を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

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2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

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2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

創世記5 創世記2章4節b~25

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

牧会の祈り

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

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は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

創世記5 創世記2章4節b~25

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(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

牧会の祈り

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

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ます しかしこれでは義に飢え渇いているとはとても言えないのではないでしょうか また自分の生活を振り返って こう質問してみてください 自分は果たして毎日をどんな基準によって歩んでいるだろうか と 神から見て何が正しいことかを考え その義に従って義の道を歩もうとしているか それとも義のことはあまり考えず

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

しイエス様は 5 章 20 節でこう言っておられました わたしはあなたがたに言います あなたがたの義が 律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ あなたがたは決して天の御国に入れません 律法学者やパリサイ人は 当時のユダヤの社会で最も道徳的な人たちと敬われていた人々です 彼らは当然 自分たちは正

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2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

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聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

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れているのは お与えになる神 神は 与える ことをご自身の特性とされる神です また 惜しげなく 神は与える際 どうしようか やっぱりやめておこうか 少し出し惜しみしようか などとは考えない この言葉は 8 節に出てくる 二心 と反対の意味の言葉です すなわち心が二つに別れていない 神は私たちに対して

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

マタイ 10 章 39 節 失うから見出す命 1A 天の御国と闇の国 1B 狼の中の羊 2B 主人の受けた仕打ち 3B キリストの告白 2A 平和でなく剣 1B 家族関係 2B 社会関係 3B 自己実現 3A 自己中心な社会 1B 自分探し の援助活動 2B 自分探し の弟子活動 3B 探せば失う原

牧会の祈り

失敗がこわいから ルールに反するから 仕事をしてるから 恥ずかしいから 人脈がないから 女だから で ほんとはどうしたいの?名言集 01.indd p11 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:35:42 名言集 01.indd p10 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

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* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだ

の詩や歌があるかもしれません もちろん 賛美歌が挿入されることもあります しかし ほとんど の場合 礼拝のこの部分は 信経または信仰の宣言をそのクライマックスとして持つことが適切です 準備言葉の典礼が明らかになると それに対する準備とそれに対する祈りの反応がどのように適合しているかが分かりやすくなり

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

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第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

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このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

ることができない信仰の弱い者 もう言葉にならないようなうめきや渇きや絶望を心に抱えている それで苦しんでいる そこで倒れようとしている そういう者のそばに すっと入ってきてくださって 今隣に座っていい? と やさしく 具体的に 一緒に座ってくださって 私に寄りかかってきなよ と 私に頼っていいよ と

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

あなたへの 聖書メッセージ ヨハネの福音書 3 章 16 節 ヨハネの福音書 3 章 16 節 神は 実に そのひとり子をお与えになったほどに 世を愛された それは御子を信じる者が ひとりとして滅びることなく 永遠のいのちを持つためである この ヨハネ 3 章 16 節のみことばは 聖書 66 巻の

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

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牧会の祈り

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

第 6 章では7つの封印のうち6つの封印が 神の小羊によって次々と開かれていきます 第一の封印が開かれると 冠をかぶり弓を持つ騎手の乗った白い馬が現れます 強い軍事力で他国を侵略していく帝国主義の象徴です 次に大きな剣を持つ騎手の乗った赤い馬 内戦や反乱で人々を苦しめる象徴です 黒い馬は飢饉を 青白


(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

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07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

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2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

聖書 :Ⅱ サムエル 20:1~26 説教題 : シェバの反乱 日時 :2019 年 2 月 10 日 ( 夕拝 ) サムエル記第二は 24 章までありますが 最後の 21~24 章は 20 章までと区別されます 最後の 4 章はサムエル記を閉じるにあたっての結びあるいは付録の部分です ですから今日

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

礼拝の恵み 牧師チャールズ フレドリクソン どうして クリスチャンは日曜日に礼拝するの? 多くのクリスチャンやまだクリスチャンではない人たちも この疑問を持っています そもそも 聖書時代には 今日でもそうなのですが 安息日を守るという律法がありました 安息日は 金曜日の夜から土曜日の日没までの一日で

2 イエスは大胆に わたしは道です と言われました イエスが歩まれた道です イエスが示された道です 正しく この人を見よ! です それが聖書の教えです 私たちはこの一年間 幸いなみ言葉を心に覚えて進みたいと願います 今日は この年間聖句から次の2 点を考えてみましょう 大切なポイント 1. 勝利者イ

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

2016 年 2 月 14 日川越教会 すべての民と共に 加藤享 [ 聖書 ] ローマの信徒への手紙 15 章 7~13 節だから 神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように あなたがたも互いに相手を受け入れなさい わたしは言う キリストは神の真実を現すために 割礼ある者たちに

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

聖書の学びより 善の段階 (2) この世と調子を合わせてはいけません いや むしろ 神のみこころは何か すなわち 何が良いことで 神に受け入れられ 完全で あるのかをわきまえ知るために 心の一新によって自分を変えなさい ( ローマ 12 章 2 節 ) 前回は完全な善に至る過程を四段階に分けて 一

こんにちは! ふっさんです 今回は 時間で数万円を 今 稼ぐ方法をレポートにまとめたので公開します 僕がこのレポートを作った理由は 多くの人が抱える 2 つの悩みを解決するためです. 稼げる自信がなくて 不安です 2. 教材などを買って学びたいが お金を捻出するのが難しいです というものです まず

集会祈願全能永遠の神よ ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ 愛する子であることを示してくださいました 洗礼によって新たに生まれ あなたの子どもとされたわたしたちが いつもみ心に従うことができますように 聖霊の交わりの中で あなたとともに世々に行き 支配しておられるみ子 わたしたち

2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

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ミドラーシュ(4月27日)

テモテ第二 2 章 1-13 節 キリストの兵士 1A 共にする苦しみ 1-7 1B ゆだねる教え 1-2 2B 立派な務め 3-7 2A イエス キリストの福音 B つながれていない御言葉 B 共に生き 死ぬ 本文 テモテへの手紙第二 2 章を見ていきます 私た

牧会の祈り

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

大阪インターナショナルチャーチ ダン・ペリー師 2015/8/9

Transcription:

聖書 : マタイ 6:10a 説教題 : 御国が来ますように 日時 :2018 年 7 月 15 日 ( 朝拝 ) 主が教えてくださった 主の祈り の第二の祈りを見て行きます 前回も述べましたように 主の祈りは大きく二つの部分に分けることができます その前半は神の栄光を求める祈り 後半は私たち人間の必要を求める祈りです そしてこの順番に大切なメッセージがあるということも申し上げました 私たちの祈りを振り返ってどうでしょうか ともすると私たちは 神様! と呼びかけた後 自分の願いごとばかり次々にまくしたててしまう そうであるなら 主の祈り に全然学んでいないことになります もし私たちが 天にいます私たちの父 を正しく見上げるなら その方への 賛美 がまず先に出て来ておかしくありません その方への 感謝 の言葉が溢れてきておかしくありません そしてこの方のお名前こそが人々の間であがめられることをまず祈って本当です このような神とその栄光を求める祈りが先に来てこそ 私たちの祈りは正しくセットされ その後の祈りも正しく導かれます ある人は いや 私にそんな余裕はない 私は自分の窮乏を神に告げるだけで精一杯 と言うかもしれません しかしそのように急いで自分に関する願いを 100 回繰り返すよりもはるかに大きな益を 神への賛美と感謝から始まる祈りは私たちにもたらしてくれるのです これはもう少し実践的に言えば 聖書のみことばに聞くこととセットで祈ることを大切にするということとも言えると思います 私たちは毎日の生活でも個人で聖書を開き 神に祈るデボーションの時が大切だと教えられていますが ついつい忙しいから 今日は聖書を読むのはパスしてお祈りだけなどと思ってしまいがちです しかしそのようにして祈る祈りはたいてい自分中心の祈りになっているのではないでしょうか よほど聖書の言葉が沢山心に貯えられている人は別ですが そうでないとただ神に向かって ああしてください こうしてください と人間的な願いをベラベラ述べるだけの 全く信仰がない祈りになってしまいます しかし聖書のことばに開く時 私たちはそこに神を見つめます 毎回必ず恵まれるのではないにしても何らかの神についての真理を心に留めさせられます そしてその神についての真理の光のもとで 私たちは自分が置かれている状況を新しく捉えるようにと導かれるのです 自分一人の人間的な観点からすれば悩みであり 嘆きでしかなかったことが 実は神の前では恵みであったり 私の霊的成長のための神からのプレゼントであることが見えて来るようになる そして勇気と平安

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますように というものです 御国 と訳されている言葉は原文のギリシャ語をそのまま訳せば あなたの王国 つまり神の王国のことです 国 と言うと私たちはアメリカや日本といった地理的な国 領土のことを考えがちですが 聖書が述べる 神の国 とはそういうものではありません この言葉の基本的な意味は 神のご支配 というものです 神が王として統治する世界のことです このような神の王国が来ますように! と祈るとは どういうことを意味するでしょうか それは今のこの世界にはそれがないということです 少なくとも十分な意味では存在していない ではどういう状態なのか 聖書はこの世は悪魔の支配のもとにあると言っています この世界は最初に造られた時は神の支配下にありました 創世記に記されているエデンの園はまさに神の国でした しかし人間は高ぶって神に逆らい 神を王として従うよりも 悪魔の提案を受け入れ 悪魔の指示に従いました その結果 人間は悪魔の支配下に入ったと聖書は述べています もちろん神の力の方が悪魔の力よりはるかに上なのですが 人間とこの世界は悪魔の力の下にあるものとなったのです 悪魔すなわちサタンは聖書で この世の神 とか この世を支配する者 と言われています 確かに私たちが住むこの世界は神の祝福ばかりが満ちている世界ではありません 色々なところに嘆きがあり 悲しみがあり 叫びがあります また戦いがあり 争いがあり 落胆するようなことがあり また死で満ちています これらは私たちが普段気が付いていなくても私たちを支配しているのは誰かということを指し示しています ところが聖書は 神がこのような私たちの世界に再び神の国を打ち建て 本来の祝福の世界を取り戻すという遠大なご計画を持ち 働いてくださっていると示しています そしてこの約束が大きな進展を見せたのはイエス様がこの世に来られた時でした イエス様が公の生涯に入ってまず語られた言葉はこれでした 4 章 17 節 : 悔い改めなさい 天の御国が近づいたから またこの御国は近づいただけでなく イエス様とともにこの世に存在し始めたとも聖書は語っています ルカの福音書 17 章 20 節 21 節 : 神の国は 目に見える形で来るものではありません 見よ ここだ とか あそこだ とか言えるようなものではありません 見なさい 神の国はあなたがたのただ中にあるの

です また 11 章 20 節 : しかし わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら もう神の国はあなたがたのところに来ているのです このようにイエス様が来られて その方を信じ その方に従うところには 約束の神のご支配が始まっているということを聖書は述べています しかし一方でそれはまだ最後の状態には達していません やがて神の国 神のご支配が完全な形で成就する日が来ます それはこの世界の歴史の最後の日です その時 サタンはついに投げ捨てられ 悪はさばかれ 最終的な神の国 天国が出現します このことを踏まえて 今日の 御国が来ますように という祈りはどういう祈りなのか 3 つのことを見て行きたいと思います 第一にこれは神の国 神のご支配が私自身の心と生活に拡大するようにという祈りです 私たちは 御国が来ますように と祈る時 天国が遠くから飛んで来るイメージで考えがちかもしれません しかしそうではありません 私にとってこの御言葉は特に思い出のあるみことばの一つです 前に橄欖に書きましたが ある夏季休暇中の日曜日 私は家族とともに福島の教会で礼拝に出席しました その日の説教箇所はまさにこのマタイの福音書 6 章 10 節でした 私はその時 ここから語られるのは 人々に福音を伝えて信じる人が多く起こされることによって神の国が拡がるように 皆さんで祈り 取り組みましょう! というメッセージだろうと予想しました ところがそこで語られた中心メッセージは この祈りを祈る者はまず自分の心から始めなければならない あなたの心の中に神の国が一層拡がることを求めなければならないというものでした その時の私は 明日で夏休みが終わるという時にありました それまでの数日間 私はいつものように夏休みを楽しみました 石巻の実家に帰って家族と交わり 美味しい海の幸も楽しみましたし 海水浴に行ったり 東北の山の中の温泉に浸かるなど 普段できないことを色々しました ところがその日に私の中にあった思いは 何か自分はまだ十分リフレッシュされていない 色々楽しんだはずなのにまだ何か足りない こんな状態で明後日からの働きに戻れるのか 何かもっと楽しいことをしなければならないのでないかという思いでした そんな時 神の御国 神のご支配はあなたの心から始まらなければならないと聞いたのです 私はその時 自分の心の中に空虚感があることに気がつかされました 私は人々に福音を伝えて 神の国が進展するために献身していたつもりでしたが 果たしてそのように取り組む自分自身の中にどれほど神の国は拡がっているのか 自分がこの神のご支配に生きる喜びをどれだけ大切にして生きているのかと問われたのです それがいつしかおろそかにされていたので 私の内側に天国にたとえられる喜びが失われつつあったのではないのか ローマ書 14 章 17 節 : 神の国は食べたり飲ん

だりすることではなく 聖霊による義と平和と喜びだからです 私たちがイエス様と交わり イエス様に従い イエス様がもたらしてくださっている神のご支配に生きるなら 私たちは今ここで天国の祝福と喜びに生きることができる 私に必要なのはさらなる海の幸 さらなる温泉 さらなるレジャーではなかった! まず自分自身が神のご支配にしっかり生きること そこにこそすべてに勝る天国を先取りする喜びがあり 信仰のいのちがあり また人に伝えるエネルギーのもとがある その時 私は悔い改めと同時に これからどう取り組んでいけば良いのか 大きな希望の光をいただき 非常に救われた気持ちになったことを思い起こします 夏季休暇は明日で終わりになるが これからの働きの日々においても 神とともに歩む御国の生活にこそ真の満たしがあり また真の休み リフレッシュがあると分かったのです もちろんだからと言って夏休みはいらないし 夏休みの楽しみもいらないということではありません それらは感謝し 楽しんで良いのです しかし私たちの真の幸い 天国はどこにあるのかということを見間違ってはならない 私たちはもっともっと自分自身の内にこの神のご支配 御国が確立されることを祈り求めるべきではないでしょうか 御国を来らせたまえ と祈る時 まず自分自身の内に神の国が広がることを求めるべきではないでしょうか 2 つ目にこの祈りは 人々の間に神のご支配が拡がって行くようにという祈りです 神の国に生きるための道は イエス様が言われた通り 悔い改めて福音を信じることです イエス様の十字架は 私の罪の解決のために神がなさったことだと信じ その方により頼むことです その信仰を通して私たちの罪は赦され サタンは私に対して支配権を持てなくなり 代わって神の祝福の支配が私に臨むようになる この神の国の宣教の一番の主体者は神ご自身です 神が御子イエス様を遣わしてこのことをなさっています しかし救いにあずかった私たちも この宣教という神の働きに参与するように招かれています ですからこの 御国が来ますように という祈りは教会の宣教の祝福と成功を祈る祈りでもあります そしてもちろん 教会の宣教 と言う時 私たちは自分を抜きにして考えることはできません 私たち一人一人がイエス キリストの福音を人々に告げ知らせ また生活をもって証しすること そうして主の手足となって神の宣教の働きにあずかること こうして御名をあがめる人々が増えて行くように 神のご支配に喜びをもって立ち返る人々が多く起こされるように そうして神の国が益々進展 拡大して行くことを求める祈りなのです 最後 3 つめに これは御国の完成を待ち望む祈りです これまで見て来ましたように

私たちはこの地上で神の国の祝福を味わい始め そこに生きることができますが しかしそれはまだ最終状態ではありません やがてイエス様は来られて この御国が完成する日が来ます それはどんなに素晴らしい世界として聖書に示されているでしょうか ヨハネの黙示録 21 章 3~4 節 : 私はまた 大きな声が御座から出て こう言うのを聞いた 見よ 神の幕屋が人々とともにある 神は人々とともに住み 人々は神の民となる 神ご自身が彼らの神として ともにおられる 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる もはや死はなく 悲しみも 叫び声も 苦しみもない 以前のものが過ぎ去ったからである この世で私たちは多くの悩み 悲しみ 困難に囲まれ 日々うめき 叫び 涙しています しかしやがての栄光の御国にはそのようなものは一切ありません それらが全く過ぎ去った神の祝福だけが支配する世界が約束されています また私たち自身 聖められてキリストに全く似る者にされるとヨハネの手紙第一 3 章に記されています イエス様を信じて罪の赦しを受けても 最後の日まで罪との戦いが私たちにありますが やがての日には罪の痕跡すら私たちから拭い去られて 神がご計画された人間の本当の状態 神を映し出す栄光の状態に達すると聖書は約束しています そしてその御国での生活が ヨハネの黙示録の 22 章 1~5 節にこうあります 御使いはまた 水晶のように輝く いのちの水の川を私に見せた 川は神と子羊の御座から出て 都の大通りの中央を流れていた こちら側にも あちら側にも 十二の実をならせるいのちの木があって 毎月一つの実を結んでいた その木の葉は諸国の民を癒やした もはや のろわれるものは何もない 神と子羊の御座が都の中にあり 神のしもべたちは神に仕え 御顔を仰ぎ見る また 彼らの額には神の御名が記されている もはや夜がない 神である主が彼らを照らされるので ともしびの光も太陽の光もいらない 彼らは世々限りなく王として治める これを見て 私たちはどうしてこの御国が来ることを日々熱心に祈らずにいられるでしょうか これは私たちに絶えず希望を与える祈りです この御国の約束は神から出たものですから必ず実現します 神はそのために私たちとその働きを用いてくださいますが だからと言って私たちにこれがかかっているのではありません 神がご計画をし 神がこれを完成に至らせてくださいます ですから私たちはこの祈りを祈るたびに 神の約束に目を高く上げさせられて 励まされるのです この地上ではなお色々な悲しいこと 辛いこと 苦しいこと 涙することがありますし すでに到来している神の国の祝福も時によく見えなくなり かすんでしまうように思われる時もあります しかし栄光の御国は来るのです 神が来たらせてくださるのです

私たちはこの御国を待ち望み 熱心にこの祈りをささげる者でしょうか それともこの世の国に安住し この世のことばかり追い求めている者でしょうか 神の国 神のご支配こそ どんな支配にもはるかに勝るものであり 私たちを深く生かすものです この神のご支配は私たちのために愛する一人子までささげてくださった方の愛に満ちたご支配です また私たちを造ってくださり 私たちの必要をすべてご存知である方のご支配です 私たちはただ自分の地上の生活のために ああしてください こうしてください と祈るのではなく まず 御国が来ますように! 最終的な神のご支配が実現しますように! と祈りたいと思います そしてその約束の日に目を上げて 今日 神に従い 神にご支配していただく生活へ そして天国を先取りする喜びの生活を人々に宣べ伝え いよいよ神の約束が果たされる栄光の日へと向かう私たちの希望に満ちた信仰の歩みへ進んで行きたいと思います