黙示録 3 章 7-13 節 忠実な教会 1A 聖なる 真実な方 7 2A 主に知られた行ない 8 3A 報い B 中傷者からの擁護 9 2B 試練の時からの守り 10 3B 冠 11 4B 都での安全 本文 黙示録 3 章 7 節からです フィラデルフィヤにある教会に対する

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2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

創世記5 創世記2章4節b~25

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

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2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

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2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

創世記5 創世記2章4節b~25

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

牧会の祈り

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

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2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

(1) 獣の形状 (1~2 節 ) (2) 獣の復活 (3~4 節 ) (3) 獣の支配 (5~8 節 ) (4) 励ましのことば (9~10 節 ) 3. 結論 : 反キリストはキリストの真似をする 反キリストの働きについて学ぶ Ⅰ. 獣の形状 (1~2 節 ) 1.1 節 Rev 13:1 また

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

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聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

1イエスがバプテスマを受けたとき 天が開かれて聖霊が鳩のように下った 2ここでは 天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる 3 黙 4:1 では ヨハネを招くために天が開かれた 4ここでは キリストが地に下るために天が開いた (2) 白い馬に乗った方 1ローマ軍の将軍は 白い馬に乗った 2 再臨

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

牧会の祈り

2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

牧会の祈り

に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか (1) ここで場面は 地から天に移行する 1 大患難時代を通して継続している状況の描写である (2) ヨハネは キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻を見た 1 彼らは 祭壇の下にいた 2 旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと

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神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

Rev 17:2 地の王たちは この女と不品行を行い 地に住む人々も この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです (1) 大淫婦と不品行 1 旧約聖書では 淫婦 は 偽の宗教 を象徴する言葉である 2 淫行 は 偶像礼拝を象徴する言葉である 霊的姦淫である * 通常は 真の神を信じると告白しながら 偶像

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

な声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った ここに上れ この後 必ず起こる事をあなたに示そう (1) ヨハネは 7 つの教会への手紙の啓示を聞いた後 天の御座の幻を見た 1 その後 私は見た とは 時間の流れを示す言葉である (2) 招きの言葉がかかった 1 一つの開いた門があった * ヨ

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

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1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

マタイ 25 章 14 節 各自に任された財産 1A 神より与えられている財産 1B 創造の源 2B 信仰の量り 2A 清算の時 1B 永遠の報い 2B 報酬の時 3A 求められていること 1B 心のはかりごと 2B 自分の行程 3B 小さな事への忠実 4B 信じる事 本文 マタイによる福音書 25

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

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3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

マタイ 10 章 39 節 失うから見出す命 1A 天の御国と闇の国 1B 狼の中の羊 2B 主人の受けた仕打ち 3B キリストの告白 2A 平和でなく剣 1B 家族関係 2B 社会関係 3B 自己実現 3A 自己中心な社会 1B 自分探し の援助活動 2B 自分探し の弟子活動 3B 探せば失う原

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4


1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

イゼベルという女は 商売繁盛のために信仰を妥協するよう しきりに教会の人々に勧めました では これらの背景を踏まえて 学びに入りましょう 今日の聖書個所には 大切なポイントが 5 つあります 1. イエスの描写 (18 節 ) ここでイエスは 燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足のお方だ

テモテ第二 2 章 1-13 節 キリストの兵士 1A 共にする苦しみ 1-7 1B ゆだねる教え 1-2 2B 立派な務め 3-7 2A イエス キリストの福音 B つながれていない御言葉 B 共に生き 死ぬ 本文 テモテへの手紙第二 2 章を見ていきます 私た

牧会の祈り

2017 年 2 月 21 日 ( 火 ) 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 1. はじめに (1) 預言者たちの中でのエレミヤの位置づけ 1 預言書を書いた預言者 (the writing prophet) * 王国が南北に分裂して以降

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

2 A. その正体この獣について その正体 いったいだれのことなのかを見ていきましょう 黙示録 16:13を見てください また 私は竜の口と 獣の口と にせ預言者の口とから かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た 竜の口 獣の口 にせ預言者の口 と書かれています すでに 私たちは竜はサタン

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聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

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07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

黙示録 5 章 世界の巻き物 1A 封印を解くにふさわしい方 1-7 1B どこにもいない ふさわしい者 1-4 2B 勝利を得た小羊 5-7 2A 小羊への礼拝 B 血潮によって贖われた者たち B 無数の御使いと全被造物 本文 5 章を今晩は学びます 私たちは

牧会の祈り

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で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

ヘブル人への手紙1章

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

ヨハネの福音書講解 ヨハネの福音 ヨハネの福音書 21:15~25 1. 愛する 新改訳改訂第 3 版 ヨハネ 21:15 彼らが食事を済ませたとき イエスはシモン ペテロに言われた ヨハネの子シモン あなたは この人たち以上に わたしを愛しますか ペテロはイエスに言った はい 主よ 私があなたを愛

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

Ⅰ. 管理人の不正の発覚 (1~2 節 ) 1.1 節 a Luk 16:1 イエスは 弟子たちにも こういう話をされた (1) イエスは 弟子たちに話している 1これは 弟子訓練のためのたとえ話である 2 聴衆が誰かを判断することが たとえ話の解釈のために重要である (2) その周りで パリサイ人

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ルカによる福音書 21 章 近づいた贖い 1A 信仰の模範 1-4 2A 終わりの前兆 B 惑わし 5-9 2B キリスト者の迫害 B エルサレム包囲 B 天変地異 A 目を覚ました祈り 本文 ルカによる福音書 21 章から学びます

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ことをはたと思い出します クリスマスは キリストのミサです ミサは礼拝することですが 具体的 にはイエス キリストがご降誕されたことを記念して この方を礼拝します 1A 肉体を取られる神先ほど読んだ箇所は 紀元前 734 年から ユダにアハズという王がいた時に 預言者イザヤに与えられた数々の預言の中

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黙示録 3 章 7-13 節 忠実な教会 1A 聖なる 真実な方 7 2A 主に知られた行ない 8 3A 報い 9-13 1B 中傷者からの擁護 9 2B 試練の時からの守り 10 3B 冠 11 4B 都での安全 12-13 本文 黙示録 3 章 7 節からです フィラデルフィヤにある教会に対するイエス様の言葉を読みます フィラデルフィヤは 前回学んだサルデスの町から南東 約 45 キロにある町です アッタロス朝ペルガモン つまりペルガモン王朝の町の一つでした ペルガモにある教会について私たちは既に読みましたね それが首都で フィラデルフィヤはその王国の一つでした エウメネス二世という人が建設しました 弟アッタロス二世を後継者としました 彼のあだ名が フィラデルフォス (Philadelphos) であり ここからフィラデルフィヤと呼ばれます 兄弟を愛する者 という意味です そして ペルガモの教会の学びの時にも話しましたが 後に同盟国であるローマに王国を寄贈し ローマ帝国の一部となります 大きなローマ街道が トロアス ペルガモ サルデス そしてペルガモに通じており それゆえ通商路として栄えていました この町の特徴は ヘレニズムすなわちギリシヤの前哨基地であったことです 広くて 低いところにありますが 防衛のしやすい所にありました それで 小アジヤの中で 紀元後 1390 年までオスマントルコの手に落ちなかったそうです ギリシヤの前哨地ということで そこにはギリシヤ文化が豊かにありました しばしば 小アテネ と呼ばれていたそうです ギリシヤ神殿や公共の建物がたくさん建てられていました ですから ギリシヤの神々を祭った神殿も多く ここはぶどうの産地で 酒と陶酔の神ディオニュソス礼拝の中心地となっていました そして ここは地震の多いところでした 断層の真上にあったからです 紀元後 17 年の大地震によって この町は徹底的に破壊されました その復興に皇帝テベリオが援 1

助したので 皇帝に感謝を表して その町は新たに ネオカイザリヤ ( 新カイザリヤの意 ) と 新しい名を付けました ですから 後でイエス様が あなたがたは 柱としよう とか 新しい名を書き記す という約束を与えられますが ここにいるキリスト者にとって 大いなる励ましと慰めになったでしょう 1A 聖なる 真実な方 7 7 また フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ 聖なる方 真実な方 ダビデのかぎを持っている方 彼が開くとだれも閉じる者がなく 彼が閉じるとだれも開く者がない その方がこう言われる イエス様は 全ての教会に対してと同じように ご自身の姿を紹介されます ここでのご紹介 聖なる方 真実な方 は 1 章に使徒ヨハネに現れた栄光の御姿の中にはでてきません けれども 聖なる方ということも また真実という言葉も 旧約聖書からずっと神ご自身に使われている言葉であります 黙示録 6 章 10 節には 神の言葉とイエス様の証しを立てて それで首をはねられた魂が叫んでいる言葉の中にあります 聖なる 真実な主よ いつまでさばきを行わず 地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか 聖なる方 真実な方ということは 謗られ 迫害され 最後に殉教した人々にとって 欲していた神のご性質であったということです つまり 聖なる方とは 別たれた という事ですが 他の全てとは別たれていて 全く悪がないということであり 悪があるのに どうして聖なるあなた様が裁きを行わないのですか? ということであります そして 真実というのは 誠実 忠実とも言えるでしょう 裏切らない 約束を守る 確かに愛しておられて 守り 報いてくださる だから信頼のおける方だ ということであります 後で ここの教会の聖徒たちが 不信者のユダヤ人たちに中傷を受けていたことが書かれています そうした迫害や中傷に対して 主は わたしは聖なる者だ 悪に対して必ず裁く わたしはあなたを見捨てない 必ず助け 報いる ということを込めて そのように現れてくださったのでしょう そして ダビデのかぎを持っている方 彼が開くとだれも閉じる者がなく 彼が閉じるとだれも開く者がない とあります これも 1 章のイエス様の姿には出てきません 確かに 七つの星を右手に持っている方としては出てきますが ダビデの鍵ではありません これは イザヤ書にある神の約束から来ている言葉です 読んでみましょう 22:20-24 その日 わたしは わたしのしもべ ヒルキヤの子エルヤキムを召し あなたの長服を彼に着せ あなたの飾り帯を彼に締め あなたの権威を彼の手にゆだねる 彼はエルサレムの住民とユダの家の父となる わたしはまた ダビデの家のかぎを彼の肩に置く 彼が開くと 閉じる者はなく 彼が閉じると 開く者はない わたしは 彼を一つの釘として 確かな場所に打ち込む 彼はその父の家にとって栄光の座となる 彼の上に 父の家のすべての栄光がかけられる 子も孫も すべての小さい器も 鉢の類からすべてのつぼの類に至るまで 2

これは エルサレムに対する神の預言でした 王ヒゼキヤに仕える二人の側近がいました シェブナとエルヤキムです シェブナは 自分の報酬のことばかり 自分が老後 安泰に暮らし 荘厳な墓に入るようなことばかり考えていました アッシリヤがエルサレムを取り囲むような危機にあったにも関わらず です しかし エルヤキムは違いました 主を求めるヒゼキヤに忠実に仕えていました その忠実さのゆえに ダビデの鍵が渡される約束が与えられたのです 鍵が何を意味するのか? ここに 彼が開くと 閉じる者はなく 彼が閉じると 開く者はない とあります エルサレムという城でありますが そこの門の鍵を持っているということは その町の運命が彼に掛かっていることを意味していました 門は 外敵が攻め入って来る破れ口にもなりえます 日没の前に必ず閉めます その後で遅れてやってきても 絶対に門を開けることはありません そして日が昇れば 再び開けます つまり エルサレムの全権がその肩に任せられている ということです エルヤキムが忠実に仕える者であったので 主が彼の肩にダビデの家に関わることを任せるという約束でありました しかし エルヤキム個人への約束を越えて 彼はメシヤご自身についての約束へと発展しています ダビデの家について エルサレムについての全権を持っておられる方が イエス キリストなのだということです イエス様はこの全権をもって 教会に対して大宣教命令を行われます マタイの福音書 28:18-19 わたしには天においても 地においても いっさいの権威が与えられています それゆえ あなたがたは行って あらゆる国の人々を弟子としなさい そして 父 子 聖霊の御名によってバプテスマを授け また わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように 彼らを教えなさい 見よ わたしは 世の終わりまで いつも あなたがたとともにいます そして 全ての国民を弟子とすることにおいて その権威を教会が行使するようになることを ピリポ カイザリヤでペテロと他の弟子たちに約束されました マタイ 16:19 わたしは あなたに天の御国のかぎを上げます 何でもあなたが地上でつなぐなら それは天においてもつながれており あなたが地上で解くなら それは天においても解かれています 私たちが教会として ちょうどフィラデルフィヤがギリシヤ前哨地であったように 神の国の前哨地 宣教のため楔を打たれているような所であります そこで 主の弟子と人々をしていく中で 主からの権威が現れるということです そして そこに必要なのは 主に仕えている忠実さであります 2A 主に知られた行ない 8 8 わたしは あなたの行ないを知っている 見よ わたしは だれも閉じることのできない門を あなたの前に開いておいた なぜなら あなたには少しばかりの力があって わたしのことばを守り わたしの名を否まなかったからである 主が フィラデルフィヤの信徒に対して あなたの行ないを知っている と言われます フィラデ ルフィヤは スミルナと並んで叱責の言葉は与えられておらず 評価しておられる言葉だけになっ ています その反面 前回読んだサルデスと次回読むラオデキヤに対しては 叱責の言葉しかあ 3

りません なぜ スミルナとフィラデルフィヤには その行ないをほめる言葉だけなのでしょうか? 共通しているのは 迫害です 不信者のユダヤ人から その会堂から中傷を受けていたということです 見よ わたしは だれも閉じることのできない門を あなたの前に開いておいた とありますね 当時のローマ社会は カイザルを神とする皇帝礼拝によって忠誠心が図られていました カイザルが主である という告白が 云わば踏み絵でした それをすることができないのは ユダヤ人とキリスト者です 主なる方のみが主であり カイザルは人であり 人を神とすることはできない 偶像礼拝であるからです しかし ユダヤ人共同体は政治的にも動き 彼らはこの言葉を告白しなくてよいように 除外してもらっていました そこで 既に煙たい存在であったキリスト者に対して 彼らに対して会堂への戸を閉ざしたのです キリスト者は 初めはユダヤ教の一派 ナザレ派 でありました それから異邦人も教会の中に集い 安息日を守らなくもよいということがあり それでユダヤ教がイエスを信じる者たちを疎外するようになっていきました それで 自分たちの共同体を守るためにキリスト者を追い出したのです おい お前がいると厄介なんだよ お前たちのせいで 我々がローマから迫害されるかもしれないのだよ という理屈で キリスト者が会堂の中に入れないようにしたのです 彼らの前に 戸が閉ざされていました ですからイエス様が わたしは だれも閉じることのできない門を あなたの前に開いておいた と言われたのです ユダヤ人は門を閉ざしたけれども わたしがその全権で あなたがたには門を開けておくと言われたのです その 門 とは どこに入る門なのでしょうか? 最後の約束に 神の聖所と新しいエルサレムに入る約束をイエス様は与えておられます 黙示録 21 章には 一日中 都の門は閉じることがないとあります (25 節 ) ここの信者たちは 迫害を受けて戸が閉ざされたけれども 主はご自分の都に彼らが入ることができるように 戸を開けておくと約束されたのです ですから 私たちが神の国に入るまで困難があるけれども それでも主は戸を開いて待っていてくださるということであります そしてもう一つの意味合いがあるでしょう それは 福音宣教の戸 であります 先ほど申し上げたように 教会に対してイエス様は 天地の全権を任せられました 大宣教命令において その全権を任せられました 宣教地において そこに入り 福音を伝える門が彼らの前に開かれているということも意味するでしょう パウロは コリントにおいて反対が多いけれども むしろそれは 門が開かれていることの印であると話しています 1コリント 16:9 働きのために広い門がわたしのために開かれており 反対者も大ぜいいるからです そして ここがギリシヤの前哨基地であったことを思い出してください ギリシヤの文化 小アテネをそこに植えることによって ギリシヤの防衛線を張っていたのですが 同じようにフィラデルフィヤの信者たちは 神の国の前哨地として その戦いの拠点としてそこに置かれていたのです いかがでしょうか 私たちの前にはイエス様が開かれている戸があります ご自分のそばに まだイエス様を知らない人がいるでしょう その一人一人に対して ご自分はキリストの使節 宣教者となっているのです 自分には できないと思わ 4

れるかもしれません 主は自分でしろ と仰っていません むしろ 主の命令の下に自分を置き 主に忠実な僕として エルヤキムと同じように 任されたことをしっかりと管理するのです 管理 者には 忠実であることが要求されます (1 コリント 4:2) とパウロが言いました 私たちは この大きなイエス様の命令に対して圧倒されるでしょう けれども 思い出してください イエス様はつい最近 ご自分を見捨てた弟子 11 人に対して 聖霊があなた方の上に臨み 力を受けます そして 地の果てに至るまでわたしの証人となるのです と言われたのです そして イエス様が言われた彼らをほめる言葉に注目してください 一つは あなたには少しばかりの力があって であります 二つ目は わたしのことばを守り であります そして三つ目は わたしの名を否まなかったから であります 一つ目 あなたには少しばかりの力があって でありますが 彼らは町の中では影響力が小さかったに違いありません 教会の人数も少なかったのかもしれません また 社会的には貧しい人たち 下層階級の人々だったかもしれません しかし 少しばかりの力 があったのです ここで大事なのは 私たちにはわずかな力でよいのだ ということです どんなに慰められ 励まされる言葉ではありませんか その力が 自分たちの力ではなく 主から来ているものであるという点が大切です どんな小さなことであっても 主の御霊からいただいた力によって 忠実に神に仕えます 自分のできることをするのではなく どんな小さな事柄でも 主に祈り 主から知恵をいただき 力をいただき 御霊に導かれます どんなに僅かなことでも 例えばトイレ掃除を教会で行うにしても その掃除を主に対して行ないます そして 二つ目 わたしのことばを守 ることです これは 主が命じられていること 主が願われていること 望まれていることを しっかりと守っている 保持しているということです そのわずかな力でいいのです 主のことばをしっかりと守ります 私は明日 沈黙の映画はまだ観ていませんが 小説は読みました そこには 信者を生かすために 踏み絵を踏むことこそが愛の行為だ という声が聞こえます そして 信仰を公にしなくてよい 心で秘めていればよいのだ というテーマが流れています しかしイエス様は何と言われましたか? マタイ 10:32-33 ですから わたしを人の前で認める者はみな わたしも 天におられるわたしの父の前でその人を認めます しかし 人の前でわたしを知らないと言うような者なら わたしも天におられるわたしの父の前で そんな者は知らないと言います 続けてこうも言われました 10:34-37 わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません わたしは 平和をもたらすために来たのではなく 剣をもたらすために来たのです なぜなら わたしは人をその父に 娘をその母に 嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです さらに 家族の者がその人の敵となります わたしよりも父や母を愛する者は わたしにふさわしい者ではありません また わたしよりも息子や娘を愛する者は わたしにふさわしい者ではありません イエス様の言葉を守るのです 5

そして三つ目 わたしの名を否まなかった であります これは イエス様の名を告白した イエス様に口において忠誠を尽くした ということだけではありません 御名には その名誉にふさわしく というような意味合いがあります イエス様の名にふさわしい行ない 歩みも否まなかったということであります 3A 報い 9-13 そしてイエス様は 忠実な彼らに対して その信仰に対する報いを約束されます 1B 中傷者からの擁護 9 9 見よ サタンの会衆に属する者 すなわち ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて うそを言っている者たちに わたしはこうする 見よ 彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ わたしがあなたを愛していることを知らせる これは 先ほど話しました 不信者のユダヤ人についてのことであります サタンの会衆 とイエス様ははっきりと語られます それはユダヤ教の会堂 シナゴーグがサタンからのものだ ということではなく キリストに愛された者たちを追放し 中傷することは その背後にサタンがいるからだということです イエス様が 私たちの父はアブラハムです 私たちの父は神です と言い張るユダヤ人に対して あなたがたの父は悪魔です 悪魔は初めから偽りを言い 人殺しです と言われました 彼らは 父祖アブラハムを誇り 神を誇っていましたが 心はイエス様に対する殺意で一杯になっていたからです これは他人事ではありません 悪魔は キリストに属する者たちの キリストへの忠誠に対してありとあらゆる中傷をしています そうやって告発して キリスト者が主に仕えていることがいかに悪いことであり 酷いことであるのかを ありとあらゆる手を尽くして責め立てます その声を聞いているので 私たちの心は深い傷を受けています 迫害は必ずしも 肉体に対して行なわれることに限りません 人の精神に対して 人の心理に対しての拷問のほうが大きいでしょう それはちょうど 家庭内暴力 DV は その肉体に対する暴力は一割ほどで 九割は言葉による暴力というような割合であります 正しい者を悪として 本当の悪人が被害者であるかのように善と悪をひっくり返すのです パウロは迫害を受けているローマにいるキリスト者に対して 何が悪魔からの攻撃であるかをよく知っていて 次のように言っています ローマ 8:31-34 神が私たちの味方であるなら だれが私たちに敵対できるでしょう 私たちすべてのために ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が どうして 御子といっしょにすべてのものを 私たちに恵んでくださらないことがありましょう 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか 神が義と認めてくださるのです 罪に定めようとするのはだれですか 死んでくださった方 いや よみがえられた方であるキリスト イエスが 神 6

の右の座に着き 私たちのためにとりなしていてくださるのです パウロは 主に仕えることによって いろいろな大切なものを失ってしまうという恐れに対しては 御子にあってすべてのものを恵んでくださる と言っていて その他は 敵対 訴える 罪に定める という言葉に対して対抗しています 中傷に関わることなのです それぞれ 神が味方 神が選ばれた 神が義とし キリストが執り成しておられる という言葉で対抗しています そして 迫害者というのが 本当なら神を敬っているはずのユダヤ人から来たということは大事です 神について 聖書について何も知らないローマの役人ではなく 神を知っているはず 聖書を知り キリストを知るべきはずのユダヤ人が 自分たちを守るためにキリスト者を疎外したのです そうです キリストの名を知っているはずのものが 自分を守るために 主の名を守っている者たちを疎外し 自分たちの仲間ではないとすることこそ 最も強烈な迫害であります キリスト者のそれぞれの肉の弱さを最大限に利用し それを誇大化させ そして信仰を全面的に否定させようとするのです 江戸時代の迫害は 転びキリシタンや伴天連がキリシタンの迫害の急先鋒となりました 第二次世界大戦中は 日本の教会関係者が迫害され 投獄されると 他の妥協していた教会関係者が 一緒になって いやそれ以上に 彼らの信仰の持ち方や聖書信仰を貶しました イエス様は 見よ 彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ わたしがあなたを愛していることを知らせる ということをされます これは キリスト者が神の国においてキリストの王権の中で 共に統べ治めるということです そして これら迫害した者たちが神の国に入ることができず 塵を舐める屈辱を味わうということです 先にお話しした 殉教した魂が なぜ復讐なさらないのですか? という訴えに対して主がお答えになられた ということです 彼らはずっと これら信者たちが悪者としており 自分たちが正しいとしていましたが それが逆転するのです 彼らが正しいとされ 彼らが間違っていたことを主が明らかにする ということです ですから 初代教会の時からのキリスト者 その指導者は 迫害者に対して憐れみを持っていました 惨めなのは自分たちではなく 彼らのほうであると知っていたからです たとえ自分を火あぶりにしても 彼らが永遠の火の中で苦しむことを知っていたのです それで 彼らへの憐れみの心から彼らのためにも イエス様と同じように苦しめられている時に 執り成しをしました 2B 試練の時からの守り 10 ですから 報いは 自分たちの信仰がやはり正しかったのだ ということを明らかにしてくださることです 次に 試練の時から守られる ということであります 10 あなたが わたしの忍耐について言ったことばを守ったから わたしも 地上に住む者たちを試みるために 全世界に来ようとしている試練の時には あなたを守ろう あなたが わたしの忍耐について言ったことばを守った とありますが ここでの忍耐は 耐久 力というのに近い言葉でしょう 英語では perseverance であります 難しい言葉で 堅忍 と言い 7

ます 困難にしっかりと耐えて 最後まであきらめないことを意味します 私たちが この人生目標 を設定する時に イエス様の忍耐について言ったことばを守る ということにすればよいでしょう そして わたしも 地上に住む者たちを試みるために 全世界に来ようとしている試練の時には あなたを守ろう と言われます 地上に住む者たちを試みる とは何でしょうか これは イエスの名を信じない者たち いのちの書に名の書き記されていない者たちの世界のことを指しています 17:8 地上に住む者たちで 世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は その獣が 昔はいたが 今はおらず やがて現われるのを見て驚きます 後に出てくる獣 つまり反キリストを見て驚き 彼を拝むようになる人々に使われています 全世界に獣は支配するということです つまり この試練は信者に与えられるいわゆる信仰の試練ではなく 彼らが福音を拒んだために 悪魔の惑わしを受ける試練 というか誘惑のことであります 2テサロニケ 2:9-12 不法の人の到来は サタンの働きによるのであって あらゆる偽りの力 しるし 不思議がそれに伴い また 滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます なぜなら 彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです それゆえ神は 彼らが偽りを信じるように 惑わす力を送り込まれます それは 真理を信じないで 悪を喜んでいたすべての者が さばかれるためです では 全世界に来ようとしている試練の時には あなたを守ろう とはどういうことでしょうか? 次の節に わたしは すぐに来る と続いています ここで 時には と訳していますが 時から と訳すことのできる前置詞が使われています そのような試練の時から守ろう イエス様が来られて私たちをこの地上から取り上げて 天にまで引き上げる約束であると考えられます 黙示録 6 章から 小羊なるイエス様が災いを地上に下す患難の預言があります その患難の時に 不信仰の者 偶像礼拝をする者 魔術をする者 不品行の者 盗む者など 悔い改めないでこれらのことを行なっている者たちに災いが下ります 神の定められた ご自分の怒りを地上に注ぐ時です その中で反キリスト 獣が現れ 全世界を支配するのです こうした惑わしの時からあなたがたを守ろう 救おうということです パウロが 神の怒りからキリスト者が救われることを話しました ローマ 5:9-10 ですから 今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが 彼によって神の怒りから救われるのは なおさらのことです もし敵であった私たちが 御子の死によって神と和解させられたのなら 和解させられた私たちが 彼のいのちによって救いにあずかるのは なおさらのことです 3B 冠 11 ですから 試練の時から守られる約束があります 三つ目の報いは 冠が与えられている ということです 11 わたしは すぐに来る あなたの冠をだれにも奪われないように あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい 8

イエス様は すぐに来 られます これは 来る時には 遅れることはない すみやかに来る ということです 思いがけない時に 来られます ですから これまでも眠っていないで目を覚ましていなさいという命令がありました 1 章の学びで 時が近い ともありましたが その時とは物理的な時間や時刻ではなく 収穫の時期 というような 機会としての時 であることを学びました ですから 自分にはどうすることもできない 神だけの持っておられる定まった時があり 神にいつも信頼して 神を待ち望んで それでその時が来た時にはいつでも用意ができている ということです フィラデルフィヤの人々には 既に あなたの冠 とあります 主が 信仰を全うする者たちには 義の冠や命の冠が用意されているとの約束がありますが 主がその信仰に対して栄誉と称賛を用意しておられます その誉れを冠は表しています それが奪われないように あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい とあります そうなんです 既に持っているものを守るのです これから何かを得なければいけないということではありません キリストにある霊的祝福であります ですから 忠実であることが要求されているのです 先にあった 三つのことがあります 少しばかりの力が与えられています 続けてその力により頼みなさい イエス様の御言葉があります その御言葉を守りなさい そして イエス様の御名です 4B 都での安全 12-13 12 勝利を得る者を わたしの神の聖所の柱としよう 彼はもはや決して外に出て行くことはない わたしは彼の上にわたしの神の御名と わたしの神の都 すなわち わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と わたしの新しい名とを書きしるす 四つ目の報いは 新しい都に確かに入ることができる保証であります 救われているという保証です ここでは先に申し上げたように フィラデルフィヤの町のことをイエス様は意識しておられます わたしの神の聖所の柱 でありますが この町は断層の上にあり 地震が起こる度に大きな被害を受けていました しかし 大柱はそのまま立っている場合が多いです 彼らが地震で倒れる柱を見ているなかで 自分は柱として立っていることができるという保障です それから 彼はもはや決して外に出て行くことはない とあります これも先に話しましたように ユダヤ教の会堂から追い出されている彼らによって 都から出されることはないというのは とてつもない安心感をもたらします そもそも柱となっているのですから 出て行きようがありませんね! そして 神の都の中でイエス様のものであるという認証が押されています わたしの神の名 わたしの神の都 わたしの神のもと とイエス様は わたしの を繰り返しておられます イエス様がこの新しい都 そして父なる神がご自身のものであることを強調し その所有権の中であなたがたを守る と言われているのです 神の御名が書き記される とは 神のものであることがはっきりと記されるということです 22 章 5 節 新しい都にいる者たちに 彼らの額には神の名がつい 9

ている とあります そして 新しいエルサレムの名 というのは 22 21 章にある天から降りてくる新しいエルサレムのことです そして 新しい名 を書き記す というのは 全てが新しくされたその都に住む時に 新しくされた関係の中でイエス様のものとなっているということであります すばらしいですね 黙示録 21-22 章に この都の描写が克明に描かれています 彼らがそこに入ることができるのだ という保証を与えておられるのです 13 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい 私たちが 彼らと同じように主に対して わずかな力でもそれをしっかりと守っているならば 主は私たちの前に広い門を開けておいてくださいます それは 神の国に入る門であります そして イエス様の権威が任されて イエスの御名によって人々に福音を伝える戸が開かれています 大きな力を要しません イエス様の教会において ただイエス様に言われることを聞いて それに誠実に へりくだって 忠実に従うことです 10