2 の調音点の違いによる C 1 の知覚しやすさに関しては C 2 の主効果および C 2 が関与する交互作用が一切存在しなかったことから C 2 が C 1 正答率に影響を与えることはなかったといえる V 2 = u の場合 V 1 C 1 の主効果が有意であった (V 1 : F 2,494 = 18.8, p < 0.001; C 1 : F 2,494 = 9.3, p < 0.001) また 母語 C 1 V 1 C 1 V 1 C 2 の交互作用も有意であった ( 母語 C 1 : F 2,494 = 5.9, p < 0.01; V 1 C 1 : F 4,494 = 11.9, p < 0.001; V 1 C 2 : F 4,494 = 3.2, p < 0.05) それ以外の要因は有意ではなかった C 1 の調音点ごとの正答率は p が 71.4% t が 71.0% k が 60.3% で 下位検定の結果では p と t が k よりも正答率が高く p と t の間には差がないという結果が得られたが C 1 が関与する複数の交互作用が有意であったため 単純に C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさを比べることは適切ではない また C 2 の調音点ごとの C 1 の平均正答率は C 2 が p であるときには 67.5% t であるときには 69.9% k であるときには 65.3% であり 主効果が有意でないことから 単純な主効果の観点からはこれらの間には差がないと言えるが C 2 が関与する交互作用が有意であったため 下位グループに分けて分析をしてみる価値があると思われる そこで 有意な交互作用があった要因に関してはさらにデータを分類してから全体の検定と下位検定を行い C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさに差があったか また C 2 の調音点の違いによって C 1 の知覚しやすさが異なるかどうかを分析した 結果は以下のとおりとなった C 1 の調音点ごとの相対的な知覚しやすさについて見てみると 日本語話者 中国語話者ともに C 1 の調音点ごとの相対的な正答率は V 1 によって大きく異なっていた ( 表 20) 日本語話者では V 1 が a の時と V 1 が i の時には t と p が k よりも正答率が高く V 1 が u のときには p, t, k の正答率には差がなかった 中国語話者では V 1 が a の時には t が p と k よりも正答率が高く V 1 が i の時には p が k よりも正答率が高く t は p と t のどちらとも差がなかった また V 1 が u の時には日本語話者と同様に p, t, k の間に差は見られなかった C 2 の調音点の違いによる C 1 の知覚しやすさについては 全体の検定で V 1 C 2 の交互作用が有意であったことから V 1 の水準ごとに C 2 の影響を分析した その結果 V 1 のいずれの水準においても C 2 の主効果は有意傾向の水準 (0.05 < p < 0.10) には達したものの有意な水準には達せず C 2 が関係する 53

62 交互作用も有意ではなかった よって この条件においては C 2 の調音点の違いによって C 1 の正答率 が変わることはなかった 表 20. 条件 4:C 1 調音点による相対的な知覚しやすさ ( 統計検定結果 ) 条件 4 日本語話者中国語話者 V 2 C 1 との交互作用 C 1 の正答率 C 1 との交互作用 C 1 の正答率 a t > p > k 日本語話者と同じ V 2 =i V 1 i p > t > k ( 母語の交互作用なし ) u t > p, k a t, p > k a t > p, k V 2 =u V 1 i p, t > k i p > k V 1 u u 考察本稿の実験の目的の一つは Kochetov and So (2007) の知覚実験の結果が再現性のあるものであるかを確認し それによって Jun (2004) の調音点同化に関する知覚のスケールを検証することであった 以下では Kochetov らの実験結果と同じ結果が本稿の実験でも得られると想定したときに得られる (13) の予測と 実験結果との比較を行う (13a): C 1 の知覚しやすさは C 1 の調音点によって異なるか? また release の有無によってスケールが異なるか? 予測 : 異なる release がある ( 条件 1 条件 3): k > p t release がない ( 条件 2 条件 4): p t > k まず (13a) の予測と本稿の実験結果について考察する Kochetov and So (2007) の実験結果と同様の結果が本稿の実験でも得られると想定した場合 C 1 の知覚しやすさは C 1 の調音点によって異なり release がある場合とない場合とで調音点による相対的な知覚しやすさにも違いがあると予測された 本稿の実験でも C 1 の正答率は調音点によって異なっていた 表 21 は本稿の実験の各条件における C 1 の調音点ごとの平均正答率 ( 他の全ての要因はプールされている 45 ) と 下位検定の結果をまとめたものである 45 すでに報告したように 多くの条件で交互作用が見られており 厳密には交互作用があった要因の水準ごとの個別の結果を見る必要がある これは特に要因間または要因内の水準においてケース数が異なる場合に当てはまる しかし 尐なくとも今回の実験の刺激では 被験者の母語を除く各要因の各水準の組み合わせにおけるケース数は等しく また 予測は Kochetov and So (2007) の実験結果に基づいており 彼らの議論においてもやはり他の要因 (C 2 ) をプールした C 1 の平均正答率が用いられているため ここでの議論において他の要因をプールした C 1 の調音点ごとの平均正答率を全体的な傾向を示す指標として使用することは可能である 54

63 表 21. C 1 の全体平均正答率と C 1 主効果の統計検定結果のまとめ V 2 =i V 2 =u p t k C 1 正答率 p t k C 1 正答率 条件 % 91.3% 95.9% k > t > p 89.6% 90.3% 96.0% k > t, p 条件 % 40.9% 45.2% ( 日 :k > t, p) 38.5% 40.3% 52.0% k > t, p 条件 % 98.8% 98.9% k, t > p 97.0% 99.2% 96.7% t > p, k 条件 % 72.1% 46.4% t, p > k 71.4% 71.0% 60.3% p, t > k 条件 2の V 2 が i のときを除いて C 1 の相対的な知覚しやすさは C 1 の調音点によって異なっていたが 調音点による知覚しやすさの序列は予測とは一致しない点が多く 予測と完全またはほぼ完全にに一致する結果が得られたのは 条件 1の V 2 が u のときと条件 4のみであった 条件 1の V 2 が i のときには k が最も正答率が高いという点では予測どおりの結果であったが t については最も正答率が低くなる ( または p と差がない ) と予測されているのに対して 本稿の実験結果では逆に t が p よりも正答率が高かった 同様の結果は条件 3の V 2 が i のときにも観察された 条件 2の V 2 が u の場合には k が最も正答率が低いと予測されたのに対し k が最も正答率が高い傾向があった 条件 3の V 2 が u の場合には 正答率の差自体は小さなものであったが 最も正答率が低いと予測されている t が最も正答率が高かった 条件 2の V 2 が i の場合には全体では C 1 調音点による差は見られなかったが 日本語話者については条件 2の V 2 が u の場合と同じ傾向が見られた release がある場合 ( 条件 1 条件 3) に関して 予測と一致していたのは k の正答率が最も高い ( 尐なくとも k が他よりも低くなることはない ) という点であった 46 予測は Kochetov らの実験結果に基づいて作成されたものであるから release がある場合に k の正答率が高いという結果は Kochetov らの実験と本稿の実験結果に共通して見られたものだと言える また 語末閉鎖音に関する知覚実験を行った複数の先行研究からも release がある場合には k は最も正答率が高い調音点の一つであることが示されており (= (11a) のスケール : k, t p ) release があるときの k は最も知覚しやすいという結果は一般性が高いものだと言える 一方 release がある場合 ( 条件 1 条件 3) に関して予測 ( すなわち Kochetov らの実験結果 ) と一貫して異なっていた点は p の正答率が t の正答率よりも低いと言う点であった ( 条件 1の V 2 が u の場合には差なし ) しかし 同じく(11a) のスケールに示されているように 語末閉鎖音に関する知覚実験を行った複数の先行研究の実験においても t が p よりも正答率が高いという結果が報告されていることから 本稿の実験結果は複数の先行研究と同じ傾向を示していると言うことができ むしろ Kochetov らの実験結果のほうが一般性が低い可能性がある 以上のことから release がある場合には k が最も知覚しやすいと結論付けることが可能であるが p と t の相対的な知覚しやすさに関しては今後さらに検討される必要があると言える release がある場合に k の正答率が高いという結果が得られた理由は C 1 の release の持続時間と C 1 の全体持続時間という観点からある程度は説明が可能であると思われる 表 22 に挙げたように 本稿の刺激 (Kochetov らと同じ条件で議論するために C 1 に先行する母音が a である刺激に限定 ) の C 1 の release の平均持続時間は V 2 が i のときには p が 26.8 ms t が 30.6 ms k が 54.7 ms で k の持 46 ただし 条件 3 の V 2 が u のときにはこれは当てはまらなかった この点については 現段階では説 明が付かない 55

64 続時間が p, t よりも長く V 2 が u のときには p が 29.9 ms t が 25.6 ms k が 29.3 ms で p, t, k の間には差が無かった ( 尐なくとも k の持続時間が他よりも短くなることはなかった ) 日本語の p, t, k の中では k の release 持続時間が長いことは Hiki et al. (1967) の研究でも示されている 47 また 軟口蓋音の release の持続時間が両唇音 歯茎音よりも長い傾向は英語にも見られることが Crystal and House (1988a) で報告されており このような音響的な理由から k の release は p や t の release に比べて聞き取りやすいのではないかと推測される (Jakobson (1941/1968) においても 軟口蓋音は両唇音や歯茎音に比べて音響的に強い音であることが述べられている ) また 本稿の刺激における C 1 の閉鎖開始点から C 2 の release が始まる直前までの区間の平均持続時間については V 2 が i のときには p が ms t が ms k が ms で V 2 が u のときには p が ms t が ms k が ms で V 2 が i であっても u であっても k の持続時間が他よりも短い傾向があった つまり k は release が長く全体が短い傾向があるという点で p, t とは異なっており これが k の知覚の際に何らかの手がかりとして働いた可能性が考えられる 48 V 2 =i V 2 =u 表 22a. 刺激の C 1 release の持続時間 ( 単位は ms) C 1 p t k 持続時間の差 平均 SD k > p, t 平均 SD V 2 =i V 2 =u b. C 1 始点から C 2 始点まで計測した場合 ( 単位は ms) C 1 p t k 持続時間の差 平均 SD p > k( ただし 0.05 < p < 0.10) 平均 SD p, t > k release がない条件 ( 条件 2 条件 4) のうち 条件 4( 後部要素なし ) の結果は予測 ( 正答率は p, t > k ) と一致するもので かつ語末閉鎖音に関する知覚実験を行った複数の先行研究の実験結果 (= (11a) のスケール : p, t k ) とも一致していた 一方 条件 2( 後部要素あり ) においては 本稿の 47 Hiki et al. (1967) は天気予報の文章を NHK のアナウンサーが発音したものを標本として各音素の持続時間を分析したものである ( 詳細な音韻環境は記載されていないが Hiki らの標本には本研究とは異なり通常の CV( 母音が無声化していない音節 ) が多く含まれていると思われる ) Hiki らの分析結果によると 通常の発話速度における p, t, k の release(hiki らの定義では aspiration) の持続時間はそれぞれ 15ms, 18ms, 36ms であった 48 ただし この説明では条件 3 の母音が u のときの結果を説明できない また Kochetov らの刺激の C 1 の release の平均持続時間は p が 18 ms t が 36 ms k が 27 ms で t と k の release が p よりも長く C 1 の全体持続時間は p, t, k で差がなかったと述べられており 本稿の刺激とは異なるけれども k の正答率が最も高いという点では Kochetov らの実験も本稿の実験も同様の結果が得られている こうした点も考慮すると C 1 の release の持続時間などの観点だけでは必ずしも説明力があるとは言えない この点は今後の研究課題である 56

65 実験結果は k > p, t であり 予測( p, t > k ) とはkの正答率が高いという点で異なっていた 予測 ( すなわち Kochetov らの実験結果 ) とは一致しなかったが 条件 2に関する本稿の実験結果は Jun のスケールを一部支持するものであった Jun の (10b) のスケール ( k > p > t ) では k が最も知覚しやすいと想定されており 本稿の条件 2の実験結果では k が最も正答率が高いという点で Jun のスケールを支持する また Jun のスケールでは p が t よりも知覚しやすいとされているのに対し 本稿の実験結果では p と t に関しては差がなく この点では Jun のスケールを積極的に支持するものではないが 尐なくとも Jun のスケールを積極的に否定するものでもない 以上のことから 本稿の実験結果は Jun のスケールと完全に一致するものではないけれども release がない場合には Jun のスケールは支持されないという Kochetov らの実験結果とは異なり release がない場合であっても Jun のスケールが支持される可能性を示したものだと言える Jun の (10b) のスケール ( k > p > t ) の検証と言う観点からは このスケールが C 1 が unreleased である場合の閉鎖音の子音連続を想定して作成されたものであるということから 条件 2(release なし 後部要素あり ) の結果がスケールと一致するかどうかが最も重要な検証のポイントである Kochetov らの条件 2の実験結果では p > t > k という結果であり p > t という点では Jun のスケールを支持する結果が得られたと言えたが k が最も知覚しにくかったという点ではスケールを支持する結果は得られなかった それに対して 本稿の実験では k > p, t と k が最も知覚しやすいという点では Jun のスケールを支持する結果が得られたが p と t については差がなくこの点ではスケールに対して中立であった さらに 本稿の実験結果では release がある場合 ( 条件 1) にも k が最も知覚しやすいという結果が得られている つまり 知覚的観点から見て Jun の (10b) のスケールが release の有無に係わらず妥当であることが本稿の実験結果によってはじめて示されたことになる これは本稿の実験の大きな成果の一つであると考える 本稿の実験で release も後部要素もない場合 ( 条件 4) には Kochetov and So (2007) やその他の先行研究と同様 k が最も知覚しにくいという結果が得られたのに対し release がなく後部要素がある場合 ( 条件 2) には Kochetov らの実験結果 ( 条件 4と同じく k が最も正答率が低い ) とは異なり k の正答率が高いという結果が得られた理由についても やはり C 1 の release の持続時間と C 1 の全体持続時間という観点からある程度は説明が可能ではないかと思われる すでに述べたとおり 本稿の刺激では C 1 の k は p, t に比べて release の持続時間が長く 全体持続時間は短い傾向があった release がない条件では release の持続時間を手がかりとして用いることは不可能だが release がなくなっても全体持続時間は手がかりとして使用可能である このような追加的な手がかりが存在していたため 本稿の条件 2では予想に反して k の正答率が高くなった可能性がある 一方 C 1 の全体持続時間は後部要素があることによってわかるものであるから release も後部要素もない場合 ( 条件 4) には C 1 の全体持続時間を追加的な手がかりとして用いることはできないため 予測どおりの結果となったものと思われる この説明は Kochetov らの実験結果においては release がなく後部要素がある条件 ( 条件 2) と release がなく後部要素がない条件 ( 条件 4) とで結果が変わらなかったこともうまく説明できる Kochetov らの刺激の C 1 の全体持続時間は p, t, k で差がなかったと述べられていることから 後部要素があって C 1 の全体持続時間がわかる状況であったとしても 持続時間に差がないためにこれが調音点の弁別のための追加的な手がかりとなることはない よって Kochetov らの実験で条件 2と条件 4との間には差が出なかったものと思われる release の有無によってスケールが異なるかどうかについては 本稿の実験結果では release がある場合 ( 条件 1 条件 3) ない場合( 条件 2 条件 4) のそれぞれの中でもばらつきがあり 一様ではな 57

66 かった release の有無によって顕著な違いが見られたのは 後部要素がない場合 ( 条件 3と条件 4) であり 後部要素がある場合 ( 条件 1と条件 2) には release の有無による顕著な差は認められなかった これは C 2 ( または C 2 とそれに続く要素 ) が存在しているときとでは被験者が全く異なる知覚の仕方をしている可能性を示しており 同じ音節末の子音であっても後に続く要素がある場合とない場合とは全く別の聴取条件であると見なす必要があることが伺われる ( 以下で議論するように 先行母音に関しても C 2 が存在するときとしないときとで全く別の影響が見られる ) (13b): C 2 によって C 1 正答率に差が生じるか? 予測 : 差は生じない 次に (13b) の予測と本稿の実験結果について考察する Kochetov and So (2007) の実験結果と同様の結果が本稿の実験でも得られると想定した場合 いずれの条件においても C 2 の影響 (C 2 の調音点の違いによって C 1 の平均正答率が異なる ) は見られないことが予測された それに対して 本稿の実験では予測に反して C 2 の影響が存在するという結果が得られた 本稿の実験結果においては C 2 の影響の度合いは後部要素 ( すなわち C 2 とそれに続く要素 ) の有無によって大きく異なっていた ( 表 23) C 2 の影響が見られるとすればそれは後部要素がある場合 ( 条件 1 条件 2) であり 後部要素がない場合 ( 条件 3 条件 4) には後部要素の影響は全く存在しないか 存在しても周辺的なもののみ ( 条件 3の V 2 が u のとき ) であった C 2 の影響が見られた条件 1と条件 2をそれぞれ見てみると 条件 1では C 2 が p のときに C 1 の正答率が高くなり C 2 が t のときには C 1 の正答率が低くなるという傾向があったのに対し 条件 2の場合には 日本語話者にのみであるが C 2 が p や k のときに比べて C 2 が t のときに C 1 の正答率が高くなるという傾向が観察された 49 以上のように 本稿の実験結果では条件 1と条件 2の一部で C 2 の影響が観察されたが Jun (2004) の (10c) のスケールを支持するかという観点からは スケールを支持する結果が得られたのは条件 2のみであった Jun の (10c) のスケールは C 2 が歯茎音である場合 (C 1 =t) に C 2 が非歯茎音 (C 1 =p または C 1 =k) である場合と比べて C 1 が知覚しやすいと述べたものである 条件 1では V 2 が i のときと u のときに共通して C 2 が t のときに C 1 の正答率が最も低いという結果が得られており C 2 が t のときに最も C 1 の正答率が高くなるとする Jun のスケールとは全く異なるものであった 一方 条件 2では 日本語話者のみにであるが C 2 が t のときに C 2 が p または k のときよりも C 1 の正答率が高くなるという傾向が観察されていることから これは Jun の (10c) のスケールを支持する結果であると言える Jun のスケールは C 1 が unreleased である場合の閉鎖音の子音連続を想定したものであるから 本稿の実験では条件 2(release なし 後部要素あり ) の結果がスケールと一致するかどうかが最も重要な検証のポイントである 上述のように 条件 2では日本語話者のみではあるが Jun のスケールを支持する結果が得られていることから 本稿の実験結果によって Jun の (10c) のスケールが知覚的観点から見てかなり妥当であることが示されたことになる Kochetov and So (2007) の実験においては Jun の (10c) のスケールを支持する結果は得られなかったと報告されていることから 日本語話者に限られた 49 実験結果の項において報告したとおり 条件 2 の V 2 が u の場合には全体に対する C 2 の主効果は有意ではなかったが 交互作用も考慮に入れると V 2 が i のときと同様の傾向が観察されたことから 日本語話者については V 2 が u のときにも V 2 が i のときと同じ結果が得られたと見なして議論する 58

67 ものではあるが (10c) のスケールに対して知覚的観点から妥当性を与えることができたことも 本稿の実験の成果の一つである しかしながら 本稿の実験結果においては Jun が (10c) のスケールを作成するに当たって挙げた根拠に対して疑問を投げかける結果も同時に得られている Jun (2004) は C 2 が C 1 の知覚しやすさに影響を及ぼす理由は C 2 の調音動作が C 1 の調音動作とオーバーラップすることよって C 1 に先行する母音から C 1 への VC フォルマント遷移が C 2 による影響を受け それによって本来 VC フォルマント遷移が持っていた調音点の情報が不明瞭になってしまうためだとしている さらに Jun によると C 2 の調音動作の速度は調音点によって異なるため それによって C 1 の調音動作へのオーバーラップの度合いが異なり 結果として C 2 の調音点により C 1 の知覚しやすさに違いが生じるという 本稿の実験のすべての刺激は C 1 の後に C 2 が続く音声から作成されたものである つまり 後部要素 (C 2 とそれ以降の要素 ) が削除された音声の前部要素 (VC フォルマント遷移や release 50 ) は 後部要素を削除する前の刺激の前部要素と音声的には全く同じものである つまり C 2 による調音動作のオーバーラップとそれによって前部要素が受ける影響の度合いという点で 後部要素を削除していない系列 ( 条件 1 条件 2) の刺激と 後部要素を削除した系列 ( 条件 3 条件 4) の刺激は 完全に同等である Jun の説明では C 2 によって前部要素が影響されることによって (10c) のようなスケールが生じるということであるから 彼の説明が正しければ尐なくとも後部要素の有無という点でのみ異なる条件の間 ( 条件 1と条件 3の間 または条件 2と条件 4の間 ) では 同様の C 2 の影響が得られることが予測できる しかし 本稿の実験結果はこれに反して後部要素が存在している条件 1 条件 2においてのみ何らかの C 2 の影響が観察され 全く同じように C 2 の影響を受けた前部要素を持つ音声であるにも関わらずであるにもかかわらず 後部要素が存在しない条件 3 条件 4では C 2 の影響が見られなかった この結果は C 2 ( または C 2 とそれ以降の要素 ) が存在するということが調音点同化には重要であって Jun が述べているような C 2 との調音的なオーバーラップによって C 1 の調音点の情報が失われてしまうという想定は当てはまらないことを示唆するものである 表 23. C 2 調音点ごとの C 1 の平均正答率と C 2 主効果の統計検定結果のまとめ V 2 =i V 2 =u C 2 p t k C 1 正答率 p t k C 1 正答率 条件 % 88.5% 90.4% p > t 95.0% 90.3% 90.7% p > k, t 条件 % 45.2% 40.8% ( 日 :t > p, k) 43.2% 47.2% 40.4% ( 日 :t > p, k) 条件 % 97.4% 96.7% 97.3% 98.3% 97.4% 条件 % 60.0% 62.7% 67.5% 69.9% 65.3% (13c): 言語によって C 1 のスケールに違いがあるか? 予測 : ない 50 Jun のスケールは C 1 が unreleased である場合を想定しているが 本稿の実験では Kochetov and So (2007) と同様に C 1 に release がある場合の音声も刺激として扱っている よって release がある条件では VC フォルマント遷移と C 1 の release が C 2 の影響を受けると見なすことができる 59

68 Kochetov and So (2007) の実験では C 1 の調音点の相対的な知覚しやすさについて ロシア語話者 英語話者 韓国語話者 中国語話者の間には差が見られなかったとの結果が報告されている 本稿では Kochetov らとほぼ同じ手法で実験を行っているため 彼らの実験と同様の結果が本稿の実験でも得られると想定した場合 被験者の母語が日本語であっても中国語であっても結果には差がないと予測された すでに報告したとおり 本研究の実験においては日本語話者と中国語話者の間には結果に違いがあり 言語間に一貫して差が見られなかったのは C 2 の調音点による C 1 正答率への影響に関して 後部要素が存在しない条件 3と条件 4のみであった ( 表 24) まったく同じ音声を聞いても 被験者の母語によって判断が異なるということ自体は珍しいことではなく そうした報告は成人だけでなく生後一ヶ月を過ぎた乳児などについても存在している (Polka et al. 2007) しかし Jun のスケールの検証という観点からは 本稿の実験において言語による差が観察されてしまったことは問題となる Jun (2004) の知覚のスケール (= (10)) は 閉鎖音の子音連続における調音点同化の非対称性が通言語的に観察されることに対する説明として提案されたものである よって このスケールによって調音点同化とその非対称性という音韻現象を説明するためには このスケールがどの言語の話者についても普遍的に共有されていなければならない Kochetov and So (2007) の重要な成果の一つは C 1 における p, t, k の相対的な知覚しやすさに関して ロシア語 英語 韓国語 中国語の 4 つの言語の間には差があるとは言えないということを実験的に示したことにあった 統計的に差があるとは言えないということは 差がないこととは厳密には異なるが 尐なくともこの結果から Jun のスケールが普遍的に共有されたものであることが示唆される それに対して 本稿の実験結果では日本語話者と中国語話者の間には尐なからず結果に差が見られている これは Jun のスケールが普遍的に共有されているとは言えないことを示唆するものであり 通言語的に見られる調音点同化の非対称性を知覚的観点から説明しようという立場からすると 望ましい結果とは言えないものであった なお 本研究において観察された言語間差異については 有標性階層が共有されていないためではなく 日本語と中国語の音素使用頻度の違いから来る 回答のバイアス の影響を受けたために生じた可能性がある また 母語の影響に関して Kochetov and So (2007) の実験結果と本稿の実験結果の間に相違点が生じた理由については 刺激として用いた音声の特徴の違いによって生じた可能性がある これらの点については後ほど詳しく考察する 表 24. 被験者の母語による実験結果の差の有無のまとめ C 1 の調音点による C 1 正答率 C 2 の調音点による C 1 正答率 V 2 =i V 2 =u V 2 =i V 2 =u 条件 1 差あり 差あり 差なし 差あり 条件 2 差あり 差あり 差あり 差あり 条件 3 差あり 差なし 差なし 差なし 条件 4 差なし 差あり 差なし 差なし (13d): 先行母音によって C 1 のスケールが異なるか? 予測 : 異ならない 60

69 Kochetov and So (2007) の実験で用いられたすべての刺激は V 1 が a に限られており 先行母音が a でない場合に関しては考慮されていない点が問題であった 先行母音によってどのような結果が得られるかは予め予測はできなかったが Jun (2004) のスケールでは先行母音によってスケールが異なることは想定されていないため 予測では先行母音によって C 1 の調音点の相対的な知覚しやすさのスケールが異なることはないと想定した 表 25 は先行母音によって C 1 の調音点の相対的な知覚しやすさのスケールが異なることがあったかどうかをまとめたものである ( 表中の あり は先行母音によってスケールが異なっていたことを示す ) 表を見る限り 先行母音による影響が尐なからず観察されている ここから C 1 の調音点の相対的な知覚しやすさについて議論する上では 先行母音の影響も考慮する必要があることが示唆される 結果をさらに詳しく見てみると C 1 の調音点ごとの C 1 の正答率については release の有無 後部要素の有無に係わらず先行母音の影響が生じうるのに対し C 2 の調音点による C 1 正答率に関して先行母音の影響が生じうるのは release がある場合のみであった しかし ここで最も重要なのはこうした違いではなく むしろ先行母音による影響が条件 2のときには一切観察されなかったという点である 繰り返しになるが Jun (2004) のスケールは C 1 が unreleased である閉鎖音の子音連続を想定している よって Jun のスケールの検証という観点からは 刺激の音声に release がなく 後部要素 (C 2 とそれに続く要素 ) がある条件 2における結果が最も重要である 本稿の実験結果においては 条件 2では先行母音による影響が一切観察されなかった つまり 尐なくとも Jun が想定しているケースに関しては 先行母音による影響を考慮する必要はないことになり Jun のスケールが先行母音を考慮していなかったことは問題ではないことが本稿の実験により示されたことになる この結果は 一見すると閉鎖音の調音点の知覚において先行母音による影響が存在すると指摘した先行研究 (Lehiste and Shockey 1972, Lisker 1999) と矛盾するようにも思われるが 決してそうではない これらの先行研究で対象とされているのは語末の閉鎖音の知覚であり (C)VC# のように音節末の子音の後には何の音も続かない音声が刺激として用いられている これらの刺激の環境は本稿の実験の条件 3 条件 4と同じものである 本稿の実験結果を見ると 条件 3と条件 4では確かに先行母音による影響が観察されており 実際に先行研究の指摘とは矛盾しない 条件 2の刺激と条件 4の刺激はともに release が無く 違いは後部要素があるか無いかという点だけであり それを除けば 2 つの条件の刺激はまったく同じ音声である それにも係わらず 先行母音の影響が見られたのは後部要素がない条件 4の音声のみであった また 条件 1の刺激と条件 3の刺激も後部要素の有無という点のみが異なる音声であるが やはり先行母音の影響という点で異なる傾向が得られている このことから 同じ音節末の子音の知覚であっても 後に子音が続く場合と続かない場合とでは全く別の次元のものとして議論する必要があることが示唆される 同様に 条件 1と条件 2 または条件 3と条件 4は release の有無という点でのみ異なるペアであるが やはり release の有無によっても先行母音の影響の様相は変化する このことから release がある場合と無い場合とでは全く別の次元のものとして議論する必要があることが示唆される なぜ先行母音の影響が特定の条件でのみ見られるのかは現時点では不明な点が多い なぜ C 2 の調音点による C 1 正答率に関して先行母音の影響が生じうるのは release がある場合のみであったのか なぜ条件 1(release あり 後部要素あり ) から release を除去した場合 ( 条件 2) には先行母音による影響がなくなってしまうのか また 条件 2から後部要素を除去した場合 ( 条件 4) には先行母音によ 61

70 る影響が再度現れるのかについては 現段階では説明がつかない点が多い これらの点については今 後の研究課題としたい 表 25. 先行母音の影響 (V 1 が関与する交互作用 ) の有無 日本語話者 中国語話者 C 1 の調音点による C 1 正答率 C 2 の調音点による C 1 正答率 C 1 の調音点による C 1 正答率 C 2 の調音点による C 1 正答率 V 2 =i V 2 =u V 2 =i V 2 =u V 2 =i V 2 =u V 2 =i V 2 =u 条件 1 あり あり あり あり あり 条件 2 条件 3 あり あり あり あり 条件 4 あり あり あり あり (13e): 日本語の刺激とロシア語の刺激で 結果に差はないか? 予測 : ない (7) の例にもあったように 日本語話者も他の言語の話者と同様のスケールを共有していると考えられること また p, t, k 音の産出にかかる身体的な制約は言語によらずほぼ一定であると考えられることから 刺激がロシア語の音声 (Kochetov ら ) であろうと日本語の音声 ( 本稿 ) であろうと同じ結果が得られるであろうと予測した 本稿の実験は Kochetov and So (2007) の実験と同様の手法で行ったものであるにも関わらず 以上で議論してきたように Kochetov らの実験結果と本稿の実験結果の間には C 1 の調音点による相対的な知覚しやすさ C 1 の知覚しやすさに対する C 2 調音点の影響 被験者の母語による違いなど あらゆる面で異なる点が観察されていた こうしたことから 本稿の実験結果は予測に反しており 刺激の言語によっても結果が異なる可能性があると言えそうである しかしながら 本稿の実験は Kochetov らと同様のやり方を採っているとは言っても 刺激とした音声 ( 言語 刺激の音韻環境 ) 被験者 分析方法など多くの面で異なってもいるため 刺激の言語による違いを検討するためには 刺激の音韻環境と被験者 そして分析方法は同じで 刺激の言語のみが異なるという状況で比較をする必要がある 刺激の音韻環境については Kochetov らの刺激は先行母音がすべて a であることから 本稿の刺激のうち先行母音が a であるものの結果のみを抽出して分析することで条件を同じにすることができる また Kochetov らの実験と本稿の実験の共通点として 中国語話者を被験者にしていることが挙げられる よって 中国語話者の結果のみを対象とすることで 被験者についても Kochetov らと同じ条件で分析が可能となる 最後に Kochetov らの分析では子音に関する要因は C 1 調音点のみである ( つまり C 2 は同時には考慮されていない ) ことから 本稿でも同じ方法をとることで分析方法の点でも条件を同じにできる 以上のことから 中国語話者の結果のうち 先行母音が a である刺激のみを C 1 調音点による 1 要因の ANOVA で分析したとき Kochetov らの実験と本稿の実験は刺激として用いた音声の言語のみが異なることになる このとき Kochetov らの実験結果と同じ結果 (C 1 主効果が有意で release がある場合には k > p t release がない場合には p t > k ) が得られたならば これまでに論じてきた Kochetov らの実験と本稿の 62

71 実験結果に見られた相違点は刺激の言語以外の要因 ( おそらくは Kochetov らの実験では考慮されていなかった先行母音による違いや 要因が十分に考慮されていなかったなどの問題点 ) によって生じたものだと推測可能である 逆に 同じ結果が得られなかったならば Kochetov らの実験と本稿の実験の結果が異なっていたことには刺激の言語の違いが関わっていた可能性が極めて高いことになる 同様の考え方によって C 2 の影響や被験者の母語による結果の相違の有無など C 1 の相対的な知覚しやすさ以外の項目についても刺激の言語によって結果に違いがあったかを確認することができる まず Kochetov らの実験結果では C 2 の調音点によって C 1 の平均正答率が影響されることはなかったとされていることから 同様に中国語話者の結果のうち 先行母音が a である刺激のみを C 2 調音点による 1 要因の ANOVA で分析すれば Kochetov らの実験と本稿の実験結果が C 2 の影響に関して異なっていたことに 刺激の言語の違いが関与していたかどうかを調べることができる さらに Kochetov らの実験では C 1 の調音点の相対的な知覚しやすさに関して 被験者の言語による違いは見られなかった ( 母語 C 1 の交互作用が有意でなかった ) と報告していることから 先行母音が a である刺激のみを対象にして C 1 調音点と被験者母語の 2 要因による ANOVA で分析すれば Kochetov らの実験では C 1 の調音点の相対的な知覚しやすさには母語による違いが観察されなかったのに対し 本稿の実験では尐なからず母語による違いが観察されたという相違点が 刺激の言語の違いによって生じたものであるかどうかを検討することができる 以上のように Kochetov らと条件をそろえた上で分析を行ったところ 表 26 に挙げたような結果が得られた 条件をそろえた場合には C 1 の調音点の相対的な知覚しやすさに関しては 条件 4でのみ本稿の実 表 26. 条件をそろえた上での Kochetov らとの比較 :C 1 調音点の相対的な知覚しやすさ Kochetov and So (2007) 本稿 (V 1 =a 中国語話者のみ) 結果は同じか? 条件 1 k > p > t 異なる 条件 2 p > t > k 異なる 条件 3 k > p t 異なる 条件 4 p, t > k t > k (p は t, k どちらとも差なし ) ほぼ同じ 表 27. 条件をそろえた上での Kochetov らとの比較 :C 2 調音点による C 1 の知覚しやすさ Kochetov and So (2007) 本稿 (V 1 =a 中国語話者のみ) 結果は同じか? 条件 1 同じ 条件 2 同じ 条件 3?( 記述なし ) 同じ? 条件 4?( 記述なし ) 同じ? 表 28. 条件をそろえた上での Kochetov らとの比較 : 言語差 ( 母語 C 1 の交互作用の有無 ) Kochetov and So (2007) 本稿 (V 1 =a のみ ) 結果は同じか? 条件 1 ない ない 同じ 条件 2 ない ない 同じ 条件 3 ほぼない ない ほぼ同じ 条件 4 ない ない 同じ 63

72 験結果と Kochetov らの実験結果が同様の傾向を示していた それ以外の条件における本稿の実験結果は C 1 の調音点による知覚しやすさの程度には差がないというものであり Kochetov らの実験とは異なる結果であった 刺激の言語以外の条件をそろえた上でこうした差が生じたことから C 1 の調音点による知覚しやすさの程度に関しては 刺激がロシア語であるか日本語であるかによって結果が異なっていたことになる 一方 C 2 の調音点による C 1 の知覚しやすさや C 1 の調音点の相対的な知覚しやすさに関する母語の影響 ( 母語 C 1 の交互作用 ) については 条件をそろえれば本稿の実験結果は Kochetov らの実験結果と同じ傾向を示した よって これらの要因に関しては刺激がロシア語音声であっても日本語音声であっても同じ結果が得られたことになる C 1 の調音点による知覚しやすさの程度に関してのみ刺激の言語による違いがあったことから 日本語とロシア語の C 1 の音声的な特徴に違いが結果にも影響を及ぼしていたと推測される まず考えられるのは 日本語とロシア語の C 1 の release の持続時間の違いである すでに述べたように Kochetov らの刺激の C 1 の release の平均持続時間は p が 18 ms t が 36 ms k が 27 ms で t と k の release が p よりも長かったと述べられている 51 それに対して本稿の刺激(Kochetov らと同じ条件で議論するために C 1 に先行する母音が a である刺激に限定 ) の C 1 の release の平均持続時間は V 2 が i のときには p が 26.8 ms t が 30.6 ms k が 54.7 ms V2 が u のときには p が 29.9 ms t が 25.6 ms k が 29.3 ms であった このように 日本語とロシア語とでは C 1 の release の持続時間の絶対的な値のみならず p, t, k の相対的な持続時間も異なっていた 同様に C 1 の閉鎖開始点から C 2 の release の直前までの区間の平均持続時間は Kochetov らの実験の刺激では p が 160ms t が 156ms k が 158ms で p, t, k の間にはほとんど差が無かったと述べられている 本稿の刺激では絶対的な持続時間は Kochetov らとそれほど大きく違うことはなかったが p, t, k の相対的な持続時間にはそれほど大きなものではないものの偶然とは言えない差が観察されている ロシア語の閉鎖音の子音連続は音韻的な子音連続であるが 本稿で用いた日本語の子音連続は音韻的な子音連続ではないため 以上のようなロシア語と日本語の相違点を以って結論付けることは難しいが 尐なくとも 閉鎖音の子音連続の産出な面において言語間の差異が存在する可能性があり そうした言語間の差異が子音連続の知覚しやすさにも影響を及ぼしている可能性があると言える 52 Jun のスケールを検証するためには今後より多様な言語の音声を用いた知覚実験を実施する必要があるだろう その他の要因について本研究における実験結果の分析においては 正答率が調音点の知覚しやすさを反映したものであるという前提で議論をしてきた 最後に この解釈の妥当性について議論する 正答率を調音点の知覚しやすさと解釈することへの反論として 回答におけるバイアスの影響 が影響したという可能性を挙げることができる 本研究における実験では 被験者に 3 択の強制判断を 51 残念ながら Kochetov and So (2007) の p, t, k の release の持続時間の違いについての見解は 統計検定の結果に基づいて述べられたものではない ( 尐なくとも そういった記述はされていない ) 52 Kochetov らが刺激として用いたロシア語は閉鎖音の子音連続 ( 同一子音の連続は除く ) は調音点同化を起こさない言語であるとされているが 彼らが用いた heteroorganic な刺激 ( 全部で 24 個 ) のうち 4 つは音響的にはっきりとした release を持っていなかったとされている それに対して 本稿の日本語の音声はすべてがはっきりとした release を持っていることを確認した上で刺激として用いており release の有無という点では完全に条件は同じではなかった こうした違いによって結果に違いが生じた可能性も否定はできない いずれにしても Jun のスケールは今後も更なる検証が加えられる必要がある 64

73 行わせたため 話者が音を聞き取ることができなかった場合 話者の母語において最も使用頻度の高い調音点が回答として選択されたため 最も使用頻度の高い調音点の見かけ上の正答率が上昇し 逆に使用頻度の低い調音点の正答率が見かけ上低くなってしまった可能性がありうる あるいは 話者が聞き取ることができなかった音を最も無標な音であると判断して回答した可能性もある 本研究の実験のデザインでは この回答におけるバイアスの影響を完全に排除することはできないため 実験結果 ( 正答率 ) が純粋に音の知覚しやすさを反映したものであると断言することはできない (13c) の予測と本研究の実験結果に関する議論において 日本語話者と中国語話者の結果の間には相違点が観察されたことを指摘し 有標性階層が必ずしも普遍的であるとは言えないことを指摘した しかし 日本語と中国語の音素使用頻度に違いがあるとすれば 有標性階層は共通であっても 音素使用頻度の違いから生じた回答のバイアスによって見かけ上の言語間差異が生じた可能性がある 中国語の音素使用頻度については残念ながら不明であるが こうしたバイアスを排除した上で音の知覚しやすさを推定する実験を行うことは今後の課題である 53 以上のように 回答のバイアスの影響の存在は否定できないが ここで指摘しておきたい点は本研究の実験結果が回答のバイアスのみによって生じたものであるとは考えにくいということである むしろ 以下に挙げる理由から 本研究の実験結果は音の知覚しやすさを強く反映したものであると見なすことが可能である 第一に 音素使用頻度が高い音の正答率が必ずしも高いとは限らないということ また 音素使用頻度が異なる言語間に共通した知覚の傾向が見られるという事実がある 一般に t は無標であってどの言語でも使用頻度が高いものと想定される ( 必ずしも全ての言語における音素使用頻度が明らかになっているわけではないが 例えば英語では t の使用頻度は全ての子音の中で最も高い (Denes 1963, Crystal and House 1988a)) しかし 先行研究(Kochetov and So 2007) で報告されている英語話者の知覚の結果では t が最も知覚されやすかったということは報告されていない つまり 音素が使用される頻度と知覚での選択されやすさは必ずしも結びつかない さらに Kochetov らの研究ではロシア語 韓国語 中国語話者についても知覚実験を行っており どの母語の話者にも英語話者と同じ傾向が観察されたことを報告している ロシア語 韓国語 中国語における音素使用頻度がどのようになっているのかは明らかではないが 複数の言語間で同様の傾向が見られたことは 音素が使用される頻度の影響は存在しているかもしれないが それ以上に調音点の知覚しやすさという要因がより強く働いていることを示唆している 本研究で実験対象とした日本語では例外的に k( 軟口蓋音 ) の使用頻度が高いことが知られており (Beckman et al. 2003) 日本語話者の結果だけ見れば k にバイアスがかかった可能性は否定できない 54 しかしながら 日本語話者の回答において常に k の正答率が高かったわけではなく 条件 4における k の正答率は最も低かった ( これは先行研究とも共通するものであった ) また Kochetov らの結果とは傾向が異なる点もあるものの 本研究における日本語話者と中国語話者の結果にも類似する点が多々見られた ( なお 同じ中国語話者であっても 53 音素使用頻度と音声の知覚の問題は 言語学においては言及こそされるものの詳細な検討はそれほどされてこなかった 音素使用頻度の影響を考慮した上で実験を行うことは 本研究のみならず 音声の知覚に関する研究 また 有標性に関係する研究全体にとっても今後解決されるべき大きな課題である 54 しかし 音素使用頻度に関してはどのコーパスに基づくかによっても大きく変化するようで 例えば岡田 (2008) が挙げている話し言葉コーパスのデータでは p, t, k の出現頻度 ( 挙げられていた 4 つのコーパスの合計 ) はそれぞれ 65207, , トークンであり t の頻度が最も高い このように 音素使用頻度は定義が難しい面があり 回答のバイアスを排除させることをより困難にしている 65

74 Kochetov らの実験と本研究の実験とでは異なる傾向が観察されている これは上述のように刺激の言語 ( 刺激音声として用いられた言語 ) の音響的特徴が異なっているためではないかと推測される ) やはり調音点そのものの知覚しやすさが異なっており よって複数の言語の話者に類似した回答のパターンが観察されたものと解釈することができる本研究の実験結果が音の知覚しやすさを強く反映したものと見なす第 2 の理由は 音の聞き取りやすさに関して差がないであろうと思われる条件間で反応パターンが異なっていたことにある 例えば 日本語話者について言えば 条件 2と条件 4はともに release のない尾子音を含むような音声であり 両条件共にこの環境では 3 つの調音点は対立を持たない よって 単純に考えれば条件 2と条件 4はともに聞き取りが非常に難しく 回答のバイアス ( 音素使用頻度の影響 ) が共に強く働くものと推測される しかしながら 日本語話者の回答パターンは条件 2と条件 4とでは大きく異なっていた ( 例 : 表 21) 同様のことは中国語話者にも当てはまる 以上のように 本研究の知覚実験の結果には個別言語の音素使用頻度の影響が含まれている可能性は否定できないものの 実験結果が音素頻度の影響のみによって生じたものであるとは考えにくく むしろ調音点の知覚しやすさの影響を観察することができる よって 本研究では正答率が調音点の知覚しやすさを反映したものであると解釈する 2.7. 総合的考察とまとめ本論文の目的は 音声学に基づく音韻論 のアプローチに基づいて有標性および有標性の例外の音声学的基盤を明らかにすることにより 音韻理論の妥当性を示すことであった 本章では調音点の有標性の音声学的基盤を明らかにするため 有標性と密接に関係する現象である閉鎖音の子音連続の調音点同化現象において非対称性が生じる理由を音声学的に検討する知覚実験を行った 以下では まず本章で実施した知覚実験の結果を総括し 調音点の有標性の音声学的基盤 特に知覚的要因を考察する また 調音点の有標性に対する知覚的要因による説明の有効性と限界についても指摘する 最後に 閉鎖音の調音点同化に関する本研究の実験とその他の領域 分野との関連について言及する 知覚実験結果の総括本章では 先行研究 (Kochetov and So 2007) の知覚実験の問題点を修正したうえで知覚実験を行い それを通して Jun (2004) が提案した知覚のスケールの検証を行った その結果 完全にではないが かなりの部分で Jun (2004) のスケールを支持する結果が得られ Jun のスケールに知覚的観点から見て妥当性があることが明らかとなった 本稿の実験の主な結果は以下のとおりであった 閉鎖音の子音連続において C 1 に release が存在するときには k が最も知覚しやすいという結果が得られた この点で Kochetov and So (2007) の実験結果が追認され Jun (2004) のスケール (= (10b)) における軟口蓋閉鎖音が最も知覚しやすいという想定が妥当であることが示された また 本稿の実験により得られた新たな知見として 閉鎖音の子音連続において軟口蓋音が最も知覚しやすいという傾向は C 1 に release が無い子音連続の場合にも当てはまることが実験的に示されたことを挙げることができる Jun のスケールはもともと C 1 が unreleased である場合を想定して作成されたものであるが 先行研究の実験においては C 1 に release が無い子音連続の場合には k の正答率が最も低く k が最も知覚しやすいとする Jun のスケールの妥当性に疑問が投げかけられていた 本研究の実験において release が無い子音連続の場合にも k の正答率が最も高いという結果が得られたことから Jun のスケールに 66

75 一定の妥当性が示されたと言える Jun の (10b) のスケールは k 以外にも p と t に関する知覚しやすさの度合いの違いについて触れているが 本稿の実験では p と k の知覚しやすさに関して Jun のスケールを積極的に支持する結果はほとんど得られていない また 結果には被験者の母語による差も尐なからず観察されていたことから Jun のスケールを検証する作業は今後も必要ではあるが 以上に述べた本稿の実験結果は Jun のスケールの検証に一定の貢献を果たしたと言える その他 本稿の実験によって新たに得られた知見は以下のとおりであった 本稿の実験により 子音連続において C 2 の調音点によって C 1 の知覚しやすさに違いが生じることが明らかとなった Jun (2004) の (10c) のスケールにおいては C 2 が歯茎音であればそうでないときよりも C 1 が知覚しやすいとされているが 先行研究 (Kochetov and So 2007) の実験では C 2 の調音点の違いによって C 1 閉鎖音の知覚しやすさが変化することはなかったと報告されている それに対して本稿の実験では release の有無に係わらず 子音連続の知覚において C 1 の知覚しやすさに C 2 の調音点が影響していた Jun のスケールを支持する方向性の影響が見られたのは release がない子音連続が刺激で かつ被験者が日本語話者である場合のみであったけれども 本稿の実験は Jun の (10c) のスケールについても一定の妥当性を与えることに成功したと言える Jun のスケールが説明対象としているのは C 1 が unreleased である閉鎖音の子音連続であるが Jun が説明対象としていない条件 (C 1 に release がある場合や release がなくても子音連続ではない ( 後ろに子音が続かない ) 条件 ) では先行母音の種類によって調音点の知覚しやすさのスケールが変化することがあったのに対し Jun が説明対象としている条件 (C 1 に release のない子音連続 ) においては先行母音の種類による結果に違いがなかったことを明らかにしたという点も 本稿の実験による貢献の一つである Jun がこのことを予知した上でスケールに先行母音の種類という要因を加えなかったのか 全く考慮していなかった結果加えられなかったのかは定かでないが 尐なくとも Jun が説明対象としている子音連続に関しては 先行母音の種類は考慮する必要がないことが実験により示された このことは調音点同化のより簡潔な記述につながることであり 音韻理論の観点から見て望ましいものであろう 調音点の有標性の音声学的基盤以上で議論したように 本稿の実験結果はかなりの点で Jun (2004) のスケールを支持するものであり 閉鎖音の子音連続における調音点同化の非対称性が知覚的な基盤に根ざしていることが示唆される これと同時に 調音点同化の非対称性は音韻論の有標性分析による予測および説明が可能である現象であることから 本研究の実験結果は有標性階層が生じる理由は知覚的観点から説明が可能であることも同時に示唆するものである 例えば 本稿の実験結果は軟口蓋音が最も知覚的に目立っていることを示すものであり 軟口蓋音が最も有標である ( 基底において指定されている=より特徴を持っている ) ために同化されにくく また同化を引き起こすことができるという音韻論の有標性分析に沿うものであった 55 これは 軟口蓋音の有標性は音声の知覚という基盤によって生じている可能性 55 ある音の知覚しやすさと有標性の関係については 2 通りの解釈が混在している 一つは 知覚しやすい音ほど無標であるという解釈で 例えば s と θ の比較において s の方が一般に無標なのは s が相対的に強い摩擦雑音を有するためであるといった説明がなされる ( 例 :Kirchner 2001) 別の解釈は 知覚しにくい音ほど無標であるという解釈で 知覚しにくいことが 特徴がなく目立たない という解釈へとつながり 同化や挿入などの音韻プロセスにおける無標なふるまいとなると説明される ( 例 : Kochetov and So 2007) 本章の実験結果と有標性の解釈において用いられたのは後者の論理であるが 一方で本研究で扱う別の有標性 (5 章 : 閉鎖音と摩擦音の有標性 ) に関しては後者の解釈ではうまく説 67

76 を示すものである 有標性階層は普遍的である ( 幅広い現象間に渡って観察される ) と想定されるものであるから 今後は閉鎖音の子音連続の調音点同化以外の現象においても軟口蓋音が知覚的に際立っているかどうかを示すことで 調音点の有標性の音声学的基盤をより明らかにすることができるであろう もちろん 本稿の実験結果は細かく見ると Jun のスケールと一致しない点もあり さらに検討すべき課題も多く残されている 以下に挙げるような観点に基づき 調音点同化現象の音声学的基盤を考える取り組みを今後も続けていく必要がある まず 母語によって調音点の知覚に違いが存在するのかどうかは今後更なる調査が必要である また 同じ p, t, k と言っても母語によって様々な音響的な違いが存在し それが知覚しやすさに影響している可能性もある 最終的な結論を出すためには これらの点が解決されなければならない これらの問題点が今後の研究課題である 音声学的要因による説明の有効性と限界について最後に 調音点同化の非対称性に対する音声学的要因 とりわけ知覚的要因に基づく説明の有効性と限界について議論する すでに述べたとおり Jun (2004) の知覚のスケールの存在からも明らかなように 調音点同化の非対称性は音声学的基盤 とりわけ知覚的な基盤を持つことが想定されてきた 本研究の知覚実験ではおおむね Jun (2004) の知覚のスケールを支持する結果が得られており よって知覚的要因による説明はある程度の有効性を持つと言える 一方 本研究の実験結果では Jun (2004) のスケールと一致しない部分もあったことから 調音点同化の非対称性の現象すべてを知覚的要因によって説明できるわけではない おそらく 調音点同化の非対称性には知覚的要因に加えてそれ以外にも別の要因が関与していると考えるのが妥当である 知覚的要因とそれ以外の要因との関係についても ここで議論しておく 閉鎖音の調音点の有標性と関係がある可能性があるのは産出的要因と視覚的要因であることはすでに述べたとおりである 本研究で言うところの産出的要因とは 舌の部位によって柔軟性が異なっており 歯茎音の調音がなされる舌の前部は軟口蓋音の調音がなされる舌の後部よりも柔軟性が高い組織の割合が多いため (Miller et al. 2002) 歯茎音の方が軟口蓋音よりも産出が容易であるというものであった Jun の知覚のスケールの根拠の一つは 歯茎音の調音速度が軟口蓋音の調音速度よりも早いために他の要素から容易に影響されやすく また 他に対して影響を及ぼしにくいというものであり この調音速度は舌の柔軟性の議論とうまく符号するものであるから 実はこの要因はすでに Jun のスケールに組み込まれているものと見なすことができる つまり Jun のスケールの妥当性が ( 完全にではないにせよ ) 証明されたということは 知覚的な要因だけでなく産出的要因も関与していることが含意される つまり 調音点同化の非対称性は音産出を介した知覚しやすさを音声学的基盤としていることになり どちらか片方だけが関与していると言えるものではない 一方 視覚的要因は visibility が高い両唇音はそれ以外の調音点の音よりも無標になりやすいことを予測するものであった Jun のスケールは視覚的要因を取り入れたものではなく また 先行研究 (Kochetov and So 2007) や本研究の知覚実験では音のみを聞かせているため 視覚的要因については具体的に議論することはできない この点については 音と調音している映像を組み合わせた刺激を用いて子音連続の知覚を調べる実験をすることで 視覚的要因が調音点同化の現象に直接的に関与しているかどうかを確かめることができる こうした可能性を検証することは今後の課題となる しか 明がつかず 前者の解釈をとる必要が生じる このように全く逆方向の解釈が混在しており また 実際に必要となってしまうことは有標性の説明において大きな問題である この問題については後ほど改めて議論する 68

77 し 尐なくとも産出 知覚的要因と視覚的要因は相互排他的なものではないと言えるため 視覚的要因がこの現象に直接関与していたとしてもしていなかったとしても 産出 知覚的要因が調音点同化の基盤を構成する要素の一つであると主張することで問題は生じない 以上のことから 非対称性を生じさせる要因には様々なものが存在しており 知覚的要因はそのうちの一つであると見なすことが可能である その他の分野 領域との関連本章の知覚実験は 閉鎖音の子音連続における調音点同化の非対称性以外の議論とも関係するものであり 本章における実験結果から これらの諸分野に対していくつかの提言をすることが可能である まず 子音連続における調音点同化の非対称性は 広い意味では音韻論における 音韻現象における非対称性と語内の位置の関係 の議論として捉えなおすことが可能である 一般に 音の際立ちが高い環境では音の対立が保たれやすく 逆に際立ちが低い環境では音の対立が失われる ( 中和 ) ことが指摘されているが (Steriade 2001) 本章における実験結果は調音点同化の非対称性 また 有標性だけでなく 中和現象に対する説明としても一定の貢献を果たすものであるといえる また 語内の位置による非対称性は 同化や中和以外に 借用語における音のマッピングにも観察されることから (Lee 2006) 本章の実験結果は借用語に見られる非対称性も知覚的観点からの説明を試みる意義があることを示唆する ( この点については 本稿第 4 章で議論する ) 本研究における位置と音の知覚的際立ちの関係についての議論は 言語学以外の諸分野とも関連がある Beckman (1999) の位置的忠実性の議論によると 位置による影響は単に音声学的な観点から見た際立ちだけでなく 語の処理のプロセスなどの心理的または心理言語学的観点から見た音の際立ちにも依存している 本研究の議論は音声学的観点から見た知覚的際立ちが主であったが 今後は心理言語学的観点も取り入れて分析することで 調音点同化の非対称性や有標性の基盤をより深く探っていくことができる可能性がある 調音点同化の現象は 音の知覚における前後の音声環境の影響 (phonetic context effect) や補償効果といった観点からも 言語学のみならず心理学や脳科学の分野においても注目されている 音声知覚のモデルには様々なものが存在しているが (e.g., Motor Theory: Liberman and Mattingly 1985, 1989; Psychoacoustics によるアプローチ : Diehl and Walsh 1989, Diehl et al. 1991, Kato et al. 1998, Kluender et al. 1988, Parker et al. 1986, Pisoni 1977, Pisoni et al. 1983, Stephens and Holt 2003, 他 ; TRACE Model: McClelland and Elman 1986) 近年ではこれらのモデルを脳科学的( またはその他の科学的手法に基づき ) に証明しようという動きが盛んになっている 例えば Gow and Segawa (2009) は子音連続の知覚において Motor Theory が主張する調音の介在 (articulatory mediation) が実在することを脳科学的手法に基づいて示した しかしながら Gow and Segawa (2009) では刺激音声は英語に限られており 被験者も英語話者に限られている 音声知覚のモデルの妥当性を検証する試みは McMurray et al. (2009) などでも行われているが 筆者の知る限りでは こうした試みの多くは単一の言語の話者のみを対象にして行われている もちろん これらの研究における目的は単一の言語の話者のみを対象にした知覚実験により達成されうるものであり それに対して異論を唱えるつもりはないが 本研究の実験結果に様々な言語間差異が見られたことを考えると 音声知覚のモデルの妥当性の検証において 他言語間比較が可能となるような実験を組み立てることで より細かな検証ができるようになる可能性がある 例えば 知覚における調音の介在の議論においては ある調音パターンを持つ言語から持たない言語まで様々な段階 ( その調音パターンによる音韻的対立を伴う 音韻的対立は持たないが音声的に 69

78 はありうる 音韻的にも音声的にもその調音パターンを用いない など ) に言語を分け それぞれの グループに該当する言語の話者を対象として実験を行うことで 音声知覚のモデルの妥当性をより広 く検証することが可能になるであろう 70

79 3. 摩擦音 破擦音の有標性 : 言語間差異とその音声学的基盤 本章では 摩擦音と破擦音の有標性に言語間差異が生じる理由を考察する 3.1 節では 有標性階層は普遍的なものであることが想定されているのに対し 摩擦音と破擦音の有標性には言語間差異 ( 有標性の例外 ) が存在することを先行研究で挙げられているデータに基づいて示し これが有標性理論における大きな問題の一つとなっていることを議論する 3.2 節では 先行研究におけるこの例外に対する説明を総括し 従来の研究では 個別言語の音素使用頻度 に基づいて説明する試みがなされてきたことを示す 同時に 個別言語の音素使用頻度のみでは例外を説明するには不十分であること また 従来は取り入れられてこなかった音声の知覚という音声学的要因を考慮することによって 個別言語の音素使用頻度の説明を補強できる可能性があることを議論する 3.3 および 3.4 節では 先行研究による個別言語の音素使用頻度に基づく説明を補強するために本研究が行った知覚実験の結果を報告し その結果を踏まえて摩擦音 破擦音の有標性に言語間差異が生じるメカニズムを考察する 3.1. 摩擦音 破擦音の有標性と言語間差異 : 音韻的事実摩擦音は破擦音よりも無標であるとされている Jakobson (1941/1968) は 幼児の音韻獲得において破擦音は同系列の摩擦音よりも後に獲得されると述べており 有標性の含意法則から 破擦音の存在により摩擦音の存在が含意される 破擦音が有標となることは 破擦音の持つ複雑な構造 および産出的な難しさによるものと思われる 破擦音は音声表記上閉鎖音と摩擦音を組み合わせて表記されることからも明らかなように閉鎖音の特徴と摩擦音の特徴を併せ持っている このような特徴から 破擦音はその構成要素である摩擦音を獲得した後に獲得されると考えることは自然である さらに Kirchner (2001) の音の産出にかかる労力を推定するモデルによれば 破擦音は閉鎖音や摩擦音よりも非常に大きな労力を必要とする音であることが推定されており 人間の調音器官などの身体的構造とそこにかかる制約はどの言語の乳幼児にも共通するものであると考えられることから 産出的な側面からも破擦音が有標となることが予測されるものである 56 しかしながら 摩擦音 破擦音に関する Jakobson の有標性仮説には反例が存在することも尐なからず報告されている Zhu and Dodd (2000) は 幼児の音韻獲得に関する複数の先行研究において Jakobson の仮説を支持す 56 この点に関して 本論文の外部審査員である神戸松蔭女子大学の松井理直先生から 産出の難しさの定義は一様ではなく たとえば筋感覚の観点からはむしろ摩擦音の方が産出が難しいという解釈が可能であり 実際に 言語障害のデータにおいては閉鎖というはっきりとした筋間隔を生じさせる閉鎖音や破擦音の方が産出しやすいという事実が存在するとのご指摘をいただいた 産出の難しさの定義についてはより詳細に考えてみる必要があり 今後解決すべき課題である なお 以下で述べるように 摩擦音 破擦音間の有標性階層は閉鎖音 摩擦音間に生じる有標性階層ほど確実なものではない この音韻的事実と 上の問題をあわせて考えると 閉鎖音 摩擦音の間では産出の労力 筋感覚共に摩擦音の方が産出が難しいことを予測するために安定した有標性階層が生じているのに対し 摩擦音 破擦音間では 2 つの尺度が相反する方向性を示しており よって有標性階層が相対的に不安定になっているという仮説を立てることも可能であるかもしれない つまり 今後 産出 や 知覚 にも細かなレベルを設定して分析することで 単なる無標 有標という大まかな分類ではなく その度合いの違いも捉えることが可能になる可能性がある この点については今後の課題としたい 71

80 る報告が得られている一方で イタリア語や Quiche などの言語では破擦音の方が摩擦音よりも早く獲得されるという報告があると述べている 窪薗 (2003) は 幼児の置換エラーの起こり方に注目して 英語の幼児は摩擦音を破擦音よりも早く獲得する傾向があるのに対し 日本語の幼児は摩擦音よりも破擦音を早く獲得する傾向があることを指摘している 日本語で破擦音の獲得が早い傾向があることは Beckman et al. (2003) においても指摘されている 以下の表は 竹安 (2007) における The International Guide to Speech Acquisition (McLeod (ed.) 2007) に挙げられている各子音の獲得時期のデータの分析の結果である 竹安 (2007) によると ある言語における摩擦音 破擦音の最小対について ともに獲得順序が明らかとなっているデータを抜き出したところ 摩擦音のほうが破擦音よりも獲得されるのが早いという Jakobson (1941/1968) の仮説を支持する最小対の割合は 30.5%(18/59) 逆に仮説を指示しない最小対の割合は 39.0%(23/59) であったという 表 29. 摩擦音と破擦音の獲得時期の比較 (McLeod ((ed.) 2007) のデータより ) 予測と一致 ( 摩擦が先 ) どちらともいえない予測に反する ( 破擦が先 ) 計 18 (30.5%) 18 (30.5%) 23 (39.0%) 59 (100%) 竹安 (2007) の分析結果は 摩擦音 破擦音に関する Jakobson の仮説に基づく予測はチャンスレベル程度の的中率でしかないことを示すものである これは 同じ竹安 (2007) の閉鎖音 摩擦音に関する Jakobson (1941/1968) の仮説 ( 閉鎖音の方が摩擦音よりも獲得されるのが早い ) の分析結果 ( 以下の表参照 ) における予測の一致率と比較するとより明確になる 57 表 30. 閉鎖音と摩擦音の獲得時期の比較 (McLeod ((ed.) 2007) のデータより ) 予測と一致 ( 閉鎖が先 ) どちらともいえない予測に反する ( 摩擦が先 ) 計 151 (77.0%) 36 (18.4%) 11 (5.6%) 196 (100%) このような摩擦音 破擦音の獲得順序の言語間差異は 普遍的な有標性階層を想定する言語理論の立場においては大きな問題であり 言語間差異 すなわち有標性理論における例外が生じる理由を説明することは重要な課題である そこで本研究では 摩擦音と破擦音の獲得順序に言語間差異が生じる理由を考察していく 獲得順序 音声的な複雑さ 産出的要因 摩擦 破擦 破擦 摩擦 ( 例外 )? 57 これは 一口に有標性と言っても その度合いは個々の有標性階層ごとに異なっている可能性を示 唆するものである 72

81 3.2. 言語間差異が生じる理由 : 先行研究における説明とその問題点 音素頻度説摩擦音と破擦音の獲得順序に見られる言語間差異の存在は 普遍的な有標性階層を想定する言語理論の立場においては大きな問題であることから 先行研究においては言語間差異を説明しようとする試みがなされてきた Beckman et al. (2003) は 音韻獲得において言語間差異が生じる理由は 個別言語における音素の使用 ( 出現 ) 頻度にあると述べている Beckman らの議論では 有標性は音声学的な複雑さ ( 産出の困難さなど ) 個別言語における音素頻度など複数の要因から成り立っており 音産出の難しさはどの言語においても共通であるのに対し 個別言語における音素頻度は言語により異なっており 一般に有標だとされる音であってもその言語での使用 ( 出現 ) 頻度が相対的に高い音は獲得が早くなりうるとされる しかし Beckman et al. (2003) では英語と日本語の閉鎖音と破擦音および s と ʃ の獲得順序に見られる言語間差異と個別言語の音素出現頻度の関係を議論したものであって 摩擦音と破擦音の言語間差異と個別言語の出現頻度との関係については具体的に言及されていない 摩擦音と破擦音の言語間差異について Beckman et al. (2003) の仮説を検証した研究に Tsurutani (2007) がある Tsurutani (2007) は 日本語を母語とする 1 歳から 1 歳 11 ヶ月の子を持つ 6 名の母親の対乳児発話に出現する音の出現頻度 ( トークン数 ) を調べたものである Tsurutani は自身の調査結果 ( 対乳児発話中の音の頻度 ) と先行研究で報告されている成人のカジュアルスピーチ中の音素頻度のデータを比較して 成人の発話では tʃ の出現頻度は s や ʃ の出現頻度よりも低いが 対乳児発話においては s の出現頻度 (806 回 ) や ʃ の出現頻度 (1069 回 ) よりも tʃ の出現頻度 (1253 回 ) のほうが高かったことを指摘し 日本語において tʃ の獲得が早いのはこのような対乳児発話中の音の頻度が音の獲得に影響を与えたためであると述べている また tʃ の出現頻度の高さは特定の表現 ( 例 : ~ちゃん ~ ちゃう ~ちゃった など ) によるものであり これらの表現は別の音に置き換えることが可能である ( ちゃん/ さん ちゃった / てしまった ) ことから Tsurutani は tʃ は頻度は高いが重要性は低い音だと見なすことが可能であり 日本語で tʃ の獲得が早いのは日本語において tʃ が重要な機能を果たしているためではなく 純粋に頻度の高さによると議論している Tsurutani (2007) の研究は 乳幼児にとって特に重要な入力であると思われる対乳児発話中の音の頻度に基づいて議論している点において非常に意義があり 摩擦音と破擦音の獲得順序に見られる言語間差異は個別言語の音素頻度によって生じていることを強く示唆するものである しかしながら Tsurutani (2007) では日本語の成人の発話と対乳児発話における音の頻度の比較はされているが tʃ の獲得が ʃ の獲得よりも相対的に遅い言語 ( 英語など ) における音素頻度との比較がなされていない点が問題点として残されている そこで 本研究では ʃ の獲得に比べて tʃ の獲得が相対的に遅い英語と ʃ の獲得に比べて tʃ の獲得が相対的に早いとされる日本語におけるこれらの音の出現頻度について比較してみることとした そのための方法として 英語と日本語について摩擦音 破擦音の出現頻度に関する調査を行った先行研究から摩擦音と破擦音 (ʃ と tʃ) の出現頻度を抜き出し 摩擦の出現頻度を 1 としたときの破擦音の出現頻度を筆者が計算して求めた ある言語における ʃ と tʃ の相対的な獲得順序がその言語の音素頻度と関係しているのであれば ʃ の獲得が相対的に早い英語では ʃ の出現比率が高く tʃ の獲得が相対的に早い日本語では tʃ の出現比率が高いことが予測される 結果は以下の表のとおりであった Denes (1963) はイギリスにおける英語学習者向けの会話テキストに出現する音素頻度を集計したもので Denes (1963) に記載されたデータに基づくと英語の ʃ と tʃ の出現頻度の比は 1: 0.53 であった 73

82 Crystal and House (1988a) は 英語の 2 つの読み物の中に含まれる音素頻度を集計したもので Crystal and House (1988a) に記載されたデータに基づくと英語の ʃ と tʃ の比は 1: 1.14 であった 日本語については複数の先行研究が利用可能であった 中西他 (1970) は 日常の養育場面において幼児の周辺にいた全ての人物が交わした会話 ( 幼児に向けられたものも成人同士で話されたものも含む ) に出現する音素頻度を調べたもので 中西他 (1970) に記載されたデータに基づくと ʃ と tʃ の比は 1: 0.79 であった Tsurutani (2007) は 1 歳から 1 歳 11 ヶ月の子供に対する母親の対乳児発話中の音素頻度を調べた研究で Tsurutani (2007) に記載されたデータに基づくと ʃ と tʃ の比は 1: 1.11( し と ち をそれぞれ/s/, /t/ に属する音だと見なしてカウントした場合には 1: 2.27) であった Takeyasu and Akita (2009) は音素の獲得順序と個別言語の音素頻度の相関を分析した研究で 彼らが用いたのと同じデータベース (Kakehi et al. (1996) のオノマトペの辞書 ) に基づくと ʃ と tʃ の比は 1: 1.37 であった 58 岡田(2008) は日本語話し言葉コーパスに出現するモーラ頻度を調べたものであり ここでの ʃ と tʃ の比は 1: 041~1: 0.55 であった 以上の結果は 全体として ʃ と tʃ の比は同じ言語内であっても研究 ( すなわち基づくコーパス ) によって異なっており 一概に日本語において相対的な破擦音の頻度が高いとは言えないことを示すものであった 以上のデータベースは 先行研究ですでに集計して整理されたデータに基づいて ʃ と tʃ の比を調べたが 英語の対乳児発話に関するデータを集計して記載した研究が見当たらなかった 幼児の音韻獲得における個別言語の音素頻度の影響を議論するのであれば 当然英語の対乳児発話またはそれに近いのデータに基づいて議論すべきである そこで 本研究では CHILDES Parental Corpus (MacWhinney 2000, Li and Shirai 2000) に挙げられているデータを集計し 音素頻度を求めた このコーパスには両親などの養育者やその場に居合わせた観察者の発話に含まれる語のトークン数が記載されており コーパス作成者によれば 全ての語が対乳幼児発話に含まれている語ではないが これらの語は幼児が典型的に耳にする発話を代表する標本だと見なすことが可能である コーパスに含まれる語はタイプ数で約 タイプ トークン数ではおよそ 260 万トークンであるが 本研究では使用頻度が高い方から上位 1000 位までの入った 1000 語 ( タイプ数 ) について その語に含まれる音素 ( 今回の分析では子音のみに限定した ) の数にその語が出現したトークン頻度を掛け合わせたものの総和を求め 各音素の出現頻度とした 例えば right という語のトークン頻度が トークンだとすると この語に 表 31. CHILDES Parental Corpus (MacWhinney 2000, Li and Shirai 2000) のデータの再分析結果 順位 音素 出現頻度 順位 音素 出現頻度 順位 音素 出現頻度 1 t h r n z f ð s ŋ d w ʃ j g θ k b tʃ m v dʒ l p ʒ オノマトペは以下で議論するように幼児語と共通する特徴を持っているとされ 乳幼児の言語獲得と 密接な関係があると考えられるので 分析に加えることとした 74

83 含まれる子音は r と t であるため right という語に関しては r と t はともに 回ずつ出現したものと見なした 同様に put という語のトークン数が トークンであった場合 p と t がそれぞれ 回出現したものと見なした 集計の対象としたのは単子音のみで 子音連続 59 や成節子音 また 記述上の誤りだと見なせるものなどは除外した このようにして 上位 1000 語まで その語に含まれる音素とトークン数を掛け合わせて 最終的に各音素ごとにそれを集計して最終的な音素出現頻度とした CHILDES Parental Corpus の分析結果における ʃ と tʃ の比は 1: 0.50 であった このコーパスの元となった発話は養育場面で幼児の周辺で交わされる会話 すなわち対乳幼児発話と周囲の成人の発話をともに含んだ会話であるから 上で挙げた日本語のコーパスで言えば中西他 (1970) のものと近いと考えられる この 2 つのコーパスを比較すれば 英語では日本語に比べて相対的に ʃ の出現頻度が高く tʃ の出現頻度は低いといえる ʃ と tʃ の相対的な出現頻度という観点からは英語と日本語の間には必ずしも顕著な差が見られなかったにもかかわらず ʃ と tʃ の音韻獲得の順序は両言語間で異なっている このことは 直ちに個別言語の音素頻度説を否定するものではない 考えられるのは 乳幼児にとっての音素頻度 は個別言語における音素頻度から単純には計ることはできないという可能性である 例えば コーパスの上では同じ音素頻度の音であっても 幼児にとってなじみのある語や幼児語に比較的多く現れる音は そうでない音よりも幼児にとって心的な重みが大きい存在となる可能性がある 先ほど挙げた ʃ と tʃ の 表 32. 英語と日本語における ʃ と tʃ の出現頻度の比 言語出典データの概要 ʃ: tʃ の比 英語 Denes (1963) 英語学習者向けの会話のテキストに出現する音素頻度 ( トークン数 ) 1: 0.53 Crystal and House (1988a) 2 つの読み物に出現する音素頻度 ( トークン数 ) 1: 1.14 CHILDES Parental Corpus 幼児の周辺で交わされる会話に出現する音素頻 (MacWhinney 2000, Li and 1: 0.50 度 ( トークン数 ) Shirai 2000) 中西他 (1970) 日常の養育場面における幼児の周辺で交わされ る会話に出現する音素頻度 ( トークン数 ) 1: 0.79 Tsurutani (2007) 対乳児発話に含まれる音素頻度 ( トークン数 ) 1: 1.11 (1: 2.27) 日本語 Takeyasu and Akita (2009) で 使用されたデータベース 岡田 (2008) Kakehi et al. (1996) に記載されているオノマトペ 1: 1.37 に含まれる音素の頻度 ( タイプ数 ) 学会講演 1: 041 日本語話し言葉コーパ講義講演 1: 0.52 スに含まれる音素頻度模擬講演 1: 0.55 ( トークン数 ) 対話 1: 今回の集計においては fly, sky, send における /fl/, /sk/, /nd/ などは子音連続と見なして除外したが remember の mb のように前の音節の coda と続く音節の onset に振り分けることができる場合には /m/ と /b/ は連続とは見なさないこととした また 破擦音は一つの音素としてカウントした ( 例えば tʃ を t と ʃ からなると見なすことはしなかった また it s などの [ts] については子音連続だと見なして今回の集計では除外した ) 75

84 比についても 中西他 (1970) のように幼児周辺で交わされる会話 ( 対乳児音声 対成人音声をともに含む ) における tʃ の相対的出現頻度は 岡田 (2008) の学術的な会話に含まれる tʃ の相対的出現頻度よりも比較的高くなっている 幼児周辺で交わされる会話 ( 中西他 (1970) のデータ ) は 学会講演など比較的フォーマルな場での発話 ( 岡田 (2008) のデータ ) よりも幼児にとっての入力を反映していると思われる また Tsurutani (2007) の対乳児音声や Takeyasu and Akita (2009) のオノマトペのデータにおいては ʃ よりも tʃ の相対的出現頻度の方が高い 対乳児音声は幼児にとって最も重要な入力であることは容易に想像される また オノマトペは幼児語との共通性が高いこと 60 ( 窪薗 2005, 2006) や Motherese の多くはオノマトペであること (Fernand and Morikawa 1993, 小椋 2006) が指摘されており やはり幼児にとっての入力を比較的よく反映している ( 尐なくとも 学術的な発話に比べて ) 可能性がある 逆に 英語の CHILDES のデータ ( 上に挙げた英語に関するコーパスの中では最も幼児の入力を反映していると考えられる ) における tʃ の相対的出現頻度は相対的に低い このように考えると 日本語 特に幼児がよく耳にする日本語の発話においては 英語に比べて破擦音の相対的な出現頻度が高いと言えないことはないのかもしれない しかしながら Beckman et al. (2003) が主張する個別言語の音素頻度説を採らない立場から見れば 以上のような解釈には無理があるといわざるを得ない 例えば 日本語を母語とする 3 歳児 (100 名 ) の発音について研究した安田 (1970) が報告したデータによれば tʃ の正産出率は 3 歳 0 ヶ月 ~3 歳 5 ヶ月児で 94.4% 3 歳 6 ヶ月 ~3 歳 11 ヶ月児で 95.3% と非常に高かったのに対し ʃ の正産出率は 3 歳 0~3 歳 5 ヶ月児で 50.0% 3 歳 6 ヶ月 ~3 歳 11 ヶ月児で 70.3% と低く 幼児の音韻獲得の多くの研究で採用されている 正産出率 90% 以上を獲得と見なす という基準に従えば ʃ は tʃ よりも 1 年以上遅れて獲得されることになる ʃ と tʃ の比は tʃ の方が多いとしても たかだか 1: 1.11(Tsurutani (2007) のデータ ) や 1: 1.37(Takeyasu and Akita (2009) のデータ ) 程度の頻度の差によって 獲得時期に大きな差が生じると言えるのかどうかは慎重に考えてみる必要がある また 仮に日本語において tʃ の相対的な音素出現頻度が高いとして それによってなぜ獲得が早くなるのか そのメカニズムについての詳細な議論がなされていない点も問題である 音素頻度が高いものほど獲得が早いという論理は直感的に正しいように思われ それゆえに ʃ と tʃ の獲得に限らず音韻論においてはよく用いられる説明である しかし それが正しいといえるのかどうかを確認せずに また そのメカニズムに関する議論を抜きにして例外を音素頻度の問題に押し込めてしまうことは 長い目で見れば音韻理論にとって望ましいことではないはずである 言語間差異への説明として音素頻度説を採るか採らないかに係わらず 音素頻度以外の別の何らかの要因を考慮に入れる必要がある 本研究は Beckman et al. (2003) が主張する個別言語の音素頻度説を基本的に支持する立場である しかしながら 以上で議論してきたように 音素頻度説は ʃ と tʃ の獲得順序の言語間差異に対する説明として不十分であり 他の何らかの要因によって補強される必要があると本研究は考える 窪薗 (2005, 2006) では 以下のような特徴がオノマトペと幼児語に共通する点であるとされている : 幼児語の多くはオノマトペから派生したものであることモーラ数 (3~4 モーラ語が多い ) 音節構造 (2 音節 HH または HL の構造 ) アクセント型 ( 頭高アクセントが多い ) 反復形が多いこと 61 Takeyasu and Akita (2009) においても ある言語における音韻獲得順序とその言語の音素頻度の間にはほとんど相関が見られないことが報告され 音素頻度以外にも様々な要因を考える必要があることが指摘されている 76

85 音素頻度説以外の説明の可能性音韻獲得順序に言語間差異が生じる理由として Beckman et al. (2003) により個別言語の音素頻度の違いによるという説が提案されている しかしながら すでに議論したように個別言語の音素頻度だけでは摩擦音と破擦音の獲得順序に言語間差異が生じる理由の説明として不十分であると思われることから 個別言語の音素頻度説を採択するにしても棄却するにしても これ以外の説明を考えなくてはならない 本研究では 音素頻度説を採る立場として 音素頻度以外の要因についても考察し 音素頻度説の説明を補強することを試みる そのためのヒントは そもそも音素頻度がどのようなメカニズムによって音韻獲得順序 ( 産出のレベル ) に影響するのかを考えて見ることで得られる 発達心理学の分野において 乳幼児が入力に含まれる統計的情報に対して非常に敏感であり 多く出現するものに対して選好を持つようになることが実験的に示されている Jusczyk et al. (1993) は 英語の環境で育った幼児に強弱と弱強の強勢パターンを持つ 2 音節語を用いて強勢パターンへの選好の度合い ( 注視時間 ) を調べたところ 9 ヶ月児は英語の強弱という強勢のパターンに選好を示すのに対し 6 ヶ月児では強勢のパターンの違いによる選好の度合いに差は見られなかったことを報告している 英語の 2 音節語には強弱の強勢パターンの語が弱強のパターンの語よりも圧倒的に多い ( 成人の発話 乳幼児向けの発話とも ) ことから Jusczyk らは言語にさらされるうちに出現頻度の高いパターンに選好を示すようになったとしている さらに 近年では 乳幼児が統計的情報に基づいてあるパターンに対して単に選好を示すようになるだけでなく 語の切り出しや音の対立の把握といった言語の獲得に直結する作業をこうした統計的情報に基づいて行っている可能性が高いことが実験的に示され 言語獲得一般について経験的な要素 ( 生得的ではなく ) の重要性 62 が指摘されるようになった (Saffran et al. 1996, Maye et al. 2002, Mirman et al. 2008) Saffran et al. (1996) は 8 ヶ月児は統計的情報のみを用いて ( ピッチや強勢など 語境界の手がかりとなるほかの要素を用いずに ) 語の切り出しを行う能力があることを実験的に示した さらに Mirman et al. (2008) は統計的学習による語の切り出しの能力 ( 統計的情報の抽出能力 ) は乳児に限られたものではなく また 統計的情報の抽出能力が語の学習に直接結びつくものであることを成人に対する実験により示した Maye et al. (2002) は 乳児 ( 英語環境 6 ヶ月児と 8 ヶ月児 ) がある音響的次元 ( 例 : VOT( 無声 有声の対立 )) における音の対立が母語に存在するかどうかをどのように判断しているのかを調べるために [ta]-[da] の音声連続体を刺激とし familiarization において [ta] らしい音と [da] らしい音を中間的な音よりも多く聞かせる場合 ( 双峰性 (bimodal)) と [ta] らしい音や [da] らしい音よりも中間的な音を多く聞かせる場合 ( 単峰性 (unimodal)) で その後のテストで乳児が [ta] と [da] を区別する能力 ( 注視時間 ) に違いが出るかどうかを調べる実験を行った その結果 familiarization 中の音声的入力に出現する音の頻度分布が双方的であった場合には [ta] と [da] を区別することができたのに対し 音の分布が単峰的であった場合には乳児は [ta] と [da] を区別することができなかったと報告し 乳児は 62 言語学ではどの言語の話者も共通に有する制約などの言語能力のことを普遍的なものであるとし 個別言語の音素頻度の影響は個別言語の問題であると考える傾向があるが 心理学の分野では統計的情報を用いた学習能力が 普遍的 であると考える傾向があるため 個別言語の音素頻度の影響も統計的学習によって生じたものとして 普遍的 なプロセスの一部として括られるかもしれない 本稿では用語の混同を避けるために統計的学習能力に対しては普遍的という用語を用いず 単に 統計的学習能力 や 統計的情報 ( を学習する能力 ) などとする 77

86 入力音声中の音の頻度分布 63 に敏感であること また そうした情報によって乳児が母語における音の対立の有無を判断している可能性があることを指摘した 以上のように 言語獲得の様々な側面において統計的情報が重要であることが伺われるが ここで再度注目したいのが Jusczyk et al. (1993) における実験結果である Jusczyk らの実験では 乳児が母語において頻度の高い構造を好んで聞くようになるということが示されている このことから 個別言語の音素頻度という一種の統計的情報がどのようなメカニズムによって音韻獲得順序 ( 産出のレベル ) に影響するのかを考えた場合 音素頻度と音韻獲得順序 ( 産出のレベル ) の間には知覚的な選好が介在しているという可能性が示唆される 仮に英語話者 ( 乳幼児 ) に比べて日本語話者 ( 乳幼児 ) が tʃ に対して知覚的な選好を持っているとすれば 音の知覚において tʃ を ʃ よりも好んで聞いた結果 入力中に含まれる実際の ʃ と tʃ の頻度の比に表された tʃ の重みよりも被験者にとっての tʃ の重みがより大きくなり これにより産出が促進されて 結果的に早期の獲得につながっていく可能性があると考える しかしながら このような知覚的な選好が ʃ と tʃ の知覚においても存在しているかどうかを確認してみないことには話は始まらない そこで 以下では ʃ と tʃ について言語による知覚的な選好またはバイアスが存在しているかどうかを 成人の英語話者 中国語話者 日本語話者 韓国語話者に対する実験を行って検証する 64 そして その結果に基づいて音韻獲得に見られる言語間差異は個別言語の音素頻度と知覚的な選好という 2 つの要因によって生じている可能性があることを議論する 3.3. 有標性の例外に対する音声学的説明 :4 言語 ( 英 中 日 韓 ) の話者に対する知覚実験 音韻的事実の確認 : 英語 中国語 ( 普通話 ) 日本語 韓国語における ʃ と tʃ の獲得順序 ʃ と tʃ の獲得における言語間差異が生じる理由について考察する前に 英語 中国語 日本語 韓国語における ʃ と tʃ に当たる音素の獲得順序に関する音韻的事実を確認する 本研究で議論の対象とする音素は 以下のとおりである (14) 本研究で対象とする音素英語 : /ʃ/, /tʃ/ 中国語 : /ɕ/ ( x in Chinese orthography (pinyin), /ʂ/ ( sh ), /tɕ (h) / ( j or q ), /tʂ (h) / ( zh or ch ) 日本語 : /sj/([ɕ], シャ, シ, シュ, etc.), /tj/([tɕ], チャ, チ, チュ, etc.) 韓国語 : /sj/ ([ɕ], 샤, 시, 슈, etc.), /c (h) / ([tɕ h ], 차, 치, 추, etc.) これらの音素は 音声的には若干の音色の違いはあるけれども いずれも後部歯茎 ~ 歯茎硬口蓋で 発音される音であり 各言語の話者にとって同じ音素に属すると感じられる ( 例えば 英語の ʃ, tʃ は 63 Maye et al. (2002) の実験での音の頻度分布とはある対立軸における音声 ( 異音 ) 的なものも含めた音の頻度分布であり 音素頻度の分布とは若干意味合いが異なるが それはともかくとして様々なレベルにおいて乳児は統計的情報に敏感であることがわかる 64 本来であれば 言語を獲得中の乳児または幼児を対象にした実験を行うのが最善ではあるが 複数の言語の幼児を数多く集めることは困難であることから 次善の策として成人を被験者として用いることとした 成人の音韻体系は乳幼児期に獲得されたものであることから 成人を対象に実験をすることで乳幼児の知覚と同一とまでは行かないにしても それに近似する傾向は得られると考え 将来他言語間の乳幼児の知覚を行う際の足がかりとするためにこうした実験を行うこととした 78

87 それぞれ日本語のシャ行音 チャ行音に一貫してマッピングされる ) 音であることから 以下では ʃ と tʃ として扱うこととする 本研究で音韻獲得の指標としたのは ʃ と tʃ の音素正産出率 音素が獲得された月齢 置換エラーの方向性 (ʃ tʃ か tʃ ʃ か ) とその率 の 3 つである これら 3 つの指標について (15) に挙げた先行研究に記載されたデータを可能な限り収集した (15) 依拠したデータベース ( 先行研究 ) 英語 : Templin (1957), Olmsted (1971), Prather et al. (1975), Irwin and Wong (1983), Smit (2007) 中国語 : Zhu and Dodd (2000), Zhu (2007) 日本語 : Yasuda (1970), Ogura (1978), Ota and Ueda (2007) 韓国語 : Ahn and Kim (2003), Kim and Pae (2007) 以上のデータに基づいて各言語における ʃ と tʃ の獲得順序について総合的に判断を行った その結果 以下に示したように 4 つの言語は ʃ が tʃ よりも早い言語 ( 英語 中国語 ) と tʃ が ʃ よりも早い言語 ( 日本語 韓国語 ) の 2 グループに分類できることが明らかとなり 確かに先行研究が指摘するように摩擦音と破擦音の獲得順序には言語間差異が観察されることが確認できた (16) ʃ と tʃ の獲得順序 ʃ が先 : 英語 (E) 中国語 (C) tʃ が先 : 日本語 (J) 韓国語 (K) 表 33. 英語 中国語 韓国語 日本語における摩擦音と破擦音の獲得順序 : まとめ English Chinese Korean Japanese 正産出率 (%) ʃ tʃ ( 先行研究により異 ʃ << tʃ 65 なる ) 獲得の月齢 ʃ tʃ ʃ tʃ tʃ > ʃ (s) ʃ << tʃ 置換の方向性とその率 無声摩擦音と無声破擦音に関する音声 / 音韻体系 全体の傾向 tʃ ʃ ʃ tʃ? 破擦音は閉鎖音 摩擦音と独立したカテゴリーに属する 破擦音は閉鎖音 摩擦音と独立したカテゴリーに属する ʃ tʃ (ʃ が tʃ よりも先 ) tʃ ʃ < ʃ tʃ (tʃ ʃ はデータベースにおいて観察されず ) 破擦音は閉鎖音 摩擦音と独立したカテゴリーに属する ( ただし 尾子音の閉鎖音が -i の前で破擦音になる屈折の変化が存在 ) ʃ tʃ (tʃ が ʃ よりも先 ) tʃ ʃ < ʃ tʃ 閉鎖音の体系に破擦音が含まれる (e.g. /ta/, /te/, /to/ [ta], [te], [to]; /ti/ [tʃi], /tu/ [tsɰ]). 65 同様の傾向は日本語および英語の失語 発語失行 構音障害の患者の発音においても観察される (Takeyasu 2006) 79

88 英語話者 中国語話者 日本語話者 韓国語話者 ( 成人 ) に対する知覚実験 ( 実験 3-1) この実験の目的は ʃ と tʃ の獲得のデータに見られた言語間差異と知覚的な要因が関係している可能性があるかどうかを確認することである 本来であれば 言語を獲得中の乳児または幼児を対象にした実験を行うのが最善ではあるが 複数の言語の幼児を数多く集めることは困難であったことから 次善の策として成人を被験者として用いることとした 成人の音韻体系は乳幼児期に獲得されたものであることから 成人を対象に実験をすることで乳幼児の知覚と同一とまでは行かないにしても それに近似する傾向は得られると考えたためである 実験 3-1: 概要 ( 刺激 被験者など ) この実験の被験者は 英語母語話者 (3 名 ) 中国語母語話者(11 名 ) 日本語母語話者(16 名 ) 韓国語母語話者 (5 名 ) であった 英語 中国語 韓国語の各話者はいずれも日本に在住する大学院生または教師であり 中国語話者 1 名を除いていずれも大学院レベルの高い日本語能力を有していた 実験の刺激は以下の手順で作成された まず 英語母語話者 中国語母語話者 日本語母語話者 韓国語母語話者 ( 各言語につき 1 名ずつ いずれも女性 ) に以下の音節を単独で 3 回ずつ発音してもらい それを録音した 各話者は自分の母語の音節のみを発音した ( つまり 例えば英語話者は表中の 1, 2, 3 のみを発音し 4~12 については発音しなかった ) 各音節について 3 回の発音の中から 1 つを刺激作成用に選んだ 選んだ刺激は 予備実験を行っていずれの言語の話者にとっても摩擦音であると判断されることを確認した 選び出した 12 の音声について 摩擦部分の持続時間を摩擦の開始点から 10 ms 刻みで削除していくことで [ʃv]-[tʃv] の音声連続体を 12 組作成した 66 なお 連続体に含まれる音声の数は元の音節の摩擦持続時間によって異なっている ( 表参照 ) これらの音声連続体に 同じ話者によって発音された同系列の破擦音 ( 例えば 英語の 1 の音声については [tʃa]) を加えたものを刺激として用いた 表 34. 刺激用に用いられた発音の持続時間と音声連続体に含まれる刺激数 E C: J: K: 発音された音節 1. ʃa 2. ʃi 3. ʃu 4. ʂa 5. ʂi 6. ʂu 7. ɕa 8. ɕi 9. ɕu 10. ɕa 11. ɕi 12. ɕu 持続時間 ( 摩擦 / 母音 ) 136ms/349 ms 161 ms/297 ms 182 ms/328 ms 200 ms/336 ms 247 ms/382 ms 242 ms/474 ms 138 ms/241 ms 155 ms/201 ms 155 ms/212 ms 123 ms/331 ms 162 ms/365 ms 174 ms/335 ms 音声連続体に含まれる刺激の総数 摩擦音を先頭部分から徐々に削除していくことで 破擦音の知覚に必要な より急激な開始部分 (abrupt onset) と短い摩擦持続時間が得られる (Kuwahara and Sakai 1972, Repp et al. 1978, Howell and Rosen 1983, Weigelt et al. 1990, Kluender and Walsh 1992, Park et al. 1998) 同様の刺激作成の手法は Park et al. (1998) の実験でも用いられている 80

89 実験は 3 つのブロックからなり 1 つのブロック内には後続母音が同じ音のみが提示された ( 例えば -a のブロックでは音節番号 1, 4, 7, 10 から作成された刺激のみが提示された ) 1 つのブロックは練習とテスト ( 本番 ) の 2 部構成となっており 練習では実験の手順に慣れてもらうために被験者の母語から作成された音声のみがランダムな順序で提示され 続くテストでは全ての言語の刺激がランダムな順序で提示された 3 つのブロックの提示順序は全ての被験者に共通で 後続母音が-a, -i, -u の順で提示された 被験者のタスクは 刺激を聞いてその子音が摩擦音 (SH) であるか破擦音 (CH) であるかを 2 択で判断するというものであった 回答はコンピュータのキーボードに入力することで行われた 実験の間 コンピュータの画面上には被験者の参考となるよう その被験者の母語で以下の語例が提示された 表 35. 実験の選択肢と 実験中に提示された文字 For English listeners For Chinese listeners For Japanese listener For Korean listeners SH CH SH CH SH CH SH CH sha (shine) shi (she) shu (shoot) cha (China) chi (cheese) chu (chew) sha (or xia) shi (or xi) shu (or xiu) cha (or qia) chi (or qi) chu (or qiu) sha ( シャ ) shi ( シ ) shu ( シュ ) cha ( チャ ) chi ( チ ) chu ( チュ ) sha ( 샤 ) shi ( 시 ) shu ( 슈 ) cha ( 차 ) chi ( 치 ) chu ( 추 / 츄 ) 結果被験者の回答は 被験者ごとの SH 判断率と 50% 知覚判断境界における摩擦持続時間に基づいてグループごとの平均に差があるかどうかを t 検定により分析した ʃ の獲得が早い言語と tʃ の獲得が早い言語の SH 判断率は 後続母音が a である場合には順に 56.3%, 44.8% 後続母音が i である場合には 45.6%, 41.8% 後続母音が u である場合には 45.5%, 34.5% であった t 検定の結果 SH 判断率は後続母音が i である場合を除き ʃ の獲得が早い言語では tʃ の獲得が早い言語と比べて平均の SH 判断率が有意に高かった 67 同様に 50% 知覚判断境界における摩擦持続時間は後続母音が i である場合を除き ʃ の獲得が早い言語では tʃ の獲得が早い言語と比べて 50% 判断境界地点の摩擦持続時間は短かった ( 判断境界における摩擦持続時間の値が小さいほど SH だと判断しやすいことを表している 図 3 参照 ) 68 以上の結果から 後続母音が i のときを除き 被験者は全く同じ刺激を聞いているにも係わらず ʃ の獲得が早い言語を母語とする被験者は tʃ の獲得が早い言語を母語とする被験者よりも刺激が摩擦音であると判断しやすい傾向があることが明らかとなった 67 各条件における t 検定の結果は以下のとおりであった V = a: t = -4.07, df = 33, p < V = i: t = -1.43, df = 33, p = (n.s.) V = u: t = -5.53, df = 33, p < Levene の等分散性の検定の結果 いずれの条件においても分散が等しいと見なせることが確認された 68 各条件における t 検定の結果は以下のとおりであった V = a: t = 2.37, df = 33, p < 0.05 V = i: t = 1.48, df = 33, p = (n.s.) V = u: t = 5.67, df = 33, p < Levene の等分散性の検定の結果 いずれの条件においても分散が等しいと見なせることが確認された 81

90 "SH" 判断率 (%) 図 1. 平均 SH 判断率 図 2. Probit 分析による 50% 判断境界値 (ms) SH-first (E, C) CH-first (J, K) Frication duration of stimuli CH SH 図 3. 回答パターンの例 : 英語の [ʃa] から作成された刺激における SH 判断率 82

91 考察実験の結果 ある言語における幼児の ʃ と tʃ の獲得順序とその言語の成人の知覚における選好 ( 音の判断において生じるバイアス ) の度合いには相関が見られた すなわち ʃ の獲得が相対的に早い言語の話者は知覚実験において刺激を ʃ だと判断しやすい傾向があり 逆に tʃ の獲得が相対的に早い言語の話者は刺激を tʃ だと判断しやすい傾向があった こうした音の知覚における選好と被験者の母語の関係は 刺激が曖昧なとき (ʃ と tʃ の中間的な音であるとき ) に最も顕著に観察された 刺激が曖昧なときに音の知覚における母語の影響が最も強く見られることは Massaro and Cohen (1983) をはじめとする音の知覚に関する先行研究においても報告されており この点に関して本研究の実験結果は先行研究と同様の傾向を示すものであった 日本語話者以外の被験者はほぼ全員が高い日本語能力を有するにも係わらず母語による違いが得られたことから 母語が音の知覚に与える影響は非常に頑健なものであると考えられる 音の知覚における母語の影響が外国語学習によって消えることがないことは Dupoux et al. (1999) においても報告されており この点に関しても本研究の実験結果は先行研究と同様の傾向を示していたといえる ある言語における幼児の ʃ と tʃ の獲得順序とその言語の成人の知覚における選考の度合いには相関が見られたことから 先行研究において観察されている ʃ と tʃ の獲得における言語間差異が生じる理由として 以下の 2 通りの説明の可能性があることが示唆された 一つは 乳幼児の持つ知覚の選好 によるという可能性であり もう一つは 成人の知覚的な選好により引き起こされた記述のバイアス によるという可能性である ( なお この 2 つの仮説は相互排他的なものである必要はないと考える ) 乳幼児の持つ知覚の選好 説成人の言語能力は乳幼児期に形成されたものであるから 実験で成人に見られた知覚の選好と同一とまではいかないにしても それに近似する傾向を乳幼児は有していると考えられる 乳児は生後 1 年以内に母語の音声 音韻体系による制約を受け始めることが指摘されていることからしても (Polka et al. 2007) 音韻獲得研究の対象となる 3 歳前後の幼児はもう充分に母語の特徴 ( すなわち 成人に近い知覚の傾向 ) を獲得しているであろうと考えられる すなわち 成人の知覚において音を ʃ だと判断しやすい英語や中国語の幼児は成人と同様に音の知覚の際に ʃ だと判断しやすい傾向を有し 逆に成人の知覚において音を tʃ だと判断しやすい日本語や韓国語の幼児では音の知覚の際に tʃ だと判断しやすい傾向を有するのではないかと推測できる このような知覚の選好により ʃ に選好を持つ言語の幼児では産出において ʃ の獲得が促進され 逆に tʃ に選好を持つ言語の幼児では産出において tʃ の獲得が促進されるのではないかと推測できる ここで こうした個別言語における知覚の選好がいったい何によってもたらされたのかという問題が生じる 本研究では こうした知覚の選好を生じさせるのが個別言語の音素頻度であり 個別言語の音素頻度と知覚の選好の相互作用によって先行研究で観察されるような音韻獲得順序の言語間差異が生じたのではないかと推測する 発達心理学の分野における研究において 乳児は生後 1 年に満たないうちから入力にある統計的情報を抽出し それによって音韻対立や語の獲得を行っていることが指摘されており (Saffran et al. 1996, Maye et al. 2002, Mirman et al. 2008) また 実際に母語に多く出現する構造に対して乳児が選好を持つことも知られている (Jusczyk et al. 1993) これらのことを踏まえると 知覚の選好は個別言語の音素頻度という一種の統計的情報を基盤にして得られたと推測するのは決して不自然なことではないと考える 83

92 表 36 は表 32 を再掲したものである すでに 中西他 (1970) や Takeyasu and Akita (2009) のコーパスにおける tʃ の相対的頻度は英語のそれよりも若干高めである それに対して 岡田 (2008) のコーパスにおける tʃ の相対的頻度は英語と差がないか むしろ低めである 発達心理学における先行研究 (Saffran et al. 1996, Maye et al. 2002, Mirman et al など ) が示唆しているように 乳幼児は入力に含まれる統計的情報 つまり乳幼児が実際に耳にする音に含まれる統計的情報に敏感であるから 乳幼児にとってより重要な指標となるのは実際の養育場面の発話を収集した中西他 (1970) や対乳児発話における音素頻度を調べた Tsurutani (2007) または幼児語と関係が深いとされるオノマトペ 69 の音素頻度を調べた Takeyasu and Akita (2009) における ʃ と tʃ の比であり 岡田 (2008) の学会講演などの発話における ʃ と tʃ の比は 幼児にとっての入力 を反映してはいない可能性がある 70 よって 以下では岡田 (2008) のデータは議論の対象から外すこととする 表 36. 英語と日本語における ʃ と tʃ の出現頻度の比 ( 再掲 ) 言語出典データの概要 ʃ: tʃ の比 英語 Denes (1963) 英語学習者向けの会話のテキストに出現する音素頻度 ( トークン数 ) 1: 0.53 Crystal and House (1988a) 2 つの読み物に出現する音素頻度 ( トークン数 ) 1: 1.14 CHILDES Parental Corpus 幼児の周辺で交わされる会話に出現する音素頻 (MacWhinney 2000, Li and 1: 0.50 度 ( トークン数 ) Shirai 2000) 中西他 (1970) 日常の養育場面における幼児の周辺で交わされ る会話に出現する音素頻度 ( トークン数 ) 1: 0.79 Tsurutani (2007) 対乳児発話に含まれる音素頻度 ( トークン数 ) 1: 1.11 (1: 2.27) 日本語 Takeyasu and Akita (2009) で 使用されたデータベース 岡田 (2008) Kakehi et al. (1996) に記載されているオノマトペ 1: 1.37 に含まれる音素の頻度 ( タイプ数 ) 学会講演 1: 041 日本語話し言葉コーパ 講義講演 1: 0.52 スに含まれる音素頻度 模擬講演 1: 0.55 対話 1: 0.53 Jusczyk et al. (1993) によれば 乳児は母語により頻繁に出てくる構造に対して知覚的な選好を持つよ うになる Jusczyk et al. (1993) で議論されているのは音節構造に対する選好であるが セグメントにつ いても同様のことが当てはまるとすれば 日本語では英語に比べて相対的な tʃ の出現頻度が高いこと から 日本語を母語とする乳幼児の tʃ への選好の度合いは英語を母語とする乳幼児の tʃ への選好の度 合いよりも相対的に強くなることが予想される さらに 音素出現頻度と知覚の選好の関係は 一回 限りの一方向性のものだと考える必要はない tʃ への選好の度合いが強くなるということは 本研究 69 すでに述べたように オノマトペは通常の語彙に比べて言語獲得と強い関係があることが指摘されている (Kubozono 2005, Takeyasu and Akita 2009). 70 厳密には 英語のデータについても対乳児発話などにおける ʃ と tʃ の比を用いるべきであった また 中国語や韓国語における音素頻度については残念ながら不明である これらの点については今後の課題としたい 84

93 で行った成人に対する知覚実験が示すように 同じ音を聞いてもその音を tʃ だと判断することが多くなることを示している ( 特に その音が曖昧である場合 ) 自然発話における音声は常に完全なものではなく 乳幼児の耳に入ってくる成人の発音のうち何割かは曖昧な (ʃ と tʃ の中間的な ) 音も含まれているはずであるから そのような音を乳幼児が聞いた場合には おそらく本研究の実験で成人に見られた結果と同様に ʃ に選好を持つ乳幼児 ( 本研究で言えば 英語や中国語の乳幼児 ) はその曖昧な発音を ʃ と tʃ に選好を持つ乳幼児 ( 日本語や韓国語の乳幼児 ) は tʃ だと判断することになるであろう すると 仮に音声的な入力に含まれている ʃ と tʃ の比が同じであったとしても 乳幼児の耳にとって聞こえる入力という観点からは ʃ と tʃ の比は歪められ ʃ に選好を持つ言語の乳幼児にとっては ʃ の頻度が tʃ に選好を持つ言語の乳幼児にとっては tʃ の頻度が高いように感じられるはずである つまり 個別言語の音素頻度によって生じた知覚の選好が 個別言語の音素頻度の差を再度強調するように働き 強調された個別言語の音素頻度の影響は再度知覚の選好を生む といったように反復的に相互作用を及ぼしあうのではないかと本研究では推測する 成人の知覚的な選好により引き起こされた記述的なバイアス 説 2 つ目の可能性は 幼児の発音を聞く大人の側が持つ知覚的な選好により 幼児の発音を特定の方向に記述しやすい傾向があるために言語間差異が強調されて報告されているのではないか という可能性である 幼児の発音は成人に比べて正確さにかけ 一貫性がないことが指摘されている ( 中西 大和田 1967 Smit et al. 1990, Nittrouer 1992) よって 幼児の ʃ と tʃ の発音は成人にとっての ʃ と tʃ の知覚判断境界付近の音となる確率が比較的高いものと推測できる よって 幼児が仮にどの言語でも同じ様な発音をしており 同じ程度の確率で曖昧な発音をしていると想定すると 72 同じ程度曖昧な発音を聞いた場合であっても英語のように ʃ に対する選好を持つ言語の話者はそれを ʃ だと判断するのに対し 日本語のように tʃ に対する選好を持つ言語の話者はそれを tʃ だと判断することが本研究の実験結果から推測される 73 この仮説は 諸々の先行研究で報告されている事実と照らし合わせると必ずしも的外れであるとはいえない可能性があり 検証してみる価値はある 例えば 幼児の音韻獲得の研究において幼児が成人にはわからないような形 ( 母語 ( 成人 ) では知覚の際に用いられない音響的手がかりを用いる または音響的に分析すると分布が異なるなど ) で対立を維持している場合があるが (Ingram 1975, Macken 1980) 成人はそれに気づかずに置換だと処理してしまう場合があることが指摘されている(covert contrast の問題 :Beckman et al. (2003)) 似たような問題は幼児の音韻獲得のみならず失語や発語失行の 71 仮に最初の段階で生じた知覚的選好により ʃ に選好を持つ言語の乳幼児と tʃ に選好を持つ言語の乳幼児の間に 3% 程度の知覚判断のずれが生じたとすると その後の 乳幼児にとっての音素頻度 の差は最初の段階と比較して 3% ほど強調される 強調された影響はその後のサイクルにも累積的に影響を与えるであろうから 1 サイクルに 1 年間かかるとして単純に計算すると 3 年目には最初の段階と比較して 5 倍以上の差が生じることが推測される 当然ながら これが度を越すと ʃ と tʃ の対立そのものが失われてしまうため ある程度のところで対立を保とうとする力が働くことで対立が失われることはないであろう 72 実際には すでに議論したような理由から母語によって幼児の発音は異なるであろうことが予想される ここでの仮定はあくまで純粋に成人側の要因について考える上でのものである 73 音の知覚における母語の制約の影響を調べた Massaro and Cohen (1983) の実験においても 音の知覚において母語の影響が最も強く現れるのは刺激が曖昧な場合であることが報告されており このことからも成人が幼児の発音を聞くときに誤って判断してしまう場合があることが示唆される 85

94 患者の発音に関する研究においても生じている 失語や発語失行の患者の発音も健常者の発音と比べて不正確で一貫性がないことが指摘されており (Harmes et al. 1984, Haley 2002) 失語などの研究分野においてそのような発音に対する観察者の誤知覚による誤った記述が問題となっていることが指摘されている (Haley et al. 2001) これらの指摘は摩擦音 破擦音に特定してなされたものではないが 音響的に全く同じ刺激に対する判断が母語によって異なっていたという本稿の実験を見る限りでは 幼児の摩擦音 破擦音に関して成人が聞き間違いを起こす可能性は充分にありうるのではないかと思われる Beckman et al. (2003) や Tsurutani (2007) などによる個別言語の音素頻度説が摩擦音 破擦音の有標性の言語間差異の説明として決定的ではない以上 その代案として摩擦音 破擦音に関して聞き間違いによる誤った記述が生じているか否かを検討することは意義があると考える 図 4. 仮説 1の幼児側に原因があるとする説については 複数の推測により立てられているため ここで推測した内容について今後その推測が正しいのかどうかを検討しなければならない 今後は 幼児が実際に ʃ と tʃ のどちらかに対して知覚的な選好を持っているか否かを検討する必要がある 本研究の実験は 成人の持つ知覚の傾向は乳幼児期に形成されたものであるから 幼児も成人と近い知覚の傾向をもつであろう という想定のもと 成人に対して行われたものであるが この想定が正しいという保障はない 乳児の音の知覚は 1 歳前後の時期には母語の制約を受け始める (Polka et al. 2007) と指摘されている一方で 幼児が成人と全く同様に音の知覚をするようになるには生後数年はかかると指摘する研究もある 74 よって 本当に幼児が成人と同じような知覚の選好を持つかどうかを調べていく必要がある また 1の説は個別言語の音素頻度によってその言語における知覚の選好が生じると想定していることから 今回の分析では診ることのできなかった中国語や韓国語の個別言語の音素出現頻度 ( とりわけ 対乳幼児発話における音素出現頻度 ) を調査し それらのデータと仮説が合致するかどうかを検討していかなければならない 成人の側に原因があるとする2の説については 本研究の知覚実験では全ての話者が同じ刺激を聞いたのにも係わらず 被験者の母語による結果とその言語における ʃ と tʃ の音韻獲得の順序との間に相関が得られたことから考えて 言語間差異が生じる要因の一つとして存在していると考えられる 本研究の実験結果における言語グループ間の差は平均で 10% 程度であったから 言語間差異に対する 74 例えば Nittrouer and Studdert-Kennedy (1987) は 3~7 歳児と成人に対する知覚実験を行った結果 成人とほぼ同様の知覚の傾向を示したのは 7 歳児のみであったと報告している 86

95 成人側の要因の説明力は限られており 主要な要因というよりは 2 次的な要因ではあろうが 要因として存在している可能性は高い この2の説については 幼児の発音を刺激として用いて複数の言語の話者に聴取判断させたときに母語によって判断に違いが出るかを調べることで検証することが可能である よって 以下では実験により2の説が妥当であるかどうかを検証する 3.4. 有標性の例外に対する説明 : 幼児の音声を刺激とする知覚実験 ( 実験 3-2) この実験では 日本語を母語とする幼児 (2 歳 6 ヶ月児と 3 歳 9 ヶ月児 ) の音声を刺激として用いて音の同定実験を行い 2の説が予測するように同じ音声を聞いても母語の違いによって音の判断が異なる (ʃ の獲得が相対的に早い言語の話者は音が ʃ であると判断し tʃ の獲得が相対的に早い言語の話者は音が tʃ であると判断しやすい ) かどうかを調べる さらに 実験 3-1 とこの実験での被験者の正答率の相関を調べ 母語を問わず実験 3-1 において ʃ 判断率が高かったものは幼児の音声を聞いた場合でも ʃ 判断率が高いと言えるかどうかを調べる 実験 3-1 の音声は破擦音 摩擦音を区別する際の主要な知覚的手がかりであるとされる子音持続時間 ( とそれに伴う出わたり部分の振幅上昇時間 ) (Kluender and Walsh 1992) のみを操作して作成した音声連続体であるため 様々な余剰的手がかりが存在する自然発話の知覚においても実験 3-1 の結果が自然発話の知覚においても再現されるかどうかをこれによって確認する 以上の 2 つの指標により それによって2の仮説が妥当であるか否かを検証する 実験 3-2: 概要 ( 刺激 被験者など ) 刺激の作成に当たって まず日本語を母語とする男児 (2 歳 6 ヶ月児 ) と女児 (3 歳 9 ヶ月児 ) に対して絵を見せてその名前を言ってもらう方式で発音を録音した 75 男児(2 歳 6 ヶ月児 ) には一貫したものではないものながら明らかな置換が認められたが その多くは s が tʃ や ʃ へと置換されるというものであり ʃ や tʃ 自体を誤って発音することは尐なかった 女児 (3 歳 9 ヶ月児 ) の発音においても同様の傾向が見られた 筆者 ( 日本語話者 ) が聞いた限りでは女児は男児よりも誤りが尐なかったので 比較的誤りの多い男児の発音を中心に刺激を作成することとした また 筆者にとって誤りと感じられないような発音であっても 他の言語の話者にとってどのように聞こえるかはわからないため 置換が起こっていないと思われた発音の一部についてもコントロール用の刺激として用いることとした 録音した音声を 元の語が何かわからないようにするために語の一部を切り出して 単音節または 2 音節の語を作成した 刺激はできる限り無意味語となるようにしたが 特に単音節語については全てを無意味語にそろえることは不可能であったため 一部に有意味語も含まれている ( 例 :[tʃi] - 地 血 知 etc. ) この点については問題となる可能性があるが 実験 3-1 の刺激も同様の条件となっているため実験 3-1 の結果との相関を見る限りでは問題ではないと考える 語の総数は ʃ と tʃ を含む語 75 発音を引き出すのに用いた絵は 竹安他 (2007) の筋ジストロフィー児の構音検査において用いた絵のセットのうちの一部分である 語を複数回発音してもらうことを試みたが 幼児に複数回発音してもらおうとしても嫌がられてしまったため 1 つの語について複数回発音が得られたのは最大でも 3 回のみであった これらの複数回発音が得られた語は 個々の発音を独立したものと見なしてそれぞれから刺激を作成した また 録音に当たってはボランティア団体 かにっ子ファミリー の方々にご協力いただいた ここに記して感謝申し上げたい 87

96 ( ターゲットの音声が正しく発音されたもの 置換された結果生じたもの 曖昧なものを含む ) とダ ミーの語を含めて 64 語とした 発話者別では 2 歳 6 ヶ月児の音声から作成された刺激が 48 個 3 歳 9 ヶ月児の音声から作成された刺激が 16 個であった 表 37. 実験 3-2 で用いられた刺激とその元になった音声 用いた絵 ( ターゲット語 ) 2 歳 6 ヶ月児の発音 ([ ] 内 ) とそこから作成された刺激 (/ / 内 ) 3 歳 9 ヶ月児の発音 ([ ] 内 ) とそこから作成された刺激 (/ / 内 ) バス [bats j ɯ]: /ba/, /asu/ [bas ɯ]: /asu/ かぼちゃ [ka:bo:tʃa]: /botʃa/ しょうぼうしゃ [ʃo:bo:ʃa]: /ʃoo/, /booʃa/ [ʃo:bo:ʃa]: /booʃa/ いちご [itʃigo]: /tʃi/ カニ [ka ~ ɲitʃaɯ ~ ]( カニさん ): /ka/, /nisa/ [ko ka ~ ɲitʃaɯ ~ ]: /nisa/ ちょうちょ [tʃo:t j o]: /tʃo/, /otʃo/ でんしゃ [dei ~ ʃa]: /enʃa/ [dei ~ ʃa]: /enʃa/ じてんしゃ [desei ~ ʃa]: /enʃa/ [ditei ~ ʃa]: /tenʃa/ キリン [ki:ʃaɯ ~ ]( キリンさん ): /kiri/, /insa/ [ki:ʃaɯ ~ ]: /insa/ はさみ [haʃami]: /hasa/ [hasami]: /hasa/ [tʃokiɯ ~ tʃokiɯ ~ ]( チョキンチョキン ( 切る音 )): /tʃo/( 一つ目 ), /kintʃo/ [tʃokiɯ ~ tʃokiɯ ~ ]: /tʃo/ クツ [kɯtʃɯ:]: /ku/, /utsu/ [kɯtʃɯ]: /utsu/ [kɯtʃɯ]: /utsu/ おもちゃ [omutʃa]: /motʃa/ ぼうし [ m bo:tʃi]: /ooʃi/ [bo:ʃi]: /oʃi/ サル [oʃaɯ]( おさる ): /osa/ [osaɯ]: /osa/ [oʃaɯ]: /osa/ ぞう [do:ʃaɯ ~ ]( ぞうさん ): /zoo/, /osa/ えんぴつ [e ~ :pittʃɯ:]: /pitsu/ [empitʃɯ]: /pitsu/ [e ~ :pittʃɯ]: /pitsu/ さかな [ʃakana:]: /sa/ [sakana]: /sa/ [tʃa:kana]: /sa/ せんぷうき [ʃem:ku ~ :gi]: /se/ [sempu:ki:]: /se/ セミ [tse:mi]: /se/ しんぶん [ʃei ~ bu ~ ]: /ʃi/ [ʃii ~ bu ~ ]: /ʃi/ スイカ [sɰi:ka]: /sui/ たいこ [taiko]: /ta/ つき [tʃɯki]: /tsu/ [otʃɨgisama]( おつきさま ): /otsu/ つくえ [tsɯkɯɾe]: /tsu/ つみき [tʃumeki]: /tsu/ [tʃɨmiki]: /tsu/ うさぎ [os j agi:]: /usa/ [ɯsagi]: /usa/ [usagi]: /usa/ ふうせん [hu:se ~ :]: /uuse/ ジュース [d j uʃu]: /uusu/ ヒツジ [çitʃɯdʒi]: /hitsu/ ピカチュー [pikats j ɯ:]: /katʃuu/ 無意味語 [tʃo yatʃɯ]: /tʃo/, /yatʃu/ 88

97 被験者は実験 3-1 と同様 成人の英語話者 中国語話者 日本語話者 韓国語話者で 人数は ʃ の獲得が早い言語のグループが 8 名 ( 英語話者 1 名 中国語話者 7 名 ) tʃ の獲得が早い言語のグループが 16 名 ( 日本語話者 14 名 韓国語話者 2 名 ) の計 24 名であった このうち 21 名は実験 3-1 に参加したのと同じ被験者であった 刺激はランダムな順序で提示され 被験者のタスクはそれを聞こえたとおりに自分の母語 ( 中国語話者についてはピンイン表記 韓国語話者についてはハングル表記 ) で記述することであった 実験は 2 日間に渡って行われ 各刺激は初日 2 日目にそれぞれ 1 回ずつ提示された ( すなわち 各刺激は合計 2 回ずつ提示された ) 24 名の被験者のうち 6 名は時間の都合上実験への参加は 1 日のみであった 予測 2の仮説から 同じ音声を聞いても母語の違いによって音の判断が異なり ʃ の獲得が相対的に早い言語 ( 英語 中国語 ) の話者は音が ʃ であると判断し tʃ の獲得が相対的に早い言語 ( 日本語 韓国語 ) の話者は音が tʃ であると判断しやすいと予測される すなわち 刺激に対する英語 中国語の話者の ʃ 判断率は日本語 韓国語話者の ʃ 判断率よりも高くなることが予測される (tʃ 判断率に関してはこの逆 ) また 子音持続時間( とそれに伴う出わたり部分の振幅上昇時間 ) のみを操作して作成した音声連続体を刺激として用いた実験 3-1 の結果が自然発話の知覚においても再現されるのであれば ( そして 音韻獲得において言語間差異が生じる要因の一つに成人の知覚が関与しているのであれば ) 被験者の母語を問わず 実験 3-1 の ʃ 判断率とこの実験における ʃ 判断率との間に相関が見られるはずである 2 点について分析した結果を報告する 結果 ʃ 判断率および tʃ 判断率の比較刺激のうち ターゲットの音素が tʃ であるものおよび ʃ であるもの ( すなわち ダミー語を除いた刺激 ) について それが破擦音 ( または摩擦音 ) であると判断された率をまとめたのが以下の表である 76 日本語を母語とする幼児の発音に関して ターゲットの音素が tʃ である場合にはそれが摩擦音だと判断されることはなかった ターゲットの音素が tʃ である場合にそれが破擦音であると判断される率は 見かけ上 韓国語 > 中国語 > 日本語 > 英語 となっており 最も高い韓国語話者と最も低い英語話者の間の判断率の差は 10% 程度であった 実験 3-1 においても言語による差は 10% 程度であり この点では実験 3-1 の結果はこの実験においても部分的に再現されたと言える しかしながら 被験者の母語における音韻獲得順序 (ʃ の獲得が早い vs. tʃ の獲得が早い ) によりグループ化したデータに対する t 検定の結果 tʃ 判断率には有意な差が見られなかった (t 22 = 0.111, p = (n.s.)) よって 個々で見られた差は信頼性が低く ターゲットの音素が tʃ である場合には仮説を支持する結果は得られなかったと見なすのが妥当であった ターゲットの音素が ʃ である場合にそれが ʃ だと判断された率は 2の仮説からは ʃ だと判断する率が高いはずである中国語話者で他の言語の話者に比べて低かった ( 破擦だと判断された率に関しては逆の関係 ) が 同様に t 検定を行ったところ 判断の率にはやはり有意な差が見られなかった (t = 1.618, p = (n.s.)) 77 よって ターゲットの音素が ʃ であ 76 各列の総和が 100% にならないのは 摩擦音 破擦音以外の音だと判断される場合があったためである その場合の被験者の回答のほとんどは閉鎖音であったため 表では省略した 77 Mann-Whitney の U 検定などのノンパラメトリック検定を用いても結果は変わらなかったため ここ 89

98 る場合にも仮説を支持する結果は得られなかった 以上の結果から 幼児の発音を聞いたときにそれを聞く人の母語によって判断は若干異なりはするけれども 統計的に見て有意な差がなかったことから明らかなように その判断の異なり方は一貫した信頼性の高いものではないと言える つまり この結果からは 成人の知覚が音韻獲得において言語間差異が生じる要因の一つである という仮説を支持するデータは得られなかった 表 38. 実験 3-2 の結果 ターゲットの音素回答 English Chinese Japanese Korean 80.0% 87.5% 85.4% 90.0% tʃ (16/20) (105/120) (222/260) (27/30) tʃ 0% 0% 0% 0% ʃ (0/20) (0/120) (0/260) (0/30) 90.9% 86.4% 91.6% 90.9% ʃ (20/22) (114/132) (262/286) (30/33) ʃ 4.5% 12.9% 7.7% 9.1% tʃ (1/22) (17/132) (22/286) (3/33) 実験 3-1 の結果との相関実験 3-1 の音声は破擦音 摩擦音を区別する際の手がかりの一つである子音持続時間 ( とそれに伴う出わたり部分の振幅上昇時間 )(Kluender and Walsh 1992) のみを操作して作成した音声連続体であるため 様々な余剰的手がかりが存在する自然発話の知覚においても実験 3-1 の結果が自然発話の知覚においても再現されるかどうかは明らかではない よって 実験 3-1 における被験者ごとの SH 判断率 ( 後続母音についてはプール ) と この実験におけるターゲットの音が ʃ である刺激に対する各被験者の ʃ 判断率の相関 およびターゲットの音が tʃ である刺激についての被験者ごとの tʃ 判断率の相関を分析した 相関分析 (Pearson の積率相関係数による ) は実験 3-1 およびこの実験に共に参加した 21 名のデータに基づいてなされた 母語に関係なく 実験 3-1 で ʃ だと判断する率が高かった被験者はこの実験においても ʃ だと判断する率が高いならば 前者のペアの間の相関については正の相関が 後者のペア間の相関については負の相関が得られることが予測される 分析の結果 予測を支持する結果は得られなかった 実験 3-1 における被験者ごとの SH 判断率とこの実験におけるターゲットの音が ʃ である刺激に対する各被験者の ʃ 判断率の相関は r = (p = (n.s.)) であり 実験 3-1 における被験者ごとの SH 判断率とこの実験におけるターゲットの音が tʃ である刺激に対する各被験者の tʃ 判断率の相関は r = (p = (n.s.)) で いずれについても有意な相関は得られなかった すなわち 実験 3-1 で SH 判断率が高かった被験者は幼児の発音を聞いても ʃ 判断率が高いというような傾向は見られなかったことになる 考察 2の仮説 ( 成人の知覚における聞き間違い説 ) からは 音響的に全く同じ刺激 ( 幼児の発音 ) を聞いたとしても 被験者の母語によってその音が何であるかの判断が異なることが予測された 実験の結果 幼児が ʃ および tʃ をターゲットとして発音した音声に対する ʃ 判断率および tʃ 判断率は被験者 では t 検定による結果を報告した 90

99 の母語によって異なっていた ( 完全に同じように判断されることはなかった ) が その異なりの度合いはあくまで偶然の範囲内のものであり 統計的に有意な差は得られなかった この結果に基づけば 先行研究においてその存在が示唆されていた 成人の聞き間違いによる誤った記述 は 尐なくとも摩擦音 破擦音に関しては起こる可能性は極めて小さいと判断すべきである ただし 3.4 節における実験では 幼児の発話から一部分のみを切り出したものを刺激としているため 日常の養育場面では存在する文脈による知覚のバイアスの影響が過小評価されている可能性があることは指摘しておく必要がある 例えば 日本語においては ~ちゃん (~さん) ~ちゃい (~さい) など 幼児の発音に典型的であるとされる または 対乳児発話においても頻繁に見られる表現が存在する 78 従って 文脈に埋め込まれている環境では 幼児の発音が曖昧な場合にトップダウン処理によって破擦音だと判断されることは充分に考えられる 日本語以外の言語でも 文脈に埋め込まれた場合にはこのような音素使用頻度の影響がより生じやすくなるだろうから 2の仮説は単純には棄却することはできない可能性がある しかし 以上のことを考慮しても 成人の聞き間違い説 ( 本稿実験結果より cf. Beckman et al. 2003, Ingram 1975, Macken 1980, Haley 2001) が言語事実として観察される摩擦音 破擦音の有標性の言語間差異に対する説明として充分なものであると断定するのは安全ではない 成人の聞き間違い説が説明として不十分であるならば 他にどのような代案が立てられるのかを考えてみる必要がある 摩擦音 破擦音の有標性に生じる言語間差異の説明として 音素頻度説 (Beckman et al. 2003, Tsurutani 2007) はそれだけでは充分と言えるものではなかったが 現状ではやはり最も有力な仮説であることも事実である 本研究では英語の対乳児発話や中国語 韓国語における音素頻度のデータについては検討できなかった 中国語や韓国語の音素頻度 ( 成人発話 対乳児発話とも ) が実際の音韻獲得順序と一致しているのかどうかについても今後調べて この仮説の妥当性をさらに検証していく必要がある また 音素頻度説と成人の聞き間違い説は必ずしも相互排他的なものであると見なす必要はないため 個々の要因の説明力が強いものでなかったとしても これらの要因が複合的に働いたことで言語間差異が生じた可能性もある 例えば音素頻度説について言えば中国語や韓国語の音素頻度がわからないなど それぞれの要因についての議論が充分になされたとは言えないのが現状であるため 個々の要因の吟味を続けていく必要があるが 今後はそれと並行してこれらの要因の相互作用についても考えていく必要もあるだろう 音素頻度説以外の一つの可能性として 本研究の実験 3-1 の結果から推測された1の説 ( 幼児の知覚の選好 による ) が挙げられる 本研究の実験結果 ( 実験 3-1) から 成人の言語能力は乳幼児期に形成されたものであるから 実験で成人に見られた知覚の選好と同一とまではいかないにしても それに近似する傾向を乳幼児は有していると推測した 乳児は生後 1 年以内に母語の音声 音韻体系による制約を受け始めることが指摘されているため (Polka et al. 2007) 音韻獲得研究の対象となる 3 歳前後の幼児はもう充分に母語の特徴 ( すなわち 成人に近い知覚の傾向 ) を獲得しているであろうと考えられる よって 成人の知覚において音を ʃ だと判断しやすい英語や中国語の幼児は成人と同様に音の知覚の際に ʃ だと判断しやすい傾向を有し 逆に成人の知覚において音を tʃ だと判断しやすい日本語や韓国語の幼児では音の知覚の際に tʃ だと判断しやすい傾向を有するのではないかと推測できる このような知覚の選好により ʃ に選好を持つ言語の幼児では産出において ʃ の獲得が促進され 78 Tsurutani (2007) によれば 対乳児発話に tʃ が多い理由は このような特定の表現が対乳児発話に非 常によく出てくるためである 91

100 逆に tʃ に選好を持つ言語の幼児では産出において tʃ の獲得が促進されるのではないかと推測する この仮説はあくまで推測であるので 今後実験的手法を用いて検証する必要がある 例えば 英語 中国語 日本語 韓国語などの乳幼児に対する知覚実験などの多言語間比較を行う必要がある これらの点については将来の検討課題としたい また 幼児の知覚の選好説も 以上で議論した音素頻度説と成人の聞き間違い説と相互排他的なものであると見なす必要はない 現状では母語が異なる幼児が本当に異なった知覚的選好を有しているかは不明だが 今後この要因が存在することが明らかになったならば やはり他の要因との相互作用を考察していく必要がある 最後に 実験 3-1 と実験 3-2 の結果の食い違いに関しても言及する 実験 3-1 の結果と実験 3-2 の結果の間の相関を分析した結果 これらの間には相関が得られなかった 相関が得られなかった理由として考えられるのは 実験 3-1 の音声は破擦音 摩擦音を区別する際の手がかりの一つである子音持続時間 ( とそれに伴う出わたり部分の振幅上昇時間 ) のみを操作して作成した音声連続体であるのに対し 幼児の発音 ( 自然発話 ) には様々な余剰的手がかりが含まれており 言語によってどの余剰的な手がかりを用いるかは異なるために 実験 3-1 の結果との間に相関が出なかったという可能性である その他の可能性として 実験 3-1 と実験 3-2 では刺激の音韻環境が大きく異なっていたことが挙げられる 実験 3-1 の音声はターゲットの子音は常に語頭にあり 刺激は 1 音節 (CV) 単独のものであった それに対し 実験 3-2 ではターゲットの子音は常に語頭にあるわけではなく 語中に置かれたものも存在していた 79 語中では語頭に比べて VC 遷移や先行要素からのテンポの情報 また 破擦音に関しては閉鎖持続時間など数多くの手がかりが使用可能であるため こうした違いが実験 3-1 と実験 3-2 における傾向の違いを生み出した可能性がある これらの点についても今後検討していく必要があるため 将来の課題としたい 音声的な複雑さ 産出的要因? 獲得順序摩擦 破擦破擦 摩擦 ( 例外 ) phoneme frequency effect 1 2? infants perceptual bias adults perceptual bias (misperception) 79 幼児になじみのある語には ʃ および tʃ を語頭に含む語が意外に尐なく 今回用いた ʃ および tʃ の音声の多くは語中に現れていた 音韻環境をそろえるための方法としては語中の ʃ および tʃ を切り出して語頭に持ってくるという方法が考えられるが 語 ( 発話 ) 頭の摩擦音が摩擦音として知覚されるためには緩やかな出渡りを持つ必要があるのに対し 語中の摩擦音を音声編集により切り出して語頭環境にした音声はこの条件を満たさない ( つまり 摩擦音として不自然になる ) ので このような方法をとることはできなかった 92

101 3.5. 有標性の言語間差異とその音声学的基盤 : 結論本論文の目的は 音声学に基づく音韻論 のアプローチに基づいて有標性および有標性の例外の音声学的基盤を明らかにすることにより 音韻理論の妥当性を示すことであった 本章では摩擦音 破擦音の有標性に生じる例外 ( 音韻獲得の言語間差異 ) の音声学的基盤を明らかにするため 英語 中国語 日本語 韓国語の話者に対する知覚実験を行った 以下では まず本章で実施した知覚実験の結果を総括し 摩擦音 破擦音の有標性に生じる例外の音声学的基盤 特に知覚的要因を考察する また 摩擦音 破擦音の有標性の例外に対する知覚的要因による説明の有効性と限界についても指摘する 最後に 本章の摩擦音 破擦音の獲得に関する議論とその他の領域 分野との関連についても言及する 知覚実験結果の総括摩擦音 破擦音の獲得順序に見られる言語間差異は 普遍的な有標性階層を想定する立場においては例外的な存在であり 何らかの説明が求められるものである 本研究では 音韻獲得において指摘されてきた摩擦音と破擦音の獲得順序の言語間差異とそれが生じる理由について考察した まず 英語 中国語 日本語 韓国語における ʃ と tʃ の獲得順序の再分析を行った結果 英語と中国語では ʃ の方が tʃ よりも獲得されるのが早い傾向があるのに対し 日本語と韓国語では tʃ の方が ʃ よりも早く獲得される傾向が見られ 先行研究が指摘するとおり 摩擦音と破擦音の獲得順序には言語間差異が生じることを再確認した 次に 音韻獲得の言語間差異が生じる理由について検討した まず Beckman et al. (2003) が主張する個別言語の音素出現頻度説によって ʃ と tʃ の獲得順序の言語間差異を説明することができるかどうかを 様々なコーパスに基づいて検討した その結果 個別言語の音素頻度説だけでは言語間差異について十分な説明を与えることができないことを示す結果が得られた そこで 個別言語の音素頻度以外の要因として 知覚的な要因が関与している可能性について検討するために 本研究では [ʃv]-[tʃv] の音声連続体を用いて 英語話者 中国語話者 日本語話者 韓国語話者の成人に対する知覚実験を行った その結果 幼児の ʃ と tʃ の獲得順序と成人の知覚の選好の間に ʃ の獲得が早い言語の話者は刺激を ʃ だと判断しやすい ( またはその逆 ) という相関が見られた 実験結果から 音韻獲得の言語間差異に係わる要因として 幼児の知覚的選好と成人の知覚的選好という 2 種類の知覚的選好が存在する可能性があることが示唆された 成人の知覚的選好については 幼児の音声を刺激として英語話者 中国語話者 日本語話者 韓国語話者の成人に対する知覚実験を行った結果 この説を支持する結果は得られなかった 今後は 残されたもう一つの可能性である幼児の知覚的選好についても他言語間の比較を行って検証していく必要がある また 音素頻度説に関しても日本語 英語だけでなくほかの言語の音素頻度も考慮に入れてその妥当性を検証していく必要がある 乳児にとっての入力という観点から 個別言語の音素頻度の質についても吟味していく必要が残されている 成人の発話に多く含まれるかどうかよりも 対乳 ( 幼 ) 児音声に多く含まれるかどうかがより重要な指標となる可能性がある また 意味などの音声学 音韻論の外の要因も関係している可能性が充分にありうる 例えば 乳幼児が接する機会の多いものや現象を指す語に多く含まれる音は 全体としての出現頻度が低くても乳幼児にとっては頻度が高い音であるかもしれない 例えば すでに議論したように 日本語のオノマトペは本研究で使用したデータベースの中で破擦音の方が摩擦音よりも出現頻度 ( タイプ数 ) が多かった オノマトペは音節構造やアクセント型などの面で Motherese 93

102 との類似性があるだけでなく 音と意味が一体となっており 類像性 (Akita 2009) の観点からも乳幼児にとって重要な意味を持っている可能性が高い 今後は コーパスの質 ( 成人発話 vs. 対乳児発話 オノマトペなど ) と量 ( コーパスの種類 多言語比較 ) ともに考慮に入れて総合的に検討していく必要がある 音声学的要因 ( またはその他の要因 ) による説明の有効性と限界について有標性および有標性の例外の生起要因として様々な要因が挙げられているが どの現象にどの要因がどの程度関与するのかを検討することが本研究の目的の一つでもあった 有標性およびその例外と音声学的要因の関係という観点から言えば 産出的な要因 ( 産出の労力 :Kirchner 2001) も知覚的な要因 ( 本研究の実験 ) も摩擦音と破擦音の獲得に生じる言語間差異を充分に説明することは現時点では難しいことが明らかになった 以上のことから 音声学に基づく音韻論 のアプローチは常に有効に機能するわけではないものと思われる 同様に 個別言語の音素頻度に基づく説明も 言語間差異を充分に説明できるものではなかった 摩擦音 破擦音の有標性に例外が生じる理由を明らかにする試みは今後も継続していく必要がある その他の分野 領域との関連本章における摩擦音 破擦音の獲得に関する議論は 言語学における有標性以外にも 発達心理学における言語獲得と統計的学習の関係 およびセグメンテーションに関する問題とも密接に関係している 従来から 言語の入力の偏り ( 個別頻度の音素頻度 強勢パターンなど ) が言語の獲得に何らかの影響を及ぼすという考え方は珍しいものではなく また それを示唆する様々な研究がなされてきたが ( 中西他 1970 Jusczyk et al. 1993) 近年の発達心理学における乳児の音声知覚研究により 統計的情報 ( 音の遷移確率や 刺激の出現確率の分布など ) が音声の知覚に直接的に影響を与えることが確認されている ( 例えば 乳児は音の遷移確率に基づいて連続音声から語を切り出すこと ( セグメンテーション ) が可能であること (Saffran et al. 1996) 乳児がある音の対立を区別するかどうかは刺激における音声連続体の成員の出現確率分布 (bimodal vs. unimodal) に依存する (Maye et al. 2002) など ) これらの事実が実際に言語獲得と直接的にかかわりがあるかどうかは今後検証されるべき問題であるが 80 本章で行った知覚実験( 実験 3-1) において成人の知覚に見られた傾向から推測するに 幼児も成人と同様の知覚の傾向を有しており これは音韻獲得において一種の統計的情報である個別言語の音素頻度が影響したためである可能性が示唆された 本研究においては幼児の知覚を実際に調べたわけではないため この点は今後実際に知覚実験を行って検証する必要がある課題だが このような研究を行うことにより統計的学習が言語獲得に直接的に関係しているかどうかを確認することで 発達心理学において明らかにされた乳児の知覚に関する事実と 言語学において明らかになっている音韻獲得の事実の間のギャップを埋めることができる可能性があるだろう 80 統計的学習 ( セグメンテーション ) の能力と語の学習の能力が直接的に関係していることを示した研究は存在するが (Mirman et al. 2008) 言語獲得には様々な側面があるため 語の学習 = 言語獲得 とは言えない 統計的学習の能力が実際の言語獲得とどの程度関係しているのかは今後言語学や心理学などの様々な分野において議論され 明らかにされるべき問題である 94

103 4. 単子音 重子音の有標性の例外とその音声学的基盤 4.1. はじめに本章では 借用語に見られる促音挿入の非対称性の議論を通じて 単子音 重子音の有標性に生じる例外の音声学的基盤を考察する 以下 本 4.1 節では 理論的には単子音の方が重子音よりも無標であると想定されているのに対し 日本語の借用語においては避けられるべきはずの重子音が好んで選択されるという 有標性階層に対する例外が頻繁に生じることを先行研究のデータに基づいて議論する 4.2 節では借用語における s, ʃ の促音挿入の非対称性について 先行研究で指摘されている音韻事実を総括した後 その非対称性の音声学的基盤を明らかにするために本研究で行った産出実験および知覚実験の結果を報告する 4.3 節では借用語における無声閉鎖音 有声閉鎖音への促音挿入の非対称性について 先行研究で指摘されている音韻事実を総括した後 その非対称性の音声学的基盤を明らかにするために行った産出実験の結果を報告する 4.4 節では 借用語における x (h), f (ɸ) の促音挿入の非対称性について 先行研究で指摘されている音韻事実を総括した後 その非対称性の音声学的基盤を明らかにするために行った知覚実験の結果を報告する 4.5. 説では 4.2~4.4 節で議論した 3 つの非対称性について総合的に考察し 日本語の借用語の促音挿入において有標性への例外が頻繁に生じる理由を原語の音声的特徴と日本語話者の知覚という観点から説明可能であることを指摘する 単子音 重子音の有標性重子音は単子音に比べて有標であり (Hayes and Steriade 2004, Kawahara 2006) 有標性の含意法則から 重子音の存在は同系列の単子音の存在を含意する 音韻論的観点からは 単子音には 1 つのモーラのみが割り当てられるのに対し 重子音には 2 つのモーラが付与されて尾子音と頭子音を兼ねるという構造を有している (Perlmutter 1995) (17) は Perlmutter (1995) の表記方法に基づいて日本語の 来た (kita) と 切った(kiQta) の構造を表示したものであるが 構造上 重子音は単子音よりもより複雑であることがわかる 音韻的有標性は構造上の複雑さに深く関係していることから 重子音は単子音よりも有標であると解釈できる (17) a. 来た σ σ b. 切った σ σ μ μ μ μ μ k i t a k i t a 多くの言語において 重子音 とりわけ有声閉鎖音の重子音は避けられやすいことが知られており (Hayes and Steriade 2004) これも重子音が単子音に比べて有標であることを示す一例であると言える 一般的に有標性が観察されやすいのは幼児の音韻獲得や音の喪失の分野であるが 日本におけるこれらの分野の研究においては重子音である促音が調査の対象外とされていることが多いため 残念ながら重子音の有標性について獲得や喪失のデータに基づいて論じることはできない しかし 例えば日本語の子音の体系を見たときに ある子音が単子音としてしか許容されないか ( 例 : ラ行子音 ) 単子音としても重子音としても許容されるかのどちらかしかなく 重子音としてしか許容されないとい 95

104 う子音は存在しない つまり 尐なくとも日本語においては 重子音の存在は単子音の存在を含意すると言えるため 重子音が単子音よりも無標であると考えることができる さらに 日本語に関しては音素出現頻度の観点からも 重子音が有標であることが示唆される 表 39 は岡田 (2008) に挙げられている 日本語話し言葉コーパス を使用した現代日本語の音声言語におけるモーラ出現頻度から 自立拍と特殊拍の出現頻度を抜き出して示したものである 表 39 から明らかなように 特殊拍は自立拍よりも圧倒的に出現頻度が低い 81 表 39. 日本語話し言葉コーパスにおける自立拍 特殊拍の出現頻度 ( 岡田 (2008) より ) コーパスの種類 自立拍 特殊拍 比 ( 自立拍 : 特殊拍 ) 学会講演 : 講義講演 : 模擬講演 : 対話 : 合計 : 表 39 の特殊拍の頻度の内訳を示したものが表 40 である 表 40 の値は岡田 (2008) に挙げられている 日本語話し言葉コーパス を使用した現代日本語の音声言語におけるモーラ出現頻度から 特殊拍の頻度を促音 撥音 長音別に抜き出し それぞれが特殊拍全体の頻度に占める割合を計算して求められた 表 40 から明らかなように 促音 (= 重子音 ) は撥音や長音と比べて出現率が尐ない 表 40. 日本語話し言葉コーパスにおける促音 撥音 長音の出現率 ( 岡田 (2008) をもとに計算 ) コーパス 特殊拍 の種類 促音 撥音 長音 合計 学会講演 11% (126503) 30% (337816) 59% (673325) 100% ( ) 講義講演 15% (12631) 30% (24597) 55% (44982) 100% (82210) 模擬講演 19% (204959) 33% (366644) 48% (532297) 100% ( ) 対話 19% (8813) 32% (15307) 49% (23066) 100% (47186) 合計 15% (352906) 31% (744364) 54% ( ) 100% ( ) 重子音である促音が含まれる特殊拍は自立拍よりも生起頻度が圧倒的に低く その特殊拍の中でも促音は特に出現率が尐ない 以上のことから 日本語においては重子音の出現頻度が低く よって有標であると言えそうである しかしながら 厳密に言えば重子音の有標性は対応する単子音 ( つまり 阻害音 ) との比較において議論される必要があるものである ここで問題となるのは 岡田 (2008) のデータには音素や拍の遷移確率の情報が挙げられていないため 単子音の阻害音の頻度を単純な阻害音の音素頻度の総計として求めることができない ( 阻害音の音素頻度の総計の中には 促音 + 単子音 の頻度も含まれているため ) そこで この比較をするために表 39 の自立拍の頻度を以下のよう 81 特殊拍が自立拍に比べて出現頻度が低いことは 特殊拍は自立拍に付属してしか生起できないという制約がある ( 論理的には 特殊拍の出現頻度 自立拍の出現頻度 となる ) ことから 必ずしも驚くべきことではない 96

105 に分割することで阻害音の単子音の頻度を推定した まず 頭子音のない拍 (V) および頭子音のある拍 (CV) に分け さらに CV の C の位置に阻害音が生じる頻度を調べた 82 最後に 求めた阻害音が生じる頻度から促音の頻度を引くことで単子音の阻害音の頻度の推定値 83 を求めた 最後に 単子音 ( 阻害音 ) の生起頻度推定値と重子音 ( 促音 ) の生起頻度の比をとって比較した ( 結果は表 41) 表 41 から明らかなように 単子音 ( 阻害音 ) の頻度と比較した場合 やはり重子音 ( 促音 ) は生起頻度が低いと言える 一般に 頻度が低い音は頻度が高い音に比べて有標であると考えることができるので 音素出現頻度の観点からも ( 尐なくとも日本語においては ) 重子音は単子音よりも無標であると言える 表 41. 表 39 の自立拍の頻度の内訳 ( 岡田 (2008) のデータより計算 ) 自立拍 阻害音と促音の頻度の比較 コーパス CV 自立拍阻害音促音頻度比 ( 単子音 : の種類 V CV 頻度阻害音共鳴音合計 ( 単子音 ) ( 再掲 ) 促音頻度 ) 合計 学会講演 講義講演 模擬講演 対話 合計 重子音が単子音に比べて有標である音声学的な理由としては 産出の労力 を挙げる事ができる Kirchner (2001) は個々の音の産出に必要な労力を調音運動のモデルによって算出している 表 42 は Kirchner によって示された個々の音の産出に必要な労力のデータの中から 単子音 重子音に関する部分を抜き出したものである ( 表中の値が大きいほど労力を必要とすることを表す ) それによると いずれの音についても単子音よりも重子音は産出するのにより多くの労力を要することがわかる 直観的に考えても 重子音は一般に単子音よりも子音調音時間が長く 調音動作をより長い間保つ必要があるために 重子音の産出にはより多くのエネルギーが必要になることが予想される Kirchner のモデルにより導き出された見解は こうした直観とも合致するものであり 自然な説明であると言える 重子音の有標性には知覚的な要因 (perceptibility) も関係すると考えられている 日本語は有声阻害音および重子音 ( 促音 ) を有する言語であるが 有声阻害音の重子音は一部の外来語を除いて許容しない (Kawahara 2006) Kawahara (2006) は日本語の閉鎖音 ( 無声の単子音 有声の単子音 無声の重子音 有声の重子音 ) について音響分析を行い 有声阻害音の重子音には音響的な手がかりが尐ないことを示唆する事実を報告した :1 有声の重子音では閉鎖区間中常に声帯振動を保つことができず 閉 82 子音の頻度の計算に当たっては 拗音は対応する直音の系列に含めた上で頻度を求めた 83 日本語においては語頭に促音は生じない また 語末 ( 発話末 ) には促音が生起しないのが原則であるが 実際には生じる場合がある ( 例 : あっ ) このような例が多く存在するほど この推定値と実際の値とのずれが大きくなる 岡田 (2008) のデータにこうした例がどの程度含まれているのかは定かではないが ここではその総数は大きくないと想定し 推定値を用いることとする ( 実際には阻害音の総数が促音頻度よりも圧倒的に高いため 推定値の不確かさの問題はここでの議論にはほとんど影響しないと考えることができる ) 97

106 表 42. 音素の算出にかかる労力 (Kirchner 2001: 206, rate/register A) p, t, k 85 pp, tt, kk 90 b, d, g 75 bb, dd, gg 93 s, ʃ, f 91 ss, ʃʃ, ff 105 z, ʒ 90 zz, ʒʒ 106 h 60 hh ɸ, x 70 ɸ ɸ, x x 105 tʃ 96 ttʃ 100 dʒ 95 ddʒ 103 鎖の開放時点で無声である 84 ( 単子音では閉鎖区間中の無声化は起こらない よって 単子音の場合と比べ 重子音では無声と有声の区別がつきにくい );2 単子音 重子音の閉鎖持続時間の差を変化した割合で比べた場合には有声の方が無声よりも変化の度合いが小さい ( 無声の場合と比べ 相対的に単子音と区別がつきにくい );3 摩擦音化 (spirantization) が起こらない ( 無声における単子音 重子音の類似の度合いよりも 有声における単子音 重子音の類似の度合いが近く よって区別がしにくい ) さらに Kawahara は知覚 ( 同定 ) 実験を行った結果 音響分析から示唆された予測通り有声閉鎖音の重子音は知覚しにくいという結果が得られたと報告し 日本語の体系において有声阻害音の促音のみが許容されにくい理由は知覚の困難さにあることを示した Kawahara による実験は提示された刺激が有声であるか無声であるかを判断させるタスクであるため 単子音と重子音の知覚しやすさを直接比較したものではないが ある重子音が好まれにくいという事実に関して知覚的な要因が関与していることを示すものと見なせる 単子音 重子音の有標性への例外 : 借用語における促音挿入とその非対称性重子音は単子音よりも有標であり その出現は単子音に比べて制限されている しかしながら 日本語の英語からの借用語への促音挿入においては 単子音が重子音よりも出現に制限を受けている音韻事実が観察される (18) は s と ʃ を含む英語からの借用語が日本語にどのように取り入られるかを示したものである (18a) のように s に対しては母音のみが挿入されているのに対し (18b) のように ʃ に対しては母音が挿入されるのみならず その前に促音 (Q) が挿入されて重子音化する 85 語末に s, sh ( 単子音 ) を持つ語における s, sh への促音挿入率は 丸田 (2001) が提示しているデータ 86 によれば s への促音挿入率は 1.2%(3/241) であったのに対し sh への促音挿入率 87 は 100% である (18) a. bus basu miss misu toss tosu plus purasu class kurasu dress doresu 84 Kawahara (2006) によれば こうした partial devoicing は声帯振動に関する空気力学的 (aerodynamics) な要因による 85 この現象は英語からの借用語における s と sh の非対称性として古くから指摘されている ( 大江 (1967), 工藤 窪薗 (2008)) brush( buraqʃu/buraʃi) などの例外はあるものの 語末の sh にはほとんどの場合促音が挿入される 86 丸田 (2001) のデータベースは コンサイス外来語辞典 ( 第 4 版 ) に記載された約 3 万項目から 語末子音を持つ普通名詞 ( 固有名詞 短縮後については除外 ) を抽出して作成されたものである 87 挿入母音が u である場合 98

107 b. bush buqʃu push puqʃu rush raqʃu flash furaqʃu crush kuraqʃu smash sumaqʃu (18) の例に生じている母音挿入は 特殊拍を除いて音節末を許容しない日本語の構造に合わせるために必要なプロセスであるが ʃ について見られる促音挿入は日本語として成り立たせるために必要なものではない ʃ( シャ行子音 ) の単子音は日本語 ( 特に漢語 ) には数多く存在しており 完全に許容されるものである もちろん 日本語には ʃ と Qʃ の対立があり ( 過食 vs. 褐色 ) Qʃ 自体は許容されない構造というわけではないが 促音挿入をしなくても日本語の構造上問題がないのにわざわざ促音が挿入がされているわけである 英語の sh が日本語の借用語においては大半が Qʃ の形で取り入れられるという事実は 有標性の観点からすれば不可思議なことである すでに述べたとおり 重子音は単子音に比べて有標であり 重子音の存在は同系列の単子音の存在を含意する 促音挿入は重子音 つまり有標な構造を作り出すプロセスであるから 借用語における ʃ に関しては無標な構造がほとんど存在せず 有標な構造のみが生じていることになる 有標性の法則に違反する借用語の ʃ のふるまいは 単に借用語の問題のみにとどまらず 普遍的な有標性階層という音韻理論の枠組みの妥当性にも疑問を投げかける重大な問題となりうる s, sh に類似した非対称性は 閉鎖音にも観察される (19) は閉鎖音を含む英語からの借用語が日本語にどのように取り入れられるかを示したものである ここでは 無声閉鎖音の場合には (19a) のように促音が挿入されて重子音化するのが典型的であるのに対し 有声閉鎖音の場合には (19b) のように促音が挿入されにくい 88 語末に閉鎖音( 単子音 ) を持つ語における促音挿入率は 丸田 (2001) が提示しているデータによれば 無声閉鎖音 (p, t, k) への促音挿入率は 98.9%(457/462) であったのに対し 有声閉鎖音 (b, d, g) 89 への促音挿入率は 42.4%(50/118) である (19) a. pop poqpu tap taqpu tuck taqku b. pub pabu tab tabu tug tagu さらに x (h), f (ɸ) 音の間にも促音挿入の非対称性が観察される (20) に挙げたように x (h) 音には促 音が挿入されるのに対し f (ɸ) には促音が挿入されない ( 大江 1967, Tews 2008) 90 (20a) の x (h) の例は いずれもドイツ語からの借用の例であるのに対し (20b) の例は英語からの借用の例であるため 一見 88 無声閉鎖音については pt, kt などのクラスターになっている場合を除けば ほぼ確実に促音が挿入される 一方 有声閉鎖音の場合には bag baqgu のように促音が挿入されるケースも散見されるが 無声閉鎖音の場合に比べると促音挿入率は低い なお d は有声閉鎖音の中では例外的に促音挿入が生じやすい子音である ( 例 :kid kiqdo, head heqdo) 89 b については 原語が b であるものと v であるものを含めて計算した 90 f に対しては一般に促音が挿入されないが 大江 (1967) や Tews (2008) が指摘しているように fl など語末に成節性共鳴子音 (syllabic sonorant) がある構造の場合には f の前に促音が挿入されやすくなる (waffle waqɸuru) また 語頭が子音連続である場合にも 促音が挿入されやすくなる (staff sutaɸqu) なお 英語からの借用語に関しては 丸田 (2001) のデータによると 語末の f (ɸ として借用 ) への促音挿入率は 13.0% (3/23) である 英語では語末が h で終わる単語が存在しないため 単純な比較はできないが f への促音挿入率は他の子音への促音挿入率と比べてもかなり低いため 尐なくとも英語の f には促音が挿入されにくいといっても問題はないであろう 99

108 すると比較の対象にはならないようにも思われるが Tews (2008) の実験で日本語話者は [x] ([ç]), [f] を含 むドイツ語の音声を聞いた場合にも [f] に比べて [x] に促音を感じやすいという傾向を示すことが報告さ れていることから 原語の影響以外の要因が働いてこの非対称性が生じた可能性が高い (20) a. Bach baqha Mach maqha Gogh goqho b. tough taɸu puff paɸu ( 例は Tews (2008) より ) 以上の例から明らかなように 借用語には様々な形で促音挿入の非対称性が生じている すでに述べたように 促音挿入は有標な構造である重子音を作り出すプロセスであり 無標なものが好まれるという有標性の法則への違反であると捉えることができるから 借用語においては様々な形で有標性の例外が生じていることになる 借用語の促音挿入に非対称性が生じる理由を明らかにする試みは なぜ借用語において有標性の法則への例外が生じるのかを説明することにもつながるものであり 非常に有意義であると言える 91 しかしながら 促音挿入に非対称性が存在することは大江 (1967) などにより古くから指摘されているにもかかわらず 促音挿入の非対称性がなぜ生じるのかは明らかにされていない 以上の背景から 本章では 借用語における促音挿入の非対称性が生じる理由を明らかにし そしてそれを通して有標性の法則への違反が生じる理由を考察する なお 借用語における促音挿入の非対称性は以上の例以外にも様々なものが存在するが 92 本研究で議論の対象とするのは主にターゲットとなる子音が単子音であり かつ語末に位置するもののみとした 理由は この環境が最も促音挿入が起こりやすい典型であるため この環境において促音挿入が生じる原因を明らかにすることが 単子音 重子音の有標性の例外生起要因の説明という本章の目的達成のために必要不可欠であると考えたためである 章の構成以下では 借用語の s, sh の非対称性 無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性 x (h), f (ɸ) の非対称性の 3 つの領域について それぞれ産出実験または知覚実験を行い 非対称性が生じる理由を言語の音声側の要因 および借用する側 ( 日本語側 ) の要因という 2 つの音声学観点から考察していく 個々の議論に移る前に これら 3 つの非対称性に関して 先行研究においてどのような説明がなされてきたかを概観し また 先行研究の説明に対して 本研究で新たにどのような視点から説明 貢献を試みるのかをまとめておく 借用語における s, sh の非対称性 単子音 重子音の有標性階層が生じる理由については 先に述べた Kirchner (2001) による産出的要因 によって説明できる しかしながら この産出的要因による説明では借用語における s, ʃ の非対称性 91 de Lacy (2006) は 借用語に生じる音韻現象は幼児の音韻獲得や音素頻度などと同様に performance に関わる議論であって 生得的な有標性の指標として妥当でないと述べている しかし 本研究では de Lacy (2006) の言うところの performance に関する現象についても議論し 例外が生じていればそれに対して何らかの説明をする必要があると考える 92 本研究で取り上げていない促音挿入の非対称性の具体的な例に関しては 大江 (1967) 川越(2007) Kubozono et al. (2009) 本稿の 節の注などを参照されたい 100

109 を説明できる可能性は低いと思われる Kirchner (2001) の産出の労力を計算するモデル ( 表 42) によると 重子音の産出にかかる労力は単子音の産出にかかる労力よりも大きい また Kirchner のモデルでは調音点による労力には違いがないため s と sh の産出の労力が異なることは想定できない よって このモデルに基づけば s, sh には共に促音が挿入されないことが予測される 現実には 借用語における s と sh の促音挿入には sh にのみ促音が挿入されるという非対称性が観察されるため 産出的観点からこの非対称性が生じる理由を説明するのは困難である 借用語における s, sh の非対称性を音声学的観点から説明しようとした研究に 工藤 窪薗 (2008) がある 工藤 窪薗 (2008) は 日本語話者の s, ʃ およびその促音の音産出について音響分析を行い 借用語における s, ʃ の非対称性が日本語話者の知覚が原因で起こった可能性があることを指摘した しかしながら この仮説はあくまで日本語話者の音産出のデータから推測されたものであり 日本語話者の促音知覚と s, ʃ の非対称性の関係は知覚実験によって検証されているわけではない そこで 本研究では, 日本語のサ行およびシャ行摩擦音 ( 以下,/s/, /ʃ/ とする ) の促音 非促音の知覚に関する実験を行い 工藤 窪薗 (2008) の予測のとおり 日本語話者の促音判断境界が摩擦の音色によって異なる (sh らしい音は s らしい音に比べて促音だと判断されやすい ) ことを明らかにする また 英語の音声において s, sh の持続時間には大きな差がないことを産出実験によって明らかにする 以上の知覚 産出実験の結果に基づいて sh に促音を感じやすいという日本語話者の知覚が借用語において s, ʃ の非対称性が生じる理由の一つであるという分析を提示する 借用語における無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性無声閉鎖音 有声閉鎖音のうち 有声閉鎖音に促音が挿入されないことについては様々な点から容易に説明が可能である まず 有声閉鎖音の重子音は空気力学的 (aerodynamics) な観点から見て産出が困難である (Hayes and Steriade 2004) また 同様の理由から有声閉鎖音の重子音は閉鎖区間中の声帯振動を維持するのが困難になるため 音声的に見ると無声閉鎖音の重子音と近くなってしまい 結果として正しく知覚されにくい (Kawahara 2006) さらに 日本語はもともと有声閉鎖音の重子音を許容しない言語である (Kawahara 2006) しかしながら これらの説明はなぜ無声閉鎖音に対してわざわざ促音が挿入されるのかという問いに対する答えにはならない s, sh の非対称性同様 無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性 ( 無声閉鎖音に促音が挿入される ) についても 産出的要因による説明は困難である Kirchner (2001) の産出の労力を計算するモデル ( 表 42) によると 単子音では無声閉鎖音の方が有声閉鎖音よりも産出の労力が大きいとされているのに対し 重子音では有声閉鎖音の方が無声閉鎖音よりも産出の労力が大きいとされている このことから 有声閉鎖音は無声閉鎖音に比べてより単子音になりやすいことが予測され この点では有声閉鎖音には促音挿入が起こりにくいという借用語のデータと矛盾しない しかし Kirchner のモデルでは無声 有声を問わず重子音の閉鎖音は単子音の閉鎖音よりも産出にかかる労力が大きいとされているため 有声閉鎖音 無声閉鎖音ともに促音が挿入されないことが予測される 実際の借用語のデータにおいては無声閉鎖音には促音が挿入されるため 産出的観点は非対称性が生じる理由の説明としては不十分であると言える 借用語における無声閉鎖音 有声閉鎖音への促音挿入の非対称性に対する音声学的説明に関係する先行研究として 川越 荒井 (2007) や Takagi and Mann (1994) を挙げることができる 川越 荒井 (2007) は英語音声を日本語話者に聴取させる実験の結果に基づき 英語の無声閉鎖音に促音が聞こえるか否かはその音声の C/W 値 ( 子音持続時間 語の持続時間 ) が日本語の促音の領域にあるかどうかに関係 101

110 しており よって促音が感じられるのは英語の音声の側に原因がある可能性が高いことを指摘した Takigi and Mann (1994) は 英語音声を日本語話者に聴取させる実験が行った結果 必ずしも刺激音声の持続時間だけで説明できるわけではないが 促音判断率は刺激音声の子音持続時間とある程度関係があったと報告している 川越 荒井 (2007) も Takagi and Mann (1994) も 英語の無声閉鎖音を含む語の知覚を扱ったもので 借用語における無声閉鎖音 有声閉鎖音への促音挿入の非対称性自体を説明しようとしたものではないが これらの研究から 無声閉鎖音 有声閉鎖音間に生じる非対称性の原因は英語の側にある可能性が高いことが示唆される 本研究では 先行研究から得られた知見に基づいて 英語の音声における無声閉鎖音 有声閉鎖音の持続時間と日本語音声における閉鎖音の促音 非促音の持続時間を比較するために産出実験を行い 借用語の無声閉鎖音 有声閉鎖音の間に生じる非対称性は英語側の要因 ( 無声 有声閉鎖音の音声的特徴 ) と日本語側の要因 ( 日本語話者の知覚 ) の相互作用によって説明可能であることを示す 借用語における x (h), f (ɸ) の非対称性 x (h), f (ɸ) についても 産出的要因による説明は困難である Kirchner (2001) の産出の労力を計算するモデル ( 表 42) によると x, f, ɸ のいずれについても単子音よりも重子音の方が産出の労力が大きいとされている 93 Kirchner (2001) のモデルが正しいと仮定すれば 産出的観点からは x (h) f (ɸ) ともに促音が挿入されないことが予測される しかし 実際の借用語のデータにおいては x (h) には促音が挿入されるため 産出的観点は非対称性が生じる理由の説明としては不十分であると言える 借用語の促音挿入に関して x (h), f (ɸ) に非対称性が生じる理由を原語の音声および日本語話者の知覚の観点から議論した研究に Tews (2008) がある Tews (2008) はドイツ語の [x] ([ç]), [f] を含む無意味語 ( 語の音節構造は CVC, CCVC, CVCən の 3 タイプで C の位置に [x] ([ç]), [f]) を日本語話者に聴取させる実験を行った結果 刺激の [f] と [x] ([ç]) の摩擦持続時間には差がなかったのにもかかわらず 日本語話者は [f] よりも [x] ([ç]) に促音を感じやすい傾向が見られたことを報告し これは実際の借用語のパターンと共通するものであることを議論している Tews (2008) の実験からは借用語の [x] ([ç]) と [f] に観察される促音挿入の非対称性は原語の音声ではなく日本語話者の知覚によって生じていることが示唆されるが Tews (2008) の実験の刺激はドイツ語話者の音声をそのまま刺激として用いたものであるため 促音 非促音の判断に関する様々な条件が完全にコントロールされているとは言えず 日本語話者の知覚に見られた [x] ([ç]) と [f] の促音判断率の違いが純粋な [x] ([ç]) と [f] の摩擦の違いによって生じたものかどうかは不明である そこで 本研究では日本語側の要因の関与の有無について調べるため 条件をコントロールした上で日本語話者に対する知覚実験を行い 日本語話者の知覚に見られる傾向と実際の借用語のパターンが同じ方向性を示すことを明らかにする そして 借用語における x (h), f (ɸ) の非対称性が日本語話者の知覚を基盤にして生じていると分析することが可能であることを議論する 4.2. 借用語における s, ʃ の非対称性 ( 有標性の例外 ) とその音声学的基盤 まずは 借用語における s, sh の促音挿入の非対称性について考察する 借用語において sh には促 93 h については Kirchner (2001) において重子音の産出の労力の値が示されていないが 他の子音はいずれも重子音の方が産出の労力が大きいことを考えれば h についても単子音よりも重子音の方が労力を要すると想定してもよいであろう 102

111 音が挿入されるのに対して s には促音が挿入されにくいという音韻的非対称性が観察されるが ( 大江 1967, 丸田 2001, 工藤 窪薗 2008) このような非対称性が生じる理由は明らかにされていない 以下では s, sh への促音挿入の非対称性の音声学的基盤を探っていく まず 日本語の促音 非促音の対立およびサ行子音とシャ行子音 ( 以下 /s/, /sh/ とする ) の知覚に関する先行研究を概観し 日本語話者の促音判断に関係する要因をまとめる そして s, sh の非対称性が生じる理由について議論した先行研究を概観し 先行研究において 非対称性の原因として英語側の要因 ( 英語の音声の特徴 ) と日本語側の要因 ( 日本語話者の知覚の特徴 ) の 2 つが存在する可能性が指摘されていることを示す その後 それら 2 つの要因が妥当なものであるかどうかを産出実験および知覚実験を行うことで考察していく 先行研究 日本語の促音 非促音日本語の促音 非促音の最も顕著な違いは子音持続時間であり 発話速度が同じであれば促音は非促音よりも長い子音持続時間を伴って発音される ( 藤崎 杉藤 1977, Beckman 1982, Han 1992, 1994, Hirata 2007, Hirata and Whiton 2005, Kawahara 2006) 促音 非促音の知覚もこれに対応して 子音持続時間が長ければ促音 短ければ非促音だと判断される ( 藤崎 杉藤 1977) 94 /s/ と /ʃ/ の弁別, すなわち摩擦音の調音点の弁別における主要な手がかりは摩擦成分の周波数特性である (Fujisaki and Kunisaki 1978, Mann and Repp 1980, Mann et al. 1985, Nittrouer and Studdert-Kennedy 1987, Nittrouer et al. 2000, Whalen 1981, Whalen 1991) 95 一般に 調音点の違いが促音 非促音の判断に影響を与えるとは想定されていない 借用語の s, sh の促音挿入の非対称性単子音 重子音の有標性階層が生じる理由として 産出的要因が挙げられることは既述のとおりである よって s, sh の産出の労力が異なるために非対称性が生じたという可能性がまず考えられる しかしながら 産出的要因による説明では借用語における s, ʃ の非対称性を説明できる可能性は低い 表 43 は Kirchner (2001) の産出の労力を計算するモデル ( 表 42) から s, sh の部分を抜き出したものである これによると 調音点による労力には違いがないとされており s と sh の産出の労力が異なることは想定できない よって このモデルに基づけば s, sh には共に促音が挿入されないことが予測される 現実には 借用語における s と sh の促音挿入には sh にのみ促音が挿入されるという非対称性が観察されるため 産出的観点からこの非対称性が生じる理由を説明するのは困難である 94 促音 非促音の子音持続時間は発話速度によって大きく変化するうえ (Hirata and Whiton 2005, Hirata 2007) 促音 非促音の判断は周囲の要素の持続時間によっても異なってくるため( 藤崎 杉藤 1977) 促音 非促音の判断境界値は一意には決められない 促音 非促音の分類に関して 発話速度に影響されない指標として Hirata and Whiton (2005) では C/W( 子音持続時間を語全体の持続時間で割った値 ) が また Hirata (2007) では C/postV( 子音持続時間を後続母音で割った値 ) が提案されているが これらは音響的測定に基づく促音 非促音の分類のための指標であって 知覚においてもこの値が用いられているがどうかは不明である よって ここでは ( 条件が同じであれば ) 促音の知覚には非促音の知覚に比べて長い子音持続時間を要すると表現するにとどめる 95 摩擦成分の周波数特性の他に, 隣接する母音へのフォルマント遷移 (CV 遷移,VC 遷移 ) も摩擦音の調音点の同定の手がかりとなることが知られている (Mann and Repp (1980)) 103

112 表 43. s, sh の算出にかかる労力 (Kirchner 2001: 206, rate/register A) s 91 ss 105 ʃ 91 ʃʃ 105 日本語音韻論研究において 借用語の s, sh の促音挿入に音韻的非対称性が観察されることを指摘した研究は古くから存在しているが ( 大江 1967, Tews 2008, 工藤 窪薗 2008) その理由について科学的な手法に基づいて議論した研究は 筆者の知る限りでは 以下で挙げる工藤 窪薗 (2008) を除いて存在しない 工藤 窪薗 (2008) は, 英語における s, sh の持続時間が異なっており sh の方が s よりも持続時間が長いために促音が挿入されやすいという英語原因説と もともと日本語の s, sh の持続時間が異なっており 日本語では sh の方が s よりも短いために英語の sh が相対的に長く聞こえて促音が挿入されやすいという日本語原因説の 2 つを検証するための産出実験を行った 工藤らは まず英語語話者 3 名の /Ces/ と /Ceʃ/(C は p, m, k で キャリア文は Say _ again. ) という無意味の最小対の発音 ( 各 10 回ずつ ) における /s, ʃ/ の持続時間を測定した 工藤らの報告によると,/pes/-/peʃ/ と /mes/-/meʃ/ では 3 名中 1 名の話者で sh の方が s よりも平均持続時間が有意に長いという傾向が見られたが 残り 2 名の話者では s と sh の平均持続時間には有意な差が観察されず /kes/-/keʃ/ に関しては 3 名とも s と sh の平均持続時間には有意な差が観察されなかったという 表 44. 工藤 窪薗 (2008) における英語の語末の s, sh の分析結果 ( 数値は ms) pes pesh mes mesh kes kesh E n.s n.s n.s. E n.s n.s n.s. E p < p < n.s. また 工藤らは日本語話者 3 名の ペサ - ペシャ, ペッサ - ペッシャ の発音( キャリア文は 彼は~と言いました で 覚悟につき 10 回分 ) における /s, ʃ, Qs, Qʃ/ の持続時間も測定した 工藤らの報告によると, ペサ - ペシャ 間では/s/, /ʃ/ の持続時間に差がなかったが, ペッサ - ペッシャ 間では 3 名中 2 名について /Qs/ の方が /Qʃ/ よりも持続時間が有意に長いという結果が得られた また 工藤らは s の促音 非促音の持続時間の差 ( ペッサとペサの差 ) と sh の促音 非促音の持続時間の差 ( ペッシャとペシャの差 ) の比較では sh の促音 非促音の差のほうが s の促音 非促音の差よりも小さいという結果が 3 名中 2 名の話者について得られたと報告している 96 非促音の s, sh には持続時間に差がなく 促音では sh の方が短いという結果が得られたことから, 工藤らは日本語話者の /s/, /ʃ/ に対する促音判断境界が異なる (/ʃ/ の方が /s/ よりも短い持続時間で促音だと判断される ) 可能性があることを指摘した 96 この比較は 交互作用を見るために行われたものと考えられるが 同一の標本に対して複数回検定を行っていることになるため この結果に基づく議論は全体の type I error 率を増大させてしまう 本来であれば 2 要因の分散分析などで交互作用の検定を行うべきであろうが 尐なくともこの議論においては非促音の s, sh の平均持続時間に差がなく促音の s, sh には平均持続時間に差があった時点で工藤 窪薗 (2008) が指摘したかった事実が示されたことになるので 以上の点は大きな問題とはならないと見なせる 104

113 表 45. 工藤 窪薗 (2008) における日本語の s, sh の分析結果 ( 数値は ms) ペサ ペシャ ペッサ ペッシャ ペッサとペッシャとペサの差ペシャの差 J n.s p < p < 0.01 J n.s p < p < 0.05 J n.s n.s n.s. 以上の実験結果から 工藤 窪薗 (2008) は借用語の s, sh の非対称性の原因は英語側と日本語側の両方にあること また どちらかといえば日本語側の原因の方が強い可能性があることを指摘した 工藤 窪薗 (2008) の指摘は借用語において s, sh に生じる非対称性を議論するうえで非常に重要なものである しかしながら 工藤 窪薗 (2008) の産出実験の解釈には複数の問題がある 一つは 子音の絶対持続時間のみが分析の対象となっている点である 絶対持続時間は発話速度によって大きく変化するため 必ずしも信頼できる指標であるとは限らない ( 例えば 産出実験では語彙リストの最後に配置された語は発音が緩んで早く読まれやすいという傾向がしばしば観察される 工藤 窪薗 (2008) ではどのような手順で発音させたのかが明らかにはされていないが 仮にペサ ペシャ ペッサ ペッシャの順で語彙リストに配置されていてそれを話者が 10 回読んだとすると ペッシャだけが速い発話速度で読まれやすかった ( すなわち 絶対持続時間が短いトークンの比率が高くなった ) という可能性も否定できない ) 二つ目の問題は 工藤らも自ら指摘していることではあるが 日本語話者の s, sh の促音判断境界が異なるという可能性はあくまで日本語話者の産出データから推測されたものであって 知覚実験などを行って確かめられたものではない 以上の問題点を踏まえて 本研究では英語側に原因があるという説と日本語側に原因があるという説の妥当性を産出実験および知覚実験により検証していく 英語側原因説の検証英語の s, sh の持続時間を調べたときに sh の方が s よりも持続時間が長いという傾向が観察されれば 借用語における促音挿入の非対称性は英語側に原因があると考えることができる 以下では 英語の s, sh の持続時間に実質的な違いがあるのかどうかを考察する 英語の s, sh の持続時間に関する先行研究 Jongman (1989) は 先行研究 (You 1979, cited in Jongman 1989) において英語の摩擦音は調音点によって持続時間が異なることが報告されていると述べている また Jongman (1989) では自身が行った摩擦音の音響分析の結果もあわせて報告されている Jongman の記述するところによると You (1979) の研究における平均の摩擦持続時間は sh が 176 ms s が 155 ms であった また Jongman 自身が行った調査では 1 名のアメリカ英語話者 ( 男性 ) が 5 回ずつ発音した CV 型の音声 (V は a, i, u) の音響分析が行われ その結果 平均の摩擦持続時間は s が 188 ms( 後続母音別に見ると sa = 185 ms, si =193 ms, su = 187 ms) sh が 166 ms( 後続母音別に見ると sha = 153 ms, shi = 159 ms, shu = 186 ms) であった 報告された平均持続時間を見る限りでは 2 つの研究の結果は全く逆のことを示しており s と sh のどちらが長いかは判断できない 残念ながら Jongman (1989) の研究は s と sh の持続時間を比較することが目的ではないので You (1979) のデータとの結果の違いについての議論はなされていない また s と sh 105

114 の持続時間に関して統計的検定は行われておらず 有意な差があったのかどうかも定かではない You (1979) の音声がどのような音韻環境の語でどのように発音されたものかは不明であるが Jongman (1989) の分析に用いられた音声は CV 語の単独発話であり キャリア文に入れた状態で発音されたものではない ( 尐なくとも そうした記述はない ) 単独発話の音声はキャリア文に入れた状態よりもばらつきが大きくなることが考えられ 特に発話頭の摩擦音の摩擦成分は閉鎖音のように明確な開始点を持たないため 測定の始点を定めるのが比較的難しい ( 測定された持続時間のばらつきが比較的大きくなる ) と考えられることから s と sh の間に統計的に有意な差が得られない可能性もある Behrens and Blumstein (1988) は 3 名の男性英語話者が各 5 回ずつ単独 (citation form) で発音した CV 型 (V は i, e, a, o, u) の語における摩擦音の平均持続時間を報告している この研究によると 平均持続時間は s が 174ms sh が 175ms で両者の平均持続時間の間には有意な差は観察されなかったという Jongman et al. (2000) は 20 名の英語話者がキャリア文 ( Say ~ again. ) に入れて 3 回ずつ発音した英語の 1 音節語 (CVC 型 ) の語頭位置における摩擦音の音響分析を行った結果 ʃ, ʒ は s, z に比べて正規化 ( 摩擦持続時間 語の持続時間 ) した持続時間が長かったと報告している 工藤 窪薗 (2008) は, 既述のように英語語話者 3 名の /Ces/ と /Ceʃ/(C は p, m, k で キャリア文は Say _ again. ) という無意味の最小対の発音 ( 各 10 回ずつ ) における /s, ʃ/ の持続時間を測定した 工藤らの報告によると,/pes/-/peʃ/ と /mes/-/meʃ/ では 3 名中 1 名の話者で sh の方が s よりも平均持続時間が有意に長いという傾向が見られたが 残り 2 名の話者では s と sh の平均持続時間には有意な差が観察されず /kes/-/keʃ/ に関しては 3 名とも s と sh の平均持続時間には有意な差が観察されなかったという 以上の先行研究の結果をまとめたものが表 46 である 先行研究からは 英語の sh は s よりも持続時間が長いと直ちに結論付けることはできない 特に 語末の摩擦音の持続時間を調べているのは工藤 窪薗 (2008) のみであるので 語末における s, sh の持続時間のさらなる調査が必要である そこで 本研究でも以下のような産出実験を行い 英語話者の音声の分析を行った 表 46. 先行研究における英語の s, sh の持続時間 : まとめ 出典 工藤 窪薗 (2008) You (1979, cited Jongman Behrens and Jongman et in Jongman 1989) (1989) Blumstein (1988) al. (2000) 位置 語末? 語頭 語頭 語頭 被験者数 3? 結果 s sh (n.s., 2 名 ) s sh s sh s sh (1 名 ) ( 統計検定なし ) ( 統計検定なし ) s sh (n.s.) s < sh 英語話者に対する産出実験 ( 実験 4-1) 実験 4-1: 方法まず /pabac/(c には s, sh, p, t, k, b, d, g が入る ) がランダムな順序で配置されたリストと /pec/ がランダムな順序で配置されたリストを作成し 2 名の英語話者 (1 名は女性でアメリカ英語の話者 ( 以下 E1) 1 名は男性でイギリス英語の話者 ( 以下 E2)) に単独および Say _ again. というキャリア文に入れた状態で各語を発音してもらった ( ともに第一音節に強勢を置いて発音してもらった ) 話者はリストに書かれた語を 1 回ずつ読み それを 10 回繰り返すことで各語につき 10 回分の発話を得た 被験者ごとに異なる語順のリストが用いられた なお E1 については話者の時間の都合上 /pec/ のリ 106

115 s と sh の持続時間に差があるかどうかを調べるために まず pábas ([pɒbəs]) と pábash ([pɒbəʃ]) の持続時間を測定し ( キャリア文に入れた状態の発音の測定結果は表 47 単独の状態の発音の測定結 果は表 48) 被験者ごとに s, sh の平均持続時間に差があるかどうかを t 検定により分析した 予測英語側原因説が正しければ 英語の発音における s, sh の持続時間に差があり sh の方が s よりも持続時間が長いという結果が得られるはずである 一方 英語原因説が正しくない すなわち 英語の発音が借用語の促音挿入を生じされる原因ではないのであれば sh の方が s よりも持続時間が長いという結果は得られない (s, sh の持続時間には差がないか むしろ s の方が sh よりも持続時間が長い ) ことになるであろう 結果キャリア文に入れた状態では E1 E2 ともに s, sh の平均持続時間 ( 表 47) には有意な差が見られなかった (E1: t = , df = 18, p = (n.s.); E2: t = , df = 19, p = (n.s.)) また Levine の等分散性の検定の結果 各話者の発音における s と sh の分散は等しいと言えることが明らかとなった (E1: F(1, 18) = 1.986, p = (n.s.); E2: F(1, 19) = 0.101, p = (n.s.)) 98 この結果は 同一の話者内においては s と sh の平均持続時間およびその分布には差がないことを示すものであった 表 47. 英語話者の発音 ( キャリア文に入れた状態 ) における s, sh の持続時間 話者ターゲット語 Say p closure p a b a S a gain E1 pabas pabash 平均 SD 平均 SD 話者ターゲット語 Say p closure p a b a S a gain E2 pabas pabash 平均 SD 平均 SD 同様に 単独 ( キャリア文に入れない ) 状態の発音における s, sh の平均持続時間を分析したところ やはり E1 E2 ともに s, sh の平均持続時間 ( 表 48) には有意な差が見られなかった (E1: t = , df = 18, p = (n.s.); E2: t = 1.215, df = 22, p = (n.s.)) また Levine の等分散性の検定の結果 各話 者の発音における s と sh の分散は等しいと言えることが明らかとなり (E1: F(1, 18) = 2.454, p = (n.s.); E2: F(1, 22) = 1.064, p = (n.s.)) やはり同一の話者内においては s と sh の平均持続時間およ ストを読んでもらうことができなかった また 録音時の回数の数え間違いにより E2 については 10 回以上発音が得られた語があったので 10 回を超えた分も分析に含めることとした 98 等分散性の検定における帰無仮説は 標本の分散が等しい であるので この場合には有意な差がない場合に標本の分散が等しいことになる 107

116 びその分布には差がないことが示された 表 48 英語話者の発音 ( 単独 ) における s, sh の持続時間話者ターゲット語 p a b a S 平均 pabas アメリカ英語 SD ( 女性 ) 平均 pabash SD 話者ターゲット語 p a b a S 平均 pabas イギリス英語 SD ( 男性 ) 平均 pabash SD 摩擦の絶対持続時間を指標にした場合には s, sh の平均持続時間に差が観察されなかったが 絶対持続時間は発話速度の影響を受けやすいため 発話速度の影響を受けにくい指標を用いた場合に差が生じる可能性は否定できない 実際に Jongman et al. (2000) では語頭の s, sh の絶対持続時間による比較では平均値に差が得られなかったが 語の持続時間で正規化した値を指標に取ると sh の方が s よりも長い傾向が見られたという報告もあることから 絶対持続時間以外の指標を用いてデータを分析してみる必要がある そこで本研究では 先行研究で挙げられている指標を用いてデータを再分析した 用いた指標は以下のとおりであった (21) 本研究で用いた指標 C/preV( 子音持続時間対先行母音の持続時間の比 ):Pickett et al. (1999), Hirata (2007) C/W( 子音持続時間対語全体の持続時間の比 ):Hirata (2007), 川越 荒井 (2007) C/postV( 子音持続時間対後続母音の持続時間の比 ):Hirata (2007) C/preV は子音持続時間対先行母音の持続時間の比で Hirata (2007) によればこの指標に基づくと 90% 以上の正確さでその音声が促音 非促音のどちらを含むかを分類できるとされている また この指標は日本語以外にもイタリア語の重子音 単子音の区別においても役に立つことが報告されている (Pickett et al. 1999) C/W は子音持続時間対語の持続時間の比で Hirata (2007) によれば 95% 以上の正確さでその音声が促音 非促音のどちらを含むかを分類できるとされている また 川越 荒井 (2007) は英語音声に促音が感じられる理由の尐なくとも一部は C/W によって説明可能であると述べている C/postV は子音持続時間対後続母音の持続時間の比で Hirata (2007) では 98% 以上の正確さでその音声が促音 非促音のどちらを含むかを分類できるとされており 以上の指標の中では最も有力な指標であるとされている これは音響的な計測とそこから得られた指標によって分類することを目的としたもので 知覚がこれらの指標に依存しているかどうかはまた別の問題となる 尐なくともここでは英語の s, sh の持続時 108

117 これらの指標に変換したときの s, sh の持続時間の差を t 検定と等分散性の検定により分析した その結果 E1 E2 とも また キャリア文中 単独の場合とも いずれの指標を用いた場合にも s と sh の持続時間には有意な差が見られず また 分散にも有意な差がないことが明らかとなった ( いずれの場合も p > 0.05) なお 英語の s, sh の持続時間の分布については 後ほど無声閉鎖音 有声閉鎖音間の非対称性の議論の中で再度論じることとする 話者 E1 表 49. 英語話者の発音における s, sh の C/W, C/preV, C/postV 値 ターゲット語 キャリア文中単独 C/W C/preV C/postV C/W C/preV C/postV pabas 平均 SD pabash 平均 SD 話者 E2 ターゲット語 キャリア文中単独 C/W C/preV C/postV C/W C/preV C/postV pabas 平均 SD pabash 平均 SD 考察英語の語末の s, sh の持続時間を計測した本研究の分析では s, sh の持続時間には差が見られなかった 本研究と同様に 英語の語末の s, sh の持続時間を計測した工藤 窪薗 (2008) でも 3 名中 2 名の話者では s, sh の持続時間に差がなく 差を示した 1 名の話者についても 語によっては差を示さない場合があった 以上のことをあわせて考えると 英語の語末の s, sh の持続時間の差は基本的にないか あったとしても英語話者全員が一貫して示すような種類のものではないと考えることができる 英語の語頭の s, sh の持続時間に関する先行研究 (Jongman et al. 1989, Behrens and Blumstein 1988, Jongman et al. 2000) でも 英語の s と sh の持続時間に関して一貫した見解が得られていないため 語末に限らず英語の s, sh には一貫した持続時間の違いはないと考えてよさそうである 研究によって被験者数や分析対象とする発話の収集方法 ターゲットとなる音の位置などが異なっており また 工藤 窪薗 (2008) のように s と sh の相対的な持続時間には個人差も見られるようであるため この議論に決着をつけるためにはより多くの標本にあたる必要があるが 以上の先行研究および本研究の分析を総合的に考えると ある程度の個人差はあっても母集団平均においては s と sh の持続時間には差がないか あるいは sh の方が持続時間が長い ( 尐なくとも s の方が sh よりも長く 間を発話速度などの影響を受けにくい指標に基づいて比較することが目的であるので これらの指標を用いて分析を行った 109

118 なることはない ) と見なすことが可能である 100 借用語の s, sh の非対称性が英語側の原因によって生じているのであれば 英語の sh の持続時間は s の持続時間よりも一貫して長いことが予測される しかしながら 実際の産出のデータからは sh の持続時間のほうが長いことを示す強い証拠は得られなかった つまり 英語側に原因があって借用語の s, sh の非対称性が生じた可能性は低く 仮に英語側に原因があったとしてもその影響は非常に弱いものであろう 表 50. 英語の s, sh の持続時間 : まとめ 本研究の独自 You (1979, cited Jongman Behrens and Jongman et al. 工藤 窪薗 (2008) の分析 in Jongman 1989) (1989) Blumstein (1988) (2000) 語末 語末? 語頭 語頭 語頭 被験者数 = 2 被験者数 = 3 被験者数 =? 被験者数 = 1 被験者数 = 3 被験者数 = 20 s sh (n.s.) s sh (n.s., 2 名 ) s sh s sh s sh (1 名 ) ( 統計検定なし ) ( 統計検定なし ) s sh (n.s.) s < sh 日本語側原因説の検証次に 借用語における s, sh の促音挿入の非対称性が日本語話者の知覚が原因で生じている可能性について検討する /s/ と /ʃ/ の弁別, すなわち摩擦音の調音点の弁別における主要な手がかりは摩擦成分の周波数特性である (Fujisaki and Kunisaki (1978), Mann and Repp (1980)) 101 日本語の/s/, /ʃ/ の促音 非促音の判断に関しては, 摩擦成分の持続時間が重要な手がかりとなる ( 藤崎 杉藤 (1977)) 近年では, この摩擦持続時間に加えて, 摩擦音の調音点も促音 非促音の判断に関与する要因の一つである可能性が指摘されている 工藤 窪薗 (2008) は, 英語からの借用語における /s/, /ʃ/ の促音挿入パターンに非対称性が生じる理由を明らかにしようとする目的で, 日本語話者 3 名の ペサ - ペシャ, ペッサ - ペッシャ の発音における /s, ʃ, Qs, Qʃ/ の持続時間を測定した 工藤らの報告によると, ペサ - ペシャ 間では /s/, /ʃ/ の持続時間に差がなく, ペッサ - ペッシャ 間では 3 名中 2 名の話者で /Qs/ の方が /Qʃ/ よりも持続時間が長かった このことから, 工藤らは日本語話者の /s/, /ʃ/ に対する促音判断境界が異なる (/ʃ/ の方が /s/ よりも短い持続時間で促音だと判断される ) 可能性があることを指摘した しかしながら, 摩擦音の調音点 (/s/ か /ʃ/ か ) によって促音判断境界が異なる可能性があるという工藤らの指摘は, 摩擦音 /s, ʃ, Qs, Qʃ/ の産出において見られた持続時間の違いからの推測によるものであって, その妥当性に関して知覚実験による検証はなされていない そこで, 本研究では知覚実験を行うことで摩擦音の調音点と促音 非促音の知覚の関係についてさらなる考察を加える 上述の通り, 摩擦音の調音点の弁別における主要な手がかりは摩擦成分の周波 100 Gordon et al. (2002) のおいても似たようなデータが報告されている Gordon et al. (2002) は 7 つの言語の摩擦音の持続時間を報告しているが 彼らが報告した結果を見ると 各言語内では s と sh の持続時間に話者による個人差があっても平均すると s と sh の持続時間はほとんどなくなるようである Gordon らが対象とした言語は英語ではないため これを直接英語の摩擦持続時間に結びつけることはできないが 同様の傾向を示している可能性がある 101 摩擦成分の周波数特性の他に, 隣接する母音へのフォルマント遷移 (CV 遷移,VC 遷移 ) も摩擦音の調音点の同定の手がかりとなることが知られている (Mann and Repp (1980)) 110

119 数特性である よって, 摩擦成分の周波数特性を最も /ʃ/ らしいものから最も /s/ らしいものまで連続的に変化させたとき, それに伴う促音判断境界の変化が見られるかを調べることで, 調音点よって促音判断境界が異なるか否かを実験的に調べることが可能である 以下では, 周波数特性および持続時間を連続的に変化させた合成摩擦音を含む刺激を用いて知覚実験を行い, 摩擦音の調音点と促音 非促音の知覚の関係について考察していく 日本語話者に対する産出実験 ( 実験 4-2) 知覚実験に先立って 工藤 窪薗 (2008) で報告されたように日本語の (Q)s と (Q)sh の持続時間が産 出において異なっているのかを調べるために産出実験を行った 実験 4-2: 方法分析に用いるデータベースは 4 名の日本語話者 ( 男性 2 名 女性 2 名 ) が発音した音声である まず /pabacu/(c には s, sh, p, k および対応する促音系列が入る ) がランダムな順序で配置されたリストと /pec/ がランダムな順序で配置されたリストを作成した ( 各語は パバス パバッス のようにカタカナで記載された ) 各被験者にはリスト( 被験者ごとにリストの語順は異なる ) を渡し 各語をキャリア文 ( これは~です ) に入れた状態で 1 回ずつ読み上げてもらい それを 10 回繰り返すことで各語につき 10 回分の発話を得た 同様に キャリア文に入れない状態 ( 語単独 ) でも発音してもらい 計 10 回分の発話を得た こうして得られた発話について 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV を計測した 予測工藤 窪薗 (2008) では 日本語話者の s と sh の促音 非促音の産出において Qsh は Qs よりも短いため 知覚と産出の間に対応関係があるという想定のもとでは 日本語話者の知覚における s と sh の促音判断境界が異なっており sh の促音判断境界のほうが小さい値を取る (sh の方が促音だと判断されやすい ) と推測した 本研究の産出実験においても 日本語の sh (Qsh) の持続時間は s (Qs) の持続時間よりも短いという結果が得られれば 知覚における sh の促音判断境界が s よりも小さい値を取ることが予測され 借用語の促音挿入における非対称性に日本語話者の知覚が関係していることが強く示唆される 逆に 産出において sh (Qsh) と s (Qs) の持続時間が変わらないのであれば それは知覚における s と sh の促音判断境界値は変わらないことを示唆する 結果結果を表 51 に示す 個々の被験者の結果について 促音であるかどうか ( 促音 vs. 非促音 ) 調音点 (s vs. sh) の 2 つを要因とする分散分析を行い 日本語の s, sh の持続時間に差があるかどうかを分析する ここで問題となるのは 分析対象となりうる値は摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV の 4 つがあるが 摩擦持続時間以外の 4 つの指標はいずれもその計算において摩擦持続時間が分子としてとられているため 4 つの値は完全に独立しているとは言えないという点である 独立性の想定が満たされないデータに複数回検定を場合 Type I error の率が上がってしまうため これら 4 つの値全てに対して検定をかけることは妥当ではない そこで ここでは 4 つの中で最もばらつきの度合い 102 が小 102 SD を平均値で割った値を基準にすると 摩擦持続時間は 0.8 C/W は 0.7 C/preV は 0.12 C/postV 111

120 表 51. 日本語話者のサ行 シャ行子音 ( 非促音 促音 ) の持続時間 (ms.) とその他指標の値 J1 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV パバス パバッス 平均 平均 パバシュ SD SD 平均 平均 パバッシュ SD SD J2 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV パバス パバッス 平均 平均 パバシュ SD SD 平均 平均 パバッシュ SD SD J3 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV パバス パバッス 平均 平均 パバシュ SD SD 平均 平均 パバッシュ SD SD J4 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV パバス パバッス 平均 平均 パバシュ SD SD 平均 平均 パバッシュ SD SD さかった C/W についての検定結果に基づいて議論することとした ( なお 議論はこの C/W にのみ基づいて行うが 参考までにその他の値についても検定をかけた結果も以下で提示した ) C/W の値について 2 要因の分散分析を行った結果 いずれの被験者においても 促音 の主効果が有意であった これは いずれの話者においても促音の方が C/W の値が高かったことを意味するものである 調音点の主効果は 4 名中 2 名で有意であり うち 1 名 (J1) では C/W の平均値は sh の方が s よりも高かった (J1 については交互作用も有意であったので単純効果の検定を行った結果 s と sh の間に差があり Qs と Qsh の間には差がなかった ) のに対し J3 では逆に sh よりも s の方が高かった 以上の結果は 日本語において s, sh の持続時間が異なると結論付けることはできないことを示すものである むしろ ある程度の個人差が観察されるとしても 母集団においては s, sh の持続時間には差がない可能性が高いものと思われる 103 しかし 仮に産出において s, sh の持続時間に差がなかった は 0.18 であり C/W が最も値のばらつきが尐ないと言える 103 日本語の s, sh の持続時間の分布については 後ほど無声閉鎖音 有声閉鎖音間の非対称性の議論の中で再度論じることとする なお 本研究で用いたキャリア文 これは ~ です の です は歯茎音であるため パバス パバッ 112

121 表 52. 分散分析の結果 J1 J2 J3 J4 促音 主効果 調音点 主効果 交互作用 方向性 持続時間 *** n.s. n.s. C/W *** * * C/preV *** n.s. n.s. s < sh C/postV *** ** n.s. 持続時間 *** n.s. n.s. C/W *** n.s. n.s. C/preV *** n.s. n.s. C/postV *** n.s. n.s. 持続時間 *** ** n.s. C/W *** ** n.s. C/preV *** ** n.s. s > sh C/postV *** *** n.s. 持続時間 *** n.s. n.s. C/W *** n.s. n.s. C/preV *** n.s. n.s. C/postV *** *** n.s. 注 : * = p < 0.05, ** = p < 0.01, *** p < としても 知覚において工藤 窪薗 (2008) が予測したように s, sh の判断境界が異なっている可能性 は必ずしも否定されたわけではない 104 よって 本研究では知覚実験を行い 摩擦周波数特性 ( 摩擦 の調音点 ) によって促音判断率に違いがあるかどうかを検討していく s, sh の促音知覚実験 ( 実験 4-3) 実験 4-3 の概要 ( 刺激 手順 被験者 ) 2 つの頭高型の無意味語 pabasa ( パ バサ ) pabaʃa ( パ バシャ ) を刺激作成用に用いた まず,1 名の日本語母語話者 ( 女性 ) に 2 つの無意味語を これは~といいます というキャリア文に入れてそれぞれ 10 回ずつ発音してもらい, それを録音した 読み上げは発話者にとっての普通の速度で読むように依頼し, 録音にはソニー製リニア PCM レコーダー (PCM-D1) を用いた 各語について得られた 10 発話の中から 1 つの発話を選び, そこから無意味語のみを取り出した 発話の選択は,2 つのタ スの発音においてはターゲットの摩擦 後続のフレーズの頭子音共に歯茎音であるのに対し パバシュ パバッシュの発音においてはターゲットの摩擦と後続のフレーズの頭子音の調音点が異なっており この点が本来の s, sh の持続時間に歪みを生じさせた可能性は捨てきれない この点については今後 ~がある など ターゲットの摩擦に後続するフレーズの頭子音が非歯茎音であるようなキャリア文を用いることで再検証してみる必要がある 104 一般に 産出と知覚には対応関係があるとされており (Lehiste and Peterson 1959, 大深他 2005) 工藤 窪薗 (2008) の仮説もこの想定に基づいて導き出されたものである しかし 産出と知覚は必ずしも対応しているとは言えないという立場も存在することから (Gruenenfelder and Pisoni 1980) 産出で s, sh の持続時間に差がなかったとしても 知覚において s, sh の促音判断境界が異なっている可能性は否定できないと言えよう 113

122 ーゲット語の F0 曲線や全体および個々の音素の持続時間が最も近くなるように行った 105 取り出した 2 つの無意味語は, まず語の最大音圧が等しくなるように調整した後 ( 結果的に 2 語は摩擦に先行する母音 (pabasa, pabaʃa) の部分で共通の最大音圧を持つこととなった ), 摩擦部分 (s/ʃ) を除いて, 摩擦に先行する部分 (paba(sa)), paba(ʃa)) と摩擦に後続する部分 ((pabas)a, (pabaʃ)a) にわけ, 後の刺激作成のために個別に保存した 摩擦に先行する部分は /s/, /ʃ/ への VC 遷移を, 摩擦に後続する部分は /s/, /ʃ/ からの CV 遷移の情報を有する音声である 次に, 最も /ʃ/ らしいものから最も /s/ らしいものに至る 8 段階の周波数特性を持ち, それぞれが 60ms から 130ms まで 106,10ms 刻みで 8 段階の持続時間を持つような合成の摩擦音を計 64( 周波数特性 (8) 持続時間 (8)) 個作成した 摩擦の音圧は開始点から中央地点までは徐々に増加し, そこから終点までは徐々に減尐するように設定し, 自然な摩擦音に聞こえるようにした 摩擦の最大音圧は, 摩擦に先行する母音 (pabasa, pabaʃa) の最大音圧を基準に-15dB ( 誤差 ±1dB 以内 ) となるようにした なお, 合成摩擦音の作成には Pintér (2007) で用いられた PraatScript を使用した 107 作成した 64 個の合成摩擦音を, もともと無意味語に含まれていた [s], [ʃ] と置換え, さらに以下のような操作を加えることで 2 つの系列の刺激を作成した まず, 無意味語の摩擦に先行する部分 (paba(sa), paba(ʃa)) と, 作成した 64 個の合成摩擦音, 無意味語の摩擦に後続する部分 ((pabas)a, (pabaʃ)a) とを掛け合わせることで,256(VC 遷移 (2) 合成摩擦 (64) CV 遷移 (2)) 個の刺激を作成した ( これを pabasa 系列とする ) 次に,pabaSa 系列の各刺激の末尾の母音 (pabasa) を削除し,128 個 ( この場合,2 つの CV 遷移がないので,VC 遷移 (2) 合成摩擦 (64)=128) の刺激を作成した ( これを pabas 系列とする ) 105 選ばれた無意味語の持続時間は以下の通りであった 語全体 先行母音 (pabasa) 摩擦 (s, ʃ) 後続母音 (pabasa) pabasa 335 ms. 93 ms. 56 ms. 59 ms. pabaʃa 336 ms. 91 ms. 57 ms. 69 ms. 106 同じ話者に パバサ パバシャ パバッサ パバッシャ の 4 つをキャリア文に入れて 10 回ずつ発音してもらったところ, その平均摩擦持続時間は非促音で 66.0ms (SD = 5.6ms), 促音で 123.4ms (SD = 8.7ms) であったので, この範囲に設定した これは工藤 窪薗 (2008) で報告された /s/, /ʃ/, /Qs/, /Qʃ/ の持続時間とも概ね一致するものであった 107 プログラムの使用を快く承諾してくださった Pintér Gábor 氏に感謝申し上げたい 今回使用した最も /ʃ/ らしい音と最も /s/ らしい音の周波数帯域は, 予備実験に基づいて以下のように設定した ( 単位は Hz) Pole 1 Pole 2 Pole 3 Pole 4 Pole 1 Pole 2 Pole 3 Pole 4 ʃ s これらの値は英語の s-sh の知覚を調べた先行研究 (Mann and Repp 1980, Mann et al. (1985), Nittrouer and Studdert-Kennedy 1987, Nittrouer et al. 2000, 他 ) で用いられているものよりも全体に高い値に分布しているが これは値が低いときには予備実験において s の判断が得られにくかったことと sh が日本語のシャ行音らしく聞こえないというフィードバックが得られたことによる 設定した値に基づいて合成された 8 つの摩擦音について 9 名の日本語話者に対して摩擦音を単独で提示して ( 各音は 8 回ずつ提示 )s か sh のどちらに聞こえるかを判断してもらう予備実験を行ったところ 以下のような結果が得られた ( 値は s だと判断された率の 9 名分の平均値 ) 結果を見ると判断境界がシャープではないようにも見えるが これは判断境界が必ずしも同じではない 9 名分の結果を平均したためで 被験者内では判断境界はシャープであった 刺激 S 1 S 2 S 3 S 4 S 5 S 6 S 7 S 8 s 判断率 2.8% 6.9% 13.9% 13.9% 26.4% 45.8% 91.7% 98.6% 114

123 系列 VC 遷移 (2) 摩擦 (64) CV 遷移 (2) paba (sa) S 11, S 12,..., S 17, S 18 (pabas) a pabasa,,...,, paba (ʃa) S 81, S 82,..., S 87, S 88 (pabaʃ) a 系列 VC 遷移 (2) 摩擦 (64) paba (sa) S 11, S 12,..., S 17, S 18 pabas,,...,, paba (ʃa) S 81, S 82,..., S 87, S 88 実験は練習と本番の 2 部構成となっており, 練習では最も典型的な摩擦 ( 合成摩擦音の連続体における最端の音 ) を含む刺激が, 続く本番では全ての刺激が, ともにランダムな順序で提示された 結果の分析は本番の回答のみを対象とした 刺激はヘッドフォン ( ソニー製 MDH-NC50) を通して提示され, 被験者は刺激が何であったかを,pabaSa 系列については パバサ パバシャ パバッサ パバッシャ,pabaS 系列については パバス パバシュ パバッス パバッシュ の 4 択から選び, 対応するパソコンのキーを押すことで回答した 刺激のランダマイズ, 提示, 回答の集計はコンピュータ制御で行われた 刺激の提示に関しては, 被験者が自分のペースで回答できるようにするために, 刺激間の間隔には一定の値を設けず, 被験者が回答すると次の刺激が提示されるように設定した 1 つの系列あたりの所要時間は 15 分程度であった 各刺激の提示回数は,pabaSa 系列では 1 回,pabaS 系列では 2 回とし,1 人の被験者について 256 の回答を得た 被験者は pabasa 系列については 12 名,pabaS 系列については 10 名の日本語母語話者であった 両系列とも参加したのは 8 名で, この 8 名の系列提示順序 (pabasa 系列への参加が先か,pabaS 系列への参加が先か ) は被験者ごとにランダムに割り振った 予測日本語話者の知覚において s と sh の促音判断境界が異なっており sh の方が小さい判断境界値を取る ( 促音だと判断される率が高い ) のであれば 摩擦の音色が sh に近いほど判断境界値が小さく 逆に 摩擦の音色が s に近いほど判断境界値が大きくなることが予測される このような結果が得られれば 借用語の促音挿入における s と sh の非対称性は日本語話者の知覚 (sh をより促音だと判断しやすい ) によって生じたという解釈が可能となる 一方 摩擦の音色の変化によって促音判断境界値が変化しなければ ( または s に近い音ほど促音判断境界値が小さな値を取れば ) 借用語の促音挿入における s, sh の非対称性と日本語話者の知覚は対応していないことになり 借用語の非対称性を知覚によって説明することはできないものと見なせる 結果と考察 摩擦持続時間の変化に伴う促音回答率 ( 各カテゴリにおける, 促音だと判断された刺激の総数 pabasa 系列についてはパバッサ, パバッシャ,pabaS 系列についてはパバッス, パバッシュと回答された 刺激数 115

124 全刺激数 ) の推移を摩擦周波数特性ごとに示したのが図 5(a) と図 5(b) である ( 周波数特性は 8 段階だが, 見易さを考慮して 4 段階にまとめて図示した ) /ʃ/ の方が /s/ よりも短い持続時間で促音だと判断される という工藤 窪薗 (2008) の推測が正しければ, 摩擦持続時間の条件が同じ場合, 摩擦周波数特性が /ʃ/ に近いほど促音判断が高くなることが期待される しかし, この予測は借用語に見られる /s/, /ʃ/ の促音挿入のパターン (/s/ には促音が挿入されにくく,/ʃ/ には促音が挿入されやすい ( 注 2 参照 )) とも同じ方向性のものであるため, 単純に摩擦持続時間の変化に伴う促音回答率の推移を摩擦成分の周波数特性ごとに求め, それを分析して期待どおりの結果が得られたとしても, それは単に借用語のパターンが実験結果に反映されただけであるという可能性を排除できない つまり, 実験の刺激語が被験者にとって英語らしく感じられたために,/ʃ/ には促音が入り /s/ には入らないという被験者の持つ知識が働き,/ʃ/ らしい摩擦周波数特性を持つ ( すなわち, 被験者にとって /ʃ/ だと聞こえる ) 音には促音が挿入されやすく,/s/ らしい摩擦成分を持つ ( すなわち, 被験者にとって /s/ だと聞こえる ) 音には促音が挿入されにくくなり, 結果として摩擦成分の周波数特性が /ʃ/ に近いほど促音判断率が上がる傾向が得られただけである可能性を捨てきれない そこで, こうした被験者の持つ知識の干渉を排除した上で摩擦周波数特性の変化に伴う促音判断率の変化が見られるかどうかを確認するために, 調音点が /ʃ/ だと判断された刺激 (pabasa 系列を例にとると, パバシャ および パバッシャ と回答されたもの ) と /s/ だと判断された刺激 ( パバサ および パバッサ だと回答されたもの ) に分け,/ʃ/ だと判断された刺激だけを見た場合にも,/s/ だと判断された刺激だけを見た場合にも, 摩擦周波数特性が /ʃ/ に近いほど促音判断率が高くなる傾向があるかどうか調べることにした 例えば,/s/ だと判断された刺激だけを見たときに摩擦周波数特性が /ʃ/ に近くなるほど促音判断率が高くなる傾向が見られた場合, 仮に被験者が 借用語において /ʃ/ には促音が挿入されやすく,/s/ には促音が挿入されにくい という知識を持っていたとしても, 被験者は刺激を範疇的に /s/ だと知覚しているため,/ʃ/ に促音が挿入されやすいという知識は結果に干渉しようがない 同様に,/s/ に促音が挿入されにくいという知識は /s/ だと判断された刺激すべてに均等に働くはずであるから, 生じた摩擦周波数特性の効果がこうした知識によって生じたとは考え難い つまり, 刺激の調音点が何と判断されたかを考慮に入れることで, 借用語に関する知識の影響を排除したうえで摩擦周波数特性と促音判断率との関係について考察することが可能となるわけである 刺激の調音点が何と判断されたかを考慮に入れて分析するために,pabaSa 系列,pabaS 系列のそれぞれの促音判断率に関する結果について, 第 1 レベルで被験者を強制的に層化することで被験者によるばらつきをコントロールし, 第 2 レベルで摩擦周波数特性 (8 段階 順位尺度 ) と摩擦持続時間 (8 段階 順位尺度 ) および刺激の調音点判断 (2 段階 (0=/ʃ/, 1=/s/) 名義尺度) を独立変数とする階層的ロジスティック回帰分析を行った 109 刺激の調音点判断 とは, 各刺激について調音点が /ʃ/ と /s/ のどちらと判断されたかをコード化したものであり, 上述のように被験者の持つ借用語に関する知識の干渉をコントロールした上で分析できるようにするためのものである 仮に摩擦周波数特性の主効果が 109 ロジスティック回帰分析は, 本研究の実験のように従属変数が二値の名義変数 ( 例 : 促音 / 非促音 ) の分析に適した手法である (Hosmer and Lemeshow (2000)) 階層を設定して分析する手法は,Werker et al. (2007) などでも用いられている なお, ここに挙げた以外に VC 遷移,CV 遷移も要因として挙げられるが, これらと摩擦周波数帯の効果はほぼ独立しており ( これらを加えても加えなくても摩擦周波数帯の効果の大きさ, 有意水準はほぼ変わらなかった ), 回帰モデルの適合度への貢献もわずかであったので, スペースの都合もあって本稿では分析の対象外とした 最適なモデルの決定は,Hosmer and Lemshow (2000) のガイドラインに基づき, ステップワイズ法により有意な主効果と交互作用を絞り, それをベースに全体の適合度を考慮して行った 一連の分析には SPSS 15.0 を使用した 116

125 期待通りの結果 ( 摩擦周波数特性が /ʃ/ に近いほど促音判断率が高くなる ) となり, かつ刺激の調音点判断と摩擦周波数特性の間に交互作用が無いまたは期待に逆行しない交互作用が見られたならば, それは /ʃ/ だと判断された刺激だけを見た場合にも,/s/ だと判断された刺激だけを見た場合にも, 摩擦周波数特性が /ʃ/ に近いほど促音判断率が高くなる傾向があることを意味し, 摩擦周波数特性の効果が被験者の借用語に関する知識の影響によって生じたものではないと言えることになる 分析の結果,pabaSa 系列では摩擦持続時間の効果が有意であり (β = 1.098, Wald 統計量 (W 2 ) = 797.1, df = 1, p < 0.001), 図 5(a) からも明らかなように, 摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断される率が高くなると言えることが明らかになった 110 一方 摩擦周波数特性の促音判断率に対する効果については, 有意ではなかった (β =-0.008, W 2 = 0.1, df = 1, p = (n.s.)) すなわち, 摩擦周波数特性が /ʃ/ に近いほど促音だと判断されやすいといった傾向は観察されなかった 111 各要因間の交互作用も有意ではなかった 表の 1 は摩擦周波数特性ごとに促音判断境界 (50% 地点 ) における摩擦持続時間の値 (probit 分析により求めた ) を示したものである pabas 系列 ( 図 5(b)) については, 刺激が促音だと判断されることはほとんどなく ( 促音だと判断されたのは全体の 5% 程度のみ ), 回帰による効果の推定が不可能であった このような結果になった理由としては, 以下に述べるように pabas 系列の刺激は促音判断の実験の刺激として妥当ではなかった可能性が考えられる pabas 系列の刺激は摩擦に後続する母音がない音声であり, 今回の実験では刺激を単独で提示しているため,pabaS 系列の刺激の語末摩擦音は発話末に位置する 一般に後続母音がない場合 ( 母音が無声化した拍 ) や発話末では子音の延長効果が観察されるため, それに合わせて促音判断境界の値もより大きな値へとシフトしている ( すなわち, 促音だと判断されるためにはより長い摩擦持続時間が必要になる ) ものと思われる 実際に, 刺激作成のために録音した発話の発話末の /s/( これは ~です ) の持続時間を計測してみたところ, 母音が無声化している場合, その摩擦持続時間は短いものでも 200ms 以上あった つまり,60ms~130ms という摩擦持続時間は非発話末環境 (pabasa 系列 ) では妥当な範囲であったとしても, 発話末環境 (pabas 系列 ) では非促音として期待される摩擦持続時間すら満たしていないので,pabaS 系列の刺激は摩擦周波数特性による促音 非促音の知覚への影響を調べるための刺激としては妥当でなかった可能性が極めて高い そこで,pabaS 系列の刺激の合成摩擦音をより長い持続時間を持つ合成摩擦音と置き換えることでより目的に適した刺激を作成し, 摩擦に後続する母音がない環境においても本当に摩擦成分の周波数特性による促音判断境界への影響がないと言えるのかを確認する実験を新たに行うことにした 110 pabasa 系列の刺激は最も長い摩擦持続時間 (130ms) においても促音判断率が 100% に達していないが, これはこの実験の刺激が発話から切り出された語をもとに作成されたものを単独で提示したものであり, 文脈に入った状態よりもテンポの抽出が難しかったためだと思われる いずれにしても, 今回の実験の興味は摩擦周波数特性が促音判断に対する 2 次的な手がかりとして機能しうるかどうかという点にあり,2 次的な手がかりは主要な手がかり ( 今回の場合, 摩擦持続時間 ) が曖昧な場合に強く働くことが一般的であるため (Mann and Repp (1980)), 判断率が 100% に達しないことは特に問題とはならない 111 音韻論フォーラム 2008 においては pabasa 系列で摩擦周波数特性が /s/ に近いほど促音判断率が上がる傾向が見られたと報告したが, その時点の分析では被験者内の要因と, 調音点判断 の要因をコントロールしていなかったため, 周波数特性に関する帰無仮説が誤って棄却されてしまったものと思われる よって, 促音判断率に対する摩擦周波数特性の効果に関しては, 音韻論フォーラムにおける報告を訂正し, 今回の分析結果を結論としたい 117

126 促音判断率 (%) 促音判断率 (%) S1, S2 ( 最も ʃ らしい ) S3, S4 S5, S6 S7, S8 ( 最も s らしい ) S1, S2 ( 最も ʃ らしい ) S3, S4 S5, S6 S7, S8 ( 最も s らしい ) 摩擦持続時間 (ms) 摩擦持続時間 (ms) 図 5(a). pabasa 系列の促音判断率 (b). pabas 系列の促音判断率 刺激系列 pabasa 系列 pabas 系列 表 53. pabasa 系列および pabas 系列の 50% 促音判断境界値 (ms) 最も sh らしい 最も s らしい摩擦周波数数特性 S 1 S 2 S 3 S 4 S 5 S 6 S 7 S 8 50% 判断境界における 刺激の摩擦持続時間 50% 判断境界における 刺激の摩擦持続時間 s, sh の促音知覚実験 ( 実験 4-4) 実験 4-4 の概要 ( 刺激 手順 被験者 ) 実験 4-3 の pabas 系列の音をもとに,2 つの系列の音を作成した まず, 実験 4-3 で用いた合成摩擦音と周波数特性は同じだが持続時間を 150ms~360ms(30ms 刻みで 8 段階 ) に変更した合成摩擦音 64 個 ( 周波数特性 (8) 持続時間 (8)) を作成し, 実験 4-3 の pabas 系列の刺激の合成摩擦音と入れ替えて pabas 系列と同様に 128 個 (VC 遷移 (2) 合成摩擦音 (64)) の音声を作成した さらに, それらの音声について, 摩擦に先行する母音 (pabas) の長さを 15ms 延長して新たに 128 個の音声を作成し, 母音を延長していない 128 個の音声と合わせて 256 個の実験刺激とした ( これを pabas(l) 系列とする ) 先行母音の延長は, 予備実験の段階で摩擦部分の持続時間が 360ms になっても促音だと判断される率がそれほど高くならなかったため, 促音判断率を上げるために行った 112 次に,pabaS(L) 系列の各刺激の後に, 実験 4-3 と同一の話者による 彼はチャチャと言いました という発話から, と言いました ( と の閉鎖区間 ~ 発話末 ) のみを切り出したものを接合し, pabas と言いました という刺激を作成した ( これを pabas(l)-to 系列とする ) この系列の総刺激数は,pabaS(L) と同じ 256 個である 両系列とも, 各刺激は 1 回ずつ提示された 112 実験 4-3 と同一の話者に パバス パバッス パバシュ パバッシュ を これは ~ と言います ( ターゲット語末の母音は無声化 ) という文脈に入れて発音してもらったところ, 促音では摩擦持続時間だけでなく先行母音も非促音よりも若干 (15ms 程度 ) ではあるが有意に長くなる傾向が見られた ( 促音に先行する母音が非促音に先行する母音よりも持続時間が長くなる傾向は Han (1994) や Hirata (2007) においても報告されている ) また 知覚においても 先行母音が長い場合には短い場合に比べて促音だと判断されやすいことが指摘されているため ( 大深他 2005; cf. 渡部 平藤 1983, Toda 2003) 先行母音を若干長くすればより促音らしく聞こえるようになると考え, この操作を加えた 実際に, 先行母音を 15ms 延長したことで全体の促音判断率が有意に上昇した (pabas(l) 系列では 6.5%,pabaS(L)-to 系列では 9.6% 上昇 ) なお, 母音の延長は母音の中央部付近の声帯振動の 1 周期分を複数回コピーすることで達成した 118

127 被験者は 12 名の日本語母語話者で, 回答の選択肢, 実験の手順, 刺激の提示方法などは実験 4-3 の pabas 系列と同じとした 両系列とも参加したのは 12 名中 9 名で, このうち 8 名は実験 4-3 と同じ被 験者であった 予測実験 4-3 と同様 日本語話者の知覚において s と sh の促音判断境界が異なっており sh の方が小さい判断境界値を取る ( 促音だと判断される率が高い ) のであれば 摩擦の音色が sh に近いほど判断境界値が小さく 逆に 摩擦の音色が s に近いほど判断境界値が大きくなることが予測される 実験 4-3 ではこのような結果が得られなかったが 実験 4-3 の pabasa 系列は原語 ( 英語 ) の s, sh に促音が挿入される典型的な音節構造 (...(C)VC) とは異なり摩擦の後に後続母音を有する音声であったため このような音声的違いによって摩擦の音色の影響が見られなかった可能性は否定できない 同じ型の刺激を用いた実験 4-4 において摩擦の音色の影響が見られれば 実験 4-3 で摩擦の音色の影響が見られなかったのは刺激の音節構造が異なっていたためだということになり s に比べて sh に促音が挿入されやすいという借用語に見られる非対称性はやはり日本語話者の知覚によって生じたという解釈が可能になる 一方 実験 4-4 においても摩擦の音色の影響が観察されなかったとすれば 借用語の非対称性は日本語話者の知覚という観点からは説明ができないということになる 結果摩擦持続時間の変化に伴う促音回答率 ( 各カテゴリにおける 促音だと判断された刺激数 そのカテゴリに属する全刺激数 ) の推移を摩擦成分の周波数特性ごとに示したのが図 6(a), (b) である 摩擦成分の周波数特性が促音判断境界に影響を与えるかどうかを確認するために, 実験 4-3 と同様の手法で検定を行った その結果,pabaS(L) 系列,pabaS(L)-to 系列とも, 摩擦成分の持続時間の効果が有意であり, 摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断されやすいことが確認された (pabas(l) 系列 : β = 0.342, W 2 = 177.7, df = 1, p < 0.001;pabaS(L)-to 系列 :β = 0.544, W 2 = 512.2, df = 1, p < 0.001) また, 実験 4-3 の pabasa 系列の実験結果とは異なり, 周波数特性の効果も有意であり (pabas(l) 系列 :β = , W 2 = 31.9, df = 1, p < 0.001;pabaS(L)-to 系列 :β =-0.145, W 2 = 27.4, df = 1, p < 0.001), 摩擦成分の周波数帯域が /ʃ/ らしくなるほど促音判断率が高くなる傾向が観察されると言えることが明らかになった 摩擦周波数特性の効果に逆行するような摩擦周波数特性と 刺激の調音点判断 との交互作用, およびその他の要因間の交互作用は両系列とも見られなかった よって,/ʃ/ だと判断された刺激だけを見た場合にも,/s/ だと判断された刺激を見た場合にも, 摩擦成分の周波数帯域が /ʃ/ らしくなるほど促音だと判断されやすくなる傾向があると言える 表 2 表 3 にはそれぞれ pabas(l) 系列と pabas(l)-to 系列における摩擦周波数特性ごとの促音判断境界値を示したものである ( 判断境界値は probit 分析により求めた なお 以下で述べるように pabas(l) 系列については促音判断率が 50% を超えることは無かったので pabas(l) 系列に関しては 25% 判断境界における刺激の摩擦持続時間を求めた ) 実験 4-4 の両系列とも, 摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断されやすい傾向はあったが, 摩擦持続時間の効果は pabas(l)-to でより強かった ( 最も長い摩擦持続時間 (360ms) を持つ刺激が促音だと判断された率を例にすると,pabaS(L) 系列では 33.5%,pabaS(L)-to 系列では 60.2% であった ) pabas(l) 系列と pabas(l)-to 系列の刺激の違いは, 前者は摩擦音が発話末に置かれているのに対し, 後者では摩擦音が語末に置かれている点であることから, 実験 4-3 の pabas 系列の結果に関する議論で推測したとおり, 発話末では促音だと判断されるのにより長い持続時間が必要となると言える ( 実験 4-3 にお 119

128 促音判断率 (%) 促音判断率 (%) 摩擦持続時間 (ms) S1, S2 ( 最も ʃ らしい ) S3, S4 S5, S6 S7, S8 ( 最も s らしい ) 摩擦持続時間 (ms) S1, S2 ( 最も ʃ らしい ) S3, S4 S5, S6 S7, S8 ( 最も s らしい ) 図 6(a). pabas(l) 系列の促音判断率 (b). pabas(l)-to 系列の促音判断率 表 54. pabas(l) 系列の 25% 判断境界値 (ms.) 刺激系列 pabas(l) 系列 摩擦周波数特性 25% 判断境界における 刺激の摩擦持続時間 最も sh らしい 最も s らしい S 1 S 2 S 3 S 4 S 5 S 6 S 7 S 表 55. pabas(l)-to 系列の 50% 判断境界値 (ms.) 刺激系列 pabas(l)-to 系列 摩擦周波数特性 50% 判断境界における 刺激の摩擦持続時間 最も sh らしい 最も s らしい S 1 S 2 S 3 S 4 S 5 S 6 S 7 S いても述べたように 発話末で母音が無声化したときの摩擦音 ( 例 : ~です の s) は普通の発話速度であっても 200ms 以上の持続時間を持つことも稀ではない ) また, 実験 4-3 の pabas 系列と実験 4-4 の pabas(l) 系列の結果を比較すると,pabaS 系列では促音判断に関して摩擦持続時間 周波数特性の効果が見られなかったが, 同じ音韻環境でも実験 4-4 の pabas(l) 系列の刺激ではその効果が観察された 以上のことから, 実験 4-3 の pabas 系列の結果において促音判断に関する摩擦持続時間 周波数特性の効果が見られなかったのは, やはり pabas 系列の刺激が促音 非促音の判断に対する摩擦持続時間 周波数特性の影響を調べるための刺激として音声的に不適切であっためだと思われる よって, 以下の議論では実験 4-3 の pabas 系列の結果については論じない 考察摩擦周波数特性の促音判断率に対する影響は, 刺激の音韻環境によって異なっていた 後続母音がないとき ( 実験 4-4 の pabas(l) 系列, pabas(l)-to 系列 ) には, 摩擦持続時間の条件が同じであれば,/ʃ/ だと判断された刺激についても,/s/ だと判断された刺激についても, 摩擦成分が /ʃ/ らしい周波数特性を持つ刺激ほど促音だと判断されやすいという傾向が見られた この傾向は, 工藤 窪薗 (2008) による /ʃ/ の方が /s/ よりも短い持続時間で促音だと判断される という推測に沿うものであり, 工藤らの推測が正しいものであったことを示唆する 一方, 後続母音が /a/ であるとき ( 実験 4-3 の pabasa 系列 ) には, 摩擦成分の周波数特性による促音判断への影響は見られず, これは工藤らの推測とは沿わない結果であった 工藤らの推測は, 日本語話者の ペサ ペシャ ペッサ ペッシャ という発 120

129 音における /s, ʃ, Qs, Qʃ/ の持続時間をもとになされたものである 工藤らの推測の根拠となった音声の音韻環境は, 今回の刺激の中では摩擦に後続する母音が /a/ であるという点で pabasa 系列と最も近いため, 他の系列はともかく pabasa 系列でこそ工藤らの推測を指示する結果が得られて然るべきである それにも関わらず, なぜこのような結果になったのかは現状では不明である pabas(l) 系列,pabaS(L)-to 系列で見られた, 摩擦成分が /ʃ/ らしい周波数特性を持つ刺激ほど促音だと判断されやすいという傾向は, 英語からの借用語に見られるパターン (/ʃ/ には促音が入りやすく,/s/ には促音が入りにくい ) と同じ方向性を示しており, 借用語における /s/, /ʃ/ の促音挿入の非対称性が日本語話者の知覚によって生じた可能性を示唆するものである ただし, 本研究の実験結果では摩擦周波数特性による促音挿入率の差は多くとも 30% 程度であったのに対し, 実際の借用語においては, 大江 (1967) でも指摘されているように, ほぼ例外なく /ʃ/ には促音が挿入され,/s/ には促音が挿入されない ( すなわち,/s/ と /ʃ/ の促音挿入率の差は 100% に近い ) また pabas(l) 系列 pabas(l)-to 系列とも 摩擦持続時間が最も長い刺激 (360 ms) であっても 促音だと判断される率は最高でも 70% 程度であり 範疇知覚において現れる S 字型の曲線は得られない 113 以上のことから考えて 尐なくとも pabas(l) 系列 pabas(l)-to 系列のように摩擦音が語 ( 音節 ) 末の位置にある場合には オンラインの知覚と借用語のパターンは完全には一致しないようである よって, 仮に本研究の知覚実験で得られた /s/ らしい音ほど促音だと判断されにくい という日本語話者が持つ知覚の傾向が借用語における /s/, /ʃ/ の促音挿入の非対称性と関係があったとしても, それだけで借用語のパターンを完全に説明しきれるわけではなさそうである 日本語側の要因だけでは完全に説明がつかないことから 英語側にも何らかの原因がある可能性なども考慮していく必要があると思われる 可能性として考えられるのは 英語と日本語の摩擦の音色の違いである 本研究では音韻論における研究の慣例に従って英語の sh も日本語のシャ行子音もともに [ʃ] として扱っているが 調音音声学や日本語教育などの分野では 英語の sh と日本語のシャ行音の音色の違いに注目して日本語のシャ行音が [ɕ] として記述されることもある 知覚される摩擦の音色の違いは音響的には摩擦周波数特性と対応しているため (Fujisaki and Kunisaki 1978, Mann and Repp 1980, 他 ) 摩擦周波数特性によって促音判断境界が変化するという本研究の実験結果を踏まえると 日本語話者の知覚に加えて このような英語と日本語の摩擦の音色の違いが借用語における促音挿入を促進する要因となっている可能性がある 今後の課題ではあるが この仮説を確かめるためには 例えば英語と日本語の s, sh の音響的特性を模した合成摩擦音を作成し 日本語話者に聴取させて促音判断率を調べるといった実験を考えることができる 摩擦の音色は個人差も大きいためにその点をどのように実験に組み込むかは課題となるが 今後検討して見る価値はあるであろう pabasa 系列では pabas(l) 系列や pabas(l)-to 系列と異なり, 摩擦周波数特性による促音判断への影響はないという結果が得られており, この結果は一見すると借用語のパターンには沿わないようにも見える しかし, 以下に挙げるように, 借用語における /s/, /ʃ/ への促音挿入パターンは音韻環境によっても異なっており,pabaSa 系列の結果が借用語のパターンと沿わないとは必ずしも断言できない可能性 113 これは単に本研究の摩擦持続時間の長さが不足していたといったことが理由なわけではないと思われる pabas(l) 系列 pabas(l)-to 系列の予備実験の段階では摩擦持続時間を最長で 550 ms まで設定したが 摩擦時間がどれだけ長くなっても完全に促音だと判断されることはなく むしろ長くなりすぎると パバスー パバシュー のように長音が入って聞こえるという被験者のフィードバックも得られた このような語 ( 音節 ) 末の摩擦音については 単純に摩擦持続時間のみが促音判断を決定する要因ではない可能性がある 121

130 がある (22) a. gloss gurosu, mess mesu, mass masu b. cash kyaqʃu, wash woqʃu, mush maqʃu, mushroom maqʃuru:mu (23) a. glossary guroqsari:/guro:sari:, message meqse:ʒi, massage maqsa:ʒi, Massachusetts masatʃu:seqtsu b. cashier kyaqʃa:, washing woqʃingu, Washington waʃinton, magician maʒiʃan (22) のように /s/, /ʃ/ が語や音節末の位置にある場合, 大江 (1967) や工藤 窪薗 (2008) の指摘どおり, ほぼ例外なく /s/ には促音が挿入されず,/ʃ/ には促音が挿入される ところが,(23) のように /s/, /ʃ/ が母音間にあるときには,message( メッセージ ) や massage( マッサージ ) のように /s/ であっても促音が挿入される例や,Washington( ワシントン ) や magician( マジシャン ) のように /ʃ/ であっても促音が挿入されなかったりする例が散見され, 語末 音節末に比べて /s/, /ʃ/ の非対称性の度合いが弱くなる傾向がある 114 よって, 摩擦音が母音間に置かれた pabasa 系列でのみ摩擦周波数特性の影響が見られなかったことは, むしろ音韻環境による借用語の促音挿入パターンの実態に沿うものである可能性も否定できない もっとも, この点については借用語における /s/, /ʃ/ の音韻環境別の促音挿入率を明らかにした上で議論する必要があり, 本稿の議論の枠を超えていると思われるので, ここではその可能性を指摘するのみに留め, 今後の課題としたい 残された問題以上 借用語の s, sh に見られる非対称性を知覚的観点から分析した この s, sh の非対称性の問題は 単に日本語の借用語だけではなく 言語の普遍性や心理学における言語音と非言語音の知覚 また 音節構造といった借用語以外のテーマとも関係する問題であることを以下で指摘する これらの問題は非常に大きなテーマであり 本研究における以下の議論だけで結論を出せるほど簡単なものではないが これらの分野を今後音韻論 音声学の研究対象としてさらに発展させることが可能であることを 残された問題 として示したい s と sh の知覚 : 日本語固有か 普遍的か? 残された問題の 1 点目は 日本語話者に見られた sh に促音を感じやすいという知覚上の特徴は日本語固有のものであるかどうかという問題である 本研究の実験において 日本語話者は s よりも sh により促音を感じやすい (sh の方が持続時間が短くても重子音だと判断される ) という結果が得られたが この結果は日本語話者に特有のものなのか 他の言語の話者にも見られるものなのかを検討してみることには価値があると考える この問題に関するヒントは 人間の聴覚特性にある 人間の聴覚は 2 khz から 5 khz の間の音に敏感である (Johnson 1997/2003: 50) Johnson (1997/2003) によると sh の摩擦周波数のピークはおよそ 3.5 khz 付近にあるのに対し s の主要なピークは 8 khz 114 大江 (1967) は, 複数形や派生形ではそうでないときと比べて /s/ に対して促音を感じやすくなると述べている ( 例 :bus buses, pass passer, dress dresser) これらの例では複数形や派生形になることで本来語末にあった /s/ が母音間に置かれているので, やはり母音間という音韻環境が重要なのではないかと本研究では推測する 122

131 付近にある 115 つまり sh は s に比べて人間の聴覚系が反応しやすい帯域にエネルギーが集中していることから 音響的には同じ強さであったとしても 知覚的なラウドネスが大きい可能性がある これが正しければ 日本語に限らず 一般的に sh は s よりも知覚的に際立ちが高い存在であると言えることになる 音のラウドネスと知覚される持続時間 (perceived duration) の間には相関関係があり 物理的な持続時間が同じであれば ラウドネスが大きな音はラウドネスが小さな音よりも長いと判断される (Lifshitz 1933, 1936, Fidell et al. 1970) 116 よって 仮に sh の方が s よりもラウドネスが大きいとすると 物理的な持続時間が同じであっても sh は s よりも長いと感じられる可能性がある ( 図 7 を参照 ) この仮説が正しければ s, sh の借用語の促音挿入の非対称性は 英語の s, sh の物理的な持続時間には差がなくても 英語話者が発音した sh は s よりも長いと感じられるため sh に促音が挿入されやすかったと説明されることになる そして 借用語の促音挿入の非対称性を生じさせる要因の一つである 日本語話者の知覚 は人間の聴覚特性という心理音響学 (psychoacoustics: Diehl and Walsh 1989, Diehl et al. 1991, Kato et al. 1998, Kluender et al. 1988, Parker et al Pisoni 1977 Pisoni et al. 1983, Stephens and Holt 2003) 的な基盤から生じたものであると説明される 人間の持つ聴覚特性は言語によらず普遍的なものであるから 本当にそのような人間の聴覚特性が存在するとすれば 日本語以外の言語においても s, sh の非対称性が観察されることが予測され うまくいけば s が重子音化するのであれば sh も重子音化するという含意法則へと発展させられる可能性がある s のピークは 4 khz 付近にも見られるが それは 2 次的なものである (Johnson 2003) 英語以外の言語でも 一般に s のピークは sh よりも高い位置にあることが報告されている (Gordon et al. 2002) 116 知覚される持続時間 (perceived duration) と関係するのは音のラウドネスではなく 検知しやすさ (detactability) であるという指摘がある (Creelman 1962, Steiner 1968; cf. Henry 1948) Creelman (1962) や Steiner (1968) は 知覚される持続時間と音のラウドネスの関係は音が検知しにくい ( ラウドネスが小さい ) ときに主に観察されるものであって 充分に聞き取れる音量で刺激が提示された場合には知覚される持続時間と音のラウドネスの関係が消失することから 知覚される持続時間と関係するのは音のラウドネスではなくて検知しやすさであると指摘した しかし s, sh の知覚に関する議論においては 知覚される持続時間と関係するのが音のラウドネスではなくて検知しやすさであったとしても問題は生じない これは 摩擦音の緩やかな開始 / 終了 (gradual onset/offset) を持つ音であるため その開始点および終了点の部分は常にエネルギーが小さく検知しにくい状態になると想定できるからである 検知しにくい部分が存在する限りラウドネスの影響は存在するから s と sh のラウドネスが異なっているのであれば知覚される持続時間は異なることが予測される 117 s よりも sh のラウドネスが大きく 長く聞こえるという仮説の傍証は Jongman (1989) による摩擦の調音点同定に関する実験からも得られる Jongman (1989) は摩擦音を知覚するのに必要な最小持続時間を調べる実験を行った 実験の被験者は Brown University の学生 14 名 ( 分析に用いられたのは 12 名分のデータ ) とだけ記述されており 被験者の母語は明らかにされていないが おそらく日本語話者は含まれていないものと思われる 刺激はアメリカ英語話者が発音した CV 型 (C は英語の摩擦音 V は a, i, u) の発音から作成されたもので 刺激の構造は CV 全体 C のみ C の一部 (C の開始点から始まって 10 ms 刻みで 70 ms から 20 ms まで ) であった ( 以下では このうち C の一部を提示したときの実験結果についてのみ議論する ) 被験者のタスクは刺激を聞いてその子音が何であるかを実験者が設定した選択肢の中から選ぶというものであった Jongman の報告によれば s が sh と同じ程度正しく判断されるためにはより長い持続時間が必要であった (sh は 30 ms で 70% の正答率に達したのに対し s が 70% の正答率に達するためには 50 ms の持続時間が必要だった ) Jongman の実験は摩擦音が同定されるのに必要な持続時間を調べるものであって 単子音 重子音とは直接的に関係するものではないため これが促音の問題と直接関係するとは言い切れない面がある また Jongman が行った実験の結果は摩擦の開始点から起算して 70 ms~20 ms(10 ms 刻み ) 分の摩擦のみを提示した場合に得られた結果であり また 回答の選択肢には偏りがあったことからも 実験結果が必ずしも s と sh の知覚しやすさを表したものとは言えない可能性は否定できない しかし そのような問題点があったとしても Jongman (1989) の実験結果は sh が s と同じ程度に同定されるた 123

132 図示した仮説を検証するために 以下では日本語母語話者および日本語学習者を対象とした知覚実験を行い sh に促音を感じやすいという日本語話者が示した知覚の傾向が人間の聴覚特性を反映したものであるのか および それが普遍的なものであるといえるかどうかを非言語音を用いた弁別実験により検討した 図 7. 心理音響学的観点に基づく仮説 音節構造の問題か 母音の問題か? 残された問題の 2 点目は pabas(l) 系列と pabas(l)-to 系列でのみ sh に促音を感じやすいという結果が得られたのはなぜかという問いである 本研究の実験結果では pabasa 系列と pabas(l) 系列 ( または pabas(l)-to 系列 ) の場合で摩擦周波数特性が促音判断に及ぼす影響が異なっていた この 2 グループの音声的な違いは pabasa 系列では摩擦音が母音間に位置しているのに対し pabas(l) 系列または pabas(l)-to 系列では摩擦音が語 ( 音節 ) 末に位置している点であり これによって音節構造が違っている よって こうした音節構造の違いによって異なる実験結果が得られた可能性が考えられる 118 一方 日本語話者は音声的に母音がないところに幻の母音を感じることが指摘されていることから (Dupoux et al. 1999, Dupoux et al. 2001) pabas(l) 系列または pabas(l)-to 系列の刺激は被験者にとっては摩擦音の後に母音があるように聞こえているはずである つまり 聞き手が聞いた ( であろう ) 音という観点からは 2 グループの違いは音節構造ではなく 後続母音の種類の違い (a vs. u/i 119 ) であり これが異なる結果を生んだと考えることも可能である 仮に刺激の音声の音節構造の問題であり 母音の種類が関係ないのだとすると 例えば [pabasu], [pabaʃu] のように摩擦音に後続する母音が無声化していない音声を刺激とする pabasu 系列なるものを めに必要な持続時間は短くてもよいという点で 持続時間が同じであれば sh の方が s よりも重子音になりやすいという本稿の実験結果と通じるところがある つまり 音響的に同じ持続時間を持つ s と sh は 聞き手にとっての心理的な重みが異なると推測される 118 厳密には位置と音節構造が異なっていることから 位置または音節構造 とすべきであるが 以下では 音節構造 としておく 119 摩擦が sh である場合には i が挿入される場合がありうる ( 例 :sash サッシ ~ サッシュ ) 124

133 作成して実験した場合 この系列における実験結果として pabasa 系列と同じ傾向 ( 摩擦周波数特性は促音判断に影響を及ぼさない ) が得られると予測できる 一方 聞き手にとっての後続母音の種類が問題だったのであって 刺激の音声の音節構造は関係ないのだとすると 結果は pabas(l) 系列または pabas(l)-to 系列と同様の傾向 ( 摩擦周波数特性が sh らしくなるほど促音だと判断されやすい ) が得られるはずである 以下では この点について知覚実験を行い検証する 非言語音を用いた実験この節では まず sh の周波数帯は s の周波数帯に比べて人間の聴覚上聞き取りやすい帯域に分布しており よって物理的に同じ持続時間であっても sh の方が s よりも長いと感じやすいという仮説が妥当であるかどうかを検討する 同じ持続時間であれば sh の方がより長く聞こえるかどうかを調べるために 日本語話者 (11 名 ) および非日本語母語話者 (9 名 ) の 2 グループの話者に対して non-speech の音を刺激とする実験を実施した まず 250ms から 300ms まで (10ms 刻み ) の長さのノイズ ( 合成音 ) を組み合わせて 刺激のセットを作成した ノイズは最も sh らしいものと最も s らしいものの 2 種類の周波数特性と 250ms ~ 300ms までの 6 種類の持続時間を掛け合わせて 12 通りを用意した ノイズの周波数特性は pabasa 実験などで用いた最も sh らしい合成摩擦音 (S1) および最も s らしい合成摩擦音 (S8) と同じ周波数特性としたが 立ち上がり時間と立下り時間を 10ms に設定することで聴覚的に言語音 ( 摩擦音 ) らしく聞こえないようにした 120 ノイズの強さは同じになるように設定した 刺激は 2 つのノイズで構成され 1 つ目のノイズ (C1 とする ) と 2 つ目のノイズ (C2 とする ) の間には 1 秒間の無音区間を挟んだ C1 では 250ms または 300ms のどちらかが提示され C2 には 250 ~ 表 56. 刺激持続時間 C1 C2 C1 と C2 の持続時間の差 (C1-C2) pabasa 実験などのノイズは自然な摩擦音に聞こえるように摩擦持続時間によって立ち上がりおよび立ち下がり時間の設定を変えている ( つまり この実験の摩擦音は周波数特性の面では pabasa 実験などの摩擦と同じであるが 音圧の操作の点で異なっている ) なお s や sh の周波数特性を持ち立ち上がり時間の早い音は破擦音のように聞こえるため ( この場合 無声化した ツ チ のようにも聞こえる ) このように作成したノイズを non-speech であると言えるかどうかは議論の余地がある 実際に 被験者に対しては実験の説明において提示される音は雑音的な音であると伝えて実験を行ったが 被験者の中には チ ツ のように聞こえたと報告した者もいた しかしながら 言語音のように聞こえたと報告した被験者と他の被験者の結果には大きな差は見られなかったので 尐なくともこの実験においてはノイズが言語音として判断されたかどうかは大きな問題ではないと考える 125

134 300ms まですべてのノイズが出現する 250ms から 300ms の音の組み合わせにより C1 と C2 の持続時間は同じものから最大で 50ms の違いがあるものまでが存在する ( 表 56) 刺激には C1 と C2 の周波数特性が同じであるものと C1 と C2 の周波数特性が異なるものの 2 つがあり これらは別々にブロック化された 1 つのブロックは 16 個の練習とそれに続く 96 個の刺激によって構成されており 各刺激の提示順序は被験者ごとにランダムになるようにした 周波数特性が同じノイズで構成されたブロックと異なるもので構成されたブロックの提示順序は被験者ごとにランダムに割り振り バランスをとった 被験者のタスクは 出てくる 2 つの音を聞いて C1 と C2 のどちらが長いか または同じかを 3 択で (C1 が長い 同じ C2 が長い ) 判断するというものであった 被験者の回答は C1 が長い については 2 点 同じ については 1 点 C2 が長い については 0 点として換算した 分析は 刺激の提示順序による時間判断への影響 (time-order error: Postman 1946, Woodrow 1951, Jamieson and Petrusic 1975a, b, Allan 1979) の影響を考慮して 周波数特性の違いの影響は C1 と C2 が同じ周波数特性であるときの結果をベースラインとして それと C1 の周波数特性が異なる場合の結果またはそれと C2 の周波数特性が異なるときの結果を比較することで 周波数特性の影響を推定した 本研究で用いた sh らしい周波数特性を持つノイズを SH s らしい周波数特性を持つノイズを S とすると C1 と C2 には SH-SH, SH-S, S-SH, S-S の 4 通りの組み合わせが存在することになり ベースライン (C1 と C2 の周波数特性が同じペア ) と比較できる組み合わせは表 57 に挙げた 4 通りとなる sh は s よりも長く感じられやすいという仮説のもとでは SH-S では SH-SH や S-S と比べて C1 が長いと判断される率が高くなることが予測されるから ベースラインである SH-SH または S-S に比べて SH-S は C1 が長い という回答が増え 結果的に平均得点が高くなることが予測される 同様に sh は s よりも長く感じられやすいという仮説のもとでは S-SH は SH-SH や S-S と比べて C2 の方が長いと判断される率が高くなることが予測されるから ベースラインである SH-SH または S-S に比べて S-SH は C2 が長い という回答が増え 結果的に平均得点が低くなることが予測される 以上の仮説が正しいかどうかを 各条件における被験者の回答の平均点について C1 と C2 の持続時間の差 (-50ms ~ 50ms の 11 水準 ) と ペアの種類(SH-SH, SH-S, S-SH, S-S の 4 水準 ) を要因とする 2 要因の分散分析を行い ペアの種類 に関して Bonferroni の修正により有意水準を調整した多重比較を行うことで検証した 表 57. ベースライン 比較対象のペアと予測 ベースライン 比較対象 ベースラインと比べたときに C1 C2 C1 C2 予測される結果 SH SH vs. SH S C1 が長い ( 点が高い ) SH SH vs. S SH C2 が長い ( 点が低い ) S S vs. SH S C1 が長い ( 点が高い ) S S vs. S SH C2 が長い ( 点が低い ) 全体の結果は図 8 に示したとおりである いずれの条件においても C1 と C2 の持続時間の差の値が大きくなるほど (C1 が C2 に比べて長くなるほど ) 得点が上がっていく ( C1 が長い と判断されやすくなる ) 傾向があることが見て取れる つまり 被験者は持続時間の違いに対して敏感に反応していたと言える 一方 ペアの種類による差は一見しただけでは判断がつかない 126

135 図 8. 日本語母語話者に対する非言語音の知覚実験 : 各実験条件における平均評定 各条件における被験者の回答の平均点について C1 と C2 の持続時間の差 (-50ms ~ 50ms の 11 水準 ) 121 と ペアの種類(SH-SH, SH-S, S-SH, S-S の 4 水準 ) を要因とする 2 要因の分散分析を行った結果 C1-C2 の主効果が有意であり(F(10, 430) = 121.1, p < 0.001) ペアの種類 の主効果も有意であった (F(3, 430) = 4.4, p < 0.01) また 2 要因間の交互作用は有意ではなかった (F(30, 430) = 1.0, p = (n.s.)) ペアの種類 の主効果が有意であったことから Bonferroni の修正による多重比較を行ってどのペアの間に差があったのかを調べた その結果 SH-SH と S-SH および S-S と S-SH のペアにおいて ベースラインに比べて得点が有意に低いという予測どおりの結果が得られた 一方 SH-SH と SH-S および S-S と SH-S のペアにおいてはベースラインに比べて得点が高くなることが予想されたが この 2 つのペアにおいてはベースラインと比較対象の得点の間に有意な差が見られず 仮説を積極的に支持する結果は得られなかった 121 この値が - であれば C1 の物理的な持続時間が C2 よりも短いことを + であれば C1 の物 理的な持続時間が C2 よりも長いことを示す 127

136 表 58. 日本語母語話者に対する非言語音の知覚実験 : 分散分析結果 ベースライン比較対象比較対象の平均得点とベー C1 C2 C1 C2 スラインの平均得点の差 有意確率 予測との一致 SH SH vs. SH S n.s. どちらともいえない SH SH vs. S SH p < 0.05 一致 S S vs. SH S n.s. どちらともいえない S S vs. S SH p < 0.05 一致 以上の実験結果から sh が s よりも知覚的に際立っている ( 物理的に同じ持続時間であっても sh の方が長いと感じやすい ) という仮説は完全には支持されないものの 部分的には支持されたといえる よって 日本語話者に見られた s に比べて sh に促音を感じやすい また 借用語における促音挿入において sh に促音が挿入されやすいという事実は 尐なくとも一部はこのような人間の聴覚特性という心理音響的なものを基盤にしている可能性がある また 同じ実験を非日本語母語話者 9 名 ( 中国語話者 6 名 韓国語話者 2 名 Kikuyu 後話者 1 名 ) に対しても行った 実験に参加した非日本語母語話者はいずれも神戸大学の大学院生または研究生で いずれも高い日本語能力を有する話者であった 以上で議論した人間の聴覚上 ( すなわち 個別言語的な理由ではなく )s よりも sh の方が心理的な際立ちが高いという仮説が正しいとすれば 被験者の母語によらず同じ結果が得られることが予測される 韓国語話者 Kikuyu 語話者は人数が尐ないため 同じ母語でかつ人数がある程度得られた中国語話者 6 名の結果のみを提示する 各条件における被験者の回答の平均点について C1 と C2 の持続時間の差 (-50ms ~ 50ms の 11 水準 ) 122 と ペアの種類(SH-SH, SH-S, S-SH, S-S の 4 水準 ) を要因とする 2 要因の分散分析を行った結果 C1-C2 の主効果が有意であり(F(10, 215) = 32.4, p < 0.001) ペアの種類 の主効果も有意であった (F(3, 215) = 5.1, p < 0.01) また 2 要因間の交互作用は有意ではなかった (F(30, 215) = 0.8, p = (n.s.)) ペアの種類 の主効果が有意であったことから Bonferroni の修正による多重比較を行ってどのペアの間に差があったのかを調べた その結果 S-S と S-SH のペアにおいて ベースラインに比べて得点が有意に低いという予測どおりの結果が得られたが それ以外のペアでは有意な差が見られず 予測を支持するとも支持しないともいえないという結果であった 中国語話者の結果においても 仮説は完全には支持されなかったものの 部分的には支持されたと言える 日本語話者だけでなく 中国語話者においても sh を長く感じやすいという傾向が一部観察されたことから sh の方がより長いと感じやすい ( よって sh は重子音化しやすい ) という傾向は日本語話者に特有のことではない可能性が示唆される このような結果が得られたのは 前述のように sh は s に比べて人間の聴覚上知覚しやすい帯域にエネルギーが集中しているためではないか推測される よって 本研究における促音に関する知覚実験で日本語話者が示した sh に促音を感じやすいという傾向は 日本語固有のものではなく sh が s よりも知覚的に際立っているというより一般的な知覚的要因に根ざしたものである可能性がある よって sh は s よりも重子音化しやすい というような普遍的法則が存在するかどうかを検討して見ることは有意義であると考える 122 この値が - であれば C1 の物理的な持続時間が C2 よりも短いことを + であれば C1 の物 理的な持続時間が C2 よりも長いことを示す 128

137 表 59. 中国語話者に対する非言語音の知覚実験 : 分散分析結果 ベースライン比較対象比較対象の平均得点とベー C1 C2 C1 C2 スラインの平均得点の差 有意確率 予測との一致 SH SH vs. SH S n.s. どちらともいえない SH SH vs. S SH n.s. どちらともいえない S S vs. SH S n.s. どちらともいえない S S vs. S SH p < 0.01 一致 この心理音響学的な作業仮説に基づけば 本研究で行った促音に関する知覚実験を日本語以外の言語を母語とする人に対して実施すれば 日本語話者に見られたのと全く同じ傾向が得られることが予測される そこで 以下では非日本語母語話者に対して全く同じ実験を行い 日本語話者に見られたのと同じ傾向が見られるのかどうかを検討する 非日本語母語話者に対する知覚実験日本語話者に対する実験で用いた pabas(l)-to 系列の音声を刺激として用いた pabas(l) 系列については pabas(l)-to 系列と傾向は同じであったので ここでの検討は省略した また pabasa 系列に関しては日本語話者の実験結果において摩擦周波数特性が促音判断に影響を及ぼすことはなかったので 検討対象からは外した 被験者は 英語話者 1 名 中国語話者 6 名 韓国語話者 2 名 スウェーデン語話者 1 名 Kikuyu 語話者 1 名であった 英語話者とスウェーデン語話者を除く全ての話者は先ほどの摩擦音の持続時間を判断する実験に参加したのと同じ被験者である ( 実験の実施に当たっては 先ほどの実験と今回の実験の間には尐なくとも 2 週間の間隔を設けた ) 被験者は神戸大学に所属する留学生で いずれも大学院レベルの授業に参加可能な高い日本語能力を有していた 実験手順は日本語話者に対する実験と全く同じとし pabasa 系列と pabas(l)-to 系列のどちらを先に受けるかは被験者ごとにランダムに割り振った 結果はすべての被験者のデータを混ぜて階層的ロジスティック回帰分析により分析した 予測先ほどの実験で示されたように 非日本語母語話者と日本語話者はともに sh らしい音を長いと感じやすい知覚の傾向を持っているため この促音同定の実験においても日本語話者と同様に摩擦周波数特性が sh に近いほど促音だと判断する率が高くなることが予測される なお 日本語母語話者に比べて非日本語母語話者は促音 非促音の判断において回答により大きなゆれが生じることが予見される 123 ので ここでの検証のポイントは 摩擦周波数特性が sh に近いほど促音だと判断する率が高くなる という傾向が同じであるかどうかであって 日本語話者と全く同じ正答率が得られることや摩擦周波数特性が促音判断に与える影響の規模が日本語話者と同じ程度でなくてもよいと考える 123 一般に 促音は日本語学習者にとって習得が難しいとされており 特に摩擦音の促音の習得は閉鎖音の促音の習得よりも遅れることが指摘されている ( 戸田 2003) 129

138 促音判断率 結果 pabasa 系列や pabas(l) 系列のときと同じ手法でロジスティック回帰分析を行った また probit 分析により促音判断境界 (50% 地点 ) における刺激の摩擦持続時間を求めた 摩擦周波数特性と促音判断率の関係については 促音判断境界の値を見る限りではこれらの間には一貫した傾向がないかに見えたが ロジスティック回帰分析の結果 調音点が ʃ( パバシュ パバッシュ ) だと回答されたものと s( パバス パバッス ) だと回答されたものとで結果が異なることを示す複数の交互作用が有意であったため データを分類しなおして個別に分析を行った その結果 調音点が ʃ( パバシュ パバッシュ ) だと回答された刺激だけを見たときには 摩擦持続時間の主効果のみが有意で (β = 0.448, W 2 = 312.5, df = 1, p < 0.001) 摩擦周波数特性の主効果は有意ではなかった (β = , W 2 = 3.2, df = 1, p = (n.s.)) また 摩擦持続時間と摩擦周波数特性の交互作用も有意ではなかった この結果は 調音点が ʃ だと回答された刺激だけを見たときには摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断されやすいという傾向は得られたが 摩擦周波数特性が ʃ に近いほど促音だと判断されやすい ( またはその逆 ) という傾向は見られないことを示すものであった 一方 調音点が s( パバス パバッス ) だと判断された刺激だけを見たときには 摩擦持続時間の主効果が有意であり (β = 0.469, W 2 = 101.7, df = 1, p < 0.001) さらに摩擦周波数特性の主効果も有意であった(β = , W 2 = 21.4, df = 1, p < 0.001) 摩擦持続時間と摩擦周波数特性の交互作用は有意ではなかった この分析結果は 調音点が s だと回答された刺激だけを見たときには摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断されやすく また 摩擦周波数特性が ʃ に近いほど促音だと判断されやすい傾向があったことを示すものであった なお 日本語母語話者の pabas(l)-to 系列についてはすでに報告したとおり先行母音を延長した場合 100.0% 90.0% 80.0% 70.0% 60.0% 50.0% 40.0% 30.0% 20.0% 10.0% 0.0% 摩擦持続時間 S1, S2 ( 最も sh らしい ) S3, S4 S5, S6 S7, S8 ( 最も s らしい ) 図 9. pabas(l)-to 系列 : 非日本語母語話者の促音判断率 表 60. pabas(l)-to 系列 : 日本語学習者の 50% 促音判断境界 (ms.) pabas(l)-to 系列 : 日本語学習者 摩擦周波数特性 50% 判断境界における 刺激の摩擦持続時間 最も sh らしい 最も s らしい S 1 S 2 S 3 S 4 S 5 S 6 S 7 S

139 の方が延長しない場合よりも促音判断率が有意に高くなる傾向が見られたが 非日本語母語話者の結 果においては先行母音の持続時間の操作による促音判断率への影響は見られなかった ( 平均促音判断 率は先行母音を延長しない場合が 43.9% 延長した場合が 44.1%) 考察今回の実験に参加した非日本語母語話者は 日本語話者と同様 摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断しやすい傾向があった 一方 摩擦周波数特性が促音判断率に与える影響に関しては 非日本語母語話者は日本語話者とは異なる傾向を示した 日本語母語話者は調音点が s, sh のどちらに判断されたかに関係なく摩擦周波数特性が sh に近いほど促音だと判断しやすいという傾向を示したが 非日本語母語話者が摩擦周波数特性が sh に近いほど促音だと判断しやすい傾向を示したのは調音点が s だと判断された刺激のみを分析した場合だけで 調音点が sh だと判断された刺激についてはこうした傾向は観察されなかった 表 61. pabas(l)-to 系列 : 日本語母語話者と非日本語母語話者の結果のまとめ 調音点が sh だと判断されたもの 調音点が s だと判断されたもの 日本語母語話者 (sh らしいほど促音 ) (sh らしいほど促音 ) 非日本語母語話者 ( 摩擦の音色の影響なし ) (sh らしいほど促音 ) この実験において 条件付きではあるが非日本語母語話者にも sh に近い音ほど促音だと判断しやすいという結果が得られた理由として 2 つの可能性が考えられる 一つは 条件付き ( この実験の場合であれば 調音点が s だと判断された場合のみ ) ではあるが sh は s よりも短い持続時間で重子音化しやすいという普遍的な傾向が存在するという可能性である すでに議論したように sh は s に比べて人間の聴覚系が反応しやすい帯域にエネルギーが集中しているために 音響的に同じ持続時間であっても 心理的には sh の方がより知覚的に際立っており ( 強く 長く感じられる ) 日本語話者のみならず非日本語話者にも sh の方が短い持続時間で促音だと判断される傾向が見られた可能性は否定できない 二つ目の可能性は 被験者の日本語能力が非常に高かったため 彼らが日本語話者の知覚の特徴まで理解してそれを習得したために日本語話者と同じ傾向が得られたというものである 摩擦音と破擦音に関する実験では 高い日本語能力を有する日本語学習者であっても日本語話者とは異なる傾向が得られた ( 母語の違いが大きかった ) が 促音は単子音 重子音の対立を持たない多くの言語の学習者にとって上級の学習者になるためには避けては通れない道であり 日本語教育の現場においても強調して指導される分野の一つである よって 学習者の促音に対する意識が非常に高く 特に今回の被験者らのように超級レベルの学習者は日本語話者が持っている知覚の傾向にも気がつき それをも獲得したのかも知れない あるいは 彼らが受けた教育の質が非常に高く 教師が日本語話者が持つ知覚の傾向のことまで言及し それを獲得できるまで徹底的に指導したのかも知れない この二つの可能性のうちどちらが正しいのかを厳密に確認するためには 同様の実験を初級レベルの日本語学習者に対して行って促音の獲得が未完了な状態の話者であっても s よりも sh に対して促音だと判断しやすい傾向があるかどうかを調べるか 初級 ~ 上級レベルまで様々なレベルの学習者に実験を行い 初級から上級に移るにしたがって日本語話者と同様の傾向 (sh に対してより促音だと感じやすい ) を示すようになっていくかどうかを調べるなどして検証していく必要がある しかしながら 先ほどの non-speech の実験において日本語母語話者と非日本語母語話者の間には差 131

140 が見られなかったことを合わせて考えると この実験において非日本語母語話者にも sh に近い音ほど促音だと判断しやすい傾向が観察されたのは日本語学習によるものではなく より一般的な聴覚的な要因を基盤とする知覚判断がなされたためである可能性が高いと考える sh に促音を感じやすい (sh が重子音化しやすい ) という傾向が日本語特有ではないと考えるのが妥当であることを示唆するさらなる証拠として イタリア語の単子音 重子音に見られる非対称性を挙げる事ができる イタリア語の子音の持続時間を分析した Payne (2005) によると 標準イタリア語においては s は単子音 重子音の対立を持つのに対し sh は単子音 重子音の対立を持たず 音声的には常に持続時間の長い摩擦音として実現する 124 Payne (2005) のデータは産出のデータであるので 本研究の知覚の議論とは必ずしも対応するとは言えないが イタリア語の s, sh に見られる非対称性は日本語の借用語において sh が促音 ( 重子音 ) として実現しやすいという音韻事実と類似しており よって sh と重子音が結びつきやすいという傾向が日本語固有のものではないと言える可能性を示すものである 125 摩擦周波数特性が促音判断率に与える影響に関して 非日本語母語話者は一部では日本語母語話者と同様の傾向を示したものの 日本語母語話者の結果と完全には一致しなかった sh らしい音により促音を感じやすいという傾向が言語普遍的であるとするならば 日本語母語話者と非日本語母語話者の結果が完全に一致しなかったことに対して何らかの説明が必要である 日本語母語話者と非日本語母語話者の結果が完全に一致しなかったことに対しては 二通りの解釈が考えられる 一つは 日本語母語話者が示した sh らしい音により促音を感じやすい 傾向は言語普遍的なものではなく やはり日本語固有の知覚の傾向であると見なす解釈である 別の可能性は 非日本語母語話者も日本語母語話者と同様の知覚の傾向を持っているが 促音 非促音という言語的判断における処理過程の際の問題で日本語話者と異なる結果が得られたという解釈である 以下ではいずれの解釈が妥当だと見なせるかについて議論したい 非日本語母語話者の実験結果は日本語話者の実験結果と完全に同じ傾向を示したわけではないものの 非日本語母語話者においても 調音点が s だと判断された刺激だけを見ると 日本語話者と同じように摩擦が sh らしいほど促音だと判断しやすい傾向が観察されている sh らしい音により促音を感じやすい という傾向が日本語固有のものだとすれば 非日本語母語話者も条件によっては sh らしい音により促音を感じやすい という傾向を示した事実を説明するのが難しい non-speech の実験において 日本語母語話者と非日本語母語話者の間に差が見られなかったことも 日本語固有説が妥当でないことを示唆する 一方 非日本語母語話者も日本語母語話者と同様の知覚の傾向を持っているが 促音 非促音という言語的判断における処理過程の際の問題で日本語話者と異なる結果が得られたと解釈すれば 以上のことは問題にはならない non-speech の実験のタスクは 2 つの音のどちらが長かったかを判断するだけのものであるのに対して pabas(l)-to 系列の実験は促音 非促音の判断と調音点 (s, sh) の 2 つの次元の判断を同時にしなければならないという点で複雑である また 日本語学習者にとって促音 非促音の対立の習得は一般に難しいとされており 中でも摩擦音の促音 非促音の判断は難しいとさ 124 Payne によれば 音韻的解釈では sh が単子音であっても重子音であっても問題にはならない ( 対立がないため ) が 尐なくとも音声的には sh は長い子音であると見なせる 125 直接関係するかどうかは不明であるが 英語における口蓋化の非対称性 (Shattuck-Hufnagel and Klatt 1979) もこれと関連している可能性がある 英語においては [s] + [ʃ] が [ʃ(:)] として実現する (this shoe [ðɪʃ(:)u:]) ことはあっても [ʃ] + [s] が [s(:)] として実現することは ( 言い間違いを除けば ) 一般的ではない ʃ のみが coda と onset で共有されうると解釈すれば 英語の s, sh の非対称性は sh は s に比べて重子音と結びつきやすいということを示すデータだと見なすことができる可能性がある 132

141 れる ( 戸田 2003) 今回の実験の被験者( 非日本語母語話者 ) はいずれも非常に高い日本語運用能力を持つとはいえ 摩擦音の促音 非促音 ( と調音点 ) の判断を課すタスクは被験者にとって簡単なものではない 126 よって non-speech 実験で日本語母語話者 非日本語母語話者に共通して見られた知覚の傾向は pabas(l)-to 実験においてはタスクの複雑さに起因する非日本語母語話者のパフォーマンスの低下によって完全には表面化せず 結果として日本語母語話者の結果と一部のみ一致する結果が得られたと解釈できる 以上の議論は現段階ではあくまで仮説である 当然ながら 言語普遍的 であると言うためには今後より多くの言語の話者に non-speech および speech の知覚実験を行って検証していく必要がある 非言語音の知覚と言語音の知覚の関係 非日本語母語話者の知覚 言語普遍性 などを含め 今後の課題としたい 実験 :pabasu 系列 この実験では pabasa 系列と pabas(l)/pabas(l)-to 系列の間に 摩擦周波数特性が促音判断に与える 影響に関して異なる結果が得られたのかを検討する 実験の刺激 手順など刺激は pabasa 系列の刺激の語末の a(pabasa) の代わりに母音 u に置き換えた音声である ( これを pabasu 系列とする ) 置き換えるのに使った[u] の音声は pabasa 系列の刺激を作成したときと同じ話者が これは~です というキャリア文に入れて 10 回ずつ発音した pabasu ( パ バス ) pabaʃu ( パ バシュ ) という発音のうち pabasa 系列の刺激を作成したときと同じ基準で各語につき 1 つの音声を選び出し そこから u のみを切り出すことで得た ( 結果として [(pabas)u] と [(pabaʃ)u] の 2 種類の [u] を得た ) 127 以上の操作によって pabasa 系列とは語末の母音のみが異なる音声を作成し 刺激とした 被験者は 12 名の日本語話者であった この実験にのみ参加した被験者は 3 名で 残り 9 名は pabasa 系列 pabas(l) 系列 pabas(l)-to 系列のいずれかに参加している被験者である pabasa 系列 pabas(l) 系列 pabas(l)-to 系列のいずれにも参加したのはこのうち 6 名であった 実験の手順および分析方法は pabas(l) 系列 pabas(l)-to 系列と同じとした 予測 pabasa 系列では摩擦周波数特性は促音判断に影響しないという結果が得られたが pabas(l) 系列または pabas(l)-to 系列では摩擦周波数特性が sh に近いほど促音だと判断されやすいという結果が得られた この 2 グループの間に異なる結果が得られた理由として すでに述べたように 2 つの可能性が考えられた 一つは 語の音節構造の違いであり 一つは後続母音の違いである 刺激の音声を中心に考えた場合 2 つのグループの刺激は語の音節構造という点で異なっていることから こうした音節構 126 実際に 実験を終えてからの被験者へのインタビューの結果 回答に自信があると答えた被験者はわずかであった 127 この実験の刺激として用いるためには u が無声化されてはいけないので キャリア文で pabasu に後続する要素を有声閉鎖音 (~ desu) とし u が無声化されずに発音されるようにした 選択の際には 無声化しかかっているものは検討対象から除外した 得られた 2 つの u の持続時間は [pabasu] から得られた u が 50 ms [pabaʃu] から得られた u が 53 ms であった 133

142 促音判断率 造の違いによって異なる実験結果が得られた可能性がある 一方 日本語話者は音声的に母音がないところに幻の母音を感じることが指摘されており (Dupoux et al. 1999, Dupoux et al. 2001) pabas(l) 系列または pabas(l)-to 系列の刺激は被験者にとっては摩擦音の後に母音 u( または i) があるように聞こえているはずであるから 聞き手側にとって感じられる音という観点からは 2 グループの違いは音節構造ではなく 後続母音の種類の違い (a vs. u/i) であり これによって結果に違いが生じたと考えることも可能である 2 つの可能性のうちどちらによって 2 つのグループの実験結果に差が生じたのかを検討することがこの実験のポイントである 仮に刺激の音声の音節構造の問題であり 母音の種類が関係ないのだとすると pabasu 系列の実験結果は pabasa 系列と同じ傾向 ( 摩擦周波数特性は促音判断に影響を及ぼさない ) となることが予測される 一方 聞き手にとっての後続母音の種類が問題であって 刺激の音声の音節構造は関係ないのだとすると pabasu 系列の結果は pabas(l) 系列または pabas(l)-to 系列と同様の傾向 ( 摩擦周波数特性が sh らしくなるほど促音だと判断されやすい ) が得られるはずである 結果 pabasa 系列や pabas(l) 系列のときと同じ手法でロジスティック回帰分析を行った また probit 分析により促音判断境界 (50% 地点 ) における刺激の摩擦持続時間を求めた 分析の結果 促音判断境界値を見る限りでは摩擦周波数特性が ʃ に近いほど判断境界値の値が低くなる ( 摩擦周波数特性が ʃ らしいほど促音だと判断されやすい ) 傾向が見られた ロジスティック回帰分析の結果 調音点が ʃ( パバシュ パバッシュ ) だと回答されたものと s( パバス パバッス ) だと回答されたものとで結果が異なることを示す複数の交互作用が有意であったため データを分類しなおして個別に分析を行った 摩擦持続時間 (ms) S1, S2 (most sh-like) S3, S4 S5, S6 S7, S8 (most s-like) 図 10. pabasu 系列の促音判断率 pabasu 系列 表 62. pabasu 系列の 50% 促音判断境界値 (ms.) 最も sh らしい 最も s らしい摩擦周波数特性 S 1 S 2 S 3 S 4 S 5 S 6 S 7 S 8 50% 判断境界における 刺激の摩擦持続時間 134

143 その結果 調音点が ʃ( パバシュ パバッシュ ) だと回答された刺激だけを見たときには 摩擦持続時間の主効果は有意であったが (β = 1.052, W 2 = 449.6, df = 1, p < 0.001) 摩擦周波数特性の主効果は有意ではなかった (β = , W 2 = 2.1, df = 1, p = 0.143) また これらの交互作用も有意ではなかった 以上の分析結果は 調音点が ʃ だと回答された刺激だけを見たときには摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断されやすいという傾向は得られたが 摩擦周波数特性が ʃ に近いほど促音だと判断されやすい ( またはその逆 ) という傾向は見られないことを示すものであった 一方 調音点が s( パバス パバッス ) だと判断された刺激だけを見たときには 摩擦持続時間の主効果は有意であり (β = 0.837, W 2 = 186.1, df = 1, p < 0.001) また 摩擦周波数特性の主効果も有意であった(β = , W 2 = 5.5, df = 1, p < 0.05) 交互作用は有意ではなかった 以上の分析結果は 調音点が s だと回答された刺激だけを見たときには摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断されやすく また 摩擦周波数特性が ʃ に近いほど促音だと判断されやすい傾向があったことを示すものであった 考察 pabasu 系列では摩擦周波数特性が促音判断に与える影響に一貫した傾向が見られず 摩擦が sh に近いほど促音だと判断されやすいという傾向は調音点が s だと判断されたものについてのみ観察された 音節構造または摩擦音の位置が重要ならば 摩擦音の周波数特性の影響に関して pabasa 系列と pabasu 系列には差がないが pabasa/pabasu 系列と pabas(l)( または pabas(l)-to 系列 pabas(l) と pabas(l)-to 系列は促音判断に対する摩擦周波数特性の影響の有無に関して同様の傾向を示すので 以下 pabas(l) 系列 で代表させる ) には結果に違いが生じることが予測された 一方 日本語話者にとって聞こえる母音が重要ならば pabasu 系列と pabas(l) 系列では同様の結果が得られるが pabasu/pabas(l) 系列は pabasa 系列と異なる傾向を示すことが予測された しかしながら 今回の pabasu 系列の結果は pabasa 系列 pabas(l) 系列のどちらとも異なる傾向を示すという予想外のものであった 以上のような結果が生じた理由は現状では不明である 表 63. pabasa 系列 pabas(l) 系列 pabasu 系列の結果のまとめ 調音点が sh だと判断されたもの 調音点が s だと判断されたもの pabasa 系列 ( 摩擦の音色の影響なし ) ( 摩擦の音色の影響なし ) pabas(l) 系列 (sh らしいほど促音 ) (sh らしいほど促音 ) pabasu 系列 ( 摩擦の音色の影響なし ) (sh らしいほど促音 ) pabasu 系列の実験は 摩擦周波数特性が促音判断率に与える影響が pabasa 系列と pabas(l) 系列で異なる結果が得られたことに関して それが pabasa 系列と pabas(l) 系列の音節構造の違いによるものなのか それとも日本語話者が存在を感じる母音の質 (a vs. u) によるものなのかを明らかにすることを目的としたものであった pabasa 系列と pabasu 系列の音声は 前半部分 ([pabas-]) は音響的に全く同じで語末の母音の質のみが異なっている (a vs. u) つまり この 2 系列の間の結果の違いは母音の質の違いによって生じたと言うことができる 同様に pabas(l) 系列と pabasu 系列の音声は摩擦音の後に音響的に u が存在するか否かという点が異なっており pabas(l) 系列と pabasu 系列の結果の違いはこの点から生じたものであると言える 128 以上のことから pabasa 系列と pabas(l) 系列の結果の違 128 pabasa 系列と pabasu 系列の比較のときと異なり pabas(l) 系列と pabasu 系列は末尾の母音の存在が異なると同時に摩擦部分の持続時間の設定範囲も異なっている点は指摘しておく必要がある これ 135

144 いは音節構造の違いと日本語話者が感じる母音の違いがともに関与して生じたものと考えられる pabas(l) 系列と pabasu 系列の結果に違いが生じたことは 挿入母音と非挿入母音との間に何らかの相違点が存在する可能性をも示唆するものである Dupoux et al. (1999) や Dupoux et al. (2001) では 日本語話はが子音のクラスターを聞くときに母音が本当は存在しないにも係わらず知覚の段階で幻の母音 u を感じており CC と CuC を区別するのが難しいと報告されているが 本研究の実験において pabas(l) 系列と pabasu 系列の結果に違いが生じたことから 本当の母音 u と 日本語話者が感じる幻の母音の u には何らかの違いがある可能性が示唆される 通常の母音と挿入母音が異なる振る舞いを示す例は外来語のアクセントにおいても報告されている 例えば 同じブで始まる LH の構造を持つ語であっても ブが元の語において挿入母音ではない場合には頭高アクセントになるのに対し ( 例 : ブ ザー (buzzer)) ブが挿入母音である場合にはアクセントの位置が移動する現象が存在することが知られている ( 例 : ブル ー (blue)) このようなことから 日本語話者は知覚において CC と CuC を同じ範疇にカテゴリ化し 意識的には区別することができないが カテゴリ内の音響的差異には敏感である可能性がある 近年の語の知覚 認識に関するモデルとその議論においては 人間は範疇内 (within-category) の音の連続的な違いにも敏感である ( 従来は敏感でないとされていたのに対し ) ことが指摘されており (McMurray et al. 2002, 2009, McMurray and Aslin 2005) 本研究の結果は言語学以外の分野で報告されている見解とも沿うものである s, sh の促音挿入の非対称性 : まとめ語末の s, sh への促音挿入の非対称性は sh により促音を感じやすいという日本語話者の知覚を基盤にして起こっている 英語側には s, sh の持続時間には差が見られないか 見られるとすれば sh の方が若干長いということであるから 英語側には原因がないか または日本語話者の知覚の傾向を促進させる方向に働く 有標性の観点からは sh にわざわざ促音を挿入して有標な重子音を作り出されるのは perceptual similarity を保とうとする力が有標な構造を阻止しようとする力よりも強く働くためだと分析できる つまり 促音挿入における有標性の例外は音声学的観点から説明可能な現象であり 有標性理論における問題とはならない 4.3. 借用語における無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性 ( 有標性の例外 ) とその音声学的基盤続いて 借用語における無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性について議論する s, sh に限らず 閉鎖音に関しても無声閉鎖音には促音が挿入されやすいのに対し 有声閉鎖音には促音が挿入されにくいという非対称性が観察される ( 丸田 2001) 単子音は重子音よりも無標である という有標性の観点からは 無声閉鎖音を含む借用語には促音 ( 重子音 ) が挿入され 積極的に有標な構造が作り出されていると見なせる 本研究ではこれを有標性への例外と捉え このような例外が生じる理由を明ら は実験 4-3 の pabas 系列で見られたように 後続する母音がない場合に促音があると感じられにくくなるため ( おそらく 発話末の延長効果による影響と 話者に母音が無声化していると判断されることによる補正がかかる ( 無声化母音に先行する子音は母音が無声化しない場合に比べて持続時間が若干長くなるため 同じ持続時間であっても促音が感じられにくくなる ) ことによると思われる ) 設定範囲を変えざるを得なかったためのものであった 129 本研究のデータで言えば 例えば pabas(l) 系列において被験者が sh( または s) だと判断したものだけを見たときに摩擦周波数特性が sh に近いほど促音だと判断されやすかったという結果も 聞き手が範疇内の音の連続的な違いに敏感であることを示す好例である 136

145 かにしようと試みる 借用語における s, sh の促音挿入の非対称性同様 無声閉鎖音 有声閉鎖音の促音挿入の非対称性が生じる理由 ( 特に 無声閉鎖音に促音が挿入される理由 ) も明らかにされているとは言えない 以下では まず先行研究を概観し 閉鎖音に対する促音挿入の非対称性の原因は英語の音声的特徴にある可能性が極めて高いことを指摘する そして 産出実験に基づき 英語の無声閉鎖音と有声閉鎖音の音声的特徴の違いから非対称性が生じる理由を説明可能であることを示す 先行研究 : 非対称性 ( 有標性の例外 ) の音韻的事実無声閉鎖音 有声閉鎖音のうち 有声閉鎖音に促音が挿入されないことについては様々な点から容易に説明が可能である まず 有声閉鎖音の重子音は空気力学的 (aerodynamics) な観点から見て産出が困難である (Hayes and Steriade 2004) また 同様の理由から有声閉鎖音の重子音は閉鎖区間中の声帯振動を維持するのが困難になるため 音声的に見ると無声閉鎖音の重子音と近くなってしまい 結果として正しく知覚されにくい (Kawahara 2006) さらに 日本語はもともと有声閉鎖音の重子音を許容しない言語である (Kawahara 2006) しかしながら これらは有声閉鎖音に促音が挿入されない理由の説明にはなっても 無声閉鎖音に対して促音が挿入されるという事実に対する説明にはならない 無声閉鎖音に促音を挿入しなくても 日本語の音韻制約上何も問題にならないにもかかわらず わざわざ促音が挿入されるという音韻事実は 有標性の観点からも産出の労力の観点からも不可思議な現象である (4.1. 参照 ) ことから 説明が必要なのは無声閉鎖音に対して促音が挿入される理由であって 有声閉鎖音に促音が挿入されない理由ではない s, sh の非対称性同様 無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性 ( 無声閉鎖音に促音が挿入される ) についても 産出的要因による説明は困難である 表 64 は Kirchner (2001) の産出の労力を計算するモデル ( 表 42) から閉鎖音に関する部分を抜き出したものである これによると 単子音では無声閉鎖音の方が有声閉鎖音よりも産出の労力が大きいとされているのに対し 重子音では有声閉鎖音の方が無声閉鎖音よりも産出の労力が大きいとされている このことから 有声閉鎖音は無声閉鎖音に比べてより単子音になりやすいことが予測され この点においては有声閉鎖音には促音挿入が起こりにくいという借用語のデータと矛盾しない しかし Kirchner のモデルでは無声 有声を問わず重子音の閉鎖音は単子音の閉鎖音よりも産出にかかる労力が大きいとされているため 結果的には有声閉鎖音 無声閉鎖音ともに促音が挿入されないことが予測される 実際の借用語のデータにおいては無声閉鎖音には促音が挿入されるため 産出的観点による説明は非対称性が生じる理由の説明としては不十分である 表 64. 閉鎖音の算出にかかる労力 (Kirchner 2001: 206, rate/register A) p, t, k 85 pp, tt, kk 90 b, d, g 75 bb, dd, gg 93 借用語における無声閉鎖音 有声閉鎖音への促音挿入の非対称性に対する音声学的説明に関係する 先行研究として 川越 荒井 (2007) や Takagi and Mann (1994) を挙げることができる 川越 荒井 (2007) は同じ無声閉鎖音であっても語内の位置や前後の音韻環境によって促音挿入の起こりやすさに差があ 137

146 るという音韻事実 130 を説明するため 英語話者が発音した英語風の無意味語 [tɛk], [tɛkt], [tɛkɪn]( キャリア文は The is there. ) を日本語話者に聴取させ [k] の部分に促音が聞かれるかどうかを調べる実験を行った また 刺激とした用いたトークンごとに k の音響的特徴 (C/W 値 ( 子音持続時間 語の持続時間 ) C/preV( 子音持続時間 先行母音の持続時間 ) 単語長 ) を調べ それと知覚実験の結果との対応を調べた その結果 英語の無声閉鎖音 (k) に促音が聞こえるか否かはその音声の C/W 値 ( 子音持続時間 語の持続時間 ) や C/preV( 子音持続時間 先行母音の持続時間 ) 単語長などの時間的指標が日本語の促音の領域にあるかどうかに関係しており よって促音が感じられるのは英語の音声の側に原因がある可能性が高いことを指摘した また Takigi and Mann (1994) は 英語音声を日本語話者に聴取させる実験が行った結果 必ずしも刺激音声の持続時間だけで説明できるわけではないが 促音判断率は刺激音声の子音持続時間とある程度関係があったと報告している 川越 荒井 (2007) も Takagi and Mann (1994) も 英語の無声閉鎖音を含む語の知覚を扱ったもので 借用語における無声閉鎖音 有声閉鎖音への促音挿入の非対称性自体を説明しようとしたものではないが これらの研究から 無声閉鎖音に促音が挿入される原因は英語の側にある可能性が高いことが示唆される さらに 英語の音素の持続時間を計測した先行研究から 英語の音声的特徴に基づく分析により 無声閉鎖音に促音が挿入されることだけでなく 無声閉鎖音と有声閉鎖音の促音挿入に非対称性が生じることも説明できる可能性がある 英語の閉鎖音の子音持続時間 ( 閉鎖区間 release) は無声閉鎖音の方が有声閉鎖音よりも長いことが知られている (Lisker 1957a, Crystal and House 1988a) 一方 閉鎖音に先行する母音の持続時間は 無声閉鎖音に先行する母音よりも有声閉鎖音に先行する母音の方が長い (Lisker 1957a, Zimmerman and Sapon 1958, Delattre 1962, Chen 1970, Klatt 1973, Gruenenfelder and Pisoni 1980, Crystal and House 1988a, 他 ) 以上の音声的事実と 促音判断に関係するとされる C/W 値や C/preV 値との関係を考えて見ると これら 2 つの指標における分子は C( 子音持続時間 ) であることから 子音持続時間が長い無声閉鎖音では有声閉鎖音に比べてこの指標は高い値を取る ( 分母が一定であれば ) ことが予測される また 分母は先行母音が短い無声閉鎖音のときに有声閉鎖音よりも小さな値を取るから 結果として 分子が一定であると仮定すれば指標の値はやはり無声閉鎖音のときに大きな値を取ることが予測される 以上のことから C/W や C/preV は無声閉鎖音のときに ( 有声閉鎖音と比較して ) 大きな値を取ることが予測される 日本語における促音は非促音に比べてこれらの指標の値が高いことから 指標の値が高い ( と予測される ) 英語の無声閉鎖音は有声閉鎖音に比べて日本語話者に促音があると判断されやすいはずである つまり 川越 荒井 (2007) による説明により 借用語で無声閉鎖音に促音が挿入されやすいことと同時に 無声閉鎖音と有声閉鎖音に非対称性が生じることも統一的に捉えることができる可能性がある 以下では この仮説を検証するために産出実験を行い C/W や prev が無声閉鎖音において有声閉鎖音よりも高い値を取るかどうか また 無声閉鎖音の C/W や C/preV が日本語の促音の領域に分布しているかどうかを確認する 130 本研究で扱っているのは対象となる子音が語末である場合に限られているが 促音挿入の非対称性は語内の位置や前後の音韻環境によっても生じることが指摘されている ( 大江 1967) 語内の位置による非対称性の例としては 同じ [pɪk] という音連鎖であっても pick のように k が語末にある場合には促音が挿入されて ピック になるのに対し picnic のように [k] が語末から離れた位置に来ると促音が挿入されず ピクニック となる例が有名であり 他にも wash - Washington といった例がある 前後の音韻環境によって促音挿入の起こりやすさが異なる例には duck( ダック )- duct( ダクト ) などのように 語末が単子音であるときと子音連続であるときとで同じ [k] であっても促音が挿入されやすさが異なる例がある 138

147 音声学的説明 : 英語話者に対する産出実験 ( 実験 4-5) 実験 4-5: 概要分析に用いるデータベースは s, sh の産出実験において 4 名の日本語話者 ( 男性 2 名 女性 2 名 ) 2 名の英語話者 ( 前出の 2 名 ) に発音してもらった音声である 分析対象とする語およびその後が入れて読まれたキャリア文は以下のとおりであった なお 各被験者は自分の母語の単語のみを発音している ( 例えば 日本語話者は日本語のキャリア文に各語を入れたもののみを発音し 英語のキャリア文は読まなかった ) 既述のとおり データベースには各被験者の各語の 10 回分の発話がキャリア文に入れた状態と単独の状態のそれぞれについて存在する これらの発話について C/W C/preV C/postV を求め 分析に用いた 131 表 65. データベースに含まれる語 日本語 英語 pabasu pabaqsu pabas pabashu pabaqshu pabash ターゲット語 pabapu pabaqpu pabap pabaku pabaqku pabak pabab pabag キャリア文 これは~です Say _ again. 予測この分析においては 英語の無声閉鎖音 (p, k) と有声閉鎖音 (b, g) の持続時間の分布が異なっているか そして それらが日本語の非促音 促音の領域の領域のどちらに属しているかを調べる 当然のことながら 日本語の促音は非促音よりも子音持続時間がより長い方向に分布することが予測される 英語の子音持続時間に関しては 先行研究から 英語の無声閉鎖音は有声閉鎖音よりも持続時間が長い (C/preV や C/postV などの指標に基づけば これらの値が高い ) ことが予測される その上で 英語の無声閉鎖音は日本語の促音の領域に属するのに対し 英語の有声閉鎖音は日本語の非促音の領域に属するという結果が得られれば 借用語に見られる無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性は英語の音声的特徴に原因があって生じたと見なすことができる 一方 仮に英語の無声閉鎖音と有声閉鎖音の持続時間に差がなければ 借用語の非対称性の原因を英語の音声的特徴に帰することはできないことになる また この分析においては すでに議論した s, sh についても日本語と英語の持続時間の分布の重なりについても議論する 借用語における s, sh への促音挿入の非対称性は日本語話者が sh に促音を感じやすいという知覚的な特徴を持っているために生じたということを議論したが 英語側の原因については英語の s, sh の持続時間に大きな差がないということ以外には 特に議論してこなかった 日本語話者の知覚において見られた摩擦の音色の影響 (sh により促音を感じやすい ) は促音判断においては 131 川越 荒井 (2007) では語全体の持続時間も指標の一つとして挙げられているが 本研究の被験者は同一言語内であっても発話速度にばらつきがあったため 指標としての信頼性にかけると判断して分析から除外した 同様の理由で 子音の絶対持続時間も発話速度の影響を大きく受けるために分析から除外した 139

148 C/preV 2 次的な手がかりであり 132 一般に 2 次的な手がかりは主要な手がかりの情報が曖昧なとき ( 促音 非促音の判断で言えば 子音持続時間が判断境界付近にあるとき ) に強く影響する (Mann and Repp 1980, Whalen 1981, 1991, 他 ) つまり sh に促音を感じやすいという日本語話者の知覚が促音判断に最も強く影響するのは 英語の s, sh が日本語の促音 非促音の境界付近に分布しているときであることになり このときには s, sh の促音挿入の非対称性が日本語話者の知覚によって生じた可能性が非常に高いことになる 逆に 英語の s, sh の分布が日本語の促音 非促音の境界付近から離れれば離れるほど 摩擦の音色の影響は生じにくいことになり 日本語話者の知覚は s, sh の非対称性を生じさせる要因の一つではあることは間違いないけれども その影響はそれほど大きくないと解釈されることになる 結果まず 言語ごとの結果を提示し その後言語間の比較を行う なお すでに報告したように英語および日本語の s, sh の持続時間には実質的な差がないという結果が得られているが 閉鎖音に関する仮説 ( 英語側原因説 ) が s, sh についても当てはまるかどうかを確かめておくこと ( 英語の s, sh の持続時間が日本語話者の s, sh の非促音 促音のどちらの領域に属するかを調べておくこと ) は有意義である よって 以下では無声閉鎖音 有声閉鎖音の他に s, sh についても同様の分析を行った 日本語日本語については 閉鎖音 摩擦音ともに非促音 促音の分布ははっきりと分かれていたが 非促音 促音の分布がよりはっきりと分かれているのは閉鎖音の方であった 図 11~ 図 14 は X 軸に C/W を Y 軸に C/preV の値をとって散布図を描いたものであるが 閉鎖音の方が摩擦音よりも分布が明確に分かれていることが見て取れる この傾向は語がキャリア文中にある場合でも 単独で発音された場合でも同じであった 李 (2007) でも 閉鎖音に比べて摩擦音の C/preV 値は重なりの度合いが強いという指摘がなされており この点において本研究の分析結果は李 (2007) の分析結果を追認するものであった C/W 非促音 p, k( 文中 ) 促音 p, k( 文中 ) 図 11. 日本語の閉鎖音 (p, k) の促音 非促音の分布 ( キャリア文中 ) 132 促音 非促音の判断における主要な手がかりは子音持続時間である ( 藤崎 杉藤 1977) 140

149 C/preV C/preV C/preV 非促音 s( 文中 ) 促音 s( 文中 ) 非促音 sh( 文中 ) 促音 sh( 文中 ) C/W 図 12. 日本語の s, sh の促音 非促音の分布 ( キャリア文中 ) C/W 非促音 p, k( 単独 ) 促音 p, k( 単独 ) 図 13. 日本語の閉鎖音 (p, k) の促音 非促音の分布 ( 単独発話 ) C/W 非促音 s( 単独 ) 促音 s( 単独 ) 非促音 sh( 単独 ) 促音 sh( 単独 ) 図 14. 日本語の s, sh の促音 非促音の分布 ( 単独発話 ) 141

150 C/postV C/postV Y 軸に postv をとって散布図を描いた場合 ( 図 15 図 16) にも同様のことが当てはまる 図から C/postV は最も非促音 促音の分布の重なりが多く C/W が最も分布が分かれていることがわかる つまり 今回の分析結果においては C/preV および C/W が C/post V に比べて信頼できる指標であった 133 Hirata (2007) は促音 非促音を最も正確に分類できる指標は C/postV であると述べており この点で本研究の結果と Hirata (2007) の見解は矛盾するようにも見えるが Hirata (2007) の議論は促音に後続する音節の母音が a, e, o である語のみをターゲット語として分析したときの結果であり 本研究 ( 促音に後続する音節の母音が u) とは条件が異なることは指摘しておく必要がある この点については今後の検討課題とするが 尐なくとも本研究のデータベースに基づいた場合 C/preV または C/W によって促音 非促音の違いを説明できるといえる 非促音 p, k( 文中 ) 促音 p, k( 文中 ) C/W 図 15. 日本語の閉鎖音 (p, k) の促音 非促音の分布 (C/postV を用いた場合 ) C/W 非促音 s( 文中 ) 促音 s( 文中 ) 非促音 sh( 文中 ) 促音 sh( 文中 ) 図 16. 日本語の s, sh の促音 非促音の分布 (C/postV を用いた場合 ) 133 これは すでに報告したとおり 本研究のデータベースにおいては C/post V の値のばらつきが最も 大きかったことからも納得がいく結果である 142

151 C/preV C/preV 英語英語に関しても キャリア文に入れた状態および単独発話のデータについて X 軸に C/W を Y 軸に C/preV の値をとって散布図を描いた ( 図 17~ 図 20) 閉鎖音に関しては 無声閉鎖音は C/W prev とも有声閉鎖音よりも高い帯域に分布していた これは英語の無声閉鎖音の方が有声閉鎖音よりもより日本語の促音に近い方向に分布していることを示すものであり 音韻的な事実と同じ方向性を指すものである 摩擦音 s, sh に関しては分布はほぼ重なっており 音韻的な事実とは沿わない結果が得られた すでに議論したように 英語の s, sh の持続時間や C/W などの指標には有意な差は見られなかったことから このように s, sh の分布が重なることは予測の範囲内である 以上の傾向は 語がキャリア文中にある場合にも単独で発音された場合にも当てはまる傾向であったが 相対的な位置関係は文中も単独も大きく変わらないのに対し 各指標の値は文中と単独とでは大きく異なっていた ( この点で日本語とは大きく異なっている ) この点については後ほど言語間の比較の際に詳しく議論する C/W 英語 p, k( 文中 ) 英語 b, g( 文中 ) 図 17. 英語の無声閉鎖音と有声閉鎖音の分布 ( キャリア文中 ) C/W 英語 s( 文中 ) 英語 sh( 文中 ) 図 18. 英語の s, sh の分布 ( キャリア文中 ) 143

152 C/preV C/preV C/W 英語 p, k( 単独 ) 英語 b, g( 単独 ) 図 19. 英語の無声閉鎖音 有声閉鎖音の分布 ( 単独発話 ) 英語 s( 単独 ) 英語 sh( 単独 ) C/W 図 20. 英語の s, sh の分布 ( 単独発話 ) 日本語と英語の比較ここでの議論の目的は 英語や韓国語の音声が日本語の非促音 促音のどちらに近いのかを考察することである 前出のデータに基づき 日本語 英語の比較を行う まず 英語と日本語の音声を C/W と C/preV を指標とする散布図に基づいて比較する 図 21~ 図 24 は上で報告した日本語と英語の散布図を重ね合わせ 比較しやすくしたものである ここで重要な点は 英語では文中か単独かによって C/W や C/preV の値が大きく変動するのに対し 日本語では相対的に文中か単独かによる値の変動が尐ないことである この結果 文中では英語の閉鎖音 摩擦音はともに日本語の非促音の領域に分布することになるのに対し 単独では有声閉鎖音を除けば日本語の促音の領域に分布することになる ( 無声閉鎖音に関しては非促音と促音の領域の中間に位置しているようにも見えるが 川越 荒井 (2007) が挙げている 3 モーラ語 4 モーラ語の C/W 最適境界値 (0.27) に照らし合わせて見ると ほとんどは促音の領域に入っているものと見なせる ) 英語の有声閉鎖音は文中 単独とも日本語の促音の領域に入り込むことはなかった これは英語からの借用語において有 144

153 声閉鎖音に促音が挿入されにくいという事実とも矛盾しない結果である 134 英語において文中と単独発話の結果に違いが生じた理由は 発話末延長の影響である可能性が高いと考えられる 英語の音声が日本語の促音の領域に達する場合があるのは 語が単独で発話された場合のみであった こうした事実を踏まえると 借用語の促音挿入を議論するに当たっては日本語話者にとってどちらの環境がより日本語話者にとっての典型的な英語の音声となりうるのかを考えて見る価値がある 英語を学習する日本語話者にとって ある単語を学習する際に典型的な文脈は文中であるか単独であるかを考えて見た場合 筆者はおそらく単独発話がより典型的なのではないかと推測する 例えば 学校の英語の授業において 教科書の新出単語を教える場合には教師は語をまず単独で発話するであろうし 学習する側もまずは語を単独で聞き 覚えるはずである 以上はあくまで推測であるが これが正しいとすれば英語からの借用語において無声閉鎖音に促音が挿入されるのに対し 有声閉鎖音には促音が挿入されないのは英語の音声に原因があると考えることができる このように考えると 例えば picnic( ピクニック ) のように語末に近い位置にのみ促音が挿入される理由も英語の音声側に原因があるものとして説明できる可能性がある すなわち 単独で発音された場合 picnic の nic の /k/ は発話末であるために 同じ /k/ でも文中にある pic の /k/ と比べて C/W などの指標がより日本語の促音の領域に近くなり 語末に近い位置にのみ促音が挿入されるというシナリオである もちろん これはあくまで推論であるため この点については今後検証していかなければならない s, sh に関しては 予測において議論したように 日本語話者の知覚が促音挿入の非対称性の原因であれば 英語の s, sh は日本語の s, sh の非促音 促音の分布の中間付近に分布していることが期待された しかしながら 本研究のデータにおいては 英語の s, sh の間にはすでに議論したとおり分布に差はなく これらは文中であれば日本語の促音の領域に 単独発話であれば促音の領域に分布していた 日本語話者の知覚において見られた sh に促音を感じやすいという摩擦の音色の影響は 2 次的な手がかりであるため 英語の s, sh が日本語の非促音 促音の分布の境界付近にあるときに最も強く働き 境界から離れるほどその影響は弱くなっていくと考えられる 今回のデータにおいては 文中 単独発話ともに促音または非促音の領域に入り込んでいたため 日本語原因説の立場にとっては非常に残念なことであるが このデータを忠実に解釈すれば 日本語話者の知覚という要因は必ずしも強い影響を及ぼすものであるとは言えないことになる 一方 日本語原因説に救いがあるとすれば 日本語の閉鎖音の非促音 促音の分布に比べると摩擦音の非促音 促音の分布は相対的にはっきりとした別れ方をしていないという点である ( 李 (2007) においても閉鎖音に比べて摩擦音の C/preV 値は重なりの度合いが強いという指摘がなされているため 本研究で得られた閉鎖音と摩擦音の分布の仕方の違いは偶然生じたものではないと思われる ) 持続時間に基づく指標に基づいたときに非促音と促音との分布がはっきり分かれないということは 2 次的な手がかり すなわち摩擦の音色の影響が働く余地が残されていることになる 以上のことから sh に促音を感じやすいという日本語話者の知覚はそれ単独で借用語の促音挿入の非対称性を説明できるほど強い要因とは言えないが 促音挿入において比較的強く働く要因の一つであると結論付けることができる このような英語の音声的特徴から 有声閉鎖音に促音が挿入されにくい理由は aerodynamics や日本語の音韻制約 ( もともと有声阻害音の重子音が存在しない ) などの理由を持ち出すまでもなく説明できる 逆に 英語の有声閉鎖音があまりにも非促音の領域に位置しているため bag( バッグ ) など促音が入る例も存在する理由を説明できなくなってしまい むしろ問題となる可能性がある 135 日本語話者の知覚という音声学的要因以外に 例えば Kubozono et al. (2008) で議論されている s の音節性の喪失 などの音韻的要因も関与しているはずである 145

154 C/preV C/preV C/preV C/W 非促音 p, k( 文中 ) 促音 p, k( 文中 ) 英語 p, k( 文中 ) 英語 b, g( 文中 ) 図 21. 日本語と英語の閉鎖音の分布の比較 ( キャリア文中 ) 非促音 s( 文中 ) 促音 s( 文中 ) 非促音 sh( 文中 ) 促音 sh( 文中 ) 英語 s( 文中 ) 英語 sh( 文中 ) C/W 図 22. 日本語と英語の s, sh の分布の比較 ( キャリア文中 ) C/W 非促音 p, k( 単独 ) 促音 p, k( 単独 ) 英語 p, k( 単独 ) 英語 b, g( 単独 ) 図 23. 日本語と英語の閉鎖音の分布の比較 ( 単独発話 ) 146

155 C/preV C/W 非促音 s( 単独 ) 促音 s( 単独 ) 非促音 sh( 単独 ) 促音 sh( 単独 ) 英語 s( 単独 ) 英語 sh( 単独 ) 図 24. 日本語と英語の s, sh の分布の比較 ( 単独発話 ) 英語からの借用語で無声閉鎖音と有声閉鎖音への促音挿入に非対称性が見られる理由については以上のように英語側の原因として説明できるとしても 摩擦音 s, sh の非対称性については別の説明を考える必要がある なぜなら 英語の音声においては s, sh の間には差が無く 単独発話であれば英語の s, sh はともに日本語の促音の領域に分布しているため 以上の説に基づけば 借用語において s にも sh にも促音が挿入されることが予測されてしまうためである この点については これまでと視点を変えてみることである程度の説明が可能であると考える 一般に 借用語における s, sh の非対称性については なぜ sh に促音が入るのか? という疑問に基づいて議論がなされる 一方 英語の音声の分析に基づくと ( 単独で発話された場合であれば )s にも sh にも促音が入るはずなのに なぜ s にだけ促音が入らないのかという視点から議論することができる 本研究の知覚実験では 統計的検定の結果 日本語話者は sh に促音を感じやすい という視点から議論してきたが この結果は 日本語話者は s に促音を感じにくい と言い換えることができる ( 統計的にはあくまで sh と s の相対的な比較をしているだけであるので 完全に言い換えることが可能である ) つまり s, sh の非対称性の問題に関しては s, sh のどちらにも促音が入っておかしくないのに 日本語話者は s に促音を感じにくいという知覚上の特徴を有しているので これが s を含む語が借用されて定着する際に促音挿入をブロックする働きをして その結果として s, sh の非対称性が生じたと考えることもできる s, sh の非対称性のみを考えるのであれば どちらの考え方を採っても問題は無いが 閉鎖音に生じる促音挿入なども考慮に入れた場合には 日本語話者が s に促音を感じにくいために入るはずだった促音がブロックされたと考えた方が全体の体系をうまく説明できる まず 川越 荒井 (2007) と同様に 英語の音声的特徴 (C/W 値 C/preV 値など ) が促音挿入を生じさせる主要因であると想定する すると 閉鎖音に生じる非対称性 ( 無声閉鎖音には促音が挿入されやすいのに対し 有声閉鎖音には促音が挿入されにくい ) は 本研究の分析結果 ( ただし 語単独の発話の場合 ) において無声閉鎖音は促音の領域に分布していたのに対し 有声閉鎖音は非促音の領域に分布していたことから この非対称性に対しては英語の音声における C/W 値 C/preV 値によって説明が可能である 次に 摩擦音 s, sh に生じる非対称性については 英語の音声的特徴に基づけば s, sh ともに促音が入るはずであるが 本研究の実験結果において日本語話者が sh に比べて s には促音を感じにくいという知覚の傾向を持っているため s には促音が挿入されにくい傾向が見られると説明することができる もちろん s に促音が挿入されにくいという知覚実験の結果が ほとんどの語において s には促音が挿入されないとい 147

156 う音韻事実を完全に説明できるのかどうかは今後別に検討していかなければならない 136 また 本研究では t, d は日本語話者の産出上の問題 (t, d に対する典型的な挿入母音は u ではなく o) から英語や韓国語との比較が難しかったため分析の対象外となっている 有声閉鎖音の中でも d には促音が挿入されることが比較的多いと思われるため (bad baqdo, bed beqdo, dead deqdo, good guqdo, kid kiqdo, mad maqdo, pad paqdo) d になぜ促音が挿入されるのかという点も今後検討すべき課題である 尐なくともここで指摘したいことは 無声閉鎖音と sh 有声閉鎖音と s は英語からの借用語において促音が挿入されるグループと促音が挿入されないグループに分けられるように見えるが 無声閉鎖音 有声閉鎖音間に生じる非対称性と s, sh の間に生じる非対称性はそれぞれ別のメカニズムによって生じていると考えることが可能であることである 表 66. 無声閉鎖音 有声閉鎖音および s, sh の促音挿入の非対称性とその原因 非対称性 1 非対称性 2 促音が挿入される 促音が挿入されない 促音が挿入される 促音が挿入されない 無声閉鎖音 有声閉鎖音 sh s 原因 英語側 ( 英語の音声 ) 英語側 ( 英語の音声 ) 英語側 ( 英語の音声 ) 日本語話者の知覚 韓国語話者の産出との比較原語の音声的特徴 (C/W 値 C/preV 値など ) が促音挿入を生じさせる主要因であると想定することの利点は 韓国語のデータについても統一的に説明ができることにある 以下では韓国語と日本語の音声を C/W と C/preV を指標とする散布図に基づいて比較し 英語に関して行った説明が韓国語からの借用語に生じる促音挿入についても説明できることを示す 韓国語からの借用語においては 平音には促音が挿入されないのに対して濃音には促音が挿入されるという音韻事実が存在する 平音に促音が挿入されないのは 一つには摩擦音を除く平音が有声音間 ( 典型的には母音間 ) で有声化するということから説明がつく すなわち 日本語では一般に有声阻害音の促音は禁じられるため 平音には促音が挿入されにくい また 閉鎖音の場合 語末の平音は release を伴わない無声閉鎖音として実現するため 促音の知覚にとって重要な子音持続時間を測ることが困難である ( 音声学の知識がなく 韓国語を知らない日本語話者にとっては そもそも子音が存在することがわからない ) よって 語末の平音( 閉鎖音 ) に促音が挿入されないことは必ずしも不思議な現象ではない 問題は 濃音に促音が挿入されるという点にある 日本語話者の促音 非促音の判断に重要な要因の一つは子音持続時間であるが ( 藤崎 杉藤 1977) 例えば閉鎖音の系列であれば濃音は閉鎖区間が平音に比べて一般に長いため 濃音に促音が挿入されやすい理由はここにあるものと推測される つまり 韓国語の濃音への促音挿入も 英語に対して行ったのと同様に 日本語における促音 非促音の持続時間の分布と韓国語の濃音の持続時間の分布を比較することで説明できる可能性がある 以下では 日本語および韓国語の産出データに基づき この比較を行う 136 摩擦音は閉鎖音に比べて非促音と促音の分布が重なる傾向があるため こうした知覚的な要因が関与する余地があるのではないかと考える 148

157 C/preV 韓国語のデータ韓国語の発話のデータベースは 2 名の韓国語話者 ( 女性 2 名 ) に発音してもらった音声である ターゲット語およびキャリア文は実験 4-5 の概要に挙げたとおりであった t, d については日本語に取り入れられる際に後続母音が o になるのが一般的であり 挿入母音の違いが C/W などの指標の値に影響する可能性があるためにターゲット語には入れなかった また 韓国語では文字表記上 Coda に現れうる濃音は k のみであるので それに合わせて両唇音の系列はターゲット語には入れていない 各語を韓国語 ( ハングル ) で表記したリストを作成し 日本語話者 英語話者に対して行ったのと同様の手法で 単独およびキャリア文に入れた状態の 2 通りでそれぞれ 10 回ずつ発音してもらった 表 67. 韓国語のターゲット語 韓国語 pabas( 平音 ) ターゲット語 pabas ( 濃音 ) pabak( 平音 ) pabak ( 濃音 ) キャリア文 nɛka _e ka. (I go to ~.) 韓国語の語末の平音 濃音は 閉鎖音の場合 後ろに onset を持たない助詞 ( 今回のキャリア文では -e ) が続く環境ではそれぞれ音声的に有声閉鎖音 無気無声閉鎖音として実現し 摩擦音の場合 それぞれ無声摩擦音として実現する 一方 単独の発話では子音が語末環境に置かれるため 韓国語の音韻規則により s, s はともに release のない t に k, k はともに release のない k として実現し ( 中和現象による ) 音響的な計測が不可能であった よって 以下ではキャリア文の音声のみに基づいて議論する 日本語 英語と同様に X 軸に C/W を Y 軸に C/preV の値をとって散布図を描いた ( 図 25 図 26) 閉鎖音 摩擦音とも 平音と濃音の分布は明らかに異なっており C/W C/preV ともに濃音は平音よりも高い帯域に位置していた これは濃音が平音よりも日本語の促音に近い領域に分布していることを示しており 音韻的な事実とも沿うものであった 韓国語平音 k( 文中 ) 韓国語濃音 k( 文中 ) C/W 図 25. 韓国語の閉鎖音 (k) の平音 濃音の分布 ( キャリア文中 ) 149

158 C/preV C/preV C/preV 韓国語平音 s( 文中 ) 韓国語濃音 s( 文中 ) C/W 図 26. 韓国語の s の平音 摩擦音の分布 ( キャリア文中 ) C/W 非促音 p, k( 文中 ) 促音 p, k( 文中 ) 韓国語平音 k( 文中 ) 韓国語濃音 k( 文中 ) 図 27. 日本語と韓国語の閉鎖音の分布の比較 ( キャリア文中 ) 非促音 s( 文中 ) 促音 s( 文中 ) 非促音 sh( 文中 ) 促音 sh( 文中 ) 韓国語平音 s( 文中 ) 韓国語濃音 s( 文中 ) C/W 図 28. 日本語と韓国語の摩擦音の分布の比較 ( キャリア文中 ) 150

159 図 27 と図 28 は日本語と韓国語のデータを重ね合わせて表示したものである いずれの図においても 閉鎖音 摩擦音ともに韓国語の平音は日本語の非促音の領域に分布していたのに対し 濃音は日本語の非促音と促音の境界あたりから促音の領域にかけて分布していた 日本語話者にとって韓国語の平音には促音があるように聞こえない ( 例 : 朴 ( パク ) の語末子音は無声閉鎖音 k であり 英語と同じ条件であるはずなのにパックとはならない ) のに対し 韓国語の濃音は促音が入っているように聞こえることが知られているが 以上の音響的指標に基づく平音 濃音と日本語の非促音 促音の分布の比較の結果と同じ方向性を示すものである 実際に 音響分析に用いた韓国語の発話をそのまま刺激として用いて ( 平音 k 濃音 k 平音 s 濃音 s のそれぞれについて各 6 つ (1 人の被験者から 3 つ分 ) ずつ無作為に選び出して刺激とした 各刺激は 4 回ずつ提示された ) 日本語話者 6 名に聞いてもらいターゲット語に促音が入っていると感じるか否かを答えてもらう知覚実験を行ったところ 促音があると判断された率は平音の k で 0.7%(1/144) 平音の s で 18.9%(27/143) 濃音の k で 100% (144/144) 濃音の s で 97.2%(137/141) であり 音響的な指標と実際の知覚に見られる傾向がほぼ一致した まとめ以上のように 原語の音声的特徴 (C/W 値 C/preV 値など ) が促音挿入を生じさせる主要因であると想定することで 英語からの借用語および韓国語からの借用語に促音が挿入される場合とされない場合があることを ( 完全とはいえないとしても ) 説明できるという利点がある また このように想定したときに問題となりうる s, sh の非対称性については 日本語話者が s には促音を感じにくい という知覚的な要因によって ( こちらも完全とはいえないにしても ) 説明が可能である 借用語における促音挿入はあえて有標な構造を作り出そうとしている点において有標性の例外とも思われる現象であるが これらは原語の音声的特徴と 日本語話者の知覚 ( 知覚的類似性に合わせて借用しようとする力 ) という音声学的な要因によって生じたものだと見なすことができる 4.4. 借用語における x (h), f (ɸ) の非対称性 ( 有標性の例外 ) とその音声学基盤最後に 借用語における x (h), f (ɸ) の促音挿入の非対称性について考察する 借用語において x には促音が挿入されるのに対して f には促音が挿入されにくいという音韻的非対称性が観察されるが (Tews 2008) このような非対称性が生じる理由はやはり明らかにされていない 以下では x (h), f (ɸ) への促音挿入の非対称性の音声学的基盤を探っていく まず x, f の知覚に関する先行研究を概観し x (h), f (ɸ) の非対称性が生じる理由は日本語話者の知覚に原因があるとされていることを確認する そして 日本語話者の知覚が非対称性の原因として妥当なものであるといえるかを知覚実験を行うことで考察していく 先行研究 : 非対称性 ( 有標性の例外 ) の音韻的事実 s, sh や無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性と同様 x (h), f (ɸ) の非対称性についても 産出的要因による説明は困難である 表 68 は Kirchner (2001) の産出の労力を計算するモデル ( 表 42) から x (h), f (ɸ) に関する部分を抜き出したものである これによると x, f, ɸ のいずれについても単子音よりも重子音の方が産出の労力が大きいとされている また h については Kirchner (2001) において重子音の産出の労力の値が示されていないが 他の子音はいずれも重子音の方が産出の労力が大きいことを考え 151

160 れば h についても単子音よりも重子音の方が労力を要すると想定してもよいであろう よって Kirchner (2001) のモデルが正しいと仮定すれば 産出的観点からは x (h) f (ɸ) ともに促音が挿入されないことが予測される しかし 実際の借用語のデータにおいては x (h) には促音が挿入されるため 産出的観点は非対称性が生じる理由の説明としては不十分である 表 68. x (h), f (ɸ) の算出にかかる労力 (Kirchner 2001: 206, rate/register A) f 91 ff 105 h 60 hh ɸ, x 70 ɸ ɸ, x x 105 借用語の x (h), f (ɸ) の促音挿入に音韻的非対称性が観察されることを指摘した研究は古くから存在しているが ( 大江 1967, Tews 2008) その理由について科学的な手法に基づいて議論した研究は 筆者の知る限りでは 以下で挙げる Tews(2008) を除いて存在しない Tews (2008) はドイツ語の [x] ([ç]), [f] を含む無意味語 ( 語の音節構造は CVC, CCVC, CVCən の 3 タイプで C の位置に [x] ([ç]), [f] また V にはドイツ語の 5 つの短母音 [a], [ɛ], [ɪ], [o], [u] が入る ) を日本語話者に聴取させる実験を行った 計 30 語の無意味語はそれぞれドイツ語話者により 2 回ずつ発音され それを録音したものが刺激として 12 名の日本語話者に提示された 被験者に課せられたタスクは 刺激を聞いてそれが実験者があらかじめ用意した 2 択の選択肢のうちどちらであったかを選ぶというものであった 選択肢のうち片方は非促音 もう片方は促音を含むカタカナ語であった ( 例えば [flox] という刺激については フロホ フロッホ の 2 つが選択肢として提示された ) また 被験者には 2 択のうちどちらにも聞こえない場合に その他 という第 3 の選択肢を選ぶことが許された ( いずれも回答も 促音判断の有無という点から分析された ) Tews の報告によると 刺激の [f] と [x] ([ç]) の摩擦持続時間には差がなかったのにもかかわらず 137 日本語話者は[f] よりも [x] ([ç]) に促音を感じやすい傾向が見られ これは実際の借用語のパターンと共通するものであった また Tews は先行母音による促音判断率の影響として一貫した影響は見られないことから 母音の質が促音判断に与える特定の影響はないと結論付けた Tews (2008) の実験からは借用語の [x] ([ç]) と [f] に観察される促音挿入の非対称性は原語の音声ではなく日本語話者の知覚 すなわち日本語側の原因によって生じていることが示唆される また Tews (2008) の実験結果は s, sh に関して見られたのと同様に 摩擦の音色が [x] ([ç]) であるか [f] であるかによって日本語話者の促音判断境界が異なっている可能性を示唆するものでもある これが正しければ 摩擦音について観察される音韻的非対称性を促音判断に対する摩擦の音色の影響という観点から統一的に説明できることになる しかしながら Tews (2008) の実験の刺激はドイツ語話者の音声をそのまま刺激として用いたものであるため 促音 非促音の判断に関する様々な条件が完全にコントロールされているとは言えず 日本語話者の知覚に見られた [x] ([ç]) と [f] の促音判断率の違いが純粋な [x] ([ç]) 137 Tews (2008) によると 平均摩擦持続時間と平均の促音判断率は以下のとおりであった [f] [x] ([ç]) 持続時間 促音判断率 持続時間 促音判断率 CVC 220 ms 32% 220 ms 67% CCVC 220 ms 63% 220 ms 75% CVCən 120 ms 9% 100 ms 17% 152

161 と [f] の摩擦の違いによって生じたものかどうかは不明である 例えば 促音判断は子音持続時間以外にも先行母音や後続母音の持続時間に影響されることが指摘されており ( 大深他 2005) 本研究の s, sh の実験においても先行母音の持続時間を延長したときに促音判断率が高くなるという傾向が観察されている Tews (2008) では平均摩擦持続時間にこそ差がないとされているが 付録 (Tews 2008: 144) に提示されている個々の刺激のデータを見る限りでは 最小対をなす語の間の摩擦持続時間 先行母音持続時間は必ずしも一致しているわけではなく ばらつきがある よって Tews (2008) で観察された [f] と [x] ([ç]) の促音判断率の差が摩擦音以外の要因によって生じた可能性は否定できない 日本語話者の促音判断境界が摩擦の音色 ( ドイツ語の [f] vs. [x] ([ç])) によって異なっているとすれば それは [f], [x] ([ç]) に対応する日本語のハ行子音そのものに摩擦の音色による促音判断境界の違いがあり それが反映されたものである可能性が高い そこで 本研究では条件をコントロールした上で日本語話者に対する日本語ハ行音 ([h], [ɸ]) の知覚実験を行い 日本語話者の知覚において摩擦の音色が促音判断率に影響を与える事実が観察されるのかどうか (x (h) と f (ɸ) の促音判断境界が異なるかどうか ) を調べる また それを通して借用語の非対称性パターンが日本語側の要因 ( 日本語話者の知覚 ) から説明できるかどうかを知覚実験を行って考察する 非対称性 ( 有標性の例外 ) に対する音声学的説明以下では 日本語話者の知覚が原因となって借用語における x (h), f (ɸ) の促音挿入の非対称性が生じたという仮説を検討するために行った 日本語のハ行子音に関する 2 つの知覚実験の結果を報告する 表 69 に挙げたように 日本語のハ行子音は後続母音によって尐なくとも 3 つの異音 138 を持っており 借用語において非対称性が見られる [x] ([ç]), [f] はいずれも日本語のハ行として取り入れられる ここで注目すべきは 促音挿入が起こるとされる [x] であっても 日本語に フ として取り入れられる場合には促音挿入が起こらない場合があるという点であるが (Buch buuɸu) この点については後ほど詳しく議論する 表 69. 日本語のハ行子音の異音と借用語との対応関係 日本語の音声 英語 ( 語末子音 ) ドイツ語とのとの対応関係対応関係 借用語における促音挿入 ハ h -ax される (Reichenbach raihenbahha; Schmacher ʃuumahha) ヒ ç -iç される (Heinrich hainriççi; されない (Buch buuɸu*; フ ɸ f -ux, -f Josef yoozeɸu, Gustav gusutaɸu) ヘ h -eç される (Köchel kehheru) ホ h x される (Gogh gohho) * Buch の発音はドイツ語発音講座 (Iwasaki 2006) の記述による また その他の例は Tews (2008) および ウィキペディア の ドイツの人名 ドイツ系の姓 および関連するページより得た 138 ここでは便宜上 ハ ヘ ホ の子音を [h] と記述するが /h/ の音色は後続母音によって変化するので ( 松井 2004) これらをさらに細分化してより精密な表記をすることも可能ではある 153

162 Tews (2008) の実験における [x] と [f] の音声は 日本語ではそれぞれ [h]( 母音が a, e, o の場合 ) と [ɸ] に対応する よって 借用語の非対称性が日本語話者の知覚によって生じたとする日本語原因説は [x] と [f] に対応するハ行子音に関する日本語話者の知覚を調べることで検証可能となる 日本語においては [h] と [ɸ] は後続母音の質によって相補分布するため 自然音声では [h] と [ɸ] の違いによる影響を純粋に調べることが困難である そこで 本研究では音声を加工することで 自然音声で得られる [ha] と [ɸu] だけでなく [h] と [u] および [ɸ] と [a] 139 が共起する音声を作成し これらを刺激とすることで摩擦の音色以外の条件をコントロールして純粋な [h] と [ɸ] の違いによる影響を調べる このように条件をコントロールしたときに 仮に日本語話者の [h] と [ɸ] の促音判断境界が異なっており [h] よりも [ɸ] の方が促音だと判断されにくいという知覚の傾向が観察されれば Tews (2008) において日本語話者の [x] と [f] の促音判断率が異なっていたという事実は摩擦の音色による影響によって生じたものだと推定できる そして そうした日本語話者の知覚に見られる傾向が借用の際に何らかの形で関与して 非対称性が生まれる一因となったと考えることができる 産出実験 ( 実験 4-6) 実験 4-6: 方法 被験者知覚実験に先立って まず 日本語のハ行子音の持続時間を調べるための産出実験を行うこととした この実験の目的は知覚実験における持続時間の設定などを決めるための参考とすることと 日本語のにおいて [h] と [ɸ] の持続時間が異なっているのかを確認することである 仮に日本語において [h] と [ɸ] の持続時間の分布が異なっており [ɸ] の方が [h] よりも長い持続時間に偏った分布をしているとすれば 日本語話者の知覚において [ɸ] の促音判断境界が [h] と比べてより高い値を取る ([ɸ] の方が促音だと判断されにくい ) ことを示唆する傍証となりうる 140 被験者は日本語話者 5 名 ( 男性 2 名 女性 3 名 話者の出身地は女性 1 名が静岡で 残りは愛知県出身 ) で データは話者が サハ ([saha]) サッハ ([sahha]) サフ ([saɸu]) サッフ ([saɸɸu]) を これは~です および これは~といいます の 2 つのキャリア文に入れた状態で発音したものである まず 4 つの語を異なる語順に並べて 5 つのリストを作成し 各被験者に対して 1 つのリストを割り当てた 各被験者はリストに記載された順に語を一回ずつ読み それを 10 回繰り返すことで各話者につき各語 10 回分の発話を得た 予測借用語の促音挿入の非対称性が日本語話者の知覚によって生じたのだとすれば 日本語話者の [h] の促音判断境界が [ɸ] に比べて小さい値を取っているはずである 産出と知覚の間に対応関係があるという想定のもとでは 産出において [h] の持続時間が [ɸ] の持続時間よりも短いという結果が得られれば 知覚においてもこれに対応して [h] の促音判断境界値は [ɸ] の促音判断境界値よりも小さな値となること 139 [ɸa]( ファ ) は日本語に存在するが 音響的に見るとこの [ɸa] は [ɸ] の影響を受けて [ha] の a とは異なったフォルマント遷移情報を持つため これを用いると純粋な [h] と [ɸ] の違いを見ることができない危険性がある よって 本研究では ファ の [ɸa] は考慮の対象から外すこととした 140 実際には ハ行子音は後続の母音環境を同一条件に設定して比較することはできないため 産出において [h] と [ɸ] の持続時間に違いがあったとしても これが知覚にも対応すると推測することは厳密に言えば妥当ではないことは指摘しておく必要がある しかし このような問題があったとしてもやはり産出において [h] と [ɸ] の持続時間に違いがあるかどうかを調べておくことは価値があると判断し 本研究では産出実験を行った 154

163 J1 J2 J3 J4 J5 サハサッハサハサッハサハサッハサハサッハサハサッハ 表 70. /h/ 持続時間 ( 単位は ms) とその他の指標の値 ( キャリア文 : これは~です ) 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV 平均 平均 サフ SD SD 平均 平均 サッフ SD SD 平均 平均 サフ SD SD 平均 平均 サッフ SD SD 平均 平均 サフ SD SD 平均 平均 サッフ SD SD 平均 平均 サフ SD SD 平均 平均 サッフ SD SD 平均 平均 サフ SD SD 平均 平均 サッフ SD SD が強く示唆される 141 逆に 産出において [h] と [ɸ] の持続時間に差がなければ 知覚における促音判断 境界に差がないことが示唆され 借用語の促音挿入と非対称性と日本語話者の知覚には関係がないこ とが推測されることになる 結果と考察各語について s, sh に関する分析同様 摩擦 (/h/) 持続時間 C/W C/preV C/postV の値を求めたところ 表 70 および表 71 に挙げた結果が得られた 各被験者の発話における C/W の値に対して 促音 ( 促音 vs. 非促音 ) および 摩擦の音色 ([h] vs. [ɸ]) 142 を固定因子とする 2 要因の分散分析を行った 得られた分析結果をまとめたのが表 72 である 表の右端に記載されているのは 分析の結果 サハ (h) サフ (ɸ) サッハ (hh) サッフ (ɸɸ) 141 既述のとおり 日本語における [h] と [ɸ] は /h/ が後続母音によって姿を変えた異音である つまり 摩擦持続時間の違いは後続母音の違いと相関しているため 純粋な [h] と [ɸ] の持続時間の違いとはならない可能性があるので この点は留意しておく必要がある 142 [h] と [ɸ] は後続母音による条件異音として相補分布するため これは 後続母音 ([a] vs. [u]) と解 釈することも可能である 155

164 表 71. /h/ 持続時間 ( 単位は ms) とその他の指標の値 ( キャリア文 : これは ~ といいます ) 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV 摩擦持続時間 C/W C/preV C/postV J1 J2 J3 J4 J5 サハサッハサハサッハサハサッハサハサッハサハサッハ 平均 平均 サフ SD SD 平均 平均 サッフ SD SD 平均 平均 サフ SD SD 平均 平均 サッフ SD SD 平均 平均 サフ SD SD 平均 平均 サッフ SD SD 平均 平均 サフ SD SD 平均 平均 サッフ SD SD 平均 平均 サフ SD SD 平均 平均 サッフ SD SD * 表中の は摩擦に後続する母音が無声化したため 後続母音との比を求められなかったことを示す の持続時間 (C/W 値 ) の間にどのような関係が見られたかを示したものである ( < で区切られた区間は統計的に持続時間に有意な差があったことを, で区切られた区間は統計的に有意な差が得られなかったことを示している ) 5 名の話者の結果を総合すると [h] ([hh] は [ɸ] ([ɸɸ]) と持続時間に差がないか ɸ ([ɸɸ]) よりも短いのどちらかであって 逆はないことがわかる この結果は 以下の散布図からも見て取れる ([h] と [ɸ] および [hh] と [ɸɸ] の分布にはオーバーラップが見られるものの 全体として [ɸ] および [ɸɸ] はそれぞれ [h] と [hh] よりもより持続時間の長い方向に分布している ) 日本語において [h] と [ɸ] は後続母音による条件異音として相補分布するため 以上の結果から単純に議論することは危険ではあるが 日本語話者の産出において [ɸ] ([ɸɸ]) の方が [h] ([hh]) よりも持続時間が長いことから 知覚においても摩擦の音色が [h] であるときと [ɸ] であるときとで促音判断境界が異なる可能性を調べる価値はあると言えよう 以下では実際に [h] と [ɸ] の促音判断境界を調べるために行った知覚実験の結果を報告する 156

165 C/W C/W 表 72. 分散分析結果 キャリア文被験者 促音 主効果 摩擦の音色 主効果交互作用 J1 *** *** *** h < ɸ < hh, ɸɸ これは ~ です J2 *** *** n.s. h < ɸ < hh < ɸɸ J3 *** *** n.s. h < ɸ < hh < ɸɸ J4 *** ** n.s. h, ɸ < hh, ɸɸ J5 *** ** ** h, ɸ < hh < ɸɸ J1 *** *** n.s. h < ɸ < hh < ɸɸ これは ~ と いいます J2 *** *** *** h < ɸ < hh < ɸɸ J3 *** *** n.s. h < ɸ < hh < ɸɸ J4 *** *** * h < ɸ < hh < ɸɸ J5 *** ** * h, ɸ < hh < ɸɸ 注 : * = p < 0.05, ** = p < 0.01, *** p < これは ~ です 摩擦持続時間 (ms) サハサッハサフサッフ 図 29. ターゲット語の持続時間の分布 ( キャリア文 : これは ~ です ) これは ~ といいます サハサッハサフサッフ 摩擦持続時間 (ms) 図 30. ターゲット語の持続時間の分布 ( キャリア文 : これは ~ といいます ) 157

166 知覚実験 ( 実験 4-7) 実験 4-7: 方法 2 つの頭高型の無意味語 sahha ( サ ッハ ) saɸɸu ( サ ッフ ) を刺激作成用に用いた まず,1 名の日本語母語話者 ( 女性 ) に 2 つの無意味語を これは~です というキャリア文に入れてそれぞれ 10 回ずつ発音してもらい, それを録音した 読み上げは発話者にとっての普通の速度で読むように依頼し, 録音にはソニー製リニア PCM レコーダー (PCM-D1) を用いた 次に 各語について得られた 10 発話の中から 1 つの発話を選び出した 発話の選択は,2 つのターゲット語の F0 曲線や全体および個々の音素の持続時間が最も近くなるように行った 143 選んだ 2 つの発話について, まず語の最大音圧が等しくなるように調整した後 ( 結果的に 2 語は /h/ に先行する母音 (saha, saɸu) の部分で共通の最大音圧を持つこととなった ), 摩擦部分 (h/ɸ) を除去し, キャリア文の部分 ( これは です ), 摩擦に先行する部分 (sa(hha)), sa(ɸɸu)), 摩擦に後続する部分 ((sahh)a, (saɸɸ)u) にそれぞれ分割し, 後の刺激作成のために個別に保存した なお 摩擦に先行する部分は音声表記ではともに [sa] であるが それぞれ [h], [ɸ] への VC 遷移を持つ異なった音声である 次に [h] または [ɸ] の周波数特性を持ち 45ms から 165ms まで 15ms 刻みで 9 段階の持続時間を有する摩擦音の連続体を以下に述べる方法で作成した まず 無意味語を発音したのと同じ話者に ハ と フ をそれぞれ母音を無声化させた状態で長く発音してもらい それを録音した 得られた ハ ( 以下 [h a ]) と フ ( 以下 [ɸ]) について 最も音の強さおよびフォルマントが安定している部分を 300ms 取り出し 取り出した [h a ] と [ɸ] の最大音圧が同じになるように調整し Praat (Boersma and Weenink 2007) の時間伸縮機能 (Lengthen 機能 ) を使って持続時間を 0.15 倍, 0.20 倍,..., 0.50 倍, 0.55 倍にし 45ms から 165ms まで 15ms 刻みで 9 段階の持続時間を持つようにした これらが自然な摩擦音に聞こえるようにするために 作成した各音声につき 摩擦の音圧を開始点から全長の 2/3 までは徐々に増加し 144, そこから終点までは徐々に減尐するように設定し 摩擦の最大音圧を摩擦に先行する母音 (sahha, saɸɸu) の最大音圧を基準に-20dB ( 誤差 ±1dB 以内 ) となるようにした こうして作成した 18 個の摩擦音 ( 摩擦の音色 2 種類 (h a vs. ɸ) 摩擦持続時間 9 段階 =18 種類 ) を sahha, saɸɸu の [hh], [ɸɸ] がもともとあった位置に埋め込むことで 計 72 個 (VC 遷移 (2) 摩擦 (18) 後続母音 (2) = 72) の刺激の音声を作成した 作成された音声は これは~です というキャリア文に埋め込まれた状態で提示された キャリア文を構成する これは と です は刺激作成用として選択した 2 つの発話のうち これはサッハです から得たものを一貫して用いた 143 選ばれた無意味語の持続時間は以下の通りであった 語全体 先行母音 (sahv) 摩擦 (h, ɸ) 後続母音 (sahv) sahha 446 ms. 105 ms. 189 ms. 67 ms. saɸɸu 449 ms. 115 ms. 171 ms. 64 ms. 144 本研究の被験者の発音において s, sh では非促音 促音とも子音区間中は常に摩擦ノイズが観察された 一方 h a, ɸ については 非促音では s, sh と同じ傾向が観察されたが 促音では子音区間中常に摩擦成分が観察されるわけではなく 閉鎖区間 ( もしくは非常に弱い /h/ の成分 ) が続いた後 子音区間の終了間際に /h/ の摩擦が瞬間的に産出される場合が散見された ( 特に [ɸɸ] に関して ) おそらくこうした産出の非対称性が関与しているものと思われるが 予備実験を行ったところ 摩擦の音圧の増加終了点を全長の中央地点またはそれ以前に設定すると 持続時間を長くしても促音らしく聞こえず 一方 全長の 80~90% 地点辺りに設定すると 持続時間 ( 全長 ) が長い場合にはかなり自然な促音に聞こえるが 持続時間が短い場合に非常に不自然な音となってしまうというフィードバックが得られた 予備実験では 全長の 2/3 地点であれば持続時間が長い場合にも短い場合にも比較的自然に聞こえるという結果が得られたので 今回の実験ではこの値を用いることとした 158

167 これは VC 遷移 (2) sa (hha) sa (ɸɸu) 摩擦 (18) 後続母音 (2) h a (45~165ms) (sahh) a です ɸ (45~165ms) (saɸɸ) u 実験は練習と本番の 2 部構成となっており, 練習では最も典型的な非促音および促音 ( 合成摩擦音の連続体における最端の音 ) を含む刺激が, 続く本番では全ての刺激が, ともにランダムな順序で提示された 結果の分析は本番の回答のみを対象とした 刺激はヘッドフォン ( ソニー製 MDH-NC50) を通して提示された 刺激が提示されてから次の刺激が提示されるまでの間隔は 4 秒とした 被験者は 11 名の日本語話者である 被験者のタスクは刺激が何であったかを サハ サッハ サフ サッフ の 4 択 145 から選び, 対応するパソコンの画面をマウスでクリックすることで回答した 刺激のランダマイズ, 提示, 回答の集計はコンピュータ制御で行われた 各刺激の提示回数は 4 回とし 1 人の被験者につき合計で 288 の回答を得た 実験の所要時間は 25 分程度であった 予測この実験において重要な点は 摩擦の音色の影響が見られるかどうかである 摩擦が [h a ] であるときと [ɸ] であるときの促音判断境界値が異なっており [h a ] の判断境界が [ɸ] の促音判断境界よりも小さな値を取っていれば 借用語の促音挿入においてもそれが関与し 非対称性を生じさせる一因となっていると解釈できる 一方 [h a ] と [ɸ] の促音判断境界値に差がないか 逆に [ɸ] の促音判断境界値のほうが小さな値を取っているならば 借用語の促音挿入と日本語話者の知覚の間には因果関係がないと解釈されることになる 結果摩擦持続時間の変化に伴う促音判断率 ( 各カテゴリにおける, 促音だと判断された刺激の総数 146 全刺激数 ) の推移を摩擦周波数特性ごとに示す 図 31 は促音判断率を摩擦の音色が [h a ] のときと [ɸ] のときに分けてプロットしたものである 摩擦が [h a ] であるときと [ɸ] であるときの 50% 判断境界値は平均でそれぞれ 98.3ms, 96.5ms であった ( 判断境界値は Probit 分析により求めた ) この実験では [h a ] と [ɸ] はすべての VC 遷移および後続母音と組み合わされているため [h a ] と [ɸ] 以外の要因は ( 仮に存在したとしても ) コントロールされていると見なすことができる そこで 摩擦の音色以外の条件はプールし 摩擦が [h a ] であるときと [ɸ] であるときの促音判断率に違いが見られるかどうかを摩擦の音色 ( 名義変数 :[h a ] と [ɸ]) および摩擦持続時間 ( 連続変数 ) の 2 つを独立変数とする階層的ロジスティ 145 [ɸ] が [a] と組み合わされているため サファ サッファ のような選択肢もありうるが 予備実験の結果 摩擦 [ɸ] が [ha] から得た [a] と組み合わさった場合 ファ だと聞こえることはなく 一貫して ハ だと聞こえることがわかったので これらの選択肢は除外した 今回の実験で用いた [a] が [ha] から採られた音声であるため 自然音声の ファ の発音であれば存在するはずのフォルマント遷移の情報は存在しない 一般に f や θ などの非粗擦音はエネルギーが弱く その同定には摩擦そのものよりもむしろフォルマント遷移の情報がより重要となる (Harris 1958) [ɸ] も非粗擦音の一つであるため ファ だと聞こえないというフィードバックが得られたのは ファ だと判断されるために必要なフォルマント遷移の情報が刺激中に存在しなかったためだと説明がつく 146 サッハ, サッフ と回答された刺激数 159

168 促音判断率 ック回帰分析により分析した この分析においては s, sh に関する実験と同様 第 1 レベルで被験者内のばらつきをコントロールし 第 2 レベルで摩擦持続時間 摩擦の音色を独立変数として組み込んで分析した 尤度比に基づくステップワイズ法によって最適なモデルを求めた結果 摩擦持続時間の主効果のみが有意であり (B = 0.115, Wald 統計量 (W 2 ) = df = 1, p < 0.001) 摩擦の音色およびこれらの交互作用は有意ではないことから除外された この結果は 促音判断率は摩擦持続時間によって変化したが 摩擦の音色によって促音判断率の違いは観察されなかったことを意味するものであった 摩擦持続時間 H F 図 31. 摩擦の音色による促音判断率 この実験の目的は摩擦の音色が促音判断に影響を与えるかどうかを調べることであったが ここで 摩擦持続時間と摩擦の音色 ([h a ] と [ɸ]) 以外の要因と促音判断率の関係についても簡単に触れておきたい 以下の図は [h a ] と [ɸ] が各 VC 遷移 後続母音と組み合わさったときの促音判断率をプロットしたものである また 表 73 はそれぞれの判断境界値を Probit 分析により求めたものである 表から VC 遷移や後続母音の違いによって判断境界値に体系的な違いがあることが示唆されるため これらの影響を確認するために第 1 レベルで被験者内のばらつきをコントロールし 第 2 レベルで摩擦持続時間 摩擦の音色 VC 遷移 後続母音を独立変数とする階層的ロジスティック回帰分析を行った 尤度比に基づくステップワイズ法に基づくモデル選択の結果 摩擦の持続時間 摩擦の音色 VC 遷移 後続母音の主効果全てが摩擦持続時間に影響する要因として残されたが このうち摩擦の音色は先ほどの分析と同様に有意水準 (p = 0.05) に届かなかったため 本研究では考察の対象から除外する 摩擦持続時間 VC 遷移 後続母音の主効果はいずれも 0.1% 水準で有意であった ( 摩擦持続時間 :B = 0.156, W 2 = 488.8, df = 1, p < 0.001;VC 遷移 :B = 1.544, W 2 = 75.8, df = 1, p < 0.001; 後続母音 :B = , W 2 = 192.5, df = 1, p < 0.001) 摩擦時間については 摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断されやすいという傾向が観察された VC 遷移については VC 遷移が [saɸɸu] から採られた [sa] であるときの方が [sahha] から採られた [sa] であるときよりも刺激が促音だと判断されやすいという結果が観察された 一方 後続母音については 後続母音が [a] のときの方が [u] のときよりも刺激が促音だと判断されやすいという結果が観察された VC 遷移 後続母音の影響が意味するところについては 後ほど考察する 最後に 調音点判断 ( 摩擦が ハ であると判断されたか フ であると判断されたか ) についても言及しておく この実験における調音点判断は 後続母音によってほぼ 100% 決められており 後続母音が [a] であれば他の要素にかかわらず刺激は ハ 系列 ( サハ または サッハ ) であると判断 160

169 促音判断率 され 後続母音が [u] であれば刺激は フ 系列 ( サフ または サッフ ) だと判断された ( 表 74 参照 ) 摩擦持続時間 sa(h)-h-a sa(h)-h-u sa(h)-f-a sa(h)-f-u sa(f)-h-a sa(f)-h-u sa(f)-f-a sa(f)-f-u 図 32. 各条件における促音判断率 表 73. Probit 分析に基づく各条件における促音判断境界値 (ms) VC 遷移摩擦の音色後続母音促音判断境界 (ms) sa(hha) sa(ɸɸu) h a (sahh)a 94.9 (saɸɸ)u ɸ (sahh)a 92.3 (saɸɸ)u h a (sahh)a 83.9 (saɸɸ)u ɸ (sahh)a 80.2 (saɸɸ)u 表 74. 調音点判断率 VC 遷移摩擦の音色後続母音 ハ ( サハ または サッハ ) だと判断された率 sa(hha) sa(ɸɸu) h a (sahh)a 100.0% (395/395) (saɸɸ)u 0.3% (1/395) ɸ (sahh)a 99.7% (394/395) (saɸɸ)u 0.0% (0/394) h a (sahh)a 100.0% (395/395) (saɸɸ)u 0.0% (0/394) ɸ (sahh)a 100.0% (396/396) (saɸɸ)u 0.0% (0/394) 161

170 考察この実験の目的は 日本語話者の知覚において 摩擦の音色 ([h] または [ɸ]) によって促音判断境界が異なるかどうかを明らかにすることであった 実験の結果 促音判断は摩擦持続時間に大きく依存しており 摩擦の音色は促音判断には影響しないという結果が得られた この結果に素直に従うならば 借用語の促音挿入と日本語話者の知覚の間には因果関係がないと解釈するのが妥当だということになる しかしながら 実験 4-7 の刺激は CVCV 型の音声であって 英語やドイツ語の促音挿入が起こる典型的な音環境 (CVC) とは異なっている (Tews (2008) で [f] と [x] の促音判断率の違いが最も大きかったのも CVC 環境の刺激においてだった ) ため このような刺激の音声的な違いが影響して摩擦の音色の影響が観察されなかった恐れがある 147 この点については 以下で CVC 型の音声を刺激とした実験 4-8 を実施し 再度考察する 本研究の実験結果においては VC 遷移や後続母音などの摩擦以外の要素も促音判断に影響を与えていた これらの結果は Tews (2008) で報告された 日本語話者がドイツ語の [x] ([ç]), [f] を含む語の知覚する際に [f] に促音を感じにくいという実験結果が 摩擦そのものの違いではなく 何か別の要因によって引き起こされた可能性があることを示唆する 実際に Tews (2008) の刺激音声は摩擦持続時間の観点からは [f] と [x] の間に差はなかったが 先行母音の持続時間は [f] と [x] また 刺激によっても異なっていた ドイツ語において [f] と [x] の先行母音に体系的な持続時間の差があるのか 刺激とした音声に偶然そのような持続時間の差が生じていたのかは定かではないが このような摩擦持続時間以外の要因が結果に影響していた可能性は否定できない 結論を出すには ドイツ語の [f] と [x] の産出のデータを分析するのと同時に 摩擦持続時間以外の要因をコントロールしたドイツ語音声を用いた実験が必要となるが この点については本稿の議論の枠を超えるものであるため 今後の研究課題としたい 本研究の実験で VC 遷移に関して VC 遷移が [saɸɸu] から採られた [sa] であるときの方が [sahha] から採られた [sa] であるときよりも刺激が促音だと判断されやすいという結果が観察された この 2 つの [sa] によって促音判断率が異なるという結果が得られた理由として 2 つの可能性が考えられる 一つは 後続子音が異なることによる VC 遷移の違いによるという可能性であり もう一つは 2 つの [sa] の母音持続時間の違いによるという可能性である 前者の可能性は本研究の実験だけでは否定できないものの 本研究では 以下の理由から後者の説明が有力であると考える 本研究で用いた刺激において [saɸɸu] から採られた [sa] の母音持続時間は 115ms であったのに対し [sahha] から採られた [sa] の持続時間は 105ms であり [saɸɸu] から採られた [sa] の母音持続時間のほうが母音の持続時間が長かった これはつまり [saɸɸu] から採られた [sa] を用いて作成された刺激における摩擦に先行する母音の持続時間が [sahha] から採られた [sa] を用いて作成された刺激におけるそれよりも一貫して長いことを意味する 日本語においては 促音に先行する母音の持続時間は非促音に先行する母音の持続時間よりも長く (Han 1994, Hirata 2007) 大深他(2005) や本研究における s, sh の知覚実験 (pabas(l) 系列, pabas(l)-to 系列 ) の結果に見られたように 知覚においても産出に対応して先行母音が長い場合に短い場合と比べて促音だと判断されやすいと言えることから 本研究の実験において得られた VC 遷移の影響は 先行母音の影響であると解釈可能である 本研究の結果において 解釈が難しいのは後続母音の影響である 本研究の実験においては 後続 147 本研究の s, sh に関する知覚実験においても sh の方が s よりも促音だと判断されやすいという摩擦の音色の影響が一貫して観察されたのは摩擦が語末位置にある場合 (pabas(l) 系列, pabas(l)-to 系列 ) のみであった このことからも 実験 4-7 の刺激の音声特徴の影響で摩擦の音色の影響が観察されなかった可能性は否定できない 162

171 母音が [a] であれば [u] である場合よりも促音だと判断されやすいという結果が得られた 後続母音については 促音に後続する母音は非促音に後続する母音よりも持続時間が短く (Han 1994, Hirata 2007) 知覚もこれに対応して持続時間が短い場合の方が長い場合よりも促音だと判断されやすい ( 大深他 2007) とされている よって VC 遷移の影響と同様に 後続母音 [a] と [u] の間に生じた促音判断率の違いも刺激の持続時間が違っていた ([a] の方が [u] よりも持続時間が短かった ) ために生じた可能性がある しかしながら 実際には本研究の刺激における後続母音の持続時間は [a] が 67ms [u] が 64ms と ほとんど差がないか [a] の方が若干長いと言えるため 刺激の持続時間による説明は単純には適用できそうにない 一つの可能性として挙げられるのは [a] と [u] の本質的な持続時間 (intrinsic duration) の分布の違いによって 同じ持続時間であっても [a] の方がより短く感じられたために生じたという説明である 大深他 (2005) によって子音に後続する母音の持続時間が短い場合には後続する母音が長い場合よりも促音だと判断されやすいことが指摘されているため 本研究の刺激において後続母音 [a] が相対的に短いと感じられたとすれば 後続母音が [a] のときに ( 後続母音が [u] のときと比較して ) 促音だと判断されやすいという本研究の実験結果につながった可能性がある この可能性について検討するために 産出における母音 [a] と母音 [u] の持続時間を以下で比較する 表 75. 先行母音 後続母音の持続時間 ( 単位は ms.)( キャリア文 : これは~です ) 先行母音 摩擦 (/h/) 後続母音後続母音 [a]:[u] 先行母音摩擦 (/h/) [a] [u] の比 J1 サハ 平均 サフ 平均 : 0.52 SD SD サッハ 平均 サッフ 平均 : 0.67 SD SD J2 サハ 平均 サフ 平均 : 0.69 SD SD サッハ 平均 サッフ 平均 : 0.72 SD SD J3 サハ 平均 サフ 平均 : 0.55 SD SD サッハ 平均 サッフ 平均 : 0.65 SD SD J4 サハ 平均 サフ 平均 : 0.71 SD SD サッハ 平均 サッフ 平均 : 0.74 SD SD J5 サハ 平均 サフ 平均 : 0.78 SD SD サッハ 平均 サッフ 平均 : 0.74 SD SD

172 表 75 は表 70 に挙げたデータと同じデータソース (5 名の日本語話者から これは~です というキャリア文で各 10 回ずつ得た発音 ) に基づき 摩擦 (/h/) 持続時間とその先行母音および後続母音の持続時間を挙げたものである ( キャリア文が これは~といいます のデータについては ほとんどのトークンにおいて [u] が無声化しており 持続時間の比較が困難であったので考慮から除外した ) 右端の列には 後続母音 [a] と [u] の持続時間の比較がしやすいように 後続母音によって最小対が作られるペア ( サハ と サフ または サッハ と サッフ ) における後続母音 [a] と [u] の持続時間の比を挙げた この値から いずれの話者についても [a] の方が [u] よりも長いことが読み取れる 後続母音 [a] と [u] の絶対持続時間に関して 後続母音 (a vs. u) と 促音 ( 非促音 vs. 促音 ) の 2 つを固定因子とする分散分析を行ったところ 表 76 の結果が得られた 5 名の被験者全員について 後続母音 の主効果が有意であり 後続母音[a] の持続時間は後続母音 [u] の持続時間よりも長いと言えた 148 また 促音 の主効果については 5 名中 2 名の話者でのみ有意であり この 2 名の話者については 促音に後続する母音の方が非促音に後続する母音よりも有意に短いと言えたが 残り 3 名の話者については促音に後続する母音の持続時間と非促音に後続する母音の持続時間の間には差があるとは言えなかった Han (1994) において促音に後続する母音は非促音に後続する母音よりも短いという指摘がなされているが 本研究のデータベースに基づけば この傾向は全ての話者に共通して見られるほどの強い傾向ではなかった 表 76. 後続母音の持続時間に関する分散分析結果 後続母音 主効果 促音 主効果 交互作用 J1 *** n.s. * J2 *** *** n.s. J3 *** n.s. n.s. J4 *** *** n.s. J5 *** n.s. n.s. 注 : * = p < 0.05, ** = p < 0.01, *** p < 以上の分析結果から [a] と [u] で本質的な持続時間の分布が異なっている可能性が極めて高いといえる よって 上述のように 今回の刺激のように [a] と [u] の持続時間がほぼ同じ程度 ([a] が 67ms [u] が 64ms) であっても 相対的に [a] の方が短い ( または [u] の方が長い ) と感じられた可能性がある 大深他 (2005) によって子音に後続する母音の持続時間が短い場合には後続する母音が長い場合よりも促音だと判断されやすいことが指摘されているため 本研究の刺激において後続母音 [a] が相対的に短いと感じられたとすれば 後続母音が [a] のときに ( 後続母音が [u] のときと比較して ) 促音だと判断されやすいことが予測され 本研究の実験結果とも矛盾しないことになる もちろん この説明は産出のデータから示唆された仮説に基づくものであって これが正しいかどうかは知覚実験を行って検証してみる必要があるが この説明によって実験 4-8 で得られた結果もうまく説明できることから 現時点では有力な仮説だと考えられる この点については 実験 4-8 の結果を報告した後に再度議論することとする 名中 1 名の話者に関しては交互作用も有意であったが この話者に関する単純効果の検定の結果 非促音 促音のどちらの系列においても後続母音 [a] の持続時間が後続母音 [u] よりも長いと言えた 164

173 知覚実験 ( 実験 4-8) 実験 4-7 では 日本語の サッハ および サッフ から作成した サハ から サッハ に至る音声連続体および サフ から サッフ に至る音声連続体を刺激として実験を行った結果 摩擦の音色は促音判断に影響していないという結果が得られた この結果は 借用語における促音挿入の非対称性が日本語話者の知覚によって生じたのではないことを示唆するものである しかし 実験 4-7 の刺激は促音が生じる子音の後に後続母音を含む音声であるのに対し 借用語において促音挿入が生じる子音の後には ( 原語の発音において ) 母音が含まれない ( 例 :Bach - [bax] (*[baxa])) s, sh に関する知覚実験においても 摩擦に直接隣接する後続母音が存在する環境 (pabasa 系列 ) とそうでない環境 (pabas(l), pabas(l)-to 系列 ) において異なった実験結果が得られているため 後続母音を含まないような音声を刺激として用いた場合には 摩擦の音色と促音判断の関係について 実験 4-7 とは異なる結果が得られる可能性がありうる 実験 4-8 では 後続母音を含まない音声を刺激として実験を行い 摩擦の音色 ([h] と [ɸ]) によって日本語話者の促音判断率に違いが見られるかどうかを確認する 実験 4-8: 方法 2 つの頭高型の無意味語 sahha ( サ ッハ ) saɸɸu ( サ ッフ ) を刺激作成用に用いた まず, 実験 4-7 と同じ 1 名の日本語母語話者 ( 女性 産出実験における J2) に 2 つの無意味語を これは~といいます というキャリア文に入れてそれぞれ 10 回ずつ発音してもらい, それを録音した 読み上げは発話者にとっての普通の速度で読むように依頼し, 録音にはソニー製リニア PCM レコーダー (PCM-D1) を用いた 次に 各語について得られた 10 発話の中から 1 つの発話を選び出した 発話の選択は,2 つのターゲット語の F0 曲線や全体および個々の音素の持続時間が最も近くなるように行った 149 選んだ 2 つの発話について, まず語の最大音圧が等しくなるように調整した後 ( 結果的に 2 語は /h/ に先行する母音 (sahha, saɸɸu) の部分で共通の最大音圧を持つこととなった ), 摩擦部分 (h/ɸ) を除去し, キャリア文の部分 ( これは といいます ), 摩擦に先行する部分 (sa(hha)), sa(ɸɸu)), 摩擦に後続する部分 ((sahh)a, (saɸɸ)u) にそれぞれ分割し, 摩擦に後続する部分を除く部分を後の刺激作成のために個別に保存した ( この実験では後続母音がない音声を刺激とするため 摩擦に後続する部分は使わない ) なお 摩擦に先行する部分は音声表記ではともに[sa] であるが それぞれ [h], [ɸ] への VC 遷移を持つ異なった音声である 次に 実験 4-8 で用いた [h a ] および [ɸ] について 持続時間を 90ms から 210ms まで 15ms 刻みで 9 段階の持続時間を有するように設定し 摩擦音の連続体を作成した ( 実験 4-8 と同じ手法により持続時間を変化させた ) 150 作成した 18 個の摩擦音 ( 摩擦の音色 2 種類 (h vs. ɸ) 摩擦持続時間 9 段階 =18 種類 ) を sahha, saɸɸu の [hh], [ɸɸ] がもともとあった位置に埋め込むことで 計 36 個 (VC 遷移 (2) 摩擦 (18) = 36) の刺激の音声を作成した 作成された音声は これは~といいます というキャリア文に 149 選ばれた無意味語の持続時間は以下の通りであった 語全体 先行母音 (sahv) 摩擦 (h, ɸ) 後続母音 (sahv) sahha 407 ms. 110 ms. 145 ms. 62 ms. saɸɸu 405 ms. 118 ms. 172 ms. 21 ms. 150 実験 4-7 に比べて摩擦持続時間を長めに取っているのは 母音が無声化したときにそれを補償する形で先行子音の持続時間が延長することを考慮に入れたためである 予備実験の結果 実験 4-7 と同じ摩擦持続時間では ( 特に下限の値に近い場合に ) 摩擦持続時間が短すぎて不自然に聞こえるというフィードバックが得られたので 自然であるとの判断が安定して得られる値を下限とした 165

174 埋め込まれた状態で提示された キャリア文を構成する これは と といいます は刺激作成用と して選択した 2 つの発話のうち これはサッハといいます から得たものを一貫して用いた なお キャリア文後半 ( といいます ) の と の t 閉鎖持続時間は 60ms とした これは VC 遷移 (2) sa (hha) sa (ɸɸu) 摩擦 (18) h a (90~210ms) ɸ (90~210ms) です 実験は練習と本番の 2 部構成となっており, 練習では最も典型的な非促音および促音 ( 合成摩擦音の連続体における最端の音 ) を含む刺激が, 続く本番では全ての刺激が, ともにランダムな順序で提示された 結果の分析は本番の回答のみを対象とした 刺激はヘッドフォン ( ソニー製 MDH-NC50) を通して提示された 刺激が提示されてから次の刺激が提示されるまでの間隔は 4 秒とした 被験者は 11 名の日本語話者である 被験者のタスクは刺激が何であったかを サハ サッハ サフ サッフ の 4 択 151 から選び, 対応するパソコンの画面をマウスでクリックすることで回答した 刺激のランダマイズ, 提示, 回答の集計はコンピュータ制御で行われた 各刺激の提示回数は 8 回とし 1 人の被験者につき合計で 288 の回答を得た 実験の所要時間は 25 分程度であった 予測実験 4-7 で摩擦の音色の影響が観察されなかった理由が刺激の音声的特徴 (CVCV 型であったこと ) にあるのだとすれば Tews (2008) と同じ型である CVC 型の音声を刺激とする実験 4-8 では摩擦の音色の影響が観察されるはずである 一方 実験 4-8 においても摩擦の音色の影響が観察されないのだとすれば 日本語の [h] と [ɸ] にはそもそも促音判断境界に違いがないということになる 結果摩擦持続時間の変化に伴う促音判断率 ( 各カテゴリにおける, 促音だと判断された刺激の総数 152 全刺激数 ) の推移を摩擦周波数特性ごとに示す 図 33 は促音判断率を摩擦の音色が [h a ] のときと [ɸ] のときに分けてプロットしたものである 各条件における促音判断境界値 (50% 地点 ) は表 77 の通りであり 摩擦が [h a ] であるときと [ɸ] であるときの促音判断境界値は平均でそれぞれ 139.7ms, 142.8ms であった ( 判断境界値は Probit 分析により求めた ) 摩擦が[h a ] であるときと [ɸ] であるときの促音判断率に違いが見られるかどうか また VC 遷移が [saɸɸu] から採られた [sa] であるときと [sahha] から採られた [sa] であるときとで促音判断率に違いが見られるかどうかを 摩擦の音色 ( 名義変数 :[h a ] vs. 151 語末が [ɸ] である刺激は日本語の母音が無声化した フ の音とほぼ同じであるため 知覚には問題がないと思われた 実際に 予備実験を行った結果 [ɸ] で終わる刺激は問題なく サフ または サッフ のどちらかに聞こえるとのフィードバックが得られた 一方 日本語においては ハ の母音 [a] が無声化することは稀であるため 語末が [h a ] で終わる音声は日本語には存在しないタイプの音声である よって知覚的に サハ サッハ のどちらかに聞こえるかどうかは予測が困難であった 予備実験を行った結果 語末が [h a ] で終わる音声は [h a ] の持続時間が短い場合には サハ と サフ の中間的な音に [h a ] の持続時間が長い場合には サッハ と聞こえるというフィードバックが得られた よって サハ サッハ サフ サッフ の 4 択で実験を行っても問題はないと判断した ( 尐なくとも これ以外の音に聞こえることはなかったため ) 152 サッハ, サッフ と回答された刺激数 166

175 促音判断率 [ɸ]) VC 遷移 ( 名義変数 :[saɸɸu] から採られた [sa] vs. [sahha] から採られた [sa]) および摩擦持続時間 ( 連続変数 ) の 3 つを独立変数とする階層的ロジスティック回帰分析により分析した この分析においては s, sh に関する実験と同様 第 1 レベルで被験者内のばらつきをコントロールし 第 2 レベルで摩擦持続時間 摩擦の音色 VC 遷移を独立変数として組み込んで分析した 尤度比に基づくステップワイズ法によって最適なモデルを求めた結果 まず 摩擦持続時間 VC 遷移 摩擦の音色の主効果がモデル構築に選択された これらの主効果はいずれも有意であり ( 摩擦持続時間 :B = 0.093, Wald 統計量 (W 2 ) = 754.6, df = 1, p < 0.001;VC 遷移 :B = 1.027, W 2 = 60.9, df = 1, p < 0.001; 摩擦の音色 :B = , W 2 = 4.0, df = 1, p < 0.05) それぞれ 摩擦持続時間が長いほど促音だと判断されやすいこと( 摩擦持続時間の主効果 ) VC 遷移が [saɸɸu] から採られた [sa] であるときの方が [sahha] から採られた [sa] であるときよりも促音だと判断されやすいこと (VC 遷移の主効果 ) 摩擦の音色が[h a ] であるときの方が [ɸ] であるときよりも促音だと判断されやすいこと ( 摩擦の音色の主効果 ) がわかった 摩擦持続時間 sa(h)-h sa(h)-f sa(f)-h sa(f)-f 図 33. 各条件における促音判断率 表 77. Probit 分析に基づく各条件における促音判断境界値 (ms) VC 遷移摩擦の音色促音判断境界 (ms) sa(hha) sa(ɸɸu) h a ɸ h a ɸ 摩擦の音色の影響は観察されたが その影響はそれほど強くはないものだったうえ 後ほど議論するように個人差が大きかったため 摩擦の音色の影響の解釈は慎重に行う必要がある 摩擦の音色の影響は摩擦持続時間が短いときにわずかに見られるが 摩擦持続時間がある程度長くなってくると摩擦の音色による促音判断率の差は消えてしまう また 摩擦の音色のような 2 次的な要因は主要な要因 ( ここでは摩擦持続時間 ) の値がカテゴリ境界付近にあるときに最も強く生じるのが一般的であることを考えると (Mann and Repp 1980, Whalen 1981, 他 ) この点でもこの実験で見られた摩擦の音色の影響は特異な振る舞いを示していると言える 以上のことから 観察された摩擦の音色の影響 ([h a ] の 167

176 ときの方が [ɸ] のときよりも促音だと判断されやすい ) は観察されたとは言え その存在を強く主張できるものではない さらに詳しく結果を観察したところ 実験 4-8 の摩擦の音色の影響は実験 4-7 とは異なり個人差が非常に大きいことが分かった 表 78は実験 4-7 の個人別の [h a ] と [ɸ] の判断境界値とその差の検定結果を 表 79 は実験 4-8 のそれを示したものである 実験 4-7 においては 予測通りに [h a ] の判断境界値が [ɸ] の判断境界値よりも小さい結果を示したのは 11 名中 5 名であった ( 表中の 予測との方向性の一致 欄 ) また いずれの話者についても判断境界値の差は有意ではなかった 153 つまり 摩擦の音色の影響は被験者間で一貫した影響は見られず かつ被験者内でも小さかった よって 摩擦の音色の影響は 全体に対する検定が示していたとおり そもそも存在しないと判断できる 一方 実験 4-8 では様相が異なっており 予測通りに [h a ] の促音判断境界値が [ɸ] の判断境界値よりも小さい結果を示したのは 11 名中 7 名であり そのうち 3 名で促音判断境界値に有意な差が見られた ( うち 1 名は 0.1% 水準で有意であった ) 逆に 促音判断境界値が予測に反していたのは 11 名中 4 名で このうち 2 名は有意な促音判断境界値の差を示していた 被験者によってどちらの促音判断境界値が小さいかは異なっていたため データ全体としては摩擦の音色の影響が見られなかったが 半数近くの被験者について 被験者内で促音判断境界値に有意な差が見られたことから 実験 4-7 とは異なり 摩擦の音色は 2 次的な手がかりとして促音判断に影響を与えている可能性が高い ただし 被験者ごとにその方向性がばらついており ( 予測通りに有意な結果を示した被験者が 3 名 逆の方向に有意な結果を示した被験者が 2 名 ) 母集団においても本研究と同じ程度のばらつきがあるとすれば 摩擦の音色の影響は借用語の促音挿入のように体系的に生じる現象の説明としては必ずしもうまく機能しない恐れがある 日本語話者の産出において [h] は [ɸ] よりも短い持続時間を持っていた ( 表 70~ 表 72) ことからすると それと知覚との間に対応関係が見られない実験 4-7 と実験 4-8 の結果は予想外の結果である しかしながら 後ほど議論するように 摩擦の音色そのものではないものの 機能的に摩擦の音色の影響とほぼ等価な要因が存在しているため 本研究で摩擦の影響が観察されなかったことは重大な問題とはならないと考えることができる 実験 4-8 のポイントは 実験 4-7 と同様 摩擦の音色によって促音判断境界に差が見られるかどうかを明らかにすることであったが ここで 実験 4-8 で観察された摩擦の音色以外の要因の影響について 言及する まず 実験 4-7 と同様 VC 遷移が促音判断に影響するという結果が得られた この実験の刺激においても VC 遷移を構成する母音 ( 摩擦に先行する母音 ) の持続時間は [saɸɸu] から採られた [sa] の方が [sahha] から採られた [sa] よりも若干長かったため 実験 4-7 で見られた VC 遷移の影響に対する説明と同じ説明が当てはまるであろう 実験 4-8 の結果に関して指摘しておくべきことは 知覚された幻の母音の質によって促音判断率に影響が見られた点である 図 34 は 刺激の語末摩擦音に対して被験者が [a] を感じたとき ( 回答が サハ または サッハ ) と [u] を感じたとき ( サフ または サッフ ) とに分けて促音判断率をプロットしたものである 図からも明らかなように 被験者が [a] を感じたときの促音判断曲線は 線が 100% に近づくまでの間 [u] と感じたときの促音判断曲線よりも一貫して左側に位置している つまり 被験者が [a] と感じたときの促音判断境界値は [u] と感じたときのそれよりも小さく [a] と感じたときの方が被験者は刺激が促音を含むものだと判断しやすかったことになる (Probit 分析により 50% 判断境界 153 各話者の結果について 摩擦持続時間 と 摩擦の音色 の 2 要因によるロジスティック回帰分析をかけた有意確率を求めた 168

177 表 78. 実験 4-7( これは~です ) の個人別の [h a ], [ɸ] の判断境界値 (ms) と平均促音判断率 予測との摩擦の音色が [h a ] であるときと [ɸ] であ促音判断境界値 (ms) 被験者判断境界値の差方向性のるときの平均促音判断率 h a f 一致 h a f n.s. 51.4% (74/144) 50.7% (73/144) n.s. 50.7% (73/144) 48.3% (69/143) n.s. 58.3% (84/144) 61.1% (88/144) n.s. 59.2% (84/142) 58.0% (83/143) n.s. 52.1% (75/144) 56.9% (82/144) n.s. 65.2% (92/141) 67.1% (96/143) n.s. 56.3% (81/144) 60.1% (86/143) n.s. 50.0% (72/144) 54.2% (78/144) n.s. 71.5% (103/144) 69.4% (100/144) n.s. 47.9% (69/144) 47.2% (68/144) n.s. 43.1% (62/144) 47.6% (68/143) 注 : * = p < 0.05, ** = p < 0.01, *** p < 表 79. 実験 4-8( これは~といいます ) の個人別の [h a ], [ɸ] の判断境界値 (ms) と平均促音判断率 予測との摩擦の音色が [h a ] であるときと [ɸ] であ促音判断境界値 (ms) 被験者判断境界値の差方向性のるときの平均促音判断率 h a f 一致 h a f * 54.2% (78/144) 46.5% (67/144) n.s. 52.1% (75/144) 50.7% (73/144) n.s. 53.1% (76/143) 47.6% (68/143) n.s. 50.0% (67/134) 57.1% (80/140) n.s. 62.5% (90/144) 65.3% (94/144) * 53.5% (77/144) 63.2% (91/144) * 65.3% (94/144) 56.3% (81/144) *** 77.8% (112/144) 59.0% (85/144) n.s. 67.4% (97/144) 63.9% (92/144) n.s. 52.1% (75/144) 48.6% (70/144) ** 51.4% (74/144) 59.0% (85/144) 注 : * = p < 0.05, ** = p < 0.01, *** p < 値を求めたところ 被験者が [a] だと感じたときの促音判断境界値は 135.3ms [u] だと感じたときの促音判断境界値は 143.0ms であった ) 図および促音判断境界値の差からは 被験者が感じた母音( 回答母音 ) の質はそれほど重要な要因ではないようにも感じられるが 被験者が [a] だと判断したときに摩擦音が促音だと判断された率と 被験者が [u] だと判断したときに摩擦音が促音だと判断された率は 前者が 71.5%(787/1100) であったのに対し後者は 49.4%(1014/2052) であり 回答母音の質は図から 169

178 促音判断率 の印象以上に大きな差が生じさせる要因である また 実際の外来語のデータにおいても Bach( バッハ ) Mach( マッハ ) のように促音が挿入されるのは摩擦の後に母音が [a] が聞こえる ( 挿入される ) ときであり Josef( ヨーゼフ ) Buch( ブーフ ) のように促音が挿入されないのは摩擦の後に母音 [u] が聞こえるときであり 今回の実験結果と共通する部分があると言える つまり 促音判断に対する回答母音の影響は起こるべくして起こったものである可能性が高い 回答母音 ([a] だと感じたか [u] だと感じたか ) が促音判断に影響を与えていると言えるかどうか検討するために 先ほど行った階層的ロジスティック回帰分析に 回答母音 ( 名義変数 : 回答 = [a] vs. 回答 = [u]) を加えて再度分析を行った まず 尤度比に基づくステップワイズ法によって最適なモデルを求めた結果 摩擦持続時間 VC 遷移 回答母音の主効果のみが選択され それ以外の要因は促音判断に影響を与えないものとして排除された 残された 3 つの主効果はいずれも有意水準に達しており ( 摩擦持続時間 :B = 0.092, W 2 = 740.2, df = 1, p < 0.001;VC 遷移 :B = 1.022, W 2 = 60.2, df = 1, p < 0.001; 回答母音 :B = , W 2 = 8.3, df = 1, p < 0.01) 先ほどの分析と同様 摩擦持続時間の主効果については 摩擦持続時間が長くなるほど促音だと判断されやすく VC 遷移の主効果については [saɸɸu] から採られた [sa] であるときの方が [sahha] から採られた [sa] であるときよりも促音だと判断されやすいという結果が得られた また 回答母音の主効果については 被験者が回答母音 ( 摩擦の後に感じる母音 ) が [a] であると判断したときのほうが [u] であると判断したときよりも促音だと判断しやすいという結果が得られた なぜ母音が [a] だと判断されたときに [u] だと判断されたときよりも促音だと判断されやすかったのかについては 後ほど考察する 摩擦持続時間 回答 =a 回答 =u 図 34. 回答母音による促音判断率 回答母音まで考慮に入れた今回の分析において重要な点は 回答母音を要因に加えたときに摩擦の音色の影響が消失したという点である これは 摩擦の音色と回答母音とが高い相関を持っているためであると考えられる 下の図は各条件における回答母音が [a] である率を示したものである 図から明らかなように 摩擦の後に [a] が感じられるのは摩擦の音色が [h a ] のときに限られているため どちらか片方の値が分かるともう片方の値を ( ある程度 ) 予測することが可能である ( つまり 摩擦の音色と回答母音との間に相関関係がある ) このような場合 2 つの要因が説明できる範囲に著しいオーバーラップが生じることになるため 回帰分析においてはどちらか一方は必要ないものとして排除され 170

179 る 今回の場合 2 つの要因間に相関関係があり このうち回答母音の方が促音判断率により大きな影響を及ぼしていたため 影響が小さかった摩擦の音色は排除されたのである また 個人別の結果を見た場合には 回答母音の影響の方が個人差が尐なかったことも指摘しておく必要がある 表 80 は 回答母音が [a] のときと [u] のときの個人別の促音判断境界値と平均促音判断率を表 79 と同じスタイルで示したものである ( ただし 回答母音別の結果については 被験者によっては構造的ゼロのセルが生じる場合があったので 個人ごとの有意差検定はしていない ) ここでも全員が完全に同じ方向性を示しているわけではないが 尐なくとも表 79 と比較すると個人差の程度は小さく 比較的一貫して促音判断率は [a] のときに [u] のときよりも低く 平均促音判断率は [a] のときに [u] のときよりも高いという傾向があることが見て取れる よって 影響の大きさの面からも 影響の一貫性という面からも 今回の実験においては摩擦の音色よりも回答母音の質の影響の方がより意味のある要因であると結論付けることができる 表 80. 回答母音別に見たときの実験 4-8( これは ~ といいます ) の個人別の結果 被験者 促音判断境界値 (ms) 回答母音別の平均促音判断率 [-a] [-u] [-a] [-u] % (76/91) 35.0% (69/197) % (81/144) 46.5% (67/144) % (27/31) 45.9% (117/255) % (57/82) 46.9% (90/192) % (76/86) 53.5% (108/202) % (76/130) 58.2% (92/158) % (63/67) 50.7% (112/221) % (104/129) 58.5% (93/159) % (97/143) 63.4% (92/145) % (49/63) 42.7% (96/225) % (81/134) 50.6% (78/154) 前述のように 回答母音の影響を考慮しない場合 摩擦の音色の影響はある程度存在はしていたがその影響は弱く また条件付で観察されるものであった この結果と 回答母音の影響を考慮した場合の結果を総合的に考えれば 実験 4-8 では摩擦の音色が促音判断に与える影響は実質的に観察されなかったと判断するのが妥当であると述べた しかし 以下で述べるように 回答母音の影響を考慮に入れれば予測した摩擦の音色の影響と同じ方向性の結果を得ることが可能である 回答母音の影響とは 幻の母音 [a] が聞こえるときには幻の母音 [u] が聞こえるときよりも促音だと判断されやすいというものであった そして 幻の母音 [a] が聞こえるのは摩擦が [h a ] であるときであり 幻の母音 [u] が聞こえるのは主に摩擦が [ɸ] であるときである ということは 摩擦が [h a ] であるときには この幻の母音の影響を通してではあるが 摩擦が [ɸ] であるときよりも促音判断率が高くなることになる これは 摩擦の音色の影響として予測されたものと同じ結果をもたらすものである このように考えれば 幻の母音を含めた広い意味での摩擦の音色の影響は本研究の実験結果においても確認でき 171

180 母音が a だと判断された率 たと言える 154 以上で論じてきたことから明らかなように 回答母音 ( 幻の母音 ) の影響は広い意味において 摩擦の音色の影響 と置き換えて解釈することが可能である このように置き換えが可能である場合 回答母音の影響と摩擦の音色の影響のどちらを要因として立てるかが問題となるが 統計学的検定結果からは回答母音の影響の方がより強い要因であると言えたこと また 以下で述べるように 摩擦の音色という要因よりも回答母音の影響という要因を立てたほうが借用語の事実をよりうまく説明できるという利点があるため 本研究では回答母音の影響によって生じた摩擦の音色の影響は擬似的なものとして扱い 要因としては回答母音の影響を立てることとする 摩擦持続時間 sa(h)-h sa(h)-f sa(f)-h sa(f)-f 図 35. 各条件における回答母音が /a/ である率 考察実験 4-8 においても 実験 4-7 と同様に摩擦の音色は実質的には観察されなかった 本研究では Tews (2008) の日本語話者は ( ドイツ語の )[f] よりも [x] ([ç]) に促音を感じやすいという報告は 日本語において対応するハ行子音 ([h], [ɸ]) の知覚において [ɸ] よりも [h] に促音を感じやすいという知覚の傾向があり それが反映された結果生じたものなのではないかと考えた 本研究における実験の結果 日本語の音声として典型的である摩擦に後続する母音がある音声 ( 実験 4-7) であっても 促音挿入される外来語 ( 原語の発音 ) において典型的である摩擦に後続する母音が存在しない音声 ( 実験 4-8) であっても 日本語の [h] と [ɸ] の間には促音判断に関して違いが見られなかった 一方 後続母音 ( 実験 4-8 では回答母音 ) の影響に注目すると 実験 4-7 と実験 4-8 ではともに [a] のときの方が [u] のときよりも促音だと判断されやすいという 同じ方向性の結果が観察された 実験 4-7 の結果の解釈において 後続母音の影響は母音 [a] と母音 [u] の本質的な持続時間 (intrinsic duration) が異なっているために生じた可能性があることを指摘した この解釈では 刺激における後続母音 [a] の持続時間が産出における典型的な [a] の持続時間に比べて短く [u] では逆に典型的な [u] の持続時間と 154 日本語の [h] と [ɸ] は /h/ の異音であり その生起は後続母音によって条件付けられている すなわち 日本語の音素体系において [h] と [ɸ] は独立したものではなく 後続母音に強く依存していることになる このようなことを考えると 日本語のハ行音に関する摩擦の音色の影響を考える際に 後続 ( 幻の ) 母音まで含めた単位を想定しても問題はないと考えられる 172

181 比べて長いことから 大深他 (2005) で指摘されている 後続母音の持続時間が短いときには長いときと比べて促音だと判断されやすい という要因が働いて結果的に後続母音が [a] のときに促音だと判断されやすかったと分析される 実験 4-8 の結果に対しても 同じ説明をそのまま適用することができる 実験 4-8 の刺激は これは~といいます というキャリア文に埋め込まれた 摩擦に後続する母音が削除された音声である 自然音声における サフ サッフ の [ɸ(ɸ)] に後続する [u] については この環境 ( 前後を無声子音に挟まれている ) では母音 (...saɸ(ɸ)uto...) が無声化するため 摩擦に後続する母音が存在しない刺激 ( 実験 4-8) の音声はこの環境における日本語の自然音声の典型的なものに近い 一方 自然音声における サハ サッハ の場合には [h(h)] に後続する [a] は無声子音に挟まれても一般には無声化しないため 摩擦に後続する母音が存在しない刺激 ( 実験 4-8) の音声は日本語の自然音声の典型的なものとは近くない つまり 自然音声では後続母音 [a] がある程度の持続時間を伴って発音されるのが典型的であるのに対し 刺激の音声 ( 母音持続時間が 0) は典型的なものと比べると母音持続時間が極端に短いものと見なすことができる 以上のことから 実験 4-8 の刺激音声を聞いたときに被験者が摩擦の後に感じる幻の母音 [u] は日本語の母音が無声化した自然発話を聞いたときに感じる幻の母音 [u] とそれほど違って聞こえないのに対し 刺激音声に対して被験者が感じた幻の母音 [a] は日本語の自然発話における [a] よりも短いものだと判断されているものと思われる このように解釈すると 実験 4-8 の結果については 子音に後続する母音持続時間が短い場合には長い場合と比べて促音だと判断されやすくなるため ( 大深他 2005) 話者にとって( 自然音声におけるものと比べて ) 短い [a] が感じられたときに促音判断率が高くなったと説明がつく これは実験 4-7 において見られた後続母音の影響に対する説明と同じ原理であるため 後続母音 ( 回答母音 ) の影響という実験 4-7 と実験 4-8 の共通性も同じ説明を当てはめることができる 後続母音の質に基づく説明は ドイツ語からの借用データともうまく整合性を取ることが可能であり これが摩擦の音色に基づく説明と比べたときの利点となりうる すでに述べたように ドイツ語の [f] には促音挿入が起こらず [x] には促音挿入が起こるが [x] が日本語に フ として取り入れられる場合 ( ドイツ語が [-ux] という音連鎖の場合 ) には促音挿入が生じない (Buch Buuɸu) 促音挿入が一貫して生じない [f] は 先行母音によらず フ として取り入れられる つまり 促音挿入の有無は摩擦の音色よりもむしろ摩擦のあとに感じられる母音の質によって決まっていることが借用語のデータから示唆され これは本研究でおこなった知覚実験において回答母音の質が u のときに促音挿入率が下がるという結果とも矛盾しない 一方 Tew (2008) のように促音挿入を摩擦の音色と結び付けてしまうと この点で矛盾をきたしてしまう 本研究の実験の目的は Tews (2008) で見られた実験結果が純粋に摩擦の音色の違いによって生じたものなのかどうかを確認することにあった ドイツ語の自然音声を用いた Tews (2008) においては 日本語話者がドイツ語の [f], [x] ([ç]) を含む音声を聞いたときに [f] よりも [x] ([ç]) を促音だと判断しやすいという結果が報告されている 一方 日本語音声を加工して行った本研究の実験では 摩擦が [h] であるか [ɸ] であるかは促音判断に影響を及ぼさなかった 摩擦の音色の影響に関して このような矛盾する結果が得られた理由も考える必要がある 一つの可能性は 日本語とドイツ語の摩擦音に何らかの違いがあったとするものである 本研究では ドイツ語の [f] と [x] に知覚的に対応し 音響的にも近いと思われる日本語の [ɸ] と [h] を用いて実験を行ったが これら 2 つの結果から ドイツ語の [f], [x] と日本語の [ɸ], [h] は音響的に何らかの違いがあり ドイツ語の [x] には 日本語の [h] にはない 何らかの促音らしさを感じさせる特徴がある ( または ドイツ語の [f] には 日本語の [ɸ] にはない 促音らしさを感じさせにくい特徴がある ) 可能性がある 同 173

182 じ理屈に従えば やはり促音が挿入されにくい英語の [f] もドイツ語の [f] と同じ音響的特徴を有してお り これら 2 つと日本語の [ɸ] が異なっていることになるであろう この考え方に基づくと 借用語の 非対称性と日本語話者の知覚の間に対応関係があると言えるが その日本語話者の知覚はドイツ語の 音声に特定的に観察されるものであり 日本語の音素体系や音産出とは無関係であることになる 別の可能性は Tews (2008) で得られた実験結果は 本研究の知覚実験で観察された後続母音 ( 回答 母音 ) の影響によって生じたというものである 本研究の実験 4-8 では 被験者が摩擦の後に幻の母音 [a] を感じたときには [u] を感じたときに比べて促音判断率が上がるという結果が得られている すでに 述べたように 実験 4-8 において被験者が幻の母音 [a] を聞くか [u] を聞くかは摩擦が [h] であるか [ɸ] であ るかによって ( 完全ではないものの ) 予測可能であり 摩擦が [ɸ] であればほぼ 100%[u] を感じ 摩擦 が [h] であればかなり高い確率で [a] を感じると言えた 155 同様に Tews (2008) におけるドイツ語の [f] と [x] に関しては 日本語話者は [f] であれば常に [u] を感じるのに対し [x] であれば先行母音がコピーされ るのが一般的であるから 先行母音が u でない限り [u] が聞こえることはないはずである ( 例えば Tews (2008) が用いた刺激の [laf], [lax] はそれぞれ ラフ / ラッフ ラハ / ラッハ と聞かれるであろう ) 日本語話者は幻の母音 [u] が聞こえるときには [a] が聞こえるときに比べて促音だと判断しにくい 156 から [u] を感じる [f] のときに促音判断率が下がると解釈可能である このように解釈すると Tews (2008) の 実験において生じた不可解な点の一部を解消できるという利点がある Tews (2008) の実験においては ターゲットの摩擦に先行する母音が [a] であるとき ([lax], [laf] など ) の [x] と [f] の平均促音判断率はそれ ぞれ 65%(22/34) と 26%(9/34) であったのに対し 先行母音が [u] であるとき ([lux], [luf]) の [x] と [f] の平均促音判断率はそれぞれ 53%(17/32) と 40%(14/35) で 先行母音が [u] のときには先行母音が [a] であるときと比べて [x] と [f] の促音判断率の差が小さくなっている Tews (2008) の実験において [x] と [f] の促音判断率の差が大きかった先行母音が [a] の刺激は 日本語話者にとっては [x] の後に [a] が聞こえ [f] の後には [u] が聞こえる音声であるのに対し [x] と [f] の促音判断率の差が小さかった先行母音が [u] の 刺激は 日本語話者にとっては [x], [f] ともに [u] が聞こえる音声である 本研究の実験において日本語話 者が摩擦の後に [a] が聞こえる場合に促音だと判断しやすい知覚の傾向を持っていたことを考えれば Tews (2008) の結果において先行母音が [a] のときの方が [u] のときよりも [x], [f] の促音判断率の差が大き かったことは説明がつく 157 この母音説の立場においても やはり借用語の非対称性と日本語話者の知覚が同じ方向性を示すこ とになるが 一つ目の説とは異なり この 日本語話者の知覚 はドイツ語の音声のみに観察される ものではなく おそらく日本語の音韻体系 ( ハ行子音の相補分布 母音の無声化など ) と関連した現 象の中で生じた知覚の傾向であると解釈されることになる 日本語の音韻体系という点から見ても 日本語のハ行音における [h] と [ɸ] は相補分布するため 摩擦の音色の違いは母音の音色の違いと等しい と言え よってこの解釈は充分にありうるものであるが この母音説は摩擦の後に聞こえる母音が [a] 155 この点からすれば 後続母音 ( 回答母音 ) の影響は摩擦の音色の影響と言い換えてもそれほど問題は生じないわけだが 実験 4-8 の結果を報告したときに議論したように 摩擦の音色よりも回答母音の方がより促音判断に影響を与える要因であったため 本研究では摩擦の音色の影響を棄却し 回答母音の影響を採択した 156 統計検定の結果は相対的な大小関係を述べているものであるので [a] のときの方が [u] のときよりも促音だと判断しやすい は [u] のときの方が [a] のときよりも促音だと判断しにくい と置き換えが可能である 157 この説明にも問題はある Tews (2008) の実験結果を見ると [-af] の平均促音判断率は 26% なのに対し [-uf] の平均促音判断率は 40% であるため 後続に [a] が聞こえる環境で促音判断率が上がるという予測とは逆の結果になってしまっている 174

183 または [u] となる刺激のみを用いた本研究の実験結果から導き出されたものであるため 別の母音が聞こえる音声についても当てはまるかどうかを確認し 今後検証していく必要がある ( 例えば [i], [e], [o] などの別の母音が聞こえる音声も刺激に加えて実験を行ったときに [u] が聞こえた場合だけ促音を感じにくいという結果が得られれば 借用語の促音挿入の非対称性と日本語話者の知覚が同じ方向性を持って対応するといえるであろう 158 ) 借用語の促音挿入の非対称性が生じる理由を明らかにするという本研究の目的から言えば 以上の 2 つの説はどちらも借用語の促音挿入の非対称性のパターンと日本語話者の知覚に共通性が見られると述べている点では変わらないものであり よって借用語の非対称性と知覚の間につながりがあることを示すものである 指摘しておくべき点は 2 つの説は相互排他的なものである必要は全くないという点である つまり 日本語話者は幻の母音 [a] が聞こえる場合には幻の母音 [u] が聞こえる場合よりも促音だと判断しやすい傾向をベースに持っており さらにドイツ語の [x] が日本語の [h] にはない促音らしさを感じさせる特徴を持っており この 2 つがお互いに促音判断を強化する方向に働いていると考えることもできる これら 2 つの説は 単独では借用語のデータと知覚との乖離が大きいため ( 例えば CVC 型の借用語において f には促音がほとんど挿入されないはずなのに Tews (2008) のドイツ語の音声を使った実験では CVf の語の 32% は促音だと判断されている つまり [x] には [f] に比べて促音が挿入されにくいという方向性は一致しているが 実際のデータにおける分布と完全に一致しているわけではない 同様のことは ターゲットの摩擦音の後に聞こえる母音による説明にも当てはまる ) むしろ 2 つの説で挙げられた要因が同時に働いていると見なした方がより実際のデータとの一致の度合いを高めることができる 最後に 実際の借用語のデータと知覚が完全に一致しないという点に関係して ドイツ語からの借用語 ([x] ([ç]) を含む ) のデータにおいて 促音挿入は一般に想定されているほどの頻度で起こるわけではない可能性があることを指摘しておく (24) は [x] ([ç]) を含むドイツ語の姓や名前と それが日本語に取り入れられたときの発音を挙げたものである (Tochter の発音は Iwasaki 2006 それ以外は ウィキペディア の ドイツの人名 ドイツ系の姓 および関連するページより得た ) これらの例は断片的なものであるが [x] ([ç]) に促音が挿入された形とそうでない形が混在していたり ((24b)) 促音が入らないのが一般的であるもの (24c) も尐なからず見受けられる 例に挙げた語は [x] ([ç]) が置かれた音韻環境や語の音節数もばらばらであり 網羅的に調べたあげたものではないから断定はできないが ドイツ語の [x] ([ç]) への促音挿入はこの音であればほぼ 100% 促音が挿入されるというほど強いものではない可能性があり その意味において Tews (2008) や本研究の実験において [x] (h) と [f] (ɸ) の促音判断率がそれほど極端に (100% と 0% のように ) 異なっていなかったことは むしろ知覚と実際のドイツ語のデータがかなり一致していることを示すものである可能性がある この点については 最終的にはドイツ語の実在語のデータを網羅的に調べた上で議論する必要があるため 今後の課題とする 158 本研究の実験の解釈において [a] が感じられたときと [u] が感じられたときの促音判断率の違いを 母音の本質的持続時間や母音の無声化とそれに伴う補償効果などから説明した もし [i] が感じられたときと [u] が感じられたときとで促音判断率が異なるという結果が得られたとすれば 借用語のデータと知覚との共通性との面では問題がないが なぜ判断される母音の質が促音判断に影響するのかについては説明を考え直す必要が出てくる ([u] と [i] はともに狭母音であり 本質的持続時間や無声化などの起こりやすさの面でほぼ同じ条件であると考えられるため ) これらの問題点は 今後検討していく必要のある課題である 175

184 (24) ドイツ語の [x] (ç) と促音挿入 a. Reichenbach ライヘンバッハ Schmacher シューマッハ b. Heinrich ハインリッヒ / ハインリヒ Schleiermacher シュライエルマッハー / シュライアマハー Friedrich フリードリッヒ / フリードリヒ Ludwig ルートヴィッヒ / ルートヴィヒ c. Tochter トホター Michael ミハエル ( ミヒャエル ) Albrecht アルブレヒト Richard リヒャルト Kirchner キルヒナー Büchner ビューヒナー Richter リヒター 4.5. 総合的考察本章では 単子音 重子音の有標性の例外と解釈できる日本語の借用語の促音挿入に関して s, sh の非対称性 無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性 x (h), f (ɸ) の非対称性が生じる理由を音声学的観点から議論した 個々の領域に関してはそれぞれ非対称性にかかわる要因を挙げることができたが 以下ではこれら 3 つの領域における非対称性を統一的に説明することができるかどうかを考察し 有標性の例外が生じるメカニズムについて議論する また 借用語の促音挿入の非対称性に対する音声学的要因による説明の有効性と限界についても議論する 最後に 本研究の実験結果が借用語音韻論以外の諸分野にどのような知見をもたらすのかを議論する 借用語の促音挿入における 3 つの非対称性の統一的説明本章では 借用語の促音挿入における 3 つの非対称性 (s, sh の非対称性 無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性 x (h), f (ɸ) の非対称性 ) に関する知覚実験を行い その音声学的基盤を議論した s, sh の非対称性に関しては 英語の s, sh の持続時間自体には大きな差がなく 本研究の知覚実験において 日本語話者には sh には s に比べて促音を感じやすい (s には sh に比べて促音を感じにくい ) という実在する借用語のデータと共通する結果が得られたことから 日本語話者が持つ知覚の特徴が非対称性を生み出す要因の一つであることを指摘した 一方 無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性に関しては 英語の発音において無声閉鎖音 有声閉鎖音の持続時間に明らかな差があり 持続時間の観点から 英語の無声閉鎖音は ( 有声閉鎖音に比べ ) 日本語の促音に近い領域に分布すると言えたため 主たる原因は英語の音声の側にあることを指摘した 最後に x (h), f (ɸ) の非対称性については 原語 ( ドイツ語 ) の音声の音響的特徴 ( ドイツ語の [x] は日本語の [h] にはない 促音を感じさせる特徴を持っている ) と ( または ) 子音に後続母音 ( 幻の母音 ) が [a] のときに [u] のときよりも子音に促音を感じやすいという日本語話者の知覚の特徴から x (h), f (ɸ) の非対称性が生じている可能性を指摘した 幻の母音として何が感じられるかは摩擦の音色に依存しているため これは広い意味での摩擦の音色の影響であると解釈することができるが これはあくまで幻の母音の影響を介して生じる摩擦の音色の影響と 176

185 みなすべきものであって s, sh の見られた摩擦の影響とは厳密には異なるものであった 同様に s, sh の非対称性の場合には合成音声た知覚実験において英語からの借用語パターンと共通する知覚の傾向が観察されたことから 英語の s, sh が日本語の s, sh にはない特定の音響的特徴を有するために非対称性が生じたということはないと考えられるから この点でも x (h), f (ɸ) の非対称性とはメカニズムが異なるといえる 以上のことから 非対称性の原因は一様ではなく 厳密な意味で言えば全ての領域に共通する要因を見つけ出すのは困難である これら 3 つの領域に共通する点があるとすれば 語を借用する際には単に英語やドイツ語と日本語の音素レベルでの対応関係を作るのではなく その音を聞いたときに日本語話者が感じる特徴 ( 知覚的類似性 ) を保つような形で対応関係を作って取り入れるという点である 例えば 英語の s, sh は音素レベルでの対応関係を保つだけであれば挿入母音を一つ入れて ス シュ として取り入れるのが最も労力が尐なくて済み 音韻レベルでの対応という点ではこれが日本語の音韻制約を守ったうえで最も入力を忠実に守っている候補ということになる しかし 日本語話者は s よりも sh に促音を感じやすいため sh の方が長いと感じる事実を保つために sh に対してわざわざ促音を挿入する 同様に 英語の無声閉鎖音 有声閉鎖音を取り入れる際も 例えば p と b であれば プ ブ と取り入れるのが最も労力が尐なくて済み 入力への忠実性が高いことになるはずだが p は日本語の促音の領域に入っている ( または 尐なくとも b よりも相対的に促音の領域に近い ) ため その感覚を保つために p にはわざわざ促音を挿入する x (h), f (ɸ) の非対称性についても 同様のことが言える 日本語話者は摩擦の後に幻の母音 [a] が聞こえるときには [u] が聞こえるときよりも促音だと感じやすいため 摩擦の後に [a] が聞こえる Bach(bahha) や Mach(mahha) には促音らしさを感じるのに対し 摩擦の後に [u] が聞こえる Josef(yoseɸu) や Buch(buuɸu) には促音らしさを感じない ( ドイツ語の [x] が特に促音を感じさせる音響的特徴を持つという仮説が正しければ この効果はますます強調される ) つまり 3 つの領域のいずれにおいても 音韻的な情報よりも 音声的情報 ( 特に 聞き手がそうだと感じる知覚的類似性 ) が優先して保たれている これは 英語からの借用において音声的 ( 音韻ではなく ) 情報による perceptual assimilation が働くという Takagi and Mann (1994) の議論や 非母語の音声の知覚においては 音韻的な情報ではなく音声的な情報に基づいてマッピングがなされるという Perceptual Assimilation Model (PAM) (Best 1995) の見解とも一致するものである Takagi and Mann は主に無声閉鎖音に関する議論をしており PAM は第 2 言語習得の分野で比較的議論されるモデルであるが 159 無声閉鎖音以外にも また 非母語からの借用 ( 尐なくとも 本研究で対象とした 3 つの領域 ) についてもこれらの議論が当てはまることが本研究の実験により明らかとなった 表 81. 非対称性とその原因 : まとめ 領域 s, sh 無声閉鎖音 有声閉鎖音 [x], [f] 摩擦の音色 : ドイツ語の摩擦の音色 / 聞こえる母音の英語の子音持続時間 : 非対称性の sh は s よりも質 ( 擬似的な摩擦の音色の影響 ): 無声閉鎖音の持続時間が日原因促音だと判断幻の母音 [a] が聞こえる摩擦は [u] が聞こえ本語の促音の領域にあるされやすいる摩擦よりも促音だと判断されやすい 159 PAM 自体は第 2 言語習得に特化したものではなく ( 尐なくとも Best 1995 を読む限りでは ) もともとは産出と知覚の対応関係の direct realistic なアプローチというより広い枠組みから生まれたものである 177

186 冒頭で議論したように 単子音は重子音よりも無標であるが sh や無声閉鎖音 [x] を含む借用語には促音 ( 重子音 ) が挿入され 積極的に有標な構造が作り出される 本研究ではこれを有標性への例外と捉え このような例外が生じる理由を明らかにしようと試みてきた これらの例外は 有標な構造を阻止しようとする力よりも音声的な情報 ( 話者にとっての知覚的類似性 ) を保持しようとする力の方が上回った結果 有標性の観点からは例外とも取れる出力がなされたため生じたと解釈可能である 音声学的要因による説明の有効性と限界について本章では 借用語における促音挿入の非対称性に対して音声学的説明が有効であることを議論してきたが ここで 音声学的要因による説明の有効性とその限界について議論する 表 82 は 節において議論した丸田 (2001) による英語からの借用語における促音挿入率を再度まとめて提示したものである この音韻的データと 本研究で行った実験の結果がどの程度一致するのかを確認することで 音声学的要因による説明の有効性を考察する 表 82. 英語からの借用語における促音挿入率 ( 丸田 (2001) に基づく ) 促音挿入率 s sh 無声閉鎖音有声閉鎖音 f h 1.2% 100% 98.9% 42.4% 13.0% s, sh の促音挿入の非対称性については 実際の借用語データでは s には促音がほとんど挿入されないのに対し sh には常に促音が挿入される 本研究では この非対称性の基盤は sh に促音を感じやすい (s に促音を感じにくい ) という日本語話者の知覚の傾向にあることを指摘したが 実験による結果では s と sh の促音挿入率の差は最大でも 30% 程度であり 実際の音韻データにおける s と sh の促音挿入率の差には及ばなかった つまり 知覚実験の結果は実際の音韻データと方向性が同じであり この点では音声学的説明が一定の有効性を持つと言えたが 音声学的説明のみで実際に生じている非対称性を完全に説明できるわけではないことも指摘しておく必要がある これは 無声閉鎖音 有声閉鎖音の促音挿入の非対称性や x (h), f (ɸ) の非対称性についても当てはまる 例えば 本研究では 無声閉鎖音 有声閉鎖音の促音挿入の非対称性は 英語の発音における子音持続時間が無声閉鎖音では日本語の促音の領域に 有声閉鎖音では日本語の非促音の領域に属しているためだと説明した この説明は確かに無声閉鎖音の方が有声閉鎖音よりも促音が挿入されやすいという相対的傾向の説明にはなるが この説明が正しければ有声閉鎖音への促音挿入率は限りなく 0 に近くなるはずであるのに対し 実際のデータでは非促音の領域に属するはずの有声閉鎖音にも 40% 程度の確率で促音が挿入されているなど やはり実際のデータと音声学的説明から予測される結果は完全に一致しない x (h), f (ɸ) の非対称性については x (h) を含む借用語における促音挿入率が不明であるために断言はできないが おそらく本研究における x (h), f (ɸ) の非対称性に対する知覚的要因による説明は実際のデータとは一致しない部分が生じるであろう 音声学的説明と実際のデータとのずれは 借用語の促音挿入には本研究で議論したような要因以外にも何らかの別の要因が関与している可能性を示唆するものである 可能性としては 文字の影響 音韻化 (phonologization, cf. Barnes 2006) による範疇化などが考えられるが これらを含めて借用語の非対称性に関与する要因をさらに検討していくことが今後の課題である 178

187 借用語音韻論以外の諸分野への知見本研究の知覚実験は 借用語のデータの説明という観点からも重要であるが 借用語以外の分野に対してもいくつかの重要な知見を提供するものである 実験音声学の分野では 日本語の促音の知覚に重要な手がかりは子音持続時間だとされており ( 藤崎 杉藤 1977) 促音 非促音の判断における子音持続時間以外の要因の探求は散発的には見られるものの ( 大深他 2005 など ) まだ充分に研究がなされていないため 日本語音韻論 音声学研究の中で近年重要視されている話題の一つである これに対して本研究では ( もちろん子音持続時間が重要であることは否定されないものの ) 子音持続時間以外にも摩擦の音色 先行母音の長さ 後続母音の質 ( 音響的には存在しない場合も含め ) などの様々な要因が促音の知覚に関係していることを示した 音声処理のプロセスの議論に対しても 本研究の実験結果は興味深い知見を提供する x (h), f (ɸ) の非対称性に関する知覚実験 ( 実験 4-8) において 刺激には音響的に全く母音が存在していないとき 被験者が摩擦の後に幻の母音 [a] を感じた場合の方が [u] を感じたときよりも促音だと判断しやすいという傾向が得られた Dupoux et al. (1999) によって 日本語話者は知覚の段階で幻の母音を感じて挿入を行うことが明らかにされているが 音の知覚の過程で挿入された母音の質が促音判断に影響を及ぼしているという点から 促音の判断は知覚のプロセスのかなり後の段階でなされている可能性が示唆される そもそも促音の判断は周囲のセグメントとの相対的な持続時間によってなされるものであるから テンポの抽出が終わらないことには促音 非促音の判断をすることは難しいはずである そして そのテンポの抽出は母音の始点間隔を見ることによってなされる (Kato et al. 2003) ため ここからも促音が知覚のかなり後の段階で判断されるということは不自然ではないと言える これは今後の課題となるが 以上のような母音が無声化しているときのテンポの抽出 ( 無声化した母音はテンポ抽出の際の V-onset としての機能をになうことができるのか ) と促音判断との関係を探ることで 促音の議論にも音声処理のプロセスの議論にも有益な結果がもたらされるであろう 本研究の知覚実験は言語音と非言語音の関係についての議論にも密接に関わっている 言語音の知覚に特化したモードがある ( 言語音の知覚は非言語音とは異なる ) という立場 (Motor Theory: Liberman and Mattingly 1985, 1989, Whalen and Liberman 1987, Gow and Segawa 2009) がある一方で 主に心理音響学 (psychoacoustics) の分野では言語音の知覚は必ずしも非言語音と異なるものではなく 言語音の知覚や言語音の対立は非言語音の知覚 ( の尐なくとも一部 ) を基盤にしている (Pisoni 1977, Kluender et al. 1985, Parker et al. 1986, Stephens and Holt 2003, Kato et al. 1998, 2002, 2003, Mirman et al. 2004, 林他 1991) という立場がある 本研究では s, sh の促音の知覚において観察された 日本語話者は s よりも sh に促音を感じやすいという摩擦の音色の影響が 非言語音の知覚における持続時間の区別と関係している可能性を指摘した この点についても今後の課題であるが 非言語音を用いてより詳細な実験を行うことで s, sh の促音の知覚だけでなく 言語音と非言語音の関係の議論に対しても貢献できる可能性がある 4.6. 借用語における非対称性 ( 有標性の例外 ) とその音声学的基盤 : 結論本論文の目的は 音声学に基づく音韻論 のアプローチに基づいて有標性および有標性の例外の音声学的基盤を明らかにすることにより 音韻理論の妥当性を示すことであった そのために 本章では単子音 重子音の有標性の例外と見なすことができる日本語の借用語における借用語における促音挿入の非対称性 (s, sh の非対称性 無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性 x (h), f (ɸ) の非対称性 ) とい 179

188 う音韻的現象が生じる理由を音声学的観点から説明した 音声学的側面からは 以下に述べるように促音 非促音の判断に持続時間以外の側面が関与することが示された s, sh の非対称性に関しては 英語の s, sh の持続時間自体には大きな差がなく 本研究の知覚実験において 日本語話者には sh には s に比べて促音を感じやすい (s には sh に比べて促音を感じにくい ) という実在する借用語のデータと共通する結果が得られ このことから日本語話者が持つ知覚の特徴が非対称性を生み出す要因の一つであることを指摘した 一方 無声閉鎖音 有声閉鎖音の非対称性に関しては 英語の発音において無声閉鎖音 有声閉鎖音の持続時間に明らかな差があり 持続時間の観点から 英語の無声閉鎖音は ( 有声閉鎖音に比べ ) 日本語の促音に近い領域に分布すると言えたため 主たる原因は英語の音声の側にあることを指摘した 最後に x (h), f (ɸ) の非対称性については 原語 ( ドイツ語 ) の音声の音響的特徴 ( ドイツ語の [x] は日本語の [h] にはない 促音を感じさせる特徴を持っている ) と ( または ) 子音に後続母音が [a] のときに [u] のときよりも子音に促音を感じやすいという日本語話者の知覚の特徴から x (h), f (ɸ) の非対称性が生じている可能性を指摘した これら 3 つの領域に共通して見られた特徴は 英語やドイツ語から日本語に借用する際に 単なる音素の対応関係よりも音声的な情報 ( 話者にとっての知覚的類似性 ) の保持が優先されるという点であった 有標性の観点からすれば単子音は重子音よりも無標であるが 借用語においては sh や無声閉鎖音 [x] を含む借用語には促音 ( 重子音 ) が挿入され 積極的に有標な構造が作り出されるという矛盾が生じていた これらの例外は 有標な構造を阻止しようとする力よりも音声的な情報 ( 話者にとっての知覚的類似性 ) を保持しようとする力の方が上回った結果 有標性の観点からは例外とも取れる出力がなされたため生じたものであると解釈可能であり 有標性の例外にはあたらないことを指摘した 180

189 5. 閉鎖音 摩擦音の有標性およびその例外の音声学的基盤 5.1. はじめに本章では 閉鎖音 摩擦音の有標性とその例外の音声学的基盤を考察する 閉鎖音は摩擦音よりも無標であるとされており (Jakobson 1941/1968) 有標性の含意法則によると 摩擦音の存在は閉鎖音の存在を含意する こうした有標性の存在は 自然言語の音素分布 ( 無標であるほど広く分布する ) 幼児の音韻獲得 ( 無標であるほど早く獲得される ) 音の喪失( 無標であるほど喪失されにくい ) などの現象を見ることで確認されており ( 窪薗 1999) さらに 竹安(2007c) では方言における音の混同などの現象においても閉鎖音 摩擦音の有標性が観察されることが指摘されている しかしながら 音の弱化や歴史的音変化の現象などを見てみると 必ずしも常に有標性の法則が当てはまるとは限らず 有標性階層に反するような例が尐なからず観察されることも報告されている ( 竹安 2007c) 有標性階層への反例の存在は 普遍的な有標性階層を想定する音韻理論にとって大きな問題であり こうした例外的振る舞いが生じる理由を説明することは重要な課題である そこで 本研究では閉鎖音 摩擦音の有標性に対する例外が見られる原因について 特に知覚的な観点からの説明を試みる 以下 5.2 節では閉鎖音と摩擦音の有標性について 様々な領域に渡る先行研究のデータを総括し 一般に閉鎖音の方が摩擦音よりも無標であると言えることを示す 一方 5.3 節では先行研究で報告されている閉鎖音と摩擦音の有標性階層に対する例外的データを総括し この例外の生起要因は語内の位置の影響によって一般化することが可能であることを示す 5.4 節では 5.2 節および 5.3 節で議論した音韻的な有標性 および有標性階層に例外を引き起こす位置の影響が生じる理由が先行研究においてどのように説明されてきたかを概観し それらの分析の問題点を指摘する そして 本研究で知覚的要因に基づいて立てた新たな仮説を提示する 5.5 節および 5.6 節では 本研究で提示した知覚的要因に基づく仮説の妥当性を検証するために行った知覚実験の結果を提示し それらの結果に基づいて 5.7 節で有標性およびその例外が 先行研究で提示されている音声学的要因に加え 知覚的な基盤も持つことを議論する 5.2. 閉鎖音 摩擦音の有標性 : 音韻的事実 Jakobson (1941/1968) によれば 閉鎖音は摩擦音よりも無標であるとされている 閉鎖音の方が摩擦音よりも無標であることを示す例は 自然言語における音素分布 幼児の音韻獲得 音の喪失など幅広い現象に渡って報告されてきた 以下では 様々な現象において観察される閉鎖音と摩擦音の有標性階層について概観する 自然言語における音素分布自然言語 (317 語 ) における音素分布を調べた Maddieson (1984) によると 317 の言語のうち 閉鎖音を持つ言語の数は 317 (100%) であったのに対し 摩擦音を持つ言語の数は 296 (93.4%) であった ( 表 83) 言い換えると 摩擦音を持たない言語は存在するが 閉鎖音を持たない言語は存在しないことになる また 一つの言語に存在する閉鎖音の数と摩擦音の数を比較してみると 表 84 に示したように閉鎖音のほうが摩擦音よりも数が多く 閉鎖音のほうが摩擦音よりも音素として使用されやすい 以上のことから 摩擦音の方が閉鎖音よりも有標であるといえる 181

190 表 83. 閉鎖音 摩擦音を持つ言語数 言語数 割合 (317 言語中 ) 閉鎖音 % 摩擦音 % 表 84. 一言語が持つ閉鎖音 摩擦音の音素数 (Maddieson 1984:12, より ) 平均 最小 最大 閉鎖音 ( 破擦音含む 吸着音除く ) 摩擦音 (h を除く ) 約 幼児の音の獲得 ( 産出 ) 順序 Jakobson の有標性が顕著に観察される領域の一つが 幼児の音韻獲得である 多くの先行研究で 幼児は摩擦音よりも閉鎖音を先に獲得することが指摘されている 160 (Bernhardt and Stemberger 1998, Ferguson 1978, Locke 1983, Macken 1980, Vihman 1996, Vihman and Velleman 1989) Ferguson(1978) によると 英語を母語とする幼児の閉鎖音 摩擦音の獲得には (25) に示したような段階が存在する (25) 閉鎖音 摩擦音獲得の段階 (Ferguson 1978: 105) Stage I stops (voice nondistinctive); no fricatives Stage II voiceless & voiced stops; fricatives (voice nondistinctive) Stage III voiceless & voiced stops; voiceless & voiced fricatives 摩擦音が獲得されていない時期 ( 上記の Stage I, II) に頻繁に見られる現象が 摩擦音の閉鎖音化 (stopping) である 161 (26) は Smith(1973) に挙げられている Amahl の発音であるが 摩擦音 /s( ʃ) / と /z/ がそれぞれ閉鎖音 [t] と [d] 162 に置き換えられているのがわかる (26) Amahl (Smith 1973) の発音 s - t (- ʃ) tea [t h i:] see [t h i:/t s i:] sheep [ti:p] (2 歳 7-8 ヶ月 ) mat [mæt] mass [mæt] mash [mæt] (2;7-8) 160 以降で議論の対象となる幼児のデータは 語を獲得し始める時期以降 (1 歳以上 ) のものである より初期の段階における幼児の発音は以降の議論には当てはまらない点が多い ( 詳しくは Ferguson (1978) Roug(1989) などを参照のこと ) 161 摩擦音が閉鎖音以外の音に置き換わることも尐なくない ( 例 :sip [wip], fire [wæ:]) また 後ほど 節で議論するように ある程度摩擦音が獲得されてくると 特に無声摩擦音では閉鎖音化よりも摩擦音同士の交替 ( 例 :thought [sɔ:t], something [fʌmpin], teeth [ti:s]) が多くなるようである ( 例はすべて Smith 1973 より ) 162 例の中で 付きで表されている d は Smith(1973) によれば音声的には無声化した d([t]) である 後述するように 幼児の発音では無声のほうが有声よりも基本であるため z( d) t のように置き換えられたと考えられる 182

191 d - z.. do [du:] zoo [du:] (2;4) sead [ti:d] seize [ti:d] (2;10-11, 2;8-9) 閉鎖音化を起こすのは英語を母語とする幼児だけに限らない 163 また 閉鎖音化が起こる摩擦音は (26) に挙げられた /s, ʃ, z/ に限らない 表 85 は閉鎖音化が起こった幼児の発音の例を示したものであるが 英語以外の言語を母語とする幼児においても閉鎖音化が観察されうること また /s, ʃ, z/ 以外の摩擦音も対応する ( もしくは近い ) 調音点の閉鎖音へと閉鎖音化されうることがわかる また 閉鎖音化は語の位置 ( 語頭 語末など ) に関係なく起こりうることもわかる 一方 逆の現象 つまり閉鎖音が摩擦音に置き換えられる例も存在するが そのような例は極めて稀 164 であることから 幼児の音の獲得順序は先行研究で指摘されているとおり 閉鎖音が先 摩擦音が後 であるといえる つまり 幼児の音韻獲得においては 閉鎖音の方が摩擦音よりも無標であるといえる 表 85. 幼児の発音 ( 摩擦音の閉鎖音化 ) 母語 幼児名 年齢 ; 月 単語 発音 変化 変化の起こる位置 出典 英語 Amahl 2;8-9 saucer [t h ɔ:tə] s t h, t 語頭 語中 ( 母音間 ) Smith ;1-2 these [di:z] ð d 語頭 2;1 other [ʌdə] 語中 ( 母音間 ) 2;12 thought [tɔ:t] Ѳ t 語頭 Amahl 2;5 roof [wu:p] 語末 Smith 1973 Larry? teeth [t h it] 語末 Bernhardt & Stemberger 1998 Roger? fish [p h itʃ] f p h 語頭 DE? vase [bes] 語頭 Bernhardt & Stemberger 1998 Sean 1;4 move [mu:b] 語末 Vihman 1996 フランス Charles 1;2 bravo [(b)abo], v b 語中 ( 母音間 ) 語 ( 仏 ) [baɞo], [bavo] 日本語?? saru [taru] s t 語頭 小椋 (1978)?? osjo:ju [oto:ju] s t 語中 ( 母音間 ) 小椋 (1978) 韓国語?? (son) [t on] s t 語頭 Ahn and Kim 2003 韓国語?? musʌwʌ [mut h ʌwʌ] s t h 語中 ( 母音間 ) Ahn and Kim Locke(1983:63-64) によると 摩擦音の閉鎖音化はヒンディー語 ギリシャ語 スロベニア語 (Slovenian) チェック語(Czech) スペイン語 ノルウェー語 フランス語 エストニア語 など 様々な言語で観察される現象であるという 164 閉鎖音の摩擦音化の例 (Velten 1943, Vihman 1996 より ):cat [faf], later [baza ], belly [vei], ball [bßʊ], bubu( 日本語 ) [ßaʔpa] など いずれも各幼児の発音全体からすると例外的な発音である 183

192 表 86. 失語 発語失行 構音障害の患者の発音 : 閉鎖音 摩擦音が正しく産出された率 ( 竹安 2006) 先行研究 母語 * 症状 被験者 人数 年齢 タスク 分析方法など 位置 (1) Shankweiler and Harris (1966) 英語 A-AOS 2 名 39~61 歳 (50)? 単音節の有意味語 (200 語 ) の反復 語頭 (2a) Sands et al. (1978): 1965 時点 (2b) 同上 : 1975 時点 英語 A-AOS 1 名 56 歳 (1975 時点 ) Shankweiler and Harris (1966) と同じ被験者 (1 名 ) に対し 同じ方法で 1975 年に調査を実施 語頭 (3a) Johns and Darley (1970) (3b) 同上 英語 (A-?)AOS DYS 10 名 9 名 18~67 歳 (43) 28~71 歳 (58) 単音節の有意味語 (30 語 ) の反復 語頭 語頭 (4a) Platt et al. (1980b) (4b) 同上 英語 DYS 語頭 : 48 名 17~55 歳語末 : (28) 46 名 単音節 (CVC) 有意味語(29 語 ) が書かれた単語リストを読ませる ( できない場合 実験者の発音に続けて反復させる ) 語頭 語末 (5a) Sugishita et al. (1987) 日本語 A-AOS 1 名 27 歳 (5b) 同上 日本語 A-AOS 1 名 58 歳 82 の名詞 (2~6 拍 ) について 反 復と絵を見せて発音させる 2 タス ク 語頭 + 語中 (?) 語頭 + 語中 (?) * A-AOS = 失語 / 発語失行, DYS = 構音障害 音の喪失 Jakobson によれば 失語症の患者が音の対立を喪失していく過程においても 幼児の音韻獲得などに見られたような有標性の法則が働いている すなわち 有標な音は無標な音に比べて対立が失われやすいと述べている 一方で 失語症に関する Jakobson の指摘は必ずしも妥当ではないとする研究も存在している Fry (1959) は失語症患者の発音におけるエラーのパターンは幼児の発音におけるエラーのパターンとは異なることを指摘し Jakobson の指摘は必ずしも妥当ではないと述べている しかし Fry の指摘は尐数 (1 名 ) の失語症患者のデータに基づくものであり エラーのパターンが異なる という際の基準も明確ではないなどの問題点がある 筆者の知る限りでは その後 音の喪失における有標性に関する議論は活発には行われていない 特に 音の喪失における閉鎖音 摩擦音の有標性に特化した議論は存在しない そこで 竹安 (2006) では 以下に挙げた失語 発語失行 構音障害の患者の発音に関する先行研究をデータベースとし 閉鎖音 摩擦音の正産出率を比較することで音の喪失過程においても閉鎖音 摩擦音間の有標性が確 184

193 ( つづき ) % Correct 閉鎖音摩擦音有意差 ( 閉鎖 - 摩擦間 ) (1) Shankweiler and Harris (1966) 62.5% (60/96) 47.7% (61/128) p < 0.05 (2a) Sands et al. (1978): 1965 時点 27.1% (13/48) 14.1% (9/64) n.s. (2b) 同上 : 1975 時点 68.8% (33/48) 68.8% (44/64) n.s. (3a) Johns and Darley (1970) 87.0% (783/900) 74.0% (777/1050) p < (3b) 同上 81.4% (659/810) 74.1% (700/945) p < (4a) Platt et al. (1980b) 91.3% (263/288) 82.4% (277/336) p<0.01 (4b) 同上 85.1% (235/276) 60.9% (196/322) p < (5a) Sugishita et al. (1987) 54.4% (124/228) 36.0% (27/75) p < 0.01 (5b) 同上 35.5% (81/228) 16.0% (12/75) p < 0.01 認されるかどうかを検証した 165 表 86 から明らかなように 閉鎖音 摩擦音の正産出率は研究によって大きく異なっているが これは研究ごとに扱っている症例やその症状の重さが異なるためであると思われる 重要なのは 同一の研究内で閉鎖音 摩擦音の正産出率を比較した場合に 摩擦音の正産出率が閉鎖音の正産出率よりも上回ることはないことである この事実は閉鎖音の方が摩擦音よりも喪失の度合いが軽度であると解釈できるものであり 閉鎖音の方が摩擦音よりも無標であることを示唆するものである また 竹安他 (2007) における筋ジストロフィー児の発音の調査においても 同様の傾向が観察さ 165 失語 構音障害 発語失行とも 脳損傷等の理由により言語に障害が出る症例である 失語は必ずしも発音における障害を伴うわけではないのに対し 構音障害 発語失行は発音の障害を伴うものである 発音の障害は 構音障害では調音器官の筋肉 神経などの麻痺が原因で起こるのに対し 発語失行では調音器官を動かすプログラミングの問題であるとされている ( 詳しくは Murray and Chapey (2001) 平山 (1994) などを参照のこと ) なお Jakobson (1941/1968) では有標性は音の 対立 の獲得や喪失に関する議論であって 産出のレベルの問題とは異なるものだと述べているが 客観的な議論のためには獲得や喪失の有無を正産出率から推測するのが一般的である ( 例えば幼児の音の獲得時期についても 一定の正産出率を超えたか否かによって獲得されたかどうかが決められている (prather et al. 1975, Smith et al. 1990)) よって 本稿では音の喪失を失語 発語失行 構音障害の患者の音素正産出率に基づいて議論することとした 185

194 れている 近畿方言におけるザ行音 ダ行音の混同近畿方言の一部では ザ行音とダ行音の間で子音の混同が起こることが知られている 166 このザ行音とダ行音の混同においても 閉鎖音が無標であることを示す例が観察される 杉藤 (1982) は兵庫県多紀郡篠山町で小学生 205 名 中学生 77 名 高校生 49 名 計 331 名を対象に単語 ( 有意味語 25 語 無意味語 12 語 167 ) の聴取実験を行い さらにその 331 名の中から 6 人につき一人の割合で無作為抽出した 56 名の発話を収集した 調査で得られたザ行音 ダ行音の混同率は表 87 の通りであった 表 87 を見ると 中学生の産出については ザ行 ダ行 の混同と ダ行 ザ行 の混同の起こりやすさに差が見られないが それを除けばすべての年代について産出 知覚ともに ザ行 ダ行 の混同の方が ダ行 ザ行 の混同よりも起こりやすい つまり 摩擦音 閉鎖音の混同の方が逆よりも多いことが調査によって示された これは幼児の音韻獲得における置換エラーのパターンとも共通した傾向であり このデータから 産出においても 知覚においても 閉鎖音の方が摩擦音よりも無標であることが示唆される 168 表 87. ザ行音 ダ行音の混同が起こる確率 : 兵庫県多紀郡篠山町における有意味後の産出 知覚実験 ( 杉藤 1982:309) 産出 知覚 ザ行 ダ行 ダ行 ザ行 ザ行 ダ行 ダ行 ザ行 小学生 ( 低学年 ) 37% 3% 46% 3% 小学生 ( 中学年 ) 28% 5% 26% 2% 小学生 ( 高学年 ) 21% 7% 22% 5% 中学生 7% 6% 12% 1% 高校生 21% 7% 14% 1% 166 /kaze/ [kade] /aza/ [ada] など ( 杉藤 1982) これらの混同は後続母音が /i, u/ の場合には起こらないとされている 大分県でも同様にザ行音とダ行音の混同が報告されている ( 詳しくは木部 2001 を参照 ) また 粉河町はザ行音 ダ行音の混同のみならず これらの音がラ行音との間でも混同を起こす地域としても有名である 167 NHK 放送劇団員による発音 ザ行音は 標準的な発音では語頭 撥音 ( 促音 ) の後で破擦音 [dz (dʒ)] で その他の環境では摩擦音 [z(ʒ)] で発音される 杉藤の記述によれば 用いた刺激音は 明瞭な発音 であるので ザ行音については破擦音で発音されたものが混ざっていると思われる これが実験結果に与えた影響については後ほど議論する なお 有意味語については調査地域と同じアクセントで発音されているため 混同が不慣れなアクセント型により引き起こされたという可能性は無い 168 ザ行子音 /z/ は 通常は語頭 撥音 ( 促音 ) の後では破擦音 [dz (dʒ)] で発音され その他の環境では摩擦音 [z(ʒ)] で発音される 従って 知覚実験の結果見られた語頭のザ行音とダ行音の混同は 厳密に言えば破擦音と閉鎖音の間の混同であり 摩擦音と閉鎖音の間の混同ではない しかし 摩擦成分の有無という点から見ると 摩擦成分の無い音 ( 閉鎖音 ) が摩擦成分のある音 ( 破擦音 摩擦音 ) よりも好まれると解釈でき 閉鎖音の方が無標であるという Jakobson の指摘と矛盾しない 186

195 閉鎖音 摩擦音間の有標性 : まとめ自然言語における音素分布 幼児の音韻獲得 音の喪失における正産出率 方言における音の混同 ( 産出 知覚 ) など 様々な現象に渡って 閉鎖音の方が摩擦音よりも無標である という傾向を示すデータが得られた この他 例えば第 2 言語習得の分野において 日本語の閉鎖音の促音の習得は摩擦音の促音の習得よりも早いといった例も報告されており (Toda 2003) やはり閉鎖音の方が摩擦音よりも無標であると考えられる 以上のことから 尐なくとも閉鎖音 摩擦音に関しては Jakobson の有標性法則は妥当であることが確認された 5.3 有標性の例外と位置の影響 : 音韻的事実閉鎖音は摩擦音よりも無標であるとされているが この有標性階層には例外が生じる場合がある こうした例外はランダムに起こるわけではなく 例外が起こるのには一定の条件が存在することが指摘されている ( 竹安 2007c) 閉鎖音と摩擦音の有標性階層に生じる例外に関する条件とは 語内の位置 であり 閉鎖音 摩擦音の有標性の議論においては位置による影響を考慮することが重要である (Ferguson 1978, Zoll 1998, Lee 2006, 竹安 ) 以下では 幼児の音韻獲得 音の喪失 方言における音の混同や歴史的 共時的な音変化において閉鎖音 摩擦音に関して生じる位置の影響について概観し 閉鎖音は語頭で好まれやすく 非語頭では好まれにくい という傾向が一貫して見られることを示す 一方 摩擦音は閉鎖音同様に 語頭で好まれやすく 非語頭では好まれにくい という傾向を示すこともあれば 語頭では好まれにくく 非語頭で好まれやすい という逆の傾向を示すこともあり 摩擦音に関する位置の影響は閉鎖音に比べて一貫性が尐ないことを示す そして 以上のことからの帰結として 閉鎖音と摩擦音の有標性階層が逆転する場合 それはまず語中で起こり 語中で起こらず語頭で起こることはないという含意が成り立つことを指摘する 幼児の音韻獲得に見られる位置の影響すでに述べたとおり 幼児の音獲得においては閉鎖音の方が摩擦音よりも早く獲得される傾向があり 無標である ところで 幼児の音獲得における獲得しやすさについて考えるに当たっては 語内の位置という要因も重要であることが指摘されている Ferguson (1978) は 英語を母語とする幼児の摩擦音の獲得における位置の影響について先行研究のデータをもとに考察し 摩擦音は語頭に比べて非語頭の位置で獲得が早い傾向があると述べている 表 88 は Ferguson (1978) で引用された Olmsted (1971) のデータをもとに 英語を母語とする幼児の閉鎖音 摩擦音の獲得時期を表にしたもので 各音素が語頭 語中 語末 ( 表中では順に I, M, F で示す ) において獲得された月齢を示したものである 例えば /t/ について見てみると 24~29 ヶ月の欄に I, 30~ 35 ヶ月の欄に F, 48~54 ヶ月の欄に M がついているので 語頭の /t/ は 24~29 ヶ月時点で 語末の /t/ は 30~35 ヶ月時点で 語中の /t/ は 48~54 ヶ月時点でそれぞれ獲得されたことを意味している なお ここで言う獲得とは Ferguson の定義では ある月齢に該当する幼児の半数以上がその音を 50% 以上の確率で正しく発音できることを意味する 表 88 においては 摩擦音によっても位置による獲得順序は異なっているが 個々の摩擦音について見たときに 尐なくとも語頭の位置で最も早く獲得されることはないという点で Ferguson (1978) の言う 摩擦音の獲得が語頭以外の位置 すなわち語中または語末の位置において早い という傾向があ 187

196 ると言える また Ferguson は特に言及していないが 169 表 88 の閉鎖音は摩擦音とは逆の傾向を示しており 閉鎖音は語頭よりも非語頭で早く獲得されることはないので 閉鎖音は非語頭に比べ語頭で獲得されやすい傾向があるとも言えよう 以上のことから 閉鎖音が獲得されやすい位置と摩擦音が獲得されやすい位置とが異なる場合があると言える 表 88. 位置による閉鎖音 摩擦音の獲得順序 (Ferguson (1978:99), Olmsted (1971:204) のデータより作成 ) months months months months months months Older 音素 \ 被検児数 /p/ I, M, F /t/ I F M /k/ I, M, F /b/ I, M, F /d/ I M F /g/ I, M F /f/ I, M, F /s/ M, F I /ʃ/ F I M /z/ M F I /v/ M, F I /Ѳ/ M, F I /ð/ M I, F /ʒ/ (I,) M, F I = 語頭で獲得, M = 語中で獲得, F = 語末で獲得 幼児の音獲得において閉鎖音が語頭で獲得されやすい傾向は Prather et al. (1975) のデータにも観察される Prather らは英語を母語とする 24~48 ヶ月齢の幼児 147 名を月齢により 7 グループ (1 グループにつき 21 名 ) に分けて発音テストを行い 各子音の獲得の度合いを調査した 表 89 は Prather et al. (1975:183) のデータから閉鎖音 摩擦音の発音に関するデータを抜き出して計算したものである なお 表中の % は各子音が被験者一人につき一回ずつ発音されたものとして それぞれ 正しく発音した人数 Prather らのタスクに反応できた人数 により求めた 表 89 における位置と子音の獲得率の関係について見てみると 閉鎖音を語頭で正しく発音できる幼児の割合は閉鎖音を語末で正しく発音できる幼児の割合よりも常に高い傾向にあることがわかる つまり 表 88 で見られた閉鎖音は非語頭と比べ語頭で獲得されやすいという傾向がここでも見られるのである 一方 摩擦音については表 88 で見られたのとは逆の傾向 すなわち非語頭と比べ語頭で獲得されやすい傾向が見られた ( 閉鎖音 摩擦音ともに語頭で好まれやすいという点で 構音障害の患者 169 特に言及が無いのは 一般に語頭は対立が保たれやすく 獲得が早い位置であるという前提があるためだと思われる 188

197 の発音 ( 表 86 および表 90) に見られた傾向とは一致する ) 英語を母語とする幼児の音獲得において 摩擦音が initial 以外の位置で早く獲得される傾向があるという Ferguson (1978) や Vihman (1996) の指摘 は 常に当てはまるとは言えないようである 表 89. 位置別に見た幼児の閉鎖音 摩擦音の発音 (Prather et al. (1975:183) のデータより作成 ) 閉鎖音 摩擦音 月齢 位置 24months 28months 32months 36months 40months 44months 48months 語頭 80% 92% 92% 98% 99% 99% 100% 語末 64% 80% 82% 93% 96% 98% 98% 語頭 43% 52% 61% 60% 68% 73% 79% 語末 31% 50% 55% 58% 63% 65% 76% 音の喪失 ( 構音障害の患者の音産出 ) に見られる位置の影響 節ですでに述べたように 構音障害の患者の発音 ( 表 86) においては閉鎖音 摩擦音ともに語頭 の方が非語頭よりも正しく発音されやすい傾向があった ( 該当部分を以下に再掲する ) 表 90. 脳性麻痺による構音障害の患者の発音における正答率 (Platt et al. (1980:45-45) のデータより ) 語頭 語末 閉鎖音 (p, t, k, b, d, g) 91.3% (263/288) 85.1% (235/276) 摩擦音 (f, v, Ѳ, ð, s, z, ʃ, h) 82.4% (277/336) 60.9% (196/322) ところで 構音障害の患者の発音エラーは置換となって表れる場合が多いのであるが この置換の方向性が位置によって若干異なるので指摘しておきたい 表 91 は 表 90 に挙げた Platt et al. (1980) のデータから構音障害の患者が閉鎖音 摩擦音について起こしたエラーを筆者が抜き出し 閉鎖音 摩擦音がどのように置換されたかを位置ごとに示したものである 表 91. 位置別に見た構音障害の患者の置換エラーの内訳 (Platt et al. (1980:45-46) のデータより作成 ) 目標 置換の方向 音 位置 閉鎖 摩擦 破擦 鼻音 半母音 流音 省略 計 閉鎖 語頭語末 68% (17/25) 37% (15/41) 8% (2/25) 7% (3/41) 0% (0/25) 0% (0/41) 12% (3/25) 7% (3/41) 0% (0/25) 0% (0/41) 0% (0/25) 0% (0/41) 12% (3/25) 49% (20/41) 100% (25/25) 100% (41/41) 摩擦 語頭語末 27% (16/59) 8% (10/126) 41% (24/59) 73% (92/126) 2% (1/59) 3% (4/126) 0% (0/59) 2% (2/126) 10% (6/59) 0% (0/126) 10% (6/59) 0% (0/126) 10% (6/59) 14% (18/126) 100% (59/59) 100% (126/126) 189

198 まず 閉鎖音について見てみると 閉鎖音が語頭で他の閉鎖音に置換される ( 有声性と調音点のどちらかまたは両方のエラーを起こすが 調音法のエラーは起こさない ) 率 (68%) と語末で他の閉鎖音に置換される率 (37%) との間にはカイ 2 乗検定の結果統計的に有意な差 (p<0.05) が見られたが 閉鎖音が語頭で摩擦音に置換される率 (8%) と語末で摩擦音に置換される率 (7%) には有意な差が見られなかった 次に摩擦音について見ると 摩擦音が語頭で閉鎖音に置換される率 (27%) は語末で閉鎖音に置換される率 (8%) よりも高く 統計的に見ても有意な差が見られた 一方 摩擦音が他の摩擦音に置換される率については語頭よりも語末で高く ( それぞれ 41% と 73%) この 2 つの間には有意な差が見られた 以上のことから 言語の喪失過程においても 閉鎖性 という調音法的情報は語末よりも語頭で保持されやすいと捉えることが可能である これは 閉鎖音が語頭で置換先として好まれやすいという点で 前節で議論した 幼児の音獲得において閉鎖音が非語頭よりも語頭で獲得されやすい ということとも共通する傾向であると言えよう 一方 摩擦性 という調音法的情報については 語頭よりも語末で保持されやすいと捉えることができる これは 摩擦音が語頭よりも非語頭で置換先として好まれやすいという点で 前節で議論した 幼児の獲得において摩擦音は語頭よりも非語頭で獲得されやすい という Ferguson (1978) の指摘とも共通する傾向である 近畿方言のザ行 ダ行音の混同に見られる位置の影響近畿地方には ザ行 ダ行の全ての段において対立が失われて混同を起こす地域が存在するが これらの地域におけるザ行 ダ行音の混同のデータにおいても 位置によって混同の生起率に差が見られることが杉藤 (1982) の調査により明らかになっている 杉藤 (1982) は兵庫県多紀郡篠山町に住む 20~80 歳代 23 名を対象に 有意味語 (228 語 ) の産出実験を実施した その実験結果について 杉藤は 語頭では ザ行 ダ行 の混同が圧倒的に多く 逆は稀である こと 撥音に後続するザ行音はダ行音になりやすいが 逆は稀である こと その他の環境では ザ行 ダ行 の混同が起こりにくくなり ダ行 ザ行 の混同が起こる場合がある ことを指摘している 表 92 は杉藤 (1982:307) のデータから作成したもので 杉藤の調査において全被験者の三分の一 (23 名 3 8 名 ) 以上が混同を起こした単語が 各音を含む刺激語全体に占める割合を示したものである 例えば 表中の語頭の ザ ダ の欄の 78% という数値は 産出実験で用いられた ザ を含む単語 ( ざっし ざしき ) の 78% が 8 名以上の被験者により混同されたことを意味する 表 92. ザ行 ダ行音混同の生起率 : 兵庫県多紀郡篠山町における有意味語の産出実験 ( 杉藤 (1982:307)) 位置 \ 混同の種類 ザ ダ ゼ デ ゾ ド ダ ザ デ ゼ ド ゾ 語頭 78% 80% 50% 0% 0% 0% 撥音の後 13% 25% 50% 0% 0% 0% その他 (= 母音間 ) 7% 22% 14% 4% 0% 6% まず 全体的な混同の生起率を見ると 位置に関わらず ザ行 ダ行 という混同の方が多く これはすでに議論した 閉鎖音の方が摩擦音よりも無標である という Jakobson の指摘に沿うものである 重要なのは 位置による影響である 位置ごとの混同の生起率を見てみると 杉藤 (1982) も指摘しているように ザ行 ダ行 の混同は語頭でもっとも多く 語頭以外の位置では起こりにくい 190

199 つまり このザ行 ダ行音の混同における置換先としても 閉鎖音が非語頭よりも語頭で好まれやすい傾向がある また ダ行 ザ行 の混同は語頭では起こらず 起こるとすればそれは非語頭であるので 摩擦音については語頭よりも非語頭で置換先として好まれやすい傾向が見られる 杉藤 (1982) は 和歌山県那賀郡粉河町においてもザ行 ダ行の混同に関する調査を行っている 杉藤は 粉河町の高校性 45 名を対象に 二拍の無意味語 ( 一拍目 二拍目にそれぞれ ザ ダ ラ ゼ デ レ ゾ ド ロ のどれかを含む ( ダダ ザダ など) 計 81 語 ) を用いた知覚実験を行った また 濱口 (2005) でも同地域の 20 歳代 ~80 歳代 36 名を対象に 杉藤 (1982) とほぼ同様の形式の知覚実験を行っている 二つの実験結果を表 93 に示す 表 93. ザ行音 ダ行音の混同が起こる確率 : 和歌山県那賀郡粉河町における 2 拍無意味語の知覚実験 ( 杉藤 1982:320, 濱口 2005) 1 拍目 ( 語頭 ) 2 拍目 ( 語中 ) ザ行 ダ行 ダ行 ザ行 ザ行 ダ行 ダ行 ザ行 杉藤 (1982) 21.0% 12.6% 18.0% 23.6% 濱口 (2005) 27.5% 9.3% 33.4% 22.5% 表 93 から 一拍目での ザ行 ダ行 の混同の起こりやすさと 一拍目での ダ行 ザ行 の混同の起こりやすさとを比べてみると 杉藤 濱口の結果とも一拍目では ザ行 ダ行 の混同の方が逆の混同よりも起こりやすいことがわかる また 一拍目での ダ行 ザ行 の混同の起こりやすさと 二拍目での ダ行 ザ行 の混同の起こりやすさとを比べてみると ダ行 ザ行 の混同は二拍目の方がより起こりやすいといえる この点でも両者の結果は一致している しかし 二拍目での ザ行 ダ行 の混同の起こりやすさと 同じく二拍目での ダ行 ザ行 の混同の起こりやすさとを比較してみると 濱口の実験結果は二拍目でも一拍目と同様 ザ行 ダ行 の混同の方が ダ行 ザ行 の混同よりも起こりやすいことを示しているのに対し 杉藤の実験結果では二拍目では ダ行 ザ行 の混同の方が ザ行 ダ行 の混同よりも起こりやすくなっている つまり 両者の実験結果の大きな違いは 二拍目でのダ行 ザ行の混同の起こりやすさがザ行 ダ行の混同の起こりやすさを上回るか否かという点にある 杉藤 (1982) の 2 拍目において ダ行 ザ行 の置換が ザ行 ダ行 よりも多いという点を除けば 両研究のデータとも ザ行 ダ行 すなわち 摩擦音が閉鎖音に置換される率が高い これは Jakobson による指摘に矛盾しないものである また 杉藤 (1982) の実験結果では 置換先が閉鎖音である ザ行 ダ行 が語頭で非語頭よりも多く また 置換先が摩擦音である ダ行 ザ行 が語頭よりも非語頭で多い ( 統計的検定はなされていないので この差が意味を持つのかは不明であるが 尐なくとも逆ではない ) という点で 閉鎖音は語頭で好まれやすく 非語頭で好まれないのに対し 摩擦音は逆に語頭よりも非語頭で好まれやすいという 幼児の音韻獲得や構音障害における置換エラーの方向性で見られたのと同じ方向性の傾向が観察されたと言える 一方 濱口 (2005) の結果においては 置換先が閉鎖音である ザ行音 ダ行音 の率も 置換先が摩擦音である ダ行 ザ行 の率も 語頭より語中で高い傾向にある ダ行 ザ行 の率が語頭よりも語中で高い傾向にあることについては 杉藤 (1982) や上述の現象にも見られた 摩擦音は語頭よりも非語頭で好まれやすいという傾向が濱口 (2005) の結果にも観察されたと解釈できる しかし ザ行 ダ行 の率も同じように 191

200 語頭より語中で高い傾向にある点については 杉藤 (1982) などで見られた 閉鎖音は語頭で好まれやすく 非語頭では好まれにくい という傾向とは一致しない ただ 濱口 (2005) の結果では語頭に比べて語中では全体にエラー率が高くなる傾向があるが 語頭を基準にしたときの語中のエラー率の増加量という観点からすると ザ行 ダ行 音では 5.9% の増加であるのに対し ダ行 ザ行 では 13.2% の増加となっており 相対的に閉鎖音が語中では置換先として好まれにくいと言えるかも知れない 弱化 (lenition) これまでのほとんどの例においては 閉鎖音と摩擦音の間の変化において常に摩擦音の閉鎖音化が優位であった しかしながら 閉鎖音の摩擦音化も頻繁に観察されることが知られている 有名なのは 音の弱化 170 の過程に見られる閉鎖音の摩擦音化である 272 言語の共時的な弱化のパターンを分析した Kirchner(2001, 2004) によると 閉鎖音の弱化 ( 摩擦音化 ) は多くの言語で観察される 特に稀ではない現象であるという 閉鎖音の摩擦音化が言語において頻繁に生じるということは その現象においては 閉鎖音が摩擦音よりも無標である という有標性階層が逆転していることを示唆するものである 171 しかしながら 閉鎖音の摩擦音化が起こる位置には制限があることが知られている Kirchner (2001, 2004) によると 閉鎖音の摩擦音化が起こるとすれば語中 語末 ( 最も起こりやすいのは母音間 ) の位置であり 語頭 ( 句頭 文頭 ) では一般に起こらないという (27) に示したのはイタリア語の一方言における閉鎖音の弱化の例であるが いずれの例においても p, t, k は語中になると接近音化した摩擦音 [ɸ ], [θ ], [x ] に変化しているが 語頭ではそれが起こらないことがわかる (27) Florentine Italian における閉鎖音の弱化 (Kirchner 2001:195) つづり 発音 英語訳 p ɸ poco poxo little capo kaɸ o head t θ tavola tavola table prato praθ o meadow 170 Kirchner(2001, 2004) によれば lenition の過程には閉鎖音 ( 破擦音 ) の摩擦音 接近音化 (spirantization) 以外にも重子音の短子音化 (degemination) 閉鎖音の弾き音化 (flapping) 閉鎖音またはその他の子音の接近音化 喉頭または声門音化 (debuccalization, e.g. t ʔ, s h) 子音の脱落 (t Ø) などが含まれるとされている また Gurevich(2004) によれば 弱化の過程の中では spirantization が最も一般的である つまり 閉鎖音の摩擦音化は決して珍しい現象ではないといえる 171 ただし 弱化の現象で主に議論されているのは 弱化が起こるとしたらどの位置か (e.g. 語頭の /A/ か語中の /A/ か ) という問題であって 閉鎖音の摩擦音化と摩擦音の閉鎖音化のどちらが起こりやすいかという問題ではない 従って 弱化の現象において 閉鎖音 ( 無標 ) 摩擦音 ( 有標 ) ばかりが起こっているからといって これが有標性の含意を完全に覆すものだとは限らない なお Kirchner (2001:77-85) は 弱化の結果生じる摩擦音は非粗擦音であり 特殊な例を除いて粗擦音が生じることは無いと述べている 自然言語における音の分布や幼児の言語獲得のデータにおいてはこれら非粗擦音は摩擦音の中でも非常に有標な音であるから 弱化の現象は有標性の観点から言えば最も無標なものから最も有標なものへの変化ということになる 従って 弱化の現象については Jakobson の示した有標性の法則には全く当てはまらないように見える ( なお この一見 ありえない 現象が起こる理由については Kirchner (2001, 2004) が産出的要因から説明を試みている 詳しくは後ほど議論したい ) 192

201 k x casa kasa house amico amix o friend 摩擦音の出現しやすい位置 という観点から見ると 弱化現象と幼児の言語獲得や近畿方言の音の 混同との間には共通点が存在する すなわち 摩擦音が出現しやすいのは語頭ではなく語中 語末で あるという点では これらの現象は一致しているのである 沖縄方言における閉鎖音の摩擦音化歴史的な音変化の過程において閉鎖音の摩擦音化が頻繁に見られることはよく知られた事実である ( 例えば グリムの法則 (Lass (1994) を参照 ) や日本語のハ行子音の h 音化 ( 金田 宮腰 (1988)) などがある ) が 歴史的な閉鎖音の摩擦音化においても位置が重要な役割を果たしている 以下では沖縄方言における p 音および k 音の h 音化を例に議論したい (28) に挙げたように 沖縄方言においては語頭 語中とも k 音の摩擦音化が起こらない方言 語中のみで k 音の摩擦音化が起こる方言 語頭 語中とも k 音の摩擦音化が起こる方言は存在するが 語頭のみで k 音の摩擦音化を起こす方言は ( 筆者が知る限りでは ) 存在しないようである つまり 閉鎖音の摩擦音化が語頭で起こる場合 必ず語中においても閉鎖音の摩擦音化が起こるという含意がこの現象については成り立つ 172 さらに重要なのは 閉鎖音は非語頭よりも語頭で好まれやすく 摩擦音は語頭よりも非語頭で好まれやすい傾向がこの現象においてもやはり見られるという点である (28) 沖縄方言の歴史的音変化 (k h) ( 松森 (2001:63-65)) 仲泊方言 ( 沖縄本島中部 ) 語頭 (k のまま ): 肩 kata 米 kumi 毛 ki: 語中 (k のまま ): 夜中 junaka 桶 ʔu:ki 竹 daki 諸鈍方言 ( 奄美大島南部加計呂麻島 ) 語頭 (k のまま ): 肩 k ata: 米 k umï: 毛 k ï: 語中 (k h): 夜中 juna:ha 桶 wïhï: 竹 dëhë: 茶花方言 ( 与論島 ) 語頭 (k h): 肩 hata 米 ɸumi 毛 çi: 語中 (k h Ø): 夜中 juna: 桶 wui 竹 dai 有標性と位置の影響 : まとめこれまでのデータでは 閉鎖音は一貫して非語頭よりも語頭で好まれる傾向が見られた 一方 摩擦音の場合 表 88 や表 91 で見られたように語頭よりも非語頭で好まれやすいときもあれば 表 89 や表 90 で見られたように非語頭よりも語頭で好まれやすい ( または差がない ) ときもあり 現象間に 172 p 音の摩擦音化についても 同様の傾向が見られるようである かりまた (2000) によると 日本語に生じた ハ行転呼音 (p 音の摩擦音化 ) は沖縄の方言においても起こったが 語中では沖縄の方言全体で p 音の摩擦音化が起こったのに対し 語頭では摩擦音化が起こらなかった地域が存在しているという 193

202 よる差が大きかった 173 このことから 閉鎖音と摩擦音に対して生じる位置の影響は異なる場合があると言える 以上の議論から 閉鎖音と摩擦音との間には (29) に示すように 閉鎖音は摩擦音よりも無標である という従来の有標性の法則 (29a) に加えて 位置に依存する有標性の法則 (29b, c) が存在し これらの位置的有標性は様々な現象に渡って普遍的に見られるものであることが示唆された これらの傾向は産出データ ( 幼児の音韻獲得 失語 発語失行 構音障害 方言 ) のみならず 知覚においても観察されるものであった ( 方言における音の混同 表 87, 表 93) (29) a. 閉鎖音の方が摩擦音よりも無標である b. 閉鎖音は非語頭よりも語頭において好まれやすい ( 無標になりやすい ) c. 摩擦音は語頭よりも非語頭において好まれやすい場合がある 摩擦音については 位置の影響が現象によって異なっており 摩擦音に対する位置の影響は 閉鎖音と同様に語頭において非語頭よりも好まれやすい傾向を示す場合 ( 表 89, 表 90 など ) と 閉鎖音とは逆に語頭よりも非語頭において好まれやすい傾向を示す場合とがあり ( 表 88, 表 91, 表 92 など ) 非常にばらつきが大きかった 閉鎖音の方が摩擦音よりも無標であるという Jakobson の有標性法則を基本に考えた場合 摩擦音が位置の影響に関して前者の傾向を示す場合 閉鎖音が摩擦音よりも無標であるという傾向は 語頭においても非語頭においても当てはまることになる 例えば 表 89 の例においては閉鎖音 摩擦音共に語頭の方が非語頭位置よりも正産出率が高い傾向が見られ いずれの位置においても閉鎖音の方が無標であることが示されている 一方 摩擦音が位置の影響に関して後者の傾向を示す場合 有標性の度合いに関して 語頭に比べて非語頭では閉鎖音と摩擦音の差異が小さくなり 場合によっては摩擦音と閉鎖音の有標性階層が入れ替わる場合も出てくることになる ( 表 93 や歴史的音変化における閉鎖音の摩擦音化 ) 以下に示した図は それを模式化したものである 図 36. 位置による閉鎖音 摩擦音の相対的な有標性の度合い 173 現象間だけでなく 同一の現象内 研究内においても揺れが存在している 例えば 表 90 と表 91 の構音障害のデータは 同一の患者グループの発音テストの結果について切り口を変えて示したものであるが 表 90 のように正産出率という観点からは摩擦音が非語頭よりも語頭で好まれやすい傾向であるのに対し 表 91 のように置換エラーの方向性という観点からは摩擦音は語頭よりも非語頭で好まれる傾向となっており 同一の現象内に相反する傾向が混在している 194

203 5.4. 有標性とその例外の生起要因 : 先行研究における説明とその問題点閉鎖音 摩擦音の間には 閉鎖音の方が摩擦音よりも無標である という法則が生じ 摩擦音の存在は閉鎖音の存在を含意するとされるが このような有標性が生じる理由は明らかにされているとはいえない状況にある また 条件によっては摩擦音が存在するのに閉鎖音が存在しない場合があり 有標性の例外となる現象も尐なからず存在していた 以上で議論してきたように こうした有標性階層に例外が生じる場合には語内の位置が大きく関係しており 例外が生じるのであればそれは語頭以外の位置であった 語内の位置の影響によって例外について一定の説明を与えることができるとは言っても この説明は位置的忠実性の枠組みから見ても問題となる点がある 位置的忠実性について論じている Beckman (1999) によると 位置には特権的な位置とそうでない位置とがあり 特権的な位置では音韻対立が保たれやすいが そうでない位置では音韻対立が保たれなくなりやすい ( 中和が起こりやすい ) ことが指摘されている Beckman によれば このときの中和は有標なものが無標なものに合流する形で生じ 逆は稀である Beckman の定義では 特権的な位置とは語根頭や音節頭などのいわゆる initial の位置であり 特権的でない位置とは non-initial の位置である つまり 位置的忠実性によれば語頭以外の位置ではより閉鎖音が好まれることが予測されることになるのに対し 実際の音韻データはむしろ語頭以外の位置では摩擦音が好まれる傾向にあった 174 また 閉鎖音の調音点同化の章で議論したように 位置的忠実性の代案として位置的有標性を挙げることができるが やはり同様の問題が生じる よって 摩擦音がなぜ語頭以外の位置で好まれやすいのかを明らかにすることは 有標性階層に見られる不規則性を説明する上で重要である 以上の背景から 本研究では有標性の法則と それに対する例外とそれを引き起こしているであろう位置の影響が生じる理由について考察していく 以下ではまず有標性とその例外が生じる理由として先行研究で挙げられてきた要因 ( 個別言語の音素頻度 視覚的要因 産出の難しさ 労力 ) について概観する そして 本研究では特に知覚的要因からの説明を試みるため 閉鎖音と摩擦音の知覚に関する知覚実験を行い 有標性の法則に対する例外とそれを引き起こしているであろう位置の影響が生じる理由について考察していく 個別言語の音素使用頻度と有標性個別言語における音素使用頻度は有標性の発生に関係する要因の一つであると考えられている 出現頻度の高い音は当然聞いたり発音したりする機会が多くなるであろうから 幼児の音獲得に限らず 一般的に無標になりやすいであろうと考えることは自然である また 一般に無標だとされる音であっても その言語において出現頻度が低ければ ( または有標だとされる音であっても 出現頻度が高ければ ) 有標性階層に例外が生じてもそれほど不自然なことではないと思われる 175 以上のことから 全体として見れば個別言語の音素頻度と有標性の度合いには相関が見られることが予測できる 実際に 多くの先行研究で個別言語の音素頻度と有標性の度合いに何らかの関係があるとの主張がなされてきた 中西他 (1970) は 日本語を母語とする幼児 (1 歳 ~3 歳 ) の周辺で話される成人の発話 ( 幼児に直接向けられたもの+ 周りの家族などの会話 ) に含まれる音素の頻度 ( 延べ数 ) を調査し 成人の発話 174 全ての音韻データが位置的忠実性からの予測に反するわけではない 175 個別言語の音素頻度によって有標性が生じるメカニズムについては 本研究の摩擦音 破擦音の章において仮説を提示している 195

204 における語音分布は幼児の年齢によらずほぼ一定であること また 成人の発話での音素頻度が多い音は幼児の獲得も早い傾向があるが 常にそうとは言えない部分もある ( 特に s) ことを指摘した この指摘は音韻獲得と音素の統計的分布の情報 ( 個別言語の音素頻度 ) が密接に関わっていることを示唆するものであるが 中西らの研究では 2 者の間の対応関係の議論の基準が明確でなく その主張は客観性に欠ける Beckman et al. (2003) は 個別言語での音の typicality (relative frequency of occurrence across different language) が音韻獲得における有標性の variability( 特に 言語間差異 ) の存在に対する説明として有効であると述べている 音韻獲得におけるエラーの方向性には間には対応関係がある 例えば 英語では k(, g) が t(, d) に置換されるエラーが一般的である ( これは Jakobson の有標性の法則 (velar よりも dentals の方が早く獲得される ) に合う ) のに対し 日本語では k が t に置換されるエラーよりも t が k に置き換わる例が多い つまり 英語では t が好まれやすいのに対して日本語では k が好まれやすい 英語と日本語の t, k の出現頻度 (type frequency) を比較してみると 日本語における k の t に対する相対的な出現頻度は英語におけるそれよりも多いことから 音韻獲得における音素エラー ( 正産出率 置換 ) のパターン ( これらは音素の獲得度合いの指標であるため 有標性と深く関わっている ) に言語間差異が生じる理由は 個別言語における音素使用頻度を考慮することで説明ができる部分があると述べている s, ʃ についても日本語と英語で獲得のパターンに違いがある 日本語では s が ʃ に置換されることが多いのに対し 英語では s は θ や f に置き換わることが多く ʃ への置換はほとんど起こらず error rate も s の方が尐ない つまり 日本語では ʃ が好まれやすいのに対して英語では ʃ は好まれにくい 176 日本語と英語の s, ʃ の音素頻度を比べると 日本語に比べて英語は s の出現頻度が相対的に多いことから s, ʃ の獲得における言語間差異が生じる理由も 個別言語における音素使用頻度を考慮することで説明ができる部分があると述べている ただし Beckman ら自身 音素頻度だけでは説明できない現象もあることも認めており 個別言語の音素頻度がどの程度音韻獲得における有標性と関係しているのかは不明確である 以上の先行研究は有標性と個別言語の音素頻度との間に何らかの関係があることを主張したものであったが 一方で両者の間にはほとんど相関が得られないとする研究も存在する Takeyasu and Akita (2009) では 幼児の音韻獲得データ 成人の発話データ オノマトペの音素分布データの対応関係を統計的手法 ( 相関分析 ) に基づいて比較することで 日本語と英語の音韻獲得における有標性 ( 音素獲得順序 ) と個別言語の音素使用頻度の関係について調べた その結果 日本語 英語ともに音素獲得順序と個別言語の音素使用頻度の間にはほとんど相関が見られなかったことを報告した 以上のように 音素頻度による説明は直感的には非常に自然であるが それだけでは十分な説明にならない また 本研究で議論している閉鎖音 摩擦音の有標性の例外の生起は語内の位置に関係しているから 音素頻度のデータも語内の位置ごとにカウントされたものである必要があるが 先行研究では位置ごとにカウントした音素頻度データを用いているわけではない このことはもちろん問題であるが 先行研究の非によるものではない 信頼性の高い位置ごとの音素頻度のデータを得るのが難しいためである ( 例えば 語頭であっても連続発話における発話中の語頭は発話頭の語頭とは性質が大きく異なると考えられるし ポーズの後の音素の扱いをどうするかといった問題も存在する ) このようなことを考慮すると 有標性に関して個別言語の音素頻度の影響がないとは断言することはできないけれども 閉鎖音 摩擦音の有標性に関しては現段階では説明としてうまく機能するものでは 176 窪薗 (2003) でも同様の言語間差異が報告されている 196

205 ないといえる 視覚的要因視覚が音の知覚や弁別に影響を与えることは McGurk 効果に関する研究をはじめとした様々な実験により明らかにされている (Sekiyama and Tohkura (1991), 中西 (1991, 1992)) また 聴覚障害者にとっては視覚的な手がかりが非常に重要であり visibility が高い ( 両唇など 調音点が口の前の方のもの ) ほど正しく産出できる傾向がある (Nober (1967)) Dodd (1976) は 聴覚に障害のない幼児の音獲得においても視覚が重要な役割を果たすであろうと述べている 視覚的に目に付きやすい音ほど幼児の注意を引きやすく その結果幼児獲得が早くなるという説明自体は ありえない話ではない 例えば 調音器官の最も前面に位置する唇を使って調音される両唇音は 口の中ほどで調音される軟口蓋音よりも目で確認しやすいと思われる そして実際に 幼児は軟口蓋音よりも両唇音を早く獲得する傾向があることが様々な研究で報告されている (Jakobson 1941/1968, 他 ) 以上に挙げたことから 閉鎖音 摩擦音の有標性が視覚的要因によって生じている可能性があるかも知れない ( 例えば 閉鎖音は摩擦音よりも視覚的に捉えやすいなど ) しかしながら 先行研究の実験結果 ( 中西 (1991)) や聴覚障害者のデータ (Nober (1967), Smith (1975)) を分析してみると 調音点の違いは視覚的要因によって捉えられるが 調音法の違い ( 調音点などの条件が同じ場合 ) は残念ながらほとんど捉えられないようである 177 また 閉鎖音 摩擦音の有標性の例外の生起は語内の位置と関係があったが 位置によって視覚的な情報が有標性に例外を生じさせるほど大きな度合いで変化するとは考え難い さらに Sekiyama and Tohkura (1991) では視覚が知覚に及ぼす影響は言語間で差がある可能性も指摘されており 178 視覚的要因による説明で有標性が普遍的であるという点を捉えきれるかどうかも不明である 産出的要因産出的要因は主に呼気圧や声門の上下圧などの aerodynamics と 舌や唇などの調音器官の微調整 供応運動といった調音系に分けて考えることが可能である aerodynamics による説明は主に無声 vs. 有声の間の有標性についての説明に用いられている (Westbury and Keating (1986), Hayes and Steriade (2004)) が 閉鎖音と摩擦音間の説明には使われないようである 閉鎖音 摩擦音間の有標性については 特に幼児の音獲得の分野で調音系の説明がなされてきた 中西他 (1970) は日本語を母語とする幼児で摩擦音 (s) の獲得が遅いのは 他の音よりも微妙な供応運動を必要とするために構音機能が未発達な段階では正しく出せないからではないかと推測している 同様に Ahn and Kim (2003) は幼児が摩擦音を発音できないのは舌の調節が難しいからだと述べている Beckman et al. (2003) においても strident の摩擦音の獲得が閉鎖音に比べて遅いのは調音的な難しさ (articulatory precision) によると述べられている Kirchner (2001) も摩擦音の有標性に関して同様の見解を示している また Prather et al. (1975) では発音の誤りは筋運動的に複雑なものを簡単にする方向に起こると述べられている 幼児の発音において誤りが多い音はそうでない音と比べてより有標であ 177 調音法の違いが視覚によって全く捉えられないとは断言できないが 調音点の捉えやすさと比べて捉えにくいと言えよう 178 Sekiyama and Tohkura (1991) では日本語話者に対する実験をして その結果を英語話者を対象にした先行研究と比較して言語差があると述べている しかし 二つの言語の被験者に同じ刺激を用いて比較をしているわけではない よってここでは 可能性がある と述べておく 197

206 ると言えるから この Prather et al. (1975) の見解は先にあげた 2 つの研究の見解とほぼ同一のものであると見なせる 母語に関わらず幼児は調音に必要な筋肉などが未発達であるはずだから 調音の難易度による説明は閉鎖音 摩擦音間の有標性が普遍的に見られるという点とも適合するため 説明として非常に優れているように思われる 実際に 筋ジストロフィー児の発音を調査した竹安他 (2007) によると そもそも発音の誤り自体が尐なく 非常に小さい差であったものの閉鎖音は摩擦音よりも正しく産出されやすかったことが報告されている 179 筋ジストロフィーは筋肉が衰えていく遺伝的疾患で 被験者の多くは車椅子に乗らないといけないほど筋肉が弱っている状態であり 彼らの発音に生じるエラー率の差は こうした筋肉の衰え つまり純粋に産出の障害によって起こったものと考えられる よって 確かに産出的な要因は閉鎖音 摩擦音の有標性が生じる要因の一つであると言える ただし 健常児の発音では閉鎖音と摩擦音の正産出率には竹安他 (2007) の筋ジストロフィー児の報告で挙げられている以上に大きな差が見られる 180 このことは 確かに産出的な要因は閉鎖音と摩擦音間に生じる有標性に関係しているものの それだけで有標性が生じる理由を説明しきれるものではないと考えられる 閉鎖音 摩擦音の有標性の例外については 産出の労力に基づく説明が Kirchner (2001) によってなされている Kirchner (2001) は 272 の言語における弱化 (lenition) の現象を調査した結果 閉鎖音の弱化 ( 摩擦音化 ) は語頭以外の位置 ( 特に語中 ) で起こり 閉鎖音が摩擦音化した結果生じるのは非粗擦系摩擦音 (θ や β など ) であると述べている この理由として Kirchner (2001) は産出の労力を計算して求めることができるモデルに基づき 非粗擦系摩擦音は産出にかかる労力が閉鎖音や粗擦系の摩擦音よりも尐なくて済むことを挙げている 181 Kirchner (2001) の説明は非語頭の位置では摩擦音が好まれやすいという有標性の例外的な現象を扱うことができ 非常に魅力的である ただし Kirchner (2001) の説明では説明可能な対象が摩擦音全体ではなくて非粗擦系摩擦音に限られてしまう点が問題となる 実際には 非粗擦系摩擦音に限らず 粗擦系摩擦音であっても語中で好まれやすいことはすでに挙げた獲得や方言における音韻事実からも明らかである Kirchner (2001) の議論は弱化で生じる現象を説明するためのものであるため こうした事実を説明できないことは Kirchner の議論に非があるわけではない ここで指摘しておきたいのは Kirchner の議論は産出的要因 ( 産出の労力 ) に基づくものであり それによって語中で摩擦音が好まれやすい理由の多くを説明することが可能であるが Kirchner の議論では説明できない部分 ( 粗擦系摩擦音も非語頭で好まれる場合がある ) も存在し その説明できない部分とは産出的要因では説明がつかない部分であるということである 以上のように 閉鎖音 摩擦音の有標性およびその例外の説明として産出的要因が有効であるけれども それだけでは完全な説明にはならないと言える 179 竹安他 (2007) によると 正産出率は閉鎖音が 98.0% 摩擦音が 93.9% であった ( カイ 2 乗検定によると p<0.001 水準で有意な差有 ) 180 安田 (1970) のデータから筆者が閉鎖音 摩擦音の正産出率を求めた結果 3 歳 0~5 ヶ月児 (36 名 ) では閉鎖音が 95.3% 摩擦音が 56.0% 3 歳 6~11 ヶ月児 (64 名 ) では閉鎖音が 91.4% 摩擦音が 68.0% であった 181 Kirchner (2001) では 閉鎖音が語頭で摩擦音化しないのは忠実性制約や強化 (fortition) が働くため だと説明されている 198

207 知覚的要因一般に 知覚が困難な音は対立が保たれにくく その結果有標になりやすいと考えることができる 閉鎖音 摩擦音の有標性は知覚においても生じていることから ( 例 : 表 87 など ) 尐なくともこうした現象においては 摩擦音は閉鎖音に比べて相対的に知覚が難しいのではないかと考えられる しかしながら 従来の研究において 摩擦音 ( 特に粗擦系摩擦音 以下 知覚に関する議論では特に断らない限り 摩擦音 は粗擦系摩擦音のことを指すものとする ) が閉鎖音よりも知覚が難しいという考え方はなされないのが一般的である 182 閉鎖音 摩擦音の有標性の証拠として挙げられたデータの大半は 幼児の発音や発語失行や構音障害の患者の発音などの産出のレベルで生じているものであった 幼児の発音に見られる誤りについては 純粋に産出に問題があるわけではないことを示唆する報告が 幼児を対象とする観察研究 実験研究を含め数多く存在している 獲得の初期段階において 乳児は全ての言語音の区別が可能であることが知られており 母語に対立のない音を区別する能力は生後 1 年ほどで失われる よって 音韻獲得研究の対象となる幼児 (3 歳前後 ~) は全ての音の対立を区別する能力はすでに失っているが 尐なくとも母語にある対立を区別する能力を持っている つまり知覚的には問題がないであろうと考えられる 実際に 幼児の発音の誤りは知覚ではなく産出に起因するものであることを示唆する現象も存在する Jakobson (1941/1968: 22) には garçon(boy) も cochon(pig) も [tosson] と発音するが 周りの人が boy を cochon または pig を garçon と言うと抗議するフランスの女児の例が挙げられている このような現象は fis phenomenon と呼ばれるものであり 類似の現象が生じることが Priestly (1980) や Ahn and Kim (2003) などの研究でも指摘されている これらの例は 幼児の産出において区別されていないものが知覚上は区別されていることを示しており 幼児の誤りは知覚ではなく産出のレベルで起こっているものであることを示唆する 幼児を対象とした知覚実験においても 幼児の知覚には問題がないことを示唆する報告がなされている Mann et al. (1985) は 摩擦音の発音ができる幼児とできない幼児 および成人を対象にして 自然発話による shoe と shave の発音の摩擦部分を合成の s-sh の連続体で置き換えた音声を刺激とする知覚実験を行った その結果 摩擦音の発音ができるかできないかに関わらず 成人と同じ知覚の傾向を示したことを報告した また 中には知覚ができない子もいたが 産出だけができて知覚ができない子はいなかったことから 音韻獲得においては知覚が産出に先立つ ( 尐なくとも逆は無い ) ことを指摘した Mann らの指摘からも 幼児の音韻獲得において生じる有標性を説明するに当たって ある音の知覚ができることはその音の産出にあたっての前提となり そうした意味で知覚は重要ではあるが やはり多くの幼児の知覚には問題はなく エラーは産出のレベルで起こっていることが示唆される 発語失行や構音障害における有標性についても 知覚的な要因が関与しているとは考えにくいことが伺われる 発語失行や構音障害などの症例においては 障害が生じているのは発音を実行するための運動系への指令伝達のレベルであるとされている ( 詳細については平山 (1994) を参照 ) つまり これらの症例において障害が生じているのは尐なくとも音の産出に関わる様々な機構のうちの一部であって知覚ではないと考えることができる 182 確かに 非歯擦音など特定の摩擦音は 摩擦成分が音響的に弱く 知覚しにくいことが知られているが これまでの有標性のデータに見られたように 摩擦成分が音響的に強く知覚しやすいとされる歯擦音についてもやはり閉鎖音より有標となる傾向が観察されている 199

208 聞こえ度の観点からも 知覚的要因では閉鎖音と摩擦音の有標性が生じる理由を説明できないこと が示唆される (30) は聞こえ度のスケールであるが 閉鎖音よりも摩擦音の方が聞こえ度が高いとされ ており ここから閉鎖音よりも摩擦音の方が知覚しやすいことが予想される (30) 聞こえ度のスケール ( 窪薗 1999:193 より ) 閉鎖音 - 摩擦音 - 鼻音 - 流音 - 半母音 - 母音 無声有声無声有声高母音低母音 聞こえ度低 高 音響的観点から見ても 同様のことが考えられる 閉鎖音と摩擦音の音響的特徴を考えてみると 摩擦音 ( とりわけ s, ʃ などの粗擦音 ) は閉鎖音に比べて圧倒的に持続時間が長く また音響的エネルギーが強い 183 ことが知られている (Kent and Read 1992, Raphael 2005, Wright 2004) よく知られているように 閉鎖音の調音は 閉鎖 閉鎖の開放 の順に行われる このうち閉鎖の持続時間そのものは決して短いものではないが 閉鎖中は ( 無声の場合 ) ほぼ無音となるので 閉鎖音が音として聞こえる部分は閉鎖の開放に伴う破裂部分 (release burst, 以下 破裂部分とする ) のみとなる この破裂は非常に瞬間的なもので Wright(2004:38) によると持続時間は通常 5~10ms. 程度と非常に短い 184 それに対し摩擦音の場合 子音の調音中ほぼ常に摩擦音に特有の摩擦ノイズ (frication noise) が出続けるので 音として聞こえる部分の持続時間が閉鎖音よりも圧倒的に長い 図 37 は日本語話者による閉鎖音 (t) と摩擦音 (s) の発音のスペクトログラムであるが c に示されているように特に摩擦音では比較的高い周波数帯域に強いエネルギーが観察される ( 色が濃いほど強いと見なせる ) ことがわかる 以上のことから 摩擦音のほうが閉鎖音よりも聞き取りやすいだろうと考えるのが自然なわけである すなわち 知覚しやすさという観点からすると 閉鎖音よりもむしろ摩擦音の方が無標となってもおかしくはない この予測は実際の言語現象に見られる閉鎖音 摩擦音間の有標性とは全く逆方向のものである 摩擦音の方が閉鎖音よりも知覚しやすいことは 知覚実験でも実際に確認されている Wright(2001) は 英語話者による無意味語 (VC) の発音から子音 (m, n, f, s, p, t) のみを取り出して それを刺激音として英語話者に対し知覚実験を行った この実験の特徴は雑音 ( ホワイトノイズ ) を用いている点で 3 段階の条件 ( 雑音無し 弱めの雑音 強めの雑音 ) が設定されており 被験者は雑音が流れる中で刺激音を聞き取る 実験の結果 鼻音 (m, n) は最も雑音の影響を受けにくく ( つまり 誤答率が雑音の無いときとそれほど変わらず ) 最も雑音の影響を受けたのは閉鎖音(p, t) であった また 摩擦音は閉鎖音に比べて雑音の影響を受けにくく 閉鎖音ほど誤答は多くならなかった Wright(2001) はこの結果から 周期的 (periodic) な音 (m, n) よりも非周期的な音 (f, s, p, t) の方がより周囲の雑音の影響を受けやすく 瞬間的な音 (p, t) はそうでない音 (m, n, f, s) よりも周囲の雑音の影響を受けやすい傾向があることを示した これをまとめると (31) のようになる 183 摩擦ノイズの音響エネルギーの強さ ( 粗擦性 ) の違いは 摩擦音の中 (s, z, f, v,...) での有標性の差を生じさせる要因の一つであると考えられる 例えば 自然言語の音の分布や幼児の音の獲得順序などを見てみると 粗擦音 s, ʃ, z, ʒ と非粗擦音 (θ, ð) との間の出現頻度 ( 順序 ) に差が見られる ただし Maddieson(1984) も指摘しているとおり 摩擦ノイズの強さだけで頻度が決まるとは限らない この点についてはまたの機会に議論したい 184 有気音であれば破裂の後に気息が伴うので 実際には音が聞こえる部分はもう尐し長くなる 200

209 (31) 周囲の雑音に対する耐性 (Wright 2001 より ) 周期的な音 > 非周期的な音 瞬間的な音 > 非瞬間的な音 Wright は 例えば語頭の子音連続の第一要素に閉鎖音が来ない 英語に /#sk/(skaɪ (sky)) はあっても /#ks/ (ksaɪ) はない のは摩擦音が非瞬間的な音であるために単独でも比較的安定して存在することが可能であるのに対し 閉鎖音が瞬間的な音であり 母音に隣接しない限り つまり母音のフォルマント遷移などの知覚的手がかりが得られない限り知覚されにくいためであるとの見解を示している 185 以上のように 音韻論的 音声学的観点からは やはり摩擦音の方が知覚しやすいと考えるのが自然である 図 37. 日本語話者による アタ ( 左 ) と アサ ( 右 ) の発音のスペクトログラム a t a a s a a 閉鎖 ( 無音区間 ) b 閉鎖の開放 ( 破裂 ) c 摩擦ノイズ 閉鎖音と摩擦音の有標性に対する位置の影響についても 知覚的な要因ではうまく説明がつかない可能性が高い 音韻的事実においては 摩擦音は語頭よりも非語頭において好まれやすいという傾向が見られていた それに対し 音響的に見ると摩擦音は語中では他の位置よりも持続時間が短くなることが報告されていることから (Howell and Rosen 1983) 語中においては他の位置よりも知覚がしにくいことが予測される これは語中 ( 非語頭 ) において摩擦音が好まれやすいという音韻的事実と矛盾すると考えられる 186 以上のように 従来の知見からでは 知覚しやすい摩擦音が知覚しにくい閉鎖音よりも有標であることになってしまい 不自然な解釈となってしまう 閉鎖音 摩擦音間の有標性に関して 知覚的観点から説明を試みた先行研究が見当たらないのも こうした理由からではないかと考えられる 確かに 上述のことから考えれば 閉鎖音 摩擦音間の有標性が生じる理由を知覚的要因によっては説明 185 この点に関しては Wright(2004) がさらに詳しく議論している 186 非語頭であっても 語末 ( 発話末 ) では摩擦持続時間が非常に長くなることが報告されている (Abbs and Minifie 1969) 201

210 することができないように思われる しかし 個々の議論を細かく見ていくと 知覚的な説明が不可能だとは言い切れない可能性がある 例えば 幼児は産出のレベルで誤る すなわち知覚には問題がないという点に関しては 幼児が音の知覚をする際に用いる知覚の手がかりは必ずしも成人と同じではないことが知られている (Nittrouer and Studdert-Kennedy 1987, Nittrouer 1992) 仮に幼児と成人とで閉鎖音 摩擦音の知覚において用いる知覚の手がかりが異なっているとすると 幼児は幼児なりに閉鎖音と摩擦音とを区別して発音していても それを判断する成人にとっては正しい発音だとは聞こえず それによって幼児に特有の発音の 誤り が生じた( つまり 単なる産出の難しさではなく 知覚的な要因が関与している ) という可能性も否定はできない 聞こえ度についても 聞こえ度は知覚しやすさに基づいて作られたものとは必ずしも言えないことが指摘されており ( 村田 2005) 必ずしも閉鎖音が摩擦音よりも知覚しやすいことに結びつくとは言い切れない可能性がある また 摩擦音の方が閉鎖音よりも知覚しやすいと報告した Wright (2001) の実験についても 彼の実験では刺激が子音単独 ( 子音のみを切り出したもの ) であるが 実際の発話や有標性が観察される現象においては子音は母音に隣接していることが多く 単独のときとは違った様々な cue を得られるので 摩擦音の方が閉鎖音よりも知覚しやすいという結果が常に得られるものであるとは断言できない 仮に 場合によっては閉鎖音の方が摩擦音よりも知覚しやすいことがあるならば 閉鎖音 摩擦音間に有標性が生じる理由を知覚的要因で ( すべてではないにせよ一部は ) 説明できる可能性があることになる そこで 本研究ではこの可能性について検討することとした 5.5. 音声学的要因による説明の可能性この節ではまず 音声の知覚について考える上で重要な概念である知覚の手がかりについて概観し 閉鎖音と摩擦音の知覚がどのような音響情報を手がかりとしてなされているかを確認する また 成人と幼児では知覚の際に用いる知覚の手がかりが異なる可能性があることを指摘し それを検証するための知覚実験を行う さらに 知覚の手がかりの頑健性 (robustness) についても議論し 音響的手がかりとその頑健性から 閉鎖音が摩擦音よりも知覚がしやすい という仮説を導き出すことが可能であること さらに 位置の影響に関しても知覚的に説明することができる可能性があることも示す そして 知覚実験を行い その仮説の妥当性を検証する 以下では 摩擦音 s, z とそれに対応する閉鎖音 t, s に関して考察する s, z を対象にした理由は 第一には これらの音は摩擦音の中でも摩擦成分のエネルギーが強い音だとされている ( すなわち 知覚されやすいと考えられる ) ため これらの音について 同じ調音点の閉鎖音よりも知覚しやすいとは必ずしもいえないと言うことができれば 他の摩擦音についても同様の説明がしやすいと考えたからである 第二には s, z は摩擦音の中でも比較的個別言語の音素目録に含まれやすい音であり 日本語話者に対する実験結果が他の言語においても適用し 研究を発展させていける可能性があるか否かを判断しやすいと考えたためである 知覚の手がかり音の長さ 高さ 強さ 音質の 4 要素で記述される 言語音はこれらの 4 つの要素についてそれぞれが他とは異なる固有の ( 典型的な ) 値とその組み合わせによる構造を持っている 特に連続発話中においては 個々の音素は近隣の音素に対して影響を与え合い ( 調音結合 ) 音韻環境によっても様々 202

211 な音声として実現する このように 音声の知覚においては手がかりとなりうる多様な音響情報が存在するが すべての音響的情報が対等に用いられるとは限らない 例えば 母音の知覚においてはフォルマント構造 ( 各フォルマントの相対的位置 ) が重要であるが フォルマントは F1, F2, F3,... と無数に存在するのに対し 音素の同定上特に重要となるのは F1~F3 であり それ以上のフォルマントの知覚的重要性は低いとされている ( 例えば 古くは Cooper et al. (1952) の行った知覚実験において F1 と F2 のみのフォルマントを持つ合成音であっても閉鎖音 + 母音の音節を同定可能であることが示されている ) 同じ手がかりであっても 位置によってその重要度が変わってくる場合もある 子音の調音点の知覚の重要な手がかりとされるフォルマント遷移は 子音からそれに後続する母音への CV フォルマント遷移と母音からそれに後続する子音への VC フォルマント遷移とがあるが CV フォルマント遷移の方が VC フォルマント遷移よりも子音の調音点の知覚のための情報量を多く持つことが知覚実験により明らかになっている (Fujimura et al. 1978, Benkí 2003, Wright 2001) ある手がかりの重要度は 成長の段階によっても異なる場合がある Nittrouer らによる一連の研究によると 幼児は成人と比べてフォルマント遷移を重視した知覚をする傾向がある ( Nittrouer and Studdert-Kennedy 1987, Nittrouer 1992) 187 ところで 知覚の手がかりには閉鎖音の破裂や摩擦音の摩擦ノイズなど子音自身が持つ内的手がかりと (internal cue) フォルマント遷移のように外( 隣接する母音など ) から与えられる外的手がかり (external cue) があるとされており 一般に外的手がかりの方が子音の知覚に果たす役割が大きいと考えられている ところで 外的手がかりはすべての子音に対して同等の情報を与えるのであろうか つまり 母音が同じだと仮定して 閉鎖音 + 母音における外的手がかりも 摩擦音 + 母音における外的手がかりも同じだけの情報量を持つのであろうか 雑音の中で CV または VC の刺激音 ( つまり 外的手がかりが存在する音 ) を用いて知覚実験を行った先行研究 (Miller and Nicely 1955, Wang and Bilger 1973, Benkí 2003) によると 子音部を単独で聞かせたとき (Wright 2001) と同様 音の素性によって雑音に影響される度合いが違うことが報告されている これらのことを考えると 摩擦音は単独では子音自体のエネルギーが強いので知覚しやすいけれども 仮に摩擦音が外的手がかりから受け取ることのできる情報量と閉鎖音が外的手がかりから受け取ることのできる情報量が異なるとすると 特定の状況では摩擦音の方が閉鎖音よりも知覚しにくくなる可能性がある 次節では この可能性について検討していく 閉鎖音の知覚の手がかり閉鎖音の知覚の手がかりには 閉鎖の開放 気息 フォルマント遷移 (F1, F2,...) など様々な要素が存在する しかし これらは閉鎖音の 調音法 にとって主要な知覚の手がかり ( つまり その音が閉鎖音であると認識されるために必要な情報 ) とはならない 188 閉鎖音の調音点の知覚の手がかりは 187 成人も幼児もフォルマント遷移を重視するという研究もあるが (Walley and Carrell 1983) 尐なくとも成人が幼児よりもフォルマント遷移を重視するという研究はないようである 188 F1 の急激な上昇は特に有声閉鎖音と別の調音法 ( 鼻音など ) を区別する知覚の手がかりとなると考えられているが (Raphael 2005) 有声阻害音はどれも比較的急激な F1 の上昇が起こるので 閉鎖音と摩擦音の区別 という点に関しては それほど重要な手がかりになるわけではないと考える また F1 は say-stay や slit-split のようなペアの弁別において無音区間とともに閉鎖音らしさに関与することが知られているが (Best et al. 1981) これは CV における閉鎖音と摩擦音の弁別について議論している本研究とは条件が異なる 203

212 周囲と比較して音が無いこと (relative silence) である (Halle et al. 1957, Raphael 2005, Wright 2004) 189 閉鎖音の閉鎖区間は無声の場合ほぼ無音に近いため 周囲と比較して急に音が弱くなるのでそこが閉鎖音の存在の目印になるというわけである 実際に 英語話者を対象にした知覚実験では 音連続の間に無音の区間を挿入すると 被験者はその部分に破裂 気息などが無いにも関わらず閉鎖音があると判断した (Bailey & Summerfield 1980, Mann and Repp 1980, Raphael & Dorman 1980, Repp et al. 1978) なお 無音区間の存在は見方を変えると続く要素への急激な音響エネルギーの上昇 (abrupt onset 190 ) とも考えることができる 一方 破裂や F2 遷移などは調音点に関する知覚の手がかりになる このうち 破裂はあるに越したことはないが 仮に無くても調音点の知覚ができなくなることはない (Cooper et al. 1952, Stevens and Blumstein 1978) 一方 フォルマント遷移は破裂に比べ重要で 破裂 +フォルマント遷移のない母音 ( ともに合成 ) を組み合わせた CV を用いて知覚実験を行っても 調音点の知覚はほとんどできなかったという結果が報告されている (Stevens and Blumstein 1978) 191 これらのことから 母音に隣接する環境であれば 適度な無音区間と適切なフォルマント遷移が存在すれば閉鎖音は知覚されるといえる さらに 破裂は必要なく 尐なくとも子音部分はなくても知覚できるといえる 192 から 言い方を変えれば CV 環境の閉鎖音は調音法の知覚はすべて外的手がかりに依存しており 調音点の知覚においても外的手がかりが優位を占めていることが先行研究から示されたことになる 摩擦音の知覚の手がかり摩擦音の知覚も 基本的に閉鎖音と同じように考えることが可能である 無声摩擦音を例に取ると 子音部の調音中は無声閉鎖音と同様フォルマント構造が消失する しかし閉鎖音と異なるのは 高い周波数帯域に摩擦音特有のノイズが存在することである ( 図 38 参照 ) 189 Wright(2004) によれば 閉鎖音に限らず 子音の調音法の知覚の際に手がかりとなるのは音響エネルギーの増減の程度であるという ( つまり 聞こえ度の山ができると考えればよい ) 発話を音響エネルギーの増減の連続と考えると 発話中の子音の調音 ( 口腔内の狭め ) は音響エネルギーの減尐につながるので 発話中に音響エネルギーが減尐する部分があれば 聞き手はそこに何らかの子音があると感じることになる 子音のうち 音響エネルギーの減尐の度合いがもっとも激しいのが閉鎖音で 口腔内で閉鎖が作られている間はフォルマント構造が消滅し ほぼ無音となる ( 有声閉鎖音では閉鎖中も F0 の周波数が残る ) 鼻音や流音では音響エネルギーの減尐の度合いが尐なく その他にも特有の cue を持っているため この 音響エネルギーの急激な減尐 が閉鎖音と鼻音 流音とを区別する cue となりうる 一方 摩擦音は急激な音響エネルギーの減尐が生じてフォルマント構造が消滅する点では閉鎖音と同じだが 比較的高い周波数帯に特有の摩擦ノイズが現れるので この点で閉鎖音と区別される ( 摩擦ノイズが強いほど摩擦音だと判断される ) 190 Weigelt et al. (1990) は 音響エネルギーの点から閉鎖音を abrupt onset 摩擦音を gradual onset と分類できるとしている また 時間当たりのエネルギー変化率を見ることで 言語処理 音声認識の分野で ( 人間の知覚ではない ) 閉鎖音と摩擦音をほぼ正確に識別できると報告している 191 Cooper et al. (1952) は フォルマント遷移の無い母音部と破裂を組み合わせた合成刺激音を用いて p, t, k の強制判断をさせた結果 被験者は調音点の知覚が可能だったと述べている Stevens and Blumstein (1978) は選択肢に b, d, g を用いた強制判断を行っているので 選択肢により違いが出たのかもしれない 192 人間の知覚のシステムは実際にはもっと複雑であることは認識しているが ここでは単純化して話を進めている なお 破裂は必要がない なくてもよい というのは これらが知覚の手がかりとして使われないと言う意味ではない また 単独で閉鎖音 p, t, k などを発音しても聞き取れるのは 気息が存在するためである 204

213 図 38. 日本語話者による アタ ( 左 ) と アサ ( 右 ) なお F1 の遷移は阻害音間であればそれほど大きな差はなく F2 遷移は調音点が同じであればよく似た動きをするので 調音点が同じ閉鎖音と摩擦音との違いは主に摩擦ノイズが存在するかどうかの違いであることがわかる つまり 摩擦ノイズがなかったら摩擦音は対応する閉鎖音とほとんど変わらない母音部を持つと言えるのである ならば 何らかの拍子に摩擦音の摩擦ノイズが聞こえない状態が起こったとすると その摩擦音はあたかも閉鎖音のように聞こえる現象が起こったとしても不思議はない 摩擦音の調音法の知覚の手がかりになるのは 摩擦 音という名からも当然予想されるとおり 摩擦ノイズである (Raphael 2005) なお 摩擦ノイズは同時に調音点の知覚の手がかりにもなる ところで ここで問題となるのは 摩擦ノイズが摩擦音の調音法の知覚の手がかり ( つまり その音が摩擦音であると認識されるのに必要な情報 ) であるとして それがどの程度重要なのか 必ず必要とされるのか 閉鎖音の破裂のように必要とされないのか ( 外的手がかりのみで知覚ができるのか ) である 摩擦ノイズについては様々な実験が行われ 基本的に粗擦音は非粗擦音よりも調音点の知覚がしやすいこと (Abbs and Minifie 1969, LaRiviere et al. 1975) 粗擦音 s, ʃ はノイズがないと調音点の知覚ができないこと (LaRiviere et al. 1975) 粗擦音 s, ʃ の調音点の判断の際には 基本的に摩擦ノイズの情報が用いられる ( 例 :ʃ-v のフォルマント遷移を持つ母音部に ʃ( 低周波数 )~s( 高周波数 ) に至る摩擦ノイズを組み合わせた刺激音を用いて実験を行うと 摩擦ノイズが曖昧 (s, ʃ のちょうど中間くらいの摩擦ノイズ ) であるとき以外は 基本的にフォルマント遷移の情報が使われない ) こと (Mann and Repp 1980, Whalen 1981) 非粗擦音の調音点の判断の際にはフォルマント遷移の情報が非常に/ 比較的重要となること (Harris 1958/LaRiviere et al. 1975) などが明らかとなっている しかし これらの研究はすべて摩擦音の調音点の知覚に関するものであり 摩擦音のみを選択肢とした強制判断を行わせていること また摩擦音同士を比較しているのであって閉鎖音と摩擦音を比較したものではない 193 ことから 本稿での議論である摩擦音の調音法の知覚 ( ある音が閉鎖音や鼻音などではなく 摩擦音であると判断されること ) とは直接関係しない 193 知覚実験を行うのは主に心理学系の研究者であるが 彼らが有標性の問題に関心がないこと以上に 閉鎖音と摩擦音 ( つまりカテゴリー間 ) を比較するような実験は変数が多すぎて 条件のコントロールが難しいため避けられているのであろう 205

214 知覚の手がかりに関する予備実験 ( 実験 5-1) この実験では 先行研究で指摘されている1 閉鎖音の破裂が無くても閉鎖音の知覚は( ほとんど ) 影響を受けない 2 摩擦ノイズが摩擦音の( 調音法の ) 知覚の手がかりである ことが日本語話者にも当てはまるか 日本語の /t/, /s/ を含む語から作成した刺激を用いて知覚実験を行って調べる そして 母音に隣接する環境においては 閉鎖音と摩擦音は知覚様式が全く異なるということを明らかにする 実験 5-1: 被験者 刺激 手順被験者は日本語話者 5 名で 被験者の出身地は愛知県 (4 名 ) と 大阪府 (1 名 ) であった 刺激の作成方法は以下の通りであった 以下の語の _ に /s, t, z, d, Ø ( 子音無 ), h/ を入れて 72 通りの無意味語を作成し 日本語話者 ( 女性 20 代 ) に これは です というキャリア文に入れたものを発音してもらい それを録音した 単語リスト _amarani pa _aron ke na_an rawa R_a _aribora ba _amin tya i_an humo N_a _aberima ne _apir i ri_ar fa ( ファ )Rmu_a ( はアクセント核 ) 次に t 系列の各語 (tamarani, pa taron,...) について t の子音部分 ( 破裂部分 気息がある場合は気息 194 も ) を除去し 除去したのと同じ長さの無音区間を埋め込んで新たな刺激音を 12 個作成した ( これらを t-burst 系列とする ) 同様に t 系列の各語の t の子音部分 ( 閉鎖区間と破裂 気息 ) を切除し その部分に同じ最小対となる語 ( 例えば tamarani であれば samarani) の s の摩擦ノイズを取り出し それを t があった位置に埋め込んで 12 個の刺激音を作成した ( これらを t+noise 系列とする ) 最後に s 系列 (samarani, pa saron,...) から s のノイズを取り除き 取り除いたのと同じ長さの無音区間を埋め込んで 12 個の刺激音を作成した ( これらを s-noise 系列とする ) d と z についても同様に加工をしたが d が特に語中では弱化して破裂区間を定義するのが困難な場合があったことや 子音の調音時間中に生じる声帯振動の存在しており 有声の部分のみ残して破裂 摩擦部分のみを取り出すことが技術的に難しく 加工した音声が聴覚的に不自然になってしまうという問題があったため 加工した音声は刺激として用いず 加工されていない d, z を含む語のみを _ に Ø や h を入れて作成した語と共にダミー語として用いることとした 以上 72 個の加工していない音声と 加工して作り出した 36 個の音声 計 108 個を刺激音として用意し 各刺激語の最も強い部分の音圧が一定になるよう調整した 一連の作業には Sugi SpeechAnalyzer を使用した 108 個の刺激音はランダムに並べ替え 静かな部屋で被験者に聞いてもらい 聞こえたとおりに日本語で書き取ってもらった 強制判断をさせなかったのは 子音部を削除した音がどのように変化して聞こえるかを確かめるためである 刺激音の提示はパソコンからヘッドフォンを通して行った 1 つの試行内で 1 つの刺激語がキャリア文に入れた状態で 2 回ずつ繰り返して提示され 各語についての試行回数は 1 回ずつとした 194 録音に協力してくれた話者の発音にはあまり気息が見られず 長いもので 30ms. 程度であった 206

215 予測先行研究から 子音部が無くても閉鎖音は知覚が可能であるから t-burst 系列の音は t と聞き取られると考えられる また 摩擦ノイズの存在が摩擦音の調音法の知覚の手がかりとなるから 摩擦ノイズの存在する t+noise 系列の音は s と聞き取られると予想できる 逆に 摩擦ノイズが存在しない s-noise 系列は t に聞き取られると予想できる ( 閉鎖音 摩擦音はともに阻害音であり 図 38 にあったように 摩擦ノイズの部分を除けば閉鎖音と摩擦音は非常によく似ているから 摩擦ノイズが聞こえなかったら同じ調音点の閉鎖音に聞かれることが予測される ) 下にまとめて示す 刺激音 t-burst t+noise s-noise 先行研究からの予測 t に聞こえる s に聞こえる t に聞こえる 結果結果をグラフとマトリクスに示す t-burst 系列は 100% が /t/ であると判断された t+noise 系列については およそ 9 割が s であると判断され /t/ だと判断されたのは 1 割程度であった s-noise 系列は 75% が /t/ であると判断され /t/ 以外の回答では /s/ が 2 割弱を占めていた s-noise 系列でのその他の回答は /p/ または /k/ であり /t/ であると判断されたものを合わせると 8 割以上が閉鎖音と判断されたことになる これらはほぼ予測どおりの結果となった t-burst 系列がすべて /t/ であると判断されたことから 先行研究で言われていたとおり 破裂が無くてもフォルマント遷移の情報が残ってさえいれば閉鎖音の知覚にはなんら影響が無いことがわかる 閉鎖音 ( 調音法としての閉鎖音 ) の知覚においては フォルマント遷移など隣接する要素からの情報があれば 破裂や気息が無くても知覚が可能であると言える 一方 閉鎖の区間に摩擦を埋め込んだ音声 (t+noise 系列 ) では閉鎖音だと判断される率が大幅に下がってしまうことから 閉鎖音の知覚においてはその閉鎖区間 つまり音がないこと (relative silence) が重要であると言える 摩擦音については閉鎖音と全く異なっており 摩擦音 ( 調音法としての摩擦音 ) の知覚においては t+noise 系列と s-noise 系列の結果に見られるように フォルマント遷移の情報が /t/ のもの (t+noise 系列 ) であっても摩擦が存在すれば大半が摩擦音だと判断され 逆にフォルマント遷移が /s/ のもの (s-noise 系列 ) であっても子音部分がないと摩擦音だと知覚される率が大幅に下がってしまう このことから 摩擦音は基本的に子音部分 つまり摩擦ノイズが無ければ知覚が困難であり この摩擦ノイズの存在が /s/ の調音法の知覚の重要な手がかりといえる ただし t+noise 系列や s-noise 系列は若干ながら揺れがあることから ノイズの有無以外の手がかり ( 例えば わずかなフォルマント遷移の差など ) が全く利用不可能というわけではないようである また s-noise 系列については閉鎖音だと判断された回答のうちほとんどが歯茎閉鎖音の /t/ に集中していることから 調音法の情報は失ったが調音点に関する情報は保持していると見ることが可能である これはおそらく調音点の情報を持つ F2 遷移が残っていることによると考えられる 以上の結果は 閉鎖音は子音部分 ( 破裂 気息 ) がなくても充分に知覚可能であるのに対し 摩擦音は子音部分 ( 摩擦 ) がなければ知覚が困難であるという点で 先行研究の見解と一致するものであった つまり 母音に隣接する環境においては 閉鎖音と摩擦音は知覚様式が全く異なるといえる 207

216 (32) 閉鎖音 摩擦音の知覚様式 ( 実験 5-1 より ) 閉鎖音 : 子音部分が無くても知覚可能 摩擦音 : 子音部分がないと基本的に知覚不可能 表 94. 実験 5-1 結果 :Confusion Matrix t s p k 計 t-burst t+noise s-noise t (original) s (original) 考察母音に隣接する環境において閉鎖音の子音部分 ( 破裂 気息 ) がなくてもその知覚にはほとんど影響が無いのに対し 摩擦音では子音部分 ( 摩擦 ) がなければ知覚が困難であり 子音部分の存在の重要性という点で閉鎖音と摩擦音の間に非対称性が見られた この非対称性の存在は 両者の子音持続時間を考えてみればそれほど不思議なことではない 閉鎖音の子音部分は閉鎖区間を除いてしまえば破裂は一般に 5~10ms 程度 (Wright 2004) であり 続く気息は言語や語内の位置によっても異なるが今回の実験の話者 ( 日本語 ) では長いものでも 30ms 程度であった 一方 摩擦音の子音部分 ( 摩擦 ) は発話速度にもよるが一般に長く 今回の実験の話者では短いものでも 60ms 長いものでは 100ms を超える場合もあった つまり 子音部分を削除すると言っても 削除された部分が持っていた情報量は閉鎖音と摩擦音とで異なっており 子音部分の持続時間が一般に長い摩擦音の方が子音部分の削除による情報量の損失が大きいと考えられる 閉鎖音と摩擦音の知覚様式の非対称性は このような理由によるものと思われる 重要なのは 閉鎖音と摩擦音の知覚様式に非対称性があるという事実よりもむしろ この非対称性から 摩擦音の方が閉鎖音よりも有標である理由を知覚的な面から説明できる可能性が示唆されたことにある すでに議論してきたように 日常空間では様々な雑音が存在するため 周期的な音 ( かつ音響的エネルギーの強い音 ) である母音よりも非周期的な音である閉鎖音の破裂 摩擦音の摩擦ノイズなどは聞こえなくなる確率がより高い 子音部分が聞こえなくなった場合 子音部分が無くても知覚可能な閉鎖音は問題なく知覚できるのに対し 子音部分がないと知覚が難しい摩擦音は閉鎖音に比べて知覚が困難になると予想される また 実験 5-1 で示されたように 摩擦ノイズが無い閉鎖音は対応する調音点の閉鎖音に聞こえる傾向がある これは 調音点 ( と声の有無 ) が同じ阻害音は子音部分を除けばかなり近いフォルマント構造を持つからだと考えられる つまり 摩擦ノイズが聞こえない状態になった摩擦音は 聞き手にとっては 無音 + 閉鎖音とよく似たフォルマント構造 という音の連続になり 完全な閉鎖音ではないにしても非常に閉鎖音に似た音となる ( このような音が積極的に摩擦音だと判断されることは無い ) つまり 日常空間には尐なくとも1 子音部分まではっきり聞 208

217 こえる閉鎖音 2 子音部分がはっきり聞こえない ( 雑音などの影響 ) 閉鎖音 3 子音部分がはっきり聞こえる摩擦音 4 子音部分がはっきり聞こえない摩擦音の 4 通りが存在することとなる ( 母音部分まで聞こえなくなるときは音節すべてが聞こえなくなると考えられるので それについては省略する ) このうち 1 2 4は閉鎖音に範疇化される音である つまり 日常空間には聞き手に閉鎖音だと知覚される音は実際に産出された閉鎖音より多いことになり 我々は無意識のうちに閉鎖音 ( 的 ) な音により多くさらされている可能性があることになる ところで 実験 5-1 で摩擦ノイズを削除した音が閉鎖音だと判断されたとはいえ このような ( 摩擦ノイズ部だけが欠けた ) 音は自然には存在しない 特に粗擦音は摩擦音の中でも強いエネルギーを持っているため 聞き取りにくい環境であっても全く問題なく知覚される可能性もあり 実験と同じような結果となるとは限らない この点については 後ほど音の頑健性に関する議論をしたうえで 自然な ( 子音部の削除などをしていない ) 音声を刺激として 日常空間で起こりうるような音を聞き取りづらい聴取環境を設定して実験を行い そのような環境においても予想通り摩擦音が閉鎖音に比べて知覚しにくいと言えるのかどうかを検証する 成人と幼児の知覚の手がかり調音法によって知覚の際に用いられる音響的手がかりが異なるだけでなく 発達の段階 ( 成人 幼児 ) によっても用いる手がかりが異なる場合があることが先行研究で報告されている 195 先行研究の報告を見る限りでは 閉鎖音 摩擦音の知覚の際に用いられる手がかりが成人と幼児とで異なる可能性があることが示唆される Walley and Carrell (1983) は 閉鎖音の調音点の知覚の際に用いられる主要な手がかりが onset spectra とフォルマント遷移のどちらであるかを確認するために 成人と幼児を対象にして知覚実験を行い 成人も幼児も閉鎖音の調音点の知覚においてはフォルマント遷移の情報に基づく判断をしたと報告した Walley and Carrell (1983) の報告は 成人と幼児の知覚の手がかりは同じであることを示すものであるが 一方で Simon and Fourcin (1978) では 英語の語頭の有声 無声の対立に関して 幼児は 5 歳くらいになるまで F1 を手がかりとして使えないことが報告され 幼児が成人とは異なる手がかりを用いて音を区別しようとしている可能性があることが議論されている 摩擦音の調音点の知覚については Nittrouer and Studdert-Kennedy (1987) が成人と幼児の比較を行っている Nittrouer and Studdert-Kennedy の研究では 自然発話による /ʃi/, /si, /ʃu/, /su/ の摩擦部分を合成摩擦音 (s-sh の continuum) で置き換えた刺激を用い 成人と幼児 (3 歳 4 歳 5 歳 7 歳 ) を対象とする知覚実験が行われ 摩擦音の調音点 (s, sh) の判断において 年齢が低いほどフォルマント遷移の情 195 ここでの議論は 言語獲得がある程度進んだ段階において生じる成長に伴う知覚方略の変化 (developmental weighting shift (DWS) (Nittrouer et al. 1998, 2000, 他 ) に関するものである 乳児は生後間もない時期から言語音を 区別 する能力を持っているが (Eimas et al. 1971) その後の言語経験によって母語に対立のない音を区別する能力は失われることが知られている (Polka et al. 2007) 母語に対立のある音を区別する能力のみが保持されることから 幼児は母語に対立がある音であれば知覚ができるものと考えられており それは多くの場合正しいと思われるが このことは必ずしも幼児が成人と同じような知覚の方略を用いて知覚をしていることを意味するわけではない 実際に 様々な研究において幼児と成人が音の知覚の際に重要視する音響的手がかりが異なることが指摘されている ( 詳しくは Nittrouer et al 参照 ) 一般に 幼児の産出における誤りは知覚ではなく産出的な問題にあると考えられる傾向があるが このように幼児と成人とで知覚の仕方が異なる場合があることを考えると 知覚様式の違いが産出における誤りに結びついている可能性も否定はできないので 以下で議論する 209

218 報を重視した知覚をしやすい傾向があることが報告された 摩擦音の調音点の知覚において幼児は成人に比べてフォルマント遷移の情報を重視した知覚をする傾向については その後も Nittrouer (1992) などの研究でも同様の報告がなされている さらに近年では Nittrouer et al. (2000) の実験により 成人は音韻環境によって知覚の方略を柔軟に変化させることができるのに対し 幼児は音韻環境によらず常に同じ知覚の方略を適用する傾向があることが明らかとなっている 閉鎖音の知覚に関して 幼児と成人が同じ手がかりを用いると報告した Walley and Carrell (1983) の研究で対象となっているのは閉鎖音の調音点の知覚であり 幼児と成人が異なる手がかりを用いると指摘した Simon and Fourcin (1978) で対象となっているのは閉鎖音の有声性の知覚であることから この 2 つの研究は閉鎖音の調音法の知覚を対象とする本研究とは条件が異なるけれども 彼らの実験結果が閉鎖音の調音法についても当てはまるとすれば 閉鎖音の知覚については成人と幼児で同じ手がかりを用いるか あるいは用いる手がかりが異なっているか 両方の可能性がありうるであろうと予想できる 一方 Nittrouer and Studdert-Kennedy の研究で対象となっているのは摩擦音の調音点の知覚であり やはり本研究とは条件が異なるが 摩擦音の調音法については成人と幼児とで用いる手がかりが異なるのではないかと予想できる 特に重要なのは 摩擦音の調音点の知覚においては幼児がフォルマント遷移の情報をより重視する傾向があるという Nittrouer らの指摘から 摩擦音の調音法の知覚においても幼児は摩擦よりもフォルマント遷移を重視した知覚をするのではないかと推測できるという点である 上述のように 摩擦音の摩擦は成人が摩擦音であると知覚するのに必要な手がかりだとされているので 仮に幼児が摩擦を重視せずに知覚判断をしており 産出においても彼らなりにフォルマント遷移によって摩擦音と閉鎖音とを区別していたとすれば そうした音は成人には摩擦音であるとは判断されず 結果的に幼児の産出のエラーとして扱われることになっている可能性も否定はできない こうした可能性を検証するために 5.6 節において 日本語を母語とする成人 幼児を対象として閉鎖音 摩擦音の弁別に関する知覚実験 ( 実験 5-2) を行った 頑健性知覚の手がかりには様々なものがあるが 音の知覚において全ての手がかりが同等の価値を持つわけではない その理由の一つが 個々の手がかりの頑健性が異なることである 雑音の中での音の知覚しやすさを調べた先行研究では 雑音に対する頑健性が手がかり ( または素性 ) の種類によって異なることが明らかにされている (Bilger and Wang 1976, Miller and Nicely 1955, Miller and Wayland 1993, Wang and Biler 1973, Wright 2001) 中でも Wright (2001) による指摘は本研究の議論に大きく関係するものであると考えられる Wright(2001) は /m, n, f, s, p, t/ を用いた知覚実験から 音によって雑音による影響を受ける ( 知覚できなくなる ) 度合いが異なることを明らかにした (33) に示したのは (31) に挙げたのと同じもので その実験結果をまとめたものである (33) 周囲の雑音に対する耐性 (Wright 2001 より ) 周期的な音 > 非周期的な音 瞬間的な音 > 非瞬間的な音 (31) この結果から Wright はすべての素性 知覚の手がかりを同等に扱うことに警鐘を鳴らした 理想 210

219 的な 防音設備の整った部屋で ヘッドフォンを通して音を聞く 環境で得られた実験結果がそのまま日常の ( つまり様々な雑音のある ) 空間でもあてはまるとは限らないというわけである Wright は最適性理論の制約を知覚の現象から動機付けようとする研究者たちへ注意を喚起したのであるが このことは当然 有標性が生じる音声学的基盤を明らかにしようとする者に対しての警鐘でもある 有標性は実験室ではなく日常の生活空間における言語使用の中で生じるものであるから 実験を行う際には常に心に留めておく必要があるといえる ところで (33) の非周期的な音は周期的な音に比べて雑音に影響されやすいというのは 非周期的な音である閉鎖音の破裂や摩擦音の摩擦ノイズが周期的な音である母音に比べて聞こえにくくなってしまいやすいことを示唆している 196 これは先ほどからの議論( 摩擦ノイズが摩擦音の調音法にとって重要なのか すなわち摩擦ノイズが仮に聞こえなくても母音からの外的手がかりによって修復が可能なのか ) とも非常に深く関わっていることである つまり 日常空間では閉鎖音 摩擦音共に外的手がかりに依存した知覚が行われやすくなるというわけで 外的手がかりを使えるか否かによって日常空間での知覚しやすさが大幅に変わってしまうことが予想されるのである 先行研究で指摘されていたように そもそも閉鎖音の知覚の場合はほぼ常に外的手がかりが使われるから 日常空間で破裂が聞こえなくなろうと ( 母音が聞こえなくなるほど雑音がひどくなければ ) 全く問題は無いと思われる 逆に 摩擦音の知覚の場合外的手がかりが使えないとすると それは日常空間での摩擦音の知覚が比較的難しくなることを予測する さらに 摩擦音の知覚が不可能となった場合にそれがどのように聞こえるのかを考えると 実験 5-1 の結果から s が t に すなわち 摩擦音が閉鎖音に誤って知覚されることが予測される このシナリオが正しければ これが摩擦音の方が閉鎖音よりも有標になる要因と考えられそうである この可能性については 5.6 節で新たに知覚実験 ( 実験 5-3) を行うことで検討する 5.6. 有標性とその例外に対する音声学的説明 実験 5-2: 成人 幼児に対する知覚実験実験 5-2: 方法被験者は 日本語を母語とする成人 10 名と 幼児 (3~8 歳 平均 4.8 歳 )7 名であった 197 刺激は以下の手順で作成した まず 日本語を母語とする 1 名の女性に take( 竹 ) sake( 酒 ) と kata( 肩 ) kasa( 傘 ) の各語を単独で ( キャリア文に入れない状態で ) 発音してもらい それを録音した 198 語の選定に当たっては t と s に関して語頭 語中で最小対を成し かつ幼児にとって馴染みがあり 絵として表現しやすいという 3 点を満たすような語のペアを考えた結果 以上の 4 語が選ばれた 録音した各語の t および s の子音部分 (t については閉鎖区間 破裂 VOT s については摩擦区間 ) とその他の部分 ((t)ake, (s)ake, ka(t)a, ka(s)a 以下 母音部分とする) を分割し 刺激作成のために別々のフ 196 Wright(2004) では 非粗擦音と比べると粗擦音は周囲の雑音に影響を受けにくいと述べている 確かに粗擦音は摩擦のエネルギーが強いため 比較的聞こえやすいのは事実であるが 母音と比べれば雑音の影響を受けると思われる 197 被験児を集めるに当たっては ボランティア団体 かにっ子ファミリー の方々にご協力いただいた ここに記して感謝申し上げたい 198 もともとは 花壇 (kadan) と 火山 (kazan) という d と z の最小対も加えて 3 系列の刺激を使った実験を計画していたが 幼児の多くがこれらの単語をそもそも知らなかったため d-z については実験を実施することができなかった 211

220 ァイルに保存した その後 子音部分については それぞれの振幅が小さくなるよう操作して 子音部分の強さが連続的に変化させた 振幅の操作は 元の音声を基準にして 操作なし 2 分の 1 4 分の 1 8 分の 1 16 分の 1 32 分の 1 64 分の 分の 1 削除( 該当部分を削除して 削除した分だけ無音区間を埋め込む )9 段階とした その後 9 段階の強さの子音部分を 母音部分 ((t)ake, (s)ake, ka(t)a, ka(s)a) に再度張り合わせることで 子音部分の強さが連続的に変化する語を作成した 刺激の総数は take - sake のペアについては 2 種類の子音 (t, s) 9 段階の強さ 2 つの母音部分 ((t)ake, (s)ake) -2( 子音を削除したものについて 2 重にカウントした部分の調整 ) で 34 個 kata - kasa のペアについても同様に 2 種類の子音 (t, s) 9 段階の強さ 2 つの母音部分 (ka(t)a, ka(s)a)-2 で 34 個であった 実験は語頭 ( 竹 酒 ) のブロックと語中 ( 肩 傘 ) のブロックから成り 語頭のブロックでは 竹 と 酒 の音声から作成された刺激が 語中のブロックでは 肩 と 傘 の音声から作成された刺激が提示された 刺激の提示順序はコンピュータのプログラムによって被験者ごとにランダマイズされ ヘッドフォン経由で提示された 被験者には 刺激を聞いてそれが竹か酒 ( または肩か傘 ) のどちらであったかを 2 択で判断するように求めた 回答方法は 幼児についてはコンピュータの画面上に 2 つの絵を表示しておき 聞こえた方の絵を指差しすることで回答してもらい 成人については該当するコンピュータのキーを押してもらうことで回答を得た 子音部分 t t(1/2) t(1/4) t(1/64) t(1/128) s(1/2) s(1/4) s(1/64) s(1/128) 子音なし 母音部分 (t)ake (s)ake 予測この実験は子音部分 母音部分 およびグループ ( 成人 幼児 ) を変数とし これらの変数が回答 (t だと判断された率 ) に影響するか否かを調べるものである 先行研究においては 幼児は成人に比べてフォルマント遷移を重視し 子音部分を軽視した知覚をすることが予測されるので 子音部分が回答に与える影響および母音部分が回答に与える影響の度合いはグループ ( 成人か幼児か ) によって異なる ( 最も極端な例では 幼児は母音部分が t であれば子音部分が何であれ t だと回答し 母音部分が s であれば子音部分が何であれ s だと回答するのに対し 成人は母音部分が何であるかではなく 子音部分が何であるかによって回答するという結果が得られる ) ことが期待される これは 統計的には子音部分 グループの交互作用および母音部分 グループの交 212

221 互作用の有無を調べることによって確認することが可能である この実験の場合 成人と幼児とで子 音部分と母音部分の効果に差があることを想定しているので これらの交互作用が有意であることが 予測される 結果語頭 ( 竹 酒 ) t だと判断された率について 子音部分 ( グラフの X 軸 ) と母音部分 ((t)ake (s)ake) と年齢 ( 幼児 成人 ) を要因とする分散分析を行った その結果 まず 子音部分の主効果が有意であり (F 17, 438 = 87.7, p < 0.001) 子音部分の変化によって t 判断率が有意に変化するといえることが明らかとなった これは図からも明らかであり 母音部分によらず 子音が s に近くなるにつれて t だと判断される率が低くなる傾向であった 母音部分の主効果も有意であったが (F 1, 438 = 7.8, p < 0.01) 年齢の主効果は有意ではなかった (F 1, 14 = 1.0, p = (n.s.)) 199 母音部分が t 判断率に与える影響は図からは顕著ではないが 母音部分が t であるとき ((t)ake) の t 判断率は平均で 63.5% であったのに対し 母音部分が s であるとき ((s)ake) の t 判断率は平均で 58.5% であり 全体として母音部分が t であるときの方がより t だと判断される率が高い傾向があった また 子音部分 年齢の交互作用も有意であった (F 17, 452 = 1.9, p < 0.05) これは 子音部分が t 判断率に及ぼす影響が成人と幼児とで異なることを示す結果であり 図からも明らかなように 幼児の判断境界が成人に比べてより右側に位置している ( 幼児の方がより t だと判断しやすい ) ことと X 軸の両端に近い刺激に関して幼児の回答が成人に比べてばらつく傾向があったために生じたものだと思われる それ以外の交互作用については いずれも有意でなかった 表 95. 分散分析結果 ( 語頭 ) ソース 分子の df 分母の df F p 切片 年齢グループ Vportion Cportion 年齢グループ * Vportion 年齢グループ * Cportion Vportion * Cportion 年齢グループ * Vportion * Cportion この実験においては従属変数が 2 択の名義変数となっていることから 名義変数の分析に適用可能であるロジスティック回帰分析も行った 従属変数を被験者の回答 (t ( = 0)/s ( = 1)) とし 子音部分 ( 連続変数 :t, t2, t4,... を順に 1, 2, 3,... と順序尺度化したもの ) 母音部分 ( 名義変数 :(t)ake ( = 0)/(s)ake ( = 1)) 年齢 ( 名義変数 : 幼児 ( = 0)/ 成人 ( = 1)) の 3 つの主効果のみを要因とするモデルで分析したところ 年齢を含めたすべての要因が有意であった ( 子音部分 :B = 0.445, W 2 = 505.3, df = 1, p < 0.001; 母音部分 :B = 0.351, W 2 = 5.7, df = 1, p < 0.05; 年齢 :B = 0.553, W 2 = 9.6, df = 1, p < 0.01; 正分類率 :85.6%) ロジスティック回帰分析のように対数変換を行う手法は今回の実験のように S 字型を描くようなデータの分析に適しており ANOVA や通常の線形回帰分析のように対数変換によらない分析方法は逆にこのようなデータの分析には必ずしも適さないため (Aldrich and Nelson 1984) 総合的な判断として年齢の影響は有意であったと見なすことができる すなわち 図 39 と図 40 からも見て取れるように 成人の線は幼児の線に比べて全体に左側に位置しており ここから成人は相対的に刺激を s だと判断しやすい ( 逆に 幼児は成人に比べて刺激を t だと判断しやすい ) 傾向があったと言える 213

222 図 39. 語頭における t 判断率 ( フォルマント遷移の情報 = t) 図 40. 語頭における t 判断率 ( フォルマン遷移の情報 = s) 語中 ( 肩 傘 ) 語頭の結果とは異なり 語中では母音部分によって結果が大きく異なっていた 語頭の実験結果と同様に t だと判断された率について 子音部分 ( グラフの X 軸 ) と母音部分 (ka(t)a ka(s)a) と年齢 ( 幼児 成人 ) を要因とする分散分析を行ったところ 3 要因間の交互作用を含む全ての交互作用が有意であった 全ての交互作用が有意であったことから 要因間の単純比較が難しいと考えられるので 母音部分が t のとき (ka(t)a) と s のとき (ka(s)a) の結果に分けて それぞれ別々に子音部分と年齢を要因とする分散分析を行った 母音部分が t のときは 語頭の結果と同様 子音部分の主効果が有意であったが (F 16, 225 = 48.6, p < 0.001) 年齢の主効果は有意ではなかった(F 1, 225 = 0.7, p = (n.s.)) 200 これらの結果は 子音部 200 語中の母音部分の情報が t である条件の場合 ロジスティック回帰分析の結果においても 分散分析の結果と同様に年齢の主効果は有意ではなかったので この条件においては年齢の主効果の影響はなかったものと見なせる 214

223 分によって t 判断率は異なるが 年齢 ( 成人か幼児か ) による差は全体として見られなかったことを意味するものであった また 子音部分と年齢との交互作用が有意であったが (F 15, 225 = 5.3, p < 0.001) 幼児の回答が成人に比べてばらつく傾向があったことと 幼児の判断境界が成人に比べて若干右側に位置している ( 幼児の方がより t だと判断しやすい ) ことによって生じたものだと思われる なお t128 で幼児の t 回答率が急激に低くなっているが なぜこのような結果となったのかはわからない 表 96. 分散分析結果 ( 語中 フォルマント遷移の情報 = t) ソース 分子の df 分母の df F p 切片 年齢グループ Cportion 年齢グループ * Cportion 母音部分が s のときは 子音部分の主効果と年齢の主効果が共に有意であった ( 子音部分 :F 16, 227 = 9.6, p < 0.001; 年齢 :F 1, 16 = 42.5, p < 0.001) これらの結果は子音部分によって t 判断率に変化が見られたこと ( 図からも明らかなように 子音部分が s らしくなるほど t 判断率は下がっていく傾向があった ) また 年齢 ( 成人か幼児か ) によって t 判断率が異なることを表している また 子音部分と年齢との交互作用も有意であった (F 16, 227 = 1.7, p < 0.05) これは 図からも明らかなように成人と幼児とで子音部分の影響を受ける度合いが異なることを示すものであった また 成人に比べて幼児の反応にはばらつきが大きかったことも 交互作用が有意となった理由の一つであると考えられる 表 97. 分散分析結果 ( 語中 フォルマント遷移の情報 = s) ソース 分子の df 分母の df F p 切片 年齢グループ Cportion 年齢グループ * Cportion

224 図 41. 語中における t 判断率 ( フォルマント遷移の情報 = t) 図 42. 語中における t 判断率 ( フォルマント遷移の情報 = s) 考察先行研究からは 幼児は成人に比べて子音部分の情報よりもフォルマント遷移 ( この実験では 母音部分 ) の情報を重視した知覚をすることが予測された この予測からは 極端に言えば幼児は母音部分が t であれば子音部分が何であれ t だと回答し 母音部分が s であれば子音部分が何であれ s だと回答するのに対し 成人は母音部分が何であるかではなく 子音部分が何であるかによって回答するという結果が得られることが期待される 語頭においては 幼児の方が成人よりも子音がより s らしくならないと s だと判断しにくい傾向があった これは幼児は成人よりも子音部分の情報に敏感ではない ( 幼児が摩擦だと知覚するためにはより強い摩擦が必要となる ) 傾向があることは示すものであり この点では予測とは矛盾するものではない しかし 語頭における成人と幼児の線の傾き自体は大差がないことから 幼児が子音部分の情報を利用しないとは言えない また 母音部分 年齢の交互作用が有意ではなかったことから 幼児が成人よりも母音部分の情報を重視した知覚をしているとは言えないことが明らかとなった つまり 216

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