[ 始 まり] 幕 末 の 頃 の 文 政 3 年 (182O) 正 月 元 日 清 水 の 美 濃 輪 で1 人 の 男 が 生 ま れました 薪 炭 を 商 う 三 右 衛 門 の 次 男 で 長 五 郎 と 名 付 けられられまし た 母 方 の 叔 父 で 米 屋 を 営 んでいる 甲 田

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1 安 東 文 吉 と 清 水 次 郎 長 目 次 [ 東 海 遊 侠 伝 の 事 ] 1 [ 安 東 文 吉 伝 史 料 集 の 事 ] 1 [ 始 まり] 2 [ 次 郎 長 侠 客 になる] 2 [ 天 保 水 滸 伝 遺 跡 保 存 会 の 現 地 案 内 板 には] 3 [ 次 郎 長 安 東 一 家 に 捕 まる] 3 [ 幕 末 の 侠 客 の 事 ] 4 [ 東 庄 町 のホームページによると] 4 [ここで 江 戸 時 代 の 刑 罰 のお 話 を ] 5 [ 次 郎 長 和 田 島 の 文 左 衛 門 と 津 向 の 文 吉 の 仲 裁 をする] 8 [ 身 延 山 久 遠 寺 の 決 闘 ] 9 [ 次 郎 長 と 八 尾 ケ 獄 宗 七 ( 保 下 田 久 六 )との 争 い] 1O [ 石 松 金 比 羅 代 参 に 行 く] 14 [ 寺 島 ( 都 田 ) 一 家 の 事 ] 14 [ 次 郎 長 と 都 田 の 吉 兵 衛 との 争 い] 15 [ 黒 駒 の 勝 蔵 の 事 ] 18 [ 黒 駒 の 勝 藏 の 悪 行 ] 19 [ 荒 神 山 の 決 闘 ] 19 [ 清 水 の 次 郎 長 と 黒 駒 の 勝 藏 との 争 い] 2O [ 清 水 次 郎 長 黒 駒 の 勝 蔵 と 富 士 川 で 喧 嘩 す] 21 [ 黒 駒 の 勝 蔵 岩 渕 の 庄 右 衛 門 を 斬 る] 22 [ 清 水 の 次 郎 長 黒 駒 の 勝 蔵 再 び 喧 嘩 す] 23 [ 黒 駒 の 勝 蔵 清 水 の 次 郎 長 を 追 う] 25 [ 黒 駒 の 勝 藏 清 水 の 次 郎 長 和 解 す] 27 [ 大 政 奉 還 後 ] 3O [ 穴 太 徳 と 清 水 の 次 郎 長 との 和 解 ] 31 [ 次 郎 長 賭 博 で 逮 捕 される] 32 [ 山 岡 鉄 舟 の 事 ] 33 [ 安 東 文 吉 の 事 ] 34 [あと 書 き] 36 [ 東 海 遊 侠 伝 の 事 ] 旅 行 けば 駿 河 の 国 に 茶 の 香 り 名 代 なるかな 東 海 道 広 沢 虎 三 で 有 名 な 浪 曲 清 水 次 郎 長 伝 のネタ 本 になった 東 海 遊 侠 伝 を 書 いたのが 天 田 五 郎 です 天 田 五 郎 は 安 政 元 年 (1854)7 月 2O 日 磐 城 平 藩 主 安 藤 信 正 の 家 臣 甘 田 平 太 夫 の5 男 として 平 城 下 に 生 まれました 幼 名 を 久 五 郎 といい 後 に 明 治 4 年 (1871) 天 田 五 郎 と 改 めました 明 治 元 年 (1868) 15 歳 で 戊 辰 の 役 に 出 陣 中 父 母 妹 が 行 方 不 明 となってしまい 以 後 2O 年 間 肉 親 を 捜 して 全 国 を 歩 いたのです その 間 山 岡 鉄 舟 の 知 遇 を 受 け また 一 時 次 郎 長 ( 山 本 長 五 郎 )の 養 子 となったりしました 次 郎 長 が 逮 捕 されてすぐに 以 前 から 書 き 留 めておいたものを 2ヵ 月 掛 けてまとめ 上 げ 意 図 的 に 次 郎 長 を 立 派 で 人 望 が 厚 く 曲 がった 事 の 嫌 いな 人 物 として 書 き [ 助 命 嘆 願 書 ] としたのでした 明 治 2O 年 (1887) 五 郎 34 歳 のとき 滴 水 禅 師 (てきすいぜんし)に よって 仏 門 に 入 り 鉄 眼 (てつげん)と 号 し 明 治 25 年 (1892) 京 都 清 水 に 庵 を 結 んで 愚 庵 を 名 乗 りました 漢 詩 において 異 彩 を 放 った ばかりでなく 万 葉 調 歌 人 としてすぐれ 正 岡 子 規 に 大 きな 影 響 を 与 え ました 明 治 37 年 (19O4)1 月 17 日 京 都 伏 見 桃 山 の 庵 で 没 享 年 51 歳 [ 安 東 文 吉 伝 史 料 集 の 事 ] [ 安 東 文 吉 伝 史 料 集 上 下 ] を 大 正 昭 和 時 代 に 安 東 文 吉 の 子 分 達 の 記 憶 を 相 川 直 弘 氏 によって 書 き 留 め 昭 和 15 年 (194O)に 完 結 しましたが 当 時 の 事 情 で 活 字 化 することなく 原 稿 用 紙 のまま 葵 文 庫 ( 静 岡 県 立 図 書 館 )に 寄 贈 され 保 存 されました 相 川 直 弘 氏 は 静 岡 市 に 生 まれ 国 鉄 に 勤 務 し 別 に 安 東 文 吉 の 子 分 で も 何 でも 無 かったのですが 旧 安 東 村 の 村 長 の 依 頼 でこの [ 安 東 文 吉 伝 史 料 集 上 下 ] をまとめ 上 げたのです その 後 市 町 村 合 併 で 安 東 村 が 静 岡 市 と 合 併 し 資 金 不 足 や 物 資 不 足 の 影 響 で 出 版 する 事 なくお 蔵 入 りになりまりました 戦 後 になり 昭 和 33 年 (1958) ガリ 版 刷 りの 相 川 春 吉 著 静 岡 郷 土 研 究 会 発 行 の [ 安 東 文 吉 基 本 史 料 ] が150 円 で 発 売 されています [ 安 東 文 吉 伝 史 料 集 上 下 ][ 安 東 文 吉 基 本 史 料 ] 共 コピー 版 が 静 岡 県 立 図 書 館 に 蔵 書 されており 貸 し 出 し 可 能 です 1

2 [ 始 まり] 幕 末 の 頃 の 文 政 3 年 (182O) 正 月 元 日 清 水 の 美 濃 輪 で1 人 の 男 が 生 ま れました 薪 炭 を 商 う 三 右 衛 門 の 次 男 で 長 五 郎 と 名 付 けられられまし た 母 方 の 叔 父 で 米 屋 を 営 んでいる 甲 田 屋 次 郎 八 に 養 子 に 出 され 次 郎 八 の 長 五 郎 と 云 う 事 で 次 郎 長 と 呼 ばれました この 男 根 っからの 暴 れん 坊 で 子 供 の 頃 読 み 書 きを 習 う 寺 子 屋 に 入 るのですが いたずらが 過 ぎたため 直 ぐに 退 塾 させられてしまう と 云 う 厄 介 者 でした 15 歳 の 時 養 父 の 次 郎 八 が 死 亡 したために 家 業 を 継 ぎ 一 時 はまじめに 働 くのですが 何 しろ 博 打 が 好 きで 2O 歳 前 には すでに 博 奕 打 ちになっていたと 云 います その 頃 博 奕 は 大 流 行 で2 個 のサイコロを 用 い 目 の 合 計 が 偶 数 なら 丁 奇 数 なら 半 という 丁 か 半 かを 当 てる 超 単 純 な 遊 びで 確 率 5Oパ ーセントなのですが 参 加 する 費 用 が 掛 かりますから 普 通 に 遣 ってい たのでは 儲 かったり 損 をしたりで 総 合 的 には 儲 かる 訳 は 無 いのです そこで 考 えた 方 法 が サイコロに 細 工 を 施 す 事 と 自 分 で 賭 場 を 開 く 事 でしたが 当 時 清 水 も 江 尻 ( 静 岡 市 清 水 区 )も 駿 府 ( 静 岡 市 )の 大 親 分 の 安 東 文 吉 兄 弟 が 縄 張 りを 持 っていて しかも 十 手 も 預 かっ ていましたから 地 元 では 賭 場 は 開 けない 状 態 でした そこで 次 郎 長 は 手 薄 な 場 所 を 狙 い 賭 場 を 開 いては 稼 いでいたのでした 当 時 の 清 水 は 隣 に 江 尻 が 有 り 共 に 現 在 の 静 岡 市 清 水 区 で 東 海 道 の 宿 場 は 蒲 原 由 比 興 津 江 尻 府 中 丸 子 と 続 き 清 水 は 江 尻 から 分 かれていました 清 水 には 巴 川 の 河 口 に 港 が 有 って 多 くの 船 の 出 入 りが 有 りました [ 次 郎 長 侠 客 になる] 次 郎 長 資 料 による 22 歳 の 時 江 尻 で 芝 居 見 物 をして 酔 っての 帰 り 道 で 闇 討 ちに 会 っ て 瀕 死 の 重 傷 を 負 ってしまいます これを 機 に 生 涯 禁 酒 を 誓 ったと 云 われています 6 月 博 打 のもつれから 巴 川 河 畔 で 小 富 佐 平 を 斬 り 殺 した 事 と 思 い 込 んで 家 業 の 甲 田 屋 を 姉 夫 婦 に 譲 り 妻 と 離 別 して 無 宿 者 となり 清 水 を 離 れるのです 三 河 の 寺 津 ( 西 尾 市 )に 流 れて 行 き 寺 津 一 家 初 代 今 天 狗 の 治 助 のもとに 身 を 寄 せ さらに 吉 良 の 武 一 につい て 剣 術 を 学 びヤクザの 道 に 入 って 行 く と 云 うのですが 2 [ 天 保 水 滸 伝 遺 跡 保 存 会 の 現 地 案 内 板 には] 千 葉 県 東 庄 町 では 天 保 水 滸 伝 の 歴 史 的 案 内 をしていますが それによ りますと [ 野 見 宿 禰 命 の 由 来 天 保 13 年 7 月 27 日 ( 諏 訪 神 社 祭 礼 の 日 ) 笹 川 ( 岩 瀬 ) 繁 蔵 は 相 撲 の 元 祖 野 見 宿 禰 の 碑 を 建 立 すると 共 に 農 民 救 済 を 名 目 とし 大 花 会 を 催 した 上 州 武 蔵 の 大 前 田 英 五 郎 上 州 上 野 の 国 定 忠 治 奥 州 仙 台 の 鈴 木 忠 吉 奥 州 信 夫 の 常 吉 駿 州 清 水 の 次 郎 長 など 天 下 に 知 られた 親 分 多 数 が 出 席 し 空 前 の 盛 会 であった ] という 様 な 記 録 が 残 っています 文 面 が 正 確 ならば 天 保 13 年 には 清 水 次 郎 長 は 満 22 歳 の 時 で すでに 一 人 前 のヤクザに 成 っていたと 言 う 事 の 様 ですから 入 門 したのはもっと 早 く18 歳 位 だと 思 われます [ 次 郎 長 安 東 一 家 に 捕 まる] 安 東 文 吉 伝 史 料 集 より ある 時 次 郎 長 は 安 部 郡 浅 畑 村 の 北 ( 静 岡 市 葵 区 北 )で 髪 結 いを 家 業 にしている 上 州 屋 の 裏 2 階 で 毛 引 骨 骰 (けびきさいころ) と 云 う サイコロに 工 夫 を 凝 らしたものを 用 いた インチキ 賭 博 を 開 帳 して 大 旦 那 の 金 右 衛 門 などを 引 っ 掛 けては 甘 い 汁 を 吸 っていたのでしたが 一 度 が 二 度 二 度 が 三 度 と 度 重 なって 話 が 段 々と 外 に 漏 れ 安 東 文 吉 の 子 分 の 浅 畑 村 池 ヶ 谷 の 松 の 耳 に 入 り 1 度 は 注 意 で 済 みましたが まだ 遣 っていると ある 雨 の 晩 に 池 ヶ 谷 の 松 に 連 絡 する 者 が 有 りまし た 池 ヶ 谷 の 松 は 雨 の 闇 夜 をついて 上 州 屋 に 出 掛 けました 上 州 屋 の 裏 2 階 では 次 郎 長 得 意 の 毛 引 骨 骰 を 使 ったインチキ 賭 博 の 最 中 で そこ で 池 ヶ 谷 の 松 この 野 郎 何 してんだよ 誰 に 断 ってこんな 真 似 しやがる んだ と 云 いながら 次 郎 長 を 取 り 押 さえ 毛 引 骨 骰 を 証 拠 品 として 捻 り 上 げ 首 根 っこを 掴 んでずるずると 表 へ 引 き 出 し 安 東 村 の 文 吉 親 分 の 所 へ 渡 しました 文 吉 親 分 は 懇 々と 意 見 をして 今 回 一 度 だけは 許 してやるが 二 度 と 再 びこんな 事 をするなよ と 云 って 不 心 得 を 諭 したと 云 います 次 郎 長 は 平 謝 りに 謝 って 清 水 へ 帰 って 行 きました この 時 期 が 不 明 であるのですが もうすでに 博 打 は 賭 場 を 開 かないと 儲 からない 事 を 理 解 しており 近 郊 でよい 場 所 を 探 していた 事 を 示 して います 3

3 [ 幕 末 の 侠 客 の 事 ] 幕 末 の 時 代 には 大 前 田 英 五 郎 笹 川 繁 蔵 国 定 忠 治 新 門 辰 五 郎 勢 力 富 五 郎 会 津 の 小 鉄 飯 岡 助 五 郎 黒 駒 の 勝 蔵 竹 居 の 吃 安 江 戸 屋 虎 五 郎 都 田 の 源 八 高 萩 の 万 次 郎 保 下 田 の 久 六 合 渡 (こうど 岐 阜 市 )の 政 右 衛 門 ( 政 五 郎 ) 関 の 遠 藤 小 左 衛 門 大 垣 の 水 野 弥 太 郎 美 濃 の 神 田 の 豊 吉 尾 張 犬 山 の 犬 屋 金 十 郎 大 場 の 久 八 田 中 岩 五 郎 丹 波 屋 伝 兵 衛 などの 侠 客 が 活 躍 していました 文 化 12 年 (1815)の 勘 定 奉 行 の 達 書 (たっしがき)には 在 々 所 々 長 脇 差 を 帯 び または 帯 刀 致 し 御 代 官 手 付 手 代 (つまり 八 州 廻 り)の 手 先 あるいは 火 付 盗 賊 改 (ひつけとうぞくあらため) 手 先 などと 申 しなし 博 奕 (ばくち) 致 し 喧 嘩 口 論 を 好 み 仲 直 りと 称 し て 金 銭 をゆすり 取 り 所 々 百 姓 家 にて 衒 事 (かたりごと) または 押 借 (おしか)り 等 致 し あるいは 人 の 女 房 娘 等 を 無 体 に 連 れ 参 り 百 姓 家 へ 押 しかけて 無 賃 にて 数 日 逗 留 致 し 盗 賊 を 取 り 押 さへ 双 方 ( 盗 賊 と 被 害 に 遭 った 者 )より 金 子 (きんす) 等 をゆすり 取 り 無 賃 にて 人 馬 等 を 継 ぎ 送 らせ 等 と 有 り 達 書 から2O 数 年 後 の 天 保 の 後 期 から 弘 化 嘉 永 安 政 さらには 幕 末 にかけて 勘 定 奉 行 の 達 書 は 彼 らの 行 動 原 理 をおおむねい いつくしており [やくざ 者 ] の 原 型 もほぼそこにある ( 佐 藤 雅 美 [やくざ 物 ]の 系 譜 より) [ 東 庄 町 のホームページによると] 利 根 の 川 風 袂 に 入 れて 月 に 棹 さす 高 瀬 舟 浪 曲 や 講 談 で 有 名 な 天 保 水 滸 伝 は 土 地 を 潤 す 利 根 川 と 共 に 昔 から 語 り 伝 えられてきた 東 庄 が 舞 台 の 笹 川 繁 蔵 と 飯 岡 助 五 郎 二 人 の 侠 客 の 勢 力 争 いの 物 語 笹 川 繁 蔵 は 文 化 7 年 (181O) 下 総 国 須 賀 山 村 ( 香 取 郡 東 庄 町 )に 生 まれた 生 家 は 代 々 醤 油 と 酢 の 醸 造 をしてきた 村 きっての 物 持 ちで 繁 蔵 は 幼 少 のころから 漢 字 や 数 学 剣 などを 著 名 な 師 について 学 び 人 間 的 にも 優 れた 人 物 だったと 言 われる 繁 蔵 はやがて 相 撲 取 りになるために 江 戸 へ 出 たが 1 年 ほどで 村 へ 帰 る その 後 賭 場 通 いを 始 め ほどなくして 当 時 笹 川 の 賭 場 を 仕 切 ってい た 芝 宿 の 文 吉 から 縄 張 りを 譲 り 受 け 笹 川 一 家 を 張 ることになる 一 方 相 模 国 三 浦 郡 公 郷 村 ( 神 奈 川 県 横 須 賀 市 )に 生 まれた 飯 岡 助 五 郎 4 は 出 稼 ぎ 先 の 飯 岡 の 漁 港 で 網 元 として 成 功 し 繁 蔵 と 同 様 博 徒 の 親 分 として 下 総 一 帯 に 勢 力 を 誇 っていた 繁 蔵 が 勢 力 を 増 すに 従 い 助 五 郎 も 黙 ってはいられなくなった 天 保 15 年 (1844) 飯 岡 側 が 最 初 の 斬 り 込 みを 行 った これが 大 利 根 河 原 の 血 闘 である この 争 いは 笹 川 方 の 圧 勝 に 終 わった しかし 当 時 助 五 郎 は 博 徒 であ りながら 十 手 持 ちでもあった 飯 岡 側 の 御 用 の 二 文 字 を 前 に 繁 蔵 は 子 分 に 金 品 を 分 け 与 え 自 身 は 笹 川 を 離 れることになった 初 秋 の 大 利 根 を 後 に 旅 立 ってから3 年 弘 化 4 年 (1847) 春 繁 蔵 は 飄 然 と 笹 川 へ 帰 ってきた いっそうの 風 格 を 身 につけて 戻 ってきた 繁 蔵 の もとへ ぞくぞくと 昔 の 子 分 たちが 集 まってきた 以 前 にも 増 して 勢 力 を 持 った 笹 川 一 家 しかし 飯 岡 助 五 郎 は 密 偵 を 笹 川 に 放 ち 繁 蔵 謀 殺 の 機 会 をうかがっていた 弘 化 4 年 (1847)7 月 4 日 賭 場 帰 りの 繁 蔵 は ビヤク 橋 で 飯 岡 側 の 闇 討 ちにあい 殺 害 された 笹 川 繁 蔵 38 歳 の 男 盛 りだった [ここで 江 戸 時 代 の 刑 罰 のお 話 を ] 当 時 徳 川 幕 府 に 於 ける 刑 罰 は 生 かすか 殺 すかがはっきりしていて 死 刑 の 場 合 は 現 在 は 絞 首 刑 だけですが 以 下 の6 種 類 の 方 法 が 有 りま した [ 死 刑 ] 鋸 挽 (のこぎりびき): 公 開 処 刑 地 中 に 埋 めた 箱 (3 尺 x7 尺 )に 罪 人 を 入 れ 首 かせをつけて 首 だけ 突 き 出 して その 傍 に 置 いた 竹 製 の 鋸 (のこぎり) で 首 を 挽 く 罪 状 札 ( 捨 札 )を 立 て [この 者 に 怨 みの あるものは 誰 でも 勝 手 に 挽 いてよい] と 書 かれて 有 った 田 畑 家 屋 敷 家 財 は 闕 所 三 日 後 に 磔 ( 江 戸 中 期 から 形 骸 化 する ) 磔 (はりつけ): 公 開 処 刑 角 材 に 手 足 を 縛 り 付 け 槍 で 突 く 田 畑 家 屋 敷 家 財 は 闕 所 国 定 忠 治 が 関 所 破 りを 咎 められ 磔 になりました 獄 門 (ごくもん): 牢 内 で 首 を 切 り その 首 を2 日 3 夜 公 衆 にさらす 田 畑 家 屋 敷 家 財 は 闕 所 火 罪 (かざい): 公 開 処 刑 引 き 廻 しの 上 火 あぶり 放 火 犯 に 対 して 行 われました 田 畑 家 屋 敷 家 財 は 闕 所 死 罪 (しざい): 牢 内 で 首 を 切 る 様 (ためし= 土 壇 場 に 立 たされて 刀 5

4 の 試 斬 りにされる)が 付 加 田 畑 家 屋 敷 家 財 は 闕 所 1O 両 以 上 の 盗 賊 や 追 いはぎに 適 用 された 下 手 人 解 死 人 (げしゅにん げしにん): 牢 内 で 首 を 切 る 闕 所 様 斬 り 引 廻 しが 付 加 されることはない ( 現 代 でいう [ 傷 害 致 死 ]のよ うなケースの 場 合 に この 刑 が 科 される) [ 身 体 刑 ] 刑 が 終 われば 即 釈 放 されました 敲 (たたき): 軽 敲 (けいたたき)と 重 敲 (じゅうたたき)が 有 り 罪 人 を 裸 にして 体 を 押 さえ 箒 尻 (ほうきじり)と 呼 ばれる 杖 を 使 って 背 や 肩 肘 を 打 ちつけた 刑 罰 です 箒 尻 は 長 さ6Oセンチくらいの 竹 の 棒 に 麻 を 巻 きつけたもので 相 当 な 痛 みを 与 えたといいます 軽 敲 は 5O 回 重 敲 は1OO 回 打 ちつけました 重 敲 の 場 合 は5O 叩 いたと ころでいったん 中 止 して 気 付 け 薬 を 与 え 打 ち 役 も 交 代 したそうです 入 墨 (いれずみ): 左 上 膊 部 に [ 腕 廻 し 幅 3 分 づつ2 筋 に 入 墨 ] ( 模 様 は 地 域 によって 異 なる ) 場 合 により [ 敲 ] が 付 加 される 手 鎖 (てじょう てぐさり): 吟 味 中 手 鎖 および 過 怠 手 鎖 (3O 日 5 O 日 1OO 日 ) 追 放 刑 ( 場 合 により [ 敲 ] または [ 入 墨 の 上 敲 ] が 付 加 されること もある ) 遠 島 (えんとう): 江 戸 の 場 合 伊 豆 七 島 ( 大 島 八 丈 島 三 宅 島 新 島 神 津 島 御 蔵 島 利 島 )へ 送 る のちに 八 丈 島 三 宅 島 新 島 の 三 島 に 限 定 京 大 坂 西 国 中 国 の 場 合 薩 摩 五 島 列 島 隠 岐 壱 岐 天 草 郡 へ 送 る 田 畑 家 屋 敷 家 財 は 闕 所 重 追 放 (じゅうついほう): 武 蔵 相 模 上 野 下 野 安 房 上 総 下 総 常 陸 (ここまでで 関 八 州 ) 山 城 大 和 摂 津 和 泉 肥 前 東 海 道 筋 木 曽 路 筋 甲 斐 駿 河 及 び 現 住 国 と 犯 罪 地 から 追 放 京 都 で 執 行 される 場 合 は 上 記 の 他 に 河 内 近 江 丹 波 が 加 わる 田 畑 家 屋 敷 家 財 は 闕 所 中 追 放 (ちゅうついほう): 武 蔵 山 城 大 和 摂 津 和 泉 肥 前 東 海 道 筋 木 曽 路 筋 下 野 日 光 道 中 甲 斐 駿 河 および 現 住 国 と 犯 罪 地 から 追 放 田 畑 家 屋 敷 が 闕 所 軽 追 放 (けいついほう): 江 戸 十 里 四 方 京 大 坂 東 海 道 筋 日 光 日 光 道 中 および 現 住 国 と 犯 罪 地 から 追 放 田 畑 が 闕 所 江 戸 十 里 四 方 払 (えどじゅうりしほうばらい): 日 本 橋 から 四 方 五 里 以 6 内 立 入 禁 止 在 方 の 者 は 居 住 地 の 村 も 立 入 禁 止 江 戸 払 (えどばらい): 品 川 板 橋 千 住 四 ッ 谷 大 木 戸 の 内 より 追 放 所 払 (ところばらい): 在 方 の 者 はその 居 村 江 戸 および 市 街 地 の 者 は その 居 町 から 追 放 門 前 払 (もんぜんばらい): 奉 行 所 の 門 前 から 追 い 放 つ [ 財 産 刑 ] 闕 所 (けっしょ): 死 罪 など 重 罪 の 本 刑 に 付 加 して 科 される 財 産 の 没 収 刑 磔 火 罪 獄 門 死 罪 重 追 放 に 対 して 田 畑 家 屋 敷 家 財 が 闕 所 中 追 放 は 田 畑 家 屋 敷 が 軽 追 放 は 田 畑 がそれぞれ 闕 所 になった 利 欲 にかかる 犯 罪 では 江 戸 十 里 四 方 追 放 や 所 払 でも 田 畑 家 屋 敷 が 闕 所 過 料 (かりょう): 軽 過 料 は 銭 3 貫 文 /5 貫 文 重 過 料 は 銭 1 貫 文 以 上 金 2 両 /3 両 応 分 過 料 は 身 分 に 従 い 料 する 小 間 過 料 は 家 の 間 口 の 大 きさに 応 じて 科 する 村 過 料 は 村 高 に 応 じ て 科 する 高 1 石 につき 銭 2 貫 文 程 度 過 料 が 納 められない 者 には 手 鎖 で 代 えることもある [ 名 誉 刑 / 身 分 刑 ] 晒 (さらし): 日 本 橋 で3 日 間 公 衆 の 面 前 に 晒 す 奴 (やっこ): 女 性 のみに 科 される 非 人 手 下 (ひにんてか): 非 人 頭 へ 引 き 渡 し 非 人 とする 役 儀 取 上 (やくぎとりあげ): 名 主 組 頭 等 の 免 職 叱 (しかり):お 上 からの 叱 責 急 度 叱 (きっとしかり): 叱 の 重 いもの 叱 急 度 叱 とも 保 証 人 連 署 の 請 状 を 提 出 [その 他 ] 人 足 寄 場 (にんそくよせば): 無 宿 人 対 策 として 当 初 は 佐 渡 の 金 山 へ 送 り 水 替 人 足 としたが のち 人 足 寄 場 が 設 けられ 無 宿 者 を 収 容 し て 労 役 を 課 した 牢 (ろう): 牢 は 原 則 として 未 決 囚 を 収 容 したが [ 過 怠 牢 ] とか [ 永 ] ( 終 身 刑 )という 禁 固 刑 が 科 されることもあった 他 に 閉 門 (へいもん) 逼 塞 (ひっそく) 遠 慮 (えんりょ) 押 込 (おしこめ) 戸 〆 (とじめ) 預 (あずけ) などがありました 7

5 [ 次 郎 長 和 田 島 の 文 左 衛 門 と 津 向 の 文 吉 の 仲 裁 をする] 次 郎 長 資 料 による 弘 化 2 年 (1845) 25 歳 の 時 遠 州 川 崎 ( 牧 之 原 市 )での 争 いごとから 負 傷 し 傷 を 直 して 清 水 に 帰 って 来 ます 清 水 に 戻 った 次 郎 長 は 津 向 ( 山 梨 県 市 川 三 郷 町 )の 文 吉 と 和 田 島 ( 静 岡 市 清 水 区 )の 文 左 衛 門 が 庵 原 川 で 対 決 していると 聞 き これを 仲 裁 し 一 段 と 侠 客 としての 名 声 を 高 める 事 となります その 年 の 暮 れ 次 郎 長 は 御 油 宿 ( 豊 川 市 )で 賭 博 で 捕 らえられてしま い 中 泉 代 官 赤 坂 陣 屋 に 入 牢 させられてしまいます 翌 年 の 夏 に 判 決 が 下 り 百 敲 き( 重 敲 )に 処 されるのですが 1OO 回 敲 かれても 平 然 としていたために 監 吏 から 刑 が 軽 かったと 云 われ もう1OO 回 敲 か れた 上 放 免 されたと 云 われています 弘 化 4 年 (1847) 27 歳 の 時 親 友 で 幼 なじみの 江 尻 の 大 熊 の 妹 [お 蝶 ] と 結 婚 し 世 帯 を 清 水 仲 町 妙 慶 寺 門 前 に 持 つのですが すでに 子 分 等 が1O 人 余 りが 逗 留 しており やり 繰 りが 大 変 だった 様 です 嘉 永 3 年 (1850) 3O 歳 の 時 八 尾 ケ 獄 宗 七 ( 後 の 保 下 田 (ほげた)の 久 六 )を 助 勢 し 一 の 宮 久 左 衛 門 と 争 ったのですが 安 政 3 年 (1856)1 月 に 八 尾 ケ 獄 宗 七 と 一 の 宮 久 左 衛 門 との 和 解 が 成 立 しました 安 政 3 年 (1856)3 月 3 日 大 和 桃 生 山 で 寺 銭 のいざこざから 寺 役 人 を 殺 害 してしまい 近 江 草 津 の 見 請 山 謙 太 郎 福 知 山 銀 兵 衛 等 を 転 々とす る 事 になってしまい やっと 安 政 5 年 (1858)1 月 長 い 旅 から 清 水 に 帰 る 事 が 出 来 ました 安 政 6 年 (1859) 甲 州 勝 沼 の 祐 天 仙 之 助 と 江 尻 の 大 熊 の 間 に 争 いが 起 きてしまいます 次 郎 長 と 大 熊 は 祐 天 の 親 分 である 甲 府 の 三 井 の 卯 吉 を 斬 殺 します この 為 役 人 に 追 われた 次 郎 長 はお 蝶 子 分 等 と 共 に 瀬 戸 の 岡 一 の 所 に 身 を 寄 せるのですが [お 蝶 ] が 病 に 倒 れてしまいます 岡 一 の 所 にも 永 居 は 出 来 ぬため 名 古 屋 の 巾 下 ( 西 区 幅 下 )の 長 兵 衛 の 所 に 移 ったのですが 12 月 晦 日 帰 らぬ 人 となってしまいます かって 次 郎 長 が 親 身 になって 世 話 をした 保 下 田 の 久 六 ( 八 尾 ケ 獄 宗 七 ) の 密 告 によって 捕 吏 の 手 により 長 兵 衛 が 捕 えられて 牢 死 する 事 件 が 起 きます その 時 次 郎 長 もその 場 にいましたが 何 とか 長 兵 衛 の 機 転 で 逃 げる 事 が 出 来 次 郎 長 は 寺 津 へ 行 き 時 を 待 ち 6 月 19 日 久 六 を 斬 り 長 兵 衛 の 怨 を 晴 らすのですが 捕 吏 の 探 索 きびしく 次 郎 長 は 大 政 や 石 松 など 子 分 を 連 れ 甲 州 上 州 信 州 越 後 加 賀 越 前 さらに 四 国 8 と 長 い 逃 避 行 する 事 になってしまいます 途 中 草 津 温 泉 ではインチキ 賭 博 で34O 両 を 稼 いだりしながら 旅 を 続 けた 様 です [ 身 延 山 久 遠 寺 の 決 闘 ] 嘉 永 元 年 (1848)1O 月 11 日 から3 日 間 身 延 山 久 遠 寺 の 秋 の 大 祭 が 行 われました 久 遠 寺 を 縄 張 りとする 甲 州 津 向 の 文 吉 から 誘 いを 受 け 次 郎 長 以 下 お 蝶 大 政 森 の 石 松 追 分 の 三 五 郎 法 印 大 五 郎 などが 身 延 山 に 行 くのです 津 向 の 文 吉 は 縄 張 りの 事 で 吃 (ども) 安 こと 竹 居 安 五 郎 と 争 い 事 にな り 次 郎 長 は 始 め 仲 裁 に 入 るつもりでしたが 吃 安 の 子 分 がお 蝶 に 手 を 出 した 為 に 次 郎 長 側 が 文 吉 側 に 加 勢 し 決 闘 となってしまいました 決 闘 後 次 郎 長 側 は 逃 げ 延 びますが 文 吉 吃 安 共 に 捕 まり 八 丈 島 に 島 流 しになりました 文 吉 は 八 丈 島 流 人 帳 に 嘉 永 2 年 (1849)4 月 流 罪 明 治 2 年 (1869)5 月 赦 免 と 記 されています 一 方 吃 安 は 嘉 永 3 年 (185O)1 度 は 八 丈 島 に 流 されるのですが 翌 嘉 永 4 年 (1851) 新 島 に 移 されるのです どうして 移 されたか 定 かでは 有 り ませんが 喧 嘩 相 手 が 同 じ 島 に 居 ると 云 う 事 は 治 安 が 保 てなかったから でしょう 吃 安 が 新 島 に 来 て2 年 後 の 嘉 永 6 年 (1853)6 月 8 日 深 夜 七 人 の 流 人 と 共 に 島 の 名 主 を 殺 し 漁 船 を 盗 み 一 番 のこぎ 手 を 脅 し 島 抜 けを 敢 行 伊 豆 半 島 の 網 代 ( 熱 海 市 )に 上 陸 に 成 功 し そして 大 場 ( 三 島 市 だ いば)の 久 八 の 所 に 逃 げ 込 むのです 網 代 にしても 大 場 にしても 韮 山 代 官 江 川 太 郎 左 衛 門 の 采 配 地 ですが 嘉 永 6 年 はペリーが 黒 船 を 率 いて 浦 賀 にやって 来 た 年 で 日 本 中 が 徳 川 幕 府 始 まって 以 来 の 大 混 乱 の 最 中 だったので 島 ぬけどころの 話 では 無 かったのです 幕 府 は 江 戸 湾 防 衛 のため 江 川 太 郎 左 衛 門 に 台 場 を 築 かせたのです 伊 豆 などから 石 を 運 び 品 川 御 殿 山 の 土 砂 を 切 り 崩 しての 大 工 事 で そ の 人 夫 頭 に 大 場 の 久 八 を 使 ったのでした この 様 な 状 態 でしたから 吃 安 は 意 外 と 簡 単 に 甲 州 に 戻 り 博 徒 を 続 け る 事 が 出 来 たのでした 安 政 5 年 (1858)には 隣 村 の 黒 駒 の 勝 蔵 が 子 分 になったりしています 幕 府 は 指 名 手 配 者 として 吃 安 を 追 っかけてはいますが 逮 捕 は 出 来 ず にいました そこで 幕 府 は 次 郎 長 と 同 盟 関 係 に 有 った 二 足 の 草 鞋 の 9

6 博 徒 国 分 の 三 蔵 こと 高 萩 万 次 郎 に 協 力 を 依 頼 万 延 元 年 (186O) 吃 安 を 騙 して 捕 らえ 文 久 2 年 (1862)9 月 6 日 牢 内 で 毒 殺 されてしまいま した なんと 吃 安 は 島 抜 けから7 年 間 も 自 由 の 身 で 有 った 訳 で 吃 安 の 死 後 次 郎 長 の 敵 役 の 黒 駒 の 勝 蔵 が 甲 州 一 の 大 親 分 として 君 臨 するのでし た 新 島 からの 島 抜 けは 流 刑 の 制 度 が 整 っていた 約 2OO 年 間 に17 回 有 りましたが 16 回 は 上 陸 前 に 捕 まって 失 敗 に 終 わっていますが た だ1 回 の 成 功 例 が 吃 安 こと 竹 居 安 五 郎 のグループだったのです 身 延 山 久 遠 寺 の 決 闘 の 後 次 郎 長 は 運 良 く 逃 げ 延 び 博 徒 を 続 ける 事 が 出 来 ましたが この 時 捕 まっていましたら 島 流 しにあっていても 不 思 議 では 無 かった 事 と 思 われます [ 次 郎 長 と 八 尾 ケ 獄 宗 七 ( 保 下 田 久 六 )との 争 い] 安 東 文 吉 伝 史 料 集 より 尾 張 一 の 宮 の 久 左 衛 門 は 西 尾 張 3 郡 に 賭 場 持 っている 大 親 分 で 河 渡 (ごうど)の 政 右 衛 門 揚 葉 の 蝶 六 美 濃 の 神 田 の 豊 吉 犬 山 の 犬 屋 の 金 十 上 有 知 (こうち)の 小 左 衛 門 岐 阜 の 弥 太 郎 などと 肩 を 双 べて1 2を 争 う 大 侠 客 です また 知 多 半 島 に 縄 張 りを 持 つ 八 尾 ケ 獄 宗 七 と 云 う 元 相 撲 取 りの 博 奕 打 ちがいました ある 時 尾 張 一 の 宮 の 久 左 衛 門 と 八 尾 ケ 獄 宗 七 との 間 に 縄 張 り 関 係 の 事 での 争 いが 起 こりました 八 尾 ケ 獄 宗 七 は 次 郎 長 に 加 勢 を 頼 み 八 尾 ケ 獄 宗 七 側 は 宗 七 の 子 分 等 4O 余 人 と 次 郎 長 及 び 子 分 等 1O 人 の 合 わせて5O 余 人 が 一 の 宮 久 左 衛 門 宅 へ 夜 襲 ちを 掛 けましたが 一 の 宮 久 左 衛 門 側 は 以 前 より 用 心 がして 有 りましたから 八 尾 ケ 獄 宗 七 側 の 負 けで 終 わりました 八 尾 ケ 獄 宗 七 次 郎 長 共 に 尾 張 を 出 奔 して 東 海 道 を 駿 河 へ 逃 げて 八 尾 ケ 獄 宗 七 は 城 之 腰 ( 焼 津 市 )の 甲 州 屋 長 吉 方 へ 落 付 き また 次 郎 長 は 清 水 へ 逃 げ 帰 り 時 を 待 ちました 駿 州 城 之 腰 ( 焼 津 市 )の 甲 州 屋 長 吉 は 生 まれは 甲 州 甲 府 の 者 で 国 で 何 か 間 違 いを 起 こして 人 を 斬 って 駿 府 へ 逃 げて 来 て 安 東 の 文 吉 の 子 分 になっている 内 に 見 所 が 有 ると 云 われて 城 之 腰 の 賭 場 をあてられて 甲 州 屋 長 吉 で 売 り 出 し 中 々の 顔 役 になっていました 1O 八 尾 ヶ 嶽 宗 七 は 城 之 腰 の 甲 州 屋 長 吉 と 兄 弟 分 の 杯 をして 後 援 者 を 作 り 次 郎 長 は 専 らの 勢 力 に 頼 って 人 数 を 増 し 以 前 にも 増 して 大 勢 で 再 び 尾 張 の 一 の 宮 の 久 左 衛 門 と 喧 嘩 に 挑 んだのですが 又 も 大 負 けして しまいました その 負 け 方 が 甚 しい 負 け 方 で 宗 七 は 甲 州 路 へ 落 ちて 姿 を 隠 し 次 郎 長 も 命 からがら 清 水 へ 逃 げて 来 て 隠 れていました 安 政 3 年 (1856)1 月 一 の 宮 の 久 左 衛 門 と 八 尾 ヶ 嶽 宗 七 次 郎 長 との 和 解 が 出 来 ました これで 宗 七 も 名 が 広 く 伝 わり 名 前 を 改 めて 保 下 田 の 久 六 と 名 乗 って 売 り 出 し 短 い 時 の 間 に 大 親 分 となり 尾 張 様 の 十 手 を 預 るまでになりました 兄 弟 分 には 常 行 (とこなめ)の 哲 太 郎 大 場 の 久 八 大 前 田 の 英 五 郎 大 阪 の 水 浅 葱 (みずあさぎ)の 中 吉 伊 豆 の 本 郷 の 赤 鬼 の 金 平 城 之 腰 の 甲 州 屋 の 長 吉 清 水 の 次 郎 長 等 で 日 本 の 中 枢 で 巾 を 利 していました 一 方 の 次 郎 長 は 保 下 田 の 久 六 が 売 り 出 したのに 反 して 極 端 に 景 気 が 悪 く 永 年 の 旅 生 活 から 故 郷 清 水 港 へ 帰 って 見 れば 周 りは 焼 津 の 平 五 郎 城 之 腰 の 甲 州 屋 藤 枝 の 長 楽 寺 清 兵 衛 南 荒 屋 の 清 右 衛 門 丸 子 の 菊 石 虎 (あばとら) 安 東 の 文 吉 安 東 屋 辰 五 郎 江 尻 の 紺 久 和 田 島 の 竹 興 津 の 千 代 蔵 (ちよくら)の 栄 助 蒲 原 の 平 野 屋 岩 淵 の 源 七 等 々 でありました 大 小 の 親 分 が 雨 後 の 筍 のように 出 て 来 て 清 水 の 猫 の 額 大 の 土 地 では 手 も 足 も 出 ないので ボンヤリしていると 運 の 悪 い 時 は 悪 いもので 安 政 6 年 (1859) 正 月 6 日 甲 州 の 総 親 分 で 有 る 有 名 な 甲 府 の 三 井 の 卯 吉 が 何 者 かに 暗 殺 されたのです これが 大 騒 ぎとなり お 上 では 下 手 人 として 勝 沼 の 祐 天 仙 之 助 か 清 水 の 次 郎 長 だろうと 云 う 考 えがあって 2 人 へ 目 を 付 け 始 めた (これは 平 常 の 行 状 善 からざる 為 め) 兎 も 角 2 人 を 召 し 捕 って 一 応 調 べて 見 ようとあった 早 速 手 を 廻 して 捕 手 が 向 か ったと 云 います 勝 沼 の 祐 天 仙 之 助 は 京 都 方 面 へ 出 奔 し 次 郎 長 も 夜 に 紛 れて 名 古 屋 へ 出 奔 しました 名 古 屋 在 の 瀬 戸 へ 来 て 瀬 戸 の 岡 一 と 云 う 親 分 の 世 話 にな っていると お 蝶 が 病 気 になってしまい 当 時 瀬 戸 では 良 い 医 者 も 薬 もなく 又 無 一 文 になってしまい 見 かねた 犬 山 城 主 の 部 屋 頭 の 鬼 若 の 駒 吉 が 仲 に 入 って 保 下 田 の 久 六 に 話 を 持 って 行 くのですが 善 い 返 事 を しないのです 困 っている 所 へ 名 古 屋 の 巾 下 ( 西 区 幅 下 )の 長 兵 衛 が 面 倒 みようと 云 ったので 長 兵 衛 の 所 に 転 がり 込 んでいたのですが 不 幸 にも 次 郎 長 の 女 房 のお 蝶 は 翌 年 の 正 月 元 日 の 朝 死 んでしまいました 11

7 次 郎 長 は 瀬 戸 の 岡 一 鬼 若 の 駒 吉 名 古 屋 の 長 兵 衛 等 に 世 話 にな り 何 とか 葬 儀 だけは 出 しますが 一 文 無 しを 見 かねて 保 下 田 の 久 六 が 十 手 を 預 かる 身 で 三 井 の 宇 吉 事 件 で 目 標 になっている 者 を かばう 訳 にはいかぬのだが 今 はその 詮 議 も 少 しは 薄 くなったので 折 りもよし として 次 郎 長 を 引 き 取 ったのです しかしそれからは 以 前 の 保 下 田 の 久 六 とは 違 い 双 方 何 となく 白 け ている 所 へ 次 郎 長 の 子 分 の 石 松 が 親 分 どうも 久 六 の 奴 油 断 が 出 来 ね ー いつ 御 用 と 十 手 を 喰 わせるか 解 らねーぜ と 云 い 出 して 終 いに は 話 が 進 んて 久 六 は 死 んだお 蝶 さんと 姦 通 していた と 迄 云 っ たのです これを 聞 いた 次 郎 長 大 いに 怒 り 殺 意 を 固 めて 時 期 を 待 っていました 或 る 晩 の 事 保 下 田 の 久 六 は 妾 と2 人 で 涼 み 台 で 晩 酌 を ( 表 通 りの 街 道 の 端 で) 一 杯 やって 楽 しんでいました そのうちに 妾 が1 人 立 って 用 を 足 しに 宅 に 戻 ったのです 久 六 は 只 1 人 で 涼 み 台 の 上 へ 横 になって 寝 て 油 断 をしていました それを 見 澄 まして 次 郎 長 石 松 大 政 小 政 の4 人 で 不 意 に 斬 り 倒 して 何 れかに 逃 亡 したのでした 程 経 てからこの 事 を 発 見 した 保 下 田 の 久 六 の 子 分 等 大 いに 驚 き 八 方 手 分 けして 探 すのでしたが すでに 遅 かったのです 次 郎 長 保 下 田 の 久 六 を 斬 って 逃 げた との 連 絡 を 受 けた 久 六 の 兄 弟 分 の 信 州 常 行 (とこなめ)の 兵 太 郎 は 早 速 子 分 を 連 れて 名 古 屋 へ 向 か いました 大 阪 の 水 浅 葱 の 中 吉 も 飛 んで 来 て 次 郎 長 の 行 方 を 探 します 上 州 の 大 前 田 の 英 五 郎 は 子 分 3O 人 を 選 抜 して 名 古 屋 に 向 かいました 館 林 の 江 戸 屋 虎 五 郎 は 腕 利 き1O 余 名 で 関 東 より 道 々 次 郎 長 を 探 し 乍 ら 南 下 し 大 場 の 久 八 は 疾 風 の 如 く 箱 根 と 甲 州 街 道 を 塞 いで 東 北 に 走 する 事 を 拒 み 伊 豆 の 大 親 分 本 郷 の 赤 鬼 の 金 平 は 大 場 の 久 八 下 田 の 弁 天 の 安 太 郎 等 々 通 して 与 力 方 を 依 頼 し 自 らは 子 分 4O 余 人 と 船 3 艘 に 分 乗 させて 直 行 して 清 水 港 へ 押 し 寄 せました 大 将 赤 鬼 の 金 平 は 伊 豆 の 鬼 と 言 われた 男 で 身 に 黒 革 縅 (おどし)の 甲 冑 (かっちゅう)を 着 け 子 分 も 皆 半 具 足 で 身 を 堅 めて 槍 長 刀 を 持 っているのでまるで 戦 争 の 様 な 騒 ぎで 有 った 様 です これを 望 観 した 次 郎 長 は 驚 いて すぐ 身 を 隠 しました 赤 鬼 の 金 平 は 清 水 へ 上 陸 して 方 々を 探 しましたが 相 手 の 次 郎 長 が がいないので 行 列 をして 清 水 の 市 中 を 練 り 歩 き 充 分 示 威 運 動 をして から その 翌 日 海 上 から 伊 豆 へ 引 き 上 げたと 云 う 事 です この 滑 稽 なる 12 行 動 を 大 騒 ぎして 見 た 気 の 早 い 者 は 戦 争 が 始 まるなどと 騒 いだと 云 う 事 でした 保 下 田 の 久 六 の 子 分 八 万 騎 の 力 蔵 等 3O 余 人 は 一 気 に 城 之 腰 の 甲 州 屋 長 吉 方 へ 来 て そこから 毎 日 15 人 づつを 交 代 で 八 方 へ 手 配 し て 清 水 港 を 中 心 に 虱 つぶしに 次 郎 長 を 探 しましたが 手 掛 りが 掴 か め 無 かったのです 一 方 次 郎 長 は 逃 げ 隠 れする 場 所 を 探 し やっと 押 切 ( 静 岡 市 清 水 区 ) の 大 畑 定 吉 の 所 へ 逃 げ 込 みましたが 数 日 滞 在 してもどうにもならず 安 東 文 吉 の 子 分 の 柳 新 田 ( 静 岡 市 葵 区 )の 政 蔵 に 仲 裁 を 安 東 文 吉 に 頼 んで 呉 れるよう 要 請 するのです 要 請 を 受 けた 安 東 文 吉 はこれを 引 き 受 けて 柳 新 田 の 政 蔵 を 交 渉 役 に して 城 之 腰 の 甲 州 屋 長 吉 方 へ 行 かせ 保 下 田 の 久 六 の 子 分 等 と 交 渉 を し まず 久 六 の 子 分 等 を 尾 張 に 帰 しました その 後 数 回 の 交 渉 を 重 ねて 仲 人 には 堀 越 の 藤 左 衛 門 森 の 五 郎 八 藤 枝 の 長 楽 寺 の 清 兵 衛 の3 人 が 決 まり 安 東 文 吉 が この3 人 と 交 渉 をして 次 郎 長 にも 異 存 が 無 い 事 を 確 かめてから 久 六 身 内 に 通 知 した したのです 久 六 身 内 側 も 喜 んで 城 之 腰 の 甲 州 屋 長 吉 方 へ 飛 んで 来 ま した 堀 越 の 藤 左 衛 門 森 の 五 郎 八 藤 枝 の 長 楽 寺 の 清 兵 衛 安 東 の 文 吉 の 顔 役 が 揃 って 甲 州 屋 方 で 久 六 の 身 内 代 表 八 万 騎 の 力 蔵 以 下 6 人 と 最 後 の 交 渉 を 始 め 金 子 15O 両 を 保 下 田 の 久 六 の 石 塔 料 として 贈 り 久 六 の 身 内 は これを 土 産 にして 帰 る 事 に 決 め 以 後 次 郎 長 とも 交 際 の 出 来 ることにして 引 き 上 げさせました 13

8 [ 石 松 金 比 羅 代 参 に 行 く] 次 郎 長 資 料 による 万 延 1 年 (186O) 久 六 の 制 裁 を 果 たし 石 松 を 四 国 の 金 比 羅 神 社 へ 代 参 に 行 かせます 石 松 は 清 水 への 帰 途 草 津 身 請 山 の 鎌 太 郎 のもとを 訪 れ 鎌 太 郎 からお 蝶 の 葬 儀 の 際 に 届 けられなかった 香 典 25 両 を 託 され 遠 州 笠 井 の 寺 島 一 家 を 訪 れた 際 懐 の25 両 を 都 田 の 吉 兵 衛 兄 弟 にだまし 取 られた 上 斬 殺 されてしまいます この 年 の6 月 次 郎 長 一 家 梅 蔭 寺 住 職 宏 田 和 尚 のふるまったフグに 当 たり 角 太 郎 喜 三 郎 が 死 亡 して しまいます 文 久 1 年 (1861) 都 田 の 吉 兵 衛 は 次 郎 長 一 家 がフグ 毒 で 倒 れていると 聞 き 石 松 斬 殺 の 報 復 を 恐 れていたため チャンスとばかり 逆 襲 を 企 て 徒 9 人 を 引 き 連 れ 清 水 に 向 いました いち 早 く 吉 兵 衛 らの 清 水 入 りを 知 った 次 郎 長 は 大 政 小 政 相 撲 常 清 吉 らと 共 に 都 田 吉 兵 衛 らが 追 分 ( 静 岡 市 清 水 区 追 分 )で 昼 食 をとっているところを 襲 い 吉 兵 衛 を 討 ち 取 り 石 松 の 怨 を 晴 らすのでした [ 寺 島 ( 都 田 ) 一 家 の 事 ] 都 田 の 源 八 は 寛 政 の 末 年 頃 都 田 村 新 木 ( 浜 松 市 都 田 町 )の 旧 家 鈴 木 惣 重 の 次 男 に 生 れ 若 いころから 博 徒 になって 旅 に 出 るのです 文 政 十 年 (1827) 頃 若 い 女 を 連 れて 都 田 に 帰 ってきたので 鈴 木 家 では 源 八 のた めに 家 を 建 ててやったりしましたが 身 内 の 人 達 に 遠 慮 して 近 くの 山 小 屋 に 住 み そこで 連 れて 来 た 若 い 女 が 長 男 吉 兵 衛 次 男 常 吉 3 男 梅 吉 の3 人 を 産 みました 天 保 八 年 (1837) 浜 北 市 寺 島 の 寺 島 一 家 2 代 目 大 村 藤 助 の 死 後 女 房 と 子 供 の 吉 兵 衛 常 吉 梅 吉 を 連 れて 大 村 家 と 寺 島 一 家 の 跡 目 を 継 ぎ 寺 島 一 家 3 代 目 になりました 天 保 1O 年 (1839) 頃 信 州 早 木 戸 の 権 蔵 が 都 田 の 源 八 の 守 場 所 であ る 秋 葉 神 社 の 高 市 に 無 断 で 賭 場 を 敷 いた 事 から 権 蔵 を 信 州 早 木 戸 で 殺 し 天 保 1O 年 7 月 1 日 早 木 戸 の 権 蔵 の 兄 弟 分 の 信 州 南 和 田 の 伊 之 助 とその 若 衆 らに 寺 島 の 近 くの 地 蔵 堂 の 賭 場 に 殴 込 みを 掛 けられ 源 八 は 殺 されてしまいます 都 田 の 吉 兵 衛 は 文 政 11 年 (1828) 都 田 の 源 八 の 長 男 として 都 田 で 生 れる 幼 名 は 鈴 木 浅 之 助 都 田 の 源 八 の 没 後 寺 島 一 家 4 代 目 になりま した 文 久 元 年 (1861)1 月 15 日 江 尻 の 追 分 で 清 水 一 家 によって 殺 さ れてしまいます 吉 兵 衛 の 兄 弟 分 には 本 郷 の 金 平 本 市 場 の 金 七 江 尻 14 の 大 熊 などがいました 都 田 の 常 吉 こと 大 村 常 吉 は 都 田 の 源 八 の 次 男 で 吉 兵 衛 の 実 弟 吉 兵 衛 死 後 寺 島 一 家 5 代 目 の 跡 目 を 継 ぐが 1 年 数 ヶ 月 後 3O 代 の 若 さ で 亡 くなりました 都 田 の 梅 吉 は 都 田 の 源 八 の3 男 で 吉 兵 衛 の 実 弟 常 吉 の 没 後 寺 島 一 家 5 代 目 の 跡 目 を 継 ぎますが 文 久 元 年 7 月 21 日 本 沢 の 為 五 郎 こと 鈴 木 為 吉 を 殺 す 文 久 3 年 3 月 12 日 本 沢 の 為 五 郎 の 実 弟 為 蔵 こと 鈴 木 爲 蔵 らに 殺 されます 親 の 源 八 と 吉 兵 衛 常 吉 梅 吉 の 三 兄 弟 は いずれも3O 代 の 若 さで 亡 くなりました [ 次 郎 長 と 都 田 の 吉 兵 衛 との 争 い] 安 東 文 吉 伝 史 料 集 より 都 田 の 源 八 の 長 男 で 都 田 の 源 八 の 浅 之 助 又 の 名 を 横 須 賀 の 吉 兵 衛 とも 又 は 都 田 の 源 八 の 浅 之 助 の 吉 兵 衛 とも 云 う 長 い 名 前 の 持 ち 主 で 幼 少 の 時 紺 屋 職 人 に 弟 子 入 りして 浅 之 助 と 云 いましたが 元 服 して 吉 兵 衛 と 云 いました ( 以 下 吉 兵 衛 と 称 す ) 遠 州 横 須 賀 3 万 5 千 石 の 城 下 町 で 売 り 出 し 中 の 吉 兵 衛 は 父 の 源 八 が 旅 の 途 中 に 横 死 してから 一 時 身 を 隠 して 足 袋 職 人 ( 一 説 には 紺 屋 職 人 ) になっていましたが 父 の 覇 気 を 受 けて 小 成 に 満 足 せず 寺 島 一 家 の 後 を 継 ぎ 寺 島 一 家 の4 代 目 になって 侠 客 の 群 に 投 じてからニョ キニョキと 頭 を 上 げて 横 須 賀 を 中 心 に 東 に 相 良 町 川 崎 町 から 大 井 川 西 は 福 田 掛 塚 と 天 竜 川 に 及 び 堂 山 の 鬼 の 龍 五 郎 や 相 良 の 富 五 郎 の 賭 場 を 併 せ 持 つ 強 勢 になっていました 兄 弟 分 には 伊 豆 の 赤 鬼 の 金 平 本 市 場 の 金 七 等 が 有 りました 吉 兵 衛 は 東 海 道 を 上 り 下 りの 時 安 東 の 文 吉 の 所 へ 始 終 立 ち 寄 っ ていました 傍 目 では 安 東 の 兄 弟 とは 兄 弟 分 の 杯 でもして 有 るよう に 云 われていました その 上 に 駿 府 在 の 柳 新 田 ( 静 岡 市 葵 区 )の 坊 主 音 江 尻 追 分 の 沼 繁 ( 静 岡 市 清 水 区 追 分 )の 2 人 の 子 分 も 出 来 て 大 分 評 判 も 良 かったのです 都 田 の 吉 兵 衛 の 池 新 田 の 賭 場 を 次 郎 長 の 子 分 の 石 松 等 2 3 人 が 荒 らして 都 田 の 吉 兵 衛 の 子 分 に 袋 叩 きにあって 帰 った 事 がありました これを 聞 いた 次 郎 長 の 子 分 2 3 人 が 仕 返 しだと 云 って 都 田 の 吉 兵 衛 の 池 新 田 の 賭 場 をまた 荒 らしたのですが 都 田 の 吉 兵 衛 の 子 分 が 15

9 怒 って 直 ちに 逆 襲 し 石 松 始 め 多 くの 子 分 を 袋 叩 きにしてしまうのです このような 事 が 数 度 重 なったのですが 子 分 同 士 は 知 らぬ 顔 でいました が 石 松 はこの 時 の 傷 が 元 で 病 死 してしまいます この 様 な 事 から 次 郎 長 側 と 都 田 の 吉 兵 衛 側 とは 一 時 険 悪 に 成 ってしま いますが 安 東 文 吉 が 仲 に 入 って 一 旦 は 納 まりました 文 久 元 年 正 月 吉 兵 衛 が 子 分 を 連 れ 安 東 文 吉 に 年 始 の 挨 拶 をすませ 子 分 の 柳 新 田 の 坊 主 音 に 寄 って 坊 主 音 を 連 れ 同 じく 子 分 の 追 分 の 沼 繁 の 宅 へ 来 ました この 沼 繁 は 沼 上 ( 静 岡 市 葵 区 沼 上 )の 出 身 で 吉 兵 衛 の 代 貸 しをしていて 相 当 の 顔 役 でした ここで 吉 兵 衛 等 は 一 杯 やっ て 次 郎 長 の 所 へ 年 賀 の 挨 拶 に 行 ったのですが この 沼 繁 宅 に2ヶ 月 前 より 草 鞋 をぬいでいた 甲 州 生 まれの 無 宿 人 で 馬 麻 国 と 云 う 者 が 厄 介 に なっていました この 男 何 を 思 ったのか 先 回 りし 次 郎 長 に 嘘 の 報 告 をするのです お 前 さんは 何 も 知 らねーが 横 須 賀 の 都 田 の 吉 兵 衛 が 只 今 子 分 4 5O 人 引 き 連 れて 江 尻 から 清 水 へ 網 をはったように 取 り 巻 いて 不 意 に 切 り 込 む 手 段 だが 表 は 年 始 と 云 うふれ 込 みで 1 2 人 の 子 分 を 連 れて 親 分 の 様 子 を 見 に 来 るが 決 して 油 断 は 出 来 やせんぜ と 云 っ たのです 次 郎 長 は それで 今 源 八 の 吉 兵 衛 はどこにいる 馬 麻 国 答 えて 沼 繁 の 所 だ! それは 有 難 い 御 礼 はいずれ 後 でする 今 日 はこれで 分 かれるが と 云 って 馬 麻 国 と 別 れた 甲 州 の 馬 麻 国 ヤレヤレ 今 日 は 面 白 い お 芝 居 が 見 られると 喜 んでいる 源 八 の 吉 兵 衛 は そんな 事 とは 知 らず 国 から 連 れて 来 た 子 分 と 坊 主 音 を 連 れて 堂 々と 次 郎 長 宅 へ 年 始 に 来 たが 次 郎 長 は 留 守 で 留 守 宅 には 耳 の 遠 い 老 婆 が1 人 いて 他 に 猫 の 子 1 匹 いない 何 を 云 っても 分 けが 解 らないが 年 賀 の 儀 を 述 べて 年 始 届 を 置 いて 帰 って 来 た 少 し 変 だと 思 ったが それが 馬 麻 国 の 反 逆 からの 出 来 事 とは 考 え 付 かなか った 兎 も 角 次 郎 長 が 帰 って 来 れば 解 るだろうと 思 って 縁 起 直 しに 又 1 杯 と 云 って 又 酒 宴 を 始 めました 今 度 は 奥 の1O 畳 の 間 に 座 を 移 して 今 年 から 清 水 の 次 郎 長 とも 仲 が 直 って これからは 安 心 で 目 出 度 いと 大 いに 気 勢 をを 上 げて 騒 いでいました しかし 侠 客 仲 間 では こう 云 う 場 合 腰 の 物 や 刃 物 は 皆 戸 棚 や 押 し 入 れに 入 れて 置 くのが 習 わしですか ら 吉 兵 衛 等 は 皆 腰 の 物 を 背 後 の 戸 棚 へ 入 れて 置 きました その 戸 棚 の 前 で 呑 めや 騒 げと 大 酒 宴 を 始 めていました 表 に 向 かっ 16 て 正 面 が 吉 兵 衛 右 と 左 が 沼 繁 の 女 房 と 妾 で 国 から 来 た 子 分 と 沼 繁 と 坊 主 音 の3 人 は 並 んで 親 分 に 向 かい 合 って 呑 んでいました この 酒 宴 も 十 分 興 に 入 って 皆 々 十 分 酩 酊 して 宴 もたけなわの 時 刻 が 未 の 刻 下 がり( 約 午 後 3 時 頃 )になろうとする 時 不 意 に 表 裏 に 現 れ た6 人 の 凶 漢 表 より4 人 裏 口 より2 人 充 分 に 身 支 度 をして 鉢 巻 き 手 っ 甲 脚 絆 2 枚 草 鞋 に 長 脇 差 し 竹 槍 を 揃 えて 次 郎 長 先 頭 に 立 ちました 大 きな 声 で やい 横 須 賀 の 吉 兵 衛 よくも 計 略 を 掛 けた なその 手 は 喰 わねー 野 郎 覚 えていろ と 云 い 乍 ら 次 郎 長 真 っ 先 に 立 って 表 口 から 奥 へ 殺 到 して 竹 槍 で 突 っついて 掛 かって 来 たのです 表 と 奥 の 間 との 中 間 にあった 衝 立 てを 打 倒 して 4 本 の 竹 槍 を 揃 えて 電 光 の 如 く 突 いて 来 ます 横 須 賀 の 吉 兵 衛 の 一 党 は 呆 れている 間 も 無 く 次 郎 長 自 ら 吉 兵 衛 へ 突 いて 掛 かったのです これを 見 た 坊 主 音 野 郎! と 云 いながら 飛 び 込 んで 次 郎 長 の 槍 を 掴 んで グイと 引 き 寄 せて 次 郎 長 の 手 首 へ 食 いついた 次 郎 長 痛 てー と 云 って 槍 を 放 す 所 を グイと 奪 って 取 って 反 対 に 次 郎 長 に 突 いていったのです 次 郎 長 狼 狽 え 乍 ら 野 郎 と 云 って 長 脇 差 しを 抜 いて 立 ち 向 かいました 大 政 小 政 等 も この 野 郎 生 意 気 だ と 云 って 左 右 から 坊 主 音 を 取 り 巻 いたのです 沼 繁 も 手 当 たり 次 第 に 投 げつけました この 場 に 有 った 土 瓶 鉄 瓶 徳 利 杯 洗 皿 小 鉢 硯 蓋 座 布 団 何 でも 片 っ 端 から 取 って 投 げた のです 最 後 に 投 げる 物 が 無 くなり 自 分 の 身 体 で 飛 びついて 行 き 八 五 郎 にぶつかり 武 者 振 り 付 いて 上 から 下 りる 両 人 死 力 を 出 して 揉 み 合 っています 吉 兵 衛 の 子 分 達 はこれは 大 変 と 早 速 傍 に 有 った 戸 締 まり 棒 を 握 って 吉 兵 衛 を 背 後 から 庇 って 立 ち 向 いました 吉 兵 衛 は 夢 中 で 裏 口 から 逃 れようとしましたが 次 郎 長 これを 見 て 坊 主 音 を 捨 て 置 き 吉 兵 衛 に 迫 ったのです 吉 兵 衛 は 身 を 飛 び 出 し て 座 敷 から 中 庭 に 出 る 所 を 先 に 裏 口 に 廻 っていた 次 郎 長 子 分 2 人 に 竹 槍 をつけられました 吉 兵 衛 ハッと 立 ち 止 まったのです これを 見 た 小 政 が 竹 槍 を 捨 て 長 脇 差 しを 抜 いて 横 合 いからハッ と 斬 り 付 けました 吉 兵 衛 はこれまでと 覚 悟 して 念 仏 を 唱 える 如 く 南 無 阿 弥 陀 仏 と 唱 え 出 して 南 無 阿 と3 声 聞 いた 時 に 小 政 の2つの 大 刀 で 斬 られて 倒 れてしまいました 吉 兵 衛 の 子 分 も 戸 締 まり 棒 で 戦 い ましたが 足 をズタズタに 斬 られて 倒 れてしまいました これを 見 た 沼 繁 坊 主 音 の 両 人 今 はこれ 迄 と 思 い 死 力 を 出 して 一 17

10 方 の 血 路 を 開 いて 表 へ 走 りだして 東 海 道 を 西 へと 駈 け 出 し 各 自 は2 3カ 所 の 手 傷 を 負 っていましたが 死 力 を 尽 くして 安 東 の 文 吉 の 宅 へ 駆 け 込 んだのです その 時 文 吉 は 丁 度 留 守 だったのですが その 場 に 居 合 わせた 仏 の 勇 蔵 安 西 の 悪 吉 の 吉 五 郎 信 州 屋 源 次 郎 始 め 多 くの 子 分 等 が 沼 繁 宅 へ 駆 けつけましたが 時 すでに 遅 く 次 郎 長 等 が 吉 兵 衛 の 死 骸 や 吉 兵 衛 の 子 分 の 死 骸 を ズタズタに 切 って 細 かにして 6 人 で 担 いで 有 度 山 に 捨 てた 後 でした 沼 繁 は その 時 の 負 傷 が 原 因 で2 3 年 後 病 死 しました 坊 主 音 は 親 分 なしでブラブラとして 遊 び 人 仲 間 に 入 って 行 きした [ 黒 駒 の 勝 蔵 の 事 ] 黒 駒 の 勝 蔵 こと 小 池 勝 蔵 は 天 保 元 年 (183O) 黒 駒 村 若 宮 ( 山 梨 県 御 坂 町 黒 駒 )の 名 主 吉 右 衛 門 の 次 男 に 生 れ25 歳 で 渡 世 人 となりました 弘 化 4 年 (1847)8 月 5 日 甲 州 金 川 河 原 に 於 いて 祐 天 の 仙 之 助 と 出 入 りと なり 黒 駒 方 の 瑠 璃 光 院 の 鬼 勝 と 遠 州 堂 山 の 竜 五 郎 の 子 分 だつた 三 州 の 理 吉 が 祐 天 方 の 小 室 井 の 藤 三 郎 の 子 分 堀 の 内 の 嘉 吉 佐 渡 の 金 堀 人 足 の 銀 次 作 蔵 三 代 太 の6 人 が 討 死 しました この 喧 嘩 が 終 ると 勝 蔵 は 国 を 売 る 事 となり 安 東 の 文 吉 の 弟 分 の 二 軒 茶 屋 の 庄 五 郎 に 頼 み 文 吉 に 紹 介 して 貰 らいました 文 吉 は 選 別 5O 両 に 手 紙 を 付 けて 勝 蔵 を 濃 州 上 有 知 の 小 左 衛 門 に 紹 介 しました 小 左 衛 門 のところに 寄 食 してい る 時 袋 井 宿 の 部 屋 頭 四 角 山 周 吉 を 斬 ってしまい 美 濃 に 逃 れて 来 て 堀 越 の 藤 左 衛 門 と 懇 意 になり 藤 左 衛 門 を 弟 分 にしました 安 政 5 年 (1858) 隣 村 に 住 む 吃 安 (どもやす) こと 竹 居 安 五 郎 の 子 分 となります 文 久 2 年 (1862) 安 五 郎 が 獄 死 した 後 は 甲 州 一 の 大 親 分 として 勇 名 を 関 八 州 に 轟 かせました やがて 倒 幕 思 想 に 基 づき 甲 府 城 占 領 計 画 などを 画 策 しますが 慶 応 4 年 (1868) 黒 駒 一 家 を 解 散 池 田 勝 馬 と 名 を 改 め 赤 報 隊 に 入 隊 し 官 軍 側 について 戊 辰 戦 争 に 参 加 しました 明 治 4 年 明 治 政 府 の 手 により 山 梨 県 甲 府 市 酒 折 近 くの 山 崎 処 刑 場 で 斬 首 にさせられました 18 [ 黒 駒 の 勝 藏 の 悪 行 ] 次 郎 長 資 料 による 文 久 2 年 (1862) 勢 力 を 伸 ばしていた 甲 州 黒 駒 の 勝 蔵 ら 一 味 は 興 津 の 盛 之 助 に 乱 暴 をするなどの 悪 事 を 働 いた 為 め 追 われる 事 となり 遠 州 に 逃 れた 勝 蔵 を 捕 らえるべく 中 泉 番 所 ( 現 磐 田 市 )は 大 和 田 の 友 蔵 に 依 頼 し 加 勢 した 次 郎 長 は 勝 蔵 を 甲 州 に 追 いやってしまいます 慶 応 1 年 (1865) 宿 敵 とも 言 える 黒 駒 の 勝 蔵 が 山 岳 地 帯 から 富 士 川 天 竜 川 を 筏 に 乗 って 下 ってくる 機 動 力 に 対 抗 するために 縄 張 り 外 を 転 戦 する 戦 闘 集 団 [ 清 水 二 十 八 人 衆 ] を 結 成 して 対 抗 します 黒 駒 の 勝 蔵 と 兄 弟 分 の 雲 風 亀 吉 (くもかぜかめきち) との2 度 に 渡 る 三 河 の 抗 争 は [ 平 井 村 ( 小 坂 井 町 )の 役 ] と 呼 ばれ 博 徒 抗 争 史 上 かつて ないほどの 殺 戮 戦 だったと 云 います [ 荒 神 山 の 決 闘 ] 次 郎 長 資 料 による 慶 応 2 年 (1866) 伊 勢 の 神 戸 ( 鈴 鹿 市 神 戸 )の 長 吉 (かんべのながきち) が 寺 津 の 間 之 助 をたずねて 伊 勢 の 荒 神 山 観 音 寺 の 縄 張 りを 穴 太 徳 (あのうとく)に 取 られ 取 り 返 したいから 助 っ 人 をお 願 いしたい と 助 力 を 頼 みに 来 ました 間 之 助 は 高 齢 のために 自 分 の 代 わりに 吉 良 の 仁 吉 を 助 っ 人 として 派 遣 することを 決 めました すなわち 神 戸 の 長 吉 に 対 する 義 理 で 吉 良 の 仁 吉 28 歳 の 時 です 話 が 少 しややこしくなりますが 喧 嘩 相 手 の 穴 太 徳 穴 太 ( 三 重 県 東 員 町 穴 太 )の 徳 次 郎 の 妹 が 仁 吉 の 女 房 のお 菊 であった 喧 嘩 が 始 まれば 仁 吉 は 女 房 の 兄 の 穴 太 徳 を 義 理 の 兄 として 加 勢 するのが 当 然 の 人 情 でした が 仁 吉 は 義 理 を 選 ぶか 人 情 を 重 んじるかの 板 挟 みになってしまいます が しかし 渡 世 の 社 会 で 生 きる 仁 吉 は 義 理 を 選 択 し 女 房 と 離 縁 し 間 之 助 親 分 の 命 の 神 戸 の 長 吉 の 加 勢 に 行 く 決 断 をします 東 海 道 を 名 古 屋 まで 収 めた 清 水 一 家 が 伊 勢 路 制 圧 に 着 手 したのが こ の 年 で 大 政 ( 山 本 政 五 郎 )が 率 いる 戦 闘 集 団 と 甲 斐 信 濃 制 圧 に 転 戦 する 大 瀬 半 五 郎 の 別 働 隊 を 寺 津 で 合 流 させて 吉 良 仁 吉 を 大 将 にして4 月 8 日 荒 神 山 にて 穴 太 徳 黒 駒 の 徒 13O 人 余 を 相 手 に 吉 良 の 仁 吉 や 大 政 など 清 水 の 一 党 ら5O 人 が 血 闘 をし 大 政 が 首 魁 の 穴 太 徳 の 弟 分 の 門 之 助 を 倒 したが 仁 吉 法 印 大 五 郎 らが 討 死 してしまいます 荒 神 山 は 観 音 寺 の 山 号 で 寺 は 平 地 に 位 置 しています 19

11 次 郎 長 は 憤 慨 し 報 復 として 千 石 船 2 隻 に 手 勢 48O 人 銃 4O 丁 槍 17O 幹 米 9O 俵 を 乗 せた 戦 略 艦 隊 で 伊 勢 に 上 陸 し 穴 太 徳 と その バックにいた 丹 波 屋 伝 兵 衛 を 屈 服 させます この 時 の 武 器 調 達 は 上 州 田 中 一 家 の2 代 目 を 勤 めていた 田 中 の 敬 次 郎 でした この 年 12 月 O5 日 徳 川 慶 喜 征 夷 大 将 軍 になり 慶 応 3 年 (1867) 1O 月 15 日 大 政 奉 還 になります [ 清 水 の 次 郎 長 と 黒 駒 の 勝 藏 との 争 い] 安 東 文 吉 伝 史 料 集 より 駿 東 富 士 の2 郡 の 親 分 には 本 市 場 の 金 七 宮 島 の 年 蔵 森 島 の 重 蔵 の3 人 がいました この3 人 の 大 親 分 は 吉 原 の 金 平 でありました が 金 平 の 跡 目 は 本 市 場 の 金 七 が 続 けていました 3 人 共 黒 駒 の 勝 藏 の 兄 弟 分 でありました 黒 駒 の 勝 藏 と 遠 州 の 堀 越 の 藤 左 衛 門 とは 美 濃 上 有 知 の 小 右 衛 門 の 所 で 義 を 結 んで 兄 弟 分 の 杯 をしていました 次 郎 長 はすでに 小 金 井 の 小 次 郎 と 義 を 結 んでいる この 義 を 結 ぶとか 杯 をすると 云 う 事 は 軍 事 同 盟 を 結 んだ 事 ですか ら 何 かの 時 に 出 動 要 請 が 有 れば 助 っ 人 として 必 ず 出 掛 けると 義 務 が 生 じる 事 に 成 ります 黒 駒 の 勝 藏 の 子 分 の 大 岩 小 岩 等 7 人 者 が 堀 越 の 藤 左 衛 門 の 所 か ら 帰 国 の 途 中 掛 川 宿 の 出 入 り 口 辺 りで 次 郎 長 の 子 分 2 3 名 とバッ タリ 出 会 って 何 か2 言 3 言 云 い 合 う 中 に 平 常 から 余 り 好 感 を 持 って 持 っていなかった 連 中 でしたから たちまち 抜 き 合 いの 喧 嘩 になったし まい 次 郎 長 の 子 分 等 が 散 々に 負 けて 手 傷 を 負 って 逃 げてしまいまし た 次 郎 長 これを 聞 いて 残 念 に 思 っていました 翌 々 年 今 度 は 勝 藏 の 子 分 の 大 岩 小 岩 等 13 人 が 中 泉 の 堀 越 の 藤 左 衛 門 の 所 へ 行 く 時 今 や 日 坂 の 険 路 へ 掛 かった 途 中 で 次 郎 長 の 子 分 大 政 小 政 等 15 人 の 外 に 大 和 田 の 友 蔵 の 子 分 4 人 と 浜 松 の 国 領 屋 の 子 分 3 人 が 合 同 して 前 と 後 の2 手 より 現 れて 黒 駒 の 子 分 を 攻 撃 した 黒 駒 方 もかねてより 用 心 していた 事 で 更 に 驚 かず 応 戦 した しかし 地 の 利 を 得 ず 小 勢 だった 事 と 不 意 をつかれた 事 で 黒 駒 方 が 危 なく 見 えたる 所 へ 通 り 掛 かりで 仲 裁 に 現 れたのが 岩 渕 の 庄 右 衛 門 と 小 川 の 梅 吉 の 両 人 であった まあまあ 待 った と 庄 右 衛 門 梅 吉 の 両 人 2O が 仲 へ 入 って その 喧 嘩 は 一 旦 は 中 直 りとなりました この 時 仲 裁 に 入 った 岩 渕 の 庄 右 衛 門 は 岩 渕 の 源 七 の 跡 を 受 け 継 い だ 親 分 で 小 川 の 梅 吉 は 関 東 の 小 川 の 幸 八 の 弟 です 小 川 幸 八 は 武 州 北 多 摩 郡 が 地 元 で 小 金 井 の 小 次 郎 は 年 中 小 川 の 幸 八 に 押 されて 旅 に 出 ていました 小 川 の 幸 八 と 岩 渕 の 庄 右 衛 門 とは 兄 弟 分 で その 縁 に 頼 って 小 川 の 梅 吉 は 年 中 岩 渕 に 来 て 遊 んでいました [ 清 水 次 郎 長 黒 駒 の 勝 蔵 と 富 士 川 で 喧 嘩 す] 安 東 文 吉 伝 史 料 集 より 黒 駒 身 内 と 清 水 身 内 の 喧 嘩 は 岩 渕 の 庄 右 衛 門 小 川 梅 吉 の 仲 裁 で 一 旦 は 納 まったものの それは 外 面 であって 双 方 共 に 喧 嘩 は3 度 の 飯 よ り 好 きな 連 中 でありますから その 後 も 何 のかんのと 小 競 り 合 いの 喧 嘩 が 続 き 終 いには 遂 に 親 分 同 士 が 承 知 しなくなり 双 方 喧 嘩 状 を 突 きつ けて 日 を 定 めて 富 士 川 の 河 原 で 喧 嘩 をしようと 一 決 したのです 次 郎 長 方 では 大 政 小 政 等 85 人 を 引 き 連 れて 3 手 に 分 かれて 勢 力 を 構 えて 機 を 待 っていました 中 堅 の 次 郎 長 は 自 ら 水 神 の 森 にとって 敵 を 待 っていました 黒 駒 方 は 兄 弟 分 の 本 市 場 の 金 七 森 島 の 重 吉 宮 島 の 年 蔵 等 と 共 に 子 分 5O 余 人 を 引 き 連 れて 竹 槍 を 持 って 先 頭 は 進 み 次 郎 長 を 目 がけて 寄 って 掛 かったのですが 次 郎 長 は 自 ら 手 を 下 さず 大 勢 で 包 囲 して 掛 かり 黒 駒 方 を 引 き 包 んで 掛 かったのです 多 勢 に 無 勢 黒 駒 方 が 敗 色 が 濃 くなったその 時 後 れて 馳 せ 参 じた 黒 駒 の 兄 弟 衆 の 鰍 沢 の 乞 食 の 英 三 郎 戸 田 の 権 右 衛 門 お 店 の 常 太 郎 勝 沼 の 三 蔵 身 延 の 豊 五 郎 等 5 人 が 鰍 沢 の 英 五 郎 の 宅 から 船 を 出 して 一 気 に 富 士 川 を 下 って 水 神 の 森 に 着 くと 今 や 黒 駒 が 苦 戦 の 所 だったのです これを 見 た 栄 五 郎 等 5 人 が 次 郎 長 方 の 後 方 に 回 って 背 面 からワッ ト 喚 声 を 上 げて 清 水 方 へ 斬 って 入 ったのです 清 水 方 は 不 意 を 付 かれ たために 大 いに 驚 き 散 々に 負 けて 逃 げだし 蜘 蛛 の 子 を 散 らした 様 に なってしまいました 次 郎 長 は 命 からがら 横 割 村 の 成 安 寺 へ 隠 れてやっ との 思 いで 命 だけは 助 かりました 後 年 次 郎 長 は 横 割 村 の 成 安 寺 に 報 恩 の 額 を 上 げた と 伝 えられて います 21

12 [ 黒 駒 の 勝 蔵 岩 渕 の 庄 右 衛 門 を 斬 る] 安 東 文 吉 伝 史 料 集 より 岩 渕 の 源 七 の 跡 目 は 庄 右 衛 門 が 継 いでいました 賭 場 は 庵 原 富 士 駿 東 の1 部 と 甲 州 の1 部 へも 食 い 込 んで 勢 い 旭 の 如 くで 又 兄 弟 分 には 関 東 の 小 川 の 幸 八 なども 有 って 中 々の 大 親 分 で 有 った 様 です その 頃 その 付 近 には 東 の 大 場 の 久 八 沼 津 の 菊 池 本 市 場 の 金 七 森 島 の 繁 蔵 宮 島 の 年 蔵 蒲 原 の 平 野 屋 の 三 平 興 津 の 千 代 蔵 の 栄 助 江 尻 の 紺 久 和 田 島 の 竹 等 の 親 分 がいて 江 尻 以 東 は 盛 大 で 有 りましたが 独 り 清 水 港 は 安 東 の 辰 五 郎 の 取 り 締 まりが 厳 しく 次 郎 長 は 年 中 旅 へ 出 て 居 り 清 水 では 盛 んで 無 かったのです すでに 黒 駒 の 勝 蔵 は 清 水 の 次 郎 長 と 和 解 の 後 で 有 ったのですが 黒 駒 の 子 分 で 鬼 角 板 東 の 勝 蔵 板 東 の 新 助 八 角 の 松 五 郎 等 7 8 人 で 中 泉 の 堀 越 の 藤 左 衛 門 の 賭 場 で 遊 んでいる 時 次 郎 長 の 子 分 が1 2 3 人 が 不 意 をついてこれを 襲 撃 したのです 黒 駒 の 方 は 不 意 を 付 か れて 敗 北 してしまいました 黒 駒 の 子 分 等 は 散 々の 体 で 逃 げて 来 て 岩 渕 の 庄 右 衛 門 方 で 身 を 隠 して 貰 っていました それは 岩 渕 の 庄 右 衛 門 へは 次 郎 長 が 手 を 付 け 得 ぬ と 見 たからであります その 中 で 鬼 角 板 東 の 勝 蔵 板 東 の 新 助 八 角 の 松 五 郎 等 4 5 人 は 中 々の 重 傷 で 有 りましたから 岩 渕 方 に 世 話 に 成 って 傷 の 養 生 をして いました それが 縁 となって 甲 州 から 駿 遠 2 国 へ 往 来 する 度 に 岩 渕 に 寄 って 仁 義 を 交 わしていました その 中 に 不 祥 事 が 起 きてしまうのです それは 意 外 にも 黒 駒 の 子 分 の 板 東 の 新 助 が 庄 右 衛 門 の 妻 に 不 義 の 姦 通 をしたのでした それを 庄 右 衛 門 が 気 づき 庄 右 衛 門 無 念 を 堪 えて 忍 んでいましたが 或 る 時 黒 駒 の 子 分 共 が 皆 甲 州 へ 引 き 上 げて 板 東 の 新 助 のみ 只 1 人 奥 の 間 に 残 っていたのです これを 見 た 庄 右 衛 門 が 夜 の 更 けるのを 待 って 子 分 2 3 人 と 共 に 板 東 の 新 助 を 富 士 川 の 河 原 に 担 ぎ 出 して 不 義 姦 通 の 罪 を 白 状 させて 新 助 の 首 を 刎 ねその 死 体 を 富 士 川 に 流 してしまうの でした 黒 駒 の 勝 蔵 これを 聞 いて 怒 ったが むやみに 手 が 出 せない ( 小 川 の 梅 吉 がいるので ) それから2 3 年 位 経 って 小 川 の 幸 八 が 武 州 小 金 井 の 小 次 郎 と 悶 着 が 始 まったと 云 うので 小 川 の 梅 吉 が 関 東 へ 帰 ったので す 22 これを 知 った 黒 駒 の 勝 蔵 鬼 角 板 東 の 勝 蔵 竹 居 の 新 五 郎 吉 田 の 仙 吉 等 1O 数 名 で 夜 半 に 富 士 川 を 船 で 下 り 岩 渕 に 上 がって 庄 右 衛 門 の 様 子 を 伺 いながら 誰 も 居 ないのを 確 かめて 大 勢 で 闇 入 りして 遂 に 庄 右 衛 門 夫 婦 と 子 供 2 人 を 縄 でぐるぐる 巻 にくくって 富 士 川 の 河 原 に 担 ぎ 出 したのです 黒 駒 の 勝 蔵 が 勝 蔵 板 東 の 新 助 を 殺 したのは 誰 だ さあ 云 え と 問 いかけると 庄 右 衛 門 口 を 開 いてあざ 笑 いながら 庄 ベラボウめ 不 義 した 野 郎 の1 人 や2 人 斬 るのは 人 手 は 借 り ねー 俺 1 人 で 斬 った さあスッパリ 斬 れ どうせこの 商 売 じ ゃー 剣 の 下 で 死 ぬのは 覚 悟 だ スッパリやれ と 云 った 勝 蔵 ウム 善 い 覚 悟 だ その 心 意 気 に 感 じて 女 房 子 供 はこの 黒 駒 が 立 派 に 引 き 取 って 育 ててやるから 成 仏 しろ と 云 って 庄 右 衛 門 の 首 を 刎 ねた これを 伝 え 聞 いた 小 川 の 幸 八 小 川 の 梅 吉 の 兄 弟 大 いに 怒 り 子 分 を 集 めて 甲 州 へ 乗 り 込 むというので 黒 駒 の 勝 蔵 青 くなって 驚 き 八 方 手 を 尽 くして やっと 和 議 が 成 立 致 しました 黒 駒 の 勝 蔵 は 岩 渕 が 手 に 入 って 甲 州 への 出 入 りが 自 由 になりまし た 次 郎 長 は これを 聞 いてこれ 又 青 くなって 小 さくなっていたと 云 う 事 です 岩 淵 は 現 在 富 士 川 市 岩 淵 で 東 海 道 の 宿 場 に1つです 富 士 川 の 右 岸 にあり 富 士 川 を 利 用 して 甲 州 との 重 要 な 交 通 の 拠 点 でした [ 清 水 の 次 郎 長 黒 駒 の 勝 蔵 再 び 喧 嘩 す] 安 東 文 吉 伝 史 料 集 より 黒 駒 の 勝 蔵 岩 渕 の 庄 右 衛 門 を 斬 って 甲 駿 の 要 路 を 得 る 事 が 出 来 ま したが 東 は 沼 津 の 菊 池 の 坂 五 郎 駿 府 には 安 東 兄 弟 があり 一 挙 に 清 水 の 次 郎 長 を 倒 す 事 は 駿 州 では 難 しく 思 い 手 を 延 ばして 遠 州 に 誘 い 出 して 逆 襲 して 呉 れようと 考 え 東 部 の 事 は 宮 島 の 年 蔵 本 市 場 の 金 七 等 に 任 せてから 自 分 は 中 泉 の 堀 越 の 藤 左 衛 門 と 打 ち 合 わせ 遠 州 へ 出 る 用 意 をしました あとは 信 州 の 根 津 の 萬 蔵 親 分 に 頼 んで 子 分 の 八 角 の 松 五 郎 川 口 の 重 蔵 吉 田 の 仙 太 の 三 人 を 連 れて 鰍 沢 の 英 五 郎 始 め 戸 田 の 権 右 衛 門 お 店 の 市 太 郎 勝 沼 の 三 蔵 身 延 の 豊 五 郎 を 始 め5O 余 人 を 集 め 甲 州 23

13 巨 摩 郡 茨 沢 村 の 市 川 文 作 の 所 から 3 千 両 の 金 を 拝 借 して 準 備 を 調 えま した 信 州 の 金 沢 から 山 越 えをして 伊 那 の 郡 の 河 島 に 出 て 青 崩 峠 の 切 所 を 越 して 水 窪 から 西 に 渡 り 次 に 秋 葉 山 の 峯 を 越 して 周 智 郡 森 町 へ 出 て その 夜 は 大 黒 石 へ1 泊 し 次 郎 長 の 兄 弟 分 の 大 和 田 の 友 蔵 の 所 へ 喧 嘩 状 を 送 って 次 郎 長 と 油 山 の 薬 師 堂 の 広 場 で 果 たし 合 いをしよ うと 連 絡 したのです 解 説 : 金 沢 は 現 在 の 茅 野 市 金 沢 で ここから 山 越 えをして 現 在 の 国 道 152 線 ( 杖 突 街 道 )に 出 て 南 下 し 高 遠 町 長 谷 村 大 鹿 村 上 村 南 信 濃 村 から 青 崩 峠 を 越 し 遠 州 ( 静 岡 県 )に 入 って 水 窪 春 野 ( 共 に 現 浜 松 市 )を 通 って 森 町 まで 直 線 距 離 で 約 13Okmあります 黒 駒 村 ( 現 在 の 御 坂 町 )は 甲 府 の 東 約 1Okmで 金 沢 までの 距 離 は 約 6Okmになり 合 計 19Okmにもなります これは 直 線 距 離 です から 山 道 ですと2OOkm 以 上 を 徒 歩 で 歩 いた 事 になります 大 和 田 の 友 蔵 は 驚 いて 兄 弟 の 荒 石 常 吉 次 郎 長 と3 人 で 協 議 をして 油 山 の 薬 師 堂 は 止 めて 天 竜 川 の 子 安 の 森 で 喧 嘩 しようと 云 って 返 事 をしたのです 黒 駒 の 勝 蔵 は 早 速 承 知 の 旨 を 返 事 をしました 約 束 の 日 が 来 て 黒 駒 の 勝 蔵 は 5O 余 人 の 子 分 を 連 れて 子 安 の 森 へ 出 て 来 て 次 郎 長 来 たれと 待 っていました 清 水 方 も 次 郎 長 大 和 田 の 友 蔵 荒 石 の 常 吉 等 が 子 分 6O 余 人 引 き 連 れて 天 竜 川 の 子 安 の 森 に やって 来 ました 川 上 に 陣 取 ったのが 清 水 の 組 で 川 下 に 陣 取 ったのが 黒 駒 の 組 でした 黒 駒 勢 は 一 気 に 清 水 方 へ 襲 撃 して 勝 敗 を 決 せんとするとき 中 泉 の 代 官 中 山 誠 一 郎 様 の 追 手 の 者 が 御 用 御 用 と 来 たので 双 方 共 に 退 却 してしまいました これは 大 和 田 の 友 蔵 がとても 勝 ち 目 が 無 いと 見 て 密 かに 御 代 官 方 へ 手 を 廻 して 御 用 風 を 吹 かせて 吹 き 散 らしたのであり ました 黒 駒 の 勝 蔵 は 喧 嘩 に 失 敗 して 国 へ 帰 る 途 を 失 い 三 州 へ 落 ち 延 びて 平 井 の 雲 風 の 亀 吉 宅 で 様 子 を 見 ていると そこへ 大 岩 小 岩 勝 沼 の 三 蔵 鰍 沢 の 英 五 郎 子 分 等 5 6 人 が 尋 ねて 来 て 黒 駒 と 共 に 雲 風 の2 階 に 隠 れていました 次 郎 長 は 吉 良 の 仁 吉 の 家 に 来 ていました 次 郎 長 と 勝 藏 の 和 解 の 為 に 24 御 油 の 源 吉 ( 玉 蔵 とも 云 う) が 奔 走 中 でしたが 勝 藏 が 雲 風 の 家 にいる のを 次 郎 長 等 が 見 付 けて コッソリ 吉 良 の 仁 吉 に3O 余 人 を 付 けて 刀 鉄 砲 の 用 意 をして 舟 で 平 井 村 に 上 陸 して 乗 り 込 んだのです 勝 藏 は2 階 から 飛 び 下 りて 東 に 向 かい 川 を 泳 いで 向 こう 岸 へ 渡 って 逃 げてしまいました 大 岩 は 飛 び 下 りるさま2 人 を 斬 ったのですが 筒 先 を 見 て 鉄 砲 だ 卑 怯 だ と 騒 いだが 何 こきゃーがる と 一 発 で 打 たれてしまいました 黒 駒 側 15 人 の 中 大 岩 次 郎 吉 勘 重 松 太 郎 種 吉 5 人 の 墓 が 平 井 の 常 吉 の 墓 と 並 んで 西 小 坂 井 沢 のそばの 塚 にあるそうです 後 に 雲 風 の 亀 吉 は 吉 良 の 仁 吉 へ 仕 返 しに 行 って 家 を 焼 き 払 ってしまったと の 事 です [ 黒 駒 の 勝 蔵 清 水 の 次 郎 長 を 追 う] 安 東 文 吉 伝 史 料 集 より 黒 駒 の 勝 蔵 清 水 の 次 郎 長 互 いに 権 を 争 っていたが 遂 に 黒 駒 の 勝 蔵 の 勇 猛 は 次 郎 長 を 追 い 込 んだのです 1 勝 1 敗 の 如 き 勝 敗 も 常 に 黒 駒 6 分 清 水 4 分 の 如 き 状 態 でありました 黒 駒 の 勝 蔵 岩 渕 の 庄 右 衛 門 を 討 ち 取 ってから 遂 に 甲 駿 出 入 りの 自 由 を 得 ていましたから 次 郎 長 は 油 断 が 出 来 ない 状 態 が 続 いていて ま た 甲 州 勝 沼 の 祐 天 仙 之 助 が 文 久 2 年 (1862) 甲 州 から 京 都 へ 行 き 京 都 で 山 本 仙 之 助 と 変 名 し 新 徴 組 と 云 う 幕 府 の 浪 人 組 へ 入 って その 翌 年 江 戸 の 千 住 で 元 竹 居 の 吃 安 の 用 心 棒 の 桑 原 雷 助 一 子 の 大 村 辰 雄 の 為 に 殺 されてから 急 に 寂 しくなっていました 反 して 黒 駒 方 は 万 事 有 利 な 進 展 をして 機 を 待 つ 事 久 し 時 節 到 来 と 察 しました 慶 応 2 年 (1866)6 月 炎 天 の 暑 さを 富 士 川 の 川 風 に 吹 かれながら 船 に 乗 って 急 流 を 下 る 黒 駒 の 勝 蔵 始 め6O 余 人 の 決 死 隊 の 子 分 その 矢 を 射 る 如 き 早 瀬 を 一 気 に 海 へ 出 て 田 子 の 浦 を 左 に 見 て 蒲 原 海 岸 へ 上 陸 し そのまま 清 水 港 へ 襲 撃 しました これを 聞 いた 次 郎 長 大 いに 驚 き 大 政 小 政 外 数 名 のその 場 にいた 子 分 を 引 き 連 れて あわてふため いて 一 目 散 に 西 へ 西 へと 逃 げ 出 したのです ソレ 清 水 と 黒 駒 の 喧 嘩 だと 安 東 文 吉 に 注 進 して 知 らせる 者 がありま したった 聞 いた 安 東 の 文 吉 文 吉 これはイケねー この 喧 嘩 止 めろ この 喧 嘩 止 めるには 黒 駒 25

14 の 勝 蔵 を 引 き 留 めるより 外 は 手 がない 誰 でも 駆 けつけて 行 っ て 黒 駒 の 勝 蔵 を 引 き 留 めろ と 云 った ふと 見 ると 清 川 の 富 五 郎 がいた 文 吉 は 清 川 に 向 かって 文 吉 お 前 早 く 行 って 黒 駒 を 止 めてくれ 黒 駒 を 押 さえれば 次 郎 長 の 方 はどうでもなる 今 から 行 っても 途 中 では 駄 目 だから 何 でも 早 く 中 泉 の 堀 越 の 藤 左 衛 門 の 所 へ 行 っていて 黒 駒 の 来 るのを 先 廻 りして 待 って 捕 らえろ 黒 駒 は 必 ず 堀 越 の 所 へ 立 ち 寄 るから その 時 捕 らえろ 俺 も 後 から 行 くから 早 く 早 く と 急 き 立 て 清 川 の 富 五 郎 を 中 泉 へ 飛 ばした 清 川 の 富 五 郎 は 一 生 懸 命 に 馳 せに 馳 せて 中 泉 の 藤 左 衛 門 の 処 へ 着 いて その 話 をすると 堀 越 の 藤 左 衛 門 が 堀 越 ソーカそれはひと 足 遅 いぞ たった 今 黒 駒 の 勝 蔵 が 俺 の 止 め るのも 聞 かず 今 度 はどうしても 次 郎 長 を 首 にすると 云 って 何 度 止 めても 止 まらず 袖 を 払 って 西 へ 飛 び 出 して 行 ったばか りだ それは 残 念 だったなー 富 誠 にひと 足 違 いで 残 念 でした 実 は 安 東 が 親 分 が 大 分 心 配 して これこれだと 云 う 云 うと 堀 越 の 藤 左 衛 門 も 安 東 の 親 分 を 喜 んで 堀 越 それは 有 り 難 い 黒 駒 も 安 東 の 親 分 にそれ 程 迄 に 思 って 貰 うと は 男 の 冥 利 に 叶 ったと 云 うものだ この 堀 越 からも 御 礼 を 申 し 上 げます どうぞ 安 東 の 親 分 にその 旨 云 ってください それ で 平 井 の 雲 風 の 亀 吉 の 所 へ 足 を 留 めはしないかと 思 う と 云 ったので 富 そんなら 急 いで 平 井 の 雲 風 の 親 分 の 所 へ 行 って 見 ましょう と 云 って そこを 出 て 清 川 の 富 五 郎 は また 足 を 急 がせて 三 州 平 井 の 雲 風 の 亀 吉 の 親 分 の 所 へ 行 って 雲 風 の 亀 吉 に 会 って この 事 を 話 すと 雲 風 もその 親 切 を 喜 んで 亀 それは 有 り 難 い 御 厚 志 の 扱 い 誠 にかたじけない この 雲 風 黒 駒 に 代 わって 幾 重 にも 御 礼 申 し 上 げる 然 し 残 念 な 事 には 黒 駒 は 今 大 急 ぎで 立 ち 寄 って 次 郎 長 の 跡 を 追 って 行 ったばか りだ 名 古 屋 から 伊 勢 路 へ 入 ったか それとも 真 っ 直 ぐに 岐 阜 から 大 垣 を 経 て 京 都 へ 登 ったか 路 順 は 分 からないが 今 に 分 かるだろうから 私 が 探 って 路 を 聞 いて 上 げるから 長 途 の 労 も 有 るだろうから ひとまず 私 の 所 で 草 鞋 の 紐 を 解 いて 一 休 み 26 してはどうか と 云 うので 清 川 富 五 郎 はひとまず 雲 風 の 処 で 一 服 していた そんな 事 は 知 らない 安 東 の 文 吉 は2 3 日 経 過 したら 清 川 富 五 郎 が 帰 って 来 るだろうと 待 っていたが 清 川 が 帰 って 来 ない 4 5 日 した らと 待 っていたが まだ 来 ない 鉄 砲 玉 の 使 いで 更 々 何 の 便 りも 無 い 変 だと 思 って 新 田 の 政 蔵 を 呼 んで 文 吉 時 に 政 蔵 や 実 はこうこうの 次 第 で 清 川 を 遠 州 の 堀 越 の 所 へ やったが 更 々 帰 って 来 ない お 前 一 つ 苦 労 だが 堀 越 の 所 へ 行 って 様 子 を 見 て 来 て 呉 れ と 云 うので 新 田 の 政 蔵 がすぐさま 安 東 を 飛 び 出 して 堀 越 の 藤 右 衛 門 の 所 へ 行 って 訳 を 聞 く こうこうだと 云 う これ 又 三 州 へ 行 ったの で これ 又 鉄 砲 玉 の 使 いでした 2 人 共 幾 日 経 過 しても 帰 って 来 ぬので 安 東 の 親 分 は 訳 が 解 らず じ りじりしている 処 へ やっと14 5 日 経 ってから のっそり 帰 って 来 た その 報 告 が 狐 を 馬 に 乗 せたような 話 で 次 郎 長 は 上 方 に 行 った か 伊 勢 路 へ 行 ったか 解 らないので いずれその 内 には 解 るだろう 位 の 話 であった [ 黒 駒 の 勝 藏 清 水 の 次 郎 長 和 解 す] 安 東 文 吉 伝 史 料 集 より 黒 駒 の 勝 藏 は 清 水 の 次 郎 長 の 跡 を 追 って 堀 越 藤 左 衛 門 の 云 う 事 も 聞 かず 雲 風 の 亀 吉 の 云 う 事 も 聞 かず 又 途 中 で 待 っていて 意 見 して 呉 れ た 伊 勢 の 山 田 の 妙 見 寺 の 丹 波 屋 の 親 分 の 云 う 事 も 聞 かず 一 生 懸 命 清 水 の 次 郎 長 の 行 方 を 尋 ねたが 解 らなかったため 東 海 道 を 美 濃 路 へ 迷 い 込 んで 岐 阜 に 腰 を 据 えて 清 水 の 次 郎 長 を 尋 ねたが 次 郎 長 の 行 方 が 解 らない それに 黒 駒 の 勝 藏 1OO 余 人 の 子 分 を 引 き 連 れているので 入 費 も 掛 かり 路 用 の 金 銀 も 無 くなって 来 た 仕 方 なく 伝 手 (つて)を 求 めて 官 軍 へ( 京 都 にて 朝 士 の 募 集 が 在 ったのを 幸 いに 朝 士 になった ) 従 って 西 に 上 る 事 にしたのです 名 も 池 田 数 馬 と 改 め 官 軍 の 先 鋒 となり 禄 高 1 万 石 の 格 式 で 子 分 百 余 人 を 皆 侍 に 仕 立 て 上 げ 羅 紗 服 に 軍 刀 鉄 砲 を 持 ち 肩 へ 錦 のひらひら を 付 けて 頭 に 長 い 髪 の 帽 子 を 冠 り 足 並 み 揃 えて 威 風 堂 々と 東 へ 下 っ た その 相 棒 となって 東 に 下 ったのは 新 門 の 辰 五 郎 であった 新 門 の 辰 五 郎 も 徳 川 15 代 公 のお 供 をして 大 阪 にいる 間 に 大 政 奉 還 27

15 の 政 変 に 遇 って 徳 川 15 代 公 は 紀 州 から 船 で 江 戸 へ 逃 げたので 自 分 は1OO 余 人 の 子 分 と 共 に 大 阪 へ 捨 てられて 手 も 足 も 出 ない 状 態 で 仕 方 なく 官 軍 に 成 って 東 へ 下 る 事 にしたのです 何 でも 良 いから 江 戸 へ 行 きさえすれば 良 いのですが 盗 みは 出 来 ず 乞 食 も 出 来 ず 悪 い 事 は 出 来 ないので 手 段 を 選 ばず 東 上 したのです 朝 士 と 偽 って 新 門 の 辰 五 郎 が 左 先 鋒 黒 駒 の 勝 藏 が 右 先 鋒 で 東 に 下 った 官 軍 の 先 鋒 は 順 次 各 藩 を 降 して 東 海 道 を 駿 府 へ 入 った 先 鋒 隊 早 くも 入 府 して 先 発 隊 は 伝 馬 町 の 御 本 陣 及 び 脇 本 陣 その 他 の 旅 篭 へお 着 きに 成 ったと 云 う 騒 ぎで 駿 府 の 町 は 大 騒 ぎで 有 ったと 云 います その 時 安 東 の 文 吉 は その 騒 ぎの 内 に 今 度 官 軍 が 東 へ 御 東 征 なさる 事 幕 府 側 にて 天 朝 様 の 昔 に 返 った 事 その 兵 隊 は 凱 旋 で 無 く 戎 服 だと の 事 など 聞 いて どんなものか 一 つ 見 て 来 ようと 子 分 は 連 れず 只 1 人 一 寸 した 地 味 な 成 りをして 伝 馬 町 へ 行 って 往 来 ( 街 路 )で 混 雑 に 紛 れて 群 衆 の 動 きを 見 物 していると そこへ 来 た 立 派 な 戎 服 は 金 の 飾 りの 付 い た 猩 々 緋 の 陣 羽 織 を 着 て 巾 広 の 錦 の 肩 章 を 付 けた 人 物 が 突 然 と 文 吉 に 向 かって ヘヘッと 頭 を 下 げた 安 東 の 文 吉 吃 驚 して 立 ち 止 まって 不 思 議 に 思 って その 人 を 見 てポカ ンとしていると その 人 が 安 東 の 親 分 ここでは 私 の 本 名 は 云 えぬ が 池 田 数 馬 と 申 すもので 伝 馬 町 の 脇 本 陣 で 後 刻 親 分 の 御 光 来 を 待 っています 必 ずお 尋 ね 下 さい と 云 って 行 ってしまった サテはと 思 って 見 送 ろうと 黒 駒 の 勝 藏 だ 然 らばと 云 って 安 東 の 文 吉 は 一 旦 宅 へ 帰 った 身 なりを 調 えて 伝 馬 町 の 脇 本 陣 へ 行 って 玄 関 から 案 内 をこうと 下 女 の 取 り 次 で 奥 から 飛 んで 出 て 来 た 黒 駒 の 勝 藏 玄 関 式 台 の 上 へ 両 手 を ついて ヘーと 頭 を 下 げた 背 後 について 来 た 黒 駒 の 子 分 が 吃 驚 した 未 だこの 歳 までオラー 親 分 が 人 に 頭 を 下 げた 事 を 見 たことがねー 俺 始 めて 見 た 日 本 中 に 俺 の 親 分 が 頭 を 下 げる 程 の 親 分 がいるかなー と 目 を 丸 くしていた 実 に 黒 駒 が 心 から 敬 服 して 頭 を 下 げたのは 安 東 の 文 吉 1 人 であったとの 事 です 黒 駒 の 勝 藏 が 先 に 立 って 案 内 して 奥 の 間 で 水 入 らずで 話 をしている 段 々と 話 しも 進 んで 次 郎 長 の 事 になると 先 年 の 厚 意 を 謝 し 礼 を 述 べ てから 黒 駒 昔 は 昔 で 今 では 次 郎 長 位 は 相 手 にしても 不 足 で 相 手 にな らん またそんな 者 を 今 何 とも 思 っていない ご 心 配 下 さるな 28 もう 喧 嘩 などしろと 云 ってもしません と 黒 駒 の 勝 藏 から 平 和 主 義 の 言 葉 が 出 たので 安 東 の 文 吉 が 喜 んで 文 吉 お 前 がそー 折 れて 出 て 穏 やかに 云 って 呉 れるので 何 より 嬉 しい 然 らば 清 水 の 次 郎 長 と 手 打 ちして 呉 れるか? と 云 うと 黒 駒 それは 今 も 云 う 通 り 何 も 根 に 葉 に 思 っていない ことに 安 東 の 親 分 の 御 取 り 扱 いでも 黒 駒 がどんな 事 でも 決 して 異 存 無 い と 云 ったので 然 らばと 云 って 使 いをやって 次 郎 長 を 迎 えにやると 次 郎 長 は 先 年 黒 駒 の 勝 蔵 に 追 われて 西 に 逃 げた 時 に 尾 張 から 伊 勢 へ 抜 けて 伊 勢 から 大 和 へ 出 て 大 和 から 四 国 辺 りを 回 って 暫 く 敵 の 気 を 抜 いてから 再 び 伊 勢 へ 舞 い 戻 って 様 子 を 伺 うと 今 度 ご 一 新 に 成 って 黒 駒 の 勝 蔵 が 池 田 数 馬 となって 官 軍 の 先 鋒 となり1 万 石 の 格 式 で 東 に 下 ると 知 って 是 非 とも 途 中 で 黒 駒 を 亡 き 者 にしょうと 謀 ったが 遂 に 手 の 出 しようが 無 く とうとう 伊 勢 の 四 日 市 から 駿 府 迄 黒 駒 の 跡 を 付 けて 来 て 丁 度 今 宅 へ 戻 ったばかり と 云 う 所 であった そこへ 安 東 から 使 いが 来 て 委 細 を 話 して 是 非 とも 今 度 手 打 ちにした いから 何 卒 伝 馬 町 の 脇 本 陣 迄 来 て 下 さい と 云 うと 次 郎 長 は 何 と 思 ったか とうとう 病 気 だと 云 って 出 て 来 ない 子 分 の 大 政 小 政 請 地 の 清 右 衛 門 の3 人 が 来 て 親 分 が 病 気 で 折 角 の 席 へ 出 られないから 私 共 3 人 が 代 わりに 来 ましたと 申 し 述 べると 黒 駒 の 勝 蔵 は 流 石 一 枚 方 上 手 であった それに 次 郎 長 の 行 動 は 注 意 しながら 四 日 市 から 今 日 迄 の 事 は 細 かに 知 っていた 故 に 清 水 の 次 郎 長 の 胸 中 は 黒 駒 の 勝 蔵 何 とも 思 っていない 清 水 から 来 た3 人 を 快 く 受 けた その 席 で 黒 駒 の 勝 蔵 安 東 の 文 吉 大 政 小 政 請 地 の 清 右 衛 門 と 列 席 して 首 尾 良 く 手 打 ちは 成 った そこで 永 年 覇 権 を 争 った 黒 駒 と 次 郎 長 との 争 いは 目 出 度 く 安 東 文 吉 の 計 らいで 和 解 と 成 ったので 両 雄 枕 を 高 くして 眠 る 事 が 出 来 るのでありました 黒 駒 の 勝 蔵 は その 翌 日 安 東 文 吉 に 別 れを 告 げて 威 風 堂 々と 東 へ 向 ったのです 文 吉 はその 時 5O 両 の 餞 別 を 渡 しました 29

16 [ 大 政 奉 還 後 ] 次 郎 長 資 料 による 慶 応 3 年 (1867) 1O 月 15 日 大 政 奉 還 慶 応 4 年 (1868)4 月 駿 府 町 奉 行 が 廃 止 され 浜 松 藩 にいた 伏 谷 如 水 が 駿 府 町 差 配 役 となり 駿 府 の 治 安 に 当 たります 伏 谷 如 水 が 次 郎 長 を 召 し 出 し 積 年 の 罪 科 を 免 ぜられ 帯 刀 を 許 されて 街 道 警 固 を 命 じられます 黒 駒 の 勝 蔵 が 池 田 数 馬 と 変 名 し 官 軍 先 鋒 となって 駿 府 に 来 る 見 抜 いた 次 郎 長 は 勝 蔵 の 江 尻 通 過 を 拒 む 七 月 浜 松 藩 に 帰 る 伏 谷 如 水 を 子 分 らと 送 る 江 戸 から 海 路 清 水 港 に 上 陸 した 旧 幕 臣 とその 家 族 ら 難 民 を 次 郎 長 は 炊 出 しなどで 救 護 する 9 月 4 日 年 号 [ 明 治 ] になる 9 月 18 日 幕 府 軍 艦 咸 臨 丸 清 水 港 内 で 官 軍 に 攻 撃 され 全 員 死 亡 港 内 に 浮 遊 する 幕 軍 の 死 体 を 次 郎 長 が 収 容 し 向 島 に 手 厚 く 葬 る 静 岡 藩 大 参 事 の 任 にあった 旧 幕 臣 の 山 岡 鉄 舟 大 いに 感 激 する 12 月 三 保 神 社 神 宮 太 田 健 太 郎 徳 川 浪 士 により 暗 殺 される 市 中 取 締 役 の 次 郎 長 はその 遺 族 を 救 護 し 治 安 に 当 たる 明 治 2 年 (1869)2 月 二 代 目 お 蝶 次 郎 長 三 河 に 行 っての 留 守 中 に 徳 川 浪 士 と 思 われる 小 暮 半 次 郎 に 白 昼 斬 殺 される 子 分 田 中 啓 次 郎 らが 犯 人 を 妙 音 寺 にて 討 取 る 山 岡 鉄 舟 [ 壮 士 之 墓 ] の 墓 碑 銘 を 揮 亳 (き ごう)する 幕 臣 杉 方 了 二 ( 後 の 初 代 統 計 局 長 官 ) 次 郎 長 と 会 い 三 保 の 塩 田 有 度 山 の 開 墾 など 移 住 士 族 の 今 後 の 道 を 探 る 12 月 新 門 辰 五 郎 が 廻 船 問 屋 松 本 屋 の 奥 座 敷 で 次 郎 長 と 会 い 徳 川 慶 喜 護 衛 役 を 依 頼 する 三 州 西 尾 の 藩 士 の 娘 を 三 代 目 お 蝶 としてめとる 版 籍 奉 還 で 駿 府 藩 を 静 岡 藩 と 改 める 明 治 3 年 (187O) 廃 藩 置 県 で 静 岡 県 が 誕 生 明 治 4 年 (1871) 1O 月 14 日 黒 駒 の 勝 蔵 甲 府 で 処 刑 される 明 治 6 年 (1873) 明 治 5 年 11 月 28 日 を 明 治 6 年 1 月 1 日 とする 太 陽 暦 が 施 行 される 明 治 7 年 (1874) 静 岡 県 から 二 千 円 の 助 成 金 を 受 け 向 島 の 囚 人 を 使 い 富 士 市 大 渕 の 開 墾 をはじめる 県 令 大 迫 貞 清 は 激 励 の 歌 を 贈 る 半 田 港 から 清 水 港 に 進 出 した 中 埜 盛 田 合 弁 による 酒 の 量 販 店 [ 中 泉 現 金 店 ] の 開 業 に 力 を 貸 す 幕 臣 村 上 正 局 が 明 治 5 年 (1872)に 発 見 した 相 良 油 田 を 山 岡 鉄 舟 の 義 弟 石 坂 周 造 が 事 業 化 次 郎 長 が 協 力 する 徳 川 慶 喜 の 家 臣 白 井 音 次 郎 が 向 島 ( 現 在 の 築 地 町 )の 土 地 2 万 坪 を 静 岡 県 から6O 円 にて 払 い 下 げを 受 ける 後 の 船 宿 [ 末 廣 ] の 場 所 警 察 3O 機 能 の 基 礎 が 出 来 上 る 明 治 8 年 (1875) 向 島 に 波 止 場 の 建 設 はじまる 清 水 港 は 巴 川 の 河 口 港 から 外 海 港 に 変 身 次 郎 長 は 廻 船 問 屋 経 営 者 たちに 蒸 汽 船 による 横 浜 港 との 定 期 航 路 開 設 を 説 く 明 治 9 年 (1876) 蒸 汽 船 靜 岡 丸 清 水 港 と 横 浜 港 に 就 航 靜 岡 茶 を 横 浜 に 運 ぶ 次 郎 長 は 頻 繁 に 横 浜 に 行 き 神 風 樓 に 宿 泊 横 浜 商 人 と 清 水 港 廻 船 問 屋 経 営 者 を 結 びつける この 頃 [これからの 若 い 者 は 英 語 を 知 らなきゃだめだ] と 幕 臣 新 井 幹 の 開 いた 私 塾 [ 明 徳 館 ] の 一 室 を 使 い 近 隣 の 青 年 を 集 め 英 語 塾 を 開 設 明 治 11 年 (1878) 波 止 場 の 建 造 港 橋 の 完 成 アメリカ 前 大 統 領 グ ラント 将 軍 来 港 次 郎 長 は 漁 師 達 を 集 め 投 網 を 披 露 11 月 山 岡 鉄 舟 が 戊 辰 戦 争 で 不 明 となった 父 母 妹 の 行 方 を 尋 ね 遍 歴 する 天 田 五 郎 を 次 郎 長 に 引 き 合 わせる 天 田 五 郎 は 次 郎 長 の 家 に 逗 留 して 次 郎 長 一 代 記 [ 東 海 遊 侠 伝 ] を 執 筆 次 郎 長 は 全 国 の 親 分 らに 手 紙 を 出 し 五 郎 の 父 母 妹 の 探 索 を 支 援 する [ 穴 太 徳 と 清 水 の 次 郎 長 との 和 解 ] 安 東 文 吉 伝 史 料 集 より 静 岡 県 庁 より 長 楽 寺 の 清 兵 衛 に 対 し 伊 勢 の 穴 太 徳 と 清 水 の 次 郎 長 との 和 解 は 出 来 ていましたが 子 分 等 が 兎 に 角 和 解 が 出 来 ず 所 々で 切 り 合 い 殺 傷 事 件 が 有 って 不 穏 なので 穴 太 徳 と 次 郎 長 との 和 解 方 を 内 々で 命 令 したのです 長 楽 寺 清 兵 衛 はあれかこれかと 人 選 しましたが 当 時 適 当 な 人 物 が 中 々 見 当 たりません そこで 甲 州 津 向 の 文 吉 に 交 渉 し て 津 向 の 文 吉 が 引 き 受 ける 事 になりました 長 楽 寺 清 兵 衛 は 津 向 の 文 吉 と2 人 で 浜 松 の 五 社 神 社 へ 次 郎 長 と 伊 勢 の 穴 太 徳 を 呼 んで 手 打 ちを 致 しました これにより 双 方 穏 やになり 始 めて 真 の 和 解 が 出 来 たと 喜 んだとの 事 です 時 に 明 治 11 年 (1878)だと 云 う 事 でした この 時 津 向 の 文 吉 長 楽 寺 の 清 兵 衛 の 子 分 合 わせて9O 余 人 が 槍 長 刀 竹 槍 等 を 荷 車 に 積 んで 上 に 大 根 や 人 参 や 蓮 根 などで その 武 器 を 隠 して 人 目 に 知 れぬように2 人 3 人 と 離 ればなれに 長 々と 列 を 作 って 東 海 道 を 西 へ 西 へと 進 んで 行 ったのです その 光 景 は 実 はぞっとする 様 な 凄 ごさで 有 った 様 です 津 向 の 文 吉 は 白 髪 頭 に 鉢 巻 きをして 尻 を 捲 って 先 頭 に 立 って 行 ったと 云 う 事 でした 31

17 [ 次 郎 長 賭 博 で 逮 捕 される] 次 郎 長 資 料 による 明 治 13 年 (188O) 横 浜 の 輸 出 商 静 岡 の 茶 商 清 水 港 の 廻 船 問 屋 の 三 者 の 共 同 出 資 により 静 隆 社 設 立 静 岡 丸 三 保 丸 が 就 航 次 郎 長 は 会 社 設 立 に 尽 力 茶 の 港 清 水 の 基 礎 を 築 く 明 治 14 年 (1881) 大 政 こと 山 本 政 五 郎 死 去 天 田 五 郎 再 び 清 水 に 来 て 次 郎 長 の 養 子 になり 山 本 五 郎 となって 大 渕 の 開 墾 を 任 されるが 開 墾 事 業 は 思 うように 進 まず 疲 労 から 肺 病 にかかる 明 治 17 年 (1884) 2 月 25 日 次 郎 長 こと 山 本 長 五 郎 博 徒 のいっ せい 刈 込 みにより 賭 博 で 江 尻 警 察 署 に 逮 捕 される 4 月 7 日 懲 役 7 年 罰 金 4OO 円 の 刑 になり 靜 岡 井 宮 監 獄 に 収 監 されます 天 田 愚 庵 ( 五 郎 ) 著 による [ 東 海 遊 侠 伝 一 名 次 郎 長 物 語 ] が 東 京 神 田 の 与 論 社 か ら 出 版 次 郎 長 伝 記 の 元 祖 となる 11 月 山 本 五 郎 は 開 墾 事 業 の 失 敗 や 博 徒 の 家 から 去 りたい 気 持 ちから 一 方 的 に 縁 組 を 解 消 し 清 水 を 離 れる 静 岡 県 令 奈 良 原 繁 転 任 関 口 隆 吉 就 任 する 明 治 18 年 (1885) 11 月 次 郎 長 こと 山 本 長 五 郎 特 赦 放 免 となる ( 収 監 期 間 1 年 8ヶ 月 ) 静 岡 県 令 関 口 隆 吉 は 山 岡 鉄 舟 とは 真 の 盟 友 で 次 郎 長 が 静 岡 市 井 宮 の 監 獄 に 服 役 中 に 山 岡 鉄 舟 と 工 作 して1 年 8ヶ 月 で 仮 釈 放 させたのものです また 関 口 隆 吉 は 釈 放 後 の 生 活 の 安 定 を 計 る ため 船 宿 [ 末 廣 ] を 開 業 させ 様 と 山 岡 鉄 舟 と 計 画 しました 関 口 隆 吉 と 次 郎 長 とは 一 面 識 も 無 かったのですが 山 岡 鉄 舟 の 言 を 信 じて 次 郎 長 のために 親 身 になって 面 倒 を 見 るのです 明 治 19 年 (1886) 向 島 ( 清 水 区 築 地 町 ) 波 止 場 の 白 井 音 次 郎 ( 徳 川 慶 喜 の 家 臣 )の 所 有 地 に 船 宿 [ 末 廣 ] を 開 業 開 業 披 露 のため 山 岡 鉄 舟 は4 本 の 扇 子 に 揮 亳 県 令 関 口 隆 吉 初 代 県 知 事 に 就 任 する 1887 明 治 2O 年 (1887) 4 月 17 日 興 津 清 見 寺 において 咸 臨 丸 殉 難 者 記 念 碑 の 除 幕 式 が 行 われる 碑 文 は 榎 本 武 揚 書 夜 [ 末 廣 ] にて 関 係 者 の 慰 労 会 が 行 なわれました 明 治 21 年 (1888) 山 岡 鉄 舟 死 去 次 郎 長 は 子 分 1OO 人 を 連 れ 旅 姿 にて 東 京 谷 中 の 全 生 庵 の 葬 儀 に 参 列 明 治 22 年 (1889) 静 岡 県 知 事 関 口 隆 吉 開 通 直 前 の 東 海 道 線 安 倍 川 鉄 橋 の 西 のカーブの 所 での 列 車 同 士 の 正 面 衝 突 で 死 去 しました 関 口 隆 吉 の 長 男 で 静 岡 中 学 生 の 新 村 出 ( 後 の 国 語 学 者 ) 相 原 安 次 郎 ( 旧 幕 臣 ) と 共 に 次 郎 長 を 訪 ねる 32 明 治 25 年 (1892) 山 田 長 政 顕 彰 碑 建 立 のため 駿 府 城 内 に 大 相 撲 興 行 を 催 す ( 赤 字 だったと 記 録 されている ) 明 治 26 年 (1893) 6 月 12 日 次 郎 長 風 邪 がもとで 死 去 梅 陰 寺 にて 葬 儀 参 列 者 は 3,OOO 人 を 超 えたと 云 う 法 名 は [ 碩 量 軒 雄 山 義 海 居 士 ] [ 山 岡 鉄 舟 の 事 ] 天 保 7 年 (1836)6 月 1O 日 江 戸 本 所 に 御 蔵 奉 行 小 野 朝 右 衛 門 高 福 の 4 男 として 生 まれる 母 は 塚 原 磯 女 飛 騨 代 官 となった 父 に 従 い 幼 少 時 を 飛 騨 高 山 で 過 ごす 書 家 で 弘 法 大 師 流 入 木 道 (じゅぼくどう) 51 世 の 岩 佐 一 亭 に 学 び 15の 歳 に52 世 を 受 け 継 ぐ 父 の 死 に 伴 い 江 戸 へ 出 る 安 政 2 年 (1855) 講 武 所 に 入 り 千 葉 周 作 について 北 辰 一 刀 流 の 剣 術 を 学 ぶ また 同 時 期 山 岡 静 山 に 槍 術 を 学 ぶ 静 山 急 死 のあと 静 山 の 実 弟 謙 三 郎 ( 高 橋 泥 舟 )らに 望 まれて 山 岡 家 の 養 子 となり 静 山 の 妹 英 子 と 結 婚 文 久 3 年 (1863) 浪 士 組 ( 新 撰 組 の 前 身 ) 取 締 役 となり 将 軍 徳 川 家 茂 の 先 供 として 京 都 に 上 るが 間 もなく 浪 士 を 引 き 連 れて 江 戸 に 帰 る 清 河 八 郎 は 同 志 であった 清 河 暗 殺 後 は 謹 慎 処 分 慶 応 4 年 (1868) 精 鋭 隊 歩 兵 頭 格 となる 江 戸 無 血 開 城 を 決 した 勝 海 舟 と 西 郷 隆 盛 の 会 談 に 先 立 ち 3 月 9 日 官 軍 の 駐 留 する 駿 府 にたどり 着 き 単 身 で 西 郷 と 面 会 このとき 官 軍 が 警 備 する 中 を [ 朝 敵 徳 川 慶 喜 家 来 山 岡 鉄 太 郎 まかり 通 る!] と 大 音 声 で 堂 々と 歩 行 していったという 西 郷 と の 談 判 において 江 戸 開 城 の 基 本 条 件 について 合 意 を 取 り 付 けることに 成 功 その 行 動 力 は 西 郷 隆 盛 をして 金 もいらぬ 名 誉 もいらぬ 命 も いらぬ 人 は 始 末 に 困 るが そのような 人 でなければ 天 下 の 偉 業 は 成 し 遂 げられない と 賞 賛 させた 3 月 日 の 勝 海 舟 と 西 郷 の 江 戸 城 開 城 の 最 終 会 談 にも 立 ち 会 った 5 月 若 年 寄 格 幹 事 となる 明 治 維 新 後 は 徳 川 家 達 に 従 い 静 岡 県 に 下 る 6 月 静 岡 藩 々 政 補 翼 となり 次 郎 長 と 意 気 投 合 壮 士 之 墓 を 揮 毫 して 与 えた 明 治 4 年 (1871) 廃 藩 置 県 に 伴 い 新 政 府 に 出 仕 静 岡 藩 権 大 参 事 茨 城 県 参 事 伊 万 里 県 令 を 歴 任 した 西 郷 のたっての 依 頼 により 明 治 5 年 (1872)に 宮 中 に 出 仕 し 1O 年 間 の 約 束 で 侍 従 として 明 治 天 皇 に 仕 える 侍 従 時 代 深 酒 をして 相 撲 をとろうとかかってきた 明 治 天 皇 をやり 過 ごして 諫 言 したり 明 治 6 年 に 皇 居 仮 宮 殿 が 炎 上 した 際 淀 橋 の 自 宅 からいち 早 く 駆 けつけたなど 剛 直 なエピソードが 知 られている 宮 内 大 丞 宮 内 33

18 小 輔 を 歴 任 した 明 治 15 年 (1882) 西 郷 との 約 束 通 り 致 仕 明 治 2O 年 5 月 24 日 功 績 により 子 爵 に 任 ぜられる 剣 禅 書 の 達 人 として 知 られ 剣 術 では 一 刀 正 伝 無 刀 流 ( 無 刀 流 ) を 起 こした 書 も 巧 みで 各 地 で 鉄 舟 の 書 が 散 見 される また 禅 において も 悟 りの 境 地 を 開 き 禅 道 の 弟 子 に 三 遊 亭 円 朝 らがいる 明 治 16 年 (1883) 維 新 に 殉 じた 人 々の 菩 提 を 弔 うため 東 京 都 台 東 区 谷 中 に 普 門 山 全 生 庵 を 建 立 した 明 治 21 年 (1888)7 月 19 日 胃 癌 のため 死 去 行 年 52 歳 全 生 庵 に 眠 る [ 安 東 文 吉 の 事 ] 駿 府 の 北 安 東 ( 現 在 静 岡 市 葵 区 安 東 )74 農 業 西 谷 伊 右 衛 門 の 子 で 文 化 5 年 (18O8) 正 月 生 まれ 幼 少 から 相 撲 を 好 み 江 戸 の 清 見 潟 の 門 に 入 り [ 芳 の 森 ] と 名 乗 り 3 段 目 まで 昇 ったのでした 弟 の 辰 五 郎 も [ 芳 の 川 ] と 云 って 相 撲 取 りをしました その 後 相 撲 を 止 め 安 東 に 帰 ってから 江 戸 の 力 士 で 怪 我 をしたり 病 気 になった 者 が 頼 って 来 ると 癒 るまで 家 に 置 いて 世 話 してやったり また 不 心 得 で 破 門 された 者 が 来 ると 説 諭 して 改 心 させ 帰 参 の 後 関 取 に 出 世 した 者 もありました 江 戸 の 相 撲 界 では これらを 徳 とし 場 所 中 は 文 吉 の 席 を 取 ってあり 彼 が 行 かなくてもその 席 を 空 席 にして 置 い たと 云 う 事 です 或 大 名 が [ 駿 府 の 文 吉 は 大 した 男 だなぁ] と 感 心 したほどだったそう です 当 時 は 幕 末 不 穏 の 時 代 で 駿 府 のお 役 所 は 文 吉 兄 弟 に 十 手 捕 縛 を 預 け 不 逞 の 徒 を 取 り 締 まらせました 駿 府 内 を 中 心 に 周 辺 がその 縄 張 りであったのです 子 分 の 盃 を 乞 う 者 も 多 かったのですが 品 行 が 良 くない 者 には 決 して 与 えず 多 くは 訓 戒 して 正 業 に 就 かせました 文 吉 は 常 に 子 分 を 戒 め [ 肩 をいからせて 道 を 行 くな 長 脇 差 しを 差 すな 喧 嘩 口 論 は 三 下 奴 や 旅 がらすの 長 脇 差 のするもので 侠 客 の する 事 ではない 賭 場 では 決 して 酒 を 飲 むな 賭 場 の 客 人 は 多 く 負 け 込 まぬ 内 に 意 見 して 早 く 帰 宅 させよ また 自 分 が 負 けた 時 には 卑 怯 な 真 似 はするな 道 路 を 歩 くには 横 見 をせず なお 自 分 に 逢 ってキマ リの 悪 い 人 とか 自 分 に 借 金 でも 有 って 都 合 の 悪 い 人 が 先 方 から 来 たら こちらから 道 を 避 け 先 方 に 恥 をかかせぬようにせよ] と 云 った 文 吉 はお 役 所 から 箱 根 新 居 の 関 所 手 形 を 出 す 事 を 許 されていたので 乞 え ば 重 罪 犯 人 にも 呉 れてやった 子 分 が 見 兼 ねて 注 意 すると [たとえどん 34 な 悪 人 でも 生 まれながらの 悪 人 ッて 者 はいない よんどころない 事 情 から 悪 事 をはたらくことになるんだ 思 えば 気 の 毒 だ 助 けてやれ] と 逃 がしてやった 彼 の 手 で 召 し 捕 った 者 は 罪 が 軽 くなるように 骨 折 ってや り 入 牢 の 者 にはツルにする 金 を 与 えた こうして 助 けられた 人 達 が 各 地 にいて もし 安 東 一 家 に 事 ある 時 には 一 命 を 捨 てても 恩 を 報 じよう と 思 っていた 様 です それ 故 文 吉 にたてつく 者 は1 人 もなかったし よしんば 文 吉 を 斬 ったとしても そいつの 首 は3 日 とくっついては 居 まいと 云 われていました 次 郎 長 も 若 い 時 文 吉 に 助 けられた 事 があって 駿 府 を 通 過 する 時 は 遠 慮 して 久 能 街 道 を 通 ったものだという こんな わけで 文 吉 は 日 本 一 の 大 侠 客 首 継 ぎ 親 分 と 云 われたのであります 文 吉 には 兄 弟 分 も 多 勢 あり 子 分 には 十 哲 十 力 士 安 倍 七 騎 六 花 選 二 十 八 人 衆 五 十 人 組 などがありました 文 吉 の 総 後 見 用 心 棒 の 小 泉 勝 三 郎 は 元 加 賀 前 田 候 の 御 指 南 番 で 軍 学 は 北 条 流 剣 は 新 道 無 念 流 柔 術 は 毘 沙 門 流 で のち 遠 州 相 良 の 田 沼 候 に 仕 えて 居 たが 相 良 の 富 五 郎 事 件 から 身 を 引 き 文 吉 の 食 客 になったのでありました 文 吉 の 大 捕 り 物 は 相 良 の 竹 屋 の 富 吉 の 所 へ 関 東 の 岩 五 郎 ら 百 余 名 が 13 艘 の 船 で 押 し 寄 せた 時 富 吉 らが 殿 様 の 幕 を 海 岸 に 張 って 対 抗 し 大 騒 動 を 起 こしたのを 召 し 捕 り また 名 古 屋 の 牢 を 破 った 小 鉄 と 同 類 の3 人 が 東 海 道 を 道 々 強 盗 殺 人 をやりながら 江 戸 に 入 り 甲 州 を 経 て 身 延 道 から 興 津 へ 出 て 俺 たちに 手 向 かうなら 死 人 の 山 を 築 いてやるぞ と 威 張 っていたのを 捕 縛 したのでした 安 東 文 吉 は 天 保 5 年 (1834)26 歳 の 時 知 り 合 いに 頼 まれて 当 時 巾 を 利 かせていた 炭 彦 親 分 に 借 金 を3 日 待 ってくれる 様 に 頼 み 受 け 入 れ られるのですが その 借 金 が 返 せず 西 草 深 に 於 いて 炭 彦 親 分 に 斬 り 付 けたのです その 後 この 炭 彦 親 分 は 逃 げ 行 方 が 解 らなくなり その 子 分 等 は 安 東 文 吉 の 子 分 になったとの 事 です 明 治 4 年 (1874) 静 岡 市 ( 葵 区 ) 御 器 屋 町 の 自 宅 で 没 した 行 年 64 歳 35

19 [あと 書 き] 世 の 中 に 良 いやくざなんて 存 在 しません しかし 徳 川 幕 府 は 財 政 上 の 関 係 から やくざに [2 足 の 草 鞋 ] の 制 度 をとったのです これは 給 金 を 払 わず 十 手 を 持 たせ 経 費 は 自 分 の 賭 場 からの 利 益 で 運 用 されていた のです 十 手 を 預 かったやくざの 親 分 は まじめに 運 営 しませんと 自 分 にとって とんでもない 事 が 起 きますから 1 部 の 不 真 面 目 な 親 分 を 除 き 大 部 分 は 正 常 に 運 用 されました ( 無 給 の 民 間 警 察 の 様 なものです) 江 戸 時 代 でも 賭 博 は 建 前 は 禁 止 でしたが 取 り 締 まる 側 と 取 り 締 まら れる 側 が 同 一 では 禁 止 令 は 無 いものと 同 じでした 静 岡 ( 駿 河 )では 安 東 文 吉 (18O8-71) が 駿 府 の 役 所 から 十 手 を 預 かっていて 三 島 から 大 井 川 までの 広 範 囲 の 縄 張 りを 持 っていました しかし 次 郎 長 の 様 な 縄 張 りを 持 たないやくざは 地 元 では 手 も 足 も 出 ませんから 旅 から 旅 へ 稼 ぎに 行 かねば 成 らなかったのです 安 東 文 吉 の 事 を 静 岡 の 人 に 尋 ねても 知 らない 人 が 大 部 分 で やくざ の 事 など 興 味 もなく 江 戸 時 代 の 末 期 に 静 岡 に 大 親 分 がいた 事 など 何 の 関 心 もない 事 で そこが 清 水 と 違 う 処 です 清 水 からは 次 郎 長 以 外 に 大 した 人 材 が 出 ていない 為 でしょうか? 清 水 の 人 達 は 次 郎 長 に[さん] を 付 けて [ 次 郎 長 さん] と 言 うのです 徳 川 幕 府 から 新 政 権 になっても 現 在 の 警 察 制 度 の 整 備 はされていま せんでした 浜 松 にいた 伏 谷 如 水 が 駿 府 にやって 来 て 次 郎 長 に 街 道 警 固 の 役 を 命 じるのです 始 めて2 足 の 草 鞋 を 履 く 事 になるのです しかし 賭 博 をやめれば 収 入 源 を 無 くす 事 になりどうしても 賭 博 から 足 を 洗 う 事 が 出 来 ませんでした 明 治 11 年 の 穴 太 徳 と 次 郎 長 との 和 解 で 分 かる 通 り 子 分 らは 暴 力 的 行 為 をやめていなかった 事 が 分 かりま す 明 治 17 年 (1884)2 月 25 日 次 郎 長 は 賭 博 で 江 尻 警 察 署 に 逮 捕 され 懲 役 7 年 罰 金 4OO 円 の 刑 になり 現 在 の 静 岡 市 葵 区 井 宮 に 有 った 静 岡 監 獄 ( 現 在 の 静 岡 ホームの 所 )に 収 監 されるのです この 事 は 次 郎 長 の 徳 川 政 権 時 代 の 罪 を 問 われているのでは 無 く あ くまで 明 治 の17 年 間 の 悪 事 の 刑 罰 なのです 罰 金 4OO 円 は 兎 も 角 懲 役 7 年 は 決 して 軽 い 刑 では 有 りません 次 郎 長 の 後 ろ 盾 である 静 岡 に 於 ける 黒 幕 的 存 在 の 山 岡 鉄 舟 などが 何 と か 釈 放 される 様 に 尽 力 するのですが 時 の 県 令 が 薩 摩 出 身 の 奈 良 原 繁 で 有 った 為 正 直 馬 が 合 いませんでしたので 釈 放 の 依 頼 は 出 来 ませんで 36 した しかし 翌 明 治 18 年 になり 山 岡 鉄 舟 の 親 友 である 関 口 隆 吉 が 静 岡 県 令 ( 初 代 知 事 となる)として 赴 任 して 来 るのです すぐに 山 岡 鉄 舟 は 関 口 隆 吉 に 対 し 次 郎 長 の 釈 放 を 依 頼 すのでした 関 口 隆 吉 は 次 郎 長 と 何 の 面 識 も 有 りませんでしたが 山 岡 が 言 うのならばと 特 権 で 次 郎 長 を 釈 放 してしまうのでした 明 治 21 年 (1888) 山 岡 鉄 舟 が 死 去 し 明 治 22 年 には 関 口 隆 吉 が 列 車 事 故 で 亡 くなりました 山 岡 鉄 舟 の 葬 儀 には まるでやくざの 葬 式 では 無 いかと 思 わせる 次 郎 長 以 下 武 州 高 萩 の 万 次 郎 甲 州 津 向 の 文 吉 小 金 井 の 小 次 郎 など 博 徒 2OO 人 が 列 席 したと 言 われています 山 岡 と 関 口 が 続 けて 亡 くなっています これは 彼 らが 不 当 に 権 力 を 行 使 した 罰 が 当 たったのでは 無 いかと 考 えるのは 私 だけでしょうか 裁 判 で 検 事 側 と 弁 護 側 の 云 い 分 が 見 方 によって18O 度 違 って 来 るの と 同 じように 次 郎 長 が 善 い 人 だったか 悪 い 人 だったかは 見 方 によっ て 違 って 来 ます 清 水 の 人 達 はどうしても 善 い 人 として 祀 り 上 げたい のです そこで 次 郎 長 を 検 証 してみます 明 治 以 前 に 彼 が 善 人 だとは 云 う 人 は 誰 もいません 明 治 以 後 唯 一 の 功 績 が 咸 臨 丸 の 事 件 の 死 体 収 容 の 事 です 明 治 になってすぐの 9 月 18 日 幕 府 軍 艦 咸 臨 丸 の 事 件 で 清 水 港 内 で 官 軍 に 攻 撃 されて 全 員 死 亡 した 港 内 に 浮 遊 する 幕 軍 の 死 体 を 次 郎 長 が 収 容 し 向 島 に 手 厚 く 葬 った 事 は 誰 にも 出 来 る 事 では 無 く 彼 の 唯 一 の 功 績 だと 思 います 他 の 事 についての 検 証 で 富 士 市 大 渕 の 開 拓 です 当 時 静 岡 県 では 開 拓 計 画 をたてました 少 し 前 ペルーが 浦 賀 にや ってくる 事 で 大 騒 ぎした 時 に 江 戸 防 衛 の 為 に 幕 府 は 急 遽 東 京 湾 に 台 場 の 建 設 に 取 り 掛 かります 引 き 受 けた 韮 山 の 代 官 江 川 太 郎 左 衛 門 は 地 元 のやくざである 大 場 の 久 八 にやらせたのですが これはやくざの 親 分 が 人 足 を 集 めるのに 適 任 だったからで 同 じように 大 渕 の 開 拓 も や くざの 親 分 で 有 る 次 郎 長 にやらせる 事 が 適 当 と 考 えたからでしょう し かも 人 足 に 囚 人 を 使 う 条 件 でした ですから 次 郎 長 が 適 任 で 有 った 事 は 認 めます しかし 県 の 予 算 は2OOO 円 で 囚 人 達 の 人 件 費 は 掛 から ず 儲 かる 仕 事 で 有 ったと 思 われます 例 えば 静 岡 空 港 を 作 る 場 合 出 来 てから 静 岡 空 港 は 誰 が 作 ったかを 考 えて 見 て 下 さい 誰 もが 何 々 建 設 とかの 工 事 を 引 き 受 けた 会 社 名 を 言 う 人 は 有 りません あれは 静 岡 県 が 作 ったと 云 います それと 同 じで 清 水 37

20 次 郎 長 が 引 き 受 けた 事 は 事 実 ですが やはり 県 の 仕 事 という 事 に 成 りま す 何 も 次 郎 長 が 計 画 し 自 分 の 資 金 でやったのでは 無 いのですから 清 水 港 の 拡 張 工 事 にしても 次 郎 長 がしたのでは 無 く やはり 県 の 計 画 に 基 づいて 行 われ 事 で 多 少 の 意 見 は 認 めたとしても では 次 郎 長 以 外 の 清 水 の 人 達 は 何 をしていたのですか? 次 郎 長 だけが 口 を 出 したの ではなく いろいろの 人 達 からいろいろの 意 見 を 聞 いたと 思 います 明 治 9 年 に 英 語 塾 を 始 めた 事 になっていますが 事 業 家 であった 事 は 認 めます 船 宿 [ 末 廣 ] を 開 業 する この 事 はご 自 分 で 何 をやろうと 勝 手 な 事 で 他 人 がとやかく 言 う 事 は 有 りません しかし これは 山 岡 鉄 舟 らが 計 画 したもので その 土 地 は 徳 川 慶 喜 の 関 係 者 の 白 井 音 次 郎 がとてつもな く 安 い 2 万 坪 を 静 岡 県 から6O 円 で 手 に 入 れた 場 所 で 次 郎 長 がご 自 分 で 計 画 してやったとはどうしても 思 えないのです 次 郎 長 は 作 られたヒーローで やくざ 映 画 や 浪 曲 の 主 人 公 なのです 静 岡 市 清 水 区 の 町 おこしに 利 用 するのは 千 葉 県 の 東 庄 町 など 上 総 では [ 天 保 水 滸 伝 ] 保 存 会 などで 町 おこしをやっているのと 同 じで まあそ れはそれで 良 いでしょう [ 東 海 遊 侠 伝 ] でお 馴 染 みの 清 水 で 良 いので す 次 郎 長 は 偉 かったなんて 滑 稽 で 余 分 な 事 です 国 定 忠 治 は 最 後 に 磔 (はりつけ)に 成 りました 竹 居 安 五 郎 は 捕 らえ られ 獄 中 死 しました 黒 駒 の 勝 蔵 は 甲 府 市 の 山 崎 刑 場 で 斬 首 になってい ます 津 向 の 文 吉 は2O 年 も 八 丈 島 に 島 流 しにあっています 彼 らと 同 類 の 次 郎 長 とは 人 生 において 天 と 地 の 如 くの 違 いが 有 ります [ 東 海 遊 侠 伝 ] 書 かれている 事 は 次 郎 長 側 から 見 て 都 合 の 良 いように 記 録 されていて 例 えば 石 松 の 最 後 は 物 語 としては 良 く 出 来 ています しかし 安 東 文 吉 の 資 料 では 都 田 の 吉 兵 衛 の 池 新 田 の 賭 場 を 石 松 等 が 二 度 に 渡 って 荒 らし そのその 時 の 傷 が 元 で 死 んだ 事 になっています 裏 の 世 界 から 表 の 世 界 に 出 してしまった 為 に 次 郎 長 があたかも 良 いこ とをした 人 間 の 様 に 云 われている 事 が 残 念 に 思 います 安 東 文 吉 にしても 清 水 次 郎 長 にしても 所 詮 やくざに 変 わりは 有 りませ ん 時 代 が 違 いますが やくざ 物 と 言 うか 股 旅 物 の 話 は 面 白 いのです が 私 とすればこの 様 な 生 き 方 は 出 来 ません 38 大 久 保 誠 略 歴 昭 和 13 年 (1938) 静 岡 市 に 生 まれ 静 岡 市 葵 区 在 住 昭 和 31 年 (1956) 静 岡 県 立 静 岡 工 業 高 校 工 業 化 学 科 卒 業 昭 和 35 年 (196O) 大 久 保 テレビジョンサービス 開 業 昭 和 41 年 (1966) アマチュア 無 線 局 JA2JSF 開 局 安 東 文 吉 と 清 水 次 郎 長 編 集 者 : 大 久 保 誠 平 成 23 年 (2O11)3 月 23 日 発 行 Mac 細 丸 ゴシック 使 用

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