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創世記5 創世記2章4節b~25

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創世記5 創世記2章4節b~25

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

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2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

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イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

牧会の祈り

(2) ケンクレヤにある教会に属していた 1コリントの南東 11 キロのところにある港町 2コリントの東の港としての役割を果たした アジア方面の交易のための港 * 西の港は カイオン 両港の間の距離は 8 キロ 3パウロは 第 2 回伝道旅行でここを訪れている 4 誓願が成就したのを記念して そこで

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

牧会の祈り

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

聖書に聞く会 ( 第 2 回 ) マルコによる福音書 1 章 1-8 節 2014 年 5 月 8 日 古本靖久 1 聖歌 60 番 ヨルダンのほとりヨハネはさけべり 2 お祈り 3 テキストの位置 今日の箇所はマルコ福音書のはじめの部分であり この福音書は何について書くのか決定づける所です 特に

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いでしょう (1)2 重の質問 1 弟子たちは いくつかのたとえ話とその解き明かしを聞いてきた 2ここでイエスは 弟子たちに考えるチャンスを与えている 3 弟子たちは 奥義としての王国 の性質について考え始める (2) イエスのたとえ話は 弟子たちが想像したものとは大いに異なる 1 種のたとえでは

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

Microsoft Word - G229A-一人の人から空の星のように

3 章 蝮の裔よ ( ルカ 3:7~14) ルカ福音書講義 (15) そこで 彼から洗礼を受けよう 1) として出て来た民衆 2) に彼は言った 3) 蝮 の裔よ 4) 誰があなた方に 来るべき怒り 5) から逃れるように教えたのか 8 さ あ 悔い改め 6) にふさわしい

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

2 I Peri. de. tw/n pneumatikw/n 12 : : I : 3 14 : 2 14 : : : 4 14 : 4 14 : 5 14 : : : : 2

牧会の祈り

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

エジプト、アブ・シール南丘陵頂部・石造建造物のロータス柱の建造方法


2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の


2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

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4 伝承によれば 彼はクレテ島のゴルティナで監督となり 94 歳で召されたと言われています では 今日は発信人であるパウロと 受信人であるテトスから学びたいと思います 発信人であるパウロはどのような教訓を与えているか また受信人であるテトスがどういう信仰を送ったか大切なポイント 1. 発信人パウロ

お話 文芸思潮

ヘブル人への手紙1章

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2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

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2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

(3) まっすぐにしなさい 1 されば衰へたる手 弱りたる膝を強くし ( 文語訳 ) 2ギリシア語の アノルソオウ である 上げる まっすぐにする 強くする 3ルカ 13:13(18 年も病の霊につかれ 腰が曲がって 伸ばすことができない ) Luk 13:13 手を置かれると 女はたちどころに腰が

聖霊降臨節第 15 主日 [ 平和月間 ] 礼拝説教 そこに愛はあるのか? 要旨 詩編 62 編 2~3 節 2 わたしの魂は沈黙して ただ神に向かう 神にわたしの救いはある 3 神こそ わたしの岩 わたしの救い 砦の塔 わたしは決して動揺しない コリントの信徒への手紙 Ⅰ 12 章 27 節 ~1

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

付録 C の 1 Page 1 of 9 10/26/2003 付録 C クリスチャン ギリシア語聖書における Kyrios 新世界訳聖書は ギリシア語 Kyrios( ) をさまざ

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

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WINS クラブ ニュース

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1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

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た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだ

に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか (1) ここで場面は 地から天に移行する 1 大患難時代を通して継続している状況の描写である (2) ヨハネは キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻を見た 1 彼らは 祭壇の下にいた 2 旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

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07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

神性と人性の"混ざり合い(mingling)"

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

カザフスタンにおける歴史的な宣教大会

: 目次 : P3 Part1 聖書とは? P4 Part2 神とは? 1 唯一の神 P5 P10 2 イエス キリスト 3 聖霊 P14 4 唯一の神の本質とは? P16 Part3 救いとは? 1 救いをもたらす力 P18 P21 2 救われる ( 義とされる ) 条件 3 信仰と行い この冊子

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聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

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Transcription:

パウロの言葉 ( 岩波版 青野太潮訳 佐藤研補訳 ) 愛の賛歌 (1 コリント 13,1-14:1a) 1 13:1 もしも私が 人間たちの そして御使いたちの舌 2 によって語りはしても 愛 3 どらをもっていないなら 私は鳴り響く銅鑼 4 か あるいは甲高く鳴るシンバル 5 にな り下が っている 2 またもしも私が預言をなし さらに全ての奥義と全き悟り 6 とを理解してはいても またもしも私が 山々を移すほどの全き信 7 を持ってはいても 愛をもっていないなら 私は無である 3 たとえ私が 私の全ての財産を分け与えたとしても またもしも私が 私の体を引き渡して誇ったとしても 8 愛をもっていないなら 私は何の役にも立たない 4 愛は寛容であり 親切である 9 10 愛は妬まない [ 愛は ] 自慢しない 11 高ぶらない 5 見苦しい振舞いをしない 自分自身のものを求めない 苛立たない 12 悪しきことを企まない 6 不義を喜ばまことない ( しかし真実を共に喜ぶ ) 13 7 全てを忍ぶ 全てを信ずる 全てを希望する 全てを耐える 14 8 愛は決して倒れることがない しかし 預言であれば 壊されるであろう 舌であれば 途絶えるであろう 1 どのキリスト教的結婚式でも朗読される詩的部分であるが 元来男女間の恋愛がテーマではなく ( もちろんそれを排除はしないが ) 結婚と連結する必然性はない なお 13 章が言語的内容的に 伝承的色彩が強いことは以前から指摘されている 例えば 新約ないしパウロではこの部分にしか現れない語が頻出する また 内容的にも 前後の文脈に完全に沿うものではない点がある もっとも どこまでが伝承で どこまでがパウロであるかの厳密な線引きは難しい パウロの意図を問うならば むしろ前後の文脈を注意して解釈していくべき すなわち 一切の 賜物 を超える最上の賜物が 愛 であるとすることによって キリストの体 の一体性の究極原理が示され 分裂を乗り越える方向が打ち出される 2 複数形 人間たちの舌 とは雄弁のことであろう 御使いたちの舌 とは おそらく 異言 を示唆する 3 ギリシャ語の 愛 には 一般に erôs( 自分より優れたものを 情熱をもって獲得しようとする愛 もともと男女間の愛が主 動詞 eraô) filiâ( 親愛の情あるいは友情 主として 同等 同種のものへの情 動詞 fileô), そして agapê( 非古典的 ただし動詞 agapaô は古い 前二者ほど定まった方向性を示さない語 あるいは 他者へ善意の心を向ける ほどの意で 前二者と交替して用いられる ) 4 原語は 銅 の意 銅製の打楽器であろう 5 詩 150:5 七十人訳聖書参照 紀元前数世紀から存在する 6 gnosis. 認識 とも訳す 7 マコ 11:23 並行参照 イエスの言葉が裏にある 8 直訳すれば 誇るために私の体を引き渡しても 青野訳はあえて 焼かれるために という写本群に従う しかしそれらの写本は年代が遅い また 誇るために という 一見文脈に不釣り合いな部分をそれらしい内容に書き換えたという方があり得る (lectio difficilior potior の原則 ) 9 chresteuomai は新約中ここのみ 10 ここから 6 節終りまで 否定形でのみ 8 回規定する 11 perpereuomai は新約中ここのみ 12 paroxynô はパウロではここのみ 新約で他は使 17:16 のみ 13 この ( ) に入れた部分は 構造的に浮き出ている 二次的か? 14 この説は A-B-B -A という交差法の配列 ここでまた肯定形に戻る 1

悟りであれば 壊されるであろう 15 13 そうであれば 16 存続するもの 17 は 信 希望 愛 これら三者 18 である しかし それらのうちで最も大いなるものは 愛である 19 パウロの苦難 (2 コリント 11:22-31) 11:22 彼らは ヘブライ人 20 なのか 私もそうである 彼らは イスラエル人 21 なのか 私もそうである 彼らは アブラハムの子孫 22 なのか 私もそうである 11:23 彼らは キリストの奉仕者 23 なのか 私は気がふれたように言う 私は 彼ら 以上に そう である 労苦したことは 24 より多く 牢獄にあったこと 25 はより多く 鞭打ちに会ったことは 26 はるかに多く 死 ぬほどの目 に会ったこともしばしばであった 27 11:24 私はユダヤ人たちから 四十に一つ足りない 鞭打ち 28 を五度受け 11:25 つえ三度杖 29で打たれ 30 一度石で打たれ 31 三度難船し 一昼夜 底深い海の上で過ごしたこともある 11:26 度重なる旅の難 川の危険 盗賊の危険 同胞からの危険 32 異邦人からの危険 33 都市における危険 34 荒野における危険 海における危険 偽兄弟たちにおける危険 35に 晒され 11:27 労苦し 骨折り たびたび不眠の中で 飢えと渇きの中で たびたびの食糧の欠乏の中で 寒さと裸の中で 36 苦労してきた 11:28 これらのことのほかに 15 この節の 預言 舌 悟り とは 1-2 節からすると 愛を持たない 預言 舌 悟り のこと 16 この nuni は時間的なものよりも 論理的帰結を表す 17 8 節の 壊される 途絶える 等の反対語 なぜ 存続する かと言えば 神がそれらの言葉の表す対象であり 同時に内容であり また実現者でもあるからであろう 18 これら 三者 に関しては I テサ 1:3 5:8 ロマ 5:2-5 参照 おそらく初期イエス派の徳目的事項 19 愛 が最も大いなるものである理由は おそらく 信 や 希望 は 愛の部分表現だからであろう (7 節参照 ) 20 フィリ 3:5 参照 おそらく誇りに満ちた表現 ( ユダヤ人 ではなく) 21 ロマ 11:1 参照 神が選んだ救済民族 イスラエル の成員 22 ロマ 11,1 参照 上記二者に事実上同じ マタ 1:1 参照 以上から コリントを外部から訪れた反パウロの伝道者達はおそらくユダヤ人であったことが分かる 23 6:4 参照 24 直訳は 労苦においては 25 フィリ 1:7.13 など 26 直訳は 鞭打ちにおいては 27 直訳は しばしば死 ( 複数 ) のうちにあった 28 鞭打ちは四十を越えてはならない それ以上打たれ 同胞があなたの前で卑しめられることのないためである ( 申 25:3) おそらく パウロが以前 イエス派のものを迫害した迫害方法に通ずる トーラーへの冒涜に対する処置か 29 あるいは 鞭 でもあり得る 30 使 16:22-23 にはローマ人からのパウロへの鞭打ちの記述がある もっとも 25 節の杖打ちと石打ちが ローマ人 による( 青野敷衍訳 ) ものか否かは明かではない 31 使 14:19 参照 いわゆる石打ちの刑ではない 32 使 20:3 など 使徒行伝に多出 その多くはルカの創作であろうが このパウロの自己証言を全く疑うわけにも行かない 33 使 14:5 など参照 34 後出の2コリ 11:32-33( 使 9:24-25) などが該当しよう 35 ガラ 2:4 参照 以上 危険 ( 複数 ) の語がくり返されて強調されている 36 以上 の中で (en) がその都度用いられて強調されている 2

さらに私には日々の心労 37や すべての教会についての心配事 38がある 11:29 誰かが弱っている そうだとしたら この 私も弱らない でおられよう か 誰かが躓いている そうだとしたら この 私も燃えない でおられよう か 39 11:30 もし誇らねばならないとするなら 私の弱さの 諸々の 状況 40を 私は誇ろう 41 11:31 神 であり 主イエスの父 永遠に讃むべき者は 私が偽りを言っていない 42ことを知っておられる 力は弱さにおいて全きものになる (2 コリント 12:6-10) 12:6 実際 もしも私が誇ることを欲したとしても 私は 愚か者 43 にはならないであろう なぜならば 私は真実を語るであろうから しかし 私は 誇ることを 断念する それは 人が私を見たり あるいは [ 何か ] 私から聞いたりすること以上に 私を買いかぶる 44 ことのないためである 12:7 それも 私の受けたもろもろの 啓示の卓越さのゆえに である そのために 私が高慢にならないようにと 私の肉体には刺 45が与えられた それは私を 拳で 打つためのサタンの使いである 私が高慢にならないためである 12:8 この彼について私は 彼が私から離れ去るようにと 三度主に懇願した 12:9 すると主は 私に言われた 46 私の恵みはお前にとって十分である なぜならば 力は弱さにおいて完全なものになるからである 47 そこで私は むしろ大いに喜んで自分の 諸々の 弱さを誇ろう キリストの力が私の上に天幕を張るためである 12:10 それだから私は 様々な 弱さと 侮辱と 危機と 迫害と そして行き詰まりとを キリストのために 喜ぶ 48 なぜならば 私が弱い時 その時にこそ私は力ある者だからである 十字架の言葉 (1 コリント 1:18-25) 49 1:18 なぜならば 十字架 の言葉 50 は滅びる者らにとっては愚劣さ そのもの であるが 救われる者ら たる 私たちにとっては 神の力だからである 1:22 ユダヤ人た 37 正確な意味不明 ( 青野訳は 圧迫 ) 多くが 殺到 突進 などの意味だが ここでは 28b-29 節からみて 教会にかんする面倒な問題の殺到ととりたい 38 たとえば使 20:31 参照 39 コリントの現状況 40 直訳は 弱さのことがら ( 複数形 ) 41 12:5 に同じ内容の発言がある 弱さ を 誇る とは 逆説ないしはアイロニーである 42 ガラ 1:20 に同じ言い回しあり 43 11:16 参照 44 直訳は 以上に私について評価する 45 パウロの持病を指すと思われる ガラ 4:14-15 参照 刺 に関しては民 33:55 参照 46 ここは現在完了形 主の言葉が今なお十全に有効であるというニュアンスがある 47 9-10 節は パウロ自身の言葉の中でも もっとも斬新な発言 48 満足する 是認するの意 49 パウロの十字架観を典型的に示す部分 50 直前の 言葉の知恵 に引きつけて かつそれに対抗させるために パウロが作った表現 意味としては ヘブライ的に 十字架という事件 (= 言葉 ) ともとれるし 十字架についての宣教 ともとれる 3

ちは徴を求め 他方ギリシャ人たちは知恵を追い求めるために 51 1:23 私たちは逆に 十字架につけられてしまっているキリストを宣教するのである このキリストは ユダヤ人たちにとっては躓きであり 異邦人たちにとっては愚劣さであるが 1:24 召された者たち自身にとっては ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと 神の力 神の知恵としてのキリストなのである 1:25 なぜならば 神の愚劣さは 人間たちよりも知恵あるものであり 神の弱さは 人間たちよりも強いからである 52 ヨハネ圏内の言葉 ( 大貫隆訳 佐藤補訳 ) 愛の教え (1 ヨハネ 4:7-21) 4:7 愛する者たちよ 私たちは互いに愛し合おうではないか 愛は神から出るものだからである そして愛する者は誰でも 神から生まれた者であり また神を知る 4:8 愛さない者は神を知ったためしがない なぜなら神は愛だからである 4:9 神の愛が私たちに明らかにされたのは 神がその独り子を世に遣わし 私たちを彼によって生きるようにしてくれたこと これによる 4:10 愛は私たちが神を愛したことにあるのではなく 彼自らが私たちを愛し その子を遣わして私たちの 諸々の 罪のための贖いの供え物としてくれたこと これにある 4:11 愛する者たちよ 神がこのように私たちを愛してくれたのであれば 私たちもまた互いに愛し合わねばならない 4:12 かつて神を観た者は一人もいない もし私たちが互いに愛し合うならば 神は私たちの中に留まり その愛が私たちの中で全うされるのである 4:13 私たちが彼の中に留まっており 彼自身が私たちの中に留まっていること このことを私たちは 彼がその霊を私たちに分け与えてくれたこと これによって知るのである 4:14 また私たちは自ら しかと 観たのであり また証する すなわち 父は御子を世の救い主として遣わされたのである 4:15 誰であれイエスが神の御子であることを告白するならば 神はその人の中に留まり その人もまた神の中に留まる 4:16 私たちは 神が私たちの中に持たれる愛を自ら知り その愛を しかと 信じたのである 神は愛である その愛の中に留まるものは神の中に留まり 神もその人の中に留まる 4:17 私たちと共に在るその愛は かの者が存在しているのと同じ様で私たちもこの世において存在していることによって 全うされているのである その結果 私たちは審きの 51 普通はこの ために を無視して訳している ( 青野訳も ) 52 ここの 愚劣さ 弱さ は 愚劣なこと 弱いこと という中性名詞 神自身を 愚劣 であり 弱い と断定しないためであろう 4

日にも確信を保つことになるであろう 4:18 愛には恐れがない 全き愛は恐れを外へ投げ捨てる 恐れは懲らしめを内包しており 恐れる者はまだ愛において全き者とされていないからである 4:19 私たちは愛する それは 彼がまず最初に私たちを愛して下さったからである 4:20 誰にもせよ 私は神を愛している と言いながら 自分の兄弟を憎んでいるならば その者は偽り者である なぜなら 肉眼で見たことのある自分の兄弟を愛さない者に まだ見たことのない神を愛することはできないからである 4:21 神を愛する者は自分の兄弟をも愛する これが私たちが彼から受けている誡めである 5