上原記念生命科学財団研究報告集, 23(2009) 176. 遺伝子導入を用いた精子形成の試みと男子不妊症臨床応用に向けた基礎的研究 小島祥敬 Key words: 男子不妊症, 精子形成, 遺伝子導入 名古屋市立大学大学院医学研究科腎 泌尿器科学分野 緒言 Ad4BP/SF-1(Ad4 Binding Protein/Steroidogenic Factor 1) および DAX-1(dosage-sensitive sex reversal-adrenal hypoplasia congenita critical region on the X chromosome, gene 1) は, 胎生期の性腺形成および性分化に大きな役割を果たしている転写因子である. これら転写因子は, 視床下部 下垂体 性腺系の細胞で発現を認め, 特に, 精巣ではステロイド合成と精子形成に関わっている可能性が, 最近成人マウスを用いた解析により示唆されている. ヒト精巣における Ad4BP/ SF-1 および DAX-1 の発現を検討し, 特に特発性男子不妊症患者におけるこれら転写因子の役割について推察した. 一方, 近年補助生殖医療は, 特に ICSI(Intracytoplasmic sperm injection) の出現により目覚ましい発達を遂げた. しかしながら, これらはあくまでも in vitro による授精であるのみならず, 長期安全性については未だ不明である. さらに男子不妊症の多くにはその適応に限界があり, 今後新しい治療が望まれている. 私達は, 将来の男子不妊症に対する遺伝子治療の可能性を見据え, 安全で効率的な精巣内への遺伝子導入方法について検討した. 方法 1. 精巣における Ad4BP/SF-1 と DAX-1 の発現 (1) ラット精巣 ( 出生後 ) における Ad4BP/SF-1 と DAX-1 の発現 :0 週齢 10 週齢の Sprague-Dawley ラットを用いて, 各週齢における Ad4BP/SF-1 と DAX-1mRNA および蛋白の発現量と局在を定量的 RT-PCR,Western blotting, 免疫組織染色により調べ, 発現の推移について検討した. (2) ヒト正常精巣における Ad4BP/SF-1 と DAX-1 の発現 :1 26 歳正常男性の精巣における Ad4BP/SF-1 と DAX-1mRNA および蛋白の発現量とその推移を (1) と同様に検討した. (3) 特発性男子不妊症精巣における Ad4BP/SF-1 と DAX-1 の発現と意義 : 定量的 RT-PCR により発現量を調べ,1) 血中ホルモン値 (LH,FSH,testosterone) との相関,2) 病理組織所見との関係を調べた. (4)Ad4BP/SF-1 と DAX-1 と視床下部 下垂体 性腺系の調節機構 : 培養細胞 (TM3: ライディッヒ細胞株および TM4: セルトリ細胞株 ) にそれぞれ LH(5 mg/ml) および FSH(1 mg/ml) 投与した時のそれぞれ Ad4BP/SF-1 および 3beta-HSD と DAX-1 蛋白の発現の時間的推移を観察 (Western blotting) した. 2. 精巣への遺伝子導入法の確立プラスミド DNA として pcaggs-lacz を用いた. 遺伝子導入方法としては (1)cationic liposome 法 (CLGT 法 ) (2)electroporation 法 (EPGT 法 )(3)adenovirus vector 法 (AdVGT 法 ) を用いて, 以下についてそれぞれの導入方法の特徴を検討した.(1)beta-gal の発現強度 局在による遺伝子導入効率の検討,(2) 遺伝子導入による造精機能への影響 (3) 精子および次世代への影響を含めた安全性. をそれぞれ検討した. 3. 培養細胞への遺伝子導入 DAX-1cDNA をアデノウイルスベクターに組み込みセルトリ細胞株である TM-3 にアデノウイルスベクターにより DAX-1 遺伝子導入を行った. 1
1. 精巣における Ad4BP/SF-1 と DAX-1 の発現 結果 Ad4BP/SF-1 はラット, ヒトともに思春期より発現の増加を認め, その発現部位は主にライディッヒ細胞であった ( 図 1). 図 1. ヒト正常精巣における Ad4BP/SF-1 の発現 ( 免疫組織化学染色 ). Ad4BP/SF-1 は, 思春期以降に Leydig 細胞の核内に強い発現を認めた. また testosterone 値とよく相関し, ヒトにおいてもステロイド合成に必須の転写因子と考えられた 1). しかしながら, この発現は LH 非依存性であった. また Ad4BP/SF-1 の発現は, 特発性男子不妊症患者の病理所見と相関を認めず, 精子形成には直接的に関与しないものと思われた. DAX-1 はラット, ヒトともに思春期より発現の増加を認め, その発現部位は主にセルトリ細胞であった ( 図 2). 2
図 2. ヒト正常精巣における DAX-1 の発現 ( 免疫組織化学染色 ). DAX-1 は, 思春期以降に Sertoli 細胞の核内に強い発現を認めた. 特にラットにおいては, 精子形成周期依存性の発現を認め, 精子形成に大きく関与していることが示唆された. ホルモン値との相関は認めなかったが, ライディッヒ細胞において Ad4BP/SF-1 の発現と相反することは, Ad4BP/SF-1 の転写活性を思春期においては抑制していないことが示唆された. また,DAX-1 の発現は, 特発性男子不妊症患者の病理所見と相関を認め, 精子形成には直接的に関与していると考えられた. 1) またこれは FSH 非依存的であることが推察された. 2. 精巣への遺伝子導入法の確立遺伝子の発現は CLGT 法は精子に,EPGT 法は精子形成細胞, セルトリ細胞, ライディッヒ細胞に,AdVGT 法はセルトリ細胞とライディッヒ細胞に認めた ( 表 ) 2,3). 3
表 1. 精巣内遺伝子導入における各遺伝子導入方法の比較 精巣内遺伝子導入における各遺伝子導入方法の比較 < 発現強度はいずれの方法も導入後 7 日目にピークを認め,AdVGT 法 (1.53±0.42 unit) が CLGT (0.07±0.09unit) や EPGT (0.73±0.56 unit) に比較して有意に高かった (p<0.01, 図 3). 表 1. 精巣内遺伝子導入における各遺伝子導入方法の比較 精巣内遺伝子導入における各遺伝子導入方法の比較 4
図 3. 遺伝子発現細胞と発現量の検討. 遺伝子の発現は CLGT 法は精子に,EPGT 法は精子形成細胞, セルトリ細胞, ライディッヒ細胞に,AdVGT 法はセ ルトリ細胞とライディッヒ細胞に認めた. AdVGT 法においては, 導入後 56 日まで遺伝子の発現が持続したが,CLGT,EPGT は 28 日目以降の発現は認めなかった. 導入後 7 日目の apoptosis index は EPGT 法 (2.34±0.91, p<0.05) で高く, 最も造精機能障害を強く認めた (CLGT 法 :0.83±0.87 AdVGT 法 :0.78±0.43). いずれも 28 日目以降にはほぼ正常にまで改善した.CD4,CD8 陽性細胞を中心とした軽度の細胞浸潤はいずれの遺伝子導入方法でも認めたが, 遺伝子導入方法による有意な差は認めなかった. 有意な精子運動能の低下, 奇形率の上昇はいずれの遺伝子導入方法でも認めなかった ( 図 4). 図 4. 遺伝子導入による造精機能および妊孕性への影響. 精子運動率, 生殖能力, 胎仔異常は認めず, 次世代への影響はいずれの遺伝子導入方法でもなかった. 生殖能力, 胎仔異常は認めず, 次世代への影響はいずれの遺伝子導入方法でもなかった 4). 3. 培養細胞への遺伝子導入 DAX-1 遺伝子導入セルトリ細胞株から mrna を抽出し, セルトリ細胞特異的に発現する遺伝子を 20 種類 RT-PCR により発現を半定量したのち, その中で増加および減少したと思われる遺伝子数種類に的を絞って,TaqMan 法による定量的 RT- 5
PCR を行い発現の増減を確認した. その中である遺伝子の発現が上昇しており現在 DAX-1 との関係について, 発現機能解析を行っている. またわれわれが作成した停留精巣モデルラットに遺伝子導入を行ったが 5), 現在その結果を検討中である. 考察 Ad4BP/SF-1 は, ヒト精巣においてもステロイド合成の維持に必須の転写調節因子である考えられた.DAX-1 は, 精子形成に重要な役割を担い, 特発性男子不妊症の発症メカニズムに強く関与している可能性が考えられた. 遺伝子導入の方法としては CLGT 法,EPGT 法はいずれも簡便な方法ではあるが,AdVGT 法に比較して遺伝子効率が低く, 安全性や安定性に欠けていた.AdVGT 法は, 遺伝子効率が高く, 精子形成細胞への遺伝子導入を認めないことから次世代への影響が極めて少なく, 将来臨床応用する上では, 体細胞を標的とした最も優れた遺伝子導入方法と考えられた.DAX-1 を用いた遺伝子導入についての可能性については更なる検討が必要と考えられた. 本研究の共同研究者は名古屋市立大学大学院医学研究科腎 泌尿器科学分野の水野健太郎, 佐々木昌一, 林祐太郎, 郡健 二郎である. 文献 1) Kojima, Y., Sasaki, S., Hayashi, Y., Umemoto, Y., Morohashi, K-I. & Kohri, K.: Role of transcription factors Ad4BP/SF-1 and DAX-1 in steroidogenesis and spermatogenesis in human testicular development and idiopathic azoospermia. Int. J. Urol., 13:785-793, 2006. 2) Kojima, Y., Hayashi, Y., Kurokawa, S., Mizuno, K., Sasaki, S. & Kohri, K.: No evidence of germline transmission by adenovirus-mediated gene transfer to mouse testes. Fertil. Steril., 89:1448-1454, 2008. 3) Kojima, Y., Sasaki, S. & Kohri, K.: Therapeutic options: Current research and future prospects for gene therapy in andrology. Hargreave T, Comhaire F, Schill W-B (eds) In: Andrology for clinician. Springer, Heiderberg, Germany, 2006. 4) Kojima, Y., Kurokawa, S., Mizuno, K., Umemoto, Y., Sasaki, S., Hayashi, Y. & Kohri, K.: Gene transfer to sperm and testis: future prospects of gene therapy for male infertility. Curr Gene Ther., 8:121-134, 2008. 5) Mizuno, K., Hayashi, Y., Kojima, Y., Kurokawa, S., Sasaki, S. & Kohri, K.: Early orchiopexy improve the subsequent testicular development and spermatogenesis in the experimental cryptorchid rat model. J. Urol., 179:1195-1199, 2008. 6