としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

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神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

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集会祈願全能永遠の神よ ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ 愛する子であることを示してくださいました 洗礼によって新たに生まれ あなたの子どもとされたわたしたちが いつもみ心に従うことができますように 聖霊の交わりの中で あなたとともに世々に行き 支配しておられるみ子 わたしたち

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

牧会の祈り

聖書に聞く会 ( 第 2 回 ) マルコによる福音書 1 章 1-8 節 2014 年 5 月 8 日 古本靖久 1 聖歌 60 番 ヨルダンのほとりヨハネはさけべり 2 お祈り 3 テキストの位置 今日の箇所はマルコ福音書のはじめの部分であり この福音書は何について書くのか決定づける所です 特に

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

牧会の祈り

牧会の祈り

創世記5 創世記2章4節b~25

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2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

創世記5 創世記2章4節b~25

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

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(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

集会祈願いつくしみ豊かな神よ あなたの栄光の輝きはすべての人を照らし 悲しみを喜びへと変えてくださいます 救いの道に招かれたわたしたちが キリストと一つに結ばれる日まで あなたの愛のうちに歩み続けることができますように 聖霊の交わりの中で あなたとともに世々に生き 支配しておられるみ子 わたしたちの

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

夢を超えたもの_Culture A.indd

られました このエルサレムとサマリアでの出来事については 山下先生が 元旦礼拝と先週の礼拝で メッセージを取り次いで下さいました [1] 王の役人への対応さて今日は カナで行われた二回目の奇跡です カファルナウムの町からヘロデ王の役人が訪ねて来ました 歩いて一日以上もかかる距離です それでもはるばる

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

牧会の祈り

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

存在する 弟子訓練は 人が思考 感情 行動において よりキリストに似た者となることを手助けするプロセスである このプロセスは 人が新しく生まれたときから始まり 残る生涯中続くものである このキリストを わたしたちは宣べ伝えており すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように 知恵を尽くしてすべ

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よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

の詩や歌があるかもしれません もちろん 賛美歌が挿入されることもあります しかし ほとんど の場合 礼拝のこの部分は 信経または信仰の宣言をそのクライマックスとして持つことが適切です 準備言葉の典礼が明らかになると それに対する準備とそれに対する祈りの反応がどのように適合しているかが分かりやすくなり

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

ここで 私たちの人生の旅路を思い起こすならば 荒れ野 とはまさに私たちの人生そのものだと言えましょう より正確に言えば 人生の旅路の中で さまざまな出来事や事件が起こり 私たちはしばしば困難な状況に置かれることがあり その点で 私たちは荒れ野時代を避けることが出来ないのです もちろん 人生がただ荒れ

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

て 屈辱的な捕囚生活を送っていた時期に書かれた文書と言われています 彼らは 民族存亡の危機の中で この世界が神によって創造された時にさかのぼって 自分た ちの存在意義を問い直してみたのでした ですから当時の人が持ち合わせている知識で 天地創造を記述しました 昼と夜が太陽 月よりも以前にあったと語って

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

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人によって被災状況は違いますが 家族を失い 家を失い それまでの人生で築いてきたものをすべて失うという悲劇に突然見舞われ 茫然自失状況に追い込まれての絶望感 これらのことを想像すると 悲しみが一挙に襲ってきました 本当に悲しい出来事です 被災者にとっては 悲しみだけではなく 空しさや 憤りや 絶望が

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

礼拝の恵み 牧師チャールズ フレドリクソン どうして クリスチャンは日曜日に礼拝するの? 多くのクリスチャンやまだクリスチャンではない人たちも この疑問を持っています そもそも 聖書時代には 今日でもそうなのですが 安息日を守るという律法がありました 安息日は 金曜日の夜から土曜日の日没までの一日で

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

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第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

3 章 蝮の裔よ ( ルカ 3:7~14) ルカ福音書講義 (15) そこで 彼から洗礼を受けよう 1) として出て来た民衆 2) に彼は言った 3) 蝮 の裔よ 4) 誰があなた方に 来るべき怒り 5) から逃れるように教えたのか 8 さ あ 悔い改め 6) にふさわしい

何度もふるいにかけて 麦の実とごみとを分けるように 信仰が本物かどうかを何度も試される 父なる神さまのお許しのなかで サタンの激しい攻撃が始まる この時 もしかしたら 誰が一番偉いか 誰が一番大きいかという争論で ペテロがやはり一番だろうと 弟子たちもペテロ自身を自他共に思っていたのかも知れません

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

り そして キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである 1:2 ヨハネは 神の言葉とイエス キリストの証し すなわち 自分の見たすべてのことを証しした 1:3 この預言の言葉を朗読する人と これを聞いて 中に記されたことを守る人たちとは幸いである 時が迫っているからである 1:4-

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下


Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

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お話 文芸思潮

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

2016 年 2 月 14 日川越教会 すべての民と共に 加藤享 [ 聖書 ] ローマの信徒への手紙 15 章 7~13 節だから 神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように あなたがたも互いに相手を受け入れなさい わたしは言う キリストは神の真実を現すために 割礼ある者たちに

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

2017 年 2 月 21 日 ( 火 ) 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 1. はじめに (1) 預言者たちの中でのエレミヤの位置づけ 1 預言書を書いた預言者 (the writing prophet) * 王国が南北に分裂して以降

全国担当者2009 プレゼン資料

《 耕地を開拓せよ 》 羽石兄  ‘05

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2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

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人には 非日常性が必要です いつもの生活ではなく これは見たことがない 聞いたことがないという意外性 あるいは奇跡と言ってよいでしょう いつも自分のできること していること中で生きているならば 虚しさが残り 死に至ります しかし これまで経験しなかったこと 知り得ないことを知れば そこに命があり 希

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

第 6 章では7つの封印のうち6つの封印が 神の小羊によって次々と開かれていきます 第一の封印が開かれると 冠をかぶり弓を持つ騎手の乗った白い馬が現れます 強い軍事力で他国を侵略していく帝国主義の象徴です 次に大きな剣を持つ騎手の乗った赤い馬 内戦や反乱で人々を苦しめる象徴です 黒い馬は飢饉を 青白

これは Der Heidelberger Katechismus ハイデルベルク信仰問答 の全訳です 翻訳にあたり 以下の書物を参考にしました Otto Weber: Der Heidelberger Katechismus, Auflage( Tsd.)1990 Güte

Microsoft Word 年4月30日説教「気づく」.doc

ルカの福音書 3 章 バプテスマ - 神と人との接近 1A 主の道の用意 悔い改めのパブテスマ B 罪の赦しの説教 C 背景 1-6 1D 歴史 1-2 2D 聖書 3-6 2C 内容 D 神の怒り 7-9 2D 悔い改めにふさわしい実 C 目的 -

ど予言者として神さまに用いられました 新共同訳聖書では 今日の箇所には 終末の平和 という小見出しがついています 終末 今 のこの世は終わり 新しい神の世界がもたらされる時です その時にどのような光景が起こるかを イザヤは示されたのでした 歴史の究極ですね 主の神殿の山を目指して 世界中の国々から人

4きょう取り上げる 3~5のパターンは ユダヤ的に解釈する必要がある 5イエス時代のユダヤ教のラビたちの旧約聖書引用法 * 直接引用とその成就 * その箇所の解釈ではなく 適用である * きょうの3~5 のパターンは すべて適用である 6マタイは 5 つの引用によってイエスのメシア性を証明しようとし

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

原市場聖書教会 週 報 NO.726 年間聖句 主によって人の歩みは確かにされる 主はその人の道を喜ばれる その人は転んでも 倒れ伏すことはない 主がその人の腕を支えておられるからだ 詩篇 37 篇 23~24 節

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

Microsoft Word - N-Mar GH-“霊”がイエスに降る

さまいイエス様は生きておられる! ふくいんしょしょうふくいんしょしょうふくいんしょマタイによる福音書 28 章とマルコによる福音書 16 章とルカによる福音書 24 章ふくいんしょしょうかはなしさいわヨハネによる福音書 20 章に書かれているお話の再話 しょうと せいしょものがたり ミニ聖書物語 フ

裁きます けれども 実は自分たち自身も その基準には到達できていないのです これが偽善の始まりです 律法主義に陥ると 相手をこき下ろし けれども こき下ろしている基準に自分自身が満ちていないことが起こります 高らかに主張している人ほど 実はその教えを行なっていないという問題が起こるのです パウロは

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Transcription:

2018.1.14 説教 イエスの洗礼 マルコ福音書 1 章 9~11 節 降誕節第 3 主日の聖書日課によって今日 私たちに与えられたマルコによる福音書第 1 章 9~11 節は 主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたことを伝える御言葉です マルコによる福音書は全体で 16 章までありますが 第 1 章 1 節の御言葉は 神の子イエス キリストの福音の初め です 神の子イエス キリストの福音の初め とは 2 節以下 15 節までの序の部分に書かれていることですが イエスがヨハネから洗礼をお受けになられたことは 神の子イエス キリストの福音 の中心的な出来事ということができると思います 今日与えられた 9 節では そのころ イエスはガリラヤのナザレから来て ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた とあります そのころ とは 2 節 3 節に書かれていることで 2 節の初めに 預言者イザヤの書にはこう書いてある とありますが これは正確には旧約聖書のマラキ書 3 章 1 節とイザヤ書 40 章 3 節の引用による預言であり その旧約聖書の預言によって 洗礼者ヨハネが現れて キリストを迎えるための活動を始めた そのころ ということです 洗礼者ヨハネの活動については 4 節 5 節に 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて 罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆 ヨハネのもとに来て 罪を告白し ヨルダン川で彼から洗礼を受けた とあります マタイによる福音書は 3 章 13 節以下で イエスの洗礼について マルコよりも詳しく多くのことを伝えています イエスが洗礼を受けるために洗礼者ヨハネのところに来られたとき それを思いとどまらせよう 1

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の人の中の一人として それ らの人々と同じように ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼をお受けに なりました イエスと洗礼者ヨハネには マタイが伝えているような葛 藤は なかったのでしょうか はっきりしていることは イエスがすべ ての人と同じように 洗礼をお受けになられたということです それは イエスがすべての人と同じ罪人となって 洗礼を受けられたということ です なぜ イエスは罪人となって洗礼をお受けになったのでしょうか そのことを知るために大切な聖書個所が イザヤ書 42 章 1~9 節の御言 葉だと言われます 新共同訳聖書では 主の僕の召命 という小見出し がつけられています 旧約聖書の 1128 頁です 見よ わたしの僕 わたしが支える者を わたしが選び 喜び迎え る者を 彼の上にわたしの霊は置かれ / 彼は国々の裁きを導き出す 彼 は叫ばず 呼ばわらず 声を巷に響かせない 傷ついた葦を折ることな く / 暗くなってゆく灯心を消すことなく / 裁きを導き出して 確かなも のとする 暗くなることも 傷つき果てることもない / この地に裁きを 置くときまでは 島々は彼の教えを待ち望む これは直接的には 国を滅ぼされてバビロン捕囚となっているイスラ エルの民に対する解放と救いを伝える預言ですが これが主イエスを指 し示す預言と言われています 3 節は 傷ついた葦を折ることなく / 暗くなってゆく灯心を消すこと なく / 裁きを導き出して 確かなものとする です イスラエルの民は 神に選ばれた民であり 神の偉大な力ある御業を たくさん知らされていました それにも関わらずイスラエルの民は 神 に背き続け 罪を犯し 遂には 国を滅ぼされてしまいました しかし 2

神は そのようなイスラエルの民をお見捨てにはならなかったというこ とです それは神の憐れみによるものです その神の憐れみは 世界のすべての人の及ぶものです たとえ 人の 目には取るに足りないような小さな存在であり 世間のだれも相手にし ようとしないような人であっても そして 神を信じようとしないよう な人であっても 神は 決して お見捨てにはならないということです マルコ福音書が伝えているように イエスがヨハネから洗礼をお受け になったという出来事は イザヤが預言しているように 主の僕である キリストの働きを示すものであるということです マルコ福音書は イエスがヨルダン川で洗礼をお受けになった後 水 の中から上がるとすぐ 天が裂けて 霊 が鳩のように御自分に降って 来るのを 御覧になった と伝えています これはイエスが洗礼者ヨハ ネから洗礼を受けて すべての人間と同じ罪人となられたことを 神が 御心に適ったこととして お認めになったということです そのことを イエス御自身が御覧になったということです それはイエスが その時 まで 神の御心を尋ね求めて祈り 神との交わりの中におられたことを 示すものです イエスの洗礼は イエスが神に祈り求め 神の導きに従 われた結果であったということです マルコ福音書は そのことを確証 するように 11 節で < すると あなたはわたしの愛する子 わたし の心に適う者 という声が 天から聞こえた > と伝えています 天からの声は イエスが人間と同じ罪人となってくださったことを示 すものであり 同時に イエスが神の子であり 神に御心に適う者であ るということです イエスの洗礼は すべての人間の罪のためであり すべての人間を救うためです 私たちが洗礼を受けることができたのは イエスが人間と同じ罪人として洗礼を受けてくださったことによって です 私たちは洗礼によって 神の子とされ 神の恵みに与っている一 人ひとりであります 洗礼は聖餐と共に プロテスタント教会にとっては 二大聖礼典と言 3

われています キリスト教信仰の根幹に関わる大切なものです 聖餐は 繰り返して祝いますが 洗礼は 一生に一度だけでです キリスト者に とっては大切な意味のあるものです 洗礼については お一人ひとりが 忘れられない思い出を持っておられるのではないかと思います 洗礼を 受ける前 洗礼を受ける決心をした時 そして洗礼を受けてからの信仰 生活において いろいろな思い出があることと思います 洗礼と聖餐は切り離せないものです 洗礼を受けた者は キリストの 体と言われる教会の一員とされて 教会員名簿に記されて 神の恵みの しるしである聖餐を 神の家族として共に喜び祝う者とされます 洗礼 は教会とキリスト者の交わりの根本にあるものです マルコによる福音書がイエスの洗礼によって私たちに示している大 切なことは 私たちが自分の罪を知ることです そのために 罪を犯さ れなかったイエスが罪人である人間と同じになってくださり 洗礼者ヨ ハネから洗礼をお受けになったということです それによって罪人であ る人間を救うためです 罪とは神に背くことです 罪が 人間の悲惨 不幸の根本原因です 私たちはどうしたらその罪を知ることができるの でしょう 現在役員会では毎月の役員会終了後に 15 分間の勉強会を行っています 勉強会のテキストとして学んでいるのは 慰めのコイノーニア ( 牧師と信徒が共に学ぶ牧会学 ) という加藤常昭先生が書かれた本です 今日の役員会終了後も勉強会を行います 毎回 1 章ずつ学んでいます 今日学ぶ箇所は 第 5 章で 教会の交わりの中で 何を語り合うか ということです 第一に大切なことは 罪について学ぶことであると教えられています その上で 自分が犯した罪を告白し 神がイエス キリストによってすべての罪を赦してくださるということ その恵みによって 悔い改めへと導かれる ということです それによって教会は 慰めのコイノーニ 4

ア = 交わり として 真の慰めを与えることができるということです 罪を知るためには 十戒を学ばなければなりません 十戒によって教え られている神の戒めの中心は 神を愛し隣人を愛しなさい ということ です その神の愛の戒めに背くことが 罪です 今日のマルコ福音書が イエスの洗礼によって示していることは イエスは すべての人間を救 うために 洗礼者ヨハネから 罪人である人間と同じ洗礼をお受けにな ったということです マルコ福音書は イエスがヨハネから洗礼を受けられたとき 天が 裂け たと伝えていますが マルコ福音書は 15 章 37 節 38 節で イエスが十字架上で息を引き取られたとき 神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに 裂けた と同じ言葉を使っています このことは多くの人が指摘していることで たいへん大切な意味があると言われています イエスが十字架上で息を引き取られたとき その場にいた百人隊長は その光景を見て 本当に この人は神の子だった と証ししています この百人隊長は イエスを殺す側にいた人です それまでイエスを信じてはいなかった人です そのような百人隊長が イエスの十字架の死によって 本当に この人は神の子だった と証ししているのです イエスの洗礼とイエスの十字架の死は共に イエスが神の子であり イエスが 神の御心に従って そのことが現実のものとなったということです それは何よりも私たちに対する神の恵みを示すものであり 神の子イエス キリストによって すべての者の罪が露にされ すべての者を闇の中から光の中へと導き入れてくださるためのものであるということです イエスの洗礼によって 天が裂け たということは そのことを示すものです 神の恵みと力によって すべての者を救うために 神の子イエス キリストの福音の初め が示されたということです 私たちにとって大切なことは 神の御心に適った歩みをすることができるように 常に祈ることです 5

今日のテーマは イエスの洗礼 です イエスの洗礼については イ エスが神の御心を祈り求めて 神の導きに従われた結果であるというこ とお話ししました 私たちにとって最も大切な祈りは 主イエスが弟子 たちに教えてくださった 主の祈りです 主の祈りには 私たちが常に 神と隣人と共に歩むために 祈るべき祈りのすべてのことが含まれてい ます 天にまします我らの父よ 願はくはみ名を崇めさせたまへ み国を来たらせたまへ みこころの天になる如く地にもなさせたまへ 我らの日用の糧を今日も与えたまへ 我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく 我らの罪をも赦したまへ 我らを試みにあはせず 悪より救ひ出したまへ 国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり アーメン 主の祈りは 主の恵みによって洗礼を受けた者が 神の家族の一員として共に祈ることのできる 神の共同体 教会の祈りです そして同時に 一人ひとりが大切にされて 共に生きることができるように導く力のある祈りです 主イエスが神の御心を祈り求めて 御心を示されたように 私たちも常に主にならって祈り 神と共に歩む者となることができるよう 絶えず祈りつつ歩む者でありたいと願います 祈り主イエス キリストの父なる神 あなたの恵みと招きによって共に主の日の礼拝を守ることができましたことを 感謝いたします 主が絶えず祈り ご生涯の初めから終わりまで御心を尋ね求めて歩まれたように 主の御足の後に従って歩むことができるように 絶えず祈る者とさせてください 主イエス キリストによって祈り願います アーメン 6