275 日本写真学会誌 2016 年 79 巻 3 号 :275 279 解 説 低速粒子飛跡の高感度検出に関する考察 低温トリボルミネッセンスの観察から *1 Study on High-sensitivity Detection of Tracks by Low-speed Particle -From Observation of Low-temperature Triboluminescence 高田俊二 久下謙一 Shunji Takada,Ken ichi Kuge 要 旨 暗黒物質探索を目指し, その反跳低速粒子を高感度に記録する方式が提案されている. 低速粒子のエネルギー損失は, 電子的阻止能と核的阻止能の二つの機構があるが, 後者の写真作用に関しては定説がない. 本報では, 低温トリボルミネッセンス観察に基づいて, 核的阻止能の作用を議論し, 低速粒子の高感度検出に関して考察する. Abstract For the purpose of Dark Matter(DM)search, a method for high-sensitivity recording of recoil particles due to DM has been proposed. With respect to the energy loss of low-speed particles, there are two mechanisms of electronic stopping power and nuclear stopping power, although there is no established theory for the photographic action of the latter. In this paper, authors would discuss the photographic effect of nuclear stopping power based on the observation of low temperature triboluminescence, and further discuss with respect to high sensitivity detection of lowspeed particles. キーワード : 原子核乾板, 暗黒物質, 飛跡検出, 低温潜像形成 Key words: Nuclear-sensitive material, Dark Matter, Track detection, Latent image formation at low temperature 1. はじめに日本写真学会誌 78 巻の特集 見えてきた原子核乾板活用の世界 1) では, 成果報告として基礎物理分野でのτニュートリノ出現検証 OPERA 実験 2) と応用分野での巨大構造物の非破壊検査を行うミューオン ラジオグラフィー 3) が報告された. 前者では, スイス CERN で発射したμニュートリノから変身したτニュートリノを 730 Km 離れたイタリア Gran Sasso 研究所に設置した原子核乾板で捉え, 反応した高速荷電 τ 粒子の mm オーダーの短い飛跡を記録し,2015 年ノーベル賞を受賞したニュートリノ振動の姿を明確にした. 後者では, 地球に降り注ぐ高速荷電 μ 粒子の高い物質透過能を利用して, 密度差を反映する透過画像から巨大構造物の構造推定を可能にし, 福島第一原子力発電所の炉心構造解明に寄与した. 二つの例では, 乾板記録は高速荷電粒子の写真作用を利用している. 新展望報告として名古屋大学の中は方向感度を持った暗黒 物質 DM 探索実験の具体的な提案を行った 4). それによれば, 太陽系周辺の DM は宇宙全体の平均の 20 万倍の密度があり, 地球に降り注ぐ個数は約 10 万個 /cm 2 /sec と見積っている. そして DM を WIMP s(weakly Interactive Massive Particles) と仮定し,DM 自身は不活性だがその反跳原子核が写真作用を持つと想定している.DM と原子核間の反応確率は小さいと予測されるので, 大きな検出器に加えて長時間の検知が必要となる. 従って, 長時間検知の間に混入するバックグラウンドの除去は最重要課題となる. さらに提案の最大の特徴となる方向感度を具現化するためには, サブμm と従来に比べ極端に短い飛跡を数 10 nm の微細銀粒子で記録し, それらを検出する手段開発が必要となる. また DM は銀河脱出速度を超えないので, その反跳原子核の作用は低エネルギー事象になる. 低速粒子のエネルギー損失には, 電子的阻止能と核的阻止能の二つの機構があるが 5), 後者の写真作用に関しては定説がない状況にある. 光および電離放射線の感光機構が詳細に解説されているの *1 平成 28 年 7 月 10 日受付 受理 Received and accepted 10th, July 2016 千葉大学大学院融合科学研究科 263-8522, 千葉県千葉市稲毛区弥生町 1-33 Chiba University Graduate School of Advanced Integration Science 1-33, Yayoi-cho, Inage-ku, Chiba-shi, Chiba, 263-8522 Japan 本論文の内容は,2016 年 6 月 9 日の日本写真学会の年次大会 ( 於, 東京工業大学 ) で発表した.
276 日本写真学会誌 79 巻 3 号 (2016 年, 平 28) に比べ, 感光材料の開発の重要品質項目である機械的エネルギーの写真作用に関する記述は少ない 6)7). 写真圧力効果は, 急激な乾燥, フィルム面の引っ掻きおよびフィルムの折り曲げの際に, 圧力によって格子欠陥 ( 刃状転位 ) が導入され, 内部感度の上昇に伴い表面感度が低下し, さらに強い圧力が加わると露光なしに黒化が起る現象である.Takada は AgBrI 粉末に液体窒素温度 (LNT) で圧力を加えるとトリボルミネッセンスが観察できることを見出し, 写真圧力効果の機構を提案した 8). 新展望報告で中は,DM 起因の低速粒子検出を LNT で行うことによって, バックグラウンドノイズを低減させ, シグナルは核的阻止能によるフォノン熱を利用し維持させ S/N 比向上を図る提案を行った. 本報ではトリボルミネッセンス観察に基づいて,LNT での低速粒子の高感度検出に関する考察を行う. Fig. 1 粒子のイベント数に対する検出飛跡数および S/N 比ノイズの減少に伴って, 検出感度は向上する 2. 荷電粒子の検出の S/N 比向上による高感度化銀塩写真の潜像形成では, 量子感度 ( 現像可能にさせる一粒子当りの吸収光子数で定義 ) と呼ばれる閾値が存在する. 光吸収に基づく光電子と可動性銀イオンによる光化学反応で銀原子クラスターが形成され, 再結合などのロス過程はあるものの, クラスターが一定のサイズに到達すると触媒活性のある潜像となる. 熱励起など閾値に届かない励起では潜像は形成されず, 増幅率の大きな化学的増幅である現像を通して大きな S/N 比を得るのに貢献している. 一方, シリコン撮像素子には閾値が存在せず, 暗電流などのランダムノイズおよび欠陥起因の固定パターンノイズを徹底的に抑える必要があった. 埋め込みフォトダイオード構造の採用による暗電流の低減, 相関 2 重サンプリング法 (CDS:Correlated Double Sampling) によるノイズ消去などが礎となって現在のレベルに至っている. 原子核乾板の場合, ターゲット粒子による励起数が閾値を十分に超えていれば,S/N 比の向上には専らノイズの低減が必要となる. Fig. 1 はターゲット粒子数を横軸に, 検出飛跡数を縦軸に取っている. ノイズ N=100 の場合 S/N=6 db となるイベント数は 200 であり,N=10 では 20 で,N=1 では 2 となり, ノイズ低減が高感度化のキー技術となる. 飛跡検出のノイズ低減に対して, 相関 2 重サンプリング法の適用は困難と思われるので, ノイズ源を極力除去するかあるいは飛跡形状でノイズを弁別する方法が優先される. 第 3 の方法として, ターゲット粒子とノイズ源の感光プロセスの差を利用して S/N 比の向上を図る具体策が中らによって提案された 4). 第一は, ノイズ源のエネルギー損失能 ( 電子 正孔対の励起数に比例する ) がターゲットの損失能より小さいと考えられることから, 減感剤の使用による低感度化により, 閾値をノイズの励起数より大きくする案である. 減感させる方法として, 伝統的な電子捕獲性の減感色素あるいは実用例の多い金属配位子ドーパント ( 例えば,K 3 RhCl 6, K 2 OsCl(NO)) 5 に加えて, 大きな減感効果が期待できるテト ラゾリウム化合物 9) などを選択できる. 第二は, 原子核乾板を LNT の環境に置き, ノイズ源の感光を極力抑える提案である. 一方低速粒子の場合, エネルギー損失は電子的阻止能と核的阻止能が二つの機構があり, 後者はフォノン生成による温度上昇が期待できるので, ターゲット粒子の感光が相対的に維持されることを期待している. 3. 液体窒素温度 LNT での感光過程 Fig. 2 には, 温度に対する相反則不軌曲線の一般的な挙動を示している 10). 室温 RT から 40 に冷却すると, 単原子銀の初潜像が熱的に安定化するため低照度不軌が改善されるが, 格子間銀イオンの到達が遅くなるため顕著な高照度不軌を示す. 液体窒素温度 LNT では, いずれの露光照度においても大きく減感し, 結果的に低照度不軌も高照度不軌もなくなりフラットな相反則曲線になる. マイクロ波光伝導 11) あるいはデンバー効果の測定 12) から, 室温における光電子の寿命は格子間銀イオンの到達 ( イオン緩和の時定数はイオン伝導度からμ 秒オーダーと見積もられる ) で決まる.LNT では捕獲電子のイオン緩和が起らないので, 寿命は m 秒に伸びる. 励起電子は浅い一時的なトラッ Log I x T T 10 10 10 10 10 Log I LNT 9) Fig. 2 露光温度に対する相反則不軌曲線の典型的な挙動 -75-40 RT 10 10 -
高田俊二 久下謙一低速粒子飛跡の高感度検出に関する考察 低温トリボルミネッセンスの観察から 277 プを出入りしながら移動し,Fig. 3 の配位座標のエネルギーダイヤグラムで示すように, 励起状態から輻射あるいは非輻射過程で失活すると考えられる.Fig. 4 に示すように沃臭化銀の場合, 正孔はヨウ素イオン中心 ((I ) 2 会合体 ) に局在 化し,LNT では輻射遷移により緑発光が観測される. 低温下で露光した感材に長波光の均一露光を与え, 昇温 現像後に長波光の影響を調べる実験が低温ハーシェル効果であり, LNT では浅いトラップと深いトラップに捕獲された電子の存在が確認されている. 昇温過程で深いトラップの電子に格子間銀イオンが到達し銀原子が形成され, そこにトラップから熱励起された電子と格子間銀イオンが集まることによって, 銀クラスターとして成長し潜像が形成される. 4. 低温トリボルミネッセンスの観察 Fig. 3 配位座標による励起状態からの輻射 非輻射遷移の説明図 Fig. 4 液体窒素温度での AgBrI 粒子の再結合発光の機構図 核的阻止能によるエネルギー消費は, 被衝突原子の得るエネルギー E と結晶の変位エネルギー Displacement Energy E d の大小によって,Table1 のように変化すると考えられる 5). EがE d を超えない場合, 受け取ったエネルギーは格子振動のフォノン熱として消費され, 結晶全体が温められる.E が E d を超えると, 結合を振り切り格子位置を飛び出し, ハロゲン化銀の場合はフレンケル欠陥 ( 格子間銀イオンと銀イオン空位 ) が形成されると考えられる. アルカリハライド結晶の場合は, ショットキー欠陥 ( アルカリ金属イオン空位とハロゲンイオン空位 ) が形成されるが, 欠陥形成エネルギーは 2 ev を超えるものが多い. 一方ハロゲン化銀の場合のエネルギーは, 塩化銀 (1.25 ev) 臭化銀(1.06 ev) 沃化銀(0.60 ev) であり, 欠陥の形成はより容易である. さらに微粒子の場合, 表面のキンク位からの欠陥生成も可能となり, そのエネルギーは臭化銀 (100) 面で 0.25 ev (111) 面で 0.21 ev であり, 更に容易に欠陥生成が起り得る 13).EがE d をはるかに超えると, 弾き出された原子が十分高いエネルギーを持つので, 連鎖的なカスケード衝突が起り, その終端で熱スパイクと呼ばれる局所的な超高温状態が発生すると考えられている. 機械エネルギーによる写真作用は写真圧力効果と呼ばれ, 感光材料開発の重要品質項目である. しかし, 圧力効果に対する経験的な改良指針はあったが, 感光過程のような詳細な機構解明はなされていなかった. 圧力により格子欠陥 ( 刃状転位 ) が形成され, 内部感度の上昇に伴い表面感度が低下する挙動が一般的であり, さらに強い圧力が加わると露光なしに黒化が起る.Takada は AgBrI と AgBr 粉末の LNT でのトリボルミネッセンス Triboluminescence を観察した.Fig. 5 上図は,LNT での AgBrI のフォトルミネッセンス Photoluminescence のスペクトルであり,Fig. 4 に示すヨウ素イオン中心 ((I ) 2 会合体 ) に捕獲された正孔と電子の再結合と帰属される 550 nm 付近の緑発光を示す. 下図が LNT で Table. 1 低速粒子の主要なエネルギー損失機構 E: 被衝突原子のエネルギー,E d : 変位エネルギー Displacement Energy E<E d E>E d E>>E d 格子振動 格子欠陥生成 熱スパイク フォノン TO Γ =11 mev フォノン LO Γ =17 mev フレンケル欠陥 G F =1.06 ev 表面キンク G I =0.21 ev バンド間遷移 Eg=2.6 ev
278 日本写真学会誌 79 巻 3 号 (2016 年, 平 28) 120 100 80 60 値 40 80 60 40 20 Photoluminescence Triboluminescence 20 0 400 450 500 550 600 650 700 Fig. 5 液体窒素温度での AgBrI 粒子の発光スペクトル 7) フォトルミネッセンス, トリボルミネッセンス AgBrI 粉末にズレ応力を加えた時のトリボルミネッセンスのスペクトルを示している. 両スペクトルが同一であることから, ズレ応力により電子系の励起が起こると結論した. AgBr でもフォトルミネッセンスとトリボルミネッセンス共に 600 nm 付近の赤発光を示し, 電子系の励起が起こることを確認した. 同様な観察は F 中心を含むアルカリハライド結晶でも観察されており,Metz らは F 中心を含む RbCl 結晶において, 熱スパイクによる局所的超高温により, この系に必要な 2.6 ev 程度の励起が起こると結論した 14). 従って, ハロゲン化銀においても, ズレ応力により熱スパイクによる電子系の励起が起こり得ると結論される. 低速粒子による核的阻止能の効果に関しては E と E d の大小関係の吟味を行う必要があるが, フレンケル欠陥の形成エネルギーが特異的に小さいハロゲン化銀において, 格子間銀イオンの形成は十分起こり得ると考える. 5. 低温低速粒子線の感光機構 Fig. 6 には電子的阻止能と核的阻止能を持つ低速粒子の LNT での想定される感光プロセスを図示した. 電子的阻止能に加えて核的阻止能により瞬間的にフレンケル欠陥形成が起れば,LNT でも複数個の単原子銀が形成され再結合が防止できると考えられる. 単原子銀の熱的安定性からその電子捕獲の深さは初潜像と同程度の 0.7 0.8 ev 程度と見積もられる. 初潜像の安定性は低照度相反則不軌の知見から, 室温でも秒 分程度の安定性があるので, 昇温過程で一部の単原子銀が熱解離することによって銀クラスターの集中化が起り, 潜像が形成されると考えられる. 6. おわりに ハロゲン化銀の低温トリボルミネッセンスの観察から, ズレ応力により熱スパイクによる電子系の励起が可能であると結論した. 低速粒子の核的阻止能の場合, 被衝突原子の得るエネルギーを吟味する必要があるが, 特異的に欠陥生成エネ Fig. 6 液体窒素温度での低速粒子による写真作用プロセス LNT で形成された単原子銀が昇温過程で潜像に成長する ルギーの小さいハロゲン化銀において格子間銀イオンの生成は十分現実的であると考える. そして,LNT において低速粒子により複数の単原子銀が形成され, 昇温過程で再配列することによって, 中の提案は原理的に可能であると考える. 参考文献 1) 中村光廣, 見えてきた原子核乾板活用の世界, 日本写真学会誌,Mitsuhiro NAKAMURA, J. Soc. Photogr. Sci. Tech. Jpn. 78, 211 (2015) 2) 佐藤修, 小松雅宏, 原子核乾板によるタウニュートリノ出現検証実験 OPERA, 日本写真学会誌,Osamu SATO, Masahiro KOMATSU, J. Soc. Photogr. Sci. Tech. Jpn., 78, 212-217(2015) 3) 森島邦博, 宇宙線を用いた福島第一原子力発電所の非破壊イメージング, 日本写真学会誌,Kunihiro MORISHIMA, J. Soc. Photogr. Sci. Tech. Jpn., 79, 42-47 (2016) 4) 中竜大, 超微粒子原子核乾板による方向感度を持った暗黒物質探索実験と新技術, 日本写真学会誌,Tatsuhiro MAKA, J. Soc. Photogr. Sci. Tech. Jpn., 78, 218-227 (2015) 5)SRIM Tutrial 0.2 ドキュメント,http://sakura.nucleng.kyoto-u. ac.jp/ aoki/srim/ 6)R. C. BAETZOLD, C. R. BERRY, The Theory of the Photographic Process, 4 th ed., by T.H. James, Macmillan, New York, 1977, p.23 7) 高田俊二, 改訂写真工学の基礎 ( 銀塩写真編 ), 日本写真学会編, コロナ社, 東京,1998,p.311 8)Shunji TAKADA, Low-Temperature Triboluminescence of Silver Halide Microcrystals, Photogr. Sci. Eng., 21, 139-141 (1977) 9)T. HABU, N. MII, K. KUGE, H. MANTO, Y. TAKAMUKI, J. Imaging Sci., 36, 462 (1992) 10)J. F. HAMILTON, The Theory of the Photographic Process 3 rd ed., by C. E. K. Mees and T. H. James, Macmillan, New York, 1966, p.141 11)L. M. KELLOGG, Photogr. Sci. Eng. 18, 378(1974) 12)M. SAITO, J. Photogr. Sci. 24, 205(1976)
高田俊二 久下謙一低速粒子飛跡の高感度検出に関する考察 低温トリボルミネッセンスの観察から 279 13) 高田俊二, 写真乳剤粒子のイオン伝導と空間電荷層の研究 - ハロゲン化銀の感光性と物性の関係, 日本写真学会誌, Shunji TAKADA, J. Soc. Photogr. Sci. Tech. Jpn, 44, 81-95 (1981) 14)F. I. METZ, R. N. SCHWEIDER, H. R. LEIDER, L. A. GIRI- FALCO, J. Phys. Chem., 61, 86(1957)