テキスト 慰安婦問題 熊谷奈緒子著 本問題を選んだ理由 : 1 慰安婦問題は耳にするたびうんざりする問題である とはいえ 一度整理の必要を感じた 2 第二次大戦の 3 大残虐事項ドイツナチスによるユダヤ人大虐殺 戦争末期の略無抵抗の日本への米国の原爆投下 終戦わずか一週間前日ソ不可侵条約を破棄してのソ連の参戦その結果としての 70 万人のシベリア抑留と数万人の死亡などに対しての賠償はどうだったのか 比較してみたかった 本問題のもっとも最近の状況 : 本年 11 月 2 日ソウルで約 3 年半ぶりに安倍首相と朴クネ大統領による日韓首脳会議が開かれ慰安婦交渉加速で一致 ( 約 3 年半ぶりに開かれた日中韓首脳会議に合わせ韓国で開催された ) 朴大統領主張要旨 - 慰安婦問題は韓日関係の最大障害物 国民が納得できる水準で解決すべき それには日本の責任に言及した首相の お詫び と日本政府の財政支出による元慰安婦支援安倍首相主張要旨 - 現政権での最終解決への補償 ソウルの日本大使館にある慰安婦を象徴する少女像の撤去 諸兄にお願いしたいこと : テキスト及び諸兄が見聞きしてきたことを参考に本問題をどう解決するかご意見願いたい ( 安倍首相に提言できるふさわしいもの ) 参考事項 慰安婦問題が出てきた経緯 : 1990 年になって政治問題として浮上 1990 年 6 月社会党議員が参議院予算委員会で韓国人強制労働の問題について強制労働者の中に慰安婦がいたのではと質問 これに呼応して 1990 年 11 月韓国女性学学者ユンジュンオクが韓国挺身隊問題対策協議会 以下挺対協と略 を結成 日本へ慰安婦問題の責任追及を開始 1991 年 8 月金学順が初めて慰安婦であったことを公にし他の慰安婦とともに補償を求め東京地裁に提訴 1992 年 1 月朝日新聞が中央大学吉見教授が防衛研究所図書館で慰安婦資料を発見したことをトップで報じる これは当時の首相宮沢喜一の訪韓数日前であったため宮沢は訪韓中 8 回謝った 宮沢は帰国後政府に慰安婦問題の調査を命じる その後の進展 :1993 年 8 月河野談話が出される 内容 - 当時の軍当局が慰安所の設置 管理に直接関与したこと 慰安婦の募集については甘言 強圧など本人たちの意思に反する働きかけに官憲が直接加担したことを認め元慰安婦の名誉と尊厳を傷つけたことに反省とお詫びを表明 1994 年村山富市首相下での与党戦後 50 年問題プロジェクトを通じて元慰安婦への補償が議論 道義的補償を行うアジア女性基金が設立と総理大臣がお詫びすることになる 詫びの内容は 慰安婦の壮絶な体験やそれによる心身と名誉への深い傷に対して反省と謝罪 を述べたもので総理個人直筆の署名入り手紙をだすこと 橋本龍太郎 小渕恵三 森喜朗 小泉純一郎によって出された アジア女性基金設立経緯 - 日本政府はすでに戦争責任の法的責任 補償は 1965 年の日韓基本条約で済んでいるという立場であり補償問題は大いにもめた そこで法的責任とは別に道義的補償としての設立 日韓基本条約と請求権. 経済協力協定とは : 2 条 1 項両締結国は 両締結国及び国民 ( 法人を含む ) の財産 権利及び利益並びに両締結国及びその国民の間の請求権に関する問題が1951 年 9 月 8 日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第 4 条 1
(a) に規定されたものを含めて完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する 署名日本佐藤栄作大韓民国朴チョンヒ (5-9 代大統領で朴クネ 18 代大統領の父 ) 4. 日韓がぎくしゃくしている経緯 : 1995 年アジア女性基金の設立などの一連の流れから 20 年経った今慰安婦問題は改善 解決どころか更に深刻化 問題は日本と韓国双方が厳しい態度を取り続けている 〇韓国側の根底にあるもの - アジア女性基金は日本政府が法的責任を回避するための隠れ蓑であり日本政府の謝罪 責任者の処罰 国家補償の実現がなければ受け入れられないとの主張〇韓国側を後押しする事情 - 女性への性暴力への国際社会の取り組み 1993 年ウイーンで開催された世界人権会議女性の人権の尊重 性別に関するあらゆる差別の根絶を国際社会の優先課題とした 特に女性への暴力と性的搾取 人身売買の撤廃など 1996 年クマラスワミによる国連人権委員会への報告戦時中の慰安婦に関する調査結果 慰安婦たちの悲惨な状況を指摘し日本国家の法的責任を認め国家補償を求める アジア女性基金が活動を終えた 2007 年ころからアメリカ下院を始めオランダ カナダ 欧州 フィリピン 台湾で慰安婦関連決議がなされ日本政府に歴史的責任の認識 謝罪 賠償を求めた 2000 年 2001 年女性国際戦犯法廷開催 ( 国際裁判所が民間の形で組織された ) 目的慰安婦問題の犯罪性とその責任の内容と所在を明確にし被害者の正義と尊厳を回復すること 当時ユーゴスラビア内戦時の女性への性暴力 ルワンダ民族紛争時の女性への性暴力など戦争における女性への暴力に注目が高まるという時代的背景や潮流もあった 結果法廷の対象を日本軍の性暴力についてとし 個人の刑事責任 国家の責任を追及 性的奴隷制について人道に対する罪の刑事責任を問い昭和天皇を含む 10 人を起訴 1 年後のハーグで開催された 最終判決 では天皇と東條ら起訴された 9 人の戦時指導者への有罪判決を出す 又 日本政府が被害女性への国家賠償責任を負うとの判決も出される 但し この法廷は所詮民間法廷であり正式な国際的司法裁判ではない 事後法を採用していること 東京裁判で裁かれた戦犯を再び裁くことによって一事不再理の原則を否認していること 被告に弁護人がいないこと 本論能力を持たない死者を裁いていること 時効と大赦が不適用となっていることなどが問題 然しそれはそれで意味を持った 性暴力の今日的な意味での犯罪性を明確にしたこと 被害者への癒しの効果更に判決の道義力 ( 各国に実施することを要求する道義的権威 ) など 2011 年 8 月韓国憲法裁判所の法的判断 1965 年日韓基本条約及び請求権協定において 個人の請求権の存否について日韓の間で解釈に対立があるにもかかわらずそれを解決するための手続きをしてないことは韓国政府の不作為でありそれは違憲であるのと判決. 〇日本側の反動勢力台頭が韓国を刺激していること 自虐的歴史観を見直す歴史修正主義の動き - 河野談話の修正提案 ( 河野談話が強制連行に官憲の直接関与を認めたことに対して証拠付ける文書がないという理由 ) 安倍首相が 2014 年 2 月河野談話の検証作業を提唱 中学の教科書からの慰安婦問題の削除 慰安婦は日本将校兵士と純粋にビジネス上の契約関係にあったので戦争犯罪の犠牲者というより戦場でビジネスの受益者でもあったはずとの見解も出されていること など 〇日本側の一貫した態度 - 法的には二国間条約により賠償 補償 請求権の問題は解決済みで紛争は存在しない 道義的責任はアジア女性基金で解決済み 元慰安婦へ 2
の償い基金の設置 ( 民間からの寄金 ) 彼女たちへの医療福祉支援 ( 政府からの資金拠出 ) 政府による反省と詫びお表明 ( 首相よりの詫び状 ) などによる 韓国政府自体及び韓国国内の一貫性の無さがある : 1993 年金泳三大統領は日本に物質的補償を求めないとした 2005 年ノムヒョン大統領は 植民地時代の被害者に対する補償は日本に対してではなく国内措置として取り組むと結論し従軍慰安婦 被爆者 サハリン在留韓国人は日韓協定の枠外とした 2011 年韓国憲法裁判所は日韓の間で慰安婦問題は解決されていないという判決を出す 韓国政府の立場 方針と異なる憲法裁判所の判決は厄介で今後の日本側との折衝の足かせになるのでは 朴クネが引くに引けぬ理由の推定 考慮すべき位韓国側の事情歴史の大部分は大国に翻弄されてきた 故の自国のアイデンテイテイの確立が困難 その中で大国の姿勢を責め続けることでアイデンテイテイを形成していこうという姿勢 韓国は日本政府のどのような対応に対しも NO と言い続けなければならないような風潮 既述の女性尊厳の国際的取組 例として女性国際戦犯法廷の日本有罪判決などのプレッシャー 韓国政府内には以前存在した日本と太いパイプを持つ知日派或いは日本通の人がいなくなり真の日本との交流が出来ない 反日の存在が政策レベルでも強くなっている 日本側の反動派の台頭 既述韓国憲法裁判所の法的判決 韓国政府の不作為行為は違憲との判決 7. 慰安婦の実態慰安所の場所 日本軍慰安所マップにより日本軍進出先と一致 設置目的 - 日本兵の強姦防止 性病蔓延防止 戦地にいる軍人のための慰安の提供 機密漏えい防止等 慰安婦募集要項 21 歳以上 強制連行か ( 強制連行の公式文書はない ) 自由意思 純粋契約による商行為か 人数につき 3 万から20 万と言われるが妥当な推定慰安婦一人一日 10 人一か月 25 日勤務として一人の一か月相手数 ( 延べ )10x25 =250 人兵士一人月 4 回として慰安婦一人 250/4 = 約 60 人を相手 兵隊数 200 万人として実質 3 万人前後では ただ前線に居てそのような施設がないところが半分とすると15,000 人位ただ4 年に亘るので一人一年交代として述べ人数では6 万人位か 8. 各国の軍管理慰安婦米軍 - 常に軍管理売春を禁止 建前ではあっても厳格に存在 売春の強要や暴力はなかった ドイツ軍 - 日本以上に組織的に慰安所の設置運営がなされた 占領地に開設 フランス軍 - ナポレオン戦争中に公娼制を打ち立て近代公娼制の先駆者 移動式野戦慰安所を設置ソ連軍 - スターリンは売春を禁じていたが ベルリン崩壊後の将校による略奪強姦 対日参戦後満州で日本女性に対する強姦につき多くの証言あり 以上戦場や占領地における軍による慰安所設置管理は日本以外の多くの国々でも見られる 戦場における性の暴力は普遍的な問題なのか ( 女性の観点より ) 9. 第二次世界大戦時の 3 大残虐行為に対しる賠償など 〇ドイツナチスによるユダヤ人虐殺 3
1990 年ドイツ再統一以前 - 東ドイツドイツの継承国でないとして一切の賠償 補償なし 西ドイツ 1952 年イスラエル - ドイツ連邦共和国間の協定 ( イスラエル ルクセンブルグ協定 ) ドイツはイスラエルの戦犯的補償権を認め 15 年間で 34 億 5000 ドルの支払い - これは人道や戦争責任に基づくものではなく ナチスの不正に対する償いという名目 又アデナウアーはドイツ民族の名においてナチスの不法について謝罪 1970 年ウイリーブラント首相がポーランド訪問 ワルシャワゲットーの前でひざまずきナチスの犯罪に対し深い謝罪の姿勢を示す 統一後 - 法的な責任はないとして戦争捕虜や慰安婦の対する補償は行われていない 〇ソ連による日本人シベリア抑留経緯終戦末期 8 月 9 日ソ連日ソ中立条約を破棄し日本へ宣戦布告 8 月 14 日日本は中立国を介して降伏 8 月 16 日南樺太 千島列島へ侵出占領 ( これはソ 米 英ヤルタ会談に基づく ) スターリンは日本人捕虜 50 万人を強制労働させる命令を下す これは武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に背くもの 連行定説 65 万人モンゴル ウクライナ ベルラーシ バルト3 国 中央アジアなどへ連れ去られた捕虜を含めると200 万人という説 死者も6 万人などと言われるがシベリア以外も含めると30 万人位という説もある 米国の研究者ウイリアム. ニンモ著 検証シベリア抑留 による 裏話 1. 強制労働についてソ連との停戦交渉時日本とソ連の密約あり 日本側が捕虜の抑留と使役を自ら申し出たという疑惑あり 2. 左派社会党国会議員視察団がソ連の段取りで抑留状況視察 戸叶里子など現地では こんなまずいものを食べているのか などと言いながら帰国後報告で抑留者は良い環境 食糧も行きわたっているなどと嘘を言い かつ 抑留者からの手紙を握り潰し問題となった 強制労働中の賃金について国際法上 捕虜として抑留された国で働いた賃金は捕虜所属国の負担 ( ハーグ条約 ) 捕虜は帰国時労働証明証を持ちかえれば日本政府は賃金を払った ( 米 英の捕虜 ) ソ連は証明証を発行しなかった 1992 年 12 月以降ロシア政府は抑留者の申請に対して労働証明証を発行するようになったが日本政府は未だ賃金を支払っていない ロシアの謝罪エリツエンが1993 年訪日時 非人間的行為 として謝罪 但し金銭的補償は一切なし 〇原爆投下の米国の責任 - サンフランシスコ講和条約で戦争の責任や賠償をそれ以上要求しない 要求されないという合意で賠償権を放棄 日本は米国が行った空襲や原爆投下による民間人大虐殺に対する賠償権を放棄 同様に中韓は日本に対して賠償を個別の条約で放棄 真の和解に向けて長期的視野に基づく信頼関係の構築政策レベルで両国間の政府レベルと政治家の間のパイプ作り時勢と感情に流されやすい世論に動じない大局的視点に基づく相互関係の構築 ( お互い過剰反応をしない ) 日本側はすでに打ち出した慰安婦モンダクィへの政府方針を貫くこと - 河野談話の継承 4
とアジア女性基金が体現した道義的反省と謝罪の精神を守る姿勢の一貫性 ジェンダーや植民地言説 ナショナリズムなどの様々な当事者性を超えた複眼的言説 (224 頁 ) 5