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2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

Microsoft Word - ◎中高科

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

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2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

創世記5 創世記2章4節b~25

創世記5 創世記2章4節b~25

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

牧会の祈り

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

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2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

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牧会の祈り

: 目次 : P3 Part1 聖書とは? P4 Part2 神とは? 1 唯一の神 P5 P10 2 イエス キリスト 3 聖霊 P14 4 唯一の神の本質とは? P16 Part3 救いとは? 1 救いをもたらす力 P18 P21 2 救われる ( 義とされる ) 条件 3 信仰と行い この冊子

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

存在する 弟子訓練は 人が思考 感情 行動において よりキリストに似た者となることを手助けするプロセスである このプロセスは 人が新しく生まれたときから始まり 残る生涯中続くものである このキリストを わたしたちは宣べ伝えており すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように 知恵を尽くしてすべ

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

比喩:その他

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

牧会の祈り

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

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良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

1イエスがバプテスマを受けたとき 天が開かれて聖霊が鳩のように下った 2ここでは 天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる 3 黙 4:1 では ヨハネを招くために天が開かれた 4ここでは キリストが地に下るために天が開いた (2) 白い馬に乗った方 1ローマ軍の将軍は 白い馬に乗った 2 再臨

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2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

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マタイ 25 章 14 節 各自に任された財産 1A 神より与えられている財産 1B 創造の源 2B 信仰の量り 2A 清算の時 1B 永遠の報い 2B 報酬の時 3A 求められていること 1B 心のはかりごと 2B 自分の行程 3B 小さな事への忠実 4B 信じる事 本文 マタイによる福音書 25

2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

4 伝承によれば 彼はクレテ島のゴルティナで監督となり 94 歳で召されたと言われています では 今日は発信人であるパウロと 受信人であるテトスから学びたいと思います 発信人であるパウロはどのような教訓を与えているか また受信人であるテトスがどういう信仰を送ったか大切なポイント 1. 発信人パウロ

Ⅰ. 管理人の不正の発覚 (1~2 節 ) 1.1 節 a Luk 16:1 イエスは 弟子たちにも こういう話をされた (1) イエスは 弟子たちに話している 1これは 弟子訓練のためのたとえ話である 2 聴衆が誰かを判断することが たとえ話の解釈のために重要である (2) その周りで パリサイ人

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神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

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03 Ⅱ-1 配偶者等からの暴力に関する認知度

礼拝の恵み 牧師チャールズ フレドリクソン どうして クリスチャンは日曜日に礼拝するの? 多くのクリスチャンやまだクリスチャンではない人たちも この疑問を持っています そもそも 聖書時代には 今日でもそうなのですが 安息日を守るという律法がありました 安息日は 金曜日の夜から土曜日の日没までの一日で

裁きます けれども 実は自分たち自身も その基準には到達できていないのです これが偽善の始まりです 律法主義に陥ると 相手をこき下ろし けれども こき下ろしている基準に自分自身が満ちていないことが起こります 高らかに主張している人ほど 実はその教えを行なっていないという問題が起こるのです パウロは

Rev 17:2 地の王たちは この女と不品行を行い 地に住む人々も この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです (1) 大淫婦と不品行 1 旧約聖書では 淫婦 は 偽の宗教 を象徴する言葉である 2 淫行 は 偶像礼拝を象徴する言葉である 霊的姦淫である * 通常は 真の神を信じると告白しながら 偶像

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に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

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1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

ヘブル人への手紙1章

ヨハネの福音書講解 ヨハネの福音 ヨハネの福音書 21:15~25 1. 愛する 新改訳改訂第 3 版 ヨハネ 21:15 彼らが食事を済ませたとき イエスはシモン ペテロに言われた ヨハネの子シモン あなたは この人たち以上に わたしを愛しますか ペテロはイエスに言った はい 主よ 私があなたを愛

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

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大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/4/12

お話 文芸思潮

さまいイエス様は生きておられる! ふくいんしょしょうふくいんしょしょうふくいんしょマタイによる福音書 28 章とマルコによる福音書 16 章とルカによる福音書 24 章ふくいんしょしょうかはなしさいわヨハネによる福音書 20 章に書かれているお話の再話 しょうと せいしょものがたり ミニ聖書物語 フ

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか (1) ここで場面は 地から天に移行する 1 大患難時代を通して継続している状況の描写である (2) ヨハネは キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻を見た 1 彼らは 祭壇の下にいた 2 旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと

付録 C の 1 Page 1 of 9 10/26/2003 付録 C クリスチャン ギリシア語聖書における Kyrios 新世界訳聖書は ギリシア語 Kyrios( ) をさまざ

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1 1 永遠の命を得ることはクリスチャンになることに依存しない いきなり センセーショナルというか 前代未聞のサブタイトルになってしまいましたが このテーマは キリスト教として知られる信仰の基本中の基本とも言うべきもので ある牧師の言葉を借りれば キリスト教 ( 新約聖書 ) は 永遠の命 の宗教です キリスト教の救いとは 永遠の命 を得ることです キリスト教における信仰者の究極的目的は 永遠の命 です と表現されるくらいで これを外したら キリスト教は成り立たないと言われています しかし ( 様々な宗派があるにせよ ) ほとんどのキリスト教会の教えは 基本的に霊魂不滅説を採用しており 永遠の命を得る イコール 死んだら天国に行く ことであり そこは安住の地で ( いや 安住の天で ) であり なぜ どんな目的のために神はその人を天国に召されるのか そこでどんな仕事 ( 働き ) をするのかについては 無関心なのか 不思議なほど ほとんど何も語られないのが現状です しかし 聖書が述べる天の神の国は 目的を持った機能体 * ( 欄外の脚注をご覧下さい ) であり それは 最初の人間に罪が入ったのをすべて解決するための手段であり 具体的には アブラハムとの契約によって明らかにされた 人類救済の取り決めに関わるものです ( 創世記 22:18) あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう これは 神からの祝福が あなたの胤 を通して 全ての国の民 に及ぶという約束です つまりアブラハムの胤は祝福の経路となるということです そして その胤の主要な方がキリストであり 神に召されて天国に入る人はその約束の胤として呼ばれるのであり 天国において果たすべき責任があり 仕事があるのです 決してのんびりと未来永劫に余生を過ごすためではありません キリストに属しているのであれば, あなた方はまさにアブラハムの胤であり, 約束に関連した相続人です ( ガラテア 3:29) そして キリストが弟子たちに度々繰り返されているように 彼らは 天で 王として支配する というのが 彼らの役職です そして 地のすべての国の民 を治めることになります そうです 天国に召されるとは 言わば 地上からの 支配者募集 にあずかることなのです もうこの点だけでも クリスチャンになれば 死んでから地獄ではなく天国に行ける と教わってきた人々は????!? でしょう ですから 永遠の命を得ることはクリスチャンになることに依存しない というサブタイトルは これまでのキリスト教神学からはことごとくかけ離れた もしくは甚だしく逸脱した論議と受け止められる事でしょう しかし聖書を注意深く読めば 誰でも確認できることです * 機能体 : ここに引用しているのは 機能体 と言う語の一般的な説明です 組織には 共同体 と 機能体 があり 本来この二つは機能も目的も違う 従って この区別を明確に意識している必要がある 共同体は家族 地域社会や趣味の会など これに対し 機能体は外的な目的を達成するための組織であり ここでは組織内部の構成員の満足や親交は手段であり 本来の目的はプロジェクト完成などの組織外の目的を達成することにある

2 さて やっと本題ですが まず 永遠の命 に関する次の聖句を考慮しましょう ( マタイ 19:16 24) 師よ, 永遠の命を得るために, わたしはどんな善いことを行なわなければならないでしょうか イエスは彼に言われた 命に入りたいと思うならば, おきてを絶えず守り行ないなさい あなたは殺人, 姦淫, 盗み, 偽りの証しをしてはならない, 父母を敬いなさい, 隣人を自分自身のように愛さねばならない 青年は言った, それらをみな守ってきました まだ何が足りないのですか イエスは言われた, 完全でありたいと思うなら, 自分の持ち物を売り, 貧しい人たちに与えなさい そうすれば, 天に宝を持つようになるでしょう それから, 来て, わたしの追随者になりなさい このことばを聞くと, 青年は悲嘆して去って行った イエスはこう言われた 富んだ人が天の王国に入るのは難しいことでしょう 富んだ人が神の王国に入るよりは, らくだが針の穴を通るほうが易しいのです ( 一部語句割愛 ) ルカの方の記述ではこうなっています ルカ 10:25 28) 師よ, 何をすれば, わたしは永遠の命を受け継げるでしょうか イエスは彼に言われた, 律法には何と書いてありますか 彼は答えて言った, あなたは, 心をこめ, 魂をこめ, 力をこめ, 思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない, そして, あなたの隣人を自分自身のように [ 愛さねばならない ] イエスは彼に言われた, あなたは正しく答えました このことを行ないつづけなさい そうすれば命を得ます このことから分かるのは 永遠の命を得るため の条件は おきて ( 殺人 姦淫 盗み 偽証をせず 父母を敬い 隣人を愛する など ) を絶えず守り行う ことであり そうすれば ( 永遠の 命に入る とイエスは述べておられます そして付け加えて 完全でありたいなら 持ち物を後にしてキリストの 追随者 になるよう勧めましたが 青年は悲嘆して去ります 追随者になる 機会を逸しましたが それによって すでに保証した 永遠の命を得る ということが無効にされたことを示すものはどこにもありません それに対するイエスの言葉は 富んだ人が 永遠の命を得られない と述べたのではなく 天の王国に入る 神の王国に入る 事の困難さを示しておられます ですから 永遠の命に入る 条件とは別の 神の王国に入る ための条件を示して 追随者になる よう励ましていることが分かります それがこの時代の 人々に対する ( 特にユダヤ人に対する ) 神のご意志だったからです これらの出来事を見ていた弟子たちは 次のように尋ねます ( マタイ 19:27 29) わたしたちはすべてのものを後にして, あなたに従ってまいりました 実際のところ, わたしたちのためには何があるのでしょうか イエスは彼らに言われた, あなた方に真実に言いますが, 人の子が自分の栄光の座に座るときには, わたしに従ってきたあなた方自身も十二の座に座り, イスラエルの十二の部族を裁くでしょう そして, わたしの名のために, 家, 兄弟, 姉妹, 父, 母, 子供, あるいは地所を後にした者は皆, その幾倍も受け, また永遠の命を受け継ぐでしょう 弟子たちは 先の金持ちの青年と違い 全てを捨ててキリストに従ってきた 者ですから 彼ら

3 ( 追随者 ) に対する報いとして 12の座 に着き イスラエルの12 部族を裁く事 ( 王国の王としての立場 ) が約束されます そして付け加えて そして, わたしの名のために を後にした者は皆 は皆 と述べていますので ここからはすでに弟子たちに対する直接の言葉ではなく いわゆる一般論というか 原則を語っておられます 従って この後のことばは 必ずしも追随者になった人に関するものではなく キリストの名のために 財産 家族などを後にする人が何を享受することになるかを述べているものです そしてその報いが 永遠の命 であると約束されています 平行記述のルカの方では その後半の記述はこうなっています ( ルカ 18:30) 来たらんとする事物の体制で永遠の命を得ない者はいません 来たらんとする事物の体制で ( 後の世では永遠の命を受ける ( 新共同訳 ) となっています 天の王国は 来るべき事物の体制 とか 後の世 と表現されることはありません 神の王国 は古い新しいに関係なくそもそも 世 ではないからです 来るべき新しい世 で受ける 永遠の命 という表現は 天の王国で受ける というより 千年王国の地上の生活者としての報いとして与えられると考えられます もちろん 王国を受け継ぐ人も 永遠の命 を得ますが キリストの名のために 財産 家族などを後にする人は皆 ( そういう人は全員 ) イスラエルの12 部族を裁くようになる あるいは 天に召される人々に関連した表現は見えません なぜなら それらの人の特色には キリストに従う ( 追随者になる ) という項目が含まれていないからです もう一つ ヨハネの記録から 同様と思える聖句は次の言葉です ( ヨハネ 12:25 26) この世において自分の魂を憎む者は, それを永遠の命のために保護することになります だれでもわたしに仕えようとするなら, その人はわたしの後に従いなさい そうすれば, わたしのいる所, そこに, わたしに仕える者もいることになります この句も同様で 自分の魂を憎む つまりキリストの故の何らかの自己犠牲が 永遠の命 を得させることになりますが さらに積極的に踏み込んで キリストに仕え 後に従う ( 追随者になる ) 人はキリストのいるところ つまり天の王国に入る と述べられ やはり双方にはそれぞれ別の条件の違いがあることが読み取れます さらに聖書中の 永遠の命 について言及している聖句をずっと拾い上げて読んでゆくと次の事柄が分かってきます 基本的に 全ての人 あらゆる肉なる者 に対して差しのべられている神の祝福が 永遠の命 であり その中の キリストを認める ( 贖いに信仰を働かせる ) ようになる人 キリストの故に自己犠牲を払う人々にその 永遠の命 は確かなものになると言う約束であり 一方 追随者となる ( バプテスマを受けクリスチャンとなる ) 人々には 天での王国 が約束されていると見ることができます 冒頭で述べたように 全ての人類に対する神の祝福は 本来なら全ての人間が享受していたはずの 死ぬことのない命 を回復することであり その目的を成就するための備えが アブラハム

4 の胤 なのですから 全ての国の民 がその祝福を受けるという約束の故に 永遠の命 の約束があるというのは 旧約を含め聖書全巻の内容からして当然のことと言えます というわけで 永遠の命 という表現は 限定された ( 選ばれた ) 人々に対してというより 全ての人間に対するものとして約束されていると思える聖句を次に列挙してみることにします ( ヨハネ 3:16 19) 神は世を深く愛してご自分の独り子を与え, だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで, 永遠の命を持てるようにされたからです 神はご自分の子を世に遣わされましたが, それは, 彼が世を裁くためではなく, 世が彼を通して救われるためなのです 彼に信仰を働かせる者は裁かれません 信仰を働かせない者はすでに裁かれています その人は, 神の独り子の名に信仰を働かせていないからです ( ヨハネ 3:36) み子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている み子に従わない者は命を見ず, 神の憤りがその上にとどまっているのである ( ヨハネ 4:13 14) イエスは答えて彼女( サマリアの女 ) に言われた, この水を飲む人はみな再び渇きます だれでもわたしが与える水を飲む人は, 決して渇くことがなく, わたしが与える水は, その人の中で, 永遠の命を与えるためにわき上がる水の泉となるのです ( ヨハネ 5:23 24) 子を尊ばない者は, それを遣わされた父を尊んでいません きわめて真実にあなた方に言いますが, わたしの言葉を聞いてわたしを遣わした方を信じる者は永遠の命を持ち, その者は裁きに至らず, 死から命へ移ったのです ( ヨハネ 5:39) あなた方は聖書によって永遠の命を持てるようになると考えて, それを調べています そして, これこそわたしについて証しするものなのです ( ヨハネ 12:50) わたしは,[ 父 ] のおきてが永遠の命を意味していることを知っています ( ヨハネ 17:1 3) 父よ, 時は来ました あなたの子の栄光を表わしてください 子があなたの栄光を表わすためです それは, あなたがすべての肉なるものに対する権威を子に与え, そのお与えになった者すべてについて, 子がそれらの者に永遠の命を与えるようにされたことに応じてです 彼らが, 唯一まことの神であるあなたと, あなたがお遣わしになったイエス キリストについての知識を取り入れること, これが永遠の命を意味しています ( ローマ 6:23) 罪の報いは死ですが, 神の賜物は, わたしたちの主キリスト イエスによる永遠の命だからです ( ガラテア 6:8) 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り, 霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです ( テモテ第一 1:15 16) キリスト イエスが罪人を救うために世に来られたとは, 信ずべく, また全く受け入れるべきことばです わたしはそうした罪人の最たる者です それなのにわたしが憐れみを示されたのは, わたしの場合を最たる例としてキリスト イエスがその辛抱強さの限りを示し, 永遠の命を求めて彼に信仰を置こうとしている人たちへの見本とするためだったのです ( テトス 1:2 3) その敬虔な専心は永遠の命の希望に基づいています その希望は, 偽ることのできない神が, 久しく続いた時代の前に約束されたものですが, 神はご自身の定めの時に, 宣べ伝える業によってみ言葉を明らかにされました ( ヨハネ第一 2:24 25) 初めから聞いている事柄があなた方のうちにとどまっているなら, あなた方もまた引き続きみ子と結ばれ, また父と結ばれていることになります さらに, 永遠の命, これが, ご自身がわたしたちに約束してくださったその約束のものなのです ( ヨハネ第一 5:13) わたしがこれらのことをあなた方に書くのは, 神のみ子の名に信仰を置くあなた方が永遠の命を持っていることを知らせるためです

5 いかがでしょうか もちろん 追随者であるクリスチャン も全ての国の民の 1 人ですし 永遠に生きる人を治めるわけですから 彼らに 永遠の命 に関する記述が当てはまるのは当然です しかし こうして多くの聖句を読んでゆきますと これらの記述に 永遠の命 が キリストの追随者になる人だけのものだと言うことを示す記述はまったくありません 実際に読んで見ると それは以外に思える程です それで キリストを認める 信仰を置く という表現は クリスチャンになる という意味 あるいは条件とは同一ではなく 基本的にキリストが神の子で その贖いを信じて受け入れる人は 王国の支配を受ける側として その義を保ち続ける事によって 永遠に続く命 を享受することになる と考えられます この点については この後の記事で扱うことにします