イゼベルという女は 商売繁盛のために信仰を妥協するよう しきりに教会の人々に勧めました では これらの背景を踏まえて 学びに入りましょう 今日の聖書個所には 大切なポイントが 5 つあります 1. イエスの描写 (18 節 ) ここでイエスは 燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足のお方だ

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2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

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創世記5 創世記2章4節b~25

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

Microsoft Word - ◎中高科

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

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創世記5 創世記2章4節b~25

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

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2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

牧会の祈り

私自身 OIC に来てまだ 2 年弱です ですから この教会の歴史は少ししか知りません けれども 神は OIC の歴史のすべてをご存じです 創立当時から 神ご自身がこの教会を支えてこられました そして この教会に来た人 去っていった人すべての心をご存じです この 42 年の歴史をとおして 神は OI

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た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

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良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

いでしょう (1)2 重の質問 1 弟子たちは いくつかのたとえ話とその解き明かしを聞いてきた 2ここでイエスは 弟子たちに考えるチャンスを与えている 3 弟子たちは 奥義としての王国 の性質について考え始める (2) イエスのたとえ話は 弟子たちが想像したものとは大いに異なる 1 種のたとえでは

牧会の祈り

黙示録 3 章 7-13 節 忠実な教会 1A 聖なる 真実な方 7 2A 主に知られた行ない 8 3A 報い B 中傷者からの擁護 9 2B 試練の時からの守り 10 3B 冠 11 4B 都での安全 本文 黙示録 3 章 7 節からです フィラデルフィヤにある教会に対する

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

牧会の祈り

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師


このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

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2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

テモテへの手紙第一 5 章 節 指導の任への尊敬 1A 二重の尊敬 A 監督者への監査 B 公正な裁き B 慎重な按手 B 透明性 本文 テモテへの手紙第一 5 章を開いてください 17 節から読んでいきます 私たちは

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

(1) 獣の形状 (1~2 節 ) (2) 獣の復活 (3~4 節 ) (3) 獣の支配 (5~8 節 ) (4) 励ましのことば (9~10 節 ) 3. 結論 : 反キリストはキリストの真似をする 反キリストの働きについて学ぶ Ⅰ. 獣の形状 (1~2 節 ) 1.1 節 Rev 13:1 また

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

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マタイ 25 章 14 節 各自に任された財産 1A 神より与えられている財産 1B 創造の源 2B 信仰の量り 2A 清算の時 1B 永遠の報い 2B 報酬の時 3A 求められていること 1B 心のはかりごと 2B 自分の行程 3B 小さな事への忠実 4B 信じる事 本文 マタイによる福音書 25

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

ヘブル人への手紙1章

らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

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聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

テモテ第二 2 章 1-13 節 キリストの兵士 1A 共にする苦しみ 1-7 1B ゆだねる教え 1-2 2B 立派な務め 3-7 2A イエス キリストの福音 B つながれていない御言葉 B 共に生き 死ぬ 本文 テモテへの手紙第二 2 章を見ていきます 私た

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

子たちも オリーブ山から神殿を眺めて これはまあ 何とみごとな石でしょう 何とすばらしい建物でしょう ( マルコ 13:1) と感嘆の声を挙げました しかし イエス様は この大きな建物を見ているのですか 石がくずされずに 積まれたままで残ることは決してありません ( マルコ 13:2) と言われたの

比喩:その他

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

サーチライト with Pastor Jon Courson 黙示録 22 章パート 2 1 サーチライト With Pastor Jon 黙示録 22 章パート 2 このメッセージはアップルゲートクリスチャンフェローシップの ジョン コーソン牧師が公開したメッセージを アメリカ在住の日本人クリスチ

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだ

1イエスがバプテスマを受けたとき 天が開かれて聖霊が鳩のように下った 2ここでは 天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる 3 黙 4:1 では ヨハネを招くために天が開かれた 4ここでは キリストが地に下るために天が開いた (2) 白い馬に乗った方 1ローマ軍の将軍は 白い馬に乗った 2 再臨

(3) まっすぐにしなさい 1 されば衰へたる手 弱りたる膝を強くし ( 文語訳 ) 2ギリシア語の アノルソオウ である 上げる まっすぐにする 強くする 3ルカ 13:13(18 年も病の霊につかれ 腰が曲がって 伸ばすことができない ) Luk 13:13 手を置かれると 女はたちどころに腰が

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

24:24 それで わたしたちの仲間が数人 墓に行って見ますと 果して女たちが言ったとおりで イエスは見当りませんでした 24:25 そこでイエスが言われた ああ 愚かで心のにぶいため 預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ 24:26 キリストは必ず これらの苦難を受けて その栄光に入

に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか (1) ここで場面は 地から天に移行する 1 大患難時代を通して継続している状況の描写である (2) ヨハネは キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻を見た 1 彼らは 祭壇の下にいた 2 旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと

1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

Rev 17:2 地の王たちは この女と不品行を行い 地に住む人々も この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです (1) 大淫婦と不品行 1 旧約聖書では 淫婦 は 偽の宗教 を象徴する言葉である 2 淫行 は 偶像礼拝を象徴する言葉である 霊的姦淫である * 通常は 真の神を信じると告白しながら 偶像

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2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

ダニエル書は終末についてどのように語っているか No.2 御使いガブリエルが告げた 七十週 の預言 聖書箇所 9 章 20 節 ~27 節 はじめに 前回はダニエル書 2 章から バビロンの王ネブカデネザルの見た正夢に ついて学びました その正夢は終わりの日に起こることを示されたものでした ダニエル

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1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

大阪インターナショナルチャーチ ダン・ペリー師 2015/8/9

From the Pulpit of the Japanese Baptist Church of North Texas July 8, 2018 信仰の勇者 ギデオン士師記 7:1-7 7:1 さてエルバアルと呼ばれるギデオンおよび彼と共にいたすべての民は朝早く起き ハロデの泉のほとりに陣を取っ

HからのつながりH J Hでは 欧米 という言葉が二回も出てきた Jではヨーロッパのことが書いてあったので Hにつながる 内開き 外開き 内開きのドアというのが 前の問題になっているから Hで欧米は内に開くと説明しているのに Jで内開きのドアのよさを説明 Hに続いて内開きのドアのよさを説明している

B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

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2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

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大阪インターナショナルチャーチ アリステア マッケナ師 2016/9/25 黙示録 2:18-29 腐敗した教会 2:18 また テアテラにある教会の御使いに書き送れ 燃える炎のような目を持ち その足は光り輝くしんちゅうのような 神の子が言われる 2:19 わたしは あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており また あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている 2:20 しかし あなたには非難すべきことがある あなたは イゼベルという女をなすがままにさせている この女は 預言者だと自称しているが わたしのしもべたちを教えて誤りに導き 不品行を行わせ 偶像の神にささげた物を食べさせている 2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが この女は不品行を悔い改めようとしない 2:22 見よ わたしは この女を病の床に投げ込もう また この女と姦淫を行う者たちも この女の行いを離れて悔い改めなければ 大きな患難の中に投げ込もう 2:23 また わたしは この女の子どもたちをも死病によって殺す こうして全教会は わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる また わたしは あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう 2:24 しかし テアテラにいる人たちの中で この教えを受け入れておらず 彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていないあなたがたに言う わたしはあなたがたに ほかの重荷を負わせない 2:25 ただ あなたがたの持っているものを わたしが行くまで しっかりと持っていなさい 2:26 勝利を得る者 また最後までわたしのわざを守る者には 諸国の民を支配する権威を与えよう 2:27 彼は 鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである 2:28 また 彼に明けの明星を与えよう 2:29 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい 導入テアテラの教会に宛てられたこの手紙は 7 つの手紙の中でもっとも長い手紙です テアテラは 州都ペルガモンへの玄関口でした テアテラは商業が盛んで ふたつの大きな川に沿う谷に位置しました この町はとりたてて宗教的な重要性はなく ギリシャ神話やカエサル信仰の中心地ではありませんでした この町の守護神はテリムノスです 地元の貨幣には 斧とこん棒を持って馬に乗るテリムノスの姿が刻まれていました この町の宗教について特筆すべきことはただひとつ 占いの館があったことです この占いの館は サンバテという女が経営していました この町には迫害の脅威はありませんでした では テアテアの問題は何だったのでしょう この町に関する歴史の記録は 周辺地域の教会ほど多く残されていませんが いちばんの問題が何であったかを推測できる重要な情報があります テアテラは商業都市で とくに染色業や羊毛品の貿易が盛んでした 紫布の商人ルデヤもテアテラの出身でした ( 使徒 16:14) 町にはたくさんの商業組合がありました あらゆる業種の人々がそれぞれ組合や団体を作っていました 皮革業組合 絹糸組合 パン屋組合 陶器屋組合などたくさんあり これらの組合に加入しないのは 現在の商業組合に加入しないのと同じで 商売がとてもやりづらくなりました クリスチャンがこれらの商業組合に入らない理由は何でしょう クリスチャンがこれらの組合に入らない理由は 組合が会食をするからです こうした会食はたいてい神殿で開かれ 最初にそこに祀られた神々にいけにえをささげることから始まります こうした神々に供えられた肉を人々は会食で食べました また たくさんお酒を飲み みだらな行為も行われました ですから 信仰を堅く守るクリスチャンなら このような会食には参加したくなかったのです 1

イゼベルという女は 商売繁盛のために信仰を妥協するよう しきりに教会の人々に勧めました では これらの背景を踏まえて 学びに入りましょう 今日の聖書個所には 大切なポイントが 5 つあります 1. イエスの描写 (18 節 ) ここでイエスは 燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足のお方だと描写されています これは ダニエル書 10:6 に登場する人の説明からの引用です ダニエル 10:6 そのからだは緑柱石のようであり その顔はいなずまのようであり その目は燃えるたいまつのようであった また その腕と足は みがき上げた青銅のようで そのことばの声は群集の声のようであった 燃える炎のような目はふたつのことを象徴します まず その目はおそらく罪に対する怒りで燃えていたのでしょう 次に その目は人のうわべを貫き 心の奥底まで見通す目です イエスのまなざしから隠れることはできません どんなに体裁を取り繕っても無駄です イエスは 私たちの本当の姿をご存じです しんちゅうのような足は よみがえりの主イエスが揺るぎない力の持ち主であることを象徴します ですから イエスの弟子たちにとっては励みになります イエスは力強いお方で 私たちとともにおられます そして 罪を憎まれるお方で 私たちとは違った神の視点で罪に対処なさいます ヘブル 3:12-13 3:12 兄弟たち あなたがたの中では だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい 3:13 きょう と言われている間に 日々互いに励まし合って だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい 私たちも罪に惑わされる可能性がありますから 私たちは人が何と言おうと イエスの視点をとおして神のみことばによって自分自身の生き方を常に吟味する必要があります 2. イエスはいくつかのことについてこの教会を褒められた (19 節 ) イエスは 4 つの事柄についてテアテラの教会を褒められました それは 愛 信仰 奉仕 忍耐 です ここで愛と訳されたギリシャ語の単語は アガペー です それは イエス キリストをとおして聖霊によって与えられる神の愛を指します アガペーの愛は 犠牲的な生き方を意味します つまり 人類すべてに対するイエスの愛をあらわします イエスは 私たちの罪のために十字架上で死ぬことによって その愛を示してくださいました これは 人間的な愛ではありません 人間的な愛は 好きな人や気に入った物に惹かれます 神の愛は人間の愛よりももっと深いものです テアテラの教会の人々は このような愛を示していました そして この愛は奉仕につながりました 彼らは 聖霊をとおしてイエスに仕える心構えがありました それは イエスが示してくださった愛に感謝していたからです 彼らは 心も生き方も変えられた人たちでした 2

内住の聖霊が神の愛にあふれ 奉仕したいと心から思っていたのです 私たちがイエスを愛しているからイエスに仕えるなら 奉仕は喜びであり特権となります 一方 奉仕しなければならなからという気持ちで仕えるなら 私たちの信仰は律法的で冷めたものになってしまいます 奉仕に対する姿勢は 私たちがイエスをどれだけ愛しているか 福音をどれだけ理解して感謝しているかを試します ですから 恵みの福音をしっかり理解するのが大切です また この福音が私たちの今と永遠とにどんな影響をもたらすかも理解する必要があります 次の褒め言葉は 信徒たちの 信仰 についてでした 初代教会の時代 信徒たちの信仰はみことばから教えられた内容に基づいていました 当時は 旧約聖書の写本がいくつか存在しましたが 聖書全巻を持っているわけではなく 教えは口伝えに継承されていました 彼らは神のみことばに信仰を置いていました 私たちクリスチャンは 神のみことばを頭で理解し信じますが それを日常に実践するとなるとなかなかできません ですから 神のみことばを頭で信じるだけでなく 日々の生活で実行しましょう 例えば 聖書は自分の属する教会に什一献金をささげ さらに犠牲を払ってささげるようにと教えます ここで問題が起こります するべきことはわかっていても 収入の一割も OIC に献金したら 生活できなくなる と思ってしまいます けれども 私は 30 年以上神に仕えてきましたが 月末になって生活できなくて困っているのに神は助けてくださらず放っておかれた というクリスチャンを見たことがありません 神は誰にも借りはありません そして あなたの必要を満たす方法を必ず見つけてくださいます では なぜ什一献金をささげるのでしょう 1. 神がそう命じられたから ( レビ記 27:30) 2. イエスが勧めておられるから ( マタイ 23:23) 3. 什一献金をささげる行為が神への感謝を表すから ( 詩篇 116:12 申命記 16:17) 4. 什一献金をささげないのは 神から盗むことだと神がおっしゃったから ( マラキ 3: 8-10) 私たちは ふさわしい態度でささげる必要があります ふさわしい態度とは 惜しみなく 喜んで 神に期待してささげる態度です ( コリント第二 9:1-14) もうひとつ褒められたことは 忍耐 でした この忍耐は 試練の中で耐えることです 彼らは試練の中でもしっかり耐えたのです 最後に 近ごろの行いが初めの行いにまさっている とあります 彼らの働きが常に進歩していることを指します テアテラの教会は 表面上勢いのある強い教会のようでした よその人がこの教会を訪れたら 信徒たちの愛や信仰 奉仕 そして揺るぎない姿に感心したでしょう しかし 彼らにも欠けた部分がありました その欠点は重大な問題でした これは 私たちへの警告です 3

教会にたくさん人が来て 愛と活気にあふれる礼拝をしていても イエスの目に正真正銘の教会だと映らない可能性があります 教会が りっぱなクリスチャンクラブになってしまう危険性があるのです 本物の教会は イエスの目をとおして吟味されなければなりません 先ほど登場した 燃える炎のようなイエスの目です 次に 誤りの原因について考えましょう 3. 誤りの原因 (20 節 ) テアテラの問題の中心には イゼベルという女がいました イゼベルは自称預言者でした 彼女は教会の信徒たちをそそのかし 偶像にささげられた食べ物を食べることや性的不品行を勧めました 当時 これはクリスチャンにとって大きな悩みでした では クリスチャンは偶像にささげられた肉を食べてもよいのでしょうか これについて パウロはコリント第一 8-10 章で語りました これは非常に複雑な問題です 偶像にささげられた肉をクリスチャンが食べると 他のクリスチャンをつまずかせてしまうかもしれないので 食べないほうがよいというのが基本的な考えです つまり 問題が起こる可能性の話です しかし 使徒 15:29 では 異邦人が教会に迎え入れられる条件のひとつとして 偶像にささげられた肉を食べないことが挙げられています この禁止事項によって クリスチャンは地域行事などと縁を切ることを余儀なくされました また この条件に従うと 特定の商売や職業にも就けなくなります 導入部分でお話したように 貿易商たちは組合に入って会食に参加しなければなりませんでした そうすると 偶像にささげられた肉を食べたり 神殿に出入りしたりしなければなりません そこでイゼベルは 教会の人々に地域や商売の付き合いを絶やさないように仕向けたのです 彼女はサタンに気を許し 自分の思いどおりにしようとして 聖書の教える秩序を無視しました イゼベルは 性的不品行についても信徒たちを惑わしました 詳しい内容は記されていませんが 姦淫や異常な性行動などが挙げられるでしょう 教会はキリストの花嫁であると新約聖書は教えます コリント第二 11:1-2 11:1 私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います いや あなたがたはこらえているのです 11:2 というのも 私は神の熱心をもって 熱心にあなたがたのことを思っているからです 私はあなたがたを 清純な処女として ひとりの人の花嫁に定め キリストにささげることにしたからです エペソ 5:24-28 5:24 教会がキリストに従うように 妻も すべてのことにおいて 夫に従うべきです 5:25 夫たちよ キリストが教会を愛し 教会のためにご自身をささげられたように あなたがたも 自分の妻を愛しなさい 5:26 キリストがそうされたのは みことばにより 水 4

の洗いをもって 教会をきよめて聖なるものとするためであり 5:27 ご自身で しみや しわや そのようなものの何一つない 聖く傷のないものとなった栄光の教会を ご自分の前に立たせるためです 5:28 そのように 夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません 自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです 私たちはキリストの花嫁ですから キリストのために自らをきよく保つ必要があります ローマ 12:1-2 12:1 そういうわけですから 兄弟たち 私は 神のあわれみのゆえに あなたがたにお願いします あなたがたのからだを 神に受け入れられる 聖い 生きた供え物としてささげなさい それこそ あなたがたの霊的な礼拝です 12:2 この世と調子を合わせてはいけません いや むしろ 神のみこころは何か すなわち 何が良いことで 神に受け入れられ 完全であるのかをわきまえ知るために 心の一新によって自分を変えなさい 4. イエスは 悔い改めない者に対する罰を約束される (21-23 節 ) イエスはイゼベルに悔い改める時間を与えられましたが イゼベルは悔い改めませんでした そこでイエスはイゼベルと惑わされた人たちに対する罰について語られます イエスは イゼベルの子どもたちを殺し イゼベルを大きな患難の中に投げ込まれます また イゼベルと惑わされた人たちを病の床に投げ込まれます 彼らは皆 悔い改めの機会があったのに 悔い改めた人とそうでない人がいました イゼベルは悔い改めなかったのでしょう 先日 神は焼き尽くす炎だというヘブルのみことばを学びました ( ヘブル 12:29) 神はご自身の教会を偽りの教えや誤ったことをさせようとする誘惑から守ってくださいます ずいぶん厳しい処罰だと思うかもしれませんが このようなことに教会が引っかかってしまうと 神の証に傷がつきます ですから 正しい教えが信徒にとって重要なのです 誤った教えは魅力的な内容が多く 惑わされたことに気づかない場合が多いですから 何事も聖書に照らして確認しなければなりません 5. イエスは 真理にしっかりつながる者に祝福を約束される (24-29 節 ) イエスは テアテラの教会の忠実な信徒たちにはほかの重荷を負わせないと約束なさいました そして 持っているものをしっかり持ち続けるようにとおっしゃいました それは 信仰 愛 奉仕 そして忍耐です イエスは 最後まで忠実な人々に ふたつの大きな祝福を約束してくださいました ひとつめは 諸国の民を支配する権威 です ここでイエスは 詩篇 2:8 を引用しておられます これは すばらしい約束です この信徒たちが他の国の民を支配する日がいつかやってくるという約束です 将来 イエス キリストがこの地上を千年治められると信じているクリスチャンにとって この言葉はその教えを支持する根拠のひとつになります もしそれを信じていないなら この約束の意味を理解するのは非常にむずかしいでしょう イエスの千年王国については 黙示録の後の学びで詳しく見ていきます ふたつめは 明けの明星 です 明けの明星が何を指すかについては さまざまな解釈があります しかし 黙示録と直接関連づけられる解釈はたったひとつです では 黙示録 22:16 を読みましょう 5

黙示録 22:16 わたし イエスは御使いを遣わして 諸教会について これらのことをあなたがたにあかしした わたしはダビデの根 また子孫 輝く明けの明星である 明けの明星の約束は イエス キリストご自身を与えてくださるという約束です 忠実なクリスチャンは この世の人生が終わる時 キリストご自身をいただくのです なんとすばらしい約束でしょう 誰よりも愛してくださるお方以上に求めるものはあるでしょうか イエス キリストをとおして示された神の愛を物語るお話を最後に分かち合いたいと思います 第二次世界大戦中のフランスで ある男性が亡くなりました 男性の友人は 彼をちゃんと埋葬してあげたいと思い 村の近くの墓地を見つけました そこは ローマカトリック教会の墓地でしたが 亡くなった友人はプロテスタントでした 神父は 教会の墓地に男性を埋葬することを断りました 友人たちがずいぶん落胆したので 神父は 墓地の塀の外にある空き地になら埋葬してもよいと言いました 戦争が終わり 彼らは亡くなった友人の命日に墓を訪れましたが そこに友人の墓はありませんでした そこで 神父を訪ね 墓のことを聞くことにしました 神父は 彼らが帰った後 何日も眠れない夜が続いたので 墓地の塀を動かして 友人の墓も墓地の一部に入れることにした と答えました 神父は 塀を移動させてからは 心穏やかにぐっすり眠ることができました 神は私たちを迎え入れるために塀を移動させてくださいました それはただ イエスが私たちの罪のために死んでくださったおかげです 6