前 奏 さんび 1 喜べ主よ福音賛美 224 番 聖書交読 祈 祷 主の祈り 詩篇 5 篇 さんび 2 花もこども賛美歌 89 番 使徒信条 聖書朗読 ルカの福音書 3 章 1~22 節 主日礼拝順序 司会小町寛奏楽 P) 渡辺英里 O) 中村由美 メッセージ あなたはわたしの愛する子 野田禎牧師 聖餐式 しみもとがも さんび 3 ベツレヘムに生まれてイ賛美歌 94 番 献金感謝祈祷柏俣朝子 頌栄父 子 聖霊の福音賛美歌 271 番 祝 祷 後奏 報告 週報 # 2457 2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) インマヌエル富士見台キリスト教会 練馬区富士見台 2-9-9 牧師野田禎 容子 03(3990)5963 Email:stnoda@gmail.com ホームヘ ーシ : 富士見台教会をクリック! 日々のみことば 2 月 5 日 ( 月 ) A: 使徒の働き 14:1 ~ 18 迫害を乗り越えて進展する福音 2 日 6 日 ( 火 ) A: 使徒の働き 14:19 ~ 28 異邦人に開かれた信仰の扉 2 月 7 日 ( 水 ) A: 使徒の働き 15:1 ~ 11 主が定められた救い 2 月 8 日 ( 木 ) A: 使徒の働き 15:12 ~ 21 みこころにかなった結論 2 月 9 日 ( 金 ) A: 使徒の働き 15:22 ~ 35 聖霊と私たちは 2 月 10 日 ( 土 ) A: 使徒の働き 15:36 ~ 16:5 主の恵みにゆだねられて 2 月 11 日 ( 日 ) A: 使徒の働き 16:6 ~ 18 マケドニアの叫び 集会案内 ( 今週 ) 礼拝後 ~ 13:00 各例会 ( 今週 ) 7 日 ( 水 ) 祈り会 1 10:30~12:00 会堂清掃 祈り会 2 19:00~20:00 10 日 ( 土 )8:00~8:30 テレビ ライフライン ( 次週 )11 日 ( 日 ) シングスピレーション ( 村上姉 ) 主日礼拝 10:30~12:00 小礼拝堂 司会 : 渡辺兄祈祷 : 馬場姉奏楽 :P) 柏俣姉 O) 脇田姉 受付 : 真理子姉 こどもの礼拝 : 島田師 聖実姉 礼拝後 賛美練習 ~ イースターに向けて 13:00 ~ 14:00 賛美と証しとライフライン ( 予告 ) 12 日 ( 月 祝 ) 東京教区 役員研修会 於 : 中目黒教会 19 日 ( 月 ) 堀口家 家庭集会 25 日 ( 日 ) 宣教礼拝 ~ 蔦田康毅 由理師 礼拝音楽 : 張姉 小町兄 小松姉 ( 中国語の賛美 ) 礼拝後 昼食を共に愛餐の時 (24 日 ( 土 ) にカレー作り ) 報告 先聖日には 教会総会 が開かれました 今年の歩みのために多くの提案もなされ 幸いでした 神様の導きを仰ぎつつ ひとつ心で祈り進んでまいりましょう 尊いお祈りとご愛労を感謝いたします 教会総会で提案がありました 新会堂返済のための常設ミニバザー のコーナーを 作りました 小礼拝堂の週報棚の右側になります 常設にするために小さなコーナ ーですが ご協力いただければ感謝です 背骨の圧迫骨折をされた川口姉のために続けてお祈りいたしましょう 痛みの中 骨を強める治療も始まりました 神様の癒しと御守りをお祈りいたしましょう 厳しい寒さが続いていますが ご高齢の方々 病める方々 受験生のために続けて お祈りいたしましょう また雪国の教会のためにもお祈りいたしましょう 明日 5 日 ( 月 ) には 教団の 総会 年会準備祈祷会 に両牧師は赴きます 今次総会で選出される新代表のために 今次年会で引退 転任される先生方や教会のために 総会 年会に向けての備えのためにお祈りください また来月 4 日 ( 日 ) は 市川文化会館での 合同礼拝 と富士見台教会での ビデオ礼拝 ( 藤本代表メッセージ ) となります
礼拝 ルカの福音書 3 章 1~22 節 メッセージ あなたはわたしの愛する子 説教メモ 2 月に入りました 皆様お元気でいらっしゃいますか さて ルカの福音書は 3 章にはいりました 2 章の最後は 1 2 歳のイエス様のことが記されていました 神様はルカに 1 2 歳から飛んで 3 0 歳になられたイエス様にスポット ライトを当てて行かれます 王様が来られるときには 道路が掃除され 赤い絨毯がさっと引かれるように 王であるイエス様が来られる前に バプテスマのヨハネが人々の心をイエス様に向けるために準備を始めま した そして父なる神様はイエス様のことを あなたはわたしの愛する子 わたしはあたなを喜ぶ と仰って この方こそ来たるべき救い主である と示して下さったのです 今日は あなたはわたしの愛する子 と題して語ります 中心の聖句は 2 2 節です あなたはわたしの愛する子 わたしはあ なたを喜ぶ 承 最初に 3 つのことを見ていきましょう 1, バプテスマのヨハネと群衆 バプテスマのヨハネイエス様の親戚 ゼカリヤとエリザベツの子 御使いによってヨハネと名付けられた 救い主イエス様の道ぞなえをする人となる バプテスマとは洗礼を意味しています ご飯のときに 普通まづてを洗います それは 食事のための準備です イエス様を受け入れるために まず悔い改めの バプテスマ 洗礼を授けていたのです 道ぞなえ ( ヘンデルのメサイヤ Every valley shall be exalted 詠唱 3 テナー ) 主の道を用意 主の通られる道をまっすぐに すべての谷は埋められ 曲がったところはまっすぐ 険しい道は平らになる
人々のこころが 高ぶっていたり ひねくれていたり 感情が険しかったら 素晴らしいお知らせ あなたのために救い主が来られたといっても 聞く耳 受け入れる余裕がありません ヨハネはまず人々の心を整えて行きます 群衆彼の所に群衆がやってきました ヨハネはとても辛口で かなり辛辣! まむしの子孫たちだれが 迫り来る怒りを逃れるように教えたのかそれなら悔い改めにふさわしい実を結びなさい ( まむしの子孫 蛇は呪われたものの象徴 エバを蛇が欺いたから アダムとエバの子孫といわずに まむしの子孫! ) アブラハムの子孫ユダヤ人の祖はアブラハムにつながっています そしてアブラハムに注がれた祝福が自分達にも注がれている 約束の子孫だと思っていました イエス様のところに来た人達の中には イスラエル中の人達がバプテスマを受けにここにくるので 私もついでに来た 私はアブラハムの子孫だから 別に祝福を受け継いでいるので 悔い改めのバプテスマなんか必要ないのになあ と思っていた人達もいたでしょう イエス様は アブラハムの子孫 だから大丈夫と思っている人 自分はアブラハムの子孫だから安心とおごっている人達に この石ころからでも神様はアブラハムの子孫をお造りになる 高をくくらずに へりくだって悔い改める様にと迫っています 斧 とは木を倒すための道具です おごってしまって 私はアブラハムの子孫 そのような血筋だから悔い改める必要は無いと思っていると 神様はその高ぶりに厳しい判断を与えられてますよ と仰っています 襟を立たされるような思いがしますね まずでこぼこしたこころを平らにし 曲がった心をまっすぐにして 預言者バプテスマのヨハネの神様からのことばを聞く準備をする必要がありました どうしたらいいでしょうか
こころを平らにして 救い主を待ち望むには? 3 つのグループの人達がそこにいました a. 群衆分け与えなさい下着食べ物下着も食べ物も大切なものです 自分が, 自分が という思いではなく 誰かのためにお分かちすることはとても幸いです やさしい心ということができるでしょうか b. 収税人決められた以上取り立てないように収税人 ( しゅぜいにん ) はローマ帝国の元 様々な税金の取り立てをしていました 必要以上に取り立てても ローマ帝国に必要な者が収められていれば あとは収税人の裁量で取り立てることができたようです その元締めが収税人の頭と呼ばれる人です 聖書に出てくるザアカイという人もその収税人の頭で イエス様は彼の家に行って食事をしてくださり その交わりの中で自らの罪深さを感じで, 悔い改めて貧しい人に施しをし 奪い取った人には償いをしますと宣言をしています 決められた以上に取り立てないように そうイエス様は収税人に仰いました c. 兵士たち力ずくで奪うな 脅し取るな 給料で満足せよ この兵士達がヘロデの兵士であるか ローマの兵士であるかは書いてありま せん ローマの兵士の中にもまことの神の敬う人がいました 特にローマの兵士は支配者側にいます イエス様の所に来た兵士は力ずくで奪い 脅し取り 給料で満足していなかったことを ヨハネに見て取られて, 指摘されています 2, ヨハネとイエス様バプテスマのヨハネはイエス様と自分を比較して紹介しています 自分は救い主として来られるイエス様の靴のひもを特こともできない日本では 月とすっぽん という言葉がありますね 月は美しい そう先週は皆既月食がありました その美しい月に比べ スッポンは泥の中にいる という意味です イエス様と私を比べたら 月とすっぽんです 現代でしたらバプテスマのヨハネはそう言うでしょう ヨハネは水でバプテスマ悔い改めイエス様を信じる準備イエス様聖霊と火のバプテスマ聖霊のご性質が火のようなものであるということを示し
ています 聖霊は私たちの心の中にある罪の性質を焼き尽くされ きよくして下さる方です イエス様は箕 ( み ) を持っておられるようなお方 箕といっても ピンと来ない方もあるでしょう 私もそうです ミレイの箕をふるう人の絵を映し出しますね 手にもっているのが箕です 風が吹いているときに 収穫した小麦の籾を上によいしょと上げると 籾殻は風と一緒に飛んで行きます そして中に実の入っている籾だけが残るのですね 籾殻は掃いて集められて燃やされてしまいます 先ほど心の罪の性質を焼き清めて きれいにして下さるということを話しました イエス様がくださる聖霊の火のことを聖霊のバプテスマと言います 聖霊のバプテスマを受けた時に 異言の賜物が与えられたと言う記事が聖書にしるされていますが 異言の賜物はいずれ廃れます 聖霊のバプテスマの中心は 私たちの心にある罪の性質を焼き清め 神様の愛で満たしてくれることです この愛は決して変わることはありません こういうわけで いつまでも残るのは信仰と希望と愛 これら三つです その中で一番すぐれているのは愛です 新約聖書 Ⅰ コリント 13: 13 皆さん 私たちが 神様からの信仰 希望 愛に満たされて生きることができたら何とすばらしいことではありませんか それが可能です 神様が可能としてくださいます 3, 父なる神様とイエス様ヨハネは群衆にいろいろなことを勧めました 1 9-2 0 節はこの後ヨハネがどうなるかが書かれています 3 : 1 にヘロデ ピリポという名前が出てきますね
ヘロデとピリポは兄弟です ピリポの奥さんがヘロデアといいます 美人で 魅力的だったのでしょうか ヘロデはピリポの奥さんを奪って 自分のものとしていました そう奥さんを横取りしたのです 出エジプト記 20 章に十の教えというものがあります 通称十戒と言われますが 正確にいうと十の教えです 神様を愛し信じる人は このことをしますよね こんなことはとてもしませんでしょう という教えです その中に姦淫をしてはならない 隣人の妻を欲しがってはならないと書かれています ヘロデはこのことをしていました ですから バプテスマのヨハネは はっきりと あなたのしていることは 神様が喜ばれないことです 悔い改めなさい そう言ったことでしょう ヨハネは厳しく領主ヘロデを責めたのです 群衆に歯に衣をはさまずに まむしの末ども! と言うぐらいですから ヘロデにも厳しく言ったでしょう 面子を潰されたヘロデはバプテスマのヨハネをとらえ その後殺してしまうのです さて ヨハネがバプテスマを授けていたとき 向こうからイエス様が来られました ヨハネは 自分が洗礼を受けるべきですのに と言うと 今はそうさせて欲しい と仰って バプテスマのヨハネから洗礼を受けます そのとき素晴らしいことがおこったのです 聖霊が鳩のような形をしてイエス様の上に下されました イエス様が聖霊を受けられたのです 聖霊を受けられたからといって イエス様は異言を話されません イエス様には移りゆく異言の賜物は必要ありません いつでも父なる神様と親しくお祈りをすることができるからです イエス様はいつも父 聖霊と一緒のお方です 私たちに大切なこととして教えるためにあえて 洗礼を受けられ 洗礼を受けられたときに聖霊を受けられたのです 洗礼は悔い改めを現します 唯一洗礼を受ける必要のない方がいました それがイエス様です なぜならばイエス様には罪が無いからです ということは私たちも洗礼を受け 聖霊を受ける恵みがあるということです 洗礼を受けるということは 神様からの祝福です 天からの声 あなたはわたしの愛する子 わたしはあなたを喜ぶ
この声を聞いたときに 群衆は驚いたでしょう 父なる神様愛する子 喜ぶ子と仰る まことにこの方こそ父なる神様のところから遣わされた救い主! この方を信じよう そう人々は思ったことでしょう 皆さん 神様から 愛しています と言われたら嬉しいと思いませんか イエス様は父なる神様から 愛する子 そう愛しているよ この子を喜ぶと語られたのです 私たちはどうでしょうか 先週も話しましたが 多くの方は自分の存在があってもなくてもいい 小さな存在だと思っています 価値がないと 誰からも愛されていないと思っています 生まれなければよかった そう思っている人もいます でも 神様は私たち一人一人を造ってくださり 神様が造って下さったからこそ 一人一人が愛されています 様々な苦く 苦しい経験が私たちに おまえは愛されていない ということばを突きつけます 私は愛されてはいけない と思っている人もいます そのように私たちを思い込ませる病気のようなものがあります それが罪です 病気であれば回復が期待されます *1 イエス様は私たちを苦しめる罪から解放するために 私たちの罪のために十字架に架かってくださり 罪から解放し そう病気が寛解するように 罪の縄目が解き放たれ 神様に愛されていることを知って生きることができるようにしてくださいます これはクリスチャンの醍醐味です 神様に愛されている 大きな大きな罪を私は赦されたのです ヨハネ 1 : 1 2 しかし この方を受け入れた人々 すなわち その名を信じた人々には 神の子どもとなる特権をお与えになった この方 その名というのはイエス様です ああ 私の心は でこぼこ 曲がって道 高ぶった山 へりくだりご *1 ( ウェスレーはあるところで 罪は病のようなもので イエス様によって回復すること ができるものという表現を使っています )
う慢の谷 そう思うような時こそ救いの機会です イエス様を信じて イエス様の愛によって修復していただけます イエス様を信じた人々には神の子どもとなる特権をお与えになったのです イエス様を信じるならば 神の子どもになるかもしれない 期待できるかも かな? ではなく 神の子どものとなる特権をお与えになった ですから なる のです それは神様のお約束です イエス様を信じることで 私たちは神様の子どもとなります 素晴らしいことですね 神の御子であるイエス様を父なる神様が あなたはわたしの愛する子 と仰ったように 神様はイエス様を信じる時 あなたはわたしの愛する子 と仰って下さっているのを知ることができます 世界は愛の飢饉に襲われています 神様に愛されていることを知った私たちは 周りのかた方に あなたも神様に愛されている大切な方 イエス様はあなたを愛しておられる と祈りつつ 神様の愛を身をもってお伝えしていこうではありませんか 最後にルカの福音書 3 章 22 節を一緒にお読みしましょう あなたはわたしの愛する子 わたしはあなたを喜ぶ