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としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

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3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

牧会の祈り

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

Microsoft Word - ◎中高科

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

聖書に聞く会 ( 第 2 回 ) マルコによる福音書 1 章 1-8 節 2014 年 5 月 8 日 古本靖久 1 聖歌 60 番 ヨルダンのほとりヨハネはさけべり 2 お祈り 3 テキストの位置 今日の箇所はマルコ福音書のはじめの部分であり この福音書は何について書くのか決定づける所です 特に

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

牧会の祈り

牧会の祈り

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

Microsoft Word - NT-MAT

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

集会祈願全能永遠の神よ ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ 愛する子であることを示してくださいました 洗礼によって新たに生まれ あなたの子どもとされたわたしたちが いつもみ心に従うことができますように 聖霊の交わりの中で あなたとともに世々に行き 支配しておられるみ子 わたしたち

Microsoft Word - N-Mar GH-“霊”がイエスに降る

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

創世記5 創世記2章4節b~25

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

の詩や歌があるかもしれません もちろん 賛美歌が挿入されることもあります しかし ほとんど の場合 礼拝のこの部分は 信経または信仰の宣言をそのクライマックスとして持つことが適切です 準備言葉の典礼が明らかになると それに対する準備とそれに対する祈りの反応がどのように適合しているかが分かりやすくなり

創世記5 創世記2章4節b~25

夢を超えたもの_Culture A.indd

牧会の祈り

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

り そして キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである 1:2 ヨハネは 神の言葉とイエス キリストの証し すなわち 自分の見たすべてのことを証しした 1:3 この預言の言葉を朗読する人と これを聞いて 中に記されたことを守る人たちとは幸いである 時が迫っているからである 1:4-

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

ることができない信仰の弱い者 もう言葉にならないようなうめきや渇きや絶望を心に抱えている それで苦しんでいる そこで倒れようとしている そういう者のそばに すっと入ってきてくださって 今隣に座っていい? と やさしく 具体的に 一緒に座ってくださって 私に寄りかかってきなよ と 私に頼っていいよ と

3 章 蝮の裔よ ( ルカ 3:7~14) ルカ福音書講義 (15) そこで 彼から洗礼を受けよう 1) として出て来た民衆 2) に彼は言った 3) 蝮 の裔よ 4) 誰があなた方に 来るべき怒り 5) から逃れるように教えたのか 8 さ あ 悔い改め 6) にふさわしい

全国担当者2009 プレゼン資料

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

Microsoft Word - MBF_1John_01.docx

ここで 私たちの人生の旅路を思い起こすならば 荒れ野 とはまさに私たちの人生そのものだと言えましょう より正確に言えば 人生の旅路の中で さまざまな出来事や事件が起こり 私たちはしばしば困難な状況に置かれることがあり その点で 私たちは荒れ野時代を避けることが出来ないのです もちろん 人生がただ荒れ

Microsoft Word - MBF_1John_03.docx

ダニエル書は終末についてどのように語っているか No.2 御使いガブリエルが告げた 七十週 の預言 聖書箇所 9 章 20 節 ~27 節 はじめに 前回はダニエル書 2 章から バビロンの王ネブカデネザルの見た正夢に ついて学びました その正夢は終わりの日に起こることを示されたものでした ダニエル

付録6(聖歌案2011年A年).indd

とは言えないような気がします 弟子達もすぐには主の復活を信じることが出来ない人達だったのです この人達はどうして主の復活を信じるようになったのでしょうか この最初の弟子達の証言によってイースターのメッセージが全世界に告げられていったことは事実です それだけにこの最初の弟子達が復活の信仰を持つようにな

Taro-主日礼拝順序

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

牧会の祈り

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

これは Der Heidelberger Katechismus ハイデルベルク信仰問答 の全訳です 翻訳にあたり 以下の書物を参考にしました Otto Weber: Der Heidelberger Katechismus, Auflage( Tsd.)1990 Güte

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

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Taro .01元旦礼拝

: 目次 : P3 Part1 聖書とは? P4 Part2 神とは? 1 唯一の神 P5 P10 2 イエス キリスト 3 聖霊 P14 4 唯一の神の本質とは? P16 Part3 救いとは? 1 救いをもたらす力 P18 P21 2 救われる ( 義とされる ) 条件 3 信仰と行い この冊子

ヘブル人への手紙1章

B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

Microsoft Word - Pastors_no_furi.doc

られました このエルサレムとサマリアでの出来事については 山下先生が 元旦礼拝と先週の礼拝で メッセージを取り次いで下さいました [1] 王の役人への対応さて今日は カナで行われた二回目の奇跡です カファルナウムの町からヘロデ王の役人が訪ねて来ました 歩いて一日以上もかかる距離です それでもはるばる

Microsoft Word - N-Mar GH-神の子を神が見捨てた!

5 節ごとに 洗礼者ヨハネ 殺される 6:14-15 ( そして ) イエス ( 彼 ) の名が知れ渡ったので ヘロデ王の耳にも入った 人々は言っていた 洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ だから 奇跡を行う力が彼 ( のうち ) に働いている そのほかにも 彼はエリヤだ と言う人もいれば 昔

付録6(聖歌案2013年).indd

Microsoft Word - G229A-一人の人から空の星のように

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

《 耕地を開拓せよ 》 羽石兄  ‘05

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

礼拝の恵み 牧師チャールズ フレドリクソン どうして クリスチャンは日曜日に礼拝するの? 多くのクリスチャンやまだクリスチャンではない人たちも この疑問を持っています そもそも 聖書時代には 今日でもそうなのですが 安息日を守るという律法がありました 安息日は 金曜日の夜から土曜日の日没までの一日で


お話 文芸思潮

受胎告知 ( ルカ 1:26-38) ルカ福音書講義 (3) か月目 1 に み使いガブリエルが神からナザレ 2 という名のガリラヤの町に遣わされた 27 ダビデの家の出 3 でヨセフという名の男と婚約中 4 のおとめのもとにである おとめの名はマリヤ 5 といった

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07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

                 

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2016 年 2 月 14 日川越教会 すべての民と共に 加藤享 [ 聖書 ] ローマの信徒への手紙 15 章 7~13 節だから 神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように あなたがたも互いに相手を受け入れなさい わたしは言う キリストは神の真実を現すために 割礼ある者たちに

2

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2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

4きょう取り上げる 3~5のパターンは ユダヤ的に解釈する必要がある 5イエス時代のユダヤ教のラビたちの旧約聖書引用法 * 直接引用とその成就 * その箇所の解釈ではなく 適用である * きょうの3~5 のパターンは すべて適用である 6マタイは 5 つの引用によってイエスのメシア性を証明しようとし

さまいイエス様は生きておられる! ふくいんしょしょうふくいんしょしょうふくいんしょマタイによる福音書 28 章とマルコによる福音書 16 章とルカによる福音書 24 章ふくいんしょしょうかはなしさいわヨハネによる福音書 20 章に書かれているお話の再話 しょうと せいしょものがたり ミニ聖書物語 フ

何度もふるいにかけて 麦の実とごみとを分けるように 信仰が本物かどうかを何度も試される 父なる神さまのお許しのなかで サタンの激しい攻撃が始まる この時 もしかしたら 誰が一番偉いか 誰が一番大きいかという争論で ペテロがやはり一番だろうと 弟子たちもペテロ自身を自他共に思っていたのかも知れません

Microsoft Word - WTBT_Japanese.doc

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

조용기목사님 설교-일본어 번역

Transcription:

2012/01/15 B 年主の洗礼日礼拝説教題 : 天が裂ける 09D-905 伊藤節彦 イザヤ 42:1~7 使徒 10:34~38 マルコ 1:9~11 1:9 そのころ イエスはガリラヤのナザレからイエスはガリラヤのナザレから来て ヨルダンヨルダン川でヨハネからでヨハネから洗礼洗礼を受けられた 1:10 水の中からから上がるとすぐがるとすぐ 天が裂けて 霊 が鳩のようにのように御自分御自分に降ってって来るのを 御覧御覧になったになった :11 すると あなたはわたしのあなたはわたしの愛するする子 わたしのわたしの心に適う者 というという声が 天から聞こえたこえた

私達の父なる神と主イエス キリストから恵みと平安とが 皆様お一人お一人の上にありますように アーメン 起 本日は顕現節第 2 主日でありますが 主イエスの洗礼を記念する日でもあります 顕現とは 隠されていたものが公に顕わにされるということであり 元来は神の御子が肉体をとって人となられたクリスマスを意味しておりました ですから東方教会では 現在でも 1 月 6 日の顕現日をクリスマスとしてお祝いしております 一方 西方教会ではクリスマスを ローマ帝国の冬至の祭りであった 12 月 25 日に定めましたので この間の十二日間を降誕節とも呼び クリスマス飾りもこの間はそのまま飾っておくわけです また シェークスピアの 十二夜 という作品名も クリスマスから十二日目の顕現日のことを意味しております そういう事情もあり 教会では次第にクリスマスと主の公現を区別して扱うようになりました 伝統的に 顕現節で読まれる福音書は三箇所あります 一つは先週のテキストでもありました 東の博士達 これは異邦人へ救いが初めて知らされたからです そして本日の 主の洗礼 です マルコは主イエスの登場を この洗礼の記事をもって始めています そして それはこれからお話ししますようにとても重要な意味を持っておりました 最後が カナの婚宴 です これはヨハネ福音書において主イエスがなされた最初の奇跡であったからです ですから 顕現節の典礼色は通常緑ですが この三箇所だけは神の栄光を表す白を用いているのです 今 白は栄光を表すと申しましたが 主イエスが罪人の一人として洗礼をお受けになった姿は 栄光とはほど遠い光景には見えないでしょうか 王の中の王 主の中の主であるお方が 宮殿における戴冠式を行う訳でもなく 旧約の王や預言者達が油を注がれたようにかぐわしい香りに包まれてでもなく 荒れ野でただ水の中に全身を沈められるという 何の変哲もない洗礼を通して 主イエスはその公生涯をお始めになったのであります 承 降誕物語を描かなかったマルコは このように いきなり読者をヨルダン川へと連れて行きます そこに描かれているのは 罪の赦しを求める罪人達の姿であります まるで ここに 福音のはじめ がある とマルコが語っているかのようです マルコにとって福音のはじめとは ベツレヘムでの夢物語ではなく 罪の赦しを求める罪人達と連帯される神の御子の姿にあったのです しかし それほど重要な場面でありながら マルコは主イエスの受洗を最も簡潔に たった三節だけで記すのであります 主イエスが洗礼をお受けになったヨルダン川 このヨルダン川の特徴をご存じでしょうか? それは 世界中の川の中で 最も低い所を流れる川だということです ヨルダン川はガリラヤ湖と死海を結ぶ川であります そしてこの死海は 海抜 -400m という驚くべき低地にあります ですから死海に流れ込んだヨルダン川の水は そこから海に流れ出ることも 1/4

なく やがて干上がって行きます そのため塩分が高くなり 生物が住めない死の湖となったのです つまり 罪人たちが悔い改めの洗礼を受けた川 そして 主イエスが罪人たちの列にお並びになって洗礼をお受けになったヨルダン川は 世界で最も低いところを流れる川であり その行きつく先は 生き物が生きていくことのできない死の海でありました その 低さが極まり 死に最も近いところで 主イエスは罪人の一人となることで私たちと出会われるのであります 主イエスの洗礼とは 罪の淵に沈まんとする最も低く深い所に 神御自身が立って下さった瞬間であったのです ところで 洗礼者ヨハネは先に 自分よりも優れた方が 後から来られる 自分はその方の履物の紐を解く値打ちもない と語りました ここでヨハネが語る 優れた という意味は 比較にならないほど卓越しているという文字通りの意味であります しかし 私はこの文字を見る時に 太宰治の言葉を思い出すのです 太宰は友人に宛てた手紙で次の様に語ります 私は優という字を考えます これは優れるという字で 優良可なんていうし 優勝なんていうけど でももう一つ読み方があるでしょう? 優しいとも読みます そうしてこの字をよく見ると 人偏に 憂ふと書いています 人を憂へる 人の寂しさ侘しさ つらさに敏感な事 これが優しさであり また人間として一番優れている事じゃないかしら 太宰は この優しさというものを大切にした作家でした そして その優しさの究極の姿を 聖書の中のイエスに見出していました 本日の旧約の日課は イザヤ 42 章の 主の僕の召命 と呼ばれる箇所が選ばれています そこで主なる神は 自ら選んだ僕は 叫ばず 呼ばわらず 声を巷に響かせず 傷ついた葦を折ることなく 暗くなっていく灯心を消すこと のない者である と語ります 太宰が語った 人を憂へる 人の寂しさ侘しさ つらさに敏感な事 それを優しさと呼ぶならば 正に主イエスこそはその人なのであります 罪と死の深い淵から救いを叫び求める人々を 上から見下ろして ああ 可哀想に と語られるのではないのです 自らをその悲惨さと絶望の淵の中に置き その呻きと叫びをご自身のものとして下さったのです 先週の説教で私は 私たちが神様に近づくのではない 神様が私たちの下へと近づいて下さった それがクリスマスの出来事です と申しました 主の洗礼とは正に そのことを私達に示しているのです 洗礼を受けて清められてこちらからあちら側の主の許に行くのではない 罪を犯されたことがないにも拘わらず 主ご自身が 私たちと共に洗礼をお受けになった それはあちら側からこちら側へ来られ 私達の罪の汚れを共に負い 共にこの罪の人生を生きて下さろうと決意された神の愛の姿であります 転 2/4

しかし 主イエスの優しさは 太宰のように柔なものではありませんでした 弱さの中でずぶずぶと溺れるだけの人情話ではないのです 太宰はその優しさの故に 心中自殺を 致しました しかし 主イエスの死は 神の怒りと愛の狭間で起きた神の痛みの出来事でありました 十字架というのは 罪を憎んで赦さない神の怒りである横棒と そのような罪人を愛してやまない神の愛である縦の棒とが交わった出来事に他なりません この十字架の姿を マルコは主イエスの洗礼の中に既に見ているのであります 10 節で主イエスは洗礼を受けた後 水の中から上がられると 天が裂けて 霊 が鳩のように御自分に降ってくるのを ご覧になった とあります 天が裂ける なんと激しい言葉でしょうか この言葉はイザヤ 63:19 にあります どうか 天を裂いて降ってください という叫びと重なります この言葉が語られたのは 真に暗澹たる闇の時代でした 天が黒雲に覆われ 光が 希望が見えない そんな時代でした 天が見えない それは神が見えないということです 神の御業が見えない 御言葉が聞こえないのです 3 月 11 日を経験した私達も 同じような思いに打ちひしがれています そのような私達の叫びを主は聴きたもう そして このような希望の見えない闇の世に 真の光りであるお方をお遣わし下さったのです 天が裂ける この 裂ける という言葉を マルコはもう一箇所で用います それは主イエスが十字架上で叫び声をあげて絶命された午後三時の出来事です 15:38 には その様子を すると 神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた とあります 神殿の垂れ幕 それは何を意味していたでしょうか 神殿の中の本殿の部分には聖所が置かれましたが 聖所の中でも更に奥の部分には至聖所が置かれました そして聖所と至聖所は垂れ幕によって隔てられていました この至聖所には大祭司が年に一度だけ入ることが出来る場所であったのです この垂れ幕が意味しているのは 罪人である私達は 聖なる神の御前から隔てられている その断絶を表しているのです 罪を犯す前の人間は アダムとエヴァのように神様と顔と顔を会わせることが出来る関係でした 主イエスの十字架とは もう一度神様の御前に私達が直接出ることが許される そのような和解の出来事であったのです ヘブライ人への手紙 10:19~20 には わたしたちは イエスの血によって聖所に入れると確信しています イエスは 垂れ幕 つまり御自分の肉を通って 新しい生きた道をわたしたちのために開いて下さった とある通りなのです 結 ある説教者は 主イエスとはどのようなお方であったかと問い その答えを 私と同じように洗礼を受けられた方 であり 自分が罪人であるということを 誰よりも考えられたお方であると語るのです そして 次の様に語ります おそらく 私ども信仰者の一番の問題はどこにあるかというと 信仰があるかないかというようなことではないのです すぐに疑いの心が生まれるかどうかということではないのです 自らの罪を深く知ることがいつも足りない ということであります だから 信仰がぐらつくのであります だか 3/4

ら 信仰生活がいい加減になるのです ルターもまた次の様に語っております 良い行いとは すべて十戒の中に記されている しかし 私達は自分の力や努力によっては これを行うことができないので絶望する そして絶望して 主イエス キリストに依り頼まざるをえなくなり 私達はキリストに来るのである そのように弱く 罪にまみれ 苦しんでいる私達のために 主イエスは 洗礼を受けて 神への従順と遜りを示して下さったのである と 主イエスとは誰か 最も罪というものに真剣に向き合われた方 それ故に 私と同じように洗礼を受けられた方 そう知った時に 私達は洗礼こそが信仰の原点であり 恵みの証しであることが分かるのです あなたはわたしの愛する子 わたしの心に適う者 という天からの声は 主イエスだけでなく 主イエスを信じて洗礼を受ける全ての者に語りかけて下さる父なる神の声であります だからこそルターは 絶えず恵みの原点へと立ち帰る意味で キリスト者の生涯は悔い改めの生涯であると語るのであります 人知ではとうてい測り知ることの出来ない神の平安が あなたがたの心と思いとを キリスト イエスにあって守るように アーメン以上本文 4,074 字 4/4