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Transcription:

はじめに アルメニア海商とイギリス東インド会社 1688 年協約 とは何か 重松伸司 ( 追手門学院大学 名誉教授 ) カスピ海と黒海の狭域を故地とするアルメニア人が アルメニア高地からあるいはサファヴィー朝治下のイスファハーン南郊の新ジョルファー (New Jullfa) から 遠距離 広域 巡回商人として内陸アジア各地で活躍したことは周知の史実である 1 また 17 世紀以降には 彼らはイギリス東インド会社 (EIC) に 随伴して インド洋 ベンガル湾 南シナ海に面する海域アジアで さまざまな交易活動を行ってきたことも最近の研究で知られる 2 この時代 西欧 西アジアそして南アジアの各地には 歴史上の大変動が生じていた 西欧においては 17 世紀半ばから後半にかけて オランダ イギリス両国間に 西欧 アジアにおける交易上の覇権を巡る激しい競合が繰り広げられていた その発端は クロムウエル治下の共和政政府の制定した航海法 (Navigation Act,1651) であり 西欧 ~ 地中海 ~ アジア諸地域間の中継貿易を独占するオランダに対抗して争われた 3 次にわたるオランダイギリス戦争 (1652~54, 1665~67, 1672~74) であった 西欧における中継交易拠点の争奪は 西アジアにおいては地中海東部を圏域とする中継貿易 レヴァント交易 において 生糸交易を独占していたアルメニア商人をオランダ イギリス両国 ( 東インド会社 ) のいずれが交易パートナーにつけるかという いわば 中継交易商人 の争奪でもあった 南アジアの交易の覇権をめぐる争奪も緊迫していた それはこの時代においては インドの香料 香薬 綿布といった特定の交易品の独占のみならず その後の両海洋帝国による覇権の先行となる 港市 商館 租借地 ( 居留地, settlements) の獲得でもあった 実際 インドの東岸港市においては 17 世紀初めからオランダ東インド会社 (VOC) が交易拠点を確保しており 他方 インドの西岸港市ではオランダ イギリス両国の東インド会社はほぼ同時に進出しておりその勢力は拮抗していた そして 両国の東インド会社が支配をねらう港市 内陸都市のいずれにおいても アルメニア商人が居留し 交易活動に従事していたと考えられる 本稿は 近世の南アジアを対象として その内陸都市及び沿岸諸地域で活躍したアルメニア人と イギリス東インド会社との交易関係について考察を加える なお 本文では特に注記しない限り 17~18 世紀の南アジアについては インド という用語を また 地名については基本的にはイギリス領期の表記 呼称を使うことにする 1. 本稿の課題と史料 1-1. 課題と仮説 本稿の主たる関心と仮説は 以下の点である これまでの研究によれば 広域の南アジアにおけるアルメニア人については 17 世紀以前のアルメニア巡回商人の記録 アルメニア教会の所在地 アルメニア大司教勅令 (Pontifical Bull) アルメニア人墓誌 墓碑銘などの記録から 更にまた 18 世紀以降は イギリス東インド会社の交易記録と英領植民地の統治報告書 貿易商会の会計簿と各地商議所報告 アルメニア実業家の名士録や聞き取り記録などから アルメニア人の存在と彼らの諸活動が明らかになりつつある 3 特に 生糸交易を巡るサファヴィー朝イラン 仏 蘭 英など西欧諸国の競合を巡って 旧来の説を批判的に再検討したうえで アルメニア商人 - 89 -

の主体的な役割を再評価したバグディアンツの研究から学ぶところは大きい 4 しかしながら 現在の研究段階においてなお明らかでない課題がある それは 彼らの所在した南アジアの各地で アルメニア人はいったいどのような職能をもち いかなる経済活動を行い また 彼らがどのような組織やネットワークを形成し それらはどのように機能していたのかといった疑問である また通説では 17 世紀以降 アルメニア人の多くはイギリス東インド会社に 随伴した 交易を行ってきたとみなされるが いったい 随伴的な交易活動 trading partnership とは はたしてどのような実態であったのか 十分に明らかにされたとはいえない 5 この疑問を換言すれば 以下の如く提示できるだろう すなわち アルメニア人は イギリス東インド会社のインド進出当初から 従属的 下請的商人 として従事していたのかどうか あるいは 独立自営の海商 として イギリス東インド会社の進出以前および進出後もかれら独自の交易の組織を維持して活動していたのかどうか 更に イギリス東インド会社は そうしたアルメニア人の経済的 社会的な基盤に依拠しつつ勢力を拡大していったのかどうか という疑問である このような疑問を持った契機は 2001 年以来断続的に行ってきた ベンガル湾海域およびマラッカ海峡とその域内諸島におけるアルメニア人の所在地とその活動をたどる現地調査である 上記の疑問について考察を加えているなか [ 史料 ] の巻頭 本書について の解説において 筆者の疑問に相即する指摘がなされているのを見出した 本史料集は (17 18 世紀の )100 年にわたる 強力なイギリス東インド会社とニュージョルファのアルメニア人の商人集団 (merchant community) との交易関係を表す刺激的な物語を伝えている 生糸と綿布の市場を握っていたアルメニア人のふところに なんとか食い込もうと腐心していた東インド会社を巡って 両者の多彩で複雑な関係がたえず続いていた おそらくはどのような出来事よりも この時期の経済的な風潮 競合的な互恵関係 (competitive partnership) が 両者の交易関係を象徴しているのではないだろうか 6 さて このような疑問に対して 本稿では 17~18 世紀初頭のインドにおける東インド会社とアルメニア人の関係について考察する 第一には イギリス東インド会社におけるアルメニア人の 地位と役割 である EIC はその交易活動において アルメニア人に対していったいどのような活動や役割を果たすべきだと考えていたのか 他方 アルメニア人は イギリス東インド会社に対して 彼ら独自の主体的な権益をどのように主張していたのだろうか 両者の微妙な関係つまり 競合的な互恵関係 とはいったい何か その実態を解き明かす手掛かりとして 東インド会社の交易関係公文書のうち とりわけアルメニア =EIC 関係に決定的な影響を及ぼしたと考えられている 1688 年協約 の具体的な内容を逐次考察したい 1-2. 課題と史料 本稿では 主に以下の史料集を扱う Armenian Merchants of the Seventeenth and Early Eighteenth Centuries, English East India Company Sources. eds. by Vahé Baladouni and Margaret Makepeace, American Philosophical Society, 1998) 本史料は イギリス公文書館所蔵の交易関係文書のうち 東インド会社とアルメニア人との交易に関する公文書集である その中から約 1 世紀間 (1617~1709 年 ) の各種公文書 ( その種別については後述 )265 通を収録している それらは 1617 年から年次ごとにまとめられており一種の編年体史料集の体裁をとっている 各史料には年代順にタイトル番号 (1~265) が付され 続けて発信地 ( 発信人 ) 受信地 ( 受信 - 90 -

人 ) 発信時期 手稿分類 通信種別 そして 本文 ( 全文あるいは抄録 ) が収録されている その内容は 主として 東インド会社ロンドン本社 ( 取締役会 ) と各地商館の間 各地の商館どうし アルメニア人と東インド会社現地商館の間に交わされた通信文のほか 各地商館の業務報告 商務に関する約定 商務契約などである 本史料の底本は手稿であるが 編著者によって校訂が加えられ 活字化されている 校訂済みの本史料集にもなお手稿原本に見られる誤記 併記が混在しているが それらについては さらに筆者 ( 重松 ) による校訂を示すこととする 史料集には 以下の7 種類の交易関係公文書が含まれている 文書の内容と性格から判断して ( ) には本稿での訳語を記す Court Minutes( 取締役会詳録 ) Diary and Consultations( 商館業務録 ) Instructions( 商務指示書 ) Agreements( 商務協定 / 協約書 ) Correspondence( 商務交信録 ) Contracts( 商務約定書 ) Letters( 現地報告書 ) 本史料集の末尾には索引が付されており その項目は 通信文中に記録されたアルメニア人名 アルメニア商人に関する EIC の見解 アルメニア人の職能 競合する蘭 仏東インド会社 アルメニア人所在地 東インド会社関係者人名 アジアへの輸出品目 イギリスの輸入品目 商船名 通貨 度量衡名である 全 265 通の文書には アフリカ ペルシア シリア 中央アジア 東南アジア オーストラリア 西欧に関する様々な内容が含まれるが 本稿では そのうちインド ( セイロンを除く ) における活動を記した 225 通を扱う 2. 1688 年協約 2-1. 1688 年協約 とは 17 世紀末 有力アルメニア商人とイギリス東インド会社の間に 両者の権利義務関係を規定する複数の協約が取り交わされた 史料の文書 265 通には少なくとも 3 通のイギリス東インド会社 アルメニア商人間の 協約書 (agreement) が収録されている 7 これらの協約書のうち もっとも重要なものは 1688 年 6 月 22 日にロンドンで締結された 交易協約書 (trade agreement)( 史料 No.112) である それはロンドンの東インド会社本社と新ジョルファー (New Julfa) 出身で在ロンドンの有力アルメニア商人であるカラーンタル ( カランタル Khwaja P anos K alant ar 史料中には Coja Panous Calendar とも記される ) との間に結ばれたものである 本稿では本協約を 1688 年協約 と略称する ( 協約が規定された文書そのものを 協約書 とする ) この協約によって イギリス東インド会社側は本格的にインド進出 特にベンガル湾岸域の拠点確保の契機をつかみ アルメニア人側は イギリス東インド会社によってインドにおける交易などの権益を認められたという いわば画期的な協約であったと考えられている 本協約書については これまで少なくとも以下の 4 論考がその歴史的意義について言及している そのもっとも初期の言及は カルカッタに在住していたアルメニア人教師 Seth によって編纂された史料集の第 18 章である 編者 Seth は 7 頁にわたって全文 ( 写し ) を紹介しており 8 イギリス東インド会社が会社の憲章の中で認めたすべての権利について イギリス東イ - 91 -

ンド会社およびイギリスの商人と同等の内容をアルメニア人に与えることになった 画期的な協約 9 と評価している 本書で引用された協約書の原文は 1937 年当時には ロンドンのインディア ハウス (India House) の文書館に所蔵されていたものと考えられる 10 1970 年にフランスで刊行されたアルメニア研究誌の論考 11 では 協約書が存在したことは紹介されている しかし 当時のインドにおいていったいどのような史的意義があったのかは明らかではない また 史料の編者の一人ヴァヘ バラドウニー (Vahé Baladouni) は 本協約書の存在を参考資料として 近世アルメニア交易史 (17~18 世紀初期 ) における意義について次のように記述している 本協約書によって イギリス東インド会社はイギリス商人がこれまで享受してきた特権のすべてを アルメニア商人に与えるという前例のない方策をとった 12 しかし 本論文中には 協約の内容について論者による具体的な分析はなく いったい協約のどのような事項 内容が 従来のイギリス商人の特権 であり それらのうちの何を与えることがアルメニア商人に対する 前例のない方策 であったのか そして 既得のイギリス東インド会社特権の譲渡が これまでのアルメニア商人の権益 とどう関わるのかを明らかにはしていない さらにまた 南インド近世 近代交易史研究者のアラサラトナム (S. Arasaratnam) は その著書の中で 1688 年 6 月 ロンドンで協議 (negotiated) され 東インド会社のジョサイア チャイルド (Josia Child) 副総裁と卓越したアルメニア商人の指導者 Khwaja Panous Callender との間で締結された協約によって インドの全居留地におけるイギリス市民のすべての自由と宗教の完全なる自由をアルメニア人は得た 13 と明記している ( 下線部は筆者による ) Arasaratnam はこの協約の 17 世紀における史的意義について 端的に インドの全居留地における イギリス市民のすべての自由と宗教の完全なる自由 を ( すべての ) アルメニア人 に与えたと述べる はたして 当時のイギリス市民の自由とは何か 宗教の完全なる自由とは何か また イギリスが与えたのはそれら二点だけであったのか 1688 年協約 については いずれの論考もその歴史的意義を指摘しつつ しかしその具体的 詳細な内容が明らかにはされていない そのため イギリス東インド会社の権益と アルメニア人商人に対して 譲渡した ( あるいは 新たに与えた ) 特権の内容については 判断のしようがない また 4 本の論考が示唆するところは 本協約によって 初めてアルメニア商人の経済的 社会的 政治的権利がイギリス東インド会社によって保証され この協約を契機としてアルメニア商人がインド ( 及び東南アジア ) への進出の契機を見出したという点にある しかし そうした見解はイギリス側からの視点 歴史評価である 実態はそうであっただろうか 17 世紀以降の大英海洋帝国のさきがけたるイギリス東インド会社のもとに アルメニア商人のインド アジアにおける海洋交易が保護 維持されたのだろうか 以下 まずは 協約 の内容について具体的に検証する 2-2. 1688 年協約書 の内容 1688 年協約 の具体的表記である協約書は 主協約書 1 通と副協約書 2 通 ( 便宜的に副協約書 Ⅰ 副協約書 Ⅱ とする ) から成る これら 3 通の協約書 ( これら 3 通を含めて 1688 年協約書 とする ) にはいずれも 東インド会社総裁 (the Governour and Company of Merchants of London trading to the East Indies) ベンジャミン バサースト (Benjamin Bathurst) 副総裁 (Deputy Governour) ジョサイア チャイルド及び 3 名の評議員 (committee members) ウースター (Worcester) ジョン ムーア (John Moore) ジョージ ボーン (George Boun) の署名が付されている その主たる内容は イギリス東インド会社の影響下にあるアジア各地 特に在インドのアルメニア人の身分 地位 権利 交易商品 交易利権 取引条件などに関す - 92 -

る詳細な規定である < 主協約書 > 主協約書は その趣旨 内容から判断して 7 つの項目によって構成されている 本稿では 一応 各内容を A~G の段落に区分し 各段落ごとに主項目を付しておく A はイギリス東インド会社側の締結代表者 5 名とアルメニア人側の代表者たる有力商人 1 名との協定の頭書 B は 本協約の骨子たるアルメニア人の身分 地位 権利 義務に関する概括的規定 C は アルメニア商人の主たる交易品目とイギリス東インド会社の舶載条件 D はイギリス東インド会社商船へのアルメニア人乗客の乗船条件 E はアルメニア商人の西欧における海洋交易の条件 F は イギリス東インド会社側のアルメニア商人に対する主たる権限規定 そして G は本協約書の結語である 以下にまず 1688 年協約書 の主協約書について分析する A: 頭書 東インド会社本社より関係各位へ 文書 NO.112 取締役会詳録 (Court Minutes) 1688 年 6 月 22 日 ( 原史料 No. B/39 pp.133b-135-a) [ 交易協約書 (Trade Agreement)] わがイギリス東インド会社副総裁ジョサイア チャイルド准男爵閣下と アルメニアの卓越した商人にして ペルシアはイスファハーンの住人なる Coja Panous Calendar およびロンドンのナイト ジョン チャーダン ( ジャン シャルダン John Chardin) 閣下との間に行われてきた長きにわたる協議の結果に鑑みて 両名 (Calendar および Chardin) はアルメニア民族 (nation) を代表して わが副総裁に対し インド ペルシアさらにはイギリスを経由しての西欧向け交易を アルメニア人が一手に担ってきたその詳細を提示してきた もしアルメニア民族がわが社から特許を得 その結果として アルメニア人が西欧との間の古きからの交易路を変更する意向を強く示せば それはわが顧客の利益のみならずイギリス海運の増大にも大きく貢献することになろう わが王国の公的な貿易およびわが海運の増大と促進を常に切望するがゆえに 本事案に関するあらゆる条件について 真剣に討議した後 以下の如く同意しかつ決議すべきと我われは考えるに至った B: 骨子 第一に アルメニア人 (Armenian nacion) は向後 当イギリス東インド会社が冒険商人 (adventurers) や他のイギリス商人のすべてに付与するであろうあらゆる寛大な恩恵と同一のものを享受する 第二に アルメニア人は向後 いついかなる場合にも イギリス公民 ( freeman) と同様の有利な条件で イギリス東インド会社船によってインドとの往来を行う自由な権利 (free liberty) を享受する 第三に アルメニア人 (nacion) は向後 イギリス東インド会社が統治するインドのいかなる都市 要塞 市街地においても自由に居住し かつ土地 家屋の購入と売買を自由に行い 生来のイギリス人 (Englishmen born) と同様にあらゆる公権を行使し 自らの宗教については 自由にして妨げなき儀式を常に営む権利を有することとする さらに 本協約でアルメニア人に譲渡されたあらゆる特権を完全に享受する権利は 向後イギリス東インド会社の職務にある総裁が誰であれ いかなる形においても妨げるものではないことを 我わ - 93 -

れはここに宣言する また アルメニア人 (Armenian nacion) は イギリス東インド会社の請負商人 (factor) や生来のイギリス人 (Englishmen born) が負うべき課税以上のものを納めることはない 第四に アルメニア人 (Armenian nacion) は イギリス東インド会社船やイギリス東インド会社が承認した自由交易船 (free ships) によって イギリス東インド会社の要塞からインド 南海 (South Seas) 14 中国あるいはマニラの諸港市へ航海し かつ中国 マニラあるいはイギリス東インド会社の勅許の及ぶ域内にある諸港市においては すべての自由イギリス人 (free Englishmen) と同一の条件 税 船荷によって交易を行う任意の権利 (liberty) を享受する C: 交易品 船荷条件 すべての英本国人は 船荷運賃及び舶載料として 対外向け金地金については ( 商品の ) 2% 英本国向けダイヤモンド及び他の貴石については 3% を支払う これに対して アルメニア人は 以下のごとく支払うべきことが本協約で宣言され同意された すなわち 1) 船荷運賃及び舶載料として 対外向け金地金は 3% 英本国向けダイヤモンドは 2% 2) 珊瑚 琥珀玉 6% 未加工珊瑚 琥珀 コチニール 水銀 刀剣刃 全火器類 雑貨品 精製 未精製鉄 紙 筆記用具 イギリス産ガラスメガネ 食器 ニュルンベルク陶器 製品については 舶載料 10% 及び船荷運賃 1 トン当たり 5 ポンド 3) 皮革全種 ヴェネチア産陶器 製品すべてについて 舶載料は無料 船荷運賃は 1 トン当たり 6 ポンド 4) 舶載料については 各種の布 羊毛製品は 12.5% ただし船荷運賃とインドにおけるイギリス東インド会社の関税を除く 5) 鉛は 10% の舶載料 1 トン当たり 3li の船荷運賃 6) 飲食用食糧品は 1 トン当たり 6 ポンドの船荷運賃 ただし舶載料は無料 7) 本国向け動産すべてについては 以下の方式で支払うこととする すなわち ダイヤモンド 真珠 ルビー あらゆる種類の貴石 龍涎香は 2% の船荷運賃 舶載料は上記に同じ (2%?) あらゆる種類のじゃこうは 6% の船荷運賃と舶載料 胡椒は 1 ポンド当たり 1 ペニー コーヒーは 10% の舶載料と船荷運賃 ペルシア産生糸は 1 トン当たり 21 ポンドの船荷運賃 舶載料 関税 その他の課税は一切不要 ただし 2.5% の滞船超過料 ペルシア産作物および産品 ( 禁輸品のカルマニア産羊毛を除く ) は 10% の舶載料およびイギリス東インド会社船と同額の船荷運賃 それ以外の支払いは一切不要 中国とインドの物品すべてについては イギリス東インド会社による独占的な交易に限り 荷積み港の如何に関わらず 13% の舶載料とイギリス東インド会社船の支払い額を超える船荷運賃 D: 関税 以下に述べるように 物品に対する関税 すなわち英本国向け及び海外向けのすべての物品については イギリス東インド会社領の港市 都市あるいは他の港市 都市の如何を問わず また その積み出し 荷降ろしにかかわらず 送付状 (invoice) 通り 原価に対して 5% の関税を東インドのイギリス東インド会社に支払うべきこと ただし 本条項ではすべての地金 ダイヤモンドおよび他の貴石 龍涎香 じゃこうおよびペルシア産生糸は例外とする さらに 以下の如く同意する すなわち 海外向け全物品の舶載料および船荷運賃は 前述した如く ロンドンのイギリス東インド会社向け物品の担保契約に従って 1 ポンド - 94 -

8.5 ルピーをインドにおいて支払うべきこと また 我われは以下の如く布告する すなわち 会計処理の便宜上 東インドのイギリス東インド会社に支払われるべき関税は 他の負荷金すなわち船荷運賃および舶載料とともに 積荷明細書毎に総額として一括し 積荷明細書の記載者に物品が配送される前に必ず支払われるべきこと かつその総額は 上記の担保契約と異ならないこと また いったん関税が支払われた物品については 最初の支払地たるか東インド地方の他の港市 都市たるかを問わず その物品の再輸出入に関わりなく 関税を再度支払うことはない E: 乗船条件 イギリス東インド会社船の乗客はすべて 1 ポンド当たり 8.5 ルピー換算で 12 ポンドの海外向け乗船料を東インドで支払うこと また 本国向け乗客は上記と同額の他に 一人当たり 8 ポンドの食費を必ずロンドンで支払うべきこと また 船長同席の食卓を囲む者は 一人当たり 10 ギニーを船長に支払うこと しかし 従者については別途に食事を供されるが 船員と同額の食費を支払うべきこと アルメニア人乗客については 海外か本国への渡航かを問わず 一人当たり 250kg の範囲内で 衣類 家財 食料を無料で持参することが認められる F: 海洋交易の拡大条件 上記アルメニア人はこれまで インドからトルコへの内陸路交易をペルシア アラビア経由で専ら行ってきた さらに今や 彼らはイギリス経由での大々的な交易を望んでいる このことに鑑み 以下の如く我われは布告し同意する すなわち 真正の送り状 (invoice) と積荷明細書にもとづき イギリス東インド会社と同額の船荷運賃とともに 当該物品のロンドン価格の 10% の舶載料を支払う限りにおいては アルメニア人は東インドのいかなる物品であれ いかなるイギリス向けのイギリス東インド会社船を利用しようと自由である さらにまたここに布告する すなわち 上記の如く ( アルメニア人によって ) 託送された物品が イギリス人の輸送によってトルコ ヴェニスもしくはレグホン ( リベルノ ) もしくは アルメニア人所有主 ( proprietors) もしくはその代理人 ( agents) が指示した託送地以外の 西欧の他の諸港市 都市に陸揚げされていないということが確認されるまでは わがイギリス東インド会社は上記宅送品を留置 保有する権利を有する かつ 最後に 次の如く布告し合意する すなわち 上記規定に関わらず トルコ向けの上記物品については 船荷運賃および初期経費?(first cost, 意味不明 ) 全額 すなわち インドでは 1 ポンド当たり 8 ルピーの換算額を差し引いた金額に対する純益のうち その 3 分の 1 を所有者 ( アルメニア人 ) に対して支払う限り わがイギリス東インド会社がそれら物品を当社の所有として保全することは合法的である G: 結語 イギリス東インド会社総裁 副総裁および取締役 3 名の署名のもと 1688 年 6 月 22 日のこの日 イギリス スコットランド フランスおよびアイルランドの守護者のお恵みによって ジェームス 2 世統治の第 4 年 イギリス東インド会社はこの協約を裁可した < 副協約書 Ⅰ> ロンドン東インド会社総裁および東インド会社より 関係各位へ アルメニアの卓越した商人にしてペルシアはイスファハーンの住人なる Coja Panous Calendar は 同人および他のアルメニア人 (nacion) によるイギリス船での交易を行うべく わ - 95 -

がイギリス東インド会社と協約を締結するに多大の労をとって来た 総裁およびイギリス東インド会社はその労を多として (Coja Panous Calendar の要請により ) [ 原文ママ ] 本協約書によって 同人が関税 10% とイギリス東インド会社負担の通常の船荷運賃を支払う限りにおいて 同人とその家族に対してザクロ石の独占的な交易の権利を無償で与える かつまた 我われは以下の如く布告する すなわち この商品 ( ザクロ石 ) の交易については イギリス東インド会社自らが行うこともなく また 他のイギリス人や異邦人 (strangers) が将来において交易を行うことを 妨げるものではない イギリス東インド会社総裁 副総裁および取締役会 3 名の署名のもと 1688 年 6 月 22 日のこの日 イギリス スコットランド フランスおよびアイルランドの守護者のお恵みによって ジェームス 2 世統治の第 4 年に < 副協約書 Ⅱ> ロンドン東インド会社総裁および東インド会社より 関係各位へ 東インドにおけるイギリス同朋 (our people) との交易 通商をアルメニア人が切望していることに鑑み わが支配下 (under our jurisdiction) にある東インドの要塞諸都市において アルメニア人の定住 (settle) と ( 我らとの ) 共住 (cohabit) を奨励すべく 本協約書によって以下の如く布告し 許可し かつ同意する すなわち アルメニア人 (nacion) たる者 40 人余が東インドのイギリス東インド会社のものたる要塞諸都市の住民となり 彼らが自らの宗教を自由に信ずるばかりでなく 割り与えられた一定の区画に彼らの信仰と神への奉仕を望み通りに行うための教会を建てることが認められる さらにまた 彼らは木造の教会を彼らの出費で建造し 望むならば その後 石材もしくは堅固な素材でもって 自らが望むように建造できる さらにまた 宗教行事をとり行うべく招きし僧侶 司祭の維持費として 年間 50 ポンドを 7 年間与えることを 総裁およびイギリス東インド会社は認めるものである イギリス東インド会社総裁 副総裁および取締役会 3 名の署名のもと 1688 年 6 月 22 日のこの日 イギリス スコットランド フランスおよびアイルランドの守護者のお恵みによって ジェームス 2 世統治の第 4 年に 2-3. 1688 年協約 の意義 3 通の協約書は 一種の紳士協定に似た性格の文書である この文書によって イギリス東インド会社がアルメニア人に対して 協約 したと考えられる内容は何か それらは 主協約書の B 協約骨子でまず要約され 更にその詳細は C~F の各協約内容と 2 通の副協約書によって補足 説明されている それらの要諦は以下の点にある 第一には アルメニア人の基本的な権利の付与であった それらは C D E F で詳細に記述されているように イギリスの冒険商人 (adventurer) や請負商人 (factor) 他のイギリス商人 ( 自由貿易商人 ) たちと同等の恩恵であり 具体的にはイギリス居留地 ( 商館 都市 ) における居住 土地家屋の購入 売買 渡航 往来の自由 イギリス人 と同等の公権 財産保有そして信教に関する自由であった とりわけ信教の自由については 更に副協約書 Ⅱ によって教会の建設とアルメニア人司祭の招致に関する具体的な補助の内容にまで言及している イギリス東インド会社領各地におけるアルメニア教会と独特なキリスト教の意義については本稿では触れないが イギリス東インド会社は アルメニア人居住地におけるアルメニア教会の存在とその宗教的重要性を認識し その保護が不可欠とみなしていたと考えられる こうした様々な条項によって 17 世紀末のイギリスはアルメニア人 (nacion) に対して 準イギリス人 としての地位 権利を容認したと考えられる ここでいう 準イギリス人 とは B: 協約骨子 の史料用語でいえば 生来のイギリス人 (Englishmen born) あるい - 96 -

は 自由イギリス人 (free Englishmen) 自由民 (freeman) である では 生来の あるいは 自由なる イギリス人とはどのような地位であったのか 少なくともこの協約には 17 世紀イギリスの 国民 公民 民族 に関する明確な規定は示されておらず イギリス東インド会社による 国民 規定の不明確 あいまいさが内包されていた 15 第二には アルメニア商人に対する自由交易権と特恵的な優遇措置の付与であった その内容は B 協約骨子 が示すように 自由イギリス人と同一の条件 税 船荷によって交易を行う任意の権利 であり 具体的には C: 交易品 船荷条件 で詳述されるように 各種品目に対する船荷運賃 ( 船価重量と搬送距離 ) 舶載料 関税に関する優遇条件であった ただし これらの条件は イギリス東インド会社総督の後退に関わらず保障されると明言しているが 基本的には イギリス東インド会社の影響下にあるインドの居留地 ( 商館 都市 ) のアルメニア人を対象とするものであった 第三には アルメニア人の交易品 交易圏のイギリス東インド会社への取り込みである C: 交易品 船荷条件 に記された交易品の品目は以下のようである 貴金属 宝石 宝飾品 金属 金地金 ダイヤモンド 珊瑚 琥珀 龍涎香 じゃこうコチニール 16 鉄 水銀 鉛 武器 刀剣刃 火器 雑貨品 紙 筆記用具 メガネ 食器 陶器 皮革 羊毛製品 生糸 嗜好品 胡椒 コーヒー このような交易品目のリストから アルメニア商人の交易品の多様性が見られるとともに それらの交易を協約で 保護 することによって イギリス東インド会社がアルメニア商人の交易品を 囲い込む 意図が窺われる 交易品のみならず 更には アルメニア海商の保持していた海洋交易圏の包摂をも意図したと考えられる F: 海洋交易の拡大条件 では アルメニア商人によるイギリス東インド会社船の利用とインド産品の交易の自由を与え かつトルコ イタリアにおける交易の優遇措置を保障する内容である ただし イギリス東インド会社は アルメニア商人による対トルコ交易については 低利低額の補償金でアルメニア商人の交易品に対する担保を確保するなど その権限を巧妙に制限している さらには 東南アジアでアルメニア人が独占していた交易圏をイギリス東インド会社の支配下に置く動きがみられた B: 骨子 の第 4 項では 協約書は次のようにうたっている イギリス東インド会社はアルメニア人に対して イギリス東インド会社船やイギリス東インド会社が承認した自由交易船 (free ships) によって イギリス東インド会社の要塞からインド 南海 (South Seas) 17 中国あるいはマニラの諸港市へ航海し かつ中国 マニラあるいはイギリス東インド会社の勅許の及ぶ域内にある諸港市においては すべての自由イギリス人 (free Englishmen) と同一の条件 税 船荷によって交易を行う任意の権利 (liberty) を与える と 本協約が締結されて 36 年後の 1724 年 マドラスの商館記録 (Madras Record) に初めてアルメニア人富裕商の名前が挙げられている それはマニラから到来した Coderjee(Coja) Petrus である 当時マニラとの交易は専らアルメニア商人の手にあり 彼らは西欧からの商品をオランダ商船に舶載し かつ東洋の商品をフランスの支配下にあったポンディシェリーや他の港市に運んでいた そうした商行為に対して イギリス東インド会社総督 (President) はアルメニア商人に対して非難を行っている 18 第五には イギリスによる公的な権利保障の明記である - 97 -

主協約書の A: 頭書と G: 結語 及び 2 通の副協約書の構成から明らかなように 本協約はイギリス ( 及び国王 ) を代表するイギリス東インド会社が アルメニア人を代表する有力商人 Khwaja P anos K alant ar (Coja Panous Calendar) に対して与えた協約であり B: 協約骨子 の冒頭にあるように 総裁の何者によるかに関わらず 17 世紀のイギリスによるアルメニア人に対する公的な権利保障としての意義をもつものであった 19 おわりに 1688 年協約 はアルメニア人側に何をもたらし アルメニア人にとってこの協約はどのような意味を持ったのだろうか 第 2 章の協約書の内容から 以下の事実が明らかになる EIC は在外英国人 EIC 社員 請負商人 冒険商人たち と同等 同種の権利 地位 身分を 在インドのアルメニア人たちに保障した それは具体的には インドの居留地における居住権 土地売買の自由 公民 の権利であった そしてまた EIC の勢力下にある港市間の往来と航海の自由 舶載商品の許認 船賃 関税の優遇措置であった また 協約書に列記された多種多様な交易商品のリストに見られるように 従来 アルメニア商人が行ってきたさまざまな交易品とアジアにおける交易活動の いわば EIC による 追認 あるいは お墨付き であった そのことは従来の所説 すなわち イギリス東インド会社にとっては アルメニア商人によるレヴァント交易における独占的な生糸交易の 英国への迂回と英国商人の参与だけが目的ではなかった それが直接の動機であれ 本協約の主たる狙いではなかったと考えるべきであろう 協約書の B: 骨子の第 4 項 の文言に巧妙に刷り込まれているように EIC の狙いは インド 南海 (South Seas= 東南アジア海域 ) 中国の交易の拡大であり インドから東南アジア 東アジアへの海域支配の拡大というイギリス東インド会社の交易戦略の転換であったと考えられる その端緒は第 3 章の EIC 居留地の変動から明らかである アルメニア人にとって イギリス東インド会社による特恵的な関税や EIC 商船の利用 あるいは多様な交易品の 承認 とは アルメニア人側にとっては 新たな権限の付与 を意味しなかった それらは既存のアルメニア商人が保持していた様々な交易権益であり 新たに分与を求めるイギリス東インド会社側からの 要請 であった それが会社の言う新たな交易関係 trading partnership であり アルメニア人の権利保障と保護を名分とした 勢力拡大ではなかったかと考えられる その具体的な有りようが trading partnership であった 17~18 世紀におけるイギリス東インド会社の勢力拡大と海洋帝国の布石には アルメニア人の交易活動とその拠点 ( 居留地 ) への依存が一つの大きな要素であったと考えられる < 付記 > 本稿は 2013 年 ~2015 年度の 21 世紀海域学の創成 プロジェクト ( 私立大学戦略的研究基盤形成支援事業 代表 立教大学文学部上田信教授 ) の共同研究員として 3 次にわたって報告した論考の一部と 2014 年 9 月 20 日に北海道大学で実施されたシンポジウム 人の移動 移住とその記録 陸と海の近世アジア ( 代表 北海道大学文学研究科守川知子准教授 ) での報告をもとに執筆したものである 各プロジェクト シンポジウム代表の上田信 守川知子両先生 様々なコメント 批判をいただいた参加研究者の方々 そして研究プロジェクトを支えられた事務局の方々に心からお礼申し上げたい 注 - 98 -

1) フィリップ カーティン著 田村愛理 中堂幸正 山影進共訳 (2002) 異文化交易の世界史 NTT 出版 ( 原著 Curtin, Philip D.(1984) Cross-Cultural trade in World History. Cambridge University Press 訳者山影進の 解題 論文では 交易離散共同体は われわれの目に入る実体としての個々の共同体 ( 地域社会 街 ) の集合を指すのではなく 各地に散らばるそのような共同体を結節点とする大きなまとまりを指す概念である (p.15 ) と要約している 第 9 章 17 世紀の陸上交易 ヨーロッパ- 東アジア間のアルメニア商人 で アルメニア商人について おそらく初めてtrade Diaspora/trading Diaspora ( 交易離散共同体 ) なる用語 概念を用いたカーティンは アルメニア人共同体としてのアイデンティティを保ち 故郷とのさらに密接な連絡を復活させることにより アルメニア人としての自覚を時々回復させることができた居留地 ( 訳書 p. 255) の存在を明らかにし こうした各地に点在する居留地 交易地を結ぶ文化的結合 社会的状況を 交易離散共同体 という概念で理解している (p. 270) 2) Asianian, Sebouh David(2010)From the Indian Ocean to the Mediterranean : the Global Trade Networks of Armenian Merchants from New Julfa., University of California Press.; Denys Lombard and Jean Aubin (eds.)(2000), Asian Merchants and Businessmen in the Indian Ocean and the China Sea, New Delhi: Oxford University Press; Margaret Sarkissian(1987), Armenians in South-East Asia, Crossroads, an Interdisciplinary Journal of Southeast Asian Studies, 1-33. 3) [ 史料 ]Armenian Merchants pp.95-163; Arasaratnam, S.(1986) Merchants, Companies and Commerce on the CoromandelCoast1650-1740.pp.95-163,OxfordUniversityPress.; K.N.Chaudhuri(1978) The Trading World of Asia and English East India Company, 1660-1760, Cambridge University Press. 4) McCabe, Ina Baghdiantz(1999) The Shah s Silk for Europe s Silver, The Eurasian Trade of the Julfa Armenians in Safavid Iran and India(1530-1750), University of Pennsylvania Armenian Texts and Studies., no.15, Scholar Press, Atlanta. 5) 随伴的交易活動 trading partnership とは 史料中の用語ではなく 史料 1の編者が序章論文の研究誌概説 (pp. xvii, xxviii-xxix) においてカーティンの概念を援用し 索引に付した用語であるが その明確な説明はない しかし 従来の研究 通説では イギリス =EICに従属しながら アジア交易を行ってきたアルメニア商人 という文脈が一般的であった こうした通説的文脈を再検討することが本稿の課題でもある 6) [ 史料 ]Armenian Merchants p. v. 7) 1688 年交易協約書 ( 史料 No.112) [1694 年スーラト協約書 ]( 史料 No.176) および 1695 年ボンベイ協約書 ( 史料 No.212) の3 通である 8) Seth 本 pp.233-239. 9) Seth 本 p.231-232. 10) Seth 本 p. 233. 11) R. W. Ferrier, The Agreement of the East India Company with the Armenian Nation 22nd June 1688 in Revue des etudes arméniennes, No. 7, n.s., 1970,pp.427-443. 12) Armenian Merchants p.xxii 13) Arasaratnam, S.(1986) p.158. なお 以下に協約内容を紹介するように Josia Childはイギ - 99 -

リス東インド会社の副総裁であり また アルメニア商人の表記は元史料とは異なる 14) South Seasとは 当時では一般に赤道以南の海域を指すが 本協約書の内容と当時のイギリス東インド会社の交易戦略からすれば インドから南シナ海 東シナ海にかけてのアジア海域を含意していたのではないかと考えられる 15) その後 大英帝国の支配拡大の中で イギリス臣民 British Subject とは何かについて その身分 地位 権利規定は不明確なままであり 後に大英帝国植民地領の民族問題を惹起することとなる 英領インド アフリカ 香港 セイロンなど英領植民地における 臣民 の帰属問題は 20 世紀後半まで続いたことは明らかである 重松伸司 (1999) 国際移動の歴史社会学 近代タミル移民研究 名古屋大学出版会 pp.18,23,24 16) 羊毛 生糸などの赤色染料となるコチニール貝殻虫 17) South Seasとは 当時では一般に赤道以南の海域を指すが 本協約書の内容と当時のイギリス東インド会社の交易戦略からすれば インドから南シナ海 東シナ海にかけてのアジア海域を含意していたのではないかと考えられる 18) Seth 本 p.581. 19) 本稿では言及しないが イギリス東インド会社が解散したのち 大英帝国下に入ったアルメニア人に対して こうした保障が有効性をもったか否かは 新たな研究課題である - 100 -