ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ

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1 1 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 金城大論集 初出 ロマ 3:24 26 における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 髙橋 敬基 本小論はローマ人への手紙 3:24-26(21-26) の釈義的研究である しかしながら, これは単なる部分の議論ではない そもそも聖書釈義は部分にとどまることはない つねにそれは全体的主張, 即ち神学と結びつく とくにここにとりあげる箇所は, 直接的にローマ人への手紙の構造, したがってパウロの神学の中心と結びつく 1 このことは近年再び活溌に論議されだした 神の義 に関する論争 (R. ブルトマン,E. ケーゼマン, P. シュトウールマッハー,F. ハーン ) 2 においても明らかにされている したがって, 本論文はこれらの論争に加わるという仕方で論を進めて行く 1 拙論 ローマ人への手紙における 9~11 章の位置 神学 ⅩⅩⅧ(1965), 頁参照 2 Rudnlf Bulumann,,,ΔΙΚΑΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ in : JBL 83(1964), S Rudolf Bultmann, Theologie des Neuen Testaments, Tübingen, ( 川端純四郎訳 新約聖書神学 Ⅰ, Ⅱ, 新教出社版,1963) Ernst Käsemann, Zum Verständnis von Römer 3, 24-26, in: Exegetische Versuche und Besinnungen, 1, Göttingen, 1960, S (ZNW 43, 1950/51, S ). Ernst Käsemann, Gottesgerechtigkeit bei Paulus, in: Exegetische Versuche und Besinnungen, 2, Göttingen, 1964, S (ZThK 58, 1961, S ). Peter Stuhlmacher, Gerechtigkeit Gottes bei Paulus, Göttingen, Ferdinand Hahn, 熊沢義宣訳 パウロおよびパウロ以降における神の義 神学 XXⅪ(1968), 8-24 頁

2 2 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 1 ロマ 3:24-26 にはいくつかの奇異な点がある その第一は 23 節と 24 節の関係である 文法上 1 というよりはむしろ意味の上から 24 節の δικαιούμενοι という分詞形が前節の主語 πάντες とどのようにつながるかという問題である つまり, すべての者が罪を犯した そこでそのすべての者が 義とされる, と読むことはできないのである 第二に, 少なくとも, パウロにとくに特微的であるとは言い難い語群についてである 即ち, ἀπολύτρωσις, 2 προτίθεσθαι, 3 ἱλαστήριον, 4 πάρεσις, 5 προγεγονότα, 6 ἁμαρτήματα, 7 である 第三に,25 節および 26 節に出て来る δικαιοσύνη αὐτοῦ の意味が異なる点である 即ち,25 節のそれは神の属性ないし契約への信実が πίστις( この場合の 神の は主格属格 gen.subj. である ) であると思われるのに対し,26 節のそれは神の 終末論的救済行為 8 を意味し, 前者が過去と人間の罪過とを関係させているのに対し, 後者が現在の時とその救いとを関係させている点である この二つの δικαιοσύνη θεοῦ の問題は, 結局, 義が神自身の何かであるのか, あるいは ἐκ θεοῦ 9 という, 神によって与えられた人間の何かであるのか, という点にしぼられてくる 10 R. ブルトマンは,24-26 節の最初の部分までを, とくにパウロ的表現とみなされる δωρεὰν τῇ αὐτοῦ χάριτι と διὰ πίστεως を除いて, 原始教団から伝承された定型であると主張し 11, E. ケーゼマンもそれに賛成する 12 両者の論拠は ἱλαστήριον と ἐν τῷ αὐτοῦ 1 ハーン ( 前掲書 10 頁 ) はこの場合には不定形が期待されるところであると言う 2 ロマ 8:23( エぺ 1:14, 4:30) はこの語の指示する内容が異なる I コリ 1:30 の δικαιοσύνη との並列, コロ 1:14 の ἡ ἄφεσις τῶν ἁμαρτιῶν との並列に注意 その他のところでは, エぺ 1:7, ルカ 21:28, ヘブ 9:15, 11:35 に出て来る 3 ここの場合のような, 立てる, 表明する という意味においては出て来ない 4 ここ以外の個所ではヘブ 9:5 に出て来るだけである 5 これらは hapaxlegomena である 6 同上 7 パウロの罪を表現する神学用語は ἁμαρτία である 複数形の ἁμαρτήματα が用いられているのはこの個所だけである 単数形では Ⅰ コリ 6:18 に不品行との関係で用いられている その他には,Ⅱ ペテ 1:9, マルコ 3:28, 29 に出て来る 8 Käsemann, Zum Verständnis von Römer 3, 24-26," S ピリ 3:9, μὴ ἔχων ἐμὴν δικαιοσύνην τὴν ἐκ νόμου, ἀλλὰ τὴν διὰ πίστεως Χριστοῦ, τὴν ἐκ θεοῦ δικαιοσύνην ἐπὶ τῇ πίστει. δικαιοσύνη θεοῦ をこのように δικαιοσύνη ἐκ θεοῦ と理解すれば,θεοῦ は,gen.auctoris となる 10 この δικαιοσύνη θεοῦ の二重の意味に関する解釈史をここでたどることはできない 解釈史については,Peter Stuhlmacher, Gerechtigkeit Gottes bei Paulus. S を参照されたい 後述のように, 伝承史的観点がブルトマン, ケーゼマンによって導入される以前には, この問題は, 両者を調和させるか, どちらか一方によって統一するか, あるいはどちらかを切り捨てるかして解釈してきた 11 ブルトマン, 川端純四郎訳 新約聖書神学 Ⅰ, 60 頁 そこではパウロは, 明らかに伝承された定型にもとづいており, あるいはおそらく ( いずれにせよ部分約には ) それを引用している 12 Käsemann, Zum Verständnis von Römer 3, 24-26", S. 96. その他には, Stuhlmacher, op. cit., S. 88; Karl Kertelge, Rechtfertigung bei Paulus, Münster, 1966, S. 51f.; Klaus Wegenast, Das Verständnis der Tradition bei Paulus und in den Deuteropaulinen, Neukirchen, 1962, 77f.; Dieter Lührmann, Das Offenbarungsverständnis bei Paulus und in paulinischen Gemeinden, Neukirchen, 1965, S. 150f.;

3 3 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ αἵματι 12 および今までに犯された罪のあがないを求める神の δικαιοσύνη という概念がパ ウロ的でないということである したがって, 伝承と思われる部分は次のようなものと なる δικαιούμενοι διὰ τῆς ἀπολυτρώσεως τῆς ἐν Χριστῷ Ἰησοῦ. ὃν προέθετο ὁ θεὸς ἱλαστήριον ἐν τῷ αὐτοῦ αἵματι, εἰς ἔνδειξιν τῆς δικαιοσύνης αὐτοῦ διὰ τὴν πάρεσιν τῶν προγεγονότων ἁμαρτημάτων ἐν τῇ ἀνοχῇ τοῦ θεοῦ. この伝承の言うところは, われわれ人間が義とされるのは, キリスト イエスが流した血によって神があがないの供え物としてたてたキリスト イエスにおけるあがないによる そしてそれは神が自身の義をその忍耐によって, それまでに重ねられてきた諸罪過を見逃すことによって示すためである, と言うことである ἀπολύτρωσις はここでは明らかに, 犯されてきた過去の罪通と関係させられており, ロマ 8:23 の場合のような, やがて現わされようとする栄光 (18 節 ) と関係する最終的な救い ( 子たる身分を授けられること ) である からだのあがなわれること とは異なる ἱλαστήριον は,LXX では kappōreth の訳として用いられ, 契約の箱のおおい, 神の臨在の場所, 神の啓示の場所, 贖罪の場所, 至聖所の中の至聖の場所, 第二神殿の時代には至聖所において血を散布することなどを意味した 13 しかしここでは明らかに, 贖罪所を意味せず, 14 またなだめの供え物でもなく, 15 あがないの供え物を意味す 16 δικαιοσύνη θεοῦ は, この伝承の中で, ロマ 3:5 と同様に, 17 神の契約に対する信実という Günther Bornkamm, Die Offenbarung des Zornes Gottes (Röm 1-3) in: Das Ende des Gesetzes, I, 1963, S. 12; Otto Michel, Der Brief an die Römer (Kritischexegetischer Kommentar über das Neue Testament), Göttingen, 1963, S. 103 などがブルトマン, ケーゼマンに従っている しかし Eberhard Jüngel, Paulus und Jesus, Tübingen, ではニュアンスの相違であるとして, これはふれられていない また Otto Kuss, Der Römer Brief, Regensburg, 1957, Ⅰ で彼は反対している (S. 161) 12 キリストの血についての言及はたしかに伝承の中にだけ見出される 即ち, ロマ 5:9, Ⅰ コリ 10:16, 11:25, 27 など 13 Strack-Billerbeck, Kommentar zum NT aus Talmud und Midrasch, Bd.Ⅲ, München, 1926, S, Anders Nygren (Commentary on Romans, tr. by C. C. Rasmussen, London, 1958) は 贖罪所 ととっている (p. 156ff.) 15 ブルトマンはヘレニズム的な意味において, このように理解する ( 新約聖書神学 Ⅱ,157 頁 ) 16 W. Sanday-A. C. Headlam, A Critical and Exegetical Commentary on The Epistle To The Romans, Edinburgh, 1958, p. 871; John Murray, The Epistle to the Romans (The. New International Commentary on the New Testament), Vol.Ⅰ, p. 117; Michel, op. cit., S. 103, 107; C. H. Dodd, The Epistle of Paul to the Romans, 1959 (fontana books), p. 77ff.; Kuss, op. cit., S. 157; Käsemann, op. cit., S. 99; W. D. Davies, Paul and Rabbinic judaism, London, 1958, pp ; Kertelge, op. cit., S. 57; C. K. Barrett, A Cornmentary on the.epistle to the Romans (Black's New Testament Commentaries), London, 1957, p. 77f.; Paul Althaus, Der Brief an die Römer (NTD), Göttingen, 1962, S. 30f. 参照 17 3 章の初めの部分で δικαιοσύνη θεοῦ は, ブルトマンが考えるように ἀδίκως と対になる (Bultmann, ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ, S. 13) のではなく,πίστις τοῦ θεοῦ 神の信実 と平行すると考えるのが正しいと思われる なお, バルト, 吉村善夫訳 ロマ書 角川書店,1959, 1:17, 3:5, の部分を参照されたい

4 4 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 属性ないし行為そのものを意味している 18 即ち, 神はその民イスラエルと結んだ契約を一方的に破棄することなく, 新しく結ぶ この意味でこれは法廷概念的である それはキリストの出来事によって, キリストの十字架による贖罪死によって明らかとされた神自身の義, 信実である この意味でこれは, 存在論的に受け取ることはあやまりであるが, 神の属性 Eigenschaft であるということができる さらに, この義は人間の犯してきた罪過を白紙に還元するという仕方で, 人間に救いをもたらす神の救済行為である 次に, この伝承の起源および場 Sitz が何であるかを検討しなければならない 上述の神の義概念はたしかに旧約聖書的, ユダヤ教的な思想の中に見出されるものである 19 したがってまた, イエスの十字架が あがない と考えられ, 神の前に義とされる ことを人間にもたらす, 血によるあがないの供え物 であると原始教団のユダヤ人キリスト教徒が考えたということも不可能ではない 20 しかしながらむしろここに用いられている用語法から, ヘレニズム世界のユダヤ人キリスト教にこの思想が結びついていると考えるのが適当であろう ἱλαστήριον は,E. ローゼが指摘するように, 21 ヘレニズムのユダヤ人たちの間では殉教者の苦難と死があがないの力と結びつけられていたという事実から, この文脈においてよく理解される ということは, この伝承がやはりヘレニズム世界のユダヤ人キリスト者の間で少なくとも最も明瞭な形をとるにいたったということができよう ジッツこの伝承の場については, おそらく洗礼と考えるよりは主の晩餐と考える方がより 妥当であると思われる その最大の理由は ἐν τῷ αὐτοῦ αἵματι と聖餐の制定文に見られる ἐν τῷ ἐμῷ αἵματι の平行である そしてこのことは, この伝承の背後に ἡ καινὴ διαθήκη と いう思想のあることを裏書きする E. ケーゼマンは断定的には述べていないが, マルコ 14:24 との関係を想定し,καινὴ 18 Käsemann, op. cit., S. 98. 義はここでは契約信義 Bundestreue という属性である それゆえ, いつくしみとかあわれみとほとんど同義的である さらに,Lührmann, op., cit., S. 144; Wegenast, op. cit, S, 77f. 参照 19 ブルトマン 新約聖書神学 Ⅰ,61 頁 ;G. F. Moore, Judaism, Cambridge,1958,I, pp 参照 これに対し,A. Deißmann はヘレニズムに起源すると主張する (Paulus, Eine kultur-und religionsgeschichtlic Skizze, Tübingen, , S. 134ff.) 20 ブルトマン, 前掲書,61,107 頁 ; Käsemann, op. cit., S. 99f. 21 E. Lohse, Märtyrer und Gottesknecht. Untersuchungen zur urchristlichen Verkündigung vom Sühnetod Jesu Christi, (FRLANT 64), Göttingen, , S 彼は第四マカベヤ 17:21f. を引用し, ヘレニズムのユダヤ教は殉教者の死を犠牲として理解し, 犠牲の用語を用いて彼らの死のあがないの力を表現している と言う ハーン ( 前掲書 12 頁 ), ケルテルゲ (op.cit.,s.57) はローゼに賛成する またケーゼマンもその可能性を指摘する (op. cit., S.99)

5 5 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ διαθήκη という思想を前面に出す シュトゥールマッハー 22 およびケルテルゲ 23 は聖餐の典礼をこの伝承の場と考える ミヒェル 24 は,... ἡ καινὴ διαθήκη... ἐν τῷ ἐμῷ αἵματι との平行を指摘する ただブルトマン 25 はたしかにこの伝承を直接聖餐にもってゆくことはしないが, 罪のためのあがないの供え物と まさに晩餐式文の中にその確固とした位置をもっている ὑπέρ 章句ないし定型とを結びつけている この場合,ὑπέρ 定型はここにはまったく出て来ないわけであるから, 論拠にはならない 彼の場合, 罪からの解放, 救い, きよめ などの章句も同じに考えるため,I コリ 1:30, 6:11 などの洗礼との関係を考える方が妥当と思われる章句にまで聖餐式文をもってくる しかし,I コリ 10:16, 11:27 などでは,αἵματι は聖餐式文の中に出てくる ハーン 26 は上の見解に反対して, バプテスマ伝承との関係を考える この個所は契約について何一つふれられていないし, 契約は必ずしも贖いという概念から導出されず, むしろロマ 3:5 とⅡコリ 5:19 の関連から宇宙論的な視点 δικαιούμενοι にもうかがわれる そしてパウロの受け取っているこの伝承は ἀπολύτρωσις とか προγεγονότων ἁμαρτημάτων からうかがわれるようにバプテスマ伝承とかかわりをもつ したがって, この伝承は終末論的なキリストのあがないの死にあずかるというバプテスマ伝承にその場をもつと考える たしかに義認論とバプテスマの関係は存在する 27 しかしながらこの主張には重要な難点がある 一つは聖餐との結びつきを思わせる ἐν τῷ αὐτοῦ αἵματι をどのように考えるかという問題である バプテスマ伝承にはむしろ ἐν τῷ ὀνόματι τοῦ κυρίου また ἐν τῷ πνεύματι τοῦ θεοῦ が結びつくが, 28 ここには出てこない もう一つは, キリストのあがないの死に共にあずかると いうバプテスマ伝承が果してパウロ以前にあったかどうかの問題である ロマ 6 章の σύν モティーフが原始教団のバフテスマ伝承のパウロ的解釈であるということもできることによってこの解釈の問題性が問われる その上われわれの検討している伝承自体の中にも σύν モティーフは存在しない さらにハーンは προγεγονότα ἁμαρτήματα という表現がバプテスマ伝承との関係を示唆すると考えるが, これはむしろ聖餐伝承における 29 δοκιμάζειν の内容であると考える方が妥当であろう ここ 22 Stuhlmacher, op. cit., S Kertelge, op. cit., S Michel, op. cit., S ブルトマン, 前掲書,107 頁 26 ハーン, 前掲書,14 頁 27 ロマ 6:7 また I コリ 6:11 に注意 28 Ⅰ コリ 6:11 29 Ⅰ コリ 11:27-34

6 6 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ でむしろ問題があるとすれば ἐν τῇ ἀνοχῇ τοῦ θεοῦ である この語はロマ 2:4 にも出ており 必ずしも非パウロ的用語ときめつけることはできないが, その文脈における意味もあいまいである 30 即ち, ケーゼマンが主張するように, その前の προγεγονότα ἁμαρτήματα にかかるパウロ以前の伝承の一部ととる 31 より, その伝承を取り入れるつなぎのためのパウロの付加か, あるいはむしろ, 最初の聖餐伝承がさらにもう一つの層 32 である, より独立した神の義論の形成の際に付加されたと考えるべきではないかと思われる なぜなら, 聖餐伝承の δοκιμάζειν と関係する προγεγονότα ἁμαρτήματα はそのままでは一回的なキリストの出来事と一回的に結びついていない それゆえ, ハーンはバプテスマに結びつける が,ἐν τῇ ἀνοχῇ τοῦ θεοῦ によってそれがなされているからである 即ち, これはたしかに ἐν τῷ νῦν καιρῷ と対立するのではなく, 伝承全体をそれに組み込む働きをしている さらにこの τοῦ θεοῦ は 25, 26 節の二つの面 δικαιοσύνη αὐτοῦ にはさまれて奇妙な感じを与える そしてこのことは, この句が 23 節の ἡ δόξα τοῦ θεοῦ と同じ層とかかわることを示唆していないであろうか 以上述べてきたことから,3:24-26 に聖餐伝承が組み込まれていることが明らかになったと思われる パウロがこれを取り入れ, これを解釈し, これにあるものを付加することによって, パウロ自身の理解を示しているわけである そこで次に伝承における δικαιοσύνη θεοῦ がパウロの, ないし後の伝承の δικαιοσύνη θεοῦ とどのような関係にあるかを検討しなければならない まずブルトマンとケーゼマンにおける論争からはじめよう 30 O. クースはこの部分をケーゼマンの主張の難点として指摘する (op. cit., S.161) 31 Käsemann, op. cit., S ケーゼマンによれば後期ユダヤ教の黙示文学と深い関係をもったグループが考えられる

7 7 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 2 R. ブルトマンは, その 新約聖書神学 ( 頁 ) でパウロの神の義概念について述べている それによれば, パウロは義を関係概念として, また法廷的 終末論的概念として用いている限りにおいては確かにユダヤ教のそれと 形式的な意義 において完全に一致する しかしながら,διὰ πίστεως と δωρεὰν τῇ αὐτοῦ χάριτι の付加によって神の義を全くパウロ的な新しい概念とする点に, さらに未来的なユダヤ教的理解に対して, 現在性を主張する点にパウロ独自の新しさがあると考える 即ち, ブルトマンは,25 節の δικαιοσύνη θεοῦ( 契約に対する信実としての神の義 ) はパウロによって実存的 人間学的観点から新しく解釈されてしまっていると主張する したがって,δικαιοσύνη は 救いと命を受け取るための条件 1 であり,θεοῦ はピリピ 3:9(ἡ ἐκ θεοῦ δικαιοσύνη) から gen. subj. ではなく,gen. auctoris であり,25 節のそれは 3:5 と共にむしろ iustitia distributiva 各人に応じて神が与える義 と解される それは決して iustitia salutifera 救いを与える義 ではなく, 神から与えられた すでに現在において人間に信じるという前提の下で言い渡されている 2 賜物である そこで人間のとるべき唯一の態度は信仰, 決断である この信仰によることこそパウロ以前の伝承のもっていなかった, パウロによって作られた彼独自の思想である ブルトマンはこのように解することによって神の義論を義認論に近づけている E. ケーゼマンは, 上のようなブルトマンの主張を視界の中におきながら, Gottesgerechtigkeit bei Paulus 3 においてパウロの神の義理解をブルトマンとは異なった方向に展開する 彼はまず δικαιοσύνη θεοῦ が ( ブルトマンの言うように ) 神から出てくる, 神によってわれわれに贈られた義であるのか, あるいは神に属する, 神に関して妥当するものであるのか, そしてそれは神の賜物と等しいのかを問うことから始める objektiv な神の義理解は宗教改革者の影響もあり, またピリピ 3:9, ロマ 2:13, 5:17 などから当然出てくる しかしながら同時に, ロマ 1:17,10:3 以下に 力 Macht として人格化され,I コリ 1:30 ではキリストと同一視され,Ⅱコリ 5:21 では救われた教会の現実 Realität として用いられ, とくにロマ 3:5, 25 では少なくとも subjektiv な意味で用いられている これら 1 ブルトマン, 前掲書,123 頁 2 ブルトマン, 前掲書,127 頁 3 最初 ZThK 58 (1961), S に発表され, 後に彼の論文集 Exegetische Versuche und Besinnungen, II, 1964, S に収められた 後者にはブルトマンのケーゼマン批判 ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ, JBL 83(1964), S の再批判が脚註にのせられている 引用は後者からなされている

8 8 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ の神の義は神自身の行為, 本質として性格づけられている さらに神の義がもし賜物と同一視されるとすれば, 賜物はすでに現在的なものであるから, ピリピ 3:12 などからも矛盾する したがって神の義が賜物であるという場合, それは決してゴールを意味せず, 途上にあるものなのである そして賜物はそれ自体同時に力という性格をもつ パウロの場合, この賜物はつねに奉仕 Dienst との関係をもつ ケーゼマンは, この力と賜物を統一するものとして神の義を考えようとする これが彼の見通しであり, また主張である 彼はさらにもう一つの見通しを立てる 即ち,δικαιοσύνη θεοῦ は ( ブルトマンの考えるような ) パウロの創造ではなく, 後期ユダヤ教にさかのぼることができるもの, 黙示文学的 terminus technicus であると考える マタイ 6:33 およびヤコブ 1:20 が示すように, 旧約聖書では申命記 33:21 にさかのぼり, この二つの引用は後期ユダヤ教にさかのぼる 4 旧約聖書 ユダヤ教の世界で, 義は個人的 倫理的性格のものではなく, 関係, 即ち, 元々共同体信義 Gemeinschaftstreue と審理訴訟において無罪を宣告された, 共同体の一員の回復された身分 Geltung を意味する 神の義はこのような義概念を背景に神の救済行為 Heilshandeln としてパウロに受け取られている したがってパウロの場合, 神の義 は, 神の力 Kraft, 愛, 喜び, 怒りなどとパラレルであり, 人格化されて用いられ, 神の力 Macht を示す この神の主権 Herrschaft としての力 Macht を人間は神の賜物において体験する 神の諸々の賜物はわれわれをその主権の中へ組み入れ, それとともに責任のうちに立たせる手段である したがって, 神の義はギリシャ的概念からくる神の属性ではなく, 基本的には, 旧約聖書的 ユダヤ教的概念の共同体信義として,nomen actionis ととられている ここからケーゼマンは, パウロの神の義は主権としての力と賜物の緊密な結合にひとが気づくときにはじめて理解されると考える 即ち, 神の義は単に一つの賜物として考えることも, また神の属性と考えることも正しくなく, 賜物の力の性質, 賜物の独自な内容としてのキリストの主権が正しく認識されなければならない, と考える 次に, ケーゼマンは, なぜこのような力と賜物を統一的にとらえる要としての神の救済行為が δικαιοσύνη θεοῦ として述べられ,ἀγάπη θεοῦ としては語られないのかを問う 彼はロマ 3:21-26 の契約信義 ( 伝承の部分 ) とそれに対するパウロの修正がこの問題に 4 Test.Dan.6:10: ἀπόστητε οὖν ἀπὸ πάσης ἀδικίας καὶ κολλήθητε τῇ δικαιοσύνη τοῦ θεοῦ. さてあなたがたはあらゆる不義から離れ, 神の義に固く結びつきなさい 1QS 宗規要覧 XI, 12 ( 私はたとい ) よろめいても, 神のもろもろの恵みは常に私の救, たとい肉の罪に躓いても私は永遠に立ち給う神によって義とされる ( 日本聖書学研究所 死海文書 山本書店,1963, 113 頁 )

9 9 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 対する答を与えると考える 即ち, パウロは更新された契約とか 残りの者 とかという, マタイにおける第二のモーセ思想ではなく, 新しい契約と新しい創造という, 第二のアダムの思想との関連において神の義を考える したがって, 彼にとって神の義は第一義的にはもはやイスラエルに対する神の契約に対する信実ではありえない そうではなくて逆にロマ 3:25 で彼はユダヤ人キリスト者の教団から引用して καινὴ κτίσις と καινὴ διαθήκη というモティーフを平行させることができる 5 そこで神の共同体信義はもはやイスラエルだけではなく, 全被造物と関わるのである このようにパウロは神の義を新しい創造としての神の救済行為と考えるため, それは ἀγάπη θεοῦ と呼ばれるだけであってはならない さらに, ブルトマンはパウロの義の理解の独自性を旧約聖書 ユダヤ教の未来性に対して現在性ととるわけであるが, ケーゼマンは現在的な神の義がクムランから明らかになるようにユダヤ教の黙示文学のある流れの中にあるとして, この点に関するパウロの独自性を否定する ただクムランの場合が律法と結びついているのに対して, パウロの場合はキリストの出来事との結びつきをもつ点に, 両者の相違がある と同時に, パウロの神の義の特徴は徹底化と普遍化 Radikalisierung und Universalisierung にある それは iustificatio impii の力, したがって, この世に対する神の勝利である 6 以上のようなケーゼマンの主張に対して, 今度はブルトマンが ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 7 という短いケーゼマン批判を発表している それによるとブルトマンは自分の先の立場を固持している ケーゼマンが δικαιοσύνη θεοῦ の属格を gen.subj. と考え, それを信じる者に贈られる義ではなく, 神の救済行為, 神の救う力 であると考えるのは正しくない この属格は gen.auct. である この彼の主張の論拠はピリピ 3:9 である たしかに彼も旧約聖書における神の義の多義性を認め, 3:5 の δικαιοσύνη θεοῦ は gen.subj. であるとするが, それは ἀδίκως と対をなし,iustitia distributiva の意味を持つと考える 8 またケーゼマンは δικαιοσύνη θεοῦ を神の賜物ととることに反対し,1:17,10:3ff. ではこれが人格化されていると考えるが, ブルトマンはこれを単なる理論上の問題であるとする たとえば神の祝福はたしかに神の行為ではあるが, 実際には賜物で, 父の は gen.auct. であるように, 神の行為において δικαιοσύνη θεοῦ は神の賜物である 即ち, これは神の救済行為そのものではなく, その結果であると反 5 Käsemann, Gottesgerechtigkeit, S ibid., S JBL 83 (1964), S ケーゼマンはこのブルトマンの主張に対して, 論集二巻の脚註で次のように言う ブルトマンは iustitia distributiva によってだけこの節 (5 節 ) は理解できると言い, その理由として,ἀδίικως をあげるが, 彼はこの場合, 義と真実 πίστις θεοῦ の平行を見落している 5 節も 25 節も共に, 神の救済への信実を語っている (op. cit., S. 182, Anm.1)

10 10 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 論する そしてこのことはケーゼマンが賜物を力の性格をもつものと言うことによって少しも変らないと言う さらにケーゼマンが δικαιοσύνη θεοῦ はパウロに起源せず, ユダヤ教, とくに黙示文学にある定型をとり入れ, それを徹底したと考えることに対して, 彼は しかし私が知りうる限りでは 定型 と言えるものはどこにもない 9 しかしそれでも εὐαγγέλιον のような言葉と同様に一般的な意味にも用いられるが, 特別な状況ないし体験と結びついて用いられる このような意味でパウロの δικαιοσύνη θεοῦ は一定型と言うことができる しかし同時に, このような体験は当人にとっては 一つの ではない それゆえ, パウロの δικαιοσύνη θεοῦ は決して一徹底化ではなく, 一つの新しい創造である ブルトマンはこのように言うことによって, ケーゼマンが黙示文学との関係でとらえた神の義理解を否定するだけでなく, その人間学的視点を固守している ブルトマンの非存在論化, 一般化のモティーフは後述のように, 神の義論争においても最後にはとり組まなければならない問題である 3 以上のブルトマンとケーゼマンの論争は今日もなお, どちらか一方に軍配が上がるという仕方では終結していない 両者の議論は直接, シュールマッハーがその著, Gerechtigkeit Gottes bei Paulus(1965) において引き継いでおり, またハーン教授の日本における講演においても論じられている 今ここでそれらの議論を検討する前に,D. リュールマンとK. ケルテルゲの見解をごく簡単に概観しておきたい D. リュールマンはその著,Das Offenbarungsverständnis bei Paulus und in Paulinischen Gemeinden 10 の第十章,Die Offenbarung der Gottesgerechtigkeit, Röm 1:17f., 3:21ff. 11 で, 基本的にはブルトマンの立場に近く立つ 彼は次のように考える 旧約聖書と同様に, クムランは, 神の義はイスラエルに神が彼らと結んだ契約を守るということのうちに啓示されると考える したがって, 神の義は, イスラエルに対する神の救済行為に現われ る神の属性であったのを, パウロは神の義をもはや津法と 契約 とは無関係に信仰に よる義と考えた リュールマンは, パウロはたしかに原始教団の伝承を持ってくるが 多くの研究者がそうとっているように 神の義 のこの概念をパウロが受け入れているかどうか, つまり属格が他のところでもそうであるように主格的に理解さるべきかどうか という問いは残る 12 とし, ブルトマンと同様に, ピリピ 3:9 に基づいて gen.auct. であ 9 Bultmann, op. cit., S Neukirchen, 1965 (WMANT 16). 11 ibid., S ibid., S. 143f

11 11 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ ると考える したがって, パウロは原始教団の伝承 更新された契約と, キリストの出来事によって契約を更新するということのうちに現わされる神の属性としての義 を sola fide によって解釈し, 神の義の概念そのものを改造 umprägen している 13 と主張する 一方, ケルテルゲは Rechtfertigung bei Paulus 14 で, パウロはその受け取った伝承 人間の義認を古い契約の違犯からの救済として語り, 契約信義である神の義がイエ ス キリストにおける あがない によって示された では満足せず, イエスの死の持つ完全に終末論的な意味は, より包括的な イエス キリストにおける救い によって理解されると考え, 伝承された神の義を解釈しているとする しかしながら, パウロの神の義は信仰義認と同一ではなく,gen.subj. として しかし神の形而上学的な意味では属性を言わない 人間の救済に対する神の行為を意味すると考える 15 この意味でケルテルゲは, 伝承をパウロが改造してしまっていると考えるリュールマンとは異なり, パウロは終末意識と信仰理解とによってそれを解釈していると考える点で, 基本 的にはケーゼマンの立場に立つ 彼の場合, パウロによって新しい解釈が伝承に付加さ れたことによって, 神の義がイスラエルと神の契約関係以上のもの, 法廷的な義以上のものが言われている 16 即ち, キリストにおける終末論的救済の現在性, 信じる者に対する恵みの分与, キリストに対する信仰に基づく普遍性がパウロの神の義の本質をなすと彼は主張するわけである さて, シュトゥールマッハーはその著,Gerechtigkeit Gottes bei Paulus 17 で詳細な解釈史的検討を行なっている 彼はその中で,K. バルト,R. ブルトマン,A. シュラッターがプロテスタントのパウロ解釈の決定的な三つのタィプを代表しているが, そのいずれもが, パウロ自身の理解から離れてしまっていると考える 18 しかしそれでも宗教改革者の解釈以来, 神の義が部分的に ( つまり義認という方向でのみ ) 考えられてきたのに対して, バルトとシュラッターがはじめて 神の正義 Recht に関する問いを前面に押 13 ibid., S 註 12 参照 15 Kertelge, op. cit., S. 62ff. 16 しかしながらこの場合, 以上のもの (mehr als) の実質的な内容は語られていない そしてここでの問題はその内容なのである 17 Göttingen, 1965 (FRLANT) 18 バルトはパウロのあらゆる個所で 神の義 をダィナミックに, 神は創造者であるゆえに被造者の義認を包含する神の自己義認という意味に理解している それゆえ, バルトはまた, 神の義はキリストにおいて神により認められた神の正義を意味する (Stuhlmacher, op. cit., S. 57) しかし神の義は自身が規準であるところの神の自由であるというバルトの神概念はあまりに抽象的である シュラッターはそのロマ書註解の題名 (Gottes Gerechtigkeit) からも明らかなように, 神の義がパウロ神学の中心であると考える 彼は神の義を神自身の義, 意志し働く創造者にして審判者なる神の力であると主張する点は正しいが, 彼は同時に人間の側に服従のわざを要求する力としても考える点に問題があると考える (ibid., S. 51-3)

12 12 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ し出すことによって彼らなりの仕方で全体を認めている 19 として, 両者を高く評価す ると共に, ブルトマンに対して, 彼は次のように批判する 1. C. ミュラーがとくに主張 するように, 20 ブルトマンによってはロマ 9~11 章が読めない パウロにおけ る神の義は世界に関する正義と創造の過程であるという事実がブルトマンには欠けてい る 3. ブルトマンは神の義の現在性をユダヤ教とパウロの相違点の一つと考えるが, こ の現在性はクムランにもある 原始教団 パウロ, ユダヤ教 黙示文学を区別するもの コスモロギーはキリスト論である 4. 義認論と創造信仰 ( 宇宙論 ) の結合が神の義を構成するもの である シュトウールマッハーはその解釈史的検討の結論として, ギリシャ的義概念による理 解はテクストにはない二重の意味をもたらすだけであること, 旧約聖書的 ユダヤ教的 な義のカテゴリーで考えなければならないこと,δικαιοσύνη θεοῦ は terminus technicus で あること, それは旧約聖書的, 後期ユダヤ教的, 黙示文学的文献に確認されることをあ げる この点でケーゼマンが考えた黙示文学的神の義概念を受け継ぎ, それをさらに押 し進めようとしていることが明らかである シュトウールマッハーはロマ 3:21-26 を釈義して, 22 νυνὶ δέ は終末論的転回,ἐν τῷ νῦν καιρῷ はさらにこのことを強調するものとしてとらえ,δικαιοσύνη θεοῦ をこのような終 末論的枠組の中で創造者の信実, 世界を包括する神の救済の力としてとらえる とくに 彼は ὑστεροῦνται τῆς δόξης τοῦ θεοῦ を黙示文学的伝承にさかのぼって次のように考える パウロはここで罪に陥ることによって人間から δόξα としてとらえられた人間 = 神に似せて造られている神の似像性としての人間 Gottebenbildigkeit が失なわれていると考える, ユダヤ教の伝承を引合いに出している Vit. Ad. 20f. はこの δόξα がまた δικαιοσύνη とも同一視することができること, そして人間の δόξα が賜物であり, δόξα τοῦ θεοῦ に起源することを示す したがってパウロは決して異種の神学と結びついているのではなく, 神の δικαιοσύνη を神の創造者の力として明らかにするために黙示文学的伝承を使用する 節はキリストにおける被造物に対する神の新しい到来と神の新しい世への突入 19 ibid., S C. Müller, Gottes Gerechtigkeit und Gottes Volk. Eine Untersuchung zu Römer 9-11 (FRLANT 86), Göttingen, 後述のように, ロマの主題が義認論であると考える場合には,9-11 章のイスラエル問題は, ロマの構造の中ではほとんどその場を持たないことになる 22 ibid., S ibid., S. 87.

13 13 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ の宣言であり, この表現の基礎にパウロはパウロ以前のユダヤ人キリスト者の聖餐伝承をおき, 彼はそれを彼独自の付加によって ( 再 ) 解釈している しかしながらパウロ自身はこの教団の義認理解にはもはや満足しない 彼にとっては 23 節の黙示文学的導入が示すように, アダムの状態から落ちてしまっている世界の救済が重要であって, 単に古い契約の回復が重要なのではない そこでパウロは δωρεὰν τῇ αὐτοῦ χάριτι を付加する しかしシュトゥールマッハーによれば, この付加はブルトマンの解釈とは異なり, χάρις によってパウロは, 神の, その世界とその民に対する力に満ちた, 同時に奉仕につかせ る, 寛大な贈物と理解する 24 即ち, 神の χάρις には, 使徒のわざと奉仕において明 らかとなる神自身の力である 25 また,26 節でパウロが δικαιοσύνη θεοῦ を救済の出来事と理解していることは, すでに 24 節で χάρις と δικαιοσύνη θεοῦ を同一視していることから明らかである しかしもしパウロが神と契約を並列せず, 神と世界を並列させているとすれば,δικαιοσύνη θεοῦ は彼にとってもはや単に 25 節のように契約信義を意味し得ず, 創造者の被造物に対する信実, 義の出来事を意味するのでなければならない そして結論として彼は 3:21-26 全体を通じて δικαιοσύνη θεοῦ はただ神自身の, 救いを造り出す義, 神の, 世界大の創造者の信実を意味すると言う このように, 彼は徹底的に神の義を gen.subj. の方向で解釈しようとする そしてケーゼマンによって示唆された黙示文学的神の義概念を (δόξα 論に現われているように ) 極めて強く前面に押し出す また同様に, パウロの付加については, 彼の χάρις 理解を強調すると共に, 一方では διὰ πίστεως モティーフを後退させている 最後に,1967 年秋, 東京神学大学でなされた,F. ハーン教授の講演 パウロ以前およびパウロにおける神の義 26 にふれておこう 教授は, ブルトマンが救いの可能性としての神の義が現実的な救いの賜物として与えられている点, そしてこれに応える人間の側の唯一の態度である信仰としての決断を結びつけるところにパウロの全く新しく造られた神の義の概念を見る点に, ブルトマンの独自性をみる 一方, 神の救済の働きと創造の働きを結合し, 救済史的観点を強調するシュラッタ一に近く立ち, さらにクムランを援用して,δικαιοσύνη θεοῦ において神の力と神の賜物という二つの柱がーつとされている点にケーゼマンの特微をみる しかし, 教授は, ケーゼマンの場合には, 神の義と信仰の相互関係が後退してしまっていると考える そして, ケーゼマンの弟子, シュトゥールマッハーにおいては, さらにブルトマンにおける賜物という側面と同様に排他 24 ibld., S op. cit., Anm. 4. ( 傍点筆者 ) 26 熊沢義宣氏によって翻訳 整理されて, 神学 XXⅪ(1968) に掲載されたものによる

14 14 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 的に, 神の力という側面が強調され, 神の力と賜物をケーゼマンのように神の義の構造とは見ず, 信仰と義の関連は完全に意味を失ってしまっていると指摘する 教授は結論として次の五つの点を上げる 1. シュトゥールマッハ一のように, パウロが原始教団の伝承をさらに飛び越えて, 黙示文学的な後期ユダヤ教まで独自にさかのぼっているとは考えられない 2. 3:24-26 の部分の δικαιοσύνη θεοῦ が iustitia salutifera であることは否定できない ( その点では彼はブルトマンではなく, シュラッター, ケーゼマン, シュトゥールマッハーの線に立っている ) しかしながら, これを δύναμις (1:16) と対応させて, 強調しすぎることはあやまりである なぜなら, 力としての性格はむしろパウロ以前の伝承の特色であって, パウロはこれの信仰との連関性を強調し, 力という側面と共に, 賜物としての側面を強調しているからである 3. そこで δικαιοσύνη θεοῦ そのものはブルトマンの考えるようにパウロの新しい概念とは言いがたい 4. パウロにおける新しいものは, その終末論的性格である シュラッター シュトゥールマッハーは, これを創造論的に取扱うため, 古い契約と新しい契約とが連続的な同一平面上で扱われるおそれがある たしかにロマ 2:4, 3:1 以下で χρηστότητος,ἀνοχή,μακροθυμία,πίστις θεοῦ などの契約との連関概念が出て来てはいるけれども, パウロは δικαιοσύνη と関連させてそれら を用いてはいない したがって, 今までかつて示されたことのない神の新しい終末論的な啓示として神の義が語られている 5. パウロにおいて神の義の現在の終末論的な啓示は, 宣教において実現されていく そこでこのような意味でパウロ以前にすでに重要であったバプテスマ伝承をここに導入し, さらにそれに総括的な意味を見出している そして最後に教授はパウロの独特な貢献をパウロ以前の伝承が徹底的に形を変えられ, 新しく解釈された点に見出そうとしている 以上が最近の, パウロの神の義概念の理解をめぐる議論の概観である 以下にその問題点を指摘しておきたい ジッツ 1. 伝承 (3:24-25) の場ついて ㇵ ーンを除いて, 聖餐にその場を見る この問題に ついてはすでに論じた パウロがこの聖餐伝承をこの個所 (3:21-26) に導入した動機に関して シュトウ ールマッハーは契約信義を創造論的救済へと拡大するため, 内容的にはこの伝承の 語っているキリスト論のため, またハーンは力という性格に賜物という性格を付け 加えるため, と考え, 両者ともこの伝承がパウロ的な神の義概念をもって解釈され る 素材 として用いられていると考える したがって両者に共通することは神の 27 7,8 頁参照

15 15 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 義を論ずる場合に, このヘレニズム世界のユダヤ人キリスト者に知られていた神の義についての伝承が, 聞く者に共通の場を提供するために必然的, かつ当然に導入されているという点である しかしながら, もしこの伝承が解釈さるべくそこに引用されたとする場合, 神のイスラエルに対する契約信義と深く関係する 9-11 章のイスラエル問題の論じられる必然性がどのように説明されるかが問題となる 3. このことはまたパウロの神の義と伝承の神の義の関係に関する問いと関連をもつ 即ち, パウロは伝承を改造し, 契約信義とは無関係に信仰による義を主張しようとした ( リュールマン ) のか, 伝承には満足せずパウロ流に解釈した ( 多くの者はこのようにとる ) のか, 新しい解釈が伝承に付加されたのか, あるいはパウロの義認論が必然的に導入させたのか, が問われなければならない 4. これらの問いと関連して,3:21-26 の中で δικαιοσύνη θεοῦ を単一化して読むことの問題性が ( とくにブルトマンとシュトウールマッハーに対して ) 指摘されなければならない 5.3:21-26 がパウロのものか, あるいはさらに後期ユダヤ教の黙示文学にさかのぼることができるかどうかという問題 即ち, 独自性の意味そのものについて 6. さらに, パウロの δικαιοσύνη θεοῦ の独自性を何に見るかという点について 信仰義認, 現在性 ( ブルトマン ), 終末論 ( ハーン ), キリスト論 ( シュトウールマッハー ) などが指摘されていたが, これらは相互に連関しており, ブルトマンとケーゼマン, ブルトマンとバルトの最終的な立場の相違とかかわる問題を含んでいると言わなければならない 7. 最後に,δικαιοσύνη θεοῦ の構造に関して ケーゼマンとシュトゥールマッハーが主張しているように, 創造論的構造をもつのか, 契約信義がこの個所においても生きているのかという問い, また彼らの言う, 宇宙論的理解が正しいか, 終末論的啓示の理解かという問いが問題にされなければならない 4 すでに明らかとなっていることは,3:24-25 がパウロ以前の伝承であることおよびその伝承が聖餐にその場を持っていることである そこで今ここで問題となることは, パウロがこの伝承をこの個所に使用した動機である このことは, ここに出てくる二つの δικαιοσύνη θεοῦ の相互の関係, さらにパウロの神の義理解とその独自性の問題とも関連する したがってまず, この問題から検討していきたい

16 16 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 伝承に対するパウロの付加,δωρεὰν τῇ αὐτοῦ χάριτι および διὰ πίστεως はともに一つの方向を指示する 即ち, 神の義は律法の有無, 民族によらず, すべての ( 信じる ) 者とかかわるという普遍主義 これは信仰の普遍主義, 信仰義認 である このことは 22 節 διὰ πίστεως εἰς πάντας τοὺς πιστεύοντας によっても証明される そして伝承部分がパウロによって導入される直接の動機は πᾶς( 普遍主義 ) にあると思われる 多くの学者が指摘するように 24 節 δικαιούμενοι は文法的には 23 節の πάντες と結びつかざるを得ない しかし意味の上からは すべての者が罪を犯した, そこで ( すべての者が ) 義とされる とは読み難い しかしながら, この 23 節の πάντες は,22 節の πάντας( これは信仰の普遍主義 ) と緊密に結び合っている すべて信じる者に与えられる そこには差別というものは存在しないからである なぜなら, すべての者が罪を犯したから この場合 πάντες( 普遍性 ) は πάντας( 信仰の普遍性 ) の裏返しの表現でもある したがって,δικαιούμενοι が導入されるのは, この πᾶς という神の義の普遍性であると言うことができる そしてここに導入された伝承における δικαιοσύνη θεοῦ に契約に対する神の忠実 ( 契約信義 ) を意味する 即ち, 賜物として恵みによって与えられる神の義はキリスト イエスのあがないによるものである それは罪を見逃すということによって契約に対する神の信実である神の義を示すためである 救いの普遍性, 信仰による義から神の信実への急激な移行, これがこの個所において伝承が導入される動機とかかわりをもつ これと同様の移行はここだけではなく,2 章から 3 章への移行の場合にも現われている 2:28-29 でパウロはユダヤ人および割礼の意味を ὁ ἐν τῷ κρυπτῷ Ἰουδαῖος, περιτομὴ καρδίας ἐν πνεύματι οὐ γράμματι として実質的に無にしてしまう これは救いにおける人間の側の無条件性, 無制約性という, 普遍化が意図されている そしてこのように救いの普遍性が確証されるや直ちにそれに続く 3 章で τὰ λόγια τοῦ θεοῦ と πίστις τοῦ θεοῦ が語られる そして 5 節には,3:24-25 と同質の伝承が持ち込まれる 1 したがって, ここではハーンが否定する 2 にもかかわらず, きわめて明瞭に πίστις θεοῦ と δικαιοσύνη θεοῦ の平行が見られるだけではなく,3:21 節以降と同様な, 神の救いの普遍性から契約信義なる神の義への移行が見られるのである さらにもう一つ, ローマ人への手紙全体の構造とかかわる同様の移行が 1-8 章と 9-11 章の間に見られる 章でパウロは律法, 民族によらない, すべて信じる者に与えられる救いの普遍性を語る そしてこの救いを確証すればするほど, 即ち, イスラエルがキリストにおける信仰によって神学化されればされる 1 3:1ff. についてはまたの機会に詳しく検討したいと思っている 2 ハーン, 前掲書,23, 4 頁 3 この点に関しては, 拙論 ローマ人への手紙における 9-11 章の位置 神学 ⅩⅩⅧ(1965)94 頁以下参照

17 17 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 程, イスラエルに対する神の契約への信実が問題となる そこでパウロは 9-11 章でこの 神の信実 (10:3) 4 を問題にしないわけにはゆかないのである それゆえ,3:21-26 におけ る の伝承部分が導入された動機は, シュトゥールマッハーが考えたように単なる キリスト論の提示ではなく, 救いの普遍性 ( 信仰義認 ) と神の契約信義の不可分離性に あると考えられる すべて信じる者を義とする神は, その信義を捨てたのではない む しろ忍耐をもって人類の過去の罪過を見過ごすことによってその信実なる義を示すため に, キリストをその血によるあがないの供え物として立てた ここにパウロの伝承導入 の意図がある したがって, パウロによる伝承導入はパウロ自身の神の義概念をその解 釈によって示すための単なる素材であると考えるのはあやまりである 即ち, ヘレニズ ム世界のユダヤ人キリスト者の間で一般的であった神の義概念を 改造 し, あるいは 解釈 するためではなく, また 解釈の付加, あるいは神の義概念を全く異質のもの にしてしまう 付加 のための引用でもない それはそれ自身のために導入された つ まりパウロ的なもの ( 救いの普遍性 ) を打ち出す素材としてではなく, むしろパウロ的 な主張を本来の契約信義によって矯正するために導入されたと考えるべきである それ はまた 2 章から 3 章へ,8 章から 9 章への移行にあらわれたパウロの動機と一致する こうすることによってパウロは彼の信仰義認を伝統的な神の義の思想へと組み込む そ れはまた, 全く新しい一つの主張をなすときに, 古いものとこのように異なる, と言う のでなく, このように一致する, という心理が正しいのと同様である 以上のことから, 26 節の πρὸς τὴν ἔνδειξιν τῆς δικαιοσύνης αὐτοῦ ἐν τῷ νῦν καιρῷ は単に 25 節と平行する この場合には διὰ τὴν πάρεσιν τῶν と ἐν τῷ νῦν καιρῷ は時間的に対立する平行と受け取ら なければならない のではなく,21 節の νυνὶ δέ と平行する繰り返しであるととるべき である νῦν というモティーフで枠づけられているということは後述するように, この 個所の意味決定にきわめて重要である 26 節後半の εἰς τὸ εἶναι αὐτὸν δίκαιον καὶ δικαιοῦντα τὸν ἐκ πίστεως Ἰησοῦ. の δικαιοσύνη θεοῦ の内容の二つの側面の明記は, 以上述べてきたことの正当性を証明す る なぜなら, 神の義は決して διὰ πίστεως によって統一的に義認としてとらえられては いず, また単に力としてだけとらえられてもいず, またそのどちらかをより強調してい るのでもなく, まさにこの二つが ( 終末における今の時に ) キリストの出来事において 一つに結びついているという点が問題にされているからである すべて信じる者が義と される それは神自身が義となるためである 神はその契約を破棄しない, と同時に, 4 Stuhlmacher, op. cit., S とくに S. 98 参照

18 18 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 人間の罪を忍耐をもって見過ごされる この二つを結びつけるのが血によるあがないの供え物としてのキリストの出来事である したがって, 次に,25 節の δικαιοσύνη θεοῦ と 21, 22, 26 節の δικαιοσύνη θεοῦ の関係が問題となる すでに述べたように単一化はパウロの意図そのものに相反する したがって, 神の義を契約信義か創造信義か, という二者択一も正しくない パウロはたしかに, ケーゼマン, シュトゥールマッハーの主張するように, 創造者の被造者に対する信実としての神の義を述べていることは,πᾶς という普遍主義からも論証される しかしながらこの創造論的観点によって契約論がすでに時効になってしまうと考えることは性急にすぎる 5 ここでは創造論によって契約論が無効にならないというところに主張の中心があるのである 創造論だけで主張し通すこともガラテヤ人への手紙のように可能なのである しかしながら, ローマ人への手紙の相手はガラテヤの諸教会の人々とは異なるヘレニズム世界に住むユダヤ人キリスト者をその主体とする ガラテヤの場合には, パレスチナのユダヤ人キリスト者に対する反駁がその動機となっている したがって, 当然それは救いの普遍性, 信仰義認に議論は集中されている しかしながら, ロマの場合にはそれではすまないのである そこで 2 3 章,8 9 章の, 創造論 契約論という移行が行なわれるのである 契約論的救済概念がキリストの出来事によって徹底されたところに創造論的普遍主義が成立する これがパウロの主張である と同時にそれは決して契約論的観点を破棄するものであってはならないのである 6 同様の観点から, δικαιοσύνη θεοῦ がとらえられるのは救済史的枠組の中なのか, あるいは宇宙論的枠組の中なのかという選択もあやまりである たしかにケーゼマン, シュトゥールマッハーが指摘するようにアダム キリスト論が 5:12ff. に出てくる しかしながら同時にアブラハム論も 4 章に出て来るのである そしてこのアブラハム論はガラテヤ人への手紙のそれ (3:6-18) とは異なり, 7 きわめて明確に救済史的枠組を残している ここでも宇宙論は救済史へと立ち戻っている それは 2-3 章で実質的にユダヤ人を否定しながらユダヤ人の利点を再び数え上げようとするパウロの心理, 新しいイスラエルについて語った (8 5 この点でガラテヤ人への手紙からローマ人への手紙を読むことはゆるされない たしかに, 前者では, 救いの普遍性, 信仰義認がそのテーマであると言える しかし後者においてはもう一度それが契約論へと立ち戻っている 換言すれば, 前者ではイスラエル κατὰ πνεῦμα だけが, 後者ではイスラエル κατὰ σάρκα がまた問題となっているのである 拙論, 前掲書,96 頁以下参照 6 この点に関して, ハーンのケーゼマンに対する, 批判 パウロは, 確かに歴史というものを古い契約をも含めた神の働きとして理解しており, ロマ 2:4 以下あるいは神の真実 3:1 以下において χρηστότητος あるいは ἀνοχή, 神の μακροθυμία, 神の真実 πίστις θεοῦ などについて語っている しかしパウロはこの関連において一度も δικαιοσύνη ということについて語ってはいない ( ハーン, 前掲書,235 頁以下 ) は少なくとも 3:1 以下においてはあたらない 7 ガラテヤではアブラハムの子孫はキリストである 拙論, 前掲書,104 頁, 註 90 参照

19 19 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ 章 ) 8 直後にイスラエル κατὰ σάρκα を再び問わざるを得ないパウロの心理と一致する しかしながらさらに重要なことは, 創造論 契約論の場合も, 救済史 宇宙論の場合 もパウロはもう一つの概念, 終末論によって最終的には統一的に考えている点である すでに指摘したように,3:21-26 は終末論的 νῦν によって枠づけられている パウロは長 い歴史の流れの途中で δικαιοσύνη θεοῦ を語っていない したがって, 単に論理の上での 操作として創造論も契約論も語られていない ハーンが正当にも主張しているように, 創造論的なシュトゥールマッハーの取扱いはたしかに 古い契約も新しい契約も同じ一 つの領域の中に入ってくるような世界 9 を予想させるが, パウロの場合には決してその ようなことはおこらない 終りの今は, これからずっと存続していくであろう新しい創 造ないし契約は考えられていない この観点では古いものが終ったという点に何よりも 強調点が置かれている 同じことが救済史的観点が貫かれていないという点からも明ら かとなる 即ち,9-11 章でイスラエル κατὰ σάρκα について語られる場合に, 残りの者 の思想によって解決されていない 10 むしろパウロは ὥσπερ γὰρ ὑμεῖς ποτε ἠπειθήσατε τῷ θεῷ, νῦν δὲ ἠλεήθητε τῇ τούτων ἀπειθείᾳ, οὕτως καὶ οὗτοι νῦν ἠπείθησαν τῷ ὑμετέρῳ ἐλέει ἵνα καὶ αὐτοὶ νῦν ἐλεηθῶσιν(11:13-31) 11 と語る 即ち, 彼にとって宇宙論も救済史も νῦν において一つにされているのである 全世界, 宇宙の破局, 救済史のゴールが今や到来する, これがパウロの立つ 時 なの である したがって, 彼にとりキリストは時の中心というよりは時の完成と理解され, 新しい律法というよりは 律法の終りで τέλος νόμου (10:4) なのである さて, ここに最 後の最も困難な問題が残っている それはある意味でブルトマンとケーゼマンの立場の 最終的な相違とも関係する またある意味では, 神の義概念の独自性という場合の独自 性そのものの意味とも関係する ただこの問題については本論文では問題の指摘にとど 8 教会が新しいイスラエルとして次のような元来イスラエルを指す用語が出てくる υἱοὶ θεοῦ (14, 19); υἱοθεσία (15, 23); τέκνα θεοῦ(16, 21); κληρονόμοι θεοῦ, συγκληρονόμοι Χριστοῦ(17); ἅγιοι(27); οἱ κατὰ πρόθεσιν κλητοῖ(28) この他に内容的にもともとイスラエルに関してあてはまる 節, 神を愛する者たち, すなわち, ご計画に従って召された者たち 神はあらかじめ知っておられる者たちを あらかじめ定めて下さった さらに神の民に与えられるべき特権に関する用語 δόξα (18,21) も用いられている 9 ハーン, 前掲書,23 頁 10 拙論, 前掲書,103 頁以下参照 11 ここは ποτε νῦν,νῦν ὕστερον がむしろ期待されるところである 即ち, 過去の異邦人の不従順, 現在のイスラエルの不従順とそれによる異那人の救い, 未来のイスラエルの復帰という時の流れはなく, 最後の未来が 今 とされている この論理的な矛盾は明らかであり, 写本の中には ὕστερον にかえているもの, また νῦν をとってしまっているものなどがある 翻訳の中にも たとえば R.S.V. のように νῦν を訳出していないものもある しかしながら, このパウロの終末観を見落すわけにはいかない なぜなら, これこそが彼の神学理解の鍵であるからである

20 20 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ めなければならない ケーゼマンは δικαιοσύνη θεοῦ をパウロに起源するものではなく, ユダヤ教, とくに黙示文学に存在する一つの定型をとり入れ, パウロはそれを徹底していると考える この場合, このユダヤ教の見方から区別するものは, ひとえに, 終末論的に一回的な神の行為を宣べ伝えるところにある 12 とする 即ち, 決定的な相違点はイエスの死という二つの時を区分する一回的なキリストの出来事なのである そしてこれが神の救済行為の内容としての神の義であると考える これに対して, ブルトマンは, 神の救済行為そのものとしての神の義という考え方はとらず, 賜物としてのそれを考える 13 彼によればケーゼマンのように定型 Die Formel があることを認めないが,εὐαγγέλιον という語と同様に一般的にも用いられるが特別な状況ないし体験と結びついて用いられているという意味で一つの型 eine Formel である しかし同時にこのような体験は当人にとっては, 一つの ein ということではない したがって, パウロの δικαιοσύνη θεοῦ は決して徹底化 ein Radikalisieren. ではなく, 新しい創造 eine Neuschöpfung である 14 そして内容的にはこれは終末の現在性と決断という信仰概念であると考える 両者の相違がここに尖鋭的に明らかとなっている それはケーゼマンにおいては神の義の啓示が神の一回的な, 特殊な終末論的救済行為と受け取られているのに対して, ブルトマンは徹底的に人間学的観点から見ようとする点にある ブルトマンは特殊な出来事自体には目を向けず, 信仰の決断において特殊となる事実, 神の賜物としてとらえようとする 彼はこの意味でキリスト論のみならず, 終末論がパウロによって非神話化 ( 現在化 ) されていると考える したがって, ここではキリストの出来事と終末論の内的連関が問われなければならない またハーンの言う δικαιοσύνη θεοῦ ということは, 今までかつて示されたことのなかった神の新しい終末論的な啓示である 15 ということが正しいとしても, その場合には, この啓示の内容が問われなければならない 終末論そのものはユダヤ教にあるばかりでなく, 真実に生きようとする人間にとって常に存在する 16 終末論的 νῦν によって枠づけられた δικαιοσύνη θεοῦ は, 人間学的視点による一般的 終末論それ自体からは明らかとはならない したがって,δικαιοσύνη θεοῦ の意味決定は, パウロの終末論の構造解明によってはじめて可能となる しかしながら 3:21-26 の構造 12 Käsemann, Zum Verständnis von Römer 3, 24-26," S リュールマンは 二つのアイオーンのさけめは, パウロにとっては第一義的にはキリストの出来事ではなく, 個々の人間に対する個々の神の行為である (Lührrnann, op. cit., S. 152) と主張し, この点でも明確にブルトマンの線に立つ 14 Bultmann, ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ, S ハーン, 前掲書,24 頁 16 深い体験から湧き出る, 真面目な, 神と神聖なるものに就いての説教は,( それが救済を告げるにしても, 審判を語るにしても ) 歴史の示す限りに於ては, 常に終末の接近切迫なる形を取っている ( ハルナック, 山谷省吾訳 基督教の本質 岩波文庫,1958, 58 頁 )

21 21 ロマ における ΔΙΚΑΙΟΣϒΝΗ ΘΕΟϒ から明らかとされるかぎりでは, 終末論の意味内容はキリストの出来事における一回性と緊密な関係をもつと言うことができる したがって, われわれが検討してきたこの個所は, ローマ人への手紙の構成の解明, その主題である δικαιοσύνη θεοῦ 理解, したがってこの手紙の構造解明に光をあてるだけでなく, パウロの終末論の構造解明にも光をあ てるということがゆるされよう

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新約外典文書におけるフィランスロピアの用例 明のものも認められる そこで 新約外典文書におけるフィランスロピアの用法を検討するにあたって注意すべきは 対象となる文書 テクストの位置づけとなろう 通説を参照しながら 評価をしていかねばならない さて検討対象となる文書の確定であるが 方法としては TLG はじめに 神学研究 第 60 号において筆者は 使徒教父と弁証家におけるフィランスロピアの用法と救貧思想 を発表したが (1) 一般に 2 世紀のキリスト教文学にはもう一つのカテゴリーが存在すると考えられる すなわち新約外典文書である ところが 新約外典文書 (Apocryphal New Testament, Neutestamentliche Apokryphen) の定義は たとえばシュネーメルヒャーによると

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