日本人とキリスト教 初代キリスト教と日本 The Japanese and Christianity:Early Christianity and Japan 深津容伸 Yoshinobu Fukatsu 要旨キリスト教には 初代キリスト教の段階で適応主義を取る者たちがおり ( その傾向はイエス キリストの活動の中にすでに見られるものである ) 彼らは異邦世界で生まれ育ったユダヤ人たちだった 彼らはユダヤ教徒であったが イエス キリストを信じる信仰に生き方を変えられ ユダヤ教の戒律 ( 律法 ) による生き方を否定した このことによって キリスト教はユダヤ教から脱し 異邦世界へと大きく発展することになる その広がりの中で主要な役割を担い キリスト教の理論的基礎を築いたのがパウロだった 彼はギリシア世界への伝道者 使徒としての使命への自覚のもとに 伝道に乗り出していく中で ガラテヤ人と出会う 彼らはヨーロッパのケルト民族のガリア人の移民を先祖としていた 本稿では 彼らへの手紙である ガラテヤの信徒への手紙 を通し パウロの適応主義がいかなるものであったかを探る そしてそのことによって 日本におけるキリスト教のあり方へと指針となるような考察をしていきたい キーワード : カトリックとプロテスタント 初代キリスト教の適応主義 パウロの適応主義と日本 1 カトリックとプロテスタントカトリックとプロテスタントの違いはどこにあるのかという問いはキリスト教に関しての問いとしてよく尋ねられるものである 日本人は宗教の役割として大きなものは 御利益宗教は別として 人間の心に平安を与える すなわち安心立命であり 宗教間に争いがあることを好まない 特に隣人愛をモットーに掲げるキリスト教という宗教に 分裂や宗教間の争いが起こり しかもヨーロッパの歴史に見られるような戦争までも生じるというのは 日本人が眉をひそめることがらである これはキリスト教の負の遺産として 日本人の心にも深く刻み込まれている 日本人はキリスト教の内容 ましてやカトリックとプロテスタントの違いなど解らなくても 十字軍にも見られるような 血で血を洗うような歴史がキリスト教にはあることを知っているのである 故に 冒頭の問いかけも 真意の多くは興味本位のものではない もちろんそういう場合もあるであろうが 同じキリスト教なのに -1-
なぜ分派があり 争い合ってきたのかという思いがある ここで本題からはそれるが このことについて若干答えておきたい それは 宗教が政治権力と結びつくと排他性を増し 戦争や権力闘争の道具と化すということである それは大平洋戦争終結まで続いた国家神道を見ればわかる 来るものを拒まず 去るものは追わず その場所に鎮座して動くことのない神道が 国家権力の道具となり 日本国民の精神統一のため また戦争のために犠牲を強いることに利用され あげくは他宗教の断圧をもたらすことになったのである 日本人は多神教の民族であり 複数の宗教に関わりながら生活してきたのであるが 特定の宗教と政治権力が結びつくと この様な様相を呈することとなる それは西欧世界も同じであり 国家同士の戦いにおいてそれぞれの国家に カトリック プロテスタントが主要宗教として存在すれば あたかも宗教戦争のような様相を持つことになる 国家権力は 宗教を国民精神の統一のために あるいは戦争を聖戦と位置づけて 国民に犠牲を強いるために利用するのが当たり前ということができる さて 本題に戻るが 筆者はカトリックとプロテスタントの主な違いは 当然ではあるが 歴史的推移からきていると考える カトリックはその長い歴史の中で伝統を築き上げ その伝統そのものがキリスト教となった それは西欧世界に土着化し 民衆の宗教として あるいは国家権力の宗教として定着させるものだった カトリック側は, 自らを不変の あるいは普遍のキリスト教と位置づけているかもしれないが ヨーロッパに広がっていた女神信仰に代えてのマリア信仰の導入 守護神 ( 多神教 ) に代えての聖人信仰の導入など キリスト教の根幹を変えての大きな変容を遂げている カトリックでは築き上げられてきた伝統を継承し ミサの儀式に参与することがキリスト教信仰にとって主要なものとなる 以上に対し プロテスタントはマルティン ルターの宗教改革に端を発し ジョン カルヴァンがさらに推し進めて発展してきたものであり 基本的に聖書が語るキリスト教を原理としている 言い換えれば 聖書に基づく原理主義的キリスト教であり カトリックの伝統主義とは大きく異なっている そして 初代教会に帰れ という言葉が示す通り 初代 ( 原始 ) キリスト教がもっとも理想的なキリスト教信仰であるとする 本稿で論じたいのは ここでいう初代 ( 原始 ) キリスト教はいかなるものであり それは日本人とどのように関わりえるかということである 2 初代キリスト教と適応主義キリスト教がユダヤ教を母体としているということは キリスト教についてある程度学んできている人々にとっては良く知られていることである キリスト教徒が信仰の対象としているイエス キリストはユダヤ人だった コダヤ教徒たちは 自分たちの民族の一員であるイエスを 十字架につけて処刑してもらうためにローマ兵に引き渡したのである それは当時ユダヤ教が罪人として排斥していた人々 すなわちその貧しさの故にユダヤ教の戒律である律法に従って生きることができない人々 ユダヤ人が敵対しているローマ帝国の手先となって徴税人となっている人々のために教えを説き 神 -2-
は彼らの味方である 彼らこそ神の愛の対象であると語ったからである これは当時のユダヤ教に対 する逸脱行為だった ユダヤ教はこれらの人々と接触することさえ禁じていたのである ユダヤ人た ちにとっては イエスはユダヤ教違反行為者と映っていたであろうが イエスにとって これは当時 のユダヤ教を超えた 旧約聖書の預言者の立場に立った新しい信仰の出発だったのではないだろうか ( ルカによる福音書 4 章 17-21 節 預言者イザヤの巻物が渡され お開きになると 次のように書 いてある個所が目に留まった 主の霊がわたしの上におられる 貧しい人に福音を告げ知らせるため に 主がわたしに油を注がれたからである 主がわたしを遣わされたのは 捕らわれている人に解放 を 目の見えない人に視力の回復を告げ 圧迫されている人を自由にし 主の恵みの年を告げるため である イエスは巻物を巻き 係の者に返して席に座られた 会堂にいるすべての人の目がイエスに 注がれていた そこでイエスは この聖書の言葉は 今日 あなたがたが耳にしたとき 実現した と話し始められた マルコによる福音書 2 章 22 節 また だれも 新しいぶどう酒を古い革袋に入 れたりはしない そんなことをすれば ぶどう酒は革袋を破り ぶどう酒も革袋もだめになる 新し いぶどう酒は 新しい革袋に入れるものだ を参照 ) 彼がユダヤ教の権威者 指導者たちと激しく対 立したのは 預言者の信仰に立てば 神の意志が正統ユダヤ教を超えたところに存在すると確信して いた故であると思われる 彼はこの新な信仰に 福音 ( 喜びのおとずれ ) を見い出したといえる そ れは罪人としてユダヤ教が排斥する人々を良しよするする信仰である イエスによってキリスト教が 出発したというのは言い過ぎになるであろうが キリスト教はその信仰の対象であるイエス キリス トからすでに 古いものを捨て去り 新しい視点と状況に向けて大胆に信仰内容を変容させていく性 格を持っていたのである キリスト教会はイエス以後成立するのであるが それは決して一枚岩ではなかった キリスト教会 はエルサレムで出発し 教会の主な構成員はユダヤ人たちだった しかし ユダヤ人といっても様々 な背景をもってエルサレムに集まってきている パレスチナで生まれ育ったユダヤ人もいれば ギリ シア世界で生まれ育ったユダヤ人たちもいた 聖書では 異邦世界出身のユダヤ人たちをヘレニスト ~Ellhnisth,j (hellēnistēs) 1 と呼んでいる 新共同訳聖書で ギリシア語を話すユダヤ人 ( 使徒言行 録 6 章 1 節 ) と翻訳されているとおり 彼らは異邦世界で生まれ育ち 当時の公用語であったギリシ ア語を日常会話で使っていた それだけではなく 彼らはユダヤ数以外の異邦世界の文化 宗教が存 在する中で育っており 以下のようなユダヤ教の律法がいかに特殊であり 不便かについても痛感し ていた 男子に科せられていた割礼 ユダヤ人の日常生活を支配していた食物規定 安息日規定は 他民族の中で生活する上で支障をきたすものだった その中でも割礼は 他民族が改宗する上で大き はんすうな障害であった また 反芻をし ひずめが分かれた動物 すなわち牛か羊 そして魚はうろこのあ るものしか食せないという食物規定 ( レビ記 11 章 ) は 他民族と食事を共にすることを不可能にす るものだった また安息日規定は 異邦世界で異邦人の使用人や奴隷の身分にあるものたちにとって -3-
は死活問題であった この規定は金曜日夕方から土曜日夕方までは いかなる仕事もしてはならないと命じるものだったからである 異邦世界で生まれ育ったユダヤ人たちにとって こうしたユダヤ教律法 ( 聖書学では 上記のような律法を祭儀的律法と定義する 後にキリスト教は律法のうち 隣人愛のような律法 倫理的律法と定義 は継承し 祭儀的律法は廃棄していく ) は その厳しさの故に不便極まりないものとなっていた しかしこうした規定がある故に ユダヤ人たちは異邦世界の中にあってもなお ユダヤ民族としての絆と誇りを強固に保ちえたのであり ユダヤ教指導者たちは ユダヤ教律法をさらに厳しいものとすることはしても 緩めることなど考ええないことだった 神の前で正しい信仰者として認められるという義認の道は 律法を厳格に遵守することでしかなかったのである この不便さの中で苦しんでいたヘレニストたちにとり イエス キリストが人間の罪を一身に背負い 罪の赦しのための犠牲となって十字架での死を遂げたという信仰 この贖罪の死を信じることによって 人は神の前に正しい者と認められるという義認への信仰は 救いを投げかけるものとなった これは以上のような祭儀的律法の否定を可能とするものだった またこれは 信仰を異邦世界に広げる突破口になるものでもあった しかしこのことは 正統ユダヤ教徒にはとうて容認できるものではなく ユダヤ教の存続を危くするものだった ユダヤ教徒たちは イエスをキリストと信じ 祭儀的律法を否定するヘレニストたちを エルサレムにおいて迫害するようになる ここでいえることは キリスト教は正統ユダヤ教を大きく変容させているということである それはいうなれば 異邦世界に合わせるという形での変容であり 正統ユダヤ教からすれば 異端と断じるのは当然のものである キリスト教はその初期の頃から 信仰をその置かれた場所 時代や状況に合わせる すなわち適応主義の性格を持っていたのである キリスト教が民族を越えた世界宗教となりえた理由がここにある キリスト教が持っているこの適応主義は イエス キリストという種子の段階から蓄えられていたエネルギー源であり これを否定した中でのキリスト教信仰の広がりはありえないといえる 3 パウロの適応主義キリスト教の初期はユダヤ教とは未分化の状態であり だからこそ正統ユダヤ教はユダヤ教の異端として キリスト教徒を迫害したのである イエスをキリストと信じるユダヤ人たちの中にも 当然ユダヤ教キリスト派 すなわちユダヤ教徒として イエスをキリストと信じるという立場のものたちがいたし 教会を成立させていったイエスの弟子たちの意識もそうであったと思われる そして そうした意識のものたちの中には キリスト教信仰が異邦人たちに及んでいく中で 異邦人もまたユダヤ教の律法を遵守すべきであると求めていく者たちがいた 彼らは イエスをキリストと信じながらも 正統ユダヤ教の原理主義に立つものたちだったからである こうした正統ユダヤ教に立ちながらキリストを信じるものたちと戦ったのがパウロだった 彼はキリキア州のタルソスで生まれたれっきとしたヘレニストであったが エルサレムで教育を受け ユダヤ教の指導者の立場にあった その立 -4-
場からキリスト教徒を迫害していたのであるが シリアのダマスコへ向かっている途中で劇的な回心を遂げ キリスト教徒 キリスト教伝道者となる 使徒言行録 9 章 1-30 節によれば キリストの声を開くことによってこの回心は生じるのであるが 元来へレニストである彼が ヘレニストのキリスト者たちの言い分を迫害する中で聞いていくうちに その正当性に気づいていった可能性はある それは律法の厳格な遵守による義認ではなく 神に赦されての義認 ( いうなれば 赦しの神を信じる 信仰による義認 ) しか道はないということであろう そして彼はキリストと出会い 十字架の贖罪による赦しを認めるに至ったのではないだろうか 以後彼はヘレニストキリスト教徒の立場を堅持し 正統ユダヤ教 ユダヤ教主義キリスト者たちと戦うことになる 彼の立場は一言でいえば 異邦人は異邦人のままでキリストを信じれば良いということである 彼は異邦人がユダヤ教の祭儀的律法を科せられることには激しく反対した 律法遵守による義認を認めてしまえば イエス キリストの贖罪による義認は無意味になってしまうからである また彼がヘレニストユダヤ教徒時代に実感していたように ユダヤ教祭儀的律法は異邦世界では邪魔であり 従ってキリスト教伝道にとっても妨げとなるということである パウロがいかに適応主義の立場に立ちつつ キリスト教伝道を進めていたかは コリントの信徒への手紙一 9 章 19-23 節 わたしは だれに対しても自由な者ですが すべての人の奴隷になりました できるだけ多くの人を得るためです ユダヤ人に対しては ユダヤ人のようになりました ユダヤ人を得るためです 律法に支配されている人に対しては わたし自身はそうではないのですが 律法に支配されている人のようになりました 律法に支配されている人を得るためです また わたしは神の律法を持っていないわけではなく キリストの律法に従っているのですが 律法を持たない人に対しては 律法を持たない人のようになりました 律法を持たない人を得るためです 弱い人に対しては 弱い人のようになりました 弱い人を得るためです すべての人に対してすべてのものになりました 何とかして何人かでも救うためです 福音のためなら わたしはどんなことでもします それは わたしが福音に共にあずかる者となるためです を読めば解かる また パウロはそれぞれの民族に適したキリスト教のあり方があると確信している 割礼問題への強いこだわりはその表れでもある 福音はそれぞれの民族に適したあり方で伝えられるべきであるというのが彼の立場だった その意味では ギリシア世界で生まれたパウロにとって その世界をもっとも知り尽しているので ギリシアの異邦人向け伝道者として 自分は適任者であるという自覚があったと思われる このようにして 彼のギリシア世界への伝道旅行は 使徒言行録によれば3 回にわたって行われ 多くのキリスト教会が設立されるようになる この活発な伝道旅行の中で注目したいのは ガラテヤ地方への伝道である 4 パウロのガラテヤ伝道と日本 使徒言行録 16 章 6 節によれば パウロの一行は アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じら -5-
れたので フリギア ガラテヤ地方を通って行った とある これがどういう事態を具体的に指すものであるかは定かではないが ガラテヤへの訪問は 予定外の行動だったということである また ガラテヤの信徒への手紙 4 章 13 節によれば この前わたしは 体が弱くなったことがきっかけで あなたがたに福音を告げ知らせました とある この個所も ガラテヤ伝道が異例のものであったことを示している また あなたがたは できることなら自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです (15 節 ) は文脈的に近いところでの表現である故に 体の弱くなった具体的内容が眼病であったことを疑わせる 2 彼は病気にかかり 伝道から離れて静養するために ガラテヤに赴いたのであろうか しかしこの手紙は この訪問が伝道においても思わぬ成功であったことを示している 彼はもともとガラテヤでは伝道するつもりはなかったかもしれない それはなぜだろろか ここでも推測になってしまうが 彼の使命はギリシア世界の伝道であって ガラテヤはそれとは異っているという意識があったのではということである 地中海沿岸を中心に海路 陸路の発達によって発展してきたギリシア世界において ガラテヤは内陸に位置し 辺境の地であったといえる そればかりではない ガラテヤはその名前の由来をヨーロッパ ケルト民族のガリア人に求めることができ ガラテヤ人はその移民によって成り立っていた すなわちギリシア人ではなく 恐らく 文化的にも異なるものという意識によってパウロが避けていた あるいはパウロの伝道対象にはなかったということが考えられる パウロはギリシアの中心都市を巡って伝道しており ガラテヤが眼中になかっただけではなく ケルトという異なった文化が パウロの理解の範疇を越えるものであったと言えないだろうか しかし パウロはこのガラテヤで歓迎され キリスト教伝道は成功し 教会が設立されるに至った そしてその後 彼はこの地を離れ さらに伝道旅行を進めていったのであるが 彼が離れた後に問題が生じた それは律法の遵守を主張するユダヤ教主義のキリスト教伝道者が入り込んできたのである 彼らはガラテヤの教会で皆が割礼を受けるべきことを主張した そしてその主張は受け入れられていき その知らせに憤りをもったパウロがこの手紙を書いたのである ガラテヤの人々は元来移民によって成り立っていて 外来者に対し寛容であったと考えられる 自分たちもギリシア世界にあっては外来者だったからである 彼らはパウロー行を歓迎したと同様に ユダヤ教主義キリスト教伝道者を歓迎した このユダヤ教主義者たちの主張が受け入れられた要素の一つとして 彼らの使った言葉がガラテヤの人々の心情に響いたことは考えられえる ユダヤ教律法がこれら異邦の人々にとっては遠い世界のものであったにもかかわらず パウ口が憤るほどに受け入れられたのは 律法の呪い を持ち出したことにあると思われる 申命記 27 章 26 節には この律法の言葉を守り行わない者は呪われる ( ガラテヤの信徒への手紙 3 章 10 節をも参照 ) とあり 3 割礼を勧めるにあたり 彼らはこれを根拠として 呪い の用語を使用した ( すなわち 割礼を受けないと呪われる または 割礼を受ければ呪いを免れる ) と推定される ケルト人たちがどのような文化を持っていたかを正確に知ることには難しいものがあると思われる 彼らは文字を持っていなかったから文章として残っ -6-
ているものがない ヨーロッパの古い伝説を集めたグリム兄弟の努力はこの点で大きな功績を残しており ( それはパウロの時代におけるケルト民族とも重なり合うと思われるが ) そこから推定できることがあるとすれば ケルト民族も世界共通のアニミズム シャーマニズムの宗教意識の中にあったということである 4 先に引用された申命記の言葉もこの宗教意識の上に 律法 という言葉を載せたものであり 日本人にとってもそうであるように 呪い は人間にとってもっとも恐ろしい神の怒りであり 人間にこれ以上にないような災いをもたらす原因となるものである この言葉にガラテヤの人々が鋭く反応したことは十分に考えられえる 恐らく パウロ以上にユダヤ教主義キリスト者の伝道は成功を収めたのである ガラテヤの教会の人々が割礼を受けているという知らせを聞くとともに 彼らの主張の根拠を知ったパウロは 真っ向からこの主張を覆すことに努めている それはキリストの十字架の贖罪による 律法の呪い の無効化である 旧約聖書をめぐっての主張の展開は 若い頃からエルサレムで修業を積んできたものであり パウロが得意とするものだった 彼が初めてキリスト教の理論的基礎を築くことができたのは この能力に負うところが大きい パウロはガラテヤの信徒への手紙 3 章では ( 名詞 )kata,ra (katara) という言葉で3 回 (10 節 13 節 13 節 ), ( 動詞 ) evpikata,ratoj (epikataratos) という申命記 27 章 26 節からの引用として1 回 (10 節 ) 同 1 章 8 節 9 節では ( 名詞 )avna,qema (anathema) という言葉で2 回 呪い を語っている 他のパウロ書簡では ローマの信徒への手紙 9 章 3 節 コリントの信徒への手紙一 12 章 3 節 16 章 22 節でそれぞれ 1 回ずつ avna,qema (anathema) が使われ ローマの信徒への手紙 12 章 14 節で katara,omai (kataraomai) という動詞の形で1 回だけ使われる ガラテヤの信徒への手紙という 比較してもはるかに短い手紙の中で 呪い が6 回も使われているというのは異常な多さである ガラテヤの人々がこの 呪い に強く反応する人々であったことは パウロも学習しているものと思われる パウロはガラテヤの信徒への手紙 3 章 13 節において キリストは わたしたちのために呪いとなって わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました 木にかけられた者は皆呪われている と書いてあるからです と述べる これは申命記 21 章 23 節からの引用である 旧約聖書での 処刑された者を木にかけたあり方とキリストの十字架を結びつけることは パウロ以前にもなされてきた 5 しかし申命記 21 章 23 節を根拠として イエスの十字架を 呪いからの贖い すなわち呪いからの救い 解放と意味づけたのはパウロによるものであり しかもここだけの 特にガラテヤの人々に向けてのものであったということができる ということは 十字架へのこの意味づけは ガラテヤという地域の宗教意識に適応させたものであるということである それはヨーロッパのケルト民族のアニミズム シャーマニズムに合わせた十字架の意味づけでもあった パウロがもし日本のような風土で伝道したならば 日本人の宗教意識を学び 日本人に合わせたキリスト教伝道を展開したことは当然であったと思われる これから後 キリスト教はヨーロッパ世界へと広がっていくのであるが 先に述べたように 女神信仰に代えてマリア信仰を導入し マリア像を造り 守護神に代えて守護聖人を導入 -7-
するなど ヨーロッパ人の宗教意識に受け入れられ易いキリスト教へと形を変え ヨーロッパ世界全体に広まっていくことになる キリスト教の歴史を振り返って言えることは 土着化なしに宗教の定着はないということである キリスト教の歴史は土着化の歴史だった プロテスタントは カトリックのあり方に対し 聖書に立ち返ることによって成立した キリスト教の原点に立つことがプロテスタントの原理であるということになる その原点は初代教会であり 使徒行伝 ( 使徒言行録 ) に帰れ あるいは 初代教会に帰れ は プロテスタントにとり本質をついている しかしその初代教会あるいはパウロは 適応主義だったのである そこにキリスト教の躍動性 発展性 エネルギーが存在した 初代教会にしろ 聖書にしろ その中の何らかのパターンを原理として固定化すること ( このことによって プロテスタントは多くの教派に分かれることにもなった ) は イエス キリストという キリスト教の種子の段階ですでに内包されていたエネルギーを失うことになる プロテスタントによる日本伝道は 日本人の宗教意識や諸宗教を否定し キリスト教を強引に押しつけてくる押しつけがましいものと日本人には映った 特に宗教に和を求める日本人の反感を買った 日本人の宗教意識は 無宗教の意識が強くなっているとはいえ 今もなお根底においてアニミズム シャーマニズムである その宗教意識の中での救いこそが 日本でのキリスト教が推し進めるべきあり方であるといえる 1 Gustav Stälin;Die Apostelgeschichte,Das Neue Testament Deutsch,1968 大友陽子他訳 使徒行伝 NTD 新約聖書註解 (ATD NTD 聖書註解刊行会 1977 年 ) 190 頁 2 佐竹明著 ガラテア人への手紙 ( 現代新約注解全書 新教出版社 1974 年 ) 403-404 頁では その可能性について示唆する 3 ガラテヤの信徒への手紙 3 章 10 節でのパウロによる引用文 律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆 呪われている は 申命記原文にたいし改変があり すべて 絶えず の付加がなされている ここには 5 章 3 節の 割礼を受ける人すべてに もう一度はっきり言います そういう人は律法全体を行う義務があるのです という主張が背景にあり 律法を守ることが割礼だけでは済まないことを示している それは 律法による生き方も要求されることであり キリストへの信仰による生き方とは関係のない者となることを意味する なお 佐竹明著 前掲書 278-280 頁をも参照 4 このことについては 拙論 日本人とキリスト教 日本人の宗教意識とキリスト教 ( 山梨英和大学紀要 第 12 号 山梨英和大学 2013 年 2 頁以下 ) において論じた 5 佐竹明著 前掲書 294 頁を参照 -8-